LuckyDuckyDiary

突然の涼しい日

今年の夏は暑かった。
これは8月の半ばぐらいに書いておいたメモ書き分から。

台風が近づいているという天気予報を聞いた次の日は、驚くほどの涼しさだった。
早朝の温度、25度。昼の一番上がったときの温度が30度だという天気予報を朝に見たときはびっくりした。

涼しい…。東と南に面しているうちのリビングは朝から熱いのが通例だが、この日に限っては朝の10時でも28度!

ここしばらくはちゃんと眠ったはずなのにだるいことも多くて、これは何か、更年期だからなのか、それともこれは気分の問題なのか?と暗くなっていたのだが、全然だるくない。なんだか普段やらないことをやる気が出てきて、自分の部屋の整理を1時間ぐらいして、掃除洗濯をもちろん終わらせ、そのあとにしばらく放っておいた本を読み、挙句編みかけだったものの続きを編むぐらい、やる気が出た。

 なにこれ…。全然違う。
気分もぐっと上がっているのがわかる。

 久しぶりに冷たいお吸い物ではなく、熱い味噌汁を夕飯に出した。唐揚げなんていうものを食べる気が出る。
 
夜は、クーラーなしでも涼しい…というか、お風呂から上がったら、急いで服を着たほうがいいぐらいの温度。
温度計を見たら26度だった。

ひゃー。大体、なんとか28度か29度ぐらいの室温になるようにエアコンをかけているのだけれども、それより2度も低い!
 それにクーラーがかかっている中にいるとどうにも手足の先だけが冷えて、気分がよくない感じになりやすいのに、このさわやかさ、何!湿度33パーセントって!どこの高原か!

 26度になるようにクーラーかけたら、普段なら絶対気分が悪くなる。寒すぎだと思うだろう。でも、気温が全体的にこの温度だと、本当にいい感じだ…。

 避暑地って、こんな感じ?

 夜もぐっすり眠れて、次の日も同じぐらい涼しくて、体調がぐっとよくなっているのがわかる。

つまり、このだるさとか、微妙な不調とかはやっぱり温度が原因ってことなんだねえ…。
クーラーのかかっているところと、かかっていない場所との温度差とかもあるだろうし、夜は32度ぐらいだとエアコンのない部屋で寝ているせいもあるだろうから、そういうところが関係してくるってことなんだろうけど。

 夜中に23度でタオルケットをあわててかけるような状態で寝ていると、涼しいのがよくわかるなあ…。
夏が終われば、体調もあがるってことよね、きっと!

 希望的観測に、ちょっと気分も明るくなった。

それと、思いついたんだけど、つまり昔の本州の夏ってこういう感じだったってことよね。
昼は30度ぐらいに上がって、朝晩が24度とか27度ぐらい。
そりゃ、教室にクーラーいらないよね。そして「朝の涼しいうちに宿題を終わらせましょう」という注意が、夏休み前に出るわけだ。
そして熱帯夜が25度設定、と。

扇風機とかき氷で夏が越えられるわけだよ…。今年は昼が38度とかで、朝の10時で34度だもの、体調が悪くなるのも無理ないよ。
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
今日から9月。早く涼しくなりますように。結局、このメモ書きにかいたような涼しい日は、2、3日で終わりになってしまった。
10月ぐらいには、朝晩26度とかになるのかなあ。9月ではまだそこまで落ちない気がする。
 

巨大乾燥機

この夏はとても暑かった。9月になったところで、変化は不明としか言いようがないぐらい、暑い。

この夏でよかったことを無理やり探すとするなら、洗濯物が乾かないという心配だけはなかったことだろう。布団もふかふか、シーツはぱりぱり、黒い日傘はなんとなくヨウカン色に色がさめてしまった。

台風が近づいているんだったか、それとももうちょっと遠くを通り過ぎてしまって、しっぽだけ残っているのだったか、ベランダに洗濯かごを持って出たら、エアコンをかけた室内との温度差がはげしい。

風がつよくて、ゴウゴウと音がする。
シーツやタオルがバタバタとはためいて、テキトウな留め方では飛んでいきそう。
熱風に髪をあおられる。
呼吸だけで体力が減りそうな息苦しさ。

…乾燥機の中に入ったら、こんな感じだろうか。

1時間半ぐらい後にチェックしたらほとんどすべての洗濯物が乾いていた。
優秀だな、この乾燥機。電気代がかからないのも実にすばらしい。

 そう思いながら洗濯ものをたたんだ。エアコンがあるからこそのこの余裕。
ちなみに、7月17日から8月17日までの電気代は、去年の同時期の25パーセント増しで、12000円ぐらいだった。まあ…こんなものだろう。今年はしょうがないよね、と夫と顔を見合わせた。

初めて魚解体に挑戦

いつも読みに行っているてかとさんのブログで、【さんまの解体記事】を読んだ。

 威張ることじゃないかもしれないが、私は主婦歴二十数年の今もって、魚を解体(さばく、というのか)したことがなかった。
アジとかサンマとかを焼くときは、丸ごと焼いて出していたし、サンマの内臓はそのまま…つまり「さんまのワタ」というのは食べる人もいるぐらいなんだから、それでいいんだよ!ということにしていたし、ししゃもとかメザシみたいなものはもちろん丸ごとたべていた。

 それ以外の魚は、大抵切り身になったものが売られているものだし、切り身になっていないにしろ、頭と内臓をどけてくれるとか、そのあと開いて扱いやすく半身ずつに分けた2枚おろしとか、中骨をはずして、つまり切り身ともいえる、三枚おろし…ぐらいにまではしてくれる魚屋さんも多い。なので、まあ、出来なくても…、大丈夫と言えば大丈夫なんだよね。

 でも…。読んでみると、もしかしたらできるかも…と思えるものでもあった。
刺身にする…というのではない。あくまで干物屋さんのさんまの開き!状態までもっていくだけ。
多分かば焼きにするには、小骨を抜く作業がいるだろう。でも、まずはやってみる?ということで、3匹300円ちょいの、冷凍さんま(解凍)でスタートしてみた。

 洗う。
 魚の顔のところのヒレの上に切れ込みを入れて…
「背骨を切った手ごたえがあったら止めてください」…っていうけど、背骨って、切るの?それとも包丁が背骨にあたったら止めるのか??<いきなり挫折。

 頭と骨をくっつけたまま引っ張り出す…というような記述はなかったけれど、不明だったのでとりあえず背骨が包丁に当たったところでストップ。

肛門のところを割く、と書いてあるけど、ええと、これは切って開けばいいのか?内臓って、どっちの方向にくっついてるの?これは内臓の端を切る、ということになっているのか?<やっぱりイマイチわからず。

しょうがないので、2センチぐらいに切り目が長くなったところでストップ。

頭をひっぱって取って、ついでに内臓が抜ける <これは成功。

水で洗って、さっき切ったところから、お腹を割いて、手で開いて、適当に押さえて、開きの状態に。

キッチンペーパで水分を取って終了。

大きい骨だけ、はがれないかな…と思ってむしってみたら、骨に身がずいぶん残る。ウームもったいないかも?
小骨も、お刺身の時みたいにちょっと手で探って取ってみるけど、これ、身が減るね?

…というわけでこのまま焼いて、骨は自力で取りながら食べましょう、ということにしておいた。
サンマのワタの味がつくのが嫌いな息子と夫には、いい変化だと思う。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
初めて解体してみて思ったこと。
血なまぐさい。結構血が飛んで、3匹分終わってからみたら、Tシャツに薄い血の色のしみがついていた。
うーむ、こういう作業をする時には、エプロンをするのはいいアイディアかもしれない。

手を塩でもんでから流すとだいぶ匂いが取れるけれども、魚屋さんみたいなにおいがするのもある。
 ローズマリーのにおいが強めのせっけんで手を洗うと大丈夫になった。

はあ…。多分、これでうまくいったんだと思う。
なんとなく…ちょっと自信がついた気がする。
パックの切り身よりは大変だけど、これでサンマの丸ごととかが安いときに、買いやすくなるもんね。


今日もてかとさんありがとう。

バラの花の洗顔料

ネットで、【エビータボタニカルシリーズ】という洗顔料の話を読んだ。
どんなものなのか…というと、泡で出る洗顔料で、その泡の形が、バラの花みたいになって出てくるものだということだった。

洗顔料というのは、顔を洗うため…まあ、顔以外のところも洗えるけど、つまりせっけんと同じような用途のものであって、泡の形はどんなものでも構わないはずだ。花の形をしているというのは、付加価値ではあるけれども、たとえばせっけんに付加価値でつける何かだとしたら、大抵は「汚れがよく落ちる」とか、「洗った後につっぱらない」とかそういう感じのものが多いだろう。
「美白効果がある」とか、「洗うときに手触りがいい」とか、多分「洗うときのにおいが素敵である」というようなものも、多分あると思う。

 「容器がかわいい」も、クリームとか、化粧品には「あり」のような気もするが、全く「洗浄」と関係のない「泡の形状」で勝負をかけている商品を見たのは初めて。

 ただ…石けんで洗顔をしている私の洗顔費というものは、大体1カ月で200円か、それ以下。1200円という値段はちょっと、高かった。

 でも…。気になってしょうがない。
 夕食時の話題に出して、夫にねだってみた。

やってみたい、ほしい、と私がする解説に、息子も、「見たい!」と援護してくれて、苦笑した夫は、「次回、少額のものをアマゾンで送料無料にしたいときに買うから、リンク送っておいて」といってくれた。

 …というわけで、届いた洗顔料。
 息子とふたりでわくわくしながら試してみた。

 おおおお!!ちゃんと花の形になるぞ!(あたりまえだってば)
こういうのって…。ほんと、日本にしかないよね…。

 こう…無駄に技術があるというか、発想が独特というか…。
多分、「いい匂いの洗顔料」は、アメリカにもあると思う。多分ヨーロッパにも。

でも、ごく普通の泡洗顔料に12ドル払えるか、となると消費者があんまりこういうノリについてこないと思う。
このバラの花を見て、「気分があがるわー」と思えるかどうかがなあ…。

