LuckyDuckyDiary

売れ筋マンション

不動産屋さんのチラシが結構頻繁にマンションのポストに投げ込まれている。
新築分譲マンションとかの広告のこともあれば、中古のマンションの広告のこともあるし、マンションの部屋を売りませんか、というチラシのこともある。

 「近所の賃貸に住んでいて、子どもの入学を機にファミリーマンション一丁目を買いたいと思っています」 
 「海外に住んでいた大学の教授夫妻が、日本に帰国、娘さんが住んでいる近くに住みたいのでこのファミリーマンション一丁目に空き部屋を探しておられます」
 「現在、XX町の借り上げ社宅に6年居住中。生活環境に変化のないファミリーマンション1丁目を希望されています」
…とか、そういうお話があるので、あなたが今住んでいるファミリーマンション1丁目は売れますよ、という広告だが、実のところこういう「そういう住みたい人がいますよ」というのは不動産会社の人が捏造しているのだという話を聞いたことがある。

 まあね、悪いマンションじゃないとは思うけれど、そうそう都合よく毎回そんな人がいそうなほどいいマンションでもないもんねえ。
 
 夫は「緑あふれる、ゆとりの町」みたいな新築マンションの宣伝文句を「マンションポエム」と呼んで読むのを楽しみにしているようで、こういうチラシはエンターテイメントの一種と思っているところがある。

 今日見たそういう「ファミリーマンション一丁目にお住いの方へ」と書いたチラシも楽しそうに眺めていた。
 「これ見て!これだけいろいろ書いてあるのに、うちに当てはまるのが全然ないよ!」と笑っていた。

 「階数は問いません、3LDK限定」 <うちは4LDK
 「角部屋限定で。高いところが苦手なので低層階で」 <これも当てはまらない
 「4LDK限定、眺望を重視しています、上層階で」<うちは4LDKだけど、階数がだめ
 「小さい男の子がいるので、階下が居住スペースではない部屋か、1階で」 <これも無理
 
おおう。見事なまでに今住んでいる部屋の条件から外れている。…とはいえ、この部屋に当てはまらない部屋はかなり少ない。
 
 条件が4つしかないのに、これだけカバーしているというのがすごい。

 実はかなりの部屋の持ち主に「うち4種類しかない珍しい条件に当てはまっているんだ、価値があるのかな」とちょっと勘違いさせるのがうまいんだな、これは。

 そう思ってチラシを見ると確かに面白い。
 こういうノウハウってやっぱり不動産屋さんで研修会とか、講習会とかがあって、みんなで勉強するのかなあ。興味深い。

携帯用チェスの駒、自作

チェスの駒は駒でも、オセロの駒みたいな形のが欲しい。

 日本でも、昭和の時代の「エポック ブックゲーム19 マグネットチェス」というのがあったようだが、今はもちろん廃版。
 いつかネットで中古が通販できるかもしれないが、これは自分で作ったら面白いのでは…?という気がしたので作成してみる。

 簡単にやろうと思うと、たとえば100均のマグネットはどうだろう。直径2センチぐらいで、ある程度ちゃんとくっつく円筒形マグネットが買えればいうことないし、白、黒、赤ぐらいまではあるのでは?ということで100均を見に行った。

 セリアの6個100円のマグネットが、直径約20㎜というので、しょうがない、ここですでに600円かかるのか…と思ったけどとりあえずそれをゲット。天面が曲線じゃなくて、真っ平なのがいい。黒18個、白18個。6個入りじゃなくて8個入りだったらなあ。400円でいいのにー。

 家には、直径20ミリの丸いステッカーがあった。試しに貼ってみたら、微妙に20ミリより小さい。
 約20ミリだというマグネットの実際のサイズは多分19ミリ半ぐらい。

 ネットでPCで印刷できる丸いステッカーで直径が19ミリか18ミリのステッカーがないか探す。
 ない。でーすーよーねーーーー。中途半端すぎだ。ちなみに20ミリと15ミリはA-ONEのはがきサイズのステッカーにあった。

 20ミリはもうだめなのがわかっている。15ミリは多分、小さすぎ。
 しまったなあ。ステッカーのサイズにマグネットを合わせたほうがましだったか?
 こういうたくさんがセットになったもの作る時、一番「素人臭さ」が出るのが、カット。
 きれいに丸がそろっているかどうかというのが出来がよく見えるか、手作り感満載になるかの分かれ目になることが多い。ハサミで、きれいにそろった丸を32枚切るというのは難易度がとても高いし、手で持ちやすいサイズに、と思うと直径15ミリ以上ほしい。そうなるときれいに紙を切り抜く道具はかなり高くなる。30ミリを超えるか、10ミリを下回るかのどちらかだとかなり安いのだけれど…

 

おまけに、絵が描けない以上、パソコンで印刷は決定だし。
割としつこく、メーカー別に検索をかけた。ら、あった。これは、光沢紙で17ミリの円形ステッカーだった。おお、中途半端だけど17ミリでいいか。
 光沢タイプのほうがきれいに刷れるだろうし。

 というわけで、ステッカーのメーカーのA-ONEが提供しているPC用ラベル作成ソフト(無料)をダウンロードして使用、丸く塗りつぶした上に、文字を1文字入れる設定にして、「ぽーん」「びしょっぷ」「きんぐ」「ないと」「るーく」などで変換した環境依存文字を白文字で入れて、チェスの駒の柄にしたステッカーを作成。
 「♟♘♚♛♗♜」

大きさを調整して印刷。さすがメーカー提供のソフト、シールの袋に書いてある型番を入れれば、ぴったりに刷れるようにテンプレートを出してくれる。便利だ。

 ちょっと置いて乾かしてから、貼ろうと思ったら、手でつまんだところが剥げた。
 おおぅまずい。なるほど…手でつまむと手のほうにインクが移るのか。予想外だ。ってことはこれ、上にコートかけなきゃだめってことね?
 
 ここで一日目は時間切れ。
 次の日に持ち越し。

 次の日、磁石のパッケージをゴミ箱から拾って材質を確認。「ポリスチレン」だそうだ。
 …ってことはあれだ、ホビー用のスプレー塗料が使える。ポリプロピレンはだめだとか、ポリエチレンにはくっつかないとか、案外面倒な塗料が多いので、缶の後ろはよく見ないとダメなんだよね…プラスチック塗装は木を塗るよりずっとややこしい。

 気を取り直して、もう1セット印刷、印刷面に手を触れないようにして張り付けて、上からスプレーの透明塗料をかけてコーティング。
 

スプレー塗料が400円ぐらいしたので、実はこれ、メルカリで買うより高かった。赤字な感じだけど、いや、「作る喜び、プライスレス」ということで。

 私が持っている古いPressmanのトラベルチェスセットのよりは磁石がよくくっつくので、作ってよかったということにしておこう。
 余ったオセロの駒で残りのステッカーを利用してチェス駒を作るのもいいな。捨ててしまうよりは「作る楽しみ」。

 次に作る時は貼る前のステッカーそのものにスプレー塗料でコーティングしてもいいな。
 何の役に立つのか、と言われると困るけど、こういうのほしい人いるかなあ。携帯用のセットに普通の駒の代わりに入れるのは絶対ありだと思うのだけれど。携帯用のチェスセットの駒は視認性が低いのが多い。あ、でもそうすると20ミリは大きすぎ?

 売るとしたらこんな高い原価だと絶対いらないよね。
 300円なら、多分ほしい人はあると思う。でも500円だと微妙だし、1000円したらいらないよなあ。自分でもそう思う。
  
 詰めチェスの本を見て、もう1問問題を解いた。
 チェスの問題の本の図解とそっくりになるもんね。立体タイプよりもこっちのほうが便利だと思う。

使いやすい傘

 息子はやたらと傘をなくしてくる。小学生の時もそうだったし、今年もすでに1本、電車に置いてきちゃったり。低学年のころは黄色い傘を使っていたが、今の傘はホームセンターで買う1本500円ぐらいの紺の傘だ。

 子供用ということで55センチの傘で、もうずっと同じホームセンターのを買い続けている。黄色、水色、紺。あとは買わないけどピンクがある。小さい頃は本当によく壊したから、1000円以上する傘を買う気が起きなかった。

 ゴミを捨てるとき、玄関の息子の傘をちょっとさした。
 風の強い日だったけれど、裏返りもせず、軽くて案外使い心地がいい。
 長い傘もいいかもしれないなあ。

 玄関にある長い傘は、昔私の傘だった。今は夫が使っている。外側が濃い紺で、内側が晴れた空の模様になっている傘は、あまりにも素敵だったのでつい買ってしまったもの。結構上等な傘で、8000円ぐらいしただけあって、折れることも少なく、折れたところは修理が利いた。
 なぜ使うのをやめたかというと、この傘が重いから。
 布も防水加工したコットンだったりするし、親骨も太いし、柄もかなり立派。でも、気力がとられるような外出の時にこの傘をさすとなんだか雨の中を帰ってくるときにその重たさにくたびれる気分がするような気がしたので、もっと小さくて、軽い傘をさそう。そう思ったのだった。それが数年前。

 そんなわけで700円ぐらいの、最小?といっていい6角形の傘なんかさしていたのだけれども。
 そこまで小さいと軽いんだけどひっくり返りやすいし、50センチぐらいなのがまた…小さすぎたりして。極端に走るのはよくないかもな、と家にある黒い折り畳みのこうもり傘や、日傘兼用の花柄のを試したり、レースの日傘をさしたり、とふらふらしていた。

 もう、これが最適解でいいんじゃないだろうか…。
 ゴミ捨てから帰りながら、紺の傘を見上げた。
 一番小さい折り畳み傘よりは大きく、子供用ということも手伝って軽く作られており、黒いのや、透明のビニール傘ほど多くなく、傘立てで見わけがある程度つくぐらいには目立ち(サイズが小さいのと、取っ手がプラだから)、それなりに安い。

 そして子供用という割には案外ばれないかも?という程度に地味。
 
 ネットで5本2000円のまとめ買いをした。
ちょっと小さめだけれど、こういうサイズの折り畳みをさしているひとがいないわけでもなし。
 どうせ息子もなくしてくるしなあ…。
 これならうっかり夫がさしていっても二度見されるほどの違和感はないだろう。

 よし、今度からもううちの長い傘は全部これに決定。
 考えるのが面倒になっただけ…なのかもしれないが、そのあたりは、内緒にしておく。

寝ぐせ…とはいわないのかこれ。

ベッドにねていると、マットレスにのせているすべてのものが、ベッドの足元のほうに向かってずれる。

 マットレスの頭側のところに、一番上に敷いているタオル地のマットと、綿の入った薄いマットと、上にかけているシーツを全部おりこんでいるのに、3日もたったらシーツの端っこがずれて、マットが見えるぐらい、全体がずれる。

 自分でもどうやってそうなっているのか不明。
 ちなみに縦にかなりずれるだけでなく、横はあおむけに寝たとき左側になる方角へずれる。
時々直すんだけど絶対右側には、ずれないし、ベッドの足側のほうから頭のほうへずれていくという現象も起きない。
 
 ちなみに夫の寝ているベッドは右側のほうへシーツがずり落ちる傾向があるのと、私と同じく頭のほうから足のほうへ向かってシーツがずれていくみたい。
 
 どんなにしっかり挟み込んでおいてもおきるので、しょうがないとは思うけれど、不思議だ。
 意外と息子のは全然ずれなかったりして。
 
こういうのも寝ぐせの一種といっていいのかもしれない。
 10年前におきていたか、といわれるとそんな現象は起きていなかった気もするし、単に気づいていなかっただけなのかもしれないし。

 ちなみに夫と息子は「あんまり気にしたことがないのでわからない」そうだ。
 だよね。
 でも気づくとちょっと気になるものでもある。
 

説明しづらい笑いのツボ

 ティーンぐらいから、20代前半だった頃は、おしゃべりの途中で笑い始めると、全員笑いが止まらなくなることがあった。
 「お前ら、箸が転がっても笑える年頃だよなあ」とクラブの顧問の先生に呆れられたこともある。
 「えー、それはないよー」と返した私に、先生が、「ほれ」と食べていた弁当のお箸を転がした途端になんだか笑えてしまって、全員で爆笑になってしまい、「ほらみろ」と笑われた覚えがある。

 パート練習中に、後輩と同じところをを同じように間違えてしまったことがあって、顔を見合わせて大笑いしたあと、合奏に入って、その部分に差し掛かるたびに二人で吹き出してしまって演奏にならず、「笑わずにできるようになるまで入ってくるな!」と叱られて部屋から追い出された記憶もある。さすがにまずいと思ったので、ちょっと落ち着こうか…と二人で顔を見合わせて、やっぱりこらえきれずもう一度笑ってしまって、「うつるねえ」「ですね」と必死で笑いを飲み込んだ。
 もうどうやって解決したかは覚えていないが、そのあと雷を落とされた記憶もないので、多分気を取り直してどうにかしたのだろう。

 そういう状態を学生だった頃の友達が「ゲラになる」と表現していた。
 「笑いのツボにはまる」と同じようなものらしく、つまりは笑えてしまって止まらなくなる状態が「ゲラになっている」ということなのだとか。
 
 でも、あとから思い出してもなぜそんなにゲラゲラ笑えたのかは謎だ。本当に「箸が転がっても面白かった」のだというのは合っているとは言えない。同じ間違いをしたのは確かに「うっ」となることではあるが、それがどうしてああいう風に笑いが止まらなくなったのかも説明がつかない。ただ、あの時はそうなっちゃったってこと。

 今朝、洗濯を終えた私は、流し台の上においてあった水差しから緑茶をそこにあったマグカップについでぐっと一息に半分飲み干したところで、夫と目が合った。

 「あ」
 「ぶふっ」

 夫は、何かを探しているような様子をしていて、片手にコーヒーのドリップパックを持っていた。
 一瞬で私は夫が探しているのはマグカップだ、ということがわかってしまって、夫は探していたマグカップは私の手に握られている…ということがわかってしまった瞬間だった。

 流し台の上にぽん、と置いてあったカップは洗った後ではなく、夫が今からコーヒーを作ろうと戸棚から出したものだったのだが、私はちょうどいい位置にあったそれに緑茶を注いでしまったのだった。

 お互いそのタイミングの良さというか、悪さというか…に噴きだしてしまって、夫は「ツボにはまった、ごめん」と言いつつ、私はお茶が鼻のほうへ逆流しつつ大爆笑。夫も笑いが止まらなくなって、ふたりで支えあいながら苦しくなるまで笑ってしまった。

 何年ぶりだろう、こんなに笑ったの。夫が使おうと思ったマグが使われていた、その瞬間に私もそれに気づいた、というだけのことといえばだけなのに。不思議だなあ。

 そして文章に書いても絶対伝わらないんだけど…。でも、なんだかゲラゲラ笑ったら楽しくてすっきりしたので、これはラッキーだったということにしておこう。

スッキリ!

