LuckyDuckyDiary

くまのパディントン再読


最近、息子が読む本がないないというので私のkindleを貸したのが、これ、見られない場合は画像のリンク切れです【くまのパディントン】シリーズ。
 割と対象年齢が低く、私は小学校の低学年の頃に、このシリーズを図書館で読んだ。

 やけにマーマレードがおいしそうに思えてくる本で、この挿絵のクマのかわいいこと。
 イギリスのお話なので、「お茶の時間」や、「クリケット」など、イギリスらしい習慣もうかがえて、イギリスもの好きになったと思う。
 
 息子が、何冊か読んでからいうには、「この本は、読んでると、途中で『うぎゃーーー』ってなるんだ」というので、それはなに?とたずねると、つまりパディントンがいろいろ「やらかす」のを見ていると、こっちがハラハラしてはずかしくなってくるのだと。
 つまり、息子が感情移入しているのはパディントン本人?

 なるほどー。そりゃ、うぎゃーってなるわね。
 私は傍観者として眺めている感じでこの本を読んでいたので「おおっ」とか「うわあ!」とか、「かわいいーー!」とかにはなっても、うぎゃああ!とはならない。

 でも気持ちはわかるなあ。
 うぎゃーー!となるたびに中断するので、それほど分厚い本でもないのに、なかなか全部は読めていないそうだ。

 ああーーまたやらかす、絶対やらかすぅうう!と思いながら読むとハラハラするんだろうなあ。
 そういう読み方が出来るのは、やっぱり子どもだからだろうか。でも私はこの本そんなふうに読んだかなあ。

 軽く読める本だし、大体図書館にあるので、傍観者になってかわいいのを眺めるもよし、ハラハラしながら見守るもよしの名作だ。
 映画もあるんだけど、映画ではいろいろなところがすっとんでいて、あっという間に終わってしまうのでやっぱり本のほうがおすすめ。



*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

クマのプーさん

年末年始にのんびりしようと思って、軽く読めるものを、と借りてきた、「くまのプーさん」。軽いからこっちでいいか、と思った岩波少年文庫だったのだが、微妙に違和感が。

 もちろん原作の英語版も読めるはずで、そっちを読めば訳の良し悪しは関係ないといえばないのだけれど、日本語版は私が子どもの時に読んだので、懐かしい気分になるというおまけがある。
 
 読むとどうも、覚えているのとちょっと違うような。多分、訳が違う…?
 【前に訳が違うのがわかって旧版を買った日記】を書いたメアリーポピンズよりは読んだ回数が少ないので、きっぱりどことはわからないが、ちょっと違う。
 ネットで調べる。こういうことは割と信憑性の高い情報があることが多い。
 わかったのは最初の訳は1940年。
 そのあと、1956年に改訳。
 その次の改訳は1985年にしているのだそうで、最終の改訳はどうも1997年の愛蔵版で訳者はどれも石井桃子さん。

うーん、私が図書館で読んだのは小学校低学年だから、85年訳ではないはず。
多分56年訳であろう。

私が今回借りてきた図書館の本はみんなきれいだったので、多分全部新しいだろうなあ。割と読み継がれている本だし、多分人気がある程度ある、ということは古い本は残らない傾向がある。再版されているならなおのことそっちを置くだろう。多分85年訳か、97年訳だろうなあ。

 しょうがないな、古本を探すか、と思ったらアマゾンのマーケットプレイスの本に「1968年、第8版」と注釈のあるものがあった。本はきれいではないようだが、そういうのがなんとなくいい。私が田舎の図書館で読んだ本はたいていそういう本だった。古びていて、ぎりぎりの補修状態。黄ばんでいても、表紙と中身が取れそうだろうと気にせず読んだ。本は中身だからねえ。人気のある本は、よく本の表紙と中身のところが割れて裂けていたっけ。小さい自治体には図書館に回す潤沢な予算などというものはなかっただろうし、かなり長い間プレハブみたいな建物だった覚えがある。今住んでいる町の図書館では、まずそういう本を見ないことを思うと、やっぱり時代というのは変わっている…のか、単にこの町がいい予算を組んでいるのかどっちだろう。
 見られない場合は画像のリンク切れです【ハードカバーの2冊合本】。私が読んだのもこういう本だったはず。これと、「風にのってきたメアリーポピンズ」の2冊は愛読したなあ。
 今回買った古本は送料込み500円ぐらいだった。


 本当は訳としては現在出版されている訳のほうが正しいのだろうけれども……。村岡花子さん訳の赤毛のアンシリーズとか、瀬田貞二さんの訳の指輪物語とか、井伏鱒二さん訳のドリトル先生シリーズがいいとか、岩田 欣三さんのアーサー・ランサムの(ツバメ号とアマゾン号から始まる12巻もの)シリーズがいいとか、昔読んだのが好き、ということはあると思う。

 神宮輝夫さんのアーサー・ランサムサーガはかなりいいと思う(読んだ)し、ドリトル先生の未訳のシリーズが読める「つばさ文庫」のも、読んだらそれはそれで面白かったけど、買えるなら古いのがいいなあ。
 

ちなみにドリトル先生は見られない場合は画像のリンク切れです【井伏鱒二さん訳のもの】が買えるし、電子書籍版もある。私の誕生日兼、クリスマスプレゼントは「電子本たくさん」にしようかな!
 そう思って、ほしい金額の合計を出したら4万円ではきかなかった。

 だめだ、さすがにこんなにたくさんは頼めない。2万円なら、多分OKが出るんだけどな…。もうちょっと考える。




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アーサー・ランサムのシリーズ(電子本)

【昨日の日記】に、くまのプーさんの本のことを書いたら、とても読みたくなってしまった。私はどこかに、英語版買っていたはず。それもなんだか結構安く。
 探してみると英語版のkindleの中に入っていた。まあ、いいか…。とりあえず読んだ。この物語のプーさんは、ディズニーのアニメのとは基本的に違うクマだと思う。スヌーピーとチャーリーブラウンの哲学っぽい感じがちょっと入っているような感じと言えばいいだろうか。
 ひょうひょうとしていて、大切なことが何かわかっている、でも深くは物事を考えていない感じなのが、時々なつかしくなる。何回読んでも、遠くに置き去りにしてきた何かをもう一度手に入れたような気がする本だ。

 昨日リンクをはった井伏鱒二さん訳のドリトル先生シリーズ、実は岩波少年文庫がリニューアルしたころに一度買いそろえている。実家の段ボールにあるはずだけど、正直かさばる。今回購入決定(お誕生日プレゼント兼、クリスマスプレゼント)。本は処分しよう。
 
 アーサーランサムのシリーズは、私が子どもだったころから、絶対図書館にあるシリーズだった。厚手で、結構不愛想なヨットのマークのついた12冊のハードカバーを見たことのある人も多いのではないだろうか。

1:ツバメ号とアマゾン号
2:ツバメの谷
3:ヤマネコ号の冒険
4:長い冬休み
5:オオバンクラブの無法者
6:ツバメ号の伝書バト
7:海へ出るつもりじゃなかった
8:ひみつの海
9:六人の探偵たち
10:女海賊の島
11:スカラブ号の夏休み
12:シロクマ号となぞの鳥
この12冊。
 あれと、「王子とこじき」「さらわれたデーヴィッド」「不思議の国のアリス」「ホビットの冒険」「ニワトリ号一番乗り」「夢を追う子」などが入った福音館の古典童話シリーズが大体隣り合わせになっているという配置が多かった。

 あのアーサーランサムのシリーズも買いたい、と思って調べたらあの厚みの本を岩波少年文庫にもってくると全巻上下巻になってしまうらしく、24冊。高すぎる…。おまけに訳がちょっと違う。もう一度図書館で読みなおしてから考えよう。
 
 そうおもって、念のため英語のがいくらぐらいか検索したらね?
 見られない場合は画像のリンク切れです【英語だけど全シリーズ入って200円】ってどうなのよ!!日本語版の本を揃えたら2万円越えなのに、英語版は電子版とはいえ199円、100分の1って古本どころの話じゃない。
 
 挿絵はないのかもしれないけれど、200円なら文句は言えない。その場でつい、買ってしまった。200円ならプレゼントじゃなくてお小遣いで十分だ。
 本当は「今でも好きな児童書」という題名でこれを書き始めたけれども、アーサー・ランサムのこのシリーズが200円なら、ファンの人なら欲しいかもと思うので検索できるように題名にしてみた。

 ドトールのコーヒー1杯分だもの、英語の勉強に読むにもいいだろう。赤毛のアンからちょっと落ちるぐらいの難易度ではないだろうか。ちょっと船舶系の用語はつらいところだけれど、それは日本語版でも大差ないからね(注釈が入れてある)。
 岩波少年文庫には、私が好きだった本が多い。アリソン・アトリーとかも検索したが、なんと紙の本からして絶版、高騰している本が。しょうがない、これは図書館で読むよりないな。

 しかし、200円か…。うれしいような、どこか残念なような。

kindleで懐かしい児童書を読む

 昔大事にしていた講談社の文庫本に見られない場合は画像のリンク切れです【グリックの冒険】と、「冒険者たち」「ガンバとカワウソの冒険」があった。電子化していたので購入。アニメの「ガンバの大冒険」とはだいぶ趣が違うので注意。図書館には絶対あるんだけど…。たまに読みたくなる。



 大草原の小さな家のシリーズで、日本で一番ポピュラーなのは福音館の5冊セット。
 大きな森の小さな家
 大草原の小さな家
 プラム・クリークの土手で
 シルバークリークの岸辺で
 農場の少年
 この5冊。

これはまだ電子化していないので残念。でも、そのあとの見られない場合は画像のリンク切れです【ローラがもうちょっと大きくなった時の残りの4冊】は岩波少年文庫版で電子化している。
1:長い冬
2:大草原の小さな町
3:この楽しき日々
4:さいしょの四年間
 今でも、福音館書店の本が一番ポピュラーだと思うけれど、その本の訳と、岩波少年文庫版の訳は昔ちょっと、違和感があった。岩波書店のほうでは頭の5巻は作っていないので、福音館の方をどうしても読むことになるのだけれども、福音館の版ではローラは父親を「とうさん」、母親を「かあさん」と呼んでいた。
 昔の岩波少年文庫では、「大草原の小さな町」では、ローラは父親を「父ちゃん」「母ちゃん」と呼んでいた。
 これが違和感があるんだな!ちなみに英語では「Pa」「Ma」だった。ニュアンス的には「とうちゃん、かあちゃん」で合っていると思うけれども、最初に読んだのとずれるので気になることったら。それもあって、私はこの物語がかなり好きだったのだが岩波少年文庫のこの4冊を買っていなかった。

 何年前かな…この本が改版した時に、改訳もされていて、「父さん」「母さん」呼びになっていることが分かったときはうれしかった。というわけで、今回これもゲット。
ちなみに【英語で9冊セットの電子本】は546円であった……。安い。アメリカのアマゾンで、日本の福音館のものと同じ表紙の一番ポピュラーな出版社のものを9冊電子版で買うと34ドルするので、多分これは著作権の法律の切れ具合と関係があるのだと思う。

 

あとは…と思ったら、ミヒャエル・エンデのシリーズがおすすめに出てきた。
 「はてしない物語」とか、「モモ」とか。うーん…好きなんだけど、なんとなく再読しないな、この2冊。
 これよりも絶対再読率が高いのが見られない場合は画像のリンク切れです【ジム・ボタンの機関車大旅行】。断然こっち。続編の「ジム・ボタンと13人の海賊」もゲット。
 
 あとは国内の作家さんで、「千と千尋の神隠し」を作ったとき影響を受けたと言われる、【柏葉幸子さんの3部作】

のうちの1冊、「霧のむこうの不思議な町」を買った。この本は図書館で何度読んだか。大好きだった。

 これでしばらく読書三昧。電子書籍って字が大きく出来るからね…。2、3年前まではこんなに字の大きさのことが気になるなんて全然なかったのに、やっぱり気になり始めると電子書籍が楽なのがよくわかる。
 大人になっても、子どもだった時読んだ本が変わらず好きだ。読み方は変わってくることもあるけれど、単に楽しいというだけでも読めるのがいいところだと思う。

洋風お手玉

ブリューゲルの名画、見られない場合は画像のリンク切れです【子どもの遊戯】を最初に見たのは多分、新聞の日曜版だったと思う。
 こういう名画を1つずつ詳しく紹介するシリーズものだった。

 この中には、この絵画が成立したころの子どもの遊びが書かれている。
 鬼ごっこだとか、かくれんぼ、水鉄砲、しゃぼんだまといったような私たちにもわかるものも結構あるが、全く見覚えがなかったのが「お手玉」。訳がそうなっているだけで、日本のお手玉とは見かけが違った。

 お手玉というと私が子供のころは布で縫われた中に小豆が入っていた。祖母作のそれには、足袋のこはぜが入っていて、投げあげるとシャーンと音がしたものだ。布は2種類縫い合わせてあって、1つだけパターンが別で4つが同じの5個セット。
 1つだけ特別なのが「親」、残りの4つが「子」と呼ばれていて、親玉を投げ上げている間に子玉を一つつかみ、その手で親玉をつかんでから、子玉だけ落とすのが「おひとつ」を4回、2個ずつ手に取る「おふたつ」2回、その後に「おみっつ」+「おひとつ」と、グレードアップしていって最後は「お四つそろえて」つまり全部ひっつかんでから、落ちてくる親玉を受け止めて、残り4つだけ落とす……なんて無理無理無理!
 
 そんなことが出来るのは祖母だけだった。親玉を投げあげている間に手の甲に1つずつのせて落とす「お手載せ」、その難易度をあげた「お馬の乗り換え」、もう歌詞は忘れたが親指と人差し指で作るアーチをくぐらせる……とか様々な技があって、畳に落とすその調子のいいスタン、スタンという音と、投げ上げるたびに鳴るシャーンという音のリズムが音楽のようだった。

 きっと昔の子どもたちはこういう技術が身につくまで、何時間も、何回も、何年も遊んだのだろう。
 ちなみに昭和キッズだった私たちも似たような遊びはちょっと流行ったことがある。多分お手玉などというものを作る手間を取る人が減ったためだろう。使うのは「チェーリング」と呼ばれていたプラスチックの輪を組み合わせたものだった。真ん中が一つ、その輪に他の輪を通してかためて、重さをつけて投げ上げられるようにする。5つセットで1つだけ特に目立つように色違いに作るのはお手玉と同じだった。

 最初に全部つかんで投げ上げて、手の甲で受け止め、それをまた跳ね上げてガシっとつかんで一番たくさんとれた人から始めるというルールが珍しいぐらいだろうか。その数を競うだけのこともあったし、お手玉の「おひとつ」と同じ遊び方をすることもあった。
 今は100均でも買えるチェーリング(多分正式名称はチェーンリング)だが、当時は一箱、300円から500円ぐらいしただろうか、結構高いものだったので、私は持っていなくて貸してもらった覚えがある。
 


 話は戻って、ブリューゲルの名画のお手玉は、「羊の骨を使う」ものだった。骨!それも羊!日本で手に入る可能性は低い物体なのは確かだが、確かにスープのだしにでもして肉がなくなっちゃったあとは捨てるしかないだろうから、おもちゃに出来たんだろうということはなんとなく推測出来た。
 

どんなものか見たいなあ。そう思って何十年、フランスに旅行した時のおもちゃ屋さんで見つけた。おおお!と思って思わず買ったんだよね。ちなみに遊び方は日本のお手玉とかチェーンリングと大体同じようなものだった。床板の上でやると滑って散るし、案外難しい。
 ちょっと遊んでみたものの、これさー。正直全然遊ぶ機会ないよね、そうだよね!お手玉でさえ機会ないんだもの。
 
 子どものころに児童館とかには、「昔のおもちゃ」というものがあった。コマ、お手玉、竹返し、ぶんぶんごまなんかが置いてあったもので、暇つぶしに遊んだりしたけど、今この羊の骨を模した金属お手玉、持っていたところで何がどう……というわけでもないし、一度見てさわって試してとても満足したから、もう断捨離しようかなあ、そう思ってこれを書いた。
でも今、写真撮ったらなんだかちょっと捨てるのが惜しいような!

