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毎日更新!LuckyDuckyDiary

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PTAの役員を決めたときのこと

もう時効だろうから書いちゃおうかな、と思った話。

うちの小学校の役員は、本部の会長、副会長、会計と書記、それからクラス委員、広報委員、体育委員、地域委員、そして指名委員というのがある。

この最後の「指名委員」というのが曲者で、多分本部の人以外になるとしたら、「これが一番いや」という役だと思う。
 何をやるかと言うと、「次の年の本部委員さんを決める役」。クラス委員とか、広報委員、体育委員と地域委員は、立候補がなければ基本くじ引き。イヤであろうと、なんであろうと回ってくる。

 ただ、本部の委員さんはクジではなく、建前上は「立候補した人がなる」ことになっている。けどね?別に報酬が出るわけでなく、やたらいろいろな仕事が回ってくるし、会長さんか前であいさつする機会は多いし休日に出なきゃいけない行事も多いし…というわけでやりたい人がそうそういるわけでもない。
 
 だから、それを「お願いできませんか」と学区内の家を回って引き受ける人を探すのが「指名委員」のお仕事になるわけだ。
 頼むほうも必死だが、断るほうも涙目、もう真剣にPTAって必要じゃないよね…という考えが頭に浮かんでしまう。実を言うと姪の小学校にはPTAなんかなかった。でも、誰も困っていなかったし、姪は3人とも何の問題もなく小学校を卒業していた。
 それを見てしまうと、「なくてもいいんじゃないか?」といいたくなってくる。
 働いているお母さんたちも多い昨今、1980年と同じシステムで運用されているPTAのありかた自体が、無理があると思う。

 これは数年前…。頼んで歩く方式じゃないのをやってみた指名委員さんがあったときのこと。
 PTA本部役員に推薦する人の名前を書いて提出してください。
 推薦する人がない場合は、自薦=立候補とみなします。

 こういう少なくとも一人は名前を書かなくてはならないという用紙が配られた。
 ちょ、ちょっとちょっと!私は人づきあいが少ない。子どものクラスと名前が書け、本人の名前が書ける人は本当に数えるほど。そういう人は私と「仲良くしてくれる人」なわけで、そういう人をつまり「人身御供に差しだす」ようなものではないか。
 ものすごく気まずいし、いくら「誰が推薦したかということは外部には知らされません」という条件が付いていたとしても、やりたいことではない。

 その推薦された人には、「役員をしてくれませんか」という打診がいくだけであって、つまりは絨毯爆撃のように指名委員さんが訪問するのではなく、ピンポイントで人望がある人を狙い撃ちにしたいという意味の説明がしてあったけれど、私は胃が痛くなりそうだった。

 誰も指したくない、でも自分もやりたくない。そういうものなのだ。

この時点で10月。その時習い事が一緒だった人に、習い事のお迎えの時に転校を知らされていた。
 あー!!!いいこと思いついたし!

 私はその人に連絡を付けて、「ごめん、役員の推薦に、名前書かせてもらってもいい?」と打診した。
 その人は3月で転校なんだから、事実上の不可能票だ。
 下の名前と、お子さんのクラスと、名前の漢字を教えてもらって出した。

 実はちょっと、ずるい手だったな、というのは自覚しているが、これをやるのは一回きりで済んだ。
なぜならば、「本部役員さんを一度やれば、6年生限定で選んでいた卒業委員も免除、下のお子さんの時も全役員免除」という特典がつくようになり、お子さんが3人とかいらっしゃる人が、長男君、長女ちゃんの時に引き受けておけば後は安泰!ということでガンガン立候補が出るようになったからだ。

 それまでは「子供1人につき、1回は何か役員をやること」 「役員を1回やったとしても、卒業委員だけは別勘定で立候補がなければ2度目でもあたる」というシステムだったからね…。それが、本部役員を1人目の時に1回だけやっておけば、残りの2人は全く当たらなくなるとなれば「お得」だよね。

 その特典がついてからというもの指名委員の存在意義は低くなり、実は割と楽になったので、今年の指名委員は立候補が結構多かったそうだ。
 違う学校に子供を通わせる友人は、母子家庭で、勤務日数と時間数によって給料が変わる。これ以上給料が減ると生活にかかわるので断りたいと交渉したそうだが、くじ引きで当たってしまうとどうしようもないと押し切られて、げんなりしていた。
 共働きならともかくも、生活の保障をだれがしてくれるわけでもないのにと。

 アメリカの小学校に子供を行かせたときは、PTAは純粋に「ボランティア」つまり「志願者のみ」だった。
 いろいろな用事も、イベントもあったが、全員「できる人だけやればいいよね」だ。出来ない人でも、「寄付は受け付ける」ことになっていたので、お金だけ出す人もいた。

 行事に毎回じゃなくて、「今回はいけるからやる」というやり方もOKだった。これは日本では無理なのかなあ。
でも、私だって、くじ引きで強制でなければ、「これならやってもいい」ということはある。毎回絶対出なきゃいけない、しょっちゅうあるのが大変なだけだ。
 お金があるなら業者さんに頼むことだって出来る。夏祭りのお店なんか、絶対そうだと思う。参加しなくていいなら、金は出す、という人も絶対あるよねえ。仕事を休むことを考えれば、ねえ。

 これが、「昔の笑い話、苦労話」になるのはいつなんだろう。

ブルマーのこと

令和という新しい年号になるにあたって、平成を振り返るという朝日新聞の記事に、90年代のブルマ強制問題が取り上げられていた(記事が有料なので、リンクなしで)。全員ブルマーをはかなくてはいけないのは、人権侵害か。そういう裁判があったらしい。



 私は、小学校から高校いっぱいまで、ブルマーを履いた世代だ。今の子供たちが男女区別なく膝丈の半パンツを履いているのが、ちょっとうらやましいと思うぐらいには、ブルマーが嫌いだった。

 学校によって差があるのだろうが、「ちょうちんブルマー」というのが採用されていた学校もあって、それは長さ的にいうと、膝上ぐらいではある長めのブルマーで、裾がしぼられていて、タイツを履いた王子様がはいているというとわかるだろうか。それか日本風に言うと、短袴の裾が結んであるような感じのもので、男子がはいている短パンより長いぐらいだった。
 こっちならよかったのに、とイトコの学校のブルマーを見て思ったことがある。

 私の学校が採用していたブルマーは、これ以上短くなりようがないぐらい短いもので、下着のパンツの履きこみが深いものという感じ。太もものくりがあんまりない下着を着ていると、はみ出てしまうというようなカットのものだった。つまり、グンゼの幼児用の白い下着と同じ形。
 
 色は紺で、ブルマーとは呼ばれず、「紺パン」と呼びならわされていた。
 スカートめくりなどに備えて、女子はみんなこれをスカートの下に履いており、今でいうスパッツみたいな役割も果たしていた。逆立ちをしようが、ゴム段を勢いよく飛び越えようが、見えるのはパンツではなく紺パン=ブルマーなので、大丈夫!というのがブルマーの役割だった。

 小学生の、それも低学年の時は「そんなもの」だったし、私もその「下着見え防止機能」については文句はなかった。
 問題は中学校になってからだ。

 つまりブルマーの体操服というのは、上が半袖とはいえ、水着を着ているのとほとんど同じ露出度だということに気づく年頃だ。
 学校のフェンスの向こうに、カメラを持った変態が出る。ちなみにこのころはカメラを持ってそういう写真を撮り歩く人のことは言葉を選ばずに「変態」と呼んだ。中学生は自分の子供の写真を撮りに来る運動会当日の父兄と、見回りの先生に声をかけられたりしたら逃げ出す変態の区別がもちろん出来た。

 衣替えをして長いジャージを履くようになった時にはほっとしたものだ。通年ジャージをはけないかと学校にかけあってくれた女の先生もいたのだが、服装の乱れがなんとか…で却下されたと聞いた。当時はそんな写真を集めたり、売りさばいたりする人がいることはそれほど知られていなかったのだろう。

 私が高校生になったころに、「制服が売れる」という噂があった。うちの学校の制服は色気もそっけもないブレザーと無地のスカートだったので「うちの制服が売れる」という話はなかったが、近隣のお嬢様学校のとか、隣県の私立女子校の珍しい形のセーラー服だとかは新品を買っても、数万円のおつりがくるぐらいの値段でお店が買うので、三年生だというのに一年生と見間違えるようなぴかぴかの制服を着て学校に来る子がいるとかいないとか…。

 一応、それが何を意味するのか…ということは頭ではわかっていた。それはお金が欲しくても越えてはいけない一線だということは大体の高校生がわかっていたと思う。でも…実は「本当にお金に困っていたら、やるかもしれないな」とふとよぎったのも確か。今でいう「JK」という立場に価値がついているのだ…ということが表に出てきたのが、そのころだったのだと思う。

 それと同時に、下着も売れるという話もあった。それは制服を売るよりもう一段「キモチワルイ」ことだというのが私の友達の間では共通見解であったが、これも「体を売るよりまし」と思って、お金が儲かるなら、何が悪いの?とやってしまう人がいるという話だった。
 セーラー、ブルマーなどの中古品をそういう店で買う人と、通学路や、街中に出る露出狂や痴漢は、その考えていることを行動に移す動機がそれほど違わないあたりからくるのだ…ということもわかるようになっている年齢だった。
 そう…。制服を着ている女子中高生はそういう被害にも結構遭うのだ。
 自転車ですれ違いざまに胸をさわられるとか、公園を横切っているとコートしか着ていない人に会うとか…ぐらいなら珍しくもなかった。大抵の子が被害に遭ったことがあるのではと思う。電車通学で痴漢にあって、校章のピンを痴漢の手に突き刺して降りたとか、安全ピンをその目的のために常備している子もいたぐらいだ。

 私が通った高校は学校のまわりは田園地帯で隠れる場所もないようなところだったから、カメラを持った変態はほとんど出なかったので助かったが、街中にある学校のことも考えるとやっぱり生徒の露出度は下げるのが学生のためだと思う。
 正直なところ、親になった今は、露出度以前の問題であんまりかわいい制服も危ないと思ってしまうぐらいだ。
 今は学校の水着もぎりぎりの長さではなく、膝上ぐらいまではあるというし、学校も気を付けるようになっているんだろうね。
 こういう配慮が昭和、平成の頃にもあればなあ…。

