LuckyDuckyDiary

少女小説とマイディア文庫

昨日の日記を書いてから、「若草物語」の訳をサンプルをキンドルに送って比べながら思った。
 私確か、「第三若草物語」と「第四若草物語」とか持ってなかったっけ?

 赤と白のギンガムチェックのカバーのかわいい本で、私はその柄の角川文庫の少女小説を一冊残らず持っていたはずだ。なぜなら、私はそのセット本が発売されたときに付属の箱ごと、当時付き合っていた人にそれをプレゼントしてもらったからだ。ありていに言えば買わせた、ともいう。

 最初に氷室冴子さんの解説本と一緒にどーんと15冊ぐらい出て(本を並べて置けるぴったりの箱付き)、そのあと数冊出たと思う。背表紙もきれいにそろっていて、表紙には題名と作者が楕円形の中に書かれている絵のないもので、並べるときれいにそろって見える本だった。
 当時絶版になっていて、手元にあったのが日に焼けてぼろぼろの古本だった「ライラックの木の下で」とか、「昔気質の一少女」とかが新しい本になったのがうれしかった。

…んだけど。今一冊も残ってない。
 
 と考えて思い出した。そうだよ、買ってくれた人に別れを切り出されて、つまりフラれたとき、もらったプレゼントだのなんだのを全部突っ返したり、捨てたり、返さなくていいと言われたものでほしい人があったものは誰かにあげたりして始末したんだっけ。
 
 あの当時はすごくショックで、一生忘れられないひどい話だと思ったものだけれど、そんなことをしていたのをすっかり忘れていた。年月が経ったってことだね。
 今また探してみたら、かなりの本がまた絶版。うーん…。「八人のいとこ」とか「花ざかりのローズ」とか、割といい話だと思うのだけれど、多分ポプラ社文庫とか、青い鳥文庫とか、福音館文庫とか、岩波少年文庫とかでそこらあたりの名作少女小説はカバーされていて大人向けの文庫本は需要が少ないとかそういうことなんだろうな。
 
 ネットで見てみたら結構いいお値段で定価より高く売られているものが多かった。あの時我慢しておいておけば、高く売れたかもなあ…。いや、今更だけど。

 このシリーズに入っていた村岡花子さん訳の「リンバロストの乙女」「そばかすの少年」は、村岡花子さんが朝ドラになったときに河出文庫から出版になった、とアマゾンのレビューに情報があった。こういうのを書いてくれる人はありがたいよね。

 村岡花子さん率と、オルコット率の高いセットだったけど、電子版がいろいろあるといい。
 もう一回リストにして自分のキンドルのコンテンツと比べてみたら、英語版だったら全部そろっていた。そうなるよね…。
 英語で頑張って読むようにしたらいいだけなのかもしれないけどね!(安いのも多いし。高いのはミス・リードのシリーズぐらい)

 そうだなあ…。この本を最初プレゼントしてもらった時、私は英語で楽しくこういう本が読めるほど英語力がなかった。結婚してから渡米して、何年かアメリカにいる間に勉強して読めるようになったのだ。
 いろいろと、当時とは変わっていることがあるってことだ。

 そばかすの少年と、リンバロストの乙女を上下巻で2500円。電子版だから売り切れるとかはないと思うけど…。
 どうしようかなあ。もうちょっと悩もう。角川文庫はもっと安かったのになあ。

若草物語の訳を選ぶ

 若草物語、英語では【Little Women】
 

私が最初に読んだのは画像のこれ。調べて、立原えりかさん訳だったのを知ってびっくりした。立原えりかさんはファンタジー作家で、私はこの人のファンタジーの本を何冊か持っている。こういう仕事もなさっていたのね。
 
 これはお向かいのおうちのお姉さんのおさがりでうちへ回ってきたもので、かなりの抄訳。字が大きくて、私がちょうど一年生に上がるかどうかというあたりで読んだ、小学校低学年向きだ。
 クリームとマフィン(それとも訳は軽焼きパン、だったかな?)、ピンクと白のアイスクリームがとっても美味しそうなクリスマスの朝、おじいさんに渡す三色すみれが刺繍されたうわばき、エイミーのリボン。私の初めての若草物語はやさしく、かわいらしく、物語のいいところだけをまとめた花束みたいな本だった。

 これを相当回数読み返して、その後も図書館で各種手あたり次第に読んだ。抄訳が多かった。
集英社のマーガレット文庫の槙本ナナ子さん訳
ピンクの表紙の岩崎書店、白木茂さん訳
ポプラ社文庫の宮脇紀夫さん訳
鶴書房の堀寿子さん訳
ポプラ社のハードカバーの松本恵子さん訳
学校の図書館にあったのは野上彰さん訳で調べたらポプラ社。
どれだけ出してるんだ、ポプラ社。今軽く調べただけでも見覚えがある本がたくさんネットに出てきた。

 子どもむけの世界の名作でこれが入っていないのはあんまり見ない。ふと読みたくなったら図書館で借りるのがとても簡単な本だということだ。小さな町の、これまた小さくて本があんまりそろっていない図書館にも何冊もあった。結局大人になって自分で手に入れたのは新潮文庫で表紙から行くと松本恵子さん訳。
 ただし大人になってから続編と合わせて手に入れたのは角川の「マイ・ディア文庫」、訳は吉田勝江さん。
…ってことは、アマゾンで買えると思って、チェックして最初のほうだけ読んでみた。


"You don't have half such a hard time as I do," said Jo. "How would you like to be shut up for hours with a nervous, fussy old lady, who keeps you trotting, is never satisfied, and worries you till you're ready to fly out the window or cry?"
 下線部が「窓から逃げ出すか、横ッつらでもはりつけてやりたいくらいいやになるよ」
と訳されている。つまり窓から飛び出して逃げたくなったり、相手の顔をぴしゃりとやりたくなるぐらい、いらいらするような相手だと言っているわけだ。

 これね?fly out the window <ここのとこが、窓から飛び出したくなるところ。
 実はひっぱたきたくなるという描写がどこにもないのだ。cryのところはまあ「叫びたくなる」か「わめきたくなる」か、「大声を出す」か。そのあたりだろう。気の弱い人なら「泣く」も入るのか?

 光文社古典名作文庫の麻生九美さん訳は「まどから飛び出すか、わめきちらしてやろうかと思うくらい」。
 岩波少年文庫の海都洋子さん訳は「窓から飛び出そうとか、横っ面をひっぱたいてやりたいって思うくらい」
 アマゾンで無料の水谷まさるさん訳は「いっそのこと窓からとびだそうか、それともおばあさんの横っ面をはりとばしてやろうか」
 KindleUnlimitedの恩地三保子さん訳は「窓からとびだすか、思いっきりわめきたくなるんだから」
抄訳の児童向けが多い谷口由美子さん訳は「窓から飛びだして逃げたくなる」
 講談社文庫の中山知子さん訳は「しまいには窓からとびだしたくなっちゃうから」
 同じく講談社文庫の掛川恭子さん訳は「窓から飛び出すか、わめきちらしてやりたくなっちゃう」
 
 もしかしたらどこかに「底本」となるべき「ひっぱたきたくなる」訳の本があるのかもしれない。
 こうして訳者さんをみていると、見覚えがある名前が多い。

 谷口由美子さんは青い鳥文庫とかのジュニア向け文庫で活躍している人で、抄訳版を手掛けていることが多い印象がある。私も名作で小型の本が欲しい時にこの人の訳したジュニア向けを買ったことがある。
 掛川恭子さんは割と全訳のことが多い印象があるなあ。年齢が高学年からティーン向けの版に多い気が。講談社の訳が2つあるのは多分年齢で版を分けていたころの名残りなのだろう。掛川さんの訳は私好みの翻訳が多い。

 あと、恩地三保子さんは、福音館の「大草原の小さな家」の5巻シリーズを訳していた人だ。元の本は1966年の旺文社文庫らしい。
 旺文社文庫の子ども向け名作は何冊か持っていたが、どれも好みの訳だったし、意外とこれもいいかも?ただ、読み進めると、ベスのことをお父さんが「平安嬢」と呼んでいる、という記述で一瞬、十二単の百人一首の絵みたいなお姫様が浮かんじゃうのがちょっとなあ、となるけど。

 ちなみに原文はこれ。
 Her father called her 'Little Miss Tranquility',
 抄訳版ではすっかり抜けていることが多い。私が覚えている訳では「ちいさな静かさん」と呼ばれていたが、谷口さん訳では「おだやかさん」、掛川さん訳、麻生さん訳では「しずかちゃん」で、海都さん訳は「静かちゃん」。そして角川の吉田さん訳は「静姫ちゃん」。
 
 どこの図書館にもある福音館のハードカバーの訳は、矢川澄子さん。割と定評のある訳者さんなので、この人の訳がどうなっているか図書館でチェックしよう。

 でもこれ、最初の巻はいいんだけど、あと3冊あって、特に3巻4巻は今買える電子書籍というと角川一択?
一応抄訳のジュニア向けもあるみたいだけど、全訳を読みたいなら角川しかない。名作アニメ劇場に「ナンとジョー先生」として出てきたときに(これが第3若草物語)出版された本がちょっとあるぐらいで、紙の本もかなり少ない。

 …ってことはやっぱりもう、角川の4冊セットにしておいた方が訳の感じがそろっていいのかなあ。
 文句を言うなら英文を読め、ってことか。 

しかし一冊目はこれだけいっぱい出ているのに続編がここまで出ていないのも珍しい。それだけ一冊目がそれだけで完成しているということもあるし、三冊目、四冊目には一作目の登場人物が脇役としてしか出てこないことを考えると、もう別の話としてもいいぐらいだから人気がないのかもしれないけれども。

 何冊も最初のほうだけ読んだら、猛烈に続きが読みたくなったので、持っている訳で読んでしまおう。確かに一番面白いのは1冊目なんだよね。
 家がとっても広かったらなあ。こういう図書室を作って、大型本をぎっちり詰めておくのに。マンション住まいだとどうしたって電子書籍限定になるのが惜しいところだ。



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図書館に行って、海都さん訳の岩波少年文庫を借りて読んでからあとがきを読んで発覚したのは、オルコット本人がまだ生きているうちに、編集者に「表現がきついから」と言われたところを改稿したところがあったらしい。
 なるほど…。張り倒したくなる話はそれでなくなったんだな、きっと。

 オリジナル版と、現在流通している版が違って、どちらを底本にしているかで違うとみたね。
 謎が解けてスッキリした。
 
 割と古風な感じの訳がいいような気もするし。
 ちなみに頼りにしていた福音館の古典童話は普通に棚に入っている本ではなかった。閉まるギリギリの時間だったので帰ってきちゃったので、家から予約して取りに行くことにしよう。

アルプスの少女ハイジ祭り

 若草物語を選んで、2、3種類読んだあと、こういう少女小説のことを書いたムック本を図書館で借りた。
 いろいろ載っていたが、ふと、アルプスの少女ハイジが読みたくなった。

 あれはアニメもいいんだよねえ…。私が小学生の頃、夏休みに再放送をしていたり、日曜日じゃない日の夕方に再放送があったりで、何度か見た覚えがある。テレビを見すぎるとうるさかった母も、ハイジのアニメは好きだったのでこれにはあんまり文句が出なかったし、田舎の放送局はコンテンツが少ないから、再放送が多かった。

 次の回で外に出て猫ひろってくるんだよね、とか、次の回でクララが立つんだよ、とかもう大体覚えるぐらい見た。うちの母はこのアニメの影響でスイスの山の上の花畑をわざわざ見に行ったぐらいだ。

 図書館の本棚にあったやつをひっつかんで帰ってきた。
 まずは偕成社文庫の若松宣子さん訳。表紙絵がかわいい。このイラストレーターは「詩とメルヘン」(やなせたかしさんが責任編集していた雑誌)でデビューした人だった。

 スラっと読めて、問題なしの訳だった。前にもっと古い感じの訳で読んだと思ったけど、どれだったかなあ。角川文庫のは調べてみると 関 泰祐さんと阿部 賀隆さんの共訳らしい。中学生から20代まで持っていたので一番回数を読んだのはこれだろう。
 「と思うの」が「ともうの」みたいに書かれている訳のがあった気がするけど、あれは誰のだったんだろう…。

 岩波少年文庫の昔のは竹山道雄さん訳。多分これ…かなあ。
 今の岩波少年文庫は上田 真而子さんで、この人はエンデのシリーズを訳している人だよね、定評がある。
 あとは学校にあった福音館名作全集の矢川澄子さん訳。学校だけでなく、これのない図書館は見たことないから、多分この市の図書館にもあるだろう。

 岩波文庫は 野上 弥生子さんで、日本の訳で古いのは大体これだそう。そこまでは古くない気が…
 新潮文庫は植田 敏郎さんで、確かこの人はケストナーとかを訳していた。私が子どもだった頃によく見た訳者さんだ。

 んー。電子版は岩波少年の上田さんの訳と、偕成社の若松さん訳か…。
 まずは読むか。この際だから、と図書館に予約をして、棚になかった岩波の古いのと福音館のハードカバーを借りることにした。
 

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カラーのエクステ

 息子が、ハロウィンの行事に、髪の毛を染めたいと言い出した。
 すぐ取れるのでいいから、というので反対する理由はないが、夫にも私にも、もちろん息子にもそういうことをやった経験がない。私は美容院でヘアマニキュアをしているが(つまり、白髪隠しだ)、自分でやったことは全くない。染めるのも、色を抜くのもだ。
 
 前髪だけとか一部でもいいというので、100均でカラーのテキトウそうなエクステというのを買ってみた。(2束100円)
 つけ方がわからない。

 クリップ式、と書いてあって、それっぽいのだけれど、どこがどうなるのか全然わからないし、洗濯ばさみみたいになっているのかと思っていたのに、どこも開く気配がない。

 うーーーーん。櫛のように挿すにしては、空いているところがない。フォークみたいな形だったらわかるのになあ。
 とごちゃごちゃしていたら、びょん、となって、金属クリップの断面が「( 」こうなってたのが「 )」こっちに反ったら、クリップが開いた。おおお、こうなってたのかー。

 パッケージの中に折って入っていたので、折り目がついている。
 お人形の髪の毛に似ているから、これは多分お湯でいけるだろう、というわけでちょっと熱めのお湯に(沸騰はさせなかった)入れたらすんなり伸びた。

 …というわけで、自分で試してみた。なるほどー。と思ったけど、目立つ位置につけるのって案外難しいな…。
 ハサミでちょちょっとカットして、まあ、こんなもんだろう…と思ったが、これ、息子のスポーツ刈り(てっぺん長め)に着けるのは無理っぽくない?

