LuckyDuckyDiary

puceって、何色?


今読んでいる本は、「スラッシュグリーンシリーズ」。これはイギリスの女性が書いた本。
日本では、【村の学校】が有名だ。
 村の学校が入っているシリーズは「フェアエーカーシリーズ」と呼ばれていて、日本では角川文庫で最初の3冊が出ていて、愛読していた。(そのあと、日向房という出版社から新約でこのシリーズが大体全部訳されたそうなのだが、実は気が付いたときにはもう本屋には見当たらなくて読んでいない)。

 書いた人は、「ミス・リード」となっている時が多いが、Miss Readというのはペンネームで、本名は、Dora Saintさんというらしい。
代表作は、フェアエーカーシリーズと、 見られない場合は画像のリンク切れです【スラッシュグリーンシリーズ】両方で三十数冊。

 フェアエーカーの方は村の学校の先生をやっている中年女性が書く形で、スラッシュグリーンの方は第三者が村を観察している感じで書かれている。どちらも、イギリスの田園の村を舞台にしていて、電気はあるけど、自動車は乗っている人がまだ少なく、庭で野菜を育てたり、牛を飼うのは当たり前、ラジオ、テレビはどのうちにもあるわけではない、そういう時代。

 赤毛のアンシリーズが好きな層が、そのまま大人になったら、これが好きな人になるんでは…という読者層だと思う。
 おいしくないと評判の、イギリス料理が、ちょっとおいしそうに見えてきてしまう本だ。
 最初の「村の学校」は1955年、最後の本「A Peaceful Retirement」は1996年の出版だそうだから、(著者は2012年に亡くなっている)40年に渡って書き続けられたシリーズらしい。

 このシリーズ…面白いんだけど、英語がものすごく「イギリスっぽい」のだ。そりゃそうだよね、この人はイギリス人なんだから。
 家の前の車を止めるところはアメリカだとcurbだが、イギリスではkurb…のようなスペリングの違いがあっちこっちにあるし、見知らぬ単語にひっかかると、大抵方言だったり、その人がしゃべる訛りをそのまま字に写したものだったりする。
 時代も違うからね…。
 そりゃ、太宰治とか、川端康成とか読んだら、読みにくいことを思えば、同じような頃を舞台にした小説が21世紀の言葉と違うのは当たり前だ…なんて思いながらゆっくり読み進めている。

 女性の描く本に多いのが、服装の描写。袖の形が、とか襟の形がどう、とか、飾りとか、カットとかに、知らない単語が多い。大体服飾にほとんど興味がないところへ持ってきて、英語圏でも服飾用語がフランス語なことが多くて、余計につまづく。
 そして、色。もちろん、12色のクレヨンぐらいの色なら、私にもわかる。ただ、日本でいうと、古典の着物の色みたいなもので、「縹色」とか、「朽葉色」とか言われても、あーえーっと…となるのと同じで、mauveとかpuceと言われてもなあ…となる。

 ネットで調べたら一発でわかるのがありがたいけど…。mauveは●こういう色●でpuceは●こういう色●らしいが、調べている途中に、puceの語源が目に入った。「フランス語で蚤(のみ)をあらわす単語から」と。そのフランス語はラテン語でpulex=蚤という単語から来ているらしい。そしてノミの拡大写真が。

…確かに赤茶色で、そういう色だったけどね!!あんまりまじまじと見たいものでもないなあ、ノミの写真。
puceは、のみ色、かあ…。
 別に赤茶色が悪いわけじゃないけど、もうちょっとこう…。
 この色がよく似合いますよ、と言われてもあんまりうれしくないなあ。

しかし、いくら読んでもまだまだ知らない単語が続出する。ストーリーがわからなくなるほどではないけどねえ…。
この作家さんの語彙は、現代ものとはちょっと違うので余計そうなるのかもしれない。頑張って語彙を増やそう。
 


トランスジェンダーとスーツ

生まれたときの体の性別と、自覚する性別が違う人が、気兼ねなく自分にあったスーツを選べる【みんなのスーツ】という取り組みがある、という話をネットで読んだ。いいことだと思う。

 実は、私はこういう話があるのではないか、と真剣な顔で聞かれたことがある。それ以来、なんとなく、自分と違う性別に典型的な服装をしたい人には勝手に親しみを覚えている。

 私は、服を自分で選ぶようになった中学生の頃から、スカートをほとんどはかなくなった。
けれども、学校の制服はスカートでもどうしようもないから着たし、自分の体の性別と中身の性別が女性であることに違和感もなかったし、お付き合いすることになった人も、結婚する相手も男性だったので、カテゴリ的には私はマイノリティではない。

 当時、私はまず、スカートが動きにくいというのが嫌いだった。キャンプとかハイキングとかになると女性も大抵、「動きやすい格好」=パンツを履くということを考えてもわかるだろう。つまりスカートというのはひっかかりやすかったり、うっかりしゃがむと下着が見えたり…というような不便な作りをしている。

 そして18ぐらいからだろうか。デニムにTシャツみたいな格好している時は寄っても来ないのに、スカート履いて化粧した時だけ猫なで声で寄ってくる人がいるのに気が付いた。送ってあげようか、ご飯を食べに行かないか、ケーキは?遊びに行こうよ…。
 ものすごく気味が悪かった。この人たちには、一体何が見えているんだろう、と。

 服一枚で中身が変わるわけもなし、いつも仲良くしてくれる友達はいい。たとえ「馬子にも衣裳だなあ(笑)」なんて言われても、「今日はどうした、まつげあるじゃん」などとからかわれようと気にならなかった。
 私がスカートが嫌いだったのはつまり、自分の性別との違和感ではなく、社会的役割のせいだった。
 「女性らしく装う」のが、なんとなく「女を武器にいい思いをしようとしている」ようで。

 人の態度が服装で変わる。「人は見た目が9割」なんていう本があることを思えば、見た目で人の態度が変わることにそんなに目くじらをたててはいけないのだろうが、当時の私にはその変わりようが恐ろしかった。
 だから、私がお付き合いをした人はみんな、「別に、服は気にしない」というひとばっかりだった。

 演奏会に男性は白シャツに黒いズボン、女性は白いシャツまたはブラウスに黒のロングスカート…というのは結構ありがちなのだが、ズボンをはいて出てはだめか…と頼みに行った私に、OKを出したあと、更衣室はみんなと同じでいいのか、と真剣な顔をして聞いてくれた人がいた。

 もし、女性の中で着替えるのが嫌なら控室が遠くなるけど1つ、別に部屋をとれるように算段するけど、と。
 実は同じバンドに、私と逆パターンの…つまり体は男性だけれども、女性の服を着るのがいい、という人がいたからだろう、そういう問題があるのをその役員さんは知っていたのだと思う。

 もうひとりの、その男性は、セーラー服が着たい、と熱望する高校1年生だった。かなり線が細い男の子だったので、私の実家に残っていたセーラー服をあげたらすごーくうれしそうだったのを覚えている。それから2年後ぐらいにもう一度会ったときには、肩幅が増え、背が伸びて女物が似合わなくなった、という話をして残念そうだった。そして私に、「せっかく女の子なんだから、かわいい服を着たらいいのにー!」と。当時もまだ、パンツ一辺倒だった私は苦笑するしかなかった。
 
 制服に、スカートとパンツのどちらでも選べるオプションがあったら…。
 ビジネススーツも、どちらでも選べれば…。
 きっと、彼は喜んだだろうなあ。

 真冬だったら、防寒のために制服がパンツでもいいかもしれないな、と私も思ったと思う。
なんせ、スカートの下にジャージを履くというのまであったからね(ハニワと呼ばれていて、見つかったら怒られたけど)。

 ともかく選択肢があるのはいいことだ。
 こういうのがもっとあればなあ…。クーラーがガンガンにかかったオフィスで、事務員の制服がかなり短いスカートだった時代もあった私としては、パンツのビジネススーツがフォーマルが必要な時に着られるというのは、すばらしい。

 スカートをはきたい人は誰でもスカートがはけて、ズボンをはきたい人は誰でもズボンをはけるのが一番いいと思うんだけど。
 そういう時代になればいいと思う。 
 
 

カフェインなしのイブ

 歯医者で昔かぶせた治療部分がだめになってきて、外して削ってかぶせなおす…というような治療をした。
 麻酔をかけて、ハンマーでかぶせてあった部分をたたき落とし、掃除してちょっと削って型をとって、仮の歯をかぶせて…

 これがね、麻酔が切れると痛いわけだ。
 ゴンゴンとひびくようなことをしているし、普段は外に出ていない元の歯に来る刺激も相当なもので、麻酔が切れ始めると痛む。

 ふと、友達が言っていたことを思い出した。この友達は当時(私が20歳ぐらい、彼が25歳位)、歯医者が死ぬほど嫌いで歯が痛くても全然治療に行かず、虫歯に塗る痛み止めみたいなのを愛用していた。まあ、歯医者の本格的治療にかかるお金がそれほどなかった、というのもあるが、仲間内でも彼の歯医者嫌いは有名だった。

 歯医者に行くと、麻酔が切れたときが痛いし、あの音が嫌いだし、と行くのが嫌だという話をした私に、「あのな、歯医者で麻酔かけた治療するだろう?そのあとに、歯医者の椅子から降りる前に痛み止めをもらって飲んでおくと、全然違うぞ」とアドバイスをくれた。
 歯医者が嫌いだ、なんていうとお子様だなあ、という顔をされることも多かったのだが、その人の真顔のアドバイスは実感がこもっていた。

 そんなわけで、私はカバンにいれてある非常用のイブプロフェンのことを思い出して、それを歯医者の椅子から降りるときに取り出して歯医者の紙コップの水で飲みこみ、麻酔が完全に切れる前に痛みを回避することに成功した。

 治療済みの時の痛みは大体痛み止め1つ分の時間で大丈夫になるのでばっちり。ちなみにイブプロフェンは生理痛とか排卵痛とかがある時に、出かけた先で、「しまった、持ってくればよかった」となることが多いのでカバンに一回分常備してある。
 
 家に帰って痛み止めを補充しようと思ったら、箱がほとんどからっぽ。

薬局に出かけてみた。大体、よくある痛み止めは2種類。アセトアミノフェンと、イブプロフェンが多い。
この2つは割と昔からあって安全とされていることが多くて、特に子どもが飲んでも大丈夫な薬はアセトアミノフェンが多い。小児用バファリンとか、アンパンマンの風邪薬とかに入っているのはこれ。
 生理痛によく効くのはイブプロフェンというのが通説で(アセトアミノフェンでも一応効くらしいけど)15歳以上だとこれが処方されることが多い。
 アメリカではアスピリンは格安だったけど、日本だとえーっと、どれになるんだ、バファリンかな。あと確か温泉の黄色い桶のケロリンがそれだったはず。アセチルサリチル酸(うろおぼえ)。

 イブプロフェン「だけ」が入っていて、カフェインがはいっていないのがほしい。
 市販のイブプロフェン錠剤には、カフェインが入っているのが多いんだよね…。夜飲むとき、なんとなく眠りにくいかも、という気分がする。血管を収縮させる作用がカフェインにあるので、頭痛のタイプによってはカフェインが効くこともあるそうなんだけど、もっと単純なのでいい。
 アメリカのイブプロフェン錠剤は、もう、イブプロフェンと、それを錠剤に固めるのに使う材料しか入ってない!というのが多かった。格安で100錠で2ドル半ぐらい(300円以下)とか、ええ?みたいな値段のものもあった。その代わりフィルムコーティング錠で飲みやすいとかそういう細工は一切ない。固めただけ。口に入れた途端に苦いよ?みたいな錠剤だ。
 ADVILというブランドのを飲んでいた。あとドラッグストアブランドのも。

 日本ではイブプロフェンの錠剤の代表ブランドは「イブ」だと思う。20代の頃からお世話になっているブランドだ。
 じゃあ、今回もイブか…とドラッグストアの「鎮痛解熱薬」の棚を見る。

 イブA。まあ、一番みかけるイブだと思う。400円台で24個買えるので、手軽。
 イブクイック。確か、溶けやすくて効くのが早いので、手持ちになくて外出して痛みがひどいときに買う候補。結構小さい薬局にもあるが、普通のイブより高い(20錠700円ちょっとぐらいか)。酸化マグネシウムが入っているところがイブAとの違い。効きがよくなるらしい。
 イブクイックDXは、イブクイックよりもイブプロフェンの量が多い。(普通のクイックは150㎎、クイックDXは200㎎)ので、ちょっと高め。

…イブはここまで。ふーむ。全部カフェイン入りだ。確か、カフェインが入ってないのがなかったっけ??

隣にあるのが、「リングルアイビー」。カフェインなしなのが売りのイブプロフェンのソフトカプセル。液体なので効きも早いのだが、1箱1400円で24個。イブAの24個の3倍はする。こんなに高かったっけ…?
 カフェインなしのイブプロフェンは高い…ということがわかって、予算が千円以下だったのであきらめて帰ってきた。

 大体ね?入っているものが少なければ安いのが普通じゃないの?!カフェイン要らないんだよねえ。だって、元気が出るといって売っているドリンク剤(大体50㎎)よりたくさんカフェインが入っているんだよ、頭痛薬に。コーヒーとか紅茶とか飲んだら、カフェインがうっかり多すぎになりそうだ。

 ネットで見てみた。
 あれ?リングルアイビー、安いぞ?36カプセルで1200円。24カプセルでそれより高かったのに…。 
よくよくみると、リングルアイビーのジェルカプセルは150㎎版と、α200と書いてある200㎎版があることが判明。
 なるほど、200㎎のほうが高いんだな。イブのDXが高いのと同じだ。

 そしてイブAではない、つまり無印の【イブ】も発見!カフェインなしで、150㎎フィルムコーティング錠、36錠532円!やっぱりあった!

 しかし、このイブのカフェインなしは、近所のドラッグストアと薬局にはなかったからなあ。そしてひどいことに、【製薬会社の商品ラインナップ】にも出ない!!ええー?そりゃないよー。
 他のイブAとか、イブクイックとかイブDXと違って儲からないとか?
 カフェインが入っていないと片頭痛に効かないので人気がないとか?

