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なぜ逃げてはいけないのか



 この新聞の投書欄の詩が、13歳の子ってのが、深い。とネットで話題になっていた。

 多分だけど、この子は、やらなきゃいけないことがたくさんあって、もうやめたいなあ…と思うことがあったのだと思う。大体、子供の時には、「なぜ、勉強しなきゃいけないのか」とか、「なぜ運動しなきゃいけないのか」とか「なぜみんなと行動しなきゃいけないのか」とかそういうことを考えるものだが、答えはなかなか、明確にはもらえない。

 実のところ、勉強というものは「ある程度まではしなきゃいけない」のは、この社会は「字が読めて」ある程度の文章を理解できることを前提に組み立てられているということが、まずある。つまり、大人になって、便利な社会で暮らしていくとすれば、自分が使える制度というものはたいていが「文章で周知されている」ということ。あとは、こんなに大勢の人間が、強いものだけが利益を持って行ってしまわないように、全員なるべく平等に生きていけるルールも、文章で書いてあって、「大人になれば大体のことはわかるようになって」いなくてはならない。

 計算は出来なければ、生活にすごく不利だし、自分が稼いでくるお金で、どのぐらいのものを買っても生活に問題が出ないかとか、子育てすることを考えると、「経済の初歩」としての銀行の仕組みとか、生物学の初歩とか、理科系の「衛生的な環境とは」とか「栄養学」であるとか…というようなことも、知っていなくてはならないだろう。

 ストレスを減らして、幸せな生活をしたければ、「教養」というものはあっても困らない。音楽の素養、美術の素養、そういうものだって、「まったく見たことも聞いたこともなければ」なかなか、わからないものだ。 自分で音楽や美術の心得があるということはたとえ初歩にしても、人生が全然違うものになる。楽譜が読める、絵の具や、色鉛筆を使ったことがある…。こんなことだって、教育に含めることがまだ出来ない国はある。

 長い人生、周りの人間ともめないようにやっていく技術は大切だ。見て、聞いて、体験して、子供の時はたくさん失敗して、大人になって仕事をするとき、「それなりになんとか」なるぐらいまでは練習がいる。学校は人間関係を学ぶ場でもある。

 確かに、全員がそれでなんとかなるのか、というと、それはないと思う。でも、今のところ、一度に大勢の子供を一か所に集めて教えるこの方式が、「効率がいい」わけだ。コストが低く教えられ、こぼれる子供はいるにしろ少なく、多少画一的とはいえ、一定の年数で、限られたことでも基本でしかなくても、今のところはこれよりいい方法が実現できない。

 大人になって、みんなが専門性のある職業につけるか…というとそうではない。過半数の人間は、それほど能力がいらないが、人力以外では出来ない仕事をすることになる。分業が進んでいて、私たちは自分の食べる野菜や、肉を自分で調達しないし、服は既製品が着られる…ということは、誰かがどこかで、単純労働を担っているということになるのだ。誰かが布を毎日作り、誰かがミシンを毎日かけ、誰かが毎日農作業をしている。どんな労働にも、基礎スキルはいるが、どんな労働も楽しいとは限らない。お金を稼ぐため、ご飯を食べて、頭の上に屋根を置いておくための労働が楽しくないがやらなければいけないのなら、余暇は大切だ。(お金がなくても)芸術が、音楽が、文学が、楽しめるだけの教養はあると違う。

 どんな大人になるか…ということ。自分が、「なぜやらなきゃいけないのかわからない」というようなことから逃げてしまったら、大人になった時に、困る…というか、少なくとも、「給料が高い仕事には就けない」のだということを…つまり、子供のころには「つまんないことでも、オールラウンドにやっておくことが求められる」というのが、なかなか、実感できないのだと思う。

 自分の楽しみを見つけて、「それなりに給料稼げればいいから」と考える人も多いだろう。好きなことだけやって、生きていければ、と。それは、いいと思う。ただし、仕事に就くときに、競争相手が「いやなことでも頑張ってきて、勉強の実績を積み、資格を取った」人だったら、採用試験で競り合ったら負ける、ということは覚えておかなくてはならない。文字に出来る評価基準は、やっぱり「学歴、職歴、技能、資格」。私のほうが人格が優れています、というのは、文字に出来ないので、採用試験の評価には、入らないからだ。理不尽だが、文字に出ない評価というのは、「仕事についてから」しか評価してもらえないものなのだ。

 その人より給料が安いということも、納得できるか。「それなりの給料が稼げる仕事」というのは、実はこの現代、なかなかに就くのは難しい。簡単な仕事から入って、だんだんステップアップする…というのも、昔はあっただろうが、今はさっさと首を切られる事情もある。終身雇用なんていうものは、もうないからだ。

 昔…。食べものを手に入れ、着るものを作り、子育てをして、生き延びていたころは、「逃げる」ことはつまり、危険から身を遠ざけることでしかなかった。そのほかのことには、「逃げる余地」なんかなかった。労働から逃げるということは、つまり自分に不利益が来ることがはっきりわかること。餓死、凍死、そして子供が死ぬこと…とまではいかないにしろ、満足が行くほどは食べられず、寒い思いをするようなことになるのが当たり前だった。働き、食料を、衣料を蓄えること。それが「仕事」だった時代は長い。今は、それが複雑化してきていて、「逃げること」に不利が結びつくということが、はっきりわからないのが、現代なのだと思う。