考えてみるといい。女子のブルマーと、男子の短パンが同じ長さだったら?男子であの長さの物を履くとしたら、えーっと、ひと昔前の競泳用パンツ?男子で「ないわー」だったら、女子でも「ないわー」でいいんだよねえ。それに気が付くのに、昭和から平成の後半ぐらいまでかかってしまうなんて。(ちなみに、短いブルマーは2013年で有名メーカーからは出荷終了になったらしい)

 平成後半の女子中高生は、電車通学で痴漢被害に遭いやすい子なら、スラックスで通いたい子は多分いると思う。学校でスカートに着替えてもいいしね。あとは冬!絶対スラックスのほうがあったかいからね…。
 令和時代になって、もしかしたら男子も、着たければセーラー服とスカートで学校に通えるようになるかもしれないね。
 スラックス、スカート、ブルマ―、短パン。どれでもはきたい人がはけるようになればいい。
 男子で希望者はブルマーもはけるとか、この際だからあってもいいかも。そうなれば、セーラー服とかブルマーに性的な記号としての意味がなくなる日がくるのかもしれない。

 新時代かあ…。私はつまり、私が子供だった頃の「明治の人」みたいな言い方をされる「昭和の人」になったってことだね。
 当時、時代を2つ越えた明治の人はどんな気分だったのだろう。

 これからもきっと時代はよくなっていくのだ。そう思いたい。

グーグル翻訳のカメラ入力

フランス語の本を何冊か持っている。
大抵は刺繍の本で、図さえ見えればまあどうにかなるから買った。

フランス語をちょっと、初めてみようかなあ…と思って、ラジオ講座を聞き始めたのだが、いかんせん時間は短い。
中級講座になると手も足も出ないし、英語の講座は細分化されて簡単なものから難しいものまであるのにフランス語は全然だ。

そういうことを話していると、夫に「グーグル翻訳使えば?」と言われた。
 うーん。2000年頃に、出来たばっかりの頃に日本語から英語、英語から日本語の自動翻訳を使って爆笑した覚えはある。
あの日本語翻訳はかーなーりへんちくりんだった。(多分グーグルではなかったと思うけど)
 「…出来る」という意味の助動詞canは、全部「缶」と訳されたりとかして、これで元の文章の意味がわかるとしたら相当だな…と言わざるを得なかった。

 その後英語の小説や説明書き程度なら翻訳が要らなくなるぐらいには英語が読めるようになったので自動翻訳は全く使っていなかった。大体、キーボードで全部打ち込むというのも手間だった。

 夫が、ほらこれ、と見せてくれたのが、スマホのグーグル翻訳というアプリ。
 カメラのマークをタッチすると、スマホのカメラから読み取れる!入力の手間なし。

しばらくかかって読み取ったかと思うと、そのまま英語に変換して画面に見えるようにしてくれる。
フランス語>英語だったのだけれど、意味がある程度わかるぐらいに読める!

うわ、すごい!
 ちなみにフランス語⇔日本語もやってみたが、そっちはやっぱり「???」という感じになったので、実用にはちょっと遠そうだ。
でもアルファベット系の読み込みがうまく出来る感じ。スマホのカメラがOCRの代わりになるとは思わなかったけど、技術ってちょっと見ないうちに進むものだねえ…。

 カメラでこれだけ読んでフランス語が英語になるなら、もうフランス語を一から習得する苦労のことを考えたら、やらなくていい気がしてきた。
 もしかして…これ、イタリア語とか、ドイツ語も似たような感じに出来るってことかあ…。
 なるほどね、外国旅行にもこういうソフトが重宝するわけだ。

次回英語圏じゃないところへ行くことがあったら、試そう。
 

レゴか、ダイヤブロック、どっち。

この季節になると思い出すこと。
 息子がまだ、2歳ぐらいだったころに、このゴールデンウィークシーズンを使って買い物に行ったのが「ブロック」。代表的なブランドは「レゴ」だ。

 私が子供だった当時、ブロックといえば、カワダの「ダイヤブロック」を指した。我が家にもあったし、近所の家にも、これがある家は多かった。
 創造性がどうのこうのという話は果たして有効だったのかはともかく、このおもちゃはかなり長い間、繰り返し遊んだ。おままごとの家を作り、人形もこれで作って遊んだ。お人形の服を着せ変えるときは色違いのブロックで組みなおし。椅子も、机も、ベッドもブロック。乗り物を作る子もいた。船に、飛行機に…手でもって「ブーン」とやって遊ぶあれだ。動物園も作ったし、「海」とか、「島」とか、見立てて遊ぶことも多かった。
 一度買ってしまえば、それだけでかなり遊べるのが当時人気があった理由だと思う。

 私は当時珍しかったレゴブロックでも相当遊んだことがあった。なぜなら、隣の家にあったからだ(自分の家でなく、お隣というところが泣ける)。
 お隣の家はおばあちゃんがデパートで売っているおもちゃを買ってきてくれる家だった。そこでずいぶん見たことがない外国のおもちゃで遊ばせてもらったものだ。

 で…レゴブロックは当時実はあんまり評判がよくなかった。部品がきっちりつくられていたのだろう、子供の力では外せないことがある。今はそれに配慮しててこの原理を利用してレゴを外す道具なども売られているのだが、当時そんな道具はなかった。
 「おかーさーん、はずしてー」と持っていくことになる。厚みのある通常ピースは割と大人なら問題なく一瞬で外せるが、薄くて突起付きのパーツは、どちらかというとペンチがあったほうがいい案件であり、薄い、それもてっぺんに突起がないデコレーション用パーツとなるといきなり難易度があがって、大人でも困る難しさ。これはよくうちの父が工具を使って外していた。

 うちの父は「器用な人」という評判があったので、持ち込まれたのだ。薄いものをブロックの隙間に入れてこじ開けることが出来ればそれでいいのだが、板状の大判パーツの真ん中にこの薄い、てっぺんに突起のないパーツがぺったりくっついたのは、「無理やりこじあけると割れるかも」という判断がついて、「お蔵入り」になってしまったという思い出がある。
 故にしばらく遊んでからは、「薄いのを2枚ぴったりくっつけるのは禁止」とか「薄いデコレーションパーツは下のパーツとずらして(手掛かりを残して)くっつけること」というルールが出来たぐらいだ。

 そんな思い出があったものだから、私は「カワダのでもいいと思うんだけど」と意見したのだった。
 結局、幼児用ブロックはカワダの、そして3歳越えてから買ったブロックはレゴ、ただし「取り外し用の道具を絶対買う」となった。

 家で、最初ブロックをくっつけてみたときのあのうれしそうな息子の顔。レゴは今でも実は現役だが、どちらかというと技術系パーツが多くなって、ロボット組み立てに使われている。色とりどりの普通のパーツはめちゃくちゃたくさん余ったので、この休暇を利用してちょっと片づけた。

 …これ、大人が趣味にすることもあるんだよね。もったいないから私が遊ぼうかな。
 

やわらかい腕時計ベルト

息子に、腕時計をもたせることが結構ある。
 模擬テストや、電車の時間を見るのに便利だからだ。
 スマホは持たせていないし、ガラケーはカバンに放り込んだままだし、テストと名前のつくものは大体ケータイだの、スマホだのはカバンにしまっておくルールがあることが多い。

 それだけなら、安そうな時計をひとつ、息子専用にしておけばいいだけ…と思っていたら、最近文句が出始めた。
 「なんだか、嫌な感じがする」と。詳しく聞いてみると、手首に滅多にはめておくことがないので、ベルトが固いのがイヤらしい。時計がまだ、「珍しくて、しているのがカッコいい」と思っていた時はそんなこと言わなかったのにね。

 机の上に置いておいてテストを受けるのも出来るのだが、落としたりするし、ペンケースに巻き付けておくとかも考えたのだが、鉛筆と消しゴム「のみ」を机の上に出せるという設定のテストもあると聞くと、やっぱり腕にはめておくのが無難だろう。
 スマートウォッチではない腕時計なら、はめていてもいいですよ、という模試と入試と資格試験がほとんどだからなあ。

 そのつもりで探してみても、あんまり柔らかいとわかるものもなく、カシオの一番安い時計についていたプラスチックベルトでさえ、「なんだかイヤ」という感じだったので、これは自作か…。というわけで、自作するとしたら、と考えてみた。

 コットンで縫って、ベルトのパーツをそのまま流用するかな、と思っていたらもう一つ、「はめるのが面倒」という話も出てきた。あー。多分こっちの比率が大きい。慣れればあんなもの、一瞬だとは思うが、腕時計のバックルにベルトを通して穴を合わせて…というのが不器用なので時間がかかるとかだろう。
 うちの息子は私に似たのか、面倒くさがりだ。これは欠点ではあるが自分でも自覚があるのであまり強くも言えない。
 ただでさえプレッシャーがかかるテストの時に、少しでもストレスのもとは削っておきたいし。

 私だって軽くてつけるのが簡単な時計は、あったらほしい。
  この場合すぐ思いつくのは、ゴムひもだ。12ミリの黒があれば完璧だろう。
  そう思ったが、意外なことに10ミリと15ミリはあっても、12ミリが見つからない。
 ここで気を付けなくてはいけないのは、ゴムひものサイズの単位で「12コール」というのは実は12ミリではないということ。大体10ミリちょっと、11ミリはないぐらい。
数字にダマされてはいけないのが、平ゴム選びの注意点。
その手でいけば14コールというのが12ミリぐらいにあたるのではないか、と思ったが、12コールの次はなぜか16コール、大体15ミリぐらいまで飛んでしまう。つまり12㎜の需要はないとみた。

100均で12コール≒10ミリを買い、腕時計ベルトのように通してみた…らやっぱり、細くて、スキマがよくわかる。イマイチだ。
しょうがないので、2本ずらして重ねて時計の裏にあたるところで5ミリ幅で3本縫い目をいれて幅を固定してから、長さをあわせて両端を縫い合わせたのがこれ。
 腕にはめると、意外とぱっと見では「ただのゴムヒモ」とはわからない感じ。

この時計の文字盤の数字がアラビア数字のものを息子に。私はこの写真のを。
 「これならやわらかいし、してもいい」(<何気にエラそうだなもー)ということだったので、作戦成功。

これって、もっと細いゴムで作って薄手のコットンでカバーして柄付きにしたらかわいいのでは…。
  中途半端な手芸材料がいっぱい残っていて、編みかけの帽子とかが放置になっているのに、こういうことだけは思いつくからなあ。
 でも、こういうのばせるようになったバンドってあったね?金属のだけど。あれも、サイズが合うなら使ってもいいかなあ。
 一度試そう。