 梅雨明けまでずっと雨が降ったりやんだり。何日も降り続けた日もあって、洗濯は全体的に最低限の日が多かった。

 今日は何となく元気が出ない。コロナのこともあるし、食料品の買い物以外ではあんまり外に出るのもなあ…なんて思いながらベランダを見る。
 体調は…暑いのが理由でちょっと、だるいかなあ…。

 掃除は済んだし、踏み台昇降も済んだし、朝ごはんも終了だ。

 元気がない、というよりはただちょっとだるいだけ。こういう場合は、気晴らしをするに限る。
 主婦である私の気晴らしナンバーワンは買い物だ。洗剤が底値で買えたとか、スーパーが特売日だとか、牛乳がタイムセールで1リットル100円(税抜)だったとか、卵パックが1000円以上お買い上げで100円だったとか!そういうことがあると断然気分が上がる。

 ナンバーツーは、私の場合はお洗濯。うちのベランダはうまくやれば普段の洗濯物の量にプラスしてシーツ6枚、キルティングのベッドパッド3枚、枕カバー4枚が全部干せるのだ。大容量。普段は、シーツは1枚ずつローテーションして洗い、キルティングのベッドパッドは洗濯物が少ない時を狙って洗って、一度で洗濯が済むようにしているのだが、今回は洗濯を2度に分けて、水道代と電気代を潤沢に使ったプチ贅沢。

 梅雨は明けて、げんなりするぐらい暑い天気も、洗濯ものが乾くという点においては最高、ベランダいっぱいの洗濯物ついでに布団と、マットレスまで干すというがんばりぶり、クーラーの室外機の温風もあつあつで布団はふかふかの予定。

 もし今日、これ以上元気がなくて特別なことが出来なくても全員シーツサラサラで、枕カバーはパリパリで達成感があるところがいい。給料で達成感が味わえる外での仕事と違って、家での仕事はこういう感じにやりきった感を演出するのも気分的に大切。

 缶コーラを1本。おいしかった。
 

ママ友の闇

 スーパーで自転車を止めているときに会った人の顔に見覚えがあったので「こんにちは」とあいさつをした。
 このあたりで顔見知りのお母さんというのは大体息子が幼稚園の時に知り合った人が多い。幼稚園は毎日送り迎えをすることになっていたし、バザーだのお母さん向けの活動だのが多くて顔見知りから雑談、グループ活動にランチ付き会議に、またはただのお茶会まで、会う機会がとても多かった。

 そのお母さんは大変にこやかに「まあ!XXさん、息子君は元気?」と、まるで十年来の友達に出会ったような顔をしてしゃべり始めた。
 しょうがない、こういう時は当り障りなく雑談するしかない。
 中間テストがどうだとか、勉強がどうだとか、クラブはどうだとか、まあ中学校生活は相手のお子さんにもあるからして、共通の話題がないわけではないから、適当に相槌を打ったり、うちの息子の近況をだしたりしながら話を聞いた。

 「じゃあね、ごめんね長い間」「いえいえ、こちらこそ、またね」と話し込んでしまったときに定番のあいさつを交わして別れてから、とてもくたびれていることに気が付いた。

 なぜならばあの人は小学校でずーっと無視してあいさつすら返してくれなかった人だったから。
 わけがわからないとはこのことだ。立ち話をこんな長時間するような間柄じゃなかったよね、私たち。

 お受験系で男女の比率が3:7になることもあるぐらいの幼稚園では男児のみの親というのは数が少ない。子供を一緒に遊ばせたりする都合上、男子のお母さんのほうが交流が深くなる傾向がある。加えてバザーの班だの活動グループだのがかぶることが多ければそれだけで「ある程度親しく」なってしまうものだった。

 そんなわけで私は当時その人を「割と仲がいい人」と認識していた。
 私にはそれほど判別がつかないが、化粧の感じと、着飾り具合が「今からどこへ?パーティ?」みたいなお母さんたちと一緒に歩いているのを見るようになったのは息子が小学校に入ってから。そのぐらいから私が挨拶しても、まるで見えていないようにスルーされるようになって、実はその時はショックだった。

 まあ、グループになっているお母さん方のきらびやかさ加減を見れば、カジュアルもカジュアル、化粧っ気もない私と知り合いと思われるのが嫌なんだろうか、ぐらいのことは思いついたのでしょうがないと思っていたのだが、そこの息子君がやたらうちの息子にからむ。いじめられているといってもいいほどだった。
 最初はライバルと思っているのでしょう、ぐらいの話だったのだが、いや、ライバルというのが「好敵手」というのならば、うちの子なんかかすりもしないぐらい。相手の息子さんはやたらと文武両道で、ただ…お母さんが見ていないところで意地悪なことをするというのだけは幼稚園のころから気を付けていないといけない子だ、という話がずっとあるお子さんだった。

 つまり「外面のほうが悪い」子だったので、ちゃんと見ていないと「やられる」ことがある。うちの子だけではなく、ほかのお子さんにもそうで、頭がいいので自分の親にはバレないように動くタイプ。まっすぐで素直といえば聞こえはいいが、単純おバカなうちの子とは相性が悪かったので、途中からあんまり遊ばせなくなった。

 小学校にあがってからもその相性の悪さが全面的に出た感じで、頭のいい子に翻弄されて、結局叱られるのはうちの息子だけ…というような状態に持っていかれることが多く、それが悔しい息子は余計突っかかって泥沼。みたいになるので、「かかわらないように」と小学校低学年の時は言い聞かせ、そのあとはもう、懇談で「どうにも相性が悪いみたいなので、お手数かけますがクラスをわけてもらうわけにはいきませんか」とお願いしたぐらいだった。無事クラスは離れて、そのあとは一度も同じクラスにはならなかった。

 クラスがわかれてからは子供同士は交流が減り、関係性は決着していると思っていたのだけれどねえ…。
 
 中学受験をしたときには、誰がどこに受かったという噂は確かに聞いた。だから私は今回この雑談になったときも「XX高(中高一貫の)に行ったんだって?すごいねえ」と言ったわけだが、まあこれは中受をした人と会えば全部こういう感じに話をするけどさ。
 大体お金を払って私立に行くとなれば、近隣の公立より「いい」のは当たり前。びっくりするぐらい勉強が出来ないと合格しない「超難関」だけでなく、「難関校」にしろ、「中堅」にしろ、「特色ある私立(偏差値が低いところはこう呼ぶ)」にしろ、どれもいいところはあって、公立にない授業が、体験があるからこそ私立に行かせようと思うわけで。だから大体この話題は「ほめ殺し」で問題がない。

 いい学校だね、頭がいいんだね、よく出来るんだね、伝統校だと聞いたことがあるよ、すごく設備がいいんだって?とか、クラブ目当てで入った子なら「XX部は強いんだってね」だし、「進学校なんでしょう、(将来が)楽しみだね」とか。特色のある学校で偏差値が出ないような学校の場合は「いろいろな体験が出来そうな学校でいいね」とかまあ、物は言いようだ。全然知らない学校なら、学校の場所とかを聞いて話題を埋め、相手に話をさせて体験談を引き出して褒められる要素を探すことになるが、このあたりから受験可能な学校は息子のためにある程度リサーチもしたから、立ち話程度の雑談ならまず問題はない。

 ないんだけどさ。でも雑談に至ってしまったのはなぜかが今回はわからなかった。
 家に帰って、そんなわけで、気分的に疲れた。という話を夫にしたら、「なあんだ、そんなことすぐわかるじゃない、あっちの息子君がいい学校に入ったのが自慢したかったんだよ」と言われた。
 あ?そうなの?
 息子さんは、難関校の進学校に合格していた。すごく長時間拘束される、超難関狙いの子が行くような塾に行っている話は噂で聞いたなあ。
 あれだけスポーツも勉強も、というタイプだったのだし、結果に意外性はない。
 あの子にうちの息子が勝てるのは英語だけだ。うちは途中で海外赴任もあったし、大体その予定は幼稚園の時にはわかっていたから、幼児の時から英語はやらせていた。

 大体うちの息子は勉強は嫌いだったし、ああいう長時間行かせる塾で勉強出来るとも思えなかったから、英語が受験科目に入っている入試を受けた。英検2級相当で、入試に加点してくれる(学校によっては50点とか、準1級で100点とか加点がある学校もある。100点加点ってそれ、なに?と思った)学校だってあったから、そういうところを中心に受験校を決めたんだから。

 夫によると、「ずっと負けたくないと思っていたが、中受で「絶対勝った」と思ったので、勝利宣言的に話しかけに来たのでは」と。
 なにそれ…。勝手に障害物を自分で置いてから用意ドン、と走ったみたいな話ってこと?
 
 同じ幼稚園だったお子さんのある仲良くしてもらっている友達にも話を聞いてみた。なんと夫と同意見。
 「大体あの人は、車で幼稚園に迎えに行くと車をねっとりと見分するのが気に入らなかった」とのこと。人の持ち物や、服装、車、それから旦那さんの仕事などで人をランク分けする人だと。

 服装だとか化粧だとかで「格下認定」間違いなしの私が「海外赴任」だとか、「英語が親子そろって話せる」とか、年収が高そうな旦那さんだとか、そういうところが妬ましく腹立たしく、敵認定だったのだろう、と教えてくれた。
 それで、今回は偏差値で難関校に行った息子さんがいるので、勝利宣言に来たんだって!!

 正直なところをいうと、私は格下認定でちっとも構わない。化粧をあまりしないのも、服装がダサいのも今に始まったことではないし、そういうことで競う気持ちは全然ないからだ。車の種類なんて「バス」「トラック」「乗用車」の区別はついてもその程度で、外車かどうかの判断は…うーん。ベンツは多分マークでわかるけど程度。友達が乗っていた「アウディ」は外車だっけ?いやあれは日本車?となるぐらい。さすがにコルベットとかガルウィングのランボルギーニとかなら子供のころに図鑑で見たねぐらいなんだから、そんなものを知り合いの属性としてカウントできない。大体車の良しあしってどこで決まるの?値段?だとしたらトップはクレーン車とか、ブルドーザーとかじゃないんかねえ。いや、そうじゃないんだろうけどさ…。大体会社は関税が高いからこそのあの値段ってことだってあるんだし、そうするとただの値段での比較は無意味だったりしない?

