ファンタジーを信じる心
私は「ファンタジー」と呼ばれる分野の本が大好きだ。つまり現実には絶対起きないことが物語になっているものといえばいいだろう。誰でもわかるたとえを出すとすれば、「桃から生まれた桃太郎」だろうか。動物がしゃべるもの、魔法が出てくるものは大体全部それと思っていい。
もちろん…私だって子どもの頃は妖精は「いるところにはいる」と…多分今でもちょっぴりは思っているし、宗教を信じているということはつまり「普通に目には見えない何か」があるということを信じているということでもある。サンタクロースも、幽霊も、お化けも、妖怪も、生まれ変わりも、大まかにいうとそういうことだと思っている。神社やお寺にいけば、割とまじめに参拝するし、受験の時はお守りだって持っていた。四葉のクローバーだって好きだ。
もしも魔法が本当にあるのなら絶対みんな使うと思う。魔法少女のステッキを持ち、またはライダーベルトをつけて、本気で変身できると思っている年代というのはあるが、割と短い期間で終わってしまうのは、その短い年代の間に子どもたちが「なるほど、これは変身しないのだな」ということを覚えるからだと私は思う。40歳になっても、それが理解できないとしたら、それはかなり問題だとみんなが思うことだろう。「気分を出す」ということと、「実在」の間には違いがある。
ライダーベルトであろうと、ハリーポッターの杖であろうと、それを飾って愛でるとか、それを使って物語の登場人物のフリをしてみるとかぐらいなら別に何でもない、罪のない楽しみとして誰だってやっていいと思うが、それを人に売る、それも「本物」として売るとなったら、それはどうだろうか。
この前、アラジンの魔法のランプのように精霊が出てきて願い事をかなえてくれるランプというものを、日本円にして8ケタ万円のお値段で売りつけた人がいたというニュースを読んだ。芸術品並みの出来だとしてもずいぶんだ。美術品とか骨とう品というものはそういうお値段がつくというのは知識として知ってはいるがそれはあくまでこう…実際に精霊がとび出たりしないことは暗黙のうちに了解済みであろう。それを、「出る」といって売って、買う人があるというのは驚きだった。
これだけ高ければ出るかもしれないと思わせたのか、それともその人が本物を実際みたことがあったとか??
いや、それはあまりにもファンタジーにすぎるだろう。だました方はひどいと思うが、これはなんていうか、信じてお金を出せた人は幸せな人なのかもしれないと思えてきた。
その人の世界ではお金を出せば精霊の出るランプが買える。うーん。一度きりしか使えないと言われて、大事にその1回を取っておくとしたら、本物であることに意味はない。これはあれだ、一億円だ。
一億円あったら、何をしますか?と聞かれると、たいていの人はまず、それを銀行にいれると答えるのだとか。
そのお金があったらできることを考えるとまあ、みんないくつかは案が出せる。それをかなえる方法がほかにあるか、または今はしなくていいことなのだったら、その一億円は取って置いたままに出来る。
そんなわけで一億円を手に入れたことにして、暮らすことが出来てしまう…というようなことを提案していたのは確か、糸井重里さんだったと思う。全く、どこにもない一億円だけれど、実は手に入れてもそんなもんだ、ということらしい。そういう考え方をするとしたならば、精霊の出てくるランプも多分、それでいいんだろう。
ただ、売ったヤツはだめだ。地獄に落ちろと思うけどね。
世の中は不思議に満ちているのだと…sense of wonder、わからんでもないな。もちろん騙されたいわけではないけれども、どこかで私は、魔法のランプがあってほしいと願っている。すべての望みがついえたときに、すがるところがあればいいのにとおもったことがあるから。
信じられる人と、信じられない人、どちらが幸せに暮らせるのだろう。多分両方の間ぐらいに、最適解があるんだろうけど。
そのランプを買った人の幸せを祈りたい。