 子どものころ、ほしい!見たい!手に入れたい!そう思ったものが買えるのはうれしいことだった。
 それでいいんだよね。ちなみに英語の名前は「knuckle bones」。

 ローマだ、ギリシャだ……というころからあったらしく歴史は長いみたいだ。上下左右に数字を描いたりして、投げて数字で賭け事を……つまりサイコロの起源になったみたいな使われ方もしたらしい。私のは無地なので、そういう使い方が廃れた後のものがモデルなんだろうな。

 端切れで袋でも作るか……。ちなみに売っていた時はジップロックに入って、缶に入っていた。こういう変なものばっかりたまっていくよねえ。コレクションするほどでもなく、かといって捨てにくい。

つかみ取り?

新聞広告に入っているチラシで、スーパーの広告に「たまごのつかみ取り」をやらせてくれるという告知があった。
 つかみ取りは、たとえばお祭りとか、イベントとかで時々客寄せにやっている時がある。住宅展示会とかでも結構見たことがある。

 子どものころ、一度父に連れられてどこかへ行き、そこで「コインのつかみ取り」というのをやらせてもらったのを覚えている。どこに行ったかは全く覚えていないのに、コインのつかみ取りをしたことだけは覚えているの。といっても、つかんだお金は多分父親に渡してそれまでだったのだろう、自分でそのお金を使って買い物をした覚えはない。

 あとは「キャンディつかみ取り」だとか、「お菓子のつかみ取り」ならやったことがある。姪っ子たちが、お祭りでアクリルのきらきらした石みたいなのをつかみ取りにしていたのも。でも、タマゴ?生卵だよねえ?
 ゆで卵ならそうそうひどいことにはならないだろうが、つかみ取りって結構こう、ぎゅっと握って出さないと、箱の口の部分から手が出ないようになっているものだったような気がする。その場合、1つは確実だとしても、大きめだったら2個程度までか。

 力をいれてしまうとタマゴが割れるし、開いた手でも持てるタマゴって3つぐらいじゃないのかなあ。
 うんと小さいタマゴなら4つ持てるかもだけど、生卵4つもらってどうしろと。持って帰るのが大変な感じだ。
 手に乗せて持って帰る……というわけにもいかないものねえ。ケースとかくれるんだろうか。

 うーむ。ちょっと見たい。自分でやるのではなく、人がやっているところを見物するのでもいい。
 ちょっと遠いんだけど、日曜に見に行くか。いや、そうだ、きっとこう思わせるのがつかみ取りの目的なんだろうな。
 そういうことでいえば、生卵つかみ取りは面白いアイディアだ。考えた人はすごい。
 

ローンのハンカチーフ

子どもの頃に【若草物語】では、淑女たるもの、家を出るときには必ずハンカチーフを持っていくものだ、というようなことが書いてあった。
 ローンの薄いハンカチーフは上等だとか、向こうが透けて見えるようなのに、刺繍をしたハンカチが上品で素敵だとか、ハンカチは白に限るとか、赤毛のアンも、大草原の小さな家のローラも、大体そういう感じだった。

 幼稚園の頃や小学生のころの私はといえば、誕生日プレゼントに友達がくれたサンリオのハンカチを大事にしていた。
柄がかわいいハンカチを持っているというのは「いいこと」とされていた。30センチ四方ぐらいだっただろうか、小さいそれはトイレにいって手を一度拭いたら、2度目はあんまり水分が取れてくれない、そういうハンカチだった。
 サンリオのハンカチでないなら、もうあとは「ガーゼのハンカチ」であって、大体おばさんとか、おばあちゃんとかがくれるそれは、レースの縁取りが編みつけてあった。
 今から考えると大変に手間のかかった作品だったのだが、白いハンカチに薄黄色から山吹色の段染めのレースとか、プラムのような紫から、ショッキングピンクの段染めのレースだとかが多かった。緑のグラデーションのもあったと思うが、にっこりわらってありがとうございます、と受け取るしかなかったそのハンカチはあんまりありがたがられなかった。

 なぜ単色のレースではなく、毎回段染めだったんだ…。そこもちょっと疑問だ。一緒にキューピー人形なんかも家に来たりして、そのキューピーさんのドレスがまた、段染めのレース編み。キューピーのドレスを編んで残った分がこう、ハンカチの縁になっていた感じ。ご丁寧にも、お揃いでティッシュケースの入り口のところにレースが付いたのもあった気が…。
 せめて白か、クリーム色か、薄い色の単色ならまだかわいかったのでは……と思うのだが、編んでもらう前にリクエストするほどはほしくなかった。本体に柄のないガーゼのハンカチというのは基本「かわいくない」扱いだったからね。

 今ならわかる。あれは、「編むのが楽しい」手芸なのだ。自分で使う分だけじゃなくて、いくつも編みたくなってしまうタイプ。確かに手間がかかるものだが、編む面積が小さいのがミソか。
 そんなわけで私は、ガーゼのなんかじゃない、「ローンのハンカチーフ」にずっとあこがれがあった。
 高校生ぐらいになったとき、もうサンリオのなんか使わない年齢で、当時はまだ、ハンドタオルはポピュラーではなかった。
 
 ブランド物のハンカチなんか持っている子が多かったのだが、私は金欠だった。そのころぐらいか、コットンの布でハンカチを作り始めたのは。縁を三つ折りにしたコットンの白い布に刺繍をちょっとして持ち歩いていた。
 
 割と気にいっていたのだが、残念、近所の小さい手芸屋さんには「薄手のローン」なんていうものはおいていなかった。ごく当たり前の木綿の平織り布で作るハンカチというのは、ローンのハンカチより水分を吸うかもしれないが、厚いもので、デパートで「綿ローンハンカチーフ」などを見たときはその向こうが透けるほどの薄さに、「こういう布地って、どこにあるんだろう?」とおもったものだった。

 一応「白い大判ハンカチ」が冠婚葬祭用にお店にあるのは知っていたが、大抵織り柄で線が入っているのが多かった。これは「無地」じゃない!と私は思っていたのだ。
 
 今回見つけたのは【福市祐徳堂】という学校教材も卸している会社の白いハンカチ。白い木綿のキャンブリックのハンカチ(サンリオのハンカチの、色柄のないもの)とか、ローンのハンカチ各種サイズ、サテンのハンカチ、麻のハンカチ各サイズ。特にコットンは品ぞろえがよくて、20センチ角ぐらいの、小さい幼稚園児用?みたいなのから、35センチ、43センチ、53センチぐらいまでずらっとそろっていて、一番大きいのは110センチ…ってさすがにこれは風呂敷で、ハンカチじゃないけど。

 「お絵描きハンカチ」といって売っているものが多く、多分布用絵具で絵を描く図工とか、草木染とかろうけつ染めとかをやる家庭科の授業に使うのとか、そういう用途もあるのだろう。

 ローンの43センチ角ハンカチ5枚で1760円。うーむ、微妙な値段だ…と思ったけど購入。
 刺繍しよう。しかしここまで薄いと三つ折りがうまくミシンで縫えなかったかもしれないので買って正解だと思う。

 「刺繍したローンのハンカチーフ」とか「レースの縁取りのローンハンカチーフ」とか、そういうのにするんだ!
 なんとなくうれしい。
 

普通のラムネ検証

【じゅわフルラムネの話】を書いてから何日か経って、お菓子屋さんで買ったのがこれ。

見られない場合は画像のリンク切れです【春日井のラムネ】。大きいのと、小さいのが入っているのだけれど、大きいほうはちょっと、口の中の水分を持っていかれる感じがした。
 小さいほうはじゅわフルラムネと似たような感じで、えー。これ、こういう味だったっけ、結構おいしい。

 大粒の方はいらないから、小さいほうだけほしいなあ。
 私の記憶では子どもだった頃に食べた、微妙に周囲が粉っぽく、包み紙に入ったまま粉々に砕けたのを口に流し込むとせき込むような感じの(それは、多分食べ方がよくない)、駄菓子屋さんのラムネはここまでおいしくなかった気がする。

 そういやあ、そういうラムネは「どこの」と分かるようにはなっていなかった。
 「クッピーラムネ」とは別物で、多分大袋にはいっているのを駄菓子屋のおばちゃんがばら売りしていた。
 それと量り売りのお菓子屋さんで、小粒のが5つぐらいセットでひねってあるのが売られていた覚えもある。お菓子屋さんが、一斗缶から、かごに移し替えて並べているのを見たものだ。
 あれは多分決まったメーカーの物だったのだろうが、子供のころはメーカーなんて確かめたこともなかった。味は一種類しかなく、包まれているセロファンは何種類かあったのだが、どれも同じ味だった。一体どこのメーカーのだったのだろう。
 子ども会で全員に配られるお菓子には、いくつか絶対混ざっていたものだったけれども。

 やっぱり、味もアップデートしているのかなあ。

フルーツ味の春日井ラムネは、気を付けて食べれば味の差がわかる程度には、味が違うけど、まあ、好みだろうな。メロン味よりはブドウ味とかレモン味のほうが好きだ。

 あんまりメーカーもないのかと思っていたが、ネットで見る限り私が「大体こんな感じ」と覚えているラムネを作っているメーカーはいくつかあるみたい。見つけたら食べ比べよう。

 


カクダイラムネの味

【昨日の日記】を書いてから買い物にいって、近所のスーパーで見つけたのがこの左側の写真のラムネ。(画像はカクダイさんの商品サイトからお借りしました)

見られない場合は画像のリンク切れです【カクダイのラムネ菓子】。この「カクダイ」という会社は、クッピーラムネを作っている会社でもある。クッピーラムネは小袋のにしろ、プラスチックケースのにしろよくわかる見かけをしている。記憶では「普通のラムネよりも甘い」と覚えていたが、最後に食べたのは何年前だろう。

 今回は「昔も今もあった、一番当たり前だったセロファンに包まれているラムネ」を比べることにした。近所のスーパーで128円だった。春日井の袋入りラムネもお菓子の専門店でそのぐらいの値段だったから、まあ「そういうお値段」なものであろう。

 春日井のラムネが「フルーツラムネ」だったのに対して、カクダイのラムネは全くそういうことを書いていない。
 多分私が子どものころに量り売りのお菓子屋さんで見たり、子供会で配られるおやつになったりしていたのはこのラムネなんだと思う。

 セロファンの色が赤、黄、緑。それから乳白色+赤、乳白色+緑の5パターン、「因ラムネ玉」と書いてある。「因」はカクダイのマークのようだ。くちどけは、多分春日井のじゅわフルのほうがいい…かもしれないぐらい。
 カクダイのラムネは、小粒のばっかりで、くちどけも悪くない。春日井のもカクダイのも絶対昔よりくちどけがよくなっていると思う。

 味は、カクダイのほうがぎゅっとすっぱい。こっちのほうが私はいいなあ。
 春日井のフルーツラムネでいうと、「レモン味」に近いと思うけれど、香料が春日井のレモン味より控えめ。
 多分、甘めのほうはクッピーラムネが担当しているのだと思う。


 

キャンディチップが入っているのは、カバヤの見られない場合は画像のリンク切れです【のどラムネ】とか、いろどりラムネ(果実ラムネというのもあったけど最近見ない。メーカーサイトにもページがないので終売?)がおいしいと思うけれど、何にも入っていない、なおかつ柔らかいラムネは、このカクダイのラムネ玉かなあ。

 ちなみにカクダイのサイトによると、「一番古い商品」だそうで、1950年から製造されているらしい。
 アマゾンで「1キロ」とかの大袋で売られていた。

 こういうことを書くとね、もっと他のメーカーが見つからないかな!って思ってしまうのだよね。そして比べたくなる。
 春日井のフルーツラムネ、じゅわフル、それからこのカクダイラムネ玉の3つを横に並べてもぐもぐ食べたからわかるものの、バラバラに食べたら多分、どれでも大丈夫なんだけど、でもちょっと楽しい。

 昔はラムネのガラス瓶の形をしたケースに入った森永ラムネが「長持ちして」好きだった。ビンもなんだか捨てられなかったりして。でも今はしゅっととけてしまうほうがいいな。
 昔、子どもの頃のほうが口の中の水分多そうなのに、今大人になってからラムネを食べて「くちどけがいい」と言えることを考えるとやっぱり技術革新があったんだろうなあ。



 しばらくラムネを買いたくなりそう。こういう「ちょっと考えることがある」のもいい。本当に元気がない時はこんなこと思いつきもしないものね。【あべっこラムネ】が次のターゲット。
お菓子の専門店の駄菓子コーナーにありそう。
 何がいいって、フルーツラムネなのだけれど、一種類の味だけをメーカーの通販で買えるというところ。
 「メロン味要らない、ブドウ味だけほしいな」というような望みがかなうのは、なんとなくうれしいものね。

 

コーラスの周年コンサート

――終了後の感想メモから――
 練習がたったの2か月で出演させてもらうことになった、コーラスの周年コンサート。本当は出演を辞退したかったのだが、コーラスの指導と指揮をしている先生に「楽しくないなら、やめていいけど、なるべくなら」と説得されて、なおかつアルトの人数が少なかったというのもあったので、これは腹をくくるよりないな……と決心して、家で毎日練習して間違わなくなったあたりで本番(……と思ったが実は出たら一カ所あいまいなところがあって、そこは間違えた)。

 朝から舞台でリハーサル、みんなで色違いのテープを駆使して立ち位置の確認。衣装は袖なしと半袖の2種類。控室は暖房が入っていたのだけれど、舞台袖と舞台の寒いことったらない。
 おりしも団員の家族にはインフルエンザが蔓延。本人たちまではまだ来ていなかったのが幸いだったが、風邪気味で咳が出るという人が数人。のどあめ大活躍。

 みんなで「ドキドキするね…」と言いあいながら準備。
 私があんまり…いや正直に言おう。全然化粧をしていないのを見て、「本番はライトで色が飛ぶから」と年上のお姉さん、それも百貨店にお勤めのお姉さんが化粧をしてくれた。ファンデーションとアイシャドウ、チークまで塗って、眉毛を描いて、いやその口紅の気後れする赤さといったらさあ!塗ったことないよ、そんな色!

 化粧映えするから、と割と面白がって塗られてしまった。自分では出来ないのでありがたいというかなんというか。普段メガネの人もコンタクトになっていたりして、美容師さんに髪を結わせてくる人もいて(その人は、みんなもっとこういうのしてくると思ったのに、とちょっとしょげていた)、みんなきれいだった。

 コンサートは午後から。ロングスカートで転ばないのがまずは目標。
一曲目から、自分が緊張してガッチガチなのがわかる。大体、楽器はずいぶん長期間やっていたのだが、座奏が多く、立って本番というのはほとんどやったことがなかった。足が固まる。
 合唱は子どものころにやっていたけど、人数が少なくとも3、40人から200人というようなのが多く、ベートーベンの第九もやってはいたが、本当にその他大勢で、今回の全員合わせても20人以下でアルトは5人、なんていう状態が怖いのなんの!

