後ろゆみ
無料音楽サービスのspotifyは案外いいサービスだった。ぼんやり聞いている分には問題なし。
とはいえ、かけたはずのプレイリストからしょっちゅう逸脱する。80年代の日本の歌謡曲をかけていたら、いつの間にかムード歌謡曲みたいなのがかかっていることも結構あって、昔ラジオからこんな曲流れていたなあ…なんて。
70年代、80年代前半あたりに幼児から子どもだった世代の場合は、家に「レコードプレイヤ―」がある家は結構あったが、それはつまり「お父さんか、お母さんが」趣味で持っているものだった。
自分用のオーディオ機器を持っている小学生は少なかったし、少なくとも私のまわりでは中学生になってからラジカセだの、小型のステレオだのを自分の部屋に置いてもらえるぐらいがせいぜいだろうか。自分の好きなレコードをずっと聞き続けるようなことはなかなか出来なかった。
アルバムはどれもこれも小中学生の手に余るぐらい高かった。今みたいに1曲ずつ買うというのは出来なかった。
確か1枚2800円ぐらいから、4000円ぐらいはしたと思う。シングルレコードというのもあった気がするけど、いくらだったんだろう。安いのでも700円だっただろうか。シングルと言いつつ、2曲聞けたけど。あれはシングルじゃなくて「ダブルレコード」というべき?
レコードが高くて買えない場合どうしたのかというと、歌謡曲を流すラジオに頼ることになる。
はがきでリクエストを書いて応募して、採用されると名前とコメントが読まれてその曲をかけてくれたりするようなタイプの番組を聞き、運よく自分が好きな曲がかかったらテープに録音して愛聴するということになっていた。
ティーン向け、洋楽好き向け、クラシック愛好家向け、中年向け、というようなリスナー別の住み分けはされていたが、動画もない、マンガも買えない小中学生の暇つぶしとしてラジオは案外聞いている子が多かったと思う。
親が歌謡曲好きなら、演歌やムード歌謡なんかもなんとなく耳に入ってしまう、そういう環境下にいた子どもは多かった。
あれは多分まだ私が小学校に入る前のこと。
ラジオの曲が何となく流れている家で遊んでいたのだが、「うしろゆみって、なんだろう」とまりこちゃんが疑問を出した。
私は当時もうだいぶ小学生向きの本が読めたから、「いろいろな言葉を知っている子」という扱いだったので、言葉の意味の質問は時々受けていた。
「えー。それしらなーい」と私は大変ストレートに知らないことを公言したのだが、「うしろ」と「ゆみ」は知っている、と見栄を張って答えた覚えがある。
「うしろ」はまりこちゃんも知っていた。
「ゆみ」は、私が確かその時、絵本で見せた。
私の持っていた薄い、真ん中をホチキスで止めた絵本に「10人のインディアン」というのがあった。
今は多分ポリティカルコレクトネスとかで差別的だと言われそうだけど、当時は羽のついたヘッドバンドをかぶり、浅黒い肌をした男の子が上半身がたすきだけの裸で革のズボンをはいている絵が描いてあって、「ひとり、ふたり、さんにんのインディアン」とまあ、歌が書いてあって、10人のインディアンまでいったら、次は一人ずつ減って行って、誰もいなくなる、みたいな絵本は「あり」だったのだ。
最後に楽譜までかいてあって、歌えるようになっていたが、そのインディアンは「弓」を持っていた。
「これが『ゆみ』だよ」と見せて、この矢を飛ばす武器だということを説明したわけだ。
協議の結果、「うしろゆみをさされる」というラジオから流れてきた歌の歌詞は、どうも「後ろから誰かに弓をうたれて、矢がささる」という大変危ないことを歌ったものであろう、という結論に達した。
わかるところをつなぎ合わせて、「とても危険な目にあっても耐える」というようなことを歌っているのだと理解した幼稚園児であった。
ちなみに正しくは「後ろ指をさされる」で、その誤解が解けたのは一体何歳のころなのか全然覚えていないけれど、突然そのことを歌謡曲の歌詞と共に思い出したのでちょっと笑えてしまったので日記でシェアでした。