 自分の職業は社会的にはニートと同列で語られることだってある専業主婦で、底辺なのはわかっているが、夫の職業が妻のほうまで侵食してそれでランク分けっていうのはちょっとどうかと思う。夫の仕事が一緒いるだけの妻に出来るなんていう話はないからだ。

 あ…でも思い出した。幼稚園で知り合ったママ友さんが、「挨拶も返してくれない人がいる」と言っていたこと。その人の旦那さんは大工さんで、それが原因であいさつさえしてくれない人がいると。そういう人は旦那さんがお医者さんだ、というような人にすり寄っていくのだと。
 私はそれを聞いたときについ、「そういう人たちって、自分が家を建てたくなった時、誰に頼むつもりなんだろう、ばっかじゃないの?」と突っ込んでしまって「全員がそういう考え方ならいいんだけど」と苦笑された。

 なるほど、そういう人だ、ってことかあ…。

 人生の楽しみ方はいろいろなんだと思うけれども、自分で勝手に敵認定して、一人でシャドウボクシングのように全方位に受け止められもしない攻撃を繰り出し、代理に勝たせてもらって勝利宣言を出して、むなしくならないんだろうか。
 ならないんだろうなあ。絶対あの人、体力気力が余っていると思う。

 かかわりたくねえ…。
 一応「良識ある社会人」であろうと思っている私としては、相手が何と思っていようと会ってしまえば挨拶だけはすることにしているから、挨拶はこれからもすることになると思うけど、なるべくなら会いたくないなあ。

 ママ友ってこういうところが多分、普通の「友人」とは違うんだよね。ただ「気があうから」という理由で一緒にいる関係ではないけれど、子どもが小さいうちはどうしても会う機会が多くて、少なくとも「まだ小さくて純粋な子供の目から、または周りから」仲良く見えないといけないという制限がある。この「ママ友」という呼称から、友達の一種だと思ってしまうと時々足元をすくわれるんだよなあ。

「まこさんはね、こういうことわかんなくていいのよ、そういうところがいいんだから」と慰められたけどね…。
絶対褒めてるんじゃないよね、うん。わかるけどもう、どうしようもないな。あきらめよう。

 もう同じ学校に子供を通わせているとかでもないし、かかわらなくてよくなったのがせめてもの心の慰め、というところ。あの人とは是非疎遠になりたい。

スーパーの無料袋がなくなってひと月

 エコバッグを無料で配らなくなってからひと月。買い物は今まで通り手持ちの100均のナイロンバッグや、景品でもらっていたエコバッグを利用、毎日お洗濯で問題なし。

 ただ、ゴミ箱にいれていた袋がついに不足した。
 ゴミ箱というのはゴミしか入れないので、ゴミ捨てに出すときにゴミ箱をひっくり返してゴミ袋にまとめればいいといえばいいのだけれども、細かいゴミがとびちったり、台所の場合は濡れているごみがあったりするのでゴミ箱にはスーパーの袋がかけてあって、袋ごとゴミ袋に移すという方法をとっていた。

 きれいにたたんで取っておいて使用していたわけだけれど、無料じゃなくなってからわざわざ買ってくるわけでもないのでついに手持ちが切れた。
 うちのごみ箱は基本3つ。
 1:台所のごみ箱。生ごみとか、パッケージ系が多い。
 2:リビングのごみ箱。主に紙屑。息子が使うのは大体これ。
 3:洗面所のごみ箱。お風呂の掃除あとの髪の毛とか、掃除あとのペーパータオルとかが多い。

 私が住んでいる町の分別は少なめだ。14分別とか13分別とかの地域に住んでいたことがあるので、最初はポテトチップの袋と紙くずを一緒のごみ箱にいれていいというのがびっくりだったのだが、それでいけるらしい。なのでこの数で足りるわけだ。
 これとあとは夫の書斎のごみ箱があるのだが、基本紙ごみしかでないし、たまるのに時間がかかるゴミ箱なのでゴミの回収は夫の申告制、つまり「言われた時だけ回収」。

 台所のごみ箱の袋=ゴミ出しの袋。
 リビングのごみ箱の袋がスーパーの袋大、洗面所のはスーパーの袋小が使われていた。

 夫と二人で話しあってみた。
 台所の袋は変化なしで。
 リビングのは掃除機の中の細かいゴミを捨てたり、消しゴムのカスとか、鉛筆削りのカスとかが入っていることが多いので、やっぱり袋は合ったほうが便利…ということで、新しく袋を買う。

 洗面所のミニサイズゴミ箱は肉や魚を買ったときにお店で入れてくれる水漏れ防止の袋(小さめのポリ袋)や、野菜が入って売られていることがあるような袋を利用する。ない時は台所のポリ袋で(これが一番安いから)となった。

 ホームセンターに買いに行ったら、無地のスーパーの袋は1枚3円から5円見当。なるほどねえ…。お店がレジで売っている袋と似たり寄ったりだ。

 利用できそうで、安い袋がないか探してみるということで決着。形とかからいっても、多分四角い袋のほうが製造コストが安いだろうから、大きささえ間違えなければスーパーの袋より安いのもありそうだ。こうやって慣れていく。
 そういえば、アメリカにいたときは、レジ袋を詰める人が紙袋にしますか、それともポリ袋にしますかと聞いてからスタートしていた。紙袋を渡すサービスとかも、出来るかもしれない。持ち手がなかったので抱えるしかない紙袋だったけれど、あれでもないよりずっといい。

 片手にコーヒー缶と菓子パン、反対側の手にお弁当持ってコンビニから出ていくサラリーマンを見ながら、なるほど、別に気にしていない人もいるんだな、と思う。
 日ごろの買い物が大量でなければ、そんなものだろう。
 そういや、こないだ夫がお土産にくれたコンビニのシュークリームはパッケージだけで袋はなかったなあ。

 実は小さめのエコバッグも2つ3つ用意して持ち歩くのもいいかな?
 夫に「コンビニおみやげ袋」とか!まあちょっとそれはあからさまにねだってるみたいだしやめておいたほうがいいか…。

 単にかわいいというだけで作ってもいいな。大小あってもいいよね、エコバッグ。
 あ、そういう話じゃなくて!
 自作エコバッグだとゴミ箱の袋問題が解決しない。今度リビングのごみ箱の直径計って、ホームセンターに行こう。

梅シロップ失敗。

 梅干しを作るのとか、味噌を作るのとかは失敗しそうでやったことはないが、私でも失敗したことがなかったのが、梅シロップ。味が好きなのと、失敗したことがないのと、シロップが買ったら高いのと…という理由によって、今年も作成してみたら、失敗した。

 梅シロップを、去年までは氷砂糖で作成していた。これは手に入る時期が限られている上に、余ったときにほかにつかいみちがないもので、おまけに普通の砂糖より高価。これを梅と一緒に瓶に入れて、とけろとけろと毎日振る、という工程が梅シロップには必要だった。

 ところが今年はネットで「普通の砂糖」でも出来ると聞いてしまったため、それで作成、うっかり振るのを2、3日忘れた。
一番上の、シロップからちょっと顔が出ているところがかびた。
 あ、カビだ。と思ったので、、そこだけ取り出してがっつりカット、半分カットになった梅を戻してからは頑張って忘れずシェイクして1か月。
 
 出来た液体がこれまでのとは違った。

 うーん…。濁っている。今まで作ったのは全部色付きの透明だった。これは多分、切った梅(数個)の皮、果肉などが混ざっているからだろうという推測できるけど、大丈夫かなあ…。

 しょうがないので、網でこしてみた。ちょっとましか…。
 鍋で沸騰させてしばらくふつふつ煮て、出たアクをがっつりとすくって捨てたら、まあこういう色か…となって透明化。

 味はなめてみたらありだけど、カビとか一度生えてたしなあ…。しばらく煮たから大丈夫だと思うけど、さっさと飲もう。
 来年はやっぱり氷砂糖に戻そう。

 一人暮らしの時も作ったし、結婚してからもかなり作ったけど、20年以上作ってきて失敗したのは初めてでちょっとショックだった。
 夫はドロドロした感じの液体になった時点で「捨てたらいいのに」と思っていたらしいけど、全部はあきらめきれなかったので今回いろいろ細工した。とりあえず私だけが飲んで、おなか痛くなったら捨てよう(笑)。

ミニサイズ、囲碁。

囲碁に最初に出会ったのは、多分5歳ぐらい。父が勤めていた会社には「囲碁クラブ」があり、趣味にしていたらしいのだが、私にちょっと教えよう、と思ったらしい。

 訳も分からずやってみたのだが、目が生きているのか死んでいるのかが見分けられるようにならないうちに飽きて終了。結局将棋、チェス、囲碁のあたりのゲームは全部「先が読めない」ため、全く上達せず、そうなると好きにもならず、子ども時代を終了してしまった。

 チェスも、将棋も「詰め」タイプのものは本を買って試して、ある程度楽しめるようになったものの、文字通り下手の横好き。一度も勝ったことがないってどうなのよ、的な感じになって、最後に試したのはゲームキューブ版「ヒカルの碁」。ここでもやっぱりわけがわからず、ゲーム中の8級で頭打ち。そーですよねー。ってなって終わった。

 折りたたみ、磁石式の「エポック ブックゲームシリーズ」という、昭和時代に本屋さんで売っていたというポータブル式のゲームがあったらしい(私は当時は多分気づいていなかった。自分が買えるものと認識していなかったので見ていなかったとみた)。そのシリーズのチェスの駒が、オセロの駒みたいな形だというのはわかっていて、ほしいな、と思っていたのをついにネットのオークションで競り落とすのに成功した。その抱き合わせ商品が、「マグネット囲碁」だったというわけだ。

 うーん…。囲碁ではなくて「五目並べ」としてではあるけれども、ハナヤマのボードゲームのセットに入ってはいたので、詰碁ぐらいには問題なかったんだけど…こういうちまちました折り畳み式って結構好きだ。コマの直径が8ミリしかない。なんと、初心者用13路盤ではなくて、本格派19路盤だった。
 
 ハナヤマのセットのは15路盤、つまり「五目並べ用」だったので、私が持っている盤の中では17センチ四方と小柄ながら特大といえよう。コマじゃないな、ええと、囲碁だから碁石が、小さいのと、マグネットシートみたいな厚さで、それほどくっつかないというのが問題か…。

 こういうのを眺めていると心楽しいので、これはきっと鉄道模型を眺めたり、フィギュアを集めたりするのと同じような趣味なのだと思う。本棚にチェスと並べて、と思ったら、手持ちの「ジャンダイス」というゲームも、同じ形をしているのがわかった。
 あ?これは同じシリーズだったりする?

 ジャンダイスいうのはつまり「シャット・ザ・ボックス」というダイスゲームの漢数字版で、幼稚園児の息子と遊ぼうとshut the boxを探していた私がリサイクルショップで見つけたゲームだった。息子と遊ぶときは「一萬」「四萬」とかがわかりづらいだろうと思ったので、シールで上から数字を貼って遊んだけど、雨の日の遊びとして楽しんだ覚えがある。1ケタの足し算を使うゲームなので、知育ゲームの一種扱いだ。

 「マグネットチェス」の番号が19番であることからして、かなり数があるシリーズのようだ。調べてみたら、囲碁将棋チェス、バックギャモンなんかの伝統ゲーム系と、レースゲーム、野球カード、宇宙船ゲームみたいな、昭和の現代ものがあることが判明。
 いや、集めない。集めないけど!

 結局そんなのをネットで調べて眺めて、おおー。と楽しんで終わった。
 以後は、詰碁は遊ぶかもしれないけど、正直この19路盤は猫に小判になりそうだ。
 
 

エコバッグに出せる額

 スーパーで袋詰めをしている最中に、サッカー台の向かい側の人が出したエコバッグが、いい感じだった。
 大きめで、柄もちょっと凝った感じだし、丈夫そう。いいなあ…と思ってから思い出した。

 この袋は多分、エコバッグ必須になるちょっと前に売り出していた3200円(税抜き)のエコバッグだ。決まった場所をひっぱるとすぐたたんだ帯状になり、くるくると丸めてぱちんと留めたらOKみたいなギミックのあるものだ。柄が3種類ぐらいあって、見本の柄が目をひいたからちょっと手に取ってみたことがあった。

 つまり私好みの柄ってことだ。
 いいなあ。

 私が今使っているエコバッグはぐるぐる毎日洗濯しながらの5、6枚。最近は1枚では足りなくなった。大体2枚、念のために3枚ぐらいは入れておくことにしている。
 ほとんどが100均のナイロンクロスのもので、無地だとか、適当な英単語だとか、水玉だとか、お花とか、テキトウな柄。100均のもの…ということは当たり前だが108円とか110円で買ったもの。
 1枚だけは任天堂のプラチナポイントの景品のコットンだが、これはお値段は「いくら」というより趣味の一部で、現金をつかったわけではない。

 一度ならず二度、目をひいたバッグということは間違いなく自分の好みなのだし、3200円なら毎月のお小遣いで出せない額ではないから、買おうかな…とちょっと思ったのだけれど、普段使っているエコバッグ、気分的に100円のバッグで不足があるのかと言われるとないんだよね…。

 3200円で、税込み3520円。普段買っているエコバッグが32枚買える。いくら丈夫な高いバッグでも32倍長持ちか、と言われると多分そこまではいかないし、大体3500円あったら、スーパーで売っている大きい袋(5円)がええと、700枚買える。
 普段のエコバッグ110円でも22回買えるんだけどね、そういわれれば。でも、たとえば毎日買い物にいって1か月以下で「元が取れる」袋と、毎日行っても元を取るのに2年かかるバッグっていうのも、ちょっとやりすぎな気がする。

 だめだ。かわいいとは思う。好きな柄だし大きくて便利だと思う。でも…貧乏人らしくエコバッグにそんな大金を出す気にならない。110円なら出せる。350円も多分出せる。600円…はきついけど、たたむギミックが面白ければ買うかもしれないなあ。

 でも多分そのあたりまでで、1000円はだめな感じがする。
不思議なことに3200円でも服なら多分出すこともあると思うし、工具、文具、調理器具にそういう値段出したことは実際あるし、本も、趣味のものにもそういう額を出したことはもちろんある、そのことに対してはあんまり抵抗がない。
 でもエコバッグには、出せないんだなあ。

 こういう柄のものが好きと覚えておくためにもう一回そのバッグを見てから帰ってきた。同じような柄の布が合ったら買おう。
 日暮里にあるような布の問屋さんにいくと時々そういうこともあるからね。
 
あのたたむ仕掛けもわかるといいんだけど。今度売り場に行って見本をもう一回みよう。

安楽死の問題

体が徐々に動かなくなっていくALSの患者と知り合って頼まれて、それを請け負い、死なせた医師がいた事件を読んで、賛否両論あるという話を読んだ。

 これはなかなかに難しい話で、これがどうして「死にたいなら死なせればいい」とは言えないのはなぜか考えると、たとえばどの病気なら安楽死がOKで、どれならダメかの判断は誰がするのかということ。それから、進行の速度の判断、病状の軽重の判断は誰がするのかということがまずある。

 次に病気で安楽死が出来るのなら、怪我や、事故、または生まれつきで寝たきりです。という人をどうするか。病気はOKだけど、怪我はだめなのはどうしてだ、体が動かないし、苦痛もあるのになぜだめなんだ、と問われたらなかなか納得のいく答えが返せないと思う。

