暮らしとお金
お金に困らない暮らし。こう書くと、どんなことを思い浮かべるかは人によっていろいろだと思う。
お金に困る暮らし…というのは割と簡単だ。食べるもの、着るもの、住むところに不自由する暮らし。
20代の頃は特に貧乏だった。献血に行ってもらったTシャツが、厚手で上等で、何年も着たのをおぼえているぐらいには。
今も気を付けて節約しましょう…ということになっているのは確かだけれども、最近、お金に困らなくなった感じがするなあ…と思うのは、洗濯用の粉の洗剤一箱買うのに258円でも、「まあ、いいや、もうなくなるししょうがない」と思って買う時だ。
前までは絶対、198円、うまくいけば168円まで行かないと買わなかった。そのために買いだめもしていたし、洗面台の下は買いためた洗剤でいっぱいだった。でも…そうするとごちゃごちゃするし、ふとした拍子に積み上げた洗剤の箱が崩れてくるし…ということで、私は買い置きをしなくなった。
60円なら、どこかでつじつまを合わせることが出来るということ。
本当に厳しい家計だったときは60円でもかなり気にしていたし、肉のパックの10円の桁まで気にして計算して、いつも予算きっちりで、買い物をしたら財布の中身は30円以下…というのが通例だった。
今はもうちょっとどんぶり勘定にしても大丈夫で、買い物が終わっても財布に500円とか1000円とか残っていることもある。
子供にお菓子も出してやれるし私も食べるし、息子の友達が遊びに来たときはジュースなんかも出したり、時々でかけた大型電器店では、ガチャポンを息子と一回ずつ…というようなこともできる。
そんなことをしても、夫が渡してくれている一カ月の予算は、赤字になったりしないところがすごい。
私にとっては、高級な外車を買うよりも、贅沢な宝飾品を買うよりも、日常にそういうちょっとした…数十円から数百円ぐらいの細かいものが買えるほうが嬉しい。
まあ、お金が貯まらない人はそういう細かいものをちょっとずつ買っているうちに、大金が気が付いたらなくなっているなんていう本も読んだことがあるから、多分そうなんだろうな。
私が使ったガチャポンの金額と、洗剤の最安値との差額60円を100回分ぐらい足したら…いや…それでも10万円とかにはならないからなあ。
色々なブログを読んでいると、専業主婦の奥さんに、もっと食費を減らせという旦那さんもいるらしい。奥さんが楽しみのために使うお金を出してくれないどころか、化粧品のため…それほど高くないものでも、もったいないと出し惜しみするとかいう話を読むと、うちの夫には感謝しないとなあ…と思う。
ちなみに、化粧品を買わせてくれ、と私が夫に言いに行ったならば、
「そういうのは、わからないから、予算がいるなら言いなさい、出すから」
…と、苛立った夫に言われると思う。彼は「そんなこと」を考えるのが嫌いなのだ。
私が節約しないと、とか思って、自分に必要な経費を省いているというのを、夫が推察して、出してもいいよ、なんて言わないと買わない…というのは、夫にとっては面倒なことでしかないらしい。(結婚して長いからね、覚えた)
そんなごちゃごちゃしたことに付き合いたくないから、金は出すから、自分でやっておいて。
…とこうなっている。だから「そんな物に金を使うなもったいない」と叱られる話を書いていたブログの人とは別の理由で…つまり「そんなことは自分でやっておきなさい」と叱られはするだろうが、お金は出てくる。
いつも、ありがとう。
脈絡もなく、ただそういいたくなったので、昨日寝る前にそういって置いたら、「いつもおいしいご飯を、ありがとうね」と言ってもらえた。
彼にとっては、家のことにあんまり心配がなく、ごはんが出来ていて、掃除と洗濯がそれなりに出来ているのが一番…ということみたい。
主婦業というのは給料が出ないので、本当にこれでいいんだろうか…と思うときもあるけれども、実のところ、夫には評価してもらえているのかもしれない。
不自由のない暮らし。
衣食住に困らない暮らしって、ありがたい。
