遠くの歌
いい表現だなあ、と思ったのがこれ。
「遠くから歌が聞こえるが、何の歌かわからない」
すごく、わかる感じがする。
大勢が声を揃え、連帯の歌を歌っている。勇壮に、高らかに、人々を勇気づける歌を。
自身を鼓舞し、一人ではないのだということがみんなにわかるように、湧き上がり、広がる歌が、遠くで聞こえる。
その主張に自分も加わりたい、その連帯の一員になりたい。そうあこがれる気持ちを誘うようなその旋律が途切れながら聞こえてくる。遠くて、たどりつけないようなところから。
まだまだ社会には未解決な問題があって……。当事者になるのはなかなかに難しい時もある。
でも誰かが歌を歌い続けることによって、少しずつ変わっていく。みんなが寄り集まって広がっていく。そういう絵がこの文章から見える気がした。
いい文章、いい表現というのはすごいなあ。当たり前の言葉しか使っていないのに。
あこがれるなあ。こういう文章が書きたい。
北京で哲学を研究していた胡さんは1980年代、「言論の自由を論ず」という論文で大きな反響を呼んだ(中略)この論文づくりに着手した70年代は、考えを深めようにも周囲に欧米の文献がなかった。ロックやミルといった思想家の名前は聞いたことがある程度。「遠くから歌が聞こえるが何の歌かわからない」という感じだったそうだ。
朝日新聞2019年6月5日夕刊記事「天安門事件から30年 抑圧から生まれる自由の思想」 村上太輝夫さん より抜粋「遠くから歌が聞こえるが、何の歌かわからない」
すごく、わかる感じがする。
大勢が声を揃え、連帯の歌を歌っている。勇壮に、高らかに、人々を勇気づける歌を。
自身を鼓舞し、一人ではないのだということがみんなにわかるように、湧き上がり、広がる歌が、遠くで聞こえる。
その主張に自分も加わりたい、その連帯の一員になりたい。そうあこがれる気持ちを誘うようなその旋律が途切れながら聞こえてくる。遠くて、たどりつけないようなところから。
まだまだ社会には未解決な問題があって……。当事者になるのはなかなかに難しい時もある。
でも誰かが歌を歌い続けることによって、少しずつ変わっていく。みんなが寄り集まって広がっていく。そういう絵がこの文章から見える気がした。
いい文章、いい表現というのはすごいなあ。当たり前の言葉しか使っていないのに。
あこがれるなあ。こういう文章が書きたい。