LuckyDuckyDiary

ドナルド・キーンさんのこと

私が、ドナルド・キーンさんの本を最初に読んだのは多分中学生の時だ。
いまwikiを見てみると、1979年あたりの著作が多いから、そのあたりが図書館のエッセイ本のコーナーにあるのを読んだのだと思う。

なめらかな日本語で、書いていることはもちろん外国に育った人の目から見た日本ということから、著者が日本のヒトでないことは明白だったが、最初はてっきり、翻訳されているのだと勘違いしていたぐらいだ。

 1980年代は、まだアメリカの工業なんかも強くて、アメリカという超大国から、遠くの島国を…みたいな論調になるものが他の外国人作家からも出されているものが多かったように思う。ただただ、西洋からみた東洋のその文化の大幅な違いに魅せられた人の感動と、全く理解できないことを自虐的に書いたものも結構あった。

 今でいうと、ネットに「日本人がいかに素晴らしく、外国とは違うか」というようなことを書いたものがあふれているのに似ている。書いているのが外国人ということで、日本人としてはなかなかに面白く読めて、外国から見たらこう見えるのか、と思える、そういう本とは、キーンさんの本は一線を画していた。

 彼は…。なんというのだろう、日本人の心を、文学から解き明かして、中に入り込み、日本人としての考え方を身に着けているとしか思えなかった。古典を読み込む日本人だって少ないのに、きっとこの人はすごく凝り性だ(当時はマニアックという言葉は知らなかったと思う)と思ったものだ。

 この人の本は、割と図書館にも入っていることが多く、お金のない中学生高校生も読むことが出来た。90年代の著作までは、かなり読んだはず。

 私は、その後渡米した。
 文化というものは、その場に行ってみているだけでも、ちょっとならわかる。ものの考え方も、テレビ、ラジオ、本、映画、そういうものを取り入れ始めると味が違うのがわかる。
 ドナルド・キーンさんと反対向きに文化交流をした私はといえば、その違いに新鮮な驚きを覚えたのも確かだが、そのなじまなさ加減にぐったり疲れた。日本に住んで、外を眺めるのと、外国に住んで体験するというのは、違うものだということがわかった。
 
 西洋文化圏の本は、キリスト、ユダヤ教系の一神教がしみこんでいるものが多い。善悪の基準や、死生観や、世界のとらえ方がそうなっている。アメリカ文学、イギリス文学は大学でやったけど(実は文学専攻だった)解説を聞いて、その宗教のしみこみ方の頑固さというか、強固さは、驚きだった。
 アメリカが、宗教弾圧で逃げてきた人で作った国だというのは、ダテじゃない。

 1990年代のかなり西洋文化を受け入れた後の日本から行ってもこうなんだもの、アメリカから戦後すぐの日本人の手帳だの、英訳とはいえ1000年昔の源氏物語から日本文化をかじり始めたキーンさんは、大丈夫だったんだろうか。
 アメリカにくたびれた私はあの本、書いてた人すごいわ、としみじみした。これだけ差があるものを、よくぞ…と。

 日本に、ある程度アメリカにひたって微妙にアメリカ味になった私が帰ったあと、私はこの人のエッセイ、多分新聞の連載かなにかのだったか、またはインタビューだったかを読んだ。
 もう一カ所しか覚えていないのだけれども。

 当時、キーンさんは日本語を研究し始めてから何十年も経っていて、古典も、もちろん近現代のものも読み込み、研究者として言えば大学で古典とか文学の授業の教授が出来るぐらいになっていたわけなのだけれど、それでもキーンさんのところには、15歳の日本人中学生から「あなたは日本人じゃないから、日本の心がわかっていない」というような手紙が届く、というような話だった。

日本人が生まれながらにして持っている「日本人の心」というものがあると信じている人があるのだけれど、それはその15歳の人が生まれる前30年も40年も前から、日本語を勉強している人にわからないものなんだろうか、と。

 私はこの話を読んだ時、キーンさんにとても、同情した。そりゃないだろう…と思ったものだ。
 アメリカは、移民の国で、まあ最近はトランプのこともあるから、移民には厳しくなったけれど、当時は合法的に来る移民は歓迎していたし、移民がアメリカのエンジンとして働き、いつでも新しい力を得て先端を走り続けるのがアメリカである、という空気があった。
 国を盛り立て、何も持たないところから勤勉に働き、アメリカンドリームをかなえる、それが正しいアメリカ人だとみんなが信じていた。
 元来た国がどこか、なんていうことは問題ではない。アメリカに貢献するのがアメリカ人だと。

かたや文化にこれだけ貢献しても、日本人の心がないと言われてしまう日本。 
日本人が美徳だと思う性質をもった人はもちろん、アメリカにもいた。
ただ、日本に、公衆道徳や、謙譲の美徳を持っていない日本人がいるように、アメリカにもそういう人たちはいる、それだけなのだから。
私は、「日本だけが特別」と思うのはやめておこう。この日本語の研究者である、キーンさんのためにも。
 これだけ日本のことを真摯に研究している人に、そんな失礼なことを言う人にはなりたくない。
 彼の本のファンだった私はひそかにそう、決心したのだった。キーンさんはそんなこと夢にも知らないだろうけど。

彼の日本語は、美しかった。本は興味深く読みやすく、わかりやすいものが多かった。
正確で読みやすく、なおかつ美しい、そういうことがかけるのが文学者なんだな…ということがよくわかる本。

鬼怒鳴門なんていう漢字の選び方に茶目っ気を感じる。
 キーンさんの宗教がどれだったかは存じ上げないが(ご両親がイディッシュだということはユダヤ教?)、意外と、仏教風に、極楽浄土なんていうのが似合いそうな方だと思う。
 きっと、IC録音機なんか持って、紫式部のインタビューを…なんて。もうとっくに生まれ変わって紫式部には会えなかったりして。

 全著作集なんていうものが出ているのは今回初めて知った。
 この人の本をまた、読もうかな…と思った日だった。

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