 そして、そこまで行ってしまえば、体は動くけれども精神的につらいから死にたい、という人は…?肉体的にならよくても、精神的にはなぜだめなのか、ここまで死を望んでいるのに。そういわれたら、それもねえ。

 そして、「家族に迷惑をかけたくないから死にたい」そういう意思表示をされたときに、それが「その人の心からの望み」であって、誰かに言わされたものではない証明は、誰がするのだろう。

 介護というのは大変なものだ。そんなに遠くない将来に死ぬだろうとは思うけど、ぐらいのお年寄りの介護でも精神的に病む人が出るぐらい大変だ。若い人の介護ならなおさら、特に老人と違って子どもや若者は受け皿がないことだって多い。吸引のような医療行為とされることを1時間に1回はしないと、みたいな話になってくると文字通り24時間戦えますか…という状態になってしまう人だっている。
 
 人間、疲れちゃったときには「もう嫌だ」ぐらいの弱音を吐く介護者は当然いるだろうし、そうなったときに「忖度」するのが美徳とされている日本文化において、「もう、死んじゃったほうが迷惑かけなくていいかなあ」とか思ってしまう人が多分、出そうな気がする。
 散り際、死に様が美しいのがいいなんていう時代劇みたいな価値観だって実際信じられていたことだってあった国だし、「俺はいいから、ほかの人を先に助けてくれ」と言って、実際助からなかった年かさの男性がいた、というような話が7月の豪雨のエピソードとして語られているのを新聞で読んだこともあるぐらいだ。ほかの人を押しのけてボートに乗るような人が「ひどい人」で「恥ずかしい話」でひそひそと「そういえばあの時も」と陰口をたたかれてしまうようなことだ、という文化において、介護される立場になったとき「迷惑をかけている」と悩む人が出るのは想像がつく。

 それに…。ネットでは「自分がもしそういう立場になったら、さっさと死ぬからいい」という人だっているけれど、これが意外とね…。本当に自分がそういう立場になったときにどんなことを思うのかは、実は元気な時には案外わからないものだと思う。そしてそうなる機会がなければ多分一生わからないことで終わってしまう。

 だからこそ、「今のところは部外者」である私たちはなるべく相手の気持ちに沿って考えるようにがんばらなくてはならないのだし、「死んだら、もうその人に関しての問題は全部終了」になってしまう都合上、「あとから取り返しがつく」から、「生きていく」方を選んできたのだと思う。

 死んだら、戻ってこられない。どんな心残りがあろうと。そして周りの人は悲しむし、その人の代わりはどこにもいないし、誰にも代わりが出来ない。

 「あ、だめだった」と思ったらまたすぐ戻ってこられるのなら、「やってみたらいい」のだけどねえ。そうはなってないんだよなあ。
 
 私がもし、事故にでもあって、体が動かなくなったら…多分、悲嘆にくれて、もう迷惑だろうしお金もかかるし、死なせてほしいと絶対思う。あとからどういう心境の変化があるかはともかく、最初はまずそう思うだろう。
 それを受け入れて、何かできることが自分にあるかどうか…ということを模索して、このままやっていけると思えるかどうか。
 そう考えると、時間と強さが必要だと思う。

 きっと怖いとおもうだろうし、やったことがない未知の領域だし、自分の体はどんどん動かなくなって、いつ死ぬかわからないとなったら、実際にまだ大丈夫かなあ、と思いながら心配しているよりは、さっさと死んでしまう方が絶対気分的に楽だと思うだろう。
 私にその強さがあるかどうか。情けないけど…多分ない気がする…。

 でもなー。それを言うなら死んだことだって一度もないんだもの、そっちも怖いといえば怖い。

 えー。ねえ、私どっちも選べなくない?
 安楽死に踏み込むのもきっと怖い。
 でも、いつ死ぬか、もうだめかと思いながら待つのもすごく気分的にきつそう。

 この場合、「安楽死はなし」のほうが、「もうしょーがないや、これは待つしかない、みんなそうなんだもの」と思って開き直れるかもしれないから、「安楽死なし」のほうがいいかなあ。

 そう考えると「安楽死を選べる」というのはこれはこれで方向性は違うけど強い人なのかもしれない。
選ぶにしろ選ばないにしろ、かなり根性のいる話になりそう。

 心が死を望んだ時。どうすればそれを和らげていけるのか。
 そういうことを考えるほうがいいのかもしれないな。二者択一みたいな考え方をしていると、実際その選択を見てしまったとき、思考停止に陥る気がする。

 安楽死はなしか、ありか…ではなくて。
 なぜ、安楽死をしたくなっちゃったのか、それは解決不可能なのか。そうなると突然選べる道が増える気がする。
 そういう選択肢を増やしていければ。老人介護や、障碍者への配慮のように30年前とは違う…というようになっていくのだろう。
 この事件の新聞記事が「参考資料」として20XX年以前はこういうことが刑事事件として起きて…なんて社会の資料集に書かれる日がくるんだろうな。

 ちょっと読んでみたい気がする。
 
 

栗落雁

 物産展で栗らくがんを見かけた。

 懐かしいな…。実は祖母の家のある県の名産で、子どものころはよく食べた。

 あんまり旅行に行けるほど余裕がなかった実家の家計では、旅行=帰省で、夏は毎年田舎に行って、お墓参りもそこそこにいとこと遊んだり、冬は全員で温泉に泊まったりでその県の観光地と名所と銘菓はほぼ制覇。そのなかでも、特にこの栗落雁は出番が多かった。

 昭和50年代だというのに、このお菓子の製造元には「直営ショップ」と「直営喫茶室」があった。今でこそ直営ティールームのあるお菓子屋さんなんてよく聞く話だが、当時は珍しかったのではないだろうか。
 このお菓子屋さんは栗のお菓子ばっかりを作っていて、直営店の前にはどーんと大きな栗の木が何本かあった。
 栗かのこ、栗ようかん、栗まんじゅう、栗の練り切り、栗のケーキ、モンブラン、マロングラッセもあったかな?栗のお菓子ばっかりが並んでいて、お土産に持って帰れるように缶入りの栗かのこや、箱詰めの栗ようかん、そして栗らくがん。

 栗かのこは家に戻ったら、母方の祖母の家にもっていったり、お世話になっている人のところへ風呂敷に包んだり、持ち手のある紙袋に入れたりしてどうぞ、と持っていくものだった。箱入りの栗落雁は栗かのこよりは落ちるが、これもちょっといい感じに出すもので、次が乗換駅で売っているような箱入りのお菓子。多分持って帰るのに軽いから選ばれていたと思う。
 その箱入りのお菓子と袋入りの栗落雁、という組み合わせは、「お互い帰省のお土産を交換し合う人」との交換に使われる。
 もっと気安い仲になったら、栗落雁「だけ」がほかの袋入りの軽いお土産と交換されたり、誰かがお茶を飲みに来ておしゃべりしたときのお茶菓子に出されて、10月に入ったころに「お盆に買ってきたお菓子」が「遅すぎて出せなく」なり、家で子供のおやつに出る。

…というような感じで、毎年、余らなければちょっとだけ、余ったらかなり長期間おやつに出た。割れたのとかはお茶菓子に出すわけにはいかないので、回ってきたこともあったなあ。結局物心ついてから、20歳過ぎて家を出るまで食べたので、いうなれば「飽きた」ぐらいの扱い。それ以来食べたことがなかった。

 大人たちがティールームで食べていた栗のぜんざい、栗ようかんや、地味な栗のケーキ(多分パウンドケーキ?食べればよかったのにね、当時の私も)にそれほど心惹かれず、子どもだった私(たち)は珍しさに惹かれて「栗のかき氷」を食べていた。シロップが茶色いし、氷イチゴ、氷レモン、氷メロン、ブルーハワイで打ち止めだった当時のラインナップからはあり得ないチョイスに、テンションを上げて食べてみたのはいいものの、やさしい甘さで、上から栗のシロップをかけた氷は大盤振る舞い過ぎて下半分はただの氷、自分で頼んだのでしょうがないとは思うもののあっという間に飽きて、全員外で大人を待つことに。

 初めて見るような大きな、大きな栗の木の下で、7歳か、8歳だった私は「ここはやっぱり、ふさわしいのでは」と突然の衝動にかられ、木の下で「大きな栗の木の下で」を歌った。
 3フレーズしかない、8小節?しかない曲だったのであっという間だった。
 

 緑のイガが木の下に落ちていて、夏の日差しと、その深い緑の梢を見上げて、毛虫が落ちてきたらちょっと嫌…と思っていた、そんな夏。ピケのワンピースは前ファスナーで、一人で着脱がしやすいお気に入りだった。

 ポリポリとかじれば、意外と…記憶にあるよりずっとおいしい。なるほど…小学生にはウケないお菓子なんだな、つまり。
 
はあ…森の中の直営ティールーム。いいなあ。行きたいなあ。旅行の出来ない今年の夏は、思い出すだけにしておこう。

ひもつきの耳栓

 夏もたけなわ、セミがうるさい。
セミの生息地にマンションが建ったのだと考えれば仕方のないことなのだろうけれども、このシーズンは外から帰ってくるときも、音が圧として感じるぐらいにセミの声がうるさい。地震が起きたり、エレベーターが点検中の時は低層階にすればよかったかもと思うが、この季節の1階と2階のセミ騒音のことを考えると中層階で正解だったと思う。

 アイマスクは毎日愛用中だけれど、朝の5時ぐらいからなくセミが結構うるさいので、耳栓をしたらどうかな?と思いついた。
 息子のお弁当が必要な日はまあ、どうせ5時半から弁当を作成するのだから5時に目が覚めたところで大したことはないのだが、弁当がいらないのなら、6時か、6時半に起きてもあんまり問題はないからね…。ゆっくり寝たい日もある。

 旅行用のポーチの中に、スポンジっぽい耳栓が入っている。飛行機に乗ったときにとか、宿泊場所の条件が良くなかった時とかに使うのだが、今回はお試しだ、と思って使ってみた。

 扇風機の作動音が聞こえなくなり、多分蚊が飛んでいても気づきづらくなると思うけれど、火災報知機が鳴るとか、人に話しかけられるとか…だとわかる耳栓で、うっかりスピーカーの真ん前だったりして音が大きすぎるライブとかコンサートの時も便利だと思ったことがある。

 ちょっと押しつぶしてから耳に装着して、ふわーーーっと広がる感じがするので、暑いかな、と思ったけど案外平気だった。
 効果抜群、セミの声が聞こえづらくなり(全く聞こえないわけではない)、騒音レベルが下がって、目覚ましが鳴るまで目が覚めなかった。大成功。

 数日使ってみてわかったのは、うっかり外れることがあって、あとで見つけづらいこと。
 まあ、これは旅行中にも思ったことがある。飛行機の中で落として座席の下とかに入ってしまうとなくしやすいんだよね…。

 そういえば、紐がついたのがなかったっけ?と思って検索したらあった。
 30センチぐらいの紐で左右の耳栓がつながっているもので、紐を頼りに探すのが簡単だし、フックなどに引っ掛けておくこともできるので、バラバラになって転がって行ったりしないのが便利のはず。

 紐が邪魔でつけづらいかどうかというのはわからなかったので、とりあえず3ペア購入。1ペアあたり122円だった。
 どうやってくっついているのかがわかれば、紐だけ再利用とかしてもいいし、3M(スリーエム)の耳栓は割と長持ち。
 
 そう思って使ってみたら、小さいプラスチックパーツが耳栓の平らな面にくっついているだけだった。
 紐は化繊の柔らかい紐で、首の後ろに回して寝ても全然じゃまにならなかった。
 耳栓がだめになったらそーっとはがして、両面テープで新しいのにくっつけて使おう。

ししとう、大当たり

『和歌山県農業試験場暖地園芸センター(御坊市)が、辛くない新品種のシシトウ「ししわかまる」を開発した。』(7月31日、読売新聞)というニュースを読んだ。
 ピーマンとししとうを掛け合わせたそうだ。

 絶対にからくない、という保証があるのならちょっと高くてもいいから買いたいなあ。
 ししとうは結構おいしいと思うし、好きなんだけれども、辛いものが好きではない夫と息子は、「辛いのにあたったらいやだから」という理由でししとうをおかずに出すのをすごく嫌がる。
 しょうがないので私が一人でご飯を食べる昼ご飯とかに食べるしかないわけで。

 ちょっとかじって、辛かったら食べるのをやめたら?とか言っても、ちょっとでもあたりたくないらしい。

 まあね…気持ちはわかる。あれは当たる頻度は少ないけれども、1、2年に1回ぐらいだろうか、ぎーんと辛いのがあるからなあ。食べた後もかなり後味が長く残るし、涙が出そうな辛さの時もあるからね。ショックは大きい。

 それでもまた、ふとししとうの安売りを見るとグリルで焼こうかな…という気が起こる。
 
 ニュースで読んだ「ししわかまる」というのはまだスーパーで見かけたことはないな、と思いながら1パック買って、焼いて食べたらなんと、珍しく2本がからかった。うぅうう。強烈に辛いな…と思ったけれども吐き出すのもなんだし、結局食べきった。

 はあ…からかった。
ネットで辛くないししとう、と検索をかけたら、「真夏のものよりも、若くて柔らかい早めの季節のほうが辛くない」と書いてあった。なるほど…出はじめたな、と思ってすぐ食べたときには辛くないのはそういうことなんだね。
…ってことは確かに、今は真夏で、辛いのは当然か。

