バレンタインチョコレート安売り
息子にやったクランチチョコの手提げ袋入りのやつとか、半額とまでは行かないが2割引き。結構おいしいチョコレートだったし、買うかな!
まあ、息子は明治の板チョコ(78円)であろうと、箱入り1000円であろうと区別なく食べるので、高いのを買う意義はあんまりないけどね。
その横に並べてあった78円(今月の目玉)をその安売りチョコの値段分買って帰ってきた。
近隣での板チョコの底値は、78円。そして買って箱に入れておくと、一列ずつなくなっているのがわかる。
私がミルクチョコレート派なので、買うのは大体HI-milkか、普通のミルクチョコレート。
バレンタインのチョコレートの上等なタイプのは、もう安売りでも見かけないから、売り切ったのかもしれないなあ。
今年は、百貨店のチョコレート売り場ものぞきに行かなかった。
結局、「板チョコ」でいいんだよな…。明治のハイミルクチョコレートは、食べ慣れているし、これか、ガーナの黄色い箱のか、どっちかがいいから…そうだ。今年は何枚食べたか、記録を取ろうか。面白いかもしれない。(ただの暇つぶし)
そんなことを考えていたら、夫のお土産が、イチゴの層をはさんだイチゴチョコレートだった。
あー。これも昔っからあるね、おいしい。
ひと口分ずつ、個包装になったタイプ。高いから私は「贅沢しよう」と思った時しか買ってこないタイプだ。
これを初めて食べたのは、いつだったかなあ…。外側がホワイトのもあればいいのにな、と、毎回思う。
小学生の時からだから、十年単位で同じことを考えている気がする。
ホワイトとイチゴの組み合わせのチョコレート、どこで食べたっけ。カリカリした、フリーズドライのイチゴの粒が、ホワイトの板チョコに埋まってるタイプの。日本のじゃないやつ。
輸入食料品を売っているお店に会った記憶があるけど。ちょっとぐらい、出かけてもいいかなあ…。
「チョコレート狩り」という言葉が頭に浮かんだ。
狩り…。走って獲物を取って食べていた頃と同じような感じ?
買い物は現代の狩りといえましょう。
「近いうちに、狩りに出ないと」
…なんだか、いいセリフな気がする。
花粉
夫も、似たような感じだというし、なんと息子も?ちょっと目がかゆいと言っていた。これは来てるなあ。
どっちにしろ全員毎日マスクをしていく癖もついたことだし、家に帰ったら素早くシャワーに。まあ、これは毎年同じだし、コロナが流行ってからというもの、手洗い、シャワーは割と帰ってからすぐそうするようになったから、花粉が家に持ち込まれる率も減っているはず。2年前までは家の中に洗濯物を干したりしていたのだけれど、去年はコロナのウィルスは紫外線に弱い、みたいな話もあったので、この季節にも外に干した。
今年ももう、外に干すかな…。家の中に干すとどうも乾きがよくないし、振ってから取り入れるぐらいで、ちょっとぐらい花粉も落ちるかもだし。
干したてのシーツを使ったら鼻水が出て眠れなくなるぐらいになったら、乾燥機も考えよう。去年は大丈夫だったもんね。
花粉症よりコロナの方が怖かったということで。
スース―する飴ぐらいでなんとかなるし、大体外にあんまり出ない日はちょっと調子がいい。調子が悪いのはやっぱり買い物で外に出た日。今日は一日中にこもっていたら夜なんか花粉症のことを忘れるぐらいだった。
ミントのすーすーする飴はそろそろ切れるので、買ってこないといけないけど、今年もこれ以上ひどくならなければ、薬は飲まないで行けそうだ。
ひどくなったら、薬もらいに耳鼻科へいけばいいや、と思えるとちょっと気楽。
今から、大体6から7週間というところだろう。頑張って乗り越えよう。
ひなまつり
ちなみに思い出した理由は、ケーキ屋さんのケーキだった。
おひなさまがのったデコレーションケーキと、かわいいプリンが売られていたのだった。
ひな祭りにケーキなどを食べる…なんていうのは、子どもの頃でもやったことがないが、こういうデラックスなイチゴケーキをひな祭りに買ってもらえるお子さんもあるんだなあ。楽しそうだ。
私のお気に入りのケーキ屋さんは、最近は夕方に行くと混んでいる。まあ、混んでいると言ってもケーキやさんの込み方なので、満員電車みたいにぎゅうぎゅうになったり、行列がすごく長いパン屋さん…みたいにはならない。2、3人待つぐらいのことだけれど、お客さんが私しかいないときに聞いてみたら、コロナがはやってからこっち、外に出ないで家で美味しいものを食べたりしようと思う人が多いらしく、つまりティールームの需要が全部そっちに回ったというわけで、ケーキを買っておうちに帰る人が増えているらしく、実はコロナ前より繁盛しているんだとか。お値段悪くなく、かわいくておいしいケーキのお店なので、繁盛しているのはうれしい。お気に入りのレストランも、休業だの、閉店だのが多いからね…。
ホールのケーキは3人で食べるのには無理があるので、カットケーキを3つ買って帰った。
苺のショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ。
ちなみに、私はイチゴショートか、チーズケーキが食べたい。
息子はチョコケーキを選ぶことが多いが、イチゴショートのこともある。
夫は、チョコレートケーキか、チーズケーキというチョイスが多い。
…というわけでこの3つ。
息子はチーズケーキを食べない。
私はチョコはそれほどでもない。
あれ?それだと息子がイチゴケーキを選んだら全部決まっちゃう?
私がチーズケーキを選ぶと、息子と夫は、イチゴとチョコレートで一騎打ち。
私がイチゴケーキを選ぶと、夫はチーズケーキ決定。
息子は「チーズはしょっぱいのがいい」らしい。
私は「ここのチョコレートケーキ、濃厚すぎるんだよね…」つまり、おいしいんだけど、大きすぎる感じ?
夫は「ここのは、どれでもいい」
うーん。イチゴショート3つでもいいかもしれない。ここのイチゴショートはすごくおいしいものね。全員文句ない。
今度はイチゴショートにしよう。
気に入っていたのが残らない
最初はミンティアのような小粒のミントしかなかったのに、きがついたら大粒の「ミンティア ブリーズ」なんていうのが並ぶようになった。
レモン、ブドウなんかの味がついたのは、ミントとは言わないかもね?というぐらい薄荷系統の味がしない。ラムネとか、キャンディの方に近い感じか…小さくて硬いジューシーみたいな。
ミンティアブリーズは、一番最初は箱がエメラルドグリーンっぽいのを食べていたら、いつの間にかなくなった。
次に買うことにしたのは、ケースが金色とクリーム色のもの。
でもそれも最近見ない。大体気に入ったのが長続きしたためしがない気がする。
夫は「こういうのはスタンダードなのがいい」といって、ミントだと「クール」なんて名前がついているような、青い箱のを食べていることが多い。特に「何味」と表記のない物で、ケーキの味で言うと「プレーン」にあたるのだろう。
私はスタンダードからちょっとだけ、ミント感を薄めて甘くした…つまりガムで言うと「クールミント」ではなくて「スペアミント」とか、「アップルミント」とか「レモンミント」とか…という系統のものが好きで、「リラックスミント」なんて名前だったかな、前に食べていたのは。
でも全くミントな感じがしないのもダメなんだよね。好みが多分ニッチなんだと思う。
ミントがイヤな人が買うフルーツ系よりはミントっぽく、なおかつミントのスタンダードよりは甘めがいいんだけど、はっきりと派閥がわかれていて、こういうどっちつかずのはなかなか長続きしないのかも。
香りのいいミントタブレットだといいな、と思って買ってきたミンティアは、白い箱で、名前は「リセットホワイト」。
