PTAの役員を決めたときのこと
もう時効だろうから書いちゃおうかな、と思った話。
うちの小学校の役員は、本部の会長、副会長、会計と書記、それからクラス委員、広報委員、体育委員、地域委員、そして指名委員というのがある。
この最後の「指名委員」というのが曲者で、多分本部の人以外になるとしたら、「これが一番いや」という役だと思う。
何をやるかと言うと、「次の年の本部委員さんを決める役」。クラス委員とか、広報委員、体育委員と地域委員は、立候補がなければ基本くじ引き。イヤであろうと、なんであろうと回ってくる。
ただ、本部の委員さんはクジではなく、建前上は「立候補した人がなる」ことになっている。けどね?別に報酬が出るわけでなく、やたらいろいろな仕事が回ってくるし、会長さんか前であいさつする機会は多いし休日に出なきゃいけない行事も多いし…というわけでやりたい人がそうそういるわけでもない。
だから、それを「お願いできませんか」と学区内の家を回って引き受ける人を探すのが「指名委員」のお仕事になるわけだ。
頼むほうも必死だが、断るほうも涙目、もう真剣にPTAって必要じゃないよね…という考えが頭に浮かんでしまう。実を言うと姪の小学校にはPTAなんかなかった。でも、誰も困っていなかったし、姪は3人とも何の問題もなく小学校を卒業していた。
それを見てしまうと、「なくてもいいんじゃないか?」といいたくなってくる。
働いているお母さんたちも多い昨今、1980年と同じシステムで運用されているPTAのありかた自体が、無理があると思う。
これは数年前…。頼んで歩く方式じゃないのをやってみた指名委員さんがあったときのこと。
PTA本部役員に推薦する人の名前を書いて提出してください。
推薦する人がない場合は、自薦=立候補とみなします。
こういう少なくとも一人は名前を書かなくてはならないという用紙が配られた。
ちょ、ちょっとちょっと!私は人づきあいが少ない。子どものクラスと名前が書け、本人の名前が書ける人は本当に数えるほど。そういう人は私と「仲良くしてくれる人」なわけで、そういう人をつまり「人身御供に差しだす」ようなものではないか。
ものすごく気まずいし、いくら「誰が推薦したかということは外部には知らされません」という条件が付いていたとしても、やりたいことではない。
その推薦された人には、「役員をしてくれませんか」という打診がいくだけであって、つまりは絨毯爆撃のように指名委員さんが訪問するのではなく、ピンポイントで人望がある人を狙い撃ちにしたいという意味の説明がしてあったけれど、私は胃が痛くなりそうだった。
誰も指したくない、でも自分もやりたくない。そういうものなのだ。
この時点で10月。その時習い事が一緒だった人に、習い事のお迎えの時に転校を知らされていた。
あー!!!いいこと思いついたし!
私はその人に連絡を付けて、「ごめん、役員の推薦に、名前書かせてもらってもいい?」と打診した。
その人は3月で転校なんだから、事実上の不可能票だ。
下の名前と、お子さんのクラスと、名前の漢字を教えてもらって出した。
実はちょっと、ずるい手だったな、というのは自覚しているが、これをやるのは一回きりで済んだ。
なぜならば、「本部役員さんを一度やれば、6年生限定で選んでいた卒業委員も免除、下のお子さんの時も全役員免除」という特典がつくようになり、お子さんが3人とかいらっしゃる人が、長男君、長女ちゃんの時に引き受けておけば後は安泰!ということでガンガン立候補が出るようになったからだ。
それまでは「子供1人につき、1回は何か役員をやること」 「役員を1回やったとしても、卒業委員だけは別勘定で立候補がなければ2度目でもあたる」というシステムだったからね…。それが、本部役員を1人目の時に1回だけやっておけば、残りの2人は全く当たらなくなるとなれば「お得」だよね。
その特典がついてからというもの指名委員の存在意義は低くなり、実は割と楽になったので、今年の指名委員は立候補が結構多かったそうだ。
違う学校に子供を通わせる友人は、母子家庭で、勤務日数と時間数によって給料が変わる。これ以上給料が減ると生活にかかわるので断りたいと交渉したそうだが、くじ引きで当たってしまうとどうしようもないと押し切られて、げんなりしていた。
共働きならともかくも、生活の保障をだれがしてくれるわけでもないのにと。
アメリカの小学校に子供を行かせたときは、PTAは純粋に「ボランティア」つまり「志願者のみ」だった。
いろいろな用事も、イベントもあったが、全員「できる人だけやればいいよね」だ。出来ない人でも、「寄付は受け付ける」ことになっていたので、お金だけ出す人もいた。
行事に毎回じゃなくて、「今回はいけるからやる」というやり方もOKだった。これは日本では無理なのかなあ。
でも、私だって、くじ引きで強制でなければ、「これならやってもいい」ということはある。毎回絶対出なきゃいけない、しょっちゅうあるのが大変なだけだ。
お金があるなら業者さんに頼むことだって出来る。夏祭りのお店なんか、絶対そうだと思う。参加しなくていいなら、金は出す、という人も絶対あるよねえ。仕事を休むことを考えれば、ねえ。
