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毎日更新!LuckyDuckyDiary

いらっしゃいませ。毎朝6時には更新します。さっくり読んでいってください。コメントくださった方はリンクさせてください、相互リンク歓迎、リンクがダメな方は連絡お願いします。

名刺をつくる

 ピアノの先生が、名刺を作りに行く時間がなくて、という話をしていた。もうなくなっちゃって、こないだ困った、という話をしていたので、相槌として、「今はじゃあ、どうしてるんですか?」と聞いたら、何と先生は手書きの名刺を見せてくれた。

 えーー。昭和の頃か平成一桁なら、まあ…私も自分でカリグラフィで名前を書いて、スタンプを押した名刺なんか作成してたからね、わからないでもない。でもここまでネットが普及して、自分でスマホ持ってて、手書きはないでしょうよ…。無理すぎ。
 ピアノの先生の家でこういうことを一手に引き受けているのは息子君。PCでプログラミングなどもやってしまうようなお子さんだったはず。

 と思って、たずねてみると長男君は今年高3。春からこっち、パソコンを封印してお勉強をがんばっているらしい。えらいなあ。確かにそういう状況で名刺作って…とは頼めないわな。先生の名刺は去年の息子君作の残りだったそう。
 私が作ろうか?と提案したらものすごく喜ばれた。

 まあ…こないだ柄付きのしおりなんか作ったことではあるしねえ。カードの形に切れるA4の紙さえ買ってくれば、同じソフトで作れるし、大したことではない。

 そんなわけで、どんな柄がいいか聞いたら、ピンクっぽく、お花っぽく、または黒い猫が入ったのがいい…という、大分かわいい寄りの、ビジネス向けというよりはファンシーっぽく作ったのがいいらしい。
 家に帰ってから自分のパソコンでフリーのイラストや、バックグラウンドなどをささっと検索して、A4で10枚刷れるというレイアウトを持ってきてぱぱっと10種類ぐらい作成。

 家に「クレジットカードサイズのカードが作れる」というマルチカード用紙があったので、それでとりあえず作成。
 こんな感じねー。と画像を先生に送ったら、こんな短い時間で、出来るものなの?と感心された。

 ふふふ…つまりほとんどのデータは共通だからね!背景画像が違うだけなんだよーん。
 配置もちょこっとしかいじってないしね!ないのはセンスなんだけど、それは、本職の名刺作成サイトの見本なんか見て、それっぽくしといたから!
 
 パステルカラーのお花の上下フレームに、黒猫。大体ピンクっぽい色合いで仕上げた。黒い猫のシルエットは人気なのか、あっちこっちでフリー素材があったし、パステルカラーのお花の画像もいっぱい見つかったし。これが「アフリカンテーマで熱帯ジャングルの迷彩で」と言われたらこうはいかない。やっぱりこういうかわいい系は人気があるからばっちりだ。

 余っていたカードも活用できたし、次のレッスン日に時間取って先生にどれが気に入ったか聞いて、枚数刷ることに。
 お試しの10枚は息子のピアノレッスン日に持たせて出した。
 *************
 レッスン日に、どれがよかったか聞いたら、10枚のうち、3枚ぐらいが特によかった、というのでその3枚の増産を引き受けた。特にこの1枚が、と言われたのをたくさん刷ろう、という話になったら、「じゃあ、これ、もう使えるかな」って、先生、使わない名刺って何の役に立つんですか、トレーディングカードじゃないんですからね?と疑問が目に浮かんだ私を見て、先生は「なんだかかわいくて渡したくなくて」とまた、かわいらしいことを…。

 いくらでも刷るから、気にせず使ってください、と言っておいた。そこまで気に入ってくれるなんてねえ。
 息子さんが作ってくれる名刺は、お任せだったらしいから、多分もうちょっとビジネス寄りだったのであろう。男の子には、パステルカラーの花柄のどれが特にかわいい!とか、多分わからないよね、うん。

 人の名刺を作っていたら、自分のもほしくなった。名刺なんてこの10年、1枚も使ってないけどな!!自分としても、トレーディングカードみたいな気持ちなのかもしれない。
 

たかが天気。

 雨が3日続いた日のこと。
 1日目は普通に過ごした。2日目は3日目もずっと雨だというので、買い物を2日分済ませて、次の日は外に出なくても過ごせるように準備をする。

 3日目の早朝。予報通り雨。
 どんより重たい気分で、ふらふらとPCの前に座ってしまう。
 これはだめなパターンだ。これで別に役に立つでもないようなニュースからリンクをたどり、あちこちを見て歩き、ふと思いついた検索語を試してそのリンクを…などとネットをうろうろすると動けなくなる。

 数時間そのままになったりする。人によってはスマホで同じような現象が起こる人もあるだろうが、つまりこれをやると本が読めない、ピアノが弾けない、手芸が手につかない、家事もぎりぎり、そして気分はずっと低空飛行…みたいな状態になるので、普段はPCの前に来るのはいろいろなことが終わってからにしようと思っている。

 案の定、気が付いたらもう9時。私の3時間はどこへすっとんだのだろう…。
…と、窓の外が明るくなった。

 あれ?ちょっと、雨がやんでる?
 見る見る間に日がさして、これはどう見ても雨とは言えない。どちらかといえば空はちょっと雲の面積が多めだが、晴れ…といっていいのではないか?

 久しぶりの晴れだ。洗濯物が乾くかも?ここしばらくすっきりしなかったので、シーツをかけかえたあと、洗濯かごに待機になっているのがある。
 仕上がっていた(そりゃそうだ。スイッチをいれたのは6時過ぎ。今日も乾燥機か…と思っていた)洗濯物をベランダで干したら、なんだか鼻歌も出そうないい気分。

 そのままさらっと掃除に持ち込み、20分後にはすべての床に雑巾モップをかけ終わり、ゴミを掃除機で取って、ついでに干しシイタケと切り干し大根が戻って、もう15分経った頃には常備菜の切り干し大根煮が完成しており、ついでに夜のサブおかずのごぼうのうま煮まで完成していた。

 あとはほうれん草のおひたしか、胡麻和えにでもしようか。サブおかず2品が完成したらもう、夕飯は勝ったも同然だ。
 
朝のあのアンニュイな気分はなんだったんだ…。たかが天気でこれ?自分のことながらちょっとどうかと思うよ…とセルフツッコミ。
 
 あの落ち込んだような、理由もなく不安なような、細かいことが気にかかったり、今心配してもしょうがないようなことがふと思い出されたり、前にあった失敗や、つらかったことが思い出されたりする、あの朝の気分が、たかが晴れたぐらいで、すぱーんと頭から飛んで、とりあえずの仕事がこなせてしまうって、あまりにも差がない?

 あんまり楽しくもないことでも、思い出そうとすればもちろん頭の中に戻ってくるけど、でもいろいろなことをしているうちは大丈夫な感じだし、そういうことが浮かんでこなくなる。

 「感情優先で、物を考える」と人に言われたことがあるが、確かにそうなんだなあ…。
 感情と、実際に起きていることへの反応が、理性を優先させる人にとっては、ズレてみえるのだろう。
 自分の気持ちが上がらないとき、今日の天気のことを思いだして、この感じはそんなに重要視せずにかわして動いてしまっていいのだ…ということを思い出せますように。

 どこかに向かって祈っておこう。

便座の溝

トイレの便座は、あったかくなるタイプのなので、上下が組み合わさっているタイプ。
その継ぎ目のところに、汚れが入る。ぴったりは閉じなくて、綴じ目が溝になっているからだ。

がんばって一生懸命掃除をしているのだし、毎日拭いているのだからまあ…それほどひどいことにはならないが、なんとなくすっきりしない。10年同じトイレを使っていて、ずーっと、なんとかならないかなあ…でも面倒。その繰り返しだったのだが、ついに、今回手を出した。

 お風呂用のコーキング材で、プラスチックによくくっつくようになったという触れ込みのチューブ。
なるべく丁寧に掃除をして拭いて、かわかしてからテキトウに周りにマスキングテープを貼り、みょーん。と絞り出して、付属のスプーン型へらで余分をかきとって、溝にコーキング材を詰めてみた。

 うーん。透明なので入っているのかダメなのかイマイチわかりにくい…。
 これで汚れが詰まりにくくなったはず!

 といっても、完全硬貨まで24時間ぐらいはかかるらしいけど。
 結構手についた。ものすごくべたべたする上に、台所用の洗剤とか、手洗い用の石けん、お湯とか水では落ちない何か…で、往生した。

 ゴミ箱からパッケージを拾うと、「小麦粉を手にはたいて、こすり落としてから石けんと水で洗いましょう」みたいな洗い方だった。片栗粉…しかないな。というわけで片栗粉でトライしてみたが、あんまり落ちない。
 ふと思いついて、手を乾かしてから、ガムテープでべたべたやってみたら、なんとか問題ないぐらいまで落ちた。

 コーキングのチューブに、ぐるぐる巻きあげる方式のチューブ絞り器がついていた。
 こういうの、なんとなくもったいなくて買ったことなかったんだけど、歯磨きチューブ絞るのにいいな!というわけで取り外して再利用。

 コーキング材はまた使うかもしれないので、ふたを閉めて取っておいた。
 さあ、これ、しばらく経ったら結果がどうなるかわかると思うけど。

 次回は白いのにしたほうが、溝の埋まり具合がきれいでいいかも、とここに記録のために書いておく。

文庫本カバーのかけかた

 古い文庫本を買うのは、ちょっと楽しい。懐かしい本を読んで、気分も上がる感じがする。

 今日手に入れた本は、岩波文庫ではなかったのに、グラシン紙がかかっていた。きっとこの本を前に持っていた人がかけていたのだろう。題名も読めるし、汚れや破れが防げるし、グラシン紙なら、ちょっとだけでも防水もあるかもだし、いいアイディアだ。

 浮いていないし、きれいにかかっていて、本当に「元からこう」だったような感じ。どうなってるんだろう、と思ってみていたら、本のカバー(ジャケット)部分だけにまいてあって、本の本体の表紙にはかかっていない。カバーとまとめて折って本につけてあった。なるほどー!これはきれいにかかっているし、内側に折ってあるところもひらひらしなくて邪魔になりづらい。

ジャケットにカバーを先に巻くってことだね。

 これだけのことなのに、全然知らなかった。子どもだった頃、私が古本屋で買った20円30円、50円本にはカバーがなかった。カバーがある本は大体もうちょっと高かったからね。そういう本にはもう本の本体にかけるしかなかったわけで。
 時々手にしたカバーのある本も、カバーを取り外してからかけることが多かった。発想の転換が出来なかったんだなあ。

 まあ、単に邪魔なだけという話だったのかもしれないが。自分のことながらなかなかにイイカゲンだ。
ジャケットがない場合はジャケット作成。そののち、カバーをかける。こうだな。
 カバーがぴらぴらしない上に、折ったときに表紙の厚みが影響しづらく、折り目がきれいに見えていい。
 カバーが傷んでいない場合は、これでやって、傷んでいるのは裏から貼ってからこうすることにしよう。

 昔に、トレーシングペーパーをブックカバーに使わなかった理由は、高かったから…だよねえ。
 今100均に売られているラッピング用のロールのグラシンペーパーや、パラフィン紙を見ると、すごいなあと思う。
 
 上下を折らずにちょうどに使えるサイズの15センチ幅もあるし…と思ったけど、新潮文庫は確か15センチ以上あったよね。
(今計ったら、多分15センチ2ミリある)20センチのを買って、上下折り曲げるほうがいいか。
 こういうことは考えているときが一番楽しい。

 
 

赤毛のアンシリーズの訳

 はっきり老眼だということが分かった昨今、文庫本はきついかな…と思えてきた。
 少なくとも、昔からもっている古い…それこそ昭和56年的な文庫本はもう厳しい。つまり活字のサイズが!最近の文庫本は字の整い方が違う(多分、フォントの形も違う)し、字が大きくなっているので、まだいける感じがするが、昔の本は細かいし、多分印刷の手順の都合でページの周りの余白が大きい。同じサイズなのに字が入っている場所が狭いってことだ。

 そんなわけで、昔から持っている新潮社の村岡花子訳の赤毛のアンはそろそろ断捨離して、新しいのを買おうかな…と思った。これは絶対読むことがわかっているシリーズなので、買う、買わないというくくりではなくて、「いつ買うか」と「どれを買うか」。

 まあね…英語だって読めるんだよ?読めるんだけどね…でも日本語の方も持っておきたいシリーズだしな。というわけで選定にかかった。電子書籍にするほうがいいよね、やっぱ…。