食べてみたら、結構おいしかった。誰かが箱のシールを張り替えて、「リラックスミント」だといって私に差し出したら、なんとなく気にしないで食べちゃっただろうな、と思うぐらい、「ちょっと甘め」で「香りがよくて」「ある程度スース―する」という私のストライクゾーンにぴったりだった。
これを書きながらケースを手に取ったら、裏側が金色だ。
もしかして「リラックスミント」の後継か、それか、名前だけ変えたりとか、そういうのかもしれないな。
しばらくは、これを愛用しよう。
とんかつやさん
コロッケ、唐揚げ、それからチキンカツなんかもあるけれども、なんといっても、売りはトンカツ。スーパーのより安いのに、スーパーのよりおいしいという、素敵なトンカツだ。
高めの、ブランドの豚肉を買ったら、その時点でトンカツの値段を越えてしまう…というぐらいのお値段で、自分でトンカツはあげなくてもいいな!という気分になりがちなお店でもある。
そして揚げたてじゃなくても、このぐらいおいしければ、文句ないな!というところもあって、うちではトンカツ食べようか、となったらここのを買いに来ることになっている。
夏の前ぐらいまでは、お姉さんが売っていて、たとえば夕方ちょっと遅めにって、トンカツがない時には、「ちょっと待ってもらえたら、揚げますけどどうしますか?」なんて聞いてくれたものだし、「ヒレカツじゃなくて、ロースカツがいいんですがありますか」とか聞いたら、それも「じゃあ、ちょっと待ってください」と中の人にあげてもらえるのように頼んでくれたりした。
それが、今はおじさんが一人でやっているのだけれど、これがもう、びっくりするほど不愛想。
なんていうのか、「おつりはくれるだけ、いいと思え」みたいな対応で、「ないものはない!」という感じ。
並んでいないものは、ない。「~はないですか?」と聞きにくい雰囲気だが、そこは頑張って聞いたとしても「いや、もうないんで」と、断られる。
もういっそその愛想のなさがすがすがしいというぐらいだ。
きっぱりしていて、それはそれでいい。
そんなわけで、トンカツを買いに行ったら、トンカツ1枚はあったけど、あとはチキンカツとミルフィーユカツ(これは薄切りの肉を巻いてまとめて、揚げてある。息子はこれも好き)になった。
全員で切り分けたりして分けて食べた。これもまたよし。自分で揚げなくてもいいのが一番。
もうちょっと、時間を早く買いに行かないとな。
雨の日
洗濯物が乾かなくても。花粉が減るから。
目がかゆい感じがするし、くしゃみは時々出るのがなんだか腰に来る気がするし、そして昨日は寝ようかと思ったら、なんだか耳の奥がむず痒いような…そんなところに痛覚あったっけ…。
全員花粉症で、鼻は詰まりがちだし、目は全員しばしばするし。あ、でも黄砂とかも飛んでるのかなあ。
いったい何に反応しているのかはともかく、あと1カ月半ぐらい。私はちょっとヒノキ花粉にも反応するから、4月終わりぐらいまでなんとなく。
雨が降っているのを見ながら、今日は、いい感じ…。と朝を過ごした。ちょっとした不調でも、あるとないとで全然違うものね。紅茶が晴れの日よりおいしい気がする。多分香りがわかるかどうかもあるんだろうな。
いつもの年なら、雨が降ったらちょっと出かけようかな、と思うのだけれど今年はコロナのこともあるから、どっちにしろでかけない。気を付けてベランダに出る時もマスクしよう。ガーゼのとかでも、コロナはともかく、花粉は3割減とかになるらしいから。
息子も鼻が詰まるそうだが、ミントが嫌いなので、その効果は享受できず。薬を飲むなら、耳鼻科の診察だけど、どうする?と聞いたら、いらないそう。
昔、十代の頃かな…初めて花粉症の人に話を聞いた時に、薬がだんだん効かなくなると聞いたっけ。
「ある時、突然なる」というのは本当だったなあ。薬を飲み始めるのは、効かなくなるのなら遅いほうがいいな、そう思ってがんばって飲まないで来たけど、もう飲んじゃってもいいかな。きっと昔より薬もよくなっているだろうし。
…と毎年思いながら、まだ薬を飲む決心がつかない。
うっすくてあっついお茶
でも、めちゃくちゃ夜更かしになったりすると、とても眠いので、コーヒーだろうと紅茶だろうとスパっと眠れてしまうものではある。
どうしても起きていなくてはいけないときに、何をどうしようとイヤになるぐらい眠いというのは経験がある人も多いだろう。結局何を飲もうと飲むまいと、寝れる時は寝れるし、寝れないときは寝れない感じがする。
どっちかというと本当に眠れないときは「まあ、夜だけどコーヒーのんじゃったしな」とか思えるほうが気楽なぐらいだ。
ここしばらく紅茶ばっかり飲んでいたので、味に飽きてきた。
100個入りのティーバッグというのは箱を開けてしまうとなんとなく急いで飲まないといけないような気がしてくるところが難だ。ぴったりしまるチャックのついた50個入りでもいいかもしれないな…。
今日は緑茶が飲みたい。そう思って買ってきた。夜の8時。飲みたいなあ。
でも…もう夜だし。そう思ったけどやっぱりくつろいだ時間に好きなものが飲みたいものだ。歯だってみがいちゃったし、甘い飲み物はイヤだしなあ。
薄く作ってみたらどうだろう。ちょっと香りと味がして、熱ければいいんだから。
なにも人に出すわけでなし、私は貧乏性だからなのか、薄い緑茶が好きだ。
そう思って、書いてある量の大体5倍のお湯で作ってみた。
いける。おいしい。人によっては「出がらし…」と思う人もあるだろうし、どこか他所の家でこういう濃さのお茶が出て来たら「早く帰れということか…」と思うぐらいには、薄い。
けど、夜の8時に、ちょっと肌寒い部屋で、暖かい服だけ着て、のんびりするのには、ちょうどいい味だ。
この温度が、要らなくなるころには、もう桜が咲いて、春が来る。
冬の名残が、まだ見えるような夜。3月だけどまだちょっと寒い。
いつもなら、実家の梅が咲くころだな。あの庭の片隅は、日当たりが悪いから、こんな時期だ。
土筆は、もう土手に出ただろうか。川辺を散歩に出るのは…
はーーーくしょーーーい!
…となったのでもうしばらくやめておく。
キャラメルキャンディ
まあ、だいたいこんなもんだ!というのはなんとなく、見当がつくと思う。柔らかいのをかんで食べるもよし、とけるまでなめるもよし。乳製品っぽい味がするのが典型的。
外国のものも食べたこともある。どのぐらい柔らかいか、歯にくっつくかについてはちょっと差があるものの、これは日本のとは全く物が違う!と思ったことはあまりない。ちょっと噛み切りやすいな、というものから、ねちっこいものまで各種。
味は似ているけれど、固さが違うのが「バタースコッチ」。つまり日本のでいうと「チェルシー」。チェルシーは「バタースカッチ」「コーヒースカッチ」「ヨーグルトスカッチ」があるが、その「バタースカッチ」がこれ。
いつ頃からかな、「ヴェルタ―ス・オリジナル」というのが出てきた。私が渡米していた時に発見して、アメリカで買える味がどうもなじまないキャンディの中にあって、「これはおいしい」と喜んで食べて、日本に帰ってから、日本でも買えるのを見て驚いた覚えがある。
味から行くと、間違いなくチェルシーのバタースコッチ味の競合商品。実はヨーグルトスカッチの酸味が好きではない私は、好きではない味が1/3入っていることを考えると袋入りのアソートのチェルシーを買わない。割高の箱入りも、最近買わなくなった。そして100均には、味が一種類だけのチェルシーの袋入りがあるんだけど、さあ、この自粛で最後に100均を見に行ったのはいつだっけ…。
そんなわけで、すっかりヴェルタースオリジナルの袋に鞍替えしていたのだけれど、今日、ふと袋に「キャラメルキャンディ」と書いてあるのを見た。
キャラメル味のキャンディだからなのかなあ、やっぱり。
キャラメルは、キャンディの一種…ではなくて、キャラメルとキャンディは国によっては含まれ方が違うのかもしれない。
そして「バタースコッチ」という一般名称だと思っていた呼称は、どうなったんだろう?
