しあわせに見えたい
誰だって…と言ってしまうと語弊があるのかもしれないが、周りから、いいね、と思われたいところはあると思う。
私だって、こんな小太りのおばちゃんで取り柄があるわけでも、見かけが素敵なわけでもない、と自覚しているけれども、それでもやっぱり、面白みのない人だとか、別にどうでもいい人だとか、一緒に歩きたくないとか思われるよりは、楽しそうだな、とか、友達になりたいとか、文章が面白いとか、いい人だなとか、思われたいな、と思う。
こういうのを承認欲求というのだろう。
しあわせそうだと思われたい、輝いていると思われたい…というようなことを考えて、写真を投稿する人が多いという。写真「だけ」を投稿するソーシャルネットワークサービスで、自分の写真を投稿して、「いいね」と言われることが、本当に重要だ、と思ってしまって、実際にしていることや、持っているものを楽しむことを忘れやすいのだと。
例えば、夜のホテルのプールはライトアップされており、写真写りがよくなるので、人気だとか。絶対顔を水につけず、髪をぬらさず、写真を数百枚から千数百枚、撮って奇跡の1枚を投稿するのだということだった。
うーん。そんなに写真撮っていたら、友達とおしゃべりすら出来ないのでは…。ただ、素敵と思われたい…。そのことのためだけに、友達との交流も、あるかもしれないプールサイドの出会いも(ナンパされても、だれも聞いていないとか)全捨てなのか…と思うとちょっと、もったいないような気がする。「いいね」をしてくれるのは、別に知り合いでもなんでもない人ばっかりで、そこから交流がひろがるとかでもなく、「いいね」のやり取りに終わるとしたら。
でもな…もう自分がこんな人間で、このぐらいのことが出来て、こういうことが好きで、こういうことはだめで…とわかっている私ですら、素敵だと思われたい気持ちがあるのだもの、まだ若くて、自分がどんな人間だということがわかっていなくて、いいところも、悪いところもわかっていなくて…誰かが自分を選んでくれるとか、大好きだと思ってくれるとか…ということがなければ、やっぱり「すてきだ」「しあわせそう」「輝くものがあるよね」と思ってもらいたいと思う気持ちが強くなるだろうな、と思う。
でも、他人の、よさそうなことばっかり見てると、引き比べて自分は…と思ってしまいがちではある。隣の芝生は青く、隣の花は赤く、隣の果実は自分の畑のものより、ずっと薫り高いような…そんな気がしてくるから。
だから、自分ももっと、もっと…もっと素敵に見せたくなる。そういうことなんだと思う。
つらくなりそうだな、そういうのって。
写真は、一瞬だけを切り取る魔法で…。
その一瞬だけを見れば、素晴らしく見えても、やはり写真に写らない色々なことが起きている。
奇跡の一枚は、つまり奇跡の1枚であって、そこには非奇跡的999枚が少なくともある。
うらやましい、という気持ちは、持ち続けるのはなんとなく、じわじわと毒される気がする。
どうして私はこうはならないんだろう…という問いには答えはない。
人生は、型抜きクッキーみたいにはなっていないのだ。
人から見れば、自分だってうらやましい一瞬を持っているのかもしれない。
でもそれは自分ではなかなか、わからないから。
そして、どんな人にも、「うらやましくない日常」があると思う。でも、そんなことは写真には、うつらない。
まあ、不幸である…ということは、また別の観点から自慢出来るというのもある。人の不幸話というのは面白いからね…。ブログとか、まとめサイトとかには、そっちの方角へぐっと偏ったものもある。それはそれで、PVを稼ぐという目標があるからだろうけど。
私たちのものの見え方は、とても単純だ。
幸せも、不幸せも…見える形で出されるとよくわかる。
自分に比べて、より幸せそうならうらやましく、不幸そうなら、自分のほうが幸せだと思ってホッとする。
でも結局、どんなことにしろ、なるようにしかならないし、背伸びをして写真写りのよさそうな高い持ち物や、洋服や、体験を手に入れたところで、それがどのぐらい自分を幸せにしてくれるだろう。
「いいね」をしてくれる人が、自分の人生にどのぐらい、かかわってくる人かどうか…ということを考えてみる。
私なら…。自分が好きな人が、仲のいい人が、かかわりのある人が、「いいね」と言ってくれるか、「あなたらしいね」と言ってくれるのがいいなあ、と思う。