 来年にするか、ロシアンルーレット的楽しみにするか、迷うところだ。

高い食パン

 駅前の商店街に、高い食パンを売るパン屋さんが出来たのが数年前。ネズミーランドのアトラクションもかくや…というような行列が出来たときはおどろいたものだが、一年もたつとそこまでは混まなくなった。

 そのお店が出来てから2年ほど後に「これはあからさまな…」というぐらいそばに違う食パンやさんが出来た。同じようなコンセプトのお店で、下手をすると両方で客を食い合って共倒れになるかもと思うぐらい近い立地だった。
 2軒目のお店は「持ち帰りのみ」の販売で、ちょっと入ってぱっと買うなどということが出来ないという噂が聞こえてきたので、また面倒な…と思ったし、どんな食パンにしろ、たかが食パンに800円だの1000円だの出さないのがうちの家計であるからして、そのお店は「行かない美容院」が出来たぐらいのノリでスルーだった。

 いつしか2軒目の店には「当日分あります」という黒板が出ているのを買い物帰りに目にすることがあったぐらい。
…とおもっていたら、夫が「明日、あのパン屋に予約してきた」というではないか。

 あの2軒めのほう?ときいたらそうだという。まあね…うちの夫は米よりパン派だし、家計費にからまない夫資金で出すというなら私は口出しをしない。正午に焼けるので、取りに行くのだそうだ。
 念のため聞いておこう。「もし、取りにいくのをわすれたらどうなるんだって?」
 つまり、私にこれを言ったということは「忘れていたら教えて」というセリフが隠れていることがあるからだ。お互い中年も極めた身では忘れっぽくなっているのはお互い様。こうやって情報を共有しておけば思い出せる可能性が上がる。

 「忘れて取りに来なかったら、1時間たった時点で当日分になるんだって」
ああ、なるほど。あの黒板の「当日分あります」はそういうことだったんだね。最初は全部予約分ですから、と入った人を断っていると聞いたが、やっぱり印象も悪いからだろう、そういう手も使うようになったのはいいことだと思う。

 運命の次の日、二人そろってすっかり忘れて、気が付いたときにはもう1時間半ぐらい過ぎていた。
 あー。まーね。当日分になったのであろう。

 二人で顔を見合わせて「つまりは、こういう販売形態のパンはうちには向いていないってことだ」と確認しあった。
 「今度いつものベーカリーの前を通ったら買ってくるよ」
 お気に入りのベーカリーの食パンはかなりおいしくて、高い食パン専門店のよりも安い。そして毎日棚に並んでいて、並ばないで買える。思いついたら買えるほうが何かと簡単だ。

 「うん、そうして」と軽く同意しておいた。
私だってもう日本のかなりおいしいパンがわからないわけではない。でも、そこになければ黙ってアメリカのとことんおいしくないパンだって食べる。おいしくなくてもそれしかなければカロリーとして食べるし、すばらしければすばらしいで称えることに抵抗はない。慣れ親しんだ環境にいられないこともあるのなら、食べられるものの幅が広いほうが何かと便利なのでこうなったのだと思う。
 アメリカのパンに比べればスーパーの100円の特売食パンだって「おいしいパン」だ。問題なし。

 結局800円だか、1000円だかするパンの味は謎のままに終わった。
 

無関係です。

ネットオークションで買った、エポックブックゲームシリーズ19番、Magnet Chess。箱の表側には、左の写真のとおり、ナイトの駒がどーんと載っている。

 チェスセットの中でも、特に目立つ格好の駒だし、ゲームを知らない人にはどっちがどっち?みたいになるキングやクイーンじゃなく、ちょっと見わかりづらいビショップとポーンでもなく、わかりやすい形だと思う。

 でも、実はこのセットに入っているコマは直径15ミリ、高さ7ミリの、円形の駒で、天面にマークがレリーフになっているもの。
 つまり今風に言うと「写真はイメージです」とこうなるだろう。

 この箱の裏側には、チェスの紹介がかいてあって、パッケージの左の下のほうに小さい文字で
 「表紙の写真と中の製品は無関係です」
と書いてある。きっぱりしてるなあ。

 もちろん用途は同じなのだから、無関係と言い切ってしまっていいものだろうか…と思うが、「写真はイメージです」というのもものすごくいいかげんといえばそうだよね。
 
 もともと「image」というのは、画像とか映像の「像」部分をさす言葉であって、写真は印象だけをある程度似せたものである…というような意味はないはずだけれど、「写真はイメージです」という言い方の時は「中身とパッケージの写真は一致しません、ご了承ください」という意味であるということを現代の私たちは学習してきている。

 なるほど、そう書けば通じるのだなあ…と思った人が真似をして広がってきた言い方なのだろう。きっとこのマグネットチェスが発売された当時は「写真はイメージです」という言い方は広がっていなかったのじゃないかと思う。
 ネットで調べると発売時期は1980年ぐらいのようだ。
 
 こういう潔い割り切り方は結構好きだ。

「さがしもの」角田光代

 息子の夏休みの読書感想文の課題図書を探したのは夏休みに入ってすぐ。リストの中でも短編集だったのがこれ。
 せっかくだからと思って私も読んだ。

 一瞬「えーっと、魔女の宅急便の作者?」と思ったのだが、その人は「角野(かどの)栄子さん」で、一文字しかあっていない。(自分でもちょっとひどいと思った)
 このひとは「かどたさん」ではなく、「かくたさん」と読むらしい。でも検索で「かどたみつよさん」で検索しても出たので、多分間違える人も多いのだろう。

 この本は「本をテーマにした短編集」。
 長編の物語というのは、大体、こういう世界で、こういう風になっていて、主人公はこういう人で、こういう背景があって…とか説明にあたる部分がある程度あってから物語に入って、事態が進行して物語が盛り上がり、そして終わるところまで全部が書いてあることが多い。

 でも、短編はこう、その一部だけを切り抜いた感じだと私は思っている。
 その切り取り方がうまい。そのはがき大の一枚をみただけで、切り取られなかった外側の部分とか、この物語を目の前に見ながら振り返ったとしたら見えたであろう景色が見えるような気がする。

 案内板だけ見て、「あ、これ体験したことある」と思わせておいて、そのつもりで見えた入り口から入っていったら、全然違う体験ができるアトラクションのような…かと思えば「ああ、こんなことあるよね…」と思わせておいてちょっとひねってあるとか、読書が好きで、本が家にたくさんある人には楽しめる本だと思う。
 自分の体験と似て、同じ絵から一部切り取ったにしろ、起点は同じで、全然違う部分を切り取ったような。似ているのは手につかめる端っこだけで、引っ張り出してみたら全然違う柄だった…みたいな感じ。

 ただ、息子の年齢だと微妙なのも多かった。
 まだ恋愛はしたことがないのもあるし、人生の過程でものの考え方が変わっていくということを体感していない年齢だからねえ。多分この本の中で一番年齢のレーティングが低いのが表題作「さがしもの」。主人公は冒頭では中学生だしぴったりともいう。
多分課題図書に選ばれたのはそれでだな。

 *外国へ行って、そこで日本語の古い本が出回っているのを見て日本語だというだけで読んでしまった。
 *付き合っていた人と別れるときに持ち物をわけた。
 *読んだ古本の中に、以前の持ち主の気配が濃く残っているのを見たことがある。(落書きとか、はさんであるものとか)
 *内容や題名があいまいな本を古本屋を歩いて探したことがある。
 *立て続けに不幸に見舞われたとき、「幸運のアイテム」とか「呪いのアイテム」があるのでは、と思ったことがある。
 *生まれて育った小さな町には、いつ行っても売る気があるのか?というような小さいお店があった。

…こういうことに思い当たることがある人には、いい読書体験が出来る本。
古本屋をめぐって本を探していた時代から、ネットで本を探せる時代までの変化も書いてあったので、多分ネットで本を探す時代しかしらない、電子書籍ネイティブと言える今の中学生よりも、絶版になったらどこにもないね、という時代を経験した人のほうがわかる話が多い。
 読ませる本だった。結局止められずに最後まで読み切った。
 やっぱり「なろう」小説とは違うな!ここしばらくそういうライトノベルしか読んでなかったからね…。ライトノベルもなろう系も面白いんだよね…面白いんだけど、文章の研ぎ澄まされ方が違うなあ。文章書くのがうまい、なんてそれを生業にしているプロの人には当たり前すぎなのだから、言うことではないのかもしれないけど…でもそう思った。
 
 野原に咲いている花の中から、「あ、これ知ってる」と思ったのがあったから引っ張って摘もうとしたら、地面に穴が開いて吸い込まれて、中で短編映画の脇役の猫になって、その世界を体験して物語を見守ってから帰ってくるみたいな本だった。
 
 面白かったのでもっと読もうと思って著作リストを見たら、どうも源氏物語の現代訳をなさったようだ。
 おおー知らなかった。読もう。人によって訳し方がいろいろだけれど、いつ読んでも面白いよね。
 まあ普段読んでるのはキンドルに入っている与謝野晶子訳(だって安いんだもの…全著作で200円)だけど。

 多分人気の作家さんなので図書館で借りるのは難しいかもしれないが、電子版になっているのもあるようだし。
 翻訳物がずっと好きで、日本の作家さんで特に気を付けて読むことにしている人はあまりいなかったので今度チェックしよう。
 
 この人の長編はまだ読んだことがないので、合うかどうかはわからないけれど、もし合わなかったら短編集だけでも読もうと思う本だった。
 

本の思い出

【昨日の日記】を書いてから、思い出した本のこと。


 私が初めてアメリカで暮らした時は、まだアマゾンがなかった。

 電子書籍だってなかった。インターネットはあるにはあったが、まだブログはなく、ネットで読める日本語小説もなかった。
 日本語が読みたければ、現地の本屋で日本文学として置いてある英語の本の横に、もしかしたらあるかも?ぐらいの日本語の本を読むか、日本人留学生や、駐留している企業の日本人のグループの中で回覧状態になっている本を読むしかなかった。

 お金がたくさんあれば本を取り寄せることはできたが、まずそれを購入して送ってくれる人が日本に残っているか…ということからスタートしなくてはならないので、一時帰国の時に日本で送って誰かに受け取ってもらうとか、重いけれども持ってくるとかというのはなかなかハードルが高いことだった。

 そんなわけで、別に好みでも何でもない本でも読んだ。そのうちの1冊が上の写真の「砂の女」。もちろんこれが名作であるということは私も知っていたし、読めばそれなりに楽しめたけれども、レストランのメニューにあるのは知っていても頼んだことがない料理のような感じがした。

 昨日の角田光代さんの本で、外国の古本屋で見つける「安倍公房とか、片岡義男の本」の話が書いてあって、私は笑ってしまったのだった。片岡義男さんの文庫本は、背表紙が赤くてフォントがゴシックでちょっと珍しく、どこに置いてあってもわかるような本で、本屋さんでもずらっと並ぶぐらいあったし、私が通った高校の図書室にもあった。そしてもちろん90年代のアメリカのとある大学のある小さな町にも、安倍公房の本と一緒にぐるぐる回っていた。

 多分私が片岡義男さんの本や、安倍公房さんの本を読んだのはあの時だけ。
 ほこりっぽくて乾いたあの気候と、擦り切れて白い筋がついた写真の表紙の片岡義男の文庫本がセットでよみがえってくる。
 
 赤毛のアンのシリーズの「アンをめぐる人々」や、「天声人語」の英語ヘ併訳版、なぜか夏目漱石も2冊ぐらいあった。当時は「今は読まないけど、そのうち読んでもいいかもしれない」と思っていた安倍公房さんの本や、片岡義男さんの本だけれど、今になったらわかる。読める本は有限で、結局好みの本ばかり読んでいると「そういえばこの人の本は読んでいないな」と思っている人の本にはなかなか手が伸びないってこと。

 本は一期一会。どんな出会い方をしたにしろ、読む機会があるのはいいことだったと思う。
 
 私が持って行った文庫本も何冊かあったな…ハインラインの「夏への扉」と、山本周五郎の「花杖記」と、栗本薫の「レダ」、それから村上知行訳の「西遊記」だったと思う。途中で一時帰国したときに田辺聖子さんの「新源氏物語」と「落窪物語」かなにかも足したはず。
 最終的に持って帰ってきたのは訳が変わったと聞いた「夏への扉」だけで、残りは「多分また買えるはず」と重さに負けて放流したはずだ。(日本に帰ってきてから買いなおした)
 
 今ではキンドルがあるからもう絶対起きないことだけれど、今、旅行とか駐在とかに行くのなら持っていく文庫本は何にするだろう。
あー、多分、「天声人語」を集めて文庫本にしたのになるかな…。それとも安野光雅の「異端審問」とかの軽いものになるだろうか。
 
 長編だったらこの際だし、「指輪物語」?6冊のほうで。いや、それともオーソン・スコット・カードの「ソングマスター」か。
 いや…意外ともう一度、田辺聖子さんの新源氏物語になるのかも。3冊で冊数的に何とかなりそうというのも大きい。10巻ものとかはやっぱり重いからね。

 自分の「この1冊」がよくわかる気がするなあ。
 あとはこれか!と思った「深代惇郎の天声人語」だけれど、もう一回読むのは電子版がいいと思って、検索したらなんと、電子版がない。うーん。
本の詳細から、「この本の電子化を希望する」リンクをクリックしておいた。
  

コンビニのバスクチーズケーキ

 