英語の方も見に行ったけれど、英語版にも"caramel hard candies"と書いてあった。
キャラメルなのか、ハードキャンディなのか、はっきりしろ!と思うけれど、こういうところがなあ。わかりにくいんだよね。
もともとのオリジナルであるドイツ語では、どうなってるんだろうなあ。
ドイツ語がわかれば、調べられるんだけど。
そういえば。
卒業式の時に、泣くかどうか、なんていうことが話になるぐらいの年齢の時。
正直なことを言うと、自分の卒業で泣いたことはない。ちゃんと終わったなあ。と思って感慨深かったことはあるけれども、昨日の自分と卒業した自分がそうそう違うという感じもしなかったし、最後に大学を出たときは、よくぞ卒業出来たものよ、と大変うれしかったぐらいだ。
泣くほど感慨深かったのは息子の幼稚園の卒園式。
多分一生のうちで、一番変化が大きい年頃が、乳幼児の頃だと思う。動けもしない赤ちゃんだった時から、6年たったら、「さようなら、ぼくたちの幼稚園」なんていう歌を歌い、ひとりずつ園長先生に卒園証書を立派にもらって、それを保護者に揚げて見せて、お母さんたちが歌う歌に合わせて通路を戻っていく。
小学生になっても、みんな友達だよ、と歌うその声の高さが、まだ幼児なのに、来月にはもう小学生になるんだと思ったら、なんだか涙が出た。「お弁当を、毎日ありがとうございました」という代表の子どものあいさつがまた、泣けた。もちろん先生に教わってそういう風に言わせていると言えば言わせているだけなのだけれども。
もう、だんだん手を離れていくのだ、赤ちゃんに毛が生えたぐらいの幼児だったのに…。ちゃんと大きくなってくれたな、と一番感じたのはその時だと思う。
小学校の卒業の時には、受験が終わった時に喜びきってしまったので、なんだか気が抜けて、あ、そうね、卒業式だね、ぐらいのノリ。今行っている学校は中高一貫なので中学校の卒業式は「一応」あるそうだけれど、そのあと3年また、同じ学校に通うので、本当に「一応」程度らしい。
コロナのせいで、いろいろ行事もなくなっているけれど、この三月、卒業だった人に、こっそりここで、おめでとうございます、と言おう。きっと全部が「あの時はねえ」という話のネタになる。
これを書こうと思ったのは、あの卒業証書を入れる筒を持った学生とすれ違ったから。
私の卒業証書って、どこにあるんだろう(笑)。大学のは今、自分の部屋にあるけど高校と中学のが、どこにあるか謎だ。
緑茶の飲み頃は短い
この倍の量が入っているティーバッグも
あるけれど、そういうのは夏にリットル単位で冷茶を入れるのにつかうとちょうどいい。
お湯で、薄めで、500mlぐらいのステンボトルにつくるとまあ、私としてはこんなもので、多分もうちょっと普通の味の緑茶がいい人は小さめのまぐで150mlぐらいで作るとちょうどいいのではないだろうか。
時々120mlの湯飲みに…と書いてあるティーバッグも見るけれど、大体コンビニでは500mlのペットボトルが標準になっている昨今、120mlの飲み物がすごく少なく思える。
子どもの頃に実家で使っていた湯飲みは、細くて小さいサイズの湯飲みで、家の湯飲みの中で一番小さかったが、あれは確かに今思うと100mlぐらいしかはいらないのではないだろうか。仏壇のお供えもかくやという小ささだった。
そのあと修学旅行のお土産を使ったが、あれも多分150ml程度。お茶というのは、いっぱいきりではなくて、2杯注ぎ直して飲む、というのもあったと思う。だから急須だのポットだのが必須だった。
ひとり暮らしをした時にバザーで買った、ポットとカップのセット…などというものもあった。ポットの下半分にカップがかぶさっていて、収納できるもので、かわいかったがポットのてっぺんの開き方が小さく、洗いづらいものだったけれど、あのカップも120ml系統だったように思う。
ポットにたくさん作って、2度か3度に分けて飲む。そういうコンセプト。
お客さんとして行った家で出された「お紅茶」は、薄い上等の紅茶茶碗に入って出されることが多かったが、あれも大体150はないだろう、というようなものだったし、大抵ポットとクリーマーと、お砂糖入れがテーブルに出してあって…と。
コンビニの紅茶のペットボトルでがぶ飲みというのとはコンセプトが違う。
お寿司屋さんの湯飲みはとても大きいということになっていて、あれが350ぐらい、入るのかなあ。
お相撲さんの絵と名前を藍色一色で書いた、とても大きい湯飲みを母がどこかでもらってきた。お寿司屋さんのと同じサイズだということで、父が日曜日にそれになみなみと入れたお茶をテーブルにおいて、何度も入れる手間を省いて冷めたお茶を飲んでいたのを覚えている。
今の愛用のマグカップは400mlぐらいはいる100均出身。
――ここまでが前置き。長い。
で、私は緑茶を入れて、今日はちょっとずつ飲もうと思って、ステンレスのボトルにいれておいた。フタがカップになっているタイプで、息子の幼稚園の時の水筒。「ストローではなく、コップのもの」と指定があったのは、「自分でついで、飲む」という経験のためだと聞いた。結構高い水筒だったし、まだ使える。
1時間ぐらい経ってから飲むと、なんだか茶色い。ほうじ茶?みたいな色だ。でも味は緑茶。
んー。なるほど…。ペットボトルの緑茶にビタミンCが添加してあって、変色を防いでいると聞いたことはあるけど、こんな短い時間でも、もうこうなるんだね。
香りも少ない。緑茶は、いれたてがいいのかもな。それも薄いのは特に。意外と飲み頃は短いということだろう。
実家で飲んでいたのは玄米茶。玄米茶も、こうだったかなあ。
あれ?でも冷蔵庫に入れておいた緑茶の冷茶は、ここまで色が変わらなかった気が…?
温度も関連してるんだろうな。
とりあえず飲み干す。もう一回入れて、今度は水筒に入れずにそのまま飲もうっと。
大人になっても、おばちゃんになっても、イマイチこういう知識は増えていない。
それほど大事だと思ってないからだろうなあ。
夫にこの話をしたら、「まあ、飲めないわけじゃないし」という反応だった。
そうだよね。だから私たちはこの年月、仲良くやってこれた。「そうなったらもう捨てるしかないね」という人だったら、多分一緒に暮らせていない。
結婚は、やっぱりこういうところの許容度が似ている人とするのがいいなと思った。
今年は編まなかった
どこへも行かない、行くのはスーパーだけで、それも三日に一度だの、二日に一度だの、出る頻度も低い。
ぱっといって、ササっと帰るから、余計かもしれない。
散歩で長時間歩くとか、出かけて寒いところに滞在するとか…といったようなことがない。
人と会うときはちょっとぐらい、好きなものを着て行こうかという気になるけれども、買い物だけなので今年は百均で200円で売っていたネックウォーマーを帽子のように耳がかくれるようにかぶっていた。
茶色っぽい色で、大体私の持っている服に違和感なく合う。息子がかぶっていっても変に見えないし、時々なくしてきたりしても問題ない値段だしで、うちには同じのが3、4枚ある。
服も同じようなのを3種類ぐるぐる着ている…のはまあ、これは毎年同じか。
オンラインゲーを遊ぶようになってから、各段にストレスは減り、家の中に閉じこもりっきりになることに問題はなくなったのは、これはいいことだというべきだろうか。
ごまかしてるだけとも言えるのかもしれないけれど、現状これ以上できることないしなあ。
ちょっとした外食に、行きたいなあ。一人でご飯食べるのも、この際だしいいかもしれない。
とても熱くて、かなり体に悪そうな塩辛さのラーメンとか(汁は残すとして)、自分の家では絶対面倒で焼かないようなパンケーキのお店とか(こないだ見たらつぶれていた)、きれいに少しずつ盛りつけた日本料理のお弁当のランチとか…。
海鮮丼とかもいいな。この際牛丼でもいい。
単に作るのが面倒なだけ、ともいう。
春になったら。花粉の時期が終わったら。なんとなくすべてのことが、後回しになっている気がする。
夏になったら、とかそういう風にどんどん延びそう。
ワクチンが効いて、コロナが下火になるのは、いつかなあ。全部そこに持ってきてしまう感じと言うか。
いろいろ気をつけてやっておかないと。あの2、3年は本当に何もしなかったとあとで思い出すことになりそう。
謎のかやく
お湯を入れて作るインスタントの食べ物の「具」部分にこの名前がついていることが多い。
ひとりでお昼ご飯を食べる、平日のこと。私は味噌汁を作成していた。一番安い袋に味噌と具が詰まって8コ88円のものではなく、具t味噌が別の袋に入っていて、何食分がセットになったもので、「2月の特売」になっていて、普段よりぐっと安かったもの。
で…それと同時に、乾物の入っている引き出しに、なぞの「かやく」と書いたアルミパック発見。