 かわいいものが好きな人が…そして泡の花というものすごくはかないものに、ときめきを持てるか…ということなんだろうな。

生クリームみたいな感じのものをこう、バラの花みたいに出すのも出来そうだけど、洗顔料とかだと量が多すぎだものね。
 この、硬めの泡立ち具合といい、口の形状といい、研究したんだろうなあ…。

ここ3日、この洗顔料で顔を洗って大変満足した。

 歯磨き粉がかわいく出てくる、とかあったら面白いのにな。
ハンドクリームでもいいけど。


はじめてのヘアワックス

「アホ毛」という表現を皆さん、ご存じだろうか。
これは、普通なら全体に向きがそろっていて、まとまっている髪の毛のうち、何本かが他の髪の毛の向きと全く別…たとえば上とかに、目立って出てくる状態をいう。他のと長さがそろっていないてっぺんのあたりとかに出やすいのだが、なぜか変わったうねりがある髪の毛がランダムに数本出現する…と表現するしかないだろう。
首のあたりにまとめた髪のうち、何本かが長さが短くて、まとめきれずに出るのが「おくれ毛」。
アホ毛は頭頂部に出るのが多いのと、湿度が高いときになのか、静電気でなのか、ふわーーーっっと一本だけ張りのある毛が浮かんでいる感じになりやすい。

 私は社会人をしていた時、あんまり頻回に美容院に行けなかったので、割と長めに伸ばしていて、髪の毛を首の後ろに団子にまとめていた。その時は、アホ毛が出てくるのはしょうがないこと、と思っていたのだけれども、最近ちょっとおもしろい商品の話を聞いた。

見られない場合は画像のリンク切れです、【ウテナまとめ髪スティック】というもので、塗るとアホ毛がまとまりやすい…という触れ込みだった。きっちり髪の毛をまとめなくてはいけない職業の人に大人気、浴衣の時にする和装用のヘアにも…というようなものらしい。

 実は全然、こういうものを使ったことがない。まあ、学生時代は寝ぐせ直しウォーターだとか、髪の毛に癖をつけて保持するスプレーとかを使っていた子がいたし、舞台に出るときには、なんだかジェルみたいな「デップ」と呼ばれている物体で前髪を固めたことはある…ぐらい?
 昔よりも色々なものが開発されているのだもの、面白いかなあ…と思って買ってみた。500円ぐらいだったので、手を出しやすかったのもある。


塗ってみた結論。
結構すごい。
基本、ワックスだから無理もない話で、コテコテして手触りが悪くなるけど、ふわふわと立っていた頭のてっぺんの毛がちゃんと他の髪の毛と同じ方向に寝てくれるし、ふわっと持ち上がる謎の曲線を描いたアホ毛が目立たなくなる。
 宣伝通り。

 お湯を使ってシャンプーするとか、流すときにはちょっとした気遣いがいるけれども、それを除けばちゃんとそろって見えるのがすごい。
 見た目的にはぐっと「ちゃんととかしてきました」という感じがする。
 
 安い割に、使いやすいし、容器をもってこすりつけるようになっているので、手につかないのもいい。
 
年をとってから、新しいことをするのは脳の活性化にいいらしいからね!この「美容関連」は思いっきり避けてきたところなので、初めてのことが多くていい。
 活性化しますように!

このヘアワックスはお出かけの時に使おう。
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
台風は、かなりの暴風で、ベランダのガラスとか、窓ガラスにビシビシ風と水が吹き付け、なんと、かぎまで閉まっているサッシから水が漏れるぐらい。テープをサッシの合わせ目に貼ってしのぐほど。

 物干しざおが折れて、強風でマンションが揺れて、網戸が勝手に動く…というような感じで、風圧どのぐらいで、ガラスって割れるんだろう…なんていうことが頭に浮かぶほどの夜でした。

 不謹慎っぽいけど、実はガラスとベランダのタイルがとてもきれいになっていたのはご愛敬?

カーテン新調

今住んでいるマンションを買うと決めたときに、業者さんが入って、ぴったりのカーテンを作りましょう、という販売会があったのだが、そのカーテンの豪華なこと、高いことったらなかった。

 宝塚のステージじゃないんだから…というようなカーテンが展示されて、家中のカーテン揃えたら30万とか50万とかもっと…とかもう冗談じゃない…というお値段だったので、そのカーテン即売会はかなり短い時間で切り上げた覚えがある。

 私の部屋、夫の部屋、寝室…などの部屋のカーテンは大体市販のサイズのものでホームセンタ―へ行って買った。
 まあ、大体市販サイズのカーテンというのは、それほどは高くないのが通例。格安のものではなくて、ちょっといい感じのものでも、オーダーカーテンよりずっと安い。

 ただ、リビングの窓の南側のカーテンだけは市販のサイズでは丈が足りなかった。カーテンレールが窓枠ではなく、天井にくっついていたからだ。
 さすがにこれはしょうがないので脚立を使って丈を計って、ネットで注文した。幅が足りないなら枚数をかけることでどうにかなっても、長さはなあ…ということで、たしかこれはホームセンターのカーテンよりちょっと高かった。

 リビングの東側のカーテンは、レースのカーテンで窓の幅が「2メートル40センチ」という半端な数値だったので、1mの幅のカーテンが3枚、前の家で使って余った分の丈だけ切って縫い直すという方法で大変安上がりにつけておいたのだが、その窓の方角にテレビが置いてある。

 朝にゲームする時にまぶしいので、カーテンを買いたい、と夫と子供からリクエストが入った。

 うーむ、レースのカーテンだけではだめか。
「俺が(お金を)出すから」というので、市販のサイズの遮光カーテンを買いにいった。丈135のでいいだろう…窓枠の下までくるけど、120だと多分短すぎて光が漏れる。

 幅が240というのが曲者で、150幅1枚と1mを1枚か、120センチを2枚ぐらい…と思うのだが、120センチ幅というカーテンは市販のものにはない。150センチは、売っていないわけではないが、丈が135のはないし(大抵178とか198)、取り寄せになる。(オーダーよりは安い)

 …しょうがない…。もう今日ほしいというのだから…というわけで、1m2枚セットを2つゲット、3枚かけておく方式で。
面白かったのは、リビングに今かけてある南側の窓のカーテン(さっき書いた、長さを計ってネットでオーダーしたもの)と似てるだろう、と買ってきたら、見分けがつかないぐらい同じだったこと。
 お揃いになったのでラッキー?

 朝早く目が覚めてしまう部屋だったのだけれど、東側も遮光カーテンにしたらよく眠れそうな感じ。逆に寝坊の方を心配したほうがよさそうだ。

 それと同時に、しみじみと、自分が「インテリアコーディネート」などというものに縁がないことを実感。
 
こういう時に、やっぱりこだわる人はせめて、カーテンの幅ぐらいそろえるだろうなあ、と。

ちなみに、今考えてみたけれども、家中のカーテンの代金をあわせても、多分5万円ぐらい。
 お金をかけないでいいところにはかけない…のは、大事なことだよね。うちはまだ子供の学費もいるのだし、老後の資金だって必要なんだから。レースのカーテンと、遮光カーテンで機能も充実、無難な見かけのベージュの無地で問題はない。

 でも…ふと思うんだよね…。こういうものにお金をかける人生って、どんなのだったんだろう、って。
 服や、靴にお金をかける生活って、どういう感じだったんだろうって。今だと、あんまり着飾った感じがすると気恥しいほうが先に立ってしまって、あんまり居心地はよくない。

 でも、慣れるまでやったら、どうなるんだろう。
 知らないままのほうが、多分お金は節約できるだろうからなあ…。今の時期は多分、そうしておくほうがいい。
なんとなく変化がほしくなっている、夏の終わり。新しくてお金のかからない趣味でも探そうかな!

子豚の貯金箱

うちには、貯金箱がない。小銭はためておかないで使ってしまう。

 でも、洗濯の時にポケットから出てきた小銭とか、子供をお使いに出したお釣りとかをパッと入れる場所がほしいな…と思った。
今まではこういう小銭が出てきたら家計の財布にいれるまでそのあたりにテキトーに置いてあったのだけれど、たとえば洗濯機のところに貯金箱を置いたらいいかな、とか、ちょっとした思い付きだ。

 貯金箱というのはつまりコインが保持できればいいので、牛乳パックとかジャムのびんとかでいいといえばいいのだけれども、それっぽいのがほしくなってしまった。つまり、買い物したい気分だったのだ。
 普段なら100均に行ってみてくるのだけれど、今日はなんとなく100円じゃないものがほしかった。

そんなわけで次の選択肢はネットショッピング。
「貯金箱」で検索をかけてみる。
 どうせなら、電池で動くのとかはどうだろう?昔、友達の家で…それも、お父さんが銀行に勤めているというお友達の家で見せてもらった貯金箱はお金をいれると動くからくり貯金箱だった。イトコの家には、コインを手に乗せて、下に押してから離すとパクリとコインを食べる貯金箱があった。

 ああいう感じの面白いのが、いいなあ…。

 画像検索を見ていたら、どこか見覚えのある貯金箱が。

これは、昔、祖母の家にあった。
戸棚に、飾ってあった。その棚の中には、こけし、日本人形、フランス人形、キューピーさんや、お土産物の徳利や湯飲み、木彫りの熊なんかもいた。薬局でくれるサトちゃんやケロヨンまでいたことを思うと何とも雑多な感じだったが、多分「誰かにもらって捨てられない」ようなものがまとまっていたのではないだろうか。

 …この子ブタの貯金箱、まだ、売っているんだ?記憶通りのその姿に驚いた。水色のリボン、くりくりとした目、お花の飾り…。

 祖母は、この貯金箱を開けさせてくれて、中には外国のコインや、「今のではない」お金が入っていた。
 みたこともない八角形のコインや、菊の花のついた100円、大きい50円。

 今の100円は、ハクドウというもので出来ていて価値はないけれども、昔の100円には銀が入っているので、そういうのが「本物の銀貨」だということとか、今の50円は小さくてちゃちに見えて、こういう大きい50円が当たり前だった時に新しい50円が発行されたときは50円の価値がなくなったようでがっかりした、とかそういう話を祖母はしていた。
 私は「はくどー」というものを全く知らなかったが、「金貨や銀貨がザクザク出てきました」というお宝が出てくるおとぎ話は知っていたので、とても感心したのを覚えている。

