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毎日更新!LuckyDuckyDiary

いらっしゃいませ。毎朝6時には更新します。さっくり読んでいってください。コメントくださった方はリンクさせてください、相互リンク歓迎、リンクがダメな方は連絡お願いします。

はじめるより、やめるほうが難しい

ぬか漬けは、さすが真夏で、夕方につけたのを朝に出してもかなり漬かっている。昼につけて、夕方食べても浅漬けとしては十分すぎるぐらい漬かっている。

 早朝に漬けて置いたら多分昼ご飯のおかずになるぐらいに出来るのでは、という感じ。これが冬ならこうはいかないが、部屋が30度ぐらいあるとこうなる。えらいぞ、乳酸菌。
 
 薄味に漬けたニンジンをおやつに摘まみながらお茶を飲むとちょうどいい感じ。
キュウリより、ニンジンのほうが時間が必要みたい。安い八百屋さんで買うと、ニンジン袋にいっぱいに入っていて、いつも余るなあ…という感じだったのだけれど、今度から漬物にして食べたら消費速度が上がりそう。形の悪いキュウリを安くで売っていることも多いのでそういうのも漬物にしてもいいし。

 私一人の昼ご飯なら、ごはんと、納豆と漬物でばっちりだ。残念ながら夫は漬物が嫌いなのでこの手は使えないけれど、自分の分だけでも、ふりかけごはんだけ…よりは漬物「ぐらいは」食べられる方が豪華だし、1本10円クラスのミニサイズの人参が100円では買えない量の漬物になるということを考えれば、やっぱりお得な感じがする。

 家事の手間暇をどうやって省くか…というような本でも、自家製の漬物がおすすめされているのもわかる。
 野菜が「多すぎて買いづらい」というのが解消して、おかず代がちょっと浮き、乳酸菌でおなかの調子もよくなるとか、ちょっといいよね。

 飽きたらやめたらいいだけだ。なんていうか、手間暇かけてぬか漬けを作っていたころは、「やめたいけどもったいなくてやめられない」ような気分がして、気分が乗る時はともかく、元気が出ないときは本当にやりたいのかどうか、わからなくなる時があったのだけれど、今回は全く手をかけていないので、10回ぐらい漬けて、元を取ったらやめちゃってもいいや!とか思えるのがすごく気楽なのだと気が付いた。

 自分でもちょっとばからしい気もするけど、やりたいことがずっとやりたいわけではないし、いつやめたっていいのだ、というのはなかなか分かっているようで実行に移しづらい気がする。
 意外とはじめてみるよりも、やめてみるほうが難しい感じ。

そういうことってほかにも、あるのかもしれないなあ。いや、実は飽きっぽいだけなのかもしれない。

源氏物語の解説本

源氏物語は古典で、私はもちろん原文なんか読めやしない。
 かといって現代語訳ならさっさと読めるか…というとそうでもない。たとえば谷崎潤一郎訳の源氏物語は、中学生の時に大の本好きだったので図書館の本で挑戦したが、あっという間に敗北。
 桐壺、帚木、空蝉、夕顔ぐらいでギブだった。大体、夕顔なんかいきなり死ぬ、その唐突さ。でも当時の人には「これで死んでも、しょうがないよね」という話の展開ってのが、わけのわからなさに拍車をかけた。「当時の人の当たり前の知識」が全くないということは、「レベル」「チート」「スキル」などを知らずに「小説家になろう」サイトの転生小説を読むといっていいぐらいのことで、わからなくて当然と言えば当然だった。

 友達に借りた「あさきゆめみし」というコミックスの源氏物語で「まあだいたいね」というところを読んで、そのあと与謝野晶子さんの訳を図書館の本で読み、なるほどぅ、コミックスのあの場面はここかあ…というような読み方でどうにか「知っている物語」ということにしておいた。
 
 田辺聖子さんの「新源氏物語」を読んだのは多分高校の図書室の文庫本で、読みやすいなあ…と感心した。テストの題材が源氏物語だった時には高得点が叩き出せるようになったのはこれを読んでから。結局社会人になってからこの文庫本は買いそろえて、渡米するときにも持って行き、愛読した。(今はもっていない)

 今手元においているのは与謝野晶子全著作集(100円だったかな?200円だったか)の電子書籍で、上っ面を撫でて頭の中に浮かぶ絵は「あさきゆめみし」の大和和紀さんという感じで、歌の意味とかもそれほど詳しくわかっていないが、季節や自然の描写が美しい感じなのを雰囲気だけ楽しんでいる状態。

 そこにアマゾンの「あなたにおすすめ」が来たのがこれだった。
多分、「新源氏物語」の電子本を買うかどうか迷って「ほしいものリスト」にチェックしておいたからだと思う。
 この本はkindle unlimited、つまりひと月いくらの定額で、10冊借り出せる図書館みたいな機能をキンドルに持たせるという仕組みに入っている本だった。

 一度に10冊しか自分の端末に持ってこられないし、お金を払わなくなったらもちろん読めなくなるし、どの本も読めるわけではなく、「kindle unlimited」のマークがついている本しか対象にならないシステムではあるのだが、月額の定価は980円。時々キャンペーンをやっていて、1か月100円ぐらいになっていたりする。この本を見つけたときはなんと、2か月100円のキャンペーン中。
それほどでもない古本の文庫本でも100円ぐらいするのは珍しいことでもないし、3密を避けましょうな雰囲気のなか図書館に日参するのもなあ…という感じだったので、100円出してこのシリーズを読むことにした。

 この本を読み始めたらわかった。これは実は「物語」ではない。
 紙に書かれてはいるが、講演会とか公開授業とかそういう感じのものだ。つまり「源氏物語解説本」だ。
 源氏物語に出てくる短歌はこういうことを言っています、という話だけでなく、同じ人が詠んだ短歌の話とか、この時代にはこういうのが普通でした、とか、官位はこういう仕組みになっていまして、とか、家の中にある家具の解説や、どんなふうに着物を着ていたとかの社会制度や習俗、文化の背景を解説してくれて、こういう授業が学校で聞けたら、さぞかし面白かっただろうという感じ。

 田辺聖子さんが、古典の先生に源氏物語を習ったときのことなども雑談ぽく入っていて、(烏帽子をかぶって見せてくれた先生がいたとか)これを中高生の時に読んでいたらよかったのになあ…と思った。もっと細かいことがわかっただろうし、深く楽しめただろうに。
 
いや、気を取り直そう。今読めてよかったのだ。
 与謝野晶子訳を手元で参照しつつ、読了。
 大学の少子化で増えた社会人向けの講義の中でも、「源氏物語」の講座が中年女性に大人気なのもわかった気がする。

 文庫本上中下の3冊分で取っておける、源氏物語講座。
 「大体こんな話」で終了している人に、おすすめ。

++++++++++++++++
…とここまで書いたときに、上巻までしか読んでいなかった。
 最後まで読んでから、あとがきを読んでわかった。この本は講演会「みたい」と私は書いたけれど、講演会そのものを本にしたものだった。ひと月に1回、36回、3年もかけた講演会があったらしい。その講演会をCDにしたものもあるのだって。どおりで…つまりこれは間違いなく「読む講演会」だったってことだ。

 あとがきをみたら平成12年になっていた。ってことは2000年かあ。
 ま、源氏物語の成立年代のことを考えたら、20年ぐらいなんていうことはない。千年以上前のものなんだから、たかが20年で解釈が変更になったりしないだろう。
 
 こういっちゃなんだけど、もしこの講演会を聞きに行ける機会があったとしても1か月に1回では前の回とかをすっかり忘れそうではあるので、まとめて後から聞ける方がいいかも…。その時の空気や、生でお話が聞けるというのは素晴らしい体験だっただろうと思うが、それが無理ならあとでこうやって記録したものを読めるだけでもいい。
  
 こういうの、もっとほかにないかなあ。本だったらわからなかったら何度も読み返せるし、あとから思い出したくなったら読めばいいんだけど、講演会はなあ…ノートをとるといっても全部書き写すわけにもいかないし、録音して聞き返すのには時間がかかるだろうし。

 しばらく田辺聖子さんの本を読もう。

ヨーグルトシェイク、好きなのかなあ?

 マクドナルドの「マックシェイク」は、大型スーパーのソフトクリームが最高峰だった田舎には大革命だった。
 柔らかくなるのが待てずに、ぎゅうぎゅうストローを吸った覚えがある。
 仕出し屋さんと、飲むようなお店と、喫茶店、うどん、そば、お好み焼きぐらいまではあったけれども、それ以上となるとかなり高いお金を出す、仕出し屋さんが出しているお寿司や懐石の店と、割と本格的な回るテーブルがある中華料理やさんと、隠れ家的な、まるで普通の民家のようなたたずまいのフレンチレストランがあったなあ…で終わってしまうぐらいの規模の町では、隣町とはいえ、「子供連れで気軽に入れる」お店は本当に珍しかった。

 お盆に頼んだものを乗せて、自分で運ぶセルフサービス式だって、隣町のジャスコのフードコート(という言葉は知らなかった。「ジャスコの下の食べるところ」と呼ばれていた)でしか見たことないぐらいだった。
 あつあつのアップルパイもマクドナルドで初めて食べた。当時はケーキとパイは一緒くたにされていて、ケーキ屋さんでカットされたものにしろ、ホールのパイにしろ冷たいのが当たり前。自分の家で焼いたときだって冷ましてから食べていたぐらいだったから、熱々のアップルパイにアイスクリームを…なんて夢にも思わなかった頃だ。

 マクドナルドのシェイクの種類は、当時はストロベリー、バニラ、チョコレート、ヨーグルト。こうだった。
 当時はシェイクは姉と半分このことだってあったぐらいで(人はそれを貧乏という)、ヨーグルト味が多かった。自分一人で選べるときは何味にしていたんだろう。多分ピンクがかわいい、イチゴ味?

 気が付いたら大人になって、自分のお金で気兼ねなくファーストフードに入れるようになったころには、マクドナルドのシェイクの味はバニラ、ストロベリー、チョコ。とこうなっていた。
 実は板チョコや、ナッツ入りのチョコは大好きなのにチョコレートケーキのチョコレートクリームがあんまり好きではない私は、チョコは避けるクセがある。可能性としておいしく食べられないかも…というのが想定される、それも結構たくさん入っているマクドナルドのシェイクで…となると無難なバニラのほうに目が行く。 チョコ味は人にちょっともらったことはあるはず。でも「さほどでもない」という評価だったのだと思う。バニラなら間違いなく全部飲み切れる。そんなわけでバニラ一択。
 ストロベリーはイチゴ感が薄いと思っていたのだけれど最近はどうなんだろう、また試そう。

 ヨーグルトはもうないらしい…のだけれども、何年かに一度、戻ってくる。
 これが大好きな人が友達にいて、毎回SNSで大喜びして、ヨーグルト味のシェイクのカップの写真を上げてくる。
 なので、マクドナルドの何をチェックしているわけでもないのだがヨーグルトシェイクが戻ってくるとわかるのだった。

 これを書いているのは8月20日。どうもこの時期にヨーグルトシェイクが復活したらしい。
 気分で、ちょうど病院に行く用事があったのでそのそばのマクドナルドへ行って、シェイクを買ってきた。

 テイクアウトにしたのでこの暑さでさっさと柔らかくなり、飲んだら冷たくておいしかったけど…。
 うーん、これはなんていうか、お祭りの日に、さほどおいしくないりんご飴を勢いで買ってしまったときのような感じ。

 バニラシェイクなら年中あるのに、飲まない。シェイクが大好きで、普段はバニラをよく飲むけど、復活してるからヨーグルトシェイクにした。こうだったらわかる。
 でも、シェイクは糖分も多いし、量も案外あって、カロリーのことを考えたら「甘いもの」として摂取するにはちょっと…。
 スーパーやコンビニ、気に入りのケーキ屋さんで買って食べられる、シェイクより好きなものって結構あるから、シェイクは後回しになりやすい。それでも飲むほどヨーグルトシェイクが好きか…と言われたら、バニラのほうが好みなため、逆転している状態に違和感があるのだと思う。

 お祭りだからなんだろうか。ヨーグルトシェイク復活祭り。
多分そうだな。

 この期間限定とかに弱いんだよねえ…。
 今度から、「ヨーグルトシェイクが復活したら、バニラシェイクを飲む」のはどうだろう。
 数年に一度しか飲まないのなら、それでよさそうな…?いや、でもせっかく復活…。

 題名に「好きなのかなあ」と疑問形にしたけど、やっぱりヨーグルトシェイクが好きなのかもしれない。

カラーで二重の下線を引くタグ

  ブログの文章に下線を引きたい、それも文字の色と同じ色の線じゃなくて、赤とか青、そして二重の線だとか、点線だとかがひきたい。そういう時にはこういうタグを使っていた。
<span style="border-bottom:double 3px crimson;">文章</span>
 この「<>」の部分を半角にして、「文章」のところに下線を引きたい部分を入れると、赤い二重線がひける。
表示例はこういう感じ。

これはどういうことをやっているかというと、もともとこういうふうになるはずのタグの中でも、下の部分、つまりbottomだけ表示してください、ということ(上はtop,左右はleftとrightで指定する)。
 これで色の指定と、どんな線にしますか、ということでこんなのとか こんなのとかまあ、バリエーションがつけられるわけで。

 面白いので愛用していたのだけれども、なんだか最近表示がちょっと変。私のPCで見ると、字の下にぴったりついていなくて、字と下線の間がすごく離れて見える。
 
 ちなみにもともとFC2ブログに備わっている「普通に字の色と同じ色で下線を引く」というのは、こうなる比較するとこう。入力画面ではほとんど判別がつかないのに、PCのブログ画面になるとはっきり差が見える。

 ちなみにmicrosoft edgeで見ても同じようになった。でも、少なくとも去年はあんまり違和感がなかったので、これはやっぱりwindowsとかブラウザのアップデートとかでこういう風になってしまった…ということなんじゃないかと思う。
原因は実ははっきりわからない。多分見ている人(の環境)によっては「全然区別できない、全く同じに見えるんだけど」という人もいるのではないかと思う。

 FC2のブログの本文編集画面で普通にアンダーラインの<u>下線文</u>というタグを使えばいいんだろうけど、これってなんかこう、ほら、色とか!指定できないのかなあ。と思ってネットで検索してみた。
 すると見つかったのがこれ。

<span style="text-decoration: underline crimson;"></span>
これは色をちょっと暗めの赤に設定している。青ならblueと入れればちゃんと青になる。
表示例はこう。 うん。文字と線の間がくっついたので違和感少な目だ。
<span style="text-decoration: underline double;"></span>こっちはどうだろう、と思ってやってみたら、出来た。
下線が二重線に。なった。おおう。

<span style="text-decoration: underline blue dashed;">これはどうだろう。
カラーで点線ぽく なったな、うん。
ってことは、
<span style="text-decoration: underline brown double;"></span>このタグでこう、
色付き二重線もいけるってことだ。うまくいった。最初は色のあとに「;」を入れて区切ってみたら、反映しなかったので、だめかと思ったけど、やってみたら上手くいった。太さの指定はどこに入れるとうまくいくんだろう、やっぱり英語の並べ方に準拠するとしたら、「red thin line」とかって言い回しがあるんだから…と思ってbold brown lineとか、4pxとかを入れた途端に線そのものが消えてしまう=不正なタグと判断されたっぽいので、無理らしい。

 自力でなんとか出来たのがうれしくて、お茶の時間に話題にしたら、夫には「どうしてカラーの線がそんなに使いたいのか」と苦笑された。元のborder-bottomの指定の話をしたら「またそんな(ばかっぽい)ことを…」と呆れられた。(カッコ内は一応口には出されなかったが、絶対そういう顔だった)
 字の色を変えるか、線が普通に字の色と同じ色で1本ひけたら問題ないじゃん、ということらしい。
 
 いいの。やりたかったんだから。誰もそんなこと気にしていなくても、私は線を二重線にしたり、赤線と青線と緑の線ぐらいは使い分けたいの、気分の問題なんだからねえ!