最近、セブンイレブンのバスクチーズケーキがお気に入り。
 コロナの自粛とかがなければ、繁華街へでも出かけてケーキが食べたいところだが、なかなかそういうわけにもいかず、町のケーキ屋さんでお気に入りのケーキがないわけではないが、一番のお気に入りのお店は、絶対あるのは「イチゴショート」「プリン」「シュークリーム」「チョコレートケーキ」「濃厚ショコラケーキ」。あとはレアチーズ、ムースのケーキ各種や生クリームロール、ベイクドチーズ、プリンアラモード、和風抹茶ケーキやモンブラン…などがあるが、どんなスケジュールで焼かれているのかは謎。リンゴムースのケーキ、レモンムースのケーキ、洋ナシムースのケーキのどれか1つは必ずある気がするし、秋にはカボチャだの、栗だのの系統が多かったような…ぐらいの話なので、ベイクドチーズケーキや、スフレチーズケーキがいつ店にあるかというのは運まかせ。

 待たずに今日食べたいとなったら、コンビニのが早いというわけで、テレワークにならないときの夫に、帰りのコンビニで買ってきて!とねだっていた。248円。
 10年ぐらい前まではこの作戦があんまり使われなかったその原因は味。
 「コンビニのデザートぐらいの味」というのは、ちゃんとした…1つ4、500円するカットケーキを売っているお店のにかなわないのが常識だった。「まあ、悪くないけど、やっぱりちゃんとしたお店のには負けるね!」だ。

 でも、このバスクチーズケーキ、ちゃんとしたケーキ屋さんのケーキにうっかり勝てそうな味だと思った。
 ケーキ専門店ではないレストランが、外部からコスト重視で入れているチーズケーキには多分勝てると思う。
 これよりおいしくない喫茶店のケーキだって食べたことが絶対ある。
 コンビニのデザートって、おいしくなったなあ…。と感心するような味。
 ちょっと小さめだけど、損した感じはしない。

 セブンイレブンのばっかり食べていたのだけれど(家の周りのコンビニはセブンイレブン)、ちょっと駅前のスーパーの特売まで足を延ばした時にファミリーマートも見に行った。
 コンビニのスイーツというのは引きこもりの昨今、いい楽しみで、友達同士のラインでもこれがおいしい、あれがいいと話題が減ってきたときに出している。いつもセブンイレブンのじゃなくて、ローソンかファミリーマートのだって見に行ってもいい。

 ローソンはめちゃくちゃ遠いので、ファミリーマートで。
 ファミリーマートにもバスクチーズケーキがあった。

 ちょっと小さめだが、お値段は200円を切っていて、セブンイレブンのよりちょっと安い。
 味は、ちょっと柔らかめで、スフレチーズケーキとベイクドチーズケーキの中間ぐらいの味わいで、バスクチーズケーキの固めな感じよりはこっちがいい人もいると思う。

 セブンイレブンのバスクチーズケーキはかなり食べたので、新しい味がうれしかっただけかもしれないが、リピートは絶対ありだ。次回こっち方面に来た時には絶対もう一回買おうと思った。

 はあ…本当にコンビニのデザートっておいしくなったよね!
 これに泡立てた生クリームちょっと載せたら…絶対、お高いレストランのデザートみたいになるに違いない!
 今度は生クリームも用意しようか。

…とここまで書いてから、ローソンに行く機会があったので、ローソンのも試した。
ローソンのは、天面がちょっと苦みを感じさせて、味にメリハリがあって、これもよかった。
 単に自分がチーズケーキ好きなだけかもしれないけど、どれもいける!

夫には「本当に好きなんだねえ」とあきれられた。

クーラーをかけないで寝る

 地球温暖化とか、この季節の猛暑だとかにおいて、熱中症防止にクーラーを軽くかけて寝たほうがいい、ということになっているらしいのは知っている。例えば28度とか29度とかの設定温度にしておけばいいとか、そういう話。

 でもだめなんだなあ…。寝室にはクーラーがあるのだが、かけて寝ても大丈夫なのは設定温度がなんと31度(試した)。もちろん風が直接当たらないようにしているし、薄いものをかけて寝るようにしても、30度以下だと朝に起きたときのだるさもかなりのものだし、次の日からの体調がかなり悪くなる。

  多分これは「個人差」の範囲内になるのだろう。それなら、いくら寝入りばなの温度が32度とか33度であろうと、古タオルを袋にして、アイスノンを入れたのを枕に載せるなり、足に挟んだり、ちょっとくっついたり…とかしながら、扇風機を弱でかけて寝たほうがずっといい、という感じになってしまう。

 扇風機で寝たら、朝はちょっと温度が低いのもあって爽快に目覚められるし、起きてすぐ飲み物を飲めば問題は今のところ感じられない。昼に起きているときに設定温度が28度から29度ぐらいでクーラーをかけている分には全く問題がないので、眠っている間は特にだめということらしい。

 しょうがないので寝室はクーラーをかけて夫と息子が寝て、私は息子が普段寝ている部屋で扇風機で寝る、という夏仕様になった。
二部屋にクーラーをかけて私だけ別部屋というのも電気代がもったいないしね!
 クーラーが苦手な人も、データーには出ないけどいると思うんだけどなあ。

 夜になっても、温度がもっと高くなったら、つまり…35度とか、36度とかになったら、クーラーを入れて寝るのも考えたほうがいいだろうけど。あとはもっと年をとったら、温度調整機能が悪くなるだろうし…と思ったけどその時には息子はもう家を出ているだろうから、クーラーの設定温度も高くていいだろう。

 暑い日には、夫に「本当にこっちでいいの?」と聞かれる時もあるけれど、いいんだよこれで!
 
 暑い部屋で寝ていたら、なんと、「なにもかけないで」眠れるようになった。
 今までは、何かがおなかのあたりにのっていないと眠れなかった。小さい頃に使っていた小さめのタオルケットとか、それが手元になくなってからはバスタオルとか、ガーゼケットや、麻のシーツのこともあったけれど、足や手にはかけないにしろ、胴体にちょっと、かかっているのがよかった。

 でもここしばらくのあまりの暑さに、いらなくなったのだった。
 靴下を履いたまま寝られないのと、何かがおなかにかかっていないと眠れないのは、記憶にある限り昔からの癖みたいなもので、まさか2つのうち1つとはいえ大丈夫になるとは思わなかった。

 寒い部屋で寝続けると、そのうち靴下を履いたまま眠れるようになるのかなあ。冬に試そう。
 

火吹き山の魔法使い

私が12歳かな…13歳?ぐらいだったころに、面白そうだと思って買ったのが「火吹き山の魔法使い」。確か現代教養文庫からの出版で、近所の文具店兼本屋で売っていた。

 小さい田舎町の本がかなり少ない本屋だったのに、なぜあったのかは謎。翻訳物のファンタジーとか、SFが好きだった私は背表紙の題名からその本を抜いてパラパラと見て、これは面白そう!と思ってお年玉でこの本を買った。

 この本は「ゲームブック」というもので、当時アメリカではやっていたらしいテーブルトークロールプレイングゲームを一人で楽しめるようにしたもの、と言えばいいだろうか。
 たとえば、ドアがある。ドアノブを回すなら【4】へ。ノックをするなら【16】へ。ドアには触れず、家の周りをまわって調べるなら【30】へ。などと選択肢が書いてあって、そのページを探して進んでいく本だった。

 最初にキャラクターがどのぐらいのヒットポイントがあるかとか、マジックポイントがあるかとかそういうこともサイコロを振って作っておくようになっていて、上の例でいうと、【4】のページを見ると、ドアノブには罠が仕掛けてあって、毒矢が飛んできた。ダイスを振ってダメージを判定。とか、【16】では、誰かが出てきて案内してくれる、【27】へ。とか、【30】には、窓が開いていて入ることが出来そうだ。入るなら【20】、入らないのなら【24】へ、とか書いてあるので、そのまま進んでいって、冒険がどのように進むのかを読んで楽しむことになっている。自分のHPとかMPがいくつか…というようなことは、自分で手元にメモっておく。マッピングをする人もあるようだけれど、最初に読んだときはつながり方があんまりわからなかったので、罠の前振りだけ書いておいたりとか、何番は入ると罠、とか、白いタイルは踏まないほうがいい、とかそういうコツも書いて進む。

 …のだが、これが案外判定がシビアで、すぐ死ぬ。罠にかかる、落とし穴に落ちる、だまされる…。
 「冒険は終わってしまった」みたいな結末にすぐ着いてしまったり、ダメージ判定で体力が足りずに終了になったりで、かなり時間を食った。
 一応ファミコンとかスーファミとかのRPGはもうあったと思うが、まだまだRPGの認知度は低く、私にとっては、これが初めてのロールプレイングゲームだったといえるだろう。
 
 ちなみに学校でこの本を貸したら、あちこちで回し読みだのまた貸しだのになったらしく、ページが背表紙から取れるぐらいになってから戻ってきた。大人気で、しばらく流行して、確か「バルサスの城塞」だったかな、次に出たのもお金を貯めて買った。3冊ぐらいは出たと思う。そのあと違う出版社のも借りて読んだけれど、なかなか「あがり」にならない火吹き山の魔法使いがあったからなのか、たくさん素早く流行しているうちに出したいと思ったからなのか、これほど雰囲気がないものが多く、さっさとクリア出来てしまうのが多くて、物足りないような、うれしいような…。紙がざらざらして、表紙がすぐ折れるような本で、単行本サイズのを何種類か借りた。マリオとかのキャラものとか、ホラーストーリーっぽいのもあったと思う。

 「火吹き山の魔法使い」は「死に覚える」ゲームといってよく、あー。この番号に行ったら死ぬな。とか、確かこのパターンはまずかったはず…みたいなことを暗記して、なんとか解いたが、結局キャラクターも最初に作ったのとは違う割り振りにして、死ににくいキャラクターを作成したり、今考えるとかなり暇だったとしか言いようがない。

 それが、Nintendo Switchで発売されて、夏のセールで安くなっていた。
 日本のショップでは1180円だったが、これが北米版のショップで2ドル97セント。何、その格差。
 ピンボール系のゲームは日本のショップには出てこないことも多いので、北米版のショップにもチャージ(アメリカのアマゾンで、電子版のプリペイドカードを買って番号を入力する。アメリカのアマゾンは日本のクレカを受け付けるのでこれがわかりやすい)してあったので、つい、ゲット。

 やってみたらかなり懐かしかったけど、あんまり記憶が定かではなかったので、やっぱりあっという間に死亡。
 ですよねー。そうなるよねー。
 1200円だとちょっとなあ、だけど350円なら、まあ一日楽しめればそれで。
 
 懐かしいなあ…。雰囲気のある絵だし、令和の今、中学生高校生にウケるゲームかと言われると多分だめだけれども、テーブルトークの雰囲気を味わうのは楽しいのでゆったり遊ぶのにいいかな…多分これは、「当時読んだ」人向けじゃないかなあ。アメリカでは70年代から80年代にティーンだった人向け、日本ではそこから大体10年ぐらいあとにずれているぐらいの世代が、TRPG世代なので、そのぐらい?

 サイコロ2つが手に入らなくて、チビた鉛筆で作成したのを転がして、チラシの裏にメモを書きながら読んだ、懐かしい本。
 あの頃は一日が長かった。楽しみは「小さくてもたくさん」あるほうがいいな、と思っていたけれど、それは今も。
 一人で、家で、楽しめることをたくさん見つけて取っておこう。コロナ対策用だ。


世界史小辞典

この本を手に入れたのは、高校の時。
 
 授業中に「もっと詳しいことが知りたい人は、本も買えるから申し出るように」と言われて、「世界史辞典」の紹介があったので、職員室まで話を聞きに行った時のこと。

 どんな本だか見たかったのがまず一番で、見せてもらった世界史辞典は、それほど厚みがないもので、社会の資料集、という感じだった。うーん、それほどでもないや、という顔になった私に、「こっちはどうだ」と出してもらったのが、この世界史小辞典だった。

 これは「小辞典」とかいう割にぐっと字が細かく中身も細かい感じがして、「先生、これ読ませて」と頼んだら、「おう、いいぞ」と貸してもらえた。「やっぱりなあ、お前はこういうの好きそうだと思ったよ」と先生が笑っていたのを覚えている。
 この辞書は歴史の資料集としては、あんまり高校の授業には出番がない感じのもので、関連項目が一気に出てくる…のではなく、単に五十音順に用語が載っているタイプ、つまり国語辞典には単語が見出しになっているように、王朝や国名、都市名、人物名や、各国の制度、法律などが見出しになっているというタイプの本で、雑学ネタをがっつり詰め込んだといった感じの構成。

 知識として読むのに向いていた。当時は知らないことを読むのが面白くてしょうがなかった頃なので(今にして思うと、全く、本当に全く役には立たなかったが)、夢中になって読んだ。読んでも読んでもまだある厚さ(辞典だからね、紙は薄くてページ数が多かった)、知らないことばっかりが書いてあり、なおかつ情報として正しさはさすがの折り紙付き。
 少なくとも古くからある出版社は「出所がはっきりしない」ような情報は辞書に載せない。もしも、専門家からクレームがついたら、そのあたりは精査されるから、初版のものはともかく、重版のものはあんまり疑いを持たず読めるのがいい。「どの程度正しいか」は一番あいまいでも「所説あり、専門家の中でもこの説を支持している人が多い」ぐらい。つまり私にとっては「全然疑わず読んでOK」レベルだということだ。
 当時は「ウィキペディア」も「インターネット」もなかった。百科事典というのは紙の本であり、知りたい情報というのは本を探して得るもので、こういう風に同じ分野のことばかりがどっさりみっちり詰まった本というのは、存在を知らなければそこまで、というものでもあった。歴史マニアともいえる高校の歴史好きの社会の先生がおすすめする、「この1冊」なのだろうな、と思って読んだ。