いや…それでもサイトの商品ラインナップにあることぐらいは書いておいてほしいよねえ。

というわけで、私は無事アマゾンから無印のイブの36錠入りとリングルアイビーの安いほうを取り寄せることに成功したのでした。

 真昼に飲むなら手に入りやすいイブAか、イブクイックAでカフェインが入っていてもいいので、カフェインなしの方はなるべく温存するか…。または、イブの無印を置いているドラッグストアを探すしかないな。 

 これを書きながら思った。たかが痛み止めでこんなにいろいろ考える人は少ないかも。どれでもあるのを飲んでおくしかなかった時もあったのだから、こんな選り好みしなくても、車も運転しないし、昼間眠くなっても困らないんだから、カフェインなしを1種類でいいといえばいいんだけど。

 …暇なんだな、つまり。

中学受験の志望校を決める…の巻。

受験校を決めるのは、高校受験、大学受験なら本人が目標を見定めて、自分の勉強に反映させていくというようなことも出来るのかもしれないが、中学校受験には、まだそれは無理な感じがする。

 かなり直感で物を考える小学生男子に決めさせるのはちょっと危険だろう…ということで、親が考えることになった。
 
 小学校2年生ぐらいだったときは、親も夢見がちで、実は家からかなりちかい進学校がいいな…と思っていた。通学時間は最低限。国公立大学にも進学実績がある程度あったし、私学の進学実績はかなりいいらしかった。
 ちゃんと勉強すれば行けるだろう、と思っていたのだ。

 が、実のところ、その学校は共学で、女子の志願数が多い学校だった。ということはどうなるかというと、国語と社会の成績が高くなってしまう。社会は暗記なので、それほどひどくはならないが、問題は国語。どんなことを考えていたでしょう、というタイプの問題が四択でも全滅の男子には厳しい学校だ。
 算数が満点で、やっとぎりぎりか…ぐらい。いわゆる超難関校ではないが、十分難関校なこの学校だと、記念受験になる可能性が高い。いい感じの学校なんだけどなあ。却下。

 第一候補は、国語が簡単で算数が難しい男子校。ここの数学は、調子が良ければ点数が取れるし、国語は男子校ということもあって典型的男子君たちにやさしい難易度。国語が100点中35点でもなんとかなるという…。国算受験と、国算理受験がある。
 ここが私の一押し。伝統がある男子校で、多分男子のことをよくわかっている。進学実績もかなりのものだし、特別進学コースと、普通コースがあるのだが、特進コースで応募しておいて点数が届かない場合でも、普通コースの基準に達していれば普通コースに回して合格させてくれるというありがたい制度もある。
 たとえ算数でミスを多発して、悪いほうへ波が出たとしても、普通コースの方なら多分大丈夫…と模試の結果は出ている。

 第二候補は、これも伝統校の共学。昔は男子校だったらしいのだが、この少子化の昨今、共学にすることで、生徒候補を増やそう、ということだったのだろうね。ここも、特進と普通があって、ここの普通科。学力的には余裕…のはず。国語と算数だけで受験できるのも大きい。中堅と言われているがどちらかと言えば下の方で、つまり滑り止めになるのは多分ここ。ちなみに、少人数の特進の方は、過去問を見ると多分国語で落ちるな、という感じ。
 特進コースは国公立に行く子も多いらしいが、普通コースはこの学校の大学に内部進学が一番多い。「内部進学ならいいや」というので、大学進学用の勉強がゆるくなりがちな感じ。学費が結構高いが、通学が30分と短いのが候補に入った理由。

 そして第三候補は、ちょっと遠い学校。売りは英語の入試があること。一応アメリカに行っていた都合上、英語はある程度出来るので、候補に入った。本人は「学校の雰囲気が一番楽しそう」といって、この学校に行きたいらしい。
通学時間が1時間越えと長いのがネックだが、英語で点数を稼げる分、国語の点数が低いのがカバーできる。国算理受験もあるんだけど、多分理科より英語のほうが高得点が出せるはず。算理英の受験があったら最高だったんだけど、さすがにそれはなかった。
 上に大学があるのはあるが、高校で外部進学と内部進学のコースを分けるらしいので、結論先送りに出来るのが親としてはうれしい。外部進学コースは勉強が厳しそうだが、進学実績はいい感じだった。

 夫と二人で候補をまとめながら、この3つなら、どこでもいいよね?と確認しあった。夫は、一番最初に書いた近くの進学校があきらめられないみたいだが、息子が、今から算数の成績をひと刻みあげるのは無理じゃないにしても、国語の成績が偏差値50、少なくとも45まで上がると思うか、と聞くと、無理っぽいね…というのはわかっているらしい。算数の偏差値は60オーバーがたたき出せるくせに、国語の偏差値35だからね…。
 塾でも、実は算数だけならトップコース(1カ月8万円)に参加する資格があるのだが、国語の点数がどうにも上がらず真ん中コース(1カ月5万円)だ。(ちなみに、下位コースは1カ月3万円)
 落ちたら多分ショックを受けるだろうし、かといって漢字や語句問題の暗記ものならともかく、文章から人の気持ちを読み取る問題は出来るようになる気がしない…ということで、ここは点数が低い方を基準に選ぶのが無難だろう。

 息子本人はいたってマジメに一生懸命やっているつもりらしいのだが、問題文をちゃんと読まずに国語の問題をやるとか、式を全然書かない算数の問題とか、そういうことを直して点数をあげようというところには全く気が回っていない。最近はプレッシャーもあるのか、そういうことをガミガミ言うと息子とけんかになるぐらいだからね…。

 多分、問題文をしっかり読むとか、式をちゃんと書くとか…というのは、今の息子の能力に含まれていない。私には理解は出来ないし、イライラするが、ないものはない…という事実ははっきりしてるからなあ。
 
 と思っていたら、息子がこんなことを言い出した。
「高校生になるとき、もう一回違う学校受ければいいよね!」

あー。夫と二人で頭をかかえた。

違うんだ―。そういう風にはなってなーい!!

 それでいいのなら、中学なんか公立でいいのだ。息子が私立に行きたいというからいろいろやってお金使ってるのに、その発言はなんともねえ。膝から崩れ落ちる。
 
 息子は、冷暖房があったり、パソコンルームがあったりするいい環境の私立の中学校で楽しく中学校生活を過ごすために受験するのであって、有名大学へ進学するためには、高校生になる時に勉強が難しい学校を選びなおせばいいのでは…と思っていたらしい。
 中高一貫校というのは、カリキュラムが6年あることを基準に作られているため、外に出ることは基本考えられていないので、大学の進学実績は今から見ておかなくてはならないのだ、という話に、「そんなことはじめてきいた」みたいな顔をしていた。

 …なんていうか、のんきだなあ…。まあ、このぐらい気楽なほうが、偏差値が!成績が!というよりいいのかもしれないが。
 自主性に任せるとか、本人の希望を大事にするとか、そういうことも大事かもしれないが、うちはまだ、親の考えもかなり考慮に入れたほうが無難だ、ということが分かった夜だった。

ぐるりと一周するとと死ぬの?

今読んでいる本、見られない場合は画像のリンク切れです【Gossip from Thrush Green】は、イギリスの田舎の村の生活を書いた本。
 そのなかで、年齢ははっきり書いていないが、多分20代半ばの女性が、水ぼうそうにかかる話があった。

 今は、予防接種を打ちましょう、ということになっているので、うちの息子はかかったことがないが、私が子供の頃は、大体兄弟のある子なら幼稚園ぐらい、または小学校低学年ぐらいにはかかって終わらせるのが当たり前の病気で、母子手帳にはかかったことをチェックする欄があった。(今は予防接種をいつやったか、という欄がある)

 この物語の村で一軒しかない居酒屋兼めし屋みたいなお店で、みんながその噂をわいわいとする。

 ◆あんなものこどもっぽいもの、もっと小さいときにやっとけばよかったのに…
◇ 20歳位の時にやって、かきむしるな、といわれるのにうんざりしたっけ、かわいそうになあ
 ◆おじさんのお父さんが80歳近くになってからやって、死にかけたことがあるよ。
◇ いや、これよりはおたふくかぜのほうが怖いよな、「男の力」がなくなるって話だ。
 ◆ 俺が入院したときにこれをやった人が同じ部屋にいてさあ(周りがもう入院したときの話にうんざりしている)
というような、あーありそう…という話に混ざって出てきたのが、

 Shinglesといっしょにやると、たかが水ぼうそうでもきついらしいぜ…というのが出てきた。
 shinglesってなんじゃらほい、と思って辞書を見たら、「ヘルペス」のことらしいということがわかった。

Only if it meets round your ribs. You can have spots all over, but if they meets round your middle you're a goner"
「あっちこっちにブツブツが出来るけど、あばらのまわりをぐるっと一周したら、死ぬんだよな」

あはは、これ聞いたことある!(ちなみにこれはうそ)イギリスでも、これは言われているんだね、きっと。
舞台としては1950年とか、60年とかそのあたりなんだけど、本が書かれたのは1981年。
 そのあたりにはもうある伝説だったんだなあ…。

ヘルペスって、出るときはあばらのまわり、つまり胸に出ることが結構ある。大抵体の片側にでるのだが、ひどくなると反対側にもでる。
不思議なことに、体の脇の方からスタートして真ん中の方に広がってくることが多いので、左右からスタートして、真ん中で出会う…というような出方になるので、こういう噂になったんだろうけど。

 こういう噂っていくら否定しても、本当だと思う人があるからなくならないんだろうな。
 イギリスの人と日本の人、ヘルペスにかかって、じわじわとぶつぶつが広がってくるとき、考えることはそんなに変わらないのものなのだな、と面白かった。

 村の暮らしが淡々とつづられている本で、13冊のシリーズ。この作者さんは、こういう感じの村に住んでいたそうなので、いろいろ本当にあったことに題材をとったことも多いみたいで、噂話をするおじさんたち、おばちゃんたちを見ていると、あー、こんな人ありそう…と思うのがとても楽しいシリーズだ。

  ちょっと、どこかの村へ、休暇に遊びに行っているような気分がする。

 kipper=ニシン、とか、あとは商品名とかも出てくるので、「Ryvina」って何?とか(クラッカーにブランドっぽかった)ちょこちょこ調べながらになる。手持ちの辞書がアメリカ英語の辞書なので、wikipediaのほうが役立つぐらい。
 イギリス英語の辞書に替えたほうがいいかもしれない。
 


男子女子

女子会という言葉があって、女性だけで飲食するミーティングのことをこう呼ぶ…というのは、いつ頃の言葉なのだろう。
30年前にはなかった気がする。

 男子女子、というのは、高校生の時は使った覚えがある。「女子大」というものがあったことからも、多分大学生も女子はあるはずだ。社会人になるとちょっと微妙?子どもを産むのが当たり前の年になってくると、かかる医者に「婦人科」というのがあるが、あれは不思議なことに、「女子科」はない。

 ま、それは置いておくとして。
うちの息子は小学生。男子女子という言葉は実感を持って、日常に使われている言葉だ。
 ピアノを習いに行かせている。ピアノの先生の家にあるのは、グランドピアノ。うちにあるのは電子ピアノ。
 「先生のところのピアノは、いい音だよねえ…」と息子がぽつりと言った。

 そりゃそうだろう…うちのピアノはもらいもので、20年ぐらい前の機種。アコースティックピアノに勝てるわけはないし、グランドピアノならなおのことだ。倍音が全然ちがう。

「違いの分かる男なわけだね」と相槌を打った。

「ちがう、俺は「男」じゃない」
というので、「えー?女、じゃないやね?」と突っ込んだら、
「俺は男子だもの。男の子は男子で、大人が男だろう?」

なるほど…。そういうくくりになっているのだよね、子どもからしたら。
小学生は子ども、というのはわかっているのだろう。
単純というか、わかりやすいというか。かわいいなあ。

ま、こういうくくりになっているとしたら、女子会は20歳以下限定だね。
年齢を気にしない年ならではだと思う。

小さいころは、年が増えていくのがうれしかった。誕生日のたびに、わくわくしたものだ。
早く大人になりたいと思ったこともある。

女子であることをやめてしまってから、何年も経つ。
当時はふざけてばかりいる男子は、苦手だったが、自分が女子である、クラスの半分が男子である、ということはただの記号でしかなかった。大人になって今、息子のクラスの男子と女子を見ると、生き物としてちがうな…としか言えない差がある気がする。

女子はずいぶん洗練されて、おとなっぽい気がするし、男子は三年生ぐらいから変わっちゃいねえ…。
うちの息子はしばらく、男になる気はないらしい。
youtubeのギャグを真似しながら踊っている様子を見ると、楽しいんだろうなあ、きっと。

 息子には男子時代を楽しんでほしい。

大漁!