 夫が、「そういうのって美容院に頼めば出来るんじゃない?家でやるのは無理だから、お金出してやって構わないよ」というので、私が髪の毛を切りに行ったついでにいつも行っている美容室で、「どんな手があるのか」と聞いておいた。

 まず、エクステは髪が短くて硬い私の髪と似たような髪質だったら、多分その長さでは無理だということがわかった。
 半年かけて伸ばすぐらいの長さが要るらしい。

 染めるのはどうか、というと私の髪と同じ固くて真っ黒(なんだなこれが)だったら、まず脱色してから上から色を入れる…のはもしかしたら難しいかもしれないと。もちろん回数をかければいけるが、まずは薬剤にかぶれないかのパッチテストから。ヘアマニキュアでちょっと派手にやるとしたら、髪の根本に大体1センチぐらい、色がついていないところが出るので、髪の毛先のほうを染めることになるのだが、スポーツ刈りみたいな長さではいくらトップが長いといっても難しいと言われた。

 カラーのつくヘアスプレーはないでもないが、きれいにかけるのは初めての人ではかなり難しく、広範囲に散るので難易度が高いこと。クリーム状のものもあるが、プラチナブロンドの人がかけるならともかく、真っ黒の人に塗ったところで知れていること、プラスやっぱり長い髪にきれいにつくようにしてあるもので、スポーツ刈りでは(以下略)

 …というわけで、そこにいた美容師さん3人ともが「ウィッグ一択で」という結論だった。
 数千円出して買えば、一番簡単だしきれいだし、すごーく変化が出るしで、結局脱色の、染色の、というお値段のことを考えればそっちの方が絶対いいと言われた。

 なるほどねえ。あんまりやったことがないから全然知らないことだったけど、意外と難しいのね。プロの人が言うことにはやっぱり説得力がある。息子は「じゃあいいや」という感じだったので、そこまで本気でどうしても…というわけでもなさそう。
 お父さんがお金出してもいいって言ったから、カツラとか衣装とか、買うなら早めにね、ということで決着。

 息子の髪が短いのは、まあ私が小さいころから割と短めに、つまり大体スポーツ刈りで通してきたという理由もあるのだが、好きにしていい、と言った時もそのままで、「寝ぐせが付くのが面倒だから」らしい。寝ぐせがついたら、直すものだというのは教えて、寝ぐせ直しウォーターもゲットしておいたのだが、「帽子かぶっていく、それで直るから」って。
 寝癖が付くようになったら切りに行くことでそれを回避している。まあ、短ければ滅多に寝ぐせが付かないからねえ。

 おしゃれとはまだだいぶ遠そうだし、仮装はカツラでよさそうだ。

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久しぶりのモスバーガー

 最近はテイクアウトが主で、あんまり外食していなかったのだが、久しぶりに夫とお昼にモスバーガーを食べに行った。
 ちょっと用事があったのでついでに…ということになったのだが、マクドナルドはともかくも、このモスバーガーはちょっと遠い。

 何年ぶりかな…。乗換をするような大きな駅にモスバーガーがあって、学生の時とか、社会人になってからもしばらくは時々寄っていたけれど、ここ10年ぐらい、行ってなかったかも?
 
 パンの代わりにご飯をつかった「ライスバーガー」は、学生の頃からパンよりご飯派だった私にはうれしいメニューだったし、体重が気になるようになってからは、パンの代わりにレタスを使ったサンドイッチは断然ローカロリーで、ついでにデザートが食べられる(元の木阿弥ともいう)ので、割と好きだったのだけれど、電車に乗って出かけるほどとなるとなかなかねえ。おまけにコロナの話が来てから、ほとんど電車に乗っていない。

 レタスに照り焼きチキンという組み合わせのサンドイッチ(とは言わないか?)を食べ、冷たいお茶を飲み、夫とオニオンフライ+ポテトをはんぶんこにした。
 夫は玉ねぎとソースがトマトの上に載っているのが好きなのだそうで、ケチャップがかかっていないところがいいんだと喜んでいた。
 多分ソースの中にはケチャップっぽいものが入っている(ケチャップとマヨネーズを混ぜたような味だし、多分そういう作り方)のだけれども、ケチャップそのままじゃないならいいんだって。

 家でハンバーグのソースにそういうのかけたら、喜ぶかなあ。
 炒めた玉ねぎを、マヨネーズとトマトピューレのミックスに混ぜたら、かなり似そうなソースだった。

 こういうことを考えるようになったのが、学生の頃とは違うんだろうな。
 
 ドルチェと書いてあったが(イタリア語にするのはなぜだ)、デザートは抹茶のと、プレーンのチーズケーキがあった。今はコンビニのさえあんな味なので、さほど感動はなかったが、デザートがアイスとか、パイじゃなくてチーズケーキってとこが今風といえばそうか。

 外食するだけで、何となく心が晴々した。気分が変わるし、家では作らない食べ物だし。 
 
 11時に行ったので混んでなかったし。
 帰りに「混まない時間帯に、外食ももうちょっと増やそうか」と夫から提案が。
 きっと外で食べるのもおいしいと思ったのだろう。そうだね。

 ちなみにモスバーガーに子ども用のセットがあるのは今日初めて知った。昔はそういうのなかった気がする。でも子どもがちっちゃい時に、行きたいといえばつい、親は行ってしまうからなあ。もううちじゃいらなくなったセットだけど、子どもが小さかったら喜ぶだろう。
 ネットで調べたら低アレルゲンセットなんていうのもあって、これはありがたいと思うおうちも結構ありそう。
 モスバーガーのおもちゃセットは「もっさん」というハンバーガーの形のキャラクターだった。
 いたことも知らなかったけど、そういや、マクドナルドのキャラクターにもこういうのいたね!お巡りさんの恰好のが。今はコラボおもちゃが多くて、あんまり目立たないけど。

 ずいぶん食べていないファーストフードを回るのもいいかもしれないなあ。
 すいていたら入るってことで。ガラガラのレストランで、初めてのところに入るのはちょっと敷居が高い。味がわからないからね。でも、ファーストフードなら味はもう知っている扱いでいいわけだし。

 そんな話をしていたら、夫が「じゃあ、今度はケンタッキーを食べよう」と言い出した。
 えーっと、どこにあったっけ…。

 調べてみたら市内にはあった(遠いけど)。涼しい日に、自転車で行ってみよう。

時代のわかる本

いつも楽しみに読んでいるぢょん・でんばあさんの日記に【幸田文さんのことをかいた記事】があった。
 なかなかに興味深かったのだが、そういう話は全然しらなかった、書いてある本は読んでみたい、とコメントしたら、ぢょんさんが本の題名を教えてくださったので、今回図書館から借りてきて読むことにした。

 畳用のクイックルワイパーシートだの、静電気でほこりを引き寄せる便利ハタキだのがないころはこういうelbow waxと気働きで掃除をしなければいけなかったのだろうと思うと、大変だったのだろうなあ…としみじみ。そりゃね…季節ごとにすだれだの座布団だの、家のしつらえまで変えたとか?聞いたことはあった。屏風とか火鉢とかが現役の時代で、うちの母には覚えがあるそうだ。

 そういう時代だと鰹節は自分の家であの固い塊から削り出すのだし、着物はお店に出すのでないなら…特に木綿のなら自分の家でほどいて洗って板に貼って干す話とかも聞いたことはある。着物の衿は自分でちょちょっとくっつけておくものであって、しょっちゅう、なんなら毎日付け替えろぐらいのノリなのだから、そんなことは手が早くて当たり前みたいな世界。

 しみじみ無理だと思う。
 まあ、普段着はさっさとほどいて洗うことを思えば三寸に三針、五分にひと針で十分、とも言われていたとこの本にはあったが(つまり大体3センチに3針、1センチ半に1針ってことは相当ざっくざくだけど)そういう問題ではない。まず面倒と思わずにそこで毎日襟を付け替えるとか、着物をほどいて洗って張ってから縫いなおすとか、そういうことに手間をかけ、心を配るのが難しいのだ。私だったらたとえば3日たっても汚れがそれほど見えなければ1週間、そのままにしてしまいそう。
 どれだけ「さあ、始めよう」というのに馬力がいることか…。
 
 7月から布をカットしたところで力尽きているマスクの山を見ている私としては、昔に生まれなくてよかったとしか言いようがない。
 
 この本の作者さんが娘時代に、お父さんから叱られたときにも、それを聞き、直そうとするそれがまた、昔の…つまり親の言うことを聞け、と言われて社会習慣から世間の評判まで全部そういう雰囲気で育ってきた人なのだと思うと、当たり前と思って育ってきただろうけれど、大変だっただろうと思う。

 うちの祖母は大正の最後の年の生まれで、この人と重なる時代があったはずだ。祖母は継母に大変厳しくしつけられて、それが嫌でうちの母はきれいさっぱり甘やかして、何もさせなかったそうだ。そんなわけでこの時代のしつけというものはしずくほども残らず断絶してしまい、私のところへは届かなかったから、この本の中身は全くのよそ事だ。

 こんなのが当時の「ちゃんとしたおうちのお嬢さん」のしつけなのなら、そりゃ子どもによっては嫌になるだろうし、泣くだろうと思う。鬼コーチなだけならまだしも、察しろ考えろ、出来ても大っぴらにほめてはくれない、当たり前ぐらいの扱い。自分の子にはそんなしつけをしないでおこうと思うのも、無理ないと思う。これはお父さんは存じ上げないが、その鬼コーチについていった作者さんがすごいと思う。

 うちの母は私たち姉妹の友達のお母さんが教えてくれるようなことを知らないことが多かった。うっかりそういうことが露見したときは機嫌が悪く、ずいぶん怒ったりしたので私と姉は「おばあちゃんも、あんなに甘やかさなければもうちょっと…」などと二人で話したりしたものだ。今から思えば多分母には甘やかされて、出来ないことが多い自分に自覚があっただろうし、きまりが悪かっただけかも、とわかるのだけれども。

 この本でそんな時代のことを垣間見て、当時の話をしてくれた祖母のことが…もうなくなってしまって何年も経つのだけれども…なぜ、そうしたのかがわかる気がした。
 

司馬遼太郎のエッセイを読む

 ふと読みたくなった、子どもの頃に好きだった本の、どの訳がいいか…というようなことを探るために図書館に行って読み比べていたのだが、ちょっと図書館をうろついて、子ども向けではない本も見に行った。

 最初は赤毛のアンを書いたモンゴメリの本を探しに行った。子ども向けの「赤毛のアン」の抄訳はともかくも、ほかの作品は割と英米文学のあたりにあることが多い。
 モンゴメリだとか、トールキンの解説本だとか、割と好みの感じのものがあったので、それを見てから、ふと向かい側の棚もチェック。
 そこは「全集」の棚だった。
 何分野かはともかくも、全集というのは大体そこにあるっぽい。
 普段はあんまりこない棚だ。古典の名作全集の古いやつは、確かに中高生の時読むものがない時には読んだが、文豪の全集の古いのはエンターテイメントというにはちょっとしり込みする感じで、中高生の時もこう、三国志とか水滸伝とか西遊記とかの中国名作全集ならともかく、国語の教科書で名前を覚えることになるような人の全集はあんまり辛抱強く読めなかった。

