バイトテロに思うこと
アルバイト先のコンビニの冷蔵庫に自分が入って撮った写真をSNSで披露するとか、一度落とした食べ物を調理しなおして出すところを動画に取って拡散するとか…というようなことをすると、色々な人にシェアされて、たくさん反応がもらえて、有名になる…というのでやってみる学生がある、という話を読んだ。
だが、コンビニとか飲食店などで、「えー、こんなことやってるの?」と思われるとまずいことなので、お店の評判が悪くなるから、もちろんクビになるし、お店の評判を悪くするようなことをして、損害を与えた…ということになって裁判沙汰にまでなることもあるらしい。
最近の子は、と言うつもりはない。昔っから「ウケ狙いで面白いことをしようと思って」とか、「目立ちたかった」とか、「みんなにすごいね、と言ってもらいたいから」とか…まあ、そういうことをやる子はいた。たくさんいた。
私の友達で思い出せるだけでもかなりいた。
テレビに出ている芸人さんのギャグみたいなのはあちこちで聞いたし、友達同士でやった花火大会で噴水みたいにふきだすタイプの花火を口にくわえて回った人もいたし、パーティの演しもので、頭に電飾かぶって踊っていた人もいた。
真冬に噴水に飛び込んでいた人もその場のノリで複数いた。アニメの曲やCMの曲をメドレーで演奏していた人もいたし、TVのコントの真似をしてクリームの入った紙皿をぶつけ合っていた人だっていた。カラオケがめちゃくちゃうまい人も、ものまねをして歌える人も…。
それはみんな「自分たちの仲間の間で」起こることで、面白い、すごい、真似できない、いいね!さすが!というようなポジティブな評価をされればうれしいことということになっていたと思う。
お店で突然楽器を演奏する…というようなことについては、やっぱり迷惑だろうと思われるので、「あれはない」と言われることだった。迷惑がかかるようなことは「その場のノリにしろ、よくないよな」という評価は多く、人によっては先輩だの、年上の友達だのにがつんと注意されて、一度限りの伝説になっている…というパターンもあった。
つまり…ネットで全国津々浦々までに拡散!というのがないころは、友達のグループだけのことで終わっていたのだし、どんな評価が来るにしろ、「自分たちの問題」として考えていた。面白い人、すばらしい人が、自分たちのグループにいることは、うれしく、楽しく、誇らしいことであり、迷惑をかけるような奴がいるというのは自分たちが注意したり、少なくともそれをほめず、ネガティブな評価と雰囲気を出すことでそれを抑えるのが当然、ということになっていた。
最近は、認められるということ、ウケるということの範囲が広く、大きくなってしまっている。30人にウケれば噂になって100人ぐらいに広がって終わりだったのが、数万人に見られて、評価されないといけなくなったと思えば、「ウケる」の定義が違うのはわかるだろう。そして「ウケる」誰かは、「俺たちの仲間」ではない。「ネットで軽くつながっているだけの誰か」。
えー?こんな人もいるんだ?へーえ。で終了。
その時一瞬、ウケても、自分の総合評価が変わるわけでもない、周りの扱いが変わっていくわけでもない。
面白い人だと思われて人気が出て、一緒に遊べる人が増えて誘いが多くなるような効果がほとんど見込めず、いいね!が増えるだけ…なのは、目に見えて効果と結果がついてくる友達関係と違って、パフォーマンスをした人の満足度が低そうだ。
だからきっと、先鋭化してくるんだよね。もっと過激に、もっと「滅多にないようなことを見せないと」と。
これは、あれだ。カメラだけがあるところで収録して映像を売るDVDみたいなもので、手ごたえが薄いんだよね。ライブで、目の前のお客さんの反応見ながら舞台に出ると、イキイキとした反応がもらえて、ウケなかったらシーンとなるし、大爆笑されれば演技にはずみがつくというものだ。やりがいがあるし、満足感が違う。
それに、面白い、すごい、すばらしい…ということと、強烈な反応ではあるが、みんながドン引き…という反応の区別ははっきりわかるはず。
仲間内の内輪ウケで終わったころは、目立てばなんでもOKというのは、飽きられやすいし、あきれられて総スカンというネガティブな反応も出て、自分が結局「非常識な奴」というレッテルを貼られて損をする…というのはどこかで覚えることになるのが普通だった。裁判なんてしなくてもだ。
でも、今はシェア数とかリツイート数だけ稼げばOKみたいな風潮もあるんだろうなあ。裁判まで行くと、記録も残るし、将来大人になってから問題にならないといいけどな…(と思うと、息子にはこういうことをどこかで教えておかなくてはならないと思う)
ただのウケ狙いで、すべったーーっ終了、みんな忘れてーっ。で終わらないんだなあ…。
10代、20代のうちは、ウケたい、目立ちたい、すごいといわれたい…というようなことは程度の差こそあれ、みんなにあると思う。でもそれを満たす場所がネットの、それほど親しくもない人のSNSつながりだけだというのは、つらいことかもしれない。10人ぐらいの中で大ウケすれば、今日は楽しかったなあと思えたあの頃と、数千、数万人から「いいね!」をされないとなかったも同然になってしまう現代。
