40年前のなぞなぞ
「お互いよく似た黄色い顔2つ、1つは高い、1つは低い、なーんだ」というなぞなぞがある。
答えは、「おひさまとひなぎく」。英語圏のなぞなぞで、おひさまは絵に描くときは黄色く書くのがお約束の国々のなぞなぞだ。
そのひなぎくが、この写真。
ひなぎく=daisyで、ドナルドダックのガールフレンドが確かこの名前だよね。
私がこのなぞなぞを初めて知ったのは、岩波書店の
「ホビットの冒険」…と書こうと思ったけれども、学校の図書室にあった外国のなぞなぞをまとめた絵本にあったのを思い出した。
これはまだ、本を読むのがおぼつかない一年生ぐらいの頃、クラスメイトのともこちゃんが持っている本でもあった。お父さんが、確か学校の先生だったともこちゃんは当時でもかなり本が読めて、「あの、みんながわかんないなぞなぞ、だして」とよくみんなにせがまれていた。
日本の一年生向けのなぞなぞは、「パンはパンでも、食べられないパンはなあに」とか、「とりはとりでも、とべないとりは」とか、ダジャレ系が多くて、一度パターンを覚えてしまえば、なんとか答えをひねり出せるものが多かった。
でも、ともこちゃんがこの本から出すなぞなぞはぜんっぜんわからなかった。
たとえば、「白いお部屋の中に、金色の宝物がかくれています。お部屋には窓も、ドアも、かぎもありません」
これの答えは「卵」。
一年生はみんな、「えー?部屋ぁ?あれが?卵の黄身が金色なの?」となる。
でも、ともこちゃんにいわせれば、「だって本にそうかいてあるんだもん」であった。
学校の図書室にもあると思う、というので、私はともこちゃんにその本を教えてもらって読んだ。
どれもこれも、答えを見るまで全くわからず、外国のなぞなぞというのは、難しいものなのだなあ、と思ったのだった。最初に書いたなぞなぞもその本にのっていた。
この花を見たとき、ふと「お日様の下のひなぎくのことよ」というゴクリの台詞が頭に浮かんで、それと同時になぞなぞの本の思い出がよみがえった。何十年も思い出していないようなことだった。自分が一年生だったことがあるというのは確かなんだけど、でも、なんだか本当のことみたいな気がもうしない。遠い世界の出来事みたいな気がする。
今からまた40年ぐらいたったら、今日のこともやっぱり夢みたいな気がするのかもしれない。
答えは、「おひさまとひなぎく」。英語圏のなぞなぞで、おひさまは絵に描くときは黄色く書くのがお約束の国々のなぞなぞだ。
そのひなぎくが、この写真。
ひなぎく=daisyで、ドナルドダックのガールフレンドが確かこの名前だよね。
私がこのなぞなぞを初めて知ったのは、岩波書店の
「ホビットの冒険」…と書こうと思ったけれども、学校の図書室にあった外国のなぞなぞをまとめた絵本にあったのを思い出した。
これはまだ、本を読むのがおぼつかない一年生ぐらいの頃、クラスメイトのともこちゃんが持っている本でもあった。お父さんが、確か学校の先生だったともこちゃんは当時でもかなり本が読めて、「あの、みんながわかんないなぞなぞ、だして」とよくみんなにせがまれていた。
日本の一年生向けのなぞなぞは、「パンはパンでも、食べられないパンはなあに」とか、「とりはとりでも、とべないとりは」とか、ダジャレ系が多くて、一度パターンを覚えてしまえば、なんとか答えをひねり出せるものが多かった。
でも、ともこちゃんがこの本から出すなぞなぞはぜんっぜんわからなかった。
たとえば、「白いお部屋の中に、金色の宝物がかくれています。お部屋には窓も、ドアも、かぎもありません」
これの答えは「卵」。
一年生はみんな、「えー?部屋ぁ?あれが?卵の黄身が金色なの?」となる。
でも、ともこちゃんにいわせれば、「だって本にそうかいてあるんだもん」であった。
学校の図書室にもあると思う、というので、私はともこちゃんにその本を教えてもらって読んだ。
どれもこれも、答えを見るまで全くわからず、外国のなぞなぞというのは、難しいものなのだなあ、と思ったのだった。最初に書いたなぞなぞもその本にのっていた。
この花を見たとき、ふと「お日様の下のひなぎくのことよ」というゴクリの台詞が頭に浮かんで、それと同時になぞなぞの本の思い出がよみがえった。何十年も思い出していないようなことだった。自分が一年生だったことがあるというのは確かなんだけど、でも、なんだか本当のことみたいな気がもうしない。遠い世界の出来事みたいな気がする。
今からまた40年ぐらいたったら、今日のこともやっぱり夢みたいな気がするのかもしれない。