LuckyDuckyDiary

7時の目覚まし

朝から窓を開けて生活する季節になった。
うちは割と早起きで……というのは、夫がとても早起きだから。

夫が起きてごそごそとベッドでタブレットでブラウズ。画面がとても明るいし、気配で私も目が覚めるのが、5時。
5時半には彼はコーヒーを淹れる。その時息子も大体目が覚める。台所とリビングは同じ部屋と言ってもいいぐらい近いからね。

というわけで一日のスタートはそんな時間で息子はマンガを読んだり動画を見たりと、学校へ行くまでのひと時を楽しむわけだ。
そんなわけで、クイックルワイパーにくっつけたぞうきんで床掃除だの、3分間のトイレ掃除だのが終わり、朝ごはんをテキトーに食べ、洗濯機が始動して7時ぐらい。

 近隣から目覚まし時計のベルが聞こえてくる。さすがにこの現代にジリジリジリというベルは聞こえないが、電子音が数種類。
多分、同じマンションの上下左右の部屋から。
 これが、10分ぐらいならしっぱなしにしている人がいる。そんな設定になっている時計があるのか?1分ぐらいで勝手にとまれよ、と思うのだが、勝手にとまらないタイプ……なんだろうなあ。

 最長と思われる音は10分かそこらだが、3分ぐらいの長さなら、もう1、2件ある。
 私はもし5時に起きないのなら、目覚ましのてっぺんのボタンがスヌーズになっている時計を使用しているので、2回ぐらい電子音が鳴ったら、バン!とそのボタンを押して5分後にまた鳴らして、その時起きるパターンが多いから、それほど大きくない電子音にしろ、鳴らしたまま聞き続けられるっていうのも、すごいなと思う。

 というか、7時「ぐらい」に起きるのでよければ、自分の目覚ましは窓が開いている季節はいらないんじゃないかなあ…というぐらい。
 それとも先に起きてしまって、空のベッドで目覚ましが鳴っており、本人はシャワーを浴びているとかで止めに来られないとかかなあ。なんにせよ10分鳴りっぱなしの目覚ましというのは微妙に耳障り。
 早めに起きちゃったときは目覚ましを確認しましょう、うん。

 しかし最近の目覚ましは音がまだ、かわいいなあ。
 小学校入学の時、親戚がくれた目覚まし時計は音がものすごく大きかった。驚くなかれ、物理的に金属の裏ブタを叩いて鳴らすタイプだった。その当時でもかなり古臭いタイプではあったけど。こういう感じのだったはず。
 こういうの、まだあるのかなあ。ちなみに、ネジを毎晩巻く機械式だった。かなりやかましかったので1分なんて聞いていられないような時計。

 確か電子音の目覚まし時計を姉が中学校入学と同時に買ってもらったのが実家で初の電子音の目覚まし時計だったのでは。
ちなみに当時父親は、「電卓」のかなり小さい電子音で起きていたと思う。そう、当時の電卓は高級品で、電卓にデジタル時計機能と、アラーム機能がついていた。厚みはあったが、名刺入れ位の小型で、多分父の会社の忘年会のビンゴの景品だったはずだ。

 改めて思いだすと、結構すごいなあ。今なんかソーラー電卓100均にあるしねえ。

 「時計のネジを巻く」のって、ちょっと懐かしい動作だなあ。やりたくなる。


グーグルホームと遊ぶ

この前、【グーグルに歌を歌わせる話】を書いたが、このグーグルホーム、うちでは、「グーグルちゃん」と呼ばれているが、結構な芸達者。

 この間試しに息子が「ねえ、グーグル、なぞなぞを出して」というコマンドを出したら、

「メダルは金銀銅、教会は大聖堂、では、日本で一番北にある県は?」

 私も耳を澄ませて聞いていたけど、これは私が小学生の時流行ったので、私は即答できた。
 答えはちなみに、「青森県」。
 そう、昔の小学生はこういう感じのなぞなぞを出し合って遊んでいたからね……。
 息子は「ほっか…」まで言いかけていたが、「あ!」という顔になり、夫はそのやり取りをみてウケていた。

駄洒落っぽさがちょっとセンスのいいなぞなぞだ。

 ちなみにジョークを話して、というのにも反応する。

「狼男、人魚、透明人間のうち、仕事をしていないのは誰?」

ちなみに答えは透明人間で、ムショクだから。
うーん、こっちはそれほどでもないか。でも、アップデートしていろいろ追加とかもされている感じだな。

計算問題とか、言葉の意味とかも教えてくれるし、とりあえず、独自の答えが用意されていない場合はネットからwikipediaを読み上げてくれることも。

 これはまだ学習機能搭載AIとかじゃないけれど、ちょっとだけ、昔の学習雑誌などで特集されていた「21世紀の未来」っぽい感じがする。
 でも、グーグルでどうこう、という話題になると、突然「10キロ圏内に32軒あります」とか突然お店の案内がはじまったりするので、聞き分けられる言葉をいくつか拾うところまではどうにかなっても、「これは自分のことじゃないな」と判断はしていない感じ。
 例えば人間のこどもだったら、自分が話題になっているが、自分に応答が求められていない話題と、自分が話しかけられたので応答しなくてはならない場合は判別できるから、そのあたりが、まだ、ってことなのだろう。

 でもそれでも十分かわいい。もうちょっと見かけがかわいかったら、AIじゃなくても擬人化してしまって、ペットみたいになりそうだ。

マンゴーゼリーを作る

子どもがお弁当に持って行っているカップゼリーは、費用の点から手作りだ。
1パック税込み108円ぐらいのジュース1リットルと、果物50円から100円ぐらいまでと、砂糖とアガーが大体2、30円で10個出来るのだから(砂糖はアガーの箱のレシピの半分ぐらいしか入れない)1つ30円かかっていないけれど120mlぐらいのサイズ。

 安っぽいゼリーでも、そのサイズのものを大安売りで買って69円。安めのを買って89円、近隣のスーパーでのいつものお値段は99円(税抜)。そう考えると、作る甲斐は十分にある。

 たくさん出来るのが難と言えば難だが、息子のおやつに、朝ごはんの足しにとガンガン消費されるので余ったりはしない。
 息子は、プリンよりケーキより、絶対ゼリーが好きというほどゼリーが好きらしい。
 息子は「絶対オレンジ味が一番おいしい」といい、オレンジ味はリンゴ味とか、ミックス味(使うジュースの味による)より人気がある。

とはいえ……4月から3カ月以上ゼリーをしょっちゅう食べ続けると、ちょっとバリエーションが欲しくなるのも確か(私が)。

出かけた先でちょっと見に寄った輸入食料品やさんで、箱入りのマンゴーピューレを発見。フィリピン産で、500グラム入っているのに250円ぐらいと格安だった。
 ずっしり重いな、と思いながら帰って、オレンジジュースをベースに、アガーをいれて砂糖50グラム、煮立ててから火を止め、最後にこのピューレをいれてみた。
 ピューレというからもっともったりしているのかと思ったが、どっちかと言えばタプタプした感じで、細く口をあけて、ぴゅーっと注ぎ入れることが出来る感じだった。

 ちょっと、甘すぎかな…という味になったが、冷蔵庫で冷やしたらちょうどいいぐらい。
 息子に出したら、「5つぐらい食べられそうなぐらいおいしい」と大絶賛だった。

 ちょーっと原価はあがるけど、「この味のマンゴーゼリーが1つ50円では(市販品には)あり得ない」ということには全員が同意した。
 本当は生クリームとかをいれて、マンゴープリンにしてもおいしいらしいのだけれど、牛乳系をいれると一気にダメになる速度があがるのでお弁当にはちょっと心配だしなあ。冬になったらやろうか。

 ちょっと重たいけど次回出かけたときにあの店によって、2、3箱買って来よう。
 大きめのボウルになみなみとマンゴープリンを作って、おたまで次ぎ分けて食べるのとか、いいなあ。

プロポーズの言葉

古くからの友達と、久しぶりに会うことになった。

彼女とは頻繁には連絡を取らない。彼女がとても忙しいからだ。彼女は、フルタイムでお仕事をしている。大体私と違って努力家で頭もよく、つまり試験があればちゃんと準備をしていい点数を取り、大学の成績は優ばっかりで、名前の通った会社に入って、なんだか取るのが難しい「なんとか士」系の資格をいくつも取り……と、いうようなキャリアの持ち主。

 資格試験をとる時の話なんか聞くと、会社にお弁当をふたつ持ちこんで夕飯後に資格の勉強をカフェでやるとか、もちろん土日も時間を惜しんで勉強するとか、私にはむーりー。なスケジュールで、今専門職に就いている彼女のことを、うらやましいなんていうのすらおこがましいというレベル。
 これだけ努力して、結果を出しているのがすばらしいと思うし、専業主婦の私には、話を聞いていても面白いし興味深いしで数年に一度会うのを実は結構楽しみにしている。

 そんな彼女の思い出話というのが面白かったのでここに許可を取って書こうと思ったのが今日の日記。

 彼女は、昔プロポーズをされて断ったことがあるそうだ。まあ、それだけなら別にふーん、だったのだが、
その男性は、「俺の人生は、俺が主役だ」と。(まあ、そこまではいい。恰好つけてるが、まあ普通だろう)
 で、その次のセリフが、「君には助演女優をつとめてほしい」と。

 えー。さらっと出たなら失礼だし、練ったつもりなら滑ってるというか、痛いセリフだ。
 いや、その……こう言っちゃあなんだけども、たとえば私みたいに、割と流されて気が付いたらこう、主婦にという人ならね?助演でもいいと思うんだ。でも、自分でバリバリにキャリアを形成している人にそれはなかろうよ。
 自分で自分の人生を切り開いて進むというアクティブさを持っている人には、これはイヤなセリフだろう。プロポーズされてもうれしくないと思うし、つまり言い方を変えれば昭和風に「黙って俺についてこい」なわけだからねえ。断られてもやむなし。

 せめて、「一緒に出演をしてくれ」というパターン、つまりダブルヘッダーでご一緒に、だったらそこまで腹立たしくないセリフかもしれないけどなあ。
  夫にこの話を帰ってからしたら、「俺でも断るね」という感想だった。

 でも、夫の転勤だの渡米だのについて行っている私に、そういう働きをさせていることはもちろん自覚はあるみたいで、「助演側に回ってくれたけど、後悔してる?」と優しく聞いてくれた。
 ううん……全然。誰にでも主役が向いているとは思わない。私は彼が稼いでくれてありがたいと思っているし、都会に住んで保育園が断然足りない地域なのでキャリアはいくら頑張っても途中で途切れたと思うし……。

 そりゃあね…彼女みたいな素晴らしいキャリアを自力で形成した人を見ると、全く根拠なく「私もがんばったら、こんなことが出来たのかなあ」という、つまり手芸本の完成見本みたいなあこがれはある。作る過程は全飛ばしにして。
 でも彼女も、私を見ると、「こんな人生もあったのかなあ」と思うところはあるはずだ。