田舎へ弔問にいく。

伯父がなくなったという話を聞いたのが二日前。
昨日がお通夜でお葬式は近親者で家族葬だと聞いて、姉と出かけた。

新幹線だの、飛行機だのを乗り継ぐ強行軍で、朝6時過ぎに家を出て日帰りというスケジュール。
こんなことでもないとイトコだとかおじさん、おばさんに会う機会なんてないぐらいの親戚づきあいの薄さ。祖父は私が赤ちゃんの頃に亡くなっていて、祖母が亡くなったときは私は外国に長期滞在中で行っていなかったものだから、前に訪ねて行ったのは高校生の頃か、大学に入ったときだったかというぐらい。

 道…覚えてないかもしれない、という心配はあったのだが、さすがのグーグルストリートビュー。家を建て替えていなかったので大体の場所の見当をつけて、わかったのがすごい。
 幼稚園の卒業だの、小学校の入学だのにきていった黒いフレアロングのスカートをはき、人前に出ることになったときに、カーディガンやパーカーではない上着が必要になったときに買った9800円ぐらいの安っぽいグレーのジャケットを着て…黒い合皮の靴をはいて、こんなものでしょーがないだろう、ということで出かけた。中にはグレーのシャツを着た。
 喪服はあったのだが、お通夜のはじまる前…つまり昼頃にお邪魔して、3時には電車に乗って帰ろうと言うぐらいのスケジュールなのだ。参列用ではないもので、平服だろうなあ、ということにしたわけだ。

 この場合喪服ではないのが大事らしい。つまり「用意してたから!」という感じに見えたらいけないということよね。
 姉も黒いフレアパンツと、チャコールグレーっぽい(子供が大きくなって再就職するときの面接用に買った、安いやつだそう)スーツの上着だけ転用してきたらしい。

 正直私のグレーの上着も一度か、二度しか出番がなくて、捨てようかと思っていたけれども、いや、こういう機会のためにとっておいてよかった。息子が幼稚園の卒業の時に着た上着もあったのだが、銀糸がところどころに織り込んであって、チャコールグレーの霜降りなのだけれど、ちらちらと光る点が見えるのでやめておいた。

 駅前の和菓子屋で箱に個包装の和菓子を詰めてもらって、お葬式のある家と、本家に挨拶に行くのも一応やることにしようか、というので2箱…と思っていたら、姉が「まあちゃん、おみやげいる?」と聞いてくれたので地元の和菓子交換に。こっちは袋に入った5個入りとかにしておいた。
 落雁とかだともっと軽いのかもしれないけど、地元のあんこがみっちり入ったお饅頭は結構重たかった。

ゴールデンウィークに切符を取るのはやっぱり大変で、ネットを使って予約したのだけれど、必要事項を入力している間にどんどん満席になっていって、電車を変えること数度。ちなみに長距離バスもあったのだけれども、これも入力している間にわずかに残っていた座席が埋まってしまって取れなかった。
 帰りの電車なんか、グリーンではない座席指定を取って帰ろうと思うと、行きと全然違うルートになったりして、えー、こんな乗り換え方があるの?みたいな感じに。

 朝6時過ぎに和菓子が詰まった袋をかついで出発。飛行機、新幹線、特急、どれもぎっちぎち、ホームもコンコースもみっちみち、トイレは大行列。そりゃそーなるよねー。東京経由だったのだが、やっぱりすごかった。

 ついたら、30年近くあっていなかった従兄弟が迎えの車を出してくれた。
 「すぐわかったよ」って。変わってないねえ…と笑いあった。こんなときでなければ、もっと楽しかったのにね、と。

 ご挨拶して、亡くなった伯父と対面。
 今のイトコと顔がそっくりすぎ。
 あと最後に会ったときに中学生だったイトコが、めちゃくちゃマッチョになっていた。ガッチガチの筋肉質。
 どちらかというとやせた子で、3人兄弟そろってシュッとした、いうなればスケートの羽生選手みたいな体形だったんだけど。「そういうのがコンプレックスだったので鍛えた」そうだ。上のふたりはあんまり変化なかったので、ちょっとびっくり。
 
 結婚したのは年賀状で知っていたけれど、イトコの奥さんも初対面。お茶をいれてもらい、電車の中でおにぎりなんか食べてから行ったのだけれど言い出しそびれて、お昼ごはんが出されてしまった。ああああ、失敗した…。

 もっと湿っぽい空気になってもよかったのに、子どもの頃の思い出話に花が咲いてしまった。
 おじさんがくれたものとか、好きだったものとか…こんなことを言う人だった、とかそういう話も。
 伯父は、彫刻をする人で、私に木で出来たしおりをくれたことがあった。小鳥の形が上についていて、アイスクリームのスティックぐらいの薄さ。
 
 本好きだったのとしおりコレクターだったので大事にしていたのだけれど、いつのまにかなくした、という話をしていたら、いとこが、まだいっぱいあったぞ?と探してくれた。
 鉛筆立てにそれが、何本も入っていて、「まこちゃん、一つ持って帰る?」って。ありがたくもらってきた。
 実は自分で作成しようとチャレンジしたこともあったのだが、意外と難しくて断念した経験がある。

 なつかしいな…12、3歳の頃だったと思うけど。
 自分を「ちゃんづけ」で呼ぶひとたちと久しぶりに話した感じがする。
 小さいころの思い出をシェア出来る人は少ないからね…。親戚そろって温泉とか観光地に旅行にいったこともあるから、そういう話も盛り上がってしまった。

 結構きつい冗談を言う本家のおじさんが、めずらしく「お前、全然かわってないなあ」なんてお世辞を言ってくれて、「いや、貫禄つきましたよ、ゴムのスカート履いてますからね!」とウケを狙いつつ、近況報告なんかして、ご当地のお菓子だの、名産だの、ごちそうになるだけなって、「これ、持って帰りな!」と名産のお菓子をカバンに入れてもらって帰ってきた。

 …えーっと。結構楽しく話をしてしまったんだけど、これって弔問だったんだよね?
まあ…伯父さんは芸術家な雰囲気があって、自由でマイペース、楽しいことが好きな人だったからね…私たちが楽しく話をしたことを、喜んでくれそうな方ではあるけれども…。

 ついつい、気づまりだからと遠ざかりがちな親戚づきあいだけれど、もうそんなことを気にしなくなってしまうほど、時間があいていて、物理的な距離が離れているということなのだろうね。
 「本家の方を優先したほうがいいかね」なんていう話が、この現代にまだあるということをすっかり忘れていた私も姉も、「あ」ってなったぐらいだが、まあ、そこはそれ…。もうよそへお嫁に行ったということで「よその人」扱いで勘弁してもらうよりない。
 私と姉の結婚が、「旦那さんはやさしくて、うまくいっている」ということを確認して、伯母は、よかったねえ…と喜んでくれた。

 まあね…イトコは四捨五入すると20人、というほどいるのだが、結婚しなかった人も、結婚して離婚した人もいるからね…。
 東京通勤圏へ出ているイトコたちも多いらしいし、さすがにゴールデンウィークが長かっただけあって、外国に旅行中だったり、人が足りない中、絶賛仕事中だったりして、会えた人は多くはなかったけれども、懐かしかった。

 ちなみに伯父の家はそのままだったが、本家がばーーんと建て直されていた。敷地は広いし、家も特大!
こんな大きい家、私が住む街にあるのかなあ…というサイズで(いや、お金持ちの住むエリアにはあったかも)元の家と間取りは大体同じらしいが、すごくデラックスだった。

 えーっと、これは旅館?というような玄関(まあ、もともと広かったけど…)と、昔ながらの梁を再利用した吹き抜け天井の立派なこと…。
リビング…とはいわないな、和室だから座敷の天井の板がまあ、立派な柾目の板がずらずらと…新建材とかのパネルじゃないんだよ。天井も高いし、軒のひさしが深くてつばめが来て困ると言っていたが、そりゃ…こんな居心地のよさそうな軒が縁側にあるとね…。もう、建売のマンションに住む身には目の毒だね、というような家だった。
 昔は藁ぶきの上にトタンかぶせて、傷まないようにしてはあるものの、つまりは由緒正しい古農家、というたたずまいだったことを思えば、これはぐっと現代和風な感じの立派さ。

 土地の高い東京通勤圏だったら、いくらするか考えたくもないような家だった。思いっきりほめておいた。このローン払うこと考えたら、称賛に値すると思ったよ、ほんとに。

 夜の8時過ぎに家に帰り着いて、入れてもらった和菓子の包みをあけたら封筒が出てきて、交通費の足しに、と。
 あっちゃあ…これ、もらっちゃってよかったのかなあ…。
 そりゃあ交通費かかったけど、こういう冠婚葬祭費はしょうがないからねえ…一応積み立ててあったしさ…。(1カ月に3000円ずつぐらい、別にしてある) お土産のお菓子は子供の頃もよく食べたおいしいものだったので喜んでもらっちゃったけど、お金まではなあ…。遠慮しておけばよかった。これ、やっぱり気づくべきだったの?
 悲しいかな、いい大人になってもなかなかそういうところに気が回らないんだけども…。
 
 黒字、とまではいかなかったけど、もらったお金で半額以上補填出来てしまった。お昼ごはんに寿司なんかたべさせてもらい、地域の名産を出してもらい、お土産にお菓子もらってついでに交通費まで。何しに行ったんだかねえ、ほんと。
 ごちそうになって帰ってきてしまった感じ。

 伯父さん、ありがとう…なんか、お別れに行ったのに、楽しんで帰ってきちゃったよ…。
 「わっはっは、そりゃいいや」と笑う伯父の顔が見えた気がした。

なぜ制服を着るのか

新聞の投稿欄で、4歳の娘さんをお持ちのお母さんが、「なぜ制服を着なきゃいけないのか」と娘さんに聞かれて答えに窮した、本当に制服に必要性はあるんでしょうか、という投稿をしているのを読んだ。

 これは実のところ、お子さんが4才ならば、大体こっちの答えの方が悩まなくていい。
 「幼稚園を作ると決めたとき、お揃いの服を着せたらいいかな、と思った人がいたのよ、きっと」
 
うそではない。誰かが、制服を決めようと思ってルールを制定したのだ。ちなみに、大人の場合は制服を着る意義のほうを考えてしまうのでたとえば個性がどうのとか、経済的事情がどうのとか、服装による自己表現のなんたるかであるとか、または学校の生徒を見分けられて、不良行為が減るとか?というようなことが頭に思い浮かぶが、小さい子の場合は「なぜ」と質問の形をとっていても、考えていることがもっと単純であることが多い。どちらかといえば、「制服って、なに?」という定義を求めることの方が多いのではないだろうか。