 ちなみに背景の色を変えて、ラインマーカーで強調したように見えるのもやってみたのだけれども、ノートと違って文字の背景の色が白じゃないからなのか、なんとなく読みづらかったのでやめた。
 
 字だけ、色が違う線ぐらいひける機能ぐらいあってもいいのになあ。あと、文字の横に強調点というのも、日本語ではありがちな表現だと思うので、出来るようになったらいいのに。

友達に孫が出来たって。

 SNSが普及した昨今、遠くに住んでいる友達の日常がこまめに伝わってくる。もちろん読んでいるだけで全然自分では書いたりしない人もいるので、頻度はばらばらだが、今日のランチ、と毎日ランチの写真を撮ってくる人から、誕生日やイベントだけ書く人まで。

 去年だったと思うが、友達が結婚したという話が聞こえてびっくりしたことがある。これが10年前なら別にびっくりでもなんでもなかった。20代、30代、40代でも初めのほうはあるもので、10代のころにはほとんどいなかったが、20代に結婚した友達は多く、30代でもパラパラとあって、つまりは「結婚しそうな人は全員結婚している」状態になったのは多分、30代の後半。

 50歳にもう少し…というところで結婚した友達が、この2年でふたり。両方男性だが、なんていうのか、もう結婚はしないものだと思っていた友達がいきなり結婚したように見えたのでびっくり。最近は集まったりすることも減っているから、「ええ?いつの間に?」となって、離婚して帰ってきたとか、中年も極めてきて結石だの、腰をやられただの、糖尿病だの、その他病気いろいろで入院したニュースだって時々聞く中で、明るく楽しい結婚のニュースはみんな大喜び。

 そしてその結婚して1年たった友達から、赤ちゃんが来ましたニュースで、おめでとう!と盛り上がったのはついこないだのこと。
 奥さんは30代前半、断然年の差婚だが、赤ちゃんというのはいつ来ても何人来てもかわいいしめでたい。

 …と思ったら今日のニュースは「孫が出来ましたー」というニュース。
 確かに彼は結婚が早かった。20歳だったかな、結婚したの。いや…確かすぐ離婚した話もあったような…(今の奥さんは何人目か、とかなんだか聞けなかった)。十代のころには、結構お付き合いする女の子がコロコロ変わるタイプだった覚えがある。車好きで、なんだかこう、普通じゃないような部品が高そうな車に乗っていたし、黒い革のジャンパーなんか着て、タバコも吸っていて、「チョイ悪」といえるタイプ。
 割とお酒も強くて年下から慕われるタイプで、兄貴風ふかせて、お金のない子におごってくれたり、グループの取りまとめをしてたりしてたけど、確か1つ下…じゃなかったっけ??多分、そうだ。私が成人後でもお酒飲もうとしたら止めてくるぐらい、小うるさい兄ちゃんだったので、あんまり年下とか意識してなかったけど、多分学年は1つ下のはず。

 「へっへーん、もうジジイだぜー。爺ちゃんと呼んでくれー!」とはしゃいでいた。うれしいねえ。
 友達で孫が出来たのは2軒め。1軒目はお子さんは10代で出来ちゃった婚だったので、特別に早かったけど、今回は結婚のほうが先で20代だそうなので、ありがちなコースみたいだから、これからしばらくは年代的に結婚が20代前半だった友達の孫ラッシュが来るかもしれない。

 早いなあ。うち、まだ子ども中学生なんだけど。 
まあ、全然女の子にもてないというか、「女なんか」という感じのうちの息子が孫なんていうところまで実際たどり着くかというと微妙な気もするから、私には届かない境地かもしれない。

 とはいえ、お友達の孫でも、かわいいしめでたい気分だ。
 写真とか、アップしてくれたらいいなあ。きっとかわいいだろう。
 
 ぷわぷわした髪、ぽよぽよした足、そしてぷっくりしたほっぺ。ああ、赤ちゃんってかわいいよねえ…。
 久しぶりに息子が赤ちゃんだった時の写真を見てしまった。

図書館のPC予約をはじめる

 この町の図書館は、図書カードの番号とパスワードがあれば、ネットで本を予約して、通知をメールか電話で受け取り、取りに行ける。その機能があることがわかったのはこの町に引っ越してすぐのこと。

 もちろん使っていたのだが、どこかに図書カードをなくし、再発行がとても面倒な上、「なくしてすぐ見つかる人が多いので、再発行は申し込んでから1か月は待ってもらっています」というシステムにやられてそのままになって何年か。本は夫に頼んで借りてもらっていた。

 その後、タンスの一番下の引き出しを久しぶりに引っこ抜いて掃除をしたら、なぜかそこから図書カード発見。
 そして…パスワードがわからず、ログイン不可。図書館で本棚を見ないと借りられない状態に。
 
 何年間か外に出る気力が減り、図書館で本を借りたらなかなか返せず、これは借りないほうがいいな…と思って数年借りなかったこともあった。これが多分、2年ぐらい前。

 去年は久しぶりに図書館へ行って、本を借りる元気が出てきて、やっぱり図書館で本を借りるのはいいな…と思っていたら、今年に入ってコロナ騒ぎ。図書館は閉鎖になった。

 6月ぐらいから図書館も再開になった。ただし全員、名前を書いて入館らしく、それが面倒で結局図書館には全然行っていなかった。読むのはキンドルの電子書籍ぐらい。
 なろう小説とか、ライトノベルばっかり読んでいたらなんだか食傷気味になって、unlimitedの本もだいぶ漁ったのだが、やっぱりunlimitedに入っている時点で「あんまり売れていない本」な感じが…そうでないのなら販促代わりにシリーズの1巻だけとかだし、ふと読みたい本を思い出しても、手元にない本で、絶版で、違う人が訳したものもあるようだけれどものすごく古くて…とかになるともう、手に入れるのは難しい。そういう本はネットの古本屋にもなかったりする。

 一度読んだら、もう10年ぐらい読まなくていいんだけど…とか、同じ題名でも訳者が違うから読み比べたい、とかふと思ってしまうともうだめだ。そういう時には図書館でどうにかするしかない。

 図書カードを登録しなおし、パスワードの変更をして、メールの変更をし(前に使っていたガラケーのメールアドレスが登録されていた)、パスワードをメモにちゃんと残してやれやれ、準備完了、PCで予約が出来るようになった。

 田辺聖子さんの本は図書館にいっぱいあるのがいい。電子化していない吉屋信子さんの源氏物語も予約しよう。

 子どものころ、近所の人からもらった絶版の岩波少年文庫の本も、ネットの古本屋では結構な値段だが、図書館で借りられる。
 アメリカ、ヨーロッパの児童ものは今でも結構あるのに、ロシアのは絶版が多いなあ…。好きなんだけど。

 とか思いながらネットで検索して、とりあえず5、6冊借りることにした。
 
 本の受け取り場所はちょっと端の方にあるので、あんまり混まずに受け取れるし、家からちょっと出て歩いて図書館の返却口に行く。そういう密にならない用事も作っておいて、散歩するのもいいよね。
 
 家から出ないとブログのネタも減るのだけれど、本のことを書いてもいいし。
 
 歩いて図書館に行くのが暑そうだ。早く涼しくならないかな…。
 

野菜の上手な使い方(手抜き)

kindle unlimitedで読める本はいろいろあって、ふと目に留まって読んだのがこのコミックス、見られない場合は画像のリンク切れです【激せまキッチンで楽ウマごはん】
 これは、社会人になって初めて一人暮らしをした人をターゲットにした本で、コンロが1つだけで、あとは電子レンジしかないですよ、というキッチンでどうにか自炊をしようという本だった。

 楽。手抜き、時短。こういうのが私は好きだ。いや、まあ「手抜き」というのはあんまり語感がよくないので言い換えよう。「工夫」。
 料理というのは、一日だけ、週末だけなら大抵の人は面白いな、と思いながら出来てしまうものだと思う。出来た料理はおいしいし、お金をかけていい材料を買えば、どこのレストランかというようなものが出来ることだってあるから、達成感もある。

 でも、「毎日」だと、これがなかなか難しい。特に一人暮らしの場合はさほど高くもない給料で、生活費と家賃と、遊びに行く費用をなんとかひねり出し、ついでに貯金だってしたいし、バランスよく食べて健康に…となると、あれもこれも買い物かごにいれるわけにはいかないからだ。
 
 あー。こういうことって割とやるよね、ということが多かった(なんせ私は主婦歴20年越えだ)のだが、朝ごはんに野菜スープを毎日ってすごく頑張っているなあ、と思う。野菜というのは一人暮らしだと余る。いや、3人で暮らしていても、何とかが半分、という残り方をすると、だめにする率が上がるし、かといって一人分の昼ご飯に立派な野菜スープを付けるとしたら、もう夕飯の分まで作ったほうがいいぐらいのことだ。

 この本の工夫で面白かったのは野菜やキノコを何種類か買って、切ったのを混ぜて袋に入れて冷凍してしまい、それを一袋ずつ使うというやりかた。
 まあ、毎日の味噌汁が同じ具になるけど、毎日大根「だけ」の味噌汁じゃなくて、毎日玉ねぎ、にんじん、小松菜、エノキ、しめじの5種類が入った味噌汁なら、行けそうな気がする。(しいたけは高いので除外した)

 玉ねぎをフードプロセッサーで2ミリ厚に切り、ニンジンをフードプロセッサーで千切りに。小松菜は洗って水気を拭き、2、3センチにザクザクカット。えのき茸を短く切っててでほぐして、しめじは面倒になってきたので手でちぎった。
 ふと思いついてついでに油揚げを細かく切ったのも作って、両手に山盛り…というぐらいの量にわけて、ぎゅっと握って空気を抜いて冷凍。袋6個分にはちょっと足りないかな?というぐらいで5袋出来たので、余った分を今日の夕飯の味噌汁にした。

 水から全部いれて、沸騰したところでちょっと煮て、粉末だしをいれて、味噌をといて出したら、「今日のこれ、おいしい」と夫に大好評。
 毎日同じ材料でスープか、味噌汁にしていいか、と聞いたら「それで大丈夫」ということだった。
 これを、だし味にして、そうめん入れたのが食べたいと。

 それは簡単に出来そうだしOK。

 そのほかにも、お弁当の工夫や、ワンプレートディッシュ、一人暮らしで材料を無駄にしないようにするにはどうするか、使用する食器をどうやって減らすか、電子レンジを使った簡単で美味しいおかずの話もいっぱい載っていて、面白かった。
 息子がいつか一人暮らしをするときに持たせたいような、そんな本。

 その時一回だけ、面白いからやってみる工夫というのも楽しいものだけれど、「習慣として続ける工夫」というのもいい。
 もっと小さめの野菜ミックスも作って、一人だけの時の昼ご飯にするのもいいな。
 ご飯、味噌汁、納豆、漬けもの。豪華、納豆定食。体によさそうだしね。

 料理歴が長くて慣れていると、いつも同じようなことをして、新しいことをやらなくなるから、こういう本で新しいことに取り組むとちょっと気分が変わっていい。
 自分一人のために工夫して作るというのも素敵だ。ちょっと一人暮らしだった時がなつかしくなった。


どうぶつ四十七士

 暑い中、ちょっと足を延ばしておやつを買いに出かけた。ここしばらくあまりにも気温が高いので外に出るのがおっくうになって、あんまり遠くへは足をのばさなかったのだが、今回はがんばった。

 近隣で袋入りのお菓子が一番安いのは、実はお菓子屋さんでも、スーパーでもなくドラッグストア。夫が消費するおせんべい、息子が好きなミニサイズのチョコレートバー、そして気が付いたらちょくちょく消費されるクラッカー、ビスケットなど。

 ビスケットはチョコレートがのせてあるのとかはこのシーズンは常温でとっておくわけにいかない。プレーンなもので、ものすごくおいしいと減りが早いので、あんまりお高いクッキーとかはだめ。紅茶と一緒にちょっと口に、というような軽くて安いものがいい。

 「あたり前田のクラッカー」でおなじみのメーカーの、「前田のクリケット」はかなり好きだ。日清食品の「エースコイン」は、コインの形のミニビスケットが袋にどっさり入っていて、うちの「災害用備蓄食品」の役割を乾パンの代わりに担っており、半年に一度ストックの入れ替えをやる…つもりだったのだが、割とおいしいため、おやつがなくなったときに「これ、たべていい?」と持っていかれてしまうので結構頻繁に購入している。

 そのどちらかにしようと思って(ドラッグストアで税抜き78円か88円)ドラッグストアに行ったのだが、そこでみかけたのがこれ、見られない場合は画像のリンク切れです【動物四十七士】ビスケット。
 ギンビスは、「しみちょこコーン」とか、「たべっこどうぶつ」とか、「アスパラガスビスケット」などのメーカーで、実は私は結構好きなお菓子が多い。子供が小さい頃は「たべっこどうぶつ」にはお世話になった。食べても手がべたべたにならないお菓子で、小分けになっているのでとても便利で、味も大人が食べてもおいしかった。チョコがくっついたのとかもおいしいし、お値段が微妙に割高な箱入りでなければ、もうちょっと買うんだけど…的お菓子だ。

 しかし、「四十七士」って、やっぱりこう、忠臣蔵の赤穂浪士を思い出すもんじゃないの?
 お菓子売り場でも異彩を放っていて、そこだけ昭和。
 たべっこどうぶつの元祖だという商品だとパッケージに書いてあった。
 なんで47かというと、動物の種類が47種類だからだそう。えー。そんなにあるのか(見ちゃいないけど)。

