寒いのに!
パフスリーブの、薄い水色に同じく薄い緑のストライプで、何度も洗濯して、まあ子どものお洋服にはありがちな色褪せ具合。広がったスカートで自転車に乗るのにも不自由はなさそうだった。
薄手のコットンで半袖。この寒いのに!足は元気よく素足にサンダル……ってねえ、大丈夫なの?私はダウンベストと、薄手とはいえコートを着ていたのに!
いや…男子はね?結構みるのよ。ものすごく寒い冬のさなかに半袖半ズボンにクロックスみたいな子。昔にもいた。冬でも半袖半ズボン、足はゴムぞうり。いたけど…。女子は珍しい。
それも自転車だと体感温度の低さは相当だろう。ワンピース一枚で上着はなし。
子どもに声をかけただけで「事案」になって、学校用の連絡システムで「不審者出現情報」になってしまう昨今、男性とは違ってそれほどは警戒されないおばちゃんとはいえ声をかけるわけにもいかない。多分…多分大丈夫なんだろうけど、この現代、違う心配もある。「虐待」というやつだ。
服が足りない場合、またはお洗濯などを頻繁にしてもらえない場合は、こういう季節外れであろうとそれしかない状態になることがある。他人との付き合いが希薄になった令和の今、近所や親戚からのおさがりなどもないうちも多いだろうから、古びてはいるが実用的というのも難しいとしたら…。
まあ、ここまではっきりと目に見える感じに目立つので学校の先生あたりに目をつけられる可能性は高いから、大丈夫だとは思うけど…と自転車を立ちこぎにしてぐんぐん遠ざかっていく彼女を見送った。
「誰かがきっと対処するだろう」と思ってしまうと、誰も対処しなくなるという話のことを思い出した。
本当に虐待されているとしても、きっとその子は「これで大丈夫」というだろう。そういうものだ。
「自分が好きでそうしているのだ」と取り繕うと思う。
あの子がいい隣人に恵まれていますように。学校にちゃんと暴力を振るわれていることを知らせたり、児童相談所にも話が行っていたにも関わらず家に帰されて命を落としたお子さんの裁判の話を読んだのは最近のことだ。
アメリカだと、そういう話が来た時点で警察が踏み込んで子供を保護出来てしまう。あっという間に保護施設に送られて、それが間違いだったとしても子どもを取り戻すのにすごく時間がかかるのだが、それでも…。みんな「間に合わなかったら困るから」と受け入れているシステムだ。
もう日本もそのぐらいのことをしてもいいんじゃないかと思う。命がなくなってからでは何を言おうと、何をしようと戻ってこないのだから。
早く暖かい季節になればいい。そうしたら半袖の子どもをみても、これほど心配にはならないのに。
帰りに小学校の前を通ったら、笑いながらかけていく半袖半ズボンの男子の3人組を見た。ああ、寒そう!でも心配にならないのは多分、グループになっているからだ。
女子はなあ…。人目も気にするから、季節を反映した格好が出来る子が多いからね…余計に心配なのかも。
あの子がお母さんも頭を抱えるような、元気な女子…だといいんだけれど。
内定辞退セットに思うこと
内定をひとつだけ決めてもう就職というのは昭和生まれが就職していたころでも珍しかった。学校からの推薦枠で入ったというような就職方法でない限りは、みんないくつか内定をもらうのが典型的な就職活動だと私は思っている。ちなみに私が就職したときは、行かないと決まったときに就職活動用の本に載っている「内定を断るとき」という章を見て、電話をした。
「他所へ内定が決まったんですね、おめでとうございます」なんてあっさりしたものだった。
やはり断るのは気まずい。それは昔もおんなじだ。でも断らなくて予定されている入社式にいかないとなると会社の方に迷惑がかかるので連絡必須だということになっていた。今は、どうしよう、と思っているうちに期限切れになって連絡をしない子が増えているのだとか。
今ネットを調べてみると、断る時の手紙を書くためのセミナーとかがあるらしい。最近は、本ってないのかなあ。
電話で断るのはお手軽だが、これも出来ない子が増えているのは多分、ケータイがすごく普及したからだと思う。
昔は、お友達と電話で話をしようと思ったら「おうちの電話」にかけなくてはいけなかった。友達が出てくれるとはかぎらない。最初は名前を名乗って、「だれだれさんはいらっしゃいますか」とこう、友達を(または彼氏を)呼ばなくてはならなかったわけだ。
相手は友達、彼氏の親御さんや、おばあちゃんおじいちゃん、兄弟姉妹。全然知らない人だということも多かったから、都合ある程度丁寧にやり取りが出来なくてはならない。
気まずいような、照れくさいようなこともたくさんあった。問い合わせなんかも今だとネットからフォームに記入して…というようなことも出来るが、昔は電話しかなかったから、就職の時のやりとりもかなり電話が多かった。問い合わせをするときにそういうこともだんだん練習出来る。
どこかの会社に電話をかけても、出た人がいきなり本人だといいけれども、これも「自分の学校と名前を言って、なんとかさんをお願いします」とこれまた呼ばないといけなかった。何回もやるとどうにか、慣れてくるわけだ。
でも今はまずケータイ(スマホ含む)だからねえ。その番号にかければ、出る人は電話の持ち主確定。
お友達に電話をかけたら本人以外出ないのが基本だ。
取次ぎのやり方も知らないし、丁寧なあいさつもしたことがないまま、大学生まで来ちゃうわけだ。
メールでやり取りの就職活動で、就職したらそりゃあ…電話のやり取りの経験値が上がるわけがない。
それで電話をかけるのが怖くなるんだよね、無理もない。ちょっと気の毒だな、と思うと同時に、そういやあ、うちの息子も電話の取次ぎが出来ないねえ…とちょっと思いついた。後で実習したほうがいいな。
今会社に勤めている人で、人事権のある人はやっぱり私たちと同じような世代で、電話でのやりとりを練習してきた世代だと思う。または出来なくても勤めているうちに経験値が上がった世代だろうから、ちょっと苛立つかもしれないけれども、今の世代の新入社員候補たちのために、「内定を辞退される方はこちら」というボタンを会社のサイトに設置してはどうだろう。
学校と名前を書く欄をまずおいて、そのあとにラジオボタンで箇条書きに「内定を辞退される理由をお選びください」とかにして、「ほかの会社に内定が決まった」「思っていたのと仕事の内容が違ったので」「通勤時間が思ったより長かった」「ほかにもっと合う仕事があるのではないかと思ったから」「理由はないが、気が進まなかった」とか、並べておいて選んでもらい、下に「ご意見があればお書きください、500文字以内、とか自由記入欄を作っておくのだ。
どうせ断るのならしらばっくれて入社式にこないより、はっきりわかるほうが手続きの関係からもまだマシというものだ。
お互いのためにいいと思うんだけどねえ。
あんまり辞退が多い場合は、その理由の方を考えたほうがいいような気もするし、学校推薦枠で来ない場合は学校の方へ通達して次の年は求人を出さないとか、そういうことになるだろうけど。
いつまでも昔はこうだったというやり方は押しとおせないと思う。社会人になってからある程度は合わせないといけないだろうけれども、短い期間で社会人としての常識だ!身につけろ!というのは厳しい。入ってから教えるけど、入る前はもう、これでしょうがないんじゃあ、と思うのはやっぱり私に、息子がいるからだろうか。
どこにでも優秀な人材がザクザクくるわけではない。名の知れた大企業ならともかく、中小企業にまで回ってくる人材というのは私含めて、それほど優秀じゃないことだってある。こういう「あとから訓練でどうにかなるようなこと」で人を切っていたら人数が足りなくなる。まあ辞退する人に気を遣うぐらいなら入ってくる子にもっと気を配ってあげたいということはあるな、と思うけど。
内定辞退セットの下敷きをなぞって手紙を書くというのを見て、ペン字教室か!とつい、突っ込んでこれを書こうと思ったのでした。
オンチなウクレレ
開放弦というのは、何にも押さえないで弦だけはじいて音を出すこと。で、チューナーでその音の高さをあわせる。
これは私の耳じゃなくてチューナーアプリで合わせるので、間違っていないはず。
そしてそのあと、Cの和音を弾く。楽器を構えて上の方から、ソドミド(GCEC)とこうなるはずなんだけど、この時、一番細い弦(四弦というのか?それともこっちが1弦?)のCが、すごーくうわずる。絶対音感なんか全然ない私が聞いても、その1本だけずれているのがわかるぐらい。
チューナーを前に置くと20セントぐらい上にずれているのがわかる。
一応「フレット音痴」の楽器というものがあるのは私も聞いたことがある。ギターを弾いている友達に昔聞いた。ギターのネックには、フレットという金属棒が埋めてあり、指で弦を押さえてそのフレットに触れさせることで弦の響く長さを変化させて音程を変えることになっている。ちなみにバイオリンにはフレットがないので、奏者が耳でこの位置!と合わせて弦を押さえて弾くことになっているから、それよりは簡単に音が外れずに出せるというのがいいところらしい。
でも、ギターやウクレレは楽器にすでに音の高さが刻まれているようなものなので、そのフレットの位置が間違っているとどうやっても前後の音との間隔が狂ってしまって、そのフレットを使ったときはオンチになるということらしい。「ゴミ捨て場で拾った楽器がそういうのだった」という話を聞いたことがあったり、「何を売っているのかよくわからないお店のワゴンに山積みになっていたビニール袋に入れて売られていたギター」がそういうのだったりとかいう話を面白く聞いた覚えがある。そういうギターはもう、穴の中をのぞくと普通は製造したところの名前がわかるようにラベルが貼ってあるのだけれども、きれいさっぱりまったくラベルがなかったとか。
値段も1980円みたいな「どうやったらそんな値段に?みたいなもので、芝居の小道具用ではないかとか、中国からの廃棄品じゃないのかとか推測が飛び交ったものだ(90年代の話)。
私のウクレレが不思議なのは4弦の3フレットのCを押さえて鳴らしてチューナーで合わせておくと、5フレットも、7フレットもかなりばらつきが少なく合うこと。つまりこれは多分フレット音痴ではないのだ。
いうなれば、開放弦音痴?ってことは何がダメなんだろう。
昔なら、こういうのはギターをやっている友達とかに聞きに行けばよかったのだが、最近はもう友達はみんな散らばってしまって近くにいない。みんな仕事してて忙しいしな。
というわけでネットを調べてみた。
どうも、フレットでいうと「ゼロ」の位置にある「ナット」音痴なのでは、ということがなんとなくわかった。
これを削って高さ=響く弦の長さを変えて、音程調節をするらしい。何とも難易度が高そうな…。
この部分って取れるのかな。そう思って、弦を外してちょっとひっぱったら取れた。うわ、とれるんだ。
削ると言ったって…。全体を下げるために、底の平らな部分を全部削ったら、残りの3本の弦の高さが変わってそっちの音程が変わるよね?だめじゃん、音程を変えたいのは4弦だけなのだ。
ちなみに残りの3弦をフレットを押さえた時とそうでない時でチェックしてみたら、どれもある程度は上ずることがわかった。ただ4弦が上ずる程度がひどいだけ。つまり残りの3弦は私の耳ではわからないぐらいには、ずれがあるけれども、問題になるのは4弦だけってことだね。
エレキギターにはどうもそれ用の機構がついているらしいけど、ウクレレ、それも2400円のにはそんな上等なものはついていない。高かったら多分製造工程で調整してあるだろうし。
今ある部品を削るのは怖いしなあ。調べてみたら部品は買えるっぽい。といっても600円ぐらいはする。えー。2400円のウクレレを600円かけて直すのか…。弦にすでに750円かけちゃったしなあ。
ちょーっとそこまでは。
いいこと思いついた!絶対音感がある人には無駄だし、音程を聞き取る能力が悪いからこそ使える手だけど、4弦だけ、10セントぐらい低めに合わせておく。
そうするとあら不思議、Cの和音を弾いたときには違和感が減る。開放弦のAが下に10セントずれて、和音を弾いたときのCが上に10セントぐらいずれるんだけど、20セントずれるとはっきり聞こえてしまうのに、10セント「ぐらいなら」私の耳は感知出来ない。
ピアノの先生が聞いたら「キモチワルイ」と絶対言うだろうな(先生には絶対音感がある)。
しばらくこれで何とかしよう。出てくる和音はCとFが多いのでこうなるんだけど、どうせ自分しか聞かないしね。部品とか工具とか、面白いので買って遊んで、これはお金がかかるとなったらもうちょっと高い楽器をお小遣い貯めて買おう。
この音程の悪い感じが、逆にいいのかもなあ。力のぬけっぷりというか、能天気な感じがいい。チューナーで1、2、3弦合わせてから和音を弾いて、4弦は気持ち悪くない程度に合わせるのに決定。