 文春文庫の完訳版(まだ刊行途中)と、角川文庫の中村佐喜子さん訳、それから青い鳥文庫と新潮文庫の村岡花子訳。
 文春文庫版は、巻末に文章が何から引用されているのか…ということの解説がたくさん入っていたり、用語も今風に直してあって、「つぎもの」はパッチワークであり、さしこの布団とは、キルトのベッドカバーだと訳してあるので、違和感がないというのが売り。村岡さんが飛ばしている文章も、全部入っている「完訳」版なのがまず一番のアピールポイント。

 角川の訳は中村佐喜子さんで、私はこの人の訳も子供の頃読んだことがある。ただ、これは「炉辺荘のアン」や「虹の谷のアン」「アンの娘リラ」あたりが出版されていない。実は後の方の巻も好きなんだよね…。
 
 文春文庫は図書館で一渡り読んだ。注釈が後ろにあるのは面白いのだけれど、注のところと、その解説を行き来して読むことになるので、これは電子書籍はだめな気がする。紙の本はぱらぱらっとやればいいのだけれど、電子書籍はがばっとめくるのはいちいち「どのあたりに飛ぶ」と指定しなくてはならないのでほぼ無理。特に読書の途中に注を読みに行ったりしない気がする。電子版の注に解説へのリンクがついたりするんだろうか。買わないとわからないんだよねえ、これ。

 確かにいい訳だと思うし、文春文庫が全部電子化したらまとめてそろえようかと思って、刊行巻がそろうのを待っていたのだけれど、実際試しに読んでみるとその注に飛びたい問題が出るといえば、出る。

 そうなるとあとは青い鳥文庫と新潮文庫。
 両方村岡花子さん訳。これ、中身が違うってことはないよね?そう思って念のため、図書館で同じ巻を2冊とも借りて、比べてみた。
 そうすると、もう1章目から違う。青い鳥文庫のほうは「間引いて」あった。なるほど…読めないわけじゃないけど、そして村岡さん訳を使っているのだろうけれども、抜けているところがいっぱいだ。危なかった。字が大きいだろうから、とこっちを買ったらびっくりの結果になるところだった。ポプラ社から出ているハードカバーのちょっと大きめの本も同じく抄訳だった。

 完訳じゃないとはいえ、やっぱり新潮文庫のにするかなあ。どうしても完訳がいいのなら原文読めばいいわけだし。
 贅沢をいうのなら、解説文つきの読書をするのに文春の完訳版を紙の本で買い、電子版は新潮文庫にするべきか。

 結局、赤毛のアンのシリーズを読んでいる気分に浸りたいのなら、愛読している訳からずれると違和感が出るので慣れた訳にしよう。

 ここまで細かいことに気が付く本はたくさんはない。

 小公女、小公子、秘密の花園、若草物語、赤毛のアンのシリーズ、夏への扉、エンダーのゲーム、ソングマスター、それから指輪物語。多分このあたりは読んだ回数が多すぎるので当時読んだ訳がしみついてしまっている。
 かなりうろ覚えにすぎない、数回読んだぐらいの本なら、細かいところはそんなにでもないんだけど。
 
 しょうがないな、今更ではあるけれど、もう新潮文庫の電子版、買おう。

自分だけの居場所

 人づきあいがうまくなく、明るくはきはきした…というタイプでもなく、外で遊ぶのも好きではなかった、とくればもう、大体そういう子の王道として本が好きで、子どもの頃の私は本を読んでいるときが一番幸せだった。

 子どもの頃、部屋には鍵がなかった。部屋の戸はあけっぱなしにするものであって、鍵なんかかけたら何をするかわからないというようなことを母は考えていた節があって、なおかつ母と折り合いが悪かったものだから、あんまり家は居心地がよくなかった。

 ただ、当時でも子どもが本を読んでいても注意されない場所というのはあちこちにあった。子どもが大声を出したり、ドタバタ遊んではいけない場所はたくさんあったが、大体公民館とか児童館とか公園とか図書館というのは子供がひとりで静かに本を読んでいればそっとしておいてくれた。公民館の使われていない談話室や、囲碁室で図書館の本をさんざん読んだものだ。

 ベランダの横の屋根だとか、二段ベッドの下段だとか、家にも人目につきづらい場所があったが、本を読むのは基本的に目が悪くなるから、と止めたいぐらいの勢いだったので自分の家で本を読むのは突然邪魔される可能性が高かった。本を読まない子どものお母さんたちには私が本を読むのがうらやましがられて、割と褒められたものだが、外で元気に遊ぶのが子どもらしいと思っていた母にとってはどうして外にでて遊ばないのだろう…ぐらいのことだったのだろう。

 邪魔されない場所で、一人になりたい。自分の居場所が欲しいな…。姉と二人部屋だった私はずっとそう思って大きくなった。
 一人暮らしをした時には、静かな、誰も入ってこない場所というのがどんなにうれしかったことか。

 今は、自分の部屋もあるし、息子と夫が出かけてしまうとゆっくり出来るので、もうそういう問題はないはずなのだけれど、なんだか落ち着いたゆったりした感じがしないのは、やっぱり次々と家事をやっているからだろうか。小さくてもいい、逆に狭いぐらいのほうがいいぐらいの、あの隠れ家でゆっくりくつろぐような気分にならないのは、なぜなんだろう。ふとそう思ったのが、コロナの自粛が終わったぐらいの時。

 今日、ふと本を読み終えたときにその感じがするのに気が付いた。

本は、これ。岩波少年文庫の「小公女」。
この物語はもう一体何度読んだか…というぐらい読んだ。多分小中学生の頃に持っていたのは、角川文庫の(はず)で、川端康成さん訳だが、今は絶版で手に入れづらいので、手に入りやすそうなのを選んで読んだ。

 小さいころから長い間、知っている物語というのは、自分の居場所のようなものかもしれない。
 だとしたら、私はずっと小さいころから、自分だけの居場所を持っていたということになる。
 
 心安らぐ、小さな丸い世界。いつだって入っていけて、誰に邪魔されることなく幸せなひとときが過ごせる、そんな小さな部屋。
 今頃気づくなんてね…という感じだけど、自分の居場所が、本の中にあるというのは、なかなかいいのではないだろうか。
 周りに何が起きていても、本の表紙のドアを開けて入れば、もうそこは自分だけの世界。

 物理的に場所が…というのではないところが、ちょっと不思議な感じがするけれど意識していなかっただけで案外利用してきたよねえ…。
「それは魔法が本当になった日のことなんです」
 自分の一生で多分絶対口に出来ないセリフなんだけれど、大好きだ。いろいろな訳を読み比べている最中なのだけれど、自分的にベスト訳は、どれになるか、まだ決まっていない。

旺文社文庫 「秘密の花園」 岡上鈴江訳

バーネット作、「秘密の花園」は、昔から大好きな本だった。
 
 冬から春になって季節が変わるその時の美しさ、ひねくれて縮こまっていた子供たちが、のびやかに育っていくその様子と、植物が芽を吹き、育ち、花を咲かせていくその鮮やかな様子が一緒に書かれているなんていうようなことが言葉に出来ないぐらいの年齢の頃から大好きだった。

 最初は抄訳から…かなり字の少ないものを読んだ記憶がある。こういう感じのは、幼稚園ぐらいから、低学年ぐらいの時に愛読したものだ。もう内容はあんまり思い出せないのは、そのあと違う版を何度も読んだからだと思う。名作文学全集みたいな本に入っているのもあった覚えがあるし、ハードカバーもあれば、少年用の文庫もあった。


そして、小学校の高学年から中学生ぐらいの頃に、自分で家に置いておける本が欲しい、と思ったとき、手に入れたのがこの版だった。

 ほかの文庫にもあったのかもしれないが、読んだ訳が気に入らず、しょうがないので、なけなしの小遣いはたいて電車に乗り、繁華街の特大の本屋を回って見つけた文庫本がこれだった。同じ作者の小公子、小公女は人気がもっとあったのだろう、何種類かあったが、版のサイズが文庫版の秘密の花園は少なかったというのもある。

 数年前に読みたくなって、新潮文庫の瀧口直太朗さんの版を買って読んでみたのだが、なんとなくなじみがなくて再読する気分になれず、確か断捨離したっけ…いや、まだ本棚にあるかな?
 今回はとりあえず一番買いやすい電子書籍は…というので、角川文庫版の羽田 詩津子さん訳をゲットしてみた。
 さらっと読めてわかりやすい訳。まあ…これでもいいかなあ。と思うが繰り返し読むとやはり慣れた訳が恋しい。
  kindleUnlimitedに入っていた光文社古典文庫の土屋京子さん訳もかなりよかった。どうしても電子書籍がいいならこれかな。

 こんな調子で読んでいたらお小遣いがいくらあっても足りない。もう、結局当時の本を手に入れて、気分的に「気が済む」方がいい感じがしてきたので、旺文社文庫版のことを調べてみた。旺文社文庫はレーベルごと絶版。グーテンベルク21という会社の電子書籍に出ているのが多いようだが、この秘密の花園に限っては、アマゾンでは買えなくて、グーグルブックでしか買えないという謎の商品になっている。グーグルブックのクーポンがあったので、100円ぐらい出して買ってみたら、PDF版で、字が大きくしたり小さくしたり…というのは無理だった。ありゃ…。
 文庫本そのものを手に入れようか。そう思ってネットで「あんまりきれいな本ではないので、読めればいいという人だけ買ってください」というような注釈のあるものを300円ぐらいで手に入れた。
 着いたら、なんのことはない、こんなのなら私の本棚にいくらでもあった…というか、十分きれいな方だと思う。私の中学生当時の本というのはリサイクルショップの床の段ボールの中から30円や50円でサルベージされた本ばっかりだったからなあ。

 でもこの表紙、あんまり覚えがない。この本は新品で本屋さんから買ったにもかかわらず。いや、でもこの表紙、多分私カバー捨てたんじゃないかなあ…。あんまり好きな感じじゃない。それと、これが物語の中の人物だとしたら、これはメアリー?頭にお花飾ってるしね?ジッコンってことはないだろう…。いや、でももしかしたらコリン?頭にお花で?
 どれにしてもかわいくない。多分この表紙を覚えていないのは、私がこのカバーをさっさと捨てて、自分で作成したカバーをかけたからだと思う。もともと私の当時の文学全集蔵書はカバーなんかとっくにない文庫本ばっかりだったから問題なかった。

 通読してみると、やっぱり読み慣れている訳だなあ…としみじみ。そして、この2冊のことをブログに書こうと思って画像を探した私に今わかった驚きの事実。この2冊の翻訳者が同じということ。なるほど…この訳が気に入ったのには理由があったんだな、気づいてなかったけど。当時の私には、外国文学の訳者を覚えておくというような癖はなかった。題名さえ見ずに本の中身だけ気にしていたことの方が多かった。

 わかってびっくりだねえ。
 とはいえ、文庫本の初版は1975年。「耳が聞こえない」「背中にこぶがある」「目が見えない」。そういうことを描写するのに今だと使えない言葉がどしどし出てくる。時代だなあ…。この訳の再販は無理だろうな。少なくとも改訳だろう。

 というわけで、自分的ベスト訳はやっぱりこれ…なんだけど、今から買う人には、光文社古典文庫の土屋京子さん訳がおすすめに決定。この本を読むのは実は秋より、春先がおすすめ。
 
 

「小公女」 川端康成/野上彰 共訳

 

小学校5年生ぐらいの頃だったか…。この本は100円で、住んでいた小さな町の、古本屋さんにあった。コンクリートの打ちっぱなしの、トタン屋根の倉庫みたいな場所に、本棚がずらっと並んでいる部分が古本部門。お店の人が座っているのが、もっと普通のお店っぽい古道具部門。田舎の町の、もとはもっとにぎやかだった…という、電車の線路から離れた場所に、酒蔵と並んで立っていたお店だった。

 板チョコ1枚100円ぐらいはしたし、自販機のジュースが1本100円、そういう頃のことで、ひと月に使える小遣いが400円ぐらい。古本屋さんで床の上の段ボールに放り込まれた20円、30円、50円の文庫本を買うのは私の楽しみだった。

 100円もする本というのは相当高いほうで、さすが100円、カバーはついていた。故に今もカバーに覚えがある。
これが多分私が「自分の名作全集を自分で揃えたい」と思った1冊目の本だった。模造紙でカバーを作って、スタンプで柄をつけて、背表紙の部分には題名を書き、てっぺんには消しゴムのスタンプで番号が押されていた。「1」がこれ、というわけだ。
 ほかの本がどの順番だったか、さっぱり覚えていないが、これが「1」だったのは覚えている、そんな本。

 これは英語でもかなり易しいほうに入るので、英語が読めるようになってからは日本語版をもっていなかったのだが、日本語の本を取っておきたいなあ、と思うようになって、探したら同じ本は絶版。



 それどころか、この本、古本でも1000円以上するんだ、なぜだ、ほんとに。
 ネットを見て歩いていると、どうもこの訳について、言及した有名な人があるっぽい?(しかも最近)。
 同じ川端康成/野上彰訳の「小公子」は安いのに…と思ったら、「小公子」は出版年月日が今年の7月?めちゃくちゃ新しいんだけど!つまり、小公子の方は再版したってことだね。

