説明しづらい笑いのツボ
ティーンぐらいから、20代前半だった頃は、おしゃべりの途中で笑い始めると、全員笑いが止まらなくなることがあった。
「お前ら、箸が転がっても笑える年頃だよなあ」とクラブの顧問の先生に呆れられたこともある。
「えー、それはないよー」と返した私に、先生が、「ほれ」と食べていた弁当のお箸を転がした途端になんだか笑えてしまって、全員で爆笑になってしまい、「ほらみろ」と笑われた覚えがある。
パート練習中に、後輩と同じところをを同じように間違えてしまったことがあって、顔を見合わせて大笑いしたあと、合奏に入って、その部分に差し掛かるたびに二人で吹き出してしまって演奏にならず、「笑わずにできるようになるまで入ってくるな!」と叱られて部屋から追い出された記憶もある。さすがにまずいと思ったので、ちょっと落ち着こうか…と二人で顔を見合わせて、やっぱりこらえきれずもう一度笑ってしまって、「うつるねえ」「ですね」と必死で笑いを飲み込んだ。
もうどうやって解決したかは覚えていないが、そのあと雷を落とされた記憶もないので、多分気を取り直してどうにかしたのだろう。
そういう状態を学生だった頃の友達が「ゲラになる」と表現していた。
「笑いのツボにはまる」と同じようなものらしく、つまりは笑えてしまって止まらなくなる状態が「ゲラになっている」ということなのだとか。
でも、あとから思い出してもなぜそんなにゲラゲラ笑えたのかは謎だ。本当に「箸が転がっても面白かった」のだというのは合っているとは言えない。同じ間違いをしたのは確かに「うっ」となることではあるが、それがどうしてああいう風に笑いが止まらなくなったのかも説明がつかない。ただ、あの時はそうなっちゃったってこと。
今朝、洗濯を終えた私は、流し台の上においてあった水差しから緑茶をそこにあったマグカップについでぐっと一息に半分飲み干したところで、夫と目が合った。
「あ」
「ぶふっ」
夫は、何かを探しているような様子をしていて、片手にコーヒーのドリップパックを持っていた。
一瞬で私は夫が探しているのはマグカップだ、ということがわかってしまって、夫は探していたマグカップは私の手に握られている…ということがわかってしまった瞬間だった。
流し台の上にぽん、と置いてあったカップは洗った後ではなく、夫が今からコーヒーを作ろうと戸棚から出したものだったのだが、私はちょうどいい位置にあったそれに緑茶を注いでしまったのだった。
お互いそのタイミングの良さというか、悪さというか…に噴きだしてしまって、夫は「ツボにはまった、ごめん」と言いつつ、私はお茶が鼻のほうへ逆流しつつ大爆笑。夫も笑いが止まらなくなって、ふたりで支えあいながら苦しくなるまで笑ってしまった。
何年ぶりだろう、こんなに笑ったの。夫が使おうと思ったマグが使われていた、その瞬間に私もそれに気づいた、というだけのことといえばだけなのに。不思議だなあ。
そして文章に書いても絶対伝わらないんだけど…。でも、なんだかゲラゲラ笑ったら楽しくてすっきりしたので、これはラッキーだったということにしておこう。
「お前ら、箸が転がっても笑える年頃だよなあ」とクラブの顧問の先生に呆れられたこともある。
「えー、それはないよー」と返した私に、先生が、「ほれ」と食べていた弁当のお箸を転がした途端になんだか笑えてしまって、全員で爆笑になってしまい、「ほらみろ」と笑われた覚えがある。
パート練習中に、後輩と同じところをを同じように間違えてしまったことがあって、顔を見合わせて大笑いしたあと、合奏に入って、その部分に差し掛かるたびに二人で吹き出してしまって演奏にならず、「笑わずにできるようになるまで入ってくるな!」と叱られて部屋から追い出された記憶もある。さすがにまずいと思ったので、ちょっと落ち着こうか…と二人で顔を見合わせて、やっぱりこらえきれずもう一度笑ってしまって、「うつるねえ」「ですね」と必死で笑いを飲み込んだ。
もうどうやって解決したかは覚えていないが、そのあと雷を落とされた記憶もないので、多分気を取り直してどうにかしたのだろう。
そういう状態を学生だった頃の友達が「ゲラになる」と表現していた。
「笑いのツボにはまる」と同じようなものらしく、つまりは笑えてしまって止まらなくなる状態が「ゲラになっている」ということなのだとか。
でも、あとから思い出してもなぜそんなにゲラゲラ笑えたのかは謎だ。本当に「箸が転がっても面白かった」のだというのは合っているとは言えない。同じ間違いをしたのは確かに「うっ」となることではあるが、それがどうしてああいう風に笑いが止まらなくなったのかも説明がつかない。ただ、あの時はそうなっちゃったってこと。
今朝、洗濯を終えた私は、流し台の上においてあった水差しから緑茶をそこにあったマグカップについでぐっと一息に半分飲み干したところで、夫と目が合った。
「あ」
「ぶふっ」
夫は、何かを探しているような様子をしていて、片手にコーヒーのドリップパックを持っていた。
一瞬で私は夫が探しているのはマグカップだ、ということがわかってしまって、夫は探していたマグカップは私の手に握られている…ということがわかってしまった瞬間だった。
流し台の上にぽん、と置いてあったカップは洗った後ではなく、夫が今からコーヒーを作ろうと戸棚から出したものだったのだが、私はちょうどいい位置にあったそれに緑茶を注いでしまったのだった。
お互いそのタイミングの良さというか、悪さというか…に噴きだしてしまって、夫は「ツボにはまった、ごめん」と言いつつ、私はお茶が鼻のほうへ逆流しつつ大爆笑。夫も笑いが止まらなくなって、ふたりで支えあいながら苦しくなるまで笑ってしまった。
何年ぶりだろう、こんなに笑ったの。夫が使おうと思ったマグが使われていた、その瞬間に私もそれに気づいた、というだけのことといえばだけなのに。不思議だなあ。
そして文章に書いても絶対伝わらないんだけど…。でも、なんだかゲラゲラ笑ったら楽しくてすっきりしたので、これはラッキーだったということにしておこう。
コメント
こん〇〇は。
のんちさんへ
やっぱり、「年頃」っていうのがあるんでしょうね。
文章はわかりやすく読みやすく書けたらいいなあ、と思っていますが、やっぱり頭の中で自分がわかっていることは飛ばしてしまうことが多いので書き足りなかったな、ということが結構起こる気がします。
それがなるべくないように、と思うと冗長になりやすいのが欠点ですかね…。文章がうまい人のブログを読んでは、「いいなあ…」ってなってます。
文章はわかりやすく読みやすく書けたらいいなあ、と思っていますが、やっぱり頭の中で自分がわかっていることは飛ばしてしまうことが多いので書き足りなかったな、ということが結構起こる気がします。
それがなるべくないように、と思うと冗長になりやすいのが欠点ですかね…。文章がうまい人のブログを読んでは、「いいなあ…」ってなってます。
具体的なことは思い出せませんがそんな経験、思わず「うんうん」と。
人に話すと、、まあ話し方もあるんでしょうけど通じないんですよね、話してる自分も
「聞いているほうはつまんねえだろうな」と思ってるんだし。
でもね、まこさんの記事はいささかぶっきらぼう(失礼)ですが描写がとても丁寧なんで
すよ、言ってみれば落語のように情景が頭に浮かぶんです。
娘たちも中学生の頃は正に箸が転んでも状態でした、そしていつまでも受けると思ってい
た私がそこにはありました。
今は昔のお話です。