 食べてみたら、ちょっと固めで厚い。あれだ、「どうぶつヨーチ」。あれよりちょっとさっくりした感じで、色付きの砂糖衣を塗ってないタイプ。割とおいしい。
 当たり前田のクラッカーと、クリケットの間ぐらいの位置だと思う。
 紅茶と食べたら、素朴でいい感じ。もうちょっと甘くてもいいかな…。でも、このそれほど甘くない感じが逆にいい時もあるか。

 ちょっと厚手なので、エースコインよりは食べでがある。食欲が出ないときに、あっさりしているし少しずつ食べられるので、2、3枚朝ごはんに食べたり…と考えてから思いついた。これ、つわりの時に食べたら絶対よかったと思う。吐き気がするのに、食べないと吐き気がおさまらないという面倒な体調だった。胃腸炎から復帰するときと似ていたっけ。
 森永のマリービスケットを小型にしたような感じかなあ。最近マリービスケットを食べていないので正確じゃないかもしれない。
 
リピートはありだが、また買おうかと思う理由の3割ぐらいはこれがどうぶつの形だというところにあるような気もする。
 


おいしいソーセージを食べるには

 子どもは、ウィンナーとか、ソーセージが好きだと思う。特にお弁当の「たこさんウィンナー」は大変な人気。
 料理上手な友達が、「お母さんの作るお料理の中で、何が一番好き?」と聞かれて、ちゃんとミンチからこねて作っているハンバーグではなく、「ウィンナーが一番好き」と言われてがっくりきた話とか、子供むけのお話集で、「世界で一番素晴らしい料理を作れるシェフ」と自称している料理人が、「なんでもつくってあげるよ!」と言ったら、子どものリクエストは「タコさんウィンナー!」だとか、まあそういうのは聞いたことがある。

 息子は常温保存の仮面ライダーや、戦隊もののソーセージ(シール付き)も小さい頃は欲しがったし、サッカーボールだとか、ポケモンだとかの焼き印が入ったソーセージもせっせと弁当にいれたし、商業主義に乗った自覚はある。

 ハンバーグや、ミートローフは頑張って作っているものの、さすがにベーコンやソーセージは手作りにする腕はない(燻製とか、自分の家でしている人がいると聞いたことはあるけど)。
 「今度、模擬テスト(5時間かかる)を受けに行く日に、夕飯はなにかおいしいものがいい」という息子。

その茫洋とした表現。普段作るのはおいしくないとでも?と突っ込みたい気分もするが、そこはまあ口下手で気が利かないのは性格なのか、お年頃なのか、その両方なのか…。外食がしづらい昨今だが息子のおいしいもの、というのは大体ピザが最高峰。
 「ピザ焼くか」と聞いたら、「ソーセージがいい。でなきゃ、パリパリに焼いたベーコン」がいい、ときた。

 日本ではベーコンは高い。おまけにかなりの薄切りで、理想形がアメリカの厚切りベーコンである息子には満足いくほど焼いたら下手すると高級な牛肉のようなお値段になってしまう。
 
 ここでハンバーグや、唐揚げのような家でなんとかできる献立がでないのは普段の私の料理の問題…というのは見ないふりをしておいて、元気よくソーセージを出すことに決定。

 市販のソーセージの中でも、ちょっと高いのをゲット。ちなみに一番安いのはチーズフォンデュを家でやったときに買ったことがあるが不評だった。各メーカーが「高いほう」として売っているタイプ。

 これの不思議なところは、なぜか絶対2袋セットのパックになっているところ。1袋でも買えたらいいのに…。
 とはいえ今回はソーセージだけでメインになるので、450グラム分ゲット。
 
 こういう加工した肉だけを食べているとよくないという話も聞くけど、弁当に時々1つか2つ入れるだけだし、たまにはいいでしょう、うん。
 
 沸騰しないぐらいの温度で3分半ぐらいボイルして出す。温度計も引っ張り出してきて、結構な手間なんだけどね…という話していたら、
 「ソーセージだったら簡単、と思ったけど、実は意外と大変?」と夫がびっくりしていた。
 うん。温度計なしで温度をうまく保つ技術は私にはない。特に面倒がって一気にゆでると、温度の下がり具合が読めないのだ。

 もちろん最低限、あったかくなっていればOKだ!というのなら、手で真っ二つに割るか、ちょっと切れ目を入れてから電子レンジにかけてもいけるけど、がぶっとやったらぷりぷりしていて、肉汁が…という感じを味わいたいのならやっぱりボイルにする方がいいと思う。
 うちで出した中で一番評判がいいのは、ボイルしてからザルにあけて、そのあとフライパンで外側に焦げ目がかるくつくぐらいに焼いたものだった。香ばしくてぷりぷりしていて、いいと。
 簡単そうな見かけと、実際の手間が釣り合わないというのは料理にはよくあることなんだけど、それがソーセージにまで及んでいるのはやっぱり料理の経験が全然ない夫と息子にはわからないことだろうと思う。

 料理する人のいないところで自分で買って、食べるとなったら、2人とも「これって、実はこのまま食べちゃっていいんだよね」と冷たいまま食べそう(注:それでも大丈夫と袋には書いてある)。
 私も…多分気力が出なかったらそうするかも(笑)。

 料理というのはやっぱり、なかなかに手間暇のいる技術なんだと思う。

ちなみに、相当量あったのだが、息子がガンガン食べて、結局500グラム近くあったのが全部売れ切った。
「ソーセージを思いっきり食べた」気がしてよかったそう。

 お店とかで、ソーセージの乗ったミックスグリルとかもあるのだけれども、「もうちょっと乗っていればいいのに」と思うらしい。まあね…。昔、実家にいた小中学生の頃、食べ放題の焼肉を食べに行ったのを思い出した。当時はそういうお店が珍しく、電車に乗って大きい駅まで行ってから食べた覚えがある。
 
 確かにソーセージを焼き放題というのはうれしかった。串がささった「フランクフルト」で、お祭りで食べるようなタイプので、姉も私も普通のお肉そっちのけで小さめのウィンナーとフランクフルトを食べて、母には嫌がられた。食べ放題のゼリーもあって、今のファミレスのデザート取り放題の時に出るようなやつだけれど、当時は何度も言うがそういうお店はあまりなかったので、その赤と緑のゼリーをてんこ盛りにして食べたっけ…。

 焼肉屋さんは今ちょっとなあ、だけどソーセージ山盛りぐらいはまあ、たまにはね。
 あと、豚肉の脂が多いやつをカリカリに焼いたのが食べたいそうだ。
 …この暑いのに…。さすが中学生。はいはい、焼くよ、豚のバラ肉ね。親は魚でも食べようか。

六花亭おやつ便

 北海道の六花亭は、おみやげものとかで食べたことがある人が多いのではないだろうか。
 マルセイバターサンドを「すごくおいしいから」と言われて、取り寄せたのはまだ20代前半、「コンピューターで通信販売が出来るようになった」時からそんなに経っていないころだった。

 その当時はネットは「インターネット」ではなく、「パソコン通信」で、プロバイダーは大規模なものが3つぐらいしかなく、パソコンで通信をするとなったらたいていそのどこかに申し込んで、回線はNTTの電話のを使うことになっていた。

 プロバイダにあるでっかい「サーバー」というコンピュータの中でやり取りされる情報しか使えない「閉じた」ネットワークで、いうなれば、auに申し込んだ人はauの人としか通信できない、docomoに申し込んだ人はdocomoの人としか通信できない…というような感じになっていると思ってもらうとわかりやすいだろう。NTTの固定電話の人とは通信できないと思ったら、その不便さがわかると思う。

 私が入っていたパソコン通信の通販コーナーには、六花亭のバターサンドが買える「名産品のお店」があった。
 そこで取り寄せて食べたバターサンドは、一人暮らしの家に遊びに来ていた友達と分けたから、1つしか食べなかった(5つ入り1パックしか買わなかった。送料が高かったのよ)。六花亭との出会いは一瞬で終わりだった。北海道旅行に行ったこともなかったなあ。
 確か、姉が大学のクラブで北海道に合宿に行ったとき、六花亭の板チョコレートをくれたことがあるような…。

 北海道に住んでいた時には、割と近くにショップがあったので、六花亭の80円ぐらいのシュークリームや、クリームの入ったケーキ、プリンなんかも食べた。ちょっと長持ちする焼き菓子や、お饅頭などを箱に入れたのはお土産として人気だが、そういうお菓子をバラで買えるのがお店のいいところ。デパ地下までいかなくても、駅前とか、スーパーの一角にお店があるのもよかった。北海道は冬は雪が多くて、わざわざ電車に乗ってデパートまでとはなかなかいかない。
 お値段リーズナブルで大変おいしいので食べるたびに北海道に住んでよかった…と思ったものだ。

 でも北海道を出てしまえば、手に入れる機会がないんだよねえ…。
 コロナのことがあって出張も減り、旅行する人も減り、地方の名産のお菓子はなかなか手に入れにくいものになった気がする。

 そんなある日、うちに六花亭のチラシが入った。
 新聞のチラシは大体近隣のものが多い。六花亭は北海道、かなり遠くの海の向こうで、今まで見たことがないようなチラシだった。
 
 送料200円で、3000円分のお菓子をクール便で届けてくれるという【六花亭おやつ屋さん】
 夫と二人で「おいしそうだね…」と眺めて、はがきはチラシについていたけれども、ネット通販があるのでPCで見て、申し込んだ。
 ちなみにはがきで申し込むと、代引きでお届けに来てくれる(代引き手数料のため、ちょっとその分値段があがるが、クレジットカードがなくても申し込める)。

 ひと月ごとに、入っているものがちょっと替わって出されるようだ。
 毎回入っているものと、そうでないものがあるらしい。
 
 到着してから、食べた。「シーフォームケーキ」が一番足が速いので、特に「これを最初に食べてほしい」と特記されている。
 キャラメルクリーム、最強!おいしい!このクリームをちょっとやわらかくしたようなのが入ったキャラメル味のシュークリーム、北海道に住んでいた時に一体いくつ食べたことか。
 この世のすべてのキャラメルクリームは、これを見本にしてほしいと思うぐらい好きな味だ。
 
 私が北海道にいた10年前は見かけなかったが、アーモンド入りのキャラメルもおいしい。…単にキャラメルが好きなだけ?

 いや、定番の大平原(マドレーヌ)も、雪やこんこ(ホワイトチョコレートサンドココアクッキー)もすばらしい。
 バターサンドは息子が一気に2つ食べようとしたので止めたぐらいだ。もったいない!そんな8本198円のアイスと同じようにたべないでほしい。

 多分、六花亭は製造ライン保持のため、ある程度利益を少なくして出しているのだと思う。一度止めると費用がかさむだろうし。
 おやつセット、買うよ、毎月買う。そして旅行できるようになったら、北海道旅行して、夫と息子はスキーでもして、お土産を買おう、という結論に落ち着いた。

 キャラメルは全部私のねっ!
…と予約しておいた。
 

たまねぎの漬物(漬物体験その後)

 カテゴリ的にはこれを「趣味」に入れるかどうか、迷うところだ。
 毎日毎日5本150円ぐらいの形が悪かったり小さかったりする安売りのキュウリや、一袋100円で10本ぐらい入ったミニサイズの人参を半分に割ったのとかを漬けている。

 ミョウガは半分に割ってから漬けたら本当においしかった。おいしい柴漬けを売るお店の柴漬けの中のミョウガは大好物なのだが、いかんせん高い。100グラム980円ぐらいする、肉より高いお漬物なのだ。
 自分の家で美味しいミョウガのお漬物が作れるというのはいい。

 ただし、ミョウガは半分に割らないとあんまり漬からない。外側からはいで食べて、ぬか床に漬けなおしたぐらいだった。
 おなじく、外側は何とかなるが、全然漬からなかったのが玉ねぎ。

 結局常温で36時間漬けてからカット。
 食べてみたら、玉ねぎの辛みが真ん中のほうに残っている。うーん。生を漬けているのだからそうなるよね、それは。
 外側のほうはちゃんとお漬物の味がして、辛くないので、これは切り方が真っ二つだったのが悪かったとみた。

 あとは、紫の玉ねぎとか、新玉ねぎとか、辛みが少ないタイプを選ぶとマシかもしれない。今度は4段分ぐらいに輪切りにしてつけるか、せめて4つ割りぐらいにしてからつけたほうがよさそうだ。
 
漬物レポート
玉ねぎの漬物は初めて食べたが、うまく漬かっている部分はおいしかった。
 オクラの漬物も割とおいしかった。
 ミョウガはさっきも書いたけどかなりおいしい。縦に2つ割り推奨。
 キュウリ、ニンジンはレギュラーで。キュウリは1本丸ごと。早く漬けたいときはどっちも縦に2つに割る。
 小松菜はちょっとピリッとした感じが残るけれど、1株、漬けておいたらおいしかった。一把全部は多分ぬか床のサイズ的に無理。
  大根も全く問題なくおいしかった。ただし縦に4つぐらいに割った方がいい。
 水分問題解決のため、干しシイタケも入れてみたが、おいしい…けど、干しシイタケのお値段を考えるとイマイチ?生のシイタケを自分でザルに干すというオプションを考えるとしたらあり。 
 こうやって書くと、玉ねぎ以外は案外保守的なラインナップかも。
 ピーマンとか、ラディッシュとか、行けそうな感じがするからやってみようか。
 そういえば茄子も漬けていない。家では、茄子の色が褪せるからと調理用鉄卵みたいなものを親がぬか床に入れていた。出したらすぐ食べろ、とうるさかったのもある。
 私は茄子の色が紫じゃないといけない理由もあんまり考えつかないし、色が悪くなるから、とあんまり味がついていない漬物が出てくるのも好きではなかったので、そのこだわりは捨てよう。
 茄子の漬物は茶色いのでOK。よぅく漬かったのがいい。今はまだ茄子も安いし。
 
 寒くなってくると、キュウリと茄子は高くなるから漬物には使えなくなるものね。年中値段が変わりにくい野菜で作るほうが平和だ。ニンジン、玉ねぎ、えーっとじゃがいも…はだめだな。カイワレって、漬物になるのかな、豆苗とか。大根とかカブも出番が増えそうだ。
 
 ちなみに水分は、スーパーにあった【つけものごっこシリーズ】と書いてあるパックを購入して、毎日ちょっとずつ足している。
 パックに「すぐ漬かります、捨て漬け不要」で、「水を混ぜたらすぐぬか床が出来ます」というタイプのもの。
 
 普通の、つまり炒っただけの糠を利用すると、足すと発酵が足りなくなって漬物の味がおいしくなくなる。一掴みぐらいしか足していなくてもぬか床の量が少ないとそうなることがあったのだけれど、こういうタイプのなら大丈夫で、味に問題は出なかった。
 これはいい。250円ぐらいで500gだったし、気にせず足せるのがすごくいい商品だと思う。
 
 全く仕掛けのない、いり糠と水とで作った糠漬けは味がおいしくなるまで2週間以上かかり、水をうまく抜きながら、糠をかなり少量ずつ足さないとまた数日おいしくなくなる…という感じで、技術と手入れが必要だったのだけれど、そのあたり全部すっとばして毎日おいしいし、足しても問題ないしですごくハードルが下がった気がする。

 これなら出来そう、続けられそうだ。

 そうだよねえ…。料理だって、掃除だって今は簡単になるべくうまくいくように工夫したものが売られているのだもの、ぬか漬けだけ明治時代と同じってのが大体無理がある。
 そこが腕の見せどころ…というほどは腕がないからね!
 
