子どもの才能を伸ばすには…なんて話
普段愛読しているブログ、ぢょん でんばあさんのOKKANABIKKURINGの記事【さいのう話】を読んで、うーん、となった。
うちは小学生がいるから、つまり現在育児中といっていいだろう。
ぢょんさんは、80代のお母様が、50代のぢょんさんに、もっとあなたたちの才能を伸ばしてあげたらよかった、と幼稚園児の天才サッカー少年をテレビで見たときにおっしゃった…という話を書いていらした。
大人になったらわかる。それはもう、別に言わなくてもいいようなことなのだと。でも、誰でもふと、「もしかして、もっとがんばっておけば違う人生があったのかもしれない」と思いつく瞬間はあると思う。
子供の才能をのばすのが大切…というのは、そういう本もあるし、ネットを見ていても広告にでるし…でも、「子供の可能性は無限です」とか「子供はみんな天才です!」とかには、正直なところちょっと疑問がわく。
子供はかわいいし、もうこんなことが出来るようになったのか!というのはいつもうれしいものだ。興味のあることには、食いついて離れないようなところもあるし、一点集中、たとえばポケモン数百種類覚えられる子だって珍しくないし、あっという間に算数が出来るようになってしまう子もいる。
多分1万人に2人ぐらいは「天才」といってもさしつかえないお子さんがいることであろう。
でも、全員じゃない、「みんな」でもない。
そりゃね、私だってある程度は期待したし、幼稚園はそういうお勉強させる幼稚園だったし、ピアノに水泳に空手に体操、サッカーにダンスに、キャンプに英語にプログラミングに、中学受験に至るまで、一応やらせてみたのは、やらせてみたのよ、うん。
小さい頃は言われるままにやっていたものも多かったが、ある程度苦手な体を動かすものからだんだんやらなくなり、本人がいやがるものを減らしていったら、今残っているのは受験勉強と、プログラミングとピアノだけ。
まず本人が努力が嫌い。確かにだんだん練習してうまくなったものもあった。水泳なんか4種類25mは泳げるようになったものね。空手だって級もいくつかはあがったし…とはいえ、他の人より出来ない、と感じたらもう練習もイヤになるというような状態で、自分が出来ないということを認めて練習しよう、なんていうのは無理なんだということは、いくらひいき目に見たところで親にもわかってくる。
練習してうまくなる達成感を味わって、これからの人生に役立ててほしい、と親は願っていたのだが、結局「努力せず、すごくできるようになりたい」みたいな反応で、小学校3年生ぐらいからそれほど変化がない息子を見ていると、「こんなものなのかもしれないな」と思う。
どんなに親が願っても、最初のきっかけだけしか与えられないものであって、後は本人が興味を持って、出来るようになりたいと思って練習しないとだめなんだろうなあ。子どもが努力できる性格か、ということは大きい。
今までの生活にかすりもしない、たとえば「生け花」とか、「陶芸」とかに才能があったらどうするんだろう、というのはあるけれども、芸術系に適性があれば、そのあとはもう、その道に入ってうまい人のものを見たり、本を読んで知識を付けたり、興味を持って練習するなり…ということになるのだろうから、十分美術館、博物館には行ったからなあ。
もっとのばしてやったら、輝かしい才能が花開いたんだろうかというのは、ちょっとすてきな考えではあるけれども、個人の性格とか、資質とかもあるよねえ…と思う。
ピアノの練習を1日3分間しかしない息子がブルグミュラーに5年でたどりついたのは、実はすごいのかもしれないけど、言われるままにであろうと、一日数時間練習出来るテレビにでるようなお子さんというのは、やっぱりものすごーく天才なのだ、と思う。
言われてもやりたくなきゃあ、全然やらない、努力は嫌いだし、簡単に出来ることだけがやりたい、そういう子もいるからなあ…うちの子とか。
なんとかして就職して自分で稼いでご飯食べられるようになってほしいものだ。
私は一応、親としてお金をだしてきっかけを作り、なるべく努力をほめてきた。やるだけはやった…とここに記録に残しておくものとする。
うちは小学生がいるから、つまり現在育児中といっていいだろう。
ぢょんさんは、80代のお母様が、50代のぢょんさんに、もっとあなたたちの才能を伸ばしてあげたらよかった、と幼稚園児の天才サッカー少年をテレビで見たときにおっしゃった…という話を書いていらした。
大人になったらわかる。それはもう、別に言わなくてもいいようなことなのだと。でも、誰でもふと、「もしかして、もっとがんばっておけば違う人生があったのかもしれない」と思いつく瞬間はあると思う。
子供の才能をのばすのが大切…というのは、そういう本もあるし、ネットを見ていても広告にでるし…でも、「子供の可能性は無限です」とか「子供はみんな天才です!」とかには、正直なところちょっと疑問がわく。
子供はかわいいし、もうこんなことが出来るようになったのか!というのはいつもうれしいものだ。興味のあることには、食いついて離れないようなところもあるし、一点集中、たとえばポケモン数百種類覚えられる子だって珍しくないし、あっという間に算数が出来るようになってしまう子もいる。
多分1万人に2人ぐらいは「天才」といってもさしつかえないお子さんがいることであろう。
でも、全員じゃない、「みんな」でもない。