 多分私はお金というものを知ってはいたが、貨幣価値を知らない年頃だった。4歳か、5歳ぐらいだろうか。チラシの裏に鉛筆でコインをこすって絵が浮かぶフロッタージュをさせてもらいながらそんな話を聞いたっけなあ…と、聞いてから一度も頭に浮かばなかったようなことを思い出した。
銀貨を打ち合わせると、とてもいい音がする…というようなことも聞いた気がするが、それを確かめたことはないなあ、とか。
 
 この貯金箱買おう!と思って、あちこち調べてみたら、どうもこれ、大きさがいろいろあるみたいだった。ちっちゃいのでいいな。
というわけで、800円ぐらいのを購入。(体長10センチぐらい、幅、高さ8センチぐらいのコロコロした子ブタちゃんだった)

 貯金か…。雰囲気がいいなあ。ちょっと節約してこれにお金を貯めて、数千円たまったら買い物にいく、とかどうだろう。
そう思うとちょっとワクワクしてきた。

 たくさん、たまりますように。子ブタちゃんに100円入れて、願掛けをした。

換気扇掃除をプロに頼んだ

時々、マンションには広告が入る。この時期だと多いのがエアコン清掃。
そのほかにも、お風呂やキッチンの換気扇、不用品引き取りとか、ガラスやベランダの清掃なんかもある。まとめて掃除してこの代金で、というようなチラシを何度も見かけていたが、こういうものは結構お金もかかるし、相場もイマイチわからないし、信用できる業者さんかどうか…というのはなかなかわからないものだ。

ネットのレビューなんか、いくらでもサクラが書けるので、微妙なところだなあ…と思って結局一度も頼んだことはなかった。

今回届いたのは、このマンションを管理している会社からのお知らせだった。
換気扇掃除をしませんか、というもので、申し込みは管理人室へ出すというタイプ。
マンションではこういう業者さんは不動産会社が決めて契約を結んでいて、例えば毎年一回はお風呂と洗面所と流し台の排水口が詰まらないように点検があるとか、ベランダの外側のガラス清掃があるとか、火災報知器の点検だとか…といったような「申し込みなしで全員でやります」というタイプのお知らせも回ってくる。そういうのと同時に回ってきたのがちょっと珍しかった。

それに目を留めた夫が、「じゃあ、これはやろうか」と勧めてくれた。
夫が言うには、管理会社が契約している会社というのは、少なくとも明朗会計で、不具合があったときには訴える先がはっきりしているというのもあるから、チラシに入っている、なぞの業者さんよりは安心感があるから…ということだった。

正直なところ去年の年末に熱湯と洗剤でもって、かなり熱心に換気扇を掃除して、フィルターを取り換えたので(注:大変だった)、もういいかな…と思ったのだけれど、確かに一番奥の方を部品を外してきれいにしてくれると言われると、手付かずなのも確かだから、と思ってお願いすることにした。

 業者さんは、まず換気扇をの部品とかフィルターとかを外してから、部品を全部引き取って持って行ってしまった。午前中はこれでおしまい。後は業者さんが自分の会社へ戻ってまとめて洗浄してから夕方に戻してくれる…という説明だった。

なるほど…。個別の家ではやらないんだね。確かに他人が長い間居座るのは居心地が悪いからね…この方法のほうがいいかも。

部品を取り付けながら若いお兄ちゃんが解説してくれたところによると、ちゃんと定期的にフィルターを交換していたために、汚れは薄かった、ということだった。「使い始めてから一度もフィルターを替えていない家もあった」そうだから、そういうのを落とすのは大変だろうなあ。

 汚れが薄かったのなら、もったいなかったかな…とも思うけれども、つまりはフィルターさえ交換しておけばこの手のプロの清掃をかける頻度は低くて済みそうだということはわかったので収穫だった…ということにしておこう。
 ちなみにお値段は8500円ぐらいで、私がプールしておいた「予備費」でOKだった。

猫じゃらし

今日のあたりまえポエム↓

市役所の前には、花壇が整えられている。
いつもきれいなので写真を撮らせてもらったりしている。
 実家の庭に昔あった植物をのぞけば、それほど知っている植物があるわけでもないので、何が生えていても、栽培するようなものではない雑草が生えていてもわからないといえばわからないのだが、一本だけ、猫じゃらしをみかけた。

 確か、本名は「エノコログサ」というのだっけ。きれいな花が生えている花壇の横でなんとなく違和感があったので気づいた。
 この草は、懐かしい。これはどこに生えていても、摘んでも文句を言われない草だということは割と小さいころ覚えた。
 ちょっと頭のほうが重いので、この草を手に持って、ぷらんぷらんと揺れる感じを楽しみながら歩くのだ。

 この穂の部分だけをちぎって、茎にくっついていた方を上にしてこぶしの中に握り、軽く握ったり離したりすると毛虫のように手の中から這い出す…なんていう遊びもあった。昔の子供はとーっても暇だったのだ。
男子だと、ちょっと茶色っぽくなったようなこの草の穂を、「毛虫だーっ」と女の子にぶつける…というようなこともしていた。
 大体の女子は毛虫は嫌いなので、きゃあきゃあ逃げ回る子が多かった。それに、たまに毛虫じゃなくても、本物の虫を混ぜるというような嫌なトリックを使う男子もいたので、本物じゃないじゃないか…と高をくくったままにはしておけない遊びだった。

 これは「猫じゃらし」とよばれているだけあって、ネコと遊ぶのに使う人もいた。今はこの形のおもちゃが売られているけれども、昔は本物を持って行って遊んだ。
 多分…猫との最初の思い出はこれだと思う。

 多分、猫と私が遊ぶ…のではなく、猫が私と遊んでくれたとしか表現できないぐらい、幼いころに、私はふさふさした、とても大きな猫じゃらしをもって、猫のところへ行った。どこの猫だかも覚えていない。でも、大きくて、どーんとした猫で、小さな私は、「この猫は、大人なのだ」と思っていたと思う。

 猫は、しょーがないな…遊んでやるか…という感じで、ちょいちょいと猫じゃらしに構って、そのあと興が乗ったのか、かなり本格的な目をして、狙いを定めて、びしっ!と猫じゃらしをとらえた。
私はとてもそれが怖かったのだ。

 猫じゃらしを放り出して涙ぐんだ私を見て、その猫は、ちょっと困っていた。
真相はどうだったのか、今となっては謎だが、私は多分、そのあと涙を拭いて、帰ったのだろう。

 猫じゃらしの姿は変わらず…。懐かしい昔なじみに声をかけられたような気がした。
 

どうぶつビスケット

息子が、今年義実家に遊びに行って、帰りにもらってきたお菓子がこれだった。
 息子のカバンに、帰りに食べなさい、と入れてくれたらしいのだが、息子はあんまり甘いお菓子を食べないので未開封のまま、家に持って帰ってきた。

 夫は一口でギブ。
 しょーがない、後は私が食べるかどうかだ。
 現行商品でたぶん一番有名なのは、【ギンビスのたべっ子どうぶつビスケット】で、これは息子が小さかった頃よく外出先でおやつになっていた。手がベタベタにならない、小袋わけのおやつというのは小さいころは本当に便利だった。

 でもこれは、多分ギンビスのものじゃない…んだろうなあ。食べてみると、結構固い。カキンとした歯触りだ。そして裏側に砂糖が塗られている。ピンクのお砂糖が子ブタちゃんに、白いお砂糖がコウモリに…砂糖の色は水色、ピンク、白、薄黄色。
 これ、食べたことある。
 「ヨーチ」という言葉が頭に浮かんだ。多分、そう呼ばれていたのだと思う。懐かしい…。
とても単純な味だ。昭和っぽい味。

 バターっぽさのかけらもない味で、乾パンよりはもちろんおいしいけれども…
 小さいころ、これをひとつひとつ比べあって、どうぶつの鳴きまねをしながら食べた。イトコ、近所のお友達、姉…。

 思いついて、「ヨーチ ビスケット」と検索をかけたら、見事ヒット。なるほど、このお砂糖でコーティングしたビスケットは「動物ヨーチ」と呼ばれているらしい。
 【今でも製造している会社】があって、そこの解説によると、このビスケットはイギリスでは「kindergarten biscuit」と呼ばれていたらしく、輸入したときに、じゃあ、「幼稚園ビスケット」だな、と大変シンプルに直訳され、それが略されて「ヨーチビスケット」とこうなった…ということらしい。
 今でもビスケットにこういう砂糖コーティングをかけるのを「ヨーチ加工」というぐらいなので、最初は多分、どうぶつビスケットが多かったのだろうね。どの時代も小さい子はこういうの、好きだろうしなあ。
イギリスの伝統的な公立小学校(5歳ぐらいから行くような)を舞台にした小説なんか読むと、11時におやつを食べる…というような記述が出てくるので、これを紙袋に入れて、学校に持って行っている子供たちが頭に浮かぶ。

 きっと、村のお店で樽で売っているのだ。クラッカーの樽とかと並んでるの。そう思うと一気にイギリスっぽいなあ。
 子供のおやつなら、お供は紅茶じゃなくてミルクかなあ…。
 
 砂糖味のビスケットと、冷たい牛乳か、薄いミルクティ。ふむ…
 今お菓子屋さんで売られているクッキーやビスケットと比べるとシンプルな味だけど、19世紀の終わりごろの味だ、と思って、そのころの物語を読みながら食べると雰囲気が出る。
 

今日の本はこれで決まりだなあ。見られない場合は画像のリンク切れです【村の学校】。イギリスの昔の学校の雰囲気を知るには最強。
 イギリスの村の19世紀から20世紀途中まで…といったところだろうか。自動車がまだ、普及しきっていない頃で、とても雰囲気があるシリーズ。
 ヨーチビスケットを食べながら、読むことにした。


赤い飲み物

今日の当たり前ポエム↓

この写真を撮って、なんて書こうかな…としばらく考えて文字をいれてからも、誰がこのセリフを言ったのか思い出せなかった。中年も極めるとほんと、忘れっぽくなる。

 でも、画像をアップロードする時に思い出した。赤い飲み物はほかのよりもおいしそう…といったのは、【Anne of Green gables】の主人公、アン・シャーリーだ。日本の題名だと「赤毛のアン」。