何を弾いても、真っ昼間の南国の砂浜で、日焼け止めも塗らずにパイナップルジュース飲んでるみたいな、そんな曲に聞こえる。多分弦が低い方からとか、高いほうから順番に並んでいるのではなくて、1本高くて、そのあと低い順に3本というのがそういう風に聞こえる秘密なんだと思う。
ひとりの夕飯
私は行かなかったのは、別にスノーボードをやりたくはないから。スノーボードとかスキーとかをしに行く場所というのは、それ以外の観光資源があんまりないところが多い。スキーとスノーボードをやらないなら荷物番ぐらいしか出来ないのだ。
おいしいものを食べる家族旅行はまた今度全員でやることにして、私は家で趣味を堪能しましょう、というのが今回の旅行(にいかない)の目的。
絶対に料理しない。
基本、掃除というのは1日ぐらいすっ飛ばしても大丈夫。洗濯もまあ、次の日に大量になるが飛ばしても大丈夫だが、料理はなかなかそうはいかない。家でゆっくりしたいと家族の誰かが思うと、外食せず家でご飯を食べたいということになるし、そうなると朝から晩までのうち、少なくとも1度や2度はご飯を作成、そして後片付けが必須になる。
そんなわけでうちでは一番休みづらい家事は料理。旅行のいいところは「三食自分で作ったのではないごはんが出るところだ」というぐらいなのだが、それを今回は家でやろうという魂胆だ。
まず朝ごはんは前の日に買っておいたパン。飲み物はティーバッグと電気ポットでいれる。これぐらいならまあ、出先のホテルでもやるからってことで。
昼ごはんは、近所のパン屋さんのパン。とってもおいしい菓子パンや調理パンを売っているお気に入りのパン屋さんで、ちょっとお高いので特別なときに食べることにしているパンを食べる。チーズにナッツたっぷりのモチモチしたパンと、おいしそうなナッツの載ったデニッシュ。手芸の材料を見て回る。
夜は冷蔵庫に入れておいたシチュー。
これは断じて残り物ではない。これは夫と息子と夕飯を食べた昨晩のメニューといえばそうだが、これはわざわざ一人前余計に作成して今日の夜に備えておいたもので、言うなれば「作り置き」。
電子レンジであたためれば熱々で、お皿一枚で大丈夫。
お皿を洗うのは明日にして、空き時間のすべてを手芸に投入。11時にベッドにもぐりこんだ時にはとても充実感があった。
旅行に行くより、いいかもしれない…。掃除せず、洗濯せず、料理せず、趣味だけ時間たっぷり。
たまには、こんな日もあっていい。誰にも気を遣わず、好きなことだけする日。
ずっとこんなことしてたら、それはちょっと体に良くない気もする(メニューが偏るから)けど、こんなことは半期に一度ぐらいだからねえ。
面白かった。
家事休暇のあと
裁縫で布を裁断したり、型紙を作ったりとかしたのに片付けを全くせず作業を進めることだけに没頭したり、台所も朝から晩まで全く片づけなかったので、かなり家が荒れている感じがする。
夫は私が病気になったりしてこういう風になったときに「家が荒廃している」と表現していたが、まさにそれ。
ゴミ箱はいっぱいいっぱい、床には朝一番で夫と子供がバタバタと出て行ったときの旅行の準備の残骸がまだ残っており、布の裁ち屑とか、糸くずとかが落ちていて、流しには洗っていない食器がたまり、掃除をしていないのでそこはかとなくほこりっぽい。
今日も夫と息子が帰ってこないので趣味のことだけにしようかとも思ったが、台所とリビングの荒れた感じに居心地悪さを感じる。洗濯をして、旅行準備の残骸を片付け、ごみを拾ってホコリ取りモップを電気製品にかけてから床をモップで拭き、掃除機で集まったごみを捨てたらやっぱりすっきりした感じがする。
毎日それほど役に立ってないかも、と思ってやっている掃除や皿洗いだけれども、やらないとやっぱり、荒れてくるんだなあ。
それほど片付いているわけでもない、雑然とした部屋だが、打ち捨ててあって荒廃しているのと、掃除はしてあるのとでは違うのがよくわかった。
居心地のいい家をキープするのは面倒なときもあるけれど、ちゃんとやった分だけ居心地がよくなっているのだと実感するのは、ハウスマネージメント業(主婦業ともいう)者として必要なモチベーションを保つのにいいことだと思う。
あんまりはっきり見えない家事だけれど、全体の居心地をアップするのって、ちょっとしたことなんだよね。
ゴミ箱がいっぱいになると、ごみ箱にかぶせておいたゴミ袋を箱の縁から持ち上げて立てて、ごみがこぼれないようにしておくという非常用手段を取る夫だけれど、こういうのって捨ててくれるようにならないかなあ。
ちょっとしたことが違うんだと彼にわかってもらうのはなかなか難しい。
魔法の粉の袋自作

たとえばキーホルダーとか、ポスターとかは作れないけれど、袋なら…作れるかもね?と思いついて、確認してみた。どんな袋なんだろう?
まあ、大体わからんでもない。口が上の方でひもでしばってある袋で、多分底が丸い。
画像から行くと、たまご色か、薄茶色か、といったような色で、底の方がレンガ色、かなあ…?
途中に白の切り替えがある。

いいなあ、ちょっと作ろうかな!という話を夫にしていたら息子が「オレも体操服袋ほしい」と。あー。今の体操服袋は小学校の途中に作成して使ったが、大体設計がギリギリすぎて冬に体操服の上から着る(途中で許可になった。低学年の頃は真冬でも長袖のシャツ一枚と半ズボンだった)ジャージとトレーナーをいれたら容量オーバー、力任せに押し込んで破れたところを共布で補修してあるという状態の袋。
新しく持っていく袋にしてはあんまりなので新調してやったほうがよさそうとは思っていたものの、もう面倒だしスポーツブランドのロゴでもついたテキトウな袋を買ってやるつもりだったのだけれど。まだ手作りでもいいと思ってくれているということにちょっと驚きがあった。

白は真っ白よりはちょっと生成り寄りだろう。
普段は袋作るのにこういう面倒なことはしない。一枚の布を袋の大きさに切って縫うのだけれど今回はこの白の切り替えがあるからね…。しょうがない、帯状に切って、つなぎ合わせてまず材料を作るところから。
この写真撮ってから気づいたけど、実は薄黄色とレンガ色だけくっつけておいて最後に帯状に切って縫い代をおり込んだ白い布を上から縫い付けたらよかったのでは?
縫い代の始末が面倒だった(この写真は始末前)片方細く切って反対側の縫い代でくるんで縫っておいたので、多分破れないでしょう、うん。息子は物の扱いが乱暴だからなあ。

口のところに白で縁取りとか、内側にひもを通すための布を縫い付けるとか普段は絶対やらない面倒なことをやったので、がんばったなー。と思ったけど、やっぱりこれ、色が違うよねえ…。うーむ。
なんとなく気になって、500円の送料払って取り寄せたら(結局こうなった)、色が全然違う。
任天堂の写真とも違う。どう見ても黄色いところは「山吹色」で、色でいうとウェブカラーのgoldとorangeの中間ぐらいの色だと思う。つまり●●●gold●●●この色と●●●orange●●●の間か、この2色のどちらかで作れば十分似ている。なぜ写真に撮ってのせないのかというと、カメラで撮ってみたら、任天堂の写真みたいな色にしか写らなかったから。
これをどうこう補正できる能力は私にはない。なるほどこれが「モニタによって実物との写り方には差があります」とか通販でいちいち書いてあるあれになるわけだね。
ちなみに茶色の部分は12色のクレヨンの茶色か、教育用折り紙の茶色で十分似ると思う。
やっぱり任天堂の出す袋なんだし、山吹色みたいな色がつまり設定集に載るべき色なんだろうなあ。
それに実は無地でもなくて山吹色部分には「Z」とフクロウで出来た模様が並んでいたし、白の部分も袋の口のほうはジグザグっぽい模様が、胴体の白の部分には三角と丸の模様がついていたし、茶色の部分にも濃淡で籠目みたいなのが入っていた。
ただし、ヒモがアクリルの丸紐(しかも結構細い)なのがしょぼい。紐だけでも取り替えたらぐっといい感じになりそう。
もう一回これをモデルに作ろうかなあ。せめて色合いぐらいは似せて。
ちょっとしか違わない練乳
「パンには何をつける?ハチミツ?それとも、コンデンス・ミルク?」 (A.A.ミルン作、石井桃子訳、「クマのプーさん」より)
プーさんは思わず「両方」と答えそうになったりするのだが、このコンデンスミルクが今日のお題。
コンデンスミルクは昔は缶でしか売られていなかった。うちの近所のはもう、赤と白の缶一種類きりで、大人になるまでそれ以外の練乳を見かけたことはなかったぐらい。
いつ頃かな、イチゴを売っている季節になったとき、小さい紙のテトラパックに入った小分け製品を見るようになり、チューブ入りを見るようになったのは。
ハチミツよりも「もたない」という扱いで、缶を開けたら割と早めにと急かされて食べていたからというのと、案外グラム当たりのお値段が高いのでそれほど買う商品ではなかった。
練乳の味は大好きなのだが、カロリーの高さも半端ないというのもあった。
ある日、ドラッグストアでチューブ入りの練乳、それも歯磨き粉でいうなれば特大のチューブのサイズのが、100円で売っていた。
外国のっぽいパッケージだったので、そういうこともあるだろうな、と衝動買いした。タイとか、インドネシアとか、ベトナムとか…みたいな国の物は時々かなり安いことがある。
そして朝、トーストにかけてみた。
んんんん。違う。
あれだ、粉のやつ。脱脂粉乳の味がする。うーむーーーー。
しょうがない、安いってことはつまり材料だって安い。脂肪分をバターにしちゃったあとのミルクのほうがずっと安い。故に低脂肪乳のパックは普通の牛乳より安いのだし、それを加工したらこうなるってことなんだよね。わかるけど。
濃いめの紅茶を作ってとかして飲むぐらいしかないか…。ベトナムのコーヒーにこういうのあった気がする。
そんなことを考えている私に、夫が「どうしたの?」と。
カロリー高いけど、たまにはいいよね!と私が鼻歌まじりで楽し気に練乳をトーストにたらしていたのを見ていたからだろう。
「味がね、違うの」としょんぼりしょげた私を見て苦笑していた。
多分練乳を食べたのは10年ぶりぐらいじゃないのかというぐらい久しぶりだった。全然口にしなくても大丈夫だったのに、一度口にしたのが「コレジャナイ」感じがしたら、もう絶対「あの練乳」が食べたくなった。
小さめのチューブ、158円。悪くない値段じゃないだろうか。
いつも食べていたメーカーのものだった。
やっぱりこっちのほうがおいしく思える。
「どーーーしてもこっちが食べたくなって!」と力説する私に、夫はウケていた。
どうせカロリーが高い甘いものを食べるのなら、気に入ったほうを食べたい、そう思う。
ギター初心者は指が痛い。
指が痛い。これだ。うまく弦が押さえられないのを練習するのだが、弦がね…。ウクレレの弦みたいなやわらかいものを張ってくれればいいのに、ギターの弦って、指に食い込んで特に細いのなんか、ぷちっと指が切れるのではないかと思うような固さ。
息子もやっぱり「むーりー」となっている。
フルサイズのギターではなくてショートスケールな分、押さえやすいとネットでは書いてあるんだけど、それでこれなら、フルサイズだとどれだけ大変なんだか。
これって、私たちが根性がないだけなのかもしれないけど、初心者あるあるではないのかなあ、と思ったので、自転車をこいでショッピングセンター内の小さい楽器屋さん(一番たくさん売っているのは多分ピアノの本)へ行って、「すいませーん、ギター初心者で指が痛いんですけど、どうにかする方法はないですか?」と聞きに行った。
店員さんは、「初心者はなあ…」という顔をしたが、練習がイヤになるぐらいなら、細い弦をはるのはどうでしょう?と「エクストラ・ライトゲージ」というものがあることを教えてくれた。買ったそのままならば、多分弦は「ライトゲージ」の可能性が高いので、それより細いので押さえやすくなりますよ、と。
「じゃあ、そのエクストラライトので、一番売れている弦下さい」といって、「ダダリオ」というメーカーの一番細いというアコースティック用の弦をゲットして帰ってきた。(パッケージの番号は10-47。一番細い弦と、一番太い弦の2つの番号をつなげて書くらしい。ギターをやっている人には多分常識なんだろうけど、知らないことだったので面白かった)
エレキギター用にはもっと細い弦があるっぽいんだけど、やっぱりエレキギターの弦をアコースティックに張ったらダメなのかなあ。練習するだけなので、音質にはこだわらないんだけど。これは多分、ギターをやっている人には当たり前すぎて質問にもならないようなことなんだろうけど、もしかしてクラリネットのリードを、サキソフォンにつけたら、どうしてだめなんですか的な質問かもしれないので、後で調べよう。
というわけで帰って来てからニッパーとペンチを用意して、ネットで見て弦交換。
弦のはしっこに、小さい輪がくっついているのだけれど、弦によってくっついている輪の色が違う。これは便利だ、わかりやすい。
一番太い弦のピンが抜けない。
ぬー。しょうがないので画鋲を抜く道具をもってきてちょっとずつ抜いたけど、これもしかして専用の道具ある?