 ちなみに、緊張していたのは客席の夫にもよくわかったらしく、あとで「こういうの向いてないよね」と苦笑された。
 体を左右に揺らして「乗って」歌うという曲もあるのだが、これも難題だった。
 200人が舞台に乗っている時にはそういうことをしないものなので(誰かがうっかり段から落ちるから)歌に集中して、動かないように歌う団に私は入っていた。
 楽器を演奏する時も、これは多分ついている先生によるんだろうか、体を結構揺らす人もいるのだけれども、私が付いた先生は、体の揺れで音楽を表現するのは「違うと思う」とおっしゃっている先生ばっかりで、アンサンブルで音の出だしを合図する時の動きはともかくも、演奏中に揺れない先生にしかついたことはなかった。

 ……となると、そういう左右揺れを演出するのがなんだか照れくさいし、すごく大げさに見えるような気がするし……というので練習の時もどうもこう、控えめになりがちで、「あんまり動かないとひとりだけAIが混じっているように見えるから」と注意される始末。
 本番は相当頑張って揺れておいたのだが、それでも「やっと違和感がない程度」ぐらいだったらしい。これはあとでみんなでビデオを見た時、「まこさん、がんばったねえ」とわざわざ名指しでほめてもらったので、これが苦手なのはみんなわかっていたのだろうな。

 これはまあ……これからの課題としよう。ちなみに後でビデオをみたら、「直立して歌う揺れないはずの曲」でも結構揺れて歌っている人が多く、確かに棒立ちの私がAIに見えるという指摘は無理もなかった。でも首を振ったり、腕を揺らしたりするのって、音に影響が出そうでねえ。声だと影響は出ないのかなあ。

 ソロというか、デュオ。2人だけで歌うのが3小節ぐらいあって、曲の頭から心臓の音が自分に聞こえるぐらいだったのだが、これはビデオを見た限りでは問題なくクリアしていた。よかった。
 ひとりで歌うとか絶対無理!と真剣に嫌がる私に先生は無理強いはなさらなかったが、多分この団の中でひとりで歌う、2人で歌うというようなパートが一番少ないのは多分私だな、という感じに采配されていた。

 先生は「一人で歌うことに挑戦する達成感」というものを大事に、という方針なので、練習の時とかにもソロパートを順繰りに歌わせたりというような方法を採ることが多かった。これも、ひとりで歌えるように……なるのかなあ。今後の課題というか、もうやりたくないというか。元気がない時には出来ないことではある。それを考えると数年前よりちょっと、持ち直しているのかも。

 休憩をはさんで後半、それから最後のアンコール曲。
 アンコールまで行ってやっと、ニコニコ笑いつつ歌う余裕が出来た感じ。作り笑顔がはりついているみたいだったのに、最後の曲だけ「やっと笑ったなあ」という感じだったと夫に言われた。
  
 終わったときには高揚感があった。そのまま、個室つきのレストランへ行って、打ち上げ。
 クッキーだの、チョコだのを楽屋見舞いに届けてくれた人が多くて、みんなで分けたらすっごくたくさんあった。

 そしてみんな飲む飲む!ちなみに飲めない!と宣言して、私は飲まなかったのと、車で来ていた人がひとり。その人以外はもう、びっくりするぐらい。ワインなんかグラスで注文するのだけれども、「たくさん入れてください」なんて指定する人がいるぐらい。普通は1/3ぐらい入っているものだと思っていたら、半分より上?みたいな水位で運ばれてきてたし。

 お子さんが1歳と、7才の2人、なんていう人たちが一番お子さんが小さいお母さんたちだったのだけれど、「久しぶりにゆっくりごはん食べたわ…」「膝に誰も乗っていない」と感慨深げだった。
 私だって「飲み会」なんて今年のお正月ぶりだし。ほとんどの人がご主人に子どもを任せて出てこられたのがよかったなあ、という感じ。

 飲んで騒いで盛り上がって、とても楽しそうだった。最初の頃からいる人は60才とかで、お子さんが30代。25年前のノロケ話を知られている間柄というものもすごいな……というぶっちゃけた話とかを聞くと、断然こっちのほうがいいなあ。大体、「どれだけうちの旦那に我慢をしているか」というような面白おかしく脚色しているとはいえ亭主元気で留守がいい系の話よりは、「きゃー!」と言われながらでものろけている人の話の方が安心して聞けていい。

 みなさん、仲がいいのだなあ……とわかる話が多かった。聞かれたら私もそれなりにそういう風な話をしておいた。

 面白かった。お腹いっぱい食べて、みんな時間いっぱいまで飲んで、それから解散したのだが、年齢が上の方で、帰りが遅くても大丈夫な人はこの後カラオケへ行くと言っていた。体力あるなあ。私はもう十分、と思ったので家に帰った。

 夜はずいぶんと眠りづらく、非日常のことが起きたのだなあ、と改めて実感。
 目立った失敗もしなかったので、一応、成功ということにしておこう。
こんなコンサートはもうないかも、ということだった。
 5年後にまた、やったらどうだろうね?という話が出たときに言うのには、
 「一番年上のメンバーってその時「年金」をもらってるんだよ、すごくない?」
 「年金使ってコンサートやろうよ、『ねんきんコンサート』っていってさあ」
――と大爆笑だった。酔ってたよね、みんな。

 5年後。何をしているのだろう、私は。
 

化粧、なあ…。

私が参加させてもらっているコーラスは、ボランティアで歌を歌いにいったりすることもある。
小さい子供とお母さんのクリスマス会に、「荒野の果てに」とか「きよしこの夜」とか、「赤鼻のトナカイ」とかを歌いに行く、といったようなもので、お子さんがとことこと歩き回っているところで歌を歌うのは大変楽しかった。

 1、2歳の子どもたちって、すっごくかわいい。幼稚園のお母さんコーラスのOB会であるという都合上、メンバーがみんな「お母さん」なので、全員子どもたちのかわいさにメロメロだ。
 お礼に小さい子どもたちがお花を1本ずつ渡しに来てくれた時はかわいさに萌えた。3歳か、4歳ぐらいになると、お花の差し出し方も教えたらわかるのだが、2歳だとそれはまだで、真面目な顔をして茎をもって水平にぐいっと突き出すそのかわいさよ…。
 途中で渡しに行くのに緊張してお母さんの所に泣いて戻ってしまうお子さんがいたり、お花を渡す人の前に来てから、くるりと方向転換して「用事はすんだ」とばかりに渡す前に帰ってしまうお子さんがいたり、ついついニコニコしてみてしまった。

 長靴の形に切った画用紙に、丸いシールを貼った、手作りカードを渡しに来てくれるという回もあって、私にそのカードを差し出してくれた男の子は、よくわからない言語で、シールを指さしながら私になにやら言っていたが、カードをしっかり握ってUターン。
 「これは俺が作ったので、俺のものだ」という感じで、絶対渡したくなさそうだったのがものすごくキュートで、その子のお母さんと戻って来て、カードをもう一回お母さんが「ほら、どうぞって」と差し出させようとするのだが、そのぽよぽよした眉毛がしかめられている顔に、心が和んだ。

 「そうだよねえ、せっかく作ったんだもの、あげたくないよねえ」
 そう私が言うと、「しょうがねえな」という顔をして差し出して、私が受け取ると「ふんす!」という顔で帰って行った。

ああ……かわいかった。
……とこういうことを書こうと思ったのではなくて。
 そういうコンサートに出ることになると言われるのが「まこさん、本番は化粧しておいで」と。
 口紅の匂いがあんまり好きではないのだけれど…。
 年上のメンバーは、私にもちょっとお姉さんぽくお世話を焼いてくれる人たちが多くて、「はい、これ塗って!」と手渡される口紅とか筆とか。「いやです」と言える雰囲気でもなく、変じゃないですかあ……と慣れない化粧に後ずさる私に、いろいろなアドバイスが。

 貸してもらった口紅は、全然においがしない。そして原材料の匂いもほとんどしない。このぐらいなら…いけるかもしれない?と珍しく私もその気になるぐらいにはにおいがしなかった。どこのお店で買うものなのか、と聞いておいた。

 そろそろアラフィフ。化粧ぐらい、毎日してもいいかもしれないなあ…。いや、毎日とは言わなくても、人前で歌うときに借りなくてもいいぐらいには。今までは全然化粧しないでも出ていたのだが、この団のお姉さんたちはみんな私が塗っていないのを看過してくれない。絶対塗られることになるのなら、自分のを用意しておくのは悪いアイディアではない。人のを借りるのって緊急ならともかく、いつもはあんまりやるものではないものね。

 しかし…こういうの選ぶのってよくわからないことが多すぎる。
 百貨店とかにいる美容部員の店員さんたちは怖いしなあ。似合ってなくても、ノルマ消化のために売りつけるとかいうような話も聞くし。ネットで見る情報は大抵が宣伝だし。
 大体ね?そういう化粧のモデルさんというのかな、出てくる人ってみんなきれいな人ばっかりなわけよ。
 そういう人に合わせた化粧というものを見せてもらっても、あんまり参考にならないんだよね。

 みんな「自分に合う口紅の色」なんてどうやって決めているんだろう。
 
 5分で出来て、それっぽく見える化粧法というものはあるんだろうか。
 
 「絵を描くのがうまいなら、割といけると思う」と言われたけれども、絵を描くのが下手でもなんとかなる化粧法というものは、どうなの?あるの?

 こういうことを遠慮なく聞けて、忌憚ない意見を出してくれる人というのがいればいいんだけどなあ。

カンロ飴ってどんな味?

カンロ飴という飴は、結構古くからある飴なのだけれども、なぜかずーーっと素通りしてきた飴だった。
 この飴を製造している会社は見られない場合は画像のリンク切れです【カンロ】という会社だったりするぐらいだから、多分ここの看板商品がこれなのだと思う。
 ちなみに「ピュレグミ」なんかもここの商品らしいけど。
 このカンロ飴は私が生まれる前からある飴で、子供のころ、「黄金糖」とか「純露」みたいな飴と同じようなカテゴリの飴としてみかけたことがあった。
 黄金糖も純露も、つまりは「べっこう飴」の味。
 砂糖と水飴しか使っていないぐらいの材料が少ない飴で飾り気がないが、長年の愛好者が多いらしく昭和から平成、令和の今になってもお菓子売り場にちゃんと売っている。

 最近この黄金糖の隣にある「カンロ飴」が気になっていた。多分おいしいんだよね。
 おいしくないキャンディが1955年から今まで生き残るわけはない。65年あるんだから、絶対愛好者がたくさんいるのだ。

 私がまだ小学生以下だったころは、「固い飴」というのはお菓子の中でもそれほどウケがいいわけではなかった。固い飴よりやわらかいキャラメル、ハイチュウ、そしてなんといってもチョコレートが最高峰。
 カバンにキャンディを持ち歩くようになった高校生からあとでも、好きなキャンディはやっぱりキャラメル、ハイチュウのソフトキャンディ系で、固い飴を食べるとしたら、まず「ヴェルタ―ズオリジナル」みたいな味の洋風のキャンディが断然多かった。

 ここ数年、ニッキ飴とか、黄金桃キャンディとか、黒飴とかを試してはこのブログにレポートしているけれど、このカンロ飴には見ていてもいまひとつ手が伸びなかった。自分でも理由はわからない。

 好きではない味だったら余るからな…と思ったのだけれど、今回100均で小さめのパックを見つけた。150グラムぐらいは入っているキャンディが多いのだけれど、100均のパックは70グラム前後。半分なら、多分……。

 というわけで買って、食べてみた。

 ……知っている味だ。そう判定された。昔食べたのか?と思ったけど、違う感じ。最近食べた味。
 塩の入ったスイーツの味?塩ようかん、塩飴?いや、ちょっと違うか。結構甘さが強調されている感じが…
 あああ!わかった!これね、「みたらし団子」の味だ。それも、近所のスーパーで売っている3本100円の、ああいう味だ。
 好きな味だーーー!

 みたらし団子の味が口の中にずっとする、そういう飴だった。
 「お茶うけ」系の味だ。これ1つ食べたら、お茶が2杯ぐらい飲めてしまうような。
 なるほどぅ…。パッケージにsweet soy sauce candyと書いてあったのを見たときはどうしようかと思ったけど大丈夫だった。

 気分転換とか、リフレッシュのために食べるというよりは、おまんじゅうとか、だんごとか、かりんとうとかそういうものと同カテゴリの「甘いもの」として消費する飴だと思う。

 ただ、これ個包装が「封入式」ではなくて、セロファンくるんで左右ひねってあるタイプなので、開封してベタベタになるまでどのぐらいかかるのかわからないなあ。パッケージは小さいほうが安心でいいかも。

 おいしい飴だった。リピート決定。65年はダテじゃないんだな、うん。
 みたらし団子の味が好きならおすすめ。
  


子離れの準備とぬいぐるみ

最近、息子があんまりハグしてほしがらなくなった。
 2歳から幼稚園ぐらいまではしょっちゅう「ぎゅーして」と来ていたのだけれど、確かに減っていた。
 もうこんな年齢になれば、減らないならそれはそれで心配だ。
 反抗期も来てるからねえ…。

 昔なら、多分もうこの年齢で一人前の仕事の見習いを始める時期だろうし、文化圏によっては結婚の話だって出るよねえ。90年代にアメリカで出会ったメキシコ人のクロ―ディアは当時20歳だったというのにお子さんが6歳。話を聞くと結婚したのは13歳、相手は14歳で親どうしの取り決めで公認で結婚、婚約は2年も前だったという。ラブラブであっという間にお子さんも出来、子供を産んだのが14歳。
 彼女の母国では「別に珍しくもない」そうで、文化差にびっくりした覚えがある。

 そういうことを考えると、息子が12歳である程度親離れするのはまあ…それでいいんだろうな。メキシコ生まれのメキシコ育ちなら、この時点で婚約、2年後に父親になるんだとしたら、絶対何かが決定的に足りていないぐらい幼いとは思うが、クロ―ディアの話によると、お子さんは親族で助け合って育てて、だんだん親も大人になっていくので問題はないということになっているらしい。

 「成長は後から追いつくから、産めるだけ産んでおけ」ということのようだった。

閑話休題。

そんなわけで私はなんとなく腕の中がさびしくなってしまったのだ。
 その時思いついたのが、作家の田辺聖子さんのこと。去年お亡くなりになったが、この田辺聖子先生はスヌーピーのぬいぐるみをかわいがっていらっしゃったという逸話がある。長男とか次男とかスヌーピーのぬいぐるみがお部屋に住んでいたらしい。
 ぬいぐるみかあ…。

 抱きしめたらふかふかして、いいかもしれない。
 私はそういえば、一人暮らしをしていた時クマのぬいぐるみを持っていた。ベルベットの本体に耳の中と足の裏と手のひらが赤のタータンチェック、刺繍の目と鼻のかわいい、一人暮らしの相棒だった。あの子が家に座っていると、一人暮らしの部屋がなんとなくさびしくなくなっていいものだった。

 今の夫に出会って結婚を決めた時に渡米する予定があったので捨てるにも忍びなく、友達に引き取られていった。
 また、かわいいクマでも買うかな…。そう思って買い物にでかけた。

 私が【難ありのセーターを買った服屋さん】の前のワゴンに、ふくふくした羊が…あれ?シャーリー?
見られない場合は画像のリンク切れです【公式サイトはこれ】。この画像の左がショーン、真ん中がティミー、右がシャーリー。(画像はshaun the sheep公式サイトからお借りしました)

 そしてシャーリーのぬいぐるみの横にひっくり返っていたのは脇役その2、チビっこ羊のティミー!ちょっと!かわいいんだけど!
 実はクレイアニメ「羊のショーン」は大好きで、DSの有料ムービーを買ったり、映画を見たりしたこともあったりして(今年の新作は見てないけど)、ネットの有料サービスのTVシリーズの長さの物もお金払ってみたことがあるぐらい。

 しかし大きい。私が昔持っていたクマは多分40センチ以下だった。このティミー、何センチ?45?
 後ろにタグが付いていたので見たら、50センチだった。てっきりこの謎の服屋さんで売っているので中国製のUFOキャッチャーの残りとかかと思ったら、なんと正規品のタグ。うげえ、なぜここに?倒産処分品?