 それに加えて本を読むのが好きで、カバンが重いのにうんざりしていた私にとって、丸1日読んでもまだ読める本は貴重だった。1冊だけでものすごく長持ちだし、中身を理解しようと思うと自然と速度が落ちる。
 夢中になって読み終えて、「だめだ、全然頭に入ってない、もう一回読みたい」と思って、先生に取り寄せてもらって買った。1500円だったか、1800円だったか、当時の私が使える金額の中ではちょっと高い買い物だった。

 夏休みの息子の社会の資料集を見たとき、「そういやあ、あの辞典どうしたっけ?」と思ったのだが、多分一人暮らしから、結婚、渡米したときに散逸したのだと思う。実家にはなかったし、今の持ち物にも残っていなかった。

 しょうがないのでネットで調べたら、今の版はもちろんあった。そしてこの写真の私が持っていたのとまったく同じ旧版が、箱はないものの送料込みで中古が350円ぐらいで売っていた。魔がさしたというか、なんというか。つい買ってしまった。
 字が細かいのがちょっと難だったけれど、いやあ、中身全然覚えてないわー。

 しかし高校生の時の私、よくぞこんなの数回通読出来たな!若気の至り?力任せというか、暇だったというか…。
 今読んでみると意外と中国のことがたくさん入っている感じで、しばらく読んだら、三国志演義とか読もうかな、とか、そういや、途中で放り出したイギリスの王朝ものがあったような…とかいろいろ頭に浮かぶものがあった。

 こういうのをまた発掘するのもいいな。
 日本史も、中国史も、世界史もその気になって読んだら面白いもんねえ。本もまだ読んでないのがたくさんあるし!
 息子に「読む?」と聞いたら速攻で断られた。
 


思わず1本

 コロナが大騒ぎになって、各種いろいろなものが売り切れていたとき、台所洗剤を買いに行ったドラッグストアで、まな板とかを消毒するスプレー(前まで普通に買っていたもの)があった。「えっ」と思ったときにはもう最後の1本が目の前で持っていかれた後。
 
 あと3秒早ければ買えたのに。気にしない、塩素系の消毒スプレーで十分だ、と言いながら、実はかなり悔しかった。
 全く買えないよりも、目の前で逃したことが残念だったのだ。半年経った今でも、それと同じ種類のキッチン用アルコールスプレーは見かけていない。

 8月のお盆も終わって、商店街の混雑も減り、ふらっと入ったドラッグストアで、シリアル購入。このドラッグストアはシリアルとか、大袋入りのお菓子が安い。夏休みでお菓子の消費が早いので、スーパーより安いお店で選ぶのはいいアイディアだ。

 …と、レジに、エタノールの瓶と、イソプロピルアルコールの瓶がある。おお、すごい、久しぶりに見た。
 あれこれ便利なんだよね、エタノールって…。前まで買っていたのは99パーセントで、今回見たのは85パーセント。まあ、十分な濃度だと思うので1本買わせてもらった。

 マスクもコットンに不織布に夏用ドライ素材、冷感なんとかに、ポリエチレンの何度か洗える素材までよりどりみどり。
 大分品薄も解消した感じだなあ。

 夏の間にちょっと準備して、また冬に備えよう。もしかしたらこれからも相当流行るかもだし、感染者は減る感じでもないし。
 
 ランチやお茶の予定は全然だし、感染者も高止まり。なるべくかからないように頑張るしかない。
 すっかり引きこもりだけど、これも慣れそうな気がする。

 ひさしぶりにゆっくり自分の部屋にクーラーをかけて、静かな部屋で好きなことをやったらちょっとほっとした。
息子の夏休みで息子好みの音楽ばっかりエンドレスに聞いていると疲れてくるからね。
 一人暮らしの時は割と、働いて土日休みのうち、一日を家事をやる日、もう一日をゆっくりする日にして、家から出ないときもあったのを思い出した。

 そうだよねえ…あれが出来たってことは今だって、出来ないわけないわなー。
あの時と違うのは、私が人の分までご飯を作らなきゃいけないってことだけ。

 相談したら、「なんなら、夕飯にお弁当でも買ってこようか」という提案が夫から来た。
 あ、いいなそれ!ご飯作らなくていいというのはすごくいい。最近外食にも行けてないし。
息子が「絶対ピザ」とかいうので、テイクアウトのピザになった。

 野菜?バランス?ないない。もう全然。
 一日ぐらい、いいよねえ!

 これから冬に向かうまでにきっとまた、コロナの感染者数は増える。なるべく気分が長持ちするように、いろいろ対策しようっと。
 
 

チーズケーキ

 お盆に書いたメモから。
 お盆というのはつまり全体的に休みになる人が多い。本当言えばこのぐらいの時に帰省したり、お出かけをしたりすることが多いのだが、今年はそういう感じでもなく、家にこもって過ごすことに。

 スーパーも混むし、商店街も混むしであんまり出かけないほうがいいだろうということになったが、それだけではつまらないというので、「何かちょっといいものでもたべようか」という話になった。

 お盆の間は調理の手間をなるべく省いていつも行くレストランでは食べないがそこで売っているテイクアウトの弁当を食べようとか、おいしいケーキやさんのケーキを食べようとか、普段は買わない和菓子屋さんのわらび餅を買おう…とか各種アイディアが出た。

 夕飯のおかずを「切ったら終わり」のトマトとか、「袋から出したら終わり」の刺身こんにゃくとか、「パックそのまま出せ」の豆腐(のちょっといいやつ)にするとかして、スーパーの肉っぽいお惣菜を買って盛り合わせて食べてしまえ、という手抜き夕食案もOKが出た。 そう…料理というのは面倒くさい。ここしばらく外食が減っているので手抜き案はうれしいし、たとえばフライパンで焼いて、市販のたれを絡めた肉とかは夫も息子も大好き。凝ったものを作るよりそっちがいいぐらいのノリなので問題なし。

 「じゃあ、今日は俺が買い物に行く」と夫が張り切って出て行った。
 家にはトマトとアスパラ、ニラがあるので、トマトとアスパラをサラダにして、ニラを卵でとじて、今日の夕飯は夫が「ぜひ食べたい」と一押しだった「おいしいお店の肉まん」に決定。餃子とシュウマイも同じお店にあるのでそれも買ってくると言ってくれた。

 家に帰ってきて、じゃあ、すぐ食べよう!となって、肉まんをとシュウマイと餃子を出して、夫はビールを飲み、調理した野菜も食べて、食後に、「これも買ってきた!」と夫が自慢気に出してくれたのが、モロゾフのチーズケーキだった。

 おおお、これはうれしい。夫はこういうタイプのお菓子屋さんを見分ける能力がほとんどない。つまり、デパートの地下に入っているようなお店はどれも似たり寄ったりにしか見えていないので、「あそこの地下の、何とかというお店のこれが欲しい」というリクエストは大体「どれかわからなかった」ということになりやすいのだが、ひとつだけ、モロゾフだけは見分けがつくのだ。

 ゆえに「モロゾフのプリン」だけはリクエストが出来るのは知っていたのだが、ケーキも買えるとは。「最近チーズケーキが気に入っているようだったから」と。おお、なんかすごい。今までになかったことだ。
 確か子どもが生まれる前ぐらいだと、「デパ地下で売っている、何か甘いものを1つ」というリクエストならわかっても、そのほかの頼み方だと「気に入ったものが買えるかどうかわからないから、無理」という感じだった。

 長年一緒にいると、いろいろと覚えてくれたんだな、ということがよくわかる。
 
 「チーズケーキメーターが満タンになった気がする、ありがとう」と感謝を表明しておいた。
「メーターがあるんだ?」と笑ってくれた。

あるんだよ、うん。

味音痴、なのかなあ。

アマゾンプライムで、無料で読める本を読んだ。
生活の中の無駄を省いてみましょう、みたいな本で、その本の中で炊飯器をやめて、土鍋で炊いてみましょうという話があった。

 炊き立てでお米がつやつやしていて立っていて、大変おいしそうに炊けるようになって、炊飯器には戻れない、というような話。
この手の話は時々ネットでも読んだことがある。一応試してみたこともあるし、おいしそうなご飯の記述を読むたびにもう一度鍋で炊くのに挑戦したくなる。

 つまり暇だったのでまたやってみた。土鍋で炊いてみる。水加減もあるし、浸潤時間も長いので1時間ぐらいかかるのが難だ。
 食べたら、ごく当たり前のご飯なんだよね。いや、もちろんおいしいのよ、白いご飯は好きだ。漬物やふりかけだけで十分おいしい。
でも、炊飯器で炊いたのだっておいしいのよ、差がわからない。

 もう炊飯器には戻れないほどおいしいか…と言われるとそれほどでも、としか。
 米なのか?やっぱり上等の米だと違うとかそういうことなのか?

 それとも私が単に細かいことを気にしない味音痴だからなのか。
 最高級土鍋を買ったら、(値段が5ケタのとか)、そして特上のお米を炊いたら、違うのかなあ…。
 それとも、素晴らしく美味な白飯は、私の想像力の中にしかないのか。
 
やっぱり、今回もわからなかった。
 

マウスか、トラックパッドか。

マウスが壊れた。1か月ぐらい前から時々ポインタが消えたり、動きづらくなっている感じがしていたのをだましだまし使っていたのだが、電池を入れ替えても改善しないし、そろそろダメかな…とは思っていた。5ボタンマウスだったのだが、横のボタンも反応しなくなっていたから、これは寿命というやつか。

 とはいえ、私が使っているのはノートパソコンであるからして、一応入力用のトラックパッドがついている。
 マウスのほうが使い慣れているので、ずっとマウス派だった。多分2007年に買ったデスクトップのマウスパッドが1年をちょっと超えたころに壊れてから、ずっとマウスを使っているはずだ。

 それまではトラックパッドを使っていた時期もあったはずなのだけれど、トラックパッドにボタンがつかなくなって、パッド部分をタップすることでボタンを押したのと同じ動きをするようになったころから、誤動作が多くなって(多分使い慣れていなかったから)、いやになった…という記憶があることから察するに、今のパッドだけで全部どうにかしろ、というタイプのトラックパッドがだめなんだろうなあ。

 一応ホームセンターが近所にあるから、マウスが買えるのは買えるのだけれど、暑い。外出するのがつらいぐらいの暑さ。きょうはいいや…と思って、しょうがないからトラックパッドを使い始めた。
 
 使いにくい…と思いながら1時間。
 あ、割といけるかも?ともう2時間。

 半日経ったら、意外とこれでいけるかもしれない気がしてきた。
 10年ぐらい前のよりも、パッドの動作が「鈍い」感じがする。ちょっと触れたりしただけですぐ「ボタン押したね!」と反応しなくなっている感じ。これ、もしかして感度の設定とかできる?と思って設定をみたら、ウィンドウズのほうで設定も出来るようになっていた。

 静電気で動作するんじゃないかという気がしたぐらいやたらと細かく反応して、キーボード打ちながら手の平の下の方でよく誤動作したことを思えば、ずいぶん使いやすくなっている。今キーボードを打ちながら、全然ボタン押したとかタッチしたとか、という反応をしないもんね!