給料日に達成感が味わえる社会人と違って、専業主婦の仕事はあんまり変化もないのが普通だが、たまに「うまくいったなあ」と満足感があるのが、安くていいものがたくさん買えた日だ。

 例えば今回のこれ。(左上はサイズ比較用の文庫本)
 細ネギ、1束100円
 水菜2束100円
 じゃがいも1袋120円
 たまねぎ200円
 トマト(ソース用)100円
合計720円。(税込み)

特にトマトがすごい。産地も大体近隣県。トマトはあとで洗いながら点検したら、全然だめになっていないのが3つ。ダメになっているといっても皮をむいたらわからなかったのが3つ、包丁でちょっと切り取ったのが2つ…となんていうか、全然問題なかった。
 水菜は上のやわらかい葉のついたところはゆでてお浸しに。下は昆布茶でもんで浅漬けにしたのが1株、もう1株は、油揚げと煮た。
 ちょっとピリッとした味もするので、浅漬けにはもってこいだ。
 人参は小さめだったがどっさり入っていたし、ジャガイモも、メークインが7個か8個か…
 
 近所のスーパーではこんな安いのはあり得ない。水菜は1束158円か、178円だし、トマトは3つで398円ぐらい、5つだと498円になってしまうし、ニンジンは3本100円だったら大セールで、3本大きめとはいえ198円のことも多い。
 玉ねぎは今日買ったのは小さかったがかなり量があった(多分1キロ以上あった)が、スーパーのは3つ298円ぐらいすることもあるし、5つで398円でも別にびっくりの高さとかではない。

 自転車で相当の距離をこがないと、この八百屋さんにはつかないけれども、それだけのことはある。
 そしてこの八百屋さんのそばには、おいしい干物を売っているお店がある。
 一夜干しの魚を焼き、水菜のおひたしと、ニンジンと高野豆腐の煮物と、大根の味噌汁。

 うーん、昭和何年?という食卓だけど、体によさそうだし、息子にはジャガイモの薄切りにベーコン散らしてチーズをかけたのをどーんと出してやればOK。

 寒いけど頑張って買い物にいこうっと。


コテージパイ、またはシェパーズパイ

イギリスの物語の13冊セットを、じりじりと読み進んでいる。
朝ごはんはゆでたまごとトースト、マーマレード。お茶の時間にはスポンジケーキ。

引っ越してきて忙しい親子連れを、お隣さんが誘う。
「お昼を食べにいらっしゃいよ、遠慮しないで、ただのcottage pieだから」

cottage pieってどんなパイだろう。この単語が食べ物関連で出てくるので私が知っているのは「cottage cheese」。カッテージチーズというと、日本ではパック詰めだが、大草原の小さな家のローラとか赤毛のアンとか…というような時代だと、これは牛乳を酸で固めて、水分を絞って作るものだったらしい。
 本格的な酪農をする人が作る時は、酵素を使って固めて水を絞り出して発酵させるらしいが、そういうのとは全く別で、割と素早く出来て、なおかつ売っているものではなく手作りが基本。レモンで固めると上品だが、酢で固めるのが安上がり…というのはどの本で読んだんだったか忘れた。
 
 ってことはこれはカッテージチーズのパイ…?と思ったが、ここはやっぱり調べてみるのがいいだろう、ということでネットで調べてみた。レシピがいろいろ出てきたが、コテージパイというのは、下がひき肉とトマトとタマネギとニンジンで、その上にマッシュポテトを積み、そこにチーズをかけて焼いたパイらしい。
 パイというより、キャセロールとかで作る、どっちかと言えばグラタンみたいな感じ?ミートソースのポテトグラタンを薄切りポテトではなく、マッシュポテトでやったということみたい。

 シェパーズパイ、つまり羊飼いのパイと言われるパイは肉が羊で、コテージパイは牛肉なんだとか。
ふむ…。手間を省くレシピだと、インスタントのミートソースの素と、お湯で練って使う粉のマッシュポテトで作るんだって。

出来そうな気がする。

つまり…下がミートソース(とは最近は言わないのか。昔はスパゲッティミートソースと言ったのだけれど、最近はボロネーゼというらしい)上がマッシュポテト。
 挑戦してみた。

タマネギとニンジンをフードプロセッサーでバラバラにして炒める。牛ひき肉と、鶏ひき肉を炒める。多分豚肉で作るよりそれっぽいだろうけど、鶏肉が入っているのは節約だ。
 そしてこの前100円で買ってきたソース用と言われていたトマトの種をどけてから、切って一緒に炒める。ちょっと汁が出るけど想定内。塩味を付けて、うーん、どこから見てもパスタソースだ。
 スパゲッティ茹でて、これをかけたら休日のおひるごはんになるだろう。

 ジャガイモを圧力鍋でシュッシュと2分加熱。ある程度冷めてから、フードプロセッサでマッシュというか、練りポテトに。
 物語の中では「just cottage pie, nothing special」特別なものはないのよ、コテージパイだけだから、なんて謙遜してたけど、これ作るの結構手間がかかるね?

お皿にミート部分をつぎわけ、マッシュポテトをのせてチーズかけて…と準備していたら、「今日は何なの?なんかがんばってるけど」と夫。
コテージパイになる予定、だというと、彼はパイ皮は?と疑問に思ったらしい。

 うーん…これは名前はパイだけど、キャセロール料理とかグラタンに近いみたいだしねえ…という話をしながら、じゃあ、パイ皮を載せたらどうなるだろうね?と思いついた。

 その時点で15時とはいえ、さすがに今から小麦粉とバターでパイ皮を作る根性はない。特にふっくらふくれる、層になったやつなんか、ものすごい面倒だからね…。
 パイの下側ではなく、上だけ、パイをかぶせるというのでいいか、ときいたら、それでOKだというので、スーパーへパイ皮買いにいった。18センチ四方2枚で500円。たかっ。
 でもなあ…確かにパイ皮を自力で作ること考えたら、バターの代金と手間賃だけで500円は妥当だ。
 しかしあまりにも高い…。しょーがないので1枚をびろーんと伸ばして2枚分にしてみた。パイ皮に切れ目をいれるのってむずかしーい。くっついてしまった。まあ、つまり開いてればいいだろう、うん。というわけで、卵の黄身を塗って、オーブンへ。



 

うーん…200度は温度高すぎか…?うちのオーブンは小さいので、このお皿だと1つずつしか入らないんだよね。というわけで完成。ちなみにパイの白っぽいとこも、サクサクではないが、やけていないわけではなかったそうだ。
 食べながら、これ、マッシュポテト入ってたらパイ皮要らないかも、だって。
 うん…私もそう思うよ。


ちなみに私のはパイ皮なしで、チーズをのせてからそのまま焼いた。

食べてみたら、うん、おいしいポテトグラタンですね…という感じだった。ホワイトソースなしでもおいしいので、マッシュポテトが余ったとき作るかなあ。マッシュポテトって、フードプロセッサー使うと、結構多めに作ってもちょっと作っても手間は変わらないからなあ。
 思ったよりボリュームがあるので、これはグラタン皿でもっと小さめに作るか、パウンドケーキの型で作って、最後に3人で分けるのがいいのでは…ということになった。コテージパイというか、アメリカのキャセロール料理にはこういうのが多かった気が。
 パイ皮をのせるなら、ポテト部分いらない、と言われたけど、それは多分、ミートパイというんだと思う。どっちかだなあ。

 パイ皮をおいしそうに焼くのってむずかしいねえ。時々レストランにある、シチューとか、オニオンスープにパイ皮かけて焼いたのとか、いい色に焼けてるものなあ。ああいう風にするにはどうすればいいんだろう。

まあ、今回は「やってみて、そこそこうまくいった」でいいかな。



見知らぬスーパー

普段の買い物の場合、私が自転車をこぐのは大体、街の中心部に向かってだ。
中心部に近いほうにスーパーとか、商店街とかがある。

中心部から遠い方向は、車で出かけて隣の町まで行こうという人はともかく、自転車をこぐ人はかなり減る。
リサイクルショップがあるという話を聞いて、そこまで行こうと思ったのだけれど、リサイクルショップの手前に、スーパーらしきお店があった。

 中に入ると、業務スーパーみたいな感じというか、商品が段ボールのふたをあけただけですね、という状態で陳列されている。でも、業務スーパーのみたいな大袋とかじゃない、家のそばのスーパーで売っているのと同じ商品だ。ちょっと見て歩く。商品の種類は少ないが、値段が全然違う。
 賞味期限が長めのものが多いな…というか、そうか、魚と肉がないんだ。肉はハムとかソーセージとかの賞味期限の長いものだけ。普通のスーパーの魚売り場にありそうなものは全くなく、乾物売り場が結構充実している。

 味噌が、近所のスーパーと同じものでも100円ぐらい安い。328円が199円。おっと、これはすごい。
 ありがちな値段と底値の差は大概10円単位。40円、50円、70円ぐらいまではそこそこ見るが、3ケタは珍しい。
 それも「似たような感じ」ではなくて、同じブランドの、同じ商品だもんねえ…。

 108円で販売されているものが89円ぐらい、ということになっているのが多く、税を考えても1割ぐらいはどれもこれも違う。
 品ぞろえがよくないが、いつも決まったものを買うなら、これはなかなか、いい店ではないだろうか。

 調味料、乾物、飲み物、それからお菓子類。夫の大好きなおせんべいも、私の好きなチョコレートも2割ぐらい値段が違う。
3本入った3色団子も、近所のスーパーでは税込み106円といったところだが、ここでは75円ぐらい。

 ちょっと遠いけど、月に1度ぐらい来てもいいな。

 目的もなくうろうろすることがあんまりないので、この店のことは全然知らなかった。もうこの町に住んでずいぶんになるのになあ。
 かなり安かったのでいろいろ買って、自転車のかごがいっぱいになったのでリサイクルショップを見に行くのはあきらめて家に戻った。
 暖かくなったら、ちょっと見に行ったことのないあたりをうろついてみるのもいいかもしれない。

ポケモンタイピングのキーボードの代用品

ポケモンタイピングというDSソフトがある。キーボード付きで、ポケモンゲーム好きとしては買わずばなるめえ…というわけで2011年に5000円ぐらい出して買った。

 当時はまだbluetooth接続のキーボードは割と高かった。ソフト付きでこの値段なら、ゲームが終わったらiPadとかiPhoneでも使えるしな…ということで購入。このキーボード、軽いが、かなり頑丈だし、薄型の割にはクリック感もよく、まあ、手の大きい男性にはきつい、という意見もあったが、私にとっては過不足のないキーボードで、確かゲームも2時間ぐらいは遊んだ。

 ローマ字打ちで、「ふ」をHUと打つ指示があっても、「FU」も正解にしてくれたり、「ち」のときにTIではなくて「CHI」と打っても知らん顔で正解にしてくれたりと、癖を読んでくれるソフトで、いっそアルファベット出てこないほうが打ちやすいのでは…と思いながらしばらく遊んだ。

 一部遊んで「まあ、今更タイピングレッスンでもないよね」と思ってキーボードだけ使って、渡米する時もゲームソフトは持ってかなかったがキーボードは持って行った。

 そして今、積みゲーを遊んでしまおう、と思ったら…。キーボードがない。多分だけどアメリカにおいて来ちゃった可能性が高い。
 ううーむ。画面をタッチして遊べるようにもなっているんだけど、さすがにそれは意味がないよねえ。

というわけで、ネットでポケモンタイピングのキーボードは、他のもので代用できないのか?ということを調べてみた。
これが難航。

 ポケモンタイピングのキーボードを他の機器で便利に使っている人の記事ならたくさん出た。そうだよねえ、結構いいキーボードだもん…。一時は値崩れして2000円台になっていたこともあったぐらいだ、これが2000円?ありえない、と言うぐらい、いいキーボードだった。
最近は安いキーボードもあるけれども、数年前までは「いい選択肢」だったと思う。

 しかし逆は…?大体ゲームとしてはそれほどボリュームがあるわけでもなく、ゲームをクリアするだけなら絶対壊れないキーボード。任天堂の純正周辺機器は大体めちゃくちゃ丈夫なのだ。あんな大きいもの、なくす人もいないだろう。

 一応、「自己責任で」ほかのbluetoothのキーボードにもつながる「かもしれない」という話があるということは、わかった。
 ま、この手のものは家にいくつかはあるはずだ。

 1つは、無線キーボード。USBにドングルを差して、そこからキーボードに信号おくるやつだ。ちがう…これじゃなくて。
 もう1つはブルートゥースのFILCOというところのキーボード。うーん、多分CTRLとALTとFN同時押しだったりしそう?ランプが点滅するが、全然認識された気配もない。

 もう一度ネットを見直す。「ポケモンタイピング ペアリング」と検索かけたら、「起動時に、LRキーと十字キーの下を押すとペアリングを新規にするかどうか、という選択肢が出る」ということがわかった。

 あ?これか!というわけでLR下で立ち上げてみた。
 新しくペアリングをする、ということにして、FILCOのキーボードのCTRL、ALT、FNを同時押しにしてブルートゥースのランプを点滅させてみた。

 キーボードから4ケタの数字を打ち込んでください、とキーを要求された、ってことはペアリング成功!

遊びなおした。

私は一応よく使うキーは打ててるみたいだったけれど、長音符つまり、「-」が出てくると打ち間違いが増えることが分かった。これでもう一回練習しなおして更なる速さを目指すか!

というわけで、ポケモンタイピングのキーボードがないです!という人は、手持ちのブルートゥースキーボードがあったら試してみるのをおすすめ。お友達のを使って試させてもらってから買う、というのもありだと思う。ソフトだけのは安いし、ネットにあるタイピングソフトよりも自然にホームポジションが身につくようになっていると思う。

 息子もやりたいというのでやらせてみた。最近の子はタッチパネルに慣れていて、キーボードが打てない子が多いそうだけれども、PC使って文章書く機会はこれからもあるだろうし、打てて損はないものね。レポートだの、卒論だのということになってからタイピングの練習をするのもちょっとなあ、と思うので今のうちに。こういうものは自転車に乗ったり泳いだりするのと同じで一度覚えたら忘れないし、つまり「現代の教養」としてありだと思う。

 90年代だったかなあ…2000年になったばかりのころだっただろうか、ドリームキャストに、「Typing of the dead」というタイピングしてゾンビを倒すゲームがあった。アーケード版にもあって、アクションゲームは苦手だけどタイピングならばっちりだからいつか遊んでやろうと思ってたのだけれど、残念、果たせなかった。ポケモンタイピングでリベンジなるか。

英語圏以外の外国へ旅行した。

言葉の全然わからない国に旅行に行った。
大体、日本人の英語は使い物にならないと言われているが、かといって本当に使い物にならないか…というとそうでもなくて、例えば、Exit, Entrance, Juice, Sandwitch, Restaurant, Ticket…なんていう単語は見てわかる人が多い。少なくとも、どこが食べ物を食べられそうで、チケットはどこで買えて、入口出口はどこかな、ということがわかるわけだ。

が、今回の旅行先は英語圏ではなかった。文字も違う。

私はフランス語が全然わからないが、フランス語圏だと、少なくともアルファベットだし、英語がフランス語をある程度取り入れているという事情もあって、じーーーっと文章を見つめると、うっすらと意味が分かってくることもあったりする。だが今回は、何を見てもさっぱりだ。さすがにトイレのマークはわかった。男女が並んだマーク。あれだけは日本のともアメリカのとも同じだったけど、ほんと、わかるのはそれだけ!って感じ。

英語や、中国語が併記になっていることもあるが(特に観光施設)文字が小さい!それに、地名が、ただ単に音からアルファベット表記に直してあるだけ…ということも多くて、覚えられない。結局地図や路線図の地名表記で頼りになったのは中国語だった。覚えやすい。

しかし本当に、店の看板も読めない、バスの行き先表示、電車のホームの文字もほとんど全滅。心細いったらない。英語圏に旅行に行くことが多いので、英語表記をいかに頼りにしていたかが、よくわかった。