時々こうやって実感してしみじみする。
お金に困る暮らし…というのは割と簡単だ。食べるもの、着るもの、住むところに不自由する暮らし。
20代の頃は特に貧乏だった。献血に行ってもらったTシャツが、厚手で上等で、何年も着たのをおぼえているぐらいには。
今も気を付けて節約しましょう…ということになっているのは確かだけれども、最近、お金に困らなくなった感じがするなあ…と思うのは、洗濯用の粉の洗剤一箱買うのに258円でも、「まあ、いいや、もうなくなるししょうがない」と思って買う時だ。
前までは絶対、198円、うまくいけば168円まで行かないと買わなかった。そのために買いだめもしていたし、洗面台の下は買いためた洗剤でいっぱいだった。でも…そうするとごちゃごちゃするし、ふとした拍子に積み上げた洗剤の箱が崩れてくるし…ということで、私は買い置きをしなくなった。
60円なら、どこかでつじつまを合わせることが出来るということ。
本当に厳しい家計だったときは60円でもかなり気にしていたし、肉のパックの10円の桁まで気にして計算して、いつも予算きっちりで、買い物をしたら財布の中身は30円以下…というのが通例だった。
今はもうちょっとどんぶり勘定にしても大丈夫で、買い物が終わっても財布に500円とか1000円とか残っていることもある。
子供にお菓子も出してやれるし私も食べるし、息子の友達が遊びに来たときはジュースなんかも出したり、時々でかけた大型電器店では、ガチャポンを息子と一回ずつ…というようなこともできる。
そんなことをしても、夫が渡してくれている一カ月の予算は、赤字になったりしないところがすごい。
私にとっては、高級な外車を買うよりも、贅沢な宝飾品を買うよりも、日常にそういうちょっとした…数十円から数百円ぐらいの細かいものが買えるほうが嬉しい。
まあ、お金が貯まらない人はそういう細かいものをちょっとずつ買っているうちに、大金が気が付いたらなくなっているなんていう本も読んだことがあるから、多分そうなんだろうな。
私が使ったガチャポンの金額と、洗剤の最安値との差額60円を100回分ぐらい足したら…いや…それでも10万円とかにはならないからなあ。
色々なブログを読んでいると、専業主婦の奥さんに、もっと食費を減らせという旦那さんもいるらしい。奥さんが楽しみのために使うお金を出してくれないどころか、化粧品のため…それほど高くないものでも、もったいないと出し惜しみするとかいう話を読むと、うちの夫には感謝しないとなあ…と思う。
ちなみに、化粧品を買わせてくれ、と私が夫に言いに行ったならば、
「そういうのは、わからないから、予算がいるなら言いなさい、出すから」
…と、苛立った夫に言われると思う。彼は「そんなこと」を考えるのが嫌いなのだ。
私が節約しないと、とか思って、自分に必要な経費を省いているというのを、夫が推察して、出してもいいよ、なんて言わないと買わない…というのは、夫にとっては面倒なことでしかないらしい。(結婚して長いからね、覚えた)
そんなごちゃごちゃしたことに付き合いたくないから、金は出すから、自分でやっておいて。
…とこうなっている。だから「そんな物に金を使うなもったいない」と叱られる話を書いていたブログの人とは別の理由で…つまり「そんなことは自分でやっておきなさい」と叱られはするだろうが、お金は出てくる。
いつも、ありがとう。
脈絡もなく、ただそういいたくなったので、昨日寝る前にそういって置いたら、「いつもおいしいご飯を、ありがとうね」と言ってもらえた。
彼にとっては、家のことにあんまり心配がなく、ごはんが出来ていて、掃除と洗濯がそれなりに出来ているのが一番…ということみたい。
主婦業というのは給料が出ないので、本当にこれでいいんだろうか…と思うときもあるけれども、実のところ、夫には評価してもらえているのかもしれない。
不自由のない暮らし。
衣食住に困らない暮らしって、ありがたい。
時々こうやって実感してしみじみする。