LuckyDuckyDiary

手ぬぐい袋

スーパーの袋は便利だ。薄くて、割と大きくて、かばんの中に編みかけのものをつっこんで出かけるのに便利。
息子の習い事の待ち時間に、暇つぶしに編む。

送っていかなくてはならないぐらい遠いので、一度家に帰って、また来る時間は、ない。なので、教室の外に用意してある「親が待つためのスペース」で、習い事が終わるまで待つことになるので、本を持って行って読んだり、スマホでゲームしたりして待つことになるのだけれども、ちょうどいいから編み物でも…。と。

何度かやってわかってきた。スーパーの袋は便利だけど、編み針が突き抜けて、そこから破れてしまう。
毛糸玉が入るぐらいの大きさのポーチはないでもないのだけれど、割とかさばる。

布で袋を作ろうかな…と思った。きんちゃくみたいに、紐なんかなくていい。そんなバラバラになるものをいれるわけでもなし、開けたり閉めたりするのに全く、手間がいらないスーパーの袋形式は便利だということもわかったし。

手元にあんまり布がなくて、出てきたのはおりたたんだ手ぬぐい。100均のもの。多分柄がかわいいから買ったんだと思う。
 手ぬぐいは、両側は「布端」でほどけてこないし、両端は、普通の手ぬぐいは切りっぱなしだが、100均のは3つ折りにして始末してあるので袋にするのは簡単。
 表を外側にして2つに折って、両端5ミリぐらいはいったところをまっすぐ縫っておいた。上は5センチぐらい縫い残す(口があきやすいから)。中に毛糸と針をいれて、口をちょっと折って、そのままバッグに。

布なだけあって、スーパーの袋みたいに破れない。

帰りに、息子が「ぶえっくしゅ」と大変大きいくしゃみをした。
おっと…。ティッシュ…ないな。手ぬぐい袋をバッグの中で逆さにして中身を出して、ちょっとたたんで手渡す。
ピンチの際には、手ぬぐいとして使用可能だ。
たたんであると、袋になっているということが全然わからない。

連続でくしゃみが出たので、「ポケットに入れておきなさい、それ」と、帰途についた。

 編みかけのものを入れる袋として、もう2、3枚作って柄違いでバッグに常備しよう。
帽子の編みかけはこっちに、マフラーの編みかけはそっちに、とか、入れ分けると毛糸が、籠の中で絡みづらくていいよね。

 タオルで作ったら、手を拭くとき便利かなあ、と思ったけど、多分分厚すぎて邪魔だろうな。
 かわいい手ぬぐい、100均にまだ、あるといいな、冬だけど。あれは多分、夏が旬だものね。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
あ、そうだ。元旦でしたね。
皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

それと気が付いたらカウンターが50000越えてました。いつも来て下さる方、記事を検索して読んでくださる方のおかげです、ありがとうございます。

今年も毎日更新を目指します。

思い切ってひとこと。

SNSでつながっている友人とか、知り合いとか、ママ友とか…というのはあるのだけれども、学生時代の友達はみんなみんな、家が遠い。日本全国、北海道から九州ぐらいまで散っているので、なんていうか、前回会ったのは、友達のお葬式…という感じの人が結構いる。

まあ、葬式はどれにせよ、非常事態。普通にあったのは、えーと、あの正月は何年前だ?ぐらい。でもSNSは便利なんだよね、みんな元気だね、がんばってるね、まだ生きてるよね…ということの確認にいいわけだ。

地元の知り合い…一応友達…だと思う。という人たちは、たいていママ友つながりで、子供が幼稚園の時知り合った人。その時にこの街に引っ越してきてからお付き合いが始まった人たちで、子供が幼稚園卒園してからもSNSはつないだまま…という感じ。
 旅行にいった、こういうものを手作りした、今度、趣味の集まりをやる、子供がこんなことを言った、した…というような近況を誰にというでもなく、SNSに投稿して、「いいね」とか、コメントを交換する人が多い。

 私は、それほど投稿するわけではないが、時々作ったものを公開したり、ケガや、入院があったら入れたり…あとは読むだけ、という感じだったのだけれど、割と息子が幼稚園を出てからもお茶しにいったり、ランチしている人が、二人でランチの相談をしていた。

 三人目の人が、「私もごいっしょしていい?」と申し込んでいた。
 …いいなあ…私も…と思ったけど、なんていうの?一応ここは、「そこらじゅうの人たちに公開されているところ」であって、そこで「私もいきたい」と表明して、もし相手が、「えー?そうなの?別にまこさんとしゃべりたいこと、ないよー」とか思っていても、断れる?断れないよね?だって、一緒に行きたい、という人を一人、もう「大丈夫だよー、一緒に行こう歓迎だよ」と表明している後なんだもん…。

「今回は二人でと思っていたから」とかさ…断れないよね。

だとしたら、行きたい、っていわないほーがいいかな…。

…申し込む前から、断られることを考えてるよね。
 これってさ、見方を変えれば、「こんなみんなが見ているところだからこそ、断られないから、申し込むべき」だったりする?

もうランチ決定になっている3人は、全員とてもいい人だ。話しても面白いし、とても素敵な人たち。フルタイムではないが全員パートで仕事をしている人たちなので、私からは誘いにくい3人でもある。いい機会ではあるんだよね。
 断られたら、ショックだろうなあ…。と思ったけど、断られる要素があるとしたら…。と思っても考え付かない。

…ってことは、多分断られないと思う。と決心して、
「私も、行きたいなあ」と表明してみた。

10分ぐらいで、「もちろんOK-」と返してくれる人がいて、ほっとした。
というわけで、思いきって、一言出してみてよかった。

「そりゃ、あんな状況じゃ断れるわけないじゃないのよ、本当は嫌がられているかもよ?」と悪魔のささやきが聞こえる。

…でも…多分空耳。頭ではわかってる。あの3人はそういうこと、言う人じゃない。本当に水入らずがよければ、ケータイ番号だの、ラインだの交換しているぐらいには、あの3人は仲が良かったはずだ。
 おまけに、3人のうちの2人とは、「年が明けたら、ランチしようね」という話もしてたもんね…多分大丈夫。

人づきあいが下手、って気持ちの処理が面倒くさいね、ほんと。

髪の毛を切る時、その後

指名するのが気まずいが、下手な人に当たると髪の手入れが面倒…という日記を書いてからしばらくして、カットに行った。

結構混んでいて、1時間ぐらい待ちますが、いいですか?と聞かれたが、その日は用事もないし、私はどうせこんなことだろう、と思って編みかけのものを1つ、持っていた。どこへ座って編もうと進み具合にはそれほど差が出ないので、家で編み物をしていると思えば、待ち時間分ぐらい全然大丈夫。

名前を書いて、ふと、リストを見ると、番号で人を指名する欄に、番号をいれている人がいる。9番さんと、12番さんが人気だ。
…今日の人は、とみると、なるほど、11番さんが、切るのが下手な人だ…。残りの2人が9番さん、12番さん、と。
みんなわかっているんだねえ…。

12番さんは、顔に見覚えがあるし、この人に切ってもらうと、すごーくいい感じに見えるようになるし、手入れも簡単だ。9番さんは、何度か当たったことがあるが、印象に残っていないところを見ると可もなく不可もなくであろう。
というわけで12、と私も番号を書くことが出来た。

だれも指名していないとちょっと気おくれがするが、みんなが書いていると出来るんだな、うん。付和雷同型というか、なんというか。
11番さんには悪いが、払うお金が同じなら、ちょっと待ってでも12番さんがいい。
後から入ってきた人で、指名をしていない人が先に終わっていくが、私はせっせと編み物に精を出して、順番を待った。

結構編めたし、気に入った感じに切れたし、言うことない。
今度からこれで行こう、うん。

後は、目当ての人が来ている時に来ればいいだけか…。まあ、11番さんの顔を覚えておけば、それ以外、という選び方でもいいんだしね…。

ちなみに、同じ日に息子も駅前の1000円カットに行ったが、彼が私と同じ店でなく、そこに行く理由は、「クリーム塗らないから」らしい。後、早いんだって。「スポーツ刈りにしてください」というらしい。丸刈りは、最近いやがってやらなくなった。
 道着が一番似合う髪型はこれなんだ、と坊主にしていた時もあったんだけど。かわいかったのになあ、あれ。

Opal毛糸の腹巻帽子リベンジ成功!

腹巻帽子、リベンジ成功!
編めた―。この写真が全貌。結構たくさん編まないと、両端が巻いてしまって、短くなってしまう。ぎりぎりの短さに編んだんだけど、もう3センチぐらいあっても悪くないかもしれない。それと、幅は54センチぐらいしかないので、私の腹はここにいれるのはむーりーなサイズなので、名前は腹巻帽子だけど、腹巻にはなりませんっ。
あ、でも。小学生の息子の腹巻にするのは可能だな、きっと。


裏返しにして、真ん中をねじってから、半分をかぶせると、こういう風に帽子のようになってかぶれるというのが、この帽子の特徴。ただし、結構きつくねじっておかないと、頭のてっぺんが開いてきちゃうので注意。
これは、Opal タリスマン 9270 liebeという毛糸。 赤紫っぽいメインで、顔色がよく見えるかな、という感じ。



こっちは、Opal フンデルトヴァッサー2104。遠くから見た感じがいいんだけど、近くで見ると、この青と赤と紫がミックスになったところが濁って見えるかな…。思ったよりグリーンが目立ったのと、モニタだともうちょっとクリーム色っぽく見えたんだけど、編んでみると薄茶色と白のまだらだった。
あと、この2色の組み合わせ選んだのはなんとなく…なんだけど、せめて同じ色が1色ぐらい入っているのにすればよかったかなあ。組み合わせがいまいちな気がする。
 でも、やっぱりできたのはうれしいなあ。
 
これを編んで分かったこと
 1:メリヤス編みで両端が丸まる部分は相当あるので、実はゴム編みのほうが楽かも。
 2:帽子を2つ、別々に編むほうが毛糸の使用量は多分少ない。
 3:メリヤスで丸まった端の帽子はかぶり心地がやわらかくて、寝るときにかぶったらいいかな、と思うぐらいだった。寝るとき用、作るかなあ。
 4:毛糸で見ている時と、編地になってからの印象がかなり変わるものがある。大体靴下用なので、幅の狭いものを編むほうが模様がきれいに出るかも。帽子は幅が広くて、1段に満たない色が出てきた。



使用した針は4号。指定は3号だったのだけれど、大体手がきつめなので4号でもいいかな、と。
一周145目で100段+100段で、幅55センチ、26センチ+26センチぐらい。ちょっと短めか…
今度からこれをゲージ代わりにして、編めばいいってことだもんね。
10センチあたり26.3目38.4段。半端だけどまあそんなもんだ。

これは2重のネックウォーマーとして使用して、帽子は残りの毛糸で編もうかなあ。

大人のサンタの話

サンタクロースは、いいものだと思う。いや、いい人、か。
アメリカ文化では、ものすごく気を使って子供に信じさせるように仕向けるし、私が子供の頃はここまでではなかったように思うが、日本でも昨今、サンタさんが家に来て、よいこにプレゼントをくれるのだよ、という話を信じさせるようにする親は多い。

ちなみに、私の実家では、サンタクロースというのは三匹のこぶたや、シンデレラと同じお話であって、そういうプレゼントをくれるのは親である…ということについては物心ついたころには、はっきりと教えられていた。母親によると、「子供にうそを教えるのが嫌だった」そうだが、単にプレゼント代をさっくり、出さなくてもいいという事情もあったんだろうと思う。

うちでは「クリスマスプレゼント」は基本、ノートかメモ帳ぐらいまではもらったことがあったかな程度。それもまあ、近所の人に「まこちゃんは、クリスマスに何をもらったの?」といわれたときに「なにももらわなかった」と答えてしまうのを防ぐためみたいな感じ。正直、クリスマスというのは我が家では全然盛り上がらないイベントであった。
 「キリスト教の人はお祝いをするのだ」ということも聞いていたが、家の近所でクリスチャンといえば、ええとクラスメイトに1人いたかいないか…というぐらい田舎のことだったのもあって、幼稚園で「あわてんぼうのサンタクロース」だの、「赤鼻のトナカイ」だの、歌は習ったが、それだけだった。

今思い出したが「町内会の子供会がやるクリスマス会」というのはあった。それは公会堂に子供を集めて、家からボードゲームや絵本などを持ち寄って遊び、子供会役員のお母さんたちが紅茶とケーキを出してくれて、最後に文房具や、コマ、ぬりえ、トランプみたいなおもちゃのプレゼントを配ってもらって帰るという昭和の子供っぽいイベントで、こっちは楽しかった。

 かたや、うちの息子。全体的にアメリカ滞在が長かったからというのもあって、サンタクロースを全体的に信じさせる方向へ動いた私たち夫婦。私は自分が子供時代のことを考えて、「何年かは、そういうものを信じさせてやってもいいのじゃないか」と思ったのだ。

 最初、確か「プレ幼稚園」に通っていた時の絵本の読み聞かせで、クリスマスに男の子が赤い自動車のおもちゃをサンタさんにもらうストーリーを聞いた息子はいたく感動したらしく、2歳代の回らぬ舌で、「ぼきゅ、くいすますに、さんたさんにあかいクウマもらうの」と言い出し、車系のおもちゃにほとんど興味がなく、ロボット好きだったのでそういうおもちゃしか用意していない私たちを慌てさせたのにスタート。(赤い車…ということで、消防車のおもちゃは、そのあとお正月に「お年玉」として出して、しばらく愛された)
3歳、4歳と、サンタさんにもらうおもちゃがもう、楽しみで楽しみで。
 わくわくしてしまって朝4時に目が覚めるというお約束の行動で、大喜びの息子の声で目が覚める、そんなクリスマス。

サンタさんが名前を呼び、いい子認定証を発行してくれる…というようなネットの動画作成サービスを使った年もあったし、大体「ねえ、息子、今年はサンタさんに、何を頼むの?」という質問にはいつもニコニコ答えてくれた。
 が。今年は、微妙だった。

大体、もうサンタさんの正体に気付いた子が多い高学年。一応、セオリーとして「サンタさんがいない、という子には、さすがにプレゼント持ってこないよ、サンタさんはそこまで暇ではないからね?でも、プレゼントがないとかわいそうだから、そういう子にはお父さんとお母さんがプレゼントを出すの」ということにうちではなっている。
 今年は、念願のスイッチは誕生日にもらってしまい、ほしいゲームソフトは、お父さんとお母さんがくれる。
 PS4は「そんな高いもの、ボランティアのサンタさんに頼むものではない」と親が止めている…。

もしかしたら…もう、わかっているのかもしれないな、とも思った。でも、はっきりは聞けないんだな。
うちの息子は案外ちゃっかりしているのだ。サンタさんがお父さんお母さんだとわかっている、などと言おうものなら、サンタさん分のプレゼントが減ってしまうということぐらい、計算できるだろう。

今年は、スプラトゥーン2の大会があって、その優勝チームに賞品として出たという、Tシャツがあった。
 ネットで買えるんだな、これが…。せっかくの優勝賞品なのに、お金を出したら買えるってどうなの?と思いながら、ラッピングして枕元に置いておいた。
 夜中にそっとふすまをあけて、滑りこませて、そーっと閉めなおしたときには、目が覚めるんじゃないかと思って、ドキドキした。

そして朝5時。
寝ぼけた息子が、「おかーさん、サンタさんは…」というので、「よく見てごらん、なんかあるかもよ」(息子がはいだ布団に埋もれていたらしい)と言っておいたら、「おおおーやったーーーー!」と喜んでいた。