 何度も何度も読んだ。日本語版も英語版も読んだ。でも毎回、そうだよね…と思えて、アンがお友達みたいに思えてきてしまうそんな本だ。
 アンと同じ年ごろの頃から読んで、中年になった今はさすがに十代のころのような感動はないが、ちょっとしたことに気づいて、そこに幸せを覚える…かわいいものや、きれいな景色や、ちょっとした思い付きや、自分で考え出した言葉やなにかに、「いいね」と思って暮らしているアンは、見ていて幸せになる人物だと思う。

 私も。そう思って共感すれば、自分の生活も捨てたものではない…と思えてくるところがいい。
 なんせアンは当時の習慣でいうと当たり前のように専業主婦なのだ。手作業、料理、家事。海外旅行にも出ず、島からも出ないぐらいの狭い範囲で暮らしていても、文学に親しみ、想像力の翼で遠くまで飛んでいるアンをうらやましいと思う。

 赤い飲み物…ちなみにこれは、ベリーソーダ。
 そうだね。赤くてきれいで、確かにおいしい。

 アンを思い出すと幸せを一粒、一緒に飲み込んだような気がした。

マツバボタンの種

今日の当たり前ポエム↓

実は書こうと思ったことと写真の中身が合っていないのに後から気づいた。
 私は、この植物を見たとき、マツバボタンだ、と思ったんだけど、この写真は「マツバギク」らしい。人違いだったのだけど、初心を貫いて、マツバボタンのことを書きたいと思う。
 
 マツバボタンというのは、とても育てやすい花で、実家の庭にもたくさんあった。
 その種が、とても小さい。さらさらとした銀色の砂のような…。

 直径3、4ミリのさやからこぼれるその種の1つ1つに、来年また、鮮やかなマツバボタンを咲かせる力があるのだ…ということがとても不思議だった。
 
 たとえば、ユリや、チューリップの球根に命が入っているのはとても分かりやすい。大きいし、ヒヤシンスなんか、水だけ入れておけば根が出て葉が出て、花まで咲くのだ。イメージとして花が畳まれてはいっていて、伸びていくような感じが想像できたものだ。

 朝顔の種も、分解すると小さな芽の素になる部分がわかったものだし、ヒマワリの種は味だっていいし、栄養たっぷりな感じが命をはぐくむ力を感じさせた。

 でも…マツバボタンの種だけは、本当に不思議だった。吹けば飛ぶようなこの種。
 
 ただ、種だけではとても咲かないような気がしたのだ。だとしたら、必要なのは魔法みたいな、見えない力が働いているようなそんな気がして。

 だから、私はマツバボタンの種を集めた。
 紙で薬のように包んでおくやり方を覚えて、折り紙で包んで、立てて並べて。

 魔法。色とりどりの魔法がどこかからやってきて、マツバボタンを咲かせてくれるのだ。
 
 父は毎年、気を付けて花が咲くようにしてくれたのだと思う。私がこの花を好きなのを知っていたはずだ。
 鉢植えでも、やってみようか…。多分一番最初にチャレンジするのはマツバボタンにすると思う。

散歩の時に

今日の当たり前ポエム↓

プラプラと、ポケモンGOをお供に散歩していて、ふと漂ってきた匂いに、この木を発見。イチジクだった。
 熟れていなくても、結構いい匂いがした。

 葉を茂らせて、力をため、花をつけて実がなって、熟すまで…。春の初めから、お盆過ぎ位まで時間がかかることを思えば、数カ月…。 何をするにしても時間がかかる。

 まだ寒さの残るころから今までで、出来たことがなにか、あっただろうか。
 
 私は、すぐ結果の出ることが好きだ。
 長くても、来週ぐらいには仕上げてしまうような…。でも、半年ぐらいの長期プロジェクトもあってもいいんじゃないだろうか。
 
 あ、でも断捨離は確かに長期プロジェクトか。(ただ、手付かずなだけともいう)掃除は、この春から初めて、いい感じになっているし、少しずつためていくのもいいと思う。
 編み物もそうだし、クラフトも、超絶長いシリーズものを読むのも、どれも少しずつ長期間で進めるものだ。
 
 もうちょっと、コツコツと長期間やるものも視野に入れよう…。
 途中で投げ出しているものもまた拾えばいいじゃないの、ねえ。

 ふと安売りだったから買った、昔読んだ長編シリーズの電子本セット、また読み始めよう。
 編みかけでおいてあるマフラー、今年こそ編み上げるぞ。
 そうだよね…。使ってくれる人がいなければ近所のバザーに出しちゃったっていいのだ。
 編みあがらないと、そういうことをするわけにもいかないからね。

 待つ…。少しずつやって、気長に。

すぐ手に入らないのが嫌で投げ出しているものも結構あるので、行動パターンを変えてみるっていうのもありか。
 一年かけたら、熟して手に入るぐらいで。

 他の人には、焦らないで、待つのだっていいと思うよ、なんていうくせに、自分でやるとなるとなあ。
でもこれも、「新しいことにチャレンジする」になるよね、きっと。

脳の活性化ということでがんばってみる。

砂の上の足跡

今日の当たり前ポエム↓

河原で見つけた。
 「世界初」なんていうことは滅多にない。歴史なんていうものが残るようになってからは、史上初、も、今時あんまりないだろうな、とは思う。

 昔は新発見が多かっただろうけれども、それを教えて広げていくことで、もっと先へ進んできたのだもの、そうなるよね。
 どこでも、なんでも先人たちの足跡がついているということになる。

 悩んでいることなんかもそう。10代、20代の頃に悩んでいたことなんか、昔はアドバイスをくれる40代の人なんかがとてもすごい人みたいに見えたものだけれども、多分、今の私なら同じようなアドバイスが出来ると思う。全然すごい人じゃないのにだ。
 やっぱり、通り過ぎたからこそ、わかることは多い。

 ため息が出るような日常でも、ここはきっと、みんなが通るところなのだ…ということは覚えておこうと思う。
 誰もいない荒野みたいに見えても、足跡が残っているのだと。

 自分だけじゃないと思うことは、気分が下がりきらないためにも、重要だ。

 多分、こんな気分の時も、ただ淡々と過ごしていればそのうちまた、上向いてくるのは経験でわかってるから。
そう言い聞かせて、本なんか読んで。
 
 掃除、洗濯、夕飯の準備。

昼ご飯に食べたチキンラーメンが、おいしくて浮上。
 単純だな…。

 チキンラーメンは60周年らしい。60年前、私は生まれてなかった。

60年後には、私はもうここにいない。

 …そんなもんでいいのかもしれないな。
砂の上の足跡みたいにさらっと、越えていきたい。

月見草ホテル

今日の当たり前ポエム↓

早朝に散歩した公園に咲いていた月見草。
 泊まっていた蜂があわてて起き上がって飛び出したように見えた。

 この花は、夜に咲くんだよね?実は咲く前を見たことはないし、今開く…というところも見たことはない。早朝にみたことがあるだけなのは、多分夜に私が外出しないからだと思う。

 花の中に座っているおやゆび姫の話からの連想だろうか、私は子供の頃、花の中に住みたいと思っていた。
ドラえもんのドラミちゃんがのっているチューリップ型のタイムマシンとか、こえだちゃんと木のおうちというトミーのおもちゃのシリーズにあった、お花のおうちのような感じの建物に住みたいなあ、と。

 蜂や、ちょうちょがお花で眠る…なんていう話はアニメだったのかなあ。それともファンタジーな小説だったのか。
バラの花びらをベッドに散らして眠る、なんていうのはマンガかなあ。あ、でもそれはおやゆび姫か。びろうどのようなバラの花びらをベッドに、というのはおやゆび姫にあった気がする。

 「月見草ホテル」というフレーズが気に入っただけといえば、それだけなんだけど。
 山の中の湖のそばにある、静かなホテルに、泊まりに行きたいな。ホテルじゃなくて、「山荘」っぽいのでもいい。

そういえば、安房直子さんの本に、見られない場合は画像のリンク切れです【べにばらホテルのお客】というのがあったなあ、と思い出した。
調べてみたら、この題名の本はもう絶版。今買えるのは、作者の全集で、そのうちの1冊、「恋人たちの冒険」で読める。(画像は偕成社のサイトからお借りました)
 この人のファンタジーは、日本のファンタジー作家の中では特に素晴らしいので、おすすめ。
 日常にいたと思ったら、世界がいつの間にかファンタジーの世界に…私たちが知らない世界に切り替わっているその変化が、とてもきれいなのに微妙にぞくっとなるようなところがある。
 冒頭だけ読むと、どこかのブログみたいなのだ。私(または僕)、または三人称で、こういう仕事をしているXXさん。
でも、途中で彼らは見たこともないものを見て、あ?と思ったらもうすっかり、不思議な体験をすることになって、気が付いたら戻ってきていたり、戻ってこなかったり(!)するのだ。

 ファンタジーというのは、大体設定からして別世界のもの(指輪物語タイプ)と、始点がこの地球上で実在の場所なもの(ハリーポッタータイプ)がある。安房直子さんの書くものはほとんどが日常からスタートするので後者だが、ファンタジーの世界へのつながりがスムーズすぎて、巻き込まれた本人も気付いていない感じになるのがとてもいい。
 彼女の書くファンタジーは、異世界とのつなぎ目が全くない。その角を曲がったらもう、不思議なことが起こる世界。

 短編がほとんどで、長編は少ないけれども、どれも美しい名作だ。図書館には絶対ある人なので、おすすめ。
大半が児童書扱いになっているけれども、いや…子供向けにしては深すぎるだろう…というものもある。子供の頃は単に楽しいお話だと思っていたけれども、大人になってから読んだら、やけに味わい深かったりする。
 教科書に載っている話がいくつかあるので、今読んだら、「ああ、あれってこの人のなのか」ってなることも。

安房直子さんは、亡くなられてもう何年だろう。新作が読めないのが本当に残念。




明るい色の服を着ること

今日の当たり前ポエム↓

十代のころから、私はあんまり目立たない色の服を着ていた。白、ベージュ、茶色、紺、カーキ、ワイン色、くすんだオレンジが最高に明るい色というぐらい。それでも若かったらそれなりにかわいいものだ。
 今、十代、二十代の人たちを見ていると、どんなに地味にしていても、かわいい年ごろだよなあ、と思う。