 とはいえ、ここの図書館の「全集」は、文豪ではなくて大衆小説寄りだった。目をひいたのが、「司馬遼太郎が考えたこと」という、かなり厚手のハードカバー。15巻もので、全巻そろっている。
 司馬遼太郎の作品は確かに読んだことがある。「坂の上の雲」とか「竜馬がゆく」とかそういう感じの。高校生の時に図書室の文庫本で読破した覚えがある。この人の本が面白いのは知っていたが、手に入れなかったのはつまり…長編が多くて古本があまりそろって出てこない人気作家だったから。

 お金がないと揃えられないタイプっていうの?長編というのは途中の1冊だけあっても、そんなに面白くない。ブックオフとアマゾンとメルカリがない時代にはなかなか…。それに多すぎてどこから取り掛かればいいのかわからないぐらいあった。
 今ならネットで、ファンの作ったサイトなんか見て特に評判が高いものとか、好みに合いそうなものをさぐるとか、そうでなくともアマゾンで作家別に人気順で並べればどれが代表作かなんて一目瞭然にわかるとか、いろいろやりようがあるが、当時はどうしようもなく。

 気が付いたらあんまり読まないまま時間がたった。
 今、ここにどーんと全集がそろっているのだから、試そうか。そう思って1冊目を借りてきた。
 1953から、1961、戦後8年たったころから、高度成長期のあたりまでのエッセイ集だった。

 いろいろな新聞や、雑誌、その世界の人しか読まない雑誌とかに載った短文だったけれど、どれも面白い。
 中で紹介されている人、物、こと、場所。どれも興味を持たせるように書かれていて、何度か読書を中断してパソコンで検索をかけて詳しい情報を読むことになった。

 昭和の時代、それも20年代のものでも今日の新聞の天声人語のようなコラム欄に載っていてもおかしくないような筆致で感心すると同時に、やっぱり新聞のコラムにはスタイルというものがあるのだなあ、と思った。この人はこの1巻のころは新聞社の記者さんをしている。この本の途中で直木賞をとって、作家さんにもなったらしいけれど、この全集の感じからいくとずっとこういう短文も書いたのだろう。

 厚みがあるので読むのに時間がかかるけれどこんなに楽しめるとは。途中であんまり主義主張が私と相容れないとなったらやめるかもしれないけれど、一般誌向けに書かれたものなら多分行けるし、全部読めるかやってみる。一日1冊はちょっと無理だな。2、3日はかかりそうな厚さだし。
 時々、私信文が短文の間に挟まっていることがある。はがきとか数行のことも。でも、やっぱり文章がうまいということがわかる。
 
 かっこいいなあ。引っ越しはがきで、数行でもなんでこんなにいいんだろう。
 
 そういえば、「街道をゆく」というのを新聞連載していたのはこの人だったよね?
  うちの父はこれを読むのが好きで、朝日新聞をとっていた。私も新聞が読めるようになった小学校高学年の頃から読んだ。

 もしかして、まとめて読めるんでは?
 調べてみたら、「街道をゆく」は文庫本43冊の超大作だった。うわあ…。
 これは、もう取り掛かった方が絶対いい。もたもたしていると寿命のほうが先に来そうな勢いだ。

 少女小説と、司馬遼太郎?変な組み合わせだけれどしょうがない。しばらく読もう。

砂糖少な目の甘いもの

 甘いものは別腹という言葉があるように(あることにしておこう)、お菓子はどうもこう、おなかにたまらない割にカロリーが高い。
 菓子パンなんか、甘くて柔らかくて軽くて、ぺろっと食べてしまうのに、400キロカロリーじゃすまないから…みたいなものも多いのがカロリー管理的には怖い。

 寒天や、アガーを使ったコーヒーゼリーを作っていたのだけれどうっかりコーヒーを忘れた日。
 そういやあ、「ほうじ茶パフェ」とか「ほうじ茶ゼリー」がある甘味屋さんがあるんだから、家で作ればよくない?と思って、ほうじ茶を煮だしてアガーを溶かして作ってみた。

 食べるときに上から黒砂糖をちょこっとかけて食べたらおいしい。
 かけた量からいくと、小さじに1杯かそこら。これは糖分少な目といっていいだろう。紅茶とかコーヒーに砂糖入れて飲んだらだいたいこのぐらい。

 表面にまぶしてあって、口に入れたときの甘さが強いのが秘訣っぽいね?
 そういや、池波正太郎の時代小説「剣客商売」に、白玉団子のことが書いてあったのを思い出した。団子は砂糖を入れずにこねてあって、出来たら冷やして、最後に砂糖がかかっているという話。

 砂糖というのは案外贅沢品なので、当時は中に練りこんで甘くして、なんていうことをやらなかったんだろうなあと思いついた。そういや、わらび餅も、今のスーパーのはともかく、私の実家で作っていたものは上にかかっていたきなこだけが甘かった。
 ほうじ茶ゼリーも、私がそれで美味しい、と思って食べられるのならこの形式でいいよね。

 砂糖は白いのよりは断然黒砂糖の方が味が好みだった。
 …材料費の安いスイーツだなあ。
 いいアイディアだった。

懐かしい紙

図書館の書庫から出して貸してもらう本が増えたのは、昔読んだ本をまた、読もうかと思ったから。
 特に外国の本で、訳が今のじゃなくて昔のが…とか、今はちょっともう時代に合わないとか、そういう本を読もうと思うと断然書庫の本が多くなる。

 この紙、久しぶりに見た。
 これは私がこの町に来た時10年ぐらい前にはまだ現役だった。
 転勤が多かった頃に、こういうのをはさんでくれる図書館のある街に住んだことも何回かある。

 今は、本を借り出した時に、自分の図書カードのIDのバーコードを機械に読ませると横のミニサイズのプリンタがそのIDで借りている本のリストをぺっ!と出すので、このしおりは廃止になっている。
 今の紙はお店のレシートみたいな紙で、あんまり風情がないし、1冊ごとにはさんであるわけでもないのであんまりしおりには使っていない。

 96年だって。ずいぶん昔だ。えーっと24年前だ。こうやって数字を書くとすごいな!
 この本、24年前から借りられてなかったのか…。あとで借りた人がはさんだまま戻しただけかもしれないけど。
 
 バンバン!と日付印をこの紙に押して、ササっとはさんでくれたのを覚えている。
 ここしばらくキンドル本しか読んでいなかったけれど、紙の本も読むようになったことだし、こういう短冊状の紙をまとめて切ってもいいかなあ。これそっくりに作るの。日付印も100均のやつ押したりして。

 馬鹿っぽいけどちょっとやりたくなった。

返却期限しおり自作

 図書館が借りた本にはさんでくれたりする、返却日を書いた「しおり」は、もう今はうちの市では使っていない。
 でも、この前、書庫から借りた本の間から出てきたのが懐かしかったので、家でそういうの挟もうかな!と思って自作してみた。

 そういえば、小学生だった時に、住んでいた小さな町の、これまたちいさな、それもプレハブの古い図書館で、本を借りたらこういうしおりを本にはさんでくれた。日付印のスタンプを押してくれるのだけれど、そのスタンプを自分でやらせてもらうのがうれしかった。紙の色がオレンジ、黄色、黄緑、水色、ピンクがあって、印刷は黒だけ。ガリ版だったのかもしれない。定規をあててぴーーっっとやぶいて作っていたのを覚えている。
 図書館のカウンターの上には、しおりを入れた箱があって、本の宣伝のとか、誰かが作ったのとかがいっぱい入っていて、もらっていいことになっていた。

 私は途中から作る側に回って、封筒の角みたいな形をした、本のページの角にはめるしおりとか、色画用紙を切って絵を描いたのとか、折り紙を折ったしおりとかをこの箱に入れに行ったものだ。自分が作ったのが次に見たときなくなっているのをみるのはうれしかった。作るのが楽しくて、自分じゃ使い切れないぐらいあったからね。材料が広告の紙だったりしたけど、きれいに折ってあれば惜しげがない分、もらってくれた人が結構あった。
 その代わり、文庫本の宣伝のやつなんかはもらってきたりして。しおりコレクターにはうれしい箱だった。
←クリックすると大きい画像が出ます。
 これをA4に余白なしで1ページを1枚で印刷して、テキトウに8つに折って切ったらしおりの出来上がり。
 余白の問題で、ちょっと左右に寄るけど気にしない!気になる人はカッターで余白の幅をそろえるしかない。

 図書館の本を借りてきたら、自分で日付をいれてはさんでおけばOK。こういうことをちょっとやるのも楽しかった。フリクションボールで書いておけばずーっと使えるかなあ、と思ったけどその前に紙が傷みそう。コピー用紙より分厚いもので作ると切るのが面倒だしね。これは多分、捨てても惜しくないところがいいんだと思う。

 こんなもの、欲しい人がいるとも思えないけれども、やってみたくなったひとはどうぞ右クリックで持って行ってください。

おいしいキャラメル

 六花亭のおやつ便に入っているキャラメルは大変においしかった。
 ナッツの入ったキャラメルで、歯にそれほどくっつかない、ちょっとだけサクサクした感じがするタイプ。
 もっと食べたいけど、実は案外お値段がする。

 もっと安いのを買うとして、ナッツ入りといえばハート形のグリコのかなあ、というわけでアマゾンを見に行ったら、キャラメルというカテゴリで、1キロのキャラメルの袋がある。
 キロって。多分業務用だと思うけど、迫力あるなあ。

 結構評判もいい。「日邦製菓」というところのらしい。
 この場合自分の好みだとわかっているのならキロでもいいんだけれども、知らないものの場合は普通の袋がいい。
 
 レビューには、「スーパーには小さい袋がある」と書いている人があったので、買い物ついでに見たら、大手スーパーのプライベートブランドの袋のがビンゴ、それだった。(300グラムも入っていた。大きい…)
 
  箱入りのキャラメルよりかなり大粒。サイコロキャラメルに勝てるかも…というぐらい。
 そしてちょっと柔らかい。えーっと同年代の人にしかわからないかもだけれど、ノースキャロライナぐらいの柔らかさ。
 口に入れたときに、角張っている感じがしない。
 その割にはキャラメル!と聞いたとき一番に思い浮かぶメーカーのよりは歯にくっつきづらいキャラメルだと思う。

 こういうキャラメルって、こう…昔、頂き物の缶入りのお菓子にこういうキャラメルと、固いフルーツキャンディが入っているのがあったような…昔はこの「くっつかない食感」がキャラメルっぽくないと思っていて、「そうでもない」ぐらいの扱いだったけど、今じゃこの、くっつかないのがいいなあ、と思うようになっているあたり、好みの変化か。

 コーヒー味とミルク味がからみあった2色キャラメルと、普通のミルクキャラメルが入っていて、包んであるフィルムの柄で判別できるようになっていた。おいしかったのでこれからもリピートありだ。

 商品画像を出そうと思ってネットを調べたら、メーカーのサイトが見つからない。商品カタログはあった。
 それがね?「ミルクキャラピン」って商品があるんだけど、どう見てもキャラメルにしか見えない。「ミルクキャラメル」の別名かと思うとそうでもなくて、「ミルクキャラメル」という商品は別にある。「キャラピン」「ミルクキャラピン」「ミルクキャラメル」の違いが知りたい!
 キャラメルも、チョコレート、コーヒー、ミルクだけでなく、梅、ソーダ、黒ゴマ、豆乳、塩などがあるらしい。
 コーヒーとミルクのキャラメルはおいしかったから、これはチョコレートキャラメルなんかすごくよさそう。

 でも、「日邦の」とかそういう風に名前を出して売っているわけではないみたいなので、お菓子の袋の裏で見るしかなさそう。こういうのって探しづらいんだよねえ…。お菓子専門店とか、100均の小さめの袋とか、スーパーのPBとか、でなきゃあもう、ロットで買うような業務用になるか…というところだろう。

 「赤毛のアン」を読むときに、チョコレートキャラメルを用意しておくのが好きだ。
 アンは、一度チョコレートキャラメルを食べたことがあってそれを筆舌に尽くしがたい味だ、と絶賛している。
 このメーカーのチョコレートキャラメルが手に入ったら、読むことにしよう。
 
 

天声人語の電子化

 こないだまで電子化していなかった【深代惇郎の天声人語】が、ふと見ると電子化していた。この間これが読みたくてチェックしたときは電子化していなかったから、最近のことだと思う。
 これはうれしい。これは私が高校生の頃、国語の先生が「名文といえばこれだろう」と貸してくれた本だった。
 この人が活躍したころのことが全部ぴんとくるわけではないのだけれども、字数をあわせてぴったりに文章を書く中で、こうまではなかなか書けないだろうと感心したのを覚えている。

 この本を読んだ後はそれまでにも増して天声人語のようなコラムを読むようになったし、国語の時間に作文をかくときは話題転換が原稿用紙の最初に来るように…つまり400字ごとに区切ったりとかして、ちょっとおバカなことをやった気がする。

 1974年6月12日の天声人語で、(以下青文字引用)
「朝夕一時雨、日中くもり、晴れ間もあるでしょう」と、何でも少しずつある幕の内弁当のような予報がつづくのかもしれぬ。
……と、梅雨入り後の天気予報のことを書いていた。梅雨入りの話題だったのだけれど、こういう天気予報は、最近は聞かないなあ…と思った。