 いろいろ迷っている1か月のうちに、アマゾンのこの本の値段はずんずん上がり、ついに1800円に。おおぅ。みんな手回しのいいことで。去年買ったら360円だったろうになあ。ちぇ…。
 図書館で借りた。文庫本なのにこれは残っていたということは、訳者が違うものを意図的に残しているのだろう。やっぱりこれだな、という慣れた感じがしたので、私が読んだ訳はこれで決定なんだけど…。けど、そんなのに限って、突然ないのはなぜだ。村岡花子さん訳でもいいようなものだけれど。

 ちなみに、伊藤整さん訳の新潮文庫も出回っていたのだが、セーラの名前が「サアラ」になっていたのが違和感があって(ちなみに英語の発音はカタカナで書くとしたら「セアラ」となるはず)買わなかった。私が子どもの時に読んだ抄訳版が「セーラ」だったからだろうなあ。どういう名前になっているのを最初に読むか、ってことだね。「セイラ」「サァラ」「セアラ」「セーラ」あたりのバリエーションがあるようだけれどもアニメも「小公女セーラ」だったし、「セーラ」になじみがある人のほうが多いと思う。
 難しいところだよねえ…。正確に訳すより、ポピュラーな方を採用するほうがウケるわけだから。そう考えると1作目を訳する人の責任重大だ。
 

大統領選挙に思う

 バイデン(民主党)が勝ったらしい。
 マイノリティや、女性に支持の高かったバイデンのサポーターは大喜びだというニュースにも、さもありなん、と思う。

 日本では、日本人である以上差別を感じることはまあ、ない。女性差別も30年前とはずいぶん違うと思う。私が小学生の頃は、女子がいい成績を取ると「女のくせに」という男子がいたものだ。「お医者さんになりたい」なんて女子が言える雰囲気でもなかったし、私が高校生だったころはまだ「女子が四年もある大学に行くなんて、嫁の貰い手がなくなる」なんていうことを真顔で言う大人が当たり前にいたものだ。
 今はさすがにそういうことを大っぴらに言う人はいない。そういうことを言う人はもう「高齢者」であって、「まあ、昔はそうだったのかもね」で終わりだからだ。

 日本に住んでいる日本人にとって、差別は話には聞く、程度のものになり、女性差別は「まあ、あるけど徐々になくなっていくだろう」と思っている人が多いと思う。90年代から、2000年代あたりには、アメリカの差別もそういう風に思っている人が多かった。

 「あるけど、だんだん減っている」し、「差別主義というのは、大っぴらに口に出すことではない」。少なくとも、自分が教養ある、洗練された人間だと思われたければ人種差別主義というのは知られてはいけないことで、表向きは当たり前にアジア人や黒人と知り合いになれなくてはいけないという雰囲気があった。

 それが、トランプが来て、そういう過激なことを口に出すようになってから、事態はどんどんひどくなった。一番強い人がそういう発言をすると、尻馬に乗って「そうだそうだー」という人が増えるような感じ。南部の旗を大っぴらに車につけている人が増え、白人至上主義団体の活動が活発化し、そのワッペンを付けた人が闊歩するようになり…。
 警官が黒人を殺す事件は今までもあった。丸腰の市民を撃つというのは恐ろしいことだ。

 大体、アメリカで個人の武装の権利を上げる人たちは、西部劇みたいなメンタリティの人が多い。「強くなければ、生きていく資格がない」的な。でも、そういう人のほとんどはプラスして「卑怯ではない」ことも、すごく大事にする。つまり、弱者を攻撃せず、逃げる人に追い打ちをかけず、敵ははっきりしているが、お互い五分の戦いであることを大切にする…というようなことをだ。
 それが、最近の事件では丸腰の相手を「後ろから撃った」なんて。アメリカンスピリットはどうなったんだ?
 きれいごとだとは思うが、銃を持ち、自立して、自分の人生を切り開いていくことを良しとするアメリカ人にとっても、ショックだったと思う。いくら自分が共和党支持のWASPで多数派だといっても、「アメリカ的理想」とは程遠いやり口で、今の状況に失望した、というSNSの発言はいくつか読んだ。

 古い価値観を持つ、既得権益層の中にも、丸腰の相手に後ろから、それもまっすぐ致命傷を目指して銃を撃つような警官はごめんだ、という人がいるということなのだろう。

 アメリカに住んでみればわかる。差別的な雰囲気を感じながら生きるというのはキツイことだ。
 私たち日本人だってもちろん「チャイニーズゴーホーム」と言われる。レストランでいきなり銃で撃たれるかもしれないのだ。普通にご飯を食べていただけで。「仕事を奪う、エイリアン」みたいな感じに扱われて、見た目が違うだけで差別され、うっかり白人が多いレストランに知らずに入ったら、全員に振り向かれたことがあったりするんだな、これが…。あれはものすごく怖い体験だった。いや、そこで食べて帰ってきたよ?来たけど。お店の人も丁寧だったけど、どこにも、何も書いているわけではないけれども、砂漠のペンギンみたいに場違いだと思われていることがよく分かった。

 その話を知り合いにしたら、すごく気の毒そうに、いくつかのレストランを挙げられて、このあたりもダメだと思う、と教えてもらった。同じようなものが食べられて、問題のないレストランというのも教えてもらった。もちろん誰も行くなとは言わない。好きなところに行く権利があるのだが、と付け加えて。

 そういう国に住んでいたら…。私は日本人で、日本に国籍があるわけで、アメリカに定住するのが嫌だったから日本に帰ってきたわけだ。私の国民としての権利を、他の人と同じぐらいに差別されずに享受出来て、法律で守られる国に。でも、アメリカ生まれの、アメリカ育ちで、アメリカの国籍しか持っていなければ、どこにも逃げられない。

 黒人のほうが逮捕率が高く、黒人を殺した白人は無罪になる率が高く、丸腰でも後ろから撃たれる危険があり、町を歩いているだけで「不審人物が歩いている」と通報されるような場所に住み続けることは、大変怖いことだ。
 ただそこにいるだけで不審人物として声を掛けられ、警官にそんな権利はない、と抗議したとたん撃たれる可能性があるなんて、日本に住んでいる日本人には起きない(はずだ)が、もしアメリカに自分が住むとして、とアメリカの状況を考えた場合、トランプ政権が怖いというのは理解できる。

 トークショウホストとしてはトランプは面白いだろう。過激な発言も好きな人がいると思う。でも…。強さを求める人たちが、トランプに心惹かれるその効果として、弱いものが虐げられていくという図が見えるだけに、バイデンが勝つのは当然のような気がする。バイデンがいいのではなくて、トランプが嫌、ということだ。

 株式投資をさほどしていない人、普段町で買い物をする人、子どもを学校にやっている親にとっては、日常生活が目に見えやすい。外国との関係だとか、国の経済よりも先に、自分が、知り合いが、親戚が街を歩いていて撃たれないか…ということが大事になってきてしまう。
 「そんなこと」を気にしないといけない人がいるのがアメリカなんだよねえ。

 日本にとっては、経済効果だとか、軍備が、基地が…という話になるのだと思うけれども、私にとっては「あそこに住むなら」になってしまうのは、アメリカで暮らした思い出深い時代があるからだと思う。アメリカで会った人たちには、素晴らしい人たちもいっぱいいた。人種差別とは縁遠い人だって多かった。まあ、今でもつながっている人で白人という人は、私と友達になったという都合上、人種差別をしない人たちなので、反トランプになるほうへ偏っていると思うから、意見は聞くまでもないだろう。

 そしてアジア人なんか友達にもなりたくないというタイプの人はもう、トランプ派なんだろうなあ。
 これからトランプを敵に回して、バイデンさんは大変だと思う。トランプは責任はもう全然ない人として、好き放題なことが言えるし、それにまた、心惹かれてついていく人がいるのだから、人種差別主義者と、マイノリティの衝突はひどくなりそうだなあ…。

 4年前に当選したときは、「周りの人がうまくやるだろうし、トランプも重責ある立場にあることを自覚して、過激な発言はしなくなるだろう」なんて言われていたのに、こうなったからなあ。
 
 今から4年たって、次の選挙になった時はどうなるかなあ。やっぱりトランプはまた、出馬するんだろうか。
 アメリカの歴史上では、続けて2期じゃなくて、とびとびに2期やった人もいるので、そういう可能性もないではないけど。(ちなみに、とびとびであっても、3期は出来ないことに決まっている)あとはオフィスの明け渡しまで、どのぐらいトランプがごねるかだなあ。

 さすがに証拠もなしに違法の投票だったなんて言っても裁判所も棄却するしかないだろうけど。ここで裁判所まで癒着しているとしたら、もうアメリカ史上に残るスキャンダルだものね。20年ぐらいたってから、このあたりのことを書いた暴露本を読んでみたいものだ。
 
 あと、すごいのは初の女性副大統領が選ばれたこと。前回ヒラリーが勝っていれば初めての女性大統領だったのだろうけれども、まあ、それは出来なかったが、副大統領でも、すごく画期的だと思う。私が25年前ぐらいに読んだ、アメリカの女の子向け雑誌(大人用より言葉が簡単なので、英語の学習用に読んでいた)で、非白人の大統領と、女性の大統領、先に出るのはどっちだと思うか、なんてアンケートをやっていたものだ。オバマ大統領が先だったので、非白人の大統領のほうが先だったわけだけれども、それでも副大統領に女性が出てきたんだから、女性の大統領が選ばれる日も近づいたと言っていいだろう。

 次の大統領選には、誰が出るんだろうなあ。前の大統領選の時にはアメリカにいたんだよね、私。
 4年後には何をしているかなあ。

「小公子」川端康成訳 の違い

 バーネット作、「小公子」も、これまた好きな本で、日本語で書籍版を手元に置いておこうと思ったのだが、今一番買いやすい電子書籍は新潮文庫の「川端康成/野上彰」訳のもの。

 昔の岩波少年文庫の訳である「吉田甲子太郎」さん版も電子書籍で売っているので、これは意外とお買い得(300円)。
 今の岩波少年文庫の「脇明子」さん版も買える。

 脇明子さん版は、セドリックがお母さんを呼ぶときに、「なかよしさん」と呼ぶのが気にならなければ、いい訳だと思う。
 ちなみに英語版は「Dearest」。どちらかというと、恋人とか配偶者を呼ぶときに使うことが多い気がするけれども、セドリックのなくなったお父さんの真似をセドリックがしているという設定なのでこうなっている。「最愛の人」というわけだ。この小説が書かれてすぐの頃は、男の子にセドリックみたいな黒いビロードに白いレースの衿を付けたスーツを着せるのが流行り、小さな息子にDearestと呼ばせるお母さんがいっぱいいたのだとか。

 新潮文庫の川端/野上さん訳は、読んだときに微妙な感じだった。この新潮文庫訳では、お母さんがセドリックのことを「セデー」と呼んでいる。この呼び方をする訳がなんとなく嫌で、違う出版社のを買いに行った覚えがある。

 

そう思いながら、小公女が目当てで買った、創元社の「少年少女世界文学全集9 小公子 小公女」を読んだら、こっちでは「セデー」じゃなくて、「セディ」と呼んでいる。
 
 違う…?新潮文庫の方は「ホッスさん」だが、創元社の方は普通に「ホッスさん」だ。わかりやすく違う。
 それに文章も違うような…?

 図書館から借りてきた小公女の角川文庫と、創元社のほうは、少なくとも冒頭部には見た感じ違いがなかったけれど、新潮文庫の小公子と創元社の小公子は別の人が訳したのかというぐらい、違いがあることがわかった。
 子ども向けに特別に訳したとかそういうことなのかなあ。
原文はこれ。He was not old enough to know of anything else todo, so he did what he could, and was more of a comfort to her than he could have understood.