(後でネットで調べたら専用の道具があった。やっぱり…)
イマイチ巻き方がネットの動画によって違ってはっきりしない。それと切ったところがとがっていて危ない感じ。
根元で切っておきましょう、という記述と「1センチぐらい残して切りましょう」も混在しているんだよね。
念のため、チューニングするまで切らないでおいた。これ切ってから巻いている時にうっかり抜けたら、2度目は装着できないんじゃない?
一応長いほうを後から短くするのは出来るから、ということで1センチぐらい残しておいた。
コードを押さえてみたら、あ、違う。これは違う。Cのコードがちゃんと1回で鳴った。押さえやすい感じがする。
練習時間が延びそうだ。これでもうちょっとがんばろう。
知らないことをいっぱい調べることになって、これはこれで面白い。ギターは全然うまくなってないけど!
1フレットは全部押さえて、そのうえで他の糸を押さえろとか(セーハというらしい)出来る気がしない。
でもこういうのが出来ないと歌を歌いながらコードをかき鳴らす程度までもたどり着けないんだよねえ。
ま、こういうものはしつこく練習し続けるとそのうち突然ブレイクスルーが来るものなんだよね。大人の私はそれがわかっている。
一年ぐらいで、よく使われるコードが10個ぐらい弾けたらいいなあ(多分この目標はかなり低いものだとは思うけど)。
思い出を買う
最初は絶版本を探していた時にメルカリが引っかかったから始めた。前まではヤフーオークションの商品が検索に引っかかることが多かったのだけれど、最近はメルカリがポピュラーになってきたらしいというのが何となく察せられる。
古道具屋さんのような商売をしている人が多いヤフオクと違って、個人が持っていたものが多いのがメルカリ。古いサンリオの商品とか、文具店のデッドストックとか、子どもの頃にほしかったものが多くてすごく購買欲をそそる(危険だ)。
その中でも、特に目をひいたのが、昭和レトロの筆箱。
つまりあの「象が踏んでも壊れない」タイプの。
母の年下のイトコにあたる親戚のお姉さんにまだうんと小さいころ見せてもらったことがあった。
親戚でお正月に集まったときに、暇を持て余した幼児が「ちょっとお部屋で遊んであげたらどう」などと親に言われた10代のお姉さんに、大人の邪魔にならないように相手をしてもらう…というようなことだったのだろう。
板張りのお姉さんの私室には、幼稚園児が興味を持てるグッズが満載だった。まだ、背丈で年齢を判定するぐらいの年頃だったのでお姉さんがどのぐらい大人なのかはっきりとわかっているわけではなかったが、多分15、6歳だったお姉さんは気前よく千代紙などをくれた。
私はなんていいお姉さんなんだ…と当時の宝物としか思えないすてきなちよがみに感動したのだが、確かに私が中高生の時、ためておいた柄付きの折り紙のことを考えると確かに、あれは中高生には「小さい子にあげてもいいな」なアイテムだったのだろう。
壁にはサンリオのパティ&ジミーのついた鏡などがかけられており、小学校の時使っていたという筆箱が貸し出されたが、それがそういうプラスチックの箱だった。赤とピンクの中間ぐらいの色で、表面にはレリーフ、そのレリーフのまわりにはダイヤモンド型の突起がずらっと並んでいたその手触りの新しさ。
消しゴムをいれるところについた透明プラスチックのフタ。そして鉛筆削りがセットされていたり、一本ずつ鉛筆が入るように切られた溝があったり……。「ふでばこ」というのは面白いものだった。
「まこちゃんも学校へ行くようになったらね」というような会話を交わしただろうか。私は小学校へ行く年齢になったら、絶対こういうのを買ってもらおうと思った。
その2年後、入学式を迎えることになった。
残念なことに私が入学時に流行っていた筆箱は合成の皮を貼った「マチック筆箱」というものになっていた。磁石で口がパチンと閉まるもので、今でも買える。
幼稚園が「卒園祝い」としてひとりに1つずつ配るという念の入れよう。
そんなわけで同じ幼稚園に行っていた子は大抵この筆箱をもっていくことになった。男子は黒、女子は赤。
ちょっと、違うんだよなあ…。
そのあとにも筆箱を買ってもらえる機会はあった。近所の文具店で売れ残りのプラスチック筆入れもまだあった。緑の透明のと、青の透明が多く、赤は少なかったが、サンスター、ミツカン、アサヒなんていうのもあったかな。下の方の棚に押し込まれていた。
そのころ流行っていたのは「缶ペンケース」で、落とすと強烈な音と共に筆記具が飛び散るものだった。
「そんな売れ残り、やめておきなさい古臭い」
……と母は私の希望を聞いてくれなかった。うちの母は「みんなと同じように」してほしがったのだ。
テキトウな缶ペンケースを買った覚えがあるが、あんまり思い入れはなかったので柄もそれほど…あ、そうだ。多分グレーの英字新聞みたいな柄だったと思う。中に薄いスポンジのシートみたいなのが入れてあった。落ちたときにフタが開くと飛び散るし、音もびっくりするほどうるさいので、手で箱側のかみ合わせのところを外に広げたり、フタの真ん中をちょっと内側に押したりしてものすごーく開きづらいように加工してあったので、人に筆記具を貸してあげるときは不評だった。
「ぞうがふんでも壊れない」CMは知っているし、男子が象が踏んでも壊れないのなら、と上から飛び乗って割ったのを(バカだ)見たことはあるから、まだアーム筆入れは一応現役だったはずなのだけれど、手に入れずに終わった。
そんな筆箱の思い出がある私がメルカリの商品を検索すると、出るわ出るわ、昭和レトロ!
これはお姉さんが使っていた筆箱そのものでは…?というようなのや、多分同時代のものと思われるパターン違いやメーカー違い。角を丸くするなんていう配慮ゼロで角ばっているのがまたかわいい。
値段もそれほど高くはなく、1000円程度。ただ…これには問題が。
これはいつ、どこで、なんのために使うのか。
だよね…。私はもう筆箱にご用がなくなってしまったのだ。
はあ…。スポンサーが親の場合は自分の希望を押し通すのが難しいとはいえ、本当に欲しいものを手に入れておけばよかったなあ。裁縫道具入れにでもするか!
それとも小型のペンケースを買って雰囲気が似ているだけでも満足できるようにするべきか。
(結局買う方向に考えてるってことなのか)確かにアーム筆入れは大人がペンケースとして持ち歩くには大きい。
今調べると【アーム筆入れの現行品】がある!角は丸くなっているし、表面にレリーフもないが、赤と青のプラスチックの色合いはレトロのままだ。ううむ。現行品は800円。
品物を買うというより、思い出を買う感じ。いいなあ。考えているだけでもちょっと楽しい。
ひとつもあっていないオレオ
それだけではわからない。ポテトチップ?えびせん?それともサラダせんべい?と聞き返す。
「ほら、あの白いオレオ」
オレオは大体外が黒い。外側が白いのもあるけど私は見たことしかない。
「ビスコ?」
ビスコなら息子が小さいころから散々買った。でもそれなら名前は知っているはずだ。案の定違うと。
わかった、これでしょ!
これなら戸棚にある。これはうちのローリングストックで、非常食を兼ねている。普通のクラッカーだけよりも食べやすいし、案外消費期限が長いし、割とうちでは好まれるお菓子でもある。
そしてこれは外側は「ビスケット」じゃなくて「クラッカー」だから!と言いながら袋を出して来たら、違うのだそう。
「えっとね、味がチーズのやつ」
……っというとこれかー。
「白いオレオ」。一つもあってない感じがする。それでわかればエスパーだよ。あっているのは「サンドしてある」というところだけじゃないか。
息子の日本語能力というのか、説明する能力はまだまだというか、ちょっと、大丈夫なんだろうか?