 こういう質問に「制服がいいのか悪いのか」みたいなことをからめてしまうと、答えに窮するのは当たり前のことだ。なんせ相手は幼児。自分の主義主張はないわけではないが、かなり単純で、善悪の判断もまだ、白でなければ黒?ぐらいで、グレーがあって、それにも段階があって、人の見方によってはいろいろあって…などという複雑なものはまだ、理解が難しい。

 この投稿欄の制服の話の場合は制服がある幼稚園に通うお子さんの話で、この「なぜ制服を着なきゃいけないの?」という質問が出ることになったのかというと、多分、こんな感じ。
 4歳のお子さんというのは、自分が着ていきたい服があったら、そう言える年齢だ。お友達に、大好きなプリキュアのトレーナーや、かわいいスカートが見せたかったりすると、制服なんて地味なお洋服は魅力的に見えないものだ。「今日はこのスカートがはきたい」というだろう。
 姪なんか、靴下がレースじゃないと幼稚園に行きたくないとか、お花柄のティアードスカートが絶対いいとか、ダダをこねていたことあったものだ。洗濯しないといけないのに、同じ服を着たがるので、義母が大急ぎで同じようなスカートを作成する羽目になっていたが、つまり「好みがうるさい」お年頃だ。

 こっちじゃないとだめよ、と制服をお母さんが出したとき、「えー?どうして制服じゃあだめなの?」とこう来るに決まっている。そこで、(えーーっと、決まってるから、って言っちゃっていいの?)と投稿欄のお母さんは思ったのではないだろうか。
 自分で、自分のしたいことを決めましょうという教育は昨今、当たり前のものだし、選択肢がある時には選ばせる練習をしておかないと、自分のしたいことが分からなくなって、将来進路を決めるとき困りますよ、とかね、そういうことを子育て中の人に向けたアドバイスに出す人はある。だから、お母さんは迷うのだ。
 
 この投稿欄のお母さん、多分お子さん一人目だと思う。
 子どもと一緒に、「そんなこと」に付き合い、制服を納得して着てくれる答えがないだろうか、と悩んでいるからだ。
 これが、子どもが2、3人いる、出勤直前のお母さんだったら、そんな余裕はない。
 「はいはい、そう決まってるからよ!着ないと出かけられないから、急いでちょうだい!」で終了だ。

  制服がないならないで、好みがうるさいお年頃のこと、時間がかかるのは制服がなくても同じだ。
 今年からお子さんが中学校へ行った娘さんがあるお友達は、「朝が楽よ!家の中のものが朝に散らからなくなった」と言っていた。つまり、あれでもない、これでもないとクローゼットや引き出しをあさり、服を着てから靴下の色だの、小物の雰囲気だのをあわせ…などというおしゃれさんだったのが、「着るのは制服一択!下着は白かベージュで、靴下は学校の規定の、髪留め禁止、黒いゴムだけ!」になった結果、朝の支度が短縮されたと。

 つまり、制服を着なくてはいけないのか、という主義主張の問題は、制服を着ない場合は、「どうしてこの服がダメなの?」という質問に(たとえば、おもちゃとして売っている、ディズニーのお姫様ドレスとか、プリキュアのなりきりパジャマとかそういうのも着たがるものなのだ、小さい女子は。)変わるだけ。結局どんな意見があろうとも、制服ならそのうち子供は慣れてしまうし、朝の支度は短縮され、さっさと出ていけるようになるので、重宝されているだけじゃないのかなあと思う。

 うちの子は真摯に話をすればいつでも、わかってくれましたよ、なんていうステキな当たりパターンを引いた方々もあるだろうが、大抵の場合はあれは「いつでも」じゃあ、ない。それどころかなんでもイヤのいちゃもんつけ放題か!というパターンだってあるわけで。

 服装で個性を表現する。意見を尊重されることで自己評価が上がる。こんなことを言うと、それっぽい気がするんだけど、でも服装よりも、内面で個性を表現することもできるし、社会のルールをある程度飲み込み、周りとの軋轢を少なくする練習をするのだって、必要なことだと思う。

 マンツーマンではない学校制度に適応出来る子どもになるのは、この社会で生きていく以上、大切なことだ。昔のように家に学者がやってきて、ご進講していた時代ならともかくも。
 制服は、親が「ないほうがいい」と思えば、制服のない幼稚園にいれるほかないだろうけれども、まだまだ制服のある学校は多いからね…。進路が「制服ごとき」で狭まることを考えると、私は「どっちでも」でいいと思う。

 あんなもの、慣れるから。制服を中高で6年は着たが、別に着たからといって体に悪いという話もない。家にいるときに好きな格好をすればいいのだから。
 今日の話はつまり、4歳と服の議論なんかしてもはじまらないってこと。
 4歳は、自分の着たいものが今、着たいのだし、ダメと言われれば、なぜダメなのか、その意見は覆らないのか、とせっつくだろう。親に時間と忍耐強さがあれば、納得するかやってみればいいけれど、答えは親がその意義を考えて意見を決めたとしてもそれが4歳の頭で理解できるかどうかは、微妙なところだ。

 制服を着るのなら、幼稚園に行かない、というときに気にしなくてはいけないのは、そんな理由を付けてまで、行きたくない理由があるのか、ということのほうであって、ただ服の話だけなのだったら、家に帰ってから、その服を着たい理由が満足するようにしてあげるほうが手間が省ける。「今は、こっちを着てね、家に帰ったら、その時はそれを着ようね」とか、誰かに見せたいのなら、幼稚園が終わってから一緒に遊ぶとか、そういうこと。

 穴が開いてしまった靴下の、足首のレース部分だけ取ってゴムを縫い付けて、「レースのない靴下はイヤ」というときのためのレース取り付け部品を作っていた、あの頃を思い出して、私は、こういうおしゃべりをして、「本当に、女の子ってオシャレすぎなのも困るわあ」なんて言い合える相手が、投稿した人にあるといいのにな、と思ったのだった。

 

連休の終わり

実のところ…。連休が終わってとてもほっとしたというのが本音だ。

旅行は多分混むだろうというのもあって、うちでは帰省以外のことをしなかったし(確かに混んでいた)、結局掃除と洗濯とごはんはやるとなれば、連休はつまり昼ご飯を作る機会が増えるだけであって、それほど楽になった感じはしなかった。

 どちらかといえば家でごろごろする人が増えた分掃除がはかどらなくなった感じがして終わったというか…。
夫と息子が出かけた日は割とゆっくりできたが、平日がそんな感じだし。

 衣替え、掃除、料理、洗濯にアイロン。結局ゲームはポケモンGO以外やらず、チョコボのダンジョンとか、NintendoSwitchのゲームをもうちょっと、と思っていたのに全然だった。

 まあ、10連休に旅行に出たつもりにでもなって外食するとかそういうことも考えたらもうちょっとのんびりしたのかもしれないが…。連休は結局、どこの外食も混むので一回しか食べなかったしな(しかも、ちゃんぽん屋さんだった)。
 来年もあるといいと思っている人がいるなんていう街頭インタビューの記事を見たが、いや、もう勘弁してほしい。
それなら3連休が3回ぐらい増えるほうがいいな。

 結構毎日モップかけたのに、やっぱりホコリは取れるし、家に全員いるとトイレは汚れやすいのでトイレ掃除必須だし…でも洗濯が終わって、アイロンが終わって、夕飯の下ごしらえが終わって。静かだなあ…。

 年に1、2回しか履かないのだけれど、履くときはこれだな…というスカートがある。これを久しぶりに履いたら、ゴムが伸び切っていた。買ったのは、多分ええと…16年前(笑)。
 見てみたらゴムが入れ替えにくい形だった。内側にボタンホールを手縫いして入れ替え用の口をつけるところからスタートしたほうがよさそうだ。今日はそれをやって、髪の毛を切って、自転車の後ろタイヤがボーズになっているので取り換えに出して…。
 
 通常運転再開。

つつじが伝えるもの

つつじがきれいに咲いている。
 私が小さかった頃は、この花をひっぱって木からとり、花の根元のほうを口に入れると蜜の味がして甘いというのはみんなが知っていることで、ほこりが衛生がと言われていた割には、小学生ならかなりまじめな女子であっても、試したことがあるようなことだった。

 田舎に住んでいれば暇つぶしに草花で遊ぶこともあって、たとえば用水路や川に笹舟を流すとか、エノコログサを毛虫に見立てて遊ぶとか、笹を三角にたたんで笹飴を作る(食べられない)とか、タンポポの茎で水車を作る(吹いて回す)とか、草の茎をつかった草ずもうをするとか、カラスノエンドウを笛にして鳴らすとか、ぺんぺんぐさの種がついているところをぶらぶらにして振ったら音がするおもちゃにするとか、お花をつないでネックレスや、花冠にするとか…なんていうようなのがあったものだ。

 息子が小さいころ、散歩の時にそういう草を見つけては教えたりしてみたこともあるのだが、あれは誰かと一緒に遊んだりしない場合は動画やタブレットで育った世代には面白くないらしくて、つまり近所では『そんなこと誰もしないよ』という感じだった。

 …と思っていたのだけれども、この間、つつじを口にくわえて学校から帰ってくる男子を目撃した。
 それも、ひとりじゃなくて何人も。

 息子に、「つつじを吸うのってやったことある?」と聞いたら、「知ってる、あれ甘いのだよね」と。一度やってはみたらしい。いい加減な私の息子なのに、地面にベタっと座ったりするのも嫌がるし、木の実なんか取って味見したりなんかしないので、こういうのもやったことがないだろうと思っていたからちょっとびっくり。

 つつじの花を吸うのだけは、代々子供の知恵(?)として現代まで消えずに受け継がれてきたようだ。
 やっぱり食欲がからんでくるからかなあ。

 つつじが満開で美しかったけれど、さすがに今となっては人の家の生垣のつつじをむしるわけにもいかない。あの味は私にとってもう、幻の味だ。

 とか書いていたら、あのしっとりした花びらの冷たさと、薄い甘さと、花のにおいが唇によみがえった。


ロシアケーキ

ロシアに知り合いはないけれども、近所のお菓子の量販店で売っていて気になっていたのがこれ、ロシアケーキ。

 形が【ヨッシーのクッキー】に出てくるクッキーに似ているので、これがケーキと呼ばれていることは知らなかったけれども、見たときに、ヨッシーのクッキーのあれだ!と思って買った。