そして、英語もそれほど通じない。一応通じるけど、日本で英語が通じる程度というべきか。空港、ホテルは大丈夫だけど他が微妙。
マンゴーラテをカフェで頼んだ。お金を払おうとしたら、「そーじゃう」といわれた。

現地の言葉っぽい…。通じてないな、と思ったので、メニューの絵を指さしてみた。
もう一回、「そーじゃう」といわれた。「まんごーらて、そーじゃう」

!!
Sold out、だ。わかったー。「売り切れ」だー。
ストロベリー、キウイ、バナナもあったので、ストロベリーを指さすと、にこにこうなずいて、会計してくれた。おけー。

「う」「お」の中間ぐらいのすごく微妙な音だった。そーじゃお?そーじゃう?
店員さんと顔を見合わせて、にっこりして帰ってきた。通じた。お互い、英語が母国語でない者同士、通じるとうれしいね。

でも、今度からは、現地の言葉で、「レストラン」「カフェ」「入口」「出口」「乗り換え」「チケット」「トイレはどこですか」「支払いはどこでしますか」「ここへいきたいです」ぐらいは調べてから旅行しよう、と思った。

ちなみに、現地の人に案内してもらった日もあったのだけれど、現地語ばっかりで、残念なことに全然文字が読めなくて、大変だ、という話をしたら、その人が言うには、どこへ行っても英語表記が増えて、外国かぶれだ、という文句もあるのだそうで、笑っていた。外人さんにしてみれば、まだまだ足りないんだねえ、と。

贈答用のいちご

いちごをもらった。宅急便で届いたそのいちごは、写真のようなケースに1つずつわけてトレイに盛られているというもので、とても大きかった。

 比較用に10円玉でも一緒に写せばよかったなあ(忘れた)。
 絶対一口では食べられないようなとても大きないちごで、洗わないでくださいという注意と、冷蔵庫に入れず、すずしいところにおいてくれ、という注意が書いてあった。

 多分出荷する前に誰かが一つずつ洗って、きれいにトレイに並べているのだろう。この季節には、北側の部屋や、廊下はとても寒くなるので、冷蔵庫ほどではないが、十分寒い場所に置いておいて、みんなでデザートに食べた。

 実に素晴らしいいちごだった。味が濃くて甘ずっぱくて、イチゴはこうでなきゃあという感じ。
 人手がかかっているのがよくわかるいちごだった。

 温室で育てて、1つずつ洗って拭いてトレイに並べて、バブルラップで保護されて送り出されるその手間を思うと、高いだろうなあ…とお値段ばっかり気になって。

 いちごのシーズンは5月か、6月か…。12の月の物語というのを思い出した。
 森の中には神様が12人いて、それぞれの月をつかさどっている。貧しい娘が雪割草を探してこい、と雪の中を12月に外へ追いやられたときにその神様たちに出会って、3月の神様が魔法を使ってくれる。

 その場所が、とても短い時間だけ3月になって、雪割草が手に入る…というような。子供の頃に人形劇を見たなあ…。
確か、教育テレビのお話の番組にもあった気がする。

 真っ赤なイチゴ。
 今、ここにちょっとだけ、美しい五月が現れた気がした。

ポケモンドーナッツ(今更)

今更だけど見られない場合は画像のリンク切れです【ポケモンドーナッツ】を食べた。

 ポケモンのマグカップもついでに1つゲット。(写真撮るの忘れた)12月に始まったばっかりの時は、「おひとり様1つ限り」とかだったり、売り切れました、となっていたりでなかなか買えなかったのだが、さすがに一度食べたら気が済んで、例えば一緒に売っているおもちゃは1カ月に1回切り替わるとしても、3回食べればいいだろうし…と思うとすいているのも不思議ではない。

 かわいい。これは確かにかわいい。ピカチュウの方はバナナ風味、ボールはイチゴ風味だったが、なんかこう、バナナ味のチョココーティングが、結構くどい。アメリカのカップケーキを思わせる味だ。

 息子は半分でギブ。私と夫で「もったいないから」と残りを食べた。
 うーん…ポケモンGOは遊んでるし、私は基本ポケモンファンだが、このドーナツは1回でいいなあ。
 
 次になにか面白い形のドーナッツが出たら多分また食べるんだけど(私はこういう新しいものが好きだ)、やっぱりこれは、「うわあ、かわいいねえ」といって買って、「わははは!バナナ味だ!味は今一つだねえ」と、親しい人と笑いながら食べるのがいいものだと思う。

 しかし…無理してバナナにしなくても普通のチョコ味でよかったんでは。においだけはぷんぷんするけど、本物のバナナとの味の違いはよくわかる感じ。合成!というにおいだった。やっぱりアメリカのお菓子と似てる。
 黄色っぽいケーキ生地で作って、甘さは控えめでほっぺにはこれと同じ丸い糖衣チョコがのっているのとかがいいなあ。

 ポケボールも、別に赤白じゃなくて、ピンクと白ぐらいで十分じゃないか?
 ふんわりしたケーキドーナツに、厚紙でポケボールのボタン部分と上下がわかれる線をいれるぐらいで、厚紙とったら普通においしい、というのがいいなあ。

 やっぱりドーナツは味でしょう…。
 今度は、ポンデリングとか、フレンチクルーラー、食べようね!と夫と約束した。



おいしいビスケット

マイクロビオティックという言葉は、多分十数年は前から、聞いたことがあった。英語の発音だとこれは「マイクロバイオティック」みたいなので、日本風にカナにするのなら、ミクロビオティック、となるべきなんじゃ、と思うのだけど、なぜか「マイクロ」のほうはしっかり英語読みで、なぜかbioticの方はローマ字読みで「ビオティック」なのが謎だ。
 これの略語は「マクロビ」らしい。うーん…いかにも日本風の四字略語になるとしたら、「マイビオ」となるはずなのにどうしてそうなったのかはわからない。
 大体、マイクロ=microは、とても小さいという意味がある。日本語では最初は、「ミクロ」という読み方で入ってきていて、「ミクロの決死圏」なんていう映画の題名になっていたり、「ミクロマン」というテレビのシリーズがあったり…。
 で、マクロ=macroの方は、大きい、という意味を付与するので、全く逆の意味になるのに、この単語、英語で書くとしたらmicro-bioticだと思うんだけどこれが訳した時「マクロビ」ってことはmacro-biotic、みたいになるのはなぜだ!もやもやする。

 まあ、それは日本でこの話をするときには通じるのだからいいとしておいて。
 大体、私はこのマクロビというのが嫌いだった。
 最初見たときはそういうレストランが近隣に出来た時だった。
 シンプルを気取った、白い壁に木目そのままみたいなインテリアのレストランで、小さい器に、ひとくちぶん…?みたいな量が出される、ベジタリアン間違いなしとしか言いようがない料理で、妙に味が薄い、粒食みたいなのが多くて、キヌアだとか、そばの実だとか、ボリュームがなく、小鳥の餌か、米と小麦のアレルギーがあったらこういう感じか…という感想が頭に浮かぶほど。
 なおかつ、ランチだけで1500円で済めばマシ、2000円越えなんていうのを食べた時だ。
 けっ。何が自然派、マイクロビオティックだ。と思ったものだ。

 本当に自然なものしか食べないというようなことをする人もあるというのは知っている。よくあるveganだけでなく、火を使わないという制限をいれる人もいて、生のナッツと、野菜と果物しか食べず、砂糖を取らず、塩も最低限、ミルクも飲まないし、卵も食べない、穀物と豆類は熱をかけないと食べられないものが多いので、自然の中で生きていくしかなかった縄文以前の人間でももっと効率的にエネルギーを取っているだろう…というような食事をする人だ。欧米圏で定期的にブームが起きては終息するので知識としてはある。ビタミン不足に陥りやすいし、人間が動物の一種であるということを忘れているんでは…と思う時がある。


 イギリスの村の生活を書いた本を読むと、やたらとビスケットとお茶が出てくる。朝ごはんに食べている人もいれば、夜寝る前にココアと…という人もいるし、お茶の時間に食べる人もいる。そのビスケットが、おいしそうなんだな…。
 調べると、乾燥フルーツが入ったビスケットとか、いろいろな穀物が入った二度焼きだったりとか…。

 果物入りのビスケットということは、東ハトのオールレーズンみたいなやつかなあ…などと思っていたのだけれど、今日スーパーで衝動買いしたこれ、見られない場合は画像のリンク切れです【マクロビ派ビスケット】これが、それっぽかった。
 アーモンド、カボチャの種、ヒマワリの種、オーツ麦、玄米フレーク、それからクランベリーが入っているそうだ。

 マクロビはどうでもいいけど、このビスケット、それほど甘くなく、上品な味で、かみしめるとなんともいい味だ。
 旅行…じゃないな。「旅」だ。旅の携行食に出そうな味だ。物語で主人公が旅に出るときに、持っていく。

 いろいろなものが入っていて、ひとくち食べると木の実の味。もうひとくち食べると果物の味がしました。
 

…と書いてあるようなビスケットだ。森の中で小さな焚火をして、お茶を沸かして、金属のカップでお茶を飲み、このビスケットを惜しみながら一つかみしめた主人公は元気が出て、口笛なんか吹きながら遠くへまた歩いていく。そんなビスケット。

 いい味だった。もう一袋買おう。朝ごはんに食べるといい感じ。
 ただ、シリアルバーにありがちな、べとべとした感じはしない。さっくりしたミニバーといった風情で、歯ざわりもいい。
 クランベリーだけじゃなくて、リンゴとかブルーベリーとかもあったらいいかなあ。

  ココアの方は実は全然試してないけど、なんとなく味が想像できるので、こっちだけでいいかなー。ココアがたくさん入っていると素材の味がしなくなりそうかも。いや、でも一度は試すべきか。
 どっちにしろ、なくならないうちに飽きるまで食べたい味だった。
 


千羽鶴早折り

息子が学校行事で千羽鶴を折るといっていたので思い出した。

私の中学校は修学旅行先が広島だった。平和学習というやつで、まあ、近隣ではありがちな行先だった。
実は千羽鶴というのは、始末に困るという話は大人になってから知ったが、当時は平和記念碑の前で千羽鶴をおいて黙祷をささげる儀式というのは広島の修学旅行では当然することになっていた。

 千羽鶴の由来の、病気の女の子が薬の包み紙で一羽ずつ鶴を折り、回復を祈った話も学校で事前学習した覚えがある。

 千羽鶴というのは名前の通り1000個折って出来上がりということになっているので、千羽折るわけだが、これが結構多い。
まだ昭和の時代だったのでクラスメイトは40名強いたはずだが、100羽なら2匹ちょっとでよくても1000羽となると頭数割にすると25羽。
 女の子は大抵折れたが、男子には折れない子もいた。
 「なー。俺の分折ってくれないかー?」と情けない顔で頼まれること数回。
 
私は折り紙が案外好きだったが、割と単純で同じものを何十回となるとつらい。大体クラブの先輩の卒業に千羽鶴を贈るというしきたりがあったので、中学校1年生の時、5人で4000羽折るという苦行にいそしんだ記憶も新しかった。
 ちなみに、一学年上の先輩たちは、「俺たちが出るときには千羽鶴なんかいらないから」と念を押してくれるような人だったので助かったが、結局クラスメイトの千羽鶴をだいぶ手伝うことになったものだ。

これはラチがあかないな…と思った私は、大勢で鶴を折る時の方法を教えて、早折りすることにした。

 いうなれば、家内制手工業型、というのだろうか。
 折り方の工程を1つずつに分けて、一動作だけをやる。
 工程1:全ての折り紙を半分に折る。
 工程2:全部半分になったら、それを半分に折って折り目をつける
 工程3:角のフラップを真ん中の線に合わせて折る
 
…とか、一つだけをやると、折り紙が下手な男子でも貢献出来る。この方法は人数が肝なのだ。
さすがに中学生になって折り紙を折り目にあわせたり、端に合わせたりしてきっちり折るのが出来ない生徒はいなかった。

 同じ作業だけをやると速度もあがる。
 出来上がった半製品を置いておく場所はいるが、大勢でやると、意外と早く片付くもので、一羽ずつ折っていたクラスよりも早く仕上がった。

 隣のクラスの先生が「心がこもっていない」と怒っていたらしいが、正直戦争はないほうがいいのも、原爆がなくなったほうがいいのも、一瞬で命を奪われた人が気の毒なのも、その人たちを悼み、日常に感謝しましょうということもわかってはいても、そこはやっぱり鶴を折っている時間がクラブの時間に食い込めば遅刻で怒られてグラウンド10周、なんていうことのほうがずっと実感として迫ってくる中学生としては、さっさと準備を終わらせてしまうことのほうが優先だった。

 確か家庭科クラブのメンバーだったクラスメイトが、出来た鶴を100羽ずつ糸に通してくれた。きれいにまとめるためには、鶴の頭は折らない。両方しっぽという状態になるのだけれど、それを見ながら、「頭がないなんて、鶴じゃないよなあ」とつぶやいていたクラスメイトに全員ふきだした。

 どんなことにも、ゲラゲラ笑える年齢だった。
 鶴を早く折る方法、なんて多分もう一生要らない知識だと思う。
 でも当時は、「なかなかすごい」と思われる知恵だったんだよね。こういう役に立たないようなことはいっぱい知ってるんだけどな。

 

たとえば、鶴を折る時、最初に三角に折って、それをもう一度半分に折って開くより、正方形から長方形になるように真っ二つに折ってスタートするほうががきれいに出来るとか。ちなみにこれはエヒメ紙工という会社の折り紙のパッケージの裏側の図。こっちがスタンダードになるべきだよね、と思うぐらい差が出る。



 こういう要らない知識って、お金になるわけでなし、今から役に立つわけでもなし…。
でも、ブログのネタにはなった。

いちごのワイン

見られない場合は画像のリンク切れです【いちごのワイン】をスーパーでみかけて、なんとなく買った。
 夫は「あまっ」と苦笑していたが、私は好きな味だ。
私は普段、あんまりお酒を飲まない。なぜか…というと、つまりごはんの片づけをするのが嫌になるから。
夕食に晩酌する人も多いのは知っているのだけれど、私はお酒がそれほど強くないので、酔ってしまうとなんとなく気だるくなって、ぼーっとPC見たり、本を読んだりするのにはよくても、片づけものとか掃除とかをする気が減る魔法がかかっている…という感じになる。