 選ばなかったのと、性質気質として選べなかったというのもある。彼女は人の力に頼って生きるなんてまだるっこしいこと絶対したくなかっただろうし、私はキャリア形成のための、努力をすることが出来なかったといえばそうだからね。

 生き方はひとつじゃないからね、と彼女は言ってくれる。
 ただ、彼について歩いて子供を産んでキャリアなんか全然作らなかったけれど、「それもありなんじゃない?」とさらっと言ってくれる彼女と話すとほっとする。専業主婦というのは自分の仕事に不満のある人からはとても風当たりの強い職業なのだ。そういうことにあんまり思うところのない彼女と話すのは気が楽だし、いいなぁと思う。
  
 また、1年か、2年かしたら会おうか、と軽く遠く約束だけして、別れた。

ボンタンアメ国際化

お菓子屋さんでおなじみ見られない場合は画像のリンク切れです【ボンタン飴】。(画像は製造元のセイカ食品さんのサイトからお借りしました)。
 息子がこの飴が大好き。味も好きだけれども、包み紙を取る手間がかからないのが特に好きな原因らしい。

 私もこれは昔からなじみがあるし、食感がおいしいので好きだ。抹茶味の「兵六餅」も、名前が「むらさきいもソフトキャラメル」というので勘違いしやすい商品も全部同じところの商品で、モチモチしているのがいい。

アメリカにいたときはこれがなかなか手に入らず、多分違うメーカーの作っていた「Botan Candy」というのがアジア食品店で売られていたが、似ているのはオブラートに包まれているところと、いいところ色ぐらいで、モチモチ感が薄く(多分売れなくて棚ざらしだから?)なんとなく昔デパートの屋上のゲーム機の景品に出てきたようなお菓子似ていて、食べると微妙に日本ぽくノスタルジック……ではあったのだが味は悲しかった。

 今はスーパーで買えるし、回転が速いらしくやわらかく、そして日本人にちょうどいい甘さで、買ったらあっという間だ。

 そのボンタンアメの内箱を見て、ちょっとした変化に気が付いた。
 

The wafer thin wrapping that melts in your mouth is made from starch. You can pop the whole candy into your mouth.


とこういう注意書きが入っている。確か前から、「菓子を包むオブラートはでん粉よりできております。そのままお召し上がりください」という日本語の注意書きはあった。まあ、子どもはこういうものを読まないので、周りの子供たちが食べるときぺちゃくちゃおしゃべりをする。「これはねえ、包んでいる紙もたべてもだいじょうぶなんだよー、とけるの」などと私も姉あたりから教わったのだし、4歳か、5歳かそのぐらいだったろうか、子供会のおやつかなにかに出たときは私も得意げに吹聴したものだ。

 他のお菓子がどうしてそうならないのか、べんりなのにねえ、と言い合ったこともあるが、つまりこれはやっぱりちょっと珍しいのだね。ちなみに、オブラートをむくのはとても難しい(破れるから)。国際化、してみたんだねえ、つまり。
 やっぱり東京オリンピックに来て、これを手に取る人を想定しているのであろう。

 しかし……ひと昔前のこういう商品の英語の注意書きに比べて格段の違いだと思う。20年前は、今でいうグーグル翻訳みたいなすごいのがあったものだ。国際化がきっとこれからも色々な商品で進んでいくのだと思う。
 いつか、ヨーロッパの製品みたいに6か国語で注意書きのあるお菓子とかが出回るのかもしれない。


ペットボトルホルダーの効用

遠くへ出かけたときにコンビニに入って、お茶を買おうとしたら、ペットボトルのお茶にペットボトルカバーのおまけがついているものが目に付いた。

 あああ。私はこういうのに弱い。つい、手が出ちゃうのだ。家にカバー、あるんだけど……。

 でも、これを家を出ていくときに持つか、というとそうでもない。

 私の愛用しているリュックサックの左右にあるメッシュポケットは案外浅く、500mlのボトルを差すと、おろしたり背負ったりするときに落ちることがある。このリュックにぴったりのボトルは小さめの背の低いもの。なので家から持っていくときは背の低いステンレスボトルを差して持っていくことが多い。ただ、遠くに行くときは荷物が多いので持って行かなかったり、小さいボトルでは足りなかったり……。

 とりあえず、せっかくもらったカバーなんだし、かわいいし、1回は使いましょうと思って、買ったばかりのボトルをいれて結露よけにしてみた。
 背負って一日歩いて気づいたことがある。
 ペットボトルがずれない、落っこちない。

 なるほど…今日もらったペットボトルケースは、柄付きの靴下みたいな見かけだった。かかとはないけど、大柄で派手な靴下と混ぜて置いたら絶対間違えそうという感じ。この靴下っぽいニットのペットボトルカバーをつけておくと、リュックのメッシュポケットからボトルが滑り落ちにくくなる。ボトルのプラスチックより摩擦係数が上がるからだな、うん。

 特大600mlボトルだったのに全然大丈夫だった。結露がたれないためとか、温度維持のためにあるのだと思っていたけれども、こういう効用もあるとは。
 かわいいし、今年の夏はこれ、愛用しよう。

海辺の町とアンテナ

海辺の町に出かける用事があった。
こういっちゃあなんだが、これが同年代のヒトなら、荷物を宅急便で送って、ラインで連絡、ありがとー終了ー。なのだが、「会って手渡し」することに意義がある……という年代の人へのおつかいを頼まれた、ということだ。

 ま、仕事をしているわけでなし、息子もひとりでおいておいても問題ない年齢になったから、かなり遠くても出かけるのに問題はない。
 電車を乗り継ぎ、乗り継ぎしていくと、だんだん景色が田舎になっていく。
 青い空、白い雲、緑の田んぼに山の稜線がせまり、私が育った田舎もこうだったなあ……という景色になっていく。

 おっと、電波切れ。トンネルだ。

 昔はトンネルに列車が入っても、耳がちょっとツンとするぐらいのことでしかなく、普通に本を読み続けられたのだが、今はブラウズだの、ネットにつないで遊ぶゲームだの、スマホを利用しているとトンネルに入るたびに通信が途切れて警告が出る。

 本にしとくか……。kindleを取り出して景色をちらちら眺めながら本を読む。
 揺れない新幹線と違って、電車が結構揺れる。絵本だと、電車は「ガタンゴトン」と走ることになっているが、そのまんまというか、がったんごっとん揺れるし、鉄橋を渡る時は、「タタン、タタン」といい音がして、電車の旅な感じがする。

 小さい駅に停車。なんと、最終目的地手前の電車は「単線」だった。すれ違いのために止まるんだね。こんな電車に乗ったの久しぶり。昔はこういう感じの線がもっとあって、ついでにいうと「電車」じゃなくてディーゼル車で、「汽車」と呼ばれていたりしたっけ。

 海辺の町の駅前には、下がおみやげ屋さん、上が食事処みたいな懐かしい感じのお店が細々と営業していた。
 昔……まだ車に乗る人が少なかった頃の夏はさぞかしにぎわっただろう。小さいころにこういうお店の二階でジュースを飲ませてもらったことがあるのを思い出した。「バヤリース」だったと思う。
 うどんとか、エビフライ定食とか、お子様定食もあっただろうか。リボンのついた麦わら帽子なんかかぶっていたころだ。

 用事を済ませて挨拶して、帰りの電車。
 ちょっとくたびれてペットボトルのお茶なんか飲みながら電車の窓の外を見る。

 昭和にはどこにでもあった、かわらぶきの家が田んぼの中に建っている。
 最近は屋根瓦の載った家も減ったよね、新建材の家が増えているからね。

 屋根にはアンテナ。衛星放送とかの丸いお皿みたいなやつじゃなくて、「‡」を横倒しにしたような形の棒がくっついたポールが屋根に立ててあるタイプ。こういうアンテナ、あったねえ……。
 街の電器屋さんに来てもらって、アンテナに棒をもう一本くっつけると、入るテレビのチャンネルが増えるという話だったのだが、うちではやらなかったっけ。
 
 昭和の風景の中をガタンゴトンと通り過ぎて、電車を乗り継いで戻ってきた。

棒付きキャンディと子ども

商店街を歩いていると、よちよちした2才前かな?という男の子が歩いていた。
小さいリュックを一人前に背負い、手もつながずに歩いている。

アーケードの商店街は車は昼間通行禁止だから、大丈夫だろうと思ったが、その次の瞬間気づいたことが一つ。
その男の子は口に棒付きのキャンディをくわえていた。

実はこれ、結構危ないんだよね。よちよちしているぐらいの子だと転びやすいし、転んだ時に手を出して顔をうたないように出来る年齢でもないので、口のキャンディの棒が地面に激突、のどの奥に向かってキャンディがぐいっと入るという事故が起きる。

 キャラメルみたいなソフトキャンディならともかく、棒つきキャンディはハードキャンディが多い。うすっぺらいタイプの端が割れていたりしたら、口の中が切れたり、ことによってはプラスチックの棒が刺さるかもというホラーストーリーが流布しているわけで。

 まあ、滅多なことはないだろうが、十年ぐらい前かな…わたあめだか、りんごあめだかの割りばしが、転んだ時脳まで刺さって気づくのが遅れてなくなった男の子がいたのを覚えているから、余計気になるのかもしれない。
 
 ちなみに、アメリカでわたあめをたべると、棒に使うのはペラペラ帯状の紙を円錐形に巻いたもの。
 それだと転んでもぐしゃぐしゃにはなっても刺さらないから――ということらしい。なるほど、訴訟社会なだけはあるんだな、と感心した覚えがある。うっかり転んで割りばしで怪我でもしたら裁判沙汰で相当額の賠償金を払うことになるからねえ。安全基準は結構小うるさいところがある。

 ちなみに棒付きキャンディはうちの息子も小さいときは食べたがったが(特に遊園地とかに売っている派手なもの)、しょうがないので動かないでね、と座って食べさせた覚えがある。うちの息子は歩くのも遅かったし、よく転んだからそうなったのだけれど。

 しかし1歳半から2歳ぐらいの子どもの運動神経なんて、大体共通で危なっかしいものではないのかなあ。
 「棒付きキャンディは食べながら歩かせると、危ないですよ」とここまで出かかったが、その時、思い出したことがあった。

 私が、息子にハーネス付きのリュックを背負わせて歩いていた時のこと。多分1歳半から2歳ぐらいの年齢だと思う。
 
 手をつないでくれる「時も」あったし、特に興味がひかれるものがなければ「ある程度静かに」歩けたものの、道の向こう側に興味のあるものが出現したら左右なんか気にせず飛び出す年齢で、私の瞬発力では転がるようなダッシュに追いつけるかどうか心もとなかった。
 両手に買い物の荷物なんか持っていればなおさらだ。

 なので、リュックの左右のショルダーストラップは前でカチンと留められるバックルがついていて、リュックには私の腰のベルトループにつながる紐がついていたというわけだ。ちなみに手もつないでいた。