 ミルクとクッキーを用意したものは、私が一部食べておくというアメリカ風の仕掛けも。

夫によると、息子は「これ…手に入れにくいはずなのに、サンタさんはどうやったんだろう」とつぶやいていたそうだ。
ふふふ。ネット通販って、ありがたいねえ。

…ってことは、まだ信じてる、ってことでいいのかしら、ね。

ちなみに、知り合いのおうちのお子さんは、息子より2年上だが、まだビリーバー。その子の学校がカトリックの学校だというのもあるのだろう、学友たちも、そういう雰囲気のおうちが多いからか…。それよりもう2年上のお兄ちゃんのほうは、「もう僕はいいから」とプレゼントを気を使って断ったりするらしいが、下のほうのお子さんは、「サンタさんは僕の気持ちを一番わかってくれる」と、なんと、プレゼントに何を頼んだかを教えてくれなかったらしい。

 それは大変!お兄ちゃんに、「何とかして聞きだしてくれ」と頼んで、ご夫婦そろって頭をひねったらしいが、ちっちゃい子と違って、なかなか難しいね…という話になった。
(これはクリスマス前の話で、後日談をまだ聞いていない)

 知ったら、ショックかなあ。いつ、ばらそうか。いっそ、もう何も言わない状態でプレゼント出し続けてやるか(笑)。

福袋の話

あんまり、福袋というのを買わない。
安いのも、お得なのもわかっているのだけれども、大概要らないものがいくつかは、入っているものだ。

それと、あの人混みったら!
…というわけで、ここ10年かそこら、福袋を買っていない。となるとこの日記終了ーっていうのもつまんないので、私が最後に買った福袋の思い出を書こうと思う。

それは…。ゲーム屋さんの「携帯ゲーム機福袋」。ゲーマーなら…いや、ゲーマーならずとも、ゲームにも「売れ残り」というものがあることはわかるだろう。

 ゲームというのは人気作は定価よりも高いぐらいのプレミア値段が中古につくか、と思えば、新品が100円だの500円だので投げ売り(定価4800円)などということだってある。

ゲーム機だって、中古市場に出回らない人気のあるものや、大概故障するので中古商品が少ないものから、ちゃんと動くけど500円で本体山積み…なんていうものまである。

 私は、携帯機、つまりゲームボーイ系のゲーム機はたくさん持っていた。任天堂の本体はとても壊れづらい。きっと今でも無事稼働するファミコン、スーパーファミコンも結構あると思う。ゲームボーイ(初代)なんて1980年台のものなのだが、30年近く経っても動く本体も珍しくない。それより新しいものとなれば、普通に何の問題もなく動いてしまう(ゲームボーイポケット、ゲームボーイライト、ゲームボーイカラー、ゲームボーイアドバンス初代、ゲームボーイアドバンスSP)。

 というわけで、最近は知らないが、ゲームボーイ系統を手に入れるのは当時でも簡単、安かった。ただ、バンダイの携帯機である、「ワンダースワン」。カラーもあったけど、これがなかなか、品薄。任天堂のものに比べると、マイナーで市場に出ている台数が少なく、カラーのゲームボーイと違って白黒の時期が長くそれがまた不人気さに輪をかけて、なおかつゲームにバグが多くて、ともかく、扱いづらかった。

電池持ちがよく、「グンペイ」とか結構面白いゲームもあったのだけれども。(グンペイはそのあと、DSにも発売されている)このゲーム機で「チョコボの不思議なダンジョン」をプレイしたかったので、買い(本当にバグが多かった。遊んだけど)…そのあと「たれぱんだのグンペイ」を買い、たまごっちみたいな液晶ゲームと連動する「デジタルモンスター」のゲームを各種買い…順調にマイナーゲーム道を突っ走っていた矢先、ワンダースワンはいきなり、終了した。

 つまり、生産終了になったわけだった。
げえ…。こうなるともう、気になっていたソフトを買い…そして本体を念のためあと2、3台、買っておきたい。と思ったが、さすが、ゲーマーの考えることは同じで、当時住んでいた片田舎のゲームショップにはワンダースワン本体は見つからなくなってしまった。

 そこで、私は通販で、「携帯ゲーム機福袋」を2つ、ダメ元で購入した。

じゃーん。というわけで、ふたを開けると狙い通り、めちゃくちゃ不人気なソフトが束で入っており、ワンダースワンの本体が1台。ゲームボーイカラーが1台、これまた不人気なゲームボーイソフトが何本か。それから、ポケモンのちっちゃい携帯機、「ポケモンmini」が入っていた。一応、ゲームボーイアドバンスの不人気ソフトも1本入っていたが、見ただけで地雷ということがわかるソフトだった。

 ポケモンミニはあまりにもかわいいので、当時はもうとっくに廃れていたのだけれども、オークションまで使ってソフトを揃えた。一応箱説なしだけれども、ポケモンブラザーズミニ、だっけ。この1本を除いては全部手に入れた。ちょっとバカかもしれない。

 やっぱり福袋のこと、思いついてよかったわ…と新品みたいにきれいな、ワンダースワン本体を前に思った。
 ご丁寧に、通信ケーブルまで同梱してあった。

そのあと、私はワンダースワンクリスタル、なんていうのまで手に入れたんだけども…今、どこにあるかな(笑)。

たれぱんだのグンペイが、突然遊びたくなった。

大体、たれぱんだって今でもいるのか?

うを、一応まだ、調べてみたらいるっぽい。(画像はたれぱんだの公式、サンエックスのもの)
ゆるキャラのはしりみたいなキャラだったなあ。
 そして、絵も面白かったが、このコピーが秀逸だったんだよね。

 その時はほしくてほしくて、絶対1台手に入れる!と思って大枚はたいたけど、今正直いるか、といわれるともう、そんなに…。過ぎてしまう情熱、ってあるんだな。

 私は、何が、今欲しいだろう。
ほしいものがあるのは、楽しいことだ。手に入れば、うれしいし、それを手に入れるために行動すること、考えること、お金をためること、すべてが活力になる気がする。

 今…私が手に入れたいものは。あんまり…ないかも。一人でゆっくり楽しめる時間がほしい。それから、誰かとふれあい、交流を持ち、楽しい時間をもつこと。誰かに理解されているのだという実感がほしい。

 どれもお金で買うわけにはいかないものだ。難しいな。

品物がほしいと思えるのって、パワーが出ることかもしれないと思った。それも案外簡単に。
 なにか…ほしいものを見つけよう。そして買おう。楽しい気分になれるように。

きれいなもの。かわいいもの、便利なもの、楽しいもの。そうだな、そういうものを探して…一つ、身に着けようか。
作れるものなら、作ってもいい。それほど高くなくて、買えるものならそれでもいい。

 ぼーっと待っているだけだと、そういうものも目に入ってこないものね。
 
元気がないときには、こんなことさえ、難しくなる。ちょっとだけ、背伸びして、がんばろう。

目数マーカー、段数マーカー自作

模様編み、それも繰り返しの模様編みをしていると、中断したとき、自分が何段目を編んでいたのか、わからなくなることがある。
もちろん、数取器だとか、編み物用段数マーカーだとか…というものはあるし、紙に「正」という字を書いてカウントしてもいいのだけれども、もうちょっとなんとかならないかな…と思い始めた。

特に、細い毛糸6段ずつ2パターン12段とかだと、3段、4段1模様とかじゃないので覚えておくのには多すぎるし、間違えたときほどくのも、残念すぎる。

輪に編むときは、「ここで一周終わりです」ということで、目数マーカー…というか、ただの輪が1つ、編み針にいれてある。
これに、番号をつけられないだろうか…と思った。

これに便利なものをどこかで見たよな…。絶対見た。アクセサリーにするような、チャームを見た。
そう思って、近所のクラフトショップへ行ってみた。
ない。
…ということは私の場合、100均が次の候補。私が商品をじっくり見て回る店というのはかなり少ない。
ダイソーにはなかった…ってことは、セリアか?
大きめのセリアにあった。

というわけで、やめるときは、一周終わるまで編んで、このマーカーをいれておけばOK.
数字チャームに、文房具売り場の二重リング(13mm)というのを通して作成。0から9までしかないけどさ。
ま、しょうがない。そうか、組み合わせればいいか。10段目だったら、1と0とか、12段目だったら1と2とか。

あと、同じくセリアのおもちゃのコーナーで、このハート形プラスチックの輪も見つけた。
これ、手芸屋さんで売ってるちょっと高めの段数リングに似ている。
そういうのは15個で400円ぐらいするんだけど、これは40個とか50個とか入っていて100円。
ちょっと割れやすいかもしれないけど、いいや、安いし。楕円形と星形もあったけれど、これが使いやすそうなのでこっちにした。三角とか、四角とかがあれば便利かもね。

プラバンで数字部分を作ると、いいかもなあ…とか思うともうね…こういうのって作ったのはいいんだけど使わない、とかになるんだよね。だから、300円ぐらい使って、うまく出来たなあ…というところでやめておくのが、きっと正しいのよ、うん。

年賀状雑感

年賀状というのは、作るのも面倒、書くのも面倒だ。でも、わがままなことにもらうのは案外好きだ。

もらった年賀状を見ていると、思わずにっこりしたくなるようなのがある。
 例えば、小学生の姉妹が、バレエだか、ダンスだかの舞台が終わった後、並んで花束抱えて写真を撮った、二人がそっくり、首の傾け方までそっくり、笑顔もそっくりで、拡大縮小コピーみたいで、ついでにもちろん、私の知り合いである親御さんにもそっくり…な年賀状とか。

高校入学です、と書かれていた娘さんの写真が、もう…私たちが出会った高校生の頃の友達にあまりにもよく似ていて、本人がタイムスリップしたかと見まごうような写真。ああ…ゆかりんそっくりだー。
 制服の、あまり特徴のないその紺色のスカート、それから校則通りであろう髪型、なんていう理由もあるのだろうが、ここまで似ていると、本当にクスッっとなってしまう。

 結婚が遅かった友達のお子さんは、双子で、うんと小さくて、生まれた途端にNICUへ入ったと聞いたのが一昨年。今年の年賀状ではとても元気そうな男女の双子の写真が。ああ、かわいいなあ。2歳ぐらいか。

 かと思えば、バイクの写真しか載っていない友達の年賀状。本人はどーしたよ。相変わらずホンダのバイクなのはわかったけどさ。多分、元気なんだね、これは。

 PCを使った写真加工で自分の顔を映画のポスターに埋め込んでくる人。毎年凝ってるなあ。でも、元ネタが岡田准一っつーのはしょいすぎだろう…。

 もう、写真「だけ」の交換の人もいる。一言もなく、ただ刷っただけの年賀状。わかるよ、面倒くさいよねえ。

と思えば、これは版画?版画だなあ。これって、刷るだけじゃなくて、彫るのよね?習い始めました、と一言。いい趣味だなあ。私も何か、始めようかな…。

 年賀状、毎年ぎりぎりになってから作って、11月に刷っておけばよかったなあ…ってなる。今年の年末こそは、早めに取り掛かろう。

妖精は、いるのか

【年末の日記】に、源氏パイのおまじないの話を書いてから思い出したこと。

 私は、ファンタジー小説が大好きだった。おまじないも信じていないふりをしていたが、ちょっとはもしかして、と思わないこともなかったし、ばれないようにやってみたことだってあった。牛乳を開け放した窓の外にコップに入れておいて、ストローを刺しておき、そのストローに花をかざってブラウニーを呼んで願い事をかなえてもらおう、というものだったと記憶している。

 ブラウニーは、場所でいうとアイルランドの伝説で、多分日本にはいないけど、願い事は、結構深刻で、自分の手には負えないようなもので、もうおまじないぐらいしか頼るところがなくなったので試した…みたいなことだったと覚えている割には、願い事が何だったのか覚えていないあたり、当時多分10歳の冬の私の願い事は、今大人になった私から見ると大したことのないものだったに違いない。

 子供はいつだって、オカルトが好きだ。超常現象、超能力、おバケ、妖怪、そして妖精。

本物の妖精は、一度も見たことはなかったが、シシリー・メアリー・バーカーの書いた妖精の絵はお気に入りで何度も図書館で借りたし、お菓子についていたカードは、姉が全部持って行ってしまったのが今でも残念なぐらい大好きだった。
(左の絵は、メアリー・バーカーのwikipediaのページのをお借りしました)

妖精がどんな生活をしているか…なんていうことを書いた本は、確かお年玉で買って、相当長い間読んだ。妖精王オベロンとか、女王ティターニア、なんていうのもその本で覚えたし、まるで日本でいう八百万の神様のように、いろいろな妖精がいること…たいてい子供にしか見えないことや、ユニコーンが現れるのは処女の前だけであるとか、まあ、神話的周辺情報込みで、そういう本があって、おまじないや、占いの本に混ざって売られていた。

占い、おまじない、それからファンタジーな物語たくさん。その中にあって、一冊、今でも思い出す本がある。それは【空を飛んだおんぼろ校舎】という本。
毎回題名がうろ覚えで、ケストナーの「飛ぶ教室」がひっかかるのだが、英語の題名は「Enchanted Classroom」。つまり「魔法にかけられた教室、という感じ?

 これは、うんと田舎に住んでいるアイルランドの少年が、何もかもが新しく発展したアメリカに移民したおじさんのところに遊びに行く…という話。多分第二次世界大戦後ぐらいの年代で、教室が1つしかないというような学校がまだあったころ。

 この本には、妖精が出てくるのだけれど、ものすごく、人間っぽいというか、お花や、星や、幻めいている、羽の生えた妖精を絵本とかで見ていると、この本の妖精は、とても現実的。レンガや、焼き立てのパン、それから豆の缶詰。そういう感じのどっしりした日常感が立ち上ってくるキャラクター。

 もしかして…。やっぱりいるのかも。当時10歳ぐらいだった私に、そう思わせるのに十分な本だった。

今、大人になってしまった私には、多分妖精がいたとしてもきっともう見えはしない。
でもやっぱり、ちょっと心のどこかで、いそうな気がするんだな、ブラウニー。good neighbor、よきお隣さん、と称するのがブラウニーに失礼にならないコツなのだそうだ。

 ミルクのおまじないの隣のページに載っていた、クラッカーにチーズをのせ、はちみつをかけたのを出しておくと、コボルトが願い事をかなえてくれるんだって…というのを、クラッカーとチーズを食べるたびに、思い出す。

いたら、いいよね、妖精。
古い本だけど、図書館には、まだあると思うのでおすすめ。
エビが…多分イセエビみたいな大きいのが…食べたくなるので、注意。

一番腹の立つ図書館の本

読んでいて、一番腹の立つ本。それは、誰かが線を引きながら読んだ本だ。

まあ、本が寄贈されたもので、もともとの持ち主が線をいれたという可能性もゼロではない。
ないがしかし…。

今日読んだ本の文章にも、線がひかれていた。

読んでいてイライラする。
そりゃ、そこが重要なところなのは私にもわかるよ?わかるけど!
でも、だからといって、図書館の本に線をひくなよ。

線をひいていい本は、自分の本だけだ。

まあ…ペンで線がいれてあるより、まだましだ。多分この人が手に持っていたのはシャーペンだ。
線が細いもんな。学生さんかなあ。新書だしな。そうかもしれないな。

私は消しゴムを片手に持って、線を消しながら読んだ。
ったく、誰か知らないけど、感謝しろよ、もー。

こんな「図書館の本に書き込みはしません」なんていうこと、物心ついたころには覚えておけよ、と思う。
うちの小学生だって図書館の本はページを折ったり、線を書いたりしてはいけないことぐらい知っているというのに。
しおりをはさみましょう、と学校で教えてもらったそうだし、図書館でもしおりを配るとか、なんかそういことだってやってるらしいのにね。

私は実は自分の本でも、線を書き入れるのはいやなぐらいだ。
大事なところなんて、文章を読んでいれば自然にわかってくるのに…と思ったけど、息子の国語の読解力問題の正答率の低さを思えば、自然にわからない人もいるのかもしれないなあ。

…でもそうしたら、線なんかひけないよねえ?