ただし、何の「かやく」なのかは表記がなかった。時々私はこれをやる。うっかりかけるのや入れるのを忘れる。たとえばたらこパスタソースの切海苔とかなんかしょっちゅう忘れる。ラーメンかもしれないし、スープかもしれないし。
実はインスタント食品が好きだ。子どもの頃、親が嫌がって絶対出さない系だったのもあって、大好きだったりする。そんなわけでラーメンも焼きそばも、その他各種、しょっちゅうではないにしろ時々食べるのは楽しみにしている。
でも、この具、何の具なんだろう。
開けてみると、フリーズドライで野菜っぽい。みどりいろだ。
そのまま味噌汁作って投入。誰かに出すわけでなし、私が食べるのだ。多少のことになっても問題ない。
飲んだ。
あーーー。これはあれだ、パクチーの味がする。全部じゃないにしろ一部パクチー入ってる。
私はパクチーが好きだ。メキシコ料理に入っているのが好きだけれど、スープに入っているのもすごく好き。
なので食べるのに問題はない。ないが、これは絶対味噌汁ではない。
多分これはタイっぽい味の冷麺、あれの具だと思う。そういうの確かに食べた。めちゃくちゃ古いが、まあいいや(食べたのは多分秋)。すごく謎の国籍のスープになっていた。面白い味ー。
割とおいしい。味噌汁は好きだし、パクチーも好きなので問題なしだ。
時々あるよね、混ぜたもの両方は好きだけど、混ぜた時点で大失敗みたいな。
あれではなかったのでよしとする。
スマホをなくしたときどうするか
見ると、父。めずらしいな。父は文字やスタンプは送ってくることはあっても、音声通話は滅多に出してこない。
そのままパソコンで「はいよ、どうしたの?」と受けたら、音声は、母。
「どうしよう、ケータイ落とした―」
あああ。もう。どこかに置いてきたらしい。この場合、iphoneだったら、「iphoneをさがす」があるが、親のスマホは両方アンドロイド。ええと、まずはこれは、どこで落としたのか聞いたら、どうも電車の中っぽい。
ってことはだ。駅に連絡。これは終わっていた。
出かけた場所の近所の警察に連絡。これも済んでいた。
届いていることがあるからね、こういうものは。
で、出てきていないというので、次に私がやるとしたら、キャリアのショップへ行って、「とめる」。
というわけで、auに電話して、紛失したから、止めてくれとまず電話して?と教えて、そのまま通話を切って連絡。
やれやれ、と思ったら、すぐまたかかってきて、「auが予約でいっぱいで、いつになるかわからないって」
…またサービスの悪い…。実は私が住んでいるところは中規模都市。通信キャリアの激戦区でもあり、たとえばauなんか私が自転車で行ける範囲に3つぐらいあるし、ドコモ、ソフトバンク、楽天、Y-mobile、IIjもうなんでもありで選び放題。
故に話を聞きに行ったりすると、ものすごく丁寧。少なくとも「なくした」というような割と緊急ですね、ということの時には電話したらちょっと止めてくれるとか、あってもいいのになあ、と思う。クレジットカードだって、落とした時の緊急だけは対処が早いのに。
まあ、スマホで支払するなんとかペイ…というようなものを入れていないのが救いか。
そんな「いつになるかわからない」というような悠長なことを言っている場合ではない。これは他に何かしないとねえ。
というわけで、こういう時はネット検索に限る。「スマホをなくしたときの対処」と検索したら、それぞれのキャリアの「盗難、紛失でお困りの時」というオフィシャルのサイトが出てきた。よっしゃこれだ。
お客様のPCで操作できますと書いてあるが、これはまあ、うちの母には難しいかも?と思ったら、だ。
私のPCが、母のスマホの情報を覚えている!(IDとか、番号とか)
これは多分、母のパソコンがアップデートをちゃんとかけていなくて動かなかった時、いろいろなことを調べたりするのに便利だから、私がPC(ノートの)を背負って行って対処したときのやつだ!えらいぞ、グーグル、パスワード覚えてた!
4ケタのスマホのPINは、母が覚えていたので、それでログイン、規約に同意して調べる。
最後に使用したときの場所は…と。父のスマホで鳴らした時の場所が、特定出来た。
地図を見ると、どう見ても駅。それも乗換駅だ。届いてるんだな、これ。
駅の電話番号を調べて(これもパソコンですぐわかるし)母が電話をかけた。問い合わせると、見つかったそう。
うんうん、やっぱりPCが使えるのは大事。こういう時に「いつになるかわかりません」みたいなショップ、頼りにするわけにはいかないものね。
ほんと、田舎に住んでるからそうなるんだろうけど、キャリア変えようよ、ほんと。こんなことすらしてくれないんじゃあ、格安キャリアの方が安いだけまだましだと思う。
今回は無事解決。よかった。
あったかいうどん
で…定年になったらずっと家にいらっしゃるであろうけれども、それがもう、無理、と思ったのだそうだ。
仕事に定年があるのだから、主婦にも定年があってもいいと思う、と。
一食残らず料理をし、弁当をお子さんの分とあわせて毎日3つ作り、出産で入院したときのほかは食事を一度も用意しなかったことはなく、冷凍食品もお惣菜も買ったことはないという彼女の家事の腕前は大したもので、手抜き町三丁目あたりを歩いている私にはとてもじゃないけど真似は出来ない、そういう人だったのだけれども。
絶対に、「用意しなかったことがある」とか、「冷凍食品を使ったことがあるくせに」とか「惣菜で済ませたことがあるだろう」なんて言われたくないと、そういう話らしかった。たったの一度でも弱みになるからと。
それはまた…大変そうだな、と思う。冷凍食品もお弁当にいれたことがあるし、総菜だって買ったことがあるし、箱入りのグラタンソースだし、パスタのソースはレトルトだし。なんならカレーだってレトルトを昼ご飯にしたことぐらい、いくらでもある。そして私にできることと言えば、話を聞くことだけ。
大体、あんまり配偶者さんと(彼女は、夫とも、旦那とも、主人ともよばない。「同居人」と)交流がないらしい。弁当が要らない日は「明日は弁当不用」と、弁当箱に付箋が貼ってあるそうで、10年ぐらい前まではいろいろと話し合いをしようと頑張ってみたらしいのだが、彼が部屋に引きこもって出てこないという手を出すため、話しあいにはならず、もう一人だけで頑張るのはいやになって、あきらめたのだそう。
ご主人のほうの話は全く聞けていないので、あんまりどうこう言えるわけでもないけれど、結局、コミュニケーション不足というわけで、彼女に言わせると「喧嘩だっていいのよ、喧嘩になるってことは、関係があるってことだから」と。すごく仲良くなんかのぞまない、せめて喧嘩ぐらいになるほどでも、と言われるとなんとも言葉に詰まる。
私の話は、何をしようとも全部自慢みたいになることは必須、つまり喧嘩するにしろ、仲がいいにしろ、どちらも彼女には手に入らないというのが今の不満なのだから。
ごはんを作って、テーブルに出しても、もう顔を見ているだけで気分が悪くて食欲が出なくて、もう碌に食べていないらしい。それを聞きながら、「そうか、それはつらいね」と相槌を打ちながらふっと思い浮かんだことが。
あれなら、いけるんじゃないか?
実は、彼女と私は出身地が近い。
私が見つけた限りでは1軒だけ、この街で私が食べ慣れて育った味のうどんを出すお店がある。祖母の=母の、作っていた味で、そんなに珍しくはない料理で私にも家で作れるぐらいのものだけれども、でも、お店で出すのは近隣ではたぶんここだけ。
うどんなんて珍しくもなさそうなものだけれど、意外と癖があって、食べられないという味のものがまずない割には、ぴったり同じというものにもなかなか当たらないものだ。
ちなみに私はそのうどん屋へ、息子と夫も誘って行ったことはあるのだが、うどんよりは蕎麦が出る県の出身の夫には「ふつーのうどんだね」としか認識されず、息子は「カレーうどんにする」と全く関係のないカレーうどんを食べてしまったため、夫と同じような感想で、私がなぜ、そこのうどんがいいのかに関しては全く通じない話になってしまった。
「うどん、食べに行かない?」
フレンチでも、ケーキでもなく、おさそいが「うどん」。なんとなく垢抜けないが、しょうがない。
「うどん?いいけど…半分ぐらいなら食べられるかも」
うどんで半杯か。相当だなあ。
まあでも、ほとんど食事をしていない状態というのはよくない。たとえ炭水化物万歳食のうどんであろうと、おなかに何も入っていないよりましだし、卵がのっているうどんなんかもあるし。食事をしないと体力と気力が落ちるのは早い気がする。
彼女とついたうどん屋さんで、気に入っているメニューを私が2つ、と頼んで食べ始めた。
「おいしいかも…」
最初は「しょうがないからお付き合いしましょう」みたいな感じだったのだけれど、ちょっと頬に赤みが戻り、彼女はうどんを全部食べきることが出来た。お母さんが作ってくれたのにそっくりだそう。やっぱりね!