 ちなみにロシアケーキというのは案外歴史のある物らしく、ロシア皇帝のお抱えお菓子造り職人だった人が日本へ来た時広まったらしい。

 直径7センチぐらいはあるので、ちょっと大きめで、クッキーにしてはボリュームがある。イチゴジャムはわかるけど、なぜキウイジャムなのかは謎。キウイというのは、私が小さかった頃は果物屋さんにもなかったし、ケーキ屋さんでも使われていなかったと思うので、帝政ロシア時代のロシアにも多分キウイはなかったのでは…と思うのだけれど。
 チョコ、ナッツ、ホワイトチョコまではなんとなくわかる気がするけど、やっぱり緑はミントリキュールで色を付けたメレンゲとかだったのかなあ。

 まさか、アンゼリカだったってことは…あるかもしれないな。昔、緑色でケーキに乗せる材料といえばグラニュー糖をかけた蕗の砂糖漬けで、これが「アンゼリカ」と呼ばれていた。昔クリスマスのチョコレートケーキにのっかっているもみの木が、蕗の砂糖漬けだったと聞いた息子は、「うわあ」という顔をしていたが、いつごろからだろう、見なくなったなあ。

 帝政ロシアのお菓子か…今みたいにどこへ行ってもケーキやクッキーが買える時代じゃないんだものねえ。ヨーロッパの子供の本を読むと、大抵、いつか大金持ちになったらとか、好きなことを何でもできるとしたら、というたとえに出てくる「コンスタンチノープルの皇帝」。すごくいいことが起きたときに「コンスタンチノープルの皇帝とだって代わりたくない」というのだけれど、ロシア皇帝だってずいぶんだ…なんてことを思いながら食べた。

 味?味はまあ…こんなのもあるだろうな…という味で、百貨店のお高いやつのほうが多分おいしい。
 でも5つ350円ではそんなものだろう。値段の割には、紅茶に合うおいしさだった。
 一度買ってみたいお菓子で、体験したので面白かったのでこれを書いたのでした。
 

本物の小花柄

10代のまだかわいかった頃には、「そんな女の子っぽい格好」が、気はずかしくて、好きではなかった。
 10歳より前の頃は、親が買ってくるものを着ていたので花柄も着たし、持っているものや、リボンやポシェットなどの小物も花柄があったはずだが、10代の頃は周りの目が気になってそういうものは買わなくなった。

 10代後半かな…本物っぽいヒマワリとか、ユリとかがプリントされたお洋服だの傘だのがあったのだが、あれもまたかなり派手なものだったのと、ちょっとうんざりするぐらい大勢の人が持っていたのでああいう花柄も、持たなかった。
 
 でも実は、小花柄がこっそり好きだ。どんな花なのか名前もしらないような…または本当にこんな花あるの?というようなちいさい花が、びっしり描いてある布は内側の布に使ったりとかして、目立たないように楽しんだりして。まだ、そういう服を着る決心がつかないうちに20代を越え、30代を越えて40代の今、あんまりかわいい柄が似合わないような気もしてきている。

 なんとなく、30代の母が私たち娘に花柄を着せたがったり、花柄の手提げ袋を持たせたがったりした理由がわかるような気がする。ティーンより前の年齢というのは、かなりかわいらしい柄を着ても、似つかわしくないと言われない年齢ではあるし、実のところそれが似合ってしまう子も結構ある。それに自分が花柄を着るより、ずっと穏当だ。

 ユリや、チューリップや、ヒマワリや、グラジオラスや…そのほか名前を知らないような華やかなお花模様はおばちゃんの服にも結構あるのだが、よくよくプリントを見てみると、やっぱり本物の花のほうがずっと美しいな…なんて思いながら、ふと、小花柄の本物って、そういや、見たことないかも…と思ったのが、ごく最近のこと、息子のお弁当チーフを作る時のことだった。

 そして外を歩いていて発見したのがトップの写真。
 これは小花柄の本物といっていいのではないだろうか。

 好みだなあ…と思って写真撮った。写真になった時点で本物のよさというのはすごく減るのだけれども、しっとりと降るお天気雨の光の中に咲いていた小さな花がとてもきれいだった。
 咲き終わって枯れてしまった花とかも結構あって、目で本物を見ている時は、どうもそのあたりを無意識のうちにすっとばすらしく、まあ、きれい…と思うのだが、写真に撮ってみたら、枯れた花が写っているのがわかったりして、何度か撮りなおした。
 
 いい写真を撮るのって、むずかしいね。

 


英語と日本語、表現の差

たとえば、学校で使うノートを通販で買うとしよう。
表紙の色はいろいろあるが、色別に売られているわけではない場合、表現は大体こう。
「表紙の色はお選びいただけません」
それか、セットで売っている場合はこう。
「各色1冊ずつセットでお届けします」

アメリカの通販の場合が、面白かったのでこれを書こうと思ったのだけれど、セットになっている場合はこう表現する。
"Assorted"。 つまり「お取り合わせいろいろ」。アソートって便利な言葉だねえ。これが出てくるのは日本だと、缶入りチョコレートとかが多いね。いろいろなのが入っていて一言では言えないとき。

そして、向こうが勝手にテキトーな色を送ってくる場合の表現がこれ。
"1 color selected for you" "Colors selcted for you" 1冊の場合は1colorで、複数の場合は2colors、3colorsと増えていくみたい。
なんていうか、「色はお選びいただけません」よりも、ぐっと、「あなたのために選んでお送りします」的な感じになってずいぶん親切に聞こえるのが面白い。

何色を送るかわからんけど、気にするな!の場合は多分こっち。
"Colors may vary"。これだと、たとえば3冊頼んで同じのが赤が2冊と青が1冊とかになったりする。青が3冊来ても、「あ、今回は全部同じなんだね」となって問題なし。つまり「色が違うことがあります」なので、同じでもまあ、しょうがないや、というか、見本が青だけど、赤もあったのねえ…とかなったときのための保険的な言い回しだと思う。

 日本の通販サイトでは、「こちらで選んでお届けします」とは書かない気がする。
 「色は〇色の中からランダムで」というのはあった気が。こうやって書くとちょっとした違いがあるのがわかって面白かった。

温度変化

別に、疲れることなんか何一つしていないのに眠くて、だるい感じ。
これが例えば旅行の次の日だとか、昨日は徹夜したとか、そういう話だったら「そうだろうねえ」というような感じだ。

掃除機と、床にモップかけて洗濯とちょっとだけアイロンかけ、そしてトイレ掃除…まではなんとかなったが、そのあとがいけない。もう座り込んでぼうっとネットを見たり本を読んだりするのはなんとかなっても、このだるさ、何なんだろう?

実は朝、寝坊して普段より一時間も遅く起きたのだし、昨日はなんだか風邪気味な感じがしたので30分早くベッドに入ったはずだから、寝不足のわけはない。遠くにも行っていないし、誰か気疲れするような人に会った覚えもない。

 目を閉じて体の状態をチェック。手足が冷たくないか。動悸がしないか。うーん、更年期の症状だったら、こういう時にちょっと脈が速かったり、胸が苦しい感じがしたりする朝もあるのに、そういう問題はなさげ。
 おなかはすいていない。
…微妙に脱水気味…?

とここまで来た時にわかった。暑い。
 こないだまで結構寒くて、冬物が出したままだったのに、ちょっと暑くない??

 靴下を脱いで、上着を脱ぎ、麦茶を飲んでからちょっと横になって30分。
 回復した感じがちょっとする。元気いっぱい本調子ではないが、マシな感じがする。
 これは多分、温度の変化に体がついていっていないってことなんだねえ…。

はあ…20代は遠くなりにけり…。中年も極めた今となっては、こういうことにも気を付けないといけないんだなあ。
うっかりすると熱中症で倒れるお年寄り予備軍だ。

 今年は、春がなかった感じがする。気が付いたらこう…もう初夏。
 景気づけに麦茶とほうじ茶を両方こしらえて冷蔵庫にいれた。

 しばらくこういう温度が続いたら、多分なじんでくるよね。夕飯の下ごしらえが終わったら、本でも読んで過ごそう。
 そう思ってがんばっておいた。

 最低ラインの家事は終わっているし、夕飯も目鼻つくところまでやっておけば大丈夫。
 こうやって少しずつ、日常の対処が若いころとは変わってくるんだなあ…。

 学生だったころは季節の変わり目は、制服の衣替え程度のことでしかなく、なおかつ体感温度からかなりずれていて、この時期にブレザーを着ているのが暑かった思い出しかない。後は中間試験が…というぐらいのことだものね。
 
 どの小説の主人公の女性だったか、「どうして人間ってずっと20歳でいられないのかしら。そのぐらいで年齢が止まったままで寿命を過ごしてぱったり倒れて死ねばいいのに」と言っていたのがあったのを思い出した。
 うん…賛成する。

 20代の体のまんまで60歳まで生きて、そのまま寿命が尽きて突然死ぬシステムになっていたら楽だろうなあ…。
 …と書きながら、本気で想像してみたらそれはそれで怖いかも、と思った。
 バリバリ現役の人が突然死するシステムってことだものね。不慮の事故とかが起こりそうだ。やっぱりだめか。

フルメタル・パニック

長い連休に、ちょっとまとめて本を読みたいな…と思ったとき、アマゾンでゴールデンウィークセールをしているのを見つけた。
 大体半額。これは大きい。つまり、300円前後で1冊買えるというわけだ。
 セールになっているシリーズを見渡して、聞いたことのある題名の小説を買うことにした。
 この見られない場合は画像のリンク切れです【フルメタル・パニック】は、確かコミック化していたし、アニメ化していたはずなので人気もあるし、2000年より前に噂だけは聞いていた…ということはこの小説は長生きしているということ。
 マンガ化、アニメ化、長期間販売。大体この3つの条件にあてはまるものは傑作が多い。映画化…まで行くともっとすごいだろうが、まあそこまでは無理としてもだ。

 まず、12冊ゲット。ちなみに長距離移動の時に読み始めたのだが、スピード感があって次々読めるし、主人公が魅力的。
 今のライトノベルにありがちな、主人公がなぜか理由もなく何人もからモテモテ…というのではなくて、主人公ひとりに、基本ヒロインひとり。まあ、片思い的な人はもうひとりあるものの、主人公はその人には、そういう気はないとはっきり断るところがいい感じだった。

 主人公に感情移入して読む人には、モテてモテて…という状態がいいのかもしれないが、私はやっぱり、恋愛は一対一がいいなあ。たまにはハーレム系もいいかもだけれど、今回は王道の恋愛だったので(レートは多分R15でキスまで)昔ながらの…というとなんだけれども、安心して読める感じ。