 息子の小学校の国語の教科書に、天気予報がどう発達してきたか、今では国際間の協力により、気象衛星のデータが交換されていて予報の精度が上がっている…というような説明文が載っていたので、なんとなく天気予報が正確に細かくなった経緯は知っている。
 
 なるほど、こういう変化が多分、時間がたつとわからなくなるのだなあ…としみじみ。
 今の私たちがスマホで見る🌞☁☂こういうようなマークが1時間ごとの枠に並んだ天気予報が当たり前になると、天気予報を朝のテレビやラジオでチェックして、的中率がひいき目に見積もっても8割ぐらいだった、なんて想像がつかなくなるだろう。
 
 この本を今読むと、政治経済や、時事ネタがわからない。わからないなりに面白くはあるのだけれど、時々パロディ的にひねった…つまり当時読んでいる人にはわかった嘘とか、風刺で正反対のことが書いてあったりする回もあったりするので、だーーーーっ。ってなる。
 テーマ別にわけてくれているので、自然とかのわかりやすいところだけ読んでもいいんだけど。


あと、手元にあるのがこれ。
 この人は深代さんのすぐ後に天声人語を担当した人。私が新聞を読み始めたころには、この人が担当だったので、一番熱心に読んだし、切り取ってノートに貼ったりしたのもあった。スクラップブックというのは自分で作るお気に入りの文章ばっかりの本…という感じがして楽しかったけど、あれ、どこへやったんだろう。新聞の日曜版のマンガを貼ったり、コラムや、広告までものによっては取っておいたような、ごちゃごちゃした大学ノート。

 「天声人語の本」とかで検索をかけると、朝日新聞が特集しているサイトが検索結果に出るようになっているようなのだけれど、今は天声人語を写すのにちょうどいいノートが売られているらしい。普通に写す用と、学習用、脳トレ用と美文字用、子供用があるのだとかいてあったけれど、いや、写す用と学習用はわかる。多分学校で解説とかされたり、要点だとかメモとかを書く欄がついているのだろう。でも脳トレ用ってどこが違うの?やっぱり老眼用で文字サイズが大きく…とか?美文字用は多分、升目に十文字の線が入っているとかか。

 手書きが面倒で嫌いなので自分では書き写すのはやらないと思うけど、季節の自然の色々を書いた文章の、短くて美しいのを読むのは楽しいので、この本も好きだ。
 この朝日文庫の深代淳朗さんの天声人語は、正、続、最後の、と3冊、エッセイ集も電子化していた。
 ついでに辰濃さんのも電子化する望みが出てきたのでうれしい。

蔵書票 自作

 

 昔、もし家が持てたなら、本棚がいっぱいある部屋が欲しいと思っていた。
 どの本で読んだか忘れたが、本好きの人が廊下にまで文庫本の厚みの棚を置いて、びっしり廊下が図書館状態だとか、壁一面、作り付けの本棚があるとか、私も好きな本がたくさんあるほうだったし、そういう家はうらやましいと思っていた。

 ところが実際に手にいれたのは田舎の一軒家ではなく、中規模都市のマンションだったため、広さが足りなかった。
 これでも結構高い買い物だったのだし、本棚を壁一面、なんてやったら地震が来た時危ないのは大人になる過程で覚えたから、あきらめはついた。

 ついでに言うと、電子書籍が出てきたのも大きい。私はかなりの本を電子書籍に置き換えたのだ。

 それでも、電子化していない本はある。大好きな本、絶版本、もう訳が違ってしまって昔のが読めない本…。そこに、蔵書票が貼りたいなあ…とは思っていた。

 夫は蔵書印を作って押しているけれど、紙で作って、貼る…のはちょっと気が進まないとしたら、しおり代わりに挟んでおくのはどうだろう?そう思って、「クレジットカードサイズ」のカードが印刷できる用紙が余っていたのでそのサイズに作ってみた。画像はネットのフリー素材。ちなみに、実際のには左下に私の名前がローマ字で入っている。字は適当にいれて、印刷用ラベル会社の出しているフリーソフトで傾けたりして配置。

 昔の蔵書票には版画が多いんだけれども、それはつまり同じものをどの本にも貼るからで、何十枚も、ことによっては何百枚も必要だったからそうなっていたらしい。(なので白黒とかの単色刷りが多い)でも、今はパソコンとプリンターでカラーのも、何十枚でも同じのが出せるから…。そう思って、最初はカラーの素材を使って作っていたのだけれど、何かしっくりこなくて、おもちゃっぽい感じが抜けず、結局白黒におさまった。ここで、自分で版画彫る!とかだとかっこいいかもなんだけど、無理無理!

 ネットのフリー素材って、結構かわいいのがある。上のはテニエルの本の挿絵で、著作権切れ。
 その気になって作ろうと思うとまだまだいろいろ出来そう。…やっぱ自分で彫るかな、版画。一枚だけあれば、取り込んで印刷すればいいんだしねえ。

 家事のコツ本

いつも読みに行っているぢょん・でんばあさんのブログのコメントで、妹尾河童さんのイラストが好きだと言ったら、おすすめされたのがこの人の本。

 全然知らなかったのだが、この本の作者さんは妹尾河童さんの奥様らしい。旧姓で出版されたら全然わかんないよねえ。確かに挿絵は妹尾河童さんであった。
 1980年代に書かれた本のようで、もちろん私なんか足元にも及ばないほど、家事に手をかけている様子がうかがえたが、それでも手抜きだ、面倒がりだと書かれている。うちの母と同世代、かなあ。
 
 一つ、なんとなく親近感を覚えたのが、カバンに「いざというとき持っていると便利だから」と、バンドエイドとか、ストッキングとか、こまごましたものを40品目近く、入れている話。
 私も旅行の時にはこういう感じになってしまうし、平日はなるべく減らしてはいるが気をつけないとつい、カバンがいっぱいになって、かといって使ったかというと3か月手つかず…ということになる。

 人のふり見て…ではないが、確かにその品目の中には多分今なら入れておかないものもあったのは時代だろう。
 コンビニがないところまで滅多にいかない場合は要らない項目が増えている。「どこででも、すぐ買えるもの」という品目が増えているということだ。

 あとは、家族全員がスマホを持ち歩く場合、ということに限るけれども、家族間の連絡が付きやすくなっているということも本を読んで実感。この表紙の絵は「メモスタンド」。今はお互い、家にいるはずの時間に出かけてすれ違う時はLINEで連絡しておけば大丈夫だからね。

 あと、メモ用紙とか、スケジュール確認とか、地図関連も大体スマホで行けることを思えば、確かにこれは今はな、と思う項目もあった。
でも、「いざというときのメモ」として、身内が亡くなったときに何を詰めて持っていくか、というメモがいつもは見えないところに用意してあるというのはいいと思った。緊急時はどうしたって、あたふたするものだものね。
 
 入院用パックの用意は、確かに…。出産前にはやっておいたが、年齢が行ってくるとか、持病があるとかだと確かにいいだろう。
 この人は絶対、ボーイスカウトみたいな人だ。つまり「備えよ常に」タイプ。

 私もつい、そういうことを考えては夫に苦笑されているが、なんだかしっくりくる話が多くて面白かった。
 そして台所改造の話は、すごーく面白かった。

 家で人なんかもてなさない私だから、別に今の状態で問題があるわけではない。でも、ネットで見るような、おしゃれすぎて落ち着かないような改造例や、インテリア雑誌の受け売りみたいな改造案より、ずっと「これはやってみたい」と思うものだった。
やらないと思うけど…でもいいなあ。

 特にキッチンの電化製品用に、コンセントが6個ついているのがすごくいい。これだけでも、やってもいいかも。
 家にコンセントが少ないのは確かに不満だ。

 タブレットとか、スマホとか、キンドルとか、ゲーム機とか、うちには充電が必要なものが多い。
 テーブルタップとか、USBがずらっとついたやつでなんとかしているけれど、もうちょっと…例えば壁にあるコンセントが2つじゃなくて4つだったらいいのに、と思うことはある。6個あっても絶対多すぎにはならない。

 一戸建ての改善案はよくきくけど、この人はマンションにお住まいだそうなので、「こういうこともできるかも」の参考になった。
 
 

ネジ式カッターナイフ

  ただ薄いものを、さっと切るときは、今まで家にあったカッターで大丈夫。
 プラスティックボディのカッターで、刃を送り出すとチキチキチキ、と音がして、そのまま普通に使える。

 でもちょっとこう、ひねるような動きをしたり、固いものを切ったりすると、なんとなく刃が押し負ける。
 まあ、一番小さい規格のカッターナイフでそんなものを切るな、という意見はあるだろうが、その時私は昔自分がもっていたカッターナイフのことを思い出した。

 紙の表面を削り取って作る紙版画工作があるというので、担任の先生が次回はカッターナイフを持ってきてください、と言った。
 当時私は小学三年生。カッターナイフは家にはあったが、自分のものはなかった。
 そんなわけで、親にお金をもらって、本屋兼、文具店に行き、買ったのがNTカッター。工作の時間に使う、といったらおじさんが出してくれたのはもうそれ一択。
  
 190円ぐらいだったと思う。姉が持っていたのはチキチキと刃を繰り出すタイプの、多分オルファのだったが、それはおばちゃんが書道教室と一緒に経営している駅前のちょっと遠い文具店のほうだったらしい。というわけで、私が最初に手に入れたのは金属ボディに青のプラ部品がはまっていて、ネジで締めて刃を留める、この左側の写真みたいなやつだった。
 クラスで同じカッターを持っている人が多くて、油性マジックで名字が書いてあった。ネジをなくす男子がいた覚えがある。故に、チキチキ繰り出し式のほうが人気だった。

 めちゃくちゃ長持ちした。中学校になっても、まだ使っていたし、高校生ぐらいの頃まで多分使っていた。
 そのあと、全体が金属でできたちょっとお高いタイプのに買い替えたのは、多分プラ部品が傷んできたからだったはず。刃をおるところの溝がだめになったんだったか。うちには刃を折って入れる道具なんてなかった。付属の溝で折りとるのでなければ、うちではペンチを利用していた。替え刃のケースにも溝があるのがわかったのは、多分自分で替え刃を買うようになってから。

 いつの間にか私が持っているカッターは、プラボディの廉価普及版になって、もしかしたらオルファでもNTでもないのになったこともあると思うけれど、結局そのどちらかのメーカーに戻ってくる。

 話は戻って、力で押し負けるときに、ネジ式で刃を留めるカッターがあったらいいなあ…と思った。探してみるとすごく少ない。
 ホームセンターには、かなりゴツい見かけの大型はあったけど、そこまで大きいと小回りが利かない。
 住んでいる街の老舗の文具店へ行ったら、あった。さすがだ。

 というわけでこのカッター。ちょっと一番下のところが中空になって、折った刃を貯めて置けるというのが違うけれど、私が持っていた初代カッターナイフと大体同じだ。金属ボディのは久しぶり。こういうのって、傷みにくいからね!ネジさえなくさなければ多分長く使える。

 手にもってちょ、と親指でネジを緩めて刃を出してまた締めなおした。
 片手で確かに、そうしてたなあ…。記憶自体は残っていないのに、私の手はこのカッターの使い方を覚えていた。
不思議な感じだ。

封筒の好み最終決着

 結局手紙をぽつぽつと出し、近所のホームセンターで適当に買った封筒とか、家にあったのを印刷してわかってきたことがある。
 うちのプリンタと、年賀状作成ソフト(お金を出して買った)は、微妙に相性が悪い。

 プリンタに「洋2」封筒用の設定がないのだよ…。ポピュラーなサイズだと思うんだけどねえ。
プリンタはプリンタで、ちゃんと刷る責任があるんだから、紙が違えば「違う」と言わなきゃいけないのはわかるよ。でもなぜ、キャノン(日本の会社)のプリンタドライバにその設定がないんだ…。11㎝x22㎝の滅多に使われないようなアメリカでポピュラーなサイズとか、日本人が全然ぴんと来ないフールスキャップサイズ(イギリスの)がぱっと選べるのに、洋2の設定がないのは片手落ちだと思う。
 いちいちユーザー規定用紙っていう設定もあるんだけどさ?電源切ったら飛ぶしさ…。保存するところが別にあるのかなあ。
近いサイズを選んでも、違う!といって絶対刷らないときもあれば、どうする?このまま刷る?と聞いてくれてこのままでいいよ、とボタン押したらしぶしぶ刷ってくれる時と両方あるのだけど、その違いがわからない。

  結局、洋2サイズを印刷するときは「はがき」が入ってるから!とプリンタに教えておくと一番うまく、だまくらかせることがわかった。(うちのプリンターはキャノンの複合機)
 違う気がするけどいいの?と聞かれたら、「いいから刷って」とボタンを押しておくと刷れる。
 100㎜x150㎜のはがきサイズに対して、114㎜x162㎜。ちょっと違うが14ミリと12ミリだと、印刷したときに余白が広くなるぐらいのことで、たいして問題もない。
 