 夫は私が飲んでいるからといって、片づけを引き受けてくれるというようなことはないし、片づけないで寝るのは嫌なので、お酒はなあ、となるというわけだ。

 いちごワインの味は好きだ。しかしあんまり酔いたくない。
 そう思ったときふと、一人暮らしの時、自分で作っていた飲み物を思い出した。ワインを沸騰させてアルコールを飛ばして、レモンと砂糖を入れた飲み物は、気を付けて換気扇をかけないとガス警報器がなることがあるのが注意点だったが、あれは冬の夜にあったかいのを飲むのがよかったなあ…。そうだ、砂糖じゃなくてハチミツいれたこともあった。

 いちごワインを100mlぐらい鍋に入れて、沸騰させてしばらく弱火にしてから、熱々のをそのまま飲んだ。甘いワインだったので何も入れなくてもおいしかった。アルコールは飛んでいるので酔わないし、夫は「もったいない」と言っていたが、ノンアルコールの飲み物だって高い昨今なんだから、いいと思うんだけど。
 
 嗜好品なんだからねえ…。好きに飲めばオッケーさあ。ちなみにお値段は500mlで500円ぐらいだった。

 アルコールがちょーっとだけ残っていたかもしれない感じに体がポカポカしたけど、酔った、とわかるほどではなかった。

 サッポロビールのサイトを見ると、梅とか桃とかもあるっぽい。
 味だけを楽しむ飲み物があってもいいよね。絶対いちごジュースとは違う味だし、イチゴのリキュールとかカクテルとかとも違う味だったし、満足した。

 これでゼリー作っても、とてもおいしいだろうなあ。軽く崩して、イチゴにかけたら絶対おいしい。「ジュレ」とかいうんだよね、そういう風になってるの。確か街のフランス料理店に、そういうのをムースの上にかけたのとか出すところがあった。

 あと果物のお酒の甘くて軽いの…という点では、リンゴ味のシードルとかああいうのと同じ感じに私の中では分類された。
デザートの時でてくるお酒ってこういう味だよね。
 あんまりお酒に詳しくないから、こうだ、とは言えないけど、食前にちっちゃいグラスでこういう甘いお酒、出してくれるところがあったような…。
 20mlあるかな?ぐらいの量で、甘くてフルーツっぽいのとかお花っぽい香りのするお酒が出てくるの、あれ、なんていうんだろう。
結構アルコールが強いものだった気がする。外食する時は自分で片付けなくていいので飲むけど、ああいうものをちょっと家に置いておくのもいいなあ…。

 アルコールが強いものならダメにならずに長くとっておけるし。でも多分今日飲んだこれは、普通のワインと同じぐらいのアルコール量だろうから、早めに飲もう。

 でも確かに、たまに買うぐらいにしておかないと、お酒はソフトドリンクより高いな。
 ペットボトルのお茶ならこの量だと値段5分の1だもんねえ。
 
 


中受とお金

2月の頭から始まる中学入試も終わって、いろいろな話を聞く。どれにも、よかったねえ、とか、残念だったけど、この学校もいいよね、とか無難な返事を返しながら、私もため息が出る。

 学校に入るためにいくら使ったか…というような話は割とポピュラーな話題なのだ。

 たとえば、6年生をひとり塾に通わせるとすると、トップクラスの「御三家」とか通称がついていたりするような学校とかを目指すクラスだと1カ月8万円から10万円。まあ、中堅クラス(うちはこのあたり)を狙うにしろ5万円。それから春期講習、夏期講習、冬期講習がそれぞれ2週間15万円ずつ…となると、中堅クラスでも100万じゃあきかない。トップのクラスだと150万弱から200万ぐらいはかかってしまう。

 うちも予算は組んだことは組んだし、夫は大丈夫だといってくれているので100万円ぐらいは心づもりをしているが、学年が上の人の話を聞いているとなんとなーく見えてくるものがある。
 塾の先生も、もちろん商売だというのはあるんだろうけど、大体トップのいくつかの学校に入れる人数はきっちり決まっているのに、「行けるから狙いましょう」と言われる人数がその100倍ぐらいいそうな感じなのだ。塾は一つじゃない、有名なところだけでもいくつかあるんだから、そこでトップクラスに入っている子の数を足したら、多分最終受け入れ人数の100倍ぐらいいると思う。
 
 トップ準備クラスと、中堅準備クラスでは月謝に10万円と5万円の差がある。10万円クラスの子が多いほうが儲かるわけだ。親だってそりゃあ、自分の子が頭がいいですと言われればうれしいし、何とか押し込みます、と言われるよりは「がんばればチャレンジ圏内です」と言われるほうが耳あたりがいいだろう。
 でもなー。多分経験豊富な先生だと、ある程度までの子は頑張っても入れないのがわかっているような気がしてならない。

 一応、「どこかに」は入れるようにしてくれるという話もあるが、人口の多い地域だと学校はピンからキリまでどっさりある。下の方の学校だと去年の1年生が男子5人、女子4人、なんていう学校もあるのだ。そりゃ…どこでもいいけど私立にというのなら、どこかには入れる感じだし、多分そういう少人数の学校で手厚く勉強を見ることが出来ればきっと子供はぐっと伸びるだろうというのもわかる。
 でもそういう学校に行く子供たちは下位クラスの子たちで、それほど授業も問題も厳しくない。それなりにやっておけば…という感じになるので、時間も短め、科目も基本国算…または算数一科目とか、英語一科目とかの特殊受験があったりする。

 問題なのは上位クラスのお子さんたちで、夏休みには朝から晩までお弁当2つもって、毎日長時間通って、冬期講習は朝9時から夜の7時なんていうスケジュール、ついでに夜中まで宿題やって、そういう特別講習がない日でも塾のない日は塾の問題を解説する家庭教師まで雇って使った金額は200万円より多く…。
 強烈な話だ。

 それで結局のところ、トップの学校に受からず、二番手に合格、親子でがっくり…なんていう悲劇も聞くと、12歳には過酷だよなあ…。大体、12歳なんてこれから伸びる子もあるだろうし…と思うのだけれど、今受かっておくことが、偏差値の高い学校に行くことが大事なのだ、と教え込んでガンガン勉強させるという話を聞くと、「うちは無理しなくていいや」という気分がしてくる。

 ちなみに夫は成績がいいと言われるようになったのは中学校2、3年ぐらいの時で、高校受験の時にトップ校を狙っていたのに数学でうっかりミスをして、滑り止めの私学に行ったそうだ。息子を見ていると、納得がいく。
 
 うっかりミスをつぶす能力は、今の息子にはない。問題文をちゃんと読んで答えるという能力も、必要分の半分ぐらいしかない感じ。「それでも受かる」学校を選んでおくのが正解だろう。女の子ならなあ…。問題文を読む力とか、塾で教わった通りきれいに式を書き、間違わないように答えを導く力がある子が多いんだけどなあ。

 ママ友4人でお茶をしたときの話。
友達のお子さんの女の子、息子と同じ年だが、模擬テストが終わったら、テストの答案と答えを持ち帰り、「お母さんは見ないで!」と部屋にこもって自己採点して、「できなかった問題がある、志望校に受からなかったらどうしよう」とさめざめと泣いていたそうだ。

 それを聞いた残り3人の子どもは全員息子。
 「自己採点!ありえない!すごすぎる!」と3人で感心。

塾から答えをもらって帰ってきてね、というのさえ微妙なのだ。カバンに入っていれば御の字。
自分で採点して、出来ていないところをチェックして…なんて全然やってくれない。(ちなみにうちも、友達のところも、親がやる)そして、男子は全員自分は受かる気満々だ。「オレ、がんばったよねー!」と。

 まあ…お友達の娘さんはがんばりやさんだと幼稚園の頃から評判だったお子さんなので、ちょっとよく出来すぎかもしれないが、その男女差ったら。
 
 教育費と、塾の甘言。プレッシャーと、変な自信。これはなかなかに難しくて、そして一回限り。
 100万、200万出す価値があるのかどうか…。

 そしてふと気づくと、200万出したところで、入学さえしていないという…。
入学から6年分のお金もいるんだよねえ…。

 そりゃあ教育格差も出るよねえ!高校終わりまでで500万では済まないかもしれないのだ。最近は小学校3年生から塾だって珍しくはない。3年生は週に2コマずつの国算で12000円、4年生15000円、5年生だと国算で25000円…。と、一体どういう計算になってるの?一学年上がっただけでどうしてこんなに、と思う値段になっていることも多い。

難関向け国算の特別授業が週末に朝から晩まで組まれていたり、難関理科コースと難関社会コースは通常コースより値段が高いとかも、もちろんある。全部取ったら12万円?直前特訓までいれたら、20万円コースもあるらしい(これは聞いただけ。多分最難関向けの特殊な塾だと思う)。大体の目安は、「超難関でないならば、3年間で250万円ぐらい」らしい。
 何度も書くけど、入学前で250万。はあ…ため息が出る。

今、高卒は3割以下だというからねえ。
 短大も少子化で減っているが、大学または専門学校に何年かやるとなると本気で一千万円コース。
予備校だ、浪人だ…そして私立の大学となると、二千万とか言われるとくらくらする。

子ども3人産むのはうらやましい。うちみたいに一人っ子だとわがままになると何度言われたことだろうか。
 でも…正直なところ、3人いたら本人がいくら望んでも、私立の学校はなあ…となると思う。
2人でも相当きつい感じになるだろう。

 母親1人でお子さん2人を大学にやった、という人も知ってはいるが、改めてすごいことなんだなあ…と思った。
 

結婚生活の波乱万丈

正確には何年だか覚えていないが、多分25年ぶりに、友人と会う機会があった。
昔は仲が良かったのだが、25年も会わなかったその理由というのは、その人が結婚した人が、「18歳だったか19歳だったかの私が目も合わせたくない、挨拶すらしない」ぐらい仲が悪い人だったからだ。

 確か、最近その人とお付き合いをしている、と聞いたとき、私はかなり真剣に、その男は信用ならないと私は思っているので、結婚はやめたほうがいいと思う。とはっきり彼女に言った覚えもあるが、彼女は「早く結婚して落ち着きたいから、いいの」というようなことを言って、結婚してしまったのだ。かなり早い結婚だった。

 新郎と仲が悪いものだから、結婚式にも行かなかった。数年たって私が結婚、渡米して疎遠になった。共通の友達を通じて連絡をつけなおして、会うことになったのが、25年も経った今回だった。

 噂だけは聞いていた。新郎が(やっぱり)すぐ浮気したこと。ごたごたした離婚。多分再婚で、また何人か子供がいるとか…。
 実際一緒にゆっくり話してみたら、なんだかすごかった。

 バブルの香りのする300万円のダイヤの結婚指輪はローンで、結婚後発覚し、家計を管理しながら自分で払うことになったという、なんじゃそら!な話にスタート。2人目妊娠途中の浮気で、結果として略奪され、子どもは置いていけ、と言われて離婚。
 子どもの虐待がわかって引き取り…と思ったら、略奪婚をした浮気相手がまともに家事が出来ず、帰ってきてくれと言われた話(断ったよね?と思わず聞き返した。断ったそうだ)。
 ちなみに、300万円もした結婚指輪は、買取価格は30万円だったとか…。

 再婚と、子どもを2回目の結婚で3人(つまり合計5人)。再婚相手はかなり年上の人で、バブル時代を経験した人だったので、給料は手取りで50万ぐらいないと、「これは俺の仕事じゃねえ」とやめてくるという話。働いている彼女が21時に帰ってきたら、ゲーム三昧、ネット三昧のくせに「俺の飯は?」と言う話。
 配偶者の浪費と生活の困窮(だろうね…)、15年の結婚生活とDV。

 やむなく協議離婚、子どもを施設に預けて、ホテルの調理場で働いて修行して、調理師免許を取った話。
 子どもを手元に置けるようになって、バリバリ働き続けて、今もう、一番下のお子さんが高校生。

 波乱万丈だねえ…。で、今の職場は割といいところで、調理師として大事にされ、一日実質7時間時間労働、残業代も出るらしく、古いマンションを職場のそばに見つけて即金で買い、手取りが20万円ぐらいだが、家賃がないせいもあって、なんとかやっていけている…というしめくくりだった。

 …なぜそんな人と15年も一緒にいることになったのか…とつい聞いてしまったが、一人目の人よりはいい人だったんだもの…と。
 私は今現在でもその一人目の人は嫌いだな、と思っているので、「あれよりひどい人ってのもいるとも思えないね」なんて辛口の相槌を打ちながら、話を聞いてきたのだが、まー、出るエピソードの一つ一つが、テレビドラマの脚本みたいなひどさ。もう悪乗りして面白くなってくるぐらい、「まさか本当のこととは思えないような」ことばっかりだった。

 ホテルの調理場の話も興味深かった。100パーセントオレンジジュースのパックを30本と水を混ぜて、白ワインとレモン汁をたくさん入れて、砂糖をキロ単位入れて作る、びっくりするぐらい大量のビュッフェのオレンジゼリーの話…なんていうのは、そうそう聞ける話ではない。ドキュメンタリー番組のようだった。

 私の結婚相手の話とか、結婚してからの話とか、子どもの話とかもして、彼女はとてもうらやましいと言っていたが、なんせ浮き沈みのない結婚生活をしているものだから、迫力不足この上ない。
 お金の管理は夫がしているというのも、「それでごはん食べるのに困らないぐらいなんでしょう?いいじゃないのー」と。彼女の歴代の夫たちは、そんなことをしたらごはんも食べられなくなるような人たちだったらしい。ついでにいうと、消費者金融で借金だってしてきたし、督促状にも、「ないものが払えるわけないだろう」といって、無視するような人たちだったのだとか。
 当時ローンを払っていた家は結局競売にかかったらしい。

 正直、お子さんだけさっさと引き取って、旦那だけぱぱっと捨てておいたらもっと生活が楽だったのではと思わざるを得ない。
 一人でいるよりも、結婚するのが幸せなのだと思っていた。さっさと幸せになりたくて結婚したのよ、というのは彼女の本音なのだろう。でも、相手がよくなかったよね、それは…。