 

でも大きいよなあ……こんなの買って帰ったら絶対夫が「ええー?」という顔をするだろう。お値段はなんと1000円。
 1000円なら、いいか……。
 こんな大きいぬいぐるみ自分で買うのは初めてだ。私が本物の子供だった頃でも手にしたことがない大きさだ。
 

連れて帰って抱きしめたら、ふっかふかだった。おお……抱き心地よし。
 そして顔を見たら思わず笑えてしまうこの愛嬌!絶対何かをたくらんでいる顔だ。「にやり」という顔。
 夫に見せたら、苦笑していた。思わず人を笑わせてしまうような、そんな魅力がある。

 夫も私も見るたびにクスっとなってしまうような、ただかわいいだけじゃないぬいぐるみだった。
 「最近、(息子は)抱っこさせてくれなくなったからねー!かわいいでしょー」と息子に見せびらかしたら、「オレも、かわいいよねえー?」と聞かれたのはちょっと笑った。はいはい、最近反抗期バリバリでかわいくないからね!お母さんにも癒しが必要なんですよ!

 どさくさに紛れて息子もひとハグ、しておいた。 


更年期の悩み

子宮筋腫がおなかに居座っている私は、半年に一度病院にチェックにいかなくてはならない。
 病院に行くついでに子宮頚がん検査とかをしたり、体調の不良の相談までして帰ってくる。気分の浮き沈みが激しい話、そしてついに月経が来ない月があった、という話を出してやっぱりこれは更年期ですよねえ、みたいな話をしていたら、なんと先生には、話を総合するとそれはPMSの症状ではないか、と言われた。うーーん。

 PMSというのは、生理の前後とか排卵日の前後に気分や体に影響が出る症状の総称。更年期にも気分や体に問題が出る人は多いのだけれど、どっちも「ホルモン関連」で出るわけだから、まあ似たような感じになりやすいのか?
 っていうか、てっきり月経がきまった周期で来なくなったのでこれは更年期!と思っていたのに、まだソッチをやるの?という感じ。
 
 どっちにしてもホルモンってたたるんだねえ…面倒な。
 正直今まで時計じかけのように正確に到来していたものがなくなるのには不安がある。やったことがないことをやっているような気がして、ライフステージ変更だと思うとちょっと心細い。みんなが通る道だということはわかっているのだけれども。
 生理用品のストック、無駄だったかなあ、でもなったとき家にないのも不安だしなあ。とか、もう二度と買わない日が来るんだなあ、とかちょっと憂鬱になっていたのは確か。確かなんだけど!

 そんなこと言っている間に突然またやってきた生理期間。
 来たら来たで面倒!お腹は痛いし、処理は面倒だし、実際もうこの機能、いらないし!!!

 ……ちょっと自分がバカっぽい。どっちにしても不幸ってすごく不毛じゃない?

来たら現状維持で安心、なくなったら手間が減って楽!<こっちにしておいたほうがいいのでは?
 自分の物の考え方、感じ方というものをちょっと突き付けられた日だった。気を付けよう。

車の色は空の色

私が子供のころ教科書に載っていた見られない場合は画像のリンク切れです【車のいろは空のいろ『白いぼうし』】
 かなりの知名度の高さを誇る物語で、多分ブログを読んでいる人の中にも、「ああ、あれな」と思い出す人は多いと思う。

 私は割とファンタジー小説が好きだったり児童文学が好きだったりするのだけれども、この本はなぜか読んだことがなかった。
 多分だけれども、教科書でこのお話を「読みすぎた」のが原因ではなかろうか…と思う。

 私が小学生だったころは、「音読の宿題」があった。それも10回声に出して読んで来いというような回数の多いもの。たまには5回もあったような気がするが、大抵10回だった。 
 テキトウに飛ばせばいいものを、真面目だった私はつまり家で10回音読をやったわけだ。学校でその単元が終わるまで毎日そういう宿題が出た。
 どんな感動の物語でも飽き飽きすること間違いなし。

 ちなみに今20代の姪の宿題の音読回数は1回から3回が多かった。近所に住んでいて音読を聞いてサインをする役をしたことがあるので知っている。最近は3回でいいのか、楽勝だな、と思ったのだがこれでも十分姪にはつらかったようだ。
 息子の音読回数は1回だけ。それも全体ではなくてこの部分を読んで来い、というような細切れの設定が多かったので、逆に「そんなので大丈夫なの?」と思ったことがあるぐらい減っていた。

 多分「繰り返し全体を音読させる」ことには国語力増強の効果はないということが実証されて、現在ではそういう宿題はださないことになったのだろう。
 
 強制的にこれを100回以上宿題で音読した当時の私はこの「白いぼうし」がとても面白かった……とは思っていなかった。
 「夏ミカンをちょうちょの代わりにいれておく」のはどうなったのかは理解できていたはずだが、その時タクシーに乗ってきたお客さんがそのちょうちょで、というのを「こういう話って、こども用っぽすぎる」と思っていたのだった。

 最近、私はこれが「シリーズもの」だということを知った。本にして3冊、今のところ22編あるらしい。
 えー。それは初耳。私が使っていた図書館にも、少なくとも最初の1冊は(年代からいっても)あったはずだが、多分「教科書で読んだあれか、もういいや」と思って読まなかったのか?それとも「こどもっぽすぎる」と思ってスルーした中に入っていたのか…。
 
 小学校2年生の教科書に入るぐらい、1つ1つは短いお話なので、図書館で借りて読んだが一瞬だった。

 かなり面白かった。っていうか、一番つまんないのが「白いぼうし」だと思う。なぜだ。なぜ「くましんし」とか「山ねこ おことわり」の方にしなかったんだ!まあ「つまらない」というのには語弊があるかもしれないが、「白いぼうし」はなんていうか、インパクトが薄めで、印象派の絵画みたいなのだ。
 遠くの景色がなんとなくいい感じに見えてはいるんだけど、近くに寄ってしげしげと見るタイプの絵ではない感じというか。

 続編、そして最新刊にあたる3巻目の収録作品はどれもかなり面白い。
 どんな感じかというと、写実的ではないぬいぐるみみたいな感じ。
 シルエットだけ写してみたらどの動物だか全くわからないような感じに見える、色を見たら自然にはあり得ない色のぬいぐるみで、しかし一点突破でかわいさ満点、こういうのを考える人がすごいよね、どうしてこんなに愛くるしいんだろう、本物とは全然違うのに!と手のひらにそっと乗せて、愛でたいような、ころんとしたマスコットやぬいぐるみ。

 子どもが手に取って、素直になじめて可愛がれる、そういうぬいぐるみは、大人にだってもちろんかわいいのだけれど。
 
 子供向けなのがわかるのだけれど、いやー、よく出来てる。そういう物語。日常が時々ファンタジーと重なりあうその瞬間を切り取ったこの本の物語は、安房直子さんとか立原えりかさんとか柏葉幸子さんとか、ああいう国産ファンタジー系の作家さんと共通項がある。安房直子さんはもうちょっと【ぞくっとするような大人向けのファンタジー】を書いているし、柏葉幸子さんは【もうちょっと想定読者年齢が上のもの】を書いているし、【立原えりかさんの初期のメルヘン】あたりはどう考えてもところどころのシニカルさが大人向けだけれど、それをぐぐっと子供向けにしたのがこれ、といっていい。

 子ども…本物の、小さなこどもだった、6、7歳の頃は、私はこういう本の本当の面白さがわかっていなかった。ファンタジー世界にまだ片足を突っ込んだままの年齢の時には、現実世界の理解度も片足分しかない。だから現実とファンタジーの世界の邂逅が美しいということが…滅多にない素晴らしい話だということがピンとこない。

 例えば電車で隣に座った人の正体が、森のくまだったりするというようなことも「そんなこともあるのかもしれないねえ」ぐらいのノリなのだ。妖精だって「見たことないけど、いるところにはいるんだろうな」とか、そういう感じで、「そんな当たり前っぽいことが書いてある話」は、日常を描いた「ズッコケ3人組」と同列に読めてしまう。

 ファンタジーな世界は現実と全く切り離されたところにあるとわかって初めて、こういうファンタジー世界と現実が重なる瞬間に居合わせるの主人公の体験を追うことが楽しく、すばらしく思えて、こういう物語が好きになる。
 そういう意味では、当時7歳の私にはそれほど楽しめない、「ただの教科書の中の話」になってしまったのも無理のないことなのかもしれない。

 もっと早く読んでおけばよかったなあ。「子どものころ大好きだった本」になったかもしれないのに。
いや、でも大人になってからでも読んでおけてよかったのかもしれない。
 
こういうことがあるから、やっぱり児童書を読むのはやめられない。
 


臨時ママカフェ

 私の友達のうち、一番年齢が若いお友達を家に呼ぶことになった。
20代の友達なんてかなり年齢が離れている珍しいパターン。

きっかけはというと、年上の友人、Aさん、奥さんがBさん。最初知り合ったのは同じバンドのAさんで、あとでBさんが上京して結婚。当時は育児がどんなに大変か、などということは全く分からず、独身だった私は何度もAさんBさん夫妻の家に遊びに行ったものだった。
 今の夫とお付き合いだ、結婚だ、というときにも相談に行ったし、私が結婚する時の証人をやってもらったり、結婚式当日のお化粧までしてもらったりして。
 AさんBさんの間に生まれたのがCちゃんで、一人暮らしだった私の家に子連れで遊びに来てもらったこともある。つまり生まれて数週間、というころからCちゃんのことは知っていた。私が最初にCちゃんを抱っこしたのは多分生まれて2週間か3週間ぐらいのはずだ。

 Aさんは割ときっちりした躾を子どもにする人で、まだ当時2歳半だったかな…Cちゃんが私を「まこ」と呼んだ時、「まこお姉ちゃんとよびなさい」と教えていた。当時まだ20代になりたてぐらいだった私は確かにまだ「お姉さん」でよかったのかもしれないが、当時は周りの友達はAさんBさん以外全員独身。AさんBさん含めて親しい友達は全員私を呼び捨てだったから、そりゃあ2歳の子が私を呼び捨てで呼ぶのも当たり前だった。
 
 Aさんは「子どもは雰囲気をよむから、優しく言ってもわかってないから」と言って、ものすごく怖い声でCちゃんを叱るので、横で聞いている私まで涙目になるぐらいの迫力。名前の呼び方なんかもうどうでもいいと私は思っていたのだが、Aさんはしっかり教えておきたかったらしい。

 「いいんだよ、Aさん、私のお友達は全員私を呼び捨てにするんだから、Cちゃんは私の友達だから、そのままで」と私がAさんを説得したのは、そのお叱りを聞いているのが怖かったからに他ならない。

 そんなわけでCちゃんは2歳の時から私のおともだちということになったのだ。
 Aさんは若くして亡くなられ、Bさんは飛行機の距離にお引越し。滅多に会えなくなってしまった。
Cちゃんがなんと、同じ自治体に住んでいるとわかったのが一年ぐらい前。一応SNSでつながってはいたのだけれど、お子さんが生まれた、という話がわかったのがその時。

 近況を確認して「実は家が割と近くない?」という話になったので、お子さんを連れて出られるようになったら遊びに来ない?と誘っておいて、実現したのが今回の話だった。

 うちのマンションは「キッズルーム」というのがある。歩き始めたお子さんがちょうど楽しく遊べるぐらいの面積があるので、そこで遊ばせながらおしゃべりするというのが今回の計画。
 ケーキと紅茶とお菓子を用意し、お子さんには果物や、1歳から食べられるタイプのお菓子を準備。
 あんぱんまんの白いおせんべい、ボーロや1歳からのスナック菓子、小さいパックの子ども用ジュース。ああ懐かしい。こういうの息子が小さい時買ったわあ!と盛り上がりながら買い物した。

 ベビーカーを押して遊びに来てくれた2人を楽しくもてなしつつ思い出話などをして盛り上がる。
 お子さんは周りからは「お父さん似ね」と言われるそうだが、私に言わせればCちゃんそっくり。正確にいうと子どもだったころのCちゃんにそっくり。現在のCちゃんと似ているところは確かに目立ちにくいけれど、赤ちゃんから幼児ぐらいのころが一番Cちゃんに会う機会が多かったので(そのあと私は渡米したから)私が一番見おぼえている顔に似ているのだった。

 しばらくは見慣れない場所に警戒していた1歳のDちゃんだったが、1時間ぐらい経つと慣れてきて、声を出して笑ってくれるようになった。ああーーー。なんてかわいい。とてとてした歩きかたも、見たことがないおもちゃをお母さんに見せに来るきらきらした目も、抱っこしてあやされて楽しそうに笑う声も本当にかわいい。

 キッズルームにはあんまり壊れるようなものもないし、外に出られないし、自分たちだけしかいない上に、歩き回って遊べるぐらいには広さがあるので泣かずに割とご機嫌に遊んでくれたのでサーモスに入った温かい紅茶と、ケーキぐらいならなんとかなった。こういうことがなかなか、目が離せなくて出来ないからとCちゃんも楽しんでくれたようだった。よかった。

 これが「ほかのお子さんたちもいっぱいいる」とか「車が通る場所にうっかり出られる場所」とか「いろいろなものがある普通の家のリビング」とかだとあんまり目が離せないから、今回の場所のチョイスがよかったということもある。
 また遊びにおいでね!と誘っておいた。

 この年齢の子どもを連れて行って問題なくくつろげる場所というのはたくさんはないからなあ。
 私はCちゃんとおしゃべりが出来てかわいい赤ちゃんを見て幸せになれるし、Cちゃんは子どもを放牧しておいてちょっとケーキなんか食べてリラックスできるし、お子さんは…うーん。見たことがないおもちゃで遊べる、ぐらいか。
 アンパンマンのおせんべいで買収されてくれるといいんだけど。

 おしゃべりした内容は……というとやっぱり「保活」の苦労話あたり。寿退社なんてないし、育休も取れるとはいえ問題はあんまり変わっていないみたい。早く復帰してほしいと言われているフルタイムの正社員でも保育園が全落ち。私が子育てしたころと大体10年、年齢でいえば20年ぐらいは違うのにこの変化のなさ。まあ、寿退社がなくなっているだけでもマシなのかなあ。
 育児休暇が延ばせるとはいっても限度があるらしいからなかなか大変そうだった。

 息子が小さかった時住んでいた街には「ママカフェ」というカフェがあった。カフェに子ども用遊び場を併設したようなお店で、よく近隣のママ友さんを誘って行っておしゃべりしたものだ。ケーキはそれほどおいしくなかったが、ボールプールで遊ぶ子供たちを見ながらおしゃべりできるので人気があった。
 
 そういう感じに遊びに来られたらいいのにな。
今回は臨時のミニ・ママカフェ、堪能した(ちょっと違う。堪能したのは店主が(笑))。

ハトの巣付きの机

アマゾンで英語版の【大草原の小さな家シリーズ9冊セット】が596円だったのでつい、買ってしまった。

 挿絵はないし、目次なんかもなく、いきなり1冊目に飛び込むという簡易版だが、このお値段では文句も言えない。
 一応kindleの「移動」メニューで本の移動と場所の移動はある程度出来るのでお気に入りの「長い冬」からスタートした。日本語はもちろん読んだことがあるのだが、英語はアメリカにいた時図書館で読んだっきりかもしれないのであんまり覚えていない。