夫に、これを何と説明する?と聞いたら、「チーズがはさんであるアレ」になりそうだと言っていた。まだそっちの方がわかりやすいか。ただし、ビスケットとクラッカーの区別はそれほどつけていないらしい。私は全然食べたときの感じが違うと思うんだけど、彼としては中身の味が甘いか、そうでないかというところの区別が一番大事なのだそう。
まあ、それはそうだけど。息子はチーズのほうが大好きらしく、私が出したクリームの方を食べてびっくりしたことがあるそうだ。確かにお皿に載っている状態で袋がないとわかりにくいものね。
消費期限がそれほど違わないならローリングストックは今度からチーズの方にしようか、と言ったら、「ストックにならなくなる」という意見が。つまり大好きなのでガンガン消費してしまって、戸棚にいる時間がほとんどないかもしれないって。
そんなに好きだとは知らなかった。
普段持ち歩くペンを新調
家にあるのはまず、サラサクリップ。ゼブラので、黒と赤がある。これは夫の愛用品。
10年ぐらい前は「ボールペン?そんなものどれも同じじゃないの?」と言うぐらいだったのだが、私が「いいや、絶対違うから!」と主張して、ジェットストリームや、サラサを使わせて、景品のボールペンとの違いを体感させてからこっち、すっかりサラサを気に入り、今では仕事場に出入りしている業者さんに自腹で箱単位注文しているらしい。
替え芯買ったら?というのだけれども、「面倒」で終了、本体ごと買うという大変お大尽な買い方となっている。
夫は浮気しない人だが、それは文具にも言えて、完全ゼブラ派。どのボールペンを見ても、息子がカラーボールペンの赤以外の色をたくさん欲しがった時に買ってやったのも、きれいに全部ゼブラのサラサだった。キャップ式、ノック式が混在しているが、それはあんまり気にしていない感じがする。
私も一つに決めるとしたらやっぱりジェットストリームかなあ。私の主な筆記具使用はコーラスの時の楽譜への注意書き。
楽譜の印刷は大抵黒だから、見やすいように書こうと思うと、赤?でも赤は特に目立たせたいところに書くとして普通の記号とか注意とかはじゃあ、青。
そしてコーラスにはアナログな「回覧ノート」がある。これは本番の感想であるとか、練習の要望であるとか、いろいろなことを書くことになっているノートで、なぜか全員、鉛筆書き。多分消せることが重要なのだろうからこうなっているのだろうが、見事なまでに全員、シャープペンか鉛筆で、インクで書いているひとがいない。手書きの字がきれいではない私はちょっとこまったのだが、刷って貼っている人ももちろんいない。
他のグループは大体「グループライン」でそういう意見の交換などをしているので、ここまで完全アナログのタイプが残っているのはここだけ。
そんなわけでシャープペンもついている多機能ペンがいい。
100均の4色ボールペン+シャープペンも持っているのだけれど、これには一つ欠点が。私の愛用のリュックサックにはペンをいれるポケットがついている。そのポケットにギリギリの太さ。入るんだけど、急いで引っ張るとペンの後ろ半分(と中身の芯)だけが取れてくるというとんでもない状態になる。そのあとポケットの下の方にギュウギュウにもぐって詰まったペンの先端のプラスチック部品を出すのが結構やっかいなのだった。(ゆっくり下から押し出しつつ取るとちゃんと抜けるけど)
前に【ジェットストリームを無理やり詰めたフリクションペン】もあるのだけれども、これはどうもシャープペンがくっついたのがないらしい。そりゃそうだよね、消える筆記具がほしい人が使うんだもの。
でもノートを見るとかなり長期間回覧されているっぽいし、フリクションは表からこすって裏も消える時があるし、次に書いた人が消しゴムでこすったとき消えたら困るので却下。
ちょっと、いい感じのペンがほしいな。1000円ぐらいまでのやつで(私のボールペンの「いいやつ」はこの程度)赤青黒とシャープペン。
サラサのか、ジェットストリームの多機能にしよう!と思って近所のホームセンターの文具売り場へ。
あったけどさすがホームセンター。全体的にプラスチックのお気軽ペンが多い。わかってたけどね…文具店(遠い)に行く手間を省いた私が悪いのよね…と思いながら、気づいたら「もう絶対これにする」と持っていたのはこれ。
【ぺんてるビクーニャ多機能ペン2+1】。白がね…かわいかったのよ。ネットで見たらオレンジとか茶色とかの限定色もかわいかったけど、売り場には赤、黒、濃いピンクと、紫、それからこの白があった。
最初に予定したのとひとつも合致しない。ボールペンは2色だし、ゼブラ(=サラサ)でも三菱(=ジェットストリーム)でもない、ぺんてる(=ビクーニャ)だし!青のインクも入っていないし!
でも、見かけがストライク。ちょっとつやつやしたペンなのにギラギラしていないところと、多機能にしては細い(のは多分、インクが2色だからなんだけど)感じがいい。傷みにくそう、汚れても落ちやすそうな感じなのもよかった。女性用と銘打ったペンほどきらきらしくはないが、白はとくに楚々とした感じでちょっとお嬢様っぽい(お嬢様は多分、多機能ペンを使わない)?黒はビジネスマンっぽい顔をしていた。
他のを見ても、どうもこれに目が戻る。こういうものは機能重視と思っている方だと思っていたけど、まさかのひとめぼれとしか言いようがない。決定。
インクは青に変更して、役所とか病院とかの用事は青インクでいこうか。大体の書類は青でも書いていいことになっているものね!と思って替芯をチェックしたら、あろうことか黒と赤しかない。そりゃそうだよね…。元のペンは赤黒なんだから、そうなるわよね!私が青がほしいのが無理を言っているといえばそうか。
ああ、やっぱり文具店に自転車こいでいけばよかった。花粉がこれほどとんでなきゃなあ。
0.5の芯が結構置いてあったけれども、筆圧が低めの私は太い芯が好きだ。ビクーニャはたしかすらすら書けるのが売りだったはず。そういうの他にないかな?替え芯売り場の棚の前でしゃがんで長時間芯をみるおばちゃん。うーむあやしい。
金属の細くて短い多機能用の芯はいろんなメーカーが出していて、結構どれでも合致するんだよね。
ジェットストリームの0.5はあったが、0.7の青は品切れ。だあ…ホームセンターだからねえ…しょーがないけど。
はあ…と思ったけどここで昔と違うのは、私はスマホを持っているということ。
ネットで調べよう。「多機能ペン ゲルインク」でいいだろう、うん。
検索結果をざっと見た感じだと売り場に残った青の0.7の替え芯の中では「アクロボール」というのがよさそうだ。パイロットのらしい。(後で調べたら、ぺんてるにもゲルインク「エナージェル」というのがあった)
そんなわけで、ビクーニャEXの中に、アクロボールの青、ビクーニャの赤、シャーペンの芯は息子が使っているぺんてるのBというペンになった。
ちなみに余った黒の芯は私のミニサイズ非常用カバンに入れておくペンにちょうどだったので(多分芯は7、8年ぐらい変えていない)そっちに装着、古いほうは廃棄。
こういうことをしていると、どんなペンを使うにしろ、リフィルが共通のものを使うのがいいのかもなあ、という気がする。
仕事をしていたころはいろいろとこだわったり凝ったりしていたものだけれど、今はホームセンターでありあわせを買っている。思うところないわけではないが、試し書きをしたらどれもいい感じ。時代を感じる。
途切れないし、筆圧が低くてもすらすら書けるし…まあ今時途切れるようなボールペンはもうないのかもしれないけど。
非常用のミニペンのインク=ビクーニャに元から入っていた分も、もちろんすらすらだ。
もっと早く芯を交換しておいたらよかった。息子が幼稚園の時に使い始めたペンだもの、そりゃインクもダメになるに決まっているよねえ…。確か前回使ったとき、途切れがちだし薄いな、と思っていたけれど、要は経年劣化だったってこと。小さいペンなのにちゃんと芯が交換できるんだから、覚えておかないと。
……なんて考えたら猛烈に家中のボールペンの芯を取り換えたくなった。
現代の源氏物語
とはいっても、グループで集まったときにサラッと話をしただけに終わったのでさほど長時間話せたわけではないのだが、彼女が現在お付き合いしている人は小学生のお子さんがある、既婚者なのは知っていた。
それだけでもなんていうか「都合のいい女」にされていることは想像に難くないが、もうしょうがない。もうすでに友達みんなに「やめておけば」と言われていて、とまっていないのだから。これは彼女の選択だと思うしかない。
今日書きたかったのはその話ではなくて。
彼女が言うには、「彼が私に会いたいと思っている時に胸が痛くなる」そうだ。
ロマンチスト…。という話ではなくて、実際に時々痛みを感じるのだそう。
それ、大丈夫なの……?とツッコミかけたが、黙っておいた。
そして極めつけが。
「奥さんの生霊が憑いてくるので、肩がこって、苦しくなったりして体調が悪い」
……のだそうだ。
源氏物語=平安時代に書かれた物語で、今風にいうならば「王朝ロマンス」であろう。
そこには六条の御息所の生霊によって、葵の上が悩まされるという話が出てくる。平安時代の物語に書かれた話で、私は「へー」と読んだのだが、まさかこの現代にそういうことを言い出す人がいるとは思わなかった。
私の友達の顔はかなりまじめで、ふざけて言っている感じではなかった。痛みを感じるのも、体調が悪いのも嘘ではないのだろう。感じていることを「うわー、うっそー、ウケるー」と否定することは簡単ではあるのだが、多分、感じている痛みとか、苦しさはその子にとっては事実なのだということはわかる。
気持ち、感情と、客観的な事実の差はともかくも、千年の時を越えて、男女の三角関係だの、複雑な修羅場だのに身を置いている人の気持ちというのは変わらないものなのだね。
それをどういう風に表現するかということには時代に、文化によっていろいろあるだろうけれども、平安時代と同じというところが本当にねえ…。感心するというか、なんというか。源氏物語というのはてっきり空想だけで書いたのだと思っていたけれど、紫式部のそばにも、こういう人がいたのかなあ、なんて思うとおもしろい。
友達だってもうアラフィフに足がかかろうかという年なんだし、ちょっと心配だ。
「体調が悪かったら、ちゃんとお医者さんへ行ってね」ぐらいのことは何とか言えたけど、それ以上のことはなかなか、言い出せなかった。
友達甲斐のある人でいたいとは常々思っているけれども、難しいな。
ちょっと苦々しい気分が残った。
そんなことを思っていたなんて。
かなり長時間かかる可能性がある物だったので、夕飯を全部作って、あとはあたためるぐらいで終わり!という状態になってから出た。ご飯はタイマーで炊けるし、さすがに7時までには帰れるだろう。
珍しく私のほうが夫が家に到着するより遅いというスケジュールとなった。
こんなことは本当に滅多にない。大体一緒に出掛けているか、私のほうが大体先に帰って来ることが多い。
帰ってからしばらくして、夫が言うには、1人で家に帰って来るのはかなりさびしいと。
特にリビングの照明がついておらず、なおかつ気温が低くて寒いうえに、いつもなら帰って来てから私がごはんの用意などをしたりしながら適当に話しかけてくれるのに、それがないとなんだかぽつーん、となったのだと。
「俺が話をしなくても、適当にしゃべってくれるじゃない?それがいいんだ」
…だって。ええー?それは初耳。私は家に一人で過ごすことが多いから、大体誰とも口を利かないでいるわけで、家に帰ってきた人はつまり息子でも夫でも話し相手にされる。誰かと話をしたいわけだ。話題はそんなにあるわけでなくても、読んだもののこととか、相手がそれほど興味があることではないことがあるのも承知の上で話をしている。
それに夫は適当に聞き流して、それっぽく相槌を打っているだけだと思っていた。
あんまり熱心に人の話を聞いているようにも見えなかったから、彼の相槌は私へのサービスだと思っていたのだ。
意外だ。気分よく話を聞いていたらしい。心地良いバックグラウンドミュージックのような扱いなのだろうか。迷惑なのをサービスで返事してくれているのは、優しいなあ、と思っていたのだけれど、私のおしゃべりを好ましいと思ってくれていたなんて。
すごくうれしいな。結婚してもう二十数年。それでもまだわかっていないことというのはあるものなんだねえ。
やっぱり家で、「おかえりなさい、今日はねえ…」と迎えてあげたいな、と思った。
生・のりたま
うちでは割高なので切り海苔を買わない。これはうちの実家もそうだったし、多分夫の実家でもそう。ちなみにうちでは、切り海苔をかける…というレシピの時は板海苔をハサミで切っていた。
しかしこのもらい物の切り海苔、かなり袋が大きい。こんな大きい切り海苔の袋みたことないぐらい大きい。
こういうものはチャック付きの袋とはいえ、早めに食べてしまわないと湿気るだろうなあ。
薄く味のついた海苔で、割とおいしかったのでうれしいけど、湿気らないうちに食べきるかなあ…。
そんなことをいいながら食べた1日目。
次の日の自分だけのお昼ごはん。
白いご飯……しかないな。納豆がきれていた。
あ、タマゴあった…というわけでたまごかけごはん、TKG。これはアメリカにいると出来ない。卵を生で食べるとサルモネラ菌がついていることがあるで危ないということになっている。日本の卵は殺菌されているので生で食べちゃってOKなのがうれしい。
卵にちょっとお醤油落として、ぐるぐるかき混ぜてごはんにかけてから、切り海苔のことを思い出した。
ついでにのせようっと。
なかなかにおいしい。っていうかめちゃくちゃおいしい。
あーーーー!これがつまり「のりたま」ってやつ??