 もともと頭だって切れるほうだったし、仕事の手が早いと言われて、期間限定のアルバイトの時は、友達同士でバイトにいっても、彼女だけは、常勤にならないか、もっときてくれ、と言われるような子だった。もちろん家事も万能、料理上手で、調理師免許がない時だってどんな調理のアルバイトだってほとんど練習なしでつとまっただろう。つまり…基本スペックが高いのだ。
 彼女ならもっともっといい人と結婚出来たかもな、と思う。
 
 調理師免許が取れてよかった。彼女ならもう、食いはぐれないだろう。しかし…相手の男性たちは経済DVもそうだし、暴力振るうしでクズだと思う。少なくとも共同生活も成り立っていないし、搾取と浪費で奥さんと子どもがろくなもの食べてないのにカツカレーに特大のカツが2枚のってないと(それも手作り)殴りかかってくるような話を聞くと、よくぞ生き延びたと思う。
私がラッキーな結婚をしたという意見にも賛成だ。ただのラッキーみたいな言い方をされても、腹も立たなかった。彼女には私をうらやましがる権利があるよなあ…と思えるぐらい、ひどい結婚生活だった。
 私もうっかり、「だから(あの時)いったじゃないのさー」とツッコミを入れてしまったぐらいだが、彼女も、ほんと、そうだよね、と合わせてくれたので、やっぱり彼女と話すのはいいな、と思った。ふるい友達というのは、そうそう増やすわけにもいかないものだからね…今回つながりなおしてよかった。

 なんだか長編映画を数本一気に見たような一日だった。

巨乳とステレオタイプ

金髪の女性は、馬鹿だと言われるという話を聞かせてくれたのは、アメリカにいたときのお友達、メラニーだ。
 彼女は、いろいろな髪の毛の色があるアメリカが、私にとっては珍しいことを聞き、どれが地毛の色で、どれが染めているか見分けがつかないという私の話を聞いて、見分け方を教えてくれた。

 目の色と髪の色と皮膚の色はある程度関連性があることや、髪の色はいろいろあるようでも、その時アメリカで流行っていたらしい、あずき色みたいな色の髪は自然にはないこと、髪の色が薄い場合は紫外線で脱色してきて髪の色が均一にならない人があること、それからその時話していたかなり広い大学のカフェテリアでも、たった一人しかいなかった明るいオレンジ色の髪は、「多分本物」で、それが自然な髪の色の赤さの限界だろうことなども。
 実はその時、てっきり「赤毛のアン」の赤毛は、赤っぽい色なのだと思っていて、つまりそのあずき色っぽい色がもっと赤っぽくなったのを想像していたのだが、実は赤毛の「赤」はオレンジ色なのだね、ということを初めて目の当たりにした。
 
 そりゃ…アンが「にんじん!」とからかわれたときに怒るわけだ。本当にニンジンの色なんだ…。と初めて、実感がこもったぐらいだ。メラニーの髪は、明るいあずき色だったのだが、つまりこれは染めていて…と説明して、目を閉じてまつげを見せてくれた。
 眉毛は引くけれども、まつげは地毛の色だとわかりやすい人も多いのだとか。

 それは見事な金色だった。えー。金髪って、いいことになってるんじゃないの?
 髪の毛が金髪というだけで女の子はかわいさ倍増扱い、大草原の小さな家のローラも姉の金髪をうらやましがっているし、金髪でカールしていて、目が青い女の子は得だと言われている少女小説は多い。

 でもメラニーによると、「ブロンドの女は頭も悪いと思われているのよ」らしい。つまり尻が軽くて身持ちが悪く、頭がよくないと。
ついでに言うと、胸が大きいのもバカと思われるのだそうで、金髪で巨乳となるとそれだけでセクシーでセックスのことばっかり考えているような女と思われるらしい。

 ブルネット(黒髪)だと、そんなこと思われなくてもいいのに。それとピンクの服が着られるのよねえ…。と私の黒髪をうらやましがってくれた。子どもの頃、ピンクの服が着たかったのに、赤みがかったブロンド(ケンカの時には赤毛、と罵られるそうだ)にはピンクは絶対だめで、青や緑系の服が多くて、幼児だったころは自分がピンクの服を着た絵ばっかり描いていたという話に、アンがピンクの服にあこがれるというのは、きっと欧米文化圏ではよくわかる話だったんだろうと納得した。

 そんな話をふと思い出したのは、久しぶりに会った友達が、当時…というか、多分今も巨乳な人だから。
彼女は当時、ABCDEFGHIJK…みたいなカップのブラをしているという話だった。ワコールのブラの限界がそのあたりで、これ以上大きくなったらどうしよう、という話題があったのを覚えている。

 私の方はと言うと、全然で「彼氏に大きくしてもらえ」などと言われたこともあったが、付き合う人が出来たところで急に大きくなったというような魔法もかからなかったし、さらに言うと子どもを産んでも、授乳中でも、それほど大きくはならなかった。まあ、チンパンジーとか、ニホンザルとかが授乳中だけ巨乳になったという話も聞かないから、私にとってはこれが自然だったのだろう。大きくならない人もいるのだ。

 これがね…ティーンの後半から、20代前半、私にその友達は言うのだ。
「小さいほうがいいよ、かわいいし!」
「かわいいワンピースがよく似合うよ、私なんか、胸が入らないから、着たくても着られないんだよ?」

…ちぇ。そんなこと言われても、ちーーーーっともうれしくなかった。正直あてこすりにしか聞こえなかった。
まあ、かわいいワンピースなどは時々、意地になって特にそういうブランドのやつを着たけど!!
(Cぐらいまでのカップの人にしか似合わないというか、入らないワンピ―スを売るブランドは確かにあった)

 で…25年経って、話をしたときにいろいろな波乱万丈な話を聞くと、うっすらと見えてくる。
彼女は別に、自分がセクシーだと思われたい、というような願望はなかった。ただ、周りが普通にしていても、「ヤれそう」だと思って、そういう風に声をかけたら喜んで付いてくるような女なのだという見られ方をすることが多かったらしい…と。

 つまり、じゃあ、飲みにでも行こうか、なんて20代なら初対面でもそういう話はないでもないが、私の場合はじゃあ、またね、駅まで送るよ、とか、タクシーに乗せてもらって帰って終了な話でも、彼女の場合は、ホテルへと連れ込まれそうになってしまって、拒むと、「なんでだよ」と相手が怒りだすようなことがよく起きたらしい。「飲みに誘われてついてきたってことは、お前だってその気があるんだろう」と。

 …うーん。そりゃないだろー?と思うが、酔い始めた彼女の話を聞くとそういうことらしい。胸が大きいと自動でセクシーに見えちゃうというのも、全然、いいことじゃないんだなあ、というのは今更だけど、わかった。

 多分酔っているからだろう、まこみたいな結婚がしたかった、うらやましい、と何度か繰り返す彼女の話を聞きながら、引く手数多でいろいろな人とそういう噂があった彼女を、もてるというのは、すごいけど、なんだか遠い世界だな、とそういう話から遠ざかるようにしていた私は、恋愛経験値が低いというのも、当時は気後れしたけど、経験値があがるのもいいことばかりではなかったのか…と20年以上も前の感情を蒸し返したのだった。

 ステレオイプって、ひどいよね。胸が大きいだけであいつはバカだとか考えている男たちのほうがよっぽど馬鹿よ、と、プラスチックトレイのサンドイッチの前で怒っていたメラニー。
 このブログの宣伝に出る胸が大きくなるという薬(多分効き目はない。害もないだろうけど)の広告とか、セクシーなことを前面に押し出す、胸が半分も見えるようなコミックスの宣伝。ああいうコミックスを見て、想像力をたくましくしてから、本物の女性の巨乳を見ると、なんだかへんてこなことになるんだろうなあ…。

 そういうことを考える男性は、かなりバカだろうとは思うものの、小学生の息子の思考を見ていると、これが大きくなったら突然変異する感じでもない…と思うと、一定数は…出るよね、そうだよね、そうそう急に賢くなんかならないよね!!少年の心、と言えば聞こえはいいが、つまり…、子供のように単純おバカなところが残ってるということだ。

 うちも息子だしなあ。…途中で教えたほうがいいよね、夫に協力してもらって。
 胸が小さかろうが、大きかろうが、女性は飲みに来てくれたからと言って、そういうことに合意を示したわけではありません、そういうところへ持ち込もうというときはもっともっと手順が…それも正しいものが必要なのだと。
 日本の性教育って、割と抜けているところ多いからね…。そういうコンテンツだけはネットにたくさんあるけど、あんなロケット砲弾みたいな胸の人、人間にはいないから!

 「数年のうちに夫に要相談」とか心の片隅にメモしながら、ちょっと自分の反応に笑えた。
 私も、すっかり親業が板についたなあ。

 彼女との思い出は、とても若いころの物しかないから、それはそれでとても面白かった。自分の中に、まだこんなことを考えるところが残っていたのだ、というのはちょっと驚きの体験だった。

 今日は家で洗濯、掃除、調理。いつもの生活だ。彼女ほど家事の腕はないし、料理も上手くない。でも…彼は私を選んで結婚してくれて、毎日働いて稼いでくれている。
 こんな話をしたんだ、と打ち明けて、彼に改めて結婚してよかった、と告げた私に、彼は、「そう?」とちょっと嬉しそうだった。
 

タバコを吸う人が減ったなあ。

最近、たばこを吸う人が減ったな…と思う。
近所のママ友さんとランチをする機会があった。このお店ね?と言われたお店は、実は息子が幼稚園だったときのママ友さんと一度使ったことがあったお店で、分煙がいい加減で、食事とデザートは悪くなかったのだが、たばこのにおいがして、「なんかだめだね、出ようか」と食べ終わるとすぐ、出てきたことがあるお店だった。

 今度は禁煙の店にしたほうがいいかも、と、ネット情報で調べて入ったそのお店は、それ以来ランチの候補になったことはなかった。
 
 まあ、一食だけだし、彼女は幼稚園のお子さんがまだあるから、お迎えが2時ということは、それほど長時間にもならないはずだということで、ランチにいったら、なんと、いつの間にかそのお店は全面禁煙になっていた。

 おーーー。においもしないし、もちろん煙草を吸う人もいない。これなら、また来てもいいなあ…。私にとってはそのお店は「ないも同然」だったけれど、今度から「じゃあ、あそこでいい?」と言えるタイプのお店となった。
 立地も駅から遠くなく、値段も高くないし、ケーキも小さめだけど味もよく、入り口が2階で、ぱっと混み具合がわからないのが残念だけどその程度。

やっぱり、たばこを吸う人が減ってきているんだろうなあ。調べてみると、男性でも3割を切り、女性で1割を切っている。
きれいでかわいく、割と少量で、ケーキ付きランチというどう見ても女性向けだろうというお店で、9割のタバコを吸わない女性に「あそこはだめ、煙がくるから」と言われたら、やっぱり商売としては不利だということなんだろうね、この分煙をやめたのは。

 ちなみに、駅前に喫煙可です、ということを書いた喫茶店もあるのだが、コーヒーもケーキも近隣の店よりもぐっと高い。
コーヒー飲んでくつろいで、たばこ吸いたければ金払え、という感じだ。
 タバコが嫌いな人は最初から入ってくるなよ、という作りになっていることを考えると、その分、客も少ないから客単価があがらないとだめなんだろうなあ。

 近所のスーパーの横にあった自動販売機とベンチ。前までは喫煙所だったのだけれど、禁煙になっていた。
 ううむ、ここもかあ…。
 
 私はたばこのにおいは嫌いだから、この動きは歓迎だ。でも、喫煙する人は肩身が狭くなってきているだろうなあ。
 
 学生時代の友達の家にあった、めちゃくちゃ大容量の灰皿。
 その人の家に集まっていた大勢の友達で、灰皿はあっというまにいっぱいになった。
 「こういうのをな?ばらして包みなおすとまた吸える」と吸殻を前に私にデモンストレーションしてくれた年上の友達の顔。
 「ギリギリまで吸えるから」とフィルターのない煙草を吸っていたその人は、たばこを包む紙は、木材からではなくて、麻で出来てるから、燃え残りが出ないんだ、なんて解説しながら、器用にタバコを巻きなおして、そして私にはどんなたばこであろうと、ひとくちだって試させてくれなかった。
 
青春はたばこのにおい。

 彼がなくなって、もう何年になるだろう。私は彼がなくなった年齢を3つも、越えてしまった。

 

10年ぶりの味

私はコーラが割と好きだ。別にペプシでも、コカ・コーラでも、その他いろいろなメーカーのコーラでも全然かまわない…というと、コーラファン、またはペプシファンの人には、「えー?全然違うのにー。味音痴ー」と言われる。

ちょっと遠くへ行くことがあって、ペットボトルのコーラを買った。これと、袋入りのキャンディか、チョコレートを装備すれば、長距離列車OKだ。すいている電車で、通勤電車のような横一列のシートではなく、進行方向に向いた席で、隣は空席。
ゆっくりコーラを飲み、チョコをつまみながら本を読んでいるうちに到着するはず。

 こういう時、温かくない飲み物というのは持って歩くのに都合がいい。温かいコーヒーや、紅茶が冷めたのはあんまりおいしくないが、キンキンに冷えたのが室温になったのはまだ飲める。カフェインが入っている飲み物は、飲むとだるいのがマシになるので長距離移動の時、特に帰りに選ぶことが多い。

 今日はついつい本に集中して飲み物もチョコレートも減らないうちに到着、用を済ませて軽く昼ご飯を食べて、そこでおなかはいっぱい、無料のお茶を湯のみに3杯も飲んでしまって結局、家に帰ってもコーラはひとくち、ふたくち飲んで終わったのが残っていた。

 口を付けて飲んだから取っておくと傷むだろうな…と思って夕飯後にごくごく飲んだ。

んんんん??
 この後味。

ちがう、これダイエットコーラじゃない?よね?ゼロでもない。(私はこの2つの味が見分けられない)
 うわ、これ砂糖が入ったほうだ。カロリー高いんだよねえー。

 半分でも相当の糖分が(多分25グラムぐらい)入っているのだ、これは。
しかし、何年ぶりだろう、砂糖が入ったコーラ飲んだの。10年ぶりぐらい?