一体、線をひきながら読む人は、何を考えながらそうしているんだろう。
後で読んだ時、その部分だけ読めるようにか?

 数行読むだけ…うーん。参考書の要点に線を引き(これは私もやったことがある。ただし自分の限定だけど)、あとで見直すのと同じようなことなのかなあ。

 消しゴムのかすを膝から払い落として、紅茶を飲んだ。

カマボコの話

お正月終わって、カマボコがまた、普通の値段になった。
大体、私はあまりカマボコを買わない…カマボコ会社の人には悪いが。

時々うどんに乗せたくなる時があるから、買うときは大体冬だ。
後は幼稚園でお弁当を毎日作っていた時には、「どうしても埋まらない時の保険」としてカマボコは買ってあった。切って詰めるだけという…

で、お正月の何日前かなあ。1週間前には150円以下のカマボコがあるのだが、12/28ぐらいからだろうか、クリスマスぐらいからだろうか、カマボコというカマボコが全部、500円ぐらいから上に一気に値上がりする。
高いのは900円とかになる。まあちょっと大きめだし、色柄も派手だが、だからといって、900円のカマボコをうどんに乗せて食べるのもなあ、ってなるし、多分使っている魚が違うのだろうという想像はつくけど…。900円でなく、498円(税抜)でも、あんまり食べる気がしない。

でも、お正月「だから」といって買う習慣がないものだから、年末には高くなるということをすっかり忘れて、「ああああっ」ってなる。毎年なる。

20代の時にもなったから、これは多分、忘れっぽく「なってしまった」のではない。こういうことは覚えておけるようになってないだけなんだな…。

今日買ったカマボコは一番小さいもので、98円(税抜)だった。

タイムマシンに乗って。

今年の正月、集まる機会があった。このグループは、古い人は私が高校生の頃から、新しい人は10年ぐらい前から(それでも10年?)参加の趣味の集まりで、1回しか来ない人も、300回来たことがある人も…。

 私は、引っ越しとか、外国在住が結構長くて抜けている期間も多いのだが、さすがにここまで付き合いが長いと、もう全部は切れちゃう気がしない。どこかが、誰かが、連絡を取り続けるだろうな、という気がするから。
 まあ、昔はとても仲が良かったのに、最近は集まったとき挨拶雑談程度、とか、昔は全く絡まなかったのに、最近はSNSでいいね!をよく送りあう仲になったとか、ある程度の変化はある。

 集まれるのは、年末年始か…いいところお盆?お盆は法事をやる家が多いので都合正月が集まりやすいわけだ。

亡くなったメンバーに献杯。ちょっとしんみりする。その人の話に花が咲く。
納豆、嫌いだったよねえ!そうそう、隣で定食についてたの、混ぜるだけでも嫌がってさー。とか、夏には上半身裸になってることが多くて、最初は見た目が怖かった!なんていう思い出話。なつかしいね、さびしいね、会いたいね…。

 「そりゃ、あんときゃお前はさー…」「あー、あのときはこうだったよなーガハハ」的、若いころにやった馬鹿なこと…を話すのが楽しくて、気が付いたら3時間。「お前」呼ばわりされるなんて、久しぶりだ。でも、それが当たり前で、誰もびっくりしない。席もほんとに人数が多いので、ぎりぎりぴっちり、荷物を整理して、つめあって座っても、こんな座り方、このメンバーじゃないと絶対しない。

 ママ友さんたちはこう、もっと距離があるからね…。
 
 面白いのは、30年ぐらい前から参加しているメンバーと、10年ぐらい前から参加しているメンバーが、同じ大学、同じ学年、学部まで同じだったこと。ただ、当時は全く面識がなかったそうで、仲良くなってから判明、気づかなかったなあ…とお互いなったのだって。卒業アルバムを引っ張り出して、確認して、「本当だー!この顔だーーっ」。
 「学校、学部まで同じだったんだから、当時わかってりゃ絶対楽しく遊べたのになあ」ってなっていて、当時学食のメニューの話(150円で食べられるのがあったそうだ)盛り上がっていた。(当時の学食の平均的一食の値段は300円台だったらしい)

 誰が飲めて、誰が飲めないか。みんなが知っていて。「最初から、ソフトドリンクでいい?」という私を、「まこっちゃん、気にしなくていいよ、相手俺らだから。後さ、最近こういうの、みんな勧めなくなったよな、法律厳しくなったし」と。
 「うんうん、俺も去年は車で来てたから飲まなかった」とか、若いころなら浴びるように飲んだメンバーも。

 どんどん頼んで、取り皿を使うときもあれば、直箸でいっちまえ!なときも、これもママ友さんとは、やらないことだ。
「おい、それ、俺の箸!」「あ、ごめん」みたいなやり取りも見たぐらい、テーブルが狭い。まあ、若いころは誰かのうちで合宿みたいに泊まっていたこともあったからね…。今更、箸共有でびっくりするほどでもない。
「あ、おれ、エビだめ、食べて」
「あ、そうか(アレルギーだったね)、って、なんでとるんだよー」
「サラダの最後に埋まってたんだよ」
とか、皿を回している人がいたり。

「さっきのから揚げは…」
「ごめんもうない」
「食べそびれた。頼んだら誰か食べる?」
「まだいけるー」
…すっかり家族のようなノリで。

店を出たら、「なー、ラーメン行こう」
という一人のセリフに、みんな大ブーイング。
「お前なあー!そういうことするから、こーなるんだろうが!」
…と散々だったわけは、ラーメン発言の彼は、糖尿関連全般発覚で、去年入院したからだ。みんな心配したんだからねえ!

「えー…せめてもう1軒…」
と、まだ言っていたが。

「まこ、もう帰る?駅分かる?」
んーーー。何人かがもう1軒いくなら、私も行こうかなあ…と思ったのだけれど、そこからもう1軒、というメンバーは、家が近い人が多い。私は電車にかなり乗らなくてはならなかった。

 私の方向音痴も知られているわけで、古なじみの人が、一番家が遠い=帰りの早い人に、「XXさん、何駅使います?まこと駅まで一緒にいってやってもらえる?」…と根回ししてくれた。…うーむ。若いころと同じだ。これはいいのか悪いのか…。

つまり、私の二次会参加は封殺されてしまった。ちぇ…。そういうの、昔っからうまいんだからなあ、この兄さんは。
でも、ここで私もー!参加ー!遅くていいから行くー!と駄々こねるわけにもいかない。
確かに体力も微妙な感じに切れてるし、帰ったほうがいい感じがするんだよなあ…残念だけど。
それと、帰りのことを多分、心配する人が出る。これも、昔と同じだ…。大丈夫!このぐらいで帰って普通にタクシー拾えば。
でも2時間後だと、タクシー激減だろうからな…。しょーがない、あきらめて帰ろう。

 駅まで歩いて、改札まで送ってもらい、「こっち側の線だからね?」とホームの方角まで教えてもらって、帰ってきた。

大変に盛り上がるし、楽しいのだけれども、これはお正月だけの楽しみ。1年に1回だからこその盛り上がり。
普段は全然会わない人たち…。こういうことがあるから、まだやっていける。
 
昔は…友達いたのになあ…。なんてセンチになっている場合ではない。1年に1回でも会えるなら、それでいいじゃないか。
日常、自分が住んでいる場所でも、会える人をもうちょっと増やして、出来れば趣味の集まりぐらい新規開拓して…。
さびしさがひしひしと迫ってくる、夜の電車。

電車の窓に映る自分を見て、ふと思い出した。
 こうやって、二次会をあきらめて早く帰るのは、初めてではない。まだ実家に住んでいたころは…「お前門限あるだろう」と指摘されて帰ったことは何度もあった。

 「ちぇ…」と思いながら、こうやって電車の窓に映る自分を見た。
 意外と、やることは変わってないな…。

薄くなった頭髪や、白髪の陰からのぞくみんなの顔も、それほどは変わってない気がする。口癖、しぐさ、話題の選び方…、好きな飲み物、食べ物。

でも、変わったところもある。

一言多い、と言われていた人は確かに辛辣な一言を吐かなくなっていた。

 時間通り来なくて、絶対30分は遅れてくるというのが定番だった人も、時間通り来てたな…。

 そういや、仕事関連の話になった途端、ちょっと仕事モードが入って言葉遣いがですます調に切り替わった人も。

みんな、来年まで元気で。

 タイムマシンを降りて、タクシーに乗り、帰ってきた。

振袖の思い出

この間の成人式には、たくさんの新成人たちが歩いているのを見た。

私が20歳の時には、大体その数年前から自分はもうオトナなのだと思っていた。美術館で中学生料金でおつりをよこされたときは憤慨したものだ(もちろん券は大人用と取り換えた)。

でも、今…新成人の群れを見ると、若い…。っていうか、幼い。かわいいのだ。
なるほどなあ。当時はなぜ、もうこんな年なのに、と思ったものだが、中年極めてくる年齢になると、こういう風に見えるんだなあ。子ども扱いになるわけだよ、20歳が。

九州の友達の家の近所では、「コスチューム」としか呼べないような謎の衣装を着た子たちが群れ集まって騒いでえらいことになるそうだし(友達の家のお子さんは、普通のスーツを着て、そういう大騒ぎには参加しなかったそうだが)、新聞で取りざたされる騒ぎも、やはりそういう「子供っぽい」新成人が起こす事件を「今どきの20歳は」と取り上げる。

だが…。実際、20年以上前、私が新成人だったころも、そういう子たちはいた。ただし、いろいろと周りがうるさかったので、そういう事件を起こしそうな子供たちはみんな、「友達どうしで集まって、パーティ」とかやって、自治体の成人式になんか、出なかった、ということなのだと思う。

 誰が、わざわざ退屈な市長さんの話とか、全然知らない来賓とかの話を聞きたい?芸能人を呼ぶ自治体もあるというが、そんな予算があるとか、その町出身で、という縁があってきてくれる芸能人がいるなんて、どこにでもあるわけじゃない。

…というわけで、私は振袖は着たが、友達との集まりに出て、自治体の成人式には出なかった。
友達も、同じ年齢の子たちはスーツや、振袖やドレスを着て、年齢が違う友達から、「かわいい、すてき」とほめてもらって過ごしたのである。

本当は、私は着物なんか、いらなかった。振袖というものは、びっくりするぐらい高いのだ。それなら、私はちゃんと仕立てたスーツがほしかった。私はその年、就職する予定があったからね…。だが、家のそばには、呉服屋さんにおつとめだか、呉服屋さんの奥さんだか…という人が一人住んでいた。このおばちゃんが、すごかった。

わたしには姉がいて、姉は大変オーソドックスな行動を選び、地元の成人式に出る予定があった。そして親は「ほかの人に負けないような」…というか「人並み」ということにすごく気を使って、振袖を買ってやるつもりがあったわけだ。この呉服屋のおばちゃんは、「まこちゃんのも、うちで買ってくれるなら、安くしておくよ」というような話を使って親にずいぶん豪華な振袖を買わせた。

 昔ながらの伝統柄で、帯まで入れたら、200万でも足りなかったというようなもので、姉にはとてもよく似合った。昔のお姫様というのはこういう感じだったんじゃ…というような。これは親がためておいた分に、祖母がだいぶ、出してくれたらしい。
姉はこの振袖を友達の結婚式があるたびに着たから、それはそれで、元が取れたのだとか。

 母は、私にこの振袖を着せて節約したかったらしいのだけれど、いやー、こんなに似合わないとは…と、絶句するほど似合わなかった。誰もはっきりとは言わなかったが、猿回しのサルみたいだった。

 そこで、呉服屋のおばちゃん、登場である。「お姉ちゃんの時に勉強させてもらったのは、まこちゃんの時があるから」とたたみかけて、親を説得して、私は自分の振袖を買うことになったのである。本当はスーツがほしい…という要望は控えめには出してみたのだが、こんな時に着なかったら一生着ないのだから、と話は進んでしまった。

 普段着物を着ないものだから、家に似合いそうな反物を持ってきてくれる…なんていう昔風の話があるわけもなく、私はその呉服屋さんの倉庫?みたいな場所に案内された。

 小さめの体育館ぐらいはあろうかという、そこに仕立て前の、振袖が20センチぐらいに重ねられたのが、通路を残してびっしり。
 「さ、まこちゃん、気に入ったのを取ってきて」…ったってどうしろと??

 うげえ。一番上に載っているのを見るだけでもおなか一杯だ。

 しょうがない、これはもう…どうにかするしかないのだ。

 まず、赤はダメ。ピンクは、なんか、ヤだ。
 でもなあ…。黒はちょっと、おばちゃんが着ている留袖みたいだなあ。

当時の私が気に入って着ていたワンピースや、コートは、茶色、グリーン、青。特に、織物の段階で柄になっているチェックが好きだった。ウールのチェックのワンピース、ツイードのコート。ともかく「柄物」はなかった。ユリの花柄とか、ヒマワリの花柄とか、流行った年もあったように思うが、私はそういう柄の入った洋服をまず、着なかった。

…でも着物というのは――特に振袖というものは、柄ものばっかりだ。私の好きなチェック=縞も、着物にあることはあるが、それはつまり普段着にするようなものであって、未婚女性の第一級礼装=王様の前へ出ようと問題ない格好なのであるから、基本きらびやかで派手。そうだよねえ…。王室の人が着ている、ローブデコルテだっけ。長い、夜の正装用ドレス。あれに匹敵する和装なんだから、地味なわけないよ…。

なーんて思いながら、そーっと見て回る。花鳥風月。そういう言葉が思い浮かぶ。花、植物、鳥、景色?打ち出の小づちや、御所車などが、着物の柄としてありがちなものであることは、姉の振袖で見ていたからしっていた。花も、ヒマワリなんていうのはなくて、木の花が結構多い。

 刺繍や、金銀キラキラのものが、高いのは想像がついた。刺繍をしたことがある人なら、あの手間のかかりようはわかるだろう。刺繍が入ったものは多分、予算オーバー。というわけで、私が見て回ったのはどれも「描いて」あるものだった。
 掛け軸の絵みたいだ…。どれも、きれいだった。

 ウグイスみたいな鳥の緑っぽいの。抹茶ラテ(当時はそんな飲み物なかったけど)の色をもうちょっと黄緑っぽくしたような。
 カワセミの羽の色の濃淡。 これもいいな…。これも鳥の柄だった。
あ、茶色。これは木の枝に鳥が…ってねえ、鳥ばっかり?白銀から、茶色のグラデーションだった。こんな風に色が移り変わっていくパターンを初めて見た。

とりあえず、地味なグリーン、ターコイズ、茶色、と3枚手に持って、おばちゃんのところへ戻った。
 どれも、「うーん…」といわれてしまう。

「おばちゃん、まこちゃんが好きな感じがわかった気がするわ、おばちゃんが持ってくるのも、あててみてくれる?」
…とおばちゃんはそこらをうろうろして、もう何枚か振袖を持ってきた。

 クリーム色、薄紫、朝顔みたいな群青色のグラデーション、薄いピンク。

鏡の前で軽く羽織ってみる。ピンクを着たとき、そこで見ていた祖母、おばちゃん、母、そして、私も、「あ…」ってなった。その1枚だけが、違和感がない。似合うってことだ。

ピンク…青みがかったちょっと何色とも言い難い色で、私のボキャブラリにはその色を表す言葉はなかった。でも、確かにこの色だった。古典柄の、紅白の振袖を着たときは、サルとしか言いようがなかったのに、着物を着た娘さんにちゃんと見えるではないか!3割増しに美人に見えた。

