専業主婦と自己評価
時々読んでいるブログに、専業主婦で、子供が一人、という人の日記がある。
仕事についておらず、子どもも一人、それほど人づきあいがうまいわけでもないその日記にちょっと、自分と似たものを感じて親しみを覚えていたのだけれども。
そこの旦那さんが、アイドルが好きなのが、なんとなくうらやましく、自分に関心がないのが苛立たしい…というような話。
つい、すごいな、と思ってしまった。
「うらやましい」というのは、「自分もできる」と思ってなきゃそうならない。
たとえば、こないだ将棋でタイトルを取った、藤井七段。「すごい」とは思っても、「うらやましい」と思うのは多分プロアマどちらかの将棋の世界にいる人か、同じようなジャンルの囲碁の世界にいる人じゃないだろうか。
比べるというのはある程度比べるもの同士が似ていないと話にならない。
月とすっぽんには「丸い」という共通点が少なくとも1つはあるといえばあるが、たとえば「風車とハンカチ、どっちがすごい?」といわれたところでまともな答えなど出ないだろう。それ、なに?クイズの一種?
専業主婦だといって、ブログを書いている割に、比較対象が芸能人でアイドル、というのがすごいな、と思う。
テレビに出るような有名人というのは、虚構と事実をこね合わせてイメージを作って、時間と手間とお金をかけて演出しているのだから、取り柄が犯罪歴がないことぐらい…という自分と比べるのは無理があるので、私は有名人をうらやましいと思ったことはあまりない。遠くの、物語の中の人といった雰囲気。
すばらしいねえ、と眺めて、感心することはあっても、それだけだ。
私なら、誰がうらやましいかなあ…。
しばらく考えて思った。「面白い文章を書ける人がうらやましい」と。
あー。なんか、ちょっと思い当たる。テレビに出ているアイドルはこれっぽっちもうらやましくないが、ブログの文章が面白い人はすごくうらやましい。
なるほどな…。方向性の違いはあっても、やっぱりそういうのは自分にもある。
うらやましい、妬ましいというのはなかなか、バラバラにして調べてみるのは難しい。
うらやましいが、妬ましいに変化するのはいつなんだろう。すごく面白いブログ毎日更新している人も知っているが、うらやましいなあ、とは思っても、妬ましくはない。
こういうことってこの年になるまで、あんまり考えてこなかった気がする。
仕事についておらず、子どもも一人、それほど人づきあいがうまいわけでもないその日記にちょっと、自分と似たものを感じて親しみを覚えていたのだけれども。
そこの旦那さんが、アイドルが好きなのが、なんとなくうらやましく、自分に関心がないのが苛立たしい…というような話。
つい、すごいな、と思ってしまった。
「うらやましい」というのは、「自分もできる」と思ってなきゃそうならない。
たとえば、こないだ将棋でタイトルを取った、藤井七段。「すごい」とは思っても、「うらやましい」と思うのは多分プロアマどちらかの将棋の世界にいる人か、同じようなジャンルの囲碁の世界にいる人じゃないだろうか。
比べるというのはある程度比べるもの同士が似ていないと話にならない。
月とすっぽんには「丸い」という共通点が少なくとも1つはあるといえばあるが、たとえば「風車とハンカチ、どっちがすごい?」といわれたところでまともな答えなど出ないだろう。それ、なに?クイズの一種?
専業主婦だといって、ブログを書いている割に、比較対象が芸能人でアイドル、というのがすごいな、と思う。
テレビに出るような有名人というのは、虚構と事実をこね合わせてイメージを作って、時間と手間とお金をかけて演出しているのだから、取り柄が犯罪歴がないことぐらい…という自分と比べるのは無理があるので、私は有名人をうらやましいと思ったことはあまりない。遠くの、物語の中の人といった雰囲気。
すばらしいねえ、と眺めて、感心することはあっても、それだけだ。
私なら、誰がうらやましいかなあ…。
しばらく考えて思った。「面白い文章を書ける人がうらやましい」と。
あー。なんか、ちょっと思い当たる。テレビに出ているアイドルはこれっぽっちもうらやましくないが、ブログの文章が面白い人はすごくうらやましい。
なるほどな…。方向性の違いはあっても、やっぱりそういうのは自分にもある。
うらやましい、妬ましいというのはなかなか、バラバラにして調べてみるのは難しい。
うらやましいが、妬ましいに変化するのはいつなんだろう。すごく面白いブログ毎日更新している人も知っているが、うらやましいなあ、とは思っても、妬ましくはない。
こういうことってこの年になるまで、あんまり考えてこなかった気がする。