現金なもので、自分で漬けられるとなったら、パックの漬物のお値段がとても高く見えるようになった。

百人一首を楽しく読む本

 百人一首は家にあった。最初は幼稚園ぐらいの頃から遊び始めるのが、「ぼうずめくり」。
 *百人一首の絵札を3つか4つの山に分けて積んで、一つ選んで一枚手に取る。
 *ひいた札が男性ならその札は手持ちにいれる。
 *お姫様がでたら1枚ではなくもう一回ひける。
 *坊主が出たら手札は場に出されて、次にお姫様をひいたひとがもらえる。
 *蝉丸が出たらその人はリタイヤ。
 うちではこういうルールだった。坊主が最後の1枚に出てしまうと、場に札がどっさり残ってしまって、5枚しか持っていなくても勝ったりするので、最後まで勝ち負けがわからない上に、運しか絡まないゲームなので、買っても負けてもしょうがないと思えるため、負けず嫌いで負けたら泣くような子を入れても遊べるゲームで、割と人気があった。

 小学校や中学校では百人一首の大会があった。当時は今みたいに「ちはやふる」のブームで、競技かるたがはやった時代とかではないから、覚えている子のほうが珍しく、上の句の途中で手出しができるぐらいでも十分だった。
 中学生の時は上の句と下の句のマッチングが出来ればOKのテストがあっただけだったが、高校生になると、「百人一首」という冊子が教材に入って、句の横に現代訳が書いてあって、枕詞だの、掛詞だの、係り結びだのを習った覚えはあった。

 ここからここまで全部が、この一言を言いたいがためにある、というような話も、数個分は聞いた覚えがあるから、特にわかりやすいものを選んで解説もあったのだろう。
 テストで点は取れたから、それで終わっていて、「なんとなーくこんな感じの歌ね!」とわかるのもあったが、詳しく!解説!と息子に聞かれたらこたえられるか…と言われるとかなり心もとない。

源氏物語の解説本には、歌の解説も入っている。和歌の解釈って、割とこう…この一文字が、違いを生む!みたいなのが多くて、手に余る感じ。
 有名で、すごいのばっかりが集まった当時の本、「古今和歌集」とか「新古今和歌集」とかがあるらしいのだが、ネットで調べてみると、1600首ぐらいから、2000首ぐらいまで幅があるものの、古今和歌集だけでもすごい数があるらしい。
 1600って!そりゃね…和歌は他の詩に比べたら短いけど、ちょっと多くない?

 早々に読むのをあきらめた。その時思いついたのが百人一首。1600個は無理でも、100個だったら、なんとかなりそうな…。
 というわけで、源氏物語の解説本をちょっと前に読んだばっかりの田辺聖子さんの本があったので、これにしてみた。

 Eテレの子供番組、つまり私たちの時代で言うと「教育テレビ」の国語の番組みたいだった。
 「先生」がいて(これが作者の田辺さんだ)、それから生徒役の女の子。それから、教育テレビで言うとぬいぐるみの役にあたるだろうか、ちょっとおバカな質問をしたり、まぜっかえしたりする役割の年下の男の子。この3人で話が進む。
 その横で私が見学しているという感じだろうか。

 歌と、その現代語訳のあと、どういう歌かという解説とか、用語、言葉遊びや、掛詞などの解説、参考にされているであろう当時の教養のある人が読んでいた本の話や、当時の社会の様子などが説明されたり、面白エピソードがあったら脱線もしていたりして、とても面白かった。

 学生の頃に読んでいたら理解が深まっただろうに…と思うと、ちょっと残念だが、今読んでも面白いものは面白い。誰と誰が仲が良かった、とか、この歌の人は何番の歌の人の子どもだとか、この人の配偶者は誰で、どんな仕事をした人だとか、振られて悲恋の人だったとか、子どもをたくさん産んで、幸せな生涯を送ったとか、なんていう人物紹介も面白かった。
 
 中年になると、古典の勉強をする講座に心惹かれる女性が多いと聞いてはいたが、順調に私もそこをなぞっているあたり、いいんだか悪いんだかねえ。
でもやっぱり面白いから、いいか。
 
 

大人の?ブラックサンダー

 おやつの減りが早い。夫の勤務がリモートなのもあって、コーヒーをいれたついでにちょっと食べて部屋に戻っていったり、仕事が終わったら通勤時間ゼロで戻ってくるため、夕飯までに時間があったり。
 ついでに言うと息子もさすが中学生、前よりおやつの消費量が増えた気がする。

 とはいえ、あんまり高いものをガンガン買うのも問題があるので、袋入りの安いお菓子が大活躍。チョコレート系統と、せんべい系統に分けてそろえているが、チョコはブラックサンダー各種が人気。せんべいは亀田の「うす焼き」か、近所のスーパーのプライベートブランドの「サラダせんべい」が人気。

 ブラックサンダーは一番当たり前のものを買い続けていたのだが、品ぞろえのいいドラッグストアに行ったときに見たのが、

このブラックサンダー72。

 カカオのポリフェノールが体にいいとかそういう話がはやったとき、カカオの含有量がやけに高いチョコレートが出てきたことがあった。どれにしろかなり苦みが強いので、体にいいといわれるこの苦いチョコを食べるぐらいなら、量をぐっと減らして体にそれほどよくないかもしれない甘いミルクチョコレートを食べるほうがいいと思ったものだった。

 そんなわけで、カカオの含有量が高い、とどこかに書いてあるとわかったとたんに選択肢から外していたのだが、これはブラックサンダー。板チョコならともかくも、ブラックサンダーなら、いけるんじゃない?と思って買ってきた。

 なあに…だめなら夫が食べる。夫はブラックチョコが平気な人だ。

 結論からいくと、「まあまあ」。袋入りのミニバーじゃなくて、大きいのしかない、 「ブラックサンダーVOLT」は、実はかなりおいしいチョコバーだと思う。コーヒーがちょっと入っていて、苦めだという話だけど、気に入っている。それよりはカカオ大増量のチョコの味が(あたりまえだけど)するので、好みは分かれるとは思うが、思っていたよりずっとおいしかった。
 
 これと、普通のブラックサンダーのちょうど間のがあれば、一番いいんだけどな。
 1つで満足感のあるチョコバーで、夫は特に気に入ったみたい。

 息子は「これはだめ」となっていたので、大人のブラックサンダーという触れ込みは伊達ではないのだろう。息子に取られないチョコバーとして冷蔵庫に入れておくのにいいかも。それと一緒に買ったグラノラ入りのフルグラサンダーミニバーはあっという間になくなったしなあ。
 私も、この72バーだと一度に2つは食べないかも。そういう濃さのあるチョコバーだと思う。

 苦いチョコが大丈夫なら、おすすめだ。


 

田辺聖子さんの本とツイッター

 しばらく前に田辺聖子さん(と呼ぼうか、それとも先生、と書くべきか、それとも作家の名前を本の感想を書くときによくあるように敬称略にしてしまっていいのか、なかなか決心がつかない)の本が目について、キンドル本を読んでいる。

 多分一番何度も読んだのは「新源氏物語」で、次に読んだのは多分「おちくぼ姫」だと思うが、エッセイ本もかなり読んだ。いつ、というとこれが割と早くて中学生の頃。
 中学生の時は、私は部活に入っていて練習が毎日あった。月曜から土曜までびっちり部活、日曜日は習い事があって、田舎の図書館の、朝10時に開館して、夕方5時には閉まってしまうスケジュールではまず、図書館に行けるのは部活が休みになるテスト前だけだった。

 家にある本は読みつくし、なおかつ学校の図書館は端の方が雨漏りのするようなプレハブで、図書館は放課後にも昼休みにも開いておらず、唯一借りられる時間は国語の授業で使っているときについでに、か、夏休みの前の貸出期間か、「読書クラブ」が活動する週に1度の授業で部活動をする時間に自分の部活を抜けて(至難の業だった)借りるか…。
 しょうがないので休み時間に職員室に図書館のカギを借りに行き、鍵をあけて返すのと、貸し出し手続きを自分でやって(昔のカードに自分の名前を書くタイプの)、鍵を返すと、プレハブの図書室から教室に走って帰ったら大抵遅刻…というような感じ。生徒に本を読ませるということについて、どう考えていたのかちょっと問い詰めたくなるような環境だった。

 そんなわけで学校の図書室で本を借りるのは本当に難しく、それなら友達同士で本を貸し借りする方がよっぽど…という状態だった。赤川次郎や、西村京太郎や、アガサクリスティや…シリーズをたくさん貸してくれた友達は本当にありがたかった。
 そんなわけで、手当たり次第に読むことになって、母が図書館で借りていた佐藤愛子さんや、田辺聖子さんのエッセイ本は、中学生でもかなり面白く読めてしまったというわけだ。
 割と早く「知っている作家さん」と認識していたと思う。

 そんなわけでエッセイ集はかなり読んだと思っていたのだが、この本は全く覚えがなかった。
 ちょっと長めのフレーズにしろ文章2つか、3つぐらいまでしかないものが、載っている本。思いついたことをパパっとメモにして、ためておいたものをまとめました、みたいな本だった。

 多分そういう一言、みたいなところからエッセイを書いたり、物語の一部にしたりしたんだろうなあ…というようないろいろなものの寄せ集めだった。

 しばらく読んでいくとなんかこう、どこかでこういう感じのものを見たような…という気がしてきた。
 「誰がうまいことを言えと」とツッコミたいような、「なるほど、確かにそうだよねえ」と感心するような、「へえー。こういうこと、考えてたんだ?」と興味深いようなことが、ひとこと、ふたこと。

 あーーーーーわかった。これ、ツイッターだ。
 思いついたちょっとしたことを書いて、ネットにあげておく、「ツイッター」。140文字しか書けないので、日本語だと結構なことが書けるけれど、英文だとほんと、ちょっとしか書けないという、あれに似ている。

 一つだけ、この本からの引用。

 男と女の仲は、半年付き合ってモノにならなかったらダメだ。

 確かに…半年付き合って、しっくりこなかったら、もう別れちゃった方がいいと思う。相手から申し込まれて、付き合ってはみたものの、「なんか違う」感じがして別れたときのことなんか思い出すと、こういうことを他の人も考えているのがちょっとうれしい。

 この一文をメモにしておいて、あとで取り出したら、多分田辺先生にはエッセイを1本書けてしまうだろう。もしかしたらそういうテーマのエッセイがもうあるかもしれない。

 こういうような短いフレーズが、これでもかと入っているのがこの本。

 もし、ツイッターをしていらっしゃったら、バズっただろうなあ…。フォロワーも、すごい数になったと思う。

もう、新しいのは読めないんだなあ…。しみじみ惜しい。
 
でも、この人はたくさん本を書いているからね!全部読もうと思ったら結構時間がかかりそうだ。
中年女性をターゲットにしたものもかなり多いし、今から楽しみに読みつくそうと思う。

 

3色ふりかけ

これを見たことがある人は多いだろう。丸美屋の三色ふりかけ。
 私はこれを一人暮らしをした時に初めて買った。お弁当のご飯にこれをかければ、おかずがあんまりなくてもおいしいし、おにぎりにする手間を省いてスピード弁当。のりたまがあんまり好きではなかったので、私的にはのりたまが余ったが、世間的にはゴマ塩が余るのだとか。

 中身が切れたら、「ゆかり」とか「菜めし」とかを入れることが多かった。
 ちなみに、ふたは結構無理矢理に上に引っこ抜くと開く。
 今、家にあるこの容器には「ピンクの梅ごましお」と、「ゆかり」と「かおり」が入っている。(梅ごま塩は丸美屋だが、ほかの二つは別のメーカー)。

 注意しなくてはならないのは、三色のふりかけを出す口のところが、大きいのと、その半分の大きさ、それから小さめの穴が6個並んでいるタイプ、と3種類あること。大きい口のところに「ゆかり」のような細かいものをいれるとバッサリ出るし、梅ごま塩のお花のチップとか、ひよこチップ入りのりたまのような大きめのチップが入ったものを6個穴のところに入れてしまうと出てこなかったりするという、粒のサイズ問題がある。
 それと、てっぺんからふりかけを足すときに、垂直のふりだし口からふりかけがこぼれる事故が起こりやすいこと。(手でふさぎながら入れる)ふりかけの量をついつい、ぎりぎりまで入れるとキャップをぐるっと回して外側と内側の穴を合わせた途端にザラザラ出ることになるから、少な目を心がけること、袋入りのふりかけが一袋分全部入らないことがあるので注意だ。


 …とかまあ、このふりかけの容器の使い方に関してはエキスパートになったつもりだったのだがこの間、リニューアルしたというではないか。スーパーで山積みにされていて、思わず買ってきてしまった。
 赤、黄色、青の3種類があったのだが(これは前の容器も。ただし、前の容器は中身は同じだった)、この日記を書こうと思って(画像は丸美屋さんからお借りしました)画像を取りに行きがてら調べたら、どうも黄色はのりたま特化、青は海苔味に特化。のりたまの60周年記念バージョンらしい。

 前の容器も赤だったのは単に好みで、はっきりした色がいいと思っただけなんだけど、違いがあるとは…。
 そして、キャップの形状が変わって、トップにキャップが3つ、別々についていて、気を付ければいい感じに足せそう。旧型の容器はキャップを引きぬくのがちょっと無理がある感じだったのだけれど、新型はふりかけの出口=ふりかけ補充口として使えるようになっている。

 うーん。古いほうの容器にも愛着があるんだけどなあ。何となく捨てられない。

 あんまり好きではないのりたまは、元気よく息子のお弁当にふりかけるので問題なし。
 ちなみに、夫は「茶色くてじゃりじゃりした感じのふりかけ」をよく覚えているそうだ。多分それは「かつおふりかけ」ってやつではないかなあ。確かにあったな。学校の給食に出たっけ。私は変わった名前だと思ったふりかけとして「旅行の友」というのを覚えている。旅館の朝ごはんに出てきて、旅館専用か、と思った。
 今調べたら違うらしい。小さい袋入りが今でも買えるけれど、味は全然覚えていない。
 ふりかけってよっぽどの好みのじゃないと、一袋分消費するのに時間がかかるからなあ…。
 やっぱり弁当に使うにしても、三食ふりかけパックぐらいの量がちょうどいいのかもしれない。