 もちろんライトノベルなんだからして、ご都合主義といえばそうなんだけれど、物語として楽しめるぐらいにはご都合主義であり、かといって「いくらフィクションといっても、これはないわー」というほどではなく。
 結局寝る時間も惜しんで2日で12冊読み終え、番外編(9冊)とか短編集(3冊)まで買いまくって(これも大体半額)全部読みつくして、結局3日半かかった。合計24冊を12冊分のお値段で。ゴールデンウィーク10連休の出費として妥当だろう。
 
 主人公が強くて痛快…なのはまあ、ライトノベルの王道として、でも極端な環境で育ったため、日本の環境になじんでおらず時々とんでもないことをやるスラップスティックコメディになっているのが面白くて、電車の中で読んでいるというのに何度かふきだしたぐらいだ。カルチャーショックを経験したことがあれば余計面白いと思う。
 
 こういうのを全速力で読んでいると思うのが電子書籍のありがたさ。3時間で6冊なんて、持ち歩こうと思ったら重たいからね…。 これは多分時々読み返すと思う。

 この本の作者さんが監督をして、違う人が書いた、同じ世界の小説があるらしいのだけれど、そっちはどうするかなあ…。あんまり登場人物は同じじゃないらしい。(パラパラとは出てくるらしいけど)ので、ちょっとネットで調べながら悩んだけど、アマゾンを見に行ったら、半額じゃなかった。あ、残念、お小遣い切れ。

 また次回にしよう。
 しかし楽しかったなあ…。傑作だった。中高生でもないのにライトノベルが大好きというのは、実は悪癖なのかもしれないが、やっぱりやめられない。

食いしん坊な空目

本格アイスクリーム、お試し無料。

はっ!と目を引く広告がPCに出る。
アイスクリーム無料?本格っていうとおいしいのかなっ。なんて目が行くのだ。

そして見直すとそれは「アイクリーム」無料お試しなのだった。うーん、アイクリームというのは多分、化粧品の一種で、食べ物ではない。

そしてすでにもう、3回ぐらい騙されている。アイスクリーム…。暑くなってきたし、多分食べたい気分だからだろうなあ。
本格アイスクリームというと、やっぱり格安のものではなくて、乳脂肪分が多い高いやつかなあ…。
 一番おいしかったアイスクリームは、札幌に出かけたとき食べた雪印パーラーのアイスクリームだった。あれはバニラアイスの中ではぴか一の味だった。
 それと、そこからバスで行く動物園で食べた、塩入りのソフトクリームも。北海道は乳製品がおいしいところだった。

 今は…どこへ行けばおいしいアイスクリームが食べられるかなあ。
 喫茶店で出てくるアイスクリームはどれも、可もなく不可もなく、ぐらいなんだよね…。

 無料でアイスクリームなんていい話、本当にないよねえ…。
 
アイクリームは全然いらないからなあ。

 と、今、キーボードで打っていてもまだ、「アイクリーム」がアイスクリームに見えてしまうので、アイスクリーム食べたい気分は、かなり重症とみた。

 ネットで調べると、【雪印パーラーのアイスクリーム】を買えるところがあった。

高い…。高いけど北海道旅行よりは安いなっ。
 おこづかい貯めて、夏の間に一回ぐらい買おうかな!

ゼリーいっぱい

お弁当のオレンジゼリーは好評だ。帰ってからのおやつに食べ、夕飯のデザートに食べ、お弁当に持っていくという三段構えでどんどこ消費される。

 夫が、コーヒーゼリーが食べたいというので、そっちもついでに作った。
 アイスコーヒーの激安の1リットルパックを買って、500mlの中にアガーを溶かして沸騰させたのと、残りの500mlはちょっとだけあたためて(50度ぐらいにすぐなってしまうけど、アガーが固まらない温度で40度近辺でいいらしい)混ぜて作成。

 簡単!一応、これもあったほうがいいかな…と思って、「メ〇ディアンミニ」も買ってきた。
 トランス脂肪酸ゼロとかになっていて、工夫しているんだなあ…と感心した。

 食べるときにかけたら、「甘くない…」といわれたので、ついでにホットケーキの時のシロップをかけて食べたらおいしかった。
 アイスコーヒーの安いのは、「微糖」しかなかったのだけれど、この際だし砂糖を足して作ってもいいかも。

 コーヒーゼリーも材料安くでかなりたくさん出来そう。
 砂糖をもうちょっと入れて作って、崩して牛乳かけてストローで吸ったらおいしいかな。
 そういう飲み物、どこかのカフェにありそうだよね。

運転をしない理由

大津で起こった交通事故――2台の車が衝突して、吹っ飛んだ車が歩道に突っ込んで、保育園のお散歩の列にぶつかり、重傷、または亡くなった――みたいな話が出たとき、思い出すことがある。

 それは、山田さん(仮名)のこと。この人はうちの母と数歳違いで、私がよく話を聞いたときは40代後半から50代という年齢だったが、この人はしょっちゅう事故っていた。
 そして近所のうわさになる。
 「山田さん、また事故ったの?」
…と言われていた。つまり、自分のうちの車庫の壁にこすっているうちはまだかわいいほうで、近所の曲がり角のブロック塀に接触するとか、歩道の縁石に乗り上げるとか、交差点で接触した…とかまあ、死亡事故とかではないし、ケガをするのは山田さんご本人が多く、なおかつ軽傷。大したことではない……ないのだが、その頻度がちょっと、多かった。年に一度は聞いたと思う。

 私はもう40代…というか50歳のほうが近いぐらいの年齢だがいつも迷ってきた。運転しようかな、どうしようかなあ、と。
 あれば便利だしなー。マンションに駐車場もあるしー。あえて言えば維持費は結構かかるが、自分の車があればいいなと思うときは時々ある。雨の日とか、雪の日とか!

 でも、いいかな、と思うたびにこの山田さんのことが頭に浮かんでくる。
 そりゃ大した事故じゃあないかもしれないよ?でも、いつか…うっかりして人でもはねたら、ねえ…。と思っちゃうわけだ。
 私はあんまり運動神経がいいほうではない。これは今まで生きてきてずっとそうだったし、ゲーマーとはいえFPSなんか遊んでもとっさの判断でうまい行動が出来るほうかと言われると微妙だ。
 これから訓練したらとっさの判断が早く出来て、いいアクションが出るか…というと正直言うと心もとない。

 大津の事件も歩道にはねとばされた車はもちろん、不可抗力で突っ込んだのだろうけれども、大体衝突しなければそういう風にはならなかったはずだ。ブレーキとアクセルを踏み間違えてお店に突っ込む車のニュースも読んだことがある。
 でも、「私は大丈夫」とは思えないんだな…すごく、やりそうな気がする。
 そしてああいうことというのは、失敗したときにやり直しがきかない。進むはずのない車が突然猛スピードで進んじゃった時、私は気を取り直してブレーキを踏みなおせるだろうか。

 多分、無理。

 やっぱり運転はしないほうが無難だなあ…。

ちなみに風のうわさで山田さんはガンでなくなったと聞いた。交通事故じゃあなかったらしい。
 いや、それでもねえ…。

 ちょっと残念な気もするのだが、運転はあきらめようと思う。幸いここは割と便利な町なので車の必要性は低い。
 
 歩道を歩いていて事故で亡くなったなんて、どんなに無念なことだろう。冥福をお祈りしたい。

令和グッズ

新しい元号になったときに、いろいろなグッズが売り出しになったりしたけれど、そういうのを買うほどでもない…と思ってスルーしていたのだが、一つだけ、もらいものをした。

 それがこれ、京都のおみやげ。箱の全面に、毛筆調の文字で「令和」と大書きしてあったのだけれど、写真を撮るのを忘れて、開けて食べちゃったあとに撮ったのであんまり令和グッズっぽくなかったのだけれど、確かに新元号お祝い用の八つ橋だった。

 抹茶色の緑のと、この下側の薄茶色っぽいのは割とありがちなタイプで、今までにも食べたことがあったんだけれども、「紅白」の「紅」にあたるこの濃いピンクのは初めて食べた。
 (いちごのもあって、それはもっと薄いピンク。それも食べたことがある)この紅八つ橋の味は当たり前のニッキ味。

 お祝いっぽかったし、おいしかったし、こんなの見たことないね、と言いながら食べたので面白かった。


ふつうの生活ってどんなのだろう。

出かけた先でこういうポスターを見かけた。
 まあ、大体言いたいことはわかる。

 これはつまり「働いている人」用のポスターだよね。長時間労働をなんとかしましょう、ということだと思う。
 「ふつうに暮らせる」って難しい。
 贅沢をせず、お菓子なんか珍しいぐらいで、旅行は数年に一度ぐらいしかせず、車はない。つまり私が子供の頃はそのぐらいでも「普通」と思われていたものだったし、おさがりを着ている子どもも多かった。自家用車はあっても、お父さんが通勤に使っていて普段は家にない家も多かったものだ。
でも、今の「普通」はなあ…。自家用車あたりまえ、子どもを進学させるときに塾も当然、高校、大学が私学なこともあったり、旅行も年に1回か2回ぐらいは…。スマホ本体3万なら安いほう…なんていう生活をしていても、それを「ぜいたく」と思うだろうか。
 それを「割と普通」と思っている人たちも結構いると思う。

 献血で景品にくれるTシャツを一張羅にしていたことがあるぐらい貧乏だったことがある私は、切り詰めた生活というものがどういうものか知っているつもりだが、それもまた、「割と普通」と思っていた。

 多分稼げる金額は、ある程度あれば満足度は途中からは変わらない。絶対足りない…のも困るけれども、食べるものが贅沢しなければお腹いっぱい食べられて、毎日風呂に入って、洗濯が出来て、ひどく目立たない程度に服が買えれば…やっぱりどのぐらい満足できるかは考え方にかかってくる気がする。
 
 昔の「普通」は、もっとお金がかかっていない気がするなあ…。普通って、どのぐらいの幅なんだろう。
 お金をかけるところにも個人差があるだろうし…。車も「このぐらいは普通」と言っているお友達の車、300万ぐらいするらしいからね…。夫はこないだ、ネットでキャリアを変えたら100円でスマホをくれるというのを見つけて大喜びして契約していたが、こないだ近所のショップで宣伝していたiPhone8は、割引しても端末の値段が3万円とかだったし…。

