いいこと言ってるみたいだけどさ
時々、SNSでシェアされてくるいろいろな言葉。たとえばこんなやつ。
「人は必要なときには 必ず必要な人に出会う。 ただ、それに気づく人は少ない」
いい言葉だと思う人もいるのかもしれないけど、正直こういうのには自分の性格も手伝って、「けっ」と思う。
人間がある程度群れて暮らしていて、いい人間関係を作っていれば、ある程度は周囲の助けが見込めるのは確かだと思う。頼めば、ある程度なら便宜を図ってくれる人も多いだろう。そんなものだし、お互い様だ。
ただ、それだとこう、言ってほしいわけだね。
人は必要なときには、助けを求めることができる。 必死になりすぎるとそれは頭に思い浮かばない。
これは、あると思う。ただ…。やっぱりどこにも、助けを求められないような問題が起きることもある。
誰が何と言っても、人づきあいの少ない人というのはいるし、お金や、人の生き死にがかかわってくるような問題…たとえば極度の生活の困窮とか、とても大変な介護問題や、病気療養や…というようなものは、どれもあんまりカジュアルに人に助けてくれ、と言えるものでもないし、言ったところでそこまで親身に面倒見てくれるか…というと、これは自分でも手出ししにくし、人にも頼めないことが多いのではなかろうか。
もちろん日本には公的な制度というものもあるから、本当に困ったらまず、そのあたりからあたりをつけるものだとは思うが、行政がタッチしない問題もある。それと、お役所仕事なので「聞かないとあることすらわからない」サービスは結構ある。
と、つらつら書いてきたけど、私がこのいいこと言ってるように聞こえるけど、この言葉が嫌いなわけは、実はこれは「お前が気が付かないのが悪い」と言われているからだと思う。
本当につらいときに、「お前が気が付かないだけで、もう誰かに出会っているんだから、そいつに頼め」裏を返せばこう。
けっ。そんなのは、あとからしかわかんないのよ。そしてもう、あとになったら、助けがいる状態は終わっているんだから。本当に問題の渦中にある時は、そんなこと全然わからない。悩んで、つらくて、毎日がギリギリの時には、誰が助けてくれるだろう、なんて打算、なかなか…。
その時、手を出してくれる人はありがたい。でも、本当につらいときは、他人を巻き込みたくはないものだ。こっちから頼むのは無理。
こんなことを考えてひっかかっている。ありそうに聞こえるから。よさそうに聞こえるから。だからひっかかる。嫌いだ。
と思っていたら、ネットには、「当たり前ポエム」というのが一杯流通していた。それは、なんとなくよさげな背景画像と、数行までのポエムで出来ている…ところまでは、上にかいたよさそうに聞こえるポエム調のいい言葉と同じなんだけど、「よく読んだら、当たり前じゃん、全然いいこと言ってないし」というポエムらしい。
「人は必要なときには 必ず必要な人に出会う。 ただ、それに気づく人は少ない」
いい言葉だと思う人もいるのかもしれないけど、正直こういうのには自分の性格も手伝って、「けっ」と思う。
人間がある程度群れて暮らしていて、いい人間関係を作っていれば、ある程度は周囲の助けが見込めるのは確かだと思う。頼めば、ある程度なら便宜を図ってくれる人も多いだろう。そんなものだし、お互い様だ。
ただ、それだとこう、言ってほしいわけだね。
人は必要なときには、助けを求めることができる。 必死になりすぎるとそれは頭に思い浮かばない。
これは、あると思う。ただ…。やっぱりどこにも、助けを求められないような問題が起きることもある。
誰が何と言っても、人づきあいの少ない人というのはいるし、お金や、人の生き死にがかかわってくるような問題…たとえば極度の生活の困窮とか、とても大変な介護問題や、病気療養や…というようなものは、どれもあんまりカジュアルに人に助けてくれ、と言えるものでもないし、言ったところでそこまで親身に面倒見てくれるか…というと、これは自分でも手出ししにくし、人にも頼めないことが多いのではなかろうか。
もちろん日本には公的な制度というものもあるから、本当に困ったらまず、そのあたりからあたりをつけるものだとは思うが、行政がタッチしない問題もある。それと、お役所仕事なので「聞かないとあることすらわからない」サービスは結構ある。
と、つらつら書いてきたけど、私がこのいいこと言ってるように聞こえるけど、この言葉が嫌いなわけは、実はこれは「お前が気が付かないのが悪い」と言われているからだと思う。
本当につらいときに、「お前が気が付かないだけで、もう誰かに出会っているんだから、そいつに頼め」裏を返せばこう。
けっ。そんなのは、あとからしかわかんないのよ。そしてもう、あとになったら、助けがいる状態は終わっているんだから。本当に問題の渦中にある時は、そんなこと全然わからない。悩んで、つらくて、毎日がギリギリの時には、誰が助けてくれるだろう、なんて打算、なかなか…。
その時、手を出してくれる人はありがたい。でも、本当につらいときは、他人を巻き込みたくはないものだ。こっちから頼むのは無理。
こんなことを考えてひっかかっている。ありそうに聞こえるから。よさそうに聞こえるから。だからひっかかる。嫌いだ。
と思っていたら、ネットには、「当たり前ポエム」というのが一杯流通していた。それは、なんとなくよさげな背景画像と、数行までのポエムで出来ている…ところまでは、上にかいたよさそうに聞こえるポエム調のいい言葉と同じなんだけど、「よく読んだら、当たり前じゃん、全然いいこと言ってないし」というポエムらしい。
著作権とかがどうなっているのかわからないので、自作してみた。もうちょっと笑える方向へシフトしたのがやっぱり人気があるようだけれども、即席で思いついたのはこれだった。
「そりゃそうだろうよ」というのと、「よく言われるポエム調のいい言葉とすごく似ているように見えて、実は…」という系統がある感じがする。
いろいろ読むと面白いなこれ。こういうの作るの、趣味にしようかしら。