しみじみと、考えること
このブログを読んでいる人の中に、一人だけ、私がリアルで知っている友人がいる。
その人は、古い友人なのだけれども、今は外国に移住した人で、会う機会がものすごく少ない。今はSNSなどで連絡を取れる時代ではあるのだが、かなり長く会っていないので、チャットなんかをしていても、共通の話題が少ない。
それが何だかさびしくて、私の方から「こういうの書いてて」とこのブログのことを教えた。
ちょっと照れくさいとはいえ、つまりお互いの10代、20代を知っているから、たとえば結婚前のことだとか、付き合っていた人のことだとか、通っていた学校のことまで知っているとなれば、もう何がばれたところで今更…という感じで、今私が考えていることなどを知ってもらうには、いいアイディアではないか、と思ったのだ。
彼女は、自分の力で夢をかなえてきた人で、いつもすごいな、と思っていた。
その彼女が、一度チャットをしたときに言っていた。
「もう、何でも出来るわ、なんて思わなくなったわね」と。
実のところ、自力で夢をかなえるなんて考えたことも感じたこともないことだった。
私はどちらかと言えば、なんとなく…その時に目の前にあったことをこなしてきただけ、といったような感じの人生を送ってきている。試験を受けたら合格しそうな学校を選んで入り、就職はいくつも受けては断られて、内定をくれたところになんとなく入り、プロポーズしてくれた人に「こんなチャンス、もうないかも」と思って結婚して、身の回りの条件がなんとか整ったところで妊娠して、子育てをとりあえずしてきたら今になった…という感じなのだ。
自分がやりたいことを決めて、その目標に向かって、自分が今何をしなくてはならないのか、というようなことを考えてきた彼女とはそういうところが違う。だからこそ、彼女はすごいな、といつも思っていたわけだからね…。
でも、最近、なんとなくわかってきた。かなり消極的なわかりかたではあるけれども、実感がある。
それは、ゲーム。
私は、ゲームをコレクションしてきた。
「いつか、時間が出来たら遊ぼう」と思っていたものもある。昔に遊んだものが違う筐体に移植されたのとかも、「あれは楽しかったな、また遊べるといいなあ」と思って、時間がない時も、体力がない時も、買ってきたものがある。
それと同じで手芸の材料とかも、結構買っている。
「いつか、時間が出来たら」
「また、こういうことをやりたくなる機会もあるだろうから」
とかそういう感じ。すると、たまっていくんだな…。
多分だけど、私の手芸材料で出来るかもしれない手作り品の量と、遊んでいないがたまっているゲーム全部をクリアする時間を考えると、多分私はもう、新しいゲームを買わなくていいぐらい持っていると思う。
新しいゲーム機で発売されるゲームを遊ぼうと思ったら、古いのはもう、一回軽くクリアしたら捨てるぐらいのことをしないと、ゲームがあまり買えなかった時のように、全要素遊びまくって、周回プレイとかやっていたら多分時間が足りない。
なるほど…もう、「どれでも遊べる」じゃなくなってるんだね。
そう思ったとき、彼女の言葉が思い出されて、「あー。なるほどー」と思ったのだった。
ゲームボーイのゲームをなるべくクリアしたら、次は3DSのダウンロード版のバーチャルコンソールとか、移植版だ。
バーチャルコンソールとか、移植版はタッチパネルを使わなくて、ボタンで遊べるものもあるから、外部出力を考えてもいいかもな…。
厳選!移植ゲーか…。
ファイナルファンタジーと、ドラクエかなあ。あとはロマサガ…。
シレンとか、トルネコとかもあるしなあ…。
ちなみに、スイッチに出るというので楽しみにしていたチョコボの不思議なダンジョンは、どうも発売延期になったみたいだ。
シレンは難しくて挫折したこともあるし(シレンのゲームボーイ版)、シレンはあきらめるかな…。
電池入れ替えたONIシリーズも一度はやりたいし…(まだ電池のソケットが届いていない)。
ヨッシーのクッキーはふっと気づくと1時間ぐらいやっちゃってるしな。
やっぱり、「やりそうなの」と「もってるだけ」のは、区別をつけて、整理しよう。
そして、違うゲーム機で持っている同じゲームもまとめようか…。こういう時に、図書館みたいに、「本の寄付を受け付けます」のような、ゲームの寄付を受け付けるのとかがあればいいのにねえ。
20代の頃は、「始めさえすれば、いつでもゲームの1本ぐらい遊べる」と思っていたものだけれども、やっぱり趣味というのは、厳選して選んでいく時期に来ているのだろうと思う。
図書館の本を手当たり次第に読めた10代の頃…。
暇つぶしに、レンタルビデオ屋さんの床の箱のなかから1本100円のビデオをテキトーにつかみ出して帰って、友達と批評しながら見た夜。ひたすら、暇だった。
でも、今は。
そうだね。やっぱり本も、映画も、選ぶことになるんだと思う。そして、ゲームも。
厳選。新しいものを遊ぼうと思ったら、古いのは遊ぶ時間、ないもんね。
古いものを遊ぶなら、新しいものは遊べない。悩むところだ。
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
今年一年、お世話になりました。来年もよろしくお願いします。