 その時であったおばさんは、結構な剣幕で、「こんな犬みたいにつないで、かわいそうだと思わないの!」と私に言った。
 全然知らない人だったし、2人で機嫌よく散歩していた時だったのでとてもびっくりした。

 私はかなりひるんだのだが、ここは黙っていちゃいかんだろうと思って、「急に飛び出して、車にひかれるほうがかわいそうですからね、これでいいと思っていますよ」と返事したと思う。声は震えたかもしれないけどね……。

 そのあとどんな文句を言われたのかもう覚えていないことを思えば、多分お互い「言うべきことは言った」と思うところまでいったのだろうけれど。お互い自分が正しいと思っているので、意見は交換されなかった。

 40年前ならまだしも、この現代に車が結構通る街中に住んでいるのなら、ハーネスは便利だし、犬みたいと言われようと、かわいそうと言われようと、文句を言う人が子供を見張ってくれたり抱っこしてついてきてくれるわけではないのだから、余計なお世話だと思ったのを覚えている。

 私は……あのおばさんのように、いきなり知らない人に文句をつけたいだろうか。答えはNOだ。
 棒付きキャンディをくわえて歩いている男の子のそばには、男の子のお母さんと、多分おばあちゃんと思しき人がついている。

黙っておこう……。そう思って結局何も言わなかった。
 私が気にしすぎなのかもしれないし。

 でもちょっと、もやもやしたのでブログに書くことにしたのでした。

傘の袋がなくなる

長い傘をあんまり持ち歩かなくなってから、一応傘はなくさなくなった。
 ずぶぬれになった折り畳み傘でも、ビニール袋にいれてカバンにいれるという習慣をつけたのも傘がなくならなくなった理由だろう。

 でも、なくなるものがある。それは、傘に付属している袋。

折り畳み傘には必ずついている。長い傘でも、お値段が高いのにはついていることがある気がするけど、あれって、下に石突を出す穴が開いていたりして、濡れた傘をその袋に入れてから、普通にカバンに放り込むわけにはいかないのが多い。
 かといって、袋がついているので片づけるときにはやっぱりいれたい。
 取っ手についているストラップに結んでおくのがコツと聞いたこともあるけれども、雨が伝って濡れてしまったりしてやっぱり邪魔。

 「使うときには使わなくて、使わないとき使うものなんだ」というなぞなぞが小学生の時にあった。
 ちなみに答えは「お風呂のフタ」なのだけれど、実は傘の袋もそうだよね。

 気が付いたら、ないのが傘の袋。本当に残ってない。

 ちなみに夫も傘の袋は使っていないらしい。「出し入れが面倒だから」という理由で、彼もカバンの中に入れて置くときはビニール袋(お店の入り口に備え付けてあるような)を使うそうだ。

 傘が壊れたので、新しく買った傘の袋をみたら、縫い目に二つ折りのテープがはさんで縫い付けてある。ループになっているので、ここに輪とか紐とかを通せばどこかに留めて置いたり出来るんだろうけど、このループ何用なんだろう。やっぱりこれでどこかにくっつけてなくさないようにしてね、ってことなのか、ただの飾りなのか。

 傘本体に留めるべきなのか、どうか。
 他の人はどうしているんだろう、聞いてみたいところではある。

ポケットの形

今年新調した……というか、去年のシーズン終わりの投げ売りの安売りで調達しておいた夏用のコットンパーカーを着た。

 スマホをポケットに入れて気が付いた。このポケットは、上から入れる形だ。つまりデニムのパンツの後ろについている形だといえばわかるだろうか。

 私が持っているほかの上着(古い)は、全部斜め上か、横から手を入れる形、つまり「上着のポケットに手を突っ込んで歩く」のに都合のいい形になっている。この形のポケットは、入り口から底までの長さが短いと、ものが落っこちやすい。二つ折りの財布を突っ込んでおいて落としたことがあるし、スマホも取り出す時うっかりつるっと手を滑らせかけたことがある。

 なるほど……。最近はみんながスマホを持つようになったからねえ。動いたときに落ちづらいようにするとしたら、天側に入り口がついているほうがいいわな。これだと例えばぴょんぴょんはねるようなことをしないと落ちない。

 しかし前回こういうポケットが後ろではなく、前についている服を着たの、いつだっただろう。
 確か6歳か、7歳ぐらいの時におさがりでやってきたズボンのポケットがこういうパッチポケットで、「これは飾りで、あんまり物が入らないのね」と思った思い出はある。ガーゼのハンカチをねじ込んで学校へ行ったっけ。

  アウトドア用のベストのポケットが確かこういう形で上にフタがついていたのがあった。
 あ、そうだ、制服のブレザーのポケットはこうだった!でもどっちにしても10代20代ってめちゃくちゃ昔よね。

 スマホをポケットに入れて持ち歩く人が増えて、服の形まで変わっていくのだなあ。ちょっとだけだけど、時代が変わっていくのが見える気がする。

  スマホをポケットに……というときに手が、ぱっと横に行ってしまう。慣れるまで時間がかかりそうだ。

パジャマ、ただしズボンだけ

今日、商店街を歩いていたら、洋品店の前のワゴンに「下だけパジャマ、499円」という袋が積んであった。
男性用と、女性用のM、L、LLの各サイズあって、男性用がチェックの、女性用が花柄。

うーん、安い。薄っぺらいが、このシーズンこれで十分だ。長さはくるぶしの長さ。クーラーが入っている時はこの長さのほうがいいもんね。
 パジャマの上は古いTシャツを着ていることが多い。普通に上下揃いのパジャマを買ってしまうと、傷むのは下が先で、上ばっかり残っているのを去年断捨離したのも記憶に新しい。

 「下だけパジャマ」ってやっぱりこっちだけほしい人が多いから出てきたんだろうな、便利だ。
 花柄を履くのが何となくいやでチェックの方にしておいたけどなあに、私の体重だと男性用Mどころか、Lでも寝るときにはもんだいがないぐらいだ。裾の長さはわたしがちょこっと縫えばいいだけ。それに500円なら、ねえ?
自分で縫ったパジャマのパンツもあったのだが、確か近隣で買える中でも、一番安いコットンを買ってきて作ったのだけれど、それでも500円では足りなかった。
 縫う手間のことを考えれば、絶対いいお値段だ。それにあれはたしかもう3年選手。かなりくたびれてきているから、ここらでもう一枚買うのは悪いアイディアではない。
 というわけでお買い上げ。夫の分も買おうかなあ、と思ったがまず家に帰ってはいてから、と思って1枚だけにしておいた。

 ワゴンに山積みになっていたが、結構手に取っている人がいた。
 きっとこの町で何十人か、何百人かが同じパジャマを着て眠っているのだと思うと、ちょっとおもしろい。

残る友達、残らない友達

夏になると、里帰りがある人が多い。
 お盆じゃなくて、まずこのシーズンに帰ってくるのが多いのは、学齢期の子供があるアメリカ住まいの友人。
 アメリカの小学校は6月から夏休み。昔農業国だったころの名残で、夏は農作業で人手がいるシーズン=休み、というのがそのままここまでひっぱっているということらしい。

 確かに「大草原の小さな家」のローラは学校に行くのは冬だけだったりしたものね。

そんなわけで、私のまわりにもちらほらと帰国してきた連絡があった。

 会いに行った友人は、高校の時の友達。それより以前の友達は、もうひとりも残っていない。
 子どもの頃に住んでいた町にも全然行ったりしないので生死不明だし、連絡も取らないし、年賀状も送らないし、なんなら同窓会だって連絡がない(あってもいかないけど)。

 その友達は外国に住んでいるのだが、私のこのブログを読んでいるので、私が最近どんなことをしているか、何を考えているかはある程度見ているのもあって、そんなに久しぶりな感じがしない。
 日常のことや、家族のこと、昔の思い出。話は尽きない。

 ふと、彼女がいった。

 「もう、出会ってから何年?三十〇年になるけど、そのころの友達で残ってるの、まこちゃんだけよ」

えー。友達が少なかった私と違って、彼女は割と高校の時からいろいろな人に囲まれていた感じがする。
 
「あの当時も、別に『私たち、親友同士ね』なんて言ったりしたことも全然なかったのに、ただ、ずっと続いているよね」

 うん……。「ずっと仲良く、親友でいよう」なんていうようなことを言い合った友達はほかにいた。でも、私が外国へ長い間行ったり、お互い子供が出来る時期がずれたり、共通ではない趣味にはまったりして、気が付いたら疎遠というか、SNSでいいね、だけ押しあっている人というのは、ある。

 目の前の彼女は高校の時とさほど変わったようにも見えない。お互い住んでいるところが遠くて、数年会わないなんていうこともざらにあったし、なんなら連絡も2、3年取らなかったこともあると思う。
 誕生日のお祝いもSNSのメッセージにうっかりしなければ入れる程度。

 でも不思議なことに、私はだからといって彼女の友情を疑ったことは一度もない。
 ママ友さんにはお茶のみ友達ぐらいまでは行っている人もあるけど、連絡がなければ「きっと私と出かけるのがつまらないからかも」とか思ってしまうし、長い間連絡がなければ、こっちから連絡をするのはなんとなく、相手に無理強いをするようで気まずい感じがしてくるのだが、もっともっと、長い間連絡せず、遠くに住んでいる同士なのに、「私って、もう友達なんて誰も残っていないんじゃないだろうか」なんてことが頭に浮かんでくるときも、「まあ、彼女は別にするとしても」というのが、頭の片隅に残るぐらい。

 大好きだ、と思う。信用できるし、すばらしい人だと思っているし、でもそんなことを彼女に面と向かって言わないのが日本人的メンタリティ。でも、きっと彼女もわかってくれていると思う。私がどんなに強情で、おっちょこちょいで、口下手でも、それをものともしない。
 私が、失敗したな、と思ったとき、私が仕切りなおして言いなおせば、前の発言は聞かなかったフリもしてくれたりする。
 さっきはごめんね、というと、「なんのこと?」ぐらいにサラッと流してくれる、とてもいい人だ。

 きっと彼女は私がこんなことを考えていると知ったら、「考えすぎよ」とか「ほめすぎ」とかいうのだろうけれども。
なぜ、友達に長続きして残る人と、そうでない人がいるのかは、全然、わからないな…。

 彼女と別れてから電車に乗ったとき、そう思った。また、会いたいなあ。

 とはいえ、外国は遠い。今度会うのはやっぱり、2、3年後になりそうだ。
 

母が倒れる

実家の母が、救急車を呼んで病院にいったそうだ。
くらくらして動けなくなったという。

うーん。病院でCTだの、血液検査だのやって、結局異常は出ず、熱中症と疲れでしょうかね、ぐらいの診断だったらしい。
その日は突然蒸し暑くなって温度が乱高下した時だった。

 32度あるのに、クーラーかけないしなあ。まだ暑さになれていないということもあるだろうし。
 
うちの母はクーラーを敵視しているところがある。去年なんて真夏のピークは35度とかになったのに、クーラーは36度からしかつけない、とか言っていたぐらいだ(特に父)。年寄りは体力がないと言われていたり、熱さ、寒さを体感する力が弱いと言われているのにそれ、なんなの!