ハードルがあがっているというかなんというか。世界が広がるというのは、いいことばっかりでもないな、と思った。
だが、コンビニとか飲食店などで、「えー、こんなことやってるの?」と思われるとまずいことなので、お店の評判が悪くなるから、もちろんクビになるし、お店の評判を悪くするようなことをして、損害を与えた…ということになって裁判沙汰にまでなることもあるらしい。
最近の子は、と言うつもりはない。昔っから「ウケ狙いで面白いことをしようと思って」とか、「目立ちたかった」とか、「みんなにすごいね、と言ってもらいたいから」とか…まあ、そういうことをやる子はいた。たくさんいた。
私の友達で思い出せるだけでもかなりいた。
テレビに出ている芸人さんのギャグみたいなのはあちこちで聞いたし、友達同士でやった花火大会で噴水みたいにふきだすタイプの花火を口にくわえて回った人もいたし、パーティの演しもので、頭に電飾かぶって踊っていた人もいた。
真冬に噴水に飛び込んでいた人もその場のノリで複数いた。アニメの曲やCMの曲をメドレーで演奏していた人もいたし、TVのコントの真似をしてクリームの入った紙皿をぶつけ合っていた人だっていた。カラオケがめちゃくちゃうまい人も、ものまねをして歌える人も…。
それはみんな「自分たちの仲間の間で」起こることで、面白い、すごい、真似できない、いいね!さすが!というようなポジティブな評価をされればうれしいことということになっていたと思う。
お店で突然楽器を演奏する…というようなことについては、やっぱり迷惑だろうと思われるので、「あれはない」と言われることだった。迷惑がかかるようなことは「その場のノリにしろ、よくないよな」という評価は多く、人によっては先輩だの、年上の友達だのにがつんと注意されて、一度限りの伝説になっている…というパターンもあった。
つまり…ネットで全国津々浦々までに拡散!というのがないころは、友達のグループだけのことで終わっていたのだし、どんな評価が来るにしろ、「自分たちの問題」として考えていた。面白い人、すばらしい人が、自分たちのグループにいることは、うれしく、楽しく、誇らしいことであり、迷惑をかけるような奴がいるというのは自分たちが注意したり、少なくともそれをほめず、ネガティブな評価と雰囲気を出すことでそれを抑えるのが当然、ということになっていた。
最近は、認められるということ、ウケるということの範囲が広く、大きくなってしまっている。30人にウケれば噂になって100人ぐらいに広がって終わりだったのが、数万人に見られて、評価されないといけなくなったと思えば、「ウケる」の定義が違うのはわかるだろう。そして「ウケる」誰かは、「俺たちの仲間」ではない。「ネットで軽くつながっているだけの誰か」。
えー?こんな人もいるんだ?へーえ。で終了。
その時一瞬、ウケても、自分の総合評価が変わるわけでもない、周りの扱いが変わっていくわけでもない。
面白い人だと思われて人気が出て、一緒に遊べる人が増えて誘いが多くなるような効果がほとんど見込めず、いいね!が増えるだけ…なのは、目に見えて効果と結果がついてくる友達関係と違って、パフォーマンスをした人の満足度が低そうだ。
だからきっと、先鋭化してくるんだよね。もっと過激に、もっと「滅多にないようなことを見せないと」と。
これは、あれだ。カメラだけがあるところで収録して映像を売るDVDみたいなもので、手ごたえが薄いんだよね。ライブで、目の前のお客さんの反応見ながら舞台に出ると、イキイキとした反応がもらえて、ウケなかったらシーンとなるし、大爆笑されれば演技にはずみがつくというものだ。やりがいがあるし、満足感が違う。
それに、面白い、すごい、すばらしい…ということと、強烈な反応ではあるが、みんながドン引き…という反応の区別ははっきりわかるはず。
仲間内の内輪ウケで終わったころは、目立てばなんでもOKというのは、飽きられやすいし、あきれられて総スカンというネガティブな反応も出て、自分が結局「非常識な奴」というレッテルを貼られて損をする…というのはどこかで覚えることになるのが普通だった。裁判なんてしなくてもだ。
でも、今はシェア数とかリツイート数だけ稼げばOKみたいな風潮もあるんだろうなあ。裁判まで行くと、記録も残るし、将来大人になってから問題にならないといいけどな…(と思うと、息子にはこういうことをどこかで教えておかなくてはならないと思う)
ただのウケ狙いで、すべったーーっ終了、みんな忘れてーっ。で終わらないんだなあ…。
10代、20代のうちは、ウケたい、目立ちたい、すごいといわれたい…というようなことは程度の差こそあれ、みんなにあると思う。でもそれを満たす場所がネットの、それほど親しくもない人のSNSつながりだけだというのは、つらいことかもしれない。10人ぐらいの中で大ウケすれば、今日は楽しかったなあと思えたあの頃と、数千、数万人から「いいね!」をされないとなかったも同然になってしまう現代。
ハードルがあがっているというかなんというか。世界が広がるというのは、いいことばっかりでもないな、と思った。