ホテルのプールに夜に行ったら、非日常っぽさを楽しみ、おいしいドリンクなんか飲んで、わいわい騒いで、品定めすればいい。
「ねえ、あの人、かっこよくない?」
「えー、毛深いよ、手入れしないと上から下までつながってたりしそう」
「ぎゃはは、やだそれー」
…なんて会話が、昔あったとかなかったとか。
ぴちぴちした20代のころなんて、そんなのでいいのだ。誰もが全員、キラキラしている時代なんだから。
ただ…そのころの輝きというのは、他人からしか見えないんだよ、うん。そこがつらいね。
私だって、こんな小太りのおばちゃんで取り柄があるわけでも、見かけが素敵なわけでもない、と自覚しているけれども、それでもやっぱり、面白みのない人だとか、別にどうでもいい人だとか、一緒に歩きたくないとか思われるよりは、楽しそうだな、とか、友達になりたいとか、文章が面白いとか、いい人だなとか、思われたいな、と思う。
こういうのを承認欲求というのだろう。
しあわせそうだと思われたい、輝いていると思われたい…というようなことを考えて、写真を投稿する人が多いという。写真「だけ」を投稿するソーシャルネットワークサービスで、自分の写真を投稿して、「いいね」と言われることが、本当に重要だ、と思ってしまって、実際にしていることや、持っているものを楽しむことを忘れやすいのだと。
例えば、夜のホテルのプールはライトアップされており、写真写りがよくなるので、人気だとか。絶対顔を水につけず、髪をぬらさず、写真を数百枚から千数百枚、撮って奇跡の1枚を投稿するのだということだった。
うーん。そんなに写真撮っていたら、友達とおしゃべりすら出来ないのでは…。ただ、素敵と思われたい…。そのことのためだけに、友達との交流も、あるかもしれないプールサイドの出会いも(ナンパされても、だれも聞いていないとか)全捨てなのか…と思うとちょっと、もったいないような気がする。「いいね」をしてくれるのは、別に知り合いでもなんでもない人ばっかりで、そこから交流がひろがるとかでもなく、「いいね」のやり取りに終わるとしたら。
でもな…もう自分がこんな人間で、このぐらいのことが出来て、こういうことが好きで、こういうことはだめで…とわかっている私ですら、素敵だと思われたい気持ちがあるのだもの、まだ若くて、自分がどんな人間だということがわかっていなくて、いいところも、悪いところもわかっていなくて…誰かが自分を選んでくれるとか、大好きだと思ってくれるとか…ということがなければ、やっぱり「すてきだ」「しあわせそう」「輝くものがあるよね」と思ってもらいたいと思う気持ちが強くなるだろうな、と思う。
でも、他人の、よさそうなことばっかり見てると、引き比べて自分は…と思ってしまいがちではある。隣の芝生は青く、隣の花は赤く、隣の果実は自分の畑のものより、ずっと薫り高いような…そんな気がしてくるから。
だから、自分ももっと、もっと…もっと素敵に見せたくなる。そういうことなんだと思う。
つらくなりそうだな、そういうのって。
写真は、一瞬だけを切り取る魔法で…。
その一瞬だけを見れば、素晴らしく見えても、やはり写真に写らない色々なことが起きている。
奇跡の一枚は、つまり奇跡の1枚であって、そこには非奇跡的999枚が少なくともある。
うらやましい、という気持ちは、持ち続けるのはなんとなく、じわじわと毒される気がする。
どうして私はこうはならないんだろう…という問いには答えはない。
人生は、型抜きクッキーみたいにはなっていないのだ。
人から見れば、自分だってうらやましい一瞬を持っているのかもしれない。
でもそれは自分ではなかなか、わからないから。
そして、どんな人にも、「うらやましくない日常」があると思う。でも、そんなことは写真には、うつらない。
まあ、不幸である…ということは、また別の観点から自慢出来るというのもある。人の不幸話というのは面白いからね…。ブログとか、まとめサイトとかには、そっちの方角へぐっと偏ったものもある。それはそれで、PVを稼ぐという目標があるからだろうけど。
私たちのものの見え方は、とても単純だ。
幸せも、不幸せも…見える形で出されるとよくわかる。
自分に比べて、より幸せそうならうらやましく、不幸そうなら、自分のほうが幸せだと思ってホッとする。