そう!日本で生まれ育っていれば誰でも知っているあのふりかけ!
私だって食べたことがある。息子の弁当のごはんにもかけている。あれは、つまりこの味の真似。
たまごをごはんにかけて食べたことも、海苔をごはんにのせてたべたこともあるけど、両方はやったことなかった。
「生・のりたま、かあ…」
なんとなく「のりたま」という4文字であのふりかけそのものを指しているとしか認識していなかったけど、そうだよね、のりと卵でのりたま、なんだものね。
卵ごはんにかけると、すごくおいしいのよ!生なのよ!と夫と息子にも勧めて、休みの日に食べさせたら同じく好評だった。
ごはんも、海苔も、卵も、のりたまも知っていたし好きなのに、不思議な感じに体験に穴が開いていたという話でした。
マスク作成
3月頭に書いたメモから。
マスク大増産。3月に入っても終息する気配もないマスク不足。
ニュースもそういう話ばっかりだし、売り場の人も聞かれすぎてちょっと疲れているだろうしで、もう今年の花粉症は布マスクで乗り切ることに決定だ。
近所の手芸屋さんでダブルガーゼの白いのを運よく入手。ついでに、もしかしてこれもいけるか?というのでホームセンターのタオル売り場で10m巻きのさらしもゲット。
ガーゼで出来て、晒でダメな理由も思いつかない。32センチ幅ぐらいしかないけど、マスクは小さいしね。
90センチ幅330センチと似たような面積だと思えば、割安だともいえる。ちなみに薬局の大判の巻きガーゼはとっくに品切れ。
50センチに切った晒を、細長い筒に縫って裏返してから、縫い目を真ん中に持ってきてアイロンで伸ばしてから3重にたたんで両端を輪にしてゴム通しを作成して、2カ所縫って簡易マスク完成。重なりは6重で、ダブルガーゼでいうと3枚重ねぐらい。まあ、こんなものでしょう。
念のため倍の厚みの物もこしらえてみたけど、こっちはちょっと暑苦しい。
次にネットで見た作り方でバリバリと布マスクを作成。私たちの年齢だと「キャシャーンみたいになるやつ」というと通じるのだけれども、鼻のほうまで覆う形になるタイプ。鼻のところにワイヤーいれようと思ったら難しかった。
ガンガン作って家中のゴム紐を動員。真っ白のガーゼでこしらえると一応それっぽいよね、と自画自賛。
お裁縫が苦手というのを公言している仲良しのおともだちのところへ持って行った。
ここのお子さんはマスクがないと満員電車に乗るのが怖い、というのでこの騒ぎが始まったときに私の家にあるのを持って行ったという話で、もうそろそろどうなったにしろ切れる日が近いな、と思ったので特に気にかけていた。
絶賛された。もうあと何枚、って考えるのがイヤになってきていたそう。そうだよね…。
ちなみにご主人は花粉症で、2月中は貴重なマスクを最初は「子供に譲ってくれればいいのに」と思っていたそうなのだが、涙目で鼻水ずるずる状態がさすがに気の毒で、マスクをするなとも言えなかったと言っていた。
ちなみに昔、お友達のお母さんが作ったマスクがあったそうなのだけれど、サイズが小学生用で小さめ。なおかつ最近は闘病されていたから、ミシンどころではなかったらしかったので、手作りマスクが残っていたのがたったの1枚。それはご主人が家で愛用しているらしい。
今朝も、「どうしてこんなことぐらい出来ないんだ!」と言われ、「こんなことっていうなら、あなたがやればいいでしょ!」とけんかして、今は口も利かない状態なのだとか。
あー。ご主人もどうしてそういう地雷を踏む…。闘病なさっていたお母上は1月末に亡くなられたばっかりだ。ドレスだのスーツだのが縫える腕前のお母様は、家のお裁縫ニーズを一手に引き受けられていたのだが…。クラフト好きの方で、私もお話したことがある。穏やかでにこやかな方だった。まだまだ寂しい気持ちが抜けない時期に、そういうことを言われたらまあ、そういう反応になるのも無理もない。
それに大体こういうものには得手不得手というものがある。正直難しくはない、と思うのだが(特に畳んで2カ所縫うタイプは)クラスの40人中39人が出来る跳び箱が跳べなかったことがある私は、『そんなの簡単』とはなんとなく言えない。苦手というものはそういうものなのだ。
布マスクお子さんの分と予備含めて10枚、喜ばれてよかった。
作ったのをあげてしまったらなんとなくまた作ろうかという気分になった。次はもう白いダブルガーゼも切れたから、白いシーチングで作成。別に、ガーゼより目が細かいということはあるものの、普通のコットンでダメな理由もないだろう。晒と併せようか。
シーチングは一番真っ白なのをゲットして、今度はプリーツ付きにも挑戦。
……難しい。プリーツをたたむ、それも3枚重ねでたたむと分厚くなって、左右を折ったらもう、ギリギリすぎ。
待ち針を使わない、しつけもしない、アイロンだけでどうにかするのは無理…?あんまりプリーツを必死でアイロンでつけたら布がうっすら焦げた。
だあ。薄汚れているように見えるのもよくない!取りあえず仕上げて、漂白かけて干した(酸素漂白剤でいけた)。
うーむ、洗って干すとプリーツが汚い。型崩れするなあ。折っただけだもんね。
別布で左右を縫いくるむ方式の作り方を見つけた。そっちはプリーツが4つではなく3つになっていて、なおかつプリーツの端にステッチがかかっているので崩れにくいらしい。参考にさせてもらったサイトはここ、【SMILEWORKS25】。
晒2枚とシーチング1枚で作っても上手く行ったし、シーチング3枚で作っても別に使用に何の問題もなく。
プリーツのマスクは平らに作るので鼻のところにワイヤーをいれるのが立体タイプより簡単なのがうれしい。
夫には「楽しい?」と聞かれた。うん、割と…。
手芸というのは、作るのが一番楽しくって、出来上がったらいつ使えばいいの?というようなものも結構ある。
人に上げても「もらったけど、あんまりねえ」というものだってある。カバンとか、コサージュとか。でも、今回のマスクは「いる?」と聞いて、「え、いいの?助かるー!」という人が多いんだよね。
外にしていかないにしろ、夜にちょっと空気が乾燥気味で、唇のケアをしたあとかけて寝たいとか、ちょっと風邪のひきかけだから喉がいがらっぽいのでマスクをかけたいとか、そういう目的がある時、これがこんなにマスク不足でないのなら普通に1枚、2枚と使えばいいのだけれども、この昨今ねえ…。そう思うとこれはあっても悪くないアイテムなのだ。
全然ないよりいいし、たとえ縫い目がイマイチでも、自分で作るより楽ってこともあるしね。
コーラスの周年コンサートで腕に造花をつける曲があった。配られた花についているゴムがどうにも短めだったのでマスクゴムを買って、付けなおしたその残り、大活躍!こんなにたくさんなくてもいいのに、と思ったけど、いやいや、役にたったなあ!
ガーゼとゴムは品薄みたいだけど、いくらなんでもコットンの布までは品薄にならない気がするし、マスクもゴムじゃなくてコットンの丸紐でもいけるみたいだから、まだいけそうだ。
きっとゴム紐の会社も大増産だろうなあ。手芸屋さんはもう、ゴム紐とガーゼの在庫確認電話ばっかりだ、と言っていた。
シナモンキャンディ・改
しょうがないから2番手のを、と思ったけど、なんとそっちもないのはなぜだ!
というわけで味はマイルドだがシンプルでおいしい、ニッキ飴界のスタンダード、【春日井のニッキアメ】を買うことにした。正直これのないお菓子屋売り場ってほとんどみない。
これが品切れになる時はよっぽどの非常時だろう。ちなみにこれの兄弟に水色のハッカ飴がある…と書いてから念のためチェックしたら、ハッカ飴はパッケージと飴の包装は水色だが、飴本体は無色っぽかった。
この飴はうーんと昔からある。
ハッカ飴は結構「辛い飴」として認識されていて、自分で一袋買ってしまうと割と持て余すというのを学習済み。といってもミントタブレットに慣れた今なら、一袋行けるかも?
昔はサクマドロップのハッカだけ余ったからなあ。あれのハッカ味だけ入ったのが売っていると聞いたときはびっくりしたものだ。
花粉症のこともあるし、ハッカ飴もかってもいいな。
いや、そんなことよりも、このシナモンキャンディ。
ほどいて口にいれてびっくり。違う。私が知ってたのと違うぞ。
形が。
この飴は、四角柱の形の飴だった。口の中で角がわかる、そういう形。
でも、今日食べたこれ、角が落としてある。
多分ちょっとカット後に軽く転がすとか、そういうことがしてあるのでは?
ぐっと現代風になった気がする。
食べた感じもちょっと違う。味はあんまり変わっていないと思うのだけれど、形が違うだけでかなり印象が変わる。
あったかい紅茶をいれて、インチキシナモンティ。
ほうじ茶だったらニッキアメ。紅茶だったらシナモンキャンディ。そういうことにしておこう。
デマを聞いたとき思い出す本
コロナ騒ぎに時々報道されたデマ。
紙がなくなるとか、コロナにはこれが効くとか、もう耳にしただけでデマだとわかるようなのもあったが、そういう話を原因はなににせよ、聞いたときに思い出す本がこれ、【空気がなくなる日】。
多分小学校低学年の時に読んだ。題名がはっきりしなかったのでネットで調べたら「空気がなくなる日」と「空気のなくなる日」の両方があって、教科書にのっているのは「空気が」の方で、雑誌にある初出版は「空気の」らしい。
これは、まだラジオやテレビも普及していない時代の話。
彗星の尾が地球にかかり、その尾に含まれる水素が大気を占めてしまって、酸素がなくなり、人類は全員窒息する。
……そんな話が広がって、みんな大騒ぎに、というのがあらすじ。
それもまた全員望みもなく絶滅ではなく、広がったデマが「5分間だけなくなる」というのだからもう、傍観者としては馬鹿らしいやら面白いやら…。
でも、本の中では割と本気でその出来事が記録されているのがわかる。
あの人もそういっていた、あの人もそうだって思っているみたいよ?と話がどんどん広がって、つまり「インフルエンサー」からどんどん広がってパニックを伴って話が大きくなり、一つ突破口があったかもと思った瞬間、全員がそこへなだれ込んでいき、いつのまにか「解決策」としてまことしやかに教えあうようになり…と、つまり「デマが起きる仕組み」がすごくわかる絵本。
実話が下敷きになっているらしいので臨場感がある。
私がこの本を読んだ当時は、多分「デマ」という語彙は自分になかったように思うが、とても面白く読めたので印象に残ったのだと思う。
この本の世界を外から見ているから笑っていられるが、内側に…つまりその時にその場にいたならば、きっと私のところにもこういう話は聞こえてきただろう。
1999年に人類が滅びると信じて地下シェルター作って巨大な池を掘り、食料を何年分も備蓄して一族郎党避難した人がいたのも記憶にある。デマは後から見ると、面白いんだよね…。
こういう本のコロナウィルス版を作って、教科書に載せておけばいいのではないだろうか。
はなこちゃんはお母さんに連れられて、トイレットペーパーをかいにいかなくてはなりませんでした。
「おひとりさまひとつだからね!ついてきて!」
「おかあさん、階段の下の物入れに、いっぱいもうあるのに?まだ買うの?」
とかさ。
「僕はお母さんが、絶対していきなさいといったマスクを外してポケットに突っ込んだ。なんだか息苦しくてきらいなのだ。ウィルスにマスクは効かないという話を学校の先生はしていたのに、おかあさんはちょっとでも外に出ていくときにはマスクをしないとおこる。友達のお母さんもそうらしい。テレビもコロナの話ばっかりだ」
みたいなモノローグの入る本。
はあ…。人類の脳が何万年とか変化していない都合上、みんなデマには踊らされるように出来ているのかもしれないけど、せっかくこの現代に教育を受けて生きているのだから、もうちょっと落ち着こう。
報道も、やっぱりセンセーショナルな感じにしすぎだと思う。
そんな時にはこういう本でも読んで、ちょっと笑っておくのがいいよね、きっと。
鶏のスペアリブ??