 そういうのがある程度似あった年齢だっただろうに、赤とか、明るいオレンジとか、きれいな黄緑とか、黄色なんかも、全然着なかった。
 子供が生まれてしばらく、子供が小さかったころは、子供が手を適当に私の服で拭いたりとかするし、(ケチャップとか、チョコとか、油とかでも)泥だらけの子供を抱えて帰るというような事態も起きたので、私の服はかなり、褐色系に偏った。

 その時期を越えて、好きな色の服をある程度着られるようになったのだけれど…。
 黒とか、茶色とか、代わり映えのしない服を着ていると、なんだか、あーあ、って思うのだ。
 
 なんか、変わりばえしないなあ、というのもあるし、気分が暗くなってくるような気もする。
 深緑、紺、焦げ茶色…。

 焦げ茶色のTシャツに、ジーンズをはいて出かけた散歩で、この木をみかけた。
 深緑色の葉っぱの中に浮き上がる朱色のグラデーションを見たとき、ああ、こういうのいいな…。と思った。
 
ちょっと明るい色のものを着よう。
 時々、おばちゃんたちが着ている大きい花柄のものや、奇抜な柄のものは、多分こういう選択基準で選ばれているのではないだろうか。
 
他の人からどう見えるか…という基準だけではなく、自分の気持ちが明るくなりそうなものを着るのも、考えてもいいなあ。

 おばちゃんが、派手なものを着て歩いているのを見たら、若い人はあんまり気にしないでください。

そういう時期が、気分があがらない日が増える時期があるんだってことで、知らんぷりしてくれると助かります、うん。

心の傷は

今日の当たり前ポエム↓

昔の、心の傷というのは、消えない。
 あの時に…と思い出すことがあったら、痛みがよみがえるような気がすることもある。

 でも、確かに、確かにあの時に感じた痛みよりはずっとマシだし、その衝撃は遠くに思えるようになっている。
 時間が経つというのは、どんな傷にも有効なのだなあ…と思う。

 帝王切開のキズなんか、横幅15センチぐらいある。痛かったし、治るのにとても時間がかかった。でも、今は全然意識に登ってこない。心の傷も、割と同じ感じ。

 相手のあることの場合は、その人を許してあげるということが大事だという話も聞くが、ずっと引っかかったままになることもあると私は思う。相手になぜあんなことを、と問いたいこともあるだろうし、その時の自分に、なぜ?と詰め寄りたくなることもあるだろう。でも、もうすべて忘れてしまっていいのだ、という気がする。

 ハートに傷のない人は、多分いない。
 でも、傷はいつかふさがって、小さくなって…。そしてだんだん平気になっていく。
 
 忘れるって、いいことだ。忘れっぽくなるのも、多分、ある程度はいいことなんだな、と思う。
 
 物語の中に出てくるおばちゃんたちが、明るく朗らかに、そして強く生きているのを読むと、私も年を取ったのだから、こんなふうになりたいな、と思う。

今日の本は、見られない場合は画像のリンク切れです【小さなスプーンおばさん】。こういう感じのおばさんになりたい。
 明るく、朗らかで工夫に富み、現状を受け入れて、ある程度は不測の事態にも落ち着いて対処出来る…というのは、なかなかステキではないだろうか。
 この本も必ず図書館にあるので、おすすめだ。


 

ほしい、ほしいんだけど!

近所のスーパーで、15点貯めるとトートバッグをくれるという応募用紙を見た。見られない場合は画像のリンク切れです【フジパンのキャンペーン】なので、キャラはミッフィー。つまり、私が子供の頃の呼び方でいうと、「うさこちゃん」だ。
 
 この手のカバンは、割と派手なのもあったりして、今までにもらったのは確かPascoのリサとガスパールの、白地に線描きキャラのミニトートぐらいだろうか。有名なヤマザキパンまつりとかも実は知っていても参加していないのだが、今回のこのトートバッグ…。シンプルでかなり好み。

 印刷代もただではないのだから、生成りの帆布に、単色ということで、かなり安く上げているのは確か。
でも、逆を言うと、こういうシンプルなものはお金を払って買うカバンには少ない。つまりお金でカバンを買う場合は、ちょっと手をかけて、生地がカラーだったり、印刷がカラーだったりするわけだ。

 こういう白いのがほしい…。いや…こういう感じのカバンは、普段は使わない。私は肩掛けかばんを使う癖がある。
でも、ここに肩掛けのストラップをつけて、かばんの内側に巾着袋でもつけるか、ファスナー付きフラップでもつけて、閉まるようにしたら、理想的じゃないだろうか。
なんなら内側にポケットもつけてもいいよね…。

 つまり改造前提だけど…。ほしいなあ…。

で、15点って、どんなパン買ったら貯まるんだろう。ちなみに、パスコのキャンペーンは簡単だった。パスコのスティックパンは、息子が喜んで食べていたからだ。20ポイントだったか、30ポイントだったか忘れたけど、何ポイントでも問題はなかった。ポイントなんかなくても買うパンだったし、しょっちゅう買うのだから、キャンペーンの前半でたまった覚えがある。

 だけど、フジパン、と聞いて頭に浮かぶパンがない、ということは、これは私がしょっちゅう買うパンではない可能性が高い。

 スーパーで「フジパン」の菓子パンをチェック。まあ、朝ごはんに買っておけば、シリアルの代わりに私が食べても問題ない。私は菓子パンが結構好きだ。問題はカロリーが高いことだが…。夫と半分こにしてもいいだろう。大体の菓子パンは半分なら、シリアルと同程度のカロリーだ。

 ない。点数シールがついていない。よく、点数シールをパン売り場から買ってもいないのにはがして持ち去る人がいるけれどもやめてください、などという張り紙を見た話を聞くので、そういう問題…かと思ったのだが、売り場に残っていた応募用紙の束から一枚、抜いて確かめたところによると、パンの種類が袋入りテーブルロールと、食パンに限定されてシールがついているらしい。

 ううん…。ジャムパン、クリームパン、アップルパイ、ドーナツのような系統なら絶対いけると思ったんだけど…。
 食パンは、朝はパンがいい、と思っている夫が最近、1斤250円ぐらいする種類のパンがいいと言っていて、それを買っているので、あんまり…まあ、食べて、と頼めば食べてくれるであろうけれども、なんといっても15回かわなくてはならないのだ。微妙。
 
 テーブルロール…と思って見に行ったら、マーガリンが真ん中に入ったパン。あー。これ、確か息子が食べるやつだったはず。
彼はバターのほうが好きだが、マーガリンでもあまり問題はないようで、確か幼稚園ぐらいの頃、自分で選んでこれを買ったら食べていたはずだ。

 マーガリンが苦手なのは私。夫もそれほど好きではないようだ。給食のマーガリンが嫌い(食べたけど)だった私は、毎日毎日給食にそれを食べて、正直マーガリンに苦手意識がある。今のマーガリンのほうが断然おいしいのはわかっているのだけれども。
 干しブドウ入りのパンや黒糖入りのパンにマーガリンが入っているのもあるけれど、これも給食で食べていて苦手だ。
 つまり、干しブドウ入りテーブルロールのマーガリン入りは、私が最も苦手なパンといっていい。

 そんなわけで、息子が「これたべる」というのでこのパンを買ったとき、余ったんだと思う。もちろん頑張って食べきったはずだ。無駄にはしていないと思う。でも…。一度買ってみて、一袋食べきるのと、15袋買って全部食べるのは話は別だ。
 うーん…。これは、だめかなあ…。唯一いけそうな、「もちふわロール」は私が行ったスーパーでは見なかった。

とりあえず、マーガリンいりのテーブルロール(黒糖と、干しブドウ入りはやめて)を息子と夫がどのぐらいのペースで食べてくれるかを見てから考えよう。とりあえず1点。これはだめだ、11月いっぱいまででたまらない、と判断したら今回はあきらめるしかない。
好みなんだけどなあ。こういう、英語がへんてこりんではなく、シンプルでちょっとかわいいものって、あんまりないんだよね…。英文がへんてこりんなのはよく見るのだけど。 

知らない間に通り過ぎているもの

今日の当たり前ポエム↓

私が確かまだ、小学校入学ぐらいの頃、保険会社の外交でうちへ来た人が、私にプラスチックの下敷きをくれた。

 その下敷きは、裏側が30年ぐらい先まである、カレンダーだった。縦1センチぐらいの高さで、横は12カ月分の月ごとのカレンダーで、カレンダーが2000年から先まであるものだった。

 当時は身の回りの年号はどれもこれも19XX年で、昭和50年代、2000という数字もさることながら、このカレンダーが使えなくなるころには自分が30歳代だ、というのは、当時の私にとっては、全然実感のわかないことだった。

 遠すぎて、よくわからなかったのだ。その下敷きは、カレンダーを見て、何歳の誕生日は何曜日だ…というようなことを見てみんなで楽しんだものだった。こんな先までのカレンダーを持っている人はとても少なかった。しばらくは「自慢のアイテム」だった。
 残念ながらそのカレンダーの期限が切れるずっと前に、私はこのカレンダーを見なくなり、いつしか手元からなくなってしまった。

 当時は40代になった自分なんか、もっと想像できなかった。

今は…。早死にするかもしれないが、何事もなければ、多分50代とか60代とかも経験できるんだろうな…とは思う。
 でも…その数字が見えていても、全然実感できない。

昔と変わってないってことなんだろうな。体験は、だんだんにしていくもので、あんまり細かく予測するものではないのだろう。
これでいいんだよね、きっと。

 

手仕事

今日の当たり前ポエム↓

エスニックな料理屋さんで出てきたお水のコップ。
ちょっと不ぞろいの彫りあとをみると、ちょっとうれしくなる。

 こういうコップはあんまり高いものではない。
…ということは、これを作っている人の給料も、そんなに高くない。

 時々100均とかで見る、手作りっぽいもそう。こんなの、誰が作っているんだろう…給料、安いんだろうなあ…。なんて、作っている人が気の毒になるようなものもある。
 
 それでも、同じ仕事をし続けることで手慣れた技術が刻まれていて、ちょっと見とれてしまう。

 私も…何かこういうものが作りたいな…。全然知らない人に使ってもらうようなものが。
 職人さんには、あこがれがある。

作ったものを近所のバザーに寄付に出すのが関の山だけれども…。
 誰かが、私が去年編んで寄付したネックウォーマーや、帽子を身に着けてくれているといいなあ。

 それとこの画像のコップ…とまではいかないけれども、ガラスに絵を彫る「グラスビュール」というののキットを見かけた。
ほしいけど、多分一度やったら気が済みそうだからなあ。多分買わないほうが無難。

 いつか、自分の部屋の断捨離が出来たら、買おうかな(野望)!