 今まで、どんなかわいい服を着ても「似合わないわねえ…」とため息をつかれてきた身としては、似合う服があるということ自体、うれしい驚きだった。似合う服を着ると、かわいく見えるって本当だったんだ…。と私はその時、人生で初めて実感したのだった。

 スーツがほしい、と言っていたのをすっかり忘れて、私はその着物を買ってもらった。帯は、祖母が選んだ…ら、呉服屋のおばちゃんが、「その帯だと、その値段では無理です」と言ったぐらい高い帯だったのだが、祖母は譲らず、結局結構高くついたらしい。

 友達との集まりに出て、地域の成人式に出ないというのには相当文句を言われたが、同じ見せるのなら、仲良しのお友達に見せたかった。

 「おう、胸がないほうが着物が似合うっていうけど、本当だな!」とか、「ちゃんと女に見える!」とかひどいことをいう友達もいたが、まあ、普段はジーンズにTシャツしか着ていなかったのだから無理もない。
 袖が邪魔なのに困りながらランチを食べ、午後3時ぐらいにはもう疲れて、このまま電車で帰るのは大変だろうから、と友達が車で家まで送ってくれた。

 わかったことは、振袖というのは、外を歩くときは腕がとても寒い服だということ。(たもとは長いのだが、たもとの口が広く開いているので風が入る)それから、これは姉のおさがりだったのだけれど、ふわふわした肩掛け。あれは見かけはふわふわしてあったかそうだけれども全然あったかくないこと。トイレに行くときは(私は紐を持って行ってたすきをかけたけれど)かなり大変なものだということ。

 多分…第一級礼装をすることになる時があるとしたら、ドレスのほうが取り回しが楽だな…と思ったのを覚えている。

この振袖は結局、結婚式に2回ぐらい(振袖で、とわざわざ頼まれた)着ていき、なおかつ2つ年下の従妹が貸してほしいというので成人式に貸したり、従妹が結婚式に呼ばれたときに着たりして、十分活躍したあと、私の手元にまだある。

 袖を切れるように、柄が作ってあったらしいのだが、正直着物を着る生活をしていないので、服にでも作り変えるかなあ…と思ってはや何年。

 あんなに豪華なのに、似合うとわかる服を着たのは、最初で最後。

「ちゃんとした」服(=高い服)を着ると、どうにも気後れがするのだが、あの振袖だけは、文字通り、桁違いに高かったのに、大丈夫だったのは、とてもいい体験だったと思う。

 私みたいな体験をした、新成人はいたのだろうか。みんな、着物がかわいかった。

かんきつ系の香り

トイレの洗剤、芳香剤は、うちでは「ミント、シトラス」系統が多い。

トイレの洗剤と、それからトイレットボウルにスタンプするのも、「ホワイトシトラス」だの、「グリーンシトラス」だので、ついでにウェットティッシュタイプのも、この前ずっと使っていたミントの香りのが品切れで、「ホワイトシトラス」になっていたものだから、まあ、掃除をすると全体的にそういうにおいがするようになっている。

私が今、よく食べているミントタブレットは、レモン味のもので、そういや、これどこで見たんだっけ、ミンティアレモン味。最近みかけなくて、しょうがないからコンビニで見つけたのが「期間限定 柚子」。

掃除が一渡り終わったところで、レモンタブレットが切れたので、今、柚子のミンティアの封を切って、口に3つぐらい放り込んだら…ええ。トイレ掃除の時とかーなーり、同じ味が。

トイレ掃除に味があるわけじゃないんだけど、同じとしか。

大抵の日本人は、においだけで、みかん、グレープフルーツ、バレンシアオレンジ、レモン、ライム、ゆず。の区別がつくと思う。
洗剤、芳香剤のシトラス調の香りは、その…「どれでもない」。

どれにも近くて、どれにもちょっと遠い。そこにミントっぽさが足されてさわやか…になっているわけで、それがもー、この柚子味ミントに、かなり近い。この柚子味タブレット、当たり前だけど本物のゆずとはちょっと、ずれている。
いや、こういうと開発した人に悪いけど…

食べ物として、一応、洗剤のにおいとは隔てられていると思う。

感じでいうと、ガラスの向こう側、洗剤界と、こちら側、食物界があるとして…でもそのガラスの上のある1点の座標が同じ。
部屋の中から、眺めている分には、そのX軸、Y軸の座標は同じで、1点に重なっている。
その2つの違いは、1つはガラスの内側に、1つはガラスの外側に描いてあるというだけ…みたいな感じ。

だめだ、ギブ。夫に、「食べてくれない?」とお願いして、引き取ってもらった。
なぜ夫は大丈夫か…というと、彼はトイレ掃除をしないから。結構近くで洗剤を使ったりしないとにおいがあんまりしないし、彼は慢性鼻炎持ちで、それほどにおいに敏感なわけではない。

 好きなにおいなんだけどなあ。普段レモンキャンディだの、タブレットだの、柚子ピールの砂糖漬けだの…オレンジのチョコレートだの食べているのに全然こんな気分になったことないのに、なんでこれだけ…。
本物の柚子には、ちょっと遠くて、ミントよりだったところが敗因か。

野菜、大高騰。

自転車をかなりこがなくてはいけない場所に、野菜の安いお店がある。
近所のスーパーに置いてある量の大体倍で、同じ値段なので、半額といっていいだろう。
ただし、少量は買えない、そういうお店なので、たとえば白菜半分、などというものは買えない。
白菜は1個、または2個セット。レタスなんか5つ単位だったり(箱入り)するが、かなり安い。
ニンジンは1キロ袋、玉ねぎも、じゃがいもも1キロ単位で、大きさは小さいが100円とか150円ぐらいのがサービス品に出る。


…という素敵なお店だったので、私はえっちらおっちら自転車をこいでそこまで行っていた。

日本全国結構な寒波が来ているらしく、野菜の値段が高騰。多分これを読んでいる皆さんのおうちでも、野菜は高くなっているのではないかと思う。

安いときにはスーパーでは198円する大根が、100円で買える時もあるその八百屋さんで…なんと今日は大根が600円だった。確かに、立派な大根だったよ?でも、それは、このお店なら150円か、いいとこ230円?いや…安い日ならこんなのだって100円で売っていたことがあったと思う。
ピーマン一袋100円。あ、これはいけるけど…でもこのお店だと普段は2袋100円なのになー。
カイワレ大根小さいの3パック120円。はあ…しょーがないな、これで。
小松菜も、安いときは2束100円なのに、今日は1束200円だ。これでも、スーパーより安いから、しょうがないか。
白菜、500円。大きい白菜だけどさーー。500円なあ…今日は買わない。

もう1軒の八百屋さんを回ると、大根は350円。ま…まだましか…。白菜、やっぱり500円。
しかし、さっきの大根600円は、初めて見た値段かもしれない。
水菜はちょっと安くて240円。
白菜たっぷりの鍋なんか、絶対無理だな。みぞれ鍋も無理。

ごぼう、ニンジン、ジャガイモはちょっとましか…?みそ汁の具はこのあたりに決まり。
野菜はたくさん食べてほしい、と思っていたけれども、ここまで高いと、控えめに出そうかな、という気分になる。
冷蔵庫にちょっとだけ残っていた大根、水耕栽培にして、葉っぱを増やすとか、豆苗栽培するとか考えたほうがいいかもしれない。

厚切りにして、ふろふき大根とか、煮物に出来るのは、いつのことだろう。早く値段が下がらないかな。

アイスコールドコーラ体験

ブログの整理をしていたら、うんと前の記事に、下書き投稿したメモが残っていたのでその分。

コンビニで、店の中にコーラの自販機があるのを見かけた。

大体コンビニというところでは普通に清涼飲料水を売っているのであるからして、突然自販機があるのも…と思ったら、その自販機はちょっと普通とは違うらしい。

店内でプロモーション動画…というかCMを流していて、要はこのコーラは瓶入りで、かなり低い温度に保たれており、自動販売機から、出てくるときの衝撃でそれまで凍っていなかったコーラが一瞬にして、ピキピキっと凍る?というのが体験できるのだということであった。

息子と、へえーーー。と眺めてそのあと、買おうか?と相談したのだがなんと売り切れ。えー。
つまり、普通のコーラと違って、かなり低い温度に保っておかなくてはならない=特別な機械がいる、ということで限定販売らしい。

瓶のまわりが一気に凍る画像をもう1回、「いいね…面白そうだね」と眺めてから、電車にのって目的地へ行って、なんと、そこのコンビニでも同じものを見た。

こっちは、売り切れじゃなかった。

私と息子の「やってみたいーーほしいーー」のコーラスに負けた夫が、買ってくれた。

ドン!と落ちてきたコーラのキャップをちょっと開けてすぐしめて、逆さにしろ、ということなのでやってみた。
しょわしょわと氷が表面に浮いてきて、確かに、ショリショリして、氷入りコーラになった…なったけどさーーーーー。

あのね、動画のはね、こう、ピキピキってなって、瓶のまわりに氷がガーーーーってついてね??
…という風にはならなかった。
ちょっと残念だった。

息子のも同じくで、冷え方が足りないとかではなさそう。おいしいし、冷たいけど…。息子と、「もっとばーーーーっってなると思ったのにねえ!」とグチりながら飲んだ。
夫には、ああいう映像は、本物っぽく、いいように作ってあるんだから、しょうがないよ、と苦笑していた。

一回やったら、とっても気が済んだので、体験としては面白かったということで。試す価値がない、とは言わない。あれは確か面白いし、映像をみたことがなかったら、「おおおおお」ってなったと思う。でも、あの映像はもうちょっとさー。
と思って、【アイスコールドコカ・コーラのサイト】にいったら、※ 条件・状態によっては上記の現象が起きない可能性もございます。と注意書きがしてあった。

うーん。つまり私たちのは「起きなかった」のか「起きたけど度合いが低かった」のか「大体こんなもので、公称通り起きた」のか、どれなんだろう。

ちなみに、あるのはセブンイレブン。上のリンクのコカ・コーラのサイトで、どのお店にあるか、県別に調べられるようになっていた。
…といっても、この日記を書いたのは真夏。今、アイスコールドのコーラなんか、飲まないわね。
夏、暑くなったら皆さんも是非試して、CMの映像みたいにピキピキってなるか、試してみてください。

「今日の100」 読後感想

ふと、図書館で見かけて、「今日の100」というエッセイを借りて帰った。
著者の松浦弥太郎さんが、「暮らしの手帖」のヒトであることを、私は一応は知っていた。(今はもう、違う人になっているらしいけれど、この本が書かれた当時は、編集長をしていたらしい)

暮らしの手帖は、実は子供の頃から、大好きだった。いろいろな商品を比べて、どれが使い勝手がいいか、なんていう記事は小学生なのに興味深く読んだ。ストーブ、オーブントースター、雪平鍋、レードルなんかもあっただろうか。どれも、ホームセンターなんかで買えるような商品が多くて、そしてうちの親も実は参考にしているようで、生活用具には、そういうおすすめ商品を買ったりしたものだ。

餅を焼く網とか、台所用品のレビューが多かった気がする。

コラム「素敵なあなたに」や「エプロンメモ」は家にあるもので工夫するような話や、手芸の話、家での、今でいう「ライフハック」みたいなものが多くて、実はこれも好きで、紙の本を実は持っている。(すてきなあなたにの1から5、エプロンメモ1と2)

そんなわけで、私は「暮らしの手帖」ブランドに割と信頼をおいていた。大橋鎭子さん、花森安治さん。

…そんなわけで読み始めた、「今日の100」。これは、著者がいいと思ったものを書いているいうなれば「今日の一品」的なコラム…だったのだけれども。

 今は、書いてあるものを買いたくなった時に、それがどこで手に入るか…ということを調べるのは難しいことではない。昔の暮らしの手帖だと、どこで手に入るかっというのは、雑誌に電話番号や問い合わせ先が書いてあったものだが、今はパソコンで商品名を調べれば、あっという間に買えるサイトがわかる、といった感じで、そのあたりは昔よりずっと便利になったと思う。

が…だ。

コラムの中に書いてあるものが、なんていうの?「初めての人には売らなくって、紹介のみ」だとか。
 パンを焼くトースターが7万5千円するとか(注:単機能。トーストしか焼けない)。

なんていうか、話がぐっとブルジョワなのだ。

「家にあるもので、工夫して作るおいしいお菓子」は?「使いやすく、手ごろなお値段で便利な台所用具」は??

違う。これは、私が知っている「暮らしの手帖」ではない。これは「家庭画報」だ。家庭画報という雑誌は、お金はかかってもいいから、いいものを追求する、そういうところがある雑誌だと思う。伝統の職人さんが手で作った、世界に誇れる品質の一点もの、不揃いでもオーガニックで、安全ななんとか農法で作った野菜だけを出す、隠れ家的レストランとか、量産品でも、買うのに順番待ちで、届くまで半年かかるなんとか…とか。
 
 葉山や、鎌倉にある、紹介されないとは入れないお店や、会員制の何とか、とかそういう感じ。広告も、なんていうかお値段が10万円の桁からしかないというような広告が多い。

いいんだ、家庭画報なんだから。うちではこういうものは買わないな、というようなものが乗っていて、へー、職人さんの手作りねえ、伝統工芸はやっぱりこういう人がいないといけないねえ…的な、または地鶏だとか、特別に肥育された牛だとか、魚でもブランド名がついたのとか、おいしそうだねえ、うんうん、と思って終わりの雑誌。

 でも…暮らしの手帖は違った。リメイク、工夫して作るクラフト、いかにして材料を使い切るか…とまではいかなくても、旬の材料を使って作る地に足の着いた家庭料理、ちょっとした一工夫で家事が楽しく、楽になる、そんなことが詰まった雑誌だったのに。

 何これ。トースターに、7万円?これなら、MONOマガジンでやればいいんだよ。こだわりの逸品、そういうのが好きな人が。
 新しい布が買えなくても、美しいファッションが。そういうのが好きだったんだよね、暮らしの手帖の最初のを作った人はさ。

どうして、今ある電機メーカーのトースターの比較じゃないんだろう。

まあ、暮らしの手帖の1コーナーを集めた本なんだから、こういう感じになっちゃったのかもしれないけど…。
 それなら、「サライ」とかでコラムを連載している人の本でいいんだよなあ。

 バイキングで、うっかり苦手な料理を見た目にだまされて取ったみたいな気分。

だから、今日は本のリンクは貼らない。

 ちぇ、なんかおいしくなかった…と思って口直しに「すてきなあなたに」を本棚から出して読んだ。
 
質実剛健がいいんだよなー。

まあ、私が7万円越えの金額をトースターに出すのが嫌なだけともいう。好みに合わない、ってこういうことだよなあ。
物にこだわりたい、お金を出してもこだわりたい、という人には、とてもいい本なんだろうけど。
ネットを見なくても、こういう風に本に書いてまとめてあるのは、さっさと読めていいものね。

 割と、私は考え方が古いのか貧乏だった時期が長いからなのか、物がなくてもなんとかしたい…というところに行きがちなのがこの本と気が合わない理由なんだろうな。

 次回、この人の本を読むときは、物の紹介本はやめよう。


お正月にやったおみくじ

今頃、正月の話題?という感じだが、このブログが予定投稿なので、話題が遅れがちなのでそうなる。

ほぼ日刊イトイ新聞の、ほぼ日手帖をどう使うか…というのを占うという話で、このブログにリンクしてもらっている【吉報配達ブログ】で紹介のあったもの。

私が引いたおみくじの全文は、これ。

出てきた一文字は「鰤(ぶり)」。ワカシ、イナダ、ワラサ‥‥など、名前が変わっていく出世魚です。ことしはあなたが思っている以上に、成長していきそうな一年。あなた自身は同じと思っていても、いつのまにか技術や筋力がついていて、周りからびっくりされることがあるかも。前にやってうまくいかなかったことも、ことしぜひ、あらためてチャレンジしてみてください。ほぼ日手帳には、ことしやりたいことをリストにしてみると、たのしい毎日が送れそうです。