あと、あけたときにこういう形になる封筒を刷ると、紙が入る時にパリパリパリ!とちょっと不安になる音がするのと、端にちらっと汚れが付くことがある。


こっちの形だと全く大丈夫なんだけど。
 多分、貼り方の問題で、紙がどのぐらいしなやかに曲がるか…というのが違っているのだろう。ふたの方、つまり横長に巻き込まれるように入れたらマシなのかもしれないけれども、紙が縦だ、横だ、というのは上下がはっきりしている長い封筒とか、はがきはともかくも、年賀状ソフトが刷ってほしい向きと違うことがあって、もう試し刷りが面倒くさくなってきたので考えるのはやめて、下の方の貼り方の封筒を探すことにした(カマス貼りというらしい)。

 郵便番号の枠はないのに限る。なんせプリンタをだまして刷っているので、ずれる危険があるからだ。自力で枠と数字の両方を刷ります、という設定が年賀状ソフトのほうにあるので、それを使う。
 
 それと、大体便せんを田の字に4つに折って入れているので、紙の角が結構立っている。
 うっかりたくさん入っていて安いのを買ったら、封筒が紙の角にやられて負けそうな感じが…。多分大丈夫だし、昔お金のないころはやっすい紙でこしらえた封筒を使って送っていたから、いまさら何を…ではあるが、やっぱりちょっと上等の封筒のほうがいいかもしれないなあ…という気がしてきた。それに年間500通とか送っていた昔と違って、今はもっと少ないんだから、ちょっとぐらいお金がかかっても大丈夫だろう。
 というわけで、ちょっと厚手の封筒を選んでみることに。10枚100円の封筒ぐらいで十分だということもわかってきた。
だめだったのは100円で25枚入っているタイプ。やっぱり値段で厚みが違う。

 それと関連して、色はカラフルなのも楽しいけれども、やっぱり中に入れてある紙がPCで刷ったのが多い以上、ちぐはぐにならないように無難な色がいい。昔はレターセットをいっぱいもっていたので、おそろいの封筒と便せんで…なんていうのだってやったことがあるけれど、そこまでたくさん家に置いておけない。やっぱり白が無難なんだよねえ…。白が大体一番安く、買いやすいという身もふたもない理由もある。

 1:洋2封筒。(長い封筒はどうも事務っぽいので)
 2:白 (目が痛くなるぐらい白いかどうかはともかく。白に見える範囲)
 3:郵便番号枠がない
 4:カマス貼り
 5:ちょっと厚手、または二重になっている。

 こうやって条件に書いてみるとたくさんあるように見えるけど、洋2号の封筒はいっぱいあるし、白はデフォルトといってもいい色だから、実際の条件としては3つだろう。
 そう思って、お店に行ってみた。行先は家のそばのホームセンターと、町の老舗の文具やさん。

結論。ホームセンターには、なんとこの条件に当てはまる封筒はたったの1種類。
etrange di costarica(エトランジェディコスタリカ)というメーカーの、25枚入りの厚口アイボリー封筒、198円。
 メーカーのサイトによると、白は3色、「スノー」「ナチュラル」「アイボリー」があるよう。そのほかにパステルカラーが何色かあった。
 多分、スノーは目が痛くなる白さ、みたいな青っぽい白さで、卵の殻みたいな色がナチュラル、アイボリーはちょっとクリーム色がかっているということなんだろうけど、アイボリーだけみたら白い封筒にしか見えなかった。

 老舗文具屋さんのほうには、「スノー」があったので、こっちでもいいか。「中厚口」と「厚口」があって、81g/㎡と100g/㎡で厚みの差があるらしい。
 郵便番号枠がある封筒は他にもあったけど、ないのはもう、このあたりで買おうと思ったらこのメーカー一択ってことだ。
 迷う余地なし。

 ふと、「私、アイボリーの紙もってなかったっけ」と思って、がさごそ家を探したら、出てきたけど全然違うメーカーのもので、この一択のコスタリカアイボリー封筒の色がどう見ても「白」なのに、紙の方の「アイボリー」は黄色寄り。
 つまり●●●●●●こういう感じの色。
 うーむ。A4とA5、両方あった。いつ買ったっけ…。メーカー違いで、でも似たような色で、私の好みがこのあたりなんだな、ということがよくわかる。危ない。また買うところだった。なんとかこの紙を先に消費しよう。

 封筒はもう、このメーカーの25枚入りに決定。近所のホームセンターで買えるのがいい。手紙って、その気になったときにパッと書くのが一番いいんだよね。

 

動悸がする朝の夢

 季節の変わり目だからなのか、もうすっかり涼しくなった時のメモから。(9月の連休明けぐらい)

 夏の間、ちょっと控えめで楽だった動悸がひどくなって戻ってきている。
 朝の夢見が激烈に悪いのは、その時動悸がして苦しくなるからなんだけど、見た夢がとても面白かったのでブログに書く。

 気が付いたら、私は乗り物に…空飛ぶ乗り物に乗っていて、今から食事をするところ。
 「スピードが上がる時に55度はあるからねえ、角度」と、隣の人が言う。

 そうかー。上る角度が55度っつーと、かなりきついなあ…と思ったとたん、その乗り物が言われた通り斜め上(55度かどうかは知らないけど)に、ぐわっと加速して、ぐうっ!!ってなった。(夢の中の私にはこの乗り物は宇宙船?で、飛行機ではないのがわかっている)
 やっぱり加速度がきついな…と思っているところで目が覚めた。

 起きてから、胸が苦しいのは確かなんだけどちょっと笑ってしまった。何、このSF設定。
 私はもちろん宇宙船になんか乗ったことはないし、それほどGがかかる乗り物にも乗った経験はない。そして隣に座っていた人は高校の時のクラスメイトの男子だったのだが、本当に全く、交流のない人だった。おはよう、とあいさつしたことがあるかどうかさえ疑わしいぐらいの。

 顔と名字は間違いなく一致したはずだけど、なぜその人が出たんだかまったくわからん。夢なんてそんなものだけどさ。
 そしてなぜ、加速前に食事が給仕されるかなあ。SFの世界でも食事が出るのは加速が終わってからだろう。
 
 実に嫌な感じに苦しい。けど、まだ笑えるんだなあ、と思ったらちょっと気分がよくなった。
 どうせなら、変に危機感迫る怖いのじゃなくて(そういうのも結構見る)こういう感じのを見たい。

 もう、どうにもならないものなら慣れるしかないよね、動悸。こないだもういい加減更年期もいいとこまでいってるだろうと産婦人科で血液検査したら、全然だめだった。つまり「まだ更年期とは言えない数値」だったわけだ。先は長そうだけど、なんとか乗り切ろう。

「農場にくらして」 復刊

 

今年、見られない場合は画像のリンク切れです【岩波少年文庫は70周年】だそうだ。
 子どもの頃から岩波少年文庫にはさんざんお世話になった。どれだけ読んだことか数えきれない。ハードカバーの本ほどは高くなく、なおかつ名作ぞろい。今でも大好きな本がたくさんある。
 プーさん、長靴下のピッピ、メアリーポピンズ、ふたりのロッテ、ドリトル先生、ナルニア物語、借りぐらしの小人たち、ツバメ号とアマゾン号のシリーズ。かなり完訳版が多かったし、抄訳でも、それを感じさせない訳が多かった。

 いつの間にか、あれ?少年文庫に入ってたの?という本だった1冊が、この本、「農場にくらして」。
このアリソン・アトリーさんは実は絵本の「グレイラビットシリーズ」の方が有名なのだけれど、「時の旅人」と「農場にくらして」はターゲット層はもっと上の方。
 「時の旅人」はティーン向けでフィクション。タイムトラベル物の傑作で、イギリスの、いや、ブリテンの昔の雰囲気がとてもいい。実はこれは英語版のほうが読んだのが先で、渡米したときに読んだ。そのあと「農場に暮らして」も英語で読んだ。ミス・リードの「村の生活」を英語で買った時に「これを買った人はこれも見ています」の欄で見て、手に入れた。

 故に英語版はあるんだけど、日本語版がない。買おうと思ったらびっくりの岩波少年で、ついでに買おうと思った時には絶版品切れ、高騰していた。さすがに図書館では読めたものの、ほしいなあ…と思って早何年。(ちなみに2000年刊行だった)

 岩波書店の本は、他の出版社の本と違うところがある。
 それは、本屋さんで買い取りにする方式だ、ということ。

 ほかの出版社の本は、本屋さんにあるのはあるのだけれども、その本はいつでも返品出来る。つまり置き場所が本屋さんなだけで、本の持ち主は売れるまでは出版社さんだ、と考えたほうがわかりやすい。でも、岩波書店の本は本屋さんが買い取って、お客さんに売る、他の商品と同じ方式になっているのだ…ということを教えてくれたのは誰だったかなあ。
 多分、高校の時の国語の先生だったと思う。

 そんなわけで岩波書店の本は田舎の本屋さんが、売れなかったら損になるから置かないらしいという話だった。
 私はその話を聞いてはじめて、なぜ岩波少年文庫や、岩波文庫は近所の小さい本屋さんにはなく、一番近くても電車の乗換駅があるところまでいかないとダメなのか…ということがわかったのだった。

 品数を置かない本屋さんが多いということで、そうなると売り切れが早いことが多い。
 岩波書店の本はよっぽどの本でないと、見たら瞬間、捕まえておかないと逃げられてしまう、私的にはそういう感じなのだ。
 
 復刊した7冊全部そろえるのに苦労したファージョンの全集、そろえたときにはなぜか背表紙がきれいにそろわなかったゲド戦記。下巻だけ手に入って上巻がなんとしても見つからず、繁華街の本屋をはしごする羽目になったのもあったっけ…。

 少年文庫70周年記念復刊の記事を見つけたのが10月13日、復刊予定日は15日。(これを書いているのは17日)。
 絶対早めにいく!と決心して、土曜日の朝から本屋さんへ行った。
 確かこの本屋さんは児童書に力をいれていたはずだ。

 そう思って行ったら売り場にはなかった。ありゃ…だめかな。
 昔ならここでほかの本屋にいくか…と思っただろうが、そこは年齢とともに図々しくなっているので、レジの人に、岩波文庫の70周年記念復刊の本はありますか、と聞いてみた。

 ちゃんとスマホで岩波文庫の特設ページを見せてである。
 うーん、便利!こういうことが出来ると「そんなの、ありましたっけ」とか言われなくてすむ。
 エプロンかけたおじさんだったのだが、「ちょっと、見てきます」とバックヤードへ行って、そのあとニコニコしながら「ありましたよ!」と持って出てきてくれた。

 おお!じゃあ、これください。と見せてもらった本からこの「農場にくらして」を買うのに成功。
 この本には特別なカバーがついているということだったが、思ったよりずっときれいな、箔押しできらきらする飾りのついたカバーだった。カバーが普通のと2枚重ねになっている。

 おお、両方ついているとは、サービスがいい。ほかの岩波文庫と並べたとき、きれいに見えるほうがいいという人も多いだろうし、かといって特装版カバーがいい人もあるだろうから、両方というのはいいアイディアだ。
 ひとしきり喜んでから、ゆっくり読んだ。

 これを読むと、田舎の農場に遊びに行ったような気分になる。キッチンが家の中心にあるような農家で、暖炉があって、井戸もあって、羊や、牛がいて…。自分では想像できないような細かいことまで描写してあるから、いつだって楽しめる旅行みたいな本。

 ちょっと嫌な想像ではあるが、またコロナで自粛になってしまう冬が来るとしたら、この本はいいのではないかな、なんて。
 こういうものはたくさん用意しておこう。あって困るものでなし、冬の夜長にちょうどいい本なのは確かなんだから。
 次は「氷の花たば」が復刊しないかなあ。「西風のくれた鍵」のほうはあるんだけど。なんなら電子版でもいいんだけどなあ。

幻の小公女

私が子どもだった頃集めた名作の文庫本の中にあった、「小公子」と「秘密の花園」は旺文社文庫だった。
 他のレーベルのものが気に入らなかったので県庁所在地の街の、県下でも一番広いというような触れ込みの本屋さんであれこれ見比べて、値段と相談して決めた本だった。

 小公女は家の近所のリサイクルショップのワンコイン100円コーナー出身の角川文庫だったのだが、その訳に文句はなかったので、その大型書店では選んでこなかった。

 私の持っていた小公子と秘密の花園の裏表紙の内側にある「旺文社文庫収録 バーネットの作品」は「619-1 秘密の花園」と「619-3 小公子」の2冊だけだったから、ふうん、ってなもので、その2冊は手元に現物があったから参考にするほどでもない、スルーだった。

ここまでが前置き。
今日はその本とばったり…大変偶然に出会ってしまった話。

 私は「秘密の花園」と「小公子」の古本をネットで注文していた。両方割と出た本なのだろう、別に高くもなく、500円以下で手に入る本だった。表紙を付け替えたりして、遊ぶのもいいなとか、きれいなカバーをかけるのもいいなあとか、そういうことを考えていた。届いた「小公子」の包みを見てみたら、なんと中身に入っていたのが、旺文社文庫、岡上鈴江さん訳の(これは小公子、秘密の花園もそう)619-2、「小公女」ではありませんか!