 冬が厳しそうなので払い下げ農地から町へ引っ越しをしたとき、机を譲ってもらうという話の時に、
 The desk had drawers and a top with pigeonholes under a marvelous flexible cover made of narrow slats of wood--と、どんな机だったか書いてあった。
 

細い木で出来たフレキシブルカバーというとこれだよね、多分。一応頭にこれが思い浮かんだのでなんとか検索して出せた。
ロールトップデスクというらしい。

 だけどわからないのが「pigeonhole」。ハトの巣穴?なんで突然ハトなのか。
 何とも見当がつかないので「pigeonhole desk」と画像検索して、画像の共通項を探した。

 なるほど…仕切られた棚がついているってことのようだ。学校の下駄箱の扉がないものを小さくしたような、横にも縦にも何マスもあるものから、もっと高さの薄い棚や縦に長くて幅の狭い棚のこともあるようで、要は扉とか引き出しがない棚をこう呼ぶらしい、ということがわかった。
 
 こういうのって結局覚えるしかないんだよね。
 あ、そうだ、日本語には「蚕棚」という言い回しがあるね。日本は絹の産地が多いから。
 なるほど…。ヨーロッパ文化圏では肉を食べるのにハトを飼う話って時々出てくるものね。昼は勝手にどこかで餌を食べて、夜になったら帰巣本能で戻ってくるので手間なしで飼えるというので中世が舞台の小説でそれほど裕福でない主人公が飼っていたのを読んだことあったなあ。

 街中に住んでいると一番安いパイ(そしてネズミとかの肉を使っていない、まともなパイならば)はハトのパイだ、とかそういう感じだった。そういう文化圏の言い回しってことか。
 
 この本は割と子ども向けのはずなんだけどやっぱり時々「へ?」という単語が出てくる。やっぱり少しずつでも読まないとなあ。
 と書いてから思いついたんだけど、私「蚕棚」ってどんな棚だか知らない気がする。

 そっちも調べよう。結局日本語だと「わかったようなつもりで」読んでしまえるだけなのかもしれない。

 

隠れディズニー好き

 実はディズニーのキャラクターが好きだ。といってもディズニーランドにしょっちゅう行くとか、ミッキーマウスのキャラクターグッズを持ち歩くとかではない。ディズニーの映画やディズニーランドで流れている曲を集めたCDは持っているし、古いディズニー映画の有名なものはかなり見ているし、プリンセスたちの画像を見てどれがどの物語のなのか言える程度には好き、といったところだろうか。
 ディズニーランドにも行ったことはあるのよ、うん。行けば行ったで楽しめる。
 でも、実のところをいうと着ぐるみぬいぐるみではない、アニメ、それもうんと古いのが好きだ。
 6分から9分とかの短編で1960年より前に作られたディズニームービーの雰囲気が好き。ドナルドダックとかグーフィーの短編や、「教育映画」として全米の小学校で巡回上映したというシリーズもかなり好き。ベンジャミン・フランクリンの伝記とか、ケネス・グレアムの「楽しい川辺」の微妙なアニメ化とか白黒のミッキーマウスとか!好きなんだけどあまりにもマイナーすぎて誰とも話が合わない。
 そして困ったことに、何がどう「いい」のか説明出来ない。今のCG作品のアニメは確かにいい。なめらかだし、テクスチャも美しいし、ストーリーだって長編のほうが複雑なストーリー展開に出来る。でも、なんかこう…。

 「短編映画」が好きなだけかな。ポケモン映画でも本編の方ではなくて同時上映のミニ映画のほうが好きだったしなあ。
 
 クリスマスのお小遣いで古いミッキー映画のDVDを買うかどうか(安いんだ、これが)悩んでいたのだが、ふと短い映画というと「ファイアーボール」という2分しかないディズニーの映像作品があったな、と思いだした。
12本で、全部見ても30分以下、掛け合い漫才みたいな、10年ぐらい前に突然出てきてあっという間に終わったそういうシリーズだった。今40代の私たちの年齢(当時は30代)にぴったりくるギャグが多くてゲラゲラ笑いながら見た覚えがある。

 あれがほしいなあ、売ってるのか?と思ったらあったけど、高いぞ!私が最初見たときはyoutubeかなにかで見られたのに、今はなくなっていた。あれはもしや、無許可動画だったのか?
 DVDは迷って買わなかったのだが、その直後から広告に【ディズニーシアター】というのが出るようになった。
 ううむ。……てことは、このディズニーシアターにあるんだね、ファイアーボール。

 ディズニーの動画サービスなんてあるの?(知らなかったけど2019年の3月から始まったらしい)
 うちでも息子のために時々(主に夏休みと冬休みに)契約しているNetflixとかHULUとかと同じように月額で契約して見放題!というサービスらしい。

 31日間無料。まあこういう、最初だけ1カ月無料とかはどこの動画サービスでもやってるよね!
 PCのブラウザとスマホのアプリで見ることが出来るらしいので、まずお試し。

登録が面倒。docomoと絡んでいるらしくて、ドコモのケータイとかスマホを持っていると契約は簡単みたいだけれど、私はドコモユーザーではなかったので「dアカウント」というドコモのアカウントと「ディズニーアカウント」を登録して「ディズニーデラックス」というサービスにも登録しないといけなかった(ただしこっちは無料)。

 ディズニーデラックスは壁紙くれるとかのディズニーファン向けのサービスで、これはディズニー好きのママ友さんがやってた気がする。特典内容の説明に「グッの販売」と書いてあったけどやめて。「グッズ」の販売って書いて!「シングルベッ」とか「ハンドバッ」とかと同じ種類の間違いなんだろうけど、こういう全国の人が何万人もアクセスするようなサイトでそういう口語的表記ミスはやめてほしい。
 一瞬お客様サポートに意見しようかと思ったけどやめておいた。


 「ファイアボール」「ファイアボールチャーミング」全シリーズあった。おおお。
そして、ミッキー、ドナルド、グーフィーの古い短編映画がいっぱいいっぱいあった。
 ミッキー以前の古い短編とか、白黒のとか、おとぎ話が原作のとか。

 これはすごい!Silly Symphonyのシリーズ全部とか、Fun and Fancy Freeとか、Melody Timeとか!
あ、でもベンジャミンフランクリンの映画、Ben and meはなかった。Donald in Mathmagic land もないようだ。
 それでもこれだけ古い短編がまとめて見られるなら文句なし!一カ月770円(税込み)だそうで、netflixは800円だから似たようなものだ。

そしてなぜかスターウォーズが見られるっぽい?スパイダーマンとか、アベンジャーズとかのMARVEL系もいけるようだ。
 トイ・ストーリーで有名なPixer作品もたくさんあった。おお、なんかすごいぞ!netflixは日本の古いアニメがたくさんあったのがよかったけど(ルパン三世とか、ガンダムとか、ドラえもんとか)こっちのもいいなあ。

 770円だったらおこづかいで出せるし!…そしてまず31日は無料だからね!

 DVD買って何度見るかというと、1度は見るにしろ2度目を見るのは何年後かなあというぐらいだろうし、こういうサービスでDVD何枚分見られるか考えたら…
 
よくよく説明書きを読んでみると、ちょっと課金方式が変則的だった。
 今日31日間無料お試しを始めたら、31日間、確かにタダにしてくれて2月17日まで無料。
――なんだけど、そのまま有料サービスに移行すると、2月18日から課金して12日間で2月が終わって、そのあと3月1日にまた、3月分の課金がされてしまうらしい。えー。「無料期間が終わった次の日の月の終わりまで」が、有料期間の1か月目ということになるのだって。

 2月26日に無料期間が終わったよという人は2月27日に1回770円払ってそのあと3月1日にまた770円払うということになるっぽい。それはちょっとひどいけど、こうやって説明してあるということは「読まなかった人が悪い」のと、「無料で31日間見たんだから、それでいいことにしとけ」ということなのかもしれない。

 この中途半端な課金システムに引っかからない方法はというと

1:無料期間中に一度やめる(たとえば30日目とかに)
2:次の月の1日から契約

多分こうだね。覚えておこう。

あんまり色々な情報を抜かれるのもちょっと不気味だけど、まあディズニー好きだとバレたぐらいならそれほど後ろ暗いところはないからね。これ以上値上がりしないなら、確かにいいサービスだ。今時映画1本見に行っても割引のある日に行ったとして1000円だものね。
 
 映画のラインナップを見ていると、かなり派手。思いつく限りのディズニー長編映画が。
息子が幼稚園児の時に見ていたような子供向けディズニー番組もいっぱい。音声を英語にしたり、英語字幕を出したりもできるので実は英語学習者向けとして教材にいいかもしれない。770円ぐらいなら、1カ月の教材費としてありだろう。
 息子が幼児だったときにあったら絶対契約していたと思う。レンタルで借りたDVD、買ったDVDの金額を考えたら、飽きっぽい年ごろにちょうどいいサービスだよね。いろいろな番組をつまみ食いに出来るし。

 年間契約したら安くなるとかあったらいいのにな。

ツムツムとコントローラー

 スマホのゲームである「ディズニーツムツム」。かわいいコマをつなげて消して遊ぶゆるいパズルゲームなのだが、コマの形が全部ディズニーキャラクター。
 基本遊ぶのは無料だが、コマの種類を増やすのはガチャポンで、そのランダムで当てるくじを引くのにお金を取って運営側はお金を儲けるというスタイルなのがスマホ版。

 連続して遊べる回数にも時間で制限があって、5回以上遊ぼうと思うと、その回数が回復する(1ゲーム分たまるのに10分かかる)のを待つか、お金を払うか(10円ぐらい)という、細かい金額もたくさん遊びたいなら払え、ということになっている。

 こういうゆるいパズルゲーム、大好きなんだけどこのチマチマお金を出させるシステムがなんとなくイヤ。ガチャポンはつまり現実のカプセル自動販売機と同じようなシステムなのでほしいものが当たらないことだってありうるし、1回数百円もっていかれるのだが、無料でくれるやつだけだとどうにも点数があがらないようにデザインされているのがこういうスタイルのゲーム。

 それがゲーム機に移植されるというので私はちょっと楽しみにしていたのだった。
 ゲーム機版は大抵最初に数千円出させるので、有料コンテンツを追加で購入しなくてもいいぐらいに、いろいろなものがゲーム内だけで揃うように作ってあるのが普通なので、思いっきり遊べるはず!

 そう…こういうゲームはハマったらたったの5回で済ませることなんかできないものなのだ。
 見られない場合は画像のリンク切れです【ツムツムフェスティバル】は、一応バラエティゲームソフトらしい。
 
 マリオパーティのようなミニゲーム集で、ツムツムパズルはおまけっぽい扱いなのか?でもツムツムをスマホで遊んでいて、私みたいに「かわいくて、点数の上がりやすいツムはほしいけど、ガチャはイヤ」という人もいると思うんだけどなあ。
 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
 ここからはレビュー。
 アマゾンのレビューには「動きが引っかかるような感じがする」と言っている人がいたが、カジュアルにプレイする私にはあまり気にならなかった。
 でもコンマ何秒の世界で勝負している人にはわかるのかもしれない。

 普通にプレイ出来て面白かったけど、コントローラのつけ外しが面倒。
 誰だ、これ考えたの?というシステムになっている。

1:NintendoSwitchを横持ちにしてゲームを立ち上げる。
2:ゲームの指示に従い片方のJoy-conを外して横持ちにする。
3:ミニゲーム選択画面で左右の移動でツムツムパズルを選ぶ
4:ゲームの指示に従い外したJoy-conをゲーム機本体に装着。
5:ゲーム機を縦に持ち、タッチパネルを利用して遊ぶ。
6:ツムツムパズルをやめる時は、もう一度片方のJoy-conを本体から外して横持ちにしてミニゲーム選択画面に戻る

これ!問題になるのがゲーム開始時の2番。大体ゲームが始まった時点で、普通にゲーム機本体にくっついている左右のジョイコンをそのまま使えないのはなぜ?ツムツムパズルは1人で遊ぶのがデフォルトで、2人で遊ぶ時は本体が2つ必要なんだから、ゲームスタート時に「1人で遊ぶ」を選ばせておいてこれ?本体にコントローラー装着した状態でいいのにねえ。

ゲーム選択時の4番も問題だ。ツムツムパズルは全部タッチで遊ぶのだからJoy-conなんか必要じゃないのにどうして強制的にJoy-con装着?

そして終了時の6番。ゲーム機本体(縦持ち)にくっついているんだから、それを横持ちに方向を変えて、そのまま遊ばせてくれたらいいんだよ!なぜまた外して持たないとだめなわけ?
 テーブルモードに対応していると書いてあるのだから、USBをつないだ外部コントローラーか、純正プロコントローラぐらい対応して横持ちコントローラはそっちでOKということにしてくれたらJoy-con外さなくすむのに。(ツムツムパズルは画面が横長のテーブルモードでは遊べない。縦持ち限定だ。他のミニゲームは横画面なのでテーブルモードOKということらしい)

 縦持ちでタッチで遊ぶときに、Joy-conが上下両方にくっついているかどうか判別も出来るらしいので、いちいちちゃんとくっつけろ、とうるさいので、何とかもっといい方法がないか考えてみた。

 一番簡単なのはJoy-conをもうひとつ買ってくること。
 横持ち操作用と、縦持ち装着用を使い分けるってことだね。
 
 ジョイコンって高いんだよねえ。1つ4600円とかする。買おうと思ったけど挫折して帰ってきた。

 もしかして……と思いついたのが【携帯モード専用十字ボタンコントローラ】。前にアーカイブスの古いパズルゲーをやるのに買った。こっちは無線やジャイロセンサーや振動機能なんかが全部ない。ランプもないし本体に取り付けていないと使えない。

 でも、「ジョイコン(左)が本体にくっついていますよ」ということにはなるみたい。
 本体の左側にこの十字コントローラを装着。もともとの左コントローラはそのまま横持ちにして使用。
 縦持ちでツムツムパズルを遊ぶときはただ普通にゲーム機の向きを変えればOKで、やめた後はもともとの左コントローラ(未装着)を普通に使えばOK。

 まあね……予想できる解決法ではあるけれど、お金が2500円前後かかっちゃうのが問題だ。
 最近のゲームは、全部ネットにつながっているので、アップデートも可能だろうし、この面倒くさいシステム、もうちょっとなんとかしてほしい。せめてツムツムパズルを始める前に本体にジョイコン装着しなくてもいいなら、コントローラは横に置いて普通にあそべるのに。

 NintendoSwitchライトというジョイコンが本体から取れたりしないタイプのもあるんだから、せめて外部コントローラに対応してくれたらいいのに。USB-Cでつなぐのでもいいし、テーブルモードのクレードルのUSB-Aからつなぐのでもいいし。
 しかしこんなに不便な作りをしているのに、誰か文句を言わなかった…んだろうなあ。
 
 ツムツムパズルが面白いだけに、ちょっと残念な出来だった。


*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
……と書いてからネットを再度調べて回るとわかったことがあった。
 発売すぐのときはこのコントローラーをつけたりはずしたりしないといけなかったようなのだが、あまりの評判の悪さにバンダイナムコも出来ることはしようと思ったらしく、パズルとバルーンだけならコントローラを外さず遊べるように(またはNintendoSwitchLiteでも遊べるように)なったらしい。

 ホーム画面でソフトを選択して+ボタンを押し、ソフトの情報を見る。
 ソフトの更新を選んでインターネットで更新。(ソフトは最新の状態です、と出た)
 そのあと立ち上げなおす。

 これで遊んでみたら、一応「Joy-conを横持ちに」という表示は出るが、無視してそのまま進めると確かにパズルとバルーンだけはそのまま遊べた。うーん。一応更新されてはいるみたいだけど、もしかしてこれ、更新をチェックする前でも「やったら出来た」のかなあ。画面の指示にまじめに従った私のせいなんだろうけど、これわざわざ「こう言ってるけど、やらなかったらどうなるんだろう」とか試す人も珍しくないか?