トマトのぬか漬け

 すっかり趣味っぽくなってきた、ぬか漬け。私は母親から、「ぬかみそは混ぜたら混ぜるだけおいしくなる。空気に触れさせるほうがいい好気性菌を増殖させるのが大事で、嫌気性菌のほうは増やさないようにするべきである」というようなことを聞いていた。
 つまり、てっきり何度も混ぜるのが大事だと思っていたわけだ。

 ネットでいろいろ調べると、どうもぬか漬けがおいしく漬かるのに大事な乳酸菌は、嫌気性菌らしい。ちょっと予想外。てっきり動物と仲良しで、同じ環境(酸素とかが多い環境)で一緒に生きている菌なんだと思っていた(イメージ?)。
 糠みそをぎゅっと押さえて、空気を抜いておくのが大切なんだとか。まあ、確かにぎゅっと押して、表面をならしていたので結果オーライではあるんだけど。

 あとは、塩分をある程度は入れておかないと漬物がおいしく発酵するのには邪魔な菌が出やすくなること、糠みその水分はそれほど多くはないほうがいいことが分かった。
 温度は20度から40度、つまり室温のあたりでちょうどよく、今のシーズンは30度前後なので環境的にはばっちり、というわけだ。

 塩分はまあ、混ぜるときにちょっと足してもいいし、野菜にふりかけてもんでから入れてもいいから、割と問題なし。
 問題は水分。
 ぬか漬けの水分を抜くための、穴の開いた容器が売っているのだけれど、どれも割と大きめ。1キロのぬか床にはちょっと無理があるサイズ。

 次善の策として、キッチンペーパーで水分を吸い取ったり、糠を足したりするように、と書いてあるので、糠を買い足して足していたのだが、発酵ぬか床のコツとして、干しシイタケなどを漬けるとおいしい漬物になり、なおかつ水分が減るという話が書いてあった。

 干しシイタケって案外高いんだよね。ベランダでザルにいれて干しシイタケを作成するところからスタートするのが多分、一番安いんだろうけど…と思ったがすぐには準備できない。
 ふと、冷蔵庫にかなり長い間入っている「干しトマト」のことを思い出した。
 かなりの大容量の袋で、そのまま食べたり、玉ねぎといためたりして使ったのだが、玉ねぎと炒める料理は「あんまり好きではない」という息子のセリフで普通のトマトに移行してしまい、そのまま食べてもおいしいのだけれど飽きるぐらいあったので、「トマトソースにでもしなきゃなあ」と思いながら、放置になっていたものだった。

 干しシイタケが漬物になって、干しトマトがならないという理屈はないだろうと思ったので、ぬか床の四隅と真ん中に計5つ、埋めておいた。
 12時間ぐらい漬けてからだしたら、確かに水分が減っている感じがするし、味はおつまみ系でおいしかった。
 これは大成功。

 多分生のトマトだと水分が多すぎで、後でそのぬか床の水分をどうするかということが問題になるだろうから漬けないほうがいいと思うけれど、干しトマトなら大丈夫。残りの干しトマトも食べきれそうでよかった。

ブログの毎日更新

 8月お盆の頃、だらだらゴロゴロしていたら、ブログの更新用の下書きがほとんどなくなったことがあった。
 8月になって息子の夏休みがスタートしてから、ちょっと落ち着かない日が続いていたのもあるし、家の外には出ないし、そうそう事件があるわけでもなし。

 かといってせっかくこのブログだって毎日更新なんて言っているわけだから、毎日更新は崩したくない。そう思って、まずは本の感想から書くことにした。
 そのあと、ちょっと気が付いたことがあったり、買い物したもののことも、「あ、ブログに書こう」と思った瞬間にメモをして(そうしないと頭から思いつきが消える)、何がどうでも書き始めることにした。
 文章がいい感じにならなくても、こんなのだれが読むんだろうと思っても。ブログというのは日記なんだから、誰が読まなくてもいいし、誰が読んでもいいからネットにあげてあるだけ。田舎の駅の「誰でもご自由にお借りください」という本棚の本のようなもので、気になったら手に取って読むし、気に入らなかったら二度と手に取らなければいい、そういうものだと私は思っている。

 ふと、しばらく見に行っていないところを見たら記述が増えているのも楽しいし、更新されていないブログでも過去の記事が面白かったらさかのぼって何年分も読んだりする。

 結局、コツなんて言うものはあんまりなくて、「あ、文章にしよう、日記に書こう」と思ったら、すぐ取り掛かるしかない。あとで、と思ったらもうそれで日記なんかあっというまに書かなくなってしまう。私が読ませてもらっている日記には毎日ちゃんとオチまで書くような素晴らしく面白いものもあるが、そんな文章力ありゃしねえ…という自覚はあるので、淡々と日記を書くだけ。

 これが自分にとって真価を発揮するのは後で読み返した時だものね。
 息子が赤ちゃんだった時に書いていたブログも、文章だけは取ってあるのだが、そのかわいい記述に心癒される。
 ただ、今日思ったこと、いま考えたことをなるべく早く書き始めて、仕上げてしまうのが多分、文章を書き続けるコツなんだと思う。

 気が付いたらすぐ書こう、と決心したらあっという間に2週間分たまった。毎日に何の変化が起こったわけでもないのだけれど、「あ、これ、書けそう」ということに気づくように、ちょっとしたことでも「これ、ブログに書けそうかな」と思うかどうかも大事だと思う。
 仕事が忙しかったら、毎日更新は難しいだろうなあ。

 あと、テーマが特化しているブログだとここまでどうでもいいようなことを各種バラバラに書いているよりもずっとブログのネタが少なくなるだろうから、大変だとは思う。私のブログは正直話題に節操がないからね。なんでもありだ。

 あとはなるべく毎日書き続けるほうが、はずみがつくというのか、文章を書きだす時に抵抗がなくなっていい気がする。
 あれだ、トイレ掃除は毎日したほうがいい的な話。あれと似ている気がする。

封筒印刷の向き

 手紙をちょっと出してみようかと思って、封筒を買ってきた。家にあるのは学校とかにお金を持って行かせるときに使っていた長形4号という縦型でいかにも事務用というみかけの封筒しかなかったから、ちょっとこう、事務用じゃなくて「お手紙を出しますよ」という形の封筒が欲しかったのだ。

 学生の頃は、小さいのがかわいいからとはがきサイズの封筒(洋形3号)を愛用していたのだが、最近は紙がA4が多いのでちょっと3号だと小さすぎる。洋形2号はA4の4つ折りがちょうど入るから…と思って、白い洋形2号をゲット。10枚100円ぐらい。大体白い一重の封筒というのは安い。くちのところにテープとかがついているのは高いけれど、そういうのはプリンタにかけたらくっついちゃったりする事故が起きることがあるので使わない。テープ付きは便利だから好きなんだけど、最近宛名もきれいに印刷のほうがいいかなと…自分の字が汚いのでつい、プリンタに頼りがちだ。

 手紙を書いて、さて、封筒の印刷。年賀状を作るソフトは封筒の印刷も出来るからね!
 プリントするにあたって、紙が間違っているというアラートが出る。えーっと。
 PCのソフト側では、洋2号が選ばれている。プリンタ本体の設定を見に行ったら、なんと洋4号と洋6号があるのに、洋2号はない。洋3号は多分、はがきサイズと大体同じなのでそれで問題ないだろうけど。

 洋2号って割とポピュラーなサイズだと思うんだけどねえ…。
 しょうがない、A6を選んで、そのまま印刷してOK!と無理矢理通しておいた。

 あて先はこれでOK。次は差出人。
 おりゃ、印刷!と思ったら、上下が違って、封筒のふたのほうに印刷されてしまった。あーらら。
 
 ここにメモっておこう、と思ってこのブログを書くことにした。
 横に長い洋形封筒を、この絵の向き(プリンタの用紙トレイの絵に合わせる)にくるようにして、(手前が下)、なおかつ印刷面は天面ではなく、下になるほう(印刷しないほうが天にくる)。

 封筒とかはがきの印刷って、ややこしいんだよねえ…。
 あとから文具を置いている場所から出てきた白い封筒があった。確か前回はこの封筒でお手紙を出したはずだ。こっちでもよかったかな。封筒のサイズを計りなおしたら、9x17.5センチ。この封筒、何サイズだろう。雰囲気で洋形7号だと思ったけど、ちがうっぽい。(洋形7号は9x16.2センチ)大体この封筒は短辺が開いている「縦型」だ。つまり系統でいうなら洋形ではなく「長形」が付くタイプだろう。
 100均のレターセットとかかな?と思ったのだがネットで調べて判明。
これ、お札入れるときのやつだ。無地の金封、お札が折らずに入るタイプの。
 
 外側の袋がなくなっていて、箱に入っていたからわからなかった。縦型の封筒でこういうサイズのはないので、意外とニッチなサイズ。
 短辺が8センチ半というサイズのもあるみたいで、危なかった。9センチはないと郵便局の定型にならないからね。
 
 金封と封筒はすごく似ているのに、まったくの別商品として扱われているのが面白い。
縦入れの封筒で、短いものが欲しい場合はこの無地の金封を封筒に流用してもいいんじゃないかな…。と思ったけど多分出番はないな。
 無駄な知識が面白かっただけに終わった。
 

味あわせる、味「わ」わせる

 味わってたべましょう。
 素晴らしい味わいでした。
 その喜びを味わうことなくすごしてきた。

こういう表現をみると、あじう。という言葉があるのがわかる。
味わい、となると名詞として扱われるようになるのも大体わかる。それがこっちになると、表記ゆれが出る。
 「お子さんに達成感を味あわせてあげたいと思いませんか」

 これはいろいろなところで書かれているのを見かける。口にしてみるとそれほど違和感がないような気がするが、表記としては目が引っかかる感じがするので、気になっていた。

 息子が「…の味がする」という話をするときに「…が味わえる」と表現したので、「それちょっと使い方が違う」と指摘して、そのあと、いろいろと話をしたら、夫はそれほど違和感を感じていないことがわかった。
 しょうがない…これは調べるしかない。

 調べてみたら、形、つまり文法的には、味わうの活用は「わ」のところでするということがわかった。
 「お子さんに達成感を味わわせることが出来れば、素晴らしいと思いませんか」
…とまあ、こうなるわけだ。

 ただ、発音するときに「わ」が2つ連続するのが嫌がられて音便的に引きずられて、「味あう」になってしまうらしい。
 「それを味わわずにはいられなかった」と書いたとき確かに使い慣れなくてもたもたする感じが私もする。
 
 変換するときも「味合わせる」としか変換しなかったが、「味わわせる」の時はすんなり変換したし、正規表現としては「味わわせる」なんだろうな。

 これはあれだ、「ティーバック」(下着ではなくて、お茶をいれるほうの)とか、「ベット」(賭けるのではなくて、寝るときに使う家具)とかの音が発音しやすいほうへ引きずられるようなのと同じタイプのことだという理解でよさそう。

 ふと、高校生の時の国語の先生の声で「おいおい、味を「合わせて」どうすンだ」と突っ込む声が聞こえた。
 
 あー、確かにそういわれそうな感じがする。
 自分がどういう風にその言葉を初見にしたか、発音してきたか、書いてきたかでどれが「正しく思える」かというのは変わってきてしまう。誰だって間違っているとわかっていて、そうするわけではないからだ。
 昔はこれが正しかったとか、最近の習慣ではそうなっているから、とか割と表記ゆれもあるらしいのだけれど、とりあえず「味わわせる」のほうを採用しておこう。
 

「町から来た少女」 ヴォロンコーワ

この本と出会った時、私は小学校3年生だった。私の家の向かいのおうちのお姉さんが高校生になるにあたって、お部屋の整理をした時にもう読まないから、「まだ小学生のまこちゃんと、お姉ちゃんにどうですか?」と、持ってきてくださったものだった。
 
 本!自分のにしていい本。すごくうれしかったし、これは一緒に来た「二人のロッテ」や「風にのってきたメアリーポピンズ」と違って、自分が知らないお話だった。
 
 戦争で町が敵軍に攻撃され、身寄りを失った少女が田園地帯へと避難してくるときに、農村の家族に引き取られる話なのだが、これは町と農村部がすごく離れていて、生活スタイルが全く違うとお互い思われていた時代のロシアで、農村部では戦争は遠い場所のことでしかなく、羊を育て、麦をまき、手堅く暮らしている様子が書かれている。

 ロシアの政治体制が、社会主義がどうこうというのは全く当時は気にしていなかったが、やっぱりロシアものの児童文学は社会主義下で書かれたものが多くて感情移入しにくいからか、人気がないのかもしれず絶版。「ヴィーチャと学校ともだち」とか面白いものもあると思うし、これもなかなかにいい物語だと思うのだけれど。
 
 ペチカのある家でサウナを使ったり、サモワールから熱いお茶をついだりする、寒いロシアならではの記述が楽しくて、農村を知らない人がいいなあ…と思うようなところがたくさんある。大草原の小さな家の農家の暮らしが好きな人なら、これも楽しめると思う。

 で、これを久しぶりに読みたくなったのだが、かなり見つかりにくくなっていた。
 まず私が読んだのは岩波の高杉一郎さん訳のものだが、ほかでも数回は訳されていることがわかった。どうも学研の出版社から出ていたらしい「少年少女世界文学全集」の5巻が「ヴィーチャと学校ともだち」と、「町からきた少女」の合本らしい。これは宮川やすえさん訳。
 図書館の資料検索で見つかったのが講談社の「少年少女世界文学全集」のロシア編(4)で、「連隊の子」「町からきた少女」「金どけい」の3編の合本。。「町からきた少女」は袋一平さんという人の訳だった。

 岩波少年文庫のは見つからないから、とりあえずこれでいいや、と取り寄せて読んでみた。違和感があるのはしょうがない。
 うーん、一度読んだら、余計読み慣れたのが読みたくなった。

 「町からきた少女 岩波」と検索条件から「少年文庫」を落としてみた。
 すると、やたらと「二人のロッテ」がひっかかる。

 えーっと…ふたりのロッテはいいのよ、あれはどこでも読めるし、まだ売ってるから。いい本だけど、好きだけど!そして私が読んだのも岩波のだけども。あれは時々映画化するし、今の子どもたちが読んでもそれなりに面白いからねえ。多分これからも買えるだろう。
 …と思ったらば、「岩波少年少女文学全集」 の20巻が、「二人のロッテ」「町からきた少女」の合本だった。

 図書館で調べなおしたら、「ふたりのロッテ」がまず来て、同時収録のところの副題のように「町からきた少女」が入っていて、簡易検索ではかかってくれないらしいということのようだった。

 この岩波の全集は図書館には多分あるところが多いだろう。つまり、学研の全集では「ヴィーチャと学校ともだち」に、岩波では「ふたりのロッテ」に隠れてしまって見えなくなっているから探しにくいとみた。
 