こういう状態になった時、食べられる種類のものがぐっと減る。
大体「好物で、いつでも大歓迎」だったはずの食べ物なら、まあ誰かが用意してくれて、勧められれば、食べるかなあ、ぐらい。
「嫌いではない」ぐらいのものでも、誰かが目の前に用意してくれたら、「体のことも考えて、食べないわけでもない」程度?
でも、「自分で料理して食べる」となると、ぐわっと無理感が増す。
今回狙ったのは「子供のころから食べ慣れた味のもの」で、「誰かが用意してくれたら」、おなかに入るかも…というところで、これは彼女の親御さんがいれば問題なかったのだが、ちょっと前…多分2年ぐらい前に亡くなられているので、その線はナシだから、次善の作戦としてこれになった。
あたたかいうどんで、昔こういうの食べたな、な味で。
せめて一食でも食べておけば違うから。
元気が出ますように。このうどん屋は彼女も気に入ったらしい。
近いのでまた行くそうだ。同居人の顔見て食べるよりずっとましなのだそう。
ますます言葉に詰まるけれども、うどんはおいしかった。
こういうこと、なのかなあ。
こないだ、なんとなくパン屋さんで買ったクリームパン、本当はクリームパンとは言わないらしい。
中にチーズを焼き込んだぱりぱりしたパンも、なんかこう、それっぽい名前があった。
とてもおいしくてカロリーの高そうなパンだったけど、食べてなくなってしまえば、また買いに行くかもしれないけど、あのパン屋さんだったなあぐらいの覚え方だ。
こないだ夫がケーキを買ってきてくれると言った時も、「あの下がチーズケーキで、上がムースの段になったピンクの」とかそういう説明で済ませてしまった。あれもなんかこう、名前があるのよ、覚えてないけど。
これはあれだ、うちの親がゲーム機は全部「ファミコン」で済ませた、あれではないだろうか。
清涼飲料水は全部「ジュース」。
正直「フォカッチャ」だったか「ふぉっかちゃ」だったかもちょっとわからなくなるぐらいだ。ちなみにこうやって打ち込むと変換する方が正しいほうなのでわかるんだけど、促音の位置がわかりにくかったりするのも、多分そういう記憶力の話と関係がある気がする。
フォカッチャ。だいぶ間違えなくなってきたのと、出すお店が増えてきたのと…ちなみに10年ぐらい前に初めてお店のランチでそういうのを出すお店にあたった時は、最初はフツーのパンにしか思えなかった。フォカッチャと言われているパンを何度も食べ、袋入りのフォカッチャをスーパーで見かけるようになって、やっと、食感が記憶に入ってきたというか。
クランペットとか、イングリッシュマフィンもそうだった。
珍しいものを食べて、覚えるのもいいな…まずはあのおいしくてパリッとしたチーズを焼き込んだあのパンの名前から…。
今度買いに行ったら、札を見ないと。
おいしくないブドウ
ちょっと酸っぱさが勝った味なので、そこに岩塩をふって食べるのがいい、というと、ええ?と言われると思うけれども、まあトマトに塩をかけて食べるのが好きという人なら、なんとなくわかる味だと思う。
さっぱりしていて、なんとなくグズベリーと似たような味。
ここ数年、日本でもそういうブドウを見かけるようになった。アメリカにいた頃は最初は慣れなくて、皮がむきたくてしょうがなかったのだが、慣れた。きっと日本でも、皮をむかない食べ方に慣れた人が多くなってきたのではないかなと思う。
好きでずいぶん食べていたのだけれど、季節的にはもっと後のもの?
久しぶりに買うかと思ってちょっと安売りだったそれを喜んで買って帰ってきて食べたら、皮がちょっと固い…のはまあ、こういうのもありがちだと思うけれど、渋い。
はっきりと渋い。渋柿とまでは行かないけれども、あの口の中になにかがくっついたような、渋い感じがする。
酸っぱい。甘酸っぱいのじゃなくて、渋くて酸っぱい。これは栽培種のブドウにするべき味ではない…という味がする。
これが山に生えてるやつとか、うちの庭のやつとかだったなら、まあ、ありだ。こういう味でも食べられないことはない。
でもだいぶこう、非常時にしか食べない系の味だ。
皮が固くて、皮と実の間のところが激しく渋くて、そして全体的に味が薄くて、かなり酸っぱい。苦みがどこかに見える気がする味。つまり…私はブドウでここまでおいしくないのをお店で買ったことがない。実家の庭のブドウが、熟れないうちに食べるとか、おいしくないのが混ざっているとか、という状態で食べるとこういう、きぃんと酸っぱいのがあったなあ…と思い出がよみがえるぐらいだ。
このブドウは皮が柔らかくて、渋くなければ、私はかなり「酸っぱいだけだね、この味は」と夫が嫌がる味でも全然平気で食べてしまう。酸味と塩分ですっきりおいしい夏の味覚、暑い時に食べるのにはそういうのもいい。
でも、これはダメだなあ…。
食べ物を無駄にするのは好きではない。なるべく無駄にしないように気を付けるし、大抵のものは「まあ、あまりおいしくなかったけど」と食べてしまう方だが、これはだめだった。
夫と協議の結果、この味は無理、という結論で、8割がた、残っていたけれど終了、廃棄となった。
普段ひいきにしている果物やさんじゃなくて、スーパーの商品だったので、もうちょっと季節が暑くなって、「ブドウのシーズン」になるか、いつもの果物やさんで買おう、ということになった。
珍しくここまでおいしくないのを食べた。体験としては新しかった、ということで。
「ブドウというものは、ここまでまずくなりうる」という記録更新。
いつか、これと同じぐらい「ブドウってこんなにおいしいのがあるんだ」という体験もしたい。
右、左。
まだ間違う…けど、間違う率が減ってきた気がする。これも訓練でちょっとぐらい上手くなるものなんだろうか。
子どもの頃は、まあ、わからないことがあってもその時だけ乗り切れば大丈夫だったし、大体「見て」真似をすることが多い学校の体育の体操だの、ダンスだの…というのが右左がわからないのが、まず…ということだったのだけれど、見て同じほうをどうこうするというのは出来るから、多分一番問題になるのは、車の運転。
右!と言われた時に、一瞬遅くなりやすい。人に乗せてもらっている時に、はい、次はどっちに曲がると着く?みたいな案内をする時が一番ダメ。
というわけで、乗り物に乗っているつもりで、ゲームの中でも「right」「left」と練習している。
思った方向に動けば合っているし、あ、反対に動いた。という時は間違っているんだな、これが、はあ。
回る時は、時計回りが右回転、反時計回りが左回転というところは間違えなくなった。
それでも画面の左方向にへさきがあって、右、というと画面で言うと上にすすむ…というのがまだ一瞬ではわからないあたり、逆に進んでモンスターに突っ込んだ。
逃げながら弓矢で倒すのが一番安全なモンスターで隣接したら2撃で死ねるので、突っ込んだらそれはもう…あっというまに死んで、幽霊のままで船を操って、蘇生先を探すことになって面倒だった。
右…いや左。でも、こういうの、子どもの時からはっきりと練習したことはないと思う。
こういうのって、多分、訓練出来るんじゃないかなあ…とうっすら思うんだけど。
ピアノだって、子どもの頃の方が上達は早いけど、大人だって練習で「前よりうまく」なるものだし、どんなことでも繰り返すことによって、熟練しないかなあ。
胸に名札はくっついてないけど、まだちょっと、左、と確認する時そのあたりに視線がさまよう自分がちょっと笑える。
左、とそのあたりに字が書いてあるみたいな。で、問題は「右」。右が、こっち側。という感じがしない。改めて感じるようにしてみると、右は、左のもっと左側にあるような感覚がする。なぜだ!