 更新チェックをして立ち上げなおしたから動くようになっただけなのかなあ。だとしたらこういうの調べない人はずっと不便なままだったかもしれないってこと?まあ、ゲーム機がネットにつながるのが当たり前ではなかったころはソフトの不具合は我慢するしかなかったのだから、こういう直し方が出来るようになっただけでも十分いいことなんだけど。
 とはいえ……発売前に誰も気が付かなかったのかね、ほんとに。他のゲームも1人で遊ぶのなら外せなくても遊べるようにしてほしいのでやっぱり、もう一回アップデートしてくれたらいいのに、と書いておく。
 

久しぶりの飲み会

一年に一回だけ、友達と飲み会をやる。
この日に毎年集まる会で、大体参加者は決まっているが、昔は食事会だった。なぜかというと未成年が多かったから。
私も未成年だった年齢からやって、もう30年にもなるだろうか。

亡くなった仲間もいる。その人の話や、若気の至りをつくした青春時代の思い出話に花が咲く、そういう会で、こればっかりは夫より付き合いが長い人たちでもあるので出させてもらうことになっている。

男女混ざっているグループなのだが、男性陣は軒並み、頭が寂しい感じ。女性陣は白髪が出て染めているという話が盛り上がる程度に。「老眼って急に来るよね」という話だとか、「病院で血液検査した」とか、「糖尿のケがある」とか。独身者は「Hey-sayジャンプだ」と笑っていた。なんでも、昭和の終わりから結婚の予定がなく(またはろくに付き合う人がおらず)何事も起こらず平成を過ごしてしまっていまだに独身というのをそういう風に称するのだそう。誰がうまいこと言えと……。そういう言い回しを発明している人ってすごいと思う。

 無理しない程度に飲んで、笑って、そしてこの時にしか会わない人も多いので、「では、みなさま、よいお年をお迎えください」と1月だというのにお約束の冗談をみんなで言い合ってから、帰ってきた。

 みんな、元気で一年すごそうね。いろいろなことがあった30年。入試、入学卒業就職、恋愛と結婚、出産子育て。いろいろみんなあったけれども中年になったらもう、「なんとか、元気でやっていける」ことが共通の願いなのだ。

 とても、とても元気が出た。
一年に一度だから、いいんだよね、きっと。

音楽サービスを試してみた

この前【映像を見るサービスを契約する話】を書いたけれど、今回は音楽を聞くサービスにも挑戦してみることにした。
どのサービスを取るかなあ、と思ったのだが、日常アマゾンを使っているのでよく宣伝を見るアマゾンミュージック、iPhoneをつかっているのでアップル社のサービスのアップルミュージック、それから家にグーグルのスピーカーがあるのでそこのデフォルトサービスであるスポティファイの3つは存在を知っている。

 アップルミュージックは…実は昔サービスが出た時に無料期間があったときやってみたのだが、持っているCDを読み込んだ音楽がiPhoneに入っていたのを聞くと勝手にアップルミュージックの有料版のファイルと置き換えてしまい、アップルミュージックの有料サービスを解約したら突然自分のCDから取ったファイルだったのに聞けなくなるというとんでもない挙動を出したことがある。まあ、サービス最初の方だったので今は解消してる問題なのかもしれないが、もう一度CDを何十枚も読み込むのがものすんごく面倒だったのでとりあえず保留。

 アマゾンミュージックは、プライム会員になると聞ける廉価版のプライムミュージックは曲数が少なく、正規サービスのアマゾンミュージックは4カ月聞かせてくれて99円のサービスがある。ただし、この安さのは1回だけ。一瞬いいかな、と思ったのだが、無料のも何日かやらせてくれればいいのになあ。とりあえず99円は保留だ。

 うちのスピーカーはグーグルのだから、spotifyは相性がいいはず(推定)。
 おまけに無料版があるので、試してみるのに都合がよかった。
 そう……いくら99円でもムダ金払いたくはない。ただで試せるならまずそこから!

  アップルストアでspotifyのアプリを探し出してインストール。メールアドレスで登録。
 好きなアーティストを聞かれたので、ちょちょっと選んでおいた。
 手始めに、ビートルズ、ホイットニー・ヒューストン、ビリー・ジョエルぐらいでいいや。

そうしたら、もうそのまま聞ける。ただし、アーティストは選べるが曲は選べない。曲はシャッフル限定のおまかせだ。
 でも試聴にありがちな「途中までで終わり」とかじゃない。最後までちゃんと聞ける!
えーーーー。いいの?ほんとに?

 日本のアーティストはどうだ!と思ったので、アルフィーとか、松任谷由実とか、徳永英明も検索してみた。
 アーティスト別に曲のリストが出てくる。曲はそのリストのなかからシャッフルされて再生された。ちゃんと聞ける。
 えーー。ちょっと、これ息子の有料版アカウントと混ざってない?同じ家のスピーカーだからね…そういうこともあるかも、と思ってもう一度アカウント設定を見直したが、何回見ても無料版だ。

 私が好きでCDを買ったことがあるアーティストを入力してみたが出るわ出るわ!!
 買いそびれたアルバム、絶版でもう手に入らないのにうっかり落として割れたCD、友達にかしたら戻ってこなかったCD…。いくらでも出るな、これ。
 時々、多分Spotifyが推したいアーティストの曲も30秒ぐらいかかるが、そんなことなんでもない。
 マイナーなアカペラグループ、60年代と70年代のアメリカン・ポップにオールディーズ。喜んでアーティスト登録しまくって聞き倒した。いつの間にか私の好みの曲からミックスリストが作成されている。BGMに流したら意外に知らない曲が…と思ったら私が選んだのではない曲もついでに混ぜてあった。雰囲気が似ているものがある程度選ばれているようで、知らない曲でも大丈夫だったけど、多分これが「宣伝」扱いで、無料で聞ける理由なんだろう。

 有料版のほうが高音質だそうだが、高音質の音楽再生になれた今の人たちと違って、ペラペラのラジカセでラジオからエアチェックしたカセットテープを聞いていた世代の私に死角はない。この音質で無問題。

 うわあ…これはすごいわ。こんなものタダで聞かせて、大丈夫なの?誰の取り分が減ってるの?ちょっと心配になるぐらいだ。
若者がCD買わなくなってるっていうけど、そりゃあ……これでは買う気も減ろうというものだ。

 もう一つ無料版と有料版の違いがあった。
 無料版は、音楽は自分の端末に取っておけない。その場で流すだけ。データをネットのサービスからかけ流すので、データの通信量が多いから、自分の家で従量制じゃなくて一カ月いくらの定額で契約しているWi-Fiがあれば、いくらでも音楽が聴けるが、スマホの回線は容量に制限があるから、外で音楽なんか聞いちゃったらあっという間に通信量が多くていわゆるギガが足りなくなってしまうという状態に。

 有料版は、家のWi-Fiとかでダウンロードして自分の端末に入れておけるので、外でそれを通信量を気にせず聞くことが出来る。
 ただ、私に限れば私が主婦である以上主な勤務先はつまり自宅。そんなわけで自宅のWi-Fiから離れない時間が長いから、これも無問題だ。

 うわあ…家にいる人専用サービス(しかも無料)だ。信じられないすごさ。
 家から外に出たときは私のiPhoneに読み込んでおいたCDのファイルを聞けばいいのだもの、無料版で十分だ。
 
 曲を「次の曲に飛ばす」のは1時間に6回しかできないとか、「この曲がいい」と一曲だけリクエストは出来ないそうだが、聞き流すなら本当にこれで十分だ。
 
 しばらく無料版で使って、有料版ではないと使えないオプションがほしくなったら有料版も検討しよう。

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ガラケーを使う親

私の両親は、いまだにガラケーユーザー。父はメールを送っても滅多に返してよこさない。母はガラケーを持ったのこそ2000年より前と早かったが、ずっと同じようなケータイを使っていて、ケータイの種類が減ったのを嘆いていた。

 ただし、2人ともパソコンは使える。年賀状やカード、書類を作るとか、ブラウズぐらいならなんとかなるというわけだ。

母は、「今どきガラケーなのは格好が悪い」と愚痴っていた。
 じゃあ、ガラケーやめて、スマホにするかい?と私が聞くと、「とんでもない、あんなわけのわからないもの、使いたくない」とこう来る。
 まあ、そう言われてまで無理強いすることはない。3G停波まであと2年ぐらいあるし、そうなったとしてもガラケー需要がなくなるわけではない。今でも「がらほー」と言われる中身がスマホで操作方法がガラケーそっくりに仕立ててあるものだってあるのだから、いざとなりゃ、あれでいいだろうと私は思っていた。

 姉から連絡が来て、何だろうと思ったら、「母さん、スマホにしたいみたいよ?悪いけど付き添ってやってくれる?」という話。ああ、またこのパターンか…。
 姉はかなりの遠距離に住んでいる。そりゃ国内なのだからたどりつけないことはないが、年末年始とかゴールデンウィークとかに来るか来ないかぐらいの距離。そして姉が滅多に来ないのをわかっているからこそ、姉にはやってほしいことを言う。つまりやってもらえないのを承知の上でだ。

 私は隣の県の真ん中あたりに住んでいるので、電車を乗り継げば2時間ぐらいでたどり着けないこともない距離……ということはその気になれば朝一番から行って、大抵のことは日帰りで済ませて夕方に帰れる。なのに、私が提案すると「いや、そんなのいいよ、時間取るの悪いし」とか遠慮した風を見せるのだ。本当に遠慮して「やらなくてもいいや」と思っているのなら遠慮というものは意味があるが、そうでないなら日本人の美学として、一度目は遠慮するにしろ二度目に聞いたときに「じゃあ、やっぱりお願い」と言えないのはなぜだ。

 これを「外堀から埋めてうまいことやった」と思っているのかねえ。私はこの頼まれ方がとても嫌いだ。私が気付かないようなことならしょうがないけれども、私が今までにケータイがもう流行っていないというグチを聞くたびに提案してきたことなのだ。素直に「そうしようかなあ」と言って実行に移せばいいだけなのに。
 私が無理矢理やったみたいに見せなきゃだめってことなのか、それとも「やらせていただきます」といかなきゃだめなのか、なんかそういう雰囲気。そういう「察してちょうだい」みたいなの、本当に苦手なのだ。
やってほしいなら、私がやろうか?と提案した時に「いいの?ありがとう!」と言ってくれればどれだけ気分がいいことか。
 プライドがあって私の提案を受け入れられないというなら、やろうか、と聞いたときに「ううん、いい、自分でやる」と断ってくれたらそれでいいのに。

 高いとか、やったことがないとか、わからないとか、ぐちぐち文句を言い続ける母。
 文句を言うなら手続きは一緒にやるからチャレンジ。チャレンジがイヤなら文句を言うのはやめようね、と迫ることになった。

 使おうかな、と思っているのよ、でも、でも!とうるさいので、じゃあもう、今機種変更しよう、明後日にまた準備してくるから。
……と話をぶった切って帰った。やれやれくたびれた。

 そんなわけで私は自分の家のそばで親が契約しているケータイキャリアの営業所を探して、「大体こんな感じのプランを取っているようだけれど、こういう人がガラケーからケータイに変更したらどういう感じになるでしょう?」と話を聞きにいった。
 実は私の住んでいる街にはこのケータイ会社のお店が自転車で行ける範囲だけでも3、4軒ある。そんなわけでいうほど混んでいないし、他のキャリアもそのあたりにいっぱいあるので競合店が多く、接客が悪いとあっという間にお客が他所へ流れるので応対も丁寧。話だけを聞きに来たので、という私にも素晴らしい対応をしてくれて、私はスマホのカタログをいくつかと印刷した「大体こんなプラン」という見積もり書を何種類かもらうことが出来たのだった。

 これを持って、明日もう行く。おせんべいの味が食べなきゃわからないのと同じで、スマホだって使ってみなければ絶対わからない。それを「食べたいんだけど、口に入れるのは嫌なの」とずっと愚痴を聞かされる方の身にもなってみろってんだ。
 
 父は母を見ていてちょっと思うところはあるらしく、「もうやっちまおうか!」と推進する態度だったので、父のためにがんばっておこう。これがね、一番いやなパターンは「やっぱりスマホなんか使えない、それもこれもみんなお前のせい」みたいになること。
 マシなパターンは「やってみたらそれなりに出来たから、結果オーライ」。

 父は多分、じっくりと使い方を研究すると思う。マニュアルなんかを見てじわじわ行く人なんだよね、昔っから。
 つまり父は「説明書を読むタイプ」だ。

明日はがんばろう。

ガラケーからスマホに変更

私はがんばったよ、今日。

 朝一番で実家に出かけた。目的はガラケーからの機種変更。田舎なので近隣にキャリアのショップはあんまりない。実家から電車に乗らないといけない場所にある。いくら田舎だと言っても、つまりお店が少なければそこに集中するのは避けがたく、こんな田舎なのにびっくりするほどショップが混むのが特徴。

 10時開店だから、と思って着いたのが10時10分で、すでに10組待ち。あーらら。
 私は熱いお茶の入ったサーモスと飴玉、kindleまで持って準備万端。
 父と母に大体目星をつけておいたスマホのカタログを見せたり、お店の見本のスマホを触らせたりして待ち時間をつぶした。

 大体のプランが手元にあったので、それを参考に……と思ったが、前日私が自分の地元で作ってきたプランは、その店のお姉さんが10分以内で説明して作成して印刷してくれたのに、今日担当してくれた若いお兄ちゃん、仕事がめちゃくちゃ遅い。
 彼がプランをお姉さんが作った通りに店の端末で作成して出力するのに1時間近くかかった。

 それをいちいち確認して、変更して私が3種類ぐらいに絞っておいたスマホの中から在庫のあるものを確認して、契約の確認をしてスマホをお店の奥から出して、ケータイ電話からアドレス帳をインポートし、フィルム(別料金でゲット)を貼って……まで行くのに、なんと店について待ち時間1時間を込みで4時間半、かかった。
 父はのんびり待つ感じだったが、母は店員さんにぶつぶつと文句を言うのでそれを止めるのが面倒だった。しょうがないじゃないの、仕事の早さなんて上げようと思って上がるものではない。文句を言って早くなるものでもなし、いい大人のとる態度じゃないよ、とおさえながらの待機となった。

 多分仕事に慣れていない人なのかもしれないけど、4時間半はあまりにもひどい。それともこのぐらいかかるものなんだろうか…とは私も思ったけど、それを口に出し、態度に出し、相手に嫌味を言うかどうかはまた別問題だよねえ。私が子供のころはなんにつけ行儀には死ぬほどうるさかったのに、まさか外で、いくら実際にものすごく手際が悪いとはいえ店員さんにそういう態度を取るとは思わなかったのでちょっとびっくりした。年を取って色々、抑えられなくなっているのかもなあ。前頭葉の働きが悪くなるっていうしね。

 ガラスフィルムが1枚3300円、母に買ったケータイのカバーが5500円にちょっと目が飛び出た。
 ヨドバシカメラとかで買えば多分、フィルム1200円ケータイカバー2000円というところだろう(結構上等だった)。
 まあでも、画面に貼るガラスフィルムはあんまり安いと操作感に違いが出るし、ガラスフィルムを張るというのも初めての人には荷が重いだろう。(私のスマホのフィルムとケースは両方100円だけどな!)

 一応古いスマホを持って行って使わせてみたのだが、手でタップするのに慣れてないのと、手がカサカサしている冬なのとの合わせ技でタップが反応しづらかったり(押すところのちょっと横を押していることが多い)。そこへガラスフィルムが厚めだったりしたら余計大変だろうと思ったので、高いフィルムにしておいたのだが、値段を知っていたら私が1200円ぐらいのを買って貼った、かなあ。はあ、高かった!