 まあ、去年は一回も倒れなかったけど!だからといって今年も倒れないとは限らない。
 もう32度ぐらいでクーラーつけてよーと毎年頼んでいるのだけれど。
 本当は31度か、30度ですでに頼みたいぐらいだ。

 昔は、熱帯夜は25度以上とか、朝のうちは30度にならないとか、真昼間でも30度そこそこにしかならないとか…というようなこともあったのだろうけれど、今じゃあ真夏なら夜でも32度33度なんてあるし、昼はひどければ36度になったりするのだから、昔の常識は通じないんだけどねえ。

 私が子供の頃はクーラーをいれるのは、お客さんが来た時だけ、というようなことになっていた。家族だけの時には、年に何度いれるかどうか、というようなもので、クーラーは相当長持ちしたものだ。でも、今はなあ…。

電気代がもったいない、とよく言われたものだけれども(そしてうちは今から考えると結構貧乏だった)、この温度では節約すると体調を崩して結局余計にお金がかかることになりそうだ。
 私の言うことなんて「子供の言うこと」扱いで、全然聞いちゃあくれないは母だが、そうそう何度も救急車を呼ぶのも迷惑だし、検査代がいくらか、今のクーラーの電気代は、真夏でも数千円ぐらいの上乗せにしかならないことを考えて、つけることも検討してみてはどうか……という論調で行きたいところなんだけど、どうだろうか。

 母と話すことになると、いつもこうやって気持ちの準備をしてから行かなくてはならない。そうでないと、あまりの話のかみ合わなさにがっくり疲れるからだ。
 私が、母の体の心配は、母が聞くかどうかはともかく、通りいっぺんはやっておかないと「冷たい」とか「思いやりがない」とかうるさいのだ。かといってやさしく、こうしたらどうかな、ぐらいのことを言っておいても自分のしたいようにしかしない。
 介護は、まだ不要だが先が思いやられる。

 都合がつき次第、一度顔を見に行くから、と電話を切った。

タウンシップにはまる

最近、始めたゲームがこれ、【Playrix社】の、【タウンシップ】というゲーム。
 Windows版、Mac版、それからAndroid版と、iphoneおよびipad版がある。

 このゲーム会社の他のゲームをPCの有料ダウンロード版で遊んだことがあって(日本ではビッグフィッシュゲームが扱っている)、宣伝に出てくるので気になっていた。

  このタウンシップ、最初は無料ダウンロードで、一応無課金でもかなり遊べる。

 やってみるとこれはつまり、スーパーファミコンとか、ゲームボーイとか、プレイステーションとかゲームキューブとか3DSでいうと、「牧場物語」みたいなものだということが判明。作物を育てて、その作物からたとえば「サトウキビから砂糖」のような製品を工場で作って出荷するゲーム。

 これだけ聞くと、えー。そんなの面白いの……と思う人もあるだろうが、このゲームのサイクルはこうなっている。
 
1:生産物を作る(畑と、家畜。最初に牛小屋と牛、畑を数枚くれる)
2:出来たものを出荷、お金を稼いで工場を建てる。
3:工場で作ったものを売り、さらにお金を稼いで、公共施設を建てる。
4:住宅を建て、畑で働いてくれる住民を増やす。
5:住民が増えると畑や家畜が増やせる。

……とまあ、こういうループになっているのだが、ものを買いに来る人が指定するものしか売れないため、どの注文も全部受けるわけにはいかず、なおかつ生産物は一瞬に出来るわけではない。
 たとえば、「いちごは1株1時間」なら短いほうで、4時間8時間、12時間、20時間かかる作物がある。
 
その上、稼働している工場というのが、ポテトチップス1袋作るのに2時間かかったりする!
 生クリーム1パック作るのに30分。フローズンヨーグルト作るのに2時間半って、ねえ、リアルで台所でこう、作ったとしてもそのぐらいで割とそれっぽく出来るのでは…。それに1つずつってどうなのよー。

 なんていうものをチマチマ作っていると、サンドイッチは30分?短い!とか思えるようになってくるのがすごい。

 このゲームのミソは、自分のゲーム機で遊ぶのではない、「オンライン版」だということ。他の人に手伝ってもらうことが出来るのだ。決まった数そろわないと出荷出来ないシステムになっているのだが、イチゴ1貨車分と、コットン2貨車分、いるんだけど、コットンが足りない…というときに、「誰かおねがい」というボタンを押しておけば、通りがかったよそのプレイヤーが、持っていれば積み込みをしてくれる。OKボタンを押すと、手伝ったプレイヤーにはシステム上で自動でくじびき券(5枚で1回くじがひける)が出て、助けるほうも、悪い話じゃない……というような仕組みが用意されている。

 このくじ引き、実は結構捨てたものではなく、課金して手に入れるようなアイテムが手に入ることも結構多い。ばんばん助け合えば、タダで課金アイテムや、レアアイテムが手に入るし、助け合って遊べば盛り上がって、なおかつ出荷速度があがり、みんなのログオン時間が増えて、課金速度もあがって、運営側ももうかるというわけだ。

  あと、このゲームは、あれだ、「ごっこ遊び」。あれに似ている。
 小さいころ、積み木で街を作って遊んだことは、私ぐらいの年代なら、あると思う。
 ここがお店屋さんね、ここが駅ね、自分の家はここね、と、並べて遊ぶわけだ。線路をブロックで作ったり、プラレールが参加した家もあるだろう。
  このゲームの町も、アイテムをためておく「納屋」や、今までの記録が見られる市役所のほかに、オブジェとしての公共施設と住民の家がある。道路や、敷石も最初から使えるようになっているし、そのあとプレイヤーのレベルによって、街を装飾するアイテムが販売される(こっちはゲーム内のコインなので、リアルのお金は絡まない。無課金でOKのものがほとんど)。
 公園みたいに飾るもよし、あちこちに木を植えるのもよし……。

 ただ、システムが「人口を増やすには、住宅を建てましょう」「こういう公共施設が立てられるようになりました」「工場が作れます」と要求するままに建物をテキトウに建てていると、ごじゃごじゃした建物がみっちり詰まった謎の空間になってしまう。
 確かにそういう街も結構ある。

 なおかつ、どうしてなのか不明だが、「一度建てた工場と公共施設は、ひっこめられない、取り壊し不可」という謎のルールがあるので、一度建てちゃったらもう、どうしようもない。畑の隣に、いきなりジェットコースターがあったりするのは、そういうルールのせいだ。リアルの町ならありえない、駅前がいきなり畑!となりが工場街、住宅はうーんと端っこ(何にも使えなくて邪魔だから)というのも使いやすさの点から、よくある。
 地形を変えたり、建物を狭い土地しかまだないのに、きれいに並べ替えて道路を敷設して……とやっているとそれだけで時間が過ぎてしまう。
 狭くても、いかにかわいく!飾り付けるか…。自然な感じにできるか、装飾過多にならないように、かといって殺風景にならず……とか思うと意外とセンスが問われるゲームかもしれない。

 箱庭ゲーの傑作だ。無料なので皆さんにお勧めできる良ゲーだと思う。
 

 しかしこういうゲーム、無料で配っちゃっていいのか…?というぐらい、かなりのクオリティ。
 絵もかなりかわいいし(洋ゲーには珍しいかわいさ、日本人受けもしそうな感じ)、作りこみも相当なもので、こんなものを無料で配られたら、ゲーム機用のゲームを作っている人は大変だ。

 でも、ゲーム機を持っている人は少ないけど、スマホやタブレットを持っている人は多いからなあ、そこが違うよね。
例えば5000円するゲームを1万人が買う。売上5000万円。
 でも、50万人が100円ずつ課金したら、もうそれで売り上げ5000万、みたいなことを考えると、なるほど、こういうゲームがタダで配れるわけだよ…と思う。
 たいていの人は100円よりもっとたくさん、課金するからなあ。

 かくいう私も、ちょっと課金した。その場で使ってなくなるタイプのものではなくて、ずっとゲーム内のシステムとして役に立つ「お店のスロット数をふやす」のと、工場の「作成待ちスロット増設」。
 この手のゲームは、たとえば私が夜寝ている間とか、ゲームを遊んでいない間に生産物が増えて、ログオンしたときにばーーーっとゲーム内で手続きしてまたログオフ、という遊び方が正しいんだものね。

 久しぶりにすごくはまるゲームだった。
 ここ20年で初めて、「もう、レトロゲームは始末してもいいかもな」と本気で思った。
 こういうゲームが、これからも出てくるなら…新しいものを遊ぶのもいい。夢中になって遊べるゲームがあると元気が出る。

 家事をしては、畑のお世話をして、また家事をやってから、工場に商品仕込みに行って、また家事をやって、出荷して……。
 こういうのがあると、最近でかけてないな、なんていうことが気にならなくなる。
 
今日は、早く夕飯を作り終わって、街の整備をするんだ―。街の真ん中に湖を作ってもいいし、もうこの際だからもとからあった川は埋め立てて土地を有効活用するのもいいなあ…。あとは大学と博物館と図書館は同じあたりにならべてもいいなあ。
 ……なあんてことを考えながら掃除をして。どんなことでもいい。元気が出るなら、もうなんでも。

 きれいで、かわいくて、遊びがいがあって、好みのゲーム。
 こういうのが、2、3年に1度、あればいいなあ。

甚平の話

息子が、夏のイベントに行くことになった。
和風の装いをして集まりましょう、という要素もあって、浴衣を着ていく子が多いらしい。

 ……浴衣かあ。実は幼稚園ぐらいまでは、甚平なら着せた。幼稚園の盆踊り兼夏祭りに、そういう格好をしていくのが通例ということになっていたのだが、浴衣は、あれは着物慣れしていないと着崩れるし、普段からパンツをはくのに慣れた5歳男児には無理だ、と判断して甚平にしておいた。

 今なら、だいぶ大きくなったしなあ、浴衣はまだ兵児帯でいけるだろうから、私が着せるか…と思ったら、本人は甚平がいいということだった。
 女の子は浴衣の子も多そうだが、男子は甚平が多いらしいと聞いてきたようだ。

 街の和装店へ行って、つらつら見てきたが、年齢の割には背が低く、ひょろっとしている息子には、成人男性用の甚平はいかにも大きい。かといって婦人物は柄がかわいらしすぎる。花柄、植物柄でピンクのとか。

 悩んでいたら、お店の人が近所の子供服屋さんをおすすめしてくれた。
 多分小さいサイズはあのお店にあるかも、と。

 子供服屋さんへ行ったら、あった。一番小さいのが90センチで、10センチ刻みにサイズがあって、一番大きいのが150。うんうん、このサイズ展開だ、ばっちり。

 紺と、青と白みたいな色のがあったので、それを買って着せて、イベントに出たところまではよかったのだが、帰ってきて、「俺のだけ、わきの下に穴が開いてたー。他のヒトのはなかったのに、なんで」と。
 いや、多分ね、女の子の浴衣にもわきの下に穴、あったと思うよ?見せてくれとは言わないほうがいいから、見えなくて正解だけど。