もちろん…私だって子どもの頃は妖精は「いるところにはいる」と…多分今でもちょっぴりは思っているし、宗教を信じているということはつまり「普通に目には見えない何か」があるということを信じているということでもある。サンタクロースも、幽霊も、お化けも、妖怪も、生まれ変わりも、大まかにいうとそういうことだと思っている。神社やお寺にいけば、割とまじめに参拝するし、受験の時はお守りだって持っていた。四葉のクローバーだって好きだ。
もしも魔法が本当にあるのなら絶対みんな使うと思う。魔法少女のステッキを持ち、またはライダーベルトをつけて、本気で変身できると思っている年代というのはあるが、割と短い期間で終わってしまうのは、その短い年代の間に子どもたちが「なるほど、これは変身しないのだな」ということを覚えるからだと私は思う。40歳になっても、それが理解できないとしたら、それはかなり問題だとみんなが思うことだろう。「気分を出す」ということと、「実在」の間には違いがある。
ライダーベルトであろうと、ハリーポッターの杖であろうと、それを飾って愛でるとか、それを使って物語の登場人物のフリをしてみるとかぐらいなら別に何でもない、罪のない楽しみとして誰だってやっていいと思うが、それを人に売る、それも「本物」として売るとなったら、それはどうだろうか。
この前、アラジンの魔法のランプのように精霊が出てきて願い事をかなえてくれるランプというものを、日本円にして8ケタ万円のお値段で売りつけた人がいたというニュースを読んだ。芸術品並みの出来だとしてもずいぶんだ。美術品とか骨とう品というものはそういうお値段がつくというのは知識として知ってはいるがそれはあくまでこう…実際に精霊がとび出たりしないことは暗黙のうちに了解済みであろう。それを、「出る」といって売って、買う人があるというのは驚きだった。
これだけ高ければ出るかもしれないと思わせたのか、それともその人が本物を実際みたことがあったとか??
いや、それはあまりにもファンタジーにすぎるだろう。だました方はひどいと思うが、これはなんていうか、信じてお金を出せた人は幸せな人なのかもしれないと思えてきた。
その人の世界ではお金を出せば精霊の出るランプが買える。うーん。一度きりしか使えないと言われて、大事にその1回を取っておくとしたら、本物であることに意味はない。これはあれだ、一億円だ。
一億円あったら、何をしますか?と聞かれると、たいていの人はまず、それを銀行にいれると答えるのだとか。
そのお金があったらできることを考えるとまあ、みんないくつかは案が出せる。それをかなえる方法がほかにあるか、または今はしなくていいことなのだったら、その一億円は取って置いたままに出来る。
そんなわけで一億円を手に入れたことにして、暮らすことが出来てしまう…というようなことを提案していたのは確か、糸井重里さんだったと思う。全く、どこにもない一億円だけれど、実は手に入れてもそんなもんだ、ということらしい。そういう考え方をするとしたならば、精霊の出てくるランプも多分、それでいいんだろう。
ただ、売ったヤツはだめだ。地獄に落ちろと思うけどね。
世の中は不思議に満ちているのだと…sense of wonder、わからんでもないな。もちろん騙されたいわけではないけれども、どこかで私は、魔法のランプがあってほしいと願っている。すべての望みがついえたときに、すがるところがあればいいのにとおもったことがあるから。
信じられる人と、信じられない人、どちらが幸せに暮らせるのだろう。多分両方の間ぐらいに、最適解があるんだろうけど。
そのランプを買った人の幸せを祈りたい。
コメント
レツゴーさんへ
違うんですよ、8万円じゃなくて、百万円単位から、最初の言い値は一千万円単位でした。だからびっくりしたんです。
どうせだますなら、大きく出たんでしょうけど、本当にねえ。
どうせだますなら、大きく出たんでしょうけど、本当にねえ。
もし、騙された相手が子供なら、許せないけど、大人なら、信じた自分が悪いと思って、8万円あきらめなさいよ意地悪く思ってしまいます。
もし、そんなものがあるとしたら、8万円なら安すぎて嘘くさいと・・・
ただの美術品としてなら、8万円出せるか出せないかは、本人の懐具合ですもんね。
たった一度だけでも、かなうのなら、全財産なげうつくらいでないと、無理だと思う。