だって。…いいなあ、こういうのってさ?もちろん誰がこのおみくじを引いてもいいようにこしらえてあるわけだよ、わかってる。でも…。なんかこう、ちょっと誘われるものがある。

 誰にだって、「前にやってうまくいかなかったこと」なんていうのはあるものだし、それがのどに刺さった骨のように、時々チクチクと自己主張することがあると思う。

 あの時、やっておけばよかったなあ…って思うの。

とりあえず、毎日の踏み台昇降は続けて、筋力をつけるのと…。
ちょっと、字を練習しようかな。筆で書く…のはちょっと敷居が高いか…。

 神社で、おみくじなんて、もう何年もやっていないけど、たまにはいいかなあ。

もてる、ということについて

お正月に10歳以上年の違う友達と話す機会があった。
彼女は、現在独身だが、年齢的にいえばつまりまだ、「婚活年齢」にあたる。

グループでも、古いメンバーはわたしと同年代、それより上で、大概はもう結婚しているし、お付き合いだの、結婚だの、という話があったのは、つまり当時のことであるからして10代、20代、男女ミックスのグループだったので、みんなくっついたり離れたり、出来ちゃったり結婚したり…なかなかにいろいろあった。

 当時はあまりにも色々あったために、昔の写真なんか、気まずくてみんなでみるわけにはいかないようなのがあったりして(つまり、写真の中のカップリングが、最終結果と全然違うから)。この友達は、かなり後になってから入ってきたので、年齢が一番下。いろいろあったころの話…はうわさだけ聞いてます、というような。
 
 20歳ぐらいの時は、私だってお付き合いを申し込んだり申し込まれたりしたものだ。フタマタ、ミツマタ、ヤマタのおろちといわれたひどい男もいた。かと思えばちょうちょのようにひらひらと、男性を渡り歩く女もいた。最盛期は200人以上いたのだから、無理もない。

 私は、スカートはいて、化粧しておしゃれしている時だけ、猫なで声を出すような男はなんだか怖くて、嫌いだった。女を「落とす」と表現する人も。そういう人は女を全員、UFOキャッチャーの景品みたいにしか思っていなかった。どれが「かわいい」か。「胸が大きい」か。そういう感じで選んで、「あとどのぐらいで落とせる」とか、仲間内で自慢げに話をする。

 私は、そういう人が苦手だったし、周りの人もそれを知っていて、そういう人は遠ざけてくれたり、あまりにも話が過激になったときは、「おい、まこ、お前、耳ふさいどけ」なんてやってから、相手に文句を言ってくれたりしたものだった。

 大体、「こいつは『や』らせてくれるんだろうか、もしそうだとしたら、いつだ」なんてことを考えている感じがする人は基本もてなかった。女は、そういう男を割とかぎ分けることが出来る。押しの一手で付き合うことになったおとなしい子もいたが、長続きした試しはなかった。
 割り切ってお互い、遊びましょう…という関係の場合は大抵どっちもどっち、フタマタミツマタ…みたいになって、私とは接点がない人が多かったので、「うへえ…」と思って眺めていただけだが、この場合は男女ともに、あんまり評判は良くないのが通例。

 大体、「ご飯をおごったから」「何かを買ってあげたから」「車に乗せてあげて、デートしたから」相手と体の関係に持ち込んでいいのだ…と思う人は、まず、女の子たちのネットワークでうわさが伝わって、「あの人にはおごってもらわないほうがいい」「あの人の車に乗るときは「みんなで」乗るならともかく、ふたりっきりはだめ」「あの人になにかもらうと、あとがうるさいよ」という情報が出回ったものだ。つまり、断然、もてなかった。どっちかといえば嫌われるというか、避けられるというか。
ちなみにこのブログを読む人にそういう年頃の独身男性はあまりいないと思うが念のために書いておくと、「そういう関係になってもいい」状態になる…時というのは、たった一つ。「相手がその気になったとき」だけ。相手に何をしてあげたから、そうしてもいい、という「前提条件」は、コミックス、映画、アニメ、ビデオ、ゲームではありでも、そういうフラグは、リアルでは男性側からは立てることが出来ない。フラグを立てるのは女性側で、向こうからある程度は行動してくるか、協力的になってくるので、男性側にもかなりわかるようになっている。自分でフラグを立てたつもりになって、相手にその気がないのに無理やり…という「デートレイプ」事件が増えているという話もあるらしい。「デートしたから」そういう関係に間違いなく持ち込めるのは、18禁ゲームだけ。現実はなかなかに厳しいのだった。

 もてる…ってどんなことなんだろう。
まず一番の女ったらしで、「横を通っただけでも妊娠する」といわれていた人は、ずーーーーっとお付き合いをしていた人が途切れなかった。話がうまく、女性をエスコートするのが上手で、それもどんなに内気で奥手な女の子にも、かなりのブスと言われる子にでも、分け隔てなく優しかった。街を歩けばおばあちゃんにも、幼児にもやさしかったということだったし、これはなんていうのか、天性のものだとしか。
 ただし!この人は釣った魚には餌をやらないと評判で、彼女になった途端、適当に扱われることになり、他の女と遊びに行ってしまう。結婚もしたことはあるが、奥さんそっちのけで浮気三昧。それでも、どんなにまわりが、「彼女に(奥さんに)なった途端に相手が浮気するし、大事にしてもらえないから、やめたほうがいいよ」とアドバイスしても、いつでも、いつでもその座を狙う女性がいた。
 何人も列になって待っている状態。
 
 これは、つまり「真正モテる」君であろう。彼女が、奥さんがいなくなった途端、次の人が繰り上がるという寸法だ。
後にも先にも、私はこんなにモテる人を他に見たことはない。今の奥さん…何人目かなあ…。
 不思議なことに、外見は、悪くはないが、人目を惹くほどではなかった。

 次にモテた人は、なんていうか「外見がいい人」。ただし、こういうタイプは中身もはっきりしていた。嫌い、といったら話もしない。仲のいい人には優しいが、一度嫌いと思ったら、最低限口きいて、あとはさっぱり。とても簡単に脈のあるなしがわかるというタイプ。ただ、仲良くなれば優しいので、割と途切れず、申し込み者があった。
 女性から申し込んだ時、フリーならOKしてくれるが、好みに合わないということがわかれば割とさっくり別れてしまうが、自分のほうから申し込んだ場合は、そうそう簡単に別れない…ということで、お付き合いが落ち着いた途端、結婚した。現在もそのまま。
 このタイプは、何人かいた。そして全員、割と早く結婚して、安定して結婚したままの人ばっかりだ。
 一本釣り派、というべきか。モテる状態に持っていくのは、釣れた魚が自分好みなら、そこで釣り終了という目的があるから。好みのタイプがもう定まっていて、はっきりしているのも特徴。結婚が決まったときには大概、「ああ、確かに好みのタイプだもんなあ、今の相手」とだれもが納得した。「意外だなあ」…という組み合わせがないのがこのタイプの人たち。「できちゃった結婚」は、なし。というのもこのタイプの特徴だろう。

 このタイプの人をうらやましいと思う人は結構いたみたいだが、「次々と女性と付き合って遊びたい」場合は、このやり方では無理なので、まじめな人だけしか、こういうことは出来なかったと記憶している。かなりモテる一群だったが、「遊び」なんていうものとは無縁。さっさと結婚に持ち込まれやすいので、婚活市場には出回らない男性たちでもある。
 すてきなんだけど…私なんか…という女の子が悩む話の相談をよく聞いた。

 軽く付き合って、軽く別れるタイプ。これは多分、見た感じは「結構モテる」とみられると思う。男なら、割と、口がうまく、それなりに「ちょっといいよね」と言われやすい男性か、女の子だったら、「かわいい」といわれるが、あれ?また連れてる男性が違う…というタイプ。
 付き合うのも早いが、別れるのも早い。なぜか、このタイプの男女というカップルは少なく、もっと堅実なタイプとくっつく人が多くて、周りをハラハラさせることも。ちなみにこのタイプの男女でくっつくと、たいてい修羅場になって、どっちか一人がグループから抜けるということがとても多かった。 なぜか、結婚は「できちゃった」のでないなら、遅い傾向があった。


 次に割と言われればこれはもてたというのかなあ…という人たち。
 仲良くなって、友達になってから付き合うタイプ。特に口がうまいとか、容姿がいいとかではなく、女扱いがうまいでもなく、グループで会っているうちに「俺たち、割と気が合うと思うんだけど。誰か付き合ってる人とか、いるの?」ぐらいの告白は出来て、自分に少なくとも好意がないわけではない…と思う。ぐらいまでいってから、がんばって付き合い始めるタイプ。

 こういう人は「付き合ってみるといい人だった」という評価が出回る。「グループで一番の美人」なんていう人に手は出さないが、「割とかわいいよね」とか「いつも明るくて、笑顔がいいね」とか、「気さくで、話しやすいよね」とかそういう人に告白することが多い。
 ただし、あんまり目立たないので告白されることは、まれ。
しかし…ふたを開けてみると、意外とこの層に来る人が一番付き合う人数が多かったり、割と評判よく、ふった人のほうが悪く言われたりするという…。
 この層にも、安定して結婚している人が多い。口べただろうが、容姿に自信が持てなかろうが、とりあえず、自分がいいと思ったことは、やってみる!という人が多い。女性のほうにも、このタイプは多くて、まあ、美人でもなく、スタイルもよくはなく…ただ、困るほどの容姿ではなく、身だしなみは十人並み。いうなれば「一番数が多い」。

 その次は、もう「もてる」とは多分言わないが、気が付いたら気になる…という人同士で付き合ってみたら、お互い楽しいし、とても気が合うのでそのままゴールインした、というタイプ。さっきの例と違うのは、お付き合い件数がとても少ないということ。その組み合わせで付き合っている、または結婚することにした…という話を出すと、残り全員が「あーーー。なるほどーーーー」となるカップル。
そういわれれば…確かにそうだ、もっと早く紹介して引き合わせれば話は簡単だったなあ…なんていうタイプで、たいてい男女どっちも、奥手な人が多い。キーワードは「個性的」。

ほんと…いろいろあったなあ。

冒頭の、この若い友達は理工学部で周囲が男性ばっかりだったので、「もてた」そうだ。でも「一部の人にしかもてなかった」のだって。
まあね…いや、でも、全員にモテたら、それはそれで大変だよ?

ものすごくモテた彼のまわりは、常にゴタゴタが絶えなかった。つまり彼女予備軍(浮気相手ともいう)が、足の引っ張り合いをやるからだ。大体、最後に一人だけ、もうこの人とずっと一緒にやっていきたい!という人だけが残ればいいんだから、逆にモテすぎたら邪魔なぐらいだ。

 よく、マンガとか、小説とかで「モテたい!」と主張するキャラがいるけれども、モテたい、誰からも無差別にモテたい…どんな女からも、言い寄られたい…というのは実際やってみるとそれほどいいことではないのではないか、と思うのは、私がそういう人を見たからだ。

実際にモテる、ということの定義をするとすれば、見て聞いて、経験して出た法則はこんな感じ。

A: まず…「あなたのことが好きでお付き合いしたいです」ということを言ってくる人が時々は、いる。

B: 告白してくれた人が、しばらく…半年から1年、それ以上は、お付き合い出来るぐらいには、自分と気が合う、趣味があう、話が合う人である。

C: 1回に1人ずつ、というお付き合いが出来(相手がフタマタかけない)ていて、結婚か、別離か…という最終点がある。

D:結婚の場合は長つづきする。別離の場合は、Aから再出発するにあたって、割とすぐ次の人が出来る。

…とこうなっている人を「いい感じにモテる」というのではないかな、と思う。

私はモテる、と威張っていた人の中には、一度に何人も付き合うような人とばかり、付き合うことになっていた人もいたし(つまり、キープか、保険か、みたいな「二番目の人」扱いかそれ以下、既婚者と不倫してた人もいた)、告白してくれたんだから、と付き合うのはいいけど、どうにもこうにも、趣味に合わないひとばっかりからたくさん告白されて、お付き合いの期間が長くて2カ月…、どうしてこんなに気が合わない人からたくさん申し込みが来るんだろう、と嘆いていた美人もいた。そして、その人は、「あいつと付き合うと金がかかりそうで」と噂されていたのを聞いた(当時は、まだバブルの名残があったからね…美人はこういう偏見を持たれた)。こういうのは、モテる…ように見えるけれども、実のところ安定した関係を手に入れるという最終目標からは遠い気がする。

だから、モテるのなら、「全員からモテて、選び放題」になるならともかく(そういう人は、多分1%もいない)「数が少ないけど、時々」モテるのがいいよ。
あ、でも、そうなるともうすでに「モテ」ているのではないよね…という話になった。

 「みんな、そういう話あった当時、10代、20代だったんですよね?」
「そうだよ、みんなまだ学生で、社会人は少数派だったなあ。私がまだ高校生とか大学生だったからねえ」

彼女は、口には出さなかったけど「若いなあ…」という顔をしていた。

多分だけど、私たちが若かったころは、そういうことをスタートするのがずっと早かったのだ。真剣に結婚まで考えたお付き合いを始めるのが、大学時代。若くて、無鉄砲で、考えなしで…そして思い切って結婚出来ちゃった…というケースも多い。
みんな、学校があるから、決まった場所に何年かはとどまっていて、動きが少ないから、身の回りのメンバーだけで話が進んでしまうことも多い。仲間に応援してもらいながら、婚活が出来たってことだよね。
 始めるのが遅く、子供を産むタイムリミットを考えると急がなくてはいけない今の婚活と違って、何年か、失敗しながら経験が積めたところもあると思う。数年付き合って別れた、が何回か試せるってことだからね…。

 友達がみんな、就職して散り散り、ばらばらになってから婚活したら、まず周りに仲良く話をする異性を作るところからしても大変だろうなあ…。
 週末には、大勢集まって、朝から晩まで遊んだ学生の頃を思い出すと、間違いなく婚活出来そうな環境だったなあ、と思う。

若いころ、XXさんに告白したことがあるって、本当ですか?