 ちなみに息子の甚平には、肩上げもあった。子ども用だ。
 最近はもう150じゃなくて、大人サイズのものも着られる同学年の子は珍しくないからねえ。
 多分、身八つ口があるのは子供と女性用限定だから、じゃないかな……。と解説しておいた。

空手の道着にはなかったのにー。と言っていたが、確かにないね!形が同じようなものなので、「道着の一種」と思っていたらしい。
 わきの下の穴には、反対側からこう、紐をとおしてな?と浴衣の着方の解説もしておいたけど聞いちゃいねえ。
 確かにこの年齢だと、そろそろ肩上げのない着物を着る年だろうなあ。とはいえ、たかが600円の甚平に文句は言えない。
 背が、もっと伸びて、大人用を着るようになったら……。

 来年は、穴がないのを着られるといいね、うん。

置ける折り鶴

春に旅行に行って泊まったホテルのお部屋に、折り紙の鶴が置いてあった。
「ご自由におもちかえりください」とのことだったので、これは外国の人が来た時用の文化交流的サービスなのであろうと思ったのだが、その鶴、普通の折り鶴とはちょっと違った。

 千羽鶴を作る時に折る鶴ならば、私も折り方は知っている。多分今までで折った回数は1000回を超えるだろう。
 アメリカにいるときに見本として折ったり、ほしいという人にはあげたこともある。

 普通の鶴は、下に置くと、左右どちらかに傾いて羽の先を下につけた状態で静止する。つまり斜めになって置かれることになる。バランスを取ってまっすぐには立たないわけだ。
 でも、ホテルの鶴はまっすぐ……?いや、形が違う。

 鶴の羽が立体的で、どちらかというと置物のような形をしている。
 2つあったので1つ、ほどいてみた。

 多分、最初にやっこさんを折る時のように四隅を真ん中に集めて折るところからスタートするのはわかった。その状態から鶴を折ると、ちょっと小さめになるのだが、使わない折り目が出る……?
 うーん、再生できない。

 その場で折り方を試行錯誤するのはやめて持って帰ってきた。
 机の上にずっと置いてあったのに気付いて、ネットで検索することにした。

「立つ 折り鶴」 「置ける 折り鶴」 「違う 折り鶴」
……というような検索語をいれて、「画像検索」に。

 ふむ…足がニューっと生えた、足つきの鶴が出るなあ。これはこれで興味深いが、これじゃない。
 
「福鶴」という単語が頻出するので、それを検索すると、あ…多分これ。
 
「折り方 福鶴」で検索すると、折り図ではなく、動画が出た。

 便利だねえ…。一回見たらちゃんとわかった。これは、飾っておくのにいいなあ。
 やっぱり最近の物なんだろうか、それとも「伝承」というやつなのだろうか。(折り鶴とか、やっこさんとかは考案者が不明で、そういう本に載る時は考案者名のところに「伝承」と書いてある)今度から外国へ行ったら、プレゼントするのはこっちにしようかな。

カバンのレビュー

安いカバンが好きだ。

ブランドものよりも、軽くて、てきとーに使えて、1000円ぐらいで買えるトートバッグや、紙袋の形をしたバッグも好きだし、2000円ぐらい出したら買える、ナイロンの軽いショルダーバッグも好きだ。

 リュックは2000円では買えないのが多いが、それでも丈夫で使いやすいのが3、4000円で売っている。
 
夫には「なぜそんなにたくさんいるかな、2つぐらいあればいいじゃない」と言われるのだが、時々買うのは楽しみなものだ。

 アマゾンで、通販するのも好きだ。レビューを見て評判を比べたりして、結構買うつもりになってみているだけでも楽しい。

 ある1500円ぐらいの肩掛けのカバンのレビューにあった文章が面白かった。

 あまりにもたくさん見て回ったレビューの中の一つだったので、後でこのブログに書くときにその文章がどこにあったか忘れて文章そのまま引用は出来ないが、

 「普段から、財布や、スマホをスーパーの袋にいれて出かけていましたが、家族や友達から、やめろといわれたので これを買いました。スーパーの袋で、何が悪いんでしょう、いっぱい入って便利で軽くて使いやすいのに」

グチっていた。
 まあ、物を持ち歩くという目的はクリアしているよね、スーパーの袋。
スーパーで買い物をして、たくさん物を買ったら、手に載せて持って帰ってくるというわけにもいかないから入れてくれるのがあの袋だということを考えれば、「物を入れて持ち運ぶ」さえできればいいのだからねえ。

 スーパーの袋の問題点は、あれは丈夫じゃないこと。豆腐のプラ容器のはしっこで袋がぴーーっと切れて破れたり、ちょっとしたものの角が、袋を突き破ったりしたのを見たことがあるし、たとえば遠くへ行くとき、スマホと財布をあの袋にいれて出かけて、途中で破れたら……コンビニへでも飛び込んで新しい袋を調達するんだろうか。

 ふと思い出したのが、90年代に初めてアメリカに行ったときのこと。
 空港まで迎えに来てくれた夫は、車を持っていなかったので、州都の空港から、遠くの町まで私たちはグレイハウンドバス(長距離バス)に乗った。電車がつまり、日本でいう「新幹線しかない」ぐらいの状態にあるアメリカでは、ほとんどの人が鉄道ではなく車を使う。車はかなり貧乏な人でも持っていて(それがボロボロ、ガタガタでもだ)、グレイハウンドに乗るのは、もの好きでなければ、うーーーんと貧乏、貧困層、移民、それも年齢が低め、有色人種ばっかりだ。

 底抜けに明るい若者たちのグループの笑い声、スペイン語混じりの雑談に、暗さはなかったが、その子たちが手に持っているのが、大型の黒いゴミ袋。
 みんなが荷物としてぶら下げているのだ。
 アメリカのゴミ袋は、口に紐がとおっていて、ぎゅっと絞れるように巾着状になっているのが多い。
 こんなところにゴミ出しに来るわけはない、あれは、彼らの旅行の荷物なのだ。

 ……日本では、貧しそうな身なりをしたバックパッカーでも、かばんは持っている。バックパック、肩掛けバッグ、ダッフェルバッグ……布のカバン、ナイロンのカバン。でもゴミ袋なんてもって旅行しているのは見たことがない。
 大型で、厚手とはいえ、ごみ袋。その長距離バス停に来るバスは、数百キロ移動するものも少なくなかった。私たちが乗るのだって、100キロぐらい移動するものだったぐらいだ。アメリカ縦断だと1000キロじゃすまない、その長距離移動に、ごみ袋……。
 私は、アメリカの貧富の差というものが、ここまでひどいということをその時知った。
 
 今はどうなっているのか知らないが、1990年代後半はそんな感じだった。

その時のことを、今回のレビューを読んで思い出した。 
スーパーの袋を持って歩いていた人は、別にカバンなんかどうでもよかったに違いない。

大事なのは物が入ること。
でも、友達や家族に言わせると、格好悪いからやめろ、ということだったんだろうなあ。

 300円ぐらいの、エコバッグだったら、どうだったんだろう。いきなり1500円と言わず、試してみたらよかったのに……と、レビューを書いたどこかの誰か言ってみたかった。

フタのないリュック

前を歩いている人のリュックが目に付いた。

多分有名なメーカーのものだ。目立つタグに見覚えがある。

フタがない。大体、そういうかぶせるフタのないリュックは珍しくない。そういうリュックにはファスナーがついているよね。私のもそうだ。昔はそういうファスナーで閉じるのではなくて、紐で口を締めて、フタをかぶせるのが多かったが、今ではファスナー方式のほうが多い気がする。

 今日見たリュックはファスナーもなかった。ダッフェルバッグと言われるタイプのとか、軍の過剰物資の販売のにある、入れ口の方にハトメがあって、そこに紐を通して結ぶタイプでもない。実はそういうタイプのカバンが私は好きで、バザーで買ったどこかの軍の払い下げみたいなのを学生の時持ち歩いていたこともあるのだが、色がカーキ色だったからか、年代を問わず友達にも知り合いにも不評だった。「女の子の持ち物じゃないよ」とたしなめられたこともあるぐらいだ。
 
 今日のリュックは黒で、背中に近いほうから、入り口まで、縦にベルトが1本。バックルで止めるだけで、中は見えるぐらいのあきっぷり。左右には、長さ調整の出来るベルトがついていたので、だらーんとはしていなかったが、軽くしぼってあるだけ。
 うーん…雨が降ったら、中身がびしょびしょだろうし、ベルトが真ん中にあるから、幅の広いものだけが入っているのなら背負ったりおろしたりするときに飛び出ることはないだろうけれども、細いものだったらこれ、落ちるだろうなあ。

 なんていうか、思い切ったバッグだ。

 しばらくながめているとわかってきた。これは、元々が手提げバッグで……だとしたら、真ん中にベルト1本で閉じてあるのもわかる。そういうバッグは手提げとかトートバッグとか、かごバッグにはよくあるよね。
 それを、背負えるようにしただけ、という形なんだな。

 そう考えると、確かにこれでいいわけなんだけど。
 
  治安のいい国ならではのバッグだと思う。
私は、やっぱりバッグ……特に背中に回すバックパックは、フタが閉まるのがいいなあ。

 前を歩いている人は、多分私がこんなことを考えているのには全然気づかなかったと思う。

体感する年月

時間を十年単位で考えるようになったのは、いつだろうか。

たとえば「8年前」と言われたら、それは今の私には「ちょっと前」だ。息子は幼稚園児だった。毎日お弁当で大変だったし、そのころ出会った人とは時々今もお茶をする。そのころからやっていた手芸グループもあるが、そんなに「昔馴染み」という感じはしない。

 でも、たとえば20代前半だったころには、「8年前」といえば、高校生とか中学生とかで、そういう時代のことは「もう通り過ぎて遠くなってしまった過去のこと」だった。

 12歳ぐらいだったときには「8年前」は昔すぎて記憶のかなたにかすんでおり、「8年後」なんて「20歳かあ…大人だ」ぐらいの雲をつかむような話だった。

 小学生の時は学年が始まる4月には、夏休みなんて見えてもいない遠くで、学校が半日しかない土曜日はうっかりすると「時間を持て余す」ほどであり、半年後なんて「来ることは知っていても考えていない」。「そんな未来のこと、わかるわけないよ」ぐらいのノリであった。

 中高生になると、さすがに半年後の予定というものは大まかには把握してはいるが、半年というのは「いろいろなことが起きる可能性がある長い時間」だと思っていたし、2年後となるともう「どうなっているかわからない」ぐらい未来だと思っていた。

 20代の時には、半年は「仕事が大変でも、なんとかなる上限値」ぐらいの年月で、去年、今年、来年と一年ごとぐらいに分けて考えていたように思う。予定を立てるちょうどいい時期は、「ひと月前ぐらい」であり、三カ月前は、「ちょっと早すぎない?」と思っていた。