 図書館で予約はとりあえずしておいた。こういう本は気長に探すに限る。ハードカバーの全集のほうはともかく、岩波少年のほうは、冊数もかなり出ているはずだ。それに出版年が古いので、メルカリとかの最近のオークションよりは古本屋に出ている可能性が高い。
 あと、気が付いたのだけれど、「町から来た」と漢字にパッと変換してしまうのでそれで検索してしまうけれど、「町からきた」とひらがなで検索する方がこの本のことがたくさん出る感じがする。

 作者は「ボロンコーワ」と「ヴォロンコーワ」表記が多いが、小学館の1983年の松谷さやかさん訳と、岩崎書店の内田莉莎子さん訳のものは「ヴォロンコ」、集英社のマーガレット文庫の北村順治さん訳のものは「ボォロンコーワ」。表記が混在しているが、自分が読んだ本がどれだったかわかっていれば絞り込みやすい。
 小学館の少年少女世界の名作37「せむしの子馬」「地球は青かった」と同時収録になっている「町からきた少女」は誰の訳かはわからなかったけど、ソヴィエト編4、ってなっているし、多分同じ話かと。
講談社の「世界名作図書館」21、「機関士白ねずみくん物語」 「町からきた少女」 「ものいわぬ杜子春」のセットのは内田莉莎子さんだから、岩崎書店のものと同じだと思う。
…と調べた感じだと、かなり何回も訳されているから、名作なのは間違いないんだけど、どうもマイナー感が抜けきれない本だ。
 

エプロン作成

 最近、物忘れがひどくなった気がする。まあ、中年も極めたし、平安時代とかだったら長生きといわれて、仏道修行に入っていてもおかしくないぐらいの年齢なんだから、無理もない。一度パッと思いついたことを、あとで思い出せなくなっている感じで、たとえば砂糖が少なくなっているのが調理中にわかったとして、あとでスーパーに行ったときに思い出せない。
 
 メモを取ればいいのだが、最近使っているのはスマホのメモ帳が多く、スマホを充電しているところまで行って入力するか、PCに入力して(クラウドでつながっているので反映される)今までうまくいっていたのだが、このコロナ騒ぎでスマホを外で触る機会を減らしているため、もっていかなかったりして一体何のためにメモっているのか状態に。

 となると次は自分が家の中でメモとペンを持ち歩くのがいいのだろうが、今家の中でしょっちゅう着ているリラックス用ステテコ風のコットンパンツにはポケットなんかついていない。主婦の女性はそんなわけでエプロンをするのかもしれないが、胸まであるエプロンが暑苦しい。

 腰から下しかないエプロンってなんていうんだっけサロンエプロン?あれが欲しい。
 ネットで調べたら送料込みで800円から1000円。ううむ…案外する。試してみて、継続使用が決まればまあ、それもありだろうが、やってみてダメだあ。ってなったら、もったいないものねえ。

 見てみたら、たいして凝った造りでもない。四角い布の下1/3ぐらいを折り上げてポケットにして、真ん中に縫い目をいれて分け、上を裏側に折り返して紐を通してあるといったような感じのもの。見ただけで大体わかる構造で、私にも縫えそうだ。

 家にある無地の布の一番安かったの(110センチ幅が60センチぐらいあった)を真っ二つに切って、エプロンを2枚作成。要は腰に結び付けるポケットだね。こういう感じの道具入れを持っている人もいると思う(多分エプロンより高い)し、夫には「鍛冶屋さんのよう」とコメントされた。

 1枚の布代が大体250円ぐらい、紐が50円ぐらいだから、600円で2枚。ペンを入れる細いポケットと、手が余裕で入る深めのポケットが2つ、細かいものを入れる底が浅いポケットが1つ。紐は真ん中のエプロンに隠れるところだけゴムにして両端が紐になっていて、腰に結ぶ。
 白い紙をたたんでメモ用紙にして、厚紙を挟んで書きやすくしておく。ペンとメモをもって気が付いたことはさっさとメモって、外に出るときはメモだけもって出て、そのままポイでOK。チラシの裏って、今でも時々白いのがあるから、それで十分。
 
 上のほうに小さいタオル縫い付けて手を拭くのに使ってもいいかな…と思いついたけど、さすがにそれはあんまりか?
いや、考える余地はあるな。
 それともタオルをポケットに入れておくべきか。

 なんでもないことでも、ちょっとこういう普段はしないことをするのが楽しかった。

洗濯100回

 朝、洗濯をはじめようと思ったら、「100回目のお洗濯です」と洗濯機が言った。
 お洗濯のヒントなんか、全然聞かないのだけれど、これは普通にスイッチを入れたときいきなりしゃべったのでセリフが聞こえた。

 つまり、洗濯機を買ってから100回目だということらしい。
 そんなの数えたことないもんねえ。びっくりだ。

 夫と、…ってことはさ、3年ぐらいたったら「1000回目です」とかいうかなあ?
 じゃあ、300回とか500回はどうだろう?と話をした。

 さて、何回と何回に設定してあるんだろう、ちょっと楽しみ。

 とはいえ、あんまり全部の家電製品に設定してあっても困る。
 「今ので458回目の炊飯でした」とか、「お湯が沸いています、1200回目の沸騰です」とかいやかもしれない。
 
 100回目の洗濯は無事終わって、洗濯物も乾いているがふと思った。
 設定ミスをして、一度止めて電源切ってから始めなおしたの。あれは1回にカウントされているんだろうか。

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 ちょっと短いのでもう少し書く。

 これを書いているときはあんまりまだ涼しくないので、くずもちとか、水ようかんとかをまだ食べる。
 井村屋の5個セットのカップ入りくずもちは今年大活躍だった。278円で5つ。そっくりに見えたんだけどヤマザキもあって、それは218円ぐらい。その代わりあんこの入り方が控えめだが、実はこっちの方が好み。

 その割にヤマザキのくずもちをあんまり見かけないのが悲しい。あのぷるぷるしたところがいいのにー。あんこが食べたいなら普通のおまんじゅうでいいんだから。

 いつまでこういうものって買えるんだろう。去年までは水ようかんとかくずもちをあんまり買っていなかったので、今年は要観察。
  

封筒の変な好み

 封筒に宛名を印刷した日からこっち、ちょっと好みの問題…というのを考えてみた。
 手書きの多かった昔は便せんの標準はB5で、それに合わせたサイズで、9x19センチの長4号がデフォルトになったということらしいが、私は縦に長い封筒が好きではなかった。大体縦書きが苦手だったのがその理由で、横書きが当たり前の「洋」とつく封筒を使っていたし、自分で作る時も参考にしたのは洋3だった。

 昨今書類のサイズはA4が標準化してきて、一番よく使用されるサイズだと思われるのが「長3号」。近所のホームセンターで一番安くて種類があるのがこれ。定型郵便の最大サイズの12x23.5センチ。A4を3つに折って入れるのにちょうどいいサイズ。
 ただ…これはかなり大きい。ビジネスにはよくてもなんとなく私信には向かない気がする。

 幅だけはこれでいいんだけど、長さがありすぎ。そう思った時に候補にはいるのはやっぱり洋2号か洋1号。洋1号は幅12x長さ17.6センチ。洋2号は幅が11.4センチぐらいでちょっと狭く、長さが16.2センチ。

 やっぱり洋2号かな、と思ったけどこれはもちろん「洋」系統なので、長辺のほうから物を入れる。
 プリンタにかけると、紙を入れる方向が決まっていて横からプリンタに巻き込まれるので(うちのプリンタはぐるっと巻き込んで印刷するタイプ)、しわがよったり、ちょっと変なところにインクが付いたりする事故が起こりやすい。ひし形合わせの封筒だから、というのもあるだろう、紙がスムースに送られるように、となると、短辺が上になる=トップから物を入れるタイプの長形の封筒のほうが有利なのだ。紙のローディングの向きが変えられるプリンタもあるようだけれども、うちのプリンタはそういうことが出来ないっぽい。

 トップから入れる封筒で、一番寸詰まりの封筒は…ずばり金封だったりするんだけどさ…。(金封は長さが17センチ半)
 ネットで調べた感じだと、角8形という封筒が、横11.9センチ、長さ19.7センチ。
 これの白いのがあんまりない。クラフト紙のが多くて薄茶色の封筒が多い。

 これはつまり、長3号(安い)に、印刷した後、下を切り取って15センチぐらいまでに切り詰めたら、ちょうど好みの感じになりそうか…。定型として扱われるサイズだと、正方形に一番近い封筒は12x14センチだし。
 とはいえそこまで手間をかけなくてもいい気がする。

 意外にニッチな好みなんだなあ、これ。確かに私は学生の頃とかも変形封筒のレターセットが好きだった。
 でも誰も封筒のことなんて気にしてないよね。手紙は「来る」というところと、「中身の文章がいい感じ」なのが大事なんだから。
 うちにあるプリンタで印刷するとなると、無理矢理A6で印刷するのが手っ取り早いけど。または洋6の設定で印刷するか。

 ユーザー定義用紙の印刷も出来た気がするけど、年賀状ソフトのほうが対応していないんだよね。
 ソフト側もプリンタ側もエラーが出づらく、さっさとセット出来て、問題なく印刷出来て、安い封筒。以外とコツがある気がするので、覚書としてブログに書いておく。

「ばらいろ島」 シャルル・ヴィルドラック作

 ネットで、物語の一節を頼りに、なんていう題名だったかねえ…と思いながら検索をしていたら、「ばらいろ島」という児童向けの本を探している人がいた。

 うっすら覚えがあるような、ないような…。
 古くて、字が小さい、二段組の本だった気がする。
 ものすごくうろ覚えで、全然違う本かもしれないとは思ったが、これは私も調べてみよう。そう思って、ネットで検索開始した。

 活字が二段組ということは、大体「文学全集」が多い。何全集かはともかく、そういうそろった本になっていた本だろう…というわけで、「ばらいろ島 全集」で検索を書けたら、いきなりヒット。
 「少年少女文学全集」にその物語が入った本がある。
 古い講談社のもので、フランス編(5)、29巻に収録らしい。

 講談社のこの少年少女文学全集は、昭和36年出版のもので、結構人気があったらしくて、オークションなんかでもかなり出る本なので私も見たことがあるし、ちょっと前に「町からきた少女」を探していて、同じこの全集の本の「ロシア編」を借りたばっかりだった。これは図書館にあるかもしれない。

 図書館の資料検索で見事、出てきた。私が住んでいる街の図書館には、この全集(全50冊)のうち、半分ぐらいはあるっぽいので、運がよかった。背表紙の題名は「青い鳥」「ばらいろ島」「首なしうま」の3つ。
 実際の収録作品はこうなっていた。

講談社少年少女世界文学全集第29巻 フランス編第5巻
「青い鳥」 モーリス・メーテルリンク作 若月紫蘭 桜田佐 訳
「ばらいろ島」 シャルル・ヴィルドラック作 宮崎嶺雄訳 
「トロットの妹」 アンドレ・リシュタンベルジェ作 那須辰造訳
「マリアさまとかるわざ師」 アナトール・フランス作 小林正訳
「かわいい子どもたち」 アナトール・フランス作 小林正訳
「首なしうま」 ポール・ベルナ作 那須辰造訳

 「青い鳥」は、チルチルとミチルの物語で、絵本とか、もっと子供向けにはしょったのとかがあって読んだことがある人は多いと思う。小学生の頃に、これをマンガにしたのまで読んだ記憶があるぐらいだ。
 「トロットの妹」は全く記憶なし。初めて読んだも同然だった。赤ちゃんが生まれて、お兄ちゃんになったトロットの心情を書く。と言っても、トロットもまだ幼児なので、それほど込み入った話でもなかった。
 「マリアさまとかるわざ師」は短いお話だった。これはどこかの絵本で見たことがある。多分教会か、クリスチャン系の幼稚園にあるタイプのお話だった。
 「かわいい子どもたち」は、岩波文庫の赤に三好達治訳が「少年少女」という題名で入っているらしい。多分、読んだことがある。特に1つ目の「ファンションと小鳥たち」は覚えがあったけど、この本じゃなくて岩波のほうで読んだのかもしれない。この本に載っているのは全部じゃなくて「ファンション」「学校」「勇気」「カトリーヌのお客さま」「野あそび」「大きな子どもたちの失敗」の6つ。
 子どもたちの日常をひとこま切り抜いたような短編でかわいいし、イラストとかを描く人ならこういう話を見ると創作意欲がわくかもしれないけど、それほど楽しいとか面白いとかそういう話ではなかった。淡々としている感じ。
 
 「首なしうま」は事件に巻き込まれて、子どもたちのグループが犯罪の真相究明にひと役買う、大活躍な話で、結構面白かったけど、これにも全然覚えがなかった。これだけ面白ければ覚えていてもよさそうなんだけど。

 そして今回のメイン、「ばらいろ島」。
 こういう名作集に入っている本は、たとえば昭和30年っていうとえーっと何年だ1955年?に訳されたとしたら、2、30年に1回ぐらいはまた訳されていることが多い。つまり1980年代ぐらいとかにはもう一回日の目を見たりするパターンが多い。なんなら2000年ぐらいにもう一回出ていても不思議じゃない。
 有名な「青い鳥」は言うまでもなく何度も訳されているし、「首なしうま」も調べてみると80年代に偕成社から出ているようだ。「トロットの妹」は「かわいいトロット」が1985年、「私のかわいいトロット」は2005年にそれぞれ出版。これは多分シリーズ本?作者名が同じだから、多分そう。
 「ばらいろ島」は関連本ともに全然情報が出てこない。

 図書館で借りた本を読んでみた。主人公はチフェルナン君。
 学校の先生がひどい先生で、学校が楽しくないところからスタート。お母さんは病気がちで、妹のお世話も大変だ。
 ある日突然「ばらいろ島」に招待されて、目が覚めたら飛行機の中!
 