でも結局、どんなことにしろ、なるようにしかならないし、背伸びをして写真写りのよさそうな高い持ち物や、洋服や、体験を手に入れたところで、それがどのぐらい自分を幸せにしてくれるだろう。
「いいね」をしてくれる人が、自分の人生にどのぐらい、かかわってくる人かどうか…ということを考えてみる。
私なら…。自分が好きな人が、仲のいい人が、かかわりのある人が、「いいね」と言ってくれるか、「あなたらしいね」と言ってくれるのがいいなあ、と思う。
ホテルのプールに夜に行ったら、非日常っぽさを楽しみ、おいしいドリンクなんか飲んで、わいわい騒いで、品定めすればいい。
「ねえ、あの人、かっこよくない?」
「えー、毛深いよ、手入れしないと上から下までつながってたりしそう」
「ぎゃはは、やだそれー」
…なんて会話が、昔あったとかなかったとか。
ぴちぴちした20代のころなんて、そんなのでいいのだ。誰もが全員、キラキラしている時代なんだから。
ただ…そのころの輝きというのは、他人からしか見えないんだよ、うん。そこがつらいね。
インスタグラムは、見れば見るほど、人をウツにさせる働きがある、というニュースを見たのでこれを書いたのでした。
ちなみに、わかりやすい記事は【これ】イギリスの調査機関が調べたものらしい(英語)。
14歳から24歳を1500人、調査した結果、インスタグラムを見れば見るほど、取り残された気分になり、気分が落ちるらしい。自分に自信がなくなり、自分の体に対してネガティブなイメージを持つようになり、眠れなくなる人が増えるとか。インスタグラムだけではなく、似たようなアプリのsnapchatとかにも同じ傾向があるらしい。
もちろんほかのソーシャルメディアにもそういう傾向はあるのだけれども、文章中心のツイッターのほうが、そういう効果は出にくいという結果になったらしい。
リアルの関係をね…もっと楽しんで狭い世界でいいから、友達同士で楽しくやればいいのに。そのうち、いやでも、学校を卒業して、結婚して子供産んで…とかになると関係が薄くなっていくんだから。そうなってからバーチャルもやればいい。
スマホを全員が持っている時代というのは、話がややこしくなっているのだな、と思うとちょっと、難しい時期を越えなくてはならない、ティーンエイジャーが、かわいそうになる。
ちなみに、わかりやすい記事は【これ】イギリスの調査機関が調べたものらしい(英語)。
14歳から24歳を1500人、調査した結果、インスタグラムを見れば見るほど、取り残された気分になり、気分が落ちるらしい。自分に自信がなくなり、自分の体に対してネガティブなイメージを持つようになり、眠れなくなる人が増えるとか。インスタグラムだけではなく、似たようなアプリのsnapchatとかにも同じ傾向があるらしい。
もちろんほかのソーシャルメディアにもそういう傾向はあるのだけれども、文章中心のツイッターのほうが、そういう効果は出にくいという結果になったらしい。
リアルの関係をね…もっと楽しんで狭い世界でいいから、友達同士で楽しくやればいいのに。そのうち、いやでも、学校を卒業して、結婚して子供産んで…とかになると関係が薄くなっていくんだから。そうなってからバーチャルもやればいい。
スマホを全員が持っている時代というのは、話がややこしくなっているのだな、と思うとちょっと、難しい時期を越えなくてはならない、ティーンエイジャーが、かわいそうになる。
今日のポケモン
今日のポケモン
ポケモン銀、ヴァーチャルコンソール版、スタートしたけど、違和感があるなあこれ…。私はどうも、金銀を白黒のゲームボーイで遊んだのだと思う。(多分、ゲームボーイライトか、ゲームボーイポケット)カラーだったっけ、状態。白黒にも切り替えが出来たらいいのになー。確か、クリスタルはカラーだった覚えもあるけど。しょうがない、スーファミの「スーパーゲームボーイ」で遊んだ…と思うことにしよう。色の少なさがあれそっくりだ。
最初のポケモンはワニノコにした。当時は、金銀両方買い、まず最初の1本目に、2本目を通信できるところまで進めて、最初の1匹を送って、もう一度最初から2本目をやって…と最初の3匹をそろえるというようなこともやったけど、ヴァーチャルコンソールだと、えーっと…多分3DS2台とソフトが2本あれば、交換出来るか…。うーん。やるなら今最初のうちなんだけどっ。(3DSは2台ある)もう1200円出すべき?