これが、「昔の笑い話、苦労話」になるのはいつなんだろう。
うちの小学校の役員は、本部の会長、副会長、会計と書記、それからクラス委員、広報委員、体育委員、地域委員、そして指名委員というのがある。
この最後の「指名委員」というのが曲者で、多分本部の人以外になるとしたら、「これが一番いや」という役だと思う。
何をやるかと言うと、「次の年の本部委員さんを決める役」。クラス委員とか、広報委員、体育委員と地域委員は、立候補がなければ基本くじ引き。イヤであろうと、なんであろうと回ってくる。
ただ、本部の委員さんはクジではなく、建前上は「立候補した人がなる」ことになっている。けどね?別に報酬が出るわけでなく、やたらいろいろな仕事が回ってくるし、会長さんか前であいさつする機会は多いし休日に出なきゃいけない行事も多いし…というわけでやりたい人がそうそういるわけでもない。
だから、それを「お願いできませんか」と学区内の家を回って引き受ける人を探すのが「指名委員」のお仕事になるわけだ。
頼むほうも必死だが、断るほうも涙目、もう真剣にPTAって必要じゃないよね…という考えが頭に浮かんでしまう。実を言うと姪の小学校にはPTAなんかなかった。でも、誰も困っていなかったし、姪は3人とも何の問題もなく小学校を卒業していた。
それを見てしまうと、「なくてもいいんじゃないか?」といいたくなってくる。
働いているお母さんたちも多い昨今、1980年と同じシステムで運用されているPTAのありかた自体が、無理があると思う。
これは数年前…。頼んで歩く方式じゃないのをやってみた指名委員さんがあったときのこと。
PTA本部役員に推薦する人の名前を書いて提出してください。
推薦する人がない場合は、自薦=立候補とみなします。
こういう少なくとも一人は名前を書かなくてはならないという用紙が配られた。
ちょ、ちょっとちょっと!私は人づきあいが少ない。子どものクラスと名前が書け、本人の名前が書ける人は本当に数えるほど。そういう人は私と「仲良くしてくれる人」なわけで、そういう人をつまり「人身御供に差しだす」ようなものではないか。
ものすごく気まずいし、いくら「誰が推薦したかということは外部には知らされません」という条件が付いていたとしても、やりたいことではない。
その推薦された人には、「役員をしてくれませんか」という打診がいくだけであって、つまりは絨毯爆撃のように指名委員さんが訪問するのではなく、ピンポイントで人望がある人を狙い撃ちにしたいという意味の説明がしてあったけれど、私は胃が痛くなりそうだった。
誰も指したくない、でも自分もやりたくない。そういうものなのだ。
この時点で10月。その時習い事が一緒だった人に、習い事のお迎えの時に転校を知らされていた。
あー!!!いいこと思いついたし!
私はその人に連絡を付けて、「ごめん、役員の推薦に、名前書かせてもらってもいい?」と打診した。
その人は3月で転校なんだから、事実上の不可能票だ。
下の名前と、お子さんのクラスと、名前の漢字を教えてもらって出した。
実はちょっと、ずるい手だったな、というのは自覚しているが、これをやるのは一回きりで済んだ。
なぜならば、「本部役員さんを一度やれば、6年生限定で選んでいた卒業委員も免除、下のお子さんの時も全役員免除」という特典がつくようになり、お子さんが3人とかいらっしゃる人が、長男君、長女ちゃんの時に引き受けておけば後は安泰!ということでガンガン立候補が出るようになったからだ。
それまでは「子供1人につき、1回は何か役員をやること」 「役員を1回やったとしても、卒業委員だけは別勘定で立候補がなければ2度目でもあたる」というシステムだったからね…。それが、本部役員を1人目の時に1回だけやっておけば、残りの2人は全く当たらなくなるとなれば「お得」だよね。
その特典がついてからというもの指名委員の存在意義は低くなり、実は割と楽になったので、今年の指名委員は立候補が結構多かったそうだ。
違う学校に子供を通わせる友人は、母子家庭で、勤務日数と時間数によって給料が変わる。これ以上給料が減ると生活にかかわるので断りたいと交渉したそうだが、くじ引きで当たってしまうとどうしようもないと押し切られて、げんなりしていた。
共働きならともかくも、生活の保障をだれがしてくれるわけでもないのにと。
アメリカの小学校に子供を行かせたときは、PTAは純粋に「ボランティア」つまり「志願者のみ」だった。
いろいろな用事も、イベントもあったが、全員「できる人だけやればいいよね」だ。出来ない人でも、「寄付は受け付ける」ことになっていたので、お金だけ出す人もいた。
行事に毎回じゃなくて、「今回はいけるからやる」というやり方もOKだった。これは日本では無理なのかなあ。
でも、私だって、くじ引きで強制でなければ、「これならやってもいい」ということはある。毎回絶対出なきゃいけない、しょっちゅうあるのが大変なだけだ。
お金があるなら業者さんに頼むことだって出来る。夏祭りのお店なんか、絶対そうだと思う。参加しなくていいなら、金は出す、という人も絶対あるよねえ。仕事を休むことを考えれば、ねえ。
これが、「昔の笑い話、苦労話」になるのはいつなんだろう。