えー。あったんだ?初めて見た…。ぱらぱらっと見てみると、うーん、微妙。すでに川端康成訳に慣れている私には違和感がある。
でもこれ…。ネットにもあまり情報が出てこない、珍しい本のような気がする。

 小公女はこの版じゃなくていい。それに、小公子はこのままにしておくと来ないじゃないか…。というわけでアマゾンに連絡を取り、本が違っていた、と書いて送ると、あっという間に返金。
 まあ、そこまではいい。でも、出品者に連絡を取って数日たっても連絡がこない。もう返金したからいいだろうと思われているんだろうか。この本どうするのよ。

 読まない本なんか、あってもしょうがない。これが、私の方の都合でいらないというなら送料はこっち持ちで送り返すことになっているらしいのだが、この不都合は相手方のものだ。商品間違いなんだもの。

 しかし連絡がない。返金したらもう好きに始末しろってことなのか…しかしそれもネコババみたいで気持ち悪いじゃないか…。
 叩き捨てるにはちょっとなあ。この本が、この訳が懐かしい人がいるかもしれない。私だって小公子を、秘密の花園を読むならこの人の訳がいい、と思っているわけだし。そう思うと捨てられない。 


 

 連絡を待ちくたびれて、表紙の写真まで撮っちゃったよ(それでもってブログにあげるわけだけど)。
 とか思っているうちに待っているのが面倒になってきたので、ネットで返送先を検索して、送り返しちゃうことに決めた。多分送り返さなくてもいいんだろう。あっちも多分送料をお店で持ったら赤字…ぐらいの値段とみた。
でも私の気分の問題なんだし、まあ、いいや。

 料金は定型外で250円。ま、ブログの記事にはなったし、見慣れない訳の版をさらっと読めたしいいことにしておこう。
 プチプチの封筒に入って、本は帰っていく。

 どこかに、この本をかわいがってくれる人がいますように。
 小公子は、違う古本屋さんに注文した。

プリンタの謎判明

 最近手紙を書くようになって、用紙のサイズが息子の学校プリント作成用A4以外のものもよく印刷するようになった。夫の仕事の書類も大体はA4が基本で、はがきとか、封筒とかはあんまり印刷の機会が多くなかったので、その都度トレイの中身を入れ替えることで対応していたのだけれど、面倒なので、2種類プリンタに入れておきたくなった。

 確かこう、給紙するトレイが2つあったりするプリンタがあったはずだし、背面にトレイもあるプリンタがあるんだから、とあんまりしげしげ眺めていなかったプリンタをチェック。ありゃ、背面トレイはない感じ。
 てっぺんに紙が入るところがある。オッケー多分ここ?
 そう思ってPC上からプリンタの設定を見たら、紙の供給方法のところが1つしかない。プルダウンメニューはあるけど「給紙トレイ」一択だ。

 えー。上のあれ、なに?📄こういうマークがついているんだけど。

 それと、給紙トレイの上が不自然に空いている。ここ、もう1段ささるんじゃ?給紙トレイ2つないのか?オプション別売り?

…はあ。マニュアルみたほうがいいな。こういうことでもないとまず参照しないんだけど。
 オンラインマニュアルを見に行った。二段トレイなのは別の機種。そっくりさんな見かけだが、違うものだった。多分部品がある程度共通化されているのだろう。

📄<このマークのトレイはADFだ、と書いてある。
 なんだそれ…。読み進めると、スキャナの原稿を自動で取り込む装置らしい。あーえっと…AはAUTO、オートだ。
Fがフィーダー、FEEDERで、Dはなんだ。Dはピンと来なくて、調べたら「ドキュメント」のDであった。

 だあ。ってことは、このいかにも紙が入りますよー。というトレイは給紙用ではないのね。残念。
 紙のサイズを変えるたびにガッチャンと取り外してセットして入れなおすしかないのかあ。
 ちぇ…。次回プリンタを買うときは2段トレイのにしてもらおう。

年賀状はじめました

 ここしばらく、お手紙を書いて出しているのでちょっとプリンターを使う機会が増えている。
 そうなるとやっぱり年賀状を作ろうかというときの敷居が下がる。普段封筒を印刷しているのは年賀状ソフトだからねえ。
 
 ここ数年、私の年賀状はぐだぐだだった。いや、内容は毎年ぐだぐだだが、名簿の整備がぐだぐだ。毎年同じ人があて先不明で2、3枚返ってきては、あ、また抜くの忘れた…ってなるのだった。おまけにもう外国に住んでいる人の分やら、私の知り合いじゃなくてどちらかといえば母の友達とかが印刷したことがあるだけで入っていたりして、チェックマークはつけて刷っていたものの、そのチェックマークをクリックするのが面倒くさい。

 住所録のアップデートをしよう…。そう思ってこのお正月は来た年賀状を気を付けて箱に入れておいた。今頃やっとやる気になって整理を始めることに…。がんばったよ、うん。また来年になりかねなかったからね。
 まず、今までの住所録データをコピーして、新しく名前をつけてから、まず年賀状を出さない親の知り合いとか、外国に行った人とかを抜いた。

 そのあと、持っていた20年度の年賀状とマッチング。
 「今年で年賀状はもう終了します」と書いてある人の分もよけて、喪中はがきだった人ともマッチ。
 部屋の中から見つかった年賀状いろいろとも合わせて、大体こんなものだろう…というリストに。
 
 そのあと、ラインでしか連絡を取っていないけれど、手紙は今のこの外に出づらい時期に書いたら面白いか…と思った人と連絡を取って、住所を数件教えてもらって足して、これで間違いはないはず!一応前のデータもとってあるし、今年の年賀状はこのリストを全部刷ったらOKだ。

 ええい、もう刷っちゃえ。というわけで宛名を刷って、テキトウそうな年賀状を反対の面に刷った。白紙のはがきで刷るので、今の時期に出来るのだ。これで年賀の切手を買えば問題なし。

 一言ずつ…というのもあるけど、私は実はそれも印刷だ。1枚ずつプリンターにかけるってわけだ。よっぽど手書きが嫌なんだなあ…と思われるだろうがその通り!嫌いだとも。

 どっちが早いかなあ。がんばって丁寧に手書きか、打ち込むか(多分打ち込む方)。

 とりあえずはじめてみた。これで大体7割。
 切手を貼り、年賀スタンプを押して、一言足す。これで終了。一言足すところから。年賀切手の発売は今月29日だとか。覚えておこう。

洗い桶

 一人暮らしの時はもうどうだったかおぼえていないが、これまで、うちには洗い桶がなかった。
 意外とすぐ洗ってしまえば問題がない…と思っていたのと、実家の桶がなんとなく忘れられないせいもあった。実家の桶はプラスチックで、流し台がいっぱいになってしまうような大ぶりで、いつもそこに置いておくしかない状態。プラだったので傷だらけで、その傷にこう、茶色い汚れが付着していてなんとも満身創痍。衛生の問題もさることながら、使わないときは邪魔なのと、どうもこう、あるだけであんまり流し台がきれいに見えないというおまけつき。
 うちの父が作る花だの、野菜だの、土つきのものをがしゃがしゃ洗うため、傷がつきやすく、そうなりやすいのはわかるけどねえ…という感じだった。

 ところが、最近になってお弁当問題が出てきた。息子が持っていくお弁当箱は、帰ったら出して水につけておいてほしい。息子が洗うのをすごく嫌がる。食べたんだから自分で洗え、という方針のおうちもあるのは知っているが、今この反抗期の息子にそういうことを教えるのも難しいし、こっちが疲れるから、いい落としどころ…というのが、ふたをあけて、水につけておくというあたりなのだ。

 息子の弁当箱は幼稚園の頃と違ってでっかい。家で使っている一番大きいボウルでぎりぎり足りないぐらい。
 しばらく一番大きくて深い鍋を使っていたのだが、洗い桶というものを買うのもいいかもしれないと決心がついた。通販で見てみると、いろいろなのがある。というか、マンションの流し台にぴったりの、小さめのものが主流のようだ。

 私が思っていたよりずーっと全体的にサイズが小ぶりだ。巻き尺を握って長さを確認すると、どうも家にあった洗い桶は特大のよう。それと金属の、アルミのとか、ステンレスのがある。おおー。これなら、傷がつきづらいし、洗いやすいだろう。こんなのがあるなんてねえ!

 D型と言われる、洗面器のでっかいので1辺が平らになっている…といった見かけのもの、小判型のもの。おおう…こんなのもあるのか。
 息子のお弁当は長細いから、小判型がいいかも?そして流しの端の方に寄せておけるし、流しの下の物入れに洗って拭いて片付けられるぐらい!これはいいなあ…。こんなのがあると知っていたらもっと早く買ったかも!!

 というわけで小判型のスリムという触れ込みの、34㎝x23㎝というのを購入。
 台所用の洗剤のびんの裏にある標準使用量を目安に、洗剤液を作って入れておいて、弁当箱をいれたり、そのあと夕飯の食器も入れたり、スプーンや箸も放り込んでおいたりしてから洗うと早い早い!洗剤液を作っておいてつけておくというのは、業務として皿洗いをするところでみたことがある。確かにこの方式のほうが早い。実家ではそういうことをせず、スポンジに洗剤をかけて泡立ててから洗っていたけれど、やり方を変えることにしよう。

 食器を洗い終わった洗剤液は鍋やフライパンを洗ったりするのに使って、最後は流しと洗い桶を洗うのにつかって…と最後までこのやり方のほうがいい感じ。ちょーっと洗剤の使用量が増える…のかなあ。でも早いしうまくいくし、断然こっちだな。ずっと昔教わったやり方でやっていたのを今、変えるのは珍しいことだけれど、こういうことも出来るほうがきっといい。
 洗い桶が2500円した、なんて親には言わない。絶対びっくりされるし、なぜそんなもったいないことを…と言われそうな気がするからだ。でも皿洗いは一日に2回、毎日やる…ということを考えると、割といい買い物のような気がしてきた。

 身に染みついた貧乏…がちょっと、いやになる瞬間でもある。こういうことにお金をかけることで、いろいろと便利になることが、小さいけどいろいろありそうで。その割に見栄っ張りだった母のことも。私はあんまり人から見てどうだ、ということにはお金をかけないたちではあるから、こういう誰も見ていないところの改革を進めて、数千円ならまあ…とかそういうことを考えられるようになったら、もっと面白いのかもしれない。

 洗い桶に2500円かけることに、ちょっと後ろめたさを感じる自分。服に3000円「なんか」かけないほうがいいのでは、という気がずっとする自分。大丈夫だとわかっているのにねえ。ま、節約して過ごして問題がないのなら、こんなものかと片付けておく。

あんこdeデザート

 夏が終わってしまった。いや、まあ暦の上ではとっくの昔に終わっていたのだけれど、スーパーの売り場的にも、9月の半ばにはもう、水ようかんが消えてしまい、くずもちもわらびもちも、まだまだ名残惜しくて食べる気満々だったのに…ああ。

 家で作れる寒天を容器にいれて、あんこを入れて食べたらおいしいのでは…?とふと思いついて作成してみた。
 プリンの時も使っているふたつきのプラスチック容器に、ちょっとだけ甘い寒天を作成。砂糖は黒砂糖が余り気味なので黒い砂糖を入れて作って、薄茶色の寒天になった。

 そのあと、袋入りのあんこを買ってきた。あんこまで煮る根性はない。
 その袋の端を三角に切り落として、絞り出したあんこを、つぎわけた寒天に投入。

 …見栄えが悪い。薄茶色の液体にうかぶ、褐色のあんこがまた…他の物と勘違いされそうな絵面なので、ブログに画像を上げるのはやめておくぐらいひどい。
 見かけの悪いデザート・オブ・ザ・イヤーどころか、見かけの悪いデザート・オブ・ザ・センチュリーが獲得できてしまいそうな見栄えの悪さ。

 絞り出したあんこが直径2センチぐらいの円筒形なのが敗因だろう。これはたとえば丸とか、四角とか、花形とか、星形とかにきれいに抜いたあんこだったら、ここまでひどい見かけにはならなかったはず。

 とはいえ、食べるのは私だけだから、面倒なのが勝って冷蔵庫に入れて固めてしまった。

 次の日、夫が「今回のデザートは、味はいけたけど、見かけがどうかと思うんだけど」と提案してきた。食べたのか(笑)。
早朝、めちゃくちゃ早く目が覚めた彼は、仕事しながら何か一口…と思って冷蔵庫のそれをみつけたらしい。私も笑いながら、「そうだね、確かに。今度はもうちょっとあんこは違う形にするよ」と約束しておいた。

かわいいスタンプ

 スーパーと、図書館にしか行っていない昨今、なんとなく気分が盛り上がらない。
 買い物がしたいなあ…ちょっとかわいいものだけ見て、2000円ぐらい散財してから帰ってくる、そういう買い物。食料品と洗剤だけじゃなくて、日常に必要ではないものがほしい。
  