鶏肉はしょっちゅう出る。その中でも人気は手羽先と手羽元。照り焼きの甘辛い味や、マーマレードと醤油の香ばしい甘じょっぱいタレで焼けば、夫も息子もたくさん食べる人気の夕食。
今日も手羽先が安かったので、よし、今日はこれだ!とかごに入れたら、隣のパックが目に入った。
「鶏スペアリブ」。えーっと…豚のスペアリブはこう、たしかこういう感じの…と思い浮かべてから二度見。
鶏ってそういうふうになってた?っていうかこれサイズがええと…。
なんとなくこれは鶏の手羽先に近い部位だったような気が。そんなに鶏の構造に詳しくはないけどさー。
焼いたら多分大きめの一口であんぐりと食べてしまえるような感じの骨付き肉片。ちょっとこれも買ってみよう。
手羽先と一緒にフライパンに入れて、焼いて醤油とみりんでいつもの照り焼き味に。
手をぬぐうタオルを全員分用意して、食べてみたら結構いける。ていうか、これ手羽先より食べるの簡単だ。
そしてひときれに1本残る骨。
あーー!なるほどわかった!この「スペアリブ」の名前の由来が。
この骨が1本残る感じが、豚のスペアリブに似てるんだ。
部位の名前じゃなくて、肉のタイプか、形の名前と思えば、まあそんなものか。
スペアリブの謎、見切ったり。
おいしくて食べやすいので、もう一度食べたい、リピート決定で全員の意見の一致を見た。
まあ、ちょっと小さいので、量買わないとだめだけど。
次あったらまた買おう。
ウクレレ改造
この本以外にも、同じ人の書いた「超簡単!2分で弾けるウクレレ」という本も図書館で借りたのだが、この2分の方はコードだけを弾いて、メロディは自分で歌う方式。10分の方はメロディもウクレレで弾くという違いがある。
すらすらとは行かないが結構面白い。
この本の最初の方に、「四弦を張り替える」という項目があった。
構えたときに一番上になる「G」の弦を、オクターブ下の低いG、low-Gに張り替えて演奏しましょうということらしい。
ウクレレは特に初心者が5、6フレット位までで曲を弾くと、大体小学校の時に使っていたソプラノリコーダーより音域が狭い。つまり、「どれみふぁそらし、どれみふぁ」までいくかな、いかないかな…というぐらい。
今私がつかっているのは「どれみふぁそらしどれ」までで精いっぱい、というところ。
そうなると多分弾ける曲が少ないんだよね。それを、今出している一番低い「ど」から、「ど、し、ら、そ」と半オクターブ伸ばそうというのがこのlow-Gに張替えたほうがいい理由だということだった。
それだけでも弾ける曲がすごく増えるらしい。
…というわけで、low-Gの弦というのを買いに行った。1本だけ別売り。
張ってある弦を外して、こっちに結び目を…と思ったら、全然だめ。弦が太すぎて、切ってある溝に入らない。
えーっとこういう場合はどうするんだ?とネットを調べたら、溝を物理的に広げろと。げげえ、ほんと?
紙やすりでゴリガリと溝を広げることに。うっわあ怖い。2400円だからやるけど、これ高いのだったら絶対無理。
ちょっと糸の端の結び目を止めておくところも削れちゃったりしたけど、とりあえず出来た。自己責任でお願いします系統だ、これは。高い楽器だったらやらないよ。
えい、ぎゅう、と溝に弦を押し込み、無事取り換えに成功。
「荒城の月」には低い「ラ」が登場する。弾いてみた。
うーん…響かない。張り替えた4弦だけ、響きが鈍い。元の弦に戻してみたら、やっぱりこっちのほうが響くかも。
別に安い弦だったりしたわけじゃない、ちゃんとしたメーカーものだったけど、多分これは、ウクレレのボディサイズに問題があるんだと思う。高い音がうまく響くように作ってあるのではないかねえ。
まあでも曲はあんまり不自然でなく弾けた方がいいかもと思って、low-Gの弦のままにしておいた。
花粉症が収まってくる頃に、誕生日がある。楽器、買ってもらおうかなあ。ギターじゃなくてウクレレ。
今度は2400円じゃなくて、low-G弦とhigh-G弦がすぐ取り換えられるように四弦の溝が広くなっているのを(ネットでみたら、高いのはそういう風になっているのがあるらしい)。
録音するとすっごく下手なのがわかるのが、なんとも。音が自分だけに聞こえているのが楽しくていいかも。
春を感じる時
夫に言わせると、「寝ている時に暑くなって、靴下脱ぐようになったらもう、すっかり春」なのだそう。
私はやっぱり、カイロを毎日貼らなくなったら、かなあ。
…そうだ!カイロ。貼るカイロ。買いに行っておかないと。生理痛になったときにあると違うからね。季節問わず必要なので、シーズンの最後に1箱買うことにしている。
商店街のドラッグストアへ行ったら、おおう、もうない。商品が全然ない。
ちょっと歩いて昔からある薬局へ行ったら、まだ積んであった。買えた。
私にとって「すっかり春」は、この薬局にしか使い捨てカイロがなくなったら…だな。
この薬局は昔からあるからだろうか、お客さんの年齢層が高い。冷え性が解消するのは多分若い人より遅いからね!
半そでの男の子が、長そでカットソーの若いお母さんと歩いているのを見た。
もう、春だなあ。
ちなみに私はまだ、薄手のコートを花粉よけに着ている。早く花粉が飛ばなくなるといいんだけど。
音読カードのカバー
これは幼稚園卒園の時も思った。幼稚園では要るもの、することが、あんまり小学校では役に立たないということは多い。
誰かに…。小学校に入学、通学中のお子さんがある人に伝えたいことがあるとすればどんなことか、と思ったときおもいついたのがこれ。
子どもは国語の教科書を読んでくる宿題を持ってくることがある。その時配られるのが「音読カード」。大抵、画用紙を二つ折りにした中に、題名と日付、回数と親のサインをいれる欄が印刷されたプリントが糊でくっつけてある…という体裁のものが多い。
甥姪のも、息子のも住んでいた地域と年代はバラバラだが、大体そうだった。
姪はそういうものをちゃーんとクリアファイルなどにはさんで持って帰ってくることが出来て、ちょっと角が折れたりすれたりはしたものの、ひどいことにはならなかったが、息子の場合はひどかった。
ランドセルの下の方に折れて入ってもみくちゃになっていたりする。クリアファイルも持たせていたし、連絡帳のカバーは後ろにファスナー付きの袋がついていて、プリントはここに入れてきてね、と頼んでいたのにだ。
厚紙の表紙ならもうちょっとましだろうが、色画用紙というのは結構ペラペラ。破れるのにそう日数はかからなかった。
先生にもう一枚くれというのも無理がある…ということで一年目は似たような色の画用紙を買い、自作。
これにはコツがある。まず、これ。【埼玉福祉会粘着剤付きフィルム】。これは、図書館の本にかかっているようなフィルムで、何種類か買ったけれど「埼玉福祉会」のが一番貼りやすいと思う。
この埼玉福祉会の直接販売のサイトにリンクを張ろうと思ったのだけれども、一般向け商品がみつからなかった。50メートル巻きはさすがにいらないな。
ちなみに文具屋さんでは「ピッチン」という名前で売っている。これを音読カードにブックカバーのように貼る。
折れてもなんとか持ちこたえられる強度がつくし、油性ペンでないと書けないような表紙になるので落書きが減るし、角が折れて千切れる事故も減る。
これは初めて音読カードを使う宿題が出た時に、子どもから預かって貼るのが吉。
ママ友さんが遊びに来た時、一年生の息子が床に放り出していた音読カードを見て、「いいなあ、XX小学校はこういうのもしてくれるんだ?」と言われたことがある。
いや、これは自分でやったんだよ、そうしないとボロボロになるからねえ。と言ったら、いかにそこのおうちのお子さんの音読カードがひどい状態か…という話が聞けたことがある。
「やっぱりこういうの、しないとだめか…」とその人はがっくりしていたが、ボロボロなのを見ているのがイヤなら、するしかない。なんせ低学年男児は「そんなことどうでもいい」という子が結構いるから。
消しゴムが真っ黒で鉛筆の芯の折れたのが暇つぶしにぐさぐさ刺してあって、消したら汚れるような消しゴムでも、先生から配られたお知らせのプリントが学校の机の中でジャバラになって何枚も死蔵されていても、筆箱の鉛筆が全部芯がギリギリまで使って丸くなっていても「そんなことは気にもならない」のが男子…。
生まれてからこっち、ずっと女子だったお母さんたちにはちょっと理解しがたいだろうし、「うちの子、大丈夫なのか…」と思うだろうけれども、話に聞く限りでは「あるある」のよう。
音読カードがちぎれてボロボロで、だんだん面積が減って滅失するんじゃ…という状態を回避するにはフィルムを貼るこのひと手間が必要ってこと。
結局6年貼った。
絶対いいコツだと思うんだけど、このコツはもう使わないので、誰かに伝授したかった。
がんばれ、小学生のお母さん(特に男児の)。
物持ちがいい話
私がボールペンを新調して、ついでにボールペンの芯を替えた話をしたら、母が、「うちのもやってほしいのがある」と言い出した。
「ちょっと前まで書けた」というのだが、この場合の「ちょっと」というのは20年ぐらいの幅があるので注意だ。母にとっては2000年ぐらいからあんまり時間が進んでいないのでは、と思うときがある。
出てきたのが左の写真のこれ。ちょっとちょっと!昭和!昭和だから!これはあれだ、「平成ジャンプ」。平成はなかったことになってる?
これは私ぐらいの年齢の人には覚えがあるのではないだろうか。三菱UNIの「COMPO」。蛍光ペンとボールペンのセットとか、ボールペンとシャープペンシルのセットとか、あと蛍光ペン3本のもあった…かな?高いやつだと工具が入っているのもあった気がするが、ボールペンとシャープペンのや、ボールペンと蛍光ペンのセットのは銀行の販促用粗品とか、地域の商店街の福引の商品とか、地域の運動会の三等ぐらいの景品として配られていた記憶がある。
鉛筆で両端を削ったものは私が育った場所では「貧乏削り」と呼ばれていたが、つまりそれのボールペン版。ぱっと回して黒と赤の使い分けが出来るので便利だと思っていたのだけれど、こういうタイプのボールペン、今みないねえ…。どういう仕組みになっているんだろう。
ただ2本の筆記具のセットなのじゃなくて、このホルダーにぐっと装着しておくとバラバラにならないというのが売りだったのだと思う。
これが「ちょっと前」まで書けたのならうんと優秀だなあ。さすが、油性ボールペン。
ちなみに蛍光ペンも書けるのは書けた。ちょっと薄かったけど、すごいぞ三菱。多分全然使ってないから?
