ふつうの生活ってどんなのだろう。
出かけた先でこういうポスターを見かけた。
まあ、大体言いたいことはわかる。
これはつまり「働いている人」用のポスターだよね。長時間労働をなんとかしましょう、ということだと思う。
「ふつうに暮らせる」って難しい。
贅沢をせず、お菓子なんか珍しいぐらいで、旅行は数年に一度ぐらいしかせず、車はない。つまり私が子供の頃はそのぐらいでも「普通」と思われていたものだったし、おさがりを着ている子どもも多かった。自家用車はあっても、お父さんが通勤に使っていて普段は家にない家も多かったものだ。
でも、今の「普通」はなあ…。自家用車あたりまえ、子どもを進学させるときに塾も当然、高校、大学が私学なこともあったり、旅行も年に1回か2回ぐらいは…。スマホ本体3万なら安いほう…なんていう生活をしていても、それを「ぜいたく」と思うだろうか。
それを「割と普通」と思っている人たちも結構いると思う。
献血で景品にくれるTシャツを一張羅にしていたことがあるぐらい貧乏だったことがある私は、切り詰めた生活というものがどういうものか知っているつもりだが、それもまた、「割と普通」と思っていた。
多分稼げる金額は、ある程度あれば満足度は途中からは変わらない。絶対足りない…のも困るけれども、食べるものが贅沢しなければお腹いっぱい食べられて、毎日風呂に入って、洗濯が出来て、ひどく目立たない程度に服が買えれば…やっぱりどのぐらい満足できるかは考え方にかかってくる気がする。
昔の「普通」は、もっとお金がかかっていない気がするなあ…。普通って、どのぐらいの幅なんだろう。
お金をかけるところにも個人差があるだろうし…。車も「このぐらいは普通」と言っているお友達の車、300万ぐらいするらしいからね…。夫はこないだ、ネットでキャリアを変えたら100円でスマホをくれるというのを見つけて大喜びして契約していたが、こないだ近所のショップで宣伝していたiPhone8は、割引しても端末の値段が3万円とかだったし…。
考えれば考えるほど、「普通の暮らし」というのはわからなくなっていく気がしたのだった。
コメント
きたあかりさんへ
あんまりあれもこれもどうしてもないとダメみたいなこと考えると不足が目についてくるようになる感じというか。
これでいいや、と思って生活しているので向上心はあんまりないかもです。
普通の暮らしは確かに何だろうなと思うことはありますね。
アタシも、まこさんと同じで、貧しい時代ってのがありました。それは子供の頃だったのだけれど、人と同じように体育着が変えるとか修学旅行に行けるとか、そんなことがギリギリ出来るか出来ないかっていう瀬戸際で、出来ると、かなり嬉しく幸せでした。だから今、たいていの人が出来る生活を、特別にありがたく思えます。
病気にならない程度にバランスのとれた食事ができて、重篤な病気になれば病院に行ける生活、スペシャルです。
アタシにとっては普通以上のことなのです。
やはり、普通は、人によって違うようです。