 夫にそういうと、平日のすいていそうな時間に行って来たらどう?とおこづかいを3000円、出してくれた。わーい。つまり彼は自分で対処するのは無理と判断したってことだ。家計と別に使えるお金はうれしい。
 大体普段はあんまりこういうものを見に行かないことにしているのは、ほしくなっちゃうから。絶対買わない…と思いながら見ているのはちょっと残念なものだし、「いつか買おう」…ということは割と買ってしまいそうになる=今買ってもいいやってなって買ってしまったりするので、無駄遣いになりやすいから気を付けているわけで。

 だが、これはつまりストレス解消の手段であって、「かならず一つ買う」と思って売り場をみたら、きらめいて見えるんだな…。
 売り場を歩いていても、何を見ても買えると思ったら楽しい。封筒、びんせん、筆記用具…。もうぐるぐる歩き回っているだけで相当の時間だ。今日のスマホの歩数計算は相当行くだろう。

 普段は絶対買わないであろう、500円ぐらいするお高いびんせんをひとつづり買うことに決めてから売り場をめぐっているうち、見つけたのがこれ、見られない場合は画像のリンク切れです【切手のこびと】。(画像はリンク先のオフィシャルサイトからお借りしました)実はこれが発売になったときの新聞記事は読んだことがあった。 ただ、私が住んでいる街には、まだ到着していなかったのだ。何年かたって、全国に広がってきたということだろう(リンクのサイトでは送料一律270円で全国に通販している)

  売り場でかなり長い時間箱を眺めて、決めたのがこの絵を描いているみたいになるスタンプ。
 四角いシールを作って、切手側じゃなくて、封緘側のシールに押してもかわいいだろう。
 こうなると次に買うものが決まってくる。まず、シール用紙。写真シールで24x17ミリのシールになるタイプのPC印刷用。それからちゃんとしたスタンプインク。小型のシャチハタのスタンプ台にした。100均のじゃない上等だ。

 そして文具売り場に、そこのオリジナルのコットンのお買い物バッグが税込み180円で売られていた。エコバッグの販売ってやつね。結構かわいい。つい、袋を買ってしまった。これはこれからも利用するからいいんだもーん。とか言い訳しながら買う。
 そのあと、老舗の文具店まで行って、洋7号と洋4号の封筒を買う。このサイズはあんまり使ったことがないから実験。残りのお金でお菓子を買って、買い物終了。気が付いたら日が暮れていた。

 朝のうちに夕飯の準備をして出て行ったのは大正解。帰り道では足が痛くなった。まあ…滅多にないぐらい長時間歩いたからねえ…。
 「楽しかった?」と聞かれた。うん、すごく。彼が一番よかったねえ、と言ってくれたのは180円のエコバッグだった(笑)。半年に一度ぐらいやるといいかもしれない。


分厚い便箋

 とてもきれいなエンボスの入った、真っ白なびんせん。正直高かった。店中で一番高いびんせんだったかもしれない。
 でも、花の模様はあくまで上品、かける量はそれほど多くなさそうだが、黒いインクでも、青いインクでもぐっと引き立ちそうなそのびんせんは、久しぶりに手紙を書こうと思った時に、楽しいだろうな…と思わせる空白に、薄い罫を浮かばせて、なんとも美麗だった。

 はあ…こういうの、好きだ。そう思ってつい買って、元気よくお手紙を黒いインクで書いて、さあ、折って出そうと思ったのだけれども、ここでちょっと違和感が。
 
 いつも使う(ことにした)洋2の封筒に重ねて田の字に折って入れましょうと思ったら、紙がうまく4つに折れない。
 分厚すぎるのだ。ひゃー。予想外!しょうがないので1枚ずつ折って、あとからかさねて、最後の折り目だけ別につけて薄いコの字になるようにして何とか入れた。

 中厚口と書いてある封筒なのに、手紙の4つ折りの角が固くて封筒が負けそうになっている。下まで落として、打ちどころが悪ければ封筒が破れるかも?4枚も書くんじゃなかった…。
 この便せんは、2枚ぐらいさらりと書くためのものなんだね。
 そして3つに巻くように折って、長い封筒に入れるもの。おそろいの封筒はお店で売り切れだったのか、仕入れてないのかはわからないが、お店にはなかった。真っ白の封筒使えばいいよね、と思ったのがあだになったわけだ。これの柄違いで、同じシリーズの封筒はあったのだから、封筒が大きめの洋4だったのぐらい、確かめておけばよかったのに。(洋4というのは長4と同じサイズで、開く場所が違うタイプ)

 そして切手を貼る段になってもうひとつ。
 24グラム。うわーぎりぎり、危なかった!25グラム以上は郵便料金が上がる。ちょっと重いな?と思って台所のスケールで計っておいてよかった。これ5枚入れたら、料金不足になるところだった。お手紙が来るのは好きだ。でも、料金不足の封書というのは誰からにしろ興ざめだものね。

 つまり、このびんせんはきれいで、素敵なんだけど…。これ使い切ったらもうやめておこう。話題を3枚ぐらいにとどめておいて、長4の封筒で送るしかない。
 びんせんが薄っぺらいのには、そういや、こういう理由があったんだなあ、忘れていた。二十代の頃に使っていた便箋は、コピー用紙で自作したのでなければ、あとは一番安い書簡箋だとか、なんならレポート用紙だったりした。あの時はお金がなかったから、安いのを使っていたのだと思っていたが、長文が送りたければ割とそれでよかったのかも。
 カラーのレポート用紙4枚なんかしょっちゅう埋めたけど、それで郵便料金が違ったことなんかなかったし、もちろん4つに折ってペラい封筒にいれてもなんでもなかったものね。
  
 いつもの私のデパート、100均の書簡箋は80枚110円だ。
 レターヘッドでも印刷していれようか、という簡素さだが、結局お手紙というのは、こういうのが一番いいのかも。
 ああいうかっこよくて高いびんせんは、プレゼントのお供かなにかに、さらっと数行書いて…とかで、昨日読んだ本のことなんか、つらつら書くのには無理があるってことか。

 高いものが似合わない自分を改めて再認識。
 残念なような、でもこれでいいような…。紙が薄くて、きれいでかわいいびんせんというものも探してみよう。

ゆうちょの不正利用の話

 郵貯の口座から知らない間に違うところに送金されたりする不正が…という話があったが、夫から、「奥さん、普段使ってる郵貯口座は、大丈夫?」と聞かれた。
 大丈夫さー。と私は自信たっぷりに答えたのだが、これには理由があった。
 「最後に記帳したの、いつ?」とこれまたもう一つ聞かれたが、記帳していなくても、大丈夫だろうと思うその理由は。

 私の郵便貯金の口座は、本人にさえ郵貯ペイに登録できない口座だから。なんせやってみてだめだったことがある。いくら詐欺が巧妙だといえども、さすがに正規手続きでだめなものが出来るとも思えない。

 確か…半年ぐらいかな?前のこと。私はつまり「なんとかペイ」がもうあちこちで使われているし、ひとつぐらい使えてもいいだろう。そう思って、どのペイにするか悩んでいた。あんまり手続きが面倒なペイじゃこまるし、使えるところが多くて、今持っている銀行口座でどうにかなって…と思って、郵貯口座をもっていたので郵貯に手続きに行った。

 もちろん相手もこういうのは商売であるから、ニコニコしたお姉さんが手続してくれたのだが、あ、だめだ。とわかったのは手続きを数分かけてかなりすすめてからだった。私の口座には、なんとカードが作成されていない。通帳だけでいいです、といって口座を作って、毎月一度通帳を持っておろしに行っている。なぜなら…理由は簡単、カードを持ち歩くと落としたりなくしたりしやすいからだ。財布を落としたことがあるし、その時にもちろん各種手続きはするが、自業自得とはいえ面倒だ。
 お金をおろすタイミングは1か月に1回。そのあとおろした分を封筒14枚に使途別に分けている。これで1か月のすべての支出をまかなうので、月に1度以上おろさないとなったら、カードはなくていい。そう思ってカードなしに。

 …というわけで、カードが設定されていない口座だとペイが使えません…ということになっていた。そんなわけで、私の使っている口座に限っては、そういう風には使われません!ということにまだなっているらしく、本人が郵貯ペイに申し込みたくてもだめだったというわけだ。そういうのがほしければ、その口座でカードを使える手続きをしてからということになるらしい。

 いいや、もう。そう思って郵貯ペイはあきらめた。その後いろいろ不正使用だのなんだのが発覚したのに、割と涼しい顔でいられたのは、そういうことのせい。
 「なんとかペイ、ちょっといいんだけどねえ…」とこの話の最後に愚痴った私に、アップルペイがあったんじゃ?と夫は言っていたけど。クレジットカード使うんだよね、アップルペイだと。ならクレジットカードでいいわけでさ…。
 即時決済なのが違うのかな。デビットカードみたいになってるとか。

 イマイチそのなんとかペイに乗り切れないのは、口座から直接減る方式だと、目で見えづらいんだよね。
 封筒の中の現金が減っていくのはよくわかるんだけど。10年ぐらいたったら、「現金を受け付けません」というところが出るのかもしれない。

 どこのにするかなあ、なんとかペイ。まだ迷い中。

スマホ新調

 スマホをそろそろ変えようということになった。iphoneSE(初代)の電池の持ちが悪くなってきたのと、夫が楽天に乗り換えて「割といいよ」というので乗り換えることに。うちのモバイルの料金はどんどん安くなる。(今は基本料金900円、音声通話700円、通話料金は従量制で3分20円だが、滅多に使わない(家の電話利用とライン利用)し、あとはユニバーサル料金っていうのが数円ついて、あとは消費税で、1800円以下)

 私は職場が自宅という都合上、自分の家のwi-fiを使うことが多い。つまり回線の質は外でお勤めをしているとか、通学時間が長いとか…という人たちより良くなくても構わないし、データ容量もほとんどいらない。今でも1ギガが余るぐらい。特に最近コロナで外出もしていないからなおのことだ。

 …というわけで、1年間無料だという楽天モバイルへいくことにした。
 機種選定は、どうしようかな…。アンドロイドって、アップルの半額ぐらいなんだよね…。正直パソコンのほうがずっと使う機会が多い私はアップルのスマホはちょっと「良すぎ」。2、3万のアンドロイドの廉価版で大丈夫なんだけど。

 わかっていても、ずーっとスマホはiphoneだったので、気になる。
  夫に「気になるなら、買ったらどう、あとからやっぱりiphoneにしとけばよかったってなるよ」と言われて、反論できず、いまのSEの後継機種である、SE(第二世代)を買うことにした。SE2と呼んじゃっていいだろう。

 

赤、白、黒があるという。うーん。もうちょっと待つとピンクが多分出るけど…。
 今までのスマホも、ケータイも、白、シルバー、ピンクが多かった。
 でもこの際だし、今回は赤で!と決定。

 ついてみたら、iphone8そっくり(サイズは全く同じだそう)。
 ちょっと大きいし、つるっと滑って落としそう。
 空っぽというか、「自分の」でない状態のスマホというのは心細い。
 この状態で落としたら目も当てられないので、SIMをいれずに、元のスマホのまま、ガラスフィルムとカバーを買いに行くことに。iphone8用が使えるから、100均に色々あるもんね。

  気に入ったのがあったら高いカバー買ってもいいし。

 アップデートしてから、前のスマホのバックアップをこっちに入れ替えて更新。SEは32ギガだったのに、今回のSE2は128ギガ。4倍あるので写真とかも余裕だ。音楽ももうちょっと持ち歩こうかな。

 ただ、ヘッドフォンがライトニング端子のになって、普通の3.5ミリのプラグのが使えなくなった。
 しばらくたったら使い慣れるだろうけど…。また4年ぐらいはこれを使おう。

オカルト注意?

