男子女子
女子会という言葉があって、女性だけで飲食するミーティングのことをこう呼ぶ…というのは、いつ頃の言葉なのだろう。
30年前にはなかった気がする。
男子女子、というのは、高校生の時は使った覚えがある。「女子大」というものがあったことからも、多分大学生も女子はあるはずだ。社会人になるとちょっと微妙?子どもを産むのが当たり前の年になってくると、かかる医者に「婦人科」というのがあるが、あれは不思議なことに、「女子科」はない。
ま、それは置いておくとして。
うちの息子は小学生。男子女子という言葉は実感を持って、日常に使われている言葉だ。
ピアノを習いに行かせている。ピアノの先生の家にあるのは、グランドピアノ。うちにあるのは電子ピアノ。
「先生のところのピアノは、いい音だよねえ…」と息子がぽつりと言った。
そりゃそうだろう…うちのピアノはもらいもので、20年ぐらい前の機種。アコースティックピアノに勝てるわけはないし、グランドピアノならなおのことだ。倍音が全然ちがう。
「違いの分かる男なわけだね」と相槌を打った。
「ちがう、俺は「男」じゃない」
というので、「えー?女、じゃないやね?」と突っ込んだら、
「俺は男子だもの。男の子は男子で、大人が男だろう?」
なるほど…。そういうくくりになっているのだよね、子どもからしたら。
小学生は子ども、というのはわかっているのだろう。
単純というか、わかりやすいというか。かわいいなあ。
ま、こういうくくりになっているとしたら、女子会は20歳以下限定だね。
年齢を気にしない年ならではだと思う。
小さいころは、年が増えていくのがうれしかった。誕生日のたびに、わくわくしたものだ。
早く大人になりたいと思ったこともある。
女子であることをやめてしまってから、何年も経つ。
当時はふざけてばかりいる男子は、苦手だったが、自分が女子である、クラスの半分が男子である、ということはただの記号でしかなかった。大人になって今、息子のクラスの男子と女子を見ると、生き物としてちがうな…としか言えない差がある気がする。
女子はずいぶん洗練されて、おとなっぽい気がするし、男子は三年生ぐらいから変わっちゃいねえ…。
うちの息子はしばらく、男になる気はないらしい。
youtubeのギャグを真似しながら踊っている様子を見ると、楽しいんだろうなあ、きっと。
息子には男子時代を楽しんでほしい。
30年前にはなかった気がする。
男子女子、というのは、高校生の時は使った覚えがある。「女子大」というものがあったことからも、多分大学生も女子はあるはずだ。社会人になるとちょっと微妙?子どもを産むのが当たり前の年になってくると、かかる医者に「婦人科」というのがあるが、あれは不思議なことに、「女子科」はない。
ま、それは置いておくとして。
うちの息子は小学生。男子女子という言葉は実感を持って、日常に使われている言葉だ。
ピアノを習いに行かせている。ピアノの先生の家にあるのは、グランドピアノ。うちにあるのは電子ピアノ。
「先生のところのピアノは、いい音だよねえ…」と息子がぽつりと言った。
そりゃそうだろう…うちのピアノはもらいもので、20年ぐらい前の機種。アコースティックピアノに勝てるわけはないし、グランドピアノならなおのことだ。倍音が全然ちがう。
「違いの分かる男なわけだね」と相槌を打った。
「ちがう、俺は「男」じゃない」
というので、「えー?女、じゃないやね?」と突っ込んだら、
「俺は男子だもの。男の子は男子で、大人が男だろう?」
なるほど…。そういうくくりになっているのだよね、子どもからしたら。
小学生は子ども、というのはわかっているのだろう。
単純というか、わかりやすいというか。かわいいなあ。
ま、こういうくくりになっているとしたら、女子会は20歳以下限定だね。
年齢を気にしない年ならではだと思う。
小さいころは、年が増えていくのがうれしかった。誕生日のたびに、わくわくしたものだ。
早く大人になりたいと思ったこともある。
女子であることをやめてしまってから、何年も経つ。
当時はふざけてばかりいる男子は、苦手だったが、自分が女子である、クラスの半分が男子である、ということはただの記号でしかなかった。大人になって今、息子のクラスの男子と女子を見ると、生き物としてちがうな…としか言えない差がある気がする。
女子はずいぶん洗練されて、おとなっぽい気がするし、男子は三年生ぐらいから変わっちゃいねえ…。
うちの息子はしばらく、男になる気はないらしい。
youtubeのギャグを真似しながら踊っている様子を見ると、楽しいんだろうなあ、きっと。
息子には男子時代を楽しんでほしい。