うげっ。ええ…本当ですとも…。グループ外に彼女がいたのを知らなかったからね…。3秒で振られたけど。
でも、その人はそれからも、友達として私を扱ってくれていつもやさしかった。

顔が赤くなるのがわかった。

久しぶりだな、こんな話をしたのも、こんな照れくさい気分になったのも。

家に帰って、夫の顔を見て、お帰り、と笑う顔を見たら、とてもうれしくなった。

ただいまーっ。
いつも、やさしくて、大好き。私を、選んでくれてありがとう。

彼は「グループ外の人」なので、こういう集まりには来ないけれど、私が幸せだということはみんなが知っている。
恋愛の話は、ほんと、思い出話が一番。そしてこうやってブログのネタにするのが、二番。

EXレイド(ポケモンGO)

ポケモンGO、つまりスマホのポケモンゲームで、EXレイドのチケットに当選して、レイド(戦闘)に行ってきた。
これは、普通には出てこないモンスターの特別捕獲作戦が用意されていて、チケットに当たった人だけが参加できるという仕組みになっているもの。

ポケモンGOのスポンサーになっている場所で、レイドをクリアしたことがある人から抽選でチケットをくれる。スポンサー企業は、「マクドナルド」か「ソフトバンク(と系列のワイモバイル)」「伊藤園(の自販機。全部ではないらしい?)」それと「イオン」。スポンサージムで戦わないと、チケットが当たらない。
噂によると、exレイドに決まっている日の直前に行くといいとか。要は、抽選で、一度当たるか外れるかしたらリセットされているんだろうね。だから何回も行くことになる。自販機ならいいけど、確かにうちはマクドナルドの利用頻度が上がった。

戦闘は、いつでもできるわけではない。ランダムで45分間セットされるので、スポンサージムで「戦闘出来ます」というマークが出ている時を見計らってやらないといけない。モンスターも、どれがセットされるかは決まった種類からランダムなので、弱いモンスターなら一人で倒せるが、飛び切り強いのが出てしまうと7、8人ぐらいはいないと無理…みたいになったりする。

 あんまり遠くからだと、そういうことは目視出来るようになっていないので、ソフトバンクや、マクドナルドをわざわざチェックしに行くわけだから、これが、スポンサーになるメリットというわけなんだろう。

 足繁くソフトバンクと、マクドナルドを見に行った甲斐あって、EXレイドチケットに当たって、決まった時間にその場所に行くことになった。

寒い…。かといって、「ミュウツー」を手に入れる手段はこれだけしかないし、抽選なんだから、これを逃したらいつ当たるかわからない。

 夕飯の支度は終わらせて、駅前まで出かけた。

うわ…。すごい人数。大体、「ソフトバンクの前」とか「マクドナルドの前」というのは、あんまり人が「たまる」場所ではない。人通りは多いが、流動的で、通過する人が多い。が、今日は別だった。まるで昔の乗換駅の待ち合わせの定番の場所みたいな。ハチ公前とまでは行かないが、相当の人だかり。

 「青チームの人はこっちへー」「赤はこっちー」「黄色はここですー」…と仕切っている人がいる。

同じチーム同士で組んで、「チームダメージ」を与えた量が多いと、もらえるモンスターボールが増えて、捕獲のチャンスが上がるので、チーム分けをするほうが有利ということで、やってくれているらしい。

 私は青チーム。「コード組みますから」と言われて、レイド開始と共に、プライベートコードをいれる、で青チーム専用レイドに。「ピカチュウ、ピカチュウ、ちょうちょでー」…ってちょうちょ、あ、バタフリーか。

 私はまだレベルが20台で、それほど強いモンスターはいないが、チームメイトはレベル37、38、40の人がいっぱいいて、ミュウツーはあっという間に倒された。ボール13個。あ、結構ある。

最近は、グラードンレイドで鍛えたのもあって、カーブボールでグレートも出せるようになったし!張り切って投げる。
金のベリーも使って、5投目のエクセレントでゲット。あ、グラードンより取りやすいかも?「よし、ゲット!」と思わずつぶやいたら、まわりの人が、「おお!おめでとうございます!」と祝ってくれた。

 ありがとうございますー、とニコニコ答えながら、なんかいいな…と思った。次々と、取れた!という人が出て、みんなが祝福する。私も、おめでとうございます!に参加。

 みんな、とてもうれしそうだ。「あ!このミュウツー強い!多分98だ!」と喜んでいる人がいた。私はあんまり調べていないけれども、個体値には1から100まで段階があって、98だの100だのとなるとかなり珍しいらしい。
 「いいなあ、ちょっと見せて!」と人が群がる。CP2270だった。

「やったー!イエ―イ!」と、ハイタッチして、にこにこしているオジサン、お兄さん。みんな、楽しそうだ。
 きれいな化粧のお姉さんも、厚着のおばちゃんも、若い金髪の兄ちゃんも、「初めて捕りました!」とか、「残念、このミュウツーは弱いなあ」なんて雑談。突然町のここだけが、パーティの後か、お祭りか…というような状態に。

 初めてですか?なんていう話になって、そうなんですよ、残念、これは個体値、低いですね…とか答えながら(2250以下だった)、でも、ポケモン図鑑が埋まるのだって、大事ですからねえ…と負け惜しんできた。

 全然知らない人たちなんだけど…でも、なんて楽しそうな集団だろう。

任天堂の岩田さんはきっと、こういうことがやりたかったんじゃないかな…と思う。もうなくなられて数年経つけれども、みんなが外へ出て歩き回って、ポケモンを捕って、力を合わせてレイドをやって、こうして珍しいポケモンを捕ったときには見知らぬ者同士がニコニコして祝福しあっているこれを見たら、ゲームが不健康な趣味だなんて、もう誰にも言えないよね。

 街のレイドで顔を見たことがある人がいるぐらいの知り合い度だけれども、こういう薄いつながりでも、ちょっといいな、と思うのだ。オンラインゲームにも、あるけれども、通りすがりの人が苦戦しているパーティを見て、体力回復の呪文だけかけて、去っていくとか、荷物が重すぎて運べない時に、手伝ってくれるとか。あれが、リアルでも起きるようになったんだね、と思う。

 いけるだろう…と思ってチャレンジしたレイドのモンスターが強すぎで、一人で全滅して、再挑戦、と思ったら、どこに人がいるか全くわからないけれども、レイド参加人数が「2」になっていて、手伝ってもらって勝てたり、(いったいどこから参戦していたのか、いまだに謎)、珍しいモンスターのレイドがあって、歩いてその公園まで行ったら、がらーんとした公園に、もう一人スマホ握った人がいて、お互い、照れくさく挨拶したり。「色違い、出ませんかね…」「なかなか出ませんね…」なんて。

夫のほうには、私が行った一週間後に、EXレイドのチケットが!冬休みの間に、マクドナルドでレイドしたのがよかったらしい。
キタ――(゚∀゚)――!!と大喜びで帰ってきた。

ポケモンGO、まだ、しばらく楽しめそうだ。

本の読み方(線引き読書って?)

線を引いた本を見ると、腹が立つ…という話をちょっと前に書いた。私は本を読むとき、線を引く習慣がない。
まあ、貧乏な時期が長かったので、自分の本をあまり買えなかったということもあるが、正直、線を引かないと読めないような…頭に残らない本は、読んだらそれでおしまい、すっかり忘れていいと思っている。

 これについて、いつも愛読している、ぢょん・でんばあさんのブログでも、【記事になっていた】。同感。と思いながら読んだ。

一章全部でなくても、たった1フレーズでも、または「文章そのものは覚えていないけれども、こういうことが書いてあった」と頭に残る本はあって、そうしたら、線なんかひいて覚えておかなくても、残る分は残っている。

お勉強の本の場合は興味のあるなしにかかわらず、覚えておかなくてはテストで点数が取れないということがあるから、興味が正直なくても繰り返し参照することになるので、その場合はマーカーで、ここだけ読んでおけば連想で残りは引きずり出せる、というところに線は確かにひいたが、これは勉強法としてやっている人は多いだろう。でも、それは読書とは呼ばないと私は思う。

 コメントで、「線を引く読書法」というものを提唱した人があると書いてくれた人があったので、ちょっとネットで調べてみたら、どうもこの線を引くという行為を、「積極的読書」と名付けて、本をただ、受容するだけでなく、こっちから働きかけるのが線をひくこと…というようなことを言っているらしいということが分かった。

えー。ええとさ…。なんか前提が全然違う気がする。文章を読んで、それを味わうことは、積極的なことではないのだろうか。
もちろん、本とかかわる、一番積極的な行為はというと、多分「本を書くこと」だと思う。でも、「読む」ほうに限定するとしたら、すでにページを開いて、字を目で読み、その情報を脳みそのほうへ送って、書いてあることを理解し、知識として自分が「又聞きだけれど知っていること」として頭にいれるとか、物語なら、まるで自分のことのように、追体験する…ということはかなり、積極的なことではないのか?。

 本を受容する…?それはつまり、目の前に映画のスクリーンがあって、それをただ、ぼんやりと自分がまるで映画の中の人物になったように、またはかなり近くからそれを見ている人になったようにのめりこんでみるのではなく、ただ流れる映像を漠然と眺めていて、自分の頭は動かないように固定されている…というような状況と似ているということだろうか。

 ただ、字の羅列が目の前を流れていき、それが意味をもった情報として脳みそで理解されるのでなく、BGMのように通り過ぎていく…。

 うーん。そういう読書は、あんまりしたことがない気がする。

自分が感動したところは赤で線を引く
共感できると思ったところには、緑で線を引く。
問題を提起しているところは、青で線を引くとかだろうか。

それは多分、国語の問題を解くときには、役に立ちそうだと思う。作者が考えていることは、これ。この章で言いたいことは、ここのところ。提起している問題は、これ。その答えは、ここのところにある。
…とかそういうことがわかると、国語の問題というのは正答率が上がるようになっているからね。

うーん。なんとなく見えてきた。多分、この「線を引く読書」の場合の「読書」というのは、物語を読む読書じゃないんだと思う。
ビジネス書とか、人生のなんたるかであるとか、考え方を変える本とか…そういう、「目的を達するためには、どう行動するべきか」みたいな本を読むときには、「この本は、いったい何が言いたいんでしょう」ということをはっきりさせて覚えておくために、そうするものだ、ということなんだね。

つまり「忘れてしまうこと」を防ぐためにやるということだ。
なるほど、勉強用だ。

オトナになっても、いくつになっても、人生勉強ー。みたいな感じか、それか、ああ、人生の先輩の言うことは、やっぱりいい感じにだなあ、こういうの好きだー。というようなエッセイ本ぐらいが、線引き読書法に適しているのであろう。

私は物語が好きだからねえ…。この主人公の考え方は参考になるっ。というような本はあまり読まないな。
この主人公の考え方が好きで、人生私もこういう風にわたっていきたい…という場合は覚えるのは細部でなく、その人そのものになるので、人物として記憶される。

基本、この人の考え方が好きだ、というエッセイや、日記の場合もそう。どのフレーズが覚えておきたいという感じではなくて、大体の全体像というか、カラーと雰囲気が記憶され、「こういう感じのフレーズがあったなあ」と思い出せるようになっているので、線を引かなくていいわけだ。

 私の読書は、趣味だからなあ…。勉強になるようなものを読まないから。
 線引き読書をする人は、読書が趣味ではない人かもしれない。

本から知識をいれることを作業として位置付けるぐらい、本が好きではないなら、覚えておくとしたらこうするしかない…といったようなHow To系のことなんだな。

私はビジネス書を読むときでも、「へーー」とただ読む。面白い本なら、面白い本なほど、中身はわたしの頭に残留する。全然面白くない本は、大体の題名と、「既読」という情報以外を残してさっぱり残っていない。たまに「既読」という情報さえすっぱぬけて、しばらく読んでから、あ、これ読んだわ。となることもあるぐらいだ。(大概題名だけは、面白い本っていうのが多いよね、ああいうのって)

 いい加減といえばいい加減。でも、線を引いて覚えておきたいほどの本だったら、線なんかひかなくたって、再読したいから買うし、何度も読んで結局線は一本も引かなくても、いろいろ覚えてしまう。

 これからも、やっぱり、私は線引き読書はしないだろうな。
線引き読書法というのはつまり、勉強法の一種、と理解しておくことにした。

冬の旅行に行くときの話

冬、旅行に行くとき、毎回夫に文句を言われるのだが、私は予備の服を持っていくのが好きだ。
長袖のTシャツ、ズボン下、ジャージ(下半分)、厚手の靴下。

 私が、予備の服をいれるのは多分、若いころからの習慣だ。一度そういう荷物を省いて、国内長距離移動をしたとき、かなりの長距離だったからか、異常気象だったからか、ついたところが温度がかなり低くて、出発点では半袖1枚、みたいな恰好だったのに、現地では寒くて寒くて、半袖を2枚重ね着して襟元がへんてこりんな重なり方になった上に、舞台衣装だったビロードのぴかぴかしたジャケットまで「ないよりまし」で羽織って動くことになったのが、とても印象に残って。

 途中で合流した友達が、上着を貸してくれたが、体格が違ったために大きくて、不便極まりない。
そんなわけで、私の旅行カバンには、真夏でも絶対、1枚は長袖が入っている。下手すると2枚入っている。

 夫は若いころから旅行が好きだ。貧乏と旅行とは、相性がとても悪い気がするが、夫は貧乏でも旅行に行きたがった。だから、いつも最低ランクの宿で、お土産も何も、なるべくお金を使わず旅行するわけだ。そうなると、寒くなったときに、現地で服を買ってしまうというオプションは、ない。
 そんなわけで、「またー。本当に要るの?」…と毎回言われるのだが、私はいつも「予備」と「予備の予備」ぐらいは入れて持っていくことになるのだった。
 最近は、もうちょっと家計に余裕が出て、本当にピンチなら、安い上着ぐらい買えるとは思うけれども、旅行先でうまい具合に上着を売っているお店があるとは限らないからね…。

 コットンのTシャツは、下着代わりに着てよし、アウターにしてよし、ジャージはこっそり、普通のパンツの下に履けば暖かいし、パジャマ代わりにもなるし、もし、履いていたジーンズが濡れたりしたときには、もうジャージ履いて帰ってきちゃえばいいし万能!夫は、3日ぐらいの旅行なら、出かける時に履いているジーンズ「だけ」しかもっていかない、というような人なのだが、子供が小さかったころに、夫の膝に乗り物酔いして吐いた事故が起きてからは、私は絶対、夫のジャージを1枚、入れることにしている。

 その時のこと、覚えてないのかなあ…と思うのだが、「そんなこと、そうそうおこらないよ」で終わり。子供が吐かないにしても、飲み物がこぼれるとか、そういうことだって…と思うんだけど。

 いつも、私が、たくさん入るように丸めてパッキングするので、夫はもうあきらめているようだ。私がパッキングをすると、夫が詰めるよりたくさん入るからね…。

 今回は、スキー旅行だった。何日か楽しく滑って過ごして、最終日。最終日も、午後いっぱい滑って帰ろうね!というときに、なんと、雨。

 しばらくこれで最後だから、とすべっていたのだが、「だーーー。冷たい」となって帰ってきた。
 
着替えなきゃ無理っぽい感じ。雪だと払えば落ちるけど、古いスキーウェアの防水があんまりよくなかったのか、結構濡れた。
 
 「あのさ…予備とか、ある?」
夫は控えめに、聞いてきた。

あるともさ!夫がはいていたジーンズは、かなり濡れていて、さすがにこれは無理、という感じだったが、ジャージがあるでしょ、それから予備のジャージが!じゃーん!

 午後からは、また晴れたので、スキー再開。息子の分も、夫の分も、ちゃんと予備のパンツがあったからね!
 まあ、家に帰る時には、ジーンズはロッジのストーブの前に放置するだけでは乾かなかったのでジャージだったけど、別に誰かが見て困る格好でもないし。

 シャツも、下着も全部予備あったもんね!子供は雪で遊んだりしたので、靴下も濡れてしまったのだが、まかせろ、靴下の予備もあったりするから!

 さすがに、ネックウォーマーの予備は、なかったが、私の腹巻帽子をネックウォーマーにして、なんと旅行中に編みあがった毛糸の帽子を使うことでなんとか…。ネックウォーマー、ウールでないものは、びっしょびしょで再利用不可だったが、ウールのは、タオルで水を絞ったら、かなりいい感じに再利用可になった。うーん。ウールの物を使うってこういうとき、意味あるかも。

 家に帰って、大量の洗濯物を出しながら、「今回は、まこが持っていく予備の予備、役に立ったねえ」とほめてくれた。
 こういうことがあるとね…やっぱり毎回入れようかなって思うのよ。役に立つのが5年に1回でもね!