 SNSの友達の投稿で、「オカルトが嫌いな人は見ないで下さい」という注意書きとともに、親御さんの入院に付き添って話を聞いたりと、病院の手続き途中に心臓をわしづかみにされたようになり、冷や汗とめまいが来て、トイレに行く途中に座り込んだ、という話が投稿されていた。
 場所が病院だけに、「悪霊に取りつかれたよう」だという話。霊感が強いほうだ、とか書いてあったけどそういう問題じゃない。

 絵にかいたようなパニック症状なんだけど…。と画面のこっちでツッコんだ。
 まあ、たしかに悪霊に呪われたような感じがするだろうが、別に珍しくもない症状だと思う。本人的には冗談じゃないぐらいびっくりしただろうし怖かっただろうけどさ。
 
 多分女性なら、40代にもなればこういう症状が起きた人の話はそれまでの人生で聞いたことがある人がほとんどだと思う。自分の話じゃなくても、友達の友達とか、知り合いの知り合いぐらいまで範囲を広げれば大体耳にする機会はあるだろうし、こういうことを人に話したりするような人間関係が女性の方に多いというのと、多分体感的には女性のほうがこの症状を経験する人が多い感じで、たとえば過呼吸でめまいがして動悸がして…というような類似の症状も含めれば、そんなこともあるものだ…ということは知っていると思う。

 でも友達(男性)は、こういうのを体験するまできいたこともなかったのだろう。怖かったとは思うが、心霊現象よりは生理的な症状のほうが怖くないだろうと思ったので、割と典型的で、一過性のこともあること、継続的に起きる場合は診断名もつくこと、心配なら行くのは心療内科だということ、心療内科系のものでも、こういうのに限っては案外宗教的なサポートでも効いてしまうこともあるので、心霊現象と思う人も多いが、そうではない、ということをメッセージで送っておいた。余計なお世話…かもしれないけどさ。
 
 そっとしておくものなのかもしれないとは思う。
 きっとこれが心霊現象じゃないとわかったら恥ずかしいと思うかもしれないから、とか、まあ、霊感が強い自分というのを楽しんでいる人もいるわけだから、指摘するべきじゃないかもとか、思いつかないでもない。
 ないけど…私なら…多分怖い思いをするのは嫌いだからねえ、言ってくれた方がいいと思うんだ。

 そう…私はかなりの怖がりだ。小学校の時怪人二十面相の仮面の絵が怖くて、それが背表紙についたシリーズが手に取れなくなるぐらいには。
 心霊写真集も流行ったときは泣きそうだったし、墓地の横を夜に通るのは今でも薄気味悪い感じが抜けないし、そういう地縛霊がとか、幽霊付きの不動産がという話は本当に嫌いだし、家賃が安くても住まないと思う。
 だからこそ、こういう話にはちゃんと理由がついている方が好ましい。

 親の入院、手術、闘病は他人ごとではない。明日は我が身だよね。
 悪霊抜きでも十分大変なんだから、そんなものまで足すことはない。悪霊は抜いとけ。そう思う。

「ばら色島の少年たち」 ヴィルドラック作

【ばらいろ島の記事を書いた日】からしばらくたって、私は思い切って本を1冊、インターネット上の古本屋さんで手に入れた。
 

講談社の少年少女世界文学全集21巻フランス現代編。
 収録されているのは「シミトラの孤児」「ばらいろ島の少年たち」「グリシュカとくま」の3編。

 監修者のてっぺんに川端康成。浜田廣介は確か童話作家で「泣いた赤鬼」とかを書いた人じゃなかったっけ。
 そしてイギリスの児童文学作家のエリナー・ファージョンや、12の月の物語で有名なロシアの作家マルシャークの名前まで。ファージョンは大好きなので、「おっ」ってなった。
 
 ちなみに送料込みで950円で手に入れた。
 チフェルナン君のその後の運命が知りたいために1000円出したことになる。500円で済めばもっとよかったとは思うけど、図書館にもこの物語が載っている本はなかったのでしょうがない。

 ちなみに「シミトラの孤児」は2008年の名作アニメ劇場「ポルフィのながい旅」の原作なのだとか。全然読んだことがなかったので初めて知ったが、シミトラの孤児のほうがよく情報が出てくるのはそのためらしい。

 前編の「ばら色島」で、パリでお金持ちの島のオーナーに見初められて子どもの楽園である島で暮らしていたチフェルナン君の運命や如何に、と思って読み始めた。
 軽くネタバレしつつ、その後のストーリーの概要を書くと、結局おうちの人が幸せにしているかということが気がかりで島を完全には楽しむことが出来なかったチフェルナン君は、何と家族全員を呼び寄せてもらっていた。お父さん、お母さん、もう成人近いお兄さん、小さい妹。

 この物語の中では、小さい妹はおまけの子として遊ばせてもらっており、両親とお兄さんは島で働いていて、チフェルナン君はすっかり島になじんでいた。
 
 大変お金持ちだった島のオーナーは、お金を稼いでいた事業が傾いて、今まで通りの運営が不可能に。
 親御さんに愛されていた子供たち、とくに小さい子たちは島で暮らした年月が少ないため島を離れても大丈夫だろうということで休暇として家に帰され、そのまま島には戻らなくなり、親のない子たちと、家庭事情がよくない子と年かさの子19人が残されて事情を説明される。

 今までのように贅沢できなくなるが、漁をし、果物を育て、畑を作り、作物を売り、自給自足してお金も稼げるように頑張りましょう!ということになって、力を合わせて楽しく立ち働き、無駄を省いて節制し、元気に暮らしていく様子が語られる。嵐が来て、島は大打撃…という事件なども起こるのだが、基本的に堅実に、幸せに暮らしているところで話が終わる。

 親御さんが一緒に暮らすことになり、みんなが遊んでいるだけじゃなくて共同作業をするようになっただけで怪しさが激減したなあ。ちょっとむかしのロシアの子供向けコルホーズ礼賛ぽい小説と似ている気もするが、そういう趣味の男性が遊べる環境をエサにして甘い言葉で子どもを釣って…という感じは減り、ぐっと長期合宿というか「十五少年漂流記」ぽさが出た感じ。

 節約と言っても、朝に菓子パンが出なくて普通のパンが出たり、店買いのお菓子じゃなくて自家製ジャムになったり、豪華なボートじゃなくて漁船になったり…というような感じで、それほど深刻じゃなかったので牧歌的ムードはそのまま。
 ちょっと始まりが唐突な気がするが(前編を読んでいないとわからないだろうことがあるから)、それを除けばこっちのほうがちょっと教育的で、大人に「けしからん」と言われないと思う。楽しさもちょっと減って、夢の国らしさが減っているが、作者はわざとそのあたりを抑えて書いたのかも。

 作者は「ヴィルドラック」ではなく、「ビルドラック」という表記になっていた。これが検索に引っ掛かりにくい理由なのかもしれない。
 チフェルナン君、よかったね、家族と楽しい島に住めて。
 
 気候のいい島で、自給自足の生活をし、魚を釣り、楽しく水辺で遊び、雨の日や休憩時間にはのんびりと、いい本を読み、親しい人たちと仲睦まじく暮らす。
 物資は船で陸まで行って買ってこなくてはいけない不便さはあるものの、島をひとつ自分のものにして暮らすというのはロマンがある。
 木陰のハンモック、おいしいレモネード、そして波の音。ちょっとロビンソン・クルーソーはやりすぎだけど、自給自足にはちょっとあこがれが…という人に。その島の雰囲気が楽しい。子どもだったころなら、チフェルナン君視点だったのだろうけれど、今は島で働いている人の目線になるが、それはそれで。

 「グリシュカとくま」は、相容れない人間の文化的な農耕および狩猟生活と野生に生きていくこととの対立と、動物の高潔さを書く…というような感じの小説で、本能のままに生きつつ、崇高な動物の性質を書く、たとえばジャック・ロンドンの「野生の呼び声」とか、シートン動物記の「狼王ロボ」とかあのあたりに通じるものがある。こういう動物の小説って一時はやったのかもしれない。

 実際にクマと子供を兄弟のように育てるのが可能か不可能かはともかく(ムツゴロウさんの手記を見てもわかる通り、子熊の頃にはかわいくても、あとで狂暴になるので多分そういう生活は無理)、物語としてはさびしくなるような結末で、こうにしか書きようがないだろうけど、ハッピーエンドが好きな読者(私)にとってはしんみりする話だった。

 まあ、ハッピーエンドでなにもかもうまくいきました、ちゃんちゃん!というような物語ばっかり読ませるのもどうかと思うから、こういうのもあってもいいとは思うけど。
 
 「シミトラの孤児」は未読。あとで読むことにしよう。
 

パセリ、セージ、ローズマリーにタイム…?

 キンドルが壊れた。息子が私のキンドルに入っているライトノベルを読みたいというので貸したら、学校についたら壊れていたのだとか。まあもう5年もずーっと使っているし、ほとんど毎日ONにするしで、壊れてもおかしくはない。画面を見たら、昔もっていたキンドルでこれと同じ壊れ方したのがあったな…という感じで、見覚えがある壊れ方。息子は大ショック、という感じだったが、これは多分、息子のせいではない。タイミングが悪かっただけだな。
 修理に出すより、新しいのを買う方が安いという種類の端末なので、新しいのを買おうか…という話になった。

 これはうちでは「必需品」扱いで、スマホよりもよっぽど我が家の大蔵省の審議を通過するのが早い。
 夫が買ってくれるというので、選ぶことに…といっても、大体一択、コスパと性能を考えたらもうkindle paperwhiteしかないといえば、ない。

 白いのがいいな(壊れたのも白だった)と思ったら、なんとびっくり、白がない。黒はデフォルトだとして、残りが青、ピンク、グリーンのようだ。

 こうなるとやっぱりピンク…?
 そう思って、よくよく見るとね。これはピンクやグリーンじゃないんだそう。

 ピンクのは、「プラム」であり、水色のは「「トワイライトブルー」、そしてグリーンのが「セージ」なんだって。やれやれ、おしゃれっぽすぎてため息が出る。

 セージグリーンは灰緑みたいな色でちょっとくすんでいる緑で、知らない色とは判定されなかった。
 トワイライトブルーは、まあ、「ブルー」が入っているだけ、まし…?なのでとりあえず青の一種だということはわかる。
 プラムってさあ。アメリカ英語だと、もっと黒っぽい色のことだと思ってた。プラムのような目というのは、仔牛に使われることが多い。あと目が黒っぽい色の子ども。つまり…わかりやすい例はないかな。あれだ、スロットマシーン。

この絵の、右下がプラム。日本で売っている果物で言うと、プルーン、あれに色が近いのだと思っていた。そうでないと仔牛の目がプラムのよう…という表現にあわないではないか。
 そう思ったけど検索をかけて調べてみると、どうもこの色は紫の一種と判断されているらしい。茶色と灰色のかかった紫だということだった。
 なるほど、ちょっと薄紫よりはオレンジ寄りで、くすんだ感じが灰色がかっているということだね。
 しかし、どうしてこういう格好つけたような話になったんだか。

…と思ったら子ども用のカバー付きキンドルにブルーとピンクがあった。なるほど、ブルーとピンクだと紛らわしい。
 よし、ピンク…じゃないや、プラム色注文だ。こういう色をなんとかローズとかバラの色の名前で売っているのもあったような気がする。もう、口紅とか、チークとか、ああいうものの色の名前は全部もれなく、こういう名づけ方だからなあ。

 「オールドローズ」「アンティークローズ」「シュガープラム」「イングリッシュローズ」…うーむ、どの呼び方もありそうな感じ。
 そう思いながら注文したが、しばらく、「パセリ、セージ、ローズマリーにタイム、そしたらあなたはまことのこいびと」というマザーグースの歌の一部が頭にこだまして困った。
 セージのほうがよかったかもと思ったが、まあいい。

 講談社文庫のマザーグースの本って何冊かあったけど、あれがまた読みたいなあ。
 英語の、じゃなくて日本語の訳が読みたい。あの訳に味があった。ちょっとこう…英語とは別の味付けがある感じがして、そっちの方が好きだったりする。谷川俊太郎さん訳だったからかもしれない。 


おもかげ

 友達が、前を歩いている。
 そうだ、彼は黒いTシャツが多かった。確かにこういう感じのプリントのをきていたような…。
 焼けた肌、がっしりした手足、そしてデニムのパンツに、靴。

 後ろ姿の髪型、首すじ、歩き方。
 背格好も本当に彼に似ていた。
呼んだらふりむいて、「おう」と言いそうだ。

 でも、彼がここにいるはずはない。もう彼が亡くなって…10年ぐらいになるだろうか。
 会いたいなあ。
 前を歩く人が遠ざかっていく。背中を目で追いながら、彼を思い出す。

 にやり、とした顔。絶対「にっこり」じゃあない。大笑いでないのなら、「にやり」だ。
 眼鏡をかけてすましながら、ちらりと目で合図する顔。眉毛が、くっと上がる。
 私が「気を使いすぎ」だといっては、しょうがないな、という顔で見られたものだ。
 苦手なお酒を飲む私を、見守る目。ビールが大好きだった。

 懐かしいな…。彼のことを忘れることはないだろうと思う。そして私もいつか、先にいったとき…。誰かがこういう風に思い出してくれればいいのにと思う。難しいかな…。私のほうがさらっとみんなの記憶から消えてしまいそうな気がする。彼ほどの存在感は、私にはない。

 彼を思い出すと、彼の友情が私の心を温かくする。いたのだ、確かに。私たちは友達だった。
だった、じゃないな。今も友達だ。
 
 人は死んだら、その存在はどうなるのだろう。跡形もなく消えてしまうのなら、考える必要自体ないが、もし何らかの形で残るのなら、死んだらそのあと、亡くなった友達と会いたい。もう数人はいる彼らに、待っていてほしい。

 にやりとした彼の笑みが、私をかすめて去ってから、ふと、あ…と思い出した。彼の誕生日だ。
 10/30。誕生日、おめでとう。どこにも、届かないけれど、でもいい。

 親指を上げて、goodサインを出しつつ、にやり、とした彼がもう一度思い浮かんだ。

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    Author:まこ
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    ゲーマーで、本好きで、クラフト好きです。

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