外出日

今日の当たり前ポエム↓

というか、今日のはポエムじゃないな。ただの要望だ。

 誰かとお茶が飲みたい…といっても、たいして自分に話があるわけではない。誰かと会って話をする…のはなんだかおっくうなぐらいには、気持ちがあがってない。
 こうなると人を誘うのも悪いかな、と思うので、この際だからと思って自力で喫茶店に行ってきた。

 一人で飲食店に入るなんて無理!と思う人もいるのは知っているけれども、喫茶店に一人というのは、私は平気だ。
誰か…人が入れてくれた紅茶が飲みたかった。
 そしてクーラーが軽くかかった店内で、雰囲気がよくて耳に残らない音楽をそれとなく聞き流しながら、ちょっとだけ外に出た感じを楽しんできた。

 冷たいフレーバーティを飲み、「いつもと違うのよ」という感じを味わって、ちょっと電子本を読んで。
 いや、別に家で電子本が読めないわけじゃないんだけど…。
 家にフレーバーティもあるけどさ…

結局帰りは、慣れたスーパーに寄って、大根やトマトやおくらやキュウリやピーマン、豆腐牛乳食パンにチーズ…などを買い込んで帰ってきた。

 家に帰って、やっぱり気を遣わずダラダラしながら本が読めるのがいいな…と思う。
 帰ってきて、ほっとした気分というのはとてもいい。

その気分のために出かけているだけなのかもしれない。
外出のための外出。



今日の本は見られない場合は画像のリンク切れです【風に乗ってきたメアリーポピンズ】。外出日が、とても素敵に書かれている。(画像は出版社、岩波書店さんからお借りしました)
 外出をすること…。いつもはおんなじことをしているけれども、ちょっといつもと違うことをして、おいしいお茶を飲みにいくのがいい。それが一番ステキに書いてある本だと思う。
 この本を置いていない図書館はないはずなのでやっぱり、図書館でお勧めだ。


光る意味はあるのか?

今日、ドラッグストアの安売りコーナーにあったキャンディがこれ。ブラックライトで光るのだそうだ。
 …意味あるのか。ていうか、これ、食べてる時に光っているのかどうか、真っ暗な部屋で口の中をのぞきあいっこしないとダメなんじゃないか…。

 キャンディの要は、味だと思う。
 形がかわいいか、ということに主眼を置いたキャンディも見たことがある。
 のど飴なんかは機能性を求めているよね。

 面白い…というところに的を絞った、変わり玉と呼ばれているキャンディは昔からあった。
あれは、今、何色?と同じキャンディを食べながら口の中をのぞきあいするとか、一人で食べているなら、鏡で映して楽しむものだと思う。味的には、甘いだけであんまり変化のない飴だった。

あとは…やわらかくてもぐもぐ噛めるチューイングキャンディとか、食感が面白いグミ、ぱちぱちするキャンディや、綿あめも一応このカテゴリに入れるとしてもだ。

 この光るキャンディ、というのはとても斬新ではないだろうか。

ええまあ、斬新なだけと言われたらだけだけどさ。
味はちなみに、割と普通で、フルーツっぽいキャンディだった。

こんな飴、食べたことあるよね…的な。普通にフルーツの絵がついた個包装のキャンディとかにありそうな感じ。
開発した人には悪いけど、なんとなくブラックライトを当てるほどでもないな、と思ってそのまま食べてしまった。

何が入ってるのか、後ろの原材料のところからは光る原因が特定出来なかった。なぜ光るんだろうね…。
微妙に気味が悪いような…。光る理由もパッケージに書いておいてくれればいいのに。

と思って、こういう時にはやっぱり調べてみるものであろう…と思ってネットで検索したら、ビタミンBのうちのいくつかがブラックライトで光る性質を持っているのだって。ふーん、じゃあ、ビタミン入りなんだな。
思ったよりは気味が悪くなかった。

でもやっぱり光ることに意味はなさそうだ。
 


今年も、編み物はじめました

ちょっと涼しくなってきて、毛糸編もうかな…という季節になったと思う。
 というか、このぐらいから編み始めないと寒くなったときに使えないんだよね。

 まず手始めに帽子から…。
 オパールの毛糸、去年いっぱい買っちゃったから、それでスタート。ちなみにこれは「マルチショールセット」というセットで3玉セットになっていて、かなり大物を編むことになっていた。画像見たときはこういうのもいいかなあ…と思ったのだが、編み図が届いてから見てみると、まるでこいのぼりみたいな長さと太さの筒を編むだけで、体に巻き付ける方法が何種類か…という感じのものだった。もっと上着っぽくなるのかと思っていて勘違いだったので、そのショールを編むのはやめ…。
 そうなると同じ毛糸が3玉、というわけで、この柄はもう、編み放題。

 300gはあるので、帽子だったら50g前後で1つ。マフラーとか、ごく当たり前の四角いショールも編めるだろうし、いっそのこと靴下とかだって編めないわけでは…編み図か、シンプルなものなら目数と段数の指定さえあれば、要るのは根気だけだからね…。

 誰が編んでも一定の時間がかかってしまうのが編み物なので、今から冬に向けて、それから冬の間もガンガン編まないと、かわいい毛糸だ、とかいい色だとか思って買ってしまう毛糸が増える速度のほうが早くなってたまってくる。

 数日で編み上げたのがこれ。


まず、150目作り目をしてゴム編み4段。
そのあと15センチぐらい編み進んでから、15目に1つ減らして、1段平、14目に1つ減らして1段平、13目に1つ減らして1段平…というように減らしていって、最後10目を絞って終了。

 帽子としては最低限の作り。でも柄が派手にでるので、こんなものでいいかも。


毛糸の特殊効果

写真は【KFS】のサイトからお借りしました。

魔が差したオークションで、ふと手に入れたこの色の毛糸は2016年のCabaretというシリーズのうちの一つらしい。

 それと、2016年のシリーズで廃盤だという「星の王子様」というシリーズのを1玉、それから「ゴッホ」というゴッホの絵の中の色彩を使ったシリーズのものも1玉。

 見たことのないOpal毛糸ばっかりで、2016年のもので廃盤ということはネットショップでは買えない分ばっかりだ。

 好みの色合いで、「あ、あれは見たことある」「これはあのお店にあった」というようなのばっかりを見ていた私には嬉しい話。

 いや…まあね?もちろん去年買った分だって、物によっては今年廃盤だし、こういうものは今年だって来年だって、再来年だってあることを思えば、どんどん違うものが手に入るのだから、そこまで重視することじゃないかもしれない。

 去年買った分だって、いーーーっぱいあるのだから。

 それでも…。
 眺めていると大変気分があがる。

 編まなくても上がる。

 特にCabaretシリーズの(上の写真の)は、1玉が150グラムあるので余計に気分があがる。
帽子と、ネックウォーマーのセットを編もうか、それとも手袋と帽子にしようか…

 見ているだけで気分があがるというアイテムは貴重ではないだろうか。

そういう話をママ友にしたら、言われた。
 「安上がりでいいんじゃない?1つ1800円とかなんでしょう?」
彼女に言わせると、ブランド物のカバン(数万円)とかでないと、そういう「見ているだけでうれしくなる」効果が出ない人は多いらしい。

 もう手に入らないようなものだから気分が余計上がるので、いつでも買える定番色ではここまで上がらないんだけど…という説明は多分、あんまりわかってもらえなさそうなのでやめておいた。

 気に入った材料が発売され続ける限りは、安上がりに済みそうだ。
 そうだよね…ブランドもののカバンが例えば半額で5万円ぐらいだとしよう。
その場合、1600円の定番色ではなくて、たとえばちょっと限定なんかだと1800円ぐらいするから…
 25玉ぐらい買えて、送料分もカバー出来るんだものね…確かに、安上がりだ。。

 しばらくは、眺めて楽しみたい。

 毛糸を編むのは「編み物が趣味」でいいと思うんだけど、「毛糸を眺めるのが趣味」という状態は何と呼ぶのだろうね。
 

懐かしの占いマシン

この間、夫と入った喫茶店に、占いの機械発見。

 これとはちょっと違う金属のボディだったけれど、私はこの手の占い販売機を昔、見たことがある。

 星座占いとか、干支占いになっていて、100円いれるとおみくじが出てくるのだ。

 もちろんこんなもの、親がやらせてくれるわけはない。これはデートした時にやらせてもらったのだ。
 「女の子はこういうのが好きだねえ」と半ばあきれつつ、お金をいれてくれた。

 当時でも、ちょっと古びた喫茶店で、なぜかうどんまで食べさせる店だったのが面白かったっけ。
 確かその店一軒だけじゃなくて、こういう占いマシンのあるお店は何軒かあったように思う。

 懐かしいな…。
 夫に、すっごい久しぶりだから、買っていい?と頼んだら100円玉を出してくれた。

 大吉だった。

 おみくじの中身って、昔と全然変わらないんだなあ…。

確か、昔買ったものは筒状に巻かれたものが出てきたと思うのだけれども、今回は小さいプラスチックボールに丸まって詰まっているというタイプのおみくじだった。

 ひさしぶりにおみくじなんていうものをひいて、(あ、これは占いという名前だけど、大体大吉なんていう題名がどんと正面に印刷してある時点でもう、星座占いじゃなくておみくじだよね?)なんだか楽しくなった。

 学生時代の時もかなり古いものだという認識がされていて、「誰が作っているんだろうね、こういう機械」と話題にしたものだけれど、今もそう。誰が作ってるんだろう、こういう機械。それと、おみくじって、誰が印刷してるんだろうなあ。

 もうオトナになって長いけど、「会社でおみくじ印刷してる」という人を聞いたことがない。

ピピピピ…?