創元社版 まだ年がいかないので、ほかに何をしていいか、わからないのだが、できることをしているのだし、また、それがママには、セドリックが思うよりも、もっとなぐさめになった。



新潮社版 まだ本当の子どもなので、セドリックはほかにどうしていいのかわからなかった。それでも母は、そうしてくれるのを、セドリックが思っているよりも、ずっとなぐさめられていた。

こうなっている。新潮文庫版のほうが微妙に飛んでる感じ?または創元社のほうが直訳っぽいというべきなんだろうか。
なんせ1か所だけでもこう。ほかにもいっぱい違いがあって、とてもじゃないけど「同じ訳」と見るべきではないだろう。これは古い本を買うときは注意だなあ。前に読んだのはこの人の訳だったはずさ!と思って買ったらこの差ってことだものね。

 創元社の訳は好みの訳だった。あとがきで小学校4年生までの漢字しか使いませんでした、と書いてあって、幼年向きだということが書いてあったから、多分子どもにもわかりやすい訳だとか、そういうことなんだろうな。なんせ「むす子」だしな…。「息」は四年生では習わなかったのだろう。
 
 創元社版の訳は、読むときれいで、朗読にも向いていると思う。

私が気にいって、持っていたのは旺文社文庫のこれ。ネットのいいところはお金さえ出す気があれば、古本が探しやすいということ。これも「ヤケ、シミ、汚れなどがあるので、読めればいい人だけ買ってください」みたいなコメントのものだった。角川と新潮にも昔からあったからだろう、秘密の花園より数が出なかった感じで、探しづらかったが、あった。
 さっきの部分の訳はこんな感じ。
 旺文社版 まだ幼くて、ほかにどうしようもなかったセドリックは、自分でできるだけのことはした。でも、それはセドリックには分らないほど母親のなぐさめになったのだった。

 素直でわかりやすい訳だと思うのだけれど、やっぱり角川とか新潮、それから岩波の訳(若松賤子さん訳)のほうが有名なんだろうな。
 
 これを買ったのは多分中学生の時で、他の出版社のはもうちょっとカバーがかわいかったのだけれど、この絵がなあ…と思って違うカバーをかけていたと思う。久しぶりに読んだら、元気が出るんだよね、これ。

 これはつまりどういう本かというと「ロマンス本」。こんな男の子、どこにもいないと思う。思うんだけどね?でもロマンス小説のステキな相手役というものが本当にこんな人いるのか?という感じなのと同じ。これはこんな子いたらステキだろうなあ、とそういうステキな人に遭遇したつもりになって楽しむ物語。明るく、素直で楽しそうで、好意を持って接してくれて、自分がいい人なのだと思わせてくれて、その信頼を受けて気分がよくなる、そういう子が、にっこり目の前にいたら、そしてまだ、小さい子だったら!そりゃかわいいでしょう!うんうん、そうだよね!と、そういう本なのだった。

 アイドルを見るように、楽しい気分になる。世界に愛されるというのは、こういうことなのかもしれない…。毎回そのかわいさ、すばらしさに幸せな感じがするので、数年に一度は今でも読む本。
 この本を好きな人に、どの訳がいいか、ちょっと聞いてみたい。

 


「あしながおじさん」、どれだ?

日本の物語よりも、翻訳物が好きだ。子どもの頃から、今まで変わっていない。
作家が書いたものがそのまま字になる日本語と違って、英語やフランス語、ドイツ語からの翻訳物は、つまり訳がいろいろになってしまう。特に人気のあるものはいろいろな人に訳されるから、余計バラバラ。

 図書館予算がそれほど潤沢でなかったと思われる小さな町の、これまた古ぼけたプレハブの図書館にある本なんていうと、当時でも古めで、私が生まれるずっと前の翻訳が多かった。そんなわけで私は多分同じ時代に、新しい本を買ってもらいながら大きくなった子どもよりも古い翻訳を読んで育ったはずだ。

 自分で買えたのが古本屋の、これまた古臭い文庫本だったのもあるだろう。当時最新だった版の文庫本の古本は150円、200円、300円なんていうお値段だったのだから。そういう本に資金不足で手も出せず、20円30円、50円の焼けた文庫本となると20年前のものでも当然で、下手をすると30年前の版だってあった。つまり1985年に30円の文庫本を買うと、1968年の版、なんていうことになったわけだ。1956年なんていうのだって混ざっていた。

 そんなわけで今、当時私が読んでいた本を探そうと思うと案外難航する。
 新品の本を買っていた人なら、当時の版を探せばいいわけで、最初に読んだ年が大体わかっていれば出版年もかなり絞れる。でも、私の場合は古い本を読んでいた可能性があるので、そこからさらに20年から30年さかのぼったものまで候補に入ってしまう。版としては新しいが、カバーがなかったり表紙がだめになっていたり、濡れて波打っていたりして値段が安い…というものも混ざっていたため、話は余計にややこしくなる。

 「あしながおじさん」を今、読みたくなって当時の本を探しているのだが、なかなか同定出来ない。
 角川…だったような気がするんだけど、カバーが最初からなかったため、時代が特定出来ないんだよね…。

図書館の中村佐喜子さん訳は読んだら違ったので、旺文社という線はない。
新潮社の松本恵子さん訳の可能性は高いかもしれない。若草物語はこの人のだったもんね。
岩波少年文庫の遠藤寿子さん訳の可能性もないではない。(図書館で予約待ち)
角川文庫の旧版、厨川恵子さん訳の可能性が一番高いんだけど、図書館にもない。
ポプラ社の曽野綾子さん訳…じゃないと思うんだけどねえ。でも出回っていた期間が長いし、ないでもないかも。
福音館の坪井郁美さん訳。これは絶対一度は読んでいる本(図書館のハードカバー)なのでチェック。
偕成社の北側悌二さん訳はkindleUnlimitedに入っていたので読んだけど、違った。名前がジールシャ。

この本を同定するときは、コツがある。まず主人公の名前。「ジェルーシャ」「ジルーシャ」等。
最初にあしながおじさんに手紙を出すジェルーシャが、スミスという名前が没個性的だと文句を言うのだが、スミス氏に手紙を書くなんて、Hitching postやCloths-propに手紙を書くようだ、という、その訳語が何になっているか。
 私が読んだのは「親愛なる棒杭様」と「親愛なる洋服かけ様」となっていたと思う。

 松本恵子さん訳は割と最近まで出版されていたので、古本はたくさん市場にあるらしく安い。厨川さん訳は「私のあしながおじさん」が出たときの訳もこれだったらしく、その時の版が多いようだ。
 ********
 ここまで書いてから、図書館で借りた。
 微妙…。両方なんとなく覚えがある。でも多分私が最終的に自分のにしたのは厨川さんの訳のよう。
 昔「スミス氏はつるつる」「スミス氏はふさふさ」「スミス氏のあたまはまっしろけ」という電文のある版を読んだ覚えがあるのだけれど、今まで読んだのは全部それではなかった。うーん、どれかなあ。子供向きの版という可能性も捨てきれない。

 図書館のは、アニメの表紙で、平成2年の版。
 家のそばの古本市場で買ったのは俳優さんの実写版の表紙。古そうだったのでゲット。袋に入っていたので中身が確かめられなかったが100円だったのでまあよし。昭和58年五十版。年代でいうとこれが怪しいと思ったが、字の大きさがちょっと小さいだけで平成版と変わらず。

 いや、でも絶対細かいところが違うとしか思えない。
 もっと古い版をさがして300円ぐらいでネットで購入。うーん、フレッド・アステア?多分映画になったんだろうな。
 と思ったらこれがビンゴだった。昭和45年、三十一版。ここまで古くはなかったのかもしれないが、これと同じ版だったと思う。読んでいて違和感がない。

 ものすごーくカバーがボロボロだったのでなるべくきれいに薄手の和紙で裏打ちしておいた。字が小さいし、ページは焼けて茶色いけど昔持っていた本と同じだというのがうれしい。定価は120円だって。なるほど、カバーなしの古本が30円になるわけだよ、この値段なら。そして古いだけあって、角川文庫なのにしおりの紐がついていた。

参考のために、一番違いが目立ったところを引用しておく。
Jerusha assembled her charges, straightened their rumpled frocks, wiped their noses, and started them in an orderly and willing line toward the dining-room to engage themselves for a blessed half hour with bread and milk and prune pudding.

旧:ジェルーシャは子供たちを集め、皺くちゃの上衣をぴんとさせ、鼻をかんでやり、そしていそいそしている子どもたちをきちんと一列に並ばせて、これからの楽しい半時間を、パンとミルクとほしすもものプディングと取り組むために、食堂へと発たせてやった。

新:ジェルーシャは子供たちを集め、皺くちゃの上着をぴんとさせ、鼻をかみ、きちんと一列に並ばせて、食堂へ行かせた。子供たちはこれからの半時間、パンとミルクとほしすもものプディングが食べられるので、はしゃいでいた。
 なんとなく、上の古いほうの訳のほうがいい気がする。まあ、気分の問題とか、好みの問題なんだろうけど。これは一章目の最初のところにあたるので違いが目立つ。あとから細かい用語が違っていたり、漢字が仮名になっていたりするのは気にならないんだけど。

なにはともあれ、自分がなじんでいた訳がどれかわかって、本も手に入ったのでよかった。
 しかし、いらない2冊は売ろうか。アニメ化したころに原作を読んだ人の中には、この訳がいい人もいるだろうし。

 今まで訳が変わったり、字の大きさが違う版が出たときには、奥付に書いてあるものだと思っていたけれど、そうでもないんだなということも分かった。奥付には平成のでも初版と今の版の2行しか表記がないもんね。昭和の時の版はなかったも同然で、字の大きさが大きくなっているのも知らんぷりだ。新潮文庫のあしながおじさんには「改版」と書いてあって3行になっていたのに(字が大きくなったよう)なあ。出版社によって方針が違うのかもしれない。

おいしくて安くて簡単なお菓子

 私は料理が下手だ。ありていにいうとそうなるのだが、お菓子は大好きだ。
 作ったこともある…けれども、どうもこう、材料費が高い(バターは特に)割に、「まあ、家で作ればこういうものでしょう」という感じにしかならないし、クッキーやケーキを作る過程が趣味として楽しいかと聞かれると、それほどでも…。

 アメリカにいたときは売っているお菓子の味が好みに合わなかったので作ったが、日本にいればスーパーでも、ケーキ屋さんでもおいしいなあ、と思えるものが売っているので問題はない。
 でも、時々「すごくうまくいく」ときがある。安く、おいしく、簡単で、何度も再現できるぐらい失敗率が低い。この4つがそろっているパターンだ。

 材料は3つ。
 皮むきの甘栗の袋
 砂糖
 生クリーム。

 甘栗については、昭和の頃から中国の「天津甘栗」というのが売られていたぐらいであるから、もう国産のこだわりは捨てる。100均の120グラムのものを利用。栗の料理が全体的に大変なのは、皮がついているからであって、皮さえなければ勝ったも同然ともいう。

 砂糖。私は黒い砂糖を使った。夏にところてんにかけたり、黒糖ゼリーを作った残り。かたまっていなくて、粉砕されているもの。

 生クリーム。ただし、私が使ったのは植物性の180ml150円ぐらいの。100mlぐらい昨夜のポタージュに入れちゃった残り。
 多分乳脂肪が入っているのを使うと味のグレードが上がるが、値段も上がるということは忘れずに。
 
 レシピは、いうほどでもない。
 栗と、生クリームをフードプロセッサーにかけて、薄茶色のクリーム状にしたあと、砂糖をかけて混ぜながら食べる。

 息子が「アイスにのせたい…」とつぶやいていたが、そういう味だ。
 アイスクリームにのせて、上からこのクリームを乗せ、黒砂糖をふりかけたら絶対和風パフェの味になると思う。

 栗を2袋240グラムと、生クリーム1パック丸ごと使えば倍出来そうだが、お値段は350円ぐらい。かなりの量になると思う。
 栗120gと、生クリーム大体半分で、小鉢に4杯分あった。

 ケーキや、クラッカーにのせてもおいしいと思う。ただ、生クリームが多いので日持ちはしない。

 いやあ、しかしおいしかった。
 黒砂糖のコクがあるのもよかったが、薄甘いのがいいという人は砂糖をかけなくても。
 夫がコーヒーと一緒に食べるとお店のみたいだ、と言っていた。
 つまりモンブランの上だけともいう。

  アメリカで食べたらおいしかっただろう…と思ったけど、アメリカには甘栗は売ってないな…。
 100均の甘栗がすぐ買えるからこそのレシピだなあ。昭和の頃にはまず、皮のない甘栗がないんだもん。
 生の栗を蒸してから、スプーンで中身を抜く作業を手伝ったことがある。時々虫が出てきて、ぎゃーってなるの。
 そういう苦労なしに、ぱっと出来るのがいいよね。

ただし、このお菓子は作ってすぐ食べる方がいい。常温の甘栗と、冷蔵庫温度のクリームで作る温度が美味しい。冷蔵庫に入れて冷やしてしまうと固くなって、くちどけが悪くなり、食べられないほど不味くはないが、それほどおいしくもない状態になってしまう。念のため、電子レンジにかけてちょっと温めてから食べるのも試したが、冷たくて硬いのよりはあったかいほうがおいしかった。たくさん作って冷蔵庫に入れて取っておくときは食べる前にちょっと温めるほうがおすすめ。

マザーグースの文庫本

 

いくつぐらいの時だっただろう、講談社文庫のマザーグースの本を買ったのは。
 表紙を見てもわかる通り、絵がかわいい。4冊あったので、1冊ずつ時間をかけて買った。楽譜と元の英語の詩と解説が本の後ろの方にのっているが、最初の方はテーマ別に、日本語訳だけが載っているので、絵本みたいな文字の量。