 念のため100均で導電繊維のタッチペンを買って渡しておいた。
 二人に同じ機種を色違いで買った。母に、なんとかラインの使い方を教えている間に父はスマホにプリインストールされている「スマホの使い方」のチュートリアルソフトを立ち上げて、じーーーっとムービーを視聴し、ボタンの使い方を練習していた。性格が出るよね、これも。
 多分父はこの調子で少しずつ操作をマスターするだろう。フォトショップやエクセルやワードをそうやってじーーっと見て試すことで覚えて使えるようになった父らしいと思う。

 そして私も操作を母に見せて教えるわけだが、今回買ったケータイはアンドロイド。ずっとiPhoneを使っている私にもイマイチわからないところが多い。ちょっとした使い方が違うんだよね。母がほしいと言っている機能がデフォルトで入っているのか、ケータイのキャリアが入れているのかが不明だったり、字を入力する時に私はPCのキーと同じ配列のソフトウェアキーボードが出てくるようにしているのだけれど、今回買ったスマホにはフリック入力しか出てこなかったりして、私もちょっと困った。

 フリック入力って慣れたら早いらしいんだけど、私はローマ字入力の方が早いんだよねえ…。キーボードの設定を変えるのは「設定」からだろうけど、google入力というのは普通のキーボードじゃないのか?(あとでPCタイプと12ボタン、フリックの変更のやりかたはわかった)
 母にはフリック入力を教えておいた。

 2時半にケータイキャリアショップの横のレストランでご飯を食べ、実家に戻ってからwi-fiの設定をして、ラインと電話とメールと、アラームの設定(目覚まし時計として)を教えて、まずは問題なかろう、ということで、家に到着が8時前。
 手続きに2時間ぐらいはかかる予定だったけれど、まさか4時間半もかかるとはねえ…。とても疲れて頭痛がする。
  私は帰り道に軽く夕食。夫と息子も2人で出かけて外食してくれた。熱いお風呂につかって、頭痛薬を飲んだらちょっとましになった。一週間後ぐらいにまたいくので、それまでにやりたいけど方法がわからないことがあったら、言ってもらうことに。なんせラインがあるからね。
 
 初めて音声入力とか、グーグルアシスタントとかも試してみたが、思ったより聞き取り精度が上がっている感じがする。最後に試したのは多分、10年以上前で、あまり使い物にならなかったからなあ。技術の進歩はすごい。

 私も次はiPhoneは高いからアンドロイドに乗り換えるかもしれないので、ちょっと家で古いのを見て研究しよう。

アンドロイドお試し

 私の持っているiPhoneはかなり古いもので、次にOSのアップデートをしてもらえなくなる端末になるとしたらこれだろうな…という現行iPhoneファミリーの最底辺。
 これはすでにiPhone5よりちょっと新しいぐらい。私が買った当時には、iPhone6、7、8が出ていたので、3世代ぐらい前ということになっていたから、古いのを売りさばくキャンペーンにのって3万円以下で手に入れたはずだ。

 多分今年の9月のメジャーアップデートの対象から外れるので、買い替えを考えるとしたら9月より後。その時にiPhoneにいいキャンペーンがなく、安く買えなかったら……。iPhoneというのは基本高い。このOSを使うスマホはアップル社の独占なので競合するスマホを作っている会社がないからお値段はアップルの言うまま。もちろスマホの性能もいいし、部品も高いものを使っているので端末が高いのは理解出来るが、だからといって自分が高いお金を出せるかというのとは別だ。

 アンドロイドOSを使うスマホに買い替えようかなあ。アンドロイド端末はスマホを作っている会社がいくつかあって、OSだけライセンスして使えるようにしてある。競合する会社がいくつかあるのでなるべく安く作る会社がある。つまり「性能がよくないけど安い」とか、「ちょっと安くてちょっといい」とか「最先端の最高機種でびっくりするほど高い」とか、バリエーションがあるわけだ。

 「最新技術を使っているではないが、使えないわけでもない」ぐらいのものが新しい機種として発売されて2万円ぐらいで買えることを思うと、そっちのほうがiPhoneの「性能が良すぎてそこまではいらない」機種を高い値段で買うよりいいかなあという気がしてくる。大体発売してから3年か4年ぐらいは「動かないアプリが多くなってきて」とかにならないからね。

 問題は1つだけ。
 私がアンドロイド端末を使ったことがない。<これだ
 私のスマホ歴はつまりずっとiPhoneだったんだよね…。1台目はちょっと練習が必要だったが2台目からは買った日からすいすい使える。今まで使っていたアプリ、今まで使っていた操作方法。

 親のアンドロイド端末をさわっていても、「おっと、こういう風になるんだ?」みたいな感じになったのでちょっと危機感があった。
 家に古いアンドロイド端末(夫の使っていたもの)があるので、頼んで借りてみた。

 夫はデータを出荷状態までワイプしてから貸してくれたので、ちょっと一日かけていろいろ試した。
 自分がiPhoneで使っているアプリがアンドロイド版にもあったらそれをダウンロードして使えるか試したり、愛用しているアプリがなければ似たようなものがないか探していくつかダウンロードして試して選んだり。

 いろいろやってみて、大体今持っているiPhoneで使っている機能はちょっと見かけが違うなりに再現出来た。
 歩数計と健康管理と端末を探すアプリは、端末には内蔵していなかったがiPhoneと似たようなことが出来るものがあった。
 壁紙交換アプリ、ラインやメールのソフト、カードゲームにパズルゲーム(そこなの?)、映像試聴ソフトもあった。
 データがなくなると最初っからになるドラクエウォーク、ポケモンGOはアカウントの引継ぎが出来るようにしたし、連絡先やメモ帳やToDoリスト、文章閲覧、写真管理とスケジュール帳はグーグルのアプリをパソコンと連携で今のiPhoneでも使っていたから、アンドロイドにも移行は簡単、データの同期ももちろん出来た。音楽ソフトのspotifyもグーグルの関連ソフトなのでプレイリストなどもそのまま移せた。
 うわあ、これは便利…。ひと昔前の機種変更の面倒さを考えると夢のようだ。
 
 ゲームの広告を消すのだけはやり直しになるが(つまりお金がいるってことだ)、お金払ってまで広告消したいぐらい「残しているゲーム」というのは少ない上に、私は面白いアプリを見つけた。
 

それは、グーグルアンケートモニター。これはアンケートに答えるとgoogleplayshop、つまりアンドロイド向けアプリを売っている場所で使えるポイントをくれるというアプリ。

 ポイントの期限はもらってから1年間だそうだが、1年もやればたとえくれるのが一度に10ポイントでも、ゲームの広告を外すのが150ポイントから200ポイントぐらいのものが多いことを思えば十分役に立つのではないだろうか。
 ちなみにさっきアンケートをやってみたら、飲食店に食事をとりに行くのがどのぐらいの頻度かと、お茶やコーヒーを外で買ったり、喫茶店やカフェで飲んだりするのがどのぐらいの頻度かを聞くものだった。
 
 まあ、情報の切り売りと言えばそうだけれども、このぐらいならまあいいか、という話でもあったので答えておいた。50ポイント、結構くるなあ。最初だからサービスなのか?

 しかし、グーグル系統のアプリでいろいろなものを揃えたくなるなあ。データ移行の問題がいらないし、どの端末でも同期しておけるし。ヤフー系とグーグル系、それからサムスンの系統があるのがアプリショップをみているとなんとなくわかってきた。どれか1系統に絞っておくといいのかも。

 閑話休題、つまりなんとかアンドロイド端末が使えそうなところまで来た感じがする。
 ちょっとほっとした。これで安いアンドロイド端末のキャンペーンがあったら問題なく乗換え出来る。
 こういうことは元気がある時にやらないと無理だし、なおかつ親を見ていてもわかる。今なら乗り換えが簡単でもあと20年経ったら乗り換えするのがイヤになるかもしれないからね。

 「どっちでもやったことがあるから、大丈夫」と思えるようにしておくのは大事だよね、きっと。
 


チポリーノの冒険

図書館で本を選んでいる時にちょっと題名が目に入ったのがこれ見られない場合は画像のリンク切れです【チポリーノの冒険】。頭に歌が思い浮かんだ。
♪タマネギのにおいがきらいな奴は、レモーンたいこう トマト騎士♪
 えー?歌。♪チッポリーノ、チポリーノ、ぼーくーのなーかーまーー♪
……頭の中で歌えてしまった。
しまったけれども、物語の中身が全然思い浮かばないのが不思議だ。

 これは多分小学校の全校集会で歌ったことがある感じがする。学年ごとに違う音楽の教科書ではなく、全校生に配られていたいろいろな歌を集めた小型の愛唱歌集に載っていたのだろう。
 子どものころに読んだことがある本を割と「大体こんな感じ」と覚えていることが多いのだが(その割に大人になってから読んだ本はそれほど覚えていなかったりするけど)、これに関しては全く記憶が残っていない。サクランボ坊やがいたのと、チポリーノのお母さんは出てこなくて、お父さんを助けに行く話だったぐらいの情報は頭の中に出たが、あまりにも情報が少なすぎ。

 しょうがない、読めばわかるだろうというわけで借りて読んでみた。

 見事なまでに全く記憶もどらなかった。ということはこれは「未読」なんだろうなあ。岩波少年文庫はかなりの数読んだはずなので、なぜこれが未読なのかは謎。私は小学校の図書館をかなり網羅して読んだはずだし、岩波少年文庫=スタンダードで有名なことが多いし、1960年から1980年の蔵書が多かったはずの小学校の図書館になかったとも思えないのだけれど。

 ちなみに中身は、かなり風刺が効いていて、小学生では深い意味がわからなかっただろうなあという本だった。
 「ネズナイカの冒険」とか「ムーミンシリーズ」と似た香りのする本で、大人の読者もある程度想定してあるというか、「子供の読み物のふりをして出版したけど」みたいな本。もしかしたらソ連か、ポーランドか、共産圏の本じゃあ…と思わせる感じだと思って調べてみたら、ナチスのレジスタンスにいた人だった。ソ連でも人気のある本だったらしい。ちなみに作者の【ジャンニ・ロダーリ】さんは、イタリア出身だった。



 まず貴族制度が現代に残っていない日本の田舎町ではちょっとわかりにくい権力構造に立ち向かう話だったので単に記憶が残らなかっただけなのかもしれない。今のファンタジー系の話や幼年童話を読みなれていたら、なんとなくこの粗削りな洗練されない感じというか、子供の共感を呼ぶところが少な目というか…大体「児童文学」というものがたくさんはなかった時代の物なのがわかる感じで今の日本の子どもにはあんまりウケない感じが。舞台が狭いのもちょっと問題?

 でも正直いかにも感動しろ、泣きどころはここだ、と言わんばかりの長大なストーリーではないところが好感の持てるストーリーではある。ムーミンのシリーズとの共通点はそこだと思う。彼らなりの冒険とものの考え方というものがあるのだとわかる感じ。

 私たちが生きていく上で必要な心の持ちようであるとか、身の回りにいる人を観察する力であるとか…といったようなものが書かれている本で、「ああ、いるいるこんなやつ」と思いながら読んだら割と面白い本だった。

 ちなみに私はどうも、これの「紙芝居」を見たことがあるっぽい。日本で知名度が高いのは、ちょっと年代はさかのぼるが、「チロリン村とくるみの木」というシリーズもののテレビの人形劇の原作がこれだかららしい。ウィキペディアによると812回分も制作されたそうだから、これは見た人もずいぶん多かったのだろう。
 
 まだまだ読んでいない本がいっぱいある。やっぱり映画や映像作品と違って、文章で書かれたものは今までの積み重ね分もいっぱいあるから「コンテンツが切れない」ところがいい。私が子供の本の新作をあんまり読んでいないということを含めると、私が小学生だったころから30年以上増えているのだと思うと、これは多分一生かかっても読めないんだから、楽しみと言えば楽しみだ。
 
 ただ、とっかかりのなさもあるので、まずは見覚えのある題名からかな、ということで今回はこれだった。
 おすすめか…と言われると、今回はそれほどでもない。
 ムーミンのシリーズか、ネズナイカが好きなら、またはチロリン村とクルミの木が好きならおすすめ、といったところだろう。

地震の話

元々、予約投稿しておく私のブログなので、地震のあった日に事を思い出して書く1月17日の日記や、3月11日の日記に地震の話がのることは少ない。

 これを書いているのが1月17日なので、遅ればせながらその時の話をしようと思う。
 私は近隣県で阪神大震災の朝を迎えた。つまり揺れはしたが、神戸ほどではなかった。
 被災者に友達はいたし、友達の友達に亡くなった人もいた、そういう地震。神戸市内や、隣の市に住んでいた人は九死に一生を得た状態だったし、身近で家の下敷きになって亡くなった人々を見たという友達もいた。

 何カ月も何カ月も「怖かったねえ」と話題になったし、近隣県と言えども家が建て直しになった人もかなりいたように思う。
 
 「俺はな…。あの日からずっと考えとるんや」と語る友達がいる。
 なぜあんなに簡単に突然人が死んでいき、そしてそれは自分ではなかったのだろうと考えているのだと。

 答えは出ていないらしかったが、そんな話をしたのが震災後10年ぐらいの時だったと記憶している。

 その人に今年の正月、久しぶりに会った。いまだに独り身の彼には、今でも考えているのかとは聞かなかったが、彼は鬱状態にあって通院しており、「去年は生き延びるだけで精一杯だった。今年の目標も生き延びること」だと言っていた。
 とても心配だ。

 あの地震が影響を与えなかっただろうかと思うと、やっぱり影響があったのだろうとしか思えない。
 そしてそれに対して何もできないことも。
 
 災害はいつやってくるのかもわからないし、人間の力で何が出来るわけもない。突然人が大量になくなって、それを目の当たりにした人は傷つく。
 どれだけたくさんの人が無念と思い、なくした近しい人を悼み、つらい思いをしているのだろう。

 毎年この日が来るたびに、答えがない問いを思い出してもやもやする。

 耐震基準があがり、家具は固定されるのが当たり前になり、防波堤は出来た。きっとそういうことすべてが災害で死ぬ人が減っていくことにつながっていくのだろう。

それでも、なぜ私ではなかったのかという問いにこの世で出せる答えはない。

 なくなっていった人を悼むほかにも、生き残った人にも共感が必要な気がする。
  ああ、もやもやするね、そして何にも出来ないね、と。生き残ったからいいじゃないか、ではない。
生き残ったからこそ、つらいこともある。そしてそれを「ぜいたく」だと言って責める人がある。

 だから、何も出来なかった人のひとりだったこと、そして生き残った側にいるのだということを毎年思い出してもやもやしておくことにしている。近くにいる人を、理不尽なまでに突然なくしてしまった人にしかわからないことがきっとある。
 直接かかわることがなかったから私の思い出し方というのはとても…周辺的なのだ。こんな言葉があるかどうかわからないけれども。
 
 それがきっと直接は関わらなかった人の「忘れない」ということなのだと私は信じている。なくなってしまった人のためにも、生き残った人のためにも。

歯医者の定期健診

去年からこっち、私の定期健診の頻度はかなり多くなった。
なぜならば、私は歯医者が苦手だから。

苦手なら頻度が低くなってもよさそうな、と思う方もいるだろうが、そうでないのには理由がある。

「大体半年に一度は来てください」というのが、問題のない時の歯医者さんではないだろうか。私が今まで住んだ街でかかった歯医者さんは大体そういう感じだった。

 半年に一度行くと、歯茎のチェックとかクリーニングとかがあるわけだが、これが時間がかかる。
 私の歯みがきの仕方が悪いのもあるだろうし、もともとあんまり歯が丈夫なほうでもないから、半年に一度いくとかなり長時間の処置がいることが多い。