 考えれば考えるほど、「普通の暮らし」というのはわからなくなっていく気がしたのだった。
  


ハンバーグをもっとおいしく作るには

お弁当にハンバーグが入っているといいな…と息子が言うので、ハンバーグを作っては焼いて冷凍している。
ハンバーグのスタンダードな作り方は、多分こう。
1:玉ねぎをみじんぎりにする。
2:玉ねぎを炒める
3:ひき肉とパン粉と卵と調味料、それから炒めた玉ねぎをミックスして混ぜる
4:焼く

でも、しょっちゅうハンバーグを焼いているとこの手順が結構面倒くさい。

やる気がある時に玉ねぎを炒めて冷凍保存したり、肉売り場に売っている袋入りの「これとひき肉を混ぜたらOKよ!」みたいなものを使ったりして4月からいろいろ工夫してみた。

 冷凍食品売り場のハンバーグよりは好みに出来上がる。けれども、どうもこう…すごーくおいしくはならないなあ…。
この町一番のハンバーガーを出すというアメリカンレストランのハンバーグはおいしいよねえ。ああいう風にならないのかしら。

多分ね?国産牛肉のひき肉を100パーセント使えばおいしくなるとは思うけど、それだとお値段の方も、それならもっと他のものが食べられるんじゃあ……という感じになる。もうちょっと安くて、そしてもうちょっとおいしくなるといいなあ。

 いつものお肉屋さんへ行って、特売だった国産豚・豪州牛あいびきミンチを購入。ついでに豪州赤身モモ肉切り落としというのもゲット。ミンチが500gぐらい(100gあたり128円ぐらい)、それから赤身モモ切り落としのほうは200gぐらい(100gあたり238円)
 1000円ぐらいはかかったけれども、これは半分は今日のおかずに、そして残りが大体12回かそこらのお弁当のおかずになるので、それほど逸脱した金額ではない。

 切り落としの牛肉をフードプロセッサーにかけてひき肉化してから、通常通りに混ぜてハンバーグ作成。
 
 夕食に、これこれこういうわけでちょっといつものと違うんだけど、どう?と出したら、夫は「食感が違う」とまず一口目で感想を述べた。そのあと食べる速度が上がって、「すごくおいしいよ」と。 夫はいつも「おいしいよ」と私の料理を食べてくれるが、「すごくおいしい」というのはなかなか出ない。
息子も、かなり多めに盛っておいたのに「もっとないの」とかいう始末。

 余るかな、と思ったのに全然で、いつもより多めに作ったのにぺろりとなくなってしまった。
 やっぱりハンバーグのおいしさが変わるのは、肉部分をどうするか、なんだろうな。家計のことを考えると、いつもの作り方でそれなりに食べられて……というほうがお金がかからないんだけれども、やっぱり家で作るハンバーグがすごくおいしいというのは魅力的だ。
 ちょっと面倒だけど、確かに食べ応えがある感じでおいしかった。ソースなんか、なんにもかけなかったけどばっちりだったし。

 自分でひき肉にすると、こういう感じなんだねえ。これからもがんばってトライしたい。

素晴らしい休日の証明

ある週末の一日のこと。

夫はDVDレンタルを返しに行きたかったらしいのだが、あいにくの雨。
「買い物のついでに行ってこようか?」と声をかけたら、すごく喜ばれた。まあね、私だって雨の中を歩くのはそれほど好きではない。

ブログに載せようかな、なんていう写真を撮りながらてくてく歩いてTSUTAYAまで行き、DVD返却後にちょっと雑誌なんか眺めて、帰りに食料品を買って帰ってきた。

夕飯も終わり、お風呂に入ろうかな、という時間のこと。
 夫が鼻歌交じりに、「朝からずっとパジャマだったなー」と言いながら脱衣所へ向かった。

「楽しい休日だった?」と聞いたら、
「うん、朝からずっとパジャマで夜まで過ごせたというのはね、すばらしい休日の証明なんだよ」
……だって。

ちょっと笑えてしまった。私たちはふたりとも、かなりのインドア派だからねえ。家から出ないで3食ご飯食べて、好きなことしてのんびり過ごせるのが最高。まあ、私の場合はデリバリーのピザでも頼まない限り3食調理なしはあり得ないから、自分では出来ないけど、彼の気持ちはわかる。

 素晴らしい休日と思ってもらえてよかった。
 おつかいを引き受けるぐらいならそんなに難しくないし、息子と一緒に遊びに行くのも機会が減っている。家から出ない程度で「素晴らしい」休日になるのなら、時々はこんな休日もいい。
 
 小さな幸せというのはきっと、こういうものなんだと思う。

空気をいれない自転車

私はしょっちゅう――多分毎日――自転車に乗るけれど、夫は滅多に自転車に乗らない。
それでもないと困ることも多いので、うちには人数分の自転車がある。

私の自転車も夫の自転車も12年ぐらいは乗っている。
私の自転車は割と高い、しっかりした国産車だったのでタイヤは交換したがまだまだ現役。子供載せ用だった後ろの荷台には、今大型のかごがついていて買い物に大活躍。自転車屋さんには「やっぱりこういう自転車が一番いいですよ、長持ちしますから」と言われたことがある。
 夫の自転車は乗る頻度が少ないからと買ったホームセンターの大安売りの中国産で、自転車屋さんに「こういうのは調整が難しくて、長持ちしないんですよ」と言われていたっけ。(8000円ぐらいだった)

 ついに……というか、うっかり道端のポールにひっかけてフレームがやられた夫の自転車。さすがの夫も「これは無理だな」とつぶやくほどにゆがんでしまった。
 また安いのでいいよ、という夫が買ってきたのが、16000円だという、空気をいれなくていい自転車というものだった(ホームセンターで)彼によると、自転車に乗る機会が少ないと、空気が抜けていることがあるそうで、自転車に乗るたびに空気をいれなくてはならないのが面倒だったのでこれにしたということらしい。

 私の自転車のタイヤがつるつるに減っていたので、自転車屋さんにタイヤ交換に出して、その間に夫の自転車を借りて買い物にいったら、なにこれ?というぐらい重い。そして段差があるとすごくお尻に振動がひびく感じがする。もし私の自転車でこういう感じになったら、「絶対後ろのタイヤの空気が減っている」と思うだろう。
 乗り心地、悪っ。

なるほどなあ…。パンクしないタイヤというのは最新の技術なのかもしれないけれども、少なくとも安い自転車の場合は乗り心地が悪いし、空気が減った自転車に乗っている感じにペダルも重たい。
 空気が入っているタイヤが主流なのには、理由があるんだなあ……ということがよくわかった。

夫は私の感想に全面的に同意してくれたあと、「でももう、買っちゃったから乗るよ、確かにいつ乗っても空気が抜けていないというメリットはあるから」と言っていた。
 私にとってはメリットはないな、ということでこのタイプの自転車は次に自転車を買う機会があっても買わない。
運動用に使うステーショナリーバイク、あの負荷がかかっているペダルのような踏み心地。

雨の日の写真

 

雨の日に歩いていて、公園で撮った写真。
 葉っぱには水をはじくのと、はじかないのがあることは知っていたけれど、改めて傘の下でみるとちょっといい感じ。

 そういえば、iPhone4とか、ガラケーではこういう距離で写真をとったらボケてしまうこともあったので、今のiPhoneSEはレンズがちょっとちがうのかもしれない。


右側の写真も、同じ日に撮った。なんとなくデフォルトの背景画像に設定されていそうな感じになった。雨の日は、葉っぱにホコリが載っていないし、濡れていて色が濃く見えたり、光沢がついたりしてきれいに見えるからか、何の加工もしなくてもいい感じに撮れる気がする。

 写真というのはちょっとしたことで撮れ方が全然違うという話も聞いたことがあるので、そういう初心者向けの写真の撮り方の本でも読もうかなあ。



黒いパンジー

通りすがりにパパっと写したのであんまりきれいに撮れなかったけど、写真の上の方に映っている白いパンジーと同じ形の黒い花が咲いていた。

 多分、本当は黒じゃなくて濃い紫なんだろうけれども、近くに白いのが植えてあるのもあってすごくコントラストがあるように感じられて黒く見えた。
 そういえば、あんまり黒い花ってみかけないなあ。「黒バラ」とか「黒ユリ」は聞いたことがあるような気がするけれども、その程度、本当に黒いバラとか、はっきりと黒いユリとかの本物の植物は見たことがないはず。

 花屋さんへ行けばあるのかもしれないし、赤いバラや、白いユリを知っていれば黒いバラや黒いユリを想像することはそれほど難しくない。
 知っていると思っているものでも、実体験として知らないものって結構あるのかもしれないなあ。

 そして私が子供の頃には、こんな色のパンジーはどこの花壇にもなかった気がする。この黒いパンジーはビロードで出来ているような花びらがとてもかわいかった。


リーフパイ

お友達がくれたリーフパイ、とてもおいしかった。

 リーフパイというのは、とても単純な作りをしていて、フルーツだとかナッツだとかチョコレートだとか…ということは全然なく、ただ小麦粉と、バターと砂糖だけみたいな材料で作ってあるらしい。
 単純だからこそ、さっくりした口当たりとバターの香りがおいしさを左右する。

 ちなみにこれは、私は全然知らなかったけれども、【クラブハリエ】というところのなのだそう。
 そこのお店のバームクーヘンが大変おいしくて喫茶室は朝からびっくりするぐらいの行列なのだそうだ。

 かなりここからは遠いのだが、わざわざそれを食べるために朝うんとはやくに車で何時間か走り、ついでに並んで食べてきたのだって。
 行く時間によっては、お断りされてしまうことがあるのだそう。えー。車でそんなところまで行って断られたら目も当てられない。朝から行くのが多分正解なんだけど。
 うーん。これは確かにおいしいけど、もう一度は難しそうだなあ。

 百貨店には入っているところもあるのだそうで、これからリサーチしようと思う。

 


ポップコーンそっくり?

たいして何をするでもない日常なのだけれども、だからといって外に出ないで家にずっといるのもなんとなくよくない気がするので、ふらふらと買い物ついでに散歩に出かけて、撮ったのがこれ。

 うーん、この薄茶色部分のまわりを白く厚手の花びらが囲んでいるところが、ポップコーンそっくりだ。
 一度そう思ってしまったら、もうそういう風にしか見えない。

 スーパーで電子レンジで作るポップコーンを買って帰っておやつに作って食べた。

 せっかく歩いたのに、結局そんなにバクバクおやつ食べちゃったら元の木阿弥……で済めばいいけどカロリー過多になって余計体重が増えるってば……。

 ちょっと前に新聞で、わずか半秒以下でも食べ物の写真を見ると、「おいしそう!」と思うときの脳の回路が反応するという話を読んだ。 つまり目に見えるところに置かないほうが、食べたくならないということみたい。

 花を見てポップコーン食べたくなるとは思わなかったけど。
 で、この花はいったいなんていう花なんだろう。


弁当男子?

