あたりまえポエム(その2)
昨日の記事で話題にした、当たり前ポエム、実際作ってみようと思うと、意外に難しい。
「そりゃそうだろうよ」という系統はあんまり難しくない。でも、「あー、これは面白い」となるものとなると、ちょっとひねりがいるからだ。 加えて、あんまり長ったらしいものを書くと、ただの作文になるので、そこは簡潔にいかないとダメ。
↓今日私が作った当たり前ポエムは、これ。
「そりゃそうだろうよ」という系統はあんまり難しくない。でも、「あー、これは面白い」となるものとなると、ちょっとひねりがいるからだ。 加えて、あんまり長ったらしいものを書くと、ただの作文になるので、そこは簡潔にいかないとダメ。
↓今日私が作った当たり前ポエムは、これ。
結局、かなり画像の力に頼る感じになる。文章だけ見ても、「そりゃそうだろう」系だと、面白くも楽しくもなく、「へえー」とか、「いいこと言ってるみたいに聞こえる」でもない。でも、この写真を付けた瞬間、なんとなく、よさげに見えてくるのはなぜだ。
でも、2回読むと、これがなんでもないことしか言ってないのだな…ということがわかる。このギャップがいいってことなんだろうね。 これは、名前こそ「詩」だけど、味わって読むものではないな。出オチ万歳系だ。
画像の力を借りると、割と出てきやすいので、写真を撮ってから考えるといいかもしれない。というわけでこれはどっちかといえば、文学系というよりも、コメント付きの画像という扱いで、アート系にいれたほうがいいのかもしれない。
普通の詩よりも、書くのは断然簡単な気がする。だって、「当たり前のことを当たり前に書く」だけなんだもん。
詩というのは、当たり前のことでも、当たり前には書かないことで成立するところがあるからなあ…。
気軽に日記に書くにはいいかもしれない。
…と思ったけど、脳裏によみがえる誰にも言えない歴史。私はなんと、本気で詩を書いていたことがあるのだ。日記帳に。
うわあああ。恥ずかしい。