 1度じゃ済まず、2度になることもあるし、詰めていたりとかかぶせていたりとかするものに問題があることもしばしばあって、一昨年から去年にかけて、怪しいところは大体全部治すことになった。

 これががんばって3カ月に1回にしてみると、処置が短くなることに気が付いた。
 もしや、と思って次に歯医者に行くのを4~6週間後ぐらいにして数回通ってみると処置が半年の時に比べてとても短くなるのがわかった。

 6カ月は大体24週間、6週間との差が4倍であると考えると当たり前だが、歯になにがくっつくにしろ四分の一の量で済み、それが原因で歯茎に問題が出るとしても、放置している期間が短ければ重症化しないということなんだろうね。

 処置が短く、痛みが少なく、歯医者に行かなきゃあ、と思ったときの心理的負担が少ない。
 かかるのは…お金か。そうだよね。

 うちの大蔵大臣は夫なので相談してみた。
……というわけで、歯医者に4倍の頻度でかかりたいのだという話には、問題が起こりづらく、予防的措置としてありだろうという判断でOKが出たので、もうこの頻度で歯医者に通うことにした。

 というわけで今日も歯医者に行ってきたのだが、かなり楽。
 これは他を節約しても行く価値はある。それと頻度が高いと、6カ月に1回よりもなんのせいかは知らないが1回当たりの値段が安いことも判明して、きっかり4倍の値段がかかるのではないこともわかった。

 今年はこの頻度で行けるようにがんばろう。
 

今頃明かされた真実

 実家の両親との雑談したときのメモから。

 息子、つまりうちの両親から見ると孫だが、孫の話題は基本安全だ。黙って興味深く思いながら聞いてくれて、あんまりネガティブなことを言われず、ちょっと間が持ついい話題なので実家に行かなくてはならない時は割と会話に出す。

 息子が今、ピアノがどのぐらいのあたりを弾いているか、というような話題や、英語がどのぐらい出来るようになったかとか、算数が得意だとか、他人に話すとちょっと自慢めいてしまうので身内だけで消化する話題が多い。

 私は小さかった頃そんなに長くではないがピアノを習っていたことがある。姉はもっと長く高校受験の前までピアノをやっていた。そのため、私も音を聞いていた期間はそれなりに長かった。母親は実はオンチだが、姉と私はオンチではないのは、多分そのおかげだ、という話も息子にピアノを習わせ続けている話と絡めてだした。最近コーラスに入った私はつくづく、ある程度いい相対音感があるということがありがたいなあ、と思っている。絶対音感はないが、それでも十分相対音感というのは使える能力なのだ。

 母が「あの時はねえ、英語か、ピアノかどちらかをやらせようと思っていたのよ、英語を聞く耳は3歳から7歳と言われていたし、音感もそのぐらいの年齢で覚えないとよくならないと言われていたから」と言った。

えー。そんなの初耳―。話を詳しく聞くと本当は両方やらせたかったらしいが資金が足りず、英語は無理だったそう。
 THだとかR、Lが聞き分けられるようになるには3歳から7歳、みたいな説が私が小さい時には英会話の教材の宣伝になっていたらしい。それは知らなかったなあ。

 ちなみに私の友達には、ブリタニカとかの英語教材テープを聞いていて、今でも中身が言えるという子がいるので、多分そういうテープ教材みたいなものが流行ったのだろうということは知っている。復刻されてアプリかなんかになっていて話題になったのをどこかで見たなあ。「もくもく村のけんちゃん」というやつで、当時問題になっていた公害問題なんかが織り込まれている文章で、友達が暗唱して聞かせてくれた時は「こんなの幼児教材にいれちゃってよかったの?」と思ったものだった。

 私は英語はRとLの聞き分けは出来ないが、実は出来なくても何とかなる。つまり綴りを暗記して、文章の内容からどの単語かを判断することになる。時間はかかるが慣れればまあ、会話には問題なくなるし、正直70年代にあったと思われる英語教材を使ったところで話せるようになったかというとすごく無理がある気がするから、音楽の方にしてくれてよかったと思う。

 私は音楽の授業で苦労したことが一度もないものね。この年齢になっても趣味に役立っているし。
 しかし本当にそんなことを親が考えていたなんて今の今になるまで全然知らなかった。
 
 私は息子に「楽譜は読めるようになってほしい」と思ってピアノを習わせた。音感もピアノをやっていればある程度はよくなる。楽譜さえ読めれば、新しい楽器を始めるときにも、歌を歌うときにも断然楽…というか、楽譜が読めないと突然難易度が高くなる。ちょっとでもいいから出来ると違うのは自分で体験済みだ。

 語学と音楽は無駄になるかもしれないけど、子供のころに入れておくほうがずっと簡単で、大人になってから覚えようとすると難易度があがり、習得速度が下がり、定着度が減り…という感じになりやすい。小さいころにつぎ込んでおくのは悪いアイディアではない…と思うのは私が大人だからだけど。

 息子は自分が英語が出来るのは当たり前だと思っているし、ピアノの練習は1日3分ぐらい。でも、きっと大人になったときに、多分今から10年、20年、30年経った時、あってよかったな、と思ってくれたらいいなあ。

親とスマホのその後

スマホをなんとか買わせて、数日。
 母はなんとかラインの使い方をマスターしたようだ。ただし文章と絵文字は来るが、スタンプが来ないのでこれは次回行った時に教えたほうがよさそうだ。

 ぽつぽつとメッセージをよこした母と違って、父は全く連絡がなく既読にもならないので、これは困った、というわけで機種に合わせたスマホの解説書とラインの手引書のムック本を送り付けておいたら、一応既読にはなるようになったし、使い方も少しずつ覚えているらしいことが母の話からもうかがえる。

 やっぱり紙のマニュアル必須だったか…という感じ。
 出版社も心得たもので、同じ機種のスマホの解説書をキャリア別に何冊か出している。多分キャリアの方でインストールしているアプリが違って、最初に渡されたときに違いがあるからだろう。そのぐらい細分化しないと「持っているスマホと違うんだけど」と投げてしまう人がいるからだろうなあ。

 ひとつ使えるようになれば、ふたつ目が使えるようになる可能性は高いが、最初の一つが大変なんだよね。
 私もアンドロイドスマホのアプリを次々に試して、たとえば「充電コードをつないだら自動で起動して、充電中にはずっと時計を表示したままスリープしない時計」がほしい、というような母の希望に沿うものを見つけたりして、結構面白く遊んでしまった。

 母は、充電中じゃなくてもずっとスリープなしで表示し続ける時計が(ガラケーは閉じたときにそういう挙動を出すから)ほしかったらしいのだが、そういうことをすると電池が持たないから無理だ、といったらそこまでは妥協してくれた。電源ボタンを押したときだけスリープを解いて何秒か時間を表示するという機能も付いている時計は大変優れモノだった。やっぱりこういうの、ほしい人がいるんだね。

 私のiPhoneは電源ボタンを一回押すと、スリープから起きるのだけれど、その画面で時間を表示するのはデフォルトの機能なんだよね。アンドロイドにもデフォルトでその機能があるのだが、その時刻表示が小さいのが問題らしい。
 これは機種によって違うようなので、それが大きく表示できないかは今度実家に行った時に試してみないと。

 やっぱり慣れだなあ。ラインで話を聞いていても、最初のうろたえた感じは消えていて、落ち着いて文章が打てているのが見て取れる。

 私も新しいスマホがほしくなってきた。いいよね、新しい機械って。ゲーム機でも、電子ガジェットでも。スマホでも。

自分の面倒を見る

 20代の時は何とも思わなかった。--たとえば徹夜をするとか、旅行に行くとか、ちょっとぐらいご飯を食べないとか、そういうことが割と平気で出来たものだ。
 寒いとか暑いとかは感じないわけではなかったが、それで体調不良というほどの問題が出るほどでもなく、冬はコートを着ていれば問題なかったし、夏は水分補給に気を付けておけば全く問題なく活動出来た。

 故に「みんなと同じように問題なく」生活していた。そういうものなのだと、別に何の疑問も感じずに。

 そういう日々は遠く過ぎ去ったのだと自覚したのは40代になってから。体に悪くなさそうな食事をとり、夏だけでなく冬も水分補給には気を配り、ある程度長時間寝ておかないと体調が悪くなり、気分が引きずられて元気が出なくなる。

 それだけではない。冬、特に気温が一桁に下がる時があるような時に、とても分厚い下着を着ておかないと体温が下がるからなのか何なのか、調子が悪くなる。靴下なんか2枚履いてもいいぐらいだ。腰にだとか、首の後ろに貼るカイロを貼っておくと調子がいい。そうでないならせめて腹巻きとか、首のまわりにネックウォーマー。

 座る時は座布団が温かくなるタイプだとか、床暖が入っているとか、こたつとかが望ましい。どれもないなら部屋の室温を高めにするとか、湯たんぽを膝にのせてひざ掛けをかけるとか、そういうことをすると目に見えて体調がいいほうへ向く。体調がよくなるというか気分があがるというか…。

 他の人はそういうことをしなくても平気かもしれない。でも私はそういうことをしないとダメなんだなあ…ということをここ数日の冷え込みの中、実感することになった。私はうちの母に似ているとよく言われる。姉とも話をするが、似てほしくないところばっかり姉も私も母に似ている。

 母はストレス耐性が低い。初めての子(姉)を産んだ時は出産後にノイローゼだと言われて入院したことがあるそうだし、家族の入院だとか介護だとかで負荷がかかるとあっという間に病むし、私は入院患者の心配よりも母をどうにかしないといけないというのがすごく面倒だと思ったことがあるぐらいだ。
 母も冬は気分が落ちるらしく、一段と相手をするのが大変になるのだが、いくら勧めてもカイロを腰に貼らないし、厚手の下着も着ない。「そんなことしなくても大丈夫」とか「そんなの格好悪い」とかいうのだ。お金のことを気にするほうなので、私が箱ごと貼るカイロと貼らないカイロの両方を寄付して、少なくなったら持ってくるからと言っているのに。美意識というやつなのだろうか。何の役にも立たないと思うのだけれども。それとも単に暖かくすると調子が悪くなりにくいという効果を実感していないだけなのだろうか。
 春になったら調子がよくなって、いろいろやる気が出るということから考えてもわかりそうなものなのになあ。
まあこれは「人のふりみて我がふり直せ」系のことなのであろう(と無理矢理片付けておく)。

 私もストレスに弱いかもしれないというのがちょっと怖い。
 無理がきかなくなる年齢でもあることだし、他の人は平気でも、私はカイロを貼っておくほうがいいのだ、多分。
 他の人はそれほど眠らなくても大丈夫かもしれないけれども、私はちゃんと眠るほうがいいのだ、多分。

 予防的対処に努めないとやられるんだなあ…ということが分かったのは最近だけど、時々はっとなって「あ、そうだ」と体調が気分が落ちかけた時気が付けるようになってきたのは多分いいことだ。
 
 体中がポカポカしていて、大好きな飲み物とおやつをテーブルに置いて、好みの本を読んでいる時は気分が暗いか明るいかなんて考えていない。大体寒くてお腹がすいている時なんだよね、まずいのは。冬ってホント、面倒くさい。
 早く春にならないかなあ。

ラムネの食べ比べ

ラムネの食べ比べをしてブログを書こうと思って色々そろえた。
 左上が、この記事を書こうと思ったきっかけの春日井のじゅわフル。
 上の真ん中がロングセラー、カクダイのクッピーラムネ。
 右上が、何年か前に予約販売しかしていなくて抽選販売だというのが話題になったことがあるイコマ製菓のラムネを味覚糖が一緒に作ったらしい商品。

 左の下が赤ちゃん用品店でよくみかけた阿部製菓「ラムネの山」。
 真ん中が、フルーツ柄が懐かしい春日井の袋のラムネ「ラムネいろいろ」


 右の下が地方によってはポピュラーらしい島田製菓の「島田のラムネ」。大粒もあるようだが、高かったので予算不足で買わなかった。

本当はカクダイラムネの「ラムネ玉」も参加させようと思っていたのに、気が付いたらないってどうなの!多分夫か息子が食べつくしたと見た。しょうがないのである分だけ。

 まず島田のラムネだけは全然テクスチャが違う。とても細かい、いうなれば目の細かい片栗粉のようななめらかな崩れ具合。他のは割と「似たりよったり」の気がしたが、これだけは違ったので食感の違うラムネが食べたければこれ。

 あべっこラムネと春日井のフルーツラムネは食べた食感が似ている。でも春日井のほうがフルーツのエッセンスが濃くて駄菓子っぽい。あべっこラムネのほうが味に癖がなく、こっちのほうが好みの人もいると思う。特に春日井のオレンジとメロンはかなり「ああ、あったね、こんな駄菓子!」という味。
 春日井のフルーツラムネのほうが大きい粒のラムネの直径が小さい。
 大きいからなのか、あべっこラムネ(大)のほうが口の中の水分を持っていかれる感じがちょっと強め。春日井も大きいラムネはそういう感じが。小粒のほうは春日井とあべっこは同じサイズだった

 クッピーラムネのほうがあべっこラムネ、春日井よりもちょっと粉っぽさがあるような。
 クッピーラムネはちょっと噛んで食べてもいいような。感じでいうと、幼児のおやつにある、ボーロ。あれとちょっと似ている。ちょっとカリカリかみかけたら突然とける、そういう感じ。酸味が控えめでちょっと甘め。

 イコマ製菓+味覚糖は粒が大きくて薄い円筒形に近い他のラムネと違って球形。ちょっと食べたときにジョリジョリ感が。粒子に不ぞろいな感じがしてこういう食感が好きな人もいそう。桃の香りが強め。

 じゅわフルのもも味は、やっぱりくちどけが他より早い。同じ春日井のラムネと比べても早い。
 島田のラムネとクッピーラムネの間ぐらいにある粒子の細かさがわかる感じ。味が濃いめで、島田のラムネにちょっと感じられた粉っぽさがない。

 なめらかさでは島田が、くちどけではじゅわフルが。
 フルーツの香料は春日井が強かった。阿部製菓のラムネは全体的に平均値で、フルーツの香料がいらなければ春日井の「ラムネ玉」がスタンダード。バリエーションがほしい時は阿部製菓の勝ち?春日井は好みが分かれそう。

 レインボーラムネは多分本物の問題点は値段。ジョリジョリした感じが実は好みだった。(これは春日井の球形ラムネ「のどラムネ」との共通点)
 クッピーラムネは記憶にあるより粉っぽさが少なく、ラムネ玉は私が子供だったときよりもおいしくなっていると思う。
 そしてじゅわフルはくちどけが断然いいよねえ…。これでもっと味にバリエーションが、というか桃味と、ぶどう味はあるのでレモン味か、イチゴ味が…と思ったけど、こういうお菓子で再現してこれは本物が入っている感じがする!と思えるぐらいとなると難しいのかもなあ。

 島田のラムネは多分お値段と流通影響で小さいころの私の口には入らなかったのではと思うが(地方によってはラムネと言ったらこれだった、というところもあるらしい)、 次回はガラス瓶入りの大粒を試したいなあ。
 多分飲み物があったほうがおいしいかもだけれど。サイダーみたいな味のものを飲んで口の中の水分を補給しつつ食べたら早く溶けすぎて食べた感じがしなさそうだ。

 おすすめラムネは断然「じゅわフルもも味」。ラムネなんて何年食べてないだろう、という人におすすめしたい。
 子どものころ食べたのと違うなあ、と思えること請け合いだ。


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    まこ

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