友達が故郷にUターンして就職したとSNSに書いていた。
40代後半になって、この仕事が見つかりにくいご時世、うまくいってよかったね、ということで「いいね」がたくさんついていた。

そして朝お弁当の写真があって、お母さんが作ってくれたおかずをお弁当箱に詰めて、こういうのを「弁当男子」っていうんですよね、と。
 ……違うと思う。

確かに弁当を持っていくのは弁当男子といってもいいかもしれないが、それは弁当のおかずとかごはんを自分で用意するものだと思う。詰めるだけで弁当男子なんていわないでほしい。おかず作ってる人をないがしろにしている気がするよねえ?

 私がもし、息子に弁当作ってやろうと思って朝からおかず作って、詰めるのだけ息子がやって「これで俺も弁当男子」と言ったら、次の日から全部おまかせ、もう私は作らないと思う。

 お母さんにありがとうと言えよ、弁当男子を気取るな!と思ったけど、まあそんなことを滅多にもう会わないような友達に言うと角が立つだろうと思って黙っておいた。

 全く経験したことのない職種だそうなので、親御さんもきっと心配なさっていることだろう。
 息子は親にとってはいつまでも息子だろうなと思う。自分に息子がいるからそんな気がするだけかもしれないが、多分。……そうだなあ。私もそういうことになったら、それで気分があがるならいいや、なんて思って「俺も弁当男子だな(笑)」とか言われたら、「はいはい」と言ってしまうのかもしれないな。

 独身の彼は、アウトドアが趣味で料理は出来るらしいけどね。まあそれでも実家に帰れば多分お母さんは料理を作ってくれるだろうしなあ。いいお母さんだってこと、わかってるよな?
 友人としての私、妻としての私、母としての私。考えていることがばらばらだ。

 それでもやっぱり…弁当男子を名乗ろうと思ったら、調理もやらなきゃね。
そんなもやもやした気分だったので、ブログに書くことにしたのでした。

すぐメモの鉛筆自作

ダイゴーという会社の見られない場合は画像のリンク切れです【すぐメモ】という手帳を、ご存じだろうか。
 大抵の手帳売り場に、小さめの手帳みたいな顔をして並んでいるが、実はこれはメモ帳。
 白の無地と、横罫、それから方眼のものがあって、中身は選んで買うことが出来るし、メモが切れたら中身だけ買うこともできる

実は、このカバー部分には結構書き心地のいいメモ帳、見られない場合は画像のリンク切れです【名刺サイズのThinkingPower、ライモン】も入るのがミソ。ThinkingPowerが推奨しているメモカバーは革製でカッコいいのだが、お値段1500円。実は持っていたのだけれども、大雨が降ったときにメモ帳ごとぬれてしまってダメにしたことがある。もったいないったらないよ…。本革だったからねえ。
 その点このすぐメモは500円ぐらいの合皮っぽい素材で、ついでに鉛筆がついているのがすごくいいというわけだ。

 問題があるとしたら、鉛筆。この鉛筆だけでは売られていない。鉛筆という筆記具はつまり使うと短くなるし、最後は使えなくなってしまうからね…。この鉛筆、どうにかならんかなあ?というのが今回のチャレンジ。 


付属の鉛筆は細い。昔私が小学生だったころには、こういう細さの鉛筆も文具店にあったものだ。楕円形とか星型、四角や三角の断面のものもあって、学校の先生は嫌な顔をしたが友達が誕生日プレゼントにくれたりしたこともあって、私も何本か持っていた。
 私がこんなことにチャレンジしようと思ったきっかけは私のデパート100均で見た、ポッキーの形の鉛筆。これがいい感じに細い。これをまずのこぎりで真っ二つにカット。


カット後、鉛筆削りで削る。ちょっと削りにくかったがしっかり押さえれば大丈夫。まあこれは器用な人ならナイフで削ってもいいけど。細い鉛筆を削る鉛筆削りってどこかにあるような気がするけど…特に化粧用の眉毛描く鉛筆って細いのも多いしそれ用が多分使えるかも(書きながら思いついた)。今は息子が学校用の鉛筆を削っていたものを使用。


ドリルで穴をあけて、紐でも通そうかと思ったけど、ここはちょっと、細工をすることにした。まず後ろをこういう風にカッターでテキトウに削って…


ホームセンターのネジとかボルトとかを売っている場所にある「ステンレススペーサー5x10」というステンレスの筒にググっと押し込む。このひと手間ですごく「それっぽく」なる。
 外側のポッキーのプリント部分は、削る時にスパッと抜けてしまったものもあったので(右側の白いのがそれ)、どれも試してみたら半分ぐらいは抜くのに成功。真ん中のが抜けなくてポッキーのチョコレート色のフィルムがかかったままになっているもの、左がすぐメモに付属の鉛筆。出来た鉛筆がちょっと長いけど、鉛筆はすぐ短くなるしいいよね。
 ステンレススペーサーはすぐメモの鉛筆を差すところよりちょっとだけ太いらしくて、ちゃんと鉛筆が留まるようになる。
 ポッキー鉛筆は4本100円で、スペーサーは200円ぐらいだったから、8本で300円と思えばそれほど高くない。手帳用の鉛筆はちょっと長いけど売っていて、それは2本500円ぐらいするからねえ。

 このすぐメモに装着ボールペンはないでもない。手帳用のボールペンはいけるのもある。でもこのメモ帳高さがないんだよね。さすがにここまで短かくて細いペンは滅多にないからなあ…。
 しばらくはこの鉛筆で運用しよう。
 


花壇発表会

近隣の市役所とか図書館、市民センターの前には花壇がある。
 多分プロの園芸屋さんがお世話している花壇と見えて、季節の花々が植えられており、色違いできれいに分けられていたりして、枯れたらどうなるのか…については全く不明。なぜなら、気が付いたときには入れ替わっているから。

例えばこういう写真(左)のような感じに、満開びっしり状態の花が咲いていることが多い。
 
 そんなわけで、大体同じような状態の花が色違いで植えられていると思っていたその花壇に、ちょっと普段と違うパターンの花が植えられているのに気が付いた。

 種類がバラバラで、花が咲いているのといないのとがある。珍しいな…と思ったら、いくつかに分けられたその区画の1つ1つに小さい看板が立っている。


XX市初級園芸講座実習花壇
この花壇は〇山〇子さんがお世話しているものです

 
 あー。なるほど。これはつまりよく市の広報誌なんかで宣伝している市民講座の発表スペースといったようなものらしい。
 駅のコンコースには水彩画や色鉛筆画、書道の作品なんかを展示している額が並んでいるスペースがあったりするのだが、それの園芸講座バージョンというわけなのだろう。
 植物の植え方とかにコツがあることも考えたら、植物が数種類いろいろなのも、咲く時期がバラバラなのもわかる。これはつまり刺繍でいうと「サンプラー」みたいなものなんだろうね。
 素人っぽさ満点で、業者さんが整備しているであろう花壇との違いは歴然だが、そこがまたかわいらしい。

 園芸講座か……ちょっといいな。
 私は「これは簡単だから、大丈夫よ」と園芸好きの友達に言われてもらった鉢植えでさえ枯らすことが出来る腕前なので、よそのお庭を見る専門なんだけど、ちょっと心惹かれた。
 

謎のサンドイッチ

これは、つまり、この文字列が、
 「You must let Tom pick (some) onion (out)」
というような文章に見えて、「?」と思った、という投稿らしい。

 「トムにオニオンをどけてもらっておけ」というような、ある意味命令文みたいな感じ。
でも、これは実は、letのTが二つあるのがミソで、これをヒントにすると、この上から描いてある単語は、
mustard マスタード
lettuce  レタス
tomato  トマト
pickles  ピクルス
onion   オニオン
という、この紙袋のサンドイッチに何が入っているかというリストになっているのだということだという話。

 アメリカのサンドイッチ屋さんは、こういう紙袋を使う店が多い。自分で注文用紙のリストからチェックボックスを使って要らないものが入らないように注文できる店もあるので、そのリストを紙袋に転記したのがこれになるんだね。
 私も、わかっているつもりでもこんなのを受け取ったら「?」となりそうな気がする。

スズランの花

この花は英語では「Lilly of Valley」というらしい。日本語ではスズラン。
 
 日本では蘭の一種みたいな名前で、英語だとユリっぽい?
 雨の中をぼうっと歩いていて、「この葉っぱは雨をはじくんだなあ」なんて思って撮った。

 この植物には毒があるらしいのだけれど、とてもかわいい花だし、食べるわけではないのならいいよね。
 そういや、この花が好きだといったら、毒があるのに好きだなんて変だと私のことが嫌いなクラスメイトにいちゃもんつけられたことがある。小学生の時だ。
  
 彼女は私と幼稚園が同じで、私をさんざんいじめて、隣の小学校だったのでほっとしていたら途中から転校してきて、またいじめられた覚えがある。気が強くてなんでもずけずけ言い、周りの子を従えて私を仲間外れにしようとする子だった。
 はっきり面と向かって嫌いだと言われたこともある。でも、理由は不明だった。
 いつだっただろう、私が勉強が出来るのがイヤだったというような話をちらっと耳にはさんだ。中学の途中だったと思う。
 彼女も相当できたと思うんだけど……まあ、私はあの頃はテキトウにやっていても点数が取れたころで、定期テスト前にクラブがなくなったら大喜びで図書館に通っていたからなあ。周りから見たらふざけているように見えたかもだけど。
 私は当時は勉強なんか出来て当たり前と言われて育てられていたので、何が問題なのか全然わかっていなかったから余計神経逆なでしたかもだけれども、正直他人のことまで気なんか配れないタイプだしねえ。それはもう今も同じだけど。

 でももう、そんなことだって忘れちゃっていいのだ。
 全部、忘れてもいい。もう30年も前のことで、私はその人とお付き合いもない。あの町にも滅多なことで足を踏み入れない。
 あの頃の私は、ただただ日常を淡々とこなしているだけだった。

 大人になって結婚して、住むところも移って、子どもも出来て……。
  その子があの頃の私と同じような年齢になって。 
 
 年月が経ったんだなあ、と雨の中のスズランのにおいと傘に雨粒が当たる時の音にしみじみした。

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    まこ

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