 予備…の予備の、そのまた予備。旅行先で寒いのは、本当にいやだものねえ。
 次回旅行に行くとき、予備を詰めたら、夫はなんていうだろうか。ちょっと楽しみだ。

ICカードがうまく反応しない時

私のiPhoneケースの後ろには、ポケットがついている。ここに電車に乗る時のICカードをいれて使えば便利そうだ、と思って買ったら、なんと、ポケットにいれていると、ICカードを読まない。ピンポーン、と改札に引っ掛かってしまう。

財布にあんまりたくさんカードをいれたくないので、iPhoneに振り分けたかったのだけど…。まあ、ケータイ自体に、ICカード機能を持たせてしまうというのもあるみたいだったけれども、何かあったとき面倒だし、機種変更とかもしたくなるかもだし…とかいろいろ考えて、ICカードは普通にカードのまま持っておくことにした。

 しょうがないので、改札を通るときはカードをちょっと、上のほうへひっぱりだして対処していたのだけれども、この間100均で「磁気エラー防止シート」というのを見つけた。そういや、一番最初iPhone4のケースの後ろ側にICカードをいれるタイプのケースが出てきたとき、こういうカードがおまけについていたなあ。それをいれないと、ICカードがうまく反応しないというものだったけど…もしかしてこれを使えば変化出るかな?

…と思って、100円だし、と購入してみた。

ビンゴ。ばっちりだった。これをICカードに重ねて、iPhoneカバーのポケットにいれておいたら、普通に改札が通れる。
すごい。100円でこんなものまで出てくるようになったんだなあ。何で出来ているのか知らないけど…。ちなみに、アマゾンとかで調べてみると、500円ぐらいするものが多い。100円で買えるなら御の字だ。すごいぞ100均。ちなみに、ダイソーではなくてキャンドゥの商品だった。
 ケース買い替えようかと思っていたけれど、これが出来るならもうしばらく使ってもいいな。

 持っているものを長く使うのも、断捨離とか、物の整理とか、シンプルライフとか…そのあたりになりそうな気がする。
改札を通る時、普通にピッと出来るのって、便利だなあ。しばらく不便な思いをしたからこそ、余計うれしい。

ライトダウンジャケット

家の中でいつも、長そでのTシャツ、それからユニクロのウルトラ・ライトダウンのベストを制服のように着ている私。
部屋が冷える朝や、夕方からは、その上に綿入れの半天を着る時もある。格安の半天の、前の紐の位置を付け替えて、前があわさるようにしたもので、家の外には着ていかないもの。

最近、最初から紐の位置が変えてあって、前がきっちり打ち合わせに閉じるようになっているのも売っているようだ。買い替えようかな…と思っていたのは、もう古くなってところどころほどけたりすりきれたりしているのを、縫って修繕しながら使っているからだ。

 めったに服のことを気にしない夫が、「このベスト、一度洗ってくれない?」と持ってきた。彼が家の中でこれも制服のように着ているウルトラ・ライトのダウンベスト。色違いでほとんど私とお揃いだ。
 一応洗ってはみたが、なんとなくイマイチな仕上がり。羽が寄った感じがするし、大体羽の油分が抜けるだろうからなあ…。折れるだろうし。そりゃ洗うのは推奨されないのもわかる。それとこれはもう5年ぐらい着て、シーズンオフにクリーニングに出しているんだから…。そろそろ寿命?

 確かにねえ…。私のも相当年季が入っているし、ここは買うか!夫も承諾(資金は夫から別に出るということ)長袖のTシャツも、首が延びているし、息子のベストはサイズアウトぎりぎりだし、私のヒートテックは穴が開いてるし。夫は、「俺のヒートテックの下着、2組ぐらい買ってきて」というので、「要りそうなものは、買ってきていい?」聞いたら、「リーズナブルな範囲で」と言われたので、
これは、じゃあ通販じゃなくて、お店にしよう!と思って自転車こいで行ってきた。

 ヒートテックの、私の上下1組、夫の2組、Tシャツ夫のと私の2枚ずつ、息子のベスト、夫のベスト…まで買ってから、私はその夫のベストの隣にあった上着に目が行った。

 長袖の、ライトダウン。形からいくと、Vネックのカーディガンの形。
 あったかそうだな…。軽そうだし。

不思議なことに、ベストは3900円なのに、袖がついているこっちも、3900円。
袖代は…?

 自分で服を作ったとしたらありえないよね。袖の分の材料費がゼロなわけないんだから。

3万円弱ぐらいまで行ったが、会計直前にもう一度見直したけれども、「これは多いかな」というものはなかった。
なんせこれで3冬分は買わないんだから。下手すれば5冬分。これでもう5年もたせる!

 こんなにいっぱい買い物したの久しぶりだ。買い物で5ケタが、まずないもんね。

家に帰ってから、このカーディガン型、ダウン着用してみた。
まず、首のところがないので、直接皮膚に触れるところが全くないから、洗濯をしたほうがいいんだろか…という迷いポイントがないのがいいところ。シーズン最後に1回洗えばOKだと思う。

それから、半天と違って、とても軽い。着ているのを忘れそう。そして、洗濯物を干しにベランダに出てもそれほど寒くない!多分これで外に出てもなんとかなる。
 袖がちょっと長いので、洗いものするときに不便か…。と思ったけど、袖口を一度折り返して着ることで、解決。あとで、内側に折って、縫い付けちゃうとかしてもいいかも。切って短くして、テープで縁取りは面倒すぎか。羽、散るだろうしな。

 という感じに、長期着続けることを想定したくなるぐらいに、かなり着心地がよかった。
今まで、動きにくくなるからとベストを着ていたのだけれども、このカーディガン型のダウンは軽くて動きやすかったので袖があってもOK。

半天を、断捨離…すべきかこれは。冬が終わるまで置いておいて、このダウンしか着なかったら、捨てよう。

 このライトダウンジャケット、おすすめ。まあ、あとは「どのぐらいもつか」だと思うけれども、ダウンベストと同じなら、3シーズンぐらいは大抵の人が着るんじゃないかなあ。それほど細かいことを気にしない家の中で着ると割り切れば5年は行けると思う。

ふっかふかの毛布

寒い。まあ冬は毎年こんなものだ、といわれればそうなのかもしれないが。
毎年私は、「今年って、寒くない?」と思っている気がする。
 夫の実家に行くと、布団を用意してもらうわけだが、1枚、すごーーーく分厚い毛布がある。他のは、うちにあるのと大差ないのだが、その1枚だけは分厚くて、手触りがよく、ふかふかのモフモフ。あったかくていいんだけど…。近くのホームセンターには、そういう毛布は見つからない。一度、手触りだけは似ているのを買えたことがあって、それはシングルより幅があったので、寝相の悪い息子がかけている。

 夫に、夫の実家のあの毛布、ああいうのがほしい!とねだってみた。
 夫は、「ああ、あれね…俺はいらないけど、まこ、ほしいなら買ってもいいよ」ということだったので、商品を検索して、これ、よさげかも…ということになったのが、これ見られない場合は画像のリンク切れです【ロマンス小杉アクリル2枚合わせ毛布】
はっきり言おう。うちにある、どの毛布より高い。8333円。
 今使っている2枚合わせのアクリル毛布セール価格3900円の毛布だって私にしたら奮発した方だったのに、それ2枚分より高いって!(ちなみに、今使っている毛布は季節があったかくなってから買った、売り尽くしセールだった)。でも、多分、夫実家でかけている毛布と同じぐらい手触りがよくないと、満足できないだろうなあ…。もう、何年も、夫の実家に冬に行くたびに、「これ、いいなあ…」となでまわしているのだから。
 「すっごい、高いんだけど、いい?」と聞いたら、夫がびっくりしていたが、「ま、毎日使うだろうし、いいでしょう」とOKが出た。
 名前が、「シルバーミンク」と「ゴールドフォックス」だと言ったら苦笑されたけど。
 「毛皮なんか、びた一文入ってないと思うけど」って。

 いいの!うれしいの!
…というわけで、ついた毛布が、おお、分厚い!私がほしいと思っていた想像通り!ちなみに夫の実家のは焦げ茶色だったんだけど、私が上のリンクから見たのは、クリーム色とグレーしかなかった。
 普段は、シーツをかけてから、上から布団と毛布をのせているのだが、ここはやっぱり…ということで、毛布を直接かけて寝てみた。肌触りがなんていうか、ふわふわで、なめらかで、モフモフで、これは素敵…と思ったんだけど。
 結論。あったかいったら。だめだ、汗かきそう…というわけで、夜中に起きて、「体、シーツ、布団、毛布」の順にかけなおした。

 その日以来、足もとに入れている、ソフト電気あんか、ずっと「3」だったのに、今は、3、2、1、弱、とあるうちの「弱」になっている。
 肩のところに隙間風がはいりにくくなったので、首に貼っていたカイロも、なくてもいいかも状態に。

 ふと思いついて、今まで使っていた毛布を敷いてみた。これはあったかい…。ずっとシーツを敷いていたのだけれども、洗濯のことを考えなければ、これがあったかいなあ。
 冬が終わるまで、これでいいや。

高かったけど…。ぜいたくな話だけど…。でも、毎日使うし、長時間使うし…と私は何に言い訳してるんだ。
 「あったかかった?よかったねえ」と夫は笑ってくれた。
 



ダンシング・ヒーロー

スキー旅行に行って、休憩中に、ロッジでぼんやりとしていたら、かかる曲が、なんだか古い。
荻野目洋子?いや、多分そう。アイドルの中じゃ、歌がうまかった。
その次は、松任谷由実の、優しさに包まれたなら、だっけ。あれだった。

次が、歌っている人は忘れたけど、「ロマンスの神様」だっけ。これ!カラオケで歌ったら、もう難易度が高いのなんの。友達と練習したっけ。「一年経ったらハネムーン」って、当時はなんでそんなに早いの!と思ったものだけれども、そのあと結婚したときは確かに、付き合って一年だったんだから、この歌の通りで、ふっとこの歌を頭に思い浮かべて、「あ…」と思ったとか。

…ってねえ。なんだかこのあたりだけ、こんな歌?タイムスリップ状態だ。昭和の終わりか、平成1桁。
こういう曲を聴きながら、夜中の高速を車に乗せてもらって、みんなで遠くまで行ったものだった。

 見えるのは、車のパネルのランプだけで、音楽がかかっていて、みんなで歌ったりしたこともあったけれど、確かこの荻野目洋子が好きだった人は、あんまり歌わなくて。

「まこ、お前、眠かったら後ろの席へ行けばいいんだから、言うんだぞ」
とか言われていたものの、助手席の人は寝てはいけないルールがある…ということは教わっていたし、自分ひとりで眠ってしまうのもなんだか悪くて、頑張ってガムなんか手渡しながら、助手席で苦い缶コーヒー飲んで。

 サービスエリアで新しいコーヒー買うころにはもうコーヒー飲んだって眠いものは眠い。目をこすっているのを見とがめられて、「だーかーら。寝ろって言ったろうが」…と怒られながら、意地を張ったものだった。

 なつかしいな。
って、ねえ、なんでこんな懐メロ大会?と思ったら夫が、「ダンシングヒーローは、紅白に出たからねえ」だって。
夫は年末の番組を見ていたからなあ。なんだか、高校生のダンスチームと共演したのが、すごく話題だったらしい。

 へーー。高校のダンス部って、かなりレベルが高いのが多い。高校生の部活と思ってなめてるとびっくりするぐらいうまいことがある。特に全国大会に行くレベルになると、相当なもの。まあ、吹奏楽なんかもそうなんだけど、外国人が見るとびっくりされる。
これが、別に才能のある子だけ集めてどうこう、ではなくて、普通に中学校高校の授業やって、やりたい子だけ集まって、練習してこうなるのだと説明すると、アメリカ人なんかホント、愕然という感じになる。

 全アメリカチームみたいな、そういう子だけ、オーディションして、それ「だけ」つまりマーチングならマーチングだけを1年やる、とかそういうチームになるとさすがにすごいのだけれど、それは「それだけ」しかやらないみたいなことになっている上に、オーディションをやって、選抜してから…なので、まあなんていうか結果は当然。

 でも、日本のは、まあ、ある程度好きな子がそういう部活のある学校を選ぶというのはあるものの、何百人から選ばれた…とかじゃないわけで。

 動画を探してみてみた。
わあ、面白すぎる!「バブルダンス」ってのが、なんていうの、こういうスーツと髪型の人たち、いたよ!確かにいた!
私の時よりちょっと前…かな。でも、こういう感じのスーツ、あったあった。ベルトがなぜか、金の鎖とか、ボタンが金色の、肩パットが入ったスーツ。ブラウスに肩パット、ジャケットに肩パット、と両方入っているので、すっごく四角張って見えるのだ。

 髪型も、こう…確か。ああいう感じだった。っていうか、この高校生たち、どこでこんなスーツ見つけてきたの?親のクローゼットだったりして。全然おしゃれじゃない私だって、それしか売ってないんだもん、こういう形のスーツを着ることになったし、「ソバージュ」とかパーマを試したことだってあった。

 このあと流行ったワンレンという髪型は、つまりワン…レングス。全体的に長さが「一種類しかない」という髪型はつまり前髪の長いボブカット。
これが、前髪がものすごくうっとおしい。かきあげるというか、分けておくというか…。美容師さんに、振袖を着終わったとき、そういう風に出来るけど、どうする?と聞かれたのだが、前髪が邪魔で嫌になりそう…と思って断って、眉毛の下まで前髪は切ってもらった覚えがある。

  やっぱり日本の部活はトップクラスはすごいなあ。これを、放課後と週末と、朝練とかだけでなんとかしてるんだよね…。毎日、毎日やるんだもん。熱心に、何度も、何度も繰り返して。
 中高生の部活って、ものすごく一生懸命だし、それについていけない人はただ、やめるだけなので残っているということはつまり、練習を出来る子だということで。

 ダンス、チアリーディング、吹奏楽、マーチング、新体操。このあたりの動画は人気みたいだけれども、どれも外国人が見たらびっくり、という感じのコメントが多い。
 日本人、まじめだからなあ…。私がアメリカで大学で授業を取っていた時、単位の足しに、「学校のバンド」というのに所属していたことがあった。これは学校の吹奏楽バンドに所属して1週間に2度練習を1時間やるという授業で音楽の単位として認められた。
 みんなの練習態度はかなりいい加減で、学期末にコンサートをやるというのに、大丈夫なのか…と心配になった。まあ、曲の難易度は低かったので、曲に聞こえるぐらいまでは行ったが、1週間に2度、1時間の練習で、ほんとダメな人はダメだったし、完成度は低いし…日本のバンドに慣れた私には、なんとも、歯がゆいことだったが、これが、「スクールバンド」の正体なら、そりゃあ…日本のクラブ活動のバンドは、すばらしい完成度に見えるわな…。

 日本の高校なんかだと、熱心なバンドは当たり前に朝練と週末練習があるし、毎日学校が終わる4時前から、7時ぐらいまで3時間ずつ毎日練習すれば、そりゃもうね、すばらしくなるにきまっているのだ。

 だから、日本のチアリーディング部は、世界大会で1位を取り、日本のマーチングコンテスト優勝校は「え…高校生?プロじゃないの?」と言われ…。
 こういう青春っていいよな、と思う。テレビに出たことは、すごくいい思い出になるだろう。映像も取っておいて、50歳ぐらいになったとき、同窓会やって、みんなで見たら面白いだろうなあ。

 紅白に、このダンス部は出て、ジャニーズとか、なんとか48系のダンスを踊るグループを完全に食ってしまったらしいのだけど、そりゃ…さもありなん。練習量が違うよ…。こういう全国一番みたいなクラブは、学校の授業時間と、学校の勉強と宿題がなんとかなるぐらいの勉強時間と、睡眠時間を除けば、全部練習時間、みたいなスケジュールになりがちなんだから。
 タレントさんたちは、そこまでダンスだけ、やるわけにはいかないだろうからね。
 
 今年の紅白も、なんかそういう企画があればいいな。全国大会優勝すると紅白に出られる、とかいいよね。

あったかいビスケット

赤毛のアンシリーズとか、ドリトル先生シリーズを読んでいると、お茶の時間に「ビスケット」が出る。

小さいものほど上等とされることもあるらしく、粉を練ってビスケットを作る時、指ぬきで型抜きするなどという記述もあったりして、私の頭の中には、当たり前田のクラッカーの兄弟である、見られない場合は画像のリンク切れです【前田のクリケット】が浮かんでいた。