うちのブログは、年末年始も、淡々と毎日更新です。
その人は、古い友人なのだけれども、今は外国に移住した人で、会う機会がものすごく少ない。今はSNSなどで連絡を取れる時代ではあるのだが、かなり長く会っていないので、チャットなんかをしていても、共通の話題が少ない。
それが何だかさびしくて、私の方から「こういうの書いてて」とこのブログのことを教えた。
ちょっと照れくさいとはいえ、つまりお互いの10代、20代を知っているから、たとえば結婚前のことだとか、付き合っていた人のことだとか、通っていた学校のことまで知っているとなれば、もう何がばれたところで今更…という感じで、今私が考えていることなどを知ってもらうには、いいアイディアではないか、と思ったのだ。
彼女は、自分の力で夢をかなえてきた人で、いつもすごいな、と思っていた。
その彼女が、一度チャットをしたときに言っていた。
「もう、何でも出来るわ、なんて思わなくなったわね」と。
実のところ、自力で夢をかなえるなんて考えたことも感じたこともないことだった。
私はどちらかと言えば、なんとなく…その時に目の前にあったことをこなしてきただけ、といったような感じの人生を送ってきている。試験を受けたら合格しそうな学校を選んで入り、就職はいくつも受けては断られて、内定をくれたところになんとなく入り、プロポーズしてくれた人に「こんなチャンス、もうないかも」と思って結婚して、身の回りの条件がなんとか整ったところで妊娠して、子育てをとりあえずしてきたら今になった…という感じなのだ。
自分がやりたいことを決めて、その目標に向かって、自分が今何をしなくてはならないのか、というようなことを考えてきた彼女とはそういうところが違う。だからこそ、彼女はすごいな、といつも思っていたわけだからね…。
でも、最近、なんとなくわかってきた。かなり消極的なわかりかたではあるけれども、実感がある。
それは、ゲーム。
私は、ゲームをコレクションしてきた。
「いつか、時間が出来たら遊ぼう」と思っていたものもある。昔に遊んだものが違う筐体に移植されたのとかも、「あれは楽しかったな、また遊べるといいなあ」と思って、時間がない時も、体力がない時も、買ってきたものがある。
それと同じで手芸の材料とかも、結構買っている。
「いつか、時間が出来たら」
「また、こういうことをやりたくなる機会もあるだろうから」
とかそういう感じ。すると、たまっていくんだな…。
多分だけど、私の手芸材料で出来るかもしれない手作り品の量と、遊んでいないがたまっているゲーム全部をクリアする時間を考えると、多分私はもう、新しいゲームを買わなくていいぐらい持っていると思う。
新しいゲーム機で発売されるゲームを遊ぼうと思ったら、古いのはもう、一回軽くクリアしたら捨てるぐらいのことをしないと、ゲームがあまり買えなかった時のように、全要素遊びまくって、周回プレイとかやっていたら多分時間が足りない。
なるほど…もう、「どれでも遊べる」じゃなくなってるんだね。
そう思ったとき、彼女の言葉が思い出されて、「あー。なるほどー」と思ったのだった。
ゲームボーイのゲームをなるべくクリアしたら、次は3DSのダウンロード版のバーチャルコンソールとか、移植版だ。
バーチャルコンソールとか、移植版はタッチパネルを使わなくて、ボタンで遊べるものもあるから、外部出力を考えてもいいかもな…。
厳選!移植ゲーか…。
ファイナルファンタジーと、ドラクエかなあ。あとはロマサガ…。
シレンとか、トルネコとかもあるしなあ…。
ちなみに、スイッチに出るというので楽しみにしていたチョコボの不思議なダンジョンは、どうも発売延期になったみたいだ。
シレンは難しくて挫折したこともあるし(シレンのゲームボーイ版)、シレンはあきらめるかな…。
電池入れ替えたONIシリーズも一度はやりたいし…(まだ電池のソケットが届いていない)。
ヨッシーのクッキーはふっと気づくと1時間ぐらいやっちゃってるしな。
やっぱり、「やりそうなの」と「もってるだけ」のは、区別をつけて、整理しよう。
そして、違うゲーム機で持っている同じゲームもまとめようか…。こういう時に、図書館みたいに、「本の寄付を受け付けます」のような、ゲームの寄付を受け付けるのとかがあればいいのにねえ。
20代の頃は、「始めさえすれば、いつでもゲームの1本ぐらい遊べる」と思っていたものだけれども、やっぱり趣味というのは、厳選して選んでいく時期に来ているのだろうと思う。
図書館の本を手当たり次第に読めた10代の頃…。
暇つぶしに、レンタルビデオ屋さんの床の箱のなかから1本100円のビデオをテキトーにつかみ出して帰って、友達と批評しながら見た夜。ひたすら、暇だった。
でも、今は。
そうだね。やっぱり本も、映画も、選ぶことになるんだと思う。そして、ゲームも。
厳選。新しいものを遊ぼうと思ったら、古いのは遊ぶ時間、ないもんね。
古いものを遊ぶなら、新しいものは遊べない。悩むところだ。
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
今年一年、お世話になりました。来年もよろしくお願いします。
うちのブログは、年末年始も、淡々と毎日更新です。