頭の中の地図には、「左」はちょうど私の左胸。そして右はなぜか私の体の左側にある。
そんなわけないよね。頭ではわかるんだけど。これ、最初から間違ってるってことなのかなあ、やっぱり。
右側は、右肩とか、右ひじのあたりに設定しよう。
変な感じを発見した気がする。気を付けて意識したて設定し直しが出来るといいなあ。
やったことがないんだから、まず試してみて、だめでも今までと同じなんだし。うまくいったらもうちょっと右左がわかりやすくなるかもしれない。
すっかり忘れていたホワイトデー
安いチョコと侮るなかれ、これと、森永のハイミルクは簡単に買えて、なおかつおいしい私にとっては基本となるチョコ。もちろん、お金を出せばもっともっと素晴らしいチョコレートがあるのはわかっている。
繁華街のショコラティエと言われるようなお店に行けば、一粒いくらで売っているものね。
そして通販のチョコレートとかにも、それほど高くなく、なおかつおいしいものがあるのも知っているけれど、申し込んで、送料払って、クレジットカードの…とかそういう話を考えると、近所のスーパーでパッと手に取って買って帰れるのがいいなと思ってしまう。もちろん、特別なものが食べたくて、通販する気分の時はいい。でも、そういうことをあんまりやる気が起きないとき…。
やっぱり一番近いスーパーで買えるチョコレートは基本。いつでも食べられるように、1枚、戸棚にあったらうれしいよね。そう思っていたら、あっという間に息子に半枚、持っていかれた。ちょっと!それはホワイトデーにお母さんがもらったんだからね!
残りは自分の部屋に置いておこう。息子には私がスーパーで買ってきたのを出せばいいよね。なんとなく自分がもらったプレゼントなのにパッと持っていかれるのがイヤ。まあ、プレゼントぽくない見かけのチョコではあるし、私がしょっちゅう買ってストックしておくチョコといえばそうだからしょうがないけど。
今朝、公園のそばを歩いていたら、今までは自粛だったのか、みかけなかったのにゲートボールのお年寄りのグループが。コロナ以前は毎日見かけたけど、再開したのかなあ。きっともう自粛に飽きたんだろうな。わかるけどちょっと心配だ。お年寄りは全員高リスク群だものね。
あ、そうか。ワクチン接種が全員済んだとかそういう話?かもしれない。
でも、変異種が…とか思うと心配だけどね。
どこかで思い切りが大事なのかもしれないなあ。
どうするか、悩むところ。
キャラメルカスタード
【オハヨー乳業】のデザートは前から割と好きだったのだけれど、今回スーパーでみたことがなかった焦がしキャラメルというのを見つけて買ってみた。
ちなみにプレーンっぽい「カスタード」というのもあって、これは柔らかめのプリンだった。
プルプルしたのでなく柔らかいのが好きな人なら好きな味だと思う。
150円ぐらいで買えるのでこういう味というのが、本当に日本はすごいなあ、と思う味。
キャラメルの方はどうだろうと思ったけど、写真よりもうちょっと茶色。普通のカスタードプリンと違うのは一目瞭然の色だった。
表面がちょっと焦がしてあって、焼きプリンな見かけ。
ひと口。
んんん?この味にすっごい覚えがある。どこかでこれと同じ味のもの食べた。
そう思ってじーっと記憶をたどる。これはあれだ、六花亭!六花亭のお土産用のお菓子じゃなくて、北海道の店舗でしか売っていない生菓子の、シュークリームのキャラメル味の中身のクリームがこの味だった。
北海道に住んでいた時、70円だったか80円だったかで買えた、六花亭のシュークリーム。安くておいしくて大好きだった。北海道以外では買えないんだけど。あのキャラメルクリームの味だ。
リピート決定!
ただ、カラメルソースは入ってなくても全然いいかも、と思う。だって本体の方がそういう焦がしキャラメルの味なんだもの、カラメルソースはちょっと重複したな、という感じがする。
サイトによると、チーズクリーム味のものや、ミルクプリンなどもあるよう。買おう。
プリンっていろいろなメーカーが出しているし、際立っておいしいのはお値段だってまあ、それなりに、と思っていたのだけれど、150円ぐらいでこれはすごいと思う。
普通のカスタード味のものは「まあこういう味よね」と思うけれど、キャラメル味のデザートで、お酒っぽくなく、なおかつ苦すぎず…というのがとても私好みだった。
たまにスーパーのデザートを買うのもいいなあ、と思うのはこういう時。
商品が新しくなるのが早いからね…なくならないうちに何度か食べよう。
たまごが余るとき
おひるごはんのチャーハンにいれてみた。まあ穏当。
次の日は納豆に入れてみた。これも、「たまごたれ」なんていうのがついた納豆があるぐらいだ、おいしい。突然田舎に遊びに行った時の朝ごはんの記憶がよみがえる。納豆より卵の多いのを作って、全員、小さいお玉ですくってご飯にかける形式になっていたっけ。私の家ではやらないことだったので、珍しくて面白かった。
いつだろう、納豆にしょうゆをいれなくなって、タレが添付されるようになったのは。卵としょうゆで味付けした納豆はタレを入れたのとはちょっと違う。
混ぜるだけのパスタソースのカルボナーラを出して、そこに卵の黄身だけ乗せた。これも好評。
後は、私が卵かけご飯にして食べたら終わりか。いいよね、日本の卵は生で食べられるから手間がなくて。
…と思っていたら、「おかーさん、温泉卵作ってほしい」と息子。じゃあ残りは全部温泉卵にしようか。
出したら、ひと口で食べるし…行儀が悪いからやめて。
ふと、どこかのマンガで読んだ「カレーは飲み物です」というのを思い出した。
息子の食べっぷりでは「温泉卵は飲み物です」だな。
意外と早く消費したと思う。
そうだ!プリン作れば、一気に6個とかなくなったよね、忘れてた!
いや、でも。ここで卵を買うのは、本末転倒か。
古本を読む
古い推理小説で、あんまり推理物を読まない私がこれを読むのは、これが高校生ぐらいの頃に読んだ本だから。
このシリーズを読んでいると、なんとなくその時の空気がよみがえる感じがする。
通学の電車の中で、雨の日の窓辺で、そして図書室で、読んだ本。
古い本のにおいがするのが、余計そういう感じ。においと記憶が結びつくことが多い、みたいな話、どこかで聞いたっけ。
ああ、こうなるんだったね、それで最後はこうなって…とかわかる本を読むのが楽しいのかと聞かれたことがあるけれども、私は実は犯人がちゃーんとわかっている推理小説が楽しんで読める。
何度も、何度も同じ本を読んだことだってあるし、大体今本棚にとってある本は全部そういう本。
20代だったころは、絵本だって読み返したぐらい。子ども用の本だっていまだに好きだし、新しい本をどんどん読むのも嫌いではないけれども、どうしても前に読んだ本がやっぱり読みたい。
そして「あれ?こんなこと書いてあったんだ」なんてちょっとしたことを発見するのが好き。
昔はそんなに気にならなかった脇役の中年キャラクターが気にかかる。共感するのが無鉄砲な主人公じゃなくなって、どっちかと言えばサポート役の人になっていたりして。
毎年新しい本がいっぱい出ていて、古くからあるのはもちろん残っていて、だんだん量が多くなるのに同じ本を読んでいたら、読めていない本が増えて増えて…。新しい本だけを読むという人がいるのも無理はないと思う。でもやっぱり今日は、チョコレートでくるんだフィンガービスケットなんかつまみながら、古い本を読んでしまった。
いい週末の過ごし方というのは、中学生だった頃から、あんまり変わっていない。
ゲームもいいけど、本もやっぱりいいなあ。
脇役の人が着ているセーターが、いいなあとか思って読んでいる読者は、あんまりいなさそう…そう思いながら読んだ。
この本を最初に貸してくれた人は、誰だったか。