今年いくつめかの台風が来ていた日のこと。
部屋の中から、ピピピピピ…と音がする。かなり小さいスピーカーから出る、エラー音。

こういうのは、たとえばスピーカーがないパソコン(昔は音が出ないパソコンというのがあったのよ)でも、チップの上とかに、こういうビープ音だけは出るように仕込んであって、ハードのエラーが起きたときには鳴るようになっていたりしたものだった。

電源の切り忘れとかの時にも、こういう音がする電化製品はある。後は、電池が減ってきているとこういう音を出してくれたりするものもある。
 またはシンプルに誤動作ということも…。ハード内に仕込んであるスピーカーがそういうときのためにしか使わないタイプで、音楽とかを流すときに使うようなものではないのでちょっと音がひずんでいたり、聞き取りづらかったりするが、まあそういう音がどこかから聞こえてくる。

 鳴って、しばらくたったら鳴らない…と思ったらまた鳴る。

大体、音の鳴りそうなあたりというのはリビングの、モニタのそばが多い。その場所で充電しているいろいろなもの(kindle2台、スマホ3台、タブレット2枚、無線のヘッドフォン、ニンテンドースイッチ、ゲーム機のコントローラ(無線)…、wiiUにそのリモコン、モニタのリモコンDVDプレイヤーのリモコン、ええと、これは何のリモコンだ?

鳴りそうなものを耳に近づけてチェック。他のところから音がする。
あれでもない、これでもない…。

変に響いて、壁から反響してるような感じがしないでもない。

あれ?止まった…かな?

もう、しょーがないな、音が止まったら、音がどこから来たのかも、もちろん調べられない。
そう思って音の元を探すのをやめて、しばらく経つとまた、ぴぴぴぴぴぴ…(ぴた)。

wiiUのコントローラの充電ステーションの横から、小さい虫が出てきた。

息子が、「ねーおかーさん、これじゃないの、音?」

息子は別に虫に詳しいわけではない。これはでも、家で見かけたことがあるクモとかじゃないし、1センチちょっとしかないサイズ。こんな大きい音、出るの?電子音としてはさほど大きくなくても、虫の音としては大きい。

 白っぽい虫で、ゴキブリではなかったのでそれほどびっくりもせず、もういいや、と思って退治はしておいた。
大体この家はマンションの中層階。虫はほとんど入ってこない。風にふかれてやってくるクモは見たことが数回あるかなあ程度なので、今回は虫を見たこと自体にちょっと驚きが。

多分、台風の風に吹かれてふっ飛んできたんだと思う。

 …と。音が止まった。

えー。あの甲高い音は電子音じゃなくて、虫の声だったんだねえ。
そういわれれば、確かにああいうのもいた気がする。田舎にはもっとどっさり鳴く虫がいたので、どれも取り立てて一匹ずつ聞いたことなんかなかったので、今回は気づかなかったらしい。

都会に住むと、こういう風になっていくんだなあ…。
自分で自分にちょっとびっくりだ。

多分、鈴虫とか、コオロギとかだったら聞き分けられたと思うんだけど。

ジャズコンサート

友達の友達が出る、というジャズコンサートに誘われて見に行った。

アマチュアバンドなので、それほど高くもなく、2時間ぐらいで、ライブハウスだったのだけれども…ということはコンサートじゃあなくて、ジャズライブというべきなのか。

友達の友達はホーンセクションのヒトで、トランペットとかトロンボーンとか、そういう楽器の人だった。
上手かったけれど、ライブハウスがちょっと狭くて、音響がよくなかったので耳に来る感じだった。

まあ、それはともかく、ゲストだというジャズボーカルのお姉さん。うまかった。
関西出身の人らしく、トークも割とウケを狙っている感じでギャグを交えつつ、歌を聞いたら、なんていうか、すごく「アメリカンジャズ」という感じで軽妙で、なんていうか…学生の頃に聞いたような、アマチュアジャズバンドのジャズボーカルとは全然違う。
何が違うって、英語が。

 うまいの。発音と、強弱のつけ方がうまい。たとえば、90年代にこういう場所で、こういう曲を聞くと、「日本人が英語の歌を歌っています」ということがすごくわかった。there are をゼアラア、と発音する発音法で歌っている人もいたし、カタカナで書いたらこうにしかならないよねそれは、という風に歌っている人もいたし、間違っているわけではないけど、ボーカル読み上げロボットみたいに全単語を一つ残らず発音している人も多かった。

 英語は、日本語のような高低のアクセントはあまりなくて、強く発音するところと、弱く発音してあんまり聞こえないところがあるという強弱アクセントがある。なので、it's me、だとしたら、it's の部分は、ほとんど「つ」しか聞こえないとか、so niceだったら、そーないす、ではなくて、歌のリズムによっては、なーい!みたいになることもあって、どこを強く言うのか、どこを口の形だけは作っているけど、言うほど大きく長く発音しないのか…というのを研究しないと、つまり「それっぽく聞こえない」。

 もちろん、法則性はある程度あるので、英語圏の人が歌うのを聞いて真似をすればいいし、慣れてくれば話す時も強弱をつけて、英語圏の人にとって自然なリズムで話すこともうまくなってくる。でもこれが、難しいんだな…。「意味が通じる」よりも先の話になるので、そこまで行きつくのはやっぱり慣れと、話す時間が必要だと思う。
 
 今日の人は、私が聞き分けられる範囲では、もう完璧だった。多分アメリカで、ジャズボーカルコンテストに出てもいい勝負になると思う。昔は、日本人が英語圏でそういうコンテストに出ると言葉の問題でなかなか上位に入れなかった。
 たとえば1989年ぐらいかな?正確極まりないラテンで、アメリカ人の度肝を抜いた、「オルケスタ・デ・ラ・ルス」、私が渡米していた時はラテンアメリカ出身の友人に大好評だったが(バンドメンバーが全員日本人だ、というのを信じない人もいたぐらい。私はボーカルだけでなく、全員が日本人なんだよという説明を何度かした覚えがある)、ボーカルの女性のスペイン語が日本語なまり、というのだけは、まあしょうがないよね、という感じだった。

 でも、今、もしかしてスタンダードが今日のコンサートで聞いたような感じになっているのならば!
これは国際的な大会でも通用するよねえ…。
 バイリンガルなのかなあ、この人。それとも英語をネイティブの先生にでもついて学習したのか、それともものすごく耳がいいのか(そういう人は時々いるよね)。

 かっこいいなあ…。うまいなあ…。
そう思って聞きほれているうちに、ライブは終わった。

 グローバル化って、やっぱり進んでいるんだなあ。
 こういうのを聞いたら、やっぱりこれからこういう歌手を目指す人も、うまくなっていくのだろうし、目指すところがこの位置になるんだから、英語の発音、歌い方がうまくなっていくよね。
 こういう分野でいいお手本というのは、大事だものねえ…

いいものみたなっ。と思って、ついでに他に見に行けるライブとかないかな、と名前を調べてみたら、もうCDも出しているし、生徒さんを取って教えているような、すごいプロだった。
 
 自然に英語の歌が歌える、っていいよねえ。ジャズはアメリカが本場なだけあって、曲も多いし、英語の曲がきれいに歌えれば、自分の持ち曲が多くなるし、スタンダードナンバーは知られているから、お客さんにもウケるし。
また機会があったら、ライブとか、見に行くのもいいなあ…。

 発音をきれいに、歌を歌うのは、発音をきれいに話すよりずっと難しい気がするので、本当に感動して帰ってきた日でした。

自分だけの秋のサイン

夏が終わった気がする。それは、お出かけをしようと思って、駅に行ったときに大体わかる。

遠くに出かけるとき、私はカバンにキャンディをいれていくことが多い。ミントはいつでも入っている。でも長距離、長時間の外出の時は、甘いものを一袋、持っていくことにしている。

夏の間はグミが多い。酸味があるタイプ。あとはほし梅か、さっぱりした味のハードキャンディ。
暑さが和らいで来たら、なんとなく、キャラメルが食べたくなる。

一応、夏の間にも「塩分補給に」なんて書いた塩キャラメルは見かけたのだけれどこれは意外と食べる気にならなくて、それぐらいなら塩分補給タブレットのほうがいいな…という感じだった。
 でも、今日久しぶりに駅へ出て、外出しようと思ったときのコンビニで、クリーミーなキャラメルを見たとき、あ、おいしそう、と思った。
 夏は「キャラメルはなあ…」という感じで素通りだったのに、今は目に留まる。
 暦の上ではとっくに秋とか、そういう話は置いておいて、体感温度で秋だな、と自分が思っているってことなんだなあ…とキャラメルのパッケージを片手に、しみじみと、暑い夏が終わったね…。と自分をねぎらった。
今年の夏は本当に暑かった。

温度が下がってきたから、チョコレートも視野に入るようになってきた。溶けないで持って歩けるからね…
食べ過ぎないように気を付けないと。

メアリーポピンズの昔の本

「風にのってきたメアリーポピンズ」を古本で買った。

 この本は、岩波書店から今も発売されていて、本屋さんへ行けば手に入れることができる本だ。
子供のころからお気に入りで、中学生の時にバザーで150円でハードカバーの本を手に入れたときは天にも昇る喜びだった。 残念ながら、渡米する時に多分、誰かにあげたかなにかで残っていないが、私はこの本を相当何度も読んだ。

 英語版もこの間kindleバージョンで手に入れたぐらいで、息子が読んだ時には本当にうれしかったものだ。

 この本を古い版で手に入れるのには理由がある。この本は途中で2度、改版されているのだ。
一度目の改版では、数語しか差がないらしいのだが、2度めの改版(今の版はこれ)は、ものすごーく変化があって、絵まで差し替えられている。理由は、人種や文化への差別表現。