先が細くて短い芯だ。うちの母は、これが普及型の芯をぱっと買ってさっと入れるのと全然違うことをわかって…いるわけないわな!まずこのタイプの芯見ない。これは学校の先生とか職場で使っている一番安いキャップ式ボールペンに多いタイプの先だ。多分三菱のボールペンにまだあると思う。でも、先はともかくこれ、長さが…。
それにこれ、芯を取り換えることを想定していないんじゃない?先のところ、ネジって回して外れるようになってないし! しょうがないのでペンチではさんで無理矢理引き抜いた。プラスチックが柔らかめだったので無事外れて、はめ戻せる感じ。優秀。
実家の近隣のスーパーの文具売り場にこんな芯があるわけもなく、しょうがないので長さだけ同じのを買ってきて、父親の工具箱のドリルを借りてプラ部品の穴をちょっと大きくして、無理やり押し込んで終了。ちなみに両端ボールペンは、芯が湾曲しようとなんだろうと、両側から押し込んであるだけだった。それでいいんだ?
合う替え芯があるかないか、ではない。どうやったらうまくはまるのかという感じだった。
きっとこのCOMPOはまた、今から10年使用されるのであろう。
「まだ新しいのあるのよ、持って帰らない?」
…まだ、あるんだ…。
ボールペンとシャープペンシルのものをゲット。近所の地方銀行の粗品だったらしく、粗品の袋にはいったままだったところがなんともねえ。
この両端式ボールペンがなつかしくて。とりあえず家に帰って同じように芯を無理矢理交換。
電気ドリル便利。
しかし「物持ちがいい」という言い方があるけど、ちょっと物持ちよすぎだろう。
実家がごちゃごちゃしている理由が分かった気がする。
サイズぴったりの黒いパンツ
合わせやすいし、形によってカジュアルになったり、「ちゃんとした」感じになったりするが、一枚ぐらいあっても絶対に困らない、そういう服だと思う。
私の服にもあるんだけど、これがね…。
大体スタイルがモデルさんからはかなり遠いので、「合うズボン」は貴重。
どれを履いても大体ぴったり、などというステキな話はまずないので、「大体あっている」というか「履ける」かどうかというのが判断基準になる。
ぴらぴらしたリボンを結んで履くのだとか、ぴかぴかした飾りが腰のあたりにバックルのように縫い付けてあるのとか、へんにふわふわしたのだとか、その反対にやけに足首が絞ってあって脱ぎづらいのとか…。意外と間違いなくシンプルで全く特徴がないもの、というのがなかった。
ぴらぴらリボンはなんとなく好きではなく、謎の金属のぴかぴかクロームメッキが縫い付けてあるのはまあ、見えないように上から服をかぶせてきていたが、これがなきゃいいのに、と毎回思うし、ふわふわのはどうも外でトイレに行くときにじゃまっけだし…足首が絞ってあるのは、せめてすそがもう2センチ、ストレート気味ならなあ…と不満に思っていた。
気に入らない順に長持ちするのが(それはつまり履かないからだね)何とも言えない。
息子の学生服の洗い替えでも買うか…と暇つぶしにネットショッピング。
「どんなサイズでも、必ず見つかります」
おお…なんと頼もしい。
確かにサイズは上から下までずらっとあった。結構細かい。
「どんなサイズでも」…って、私のも行けるのかなあ。そう思って試みに、もうそろそろ古びてきた割と気に入っているデニムパンツのサイズを計って比べてみた。
結論からいおう。あった。
息子のと、私が入りそうな黒いズボンを注文。
息子はまあ、割とこの年ならこのぐらいの子もいるよね、という体つきなので、サイズがぴったりなのがあるのは当然だが、小太りの私の分もあるとはねえ。すごい。
そして大変シンプルなストレートの黒いズボンだ(股下サイズは計ってお店に知らせて直してもらった)。
冬物、夏物どちらも手に入るし、これからもずっと手に入る感じだし。
黙って履いていれば、これが標準学生服のズボンだとはわかるまい。まあ、ちょーっと高いけど、気に入らないズボンを何本も買うよりは。これは「毎日履いても3年ぐらいはもつ」ように作ってあるみたいだし、いいだろう。
各種サイズはメモしておいた。
学生服を売っている店に行って私が試着するのは微妙だろうから、実店舗では買いたくないが、ネットで通販だったらばっちり。
いいアイディアだった。
ちょっと遠くへお出かけ
私の生活は意外といつも通りなのは、私の勤務場所が自宅だからだろうなあ。
買い物とウォーキングを兼ねて、習い事はマンツーマンのピアノのみで、残りの習い事や集まりは全部キャンセル。
あとは歯医者ぐらいという、本当にヒマな予定表だ。
しばらくどこへも行っていない。正確にいうと大体1カ月は全然出かけていない。
なんとなくストレスがたまる…。
繁華街はともかく、もうちょっとすいているところだとどうだろう?
そう思って、県内の大きな街の商店街まで出かけた。
一応アーケードの商店街があるというのは知っていたが、前に一度行ったのは20年じゃきかないな、30年弱前に一度誰かにその駅のそばのお店に誘われていったことがある…程度の街。ほとんど初めてと言っていい。
割と観光客が多い場所でもあるらしく、中国韓国からの人で商店街が混んでいるという話もある街だったが、さすがの今は閑古鳥……とまではいかないか。でもかなりすいていた。
アーケードの商店街を隅から隅まで歩いて、おいしそうなお菓子を買い、近所にはない100均でちょっとおもしろいものがないか見て回って、文具店で新製品の鉛筆削り(すごく小さい)を買ったり、本屋で雑誌をちょっと見てから、すいている喫茶店で紅茶を飲んで帰ってきた。
かなりストレス解消したと思う。
ヨドバシカメラとか、いかにもな繁華街にも行きたいと言えば行きたいけど、やっぱりもうちょっとコロナ騒ぎが沈静化するまでは、あんまり混んでいるところにはいかないほうがいいかもしれないし。
繁華街ではなく、住宅街にある商店街というのも、楽しかった。やっぱり「初めての街」というのがいいのかな。
これでもう1カ月、がんばろう。
コロナウィルスに思うこと最近版
まだ周りにかかった人はいない感じだし、もしかしたらとっくに蔓延しちゃっているというような噂は聞こえてくるが、そんなもの聞いたところで何の足しにもならない、そんな小春日和。
まあ、もうほとんど全員がかかって免疫獲得、大体の人はインフルエンザと同じように回復するが、重症化しそうなリスク群の人は気を付けておかなければならない、という感じで終わればいいな、と思う。
ニュースもコロナ関連のばっかり見ていると気分が滅入ったり、怖くなってきたりしちゃうので注意が必要だ。
人間は何万年も進化していない。何万年前と同じ構造の脳みそを持っていて、今でも同じ原理で動いている。
つまり…50人から、200人ぐらいまでの小さな集団で暮らしていた時にちょうどいいように出来てたってこと。
情報ソースが、10人もあれば、「それは本当のことなんだろうなあ」と思っちゃっても問題ない世界で生きていたんだよね。つまり今、情報元がたった1カ所であっても、ネットで読み、ラインで読み、おしゃべりして聞き、テレビのニュースを何度も違うチャンネルで同じような感じに見ちゃうと、「絶対本当で、そこらじゅうでそういうことがバンバン起きているんだ!」と信じてしまう脳みそをしているということで。
実はかなり遠く…人力じゃたどり着けないような遠くの話でも、行ったことが10年前に1度、というような遠くの街の話でも、全部「身近に聞こえてきたこと」と同じ重さをもって「聞いておかなくてはいけない大事な情報」として耳に入れてしまう。
そうするとやっぱり「生き延びるためには、警戒しないと!」と思って準備しないといけないから、とパニックになってトイレットペーパーを突然備蓄したくなったり、夜に目がさえて眠れなくなったりする。
原始時代は耳に入る情報は近隣のものだけだから、「ライオンが隣村に出た」というのは重要な情報だ。ライオンは隣村から自分の村まで移動できてしまう。でも、「隣の大陸にライオンというものがいるそうだ」は脅威にはならない。
同じ人のことが何度も話に出るのなら、その人のことを知っていれば注意を払わなくてはならない。でも現代のように、「何名がかかりました」という情報が匿名で、何カ所かから聞こえてきたときに、私たちの脳みそはその「何名か」が毎回同じ人たちであることに気が付いて、いうほどたくさんではないと判断できるか。答えはNOだと思う。
たとえばテレビの1チャンネルで「新型肺炎にかかって亡くなった人は30人」と聞いてから、4チャンネルで同じニュースを違う時間に聞き、そのあと次の日の新聞で同じニュースを「現在かかった人1234人、死亡者30人」という風に書いてあるのを読んだら、30+30+30で90人?と感じてしまう人がいるってこと。つまり元になる情報は1つでも、3回聞いたら、「情報源が3つ」と判断しているということになる。
違う人が、違うタイミングで同じことを言う場合、これが人口200人の村で口コミしかない場合はその解釈で問題ない。3回も同じ情報が違うソースから来たのだから、ある程度の信憑性があると思っていいと判断してよかった。1万年前なら。
でも、今は…?
一億二千万人いるうち、3000人。こういう数字を具体的に思い浮かべられる人は少ない。
でも30人や60人は体感としてわかるから余計に怖い。教室に一緒にいた人全員が死ぬような気分がしてきちゃうのだね。
そりゃあ、教室に一緒にいる35人から40人のうち、30人死んだら怖いよ、うん。
次は自分か、と思うぐらいの死亡率だからね。
1000人がかかったとだけ聞いたら、高校で一学年8クラスで三学年、全員。
これならわかる人も多いだろう。全校全滅。そりゃ怖いって。
でも全国で死亡者が2ケタというのはかなり少ない。毎年交通事故や、誤嚥性肺炎や、インフルエンザでもっと死んでいるんだよね。
ただ、一億二千分の30って約分したら一体何パーセントなの?治った人ってどのぐらいいるの?とか考えた場合、なかなか数がうまく把握できない、そういうことなんだと思う。
感情というのはなかなか制御できないものだと思うけれど、この際だしニュースソースを一本に絞るか、見たり読んだり聞いたりする回数を減らしたほうがいい。私たちの脳みその構造が原始時代と変わっていないということを考えたら、情報が入れば入るほど不安になってきてしまうのはしょうがないこと。自分で環境を整えるしかない。
日本では検査の件数が少ないのでかかっている人が下方修正されているのでは、という噂は根強い。目に見えないだけにそういう想像を始めてしまうと誰も「そんなのあり得ない」とは言えないものだから。でも「もっといる」とも言えない、そういうつかみどころのないものは不気味だから、みんな情報がほしい。それが噂話としてたくさん聞こえてくると「情報ソースとしてあり」と脳みそは判断する。そう…一万年前なら、有効なんだと思う。でも今、それを信じてパニックになったところで、対処法がない。
それと、もし検査している件数が本当に少なくて、実はもっともっと広がっていて…というような怖い話が本当だとしたら、「原因不明の肺炎の人」がもっとぞろぞろ出てきてもおかしくない。でもそういう話はないしねえ。
「肺炎」ぐらいまで行けば、隠すも何も、病院で手当てしないと!と誰もが思うぐらい症状が重くなるのだから、病院に搬送、少なくとも診察までは行くはずで、隠しきれるものではないと思う。つまり「危なくなっちゃったら、病院に集結」してしまうので、検査しようとしまいと、発見されてしまう。
これは日本だと、ほとんど全員が保険を持っているので病院にかかる人が多いから出来ることで、健康保険が全員にない国……たとえばアメリカとか、イタリアもそう。あれは死んでいる人が多いのは「お金がなくって病院に行けない」人が死んでいるんだよね。厳しい話だけど。
かかって重症化した人は確かに治療が必要なのはどこの国でも。でも軽症なら、治療をするのは非効率なんだよね。軽い風邪程度で終わっちゃうから。だとしたら、やっぱり誰が罹患しているのかという犯人捜しをして不安がっているよりは、みんながしているから、とマスクをかけて顔にさわるのや、飛沫が飛ぶのをそろって防ぎつつ、手洗いうがいでどうにかするほうがいいと思う。
この「みんながしているからする」というのはマスクに限っては悪いアイディアではないのかも。
「マスクは病人がするものだ」といってマスクをしないヨーロッパの感染の広がりは早かったものねえ。
まあ、マスクは全然買えないけど、手作りマスクの広がりもある気がするし、一応仕事で使う人のところにはあるみたいだし、待つしかないなあ。
手洗い、うがい、バランスのとれた食事、睡眠。ついでに人混みを避けられる人は避けて、ストレス発散出来るように楽しいことをちょっと用意して過ごそうと思う。
楽しいお買い物(低予算編)
その次がお買い物。
予算低めで、なおかつちょっとわくわくするお買い物。他の人はもうオトナになったらやらないのかもしれないけど…これにはちょっと、いい手がある。それはガチャポン。
ゲーム内でもいいけれど、やっぱり実際のガチャポンもいい。かわいいフィギュアや小物は見ていても楽しいし、どれが当たるかなあ、というわくわくした感じもうれしい。
というわけで電車に乗って行った先のヨドバシカメラとか、秋葉原みたいないわゆる「メディアショップ」みたいなのの多いところとか、ポケモンセンターで!と言いたいところだけれど、今回は遠出が出来ないからしょうがない、近隣のショッピングセンターのでいいだろう。どうせ食料品は要るのだから、買い物にいくしね。
コツは1回か、いいところ2回までしかやらないこと。(ガチャは大抵高くても500円)
どれが当たってもちょっとうれしいな、というものを選ぶこと。
そしてどれもピンと来なかったら他をあたること。
じゃあん。今回のはこれ!