 この島が、男の子ばっかり30人が住む楽園状態。寄宿学校のように宿泊し、遊んで勉強して、おいしいものを思うさま食べ、貸出式とはいえ豪華おもちゃに、海で遊べるし、ミニ機関車にレーストラックに、自分専用の小型のモーターボートまで貸してもらえて、南の国なので実ったオレンジもぎ放題、そしてお金の心配なんかしなくていい、必要なものは服からなにから、欲しいものは言ったらそろえてもらえるという、夢のような環境。

 大体、こういう感じのお話というのはないでもない。夢の国に行くとか別世界に行って楽しく暮らすとか、冒険するとか、そういう話ならうんといっぱいある。でもこれは「子供に楽しい思いをさせるのが好きな人が」「パリに住む普通の男の子であるチフェルナンに目を留め」「お父さんとお母さんに許可を取って」島に連れていく話なのが、ちょっと珍しい。

 この手の夢のような生活をする物語が夢落ちで終わることとか、「本当にあったことなのか、はっきりしない」ような終わり方になったり、「経験してみないとわからないことで、今でも仲間同士で本当にあったことだと思い出を話しあうが、それを聞き書きした」というような感じになっているパターンが多いので、例外的といえるだろう。両親に許可を取って…とか、そのあたりだけ実写版で、残りが割と何でもありのアニメの世界みたいなズレを感じる。
 特にこの本にはちょっと現実だったら、生々しいな…と思う記述があった。

 以下青文字は引用、その下にネタバレあり。

ヴァンサンさんは、じぶんがかわいく思って、ばらいろ島にあつめて、素敵な生活をさせてやっている子どもたちが、みんな、だんだんにじぶんのほんとうの子どものようになってくれることをゆめみていたのでした。たいていは家族のないこどもたちか、親に愛されていない子どもたちです。そういう子どもたちの心をつかんでしまうことは、ヴァンサンさんにとってもやさしいことでした。
 ところが、そうでない子どもたちにたいしても、なるべくじぶんたちのうちや、これまでの生活をわすれさせるように、ヴァンサンさんはしらずしらずつとめていたのです。


 キャー。これはこわい。主人公のチフェルナン君は、おうちのことを大変気にして、体の弱いお母さんがちゃんと手伝ってもらえているだろうか、とか、こんなおいしいものを小さい妹に分けてあげたいとか、そういうことをずっと思い続けているので、そこのところがヴァンサンさんには気に入らないと、そういう話だった。

 途中で絶対お母さんに会うんだ!と決心したチフェルナン君は遭難しかかるのだけれど、結局チフェルナン君を幸せにしてあげたかったヴァンサンさんは、おうちの人も島に呼んであげて、夏休みを一緒に過ごせるようになったのでした、というところまででこのお話は終わる。
 
 多分、私が子どもで、この本を何気なく読んだのだったら、ばらいろ島が女の子も受け付けてくれるのなら行ってみたいと思っただろう。青で引用した場所も、別に気にせず読み飛ばしたに違いないと思う。楽しいワンダーランド、子どもの幸せはここにあり。島全体が素敵な遊び場と宿泊用の寮になっているのだもの、楽しそうだよね、で終わったと思う。

 チフェルナン君は親御さんを一か月島に呼んでもらえたし、それから卒業するまでもっと楽しい思いをして、何年か滞在したのかもしれないね、と思わせるラストではあるのだけれど、男の子ばっかりを30人、「気に入った子だけを集めて」簡単に誰も踏み込めない私有地の遠くの島に何年も、滞在させるのってどうなのよ。一番小さい子は5歳、チフェルナンは年少のほうで9歳、「もう大きくなったので島を出てしまった」という前の住人がいることからも、ある程度年齢が行ったら卒業で、書いてある感じだと年長の子たちでも15歳ぐらいの「遊びが楽しいお年頃」まで。
 やさしく面倒を見ている篤志家と見えなくもないが、今、実際にいたら絶対怖い。

 子どもが読んだら何が問題なのかわからないけど、大人が読んだら…というこの危うさが、多分このお話が時代に合うように訳されなおして子ども用の読み物として出版されない原因なのじゃないかなあ。

 とはいえ、島の記述は大変楽し気で、その点では魅力のある本だと思う。これを読んで、「僕の理想の学校」とか「もし島が1つ自分のものになったら」とか、「お金がいっぱいあって、好きなことに使えるとしたら」とかそういう楽しい夢を見た子どもたちも多かっただろう。

 あとがきにはこの続編「ばらいろ島のこどもたち」もあると書いてあった。wikipediaの作者の項には「ばらいろ島」はあっても、続編は載っていなかったから、全然わからなかった。
 ネットで調べると東京創元社から出ている「世界少年少女文学全集」の19巻に「デブの国とノッポの国」「なんでも自由に出来る国」と並んで「ばらいろ島のこどもたち」が収録されているらしい。こっちも探すか…。1961年出版らしい。古いな。
 「デブの国とノッポの国」は多分、この物語だけの本を読んだことがある。

 チフェルナン君がどうなったか、わかるといいんだけど。
 今検索したら、私が住んでいる街の図書館にはなかった。
*************
ここまで書いてから、続編のほうが
「少年少女新世界文学全集21 フランス現代編 シミトラの孤児 / ばらいろ島の少年たち / グリシュカとクマ」
という本になっていることが判明。

 これが、結構簡単に買えるんだな…。1000円から1300円ぐらいで、古書店のサイトで数件ヒットするし、各種オークションにも出ている。
 どうするかなあ。「ばらいろ島」のほうが手に入れづらいので、まさか続編のほうがたくさんヒットするとは思わなかった。

よりぬきサザエさんと封筒

 図書館で、「よりぬきサザエさん」が何の特集だか展示コーナーに置いてあった。
 ふと表紙を手に取ってみて、パラパラっと見て、ああ、こういうのいいよね、と思ったのだが、予約していた本が結構重たかったのでそのまま帰ってきた(次は借りたい)。

 その中で目に付いたのが、師走=12月の末のマンガで、家じゅう大忙しですね、という感じにまとめてある何篇かの中の一つ。波平さんが、サザエとカツオのけんかを仲裁。そのあと机の前に戻って、広げた紙を前に、「はて、誰に出すんだったか」と筆を片手に考えていて次のコマでカツオが「それは障子紙じゃないか」と、隣の座敷に立てかけてある貼りかけの障子の前で指摘しているというマンガ。

 おおう、筆。それと、その障子紙は巻いてあった。まだ巻紙に筆でこう、手紙を書く時代だったということだねえ。
 巻紙が当たり前となると、手紙は書いたところまでで切って、巻いて押しつぶして封筒に入れるってことだろう。

 なるほどなー。封筒が長3だの長4だのという形になるわけだよ…。
 実際、巻紙なんか使ったこともない私たちの年齢になると、子どもの頃から折り紙をやるわけであるから、配られたプリントは「田」の字のように4つ折りにするのが当たり前と思っていた。
 それでいくと、お手紙を書いて、4つに折るとこれが長細い封筒には入らないわけで。
 
 「洋」系統の封筒は、一番安くてたくさん入っている長4の封筒より高く、1枚あたり4円見当の長4と、1枚9円の洋2、ぐらいの差があった。小さい町の、これまた小さい本屋兼文具屋では洋形の封筒はおいていないこともあったぐらいだ。どうして縦に4つに折って入れる封筒しかないんだろう…と思っていたけれど、歴史的なことを考えれば自然だったのかもしれない。
 言われてみれば納得の話だった。

 サザエさんを、今の子どもに読ませて、解説をつけると「昔の暮らし」の学習にいいかもなあ。
 それを言うなら、すでに昭和世代の私にも十分勉強になりそうだけど。私の年代の場合には解説はいらないだろうな。
 「赤電話」が出てくるだものね、サザエさんて。10円で電話かけるとかね!切符は紙だし。

 巻物って、手に入れたこと、ないな…(ゲーム内はのぞく)。
 アマゾンにもさすがに絵巻の取り扱いはないだろう…と思って検索をかけたら、「すぐわかる絵巻の見方」という本のほかに、絵を自分で描くための空白の絵巻を売っていた(紙は画用紙らしい)。おおう、そっちかあ…。あとは「芳名録」が多い。カテゴリは文房具。

 有名な絵巻を本にして解説しているものもずいぶんあるようだ。

そして出てきたのがこれ。見られない場合は画像のリンク切れです【オリジナル兵法書を作ろう 三国志 軍師キット 】。いや、そうだけどさあ!時代をさかのぼりすぎだろう。材料も簡単だし、技術もいらないし、多分当時のものにそっくりだろうけど。みんないろいろ考えるなあ。
 ちなみにこの竹簡、3500円ぐらいするが、有名な書で埋めてあるのもあった。「孫子兵法」とか、「三字経」とか。お習字のお手本にとかする人がいるのかなあ。「論語」とかもあったので、壁に掛けておきたいとか、そういうニーズが…あるにしろ紙が発明されたのを全否定?ちょっと面白かった。


日向が丘の少女

 子どもの頃に住んでいた町の、小さい図書館で私はこの「マーガレット文庫」世界の名作というシリーズをかなり読んだ。
 表紙の挿絵が一番かわいいと思っていたのはこれ、「すてきなおじさん」、田村セツコさんの挿絵で、今でもかわいいなあ、と思う本だ。(画像は、まんだらけの通販サイトからお借りしました)

 ちなみにこの本、ほかの題名のほうが有名だ。それは「八人のいとこ」。
 いとこが8人いる女の子ローズのお話。私は実はこれ、最初は「あしながおじさん」だと思って読んだ(注:あしながおじさんの作者は、ウェブスター)。シリーズをあたるを幸い借り出しているのでそうなったわけだが、この「八人のいとこ」を手にする前に「すてきなおじさん」の題名のほうを読んでしまったため、今でも「八人のいとこ」より「すてきなおじさん」の題名のほうがしっくりくるんだけど、これをわかってくれる人がまずいない。ほかのどんな翻訳も大体「八人のいとこ」が題名になっているし原題も「Eight Cousins or The Aunt Hill」なのにどうしてそうなったんだろうねえ?

 小さな図書館の常というかなんというか、このマーガレット文庫、全部はそろっていなかった。
 図書館というのはしょっちゅう本が借り出されるため、シリーズが目の前に全部そろっているというのはかなりまれなことだというのは私も理解していた。だから、シリーズの本というのは図書館の棚にあったりなかったりするわけだが、マーガレット文庫のリストのうち、いくつかはついぞ目にしなかった。

  そのうちの1冊が「日向が丘の少女」。これが意外とマイナーだったのか、同じ題名の本に当たらずおとなになった。
 この間、吉屋信子さんの「源氏物語」を借りたとき、「花物語」も目にして、今ある本を調べようと思った時にこのマーガレット文庫の中の「花物語」がひっかかってリストを見つけた。ちなみにこの花物語は「オルコット」作。このマーガレット文庫、何気にオルコット率が高い。リストを調べると50冊中7冊がオルコットだ。

 そのほかにも何冊も読めていないのがあったが、とりあえず「日向が丘の少女」を調べてみる。
 作者はマーガレット文庫ではB.ビョルンソンとなっているが、ビョルンスティエルネ・ビョルンソンというらしい。
 ノルウェーの人で、ノーベル賞作家だそう。ええ?そうなの?
 ウィキペディアによるとそうらしい。
 こういう情報はネットでもかなり正確に出るからなあ…。

 作家名で検索をかけたら、図書館の世界文学全集の中にこれが読めるのがあることがわかった。
 昭和3年発行の新潮社の世界文学全集 第27巻 (北欧三人集)
 らしい。ノーベル賞だもの、どこかにあると思ったけど、子どもの本とはだいぶ遠いところにあった。

 子どもの時にはこのシリーズ全部は読めなかったけど、大人の力で全作品読みたいものだ。



++++++++++++++
 図書館で世界文学全集を借りてきたけど、すごいな、これ…。
シンネェヴェ
 こういう感じにページの字がないところとの境目に枠が入っている本、確かに昔見たことがある。古い本の特徴だ。
 おまけに旧字体の旧仮名遣い。読めるけど…読めるけどね?きっついわあ。
  意味はわかるけど、スラスラ読めない。微妙に不自由な外国語を読んでいるような雰囲気で読み終えた。

 狭いコミュニティ、それも割と戒律の厳しい(キリスト教の)一派に属していてモラルだなんだとか厳しい場所で育てられた幼馴染…と言ってもいい環境にあるふたりのロマンスなんだろうということはわかった。
 うーん…。これは「八人のいとこ」とか、「少女パレアナ」とか、「赤毛のアン」よりは年上向けだろう。
 
 おまけにロマンスというにはかなりじれったい。展開が早めの今のロマンスになれるとこの進みの遅さ、なに?って感じ。
 文章もぷつぷつ切れている感じで流麗な文章とはいいがたい…のは単に私が読めていないだけか。
 もうちょっとマシな訳がどこかで見つかるといいんだけど。せめて新字体、新仮名遣いのが。ちなみに同じ作者の「アルネ」というのが岩波文庫から出ているので、それも図書館で借りた。今手に入るビョルンソンの本はこれだけ?
 
 ネットで調べると「日なたが丘の少女」というのが1983年で一番新しい本のよう(児童向け)。
 昔は角川文庫にもあったっぽいけどもちろん絶版。
 
 読んだ感じだと、多分今の時代の全集に入っていないのは、小さいころから日常的に体罰を受けながら育つ男の子トルビョルンの生育環境や、つらいことにも耐え、不幸になってもほかにもっと不幸な人がいるのだから、と我慢する…というような抑圧的な時代と場所の価値観が現代にそぐわないのと、殴り合いや、ナイフが出るような青年のけんかが出てくるからか。

 昭和三年に発行ってことは、これの翻訳中は昭和元年とか、昭和二年とかだったに違いない。またはもっと前から取り掛かったのかも。いくらノーベル賞といっても、ノルウェー語の専門家がどのぐらいいたかなんて、知れているだろうなあ。直訳で文章が並べてあるだけの語学の教科書みたいな雰囲気の訳なのもやむなしか。

 もうちょっと現代の…一番新しい1983年=昭和58年訳とまではいかなくても、ムーミンを訳された山室静さん訳の1954年=昭和27年版が読めればいいんだけど。
 
 ちなみにマーガレット文庫のは立原えりかさん訳。今売っている名作全集にもこの人の訳があるぐらいだから、今の人にも読みやすい訳だったに違いない。どこかで読める機会があることを祈ろう。

源氏物語の解説本 吉屋信子

 この間【田辺聖子さんの源氏物語の解説本を読んだ日】からあと、ひとり源氏ブームがやってきて、ほかの解説書ないかな!と思って探し出して読んだのがこの本。

 底本が、谷崎潤一郎や、与謝野晶子が訳したときに使ったのと同じ「湖月抄」で、それをおばあちゃんが孫たちに話して聞かせる…という感じに書いてある。
 
 読み進めていくとわかった。これは一言で言うなら、「読む朝ドラ」だ。
 舞台は第二次世界大戦の末期からスタート。しゃきしゃきしたおばあさんの楓刀自と、三姉妹で、若くして戦地に夫があって消息不明の若奥様、長女の藤子、病弱でそんなに命が危ないほどでもないが療養中の次女の容子、高校生ぐらいの末っ子三女の鮎子と、近所に住むビジネスウーマンで商売はやり手ではあるものの、学がないのが残念と思っている未亡人の大貝夫人が登場人物。

 そのおばあさまが、源氏物語の「だいたいのところをわかりやすく」その4人に解説するのを一帖ずつ聞くのがドラマの1回ずつにあたる。一帖分終わったら、「今日はおしまい」ってなって、雑談をしたりする描写もあったり、行方がはっきりしなかった三姉妹の両親や、長女の夫の話なんかもだんだん分かって、大貝夫人の身の上なんかも少しずつ解き明かされていく。