意外だ。すっごく意外だ。わかるものなんだなあ、コーラの味にはすごく鈍いのに。
 最初にひとくちだけ、飲んだ時にはわからなかったのになあ。
 残りのコーラは、夫が飲んでくれた。

 急いで買ったからだろうなあ、見分けられなかったの。
 やっぱり今度は、ノンカロリーの緑茶にするべきだろうか。

かたかたの靴下

この冬、私はグレーと黒のしましまの靴下を毎日履いていた。
これは何年か前に買ったもので、ふわふわした厚手、出身はもちろん、100均だ。
100均の靴下には、白っぽくてピンクや水色で模様が入ったようなふわふわ靴下が多い。黒とか茶色とかグレーとかで一色のものを、ここしばらく…少なくとも去年の冬と今年の冬はあんまり見かけていない。

みかけたとしても200円。うーむ。倍出すほどでもない。そう思って、今手元にあるのを履いている。
確かこの靴下を買った100均は、もうつぶれてないし、この前100均で見た靴下はキミドリと、オレンジだった。

しっかし、だいぶのびてゆるくなってきたなあ…12月からずっと2つをかわるがわるに履いているのだからそうなるよねえ。去年から履きっぱなしだしな…。もしかしたら一昨年かもしれないもんね…。
あ?これ、長さが左右違う?

よくよくみたら、片方が長い。5センチぐらい違う。えーっと…。
洗濯物を干してあるところに見に行ったら、もう一組も長さが違う。つまり組み合わせが違うんだな。

しかし、シマの幅とか色とかは本当に全く見分けがつかないそっくりさ加減。同じ筒から切り取られたとしか思えない。
私、いつの間に組み合わせを間違えたのを履いていたんだろう…。

私はもともと、あんまり服装に気を遣うほうではない。ないがしかし、これはちょっと自分でも、よくない感じがした。長さが違うことに気が付かないぐらいゆるゆるだってことだしね…。私は、長いパンツを履いているので、これに気づいた人はいないだろうというのがセーフ…多分。
 あんまり、セーフでもないな。やっぱり靴下買ったほうがいい。

そう思いながら100均に行ったら、冬物一掃セールで200円の商品に半額の表示が!!!おおお、100均はやっぱり100円で買えないとねえ。うれしいなあ。
紺色のふわふわ靴下を3足ゲット。全部同じもの。これで大丈夫!これで今年の冬の残りと、来年の冬はばっちりだ。

バイトテロに思うこと

アルバイト先のコンビニの冷蔵庫に自分が入って撮った写真をSNSで披露するとか、一度落とした食べ物を調理しなおして出すところを動画に取って拡散するとか…というようなことをすると、色々な人にシェアされて、たくさん反応がもらえて、有名になる…というのでやってみる学生がある、という話を読んだ。

 だが、コンビニとか飲食店などで、「えー、こんなことやってるの?」と思われるとまずいことなので、お店の評判が悪くなるから、もちろんクビになるし、お店の評判を悪くするようなことをして、損害を与えた…ということになって裁判沙汰にまでなることもあるらしい。

 最近の子は、と言うつもりはない。昔っから「ウケ狙いで面白いことをしようと思って」とか、「目立ちたかった」とか、「みんなにすごいね、と言ってもらいたいから」とか…まあ、そういうことをやる子はいた。たくさんいた。
 私の友達で思い出せるだけでもかなりいた。
 テレビに出ている芸人さんのギャグみたいなのはあちこちで聞いたし、友達同士でやった花火大会で噴水みたいにふきだすタイプの花火を口にくわえて回った人もいたし、パーティの演しもので、頭に電飾かぶって踊っていた人もいた。
 真冬に噴水に飛び込んでいた人もその場のノリで複数いた。アニメの曲やCMの曲をメドレーで演奏していた人もいたし、TVのコントの真似をしてクリームの入った紙皿をぶつけ合っていた人だっていた。カラオケがめちゃくちゃうまい人も、ものまねをして歌える人も…。

 それはみんな「自分たちの仲間の間で」起こることで、面白い、すごい、真似できない、いいね!さすが!というようなポジティブな評価をされればうれしいことということになっていたと思う。
 お店で突然楽器を演奏する…というようなことについては、やっぱり迷惑だろうと思われるので、「あれはない」と言われることだった。迷惑がかかるようなことは「その場のノリにしろ、よくないよな」という評価は多く、人によっては先輩だの、年上の友達だのにがつんと注意されて、一度限りの伝説になっている…というパターンもあった。

 つまり…ネットで全国津々浦々までに拡散!というのがないころは、友達のグループだけのことで終わっていたのだし、どんな評価が来るにしろ、「自分たちの問題」として考えていた。面白い人、すばらしい人が、自分たちのグループにいることは、うれしく、楽しく、誇らしいことであり、迷惑をかけるような奴がいるというのは自分たちが注意したり、少なくともそれをほめず、ネガティブな評価と雰囲気を出すことでそれを抑えるのが当然、ということになっていた。

 最近は、認められるということ、ウケるということの範囲が広く、大きくなってしまっている。30人にウケれば噂になって100人ぐらいに広がって終わりだったのが、数万人に見られて、評価されないといけなくなったと思えば、「ウケる」の定義が違うのはわかるだろう。そして「ウケる」誰かは、「俺たちの仲間」ではない。「ネットで軽くつながっているだけの誰か」。
 えー?こんな人もいるんだ?へーえ。で終了。
 その時一瞬、ウケても、自分の総合評価が変わるわけでもない、周りの扱いが変わっていくわけでもない。

 面白い人だと思われて人気が出て、一緒に遊べる人が増えて誘いが多くなるような効果がほとんど見込めず、いいね!が増えるだけ…なのは、目に見えて効果と結果がついてくる友達関係と違って、パフォーマンスをした人の満足度が低そうだ。

 だからきっと、先鋭化してくるんだよね。もっと過激に、もっと「滅多にないようなことを見せないと」と。
 これは、あれだ。カメラだけがあるところで収録して映像を売るDVDみたいなもので、手ごたえが薄いんだよね。ライブで、目の前のお客さんの反応見ながら舞台に出ると、イキイキとした反応がもらえて、ウケなかったらシーンとなるし、大爆笑されれば演技にはずみがつくというものだ。やりがいがあるし、満足感が違う。
 それに、面白い、すごい、すばらしい…ということと、強烈な反応ではあるが、みんながドン引き…という反応の区別ははっきりわかるはず。

 仲間内の内輪ウケで終わったころは、目立てばなんでもOKというのは、飽きられやすいし、あきれられて総スカンというネガティブな反応も出て、自分が結局「非常識な奴」というレッテルを貼られて損をする…というのはどこかで覚えることになるのが普通だった。裁判なんてしなくてもだ。

 でも、今はシェア数とかリツイート数だけ稼げばOKみたいな風潮もあるんだろうなあ。裁判まで行くと、記録も残るし、将来大人になってから問題にならないといいけどな…(と思うと、息子にはこういうことをどこかで教えておかなくてはならないと思う)
 
 ただのウケ狙いで、すべったーーっ終了、みんな忘れてーっ。で終わらないんだなあ…。
 10代、20代のうちは、ウケたい、目立ちたい、すごいといわれたい…というようなことは程度の差こそあれ、みんなにあると思う。でもそれを満たす場所がネットの、それほど親しくもない人のSNSつながりだけだというのは、つらいことかもしれない。10人ぐらいの中で大ウケすれば、今日は楽しかったなあと思えたあの頃と、数千、数万人から「いいね!」をされないとなかったも同然になってしまう現代。
 
 ハードルがあがっているというかなんというか。世界が広がるというのは、いいことばっかりでもないな、と思った。

橋本治さんの思い出

橋本治さんが、亡くなった話をちょっと前に聞いた。
 私はもちろん、橋本治さんと個人的な面識はないが、なんとなく「知っている作家さん」みたいな気がしていた。つまり、その人の書いた本を何冊か読んだことがあって、顔と名前と、どんなことをする人かが一致している作家さんだ、と。

 大体私は作家の名前なんか見ずに本を読むことが多かった。特に子供の頃は。だから、昔に読んだこんなストーリーの本…とまでは思い出せても、描いた人の名前なんかちぃっとも思い出せず、幻の名作状態になることがあるぐらいだ。

橋本治さんが顔と名前が一致するのは、私が買った本の中に、本人の写真が載っていたからだと思う。
何冊かあったが、私が所持しているこの人の本は、編み物の本。

 当時、私は高校生。うちには、編み物の本は何冊かあったが、どれも「編み物が出来る人のための本」だった。編み図と出来上がりの物を身に着けた写真は載っているが、詳しい手順は載っていない。母親は機械編み手編みかぎ針編みにレース編みと、全種目制覇みたいな人で、毛糸は常に押入れにあふれていた。

 編み物が出来る人口は多く、手編みのセーターマフラー、帽子に腹巻に座布団に…当時はそれほど珍しくなかったのだが、編み手は女性がほとんど。お姉ちゃん、お母さん、おばちゃんにおばあちゃん。だが、橋本治さんの本は、「男が編む チャレンジニット」という、男性用と言える編み物本だった。

 人よりちょっと不器用だった私は、「誰にでもわかる!初めてのあみもの」なんていう本を読んで挫折したことがあったため、いくらなんでも、男性用ならいけるだろう…と根拠のあんまりない理由でこの本を手に取った。
 説明文と写真が、当時の女性用の編み物本とは全然違った。なんと、私はこの本を読んで無事セーターが編めてしまったのである。それも、簡単な「まっすぐ編めるセーター」とかではない。ちゃんと袖ぐりとか、襟ぐりとか、肩下がりとかで減らしたり増やしたり、引き返し編みをする、初心者用ではない本に載っているタイプのセーターが。

 目の減らし方、増やし方の「フツーの本には書いてないけど、そういうことになっている」ようなことが、わかりやすい文章で説明されていて、なぜこういう本が他にないのかと疑問に思ってしまうぐらい、わかりやすかった。

 (ちなみに、このチャレンジニットシリーズ、アマゾンでは5000円なんて値段がついているが、500円から1500円ぐらいが古本の相場だと思う。特に1冊めは弾数が多いため、買いやすいので、しばらく待った方がい。訃報からこっち、この人の本は上がっている可能性がある)

 だから、私にとっては橋本治さんは編み物の本の人であった。
 古典の現代ライトノベル系リライトみたいな本もある(結構面白い)のだが、それを見つけたときも、「あ、編み物のあの人の本だ」と思って手にとった。
 
 ものすごい編みこみのセーターを編んでいる人。それが私にとっての橋本治さんだった。
 高校生当時は、図書館の本だったチャレンジニットのシリーズはそのあと手に入れて、何冊か家にあって、参考にしている。
 
 きけば、まだ70歳だったそうだ。まだまだ、書けるお年だったのに、惜しい。
 編み物の本も、是非復刊してほしいと思う。こんなにわかりやすい本だもの、編み物が家庭科の実習から外れた今、やってみたい人もあると思う。まあ、動画もあるけど…でも、左右でなるべく糸を切らずに肩下がりを編むときの、図と実際の編み方の解説をやっているのはこの本ぐらいだと思うし、どんどん進んでいく動画よりも、図解と写真のほうがいい人もいると思うんだけどなあ…。
 4冊のうち、1冊目だけでいいから。靴下の編み方も、すごくわかりやすいし…。

 最近は、編み物の本は出していなくて、主義主張とかエッセイとかの本を出していたみたいで、そういう本のことを書いている人は多いみたい。
 そういう本も、一応何冊かは読んだけれど、やっぱり私にとっては、編み物の本の人だ。
 彼は最近、編み物をしていたのかなあ…。最近の段染め毛糸の流行とかは知っていただろうか。

 まだ編み込みの出来ない私は、これからも編みこみのものを見るたび、華やかな桜吹雪のセーターを思い出すだろう。橋本治さんの名前とともに。彼は、1号だか、2号だかの竹の編み針がこすれて細くなって折れるぐらい、編んでいたそうだ。
 私もがんばろう。彼の本を読むたび、また編み物熱が上がる。

冬の制服

私が普段着ているユニクロの、ウルトラライトダウンジャケットの、襟がないのは「制服」と呼ばれている。
そう呼ばれてもおかしくないぐらい毎日着ているからだ。

他の人にも、暖かくていいよ、と説明する時にはこうだ。
 「Vネックのカーディガンあるでしょう、そういうかたちで、薄めのダウンなんだよ」
これで、大体どんなものかわかってもらえる。

これを着るようになる前には、家の中では半天を着ていた。でも、半天より断然軽いし、袖も邪魔にならない。
おまけに半天と違って、外に着て行ってもおかしくないという特典付き。ごみを捨てたり、新聞をポストに取りに行ったり、短時間の外出ならこれで十分だ。

 襟がついておらず、あきが広いので素肌に当たるところが全然ないため、シーズンに洗濯が一回でも、嫌な感じがしないところも気に入っている。そして上に薄手のコートを羽織って出かけることも出来る。ダウンのライナー付きコートのことを思えばそりゃそうなるよね。
 そして気分が悪くなるぐらい暖かく暖房してあるショッピングモールを歩くときは、このダウンだけ脱いでぎゅっと丸めて付属の袋に入れればコンパクトにカバンに入る。現代の温度調整にぴったりというわけだ。

 LLビーンのイージーケアマッキントッシュコート(薄手で洗濯機で洗える)と、このダウンの組み合わせで一冬、乗り切ってしまった。旅行にも便利だったし…。

 この間実家に行ったとき、ふと思いついて父にこのダウンをプレゼントした。父は、石油ストーブのニオイが大嫌いで、なるべくならつけたくない、という人だ。電気ストーブもハロゲンヒーターも「電気代がもったいない」という人で、もともと結構寒い地域の出身だったのもあるだろうし、田舎の家、つまり縁側はほとんど外で、部屋と障子一枚しか仕切りがない(障子の一番下の端っこのマスははネコの入り口として紙が貼られていない)という家で育ったこととも関連があるのかもしれないが、家の中では綿入れの着物を着てコタツに足を突っ込めばOKぐらいの意識なので、家の中がとーてーも寒い。

 私も実家にいたときはこれが普通だと思っていたのだが、気密性の高いマンションに住み慣れると、実家が真昼でもうすら寒い。
基本厚着をするしかない…という感じだし、母はむやみに節約に走っていて、しょうがないから私は寒くなってきたら使い捨てカイロを箱単位で送り付けている。
 