 世界のいろいろなところへ一瞬で飛んでいく…という旅行をして、北のエスキモー人のところへ行き、クジラの油のスープを勧められる、とか、南の「真っ黒で、ほとんど何も着ていない」人のところへ行って、えらく白い赤ん坊だね、靴墨でも塗ったらどうだい、なんて声をかけられるとか、東の中国の人はひげのおじいさんで頭が地面につくほどお辞儀をするとか、西のインディアンが、トナカイのフライ料理をごちそうしてくれそうになるとか…というような記述が全体的に、人種や文化を尊重していないステレオタイプなもので、差別的な表現につながる…というようなことが、この章が書き直される理由だということだった。
 故に、現在の版では、東西南北どこへ出かけた分も全部人間じゃなくて動物が出てくる。シロクマ、インコ、パンダ、イルカ…。まあ、動物なら何を言おうと人種問題には抵触しないからね…。かなり記述も短くなっている。

 それは確かに一理ある。文化的に「遅れて」いるようなイメージや、「非文明的」と、西洋文化を基準にして他の文化を低く見るような姿勢というのはなくすようにしていかなくてはならない。だから、私は今売られている本が改版されていることについてはそれが一番いいと思う。ただその部分だけが問題で、現代の子供がこの本が読めなくなるなんて、もったいなさすぎる。
 この本は本当に時代を越えて面白い本なのだ。

 私はもう、これが古い時代に…つまり1934年に書かれたことを知っているし、このころの西洋文化圏の人たちが、アジアやアフリカの人をどんなふうに見ていたかということも、それが現代に近づくにつれてどう変わってきたかも知っている。
 他の地域の文化を尊重するのが望ましいことも、人種差別がひどいことなのも、なくすように運動していかなくてはいけないことなのも全部。

 だから…これは当時の文化としてそのままに、見つめたいと思う。
…なあんて、格好つけても、単に昔に自分が子供の頃読んだそのままを読みたい、というわがままなんだけど。
 
 何回読んでもこの物語は私を、懐かしい世界に呼んでくれる。
 現代の子供たちにとっては、今の版が懐かしい本になるのだよね。
 
 「渡辺蔵書」と印が押してあった。どこの渡辺さんだか知らないけど、この一冊は、私が大事にしますから。

 多分、私が子供の頃に読んだ版より古いと思う。なんせ昭和45年刊で、岩波少年文庫なのに表紙がハードカバーで、箱までついていたのだから。300円ってきっとそのころは今の1500円とはいかないまでも、高めだったに違いないデラックスさ。小さくてかわいいのに、ちょっといい感じがする本でうれしい。
 
 最後につけられたあとがき、「この本を読んだ人、あるいはこの本を読む人のために」が素晴らしかった。
 林容吉さんという、この本を訳した人が1954年に書いたものだった。最後は、こう締めくくられている。

さて、もうみなさんは、メアリー・ポピンズと仲良しになりました―あるいは、これからなるでしょう。そして、メアリー・ポピンズと、バンクスさんのお家のことを、きっと、大きくなっても忘れられないようになるでしょう。メアリー・ポピンズも、ジェインもマイケルも、本の中にいるのですから、会いたいときには、いつでも、本を開きさえすればよいのです。こうして、わたくしたちが、学校や、知り合いのお家で、友だちをもつように、本のなかに、友だちをもつということは、なんという、すばらしい幸福ではありませんか!

ああ。
そうだったね…。私は本の中にたくさん友達を持っていた。本を開けば会える。
そういう感覚をしばらく忘れていた。

 本の中に、友達をもつということは、なんという素晴らしい幸福ではありませんか。
もう一度繰り返して、幸せな気分になった。

心の中の、相談室

自分で、落ち込んだり悩んだりしたとき、自分の中にアドバイスしてくれる人を持つ、というのは、便利なことではないだろうか。

ネットで読んだことがあって面白いなあ、と思ったのは、心の中にバーのママが住んでいて、嫌なことを言われたときに、「あんなの、相手にしてることないわよ、今日はおいしいものでも食べて、寝ちゃいなさいよ」とか言ってくれるのでそうしている、というツイートだった。

あと、見られない場合は画像のリンク切れです【多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ】なんていう本もあって、これはつまり、いろいろな嫌なことが起きたとき、こういうフレーズを頭の中に出すことで、さっさと気分を他に向けましょう、というようなことをアドバイスする本。
 心の中に決まった人を常駐させておくのではないが、ちょっとこの猫ちゃんたちに出てきてもらう、ということで、似たような働きを期待するものだと思う。



 自分一人だけで、自分の感情を処理するのが難しい時。体や、心がつらいときには、そのことに気持ちがとらわれていて、なかなか気分を変えるのも難しいし、ずっともやもやした気持ちを抱えているのもつらい。もちろん、お友達とか、家族とか、または心療内科の先生のようなカウンセリングの専門家とかに話を聞いてもらえばそれは楽になるだろうし、いいアドバイスをもらえるかもしれないが、夜中にいきなり、電話をかけるというのもなんだし、あんまり毎日そういう相談するのもちょっと…と思うし、正直自分でも、「人に相談するほどでもないかもしれない」という気分もある。

 そんな時に、自分の心の中に、誰かがいて…役に立つアドバイスをしてくれるとしたならば。
便利だと思うのだよね…。まあ、間違いなく空想上のことだし、言い方をかえれば「妄想」ということでもある。
「妄想」…ってあんまりいい語感じゃないので、本当にそれでいいのか、という気がちょっとする。部屋で妄想にふける、って文字列にすると、すごくイヤな感じがしない?する…よね。

 でも、これも見方次第。
1:他の人の手を借りていないので、他人の時間を使わない。他人に迷惑が掛からない。
2:自分で、ある程度納得のいく結論が出せて、つらい状態から抜け出せる。
この2つの条件がちゃんと満たせるのだったら、誰かにぶちまけて、力を借りるよりも便利だと思うのだ。
ぶちまけられる方も、結構気力を使うし、しょっちゅうやりたいと思う人は少ないだろうから、そういうのは、本当にこれは心の中の相談室だけではどうしようもないぐらいになったときに温存しておきたい。

 ちなみに、私が別に取り立てて理由もないのに、今まで起きたこととかをくよくよと悩んだり落ち込んだりしている時に、現れるのは私の古くからの友人だ。あんまり頻回に連絡は取らないが、20代の頃はよく遊んだ。

 柔道をやっていて、自衛隊に入っていたが、ものすごい筋肉派。アドバイスももちろん、脳みそ筋肉系だ。
 彼は大量の焼き肉でかなりの悩みが解決するタイプと言えば大体伝わるだろうか。
 全体的にアドバイスも言動もかなり乱暴で、私が自動車にはねとばされて意識を失って入院して、退院後すぐあったときは「お前は――!心配ばっかりかけて!今度こんな事故に遭って死にかけたら俺が殺すぞ!」なんて言われたものだ。
ひどい言い草だが、すごく心配してくれたのはわかった。
 
 私がなんとなく気分があがらず、ため息ばっかりついていると、心の中の彼はこういうのだ。
「おう、肉食え、肉。ハンバーグ食え。チーズのったのな。そんで腕立て伏せ100回ぐらいやると疲れるからな、そこでバタンと寝て起きたら、気分あがるぞ」と。

 多分、どこかでこんな会話を彼と交わしたことがある。私は確かその時、笑えてしまったのだ。腕立て伏せ100回って、10回も出来ないってば!って。
「まあ、無理だろな。じゃあ、走れ、10キロぐらい」
 …ちーん。10キロも走れないって。今は1キロも微妙だってば…。
「しょーがないなあ、じゃあ、せめて歩くか」

…そうだね…。私はとことこ歩いて駅前の洋食屋さんまで行き、ハンバーグを…チーズの乗ったやつを注文して、(ここでステーキ、と言わないのは、若いころの私も、彼もそんなものを食べるお金はなかったからだ)、とりあえず…ともぐもぐ食べて、割とおいしいかも…と思い、お腹いっぱいになってから、家に帰ってきたら歩いた距離が大体2キロ半ぐらい。

 太陽の光を浴びて歩いて、お腹がいっぱいになって、帰ってきたら、確かにさっきより浮上している。
私って、意外と単純?
そう問いかけると心の中の彼は言うのだ。
「人間には、みんな本能があるからな」と。

 …それでいいのかもなあ。という気がしてくる。
家事を穏当に済ませてから、その日は早く寝ることにして、ダメなら市販の睡眠薬なり、ちょっと眠くなる頭痛薬なり飲むぐらいのことはしてもいいだろう…めったに飲まないし。と10時ぐらいに寝て、目が覚めたら6時半、ってことはこれはずいぶん眠れたんだなあ…と起きたら確かに、気分がいい。

 「なんだか、今日は平気」
心の中の彼にそういうと、「おう、よかったのぅ」
そう言って彼の役割は終わる。

 別に自分で、気分が落ちているから歩きに行ってハンバーグ食べよう。そう決意してもいいんだけど、なんとなくいつも彼が出てくる。そっちの方が説得力がある感じがするからだろうか。

 誰にも、こうなっているのだと話したことはないのだけれども、他にも落ち込む原因や、シチュエーションによって、いいアドバイスをくれそうな人を心の中にカードのように出して、きっと彼女ならこういうだろう、きっと彼ならこういうだろう、と使い分けている気がする。

 もうなくなってしまった人もいるし、外国にいてすぐには会えない人もいる。架空の人物もいるし、夫のこともある。
ただ、すぐそこには現実に相談できる人がいない環境にいるときには、自分の中にいい意見を出せる人なら、誰でも、なんでもいいのだ。自分だけで考えているよりずっとまし。
 いい方法だと思うのだけれど、なんとなく人には話していない。
 子供の頃にはこれがそれほど使えなかったのは、多分こう言うだろうなあ…という、人物の考え方のパターンが貯まっていなかったからだと思う。それと、「このあたりが解決法として多分、有効」というデータも持っていなかった。
いくら、心の中の誰かがアドバイスしてくれるという形になっていても、実際のアドバイスをその誰かのパターンを借りて構築しているのが自分である以上、自分の中に「世間的にも自分にも受け入れられる正解のパターン」がない場合は、この心の中の相談室は使えない。

小さいころから、親がこの相談室の人になるぐらい、いい関係を築いていた人なら、もっと若い…小さいころから使えたのかもしれない。ま、今でも十分便利だと思うけど。

 きっとこういう相談室を持っているのは、私だけじゃないと思う。みなさんはどうですか。

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    まこ

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