中のイラストは白黒の線画なのだけれど、暇にあかして色鉛筆で彩色して遊んだ覚えがある。
 色鉛筆じゃなくてクーピーだったような気がするから、小学生だったかも?というぐらい昔だ。いや、それとも中学生だったのかなあ。時々ちまちま塗って、詩を繰り返し読んだ。英米文学…とまではいかないが、アメリカヨーロッパの翻訳の物語が好きだったので、文化として、みんなが知っている常識としてこのあたりは押さえておくべき…というのはなんとなくわかっていた。

 大好きな「秘密の花園」の主人公のメアリは「つむじまがりのメアリ―」なんてからかわれるのだが、それがこのマザーグースの中の、「Mary Contrary」だとか、「大草原の小さな家」のシリーズの冬の描写で窓ガラスに美しい模様を書くのは「霜のジャック」だが、それもこの中の「Jack Frost」だとか、ちょっぴり出てくるときに「ああ、あれか」とわかるかどうか…というのは結構面白いことだった。

 本の注を頼りに、マザーグースの歌のハードカバー版にたどり着き、そのあと大型書店でこの文庫版を発見した。
 アメリカにいたころ、大型台風が来た時、庭の木が倒れてドアが開かなくなったらと思って斧を買ったという、本人にもなぜ買ったのかわからないという笑い話を友達に聞いたときは、リジー・ボーデンか!とツッコめたのはひとえにこの本のおかげであろう。
 (注:リジー・ボーデンとは、斧で家族をめった打ちにして殺した実在らしいという人物。詩になっている)
からかい歌やはやし言葉、言いまわしや、ことわざ。日本でいうと「どんぶらこ」が桃の流れる音であるとか、「犬も歩けば棒にあたる」とか、「まんじゅうこわい」とか、または「布団がふっとんだ」みたいなことを知っているかどうかだと思えば大体わかると思う。

 本職が英米文学の研究という人ではなく、詩人の谷川俊太郎さんが訳しているのでリズムよく雰囲気楽しく、そして昔はそれほど読めなかったけど、今英語版も文章で読むと、「確かにこうにしかならない」よねという訳だと思う。うまいなあ。この際だからと思って4冊いっぺんに手に入れた。

 クリスマスの12日の歌は、息子が小さいころにはこのシーズンよく流した。久しぶりにその歌を読んだ後にちょっと歌っていたら、息子が乱入。おおぅ、まだ歌えるのか。…と思ったら半分ぐらいは正規の詩のほうじゃなくてセサミストリートのパロディの方だった。混ざる混ざる!!

 最後がクッキーなのはクッキーモンスターが歌っていたからで、本物の方は梨の木にとまるヤマウズラなんだけど!ほかにも、息子が小さかったときに英語の歌としてかけた曲がずいぶんあった。読んだ時期と、歌を聞いた時期がずれているのでなんとなくつながっていない。

  「これはその おうこくのかぎ」
 日本語の方を読むと詩が頭に響く。この詩はクリスマスの12日と同じで1行ずつ増えていく詩で、好きだったなあ。今でも覚えているかな…と思ってやってみたら記憶していた。今やったら、そんなことできそうな感じはしないので、子どもの時の記憶力、おそるべし。

 日本ではやらないけど、英語圏、フランス語圏では詩の暗唱というのは国語の時間の課題としてやるらしいんだよね。ちょっとあこがれたものだった。英語の詩なんか読めもしないころだったけどさ!あ、でも日本でも古典の最初の方の暗唱はやるなあ。こないだ息子が「ぎおんしょーじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのーぅ」とがんばっていた。「おかーさん、しょぎょうむじょうってなに?」とかなってたけど。
 
 わけがわからなくても暗唱するというのは、大人になってから考えると割と面白くていいかもしれない。

本の補修をする

 古い文庫本を買い直すと気になったので、本の補修のことを書いた本を読んだ。
 中学生の頃は本はいつかお金が稼げるようになったら、買い直せばいい。そう思っていた。なんとなく名作の訳というのはそのままだろうと思っていたわけだ。
 ところが、中年極める年になってくると各種名作本が改訳になって、どんどん古いのがなくなっているではないか。そりゃそうだ、私が中学生の頃だって昭和30年代の訳は古いというので改訳版が出ていたのだ、今だって出て当然だろうと今ならわかる。

 こだわらずに今の訳を読むか、ぐだぐだ言わずに原文を読めばいいと言ってしまえばそこまでだが、この場合「ノスタルジックバリュー」、つまり「懐かし補正」があるため、当時の訳が読みたかったりするんだな…。というわけで古い文庫本が市場に出ているのを読むことになるわけだ。

 ほかにも、絶版になった文庫本で、気に入っているがライトノベルとかでどうも再販は無理そうなものとか、レーベルごともうないのよ、というものだとかもあるのでそれも。

 文庫本の表紙を取ってしまって、改めて見返しなどを貼りつけて、厚手の板紙を布などでくるんで表紙を作成して合体させるというのは意外と手間がかかる。それと文庫本ならではの軽くて気楽な感じがしなくなるのが惜しくて、悩んでいた時にこれを読んだ。
 この本では、たとえば一番上にかけてあるカバー(正式名称は「ジャケット」らしい)がまだあるが、破れているとか、本の入っている箱が傷んでいるなら…とか、例えば裏から紙を貼るとか、補強するとか…というような修理のことがたくさん書いてあった。
 
 これは当時の私の悪い癖なのだけれど、本のカバーがぴらぴらするのが嫌いで、売っているときのジャケットは叩き捨てていることが多かったとか(ブックカバーはがっちりとはめて、動かないようにしてあった)、しおりの紐(これの正式名称は「スピン」らしい)も何となく邪魔で、引っこ抜いていたとか、つまり当時の本が手元にあったら、相当ひどい状態になっているだろうと思う。そういう本でも流通していたらこうやって直せ、ということなんだねということがわかった。

 不思議なことに、今はそれほどジャケットは捨てたいと思わない。そしてスピンがある本は割と好きだ。まあ、あの紐はもうちょっとしっかりして、先がボサボサにならないのがいいとは思うけれども。大人になる過程で好みが変わるというのはあるんだな。

 古い文庫本のカバーの後ろに、薄めたボンドを刷毛で塗って、紙を貼りなおすと、なるほど、背表紙のてっぺんの破れたあたりがしっかりして、気にならなくなる。そして文庫本の気軽さはそのままだ。
 こういう直し方もいい。

 折れたページの隅を直して、この間刷ったしおりを挟んで。そう…折れたページというのはそのままにしておかず、きれいにのばしておけばそのうちちょっとはマシになる。

 やまと糊なんて、前に使ったのはいつだろう、ほんと。
 あんまり強すぎる糊じゃないほうがいいらしいので、木工用ボンドか、特に中のページにはでんぷん糊がいいらしい。

 ヤマト糊の、青いパッケージに黄色のふたが、懐かしい。私が小学生の頃には、容器の横に糊用のへらが装着出来るようになっているタイプのがいいということになっていたが、今はフタの裏につくようになっていた。これのフタが固くて、ちゃんとパチンと閉められないことがあったなんて、信じられない(3、4歳?)。斜めになって、ちゃんと閉じていないと糊が固まってしまうんだよね。
 近所には「フエキのり」という黄色いパッケージのもあった。これも見たことあるなあ…。
 そして、黄色い犬の顔に赤い帽子の「どうぶつのり」が。これに、ピンクで青の帽子だったかな?ウサギちゃんも昔いたんだよね。当時の生協で扱っていて、ゾウ、うさぎ、イヌの3つセットだったのだけれど、姉とウサギをとりあってじゃんけんして、まけてこのイヌを使った覚えがある。詰め替え用の糊を足してもらっていた。

 当時は、後ろのところに四角い穴をあけると「ちょきんばこにもなります」って書いてあって、それがやりたくて仕方がなかった。もちろん「のり」として使っている間はそんなことをするわけにはいかないから、果たせずして大人になったけれども。
 そして現行のどうぶつのりの後ろにも、その貯金箱用きりとり部分がわかるようになっていた。

どうぶつ糊にするかな!そして今度こそ、貯金箱にしてみようか…。そうだ、子ども用の工作本に、この糊のケースの貯金箱の口と、底をぬいて、上からつるす紐を通して、底にはハンガーをぶらさげて袋を周りに縫い付け、「パジャマいれ」にするというのがあった。

 昔はパジャマを毎日洗濯しなかったんだよ!!特に涼しいシーズンは。
 そして脱いだパジャマはそういう袋にいれて、ベッドわきにつるしておきましょう、というそういう道具だった。
 今は洗濯機の容量が上がったから、パジャマも毎日洗濯だけど。
 そんなことを思いながら、ホームセンターを後にした。

 ちょっとした手作業が心を明るくしてくれる気がする。
 ボロボロの本でも直せる。そう考えると、オークションや、古本屋や、メルカリの本もどんとこい。
 しばらく工作ブームの予定。

 

続あしながおじさん 訳が違う?

 ジーン・ウェブスターの「あしながおじさん」は名作で、第二次世界大戦の前から訳された本があったのだそう。知名度が高く、90年代にはアニメの名作劇場にもなったぐらい。1冊で終わる本で、それほど分厚くはない。

 「続あしながおじさん」という題名で出ている本は、はっきりとした続編ではなく、今風に言うなら「スピンオフ」作品で、1巻目の主人公の友達だった人が主人公になる。2巻目の主人公であるサリーが、1巻目の主人公であるジュディに手紙を書くことが多いので、ジュディがどうしているかということがうっすらわかるのだが、ストーリーとしての続きではないので、実は中学生の頃ぐらいまではあんまり好きではなかった。

 本を買った時、私は中高生。サリーは社会人なので、子どもの頃は深くは共感できなかったので愛読書として集めていた「世界名作文庫」風のラインナップの中では「二軍」扱い。一人暮らしを始めたときも、家に置き去りにしていった。

 時は過ぎて大人になってから読むと、実はこの続あしながおじさん、かなり面白い。
 ただ、いつでも読めるからと思ってそのままにしていたのを、この度買おうと思ったら、ないんだな…。私が読んでいた訳は角川文庫だったのはわかったのだが、現在角川文庫では絶版のよう。
 新潮版は新訳が出ていて、古いほうも割とネットの古本市場に出ていたが角川文庫はなぜか払底していて、めちゃくちゃ古い、昭和30年代のものが1000円ぐらいする始末。

 しょうがないので図書館で岩波少年文庫の古い遠藤寿子さん訳、新潮の旧訳の松本恵子さん訳、それから角川の村岡花子/町田日出子さん訳を借りてきて読み比べてみた。多分このうちのどれかのはず。
 なのに、どれも違う気がする…。角川の訳はすごく近い気がするが、いろいろなところが違う。ドクターを「がんこ先生」と呼ぶのだが、私が昔読んだ訳では「頑固一徹様」と呼んでいたはずだ。

 図書館の角川文庫は平成2年の本で、表紙が世界名作劇場のアニメ絵。
 これは多分、あしながおじさんがアニメになった時に、ばーーっと売れたから刷ったのだろう。
 私が読んでいたのはこの1990年版より前なので、この版ではないはずだ。
 1990年(=平成2年)版の奥付は

  昭和三十四年十一月十日初版発行
  平成二年四月十五日 三十六版発行

こうなっている。…この表記から行くと、一度も版が変わっていないみたいに見えるんだけど、じゃあ、私が読んだ訳はどこのだったんだろう?読む回数が少なかったからどれかと混ざっているのかなあ…と思って、いろいろ探してみたけれど、どうもはっきりしない。

 実家に問い合わせたら、色褪せた文庫本がまだ残っているということだったので、取りに行った。
 コロナのこともあるので、あんまり長時間顔を合わせないようにして、動作がよくないというPCを引き取り、お土産などを渡して、本をもらって帰ってきた。

 帰ってきて読んでみたら、やっぱり違う。1行あたりの文字数も、1ページ当たりの行数も私の持っていた本のほうが多い。
 そして昭和五十八年 十月三十日 三十五版、つまり一回分、古かった。
 1版分進むのに7年かかっている計算だ。案外長い。
 
 ドクターへの手紙のあて名は古いほうの版は「頑固一徹様」だったし、漢字の送り仮名がちょっと違ったり、新しい版では漢字じゃなくてひらがなになっていたり。
 訳も似ているようで少しずつ「今風」に改訳されているのが読み比べるとよくわかった。

 多分アニメ化と同時に新訳と書くほどではなくても、改訳したんだろうな。しかしそういうことは奥付に書いておいてくれればいいのにねえ。

 表紙をめくったところに、頭文字と番号が書いてある。「M21」だって。私の名作文庫の21番ということだったのだろう。なんだかちょっとこっぱずかしいなこれ。
 そして一番最後のページに走り書きっぽいローマ字のサインと、小口に消しゴムハンコのイニシャルが。
 うわー。なんかこう、昔の作文とか日記帳が出てきたみたいな「ぎゃー」な感じ。

 でも21冊もあったんだっけ?多分この本は大分後の方の番号だと思うけど。結局お気に入りは持ち歩くうちに散逸して、二軍の本が残っているのは皮肉だ。この本は、今私の部屋にある本の中で一番古い本かもしれない。

 懐かしい本。特に手に入りにくい本が残っていたのはよかった。ほかのは古本屋さんで案外廉価に買えるのも多い。

 ふと思い出した。確か、「あしながおじさん」が角川文庫だったので、続編も角川がいいと思ったら、自転車でいける範囲の本屋さんには新潮文庫しかなかったので、電車にのって大型書店まで行って、親に呆れられたっけ。行っといてよかった、当時の自分GJ!