とはいえ、かけたはずのプレイリストからしょっちゅう逸脱する。80年代の日本の歌謡曲をかけていたら、いつの間にかムード歌謡曲みたいなのがかかっていることも結構あって、昔ラジオからこんな曲流れていたなあ…なんて。
70年代、80年代前半あたりに幼児から子どもだった世代の場合は、家に「レコードプレイヤ―」がある家は結構あったが、それはつまり「お父さんか、お母さんが」趣味で持っているものだった。
自分用のオーディオ機器を持っている小学生は少なかったし、少なくとも私のまわりでは中学生になってからラジカセだの、小型のステレオだのを自分の部屋に置いてもらえるぐらいがせいぜいだろうか。自分の好きなレコードをずっと聞き続けるようなことはなかなか出来なかった。
アルバムはどれもこれも小中学生の手に余るぐらい高かった。今みたいに1曲ずつ買うというのは出来なかった。
確か1枚2800円ぐらいから、4000円ぐらいはしたと思う。シングルレコードというのもあった気がするけど、いくらだったんだろう。安いのでも700円だっただろうか。シングルと言いつつ、2曲聞けたけど。あれはシングルじゃなくて「ダブルレコード」というべき?
レコードが高くて買えない場合どうしたのかというと、歌謡曲を流すラジオに頼ることになる。
はがきでリクエストを書いて応募して、採用されると名前とコメントが読まれてその曲をかけてくれたりするようなタイプの番組を聞き、運よく自分が好きな曲がかかったらテープに録音して愛聴するということになっていた。
ティーン向け、洋楽好き向け、クラシック愛好家向け、中年向け、というようなリスナー別の住み分けはされていたが、動画もない、マンガも買えない小中学生の暇つぶしとしてラジオは案外聞いている子が多かったと思う。
親が歌謡曲好きなら、演歌やムード歌謡なんかもなんとなく耳に入ってしまう、そういう環境下にいた子どもは多かった。
あれは多分まだ私が小学校に入る前のこと。
ラジオの曲が何となく流れている家で遊んでいたのだが、「うしろゆみって、なんだろう」とまりこちゃんが疑問を出した。
私は当時もうだいぶ小学生向きの本が読めたから、「いろいろな言葉を知っている子」という扱いだったので、言葉の意味の質問は時々受けていた。
「えー。それしらなーい」と私は大変ストレートに知らないことを公言したのだが、「うしろ」と「ゆみ」は知っている、と見栄を張って答えた覚えがある。
「うしろ」はまりこちゃんも知っていた。
「ゆみ」は、私が確かその時、絵本で見せた。
私の持っていた薄い、真ん中をホチキスで止めた絵本に「10人のインディアン」というのがあった。
今は多分ポリティカルコレクトネスとかで差別的だと言われそうだけど、当時は羽のついたヘッドバンドをかぶり、浅黒い肌をした男の子が上半身がたすきだけの裸で革のズボンをはいている絵が描いてあって、「ひとり、ふたり、さんにんのインディアン」とまあ、歌が書いてあって、10人のインディアンまでいったら、次は一人ずつ減って行って、誰もいなくなる、みたいな絵本は「あり」だったのだ。
最後に楽譜までかいてあって、歌えるようになっていたが、そのインディアンは「弓」を持っていた。
「これが『ゆみ』だよ」と見せて、この矢を飛ばす武器だということを説明したわけだ。
協議の結果、「うしろゆみをさされる」というラジオから流れてきた歌の歌詞は、どうも「後ろから誰かに弓をうたれて、矢がささる」という大変危ないことを歌ったものであろう、という結論に達した。
わかるところをつなぎ合わせて、「とても危険な目にあっても耐える」というようなことを歌っているのだと理解した幼稚園児であった。
ちなみに正しくは「後ろ指をさされる」で、その誤解が解けたのは一体何歳のころなのか全然覚えていないけれど、突然そのことを歌謡曲の歌詞と共に思い出したのでちょっと笑えてしまったので日記でシェアでした。