 これ…もうちょっと頑張ってならせば、トラックパッドが使えるようになるかも!面倒だから絶対マウスだと思ってたけど、パソコンの場所を変えるときに持ち歩かなくていいし、変えてもいいなあ。
 そんなことを思いながら、ネットで検索してみたら、なんと、左のクリックだけでなく、マウスの右ボタンクリックと同じ動作は指2本でタップ、スクロールは2本の指でスライドさせると出来るらしいとあった。検索語は「マウス ジェスチャー」。
 えーーーー。いつの間にこんなことが出来るようになっていたんだろう、ウィンドウズ!10から?それとも8でも出来てた?こういうのって前はこういう動作をさせるようなソフトを常駐させないとだめだった気がする。

 意外だけど、こういうこともあるから、前のやり方に戻してみる…というのもたまにはいいのかもしれない。
 スクロールと右クリック動作を2本の指でやる、というのは訓練しよう。多分2、3日で慣れるもんね。 
 今はスクロールの距離が早く動きすぎて「ああっ!通り過ぎた!」ってなるけど。

 一応トラックパッドが壊れたときのためにマウスも買っとくかなあ。このPCはUSBポートが2つしかないので、ブルートゥースのにしよう。

水ようかんとプリン

 近所のスーパーのワゴンに、缶入りの水ようかんがあった。「練」と、「小倉」、「抹茶」の3種類。
 つぶあんよりこしあん派の私は「練」をいくつか買って帰った。
 
 缶を開けない限り長持ちするので、ふと思いついたときに甘いものが食べたい…という感じに食べるといいかな、というのと、息子は水ようかんをあんまり食べないので、気が付いたら食べられちゃってなくなったりしないというのがいいところ。

 夫は「割とコーヒーにもあうんだ」と喜ぶし、私は水道水の温度の緑茶と一緒に冷えた水ようかんがなかなかいいと思っている。

 ふたりで水ようかんをスプーンですくいつつ、「そういえばさあ、昔は水ようかんなんか「はずれ」だと思ってた」という話になった。お中元で家にやってくる箱の中には、こういう缶入り水ようかんとプリンのセットというのがあって、「いちばんおいしい」と私も姉も思っていたプリンが一番少なく、たいていは水ようかんが余ることになっていた。

 もちろん水ようかんだってプリンが売り切れなら文句を言わずにありがとう、ともらって食べるものではあったけど、今水ようかんを食べると、すごーくおいしい、と思うので、昔とのギャップがある。
 
 「これ、もう3つぐらい、同じ売り場にあったら買ってきて」
夫はもう完全に水ようかんに乗り換えた模様。
 私はどうするかなあ。あの茶色っぽいプリン、やっぱり買って、食べ比べるべきか。意外とこう、あのプリンをバラで売っているのって見ない気がする。
 

旅行に行けないから、やること

 旅行に行きたい。ちょっと遠くに行って、おいしいものを食べ、きれいな景色でも見て、電車にのんびり乗ったり、地方の銘菓を食べたり…とかそういう感じにでもいいし、この際だから海外でもいい。本当は息子が中学に上がったら、ゆっくり旅行しようね、なんて言って、この夏遠出の予定もあったのだが、それどころじゃない状態になったので、旅行はどこにしろ全面的に中止になった。
 予定とはいえまだ申し込み前だったから、キャンセル料がどうとか、という話にはならなかったので、別に損したとかじゃないんだけど。

 夏になればちょっとは沈静化するかと思われたコロナの感染は、全然下火になっていないから、外出も最低限。
 まあ、閉塞感はあるし、正直ランチにも買い物にも出かけられないのがちょっと嫌な感じなのだけれど、これも頑張れる人ががんばるしかない。

 旅行をしないから出来ること、って何かあるかなあ。と考えて、しばらくたって考え付いたのが、「ぬか漬け」。私は、ぬか漬けをする家で育ったから、実はぬか漬けが大好きで、何度かチャレンジはしているのだが、旅行に出るたびにぬか漬けがおいしくなくなる…だけではなく、ぬか床がだめになることが結構あった。塩を上にびっしりいれて、冷蔵庫に入れておくとか、そういう感じのコツも試したが、おいしくないぬか漬けというのはものすごく気分が下がって、やる気が激減、大体そこで終了になってしまうことが多かった。

 普通のぬかと、塩と、野菜でスタートすると、食べられる味になるまで2週間かかったりする。コツは「すでにぬか漬けをしている人のぬか床から一掴みもらってきて混ぜる」こと。夏にスタートすると早い…のだが、実家ではもう糠漬けをやらなくなってしまったので、もらう先がなくなったのもあり、面倒が勝って、ぬか漬けは全然やっていなかった。食べたくなったら買うのだけれども、買った糠漬けはもちろん好みの味というわけにはいかず、「もうちょっと漬かってるといいのになあ」なんて。自家製の漬物の何倍もするのにそんなことを考えるのがもったいなくて、最近そういえば漬物を食べていない。

 ずーっと家にこもっているのだし、ぬか漬けもいいかな…と思っていたら、スーパーに「つけるだけ」のぬか床が売っていた。(画像は、私が買った【ぬか床パックのメーカーさん】からお借りしました)
なんと、ジップ付きの袋に入っていて、そこに何も考えずに野菜をいれたら、そのまま漬かるという「すでに出来ている」ぬか床。おおう、すごいなそれ!材料に「ビール酵母」なんて書いてあったので、発酵させてから空気を抜いて売っているのだろう。

 お値段はちなみにスーパーでは650円ぐらいで、1キロ。メーカー通販はもうちょっと高かった(800円ぐらい)。
 3回か、4回作れば元が取れそう。ぬか床にしては小さめだし、冷蔵庫に入れれば混ぜるのは週に1回でいいらしい。えー。なんか、こう…昔風に言うとぬか床って「混ぜれば混ぜるほどいい」系の話を聞くけど、最近はこういうのも研究されてるのね?

 冷蔵庫に入れてと書いてあったけれど、よく漬かった「漬かりすぎ」ぐらいのがいいので常温でひと混ぜしてから、一晩キュウリをいれておいた。塩がすでにぬか床のほうにかなり入っているらしく、実家では野菜に塩をまぶしてからぬか床に入れていたけれど、その工程は省いて、そのまま洗って拭いたキュウリを半分に折って、突っ込んでおいたら朝には深漬けになっていた。おいしかった。

 これでお茶漬け食べたらうっかり2杯いけそうだ。(1杯でやめておいたけど)これと、ご飯と、豆腐で一人暮らしだったらもう軽い夕飯にOKになってしまいそう…。
 半分に切った夏大根7センチぐらいとか、半分に割ったニンジンとか、そういう量がうまく漬かる。
 袋の開け閉めで糠がジッパーに詰まってくるので、平べったくて大きめの100均のプラ容器(お弁当用のシリコンカップ入りおかずを並べて保存していた)をぬか漬け用にして対応。この容器だとキュウリ2本ぐらいいけるなあ。

 ちょっとしょっぱい気もするが、何度かつけて塩が薄くなってきたら足すとか、そういう注意も袋には書いてあったから、これはつまり足さなきゃだんだん薄くなってちょうどよくなるってことだから、このまま様子見。
 塩気があんまり少ないと雑菌が増えやすくなるらしいので注意がいるのだという話もあるようだし、気を付けないと、と思ったけれども、このメーカーの「足すようの小さめのパック」などもあるようなので、それを使えば塩分低すぎとかになりづらいと見た。
 ちょっと初期投資が高かったけど、次の日からいきなりおいしいのが食べられたのでお金を出した甲斐はあった。
 確かに、糠と水と、昆布と塩ぐらいでスタートするより楽。

 こういう楽しみぐらいはあってもいいよね。発酵食品は体にいいっていうし!
 ちなみに「混ぜなくてOK」なのは冷蔵庫に入れているときだけ。常温の場合は混ぜたほうがいいらしいので私は普通のぬか床のように朝晩混ぜながらいこうっと。

 ちゃんと手入れが出来ているぬか床というのは臭くなったりしないからねえ。
 メーカーさんのサイトを見に行ったら、「玉ねぎの漬物」とかもできるらしい。実家ではやらなかったなあ。
エリンギとか干ししいたけとかをつけてもおいしいらしい。それも初耳だ。

 ネットでいろいろ見たら、水分を取るのに、干しシイタケを漬けたらとってもおいしいとか。
 干しシイタケもいけるんだったら、切り干し大根漬けたらどうなるかなあ。水分が取れそうでいいけど。

 今度外国に住むことになったら、このパック、持って行ってもいいなあ…。未開封の1キロなら頑張ればもっていけるし、パプリカ、ニンジン、カブぐらいならアメリカの普通のスーパーにある。お米はアジアンマーケットにあるし、ご飯と漬物なら、どんなに食欲がなくても食べられる。
 玉ねぎの漬物なんていうのだって、おいしいかどうか試してもいいし、アスパラガスの漬物だってネットに紹介されていたもんね!

 おすすめは2キロらしい。うまくいくようなら、もうちょっと深めの入れ物でやってみてもいいし。まずは1キロでしばらくやってみよう。
 自分でぬか床作成して、だめになったらガーンってなるのは、つまり「手間暇かけたものがだめになる」のが嫌なんだよねえ。それを考えると、失敗したら、またスーパーに売ってるもんね!と思えるのは気楽だ。って、ねえ、ちょっとずれた?旅行に行って、だめになったらまた買えばいいってことだものね。

 まあ、長持ちすればしただけお得なんだし、気楽に出来るっていうだけで、家にいたら上手くできるのは間違いないからこれでいいか。
 

今どきの「センス」

  年上の友達から聞いた話。

 彼女は大体毎年暑い季節になったら扇子を1本買い、シーズンの終わりまで使って涼しくなったら捨てていたそうだ。もともと竹とか、紙とかで出来ているのを使っていると確かに端のほうがこすれて古びてくるから、そういうのもありだと思う。

 私はけち臭いので数年続投にする。
 この間買ったのは何年か前の京都旅行で買った。商店街を歩いていると、露店を出して扇子を売っている人がいた。自分で扇子に絵を描きながら販売するというアート全開のお店で、目をひいた柄を買った覚えがある。1000円、3000円、5000円と3種類の値段があって、多分お店で高い値段で売っている扇子を作っている職人さんのお弟子さんとか、そういうのだろうなあ…と思いながら買った。
 
 植物や、金魚、昆虫や景色の描かれた扇子は結構きれいだったのだけれど…。また買いに行きたいなあ。

 いや、話は戻って、私の友達は、そんなわけで今年も扇子を新調しようと思ったらしい。商店街の雑貨屋さんを見たら、扇子が見当たらず、店員さんに聞いたら、その若いお姉ちゃんは「扇子なんかありませんよ、今はもう全部これです」ときっぱりと言い切り、電池式の小型扇風機のところへ案内してくれたらしい。

 いや…わかるけど。手持ちのプラスチック扇風機は確かにポピュラーで女子高生が持って歩いているのを見るのは見るけど…でもこう、ね?中年女性がハンドバッグから取り出すのには抵抗がある。たとえばハンカチ、口紅、櫛、ファンデーション、筆記用具、手帳…そういうものの中に突然おもちゃっぽい扇風機がばーん…というのはあんまりではないか、と彼女は思ったらしい。

 しょうがないので電車に乗ってヨドバシカメラまで行き、文具とかファンシーグッズっぽいものを売っている売り場で扇子を発見して買ってきたそうだ(猫柄だった)。
 
 今どき、家にうちわを置いている家もそうそうないだろうとは思う。扇風機がある家は多いだろう。でもこう…携帯用としてはどうなんだろうねえ…。という話になった。
 「ああいうの、持って歩く気になる?」と。
 微妙。家の中でやってみるのにはあんまり抵抗を感じないけれども、それならまだ保冷剤入りのスカーフのほうがましだと思う。
 
 持って歩こうと思うデザインの手持ち扇風機って、どんなのになると思うか、という話もしたのだが、えー。全体的にピンクのとか白いのとか、色が違うのぐらいしか思い浮かばない。もし高級化したとしたら ゴールドやシルバーやブロンズ色のアクセサリーのような金属のフレームに、透明樹脂でつやつやした羽がこう…いや、いっそ象牙っぽい艶消しの白い羽が?とか言いあいながら笑えてしまった。

 そんで5000円とかするんだきっと!じゃあ、ラインストーンとか、石がはめてあったりとか!それで値段が5ケタ。
 考えてはみたが、多分みんないらないよねえ。

 チタンフレームで黒の艶消しとか?と電化製品的方向に進化はするかなあ?
 あれに数千円、出したい人がいるかどうか、かなあ。
 だとしたらいっそ、携帯用ミニサイズで熱交換式のクーラーのほうが開発されそうだ。

 そういう話をして、「しかし暑いわ」「ほんと、体に悪いって」…としめくくった。
 結局あまりの暑さに、話が全部そこに行く。

 今年は9月も暑いらしい。水分補給と休憩で、あと1か月ぐらいがんばろう。
 
 

懐かしい午後

 暑い。クーラーをかけて過ごしていると、30度でもすごく暑いような気がして眠りづらかった夜。
 なるべくクーラーをつけないで過ごすようにした去年と違って、今年はクーラーを長時間入れた自覚はあるので、やっぱり30度で限界というのはまずいだろうということで、クーラーを使う頻度を減らすことに。
 クーラーをかけて寝ると体調が悪くなるのは相変わらず。かけっぱなしにしてもう絶対外に出ない…のならクーラー使いっぱなしでいいんだろうけど、それが出来ないのがややこしい。

 大体32度半を超えたらきつくなってくるのはわかっているので、それ以下の時にどうするか。
 特に31度台の時にはクーラーなしで慣れたほうが多分いい。

 かといって暑いんだよなあ…。
 毎年、どうしてたっけ。
 ハッカオイルを発掘。何年か前のものだが構わない。エタノールでちょっと希釈して、霧吹きに水と一緒に入れてハッカスプレーを作成。濡らしたTシャツを着用、首にぬれタオルをかけて、手足にハッカスプレーをかけて、扇風機の前で本を読む。

 おお、なんか涼しいぞ。これでいけそう、ばっちりだ。
 ぬれたタオルで顔を拭いたり、霧吹きのハッカ水を手足にかけたりしながら風にあたって数時間。水分補給も忘れずに。

 手足がすっかり冷える。気化熱ってすごいねえ…。部屋の湿度が上がるかもというのはあるけれども、もともと窓は全開、風が強い日でかなり風が通るのもよかったっぽい。

 3時ごろ買い物に出かけた。
 照りつける日差しと、暖かさ。
 
…あたたかさ?このクソ暑いのに?

 わかった。これはプールでさんざん遊んで体が冷えてから、熱くやけたプールサイドに上がったときの感じだ。
 でなきゃあ、市民プールから着替えて出てきて、出口のところの公園を歩いているときの感じというか。
 夏の…ただただ長かった、午後の日差し。のんびりしていた。
 プールの水はかなり冷たくて、唇の色が悪くなるまで水に入りっぱなしで遊んだ小学校のプール。
 夏しかやらない水泳教室の青と白のビート板は、端っこが欠けていた。なつかしいな。5級から1級まであって、級が上がるのは半分ずつ。たとえば5級の次は「5級の裏」で、水泳帽を裏返しにかぶるんだったっけ。
 
 冷たい手足が夏の暑さに包まれる、なんだか懐かしい感覚だった。

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    まこ

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