近くで見てたら、面白かっただろうなあ

 アメリカ大統領選挙で、バイデンが当確か、というような話が出ていた時に、トランプ側の記者会見が行われるという話があった。それが、Four Seasonsという名前の場所で、フィラデルフィアにあるらしい、というのはまあ、別に…というぐらいだった。Four Seasons Hotelという大変豪華なホテルがその街にあったのだとか。

 それだけなら別に意外性はない。豪華ホテルで成金ぽいトランプが記者会見というのはいかにもありそうなことに思える。

ところが、この話はそこで終わったのではなくて、実はそのFour Seasonsの名前には続きがあって、会場予約されたのはFour seasons total landscapingという会社の駐車場だという話になった。
 多分、連絡先を調べて、電話を掛けたのだろう。

 そちらを記者会見に借りたいのですが、と。会場の広さはこのぐらいの大きさで、何人ぐらいが来ますが、可能ですか、なんて。
 造園業者というのは、でっかい植木とかも世話してくれるところで、植木鉢とかプランタのようなものから、噴水やスプリンクラーなんかも扱っているのではないかな。アメリカはそういうのに本気を出す人が多いので、多分ガラス張りの小さめの温室だとか、ウッドデッキなんかも、それからただの平地で何にもないところにいきなり植物園の外苑みたいなものまでこしらえてしまう金持ちもいたりすることを考えると、相当の面積と、ストックがいる。そんなわけで郊外にあるわけだ。町中からちょっと車で走ったところにあることが多くて、たとえばハロウィンのカボチャとか、冬のクリスマスツリーなんていうのも道路沿いで売っていたりする。

 そんなところでいきなり記者会見と言われても。造園業者さんは「ほんとにうちですか?いや、広さはありますけど、いいんですか?」と絶対聞き返したと思う。もちろんだよ、他に誰かが予約でも?いえいえ、それはないですけれども!みたいな会話も交わされたかもしれない。どこのだれが郊外の駐車場で集会をやるというんだ、埋まっているわけはない。

 そんなわけで中止ともいかず、他の会場も押さえられず、本当に造園業者の駐車場で会見になったのだとか。前代未聞だ。
 そして、アメリカの場合、街の中に作ってはいけないだったか、小学校とかの未成年の使う施設の何マイル以内に作っちゃダメだったか…という規制のあるショップがある。銃を売る店とか、アダルトグッズを売る店とかがそう(州によって違う)。そんなわけで駐車場のお隣はアダルトグッズのお店で、なおかつすごく近くに火葬場があったらしい。

 トランプ本人は来なかったそうだが、これ、絶対地元の人は爆笑だったと思う。
 Lawn and Order -Make America Rake Againと書いたTシャツなんか作って、ジョークとして売り出した人がいたんだって。
ちなみにLaw and Order(法と秩序)というのは、アメリカのドキュメンタリー系の番組で、今まで起きた犯罪や事件をどうやって解決したか、なんていうことを再現ドラマつきで解説する番組。CMになる前とCMから番組に戻る時に、2小節ぐらいのサウンドロゴと、低い声でLaw and Orderという声優さんのセリフが出るのが特徴で、何年も同じサウンドロゴを使っているため、ほとんどの人がそれを頭に思い浮かべることが出来るような有名なもので、私もわかるので、そのTシャツの写真を見たときに再生されてしまったぐらい。
 日本でいうと、何にあたるんだろう…。ラジオ体操の歌とか、金曜ロードショーのテーマぐらいの知名度があると思う。
 芝と秩序を!熊手を手に取れアメリカ人よ!
 アメリカを再び耕せ…ってか。誰が考えたのか知らないけど、こういうことは考えつく人がすごい。

 この造園業者さんで電話を取って予約を受け付けた人のインタビューってないのかなあ…と思ったらあった。
 読んだらわかったのは、これは「間違い」とか「事故」ではなくて、トランプ陣営の事務所の場所が近かったのと、近くの駐車場が幹線道路に乗り入れになっているので便利だと思われて予約したという話だった。

 えー。そうなの?なんか思ったよりは面白くない話だった。別にトランプびいきでもなく、どっちの陣営でも受け入れたと思う、と言っていた。ただ、偶然にしちゃあ、あまりな名前の一致だったので、面白い話として解釈されて広がったということのよう。無理もないわーとは思う。

 Tシャツとかのグッズがめちゃくちゃ売れて、ついでに造園業者さんの名前も売れたらしいけどね。
 ちなみにインタビューは【ここ】にあった(英文)。真相は想像よりは面白くなかったが、このあたり秀逸なアメリカンジョークとして語り継がれそうな気がする。

はじめてのミンスパイ

 英米の物語によく出てくる、「ミンス・パイ」。おいしいものらしい。「とてもおいしいミンスパイが焼ける」というのは、いい奥さんになれそうだ、ということとか、お料理が上手だということなどと同義に扱われている感じだった。
 何が入っているかというと、「ミンスミート」というものが中に入っているという、どうにもヒントにならない話で、子どもの頃から各種訳注を読んできたが、どうも干し果物、特に干しブドウが入っているということ。ブランデーが入っているらしいこと、瓶に貯蔵する保存の効くものであること…ぐらいまではどの注にもあったのだが、牛脂が入っているとか、ひき肉が入っている?みたいな注も読んだことがあるぐらいで、味がどうにも想像がつかない。くず肉とか牛脂を挽いて、混ぜる?干しあんずに、干しブドウに、ブランデー?ウィスキー、スパイス…??どれが正しいのかいまいちわかりづらい。なんせ昭和20年系の訳もあったからね…。訳している人にももちろん未知の食べ物だったりしたのだろう。クロテッドクリームなんて「クリームの塊」と訳してあったりしたし、ミンスミートのミートがmeatだということを考えれば、肉がちらついても不思議ではない。

 この「ミンスミート」というものを中に入れたというパイ、この令和の今になっても、あんまり日本じゃ見ない。
 フルーツケーキだとか、シュトーレンだとか、ショートブレッドだとか、クロテッドクリームだとか、ジンジャーブレッドなんかは大人になる過程で案外手に入れる機会があって、謎は解けたのだが、このミンスパイはまだ未体験だった。
 

それが、みよ、この箱を!この箱は通りがかりの成城石井にあった。
 大体このシーズンにはクリスマスめいたものを売るので、チョコレートのアドベントカレンダーなんか、ないかなあと思って入って見つけた。
 速攻買った。ホームメイドのアップルパイと、箱入りのアップルパイの共通点のことを考えれば、この箱入りミンスパイがある程度ホームメイドのミンスパイの雰囲気を伝えてくれるだろう。

 家に帰って紅茶をいれて、レンジでちょっとあっためて(そっちの方がおいしいと書いてあった)食べてみた。
 フルーツケーキの味だ。洋酒とドライフルーツを入れて作った、濃いめの味。ケーキと違ってねっとりしているが、基本そういう味。なるほど…。こういうねっとりしたケーキ、食べたことある気がする。干しブドウがいっぱい入っている。

 濃厚で、あんまりたくさんは食べられないなあ。こんなもの3切れ食べたとか、パイ皿のサイズによるだろうけど、どんだけ!トライしてみてよかった。今度からミンスパイと書いてあったらこういう味が頭に浮かぶようになるはず!
 9個入りだったのだけれど、個包装ではなかったのでラップで1つずつくるんで冷蔵庫に。早めに食べよう。

 

「ローズの幸福」「ローズの季節」

 

「若草物語」を書いたオルコットが書いた2部作、「八人のいとこ」と「花ざかりのローズ」。私が昔もっていた角川文庫版はそういう題名だったが、今回紹介する岩崎書店の世界少女名作全集では「ローズの季節」(これが八人のいとこ)と「ローズの幸福」(これが続編)。

 この「ローズの季節」というのが続編の方の原題、「Rose in bloom」という題名に似ている気がしたので、てっきり続編だと思ってネットの古本屋で買ったら、なんとこっちが最初の1巻、つまり「八人のいとこ」のほうだった。まぎらわしいったらない。
 大体この全集を全部そろえることを想定しているんだろうから、全集の巻数番号が「ローズの季節」が8、「ローズの幸福」が16なのに気づいておくべきだった。

 ええ、もうこうなったら…と思って「ローズの幸福」の方も買おうと思ったら「季節」のほうはカバーなし300円だったのに、「幸福」のほうは1500円越え。まあ続編の方が高いのはよくあることだし、この物語は1巻のほうが面白く、なおかつちゃんと締めくくりがついて終わっているから続巻のほうが出た冊数が少ないらしく、手に入れにくい。

 ローズの幸福(続巻)はずいぶんきれいな本で、高いのもやむなし。
 そして300円の「ローズの季節」の方は、小口に名前がボールペンで書いてあった。わはは、なるほど、これは300円でしょうがないだろう。これは多分リサイクルショップに買取に出すと、値段がつきませんと言われてただでよければ引き取りますになっちゃうタイプだとみたね。あのやり方は本当にひどいと思うけれど、こうして安く本がうちへ来てくれることがあると、うれしいのだから現金なものだ。

 そしてその小口の字がかなり汚いのもちょっとかわいい。小口のギザギザしたところへボールペンみたいなかすれやすいもので名前を書くのだもの、しょうがないとは思うけどもうちょっとなんとかならんかったのか(笑)。
 ついでにいうと、名前が上から下に縦に書いてあるのだけれど、




みたいに名前が上なのはなぜだ。流行ってたのか?

 裏の見返しに「S.48.01.23」と日付が入っていて、「友 佐藤 鈴木 たん生日プレゼント」と。(名前と日付は変えておいた)
 「たん」がひらがななので、多分小学校の高学年だろうなあ。お友達が2人でお金を出し合って、お誕生日にプレゼントしてくれたのだろう。ハードカバーの本だし昭和48年の480円と言えば、今でいうと1500円ぐらい?もっとか?ひと月分の6年生のおこづかいだとしてもおかしくない額だと思う。

 誰かのお誕生日の贈り物だった本。なんだか幸せが詰まっている気がする。
 今日は私の誕生日じゃないけれど、この本を初めて読むつもりになって読んでみようと思う。
 
 面白かったのは「ローズの幸福」の巻末の広告。20巻もののジュニア・ベスト・ノベルズなのだけれど、ほとんどわからなかった。

 1 ピーター空を飛ぶ W.P.デュボア作/白木茂訳
 2 鐘楼を守る少年  P.J.ボンゾン作/末永氷海子訳
 3 ローマ帝国の黄金 P.カポーン作/福島正実訳
 4 南海のサンゴ礁 C.ノードルホフ作/土居耕訳
 5 グライダーの少女 H.シュマヘロパー作/平賀悦子訳
 6 白夜の少年兵 K.ショーデルヘルム作/鈴木徹郎訳
 7 天井が落ちた日 J.ウェイン作/中山知子訳
 8 ウェイランドの古城 A.ブル作/内田庶
 9 谷間の呼び声 G.エイバリ作/塩谷太郎訳
 10 黒い牡牛 J.デニス作 /白木茂訳
 11 天使の洞くつの秘密 G.ハウスホールド作/前田三恵子訳
 12 恐怖の地滑り V.デイ作/三輪宣子訳
 13 シラカバ屋敷の少女 L.M.モンゴメリー作/田中とき子訳
 14 われらがジェニングス A.パッカリッジ作/小野芙佐訳
 15 ねらわれたスミス L.ガーフィールド作/亀山龍樹訳
 16 残された人びと A. ケイ作/内田庶訳
 17 ジョニイの奇妙な冒険 C.フィッシャー作/亀山龍樹訳
 18 栄光のポンコツ車 B.カーター作/斎藤伯好訳
 19 サミー南へいく W.H.キャナウェイ作/中尾明訳
 20 火の戦士 J.キェルガード作/福島正実訳