最初の3匹は特にクリアするのに問題ないように、どれもいいモンスターだし…。その3匹をそろえて遊ぶのは面白いんだけどなあ。しまったよねえ…。違う本体に1本でもポケモンのバーチャルコンソールソフト買っとけば、どうにかしようがあったのに…。どれも同じ本体にダウンロードしちゃったよ。(今は、青、黄を所持)
モンスターをサンムーンに持っていくという目的のために遊ぶとしたら、私はもう余るほど、ワニノコ、チコリータ、ヒノアラシを持っている。ミュウも、セレビィも、ルギアでさえ、何匹いたかな、と(多分、5匹ぐらい?)いたぐらいだからねえ…。(ポケバンクとムーバーで鋭意移動中)
そういう意味では、最初の3匹がそろっているとかいないとか、というのは気にしなくていいのだけれど…。どーせ冒険するなら、最初から3匹連れて歩きたーい!!!どうして同じ本体のソフトでも交換できるようにしてくれなかったんだ任天堂ー。
…赤、金をもう1本ずつ買うかな…。
そう…大人になってからポケモンを始めたので、私はXY以前は「一人で交換」をしていた。寂しい奴といえばそうだが、大人のポケモンプレイヤーはとっても少なかった…というか、交流方法が昔はネットがなかったので、本気でオフ会しようと思うと大変だったのよ…。GC版ポケモンボックスが出る前は、ポケモンを保存しておくために、GBA中古ソフトでもう1本なんてこともやったぐらいだ。DS版でGTSが来る前はもちろん、GTS後でも改造ポケモンとか、名前が嫌な感じのをつかむのが嫌いだったからね…。それなら、もう1本分のソフトの代金払うほうがずっと簡単だった。本体2台、ソフト2本(か3本)。
今、ダウンロード版でソフトを2本買っているのもあるけど(XYはそう)、ポケモンバンクに直接アクセスが出来るXYはともかく、VC版は無理があるなあ。
ダウンロードソフトは家に居ながらにして簡単に買えてしまう。買おうか、悩んでいるうちに買ってしまいそう(笑)。
でもなあ。正直いらないといえば要らない…。
いらないとしたら、どの組み合わせで行くのが一番いいかなあ。
152-250までのポケモン、炎ポケモンが少ない(ヒノアラシの進化系を除くとデルビル、ヘルガーだけ)。草ポケは結構いるし、水ポケも多いから、選ぶのはヒノアラシ?「そらをとぶ」と「なみのり」枠が絶対必要だから…空を飛ぶ枠がエアームドで…波乗りは電気水ポケのランターンかな…。
どの道路でいつ、捕まえられたっけ、これ…とかおまけのポスター見てたら結構時間が…。絶対どこかにあった!と思って本棚を探したら、金銀の攻略本が出てきた。古っ。でもこれで何番道路にどれが…というのはわかるから、これでメンバー決めよう。
はじめたんじゃ、なかったの?…と突っ込まれそうな気がするけど、やり直し。1本でバランスよく、ストーリークリアに必要なポケモンを6匹分そろえて、その6匹だけ育ててバッジを取って、残りのポケモンをそろえるのはクリア後というのがいつものプレイスタイル。手持ちに入れて、育て始めると愛着がでて、ボックスに待機させておくのが嫌で、同じポケモンをつい、使ってしまう。
ポケモン金銀、始めた人は、どんな手持ちですかー。