そりゃね、私だってある程度は期待したし、幼稚園はそういうお勉強させる幼稚園だったし、ピアノに水泳に空手に体操、サッカーにダンスに、キャンプに英語にプログラミングに、中学受験に至るまで、一応やらせてみたのは、やらせてみたのよ、うん。
小さい頃は言われるままにやっていたものも多かったが、ある程度苦手な体を動かすものからだんだんやらなくなり、本人がいやがるものを減らしていったら、今残っているのは受験勉強と、プログラミングとピアノだけ。
まず本人が努力が嫌い。確かにだんだん練習してうまくなったものもあった。水泳なんか4種類25mは泳げるようになったものね。空手だって級もいくつかはあがったし…とはいえ、他の人より出来ない、と感じたらもう練習もイヤになるというような状態で、自分が出来ないということを認めて練習しよう、なんていうのは無理なんだということは、いくらひいき目に見たところで親にもわかってくる。
練習してうまくなる達成感を味わって、これからの人生に役立ててほしい、と親は願っていたのだが、結局「努力せず、すごくできるようになりたい」みたいな反応で、小学校3年生ぐらいからそれほど変化がない息子を見ていると、「こんなものなのかもしれないな」と思う。
どんなに親が願っても、最初のきっかけだけしか与えられないものであって、後は本人が興味を持って、出来るようになりたいと思って練習しないとだめなんだろうなあ。子どもが努力できる性格か、ということは大きい。
今までの生活にかすりもしない、たとえば「生け花」とか、「陶芸」とかに才能があったらどうするんだろう、というのはあるけれども、芸術系に適性があれば、そのあとはもう、その道に入ってうまい人のものを見たり、本を読んで知識を付けたり、興味を持って練習するなり…ということになるのだろうから、十分美術館、博物館には行ったからなあ。
もっとのばしてやったら、輝かしい才能が花開いたんだろうかというのは、ちょっとすてきな考えではあるけれども、個人の性格とか、資質とかもあるよねえ…と思う。
ピアノの練習を1日3分間しかしない息子がブルグミュラーに5年でたどりついたのは、実はすごいのかもしれないけど、言われるままにであろうと、一日数時間練習出来るテレビにでるようなお子さんというのは、やっぱりものすごーく天才なのだ、と思う。
言われてもやりたくなきゃあ、全然やらない、努力は嫌いだし、簡単に出来ることだけがやりたい、そういう子もいるからなあ…うちの子とか。
なんとかして就職して自分で稼いでご飯食べられるようになってほしいものだ。
私は一応、親としてお金をだしてきっかけを作り、なるべく努力をほめてきた。やるだけはやった…とここに記録に残しておくものとする。
コメント
リンクありがとうございました
こんにちは。
私も、まこさんと同感で、英才教育等を受けさすよりも、色んな事を経験させて、興味がある物を探してあげる方がいいと思います。
その事に楽しめることか、そうでないかがポイントだと思います。
自分が楽しめることではないと、ある程度以上の伸びもないと思いますし。
まこさんは、お子様に色んな習い事を経験させて来られた様ですので、親として立派だなぁと思います。
私も、まこさんと同感で、英才教育等を受けさすよりも、色んな事を経験させて、興味がある物を探してあげる方がいいと思います。
その事に楽しめることか、そうでないかがポイントだと思います。
自分が楽しめることではないと、ある程度以上の伸びもないと思いますし。
まこさんは、お子様に色んな習い事を経験させて来られた様ですので、親として立派だなぁと思います。
ぢょん でんばあさんへ
それほど興味もない、好きでもないことに何時間も何年もかかわっていくのは難しいですからね…。やっぱりピアノにはそれほど…ということだっただけかと思います。
でも、何が好みか、ってやったことがないものを手掛かりなしに探すのって難しいんですよね。都合、近所に教えてくれる先生がいたり、教室があったりするものをやることになって。
家のそばにものすごく珍しい習い事とかがあったら、もっと面白かったのかもしれません。
でも、何が好みか、ってやったことがないものを手掛かりなしに探すのって難しいんですよね。都合、近所に教えてくれる先生がいたり、教室があったりするものをやることになって。
家のそばにものすごく珍しい習い事とかがあったら、もっと面白かったのかもしれません。
どこかのだれかさんへ
コメントありがとうございます。
本当言えば、もっと珍しいことをやらせてみたかったのもあるのですが、とっかかりが全くないものは気づきもせず、あることもわからない…という感じですから、なかなかそういう機会はありませんでした。
きっと隠れた才能が…というのは、ロマンがあるなあと思います。
本当言えば、もっと珍しいことをやらせてみたかったのもあるのですが、とっかかりが全くないものは気づきもせず、あることもわからない…という感じですから、なかなかそういう機会はありませんでした。
きっと隠れた才能が…というのは、ロマンがあるなあと思います。
お正月久しぶりに娘と息子、両方いる時に、息子がリビングのピアノを見て言いました。
あーあ、俺らけっきょく、努力する才能が無いんやな
オレら、にはもちろん私も含まれるわけで、でも私も娘も反論できず苦笑いでした。
仏壇化してきたピアノを処分するかどうか、いま迷ってます。