 モンゴメリは大体全部読んでいるはずなんだけど、「しらかば屋敷」は誰だ。パット?ジェーン?多分パット。あとは「残された人びと」は「未来少年コナン」の原作で、読んだことがあるのでわかるけれど、残りの18冊ははどれも全然知らない本。
 もしかしたらどれも未読かもしれない。
 あと、どれも翻訳物なので題名が今ポピュラーなものと違うのがありそう。

 しかし当時「ベスト・ノベルズ」なんていう題名で発行される全集でここまでわからないってのもねえ。
 探して読みたい本がどんどん増えていくなあ。

高慢と偏見

高慢と偏見、ずいぶん昔に読み始めて挫折していたのを、ついに読了。最近文通している人の愛読書だという話で、その話題になったので、これを機会にちゃんと読もう…と思って、図書館で借りてきて読んだ。

 俗物な母親と、おっとり長女、しっかりものの次女、きゃぴきゃぴの五女、五女の影ともいうべき四女。そして事なかれ主義のお父さんがいい味出していて、面白かった。なんていうか、連続ドラマになりそうな本。大して大事件が起こるでもないのだが、それをこういうドラマにして、ついでに5人のうち、3人が関係者と結婚するという、当時家からあまり出なかった、そして兄弟姉妹が多かった時代に、家に一冊あれば、さぞかしみんなに人気があって、いつかこんな話がうちにも…と思った娘さんたちも多かっただろうなあ、という本だった。

 前段落で三女について、私が書かなかったのに気づいた人があっただろうか。
 三女は、ものすごく目立たないんだよね…。なんていうかもう最初から勝負にも乗れていない。理由は見かけが悪いから。もうそれだけで二軍以下の扱い。これはなかなかにつらい感じだった。そういう時代だったとはいえ、三女に自分の身をなぞらえた人もいたかと思うと、悲しくなるような扱いだった。

 そして女の子「でも」自分の意見や仕事があるのが当然という育てられ方をした現代の時代の女性には共感できるのは多分、次女のエリザベスだけだと思う。女性は不動産を持てない時代で、財産は親がよこす相続財産のみ。自分にその相続財産がいくらという値札が付いている。それ以上のものが手に入れたければ、結婚相手にその値札が高い人か、財産が相続できる嗣子を選ぶ(か選んでもらう)しかないというのが、もうね…。

 せちがらいなあ。と思いながら読んだ。

 図書館で借りた名作全集の中の1冊だったのだけれど、興ざめだったのが、前に読んだ人がここは誤訳だと思ったところに鉛筆でそれを書き込んでいたところ。図書館の本に落書きをするな!!
 意味が通らないほどの誤訳じゃない。おめでたいことの時は「おすそ分け」ではなく「お福分け」という言い方をする人があるのは知っているけれど、わざわざプロの翻訳家の訳を直すほどのこと?自分の本でもないのに、それも図書館の本に。
「図書館の本は大事にしましょう」のほうが基本だと思う。間違えているのはどっちなんだか、ほんとに。
 本当に直したいなら、自分で本を買って、好きなだけ書き込めばいいのだ。図書館の本にやってはいけない。

 幸い、インクで書き込みを入れるほど非常識ではなかったとみえ、鉛筆の書き込みだったので、消しておいた。

授業参観

 子どもの学校の授業参観と、学年懇談、クラス懇談、個人懇談。
 今年はコロナでやらないのかと思っていた。毎年なら2度だか3度だかある懇親会も全部中止だと聞いていたし、運動会は中止、文化祭は学生だけで保護者は呼ばずに行い、キリスト教系の学校なのだけれど礼拝も放送に切り替えだし、つまり各種行事は全部ないも同然だったので、まあ、授業参観なんかなくなっても当然と言えば当然といえた。

…と思っていたら、やることになったと連絡が入ったのが先月。個人懇談は希望者だけだが、私のところは希望することにして、学校まで出かけることになった。

 息子の通学時間は長い。かなり遠い学校なので、息子が行きたいと言い出した時は遠いからやめておいたら?と言ったぐらいの学校だが、本人が絶対そこがいいというので、通う本人の希望を通した形になった。
 私が行ったら、遠いのなんのって。そして駅から結構坂道。山奥とまではいわないが、息子によると、時々虫が入ってくるとか。

 学校に着いたら、熱を測って名札をつけ、学校内へ。
 教室の場所がわからず往生する。

 さすが私立。吹き抜けとか、ホールとか、オープンテラスとか、礼拝堂とか、謎の小部屋とか、構造が複雑!
 例えばこないだまで通っていた息子の小学校なんか、単純だった。東校舎と西校舎があって、それが全階で渡り廊下でつながっているという形になっていただけ。

 私が昔通っていた高校はコの字に近い形だった。3階しかない校舎と4階まである校舎があったが、つながっているところははっきりと「廊下」としての機能しかないことがわかる作りで、見ただけでどの階もこうなっているのだろうと推察できるような造りだった。

 それが息子の学校は、もう…いけそうでも半地下の階はつながっていない(1つ階段を上がればつながっている)とか、2、3階がぶち抜きになっていて、1階はラウンジみたいになっていて、横切れるけど3階はつまりそこは空中なので通れなかったりして、大回りしないとだめとか、ややこしいったらない。
 特別教室は高校生と共有なので、入学式の時には入ったこともない棟まで行かなくてはならなかったのも敗因か…。方向音痴の本領発揮で、どうしようかと思った。

 授業参観のあとの学年懇談はホールで、と書いてあるけど、ホールが2つ…?結局人に聞きながら行くしかなかった。2つのホールは見取り図上では両方「ホール」だけれども、一つは高校が使っているホールで、中学校で「ホール」といったらこっちなんだとか、わかるわけないからー!

 そのあと、息子のホームルームまで戻って、クラス懇談。35人のクラスで、20人ぐらいは参加があった。これは中学の懇談会にしては多い参加じゃないだろうか。クラスの現状は特に問題なさそうで、みんな楽しくやっているらしい。
 文化祭の時のクラス写真などを見せてもらい、15分ほどで解散。

 そのあと、個人懇談。ひとり10分ぐらいということだったのだけれど、私の順番は8番。

つまり70分待ち。しょうがないから、廊下で同じように待っている人としゃべりながら待つ。
 すでに4時半。話を聞くと、2県ぐらいまたいで通っている人が案外多い。この学校は進学校ではなく、「特色ある学校」なので、どうしてもここがいいという人がいるからか、すごく長いと思っていた息子の通学時間もちょっと長いかな?ぐらいなのだということがわかった。学校がまた、田舎の山の上にあるからなんだろうけど、つまり都会とか、中規模都市の便利なあたりに住んでいると、「全員遠い」になってしまうということらしい。

 行先だけは見たことがある電車でまず終点まで行き、それから路線を乗り換えてさらに10分。お弁当は朝4時半に起きて作っているとか聞くと5時半すぎで文句言っている場合じゃないな。
 
 そして懇談が長引くことったら!こんな長い10分、初めて見た、というぐらい。
 そりゃね…みんな1時間半とかかけて、ここまでもう一回来たくないよね?そして学校…特に私立の学校というところは、いろいろなことをなるべく学校内で済ませるところであって、よっぽど問題がない限り家には電話がかかってこない。学校での様子を先生から聞き出そうと思ったら、こうやって個人懇談をやるしかないわけだ。子供たちも、もう素直にべらべらしゃべってくれる年齢でもないしね。

 わかる、わかるんだけど…。
 1番、2番、3番…と進んでいくけどどの人も時間が10分より大幅超過。
 特に先生も切り上げ具合がうまくないらしく、隣のクラスの8番めの人が入っていった時、うちはまだ5番の人がしゃべっているぐらい。

 7番目の人が入った時にはもう真っ暗だし、教室の窓から漏れる明かりだけで廊下の照明はオフ。だんだん寒くなってくる。
 腰にカイロを念のため貼ってきた私、グッジョブ…と思いながら待つ。

 やっと自分の番が回ってきて、先生に大まかな話を聞き、まあちょっと授業態度がだらだらしていることを除けば、クラスメイトとも仲良くやっているらしいという話で、こないだあまりにも態度が悪いので呼びつけられて個別指導をくらってからは(初耳)、先生の気配を感じるとちょっと取り繕うぐらいにはなっているそう。

 ただ、態度が悪い割には、テストの成績は結構いい点数をたたき出すので、実力はそれなりにある、という評価だった。まあね…家で夫がうるさく見ているからね。点数がいいのは息子のというより、夫の功績だろう。
 家で勉強を見ているというのはばらしておいた。

 懇談が終わったらもう7時のほうが近いぐらい。校舎から出るのに、「そこを左に曲がって、階段を下りてください」と言われて、階段を下りたら、行きたい方角がいきなり締め切り。もしや…と思って、階段を2階分おりたのをもう1階上がってからみたら、廊下がちょうど、玄関ホールの2階に着くように伸びていた。

 真っ暗で非常灯しかついていない校舎の中を歩くって怖いね!よかった、すぐ出口が見つかって。
 学校から駅までがまた、田舎で建物が少ない。うすら寂しい道なんだよねえ…。多分下校時刻にみんなでぞろぞろ通ればなんでもないんだろうけど。

 朝早くに夕飯は作って冷蔵庫にいれてあったので、連絡して夫と息子には先に食べてもらって、片付けもある程度してくれるというので頼んで、私は乗換駅でうどんを食べて、家についたら8時。お風呂に入って、やれやれ…となった。片づけの残りをやって、落ち着いたら、もう次の日のお弁当の準備をして、就寝。

 昨今コロナで全然でかけていなかったので、これもお出かけと言えばお出かけだろうか。
 ええ、心行くまで外出したといえばした。もうしばらくいいや。
 来年は一度に全部はやらなくていい。2度ぐらいにわかれているといいんだけどねえ…。

 ちゃんと行ったぞ、ということでブログで記録に残しておく。
 

岡村靖幸さんの曲

 息子が大音量でリビングのスピーカーから流している音楽が、鼻につく。ボーカロイドの曲というのは、あんまり同じ曲を何度も流されるとちょっと疲れてくる気がする。それと、パロディだかなんだかのふざけた曲もだ。なんだよ、その歌詞!繰り返しが多すぎだから!ついでにちょっと下品だ、というものもある。本当にどこでそんなの拾ってくるんだよ…。

 とはいえ、私がBGMチックなものをかけているとすぐ、息子が音楽を変更してしまう。私が気分よく聴けて、なおかつ息子が「こんな古いのダメだ」と思わないぐらいとなるとどれだろう。
 息子の好みはイマイチはっきりしなくて、アカペラの男性4人ぐらいので歌うタイプのは意外といけるのはわかっているけれども、最近新しいのを手に入れていない。久しぶりにCDを保管しているファイルを開けてみた。

 岡村靖幸さんのCDが数枚入っているのが目についた。あ、この人最近どうしてるんだろう?
 最後にチェックしたのは多分、2003年から2005年ぐらいだと思う。

 スマホの音楽サービスから、聞けるかな…と思って検索したら、Spotifyのサービスに多分全アルバム分、ある感じだ。(私の持っているCDは全部あった)ランダムでガンガン再生した。

 歌はうまいし、曲は本人のオリジナル。まあ、この人が好きではない人に言わせると、歌詞が聞き取りにくいらしいが、それもまたよし…。気分良く家事をしていると息子が帰ってきた。

 数曲聞いて、「おかーさん、この人誰」と聞かれた。自分がプレイリストに入れているアーティストじゃないのはわかったのだろう。これは岡村靖幸さんというアーティストで、おかーさんが中高生のころから好きで、最初買った時はカセットテープだったアルバムの1曲だ、と説明したらびっくりしていた。
 正確に言うとその時流れていた曲は32年前の曲だった。

 えー…。と絶句する息子。
 もう2曲ぐらい聞いて、「歌がうまいなあ。こんな声どうやって出すの?」と。ファルセットは、出し方にコツがあるからねえ…。
 この人の曲はカラオケで歌おうと思うとかなりの技巧がいるだろうなあ。友達でこういう歌を歌えそうな人となると、2、3人か。それも多分練習したい、と言われるだろう。まず私はチャレンジしようとすら思い浮かばない難易度。

 別に私の手柄じゃあないんだけど、ふふふ。いいだろうー。かっこいいだろー!いいんだよ、ほんと。と自慢しておいた。
 英語もうまいね…と息子が突っ込んでいた。まあね…。前に同じぐらいの頃に活躍していたアーティストの曲を聞かせたら、英語の発音がひどいのにびっくりしてたからな…。この人はちょっと例外的にすごいから。

 ふたりでwikipediaを見たら、高校生の時からベースを弾くアルバイトをして、作った曲を持ち込みにして曲が売れ、コーラスで参加していたアーティストさんの収録でダンスを見初められてデビュー、みたいな経緯が書いてあった。
 「おかーさん、この人は『主人公』だよ、小説の」