 30代は子育てをしていた期間が長かった時期で、このあたりから「忙しくしているうちに一週間があっというまに過ぎている」という感じになってきた。子どもは一カ月単位で変化が大きい。気が付いたら1カ月、また1カ月と経っている感じで、2年、3年がとても速かった気がする。

 40代の今、私はふと今日、我に返った。「7月ってことはさあ…一年もすでに後半ってこと??だよね?」と。
えー。なんかもう半分とは思えないぐらい。あと3、4カ月もすれば年賀状つくらないといけないということだし(去年のも整理してないのに!)、昨日久しぶりにあってお茶を飲んだ人は子供が幼稚園を卒園してからこっち、あっていないことにも思い至った。

 6年、会っていないのに違和感なかったなあ。
 幼稚園に通っていた3年間は、お迎えの時に毎日顔見た、というぐらいひんぱんに会っていたんだけど。

 このまま体感する年月がもっと早くなったら、気づいたら2、3年経っていて、意外と悩むことなく年をとれるようになるのかもしれない。

コーラスに参加

息子が通っていた幼稚園には、お母さん方向けの趣味の活動として「コーラス部」なんていうのが用意してあった。
幼稚園の集会室のピアノを借り、ピアノを弾けるお母さんが伴奏して、みんなで歌うというもので、幼稚園が終わる時間から2時間ぐらい前に始まり、幼稚園が終わる時刻と同時刻に終了して、子どものお迎えに合流して子供と一緒に帰るという便利な時間になっていて、子どもが赤ちゃんだったときからこっち、趣味なんて全然!というお母さんが、「自分のために趣味をなにか1つ」と思ったときにお手軽に始められるというわけだ。

会費は確か、1カ月に200円ぐらいで、練習を途中までやってから、幼稚園の給湯室でお茶などをいれて、最後の30分は軽くお茶会になるのでちょっと人気があった。
 このコーラス会に、息子が幼稚園に行っている間ずっと所属していた。卒園式で、退場する時の曲も毎年同じ曲と決まっていて、繰り返し、全員退場するまで歌うとか(短い曲なので、暇つぶしに数えたら50回越えた。いやでも暗記することになる曲だった)、クリスマス会でハンドベルの演奏を披露するとか、つまり「なんとか会」があったら大抵出番があるもので、ちょっと楽しかった。

 で……そのコーラス会、2年に1回ぐらいOB会をやる。そのコーラス会に所属したことがあればだれでも参加可で、それこそお子さんがもう30代という方もいらっしゃるし、新しい人だと去年お子さんが卒園という人まで。一昨年まで参加していた人で仲良くしていた人がいたので、今年は予定を教えてもらってOB会に参加。

 前半は、幼稚園で定番の歌を歌ったり、今のコーラス部でやっているJ-POPなどにみんなで挑戦したり。後半は紙コップで飲み物が供され、お菓子が配られてご自由に歓談ということになっていた。

 こんなに人が集まるところに来たのは久しぶり。なんせ準ひきこもりだからね…。

 みなさんいいひとばかりで、私も顔見知り度が高いし、安心して雑談出来て、ちょっと、元気が出てまた、出かけられる自信がついた気がした。
 そうだよね、なにも「すごく親しい」とか、「一緒に旅行に行くぐらい仲良し」とかじゃなくていい。会ったとき気分よく世間話が出来て、「またね!」と笑ってすっきり帰ってこられるというぐらいの関係だって、あっていいし、これで十分という気がしてきた。

 このコーラス会のOBばかりでコーラスグループをやっているという人から、「アルトが足りないから、来ない?」とお誘いがあった。私は高い声が出ないので、都合コーラスに入る時はいつもアルトを歌っている。ママさんコーラスでは、ソプラノを歌いたい人が多く(メロディが多いから)、アルトは足りない、というコーラスグループは多いものね。
 たとえば団員を募集しているコーラス団でも、「男声のパートは全募集、女性はアルト歓迎、ソプラノの募集はありません」というところだって見たことあるぐらいだ。

 一度、練習を見に行くという約束をして帰ってきた。これ、出かけることになったら練習毎週なんだよね……。大丈夫かな。
まだそこまでは無理…かもしれないけど、やってみたら出来るかもぐらいの微妙なところだ。
 がんばって、いってみるべきか……。

 うろうろ迷っていると、行けなくなりそうだから、思い切っていってみようか。

浴衣を着る

息子の甚平を買いに行った和装店で、いろいろなものを見てしまったせいか、なんとなく浴衣が着たくなった。
そんなものを最後に着たのは多分、アメリカにいて、各国の留学生が集まってやった文化フェスティバルみたいなのに参加した時だと思う。うーむ、20年以上前だ。

 旅館に泊まったときに出てくる浴衣は、実はうまく着られるかどうか、自信がなくて、プラスあれで寝ると寝ている間にうっかりはだけることがあるので着ていなかった。うーん……まあ、一応羽織がついたような普段着っぽい着物は着られるように10代の頃練習したことがあるので(着付け教室に通ったことはない)、多分……今でも覚えてると思うけど、どうなんだろう。

 夫に相談だ。浴衣というのは500円では売っていないからね。
 いくらぐらいするものなのか、見てきて?というので和装店に行ってみた。

 一番安いのが2000円、3000円、5000円、8000円と、袋に入ってつるしてあるのがそういう感じ。10000円以上のものもあるが、さすがに家の中で着てみたいだけ、みたいなものにそんな値段は出さない。

 2000円の浴衣を見てみると、割とかわいいし、薄いけれど、浴衣なんてそんなものだし、ミシンで縫ってあるとかまあ全部同じサイズとかネットで売っているそういう安い浴衣のレビューには文句が書いてあることもあるが、2000円、3000円では手縫いは無茶だろう。家庭科の課題じゃあるまいし。

 3000円になると、ちょっと柄がいい感じになり、5000円になると染め方がいい感じになり、8000円になると、これは外におでかけに着ていってもかわいいだろう、という感じになり、10000円からは、なんとなくアートっぽい香りが……。

 ま、まずは2000円でいいだろう。ウールの腰ひもは家にあるし、帯……はどうすっかな。旅館の浴衣についてるあれでいいんだけど。なんせ家でしか着ないからね!それはネットで買うか。和装店だと、角帯……になるのか?男性用の。
 ちょっと高かったので家に帰ってアマゾンで買った。(旅館の浴衣の帯、1000円ぐらいだった)

 やってみたら、なんとなくだけど出来た。うーん、意外と覚えているかも。でも、旅館のゆかたって、帯一本で着るんじゃないっけ?腰ひもなしで着るのはなんだか無理な気が……。
 外に出ないので紐は1本でいいだろう、ということでテキトウに腰の紐だけ結んで帯を結んだけど、昔浴衣を着たときは、腰に1本、胸に1本紐を結んで、そのあと伊達じめというのを巻いて、それから帯を締めていた気がする。今日は胸の紐はなしで着たけど、これ旅館の帯1本で着るときって、どうなってるんだろう。

 そしてこういういことを聞ける人が、実はいない。
 
 うーん……浴衣っぽい形の寝間着を着るときは、確か紐がすでに縫い付けてあって、それを身八つ口に通して後ろで交差させ、前に持ってきて結ぶようになっていたような…。
 寝巻きと浴衣は全く別物と考えたほうがいいのだろうか。

 和装って、滅多にしないからどうもこう、謎が残るなあ。
 

 

プレッツェルのこと

アメリカに行って、食べたもので日本ではあんまり出てこないものに、「プレッツェル」がある。
コキン、と前歯でかじって食べるのだが、結構固い。味は、プレッツェル自体にはなく、小麦粉を使って焼いた何かであるということはわかる程度。味はつまり、表面にまぶされた粒塩の味だ。

 これ、ヨーロッパで食べたときは、キラキラ光るザラメ砂糖が乗った、しっかりした大型のおやつパン、といったような風情だったので、アメリカで食べたとき、甘いだろうと思って食べたらザラメ砂糖じゃなくて塩で予想外の味に、うわぁ、となったことがある。
ちなみにアメリカ人の友達は逆方向に、つまりしょっぱい味を想像して食べたら、甘くてびっくりだったことがあるそう。

  最近、家に夫がもって帰ってきてビールのおつまみにしていたのが、グリコのプリッツ。
 箱の裏側にはお菓子の種類別は「プレッツェル」だと書いてある。
 ええー。
 まあ、そうなのかもしれないけど、生地に薄いとはいえ味も付いているし、粒塩じゃなくて、味はもっと細かい粉でまぶされている感じがするし、プラス、固くない!サクサクしている。コッキン、という感じじゃない。これをプレッツェルだと思ってアメリカに行って、同じ種類だろうと思ってアメリカのプレッツェルを食べたら日本人はがっくりすると思う。

 サクサクして香ばしくて、本当においしかった。プリッツは日本人好みの味だな…と固くて塩の味だけがいつまでも口に残るアメリカのプレッツェルのことを思い出したのだった。

 そしてこの文章を書いてから、「もう一本ちょうだい」ともらいにいったら、もうすっかりなくなっていた。早いなあもう。
 今度はサラダ味じゃなくて、「ロースト」味がいいな。確か、ローストはサラダ味よりもちょっと甘かった気がする。
 いや、でもそれならいっそポッキーがいいか、チョコレートの。

 アメリカでは、チョコのかかったプレッツェルもあった。あったけど、粒塩がかかったプレッツェルにチョコがかかっているというもので、塩が邪魔なことったらなかった。せめて粒塩はチョコ版にはやめてほしい……と思いながら食べて、二度と買わなかった。
 
 柿の種にチョコがかかっているのが人気が出ている昨今、実は今なら、そういうものだと思って粒塩プレッツェルのチョコ付きも食べられるのかもしれないけど、口に合うお菓子がたくさんある日本では、多分チャレンジしないだろう。
やっぱりチョコがかかったお菓子は、甘いほうがいい。

夏の生活への切り替え

まだ、梅雨が明けていないらしい。静かな小雨がしょっちゅう降って、洗濯物はバルコニーの屋根がある位置に干してある。
とはいえ、本当に乾くと信じているわけではない。ただ、家の中に干しておくと邪魔なのだ。

夜寝る前にどっこいしょ、と物干しごと全部家の中に取り込んでおけば、朝には乾いている。一応外に出して途中までは乾かしているからか、匂いはしないのがいいところ。

 温度も上がって、湿度計もあがって、さっき湿度計を見たら外は雨で湿度が70パーセント。
なんとなくモップをかけたあとの床がペタペタする。

 私一人だとまだ、クーラーはかけないが日曜日は夫と息子がいるのでかける。2人とも暑い暑いと言って、アイスクリームはあっというまになくなる。アイスクリームを買うと大急ぎで帰らなきゃいけないので(ドライアイスをもらえるのもあるのだけれど、しょっちゅう行列なので並ぶのがイヤ)まとめ買いしておくのに、これじゃあ大量消費で短い期間になくなってしまう。