 お茶を飲みながら解説するおばあちゃんに、「ええ?そんなのひどい!浮気者!」とか突っ込む高校生の鮎子ちゃんや、「今も昔も、女なんて大体そうなるんだから…」とあきれる大貝夫人が、またいい味を出していて、特にこの未亡人、源氏物語のことなんか全然知らなくて、おばあちゃんが持っていた写本が「紫式部の書いた原本」だと思ってしまうようなかわいいところがあって、全く古典なんかには明るくない人も、つられて話を聞いてしまうような、そういうお茶の間のドラマを見ているような気分になる面白い本だった。

 ただ、最後のほうが結構駆け足で、光源氏がなくなったところまでは結構ゆっくりだったのに、残りの宇治十帖は、講義を聞いていた容子ちゃんが取ったノートはこうなっている、というような感じで要点だけささっとなぞって終わりになっているので、そこは残念。
 
 第二次世界大戦直後というとかなり昔なので、そのあたりのことが現代の人にはわかりにくいところもあるが、平安時代よりはもちろんわかりやすい。底本が江戸時代のものらしいから、明治時代の人である楓おばあちゃんにはそれなりに読めたのだろうが、孫の三姉妹にはほとんどわからず、熱心にノートを取って見比べる容子ちゃんでも「なんとなくしか」わからなかったりする…と書かれているのがかわいい。
 
 「あさきゆめみし」のようなマンガが出る前どころか、現代語訳が与謝野訳か、谷崎訳しかなかった頃なら、この解説書はかなり一般向けでありがたかっただろうと思う。ちなみに初出は女性向けの雑誌の昭和26年から、29年の連載だったそうだ。

 明かりの下で火鉢と座布団と座卓をだして、一張羅を着て「お講義」をする、しゃんとしたおばあさまが目に浮かんで、こういうお習字の先生いたな…とか思い出した。小さな町で、子どもにお習字を教えている先生には時々こういうおばあちゃまがいたものだ。やけにお行儀にうるさく、それがまた親御さんに評判が良かったりして、昔は女学校の先生だった、なんて言われていた。

 田辺聖子さんの講義の本のほうがずっと現代風だが、こっちも雰囲気があってよかった。
 ただ残念なことに現在新品はもうアマゾンでは買えない。図書館で借りるしかない。

 また一度、与謝野晶子の訳を読み直して源氏ブーム終了にしようかな。
 それとも、瀬戸内寂聴さんの訳とか、違う人のを読もうか、悩むところだ。
 

ところてんを自作

誰でも、自分の中に「やりたいことリスト」をもっているのではないだろうか。
 「絶対やりたい」ではなくとも、「機会があったらやってみたい」「時間が出来たらやってみたい」「お金があったらやってみたい」とか、そういうようなこと。

 もちろんリストの一番上にあるようなものは、実行に至るまでを目標として少しずつ準備したり、心づもりをしたりするから、一番上は少しずつ入れ替わっていく。

 でも、たとえば真ん中のあたりにあるものだったら、どうだろう。
 別に急がなくてもいい、そのうちそうする機会もあるだろう、どうしてもやりたいなら、本気を出せば来週にでも出来てしまうような、そんな何でもない小さなこと。

 私にとって「ところてんを自分で作る」というのはそういう、リストの真ん中あたりにあるやりたいことだった。

 ところてんは、私にとって「甘いもの」の一種だった。これは住んでいる地域の文化によって差が出る。かき氷と同じ場所で売られているものというカテゴリわけだったので、たとえば子どもの頃誰かがそういうお店へ連れて行ってくれるとしたならば、ところてんと一緒にメニューに出てくるものは、わらびもち、白玉、あんみつ、かき氷…とかそういう和風甘いものラインナップ。フルーツとアイスクリームが乗ったクリームあんみつに、ところてんは絶対かなわなかった。

 不思議なことに、母はフルーツが入った四角い寒天はこしらえたし、水ようかんだって作ったし、なんならフルーツ寒天ののっかったケーキまであったぐらいだが(ゼリーケーキと呼ばれていた)、なぜかところてんは作らなかった。そんなわけで私がところ天を買って食べたのは一人暮らしを始めてから。

 売っているところ天は、酸っぱかった。保存のために、ところてんのパックの中には酢が入っているようで、ザルにあけてから洗って黒蜜をかけても、どこか酸味が残るような、そんな味。
 あんみつに入っている四角い寒天の味は知っていたし、ところてんというのは形こそ違え、その味がするものだという知識はあったから、酸っぱいのは何となくダメだった。酢醤油をかける人があるというも知っていたので、しょうゆだけかけて食べて、こんなものかな…ということにしておいた。

 いつか、作ってみたいなあ。そう思ったのだが、当時近所で見かけた「ところてん突き器」は木製だった。
 粗い銅製の金網が貼られたそれは、職人さんの使うような立派なものだったが私は思ったのだ。「絶対カビる」と。

 私の一人暮らしの部屋の台所は収納が少なかった。そして流しの下の物入れはかなり湿気がひどく、サイフォンのコーヒーを入れるときに使う竹べらとか、竹の巻きすとかに私はカビをはやしてしまったことがあった。一度目はいいだろう。でも私は毎日ところてんを作るほど、手作りが好きだろうか、と聞かれたら答えはNOだし、好奇心はあるしやってみたい気持ちもあるが飽きっぽい自分にもう私は気づいていた。

 あいにく、ところてん突きはちょっと高くて2000円近くした。多分作りがよかったのだろう。一人暮らしの安い給料でただ一度だけの楽しみのために2000円出すのはちょっと無理だった。しかも後でカビが生えたのを見て捨てるのがほぼ確定。
 そんなわけで「いつかやってみたいことリスト」の下のほうに入れて早何年。

 今年の夏、見つけた道具はこれだった。なんとプラスチック。製造元は【曙産業】さんというメーカーらしい。

 これならカビない。ちなみにゼリーなんかをこれで作るのもよさそうだ。
 息子はプリンより断然ゼリー派なので喜ぶだろうし、ところてんはローカロリーだし、私のおやつにも。

 ところてんを作って、黒蜜…は使い切るまでに時間がかかってだめになりそうだったので、黒砂糖をかけてみた。
 おいしい…。生クリームと黒砂糖をかけたところ天は、どこかのファミレスのデザートみたいだった。
 黒糖ゼリーにしてもおいしかったし、夫と息子はコーヒー寒天に牛乳いれて、謎の飲み物みたいになってるのが気に入ったみたいだった。

 やっぱり市販のところてんと違って酸味がついていたりしないので、ちょっときなこなんかかけて食べてもおいしい。
 大体のお菓子は市販のもののほうがおいしいので、そんなに作る気にはならないけど、ところてんは家で作った方がおいしかった。

 夫はところてんは甘くないものという文化圏で育ったので、「これ、海藻サラダにいれたらよくない?」と言っていた。
 なるほどー。
 「鍋に入ってるやつとは違うの?」と聞かれたけどそれは「くずきり」では?
 寒天は熱々に煮ると溶けちゃうので、ものが違うと説明はしておいた。

 息子は「細く切る意味が分からない」と言って、押し出す前のを全部欲しがるので、そういう点では要らなかったが、まあ…。
 
 息子もどうも甘いのよりは「そうめんみたいに、つゆで食べたらおいしそう」という感想だったから、お菓子派は私一人に終わりそうだけど、やってみたいことリストの1つがちゃんと出来たのが楽しかった。
 




 

久しぶりにころんだ

 子どもの頃はしょっちゅう転んだ。特に幼稚園児ぐらいの頃は結構転んで、その跡がまだ膝に残っている。だが、大体の人は大人になってから転ぶことは少ない。走る機会が減るし、幼児の時よりは無意識のうちに注意を払うのがうまくなるし、ちょっとつまづいても立て直せる筋力と、コツを身に着けるからだ。

 だがしかし、何年に一度だろう。転ぶんだなあ。
 掃除している途中に動かした家電のコードに後ろに残した足がひっかかって、「あっ!」と思った時には転んでいた。
 びたーん!と音がした。うう。左ひじが薄くすりむけただけで済んだ、今日は次の日。肩がこわばっている感じが。多分転んだ影響だろう。

 あと、膝に微妙な感じにこすれた跡が。すりむき…まではいかないかな、ぐらい。
 外で転んだらもっと痛そうな傷が出来たに違いない。

 こういうことに気を配って足元にそういう引っかかるものがないようにしておかないといけない年齢ってことだ。
 中年ってねえぇえ。まあ、若い頃でも私のことだ、転んだかもだけど(なんでも年のせいにしてはいけない)。

 そして今朝、着ている服が微妙な五分袖と七分袖の間ぐらい。傷のところに端が来るのでチラチラ痛い。着替えるのが面倒くさいんだけど、やっぱりこれは着替えるべき…だろうな。これを書いたら着替えてくる。

自分の名作全集をそろえる

こういう感じの本が、お誕生日に買ってもらえる本だったのは4,5歳の頃だった。
 お隣の家にはこのシリーズのほか、当時は珍しかった知育絵本のチャイクロとか、ディズニーのアニメ映画の絵がついた名作全集だとか、「イギリスのおはなし」「フランスのおはなし」「ドイツのおはなし」なんていう題名のついた幼年向けのきれいな絵がついたおはなし全集みたいなのとかがどっさりあったのだが、私のうちではこういうものはセットでは買えなかった。時々1冊ずつで、何冊かあったな…程度。
 
 お隣のおばちゃんはよくぞあんな高そうなセット本を隣の子に読ませてくれたと思う。百科事典とかとならんでそういう小さい子供向けの本がどっさりあったのはなかなかすごかった。私がそれを読んだ年齢は幼稚園ぐらいまでで、そのあとは「遠慮」というものを覚えたので遊びに行って読みふけるわけにはいかなくなったが、文学全集へのあこがれは多分そのころ、培われたのだと思う。


 図書館で大体の本のニーズを満たしていた我が家だが、お年玉が1000円だけ使わせてもらえるようになったのが10歳ぐらい(残りは親が回収していた)、月のおこづかいは六年生で500円ぐらいだったと記憶している。学用品は買ってもらえたが、メモ帳だとか色ペンだとか鉛筆キャップだとか…というようなものは自分で買うことになっていたから、正直お小遣いは毎回足りなかった。本なんて数百円からするようなものはなかなか買えなかった。

 それでも、親戚の集まりで酔っ払って機嫌よくなったおじさんが買ってくれたり(親は嫌がったけど)、誕生日に買ってもらったり、お年玉でなんとか買ったりと、じりじりと文庫本の名作を集め続けた。
 
 ティッシュの箱の上を切って本を入れていっぱいになるぐらいはあっただろうか。
 「小公女」「あしながおじさん」「はるかなるわがラスカル」は角川文庫。「小公子」と「秘密の花園」は旺文社文庫で、「若草物語」は割と厚手の新潮文庫。「少女パレアナ」は近所の人からのもらいものの古い本だった。「アルプスの少女ハイジ」は近所の古本屋さんで買った映画の表紙の角川文庫で、紙がかなり茶色く焼けた本で、私よりも年を取っていた。

 「十五少年漂流記」は割ときれいな本だったが、80-という表記が裏のところに鉛筆書きされた古本で80円だったのだろう。
 「宝島」はカバーの取れた岩波文庫、30円だか、50円だかで「古道具屋」と言っていたが、今でいうリサイクルショップの段ボール箱出身だった。

 「フランダースの犬」はかなり薄い新潮文庫だったと思う。今調べたら村岡花子訳でびっくり。
 これは薄くて安かったから新品を自分で買った覚えがある。150円ぐらい?

 あとは現代教養文庫の古本だった「ガリバー旅行記」と、多分新潮だった「ロビンソン漂流記」が入っていた。「ギリシャ・ローマ神話」の本が入っていたのは、そういう福音館の子ども用全集が図書館にあったからだと思う。

 日曜日のアニメ名作劇場と、図書館にあった子ども用の世界名作全集をまぜこぜにしたようなラインナップだが、本人的には結構満足だった。本で大事なのは中身だからってね。
 カバーのない、古本屋出身本が多かったから、カバーは自分でおそろいを作ってかけたりして。

 出版社がバラバラなのは、田舎の本屋や古本屋で揃う本がそれだったというだけの理由。
 訳がイマイチだな、と思ったものもあったし、図書館で読んだハードカバーの本にはかなわないなあ、と思ったこともあったが、そんなことを気にするほどは、お金がなかった。
 ただし、「秘密の花園」と、「小公子」はどうしても30円本の訳が気に入らず、交通費を使って繁華街まで行って大型書店で各社見比べて買った。旺文社文庫は田舎のお店にはまずない。岩波文庫だってないぐらいだった。私の持ち物の岩波文庫は軒並み古本屋か、リサイクルショップのだった。

 なんともつつましやかな名作全集だった。でも図書館に行かなくても読める。いつでも手元においておけるというのが幸せで、何度読んだか…。とはいえ、宝島よりは十五少年…のほうをよく読んだ。好きなのとそうでないのはしっかりあった。
 ガリバーが実は割と風刺に富んでいて、「子ども」にはちょっとなあ。というような部分があることに驚いたり、ピーターパンがディズニー映画の「ピーターパンとウェンディ」ではなく、「ケンジントン公園のピーターパン」のほうで、結局ウェンディが出てくる方は文庫本には見つからなかった。(今は「ピーターパンとウェンディ」として買える。名作劇場でアニメ化したときに復刊したっぽい)

 結局一人暮らしをして、家を出るときまで何度も何度も読んだ。
 
 今そんなことを思い出したのは、ふと「日本語版でああいうお話が取っておきたい」と思ったから。
 私のキンドルに入っている電子書籍に、この手の名作はたいていあるのだが、英語ばっかり。日本語でこういうのをちょっと読みたいなあ…。
 
 そう思って昔の本が電子版になっていないか調べたらこれが結構難しい。絶版が多いのだ。旺文社文庫なんかレーベルごと全滅していた。もちろん福音館書店とかのハードカバーを買えば解決なんだろうけれども、場所を取るからねえ…。
 サンプルをキンドルに送って、中身の文章をチェックすると、意外と当時と同じ訳にあたらない。

 愛読した本だから、「読んでいたのと違う」のはわかっても、訳者まで覚えていないのが多い。ネットで画像検索して、表紙のカバーに覚えがあったり、「絶対角川だった」とかわかるものは出版年月日からある程度推測が出来るけれども、古本屋でカバーのない文庫本買った、ではもう、全然だ。

 他よりちょっと背が高かったから新潮かな、紐(しおりの)あったしな!とか、勘で探すのも結構難しい。
 おまけに平成の間に改訳しているものが多いし、「文庫」とかけただけだと「ポプラ社文庫」とか「青い鳥文庫」とか「岩波少年文庫」とかジュニア向けまで引っかかってきて時間がかかる。

 ある程度こだわりは捨てて、自分が気分良く読める訳を探そう。

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    まこ

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