 母は、着ない、いらないというのであきらめたが、父は軽くて暖かくていい、と喜んでくれた。
もう、いい年だものなあ。若いころと同じような温度ではつらくなってきていると思うのに、どうしてこんなうすら寒いところにいるのか…とここまで出かかったが、やめておいた。

 これを着て、喜んでくれるのなら、それでいいか。
 ストーブはやっぱり、嫌いらしい。

 私がそこにいる間だけ灯油のストーブをつけてくれたが、私が帰ったら窓を開けて換気するのだとか。
 着ないといわれたけど、やっぱり母にも送るべきだろうか。

母は遠慮するのが美学みたいなところあるしなあ。なんていうのか複雑な思考回路というか、自分からありがとうと言いたくないみたいなところがある。「送ってくるっていうなら、もらってあげるわ」とか言いたい感じというか、「どうしてもっていって送ってくるから、着てあげたのよ」という感じに持ち込みたいというか…。

 家の外で着るなら、まあセンスがとか、見かけがとかいうのも気にしなければいけないだろうが、あくまで部屋着だというのに。なんていうか、好みじゃなくても、実用ということも考えて、ごく当たり前に「ありがとう」と受け取ってくれるのなら、出すほうも気分いいのになあ。
 セールになった3990円のピンクのジャケットを見ながら、買うかどうか結局決心がつかなかった。
 

ドナルド・キーンさんのこと

私が、ドナルド・キーンさんの本を最初に読んだのは多分中学生の時だ。
いまwikiを見てみると、1979年あたりの著作が多いから、そのあたりが図書館のエッセイ本のコーナーにあるのを読んだのだと思う。

なめらかな日本語で、書いていることはもちろん外国に育った人の目から見た日本ということから、著者が日本のヒトでないことは明白だったが、最初はてっきり、翻訳されているのだと勘違いしていたぐらいだ。

 1980年代は、まだアメリカの工業なんかも強くて、アメリカという超大国から、遠くの島国を…みたいな論調になるものが他の外国人作家からも出されているものが多かったように思う。ただただ、西洋からみた東洋のその文化の大幅な違いに魅せられた人の感動と、全く理解できないことを自虐的に書いたものも結構あった。

 今でいうと、ネットに「日本人がいかに素晴らしく、外国とは違うか」というようなことを書いたものがあふれているのに似ている。書いているのが外国人ということで、日本人としてはなかなかに面白く読めて、外国から見たらこう見えるのか、と思える、そういう本とは、キーンさんの本は一線を画していた。

 彼は…。なんというのだろう、日本人の心を、文学から解き明かして、中に入り込み、日本人としての考え方を身に着けているとしか思えなかった。古典を読み込む日本人だって少ないのに、きっとこの人はすごく凝り性だ(当時はマニアックという言葉は知らなかったと思う)と思ったものだ。

 この人の本は、割と図書館にも入っていることが多く、お金のない中学生高校生も読むことが出来た。90年代の著作までは、かなり読んだはず。

 私は、その後渡米した。
 文化というものは、その場に行ってみているだけでも、ちょっとならわかる。ものの考え方も、テレビ、ラジオ、本、映画、そういうものを取り入れ始めると味が違うのがわかる。
 ドナルド・キーンさんと反対向きに文化交流をした私はといえば、その違いに新鮮な驚きを覚えたのも確かだが、そのなじまなさ加減にぐったり疲れた。日本に住んで、外を眺めるのと、外国に住んで体験するというのは、違うものだということがわかった。
 
 西洋文化圏の本は、キリスト、ユダヤ教系の一神教がしみこんでいるものが多い。善悪の基準や、死生観や、世界のとらえ方がそうなっている。アメリカ文学、イギリス文学は大学でやったけど(実は文学専攻だった)解説を聞いて、その宗教のしみこみ方の頑固さというか、強固さは、驚きだった。
 アメリカが、宗教弾圧で逃げてきた人で作った国だというのは、ダテじゃない。

 1990年代のかなり西洋文化を受け入れた後の日本から行ってもこうなんだもの、アメリカから戦後すぐの日本人の手帳だの、英訳とはいえ1000年昔の源氏物語から日本文化をかじり始めたキーンさんは、大丈夫だったんだろうか。
 アメリカにくたびれた私はあの本、書いてた人すごいわ、としみじみした。これだけ差があるものを、よくぞ…と。

 日本に、ある程度アメリカにひたって微妙にアメリカ味になった私が帰ったあと、私はこの人のエッセイ、多分新聞の連載かなにかのだったか、またはインタビューだったかを読んだ。
 もう一カ所しか覚えていないのだけれども。

 当時、キーンさんは日本語を研究し始めてから何十年も経っていて、古典も、もちろん近現代のものも読み込み、研究者として言えば大学で古典とか文学の授業の教授が出来るぐらいになっていたわけなのだけれど、それでもキーンさんのところには、15歳の日本人中学生から「あなたは日本人じゃないから、日本の心がわかっていない」というような手紙が届く、というような話だった。

日本人が生まれながらにして持っている「日本人の心」というものがあると信じている人があるのだけれど、それはその15歳の人が生まれる前30年も40年も前から、日本語を勉強している人にわからないものなんだろうか、と。

 私はこの話を読んだ時、キーンさんにとても、同情した。そりゃないだろう…と思ったものだ。
 アメリカは、移民の国で、まあ最近はトランプのこともあるから、移民には厳しくなったけれど、当時は合法的に来る移民は歓迎していたし、移民がアメリカのエンジンとして働き、いつでも新しい力を得て先端を走り続けるのがアメリカである、という空気があった。
 国を盛り立て、何も持たないところから勤勉に働き、アメリカンドリームをかなえる、それが正しいアメリカ人だとみんなが信じていた。
 元来た国がどこか、なんていうことは問題ではない。アメリカに貢献するのがアメリカ人だと。

かたや文化にこれだけ貢献しても、日本人の心がないと言われてしまう日本。 
日本人が美徳だと思う性質をもった人はもちろん、アメリカにもいた。
ただ、日本に、公衆道徳や、謙譲の美徳を持っていない日本人がいるように、アメリカにもそういう人たちはいる、それだけなのだから。
私は、「日本だけが特別」と思うのはやめておこう。この日本語の研究者である、キーンさんのためにも。
 これだけ日本のことを真摯に研究している人に、そんな失礼なことを言う人にはなりたくない。
 彼の本のファンだった私はひそかにそう、決心したのだった。キーンさんはそんなこと夢にも知らないだろうけど。

彼の日本語は、美しかった。本は興味深く読みやすく、わかりやすいものが多かった。
正確で読みやすく、なおかつ美しい、そういうことがかけるのが文学者なんだな…ということがよくわかる本。

鬼怒鳴門なんていう漢字の選び方に茶目っ気を感じる。
 キーンさんの宗教がどれだったかは存じ上げないが(ご両親がイディッシュだということはユダヤ教?)、意外と、仏教風に、極楽浄土なんていうのが似合いそうな方だと思う。
 きっと、IC録音機なんか持って、紫式部のインタビューを…なんて。もうとっくに生まれ変わって紫式部には会えなかったりして。

 全著作集なんていうものが出ているのは今回初めて知った。
 この人の本をまた、読もうかな…と思った日だった。

方言の話

東京通勤圏の人たちでない限り、方言というのは割とどこにでもあると思う。
 私は、父母の出身地がとても離れていたため、二種類のイントネーションが混在して、子どもの頃は言葉が変だといじめられたことがあった。
 年齢が進むと、うまく使い分けが出来るようになったと同時に、テレビのアクセント、つまり標準語もかなりうまく話せるようになった。

 大人になって結婚して、転勤族で東京通勤圏にいたころは、方言が「怖い」人がいたりしたので、正直東京だけが日本だと思うなよ、とイラっとしたのも確かだが、毎回「なんだか私、まこさんみたいな話し方する人ってーぇちょっとこわくてーぇ。東京と地方って、すっごーく違いますよねぇ、田舎のほうって感じがするっていうかーぁ」というようなコメントをされるひととのお付き合いがどうにも回避できない環境にある場合は、切り替えるほうが自分の体にもよさそう…ということで関東圏のアクセントに切り替えていた。

 関東標準語アクセントは、テレビやラジオで耳にすることも多いし、コツさえつかめば聞く機会が多い分、間違いを発見しやすいし、滅多なことではばれないぐらいに話せていた。私の出身地をばらすと驚かれたものだ。
 相手が関東圏出身なら、絶対に方言が出ないのでなおのことばれない。

でも、同郷の人と話をすると、だんだんつられる。しばらく話すと、元に戻りづらいぐらいつられてしまう。北海道にいたときに、かなり出身地が近い人と話をして、その人がその土地のイントネーションから全く逸脱しなかったため、うっかりつられて、方言全開でしゃべったら、前からの知り合いにびっくりされた。

 てっきり関東のどこかの出身だと思ったのに…と。
 役者さんみたいなものだ。演劇をする人は大抵、地方を舞台にしたのを売りにする芝居以外は標準語にそろえる。ああいう風になまらないように話す訓練をしたわけで…。

 方言って、なんとなく文化的でいいと思うのだけどね。
面白いのは、出身地の友達とLINEで話す時は、書き言葉も方言になること。
 うまく変換しないことがあるけれども、やっぱりそっちのほうがしっくりくる。

 東京の友達の、一年生のお子さんが、「おしめさま」と書いたお姫さまの絵を写真に撮って送ってくれた時は、「あー。そうか、東京にもそういうのあったのか」と笑っちゃったので、東京でも標準語とは限らないのかもしれないけれど、2種類話せるのは、なんだかいいな、と思う。
 
 出来ればもう一カ所ぐらい、特徴的な方言をばれないように話せると面白いだろうな…と思うのだけれど、やっぱり子供の頃からやらないとだめなんだろうか、その出身地の友達の真似をしても、「無理するなよ、絶対ばれる」と言われるので、育ったところの言葉と、標準の2つで我慢しておくしかなさそうだ。

義務教育の意義

学校の授業には、いろいろなものがある。私があんまりぱっと思いつかないようなものも。

そのうちの一つが、この前の発表の授業で、授業参観をやったときだ。

お題は、「尊敬している人のことを調べて書きましょう」。調べ学習の一種で、テーマを決めて資料を探して読み、まとめて書くことが目標。文章を書くのはやっぱり、読むだけと違って難しいし、整理して書くのはもっと大変。日本語で話す、読む、聞く…はなんとかなっても、最後までなかなか…となるのが書くことだと思う。

 生徒の発表を見た先生が、先生の知っていることを足したり、パソコンで軽く検索をかけて、解説してくれるというのもついているんだな、ということがわかる感じだった。

 最初のウサイン・ボルト選手の時はまあよかった。男の子は、彼の出身地や、記録、発言などを調べてきていたし、いい感じにレポート出来ていた。
 サッカーの名前忘れたけど、なんとか選手も、無難な感じ。

 問題はその次。「チャールズ・ロバート・ダーウィン」。生物学者で、まあ、チャールズ・ロバートという名前の部分は知らない人も多いだろうが、「ダーウィン」といったら、まずこの人を指すのが普通というぐらい有名だ。「アインシュタイン」とか、「エジソン」とか、名字だけで、「ああ、あの!」という反応をされるべき人で、遺伝とか、進化とか…というあたりを提唱した人として有名だ。
 このブログを読んでいる人も、みんな、詳しいことはわからなくても、遺伝、進化、環境適応、自然淘汰…とかそういうキーワードが浮かぶだろう。
 
 「先生は、このダーウィンさんを知りませんが…」と、先生がウィキペディアを検索してプロジェクタに映した。

ざわっと参観のお母さんたちが動揺した。そりゃそうだ。私も動揺して残りの先生のセリフが頭に残っていない。

 ダーウィンを知らずに、義務教育を終わらせたばかりか、つまり、先生をしてるってことはさあ…大学まで終わってるということなのに、それってどうやって可能だったの?
いや、詳しいことは知らなくていい。地質学とか生物学が専門でなければそんなものだ。でも、有名な学者として存在した…ぐらいのことは知っておいてもいいよね?
 
 「ダーウィンを知らない」。これはなんていうか…小学生ならあり…であろう。3年生とかなら全然平気だ。
 でも、中学生になると微妙だし、高校生ならまずいのではないだろうか。大学生でこのセリフが出たら、私は驚愕した反応をぐっと飲みこんで聞かなかったことにするだろう。相手の方が気まずくなるレベルだ。

 ちなみに次に生徒が発表したのは、シンガーソングライターの芸能人だった。先生はとても饒舌にその人の解説をしていたので、多分好きなんだろうなあ…という感じだった。まさに立て板に水。さっきのダーウィンはこう、横板に餅、という感じだったので、その差にちょっと変な笑いが出そうになった。

 読書は大切だと思う。特に深くなくていい。浅く、広く、つまり小学校の図書室の伝記マンガ程度でいいから…。
 人類の100年単位の知識を、9年で駆け抜ける義務教育。範囲が広いだけに無理もあるのかもしれないけど、意味はあると思う。
家庭の教育と、知識欲というものは、大切にしよう…。

 興味のないことは全然タッチしないというのは、やっぱりよくない。教育、教養、常識…。どのぐらいを常識の範囲と思うかは、人それぞれだと思うが、生物を全然やらなくても大学受験に問題はない…のでそうなるんだとは思うが…やっぱり、大学に入るまでの段階で自分の遺伝子がどういう風に子孫に受け継がれるのかとか、どんな要素が外に現れやすいのかとか、遺伝で起こる不具合、たとえば色覚以上が伝わる仕組みなんていうのはわかっているといいな、と思う。(私は小学生用の理科マンガで読んだ)

 学習マンガでいいんだよ、ほんと。小学校の先生になりたい人は、そのぐらいは頑張ってほしいな、と思う。
 

Top

HOME

    思ったことを何でも書くゲーマーブログ。リンクはご自由にどうぞ。

    まこ

    Author:まこ
    どこをクリックしても一銭にもならない、ただの主婦の日記帳です。
    ゲーマーで、本好きで、クラフト好きです。

    01 | 2019/02 | 03
    - - - - - 1 2
    3 4 5 6 7 8 9
    10 11 12 13 14 15 16
    17 18 19 20 21 22 23
    24 25 26 27 28 - -

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    この人とブロともになる