 息子は髪を切る時「暑いから短めで」と頼んだらしく、ちょっとびっくりするぐらい短い髪型に。夫も、「いいなあ」なんていって、いつもより短めに切ってきたらしい。いいなあー。私も女性にはめったにないぐらい短くしたいなあ…と思うのだが、夫はイヤみたいなので、「ショートカットの女性」と言える状態で我慢しているのだけれど。後ろ刈上げたら涼しいだろうなあ。

 そんなわけで、枕カバーはもう、毎日洗濯しないと、汗臭いというかなんというか。
息子は頭に汗をかいて寝るのは赤ちゃんの時からあんまり変わらないし、この時期枕カバーを一週間つけたままにしておくと、どうも寝室のドアを開けたときにニオイがするようになるんだよね……。はっきり「いつ」とは言えないけれど、大体気温が上がってクーラーをいれるようになったころには、こうやって切り替えないとダメな感じ。

 洗濯の粉の洗剤を買いに行って、夏用の麻の枕カバー出して。
 暑くなるのはあんまりうれしくないけど、洗濯物がカラッと乾くのがいいよね、夏。

私の夏は、ファッションでも、食べ物でもなく、お洗濯から。
梅雨が明けたら、毛布とカーテンも洗おう。

マンゴープリン失敗

オレンジジュースや、リンゴジュースにレトルトのマンゴーピューレを混ぜて作るマンゴーゼリーは大好評。
何度作ってもすばらしい売れ行きで、結構な勢いで10カップ分、なくなる。

マンゴーピューレの箱に、マンゴープリンの作り方が書いてあった。
牛乳と生クリームをミックスしてあたためて、砂糖を入れ、マンゴーピューレを少しずついれて冷蔵庫で冷やし固める。
うむ、それほど難しくない。ゼリーだって似たような作り方だものね?

 やってみたら、なんだか……こう。ザラザラした感じの液体になった。
えーっと……

 マンゴープリンは今まで食べたことがあるが、だいたいこう…もうちょっとツルっとした感じだったような。
 牛乳と、マンゴーの酸が反応してモロモロになったんだろうなあ、これ。

ぬうう。マンゴーピュレは500g入っているのだが、箱には250gと書いてあったのを、大体液量で倍に増やして牛乳の比率が生クリームと半々じゃなかったのが、ダメだったのかなあ…。

 冷やしたら固まったので、食べてみたら、味はまあ、こんな感じだろう……という味だったが、ザラザラして口触りが大変悪い。失敗したなあ……。もったいないから私が食べるけどさ。
 次回は比率は箱に書いてある通りに作ろうか。それとももう、ゼリーはおいしく出来るんだからゼリーにしておくか。どうしようかな。

古い歌を歌う

とりあえず見学を決めたコーラス会は、幼稚園の保護者の会から発生しているので一番若い人は上のお子さんが5歳とかで、赤ちゃんを抱っこで練習に参加だし、一番年上の人はお子さんが30代だそうで、先生は保護者さんの中でも、声楽を専門にやった人がやっている。

 合唱用の曲を先生がいろいろと用意してくる。テレビドラマの主題歌だとか、映画の主題歌のJ-POPとか、幼稚園で子供が歌う愛唱歌とか、分野はいろいろだが、「合唱用の曲の定番」としてこの前から練習を始めたのが、「流浪の民」だという話だった。

 この曲は昭和の時代の合唱曲の定番で、「野ばら」とか、「ローレライ」とかを作った、シューマンの作曲で、1840年の作品だそうで、つまり作曲年代がとても古く、ドイツ語の歌詞があるらしい。
 とはいっても、ドイツ語で歌うわけではなくて、日本語に歌詞が訳してあるわけで、それがまたすごーく文語調。かなり古い感じがする。
 
 私は今まで合唱団にいた経験もあって、この曲はやたら有名なので歌ったことがあった。最初に歌ったときは別に歌詞の意味なんか深く考えなかった。大体これを初めて聞いたのは、私の母親が入っていたコーラスで母にアルトのソロが当たっちゃったときだった。「なれれば歌えるけど、実はオンチ」の母は大変動転して、練習をカセットに録音して、毎日毎日家で稽古した。

 この歌はだから、アルトのソロの「連れたちて 舞い遊ぶ」のところばっかり聞くことになって、姉と、この歌は「つれたちのうた」と呼んでいたぐらいだ。(私は小学校の一年生ぐらいだったはず)

 何もあんなに必死に練習しなくても、「連れたち」のフレーズの前のピアノの伴奏の最後の音が「連れたち」の頭の音と同じなので、伴奏をよく聞けば音が外れないということに気が付くぐらいの年齢になったら、歌詞はなかなかにステキなのだということもわかった。

 「遠き故郷を放たれて 夢に楽土求めたり」なんて、外国語の詩の訳をちょっとでもやったことがあれば、なかなかこういう風にきれいにはまとまらないものだと感心するしかない。もちろん、直訳と比べるといろいろと削ったり、変更したりしてあるみたいだけれど、「歌えなくてはならない」という制限がある以上、ただ文章として本にするのとは違うから、ネットを見る限りでは賛否両論あるようだけれど、私は「こういうのもあり」だと思う。

 話はそれたけど、これが、若いお母さんたちに大不評。
 朝ドラの主題歌だとか、ジブリ映画のテーマ、ドラえもんの映画のテーマなんかを歌っている時は意味が分かりやすいのに、これは意味が全然分からないし、覚えられない!と。
 
 「ほがい」とか「うついする」とか、そりゃまあ、普段は使わないけど!

 えーっとね、「ことほぐ」ってあるでしょ、あの「ほぐ」部分なんだよ、つまりめでたいのよ、と解説したら、
 「ことほぐ」って?と
あああ、そこからなんだ?えーっと、「ことぶき」って字があるでしょう、おめでたい時使うやつよ、結婚式とか、お正月とか?

 それでもまだ、頭の上にクエスチョンマークが出ているので、「おすし」の「寿」だよ?というと、「ああ」となっていたので、通じた模様。
 うついする、は「私もこの歌以外、聞いたことないよ」としか言えなかった。いや、それを言うなら「ほがい にぎわしや」もそうなんだけどさ。
 
 この曲は、歌詞よりも絶対、ハーモニーなんだよ。歌ったときが歌詞はともかくも、音の重なり方と力強さがカッコいいのよ。
 
古いけど…でもいい曲だ。何回歌ってもいい。
歌ってから帰ってきたら、頭の中でぐるぐる回っちゃう曲だ。

る~ろ~うの~たみ~~~♪

 こういう定番の曲だけをやる合唱団ってないかなあ。「モルダウ」とか「大地讃頌」とか。最近の合唱曲らしい、先生が持ってくる曲って、歌詞が奇をてらったようなのが多いし、不協和音が多くて本当に合っているのかよくわからなくなってくる。
 3パートあって、パートごとに調が違うのとか、やたら転調するのとか、初見でなんか歌えませんよ、みたいなのがちょっとつらかった。

 どうしようかな、続けようかなあ。

やなせる?

「やなせる」という言葉は、多分ない。ないけど、なんとなく頭の中に存在していた。

それはこの季節になると思い出す「やしのみ」の歌に出てくるから。

椰子の実が、海流に乗って遠くから流れ着いた、という歌は多分祖母あたりから覚えたのだろう、物心ついたころには歌えた。ただし、文部省唱歌系の歌にはよくあることだけれども、歌詞が文語調だったので意味はあんまり分かっていなかったと思う。

この歌の二番がこうなっている。
 「もとのきは おいやしげれる えだはなお かげをやなせる
多分、私が「やなせる」という言葉があるのだと思ってしまった原因はこれっぽい。

 今日、その歌が浮かんだ時、「やなせる…ってどんな動詞だ?」と思ったので、ネットで歌詞を調べたら、「かげをなす」つまり影を作っていますよ…ということの強めとして「や」が入っている……という形なんだよね?ということがわかった。

 古典の授業で、「や」は強めるときに入る……とかならったような気がするので、多分そういうことだと思う……けど、もしかしたら七五調にするためにつけてあるだけなのかもしれない。
少なくとも「やなせる」という言葉は、「みせる」とか「やらせる」とかとは全然別の種類の言葉だ。
「影をや 生せる」 と、こうだ。

 漢字って、大事なんだなあ、ほんと。

 やすりは「かける」のが正しいのだけれど、小学校卒業ぐらいまで私は「やする」があると思っていた。今でも家では使っちゃうぐらいだ。
 これと並んで「やなせる」は私の「何となく間違えて覚えた単語で、直せていないまま年月が経ったもの」のリストの上の方に載っている単語だと思う。
 
 ココナツミルクとタピオカでも……と思って輸入食料品のお店にいったら、ココナツクリームとココナツミルクはあったけど、タピオカは売り切れだった。今年の夏の椰子関連はこの歌だけになりそうだ。

杏仁プリン

夏休みが始まった。

息子が家にいると、必要なのがおやつ。スーパーで買ってくる安いアイスクリームがどんどんなくなる。いくら6本198円系のアイスクリームだといっても、量が多ければ高くつくし、298円ぐらいするのに4本とかしか入っていないのなんかもあって、一番好きなアイスはクーリッシュ……となるともう1段高いから、「一日ひとつにして!」ということになる。

 コンビニや、スーパーのプリンやゼリーはおいしいし、お手軽だけど値段がねえ…。
 というわけで、ゼリーは数種類自作出来るようになったし、今回はもうちょっと違う味のものを作ってみることに。

 買ったのが、「杏仁霜」というもの。これはつまり、牛乳にとかすと杏仁豆腐の味になるというもので、これを寒天で固めると杏仁豆腐が完成するという粉だった。

 ところが、寒天が家にない。ゼラチンでいいか!というわけで、牛乳1リットルに、ゼラチンをとかして、一番安い生クリーム(植物性のもの。200ml198円ぐらい)をいれ、最後にこの杏仁霜をびんの説明書よりちょっと少な目に入れて固めてみた。

 息子は、「おかあさん、これ杏仁豆腐じゃないよ、杏仁プリンだよ」と言っていたが、プルプルのミルクプリン、杏仁豆腐風味と言った感じのものが完成した。えーっと……こういうものどこかで食べたぞ?
 
 わかった、パンナコッタだ。杏仁味が薄いのでそういう感じがするのかもしれないけど、このぐらいのほうがいいんだよね。いやパンナコッタにしてはすっきりしすぎ? ブラマンジェか。
 どっちにしろ、家で作ったにしてはなかなかの味。1つ100円から、128円ぐらいのスーパーのプリン類となら勝負できそうな味だと思う。

 量も120mlが10個とか出来るし、1つ50円程度の材料費。「1つ」が大きいので、満足度も高いし、私用には甘味料を使ってローカロリー化も出来るし、ばっちりだったと思う。
 蓋つきの入れ物に入ったゼリーが縦に4つ重ねて2本タワーのように冷蔵庫に入っているところに、プラコップにはいった杏仁プリンがずらっと並んでいるところはなかなか壮観。

すずしくなるまでは、デザートはこれでいいな。果物系とミルク系、あとはコーヒーゼリーぐらい。

しまじろう、ついに卒業?