 あー。確かに。音楽が好きで、高校を中退して自作の曲を売って、その曲がきっかけで歌って踊れるアーティストになってシングル出してデビュー。小説の主人公にそんなのがたしかにありそうだ。それに、当時はYouTubeなんかない。PVさえ稼げれば猫も杓子も曲が披露できるというような時代ではないからねえ。耳の肥えた専門家の審査を突破しないと歌手になんかなれなかったんだから、うまくて当然と言えば当然。すごい才能あるんだと思う。
 息子は特にラップっぽくなってるのが好きっぽかった。なるほどねえ。それでも20年前とかだから…なんていうか、古びないよね。

知らないアルバムもあったし、しばらく聞こう。音楽の好みって遺伝するっていうけど、どうなんだろう。

小さいミカン

 

みかんがおいしくなってきた。小さい、それこそ鏡餅の上にのっている橙よりも、ちょっと大きいぐらいのがたくさん入った袋を買ってくるのが私の楽しみだ。

 もちろん上等=値段が高いものは大きくて立派だけれど、なんとなくこの小さいのがいい。
 お行儀悪く食べるとしたら一口でほおばれるぐらいのがベスト。見かけが悪いものは特に安い。そういう傷があっても中身にまでは問題がないものばかりなので、そういうのばっかり買ってくる。

 みかんは、すっぱいのがいい。甘くて酸っぱくて、味が濃いのがいい。その次にかなりすっぱくて甘くないのもまあいい。
 甘いだけで酸味が少ないミカンは、人によっては好まれるだろうが(大きいのに多い)、私は嫌いだ。大体そういうのにあたったときは、お皿に載せて夫に出してしまう。夫は酸味に敏感で、酸っぱいものが苦手だから喜ばれる。

 そして一番始末に困るのが、酸っぱくもなし、甘くもないという味が薄いもの。とはいえ、こういうのは昨今見かけなくなった気がする。私が子どもの頃は時々そういうのにあたることがあった。祖母の家で、お正月用に届けられた特大で、皮のぶわぶわしたみかんにそういうのが多かった。
 みかんの中身と、外側の皮がぴったり張り付いていないタイプのもので、むきやすかったのだが、そういうのにあたる確率が高かったので自分の家で食べている安くて小さくて、酸っぱいミカンのほうが好みだった私はすっかり大きいミカンに愛想をつかしたというわけだ。

 そんなわけで、夫には「一番安いのを狙わなくてもいいんだよ」と言われながら、今日も買ってくる奴は一番小さいタイプ。
 皮が身にぴったりくっついていて、皮をひとつながりにむくのが難しいけど、多分私はずっとこういうのを買い続けるだろう。

 ひんやりと口の中にはじける果汁は甘酸っぱく、今からしばらくはチョコレートだとかおせんべいよりもこっちがよくなる。
 こたつ、買おうかなあ。定番でこう思うのはやはり「こたつとみかん」という組み合わせが頭に浮かぶから。

 ほかの人はどんな基準でみかんを選ぶんだろうなあ。私は知らないけど「大きくておいしいミカン」の選び方とかはあるんだろうか。それとも今の時代、ミカンはどのサイズでも味が濃くておいしいのか。甘すぎるみかんに当たらないコツがあるとかさ。酸っぱいミカンが好きなので、このあたりは多分常識じゃないんだろうし。

 午前中なのにもう今日のみかんカウントは3つ。この分だとまたすぐ買いに行かないと。


 

楽譜の補修

 ピアノの楽譜の、やっすいやつをアメリカで買って使っていたのだが、さすがアメリカ…というべきか、冊子の作りがよくない。紙がこすれてモロモロした感じになってきた表紙。背表紙はすこしずつやぶれ、無線とじだからなのだろう、外れたページが出ているし、紙が劣化して、次のページに急いでめくるためにちょっと折って手でつまんでいた部分がちぎれそうだ。

 しょうがないので、この間本を補修する本で読んだようにして補修してみた。お小遣いで「図書館用製本のり」という糊をゲット。瓶入りの糊は、とろとろした木工用ボンド…というようなテクスチャの糊で、無線綴じの本の背中をまとめ直すのにいいらしい。

 表紙ははがして、ページをそろえ直してクリップで挟んで固定してから、この製本糊を刷毛で塗って、上から薄い布を貼り、本の背中を固め直す。

 表紙はきれいに切って裏に画用紙を貼る。
 
 一晩経って、本の背中が固まったら、各ページを修復。大体傷んでいるのはページの隅で、印刷があるところではなかったので、薄い和紙をちぎれた場所に貼って、ページのサイズぴったりにカッターで切り落とす。

 表紙で本文を挟んで、本当だったら見返しで本文と表紙をくっつける…ということになっているのだけれど、面倒になってきて、製本用のテープ(布のガムテープそっくりのテープで、白とか黒とか赤とかがホームセンターにあった)で表紙と本文をまとめてくっつけて終了。

 毎日使っている楽譜で、ピアノレッスンにもっていったら、先生に、すごくいいと絶賛された。
 先生の譜面にも、ものすごくボロボロのがあるのだが、レッスンしたときの注意書きがあるので、そっちが使いたいから、新しい本はあるのだけれど、どうしても古いほうを見てしまって、ぼろさに拍車がかかっているというので、見せてもらった。

 満身創痍で、ものすごかった。
 ページの角が半分ぐらいはだめになっていたし、すっぱりちぎれて欠片も残っていないとか、めくる時に勢い余って上の方が破れたような箇所もあったし、どうなったのかページの真ん中の方に謎の破れがあったりして、おまけにページが1枚と言わず、何枚も外れて落ちてくる始末。これはまた派手というか、なんというか…。

 書き写すのが面倒でやっていないのだという先生が、宿題をちゃんとやっていないのを言い訳する小学生みたいに見えたのがちょっとかわいかった。

 まあ、こういうことは練習しようと思っていたし、家の本にここまでになった本もないから、やってあげましょうか、と提案したら喜ばれた。

 本当は糸でつづった上製本のようだったが、無線綴じにしちゃっていいというので、まず背中側からきれいにそろえて、製本糊で背固め。
 四つ切の画用紙を2つ折りにして見返しを作成、表紙もかなりひどい状態だったので裏からきれいに貼る。

 そのあと、破れに薄い和紙をテープのようにでんぷん糊で貼り、ページの角の欠けた部分を補って作成。
 
 やってみると、薄い和紙をしわにならないように貼るのは意外と難航するし、はぎ目のところが薄くなるようになんていうと難易度が上がる。

 私は子どもだったころ、やまと糊についているヘラは使っていなかった。なくしたことも多かったように思う。何のためにこんな面倒なものがついているんだろう…と思っていたぐらいのことだった。糊は指でぺたぺたとつけていた。
 それが、今、付属のプラスチックのヘラが使いやすい!なにこれ!薄く延ばすのにすごく便利!余計な糊がついていないことというのはきれいに貼るのに重要なことだというのがわかってくる。

 もうちょっとヘラの柄が長くてもいいかなとは思うけれど、こんなに便利なのに、子どもの頃の私はどうして要らないと思っていたのか、ちょっと問い詰めたいぐらいだ。スポンジ付きのとか、スティックのりを使わないのなら、絶対このヘラは必要だと思う。

 ページの真ん中の破れ目はちょっと細かい作業だったが、あとは慣れてくるとどんどん進んだ。

 もう一晩で、でんぷん糊を乾かし、そのあとカッティングボードと、カッターナイフでページの大きさを切りそろえて終了。
 
 持って行ったらとても喜ばれて、お菓子なんかもらってしまった。
ちょっとぱりぱりして、本が厚めになってしまったけれど、ページが外れてこないし、めくりやすいので、すごく使いやすくなったらしい。

 本当にこんなこと出来るのねえ…本を補修するなんて、考えたことがなかったから、と何度も感心された。
 まあねえ…。古い本で、絶版だとか、その個体がどうしてもいいとか、そういうこだわりがあるのならこうするしかないわけだから。「まこさんて、本当に本が好きなのねえ」だって。

 そうなのかもしれないな。ちょっと補修作業に慣れただろうし、 家にあるカバーがビリビリの文庫本を補修するのがちょっと楽しみになってきた。

マウスを新調(?)

 マウスの動きが悪くて、タッチパッドを使っていたのだけれど、やっぱりマウスのほうが使っていた年月が長い分、ちょっと不便な感じが抜けない。新しいのを買うとしたら、どんなマウスがいいかな…と思って、その話を夫にしていたら、決めるまでこれ使う?と有線のマウスを貸してくれた。MacBookAirはUSBが2つしかない。1つはCDドライブとかUSBメモリとか、キンドルをつなぐとか…という用途に使いたいのであけておきたいからと思ってブルートゥースのマウスを使っていたのだけれど、有線マウスを使うと、これが快適!

 細かい動きが出来るし、反応が早い。夫にこれ、なんか高いやつ?と聞いても、別にそういう高級品とかではなくて、パソコンを昔買った時のおまけだったのだとか。

 うーむ…おまけ程度でこの差。まあ、前のマウスは動きがとても悪いのが体感できる状態だったというのもあるのだろうが、全くストレスのないその動きに、もうこれでいいんじゃないだろうか…という気がしてくる。
 安いしな…。っていうか、このマウスもらっちゃっていい?
 聞いたらOKだということだったので使わせてもらうことにした。ちなみに家にこのマウスが置いてある理由は、私が体験したように壊れたときの非常時用だということだった。1つぐらいは置いておくことにしてるんだって。技術が枯れている分、壊れにくいらしい。なるほどね。

 USBが足りない問題は、出たときに対処するしかない。今のところは一番使いやすい右側のUSBはあけておいて、左側の電源の横のUSBにマウスをさして、PCの画面の後ろにケーブルを回して右側にマウスを置くことにした。ケーブルが長くてよかった。

 PCの後ろ側とかにもう2つぐらいはUSBがあるタイプが多いのになあ。どうしてたった2つなのか。あと2つもあれば1つぐらいマウスのためにつぶしてもいいのに…。ないものを嘆いてもしょうがないけど。

膀胱炎…未満

 だんだん寒くなってきた。このあたりの季節の変わり目に大体夫も私も風邪気味になるのは毎年のこと。今年はコロナのこともあるから、特に気を付けているつもりだったのにやっぱり夫は2日ぐらい前から鼻水が出ると言っていた。「来たね」「来た」ぐらいのノリだが、なるべく早く治るように一枚余計に着るやら、ビールはやめてあったかい飲み物を出すやら、いろいろと気を遣う。

 この時期私が気を付けなくてはならないのは、尾籠な話だが、「ぢ」。血行が悪くなるとかかりやすくなる。大体おなかに子宮筋腫があって、年中妊娠5か月ぐらいの状態だと言われている。つまり圧迫されているので下半身の血行が基本悪いわけで。これを避けるためには、運動と腰に貼る使い捨てカイロが欠かせない。

 そんな今日この頃、トイレに行ったあとに違和感がある。
 んっ。このぎゅっとした違和感は…。ボーコーエンだ。でーたー。
 これは体調が下がってくるとなることが多い。つまり体力免疫力が下がると出る。ただでさえ膀胱が筋腫で圧迫されてトイレが近いというのに、それ以上に近くなるのですぐわかる。

 解決方法は簡単で、産婦人科へいって抗生物質をもらうことなんだけどね…。でも今回はまだ、気配ぐらいしかない。ってことは、家で何とか対処できるかも!というわけで、あったかい紅茶をたっぷり作成。ひとつはマグカップに入れてすぐ飲む。もう一つは出来立てでステンレスボトルに入れる。もう一個はちょっとだけ冷ましてもう1本のステンレスボトルに。

 腰にカイロ装着して、あとはなるべく紅茶を飲みながら過ごす。もちろんトイレにもいく。寒くなってきてから、飲み物を飲む頻度が激減しているから、意識して飲めば違うはず。

 夕方からは麦茶のあったかいのにして、ウォーキングとご飯を作る時間以外は割とのんびりお茶を飲みながら過ごした1日。
 膀胱炎の気配が薄くなっているのがわかる。

 念のため、次の日も同じように過ごしたら、全く平気になった。よし、オッケー。病院に行かずに済んだ。
 最近ちょっと夜更かしして本を読むことが増えたからなあ…。弁当を作るために起きる時間は一定だから、睡眠時間現象がある程度体調に影響するんだろう。夜にはもうちょっと早く寝よう。

 そんなことを思いながら、夜寝る前にベッドに置いてある本の貸し出し期限が明日だということがわかった。
 ああっ。これだめじゃん!大急ぎで流し読み。
 結局読み終わったら12時過ぎで、朝が6時起きのギリギリ。

 やっぱり睡眠時間6時間は短いんだろうな。次にあの違和感が来るのもいやだし、図書館の本は期限切れになりそうだったら潔く返してまた借りることにしたほうがいいかもしれない。

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