ブラック、ハイミルク、ホワイトとこのレギュラーの茶色いの、パッケージそっくりの4種類があった。
どれもかわいいなあ、と思ったのでくじ引き、茶色いのゲット。300円だったので1回にしておいた。
78円で板チョコ買って、入れたら本当にぎっりぎりのサイズだった。うーん、ひとかけらか、一列ぐらい食べてから入れたほうがいいかもしれないなあ。もし10パーセント増量だったら入らないかも?
大袋入りの明治チョコのアソート(ハイミルク、ブラック、レギュラーの個包装チョコが入っている)からいくつか選んで入れてもいいなあ。
300円でわくわくしたし、かわいくてうれしかったし、チョコはおいしいし。きっと免疫力が上がったに違いない!(ということにしておこう)
いい買い物だった。
アラビック・ヤマト
スポンジから染み出す糊を塗るようになっていて代表格は「アラビックヤマト」。よくくっつく糊だが、ちょっとだけ高かった覚えがある。
うちの液体のりは生協で頼むもので3本セット、赤、黄色、緑のキャップがついていて、細く出るようになっていたと思うが、これは多分安かった。うちで買う文房具はどれも、もれなく一番安いのが通例で、ぴしっとくっつくアラビックヤマトはちょっとうらやましいノリだった。特に工作用紙のつるつるしたカラーの面が、安い水のりではくっつかず、カッターで切り目をいれて表面をはいでから糊付けをしていた。
一度スティック糊が流行ったことがあった。また最近日本に来ているらしいけれど、ドイツのメーカーのUFUスティックという糊で、「うふ」と笑っているようだなあ、と思った覚えがある。このスティック糊は割とこのタイプとしてはさきがけで、面白がって繰りだしすぎると戻らなくなることがあって、途方にくれたり、無理やり押し込んだり。
かわいいイラストがついているもので人気があった。私も地域の子ども会で配られる福引きの景品の文具セットや、ラジオ体操の出席スタンプの賞品で手に入れたことがある。
そのあと、ローラー糊が一時的に流行った後に出てきたのがどこのだったかな?コクヨのか、トンボのスティック糊だったと思う。
気が付いたら「貼ってはがせる糊」だの、「塗ったところの色がわかる糊」だのと機能が上がったものが出てきた。
アラビックヤマトは私が息子の工作用に買ったのが最後ではないだろうか。(スティックではなくて、液体のりという指定があった)
アラビックヤマトで細胞を培養してうまくいったのがすごい、という記事を去年見たっけ。意外と使い道がありそうなものだけれど。
これを書こうと思ったのは、文具店で今日、アラビックヤマトのスティック糊を見たから。
アラビアガムはもうかなり昔にアラビックヤマトの原材料には含まれなくなっているそうだけれども、なんとなくよくくっつく気がするんだよね、この響きが。
スティック糊を手に持って眺めて、ふと見たら、巨大な、アラビックヤマト(液体)発見。400mlで、替えスポンジがいくつかついていた。すっごいな、これ。多分小さいびんに補充するのにあるんだろうね。
多分使い切らないけど、ちょっとほしい。
次に買うときは…。だめだな、400mlは。スティック糊にしよう。
マスクをめぐる話
マスクは種類問わずひとり1つです、という張り紙の下に、店員に暴力をふるったり、暴言を吐いたりする場合は警察を呼びます、とあった。
つまり、マスクがひとり1つですよ、と言われて怒って暴れたり、店員さんを罵ったりする人がいた…ということだね、これは。やれやれ、店員さんも大変だ。お客さんも大人げないというか、ひどいというか…。
買占めが起こって、手に入れたい人が手に入れられないという状態をこれだけ見ていながら、自分が買うときはめいっぱい買おうと思って、それがかなわない場合に罵ったり暴れたりする体力があるならマスクなんか作ればいいのにね。
やっぱり家庭科は全員履修にするべきかな、と思う。少なくとも簡易なマスク…布を折って2カ所10センチずつ縫って、ゴムをいれるだけ、みたいなものは小学生でも作れるし、家庭科で実習しておくといいと思う。
一度も作ったことがないものは取り掛かるのが大変だけれど、いちどやったことがあると思えば2度目も出来る人は多い。
この現代日本で生まれ育つとどうしても物が潤沢にある生活に慣れてしまうのはあるとは思う。でも、ないならないでやっていけるとか、ないならないで工夫するとか、ないならないで作るとか…というような心構えはあるほうがいいよね。
すごくお年寄りで、何もできない状態にあるとかだったら、そういう人は工夫できないかもしれないけれど、朝からコンビニに来て、店員さんになぐりかかれるぐらいなら、まだ余裕がありそうだ。
ハンカチをたたんでゴムで口元に固定できるようにするだけ、みたいな簡易な作り方だっていろいろ紹介されているのにと思うと、その殴り掛かる人は…そうか。多分情報にアクセスできないんだ。
ネットにアクセス出来ず、他の人とのつながりが少なく、市町村でやっているマスク作成講座の存在を知らせてくれる人もなく、新聞を読まず、情報源はラジオとテレビだったら、そうなっちゃうのか…。
簡単なマスクの作り方を印刷してからっぽの売り場に「ご自由にお取りください」とか置いておいた方がいいのかもしれない。厳しいなあ。私もこれから年を取るけど、気を付けて情報収集出来るようにしておかないとね。
ぱっと気づいたときには棚から商品が消えて、テレビでは新型の死ぬような病気が流行っているというニュースばっかりやって、詳しいことはわからないのに予防に効きそうなアイテムが全然買えなかったら…きっと怖いだろうなあ。
店員さんに殴り掛かった人に、「マスクはほとんど予防効果はない」と言われていることを教えてあげたら、きっともっとこわかったかもね!とちょっと意地悪なことを考えた午後だった。
キャッチセールス
しょっちゅういるので別に珍しくはない。ケータイの…今はスマホのというべきか。キャリアのお店が近隣に全種類あるので競合が激しく、お客さんは取り合いだ。
今私が契約しているスマホ会社に不満はないので、全部スルーするのだが、今日のお兄さんはしつこかった。
聞き流していたのでセリフは全部覚えていないが、最後のセリフに思わず噴き出した。
「ティッシュどうですか、貴重品ですよ!」
あはは、確かにちょっと前は売り切れてたからね!
今はもう商品戻って来てるけど。
ふきだしついでについ、受け取ってしまった。うまいというか、やられたというか…。
こういうトークが出来るのも、そういう職業には必要なことなんだろうな。
一番暇なのは誰だ
ずっと家に閉じこもっていると体に悪そうな気がするのでちょっと歩きに出る。ついでに夕飯の買い物も。
商店街には、ポケモンGOの招待レイド場がある。そこでバトルをしておくと、特別なポケモンが取れるグループ戦闘への招待状が来て、決まった時間に戦いに行くことになる。
アプリで「戦闘が出来るエリア内に入った」という感知範囲が広く設定しなおされたのは要は密集しなくても遊べるようにだろう。
決まった時間に始まる、その開始時にいるとたくさんの人が集まっているので人数上限の20人でバトルできることが多く、負けにくいので開始時間を狙っていくのが常道。
…というわけでその場所にぱらぱらと人が集まって、戦闘グループは自動で振り分けになるので、そのまま開始までの準備時間が2分。そこに、やたら大声のおじさんが通りかかった。
「あんたら、本当に暇なんだねえ、こんな時間に、何にもやることがないのか?時は金なりって知らないのか!」
…と、集まっている私たちに向かって大声で叫んでいる。
「一番暇なのは多分アンタだよ」…と全員が思ったのだが、お互い顔を見合わせて苦笑、そのまま全員でスルーした。
こういう時に出来る気晴らしというのは大切なんだよ、本当に。
時は金なり、というのは多分、もっと時間に追われる仕事をしている人のためにあるんだと思うよ。
スキマ時間がたくさんある仕事の人はそういうことは考えてないからねえ。
もっともそうなことを言っているけれども、結局暇なのは全員同じだよ、ほんと。真昼間っからさ。
人に向かって怒鳴ってるぐらいなら、人に迷惑かけずゲームしてる方が100倍マシだよねえ。
楽しみを見つけるのが下手な人というのはいるもんなんだなあ。ちょっと気の毒というか、なんというか。
梅の実が余るわけ
同じコーラス団に入っている人と話す機会があった。
カジュアルなのに、ところどころお上品な感じがチラッと見える人で、すてきな人だ。
結構長時間の練習があったときのこと(1月)。私がコーラスの練習が長くて疲れるので夕飯作ってきた、という話をしていた時に、「今日は味噌を仕込む予定があるのだ」といっていた。
味噌…。確かにあれは手作りできるのは知っている。うちの祖母は樽で味噌を作っていた。
でも、この昨今手作りするって、すっごいな!!
ちなみにバーミックスを使って、電力でこしらえるのだと言っていたがどっちにしろすごい。
そういう手作りを全然しないなあ。梅だけはジュースにするけど。
というと彼女は、梅は梅干しにすると言っていた。だろうなあ。味噌を作る人にとっては梅干しごとき、簡単だろう。
実家の山の梅がね…余るのよ。と
あーーー。この人、多分旧家のお嬢さんだ。どおりでなんとなくお上品なわけだ。おうちで山林を所有しているのだろう。
かなりの田舎に実家があるのだそうだが、柿とか、栗とか、他の果物はお猿さんとか鹿たちが食べちゃうのだけれども、梅だけは酸っぱいから動物が食べないんだって!
えー。そういう理由なんだ…?知らなかったなあ。
私の実家は田舎だけれど、梅が生えている山があったわけではなく、梅は栽培されているものだった。
なるほどねえ…おサルさんかあ…。
山の木から木へ飛び移り、果物を食べるおサルさん。すごいなあ。
鹿もいるんだね。
恵みを分け合って過ごしている、そんな物語のような世界がどこか薄青い空の下に見えた気がした。