そのあと、「ケンタッキー・フライド・チキン」というお店を遠くの街で体験した。
 ビスケットというのは、あんまり味のない、上下がかりっと焼けたもので、多分イーストを使わず、ベーキングパウダーで膨らませたパンみたいな感じ。上下に割って、ふわふわ真っ白の内側にメイプルシロップをかけて食べる。

 アメリカでは、ビスケットというとこれ…という話を聞いて、見られない場合は画像のリンク切れです【森永ビスケット】のマリー、チョイス、ムーンライト…が頭にあった私は、ちょっとびっくりしたものだった。

 そのあと、【おかしなお菓子】という、お菓子のうんちく本みたいなのを読んで、フランスでは「ビスキュイ」というのだが…ということで、出てきたのが、フィンガービスケット。ショートケーキというのは、このフィンガービスケットにクリームとイチゴをな…という話で、もう、なにがなんだか…。
 

赤毛のアンの時代には、「店で売っているパッケージのビスケット」なんかダメダメ、という感じだったらしい。家に娘さんだの、奥さんだのがいるのなら、パン、ケーキ、ビスケット、クッキー、ドーナツなどは、買うものではなかった、みたいな論調。でも、そのあとの時代の本を読むと、店でパッケージを売るようになって、看板だの、宣伝だのが出るようになり、こんなかわいい広告が出たり(左図)。Uneeda BiscuitってのはつまりYou Need a biscuitの駄洒落なんだねえ。
ちなみに、このナショナル・ビスケット・カンパニーというのは、ナビスコのことらしい。


 
 結局ビスケットって言われるものは、小麦粉が入っていて、焼いてあるもの、ぐらいの共通点しかないな…。

こんなことを考えたのは、1分間、オーブントースターであたためたココナツサブレと、紅茶を、朝のおやつに食べたから。

最近、見られない場合は画像のリンク切れです【ココナツサブレ】は、5枚ずつの個包装になって、何回かに分けて食べられるようになったし、味もずいぶんバリエーションが増えてお気に入りだ。安いしね。100均に売ってるの。
 別にクリックしても宣伝費が入るとか、そういうことではないのだけれども、いろんな味が増えたのがうれしくて、皆さんとシェア。
 このお菓子、長いことあるものねえ。きっと、このブログを読みに来ている人にも、これ、食べたことある、という人は多いだろう。
 確かに、安いし、たとえば、メープル味とか、チーズスフレ味?とかあるけど、その味がすごーくするかというとそうでもない。でも、そこがとても良心的だと思う。材料通り、そのままが味に反映している。
 香料も、アメリカのなんかだと本物じゃないけど、たくさん入れておきますから―。違いなんかわかんないよねー!と言いたげな味がするのだが、日本のは、どれにしろ、「もしかしてちょっとは本物…」と思わせる控えめさがある。

 ナッツ味のココナツサブレなんか、「いわれれば確かにその味だ」という味ではある。でも、もちろん、ナッツの味がするクッキーの高いのと比べてはいけない。なんたって、100円なんだから。
 こんなにいっぱい、食べちゃっていいの?というぐらい入っているもんね。

 安くても、サブレという名前がついていても関係なく、あたたかいビスケットでお茶にするというフレーズは、私をどこか、物語の世界とつないでくれる気がする。
 赤毛のアンか、村の生活でも、読もうかな。真冬に飲むお茶がおいしそうな、ナルニア物語でもいいし、さすがイギリス、お茶にはうるさいメアリーポピンズでもいい。

 外は雪。家の中でお茶にするのがいい感じだった。外には出ない。




梅干しを買う

私が子供の頃から、食べていた梅干しは、昔ながらのとてもすっぱいもの。多分、塩加減でいくと、15から20%ぐらいのもので、現在の健康減塩ブームには思いっきり不向きなものだと思う。

でも、スーパーで買う塩分控えめ「ハチミツ梅干し」なんていうのが、あんまりおいしく思えない。
「昔ながらの」なんていう枕詞のついた梅干しが、「そうそう、こうでなくちゃ」という味で、塩分控えめどころじゃない。

でも、実は塩分は、量に比例するんだものね。
私が子供だった頃は、梅干しをいきなり1つ丸ごととか、食べなかった。
果肉部分をむしって食べて、残りは次の時にまた、食べる。そういう食べ方。

半分しか食べないなら、塩分半分の梅干し1個分と考えていいんだもの。

朝、起きたとき、お茶を飲むというのは最近の習慣になった。紅茶じゃなくて、番茶とか、麦茶とかを飲むこともあるので、ふと、梅干しがあったら、いいなあ…と思いついた。ちょっとでいいんだけど…。

 スーパーで売ってる昔ながらの梅干しって、結構高いんだよなあ…。50gで400円ぐらいする。
 もっと安いの、ないかな…と思ってネットを検索。

 梅干しの皮が破れています、という「訳あり」系は安いということが分かった。
丸ごと飾ろうってんじゃないんだから、皮なんか破れていてもちっとも構わない。
 大体、1つじゃなくて、半分とか、1/4とか食べるつもりなんだからねえ。

そのお店には、「こんぶ梅」「かつお梅」「はちみつ梅」「うす塩梅」「しそ漬け」があって、昔風なのはしそ漬け。ほかのは、塩分7%とか10%とかでちょっと低めだ。どれも、割とおいしそう…。
…と思ったらそのお店では、30グラムずつ、5種類の梅干しをいれてくれる「お試しセット」があるらしい。

色々考えるなあ。まずじゃあ、このお試しセット注文して、塩分控えめの(といっても10%とか)がよければそれで、だめならしそ漬けにしよう!と思って注文。

 どの写真を見てもすっぱそうで、唾を飲み込みながらブラウズ。ちなみに、注文したのは【株式会社福梅】

 到着してから、1日に1個ずつ、食べてみた。

こんぶ梅とか、かつお梅のあたりは、「梅うどん」とか、「和風パスタ」とかにのっていそうな梅だった。
はちみつ梅は割と甘かった。お茶うけとしてはいいのかもしれないけど。
うす塩梅は、物足りない感じ。

 そしてしそ漬けは、おいしかった!やっぱりこの酸っぱさでないと!

というわけで、しそ漬けだけ、いっぱい買うことにした。
訳アリで十分だし、自分で漬ける手間のこと考えたら、ねえ。

でも、いつか自分で梅ぼしを漬けてみたいなあ。塩分20%ぐらいの、健康に悪そうなやつ!
おにぎりに混ぜたら、おにぎりが腐りにくくなるような、飛び切りしょっぱいのがいいなあ…。

ちなみに、しょっぱい梅干し、と検索すると、江戸時代の話を解説したのが出てきて、昔の梅干しはものすごくしょっぱかったらしい、という話だった。塩分30%とかもあったらしい。塩がふいてるって。
落語に確か、こういう話があったのを思い出した。ケチな人が、ご飯食べるときに、おかずなんか買わない、朝に梅干し1つ、昼に1つ、夜に1つ、それと白いご飯だけ、という話で、それに対抗心を燃やしたケチな人その2が言うには、そんなに食べたら梅干しが減るじゃないか!俺なんか、まず、梅干しをジィーーーーっと見るだろう?すると、口の中に唾がわいてくるからそれでご飯をかきこむんだ。それを繰り返してご飯を食べて、梅干しはそのまましまっておく。すると梅干しが減らない。
 …というようなケチ競争の話。

 そういや、あんまり息子には梅干しを食べさせていないなあ。日本人らしく、梅干しをみたら唾が出る…という反応、するのかしら。今度聞いてみよう。
 
 

道具付きの、あの雑誌

本屋さんへいくと、売っている、1冊ずつ揃える雑誌。
パーツが1つずつ入っていて、全部そろえると完成品が出現!というタイプのものが多い。
DVDが1枚ずつ入っている、各ジャンルの音楽もの、映像ものもある。
1つずつコレクションアイテムが増えるというようなのもある。どれも面白そう。

これに、「手芸」ジャンルがある。パーツを1つずつ集めて完成というよりは、ちょっとずつその分野のものの作り方が乗っていて、最後に組み合わせて大物を完成させましょう、というようなのが多い。
 クロスステッチのは見たことがあった。プリントの布がついていて、小物が出来るようなのも見たことがあった。
編みぐるみなんていうのもあったかな…。

今日、本屋さんで見たのは、パッチワークを作るものと、かぎ針編みでひざかけを作るもの。どれも、小さいパーツを作っておいて、最後に組み合わせるらしい。
 どれもかわいいなあ。
といっても、1冊1000円ぐらいする。材料が入っていたりして、いいなあと思うのだけれど、意外と材料は普通に買ったほうが安かったりして…。

 でも、このタイプの雑誌、1号、つまり創刊号に限っては、値段が安くなっていることが多い。
 たとえば…棒針編みのディズニー柄ひざ掛けを編むこれ【ディズニーツムツムのニット&クロシェ】。棒針と、毛糸がついていて、299円。
 小さい毛糸玉とはいえ、3色の毛糸と、棒針がついている。まあ、アクリル毛糸だけど。3玉買えば、下手すりゃそれだけで300円から600円、針も6号2本棒針(短いの)100円で、最低でも400円はかかりそうだし、編み方までついてるんだし…

 編みこみが出来るようになりたい、というのもあって、いいなあ、と買ってしまった。
 編みこみは、糸の始末をどうするか、というよりは、糸をその長さに切って編むだけ、みたいな感じで、編みくるむ方法とかが載っていないので、わかりやすく新しい技法が…という感じでもなかったけど…うん。そういうのはちゃんと決心して、自分でやり方を調べて、本なりなんなりみて、やってみないといけないのね…。

 でも確かに、かわいい本だったし…というわけで、ちょっと編み始めたらね?この針、2本セットの玉付き竹針なんだけども、すごく滑りが悪い。まあ、棒針編みの初心者だと、あんまり滑りがいいと目が外れやすい、落としやすいというのがあるのかもと思うけれども、こんなに滑らない竹針、初めて見た。

 300円で、かなり楽しめたし、これはこれでいいんだけど、うーん。問題は、途中で廃刊というイヤなパターンがあること。
パーツがだんだん集まる系統よりましだけど。同じのを何枚も編めば、それはそれでいいわけだから。
公式サイトによると、予定としては120号で完成となり、119800円かかるそうですよ…。12万?
うへえ。

 最初の1号はともかくも、正直この図柄1つに1000円払うのは大変だなあ。
 2、3000円払う気があれば、編み物の本が1冊買えるわけだし。技法なんて、初心者向けの本があればそれでいけるわけだし…。
12万あれば、編み物の通信講座が取れるし、習いに行ったとしても1カ月1万円より安い…

…というような迷い方をするものでは、多分ないんだな、この雑誌は。
これは、社会人をしている人が、1つずつ買いそろえて、家での、割と短い趣味に充てる時間に編んで、来月分はまだかなあ…って待つようなものなんだと思う。
 
バックナンバーをネットでチェックすると、ディズニーのキャラではないモチーフの号もある。そして12万円出して完成するのが、アクリルの170センチ四方のブランケットってのもなあ。
 
確かに、一人暮らしをしていたころは、1カ月に1000円なんて、迷うことなく出せた。こういう効率の悪いものにも。

でも専業主婦で、おこづかいで…となると、どうやって最高に効率よく趣味の費用を出せるか、となってきて、そうすると、材料費とどうしても必要な道具にお金をかけることになるわけであって。

 私はこの1号で終了かな…もう1つ買うかな…。今度、大きい本屋さんでバックナンバーがありそうなところへ行って、ほしいのだけ、もう1つ買うとか、どうだろう。
 1つ、買おう。そう思って本屋に行くのは、ただ、見に行くのより楽しいものね。そうしよう。

写真を撮りたくなる時

今日も、私はポケモンGOをお供にして、散歩をしていた。
寒いし、外に出る気力はあんまりたくさんはないのだけれども、卵を孵化させるのもそうだし、カイオーガレイドもあるし、EXレイドチケットを当てるのには、オフィシャルのジムでのレイドも欠かせない。

プラプラと川べりを歩いていると、目の前を青い鳥がさっと横切った。

水色…?青。その小さな背中は素早く飛び去ってしまって、じっくり眺める暇がなかった。

セキセイインコなわけはないけど、近所にあんな派手な水色の鳥なんていたっけ?

青い鳥は、すぐ近くにいたんだ…
メーテルリンクの青い鳥の劇のセリフが頭に浮かんだ。

歩いているのは川べりであるから、それほど「市街地!」というほどではないが、でも十分に都会。
私が生まれ育った田舎には、各種野鳥がどっさりいたものだが、割と大きいこの街は、それほど自然あふれる環境でもないはず…。

ジム戦を駅前でこなし、また川べりを歩いて帰ってくると、また!同じ鳥。
今度は川べりの柵に止まった。

目を凝らして見ると、あ…?カワセミ?

飛びたった鳥のひらめく翼の柿色。ターコイズと、このオレンジっぽい色の組み合わせは、確かにカワセミだ。

きれいだなあ…。

見に行かせてもらっている、写真ブログ。カメラが趣味の人は結構いるらしい。
花、鳥、景色…。いつもいいなあ、と眺めている。

なんとなく、カメラを趣味にする人の気持ちが分かった気がする。
こんな風に、突然出会う美しいものを、写真の中にとらえることが出来るとしたら。

いいなあ…きれいだなあ…。ってゆっくり後で眺められるのだよね。
他の人にも、こんなのを見たよ、と見せられるし。

こんなところにカワセミがいるなんて、知らなかったなあ。
でも、あの速さったら。スマホのカメラじゃ、だめだろうなあ。
ありきたりのデジカメでも、ダメな気がする。

アンカとタイマー

寒がりの私は、夜自分の布団に、電気あんかをいれている。薄めのコード付き座布団みたいなもので、ホームセンターに売っている一番安いのは、温度設定がない。「コンセントをいれれば、スイッチが入る」「コンセントを抜いたら、スイッチは切れる」という、とても単純な仕組みになっているものだ。

 これを数年、つかっていたのだが、ちょっと熱すぎる時があって、温度調整が出来る、中間スイッチがついたものを買った。

これは温度調整が出来るのはいいのだけれども、スイッチを切るのをいっつも忘れる。

 まあ、たいして電力を使うものでもないので、24時間つけっぱなしにしておいても、ショックを受けるほどはお金がかからないところが、クーラーとは違う。
 でも、やっぱり十円でももったいないのはもったいないし、ただ、布団が静かに温まっているだけというのも、非エコだ。

 

断捨離を少しずつ進めていると、あんまり見覚えのない道具が出てきた。
それがこのタイマー。これ、何の時に使ったっけ、と思ったけど、これは多分、一戸建ての家に住んでいた時、旅行に出るときに防犯のため、自動で明かりをつけたり消したりするのに使っていたのだと思う。

 これ…電気あんかのスイッチを入れたり切ったりするのに、ちょうどよくないか?
 コンセントにまずこのタイマーをさして、タイマーに、電気あんかのプラグをさして…そんでもって、じゃあ、大体寝る時間から、朝の6時ぐらいまでオンに、残りの時間がオフでいいよね。15分毎に設定出来るから…。
 これでスイッチの切り忘れなし!
   まあ…これだけのために、高いタイマー買うのはどうかと思うけれども、家にあったものだし。

ちなみに、このタイマ―は、動作中に音がしないし、何日か使っても、気になるほどは、ずれなかった。
 まあ、15分ずつしか設定できないしね…。こういうタイマーでデジタルタイプのものもあるみたい。

  冬にしかいらないなあ…。夏は蚊取りにでも使うか。

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    まこ

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