……といっても、しまじろうの教材ではない。教材は息子も幼稚園が終わるころにもちろん、卒業した。

うちにひとつだけ、残されているしまじろうのアイテム、それは「歯磨き粉」。アンパンマンの歯磨き、またはしまじろうの歯磨きのチューブは、昨今大体のおうちでお子さんが小さいころ、1度は使うアイテムではないだろうか。味に全くミントの雰囲気がせず、果物っぽい香りと甘味のついた歯磨き粉は、それこそ、歯ブラシを使い始めました……ぐらいから嫌がらずに使ってくれることが多い。

 そのあと、歯医者さんにあることが多い果物のマークのライオンのcheck up GELか、サンスターのミッキーマウス柄のチューブあたりに移行、ミント味がちょっとだけするというお子様用もあったような気がするが、そのあたりに小学生の間にと思っていた矢先ではあった。

 が、うちの息子、高学年なのに、「口がゆすげなくても大丈夫なので小さいお子さんからどうぞ」と歯医者で進められたCHECKUP GELを「ミントっぽい味がする」と拒否。ミッキーマウス柄ももちろんだめ……ということは移行期におすすめというミント味の薄いものももちろんダメだろうな、ということでいまだにしまじろうの歯磨きのブドウ味を使っていたのだ。

 はあ……と思っていた時にこの間、宿泊研修があった。
 「おかあさーん、これ、どうしようー」という息子に一度は「自分がほかの歯磨きを使わないのは事実なんだから、しまじろう持っていけば?」と突き放したものの、あんまりからかわれるのもかわいそうかな…と思って、小さめのお弁当の時にソースとかをいれるチューブに詰め替えて持って行かせた。

 案の定、同じようにクラスメイトにしまじろうのブドウ味を利用中の子が(この子も男児だった)いたらしく、「こいつまだしまじろうの歯磨きなんか使ってるー」とからかわれていたらしい。「おい、XX、みろよ!こいつまだ、しまじろうだって(笑)」と息子は話題を振られたそうなのだが、さすがに自分も同じとも言えずかといって同調して笑うわけにもいかず、「そうなんだー?」と微妙に困って帰ってきたらしい。

 ずっとこれでいい!と主張していたのだが、今回のことで決心がついたらしく、まずCHECKUP GELに再挑戦を決めたらしい。
夫に、「これさー。本当にこれでいいのかな?もうすぐ中学生だよ?」と話をしたら、「大丈夫、大学生になってしまじろうを使う子はあんまりみたことないから」という返事だった。

 私は実は幼稚園から小学校になる時に姉が歯みがきを乗り換えたのと同じタイミングで(親がお子様味は高いと買ってくれなくなったから)移行したので、年齢が二桁になってもしまじろうでなきゃダメな理由が思いつかなかったから、相当心配していた。このまま大きくなって高校の修学旅行まで毎回歯みがき詰め替えなきゃだめなのか、とか、史上初しまじろう歯みがきしか使えない大学生とかになるのではないかとか……。

 親がいくら言ってもたいして聞きはしないが、仲良くもなんともないというか、どっちかといえば普段「嫌いだ」と公言しているクラスメイトにでも、そんなことを言われるとやっぱり聞くんだねえ。

 心配するだけ無駄だったといえば無駄だったんだけど、頑固だったからなあ。この程度で決心がつくなら3、4年前に決心がつきそうなものなんだけど。

 ちなみにミンティアは、やっぱりミント味の系統は全部だめで、フルーツのか、カルピス味がいいそうだ。
 ちょっと前まで売っていたイチゴのはもうない、と聞くととてもがっかりしていた。あれは季節フレーバーだろうからね。
 それでも全部「ミント」と息子は呼んでいる。なんとなく矛盾したものを感じるのだけれども……。

 お友達の息子さん、今歯がいっぽん、生えているそうな。磨くと嫌がって泣くと。かわいいよなあ、前歯が1本、2本の頃って、ものすごくかわいいよね。下の前歯2本でにっこり微笑まれたら、絶対私も笑顔になってしまう。やっぱりその子もしまじろう歯みがきを使うのだろうか。しまじろう歯みがき入学、おめでとうだ。うちはついに卒業か……。

 長い間ありがとう、しまじろう。

……で、さ。しまじろうの歯みがき粉って、近所では売っているところが少なかった。うちには買い置きがつまり、あと2本ぐらいある。これどうしよう、ね。

 

はやりの扇風「機」……?

女子高生が、自転車に乗って通学するのを見た。
胸に、直径15センチはあろうかという扇風機。首からつるしてあるのだ。うーん……プリキュアのコンパクトをこういう風に首にかけていた幼稚園児だったころの姪を思い出すなあ。

 多分電池式で、息子によると小学校では禁止になったそうだが、机の上に置いて涼をとるのに使うらしい。うーん、邪魔にならないのかなあ。こういう時には、私が高校生だったときにはウチワとか、扇子なら持ってきている子はいた。ぱたぱたとあおぐわけだ。

 遊園地では霧吹きと扇風機がセットになったやつはみた。あれは外を歩くときはなかなか理にかなっていると思う。
 でも今日見たやつは持ち歩くにはちょっと大きすぎじゃない?

 そんなことを考えてから、買い物に行った。
 ホームセンターに、携帯用の扇風機売り場があった。うわあ、つまり「流行ってます」ということなんだねえ。ファンシーショップや、ヴィレッジヴァンガードに出てくるのが新商品の出始めだとするならば、ホームセンターは終着点。ホームセンターに売り場が充実したということは「行きわたってきた証拠」なのだ。

 さすが今風、乾電池で動くもののほかに、充電式がある。まあ、みんな今スマホ持ってるからね、USB充電が誰の家でも出来るようになっているだろう。そして、値段の横に「手動」と書き加えた商品が……。

 手動の扇風機?なんじゃそら。
 ハンドル部分にダイナモがついていて、握って離して……と握力の運動みたいにして点灯させる懐中電灯があったが(ダイナモが重くてとてもくたびれるもので、電池要らないからいいかな、と思って非常用に買ってみたがすぐ子供のおもちゃになった)それとはちょっと違って、多分これはカムとボールベアリングが入っているおもちゃ系。
 ニギニギするとカラカラと動く……動くんだけど、これなら扇子であおいだほうがマシでしょう。

 「マニュアルファン」と書いてあったけれど、売り場の他のが電池式なので、「うごかないぞ」と思った人がいたのだろう、マニュアル=手動ですよ、と値札に書き加えてあるということなんだろうね。
 確かに面白いけど!

20年ぐらい経ったら、「こういうのはやったときにさー」と話題に出来そうだ。

洗剤を買い忘れる

朝洗濯をするときに、洗剤があと1回分ぐらい。

あ、買ってこなきゃあ。そう思って忘れた。

箱を洗濯機の洗剤を入れるところにひっくり返して隅々の最後の粉まで入れて、「今日こそ、買ってこなきゃ」と思ってやっぱり忘れた。

 前は買い置きもしていたのだが、買い置きが5箱も6箱も収納を占領するので、やめたのはここ1年ぐらいだろうか。

朝6時半、コンビニまで行けば洗剤は絶対あるけれども、コンビニの洗剤は高い。普段がんばって底値の時に買っている効果を2、3回パーにするぐらい高い。
 
 洗剤の買い置きをやめてから、1本だけ液体の洗濯洗剤も置いていた。これは、買い置き分が切れたら液体を使い、「普段と違うことをしている」意識をもって、粉の洗剤を買いに行くのを忘れないように、ということでやっていたのだが、前回買い忘れたのがずいぶん前だったらしく、戸棚にないし、記憶にも残っていない。

 スーパーが開くのは9時半で、ドラッグストアが10時。この曇り空では乾くのに時間が要るから、10時半に干すと昼過ぎからの雨の予報にひっかかるかもしれない。

 見つかったのは滅多に使わない柔軟剤と、滅多に使わないおしゃれ着洗い。ここが旅行先なら、私は迷わず洗濯機にシャンプーをいれただろう。旅行先で汗臭い荷物を持つのが嫌で洗濯する時はくさくなくなりさえすればいいのだから、その程度でOK。
 水で洗って汚れが落ちる分も相当分、計算に入れるとすればそれで十分。ただし今回は洗濯物が多い。はあ……おしゃれ着用洗剤のほうにしとくか。

 これは滅多に使わない。衣替えの時のウールの洗濯の時に使うだけだから、前回使ったのは多分去年だもんね。
 おしゃれ着洗剤を洗濯機に入れて洗濯終了。

 買い置き、しておくかなあ…。

 1箱、置いておこう。で、それを収納から出したら、また1箱買う。
 5、6個はやめて1つだけ。

買い置きの方針は変更となった。忘れっぽくなってるよね、確実に。これもまた、生活と考え方の調整がいるということなんだろうな。

 そういやあ、こないだ新聞屋さんがおいていった、シート状の洗剤。あれなら場所取らないかも?
 見てみたらシート状の洗剤は意外と高かった。送料も。

はあ……忘れっぽくなると買い置きが増えるっていうの、あるのかもなあ。実家の洗面所の下の収納にぎっちりつまった、「いつのかわからない」ような洗剤のことをちょっと思い出した。
 

冷たい麦茶

昔……。私が子供だった頃、うちには「冷たい麦茶」はなかった。

よその家に行くとふるまわれる麦茶は、冷蔵庫の温度で、とてもおいしかったが、家にあるのはいいところ常温か、水道水ぐらいの温度が最低温。それ以上冷たいのを飲むと「おなかを壊す」と言われていた。

 井戸水はもっと冷たかったので、「生水を飲むな」と言われていたが時々飲んだ私としては、もっと冷たくても全然いいのに…と思っていた。
 氷は「もったいないし、冷蔵庫があったまるから必要以上にあけるな」とか言われていたぐらい。

 浄水器も普及していなかったころで、水道水をそのまま飲むのを嫌がった母は、麦茶をやかんで沸かして作っていた。ティーバッグでもない、ガラガラと麦の粒そのままをやかんに入れるタイプで、味はおいしかったと思うが、いかんせん出来たてのあっつあつなんて飲む気がしないのが夏の小学生。

 そんなわけで、私が一人暮らしをしたり、専業主婦になったあとはうちの麦茶は冷蔵庫温度となっていた。

が……この夏の初め、温度が乱高下した時に初めて作った麦茶を冷たいままとてもたくさんぐーーーーっっと飲んだら、お腹を壊した。
 うーん……。電子レンジで室温まで温めてから飲んだら全然大丈夫なので、これはやっぱり体調の問題とか体質の変化と思ったほうがいいのか。

 もしかしたら、うちの母にもこういうのがあったのかもしれないな。母は私たち娘には何も言わなかったけれども。
冷蔵庫温度の麦茶をちびちび飲みながら、これを書いた。

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