懐かしいけれど、戻りたくはない。そう思えるのはきっと幸せなこと。
この本は15冊ぐらいあるシリーズだけど、どうしよう、全部読もうかなあ。
一応全部あるんだけど、最後に全部読んだのは10年ぐらい前だと思う。1冊目だけは割と取り出して読むけど。
1冊目を本棚に戻して、2冊目を出した。
おおう。
すっかり、3月も終わりに近づいた。
もう一年も四分の一が過ぎると思うと早いし、そして家から出てないし。
木蓮の花が散りかけている。雪やなぎとレンギョウが、今を盛りに咲いているのに、やっと気づいたところ。
ジャンボマシュマロと書いてあるフィリピン産のマシュマロは、息子が喜んだけれど、食べてみたらめったやたらと周囲に粉がついていて、コーンスターチっぽいマシュマロだったこととか、2カ月ずっと電波を受信しなかった部屋の時計が突然、さっき電波を受信して、ゲーム内のアメリカ時間に合わせておいたのがパーになったとか、何年も見に行ってなかった母校のコンサートが動画配信されたのを見たとか…
どれも、日記一回分には足りない気がするけど、時々事件は起きている。
ちなみにマシュマロは、クラッカーに乗せて電子レンジにかけて、食べてしまった。
アメリカ時間に合わせる時計は、どこかから腕時計のしょぼいのを持って来て対処。
母校のコンサートは確かに懐かしいけど、どこか別の世界みたいな気がしてしまう。
明日の分は、何を書こうかな。本当に事件が少ない…のは家から出ないからだな。
夫にこういう話をしたら、「夕食のレポート書いたら?」って。
まあね、料理とかご飯のことを書くブログが多いのは、毎日起きることだからだと思う。
daylight saving time
アメリカではほとんどの州で採用になっている。ちなみに、最初に提唱したのはベンジャミンフランクリンらしいから、1700年台の人だけれども、実際に始まったのは第一次世界大戦の時だそう。燃料不足に対応するため、みんな明るくなったら働いて、夜遅くまで電気を使わずに寝ろ、とそういう趣旨だったのだとか。
わかるんだけど、でも実際にやってみるとこれが意外と大変。
だんだん5分ずつずれてな?という感じではなく、一気に一日で1時間ずれてしまう。今まで12時だったお昼休みが次の日には11時にいきなりなるようなもので、突然いつもの時間より一時間早く起きて、一時間早くご飯を食べて、一時間早く寝ろ…といわれたところで、そうそうパッとそう出来るものでもない。
そんなわけで睡眠のリズムが乱れるだけでなく、体の調子が悪くなる人が増える。車の事故も増えるそう。
1時間後ろ倒しになる秋はともかくも、春の時間変更は、20代だった時でも、結構つらかった覚えがある。
アメリカ人に聞いてみると「この制度は嫌い」という人が多い。やっぱり体調が悪くなるそう。
アリゾナ(だったかな)は住民投票して、この制度を使わなくして、「自由にさせろ」と連保政府にかけあっているらしい。
ハワイやアラスカ以外でも4つタイムゾーンがあるのに、ついでにこのサマータイムのせいでもっとややこしくなるし、大体この1時間前倒しの影響が消えるまで2週間ぐらいかかってしまう人が多いらしい。
これはつまり、「やってみないと体感できない」ことではあるし、かといって「もうはじめちゃったらやめられない」。体験した私から行くと、日本にはなくてよかった、としか言いようがない制度ではある。
東京オリンピックが出来なくなったのは惜しいけど、実は夏時間は、採用されなくてよかったな、と思っている。
大体猛暑の東京で、1時間程度前倒しにしたところで、どっちにしろ暑いと思う。たとえば9時にスタートしても、10時にスタートしても、変わらないよね…。
「あー、大変だねえ、日本には、DSTないんだよ」と相槌を打つよりなかったけれど、このままいくとアリゾナだけでなくて、他の州も、サマータイムがなくなるかもしれない。
そしてサマータイムがなくなりはじめたころ、「日本も諸外国の制度に合わせて」とかいって、日本で採用になったりして。
「いいなあ、ないほうがいいよ」とアメリカ人に言われたので、メモっておく。
くるみパン
大体、うっすら甘いパンで、クルミが散らしてあって、真っ白ではなくてちょっとオフホワイトのパンから、うっすら茶色いパンまで。外側はかりっとしていることが多くて、パンそのものとしては癖がないのが多い。
今日、ふと目に付いたくるみパンが「大人のくるみぱん」と。
こんなものにおとなもこどももないだろう…と思った。まあナッツの入ったパンは、のどに詰まるといけないから、あんまり小さい子には食べさせないけど。
買って、食べてみた。カリカリした外側、こんがりした皮、そしてちょっと薄茶色い中身。
うん、まあこういうパンだよね、くるみパンて大体。
味が…あ、しょっぱい。そして胡椒の味がする。粉のあれの味じゃなくて、粒の、緑の胡椒。
なるほどー。薄甘いくるみパンが多い中に、これはしょっぱくてどっちかというとお酒のおつまみっぽい味。
でも、ひりひりするほど胡椒が効いている、という感じではないし、塩味の豆パンとかの類似品だな、これは。チーズ。角切りのチーズが焼き込んであったら、すごくおいしいだろうなあ、これ。ドライフルーツとクルミを焼き込んだパンはこのパン屋さんにある。チーズを焼き込んだパンも。
ドライフルーツとクルミのパンはとってもおいしい。それがこう、塩味になって、チーズと胡椒と、くるみになったら…大体の味が想像できる。絶対おいしい。
このパン、実は閉店ギリギリに売れ残りを買った。これは昼のうちにいって、そういうパンがないか見なくては。
別に名前は「大人の」ではなくて「胡椒くるみパン」でいいような気もするけどおいしかった。
高菜の謎
どうしていつも、刻んであるのかなあ…と思っていたのだけれど、今日、それがなぜかわかった。つまり私は丸ごとの高菜漬けをもらったのだった。
下の茎の方がかなりかたい。薄く切って食べるとポリポリいう。刻み高菜だと、このあたりのパーツも全部バラバラになっているから、食べやすかったのだと思う。
そしてとってもちぎりづらい。葉っぱが丈夫なんだなあということもわかった。なるほど、いつも刻み高菜ばっかり売っているのは、こういうことのせいなんだなあ。頂き物の高菜は、大変大きかった。これからしばらくおひるごはんの友はこれだな。
うちの親はなぜか高菜を食べなかった。これは多分、よく食べる地域があるんだと思う。大人になってから、初めて食べたので、まだまだ当たり前感がない。最近バリエーションを覚えたぐらいだものね。やっぱり、それほど食べる必要がない物でも、はじめてのものを探して食べるのは楽しい。
つまり最近は旅行も行ってないし、出かけてないしで、なんとなく「新しい体験」がしたくなっている。一番簡単なのは食べたことがない食べ物を食べること。スーパーに行くついでに、「これは、しらないな」というものをかごにいれて買ってくればいいだけだからお手軽だ。
早く、夏が来ないかな。
いつ、そうなったのかなあ。
子ども…それも、小学生だったころ、一日がとても長いな、と私は思っていた。学校が終わって帰ってきて、本もなく、テレビは面白いのがなく、遊びに行く相手もいなくて、まだ4時…なんていう時は、夕飯まで本当に長い時間があるなあ…と思ってうんざりしたことを覚えているぐらいには。
今なんか、朝起きて掃除して洗濯して、ちょっとしたら「ああっ!もう昼!昼ご飯作らないと!」ってなるし、昼ご飯が済んで、じゃあ今日は買い物に行かないと冷蔵庫が空だな、なんて思っているうちに、気が付いたら売れ残りにシールが貼られる時間になっていて、夕飯食べて片付けて、シャワーを浴びて…と思ったらちょっと!もう一日終わってるんだけど!
そして日曜日がきて、水曜日が来て、金曜日が…ねえ、もう一週間たっちゃったよ、ほんと、先週何してたっけ…みたいな感じになっていて、気が付いたら3月はもうほとんど終了。あと1週間もないものねえ。
いつごろ、こういう風になったんだろう。高校生の頃は、「来週」というのはだいぶあとのことと思っていたし、社会人になった時は給料日と給料日の間は長いな…と思っていた。やっぱり子どもが生まれてからかなあ、ちょっと!今日何曜日?みたいになるようになったの。
そのうち、もう10年?2021年って、ちょっと前みたいな気がするのに!というようにきっとなって、あんまり年をとったな、なんて思わないうちに寿命が来るんだろう。まあそれはそれで、いいのかもしれない。もう、こんな長い時間生きているのが我慢できない、とかなるよりは。
おいしそうなイチゴが、果物屋さんにならぶようになってきた。春…。桜が咲いて。
ちらっと、川べりの桜でも見に行こうか。歩いて通り過ぎるだけになるだろうけど。
明るいほうを向いて
というか、誰かがきれいに整えた花壇がある。
チューリップ満開、マーガレット…じゃないかもしれないけど、そういう中心が黄色くて花びらの白いお花も満開、スイートピーも、パンジーも満開だ。
…ってことはもうそういう季節なんだな。家に閉じこもっていると季節感というものが減る。
頭の中のカレンダーが、ぐっとアップデートした感じがした。
このマーガレット、この形の花が好きで、この柄のスカートや、ブラウス、小物、それからアクセサリー。
この黄色と白の明るさが、本当にいいんだよね。
まあ、においは春菊の匂いだけど。
チューリップが特にわかりやすかったけれど、南に向いている。他の花もそう。デイジーは、太陽に向かう目、という言うような名前がついてたかな…何語だっけ。
みんな、明るいほうを向いて、きれいに咲いている。
今が一番きれいな時で。いつも毎年、変わらずにこうなるんだよね。
きまったことを、ただ繰り返して。
それでいいんだよね。なぜ人間だけ、新しいことに取り組まなきゃいけないのか…。
毎日ご飯作って食べて、片付けて掃除して洗濯して。それでいいなと思っておく方がいい気がする。特にこういう、最近何にもできてないなあ…な時は。
明るいほうを向いて。
なるべく、気持ちが落ちないように。
花と同じように。私も明るいほうをちゃんと向いて、毎日過ごそう。
そう思って帰ってきた。
鮭茶漬け
これが、とってもお得なセットで、お弁当に入れるのにぴったり!安くて、たくさん入っていて、おいしくて、見かけたら絶対買うそういうセットなのだけれど、見ないときは半年ぐらい見ない。 もちろん、普通の切り身ならいつでも買えるけど、それは大体スーパーで売っている値段と大差ない。
これを運よく見かけた。ぱっと手に取ってから、あ、そうだ、今はお弁当ないっけ。
そう、春休みの今お弁当はいらないんだよね。
でもこれを逃すとまた買えるのはいつになるかわからないし、このお得感を逃すのが惜しい。
私がすごく買いたいものなんて、この程度よなあ…と思いながら、つらつら考える。
お弁当じゃなくても、もちろんおひるごはんのおかずにすればいいわけだ。私一人なら納豆でよくても、息子がいるし彼は育ちざかり。納豆は「いや、まあ出てくれば食べるけど」ぐらいで、肉とか魚とかと同じカテゴリには分類されていない。
ふと「鮭茶漬け」という言葉が頭に浮かんだ。息子は、お茶漬けが好きだ。特にお茶漬けのりをかけるのが。
「梅」とか「鮭」とかがあるが、断然リクエストは「鮭」が多く、買ってきてと言われたそれをずっと買いそびれて、さっきやっとお店にいるうちに思い出して買ったばっかりだ。
これで、鮭茶漬けにしたら、おいしいんじゃ…。
子どもの頃、お茶漬けというのは「余ったごはん処理」といった風体で、「鮭」なんていうものをお茶漬けに使ったことはなかった。大体鮭の切り身なんて「余っている」ことはまずなかった。あったとすれば、どんな鮭にしろ、それは「残りもの」ではなく、立派な夕飯のおかずだった。子どもが休みの日に食べる昼食にそんなものは出ない。
でも、今は。
鮭をくずしてごはんにのせて、お茶漬け海苔をかけてから、熱いお茶で食べたら、きっとおいしい。
そうだよね、「鮭茶漬け」っていうんだもん。元々は、誰かが鮭でお茶漬け食べておいしいからお茶漬け海苔になったんだろうし、本家本元を食べるのもいいよねえ。
明日の昼ご飯は、鮭茶漬けに決定。
花粉症メモ
理由は多分、二つ。私が、嫌いだったマスクをかけなれて、外に出る時はちゃんとかけて出るようになった。
もう1つは、自粛で外出頻度が激減していること。
毎年花粉症の時期には、ちょっと外出は控え気味にするのだけれど、家でじっとしているのに嫌気がさして、すぐあちこちに出かけるものだから結局花粉症がひどくなる。それも、マスクを忘れて、「あ、まあいいや」なんて2年まえは出かけていた。
去年は一生懸命マスクはしたけれど、毎日外出していたからね。
今年は外出は買い物だけで、2,3日に一度まで頻度を落としている。花粉にさらされる量が減っているのだろう。
洗濯物は、今は普通に外に干しているけれども、シーツと枕カバーを変えたら、くしゃみが…ということはなくなった。多分洗濯物から来る分がある程度あるにしても、外での分が減っているため、閾値を超えていないっぽい。スッキリ乾くし、においもしないしで、こっちのほうがいいから、今年はうまくいったと思う。
まだちょっと目がかゆいこともあるし、くしゃみが突然出ることもあるけれど、鼻が詰まって頭が重くて、時々頭痛がし…というような感じは今のところなし。やっぱり家に居ると違うんだなあ。それと、コロナの影響で帰ってすぐ、必ずシャワーを浴びるようにしているのも多分影響していると思う。
マスクが嫌いとも言っていられなくなったし、なんでも習慣化するものなんだなあ。3年前に、毎日普通にして出かけたほうがいいと言われたら「ええー無理―」ってなったと思う。
つまり、マスクは夏はともかく、今この時期に関してはこれからも毎年毎日頑張った方がいいというのがわかった。
「そんなに差が出ないだろう」って思っていたんだものね。はっきり結果が出るなら、頑張れる。
思っても見ない、2年にわたる実験だった。
久しぶりに外食
そんなわけでその時間は直前でも予約が取れた。
オードブル、パン、スープ、メイン、デザート。
魚のコースを食べた私と、肉のコースを食べた夫と息子。
ホタルイカがちょっとだけのっていて、上のソースがサフランソースとかイチゴソースとか。おいしかった。
小松菜、ズッキーニ、ブロッコリーの付け合わせとソースがよく合う。
スープはグリーンピース。このシーズンにここに来ると、これが出ることが多い。何が入っているのか、わかりやすい味をしている割には、自分で作ってもこうはならないんだよねえ…と毎回思う。
パンは皮がパリッとしていて、中身がふんわりしていて、とてもいい匂いがして。フランスパンはこういうのが一番おいしいな、と思う味。ここの、このパンを食べるたびに、【光と闇の姉妹】で、早起きをした出発の朝に、「いつも、パンの外側が好きだったね」と、そのこんがりやけた端のところをもらう、というやりとりを思い出す。
私は子供の頃、給食のパンの耳のところが好きではなかったけれど、このパンだったら確かに、外側のぱりぱりしたところがとてもおいしいと思うし、外側が好きだ、という人がいるのもうなずける。
メインは魚料理。エビと、さわらとホウボウ。肉は予約時に言わない限り、ステーキが多い。ラムとか、鴨とかは先にいっておくと出してくれるけど、夫も息子もここの一口ステーキがお気に入りだそうなので、いつもこれで。
一口ステーキの付け合わせのクリームポテトが、いつもこっちがメインでもいいかもと思うぐらいおいしい。
今回は食べなかったけど、次回は肉にして、これ食べようかな…。
そしてデザートは、楔形に切ったプリン、フルーツソースのブラマンジェ、キャラメルアイスクリームの3つをちょっとずつ。
最後に紅茶飲んで帰ってきた。
はあ、また行こうね。やっぱりおいしい。そう言いながら帰ってきた。
時間が早くてもいいから。
そして一番いいのは、人が作ったごはんだってことだ、とこっそり、心の中で付け加えた。
今日の夕飯の献立
ちょっと遅くなってから行ったので、速足で見て回る。
…と、肉売り場のスペアリブが「4割引き」のシールが。はい、八宝菜はまた今度。スペアリブ決定だ。
玉ねぎのサラダに、セロリのきんぴら(新玉ねぎとセロリが安かったから)、スペアリブをしょうゆたれに30分つけてから焼く。
いつも買う分の5割増しに買えたから、家で一番大きいフライパンがきっちぎちだった。
息子もよく食べるようになったな…。かなり脂っこい肉も入っていたがなんのその、私は途中で「まだいけそう?」と息子におかわりだすぐらいだった。この献立の問題点は、骨付き肉なので重さの割に少なく、こんなものかな、と思って買って帰ったらたまにものたりないときがあること。
つまり今日はその問題点が最初から起きなかった。2切れ残ったけど、多分息子の昼ご飯についでに出してやれば多分消費する。
ビールによく合っておいしいと夫にも好評。まあ、この献立は毎回好評。
ママ友さんとこういう話になるとよく出てくるのが「肉さえ出しておけばいいから」。
一生懸命作っても、肉っぽくなければ評価が低いとか、野菜を全然食べないとか、焼いて市販のたれをかけただけの肉が一番好きだとかそういう話。
うちの2人も、結局そうだと思う。