 たとえば、原始時代なら13歳は労働力。やらなきゃいけないことはわかっている年齢だ。毎日働くことになっただろう。お祭りや、休日はあっただろうが、やらなきゃいけないことから逃げるなんて、思いついたところで許されない。自分の食べる食事、自分で使うものすべては、労働、または物々交換で手に入れなくてはならなかったからだ。

 今、13歳なら、何もしないで、楽しいことだけして1日過ごしても、ご飯は出るだろうし、親御さんが家に住まわせて保護しているので不自由なんて感じないはずだ。それが「保護」であるということも、多分意識していない。将来、たとえば10年後のことも、考えられないだろう。不確定要素が多すぎだ。

 ただ…大人になったら、よっぽどお金持ちで不労所得がある人以外は、気づいてくるものだ。
 お金って、働かないと、手に入らないんだね…。
 家賃って、案外高い…。
 毎日の食事って、割とお金がかかるんだ…。
 旅行ってさー。知らなかったけど、ぜいたくなことなんだね…。
 資格、とっとけばよかったなあ…。
 勉強、もっとしておけば、もうちょっと給料高かったのになあ…
 あの仕事、給料よさそう…。そっちの分野を大学へ行って、やっておけばよかったなあ…
 子供のころに、もっと一生懸命やっておけば、今頃…

 そう。子供のころには、「逃げないでなんでもやっておく」ことが自分の可能性を見つけるのにいい。
 向かないと思ったことでも、「時間をかければできる」ということだってある。ちょっとしたことでも、「出来るように」なっておくのが、人生で後から役に立ったという経験は、大勢の大人がしているはずだ。
 
あんまり、やり直しというのは、きかないものだ。高校も、大学も、学費がいるのだから。
いい高校に入る、いい大学(それも費用が安い国公立に)入るとなれば、義務教育時代にも勉強しておくと有利なんだね…というのが、大人になってからわかるから、自分の子供には、がんばってもらいたいんだよね。
 体を使うことは、子供のころにやっておけば、断然上達が早いというのも、ある。大人になってから、新しいことを覚えるのがどんなに大変か…。 大人がうるさいのには、理由がある。

 旅行に連れて行ってやりたいなあ。かわいい服を着せてやりたいなあ。不自由なく、過ごさせてやりたいなあ。おいしいものをたべさせてやりたいなあ…。

 という親の望みには、全部お金がかかる。 親が望むのは親の勝手もあるだろうが、子供だって、ねだるものねえ。「どうして、XXちゃんの家ではこういうのが買ってもらえるのに、うちはだめなの?」
 そういうことをね…考えると、大人だって「ああ、もうちょっとお金、あったらなあ」って思うものなのよ。
「世の中ね、顔かお金かなのよ」 という傑作な回文があるが、自分がもうちょっと稼げればと思うとき、若い時にもっと頑張っておけばよかったと思うことがある。子供に、「がんばれ、私みたいに後悔するんじゃないよ」と言いたくなるんだな、これが。
 
 まあ、教育方針というものもあるが、ぶっちゃけた話、お金の問題は大きい。子供がはっきりと、「将来には、お金も、いい生活も絶対いらないから、これをやらなくていいほうがいい」と言われたら、たいていの大人はひるむと思う。「じゃあ…やらなくていいかも」と思うからだ。そういう人生もあるよね、ということを、知っているのだから。

 だが…実際問題大人になって、非正規労働で、壁の薄いアパートに住み、冬は寒く、夏は暑く、給料は安く、ほしいものは買えず、食べるのにもぎりぎりで、教養もなく、図書館の本を読んだり、市営のコートで1時間200円でテニスをしたり、美術館を見に行ったり、絵をスケッチブックに描いたりするようなお金のかからない趣味もなく…となった時、本人は、本当に「あの時は逃げたかったんだからしょうがない」と思って、やりなおしたくなったりしないのなら…。

 …と考えたとき、「いや、やっぱりそこは、もうちょっと…」と思うから、「逃げないでやりなさい」というんだよ、ね。

 一度逃げると、ふんばりが利かなくなるという説もある。逃げたら、もちろん達成感は味わえない。自信も、つかない。やはりそういうものは、「自分でやるだけはやった」というところに、形成されるからだ。

 どこまで逃げて、どこまで逃げないか。この判断は、多分、まだ10代では、あまりできないと思う。本当にダメな時は、「逃げる」のではない。「ダメだとわかって戦略的に撤退」するわけだ。でも、やったことがないことが多い年齢だと、「ただ経験が少ないので、うまくいかない」のか、「長い期間やってみたとしても、結果が悪すぎて、ほかのことを試したほうがまし」なのかが、判断がつかない。

 だんだんと「自分の方向性」がわかってきて、「とりかからなくていいこと」がわかってくる。つまり、類似のことを経験して、どうにもだめだったら、これも多分ダメ、と推測が出来る。もう少し、経験を積まないとね、若いのなら。「まだ小さい」のならなおのことだ。
 だから、逃げないで、がんばって試そうね、という意味を込めて、大人は「逃げるな」というわけだ。

 「逃げてはいけない」と言われるのが、イヤ、というのはわかる。

だから、言い換えをしよう。

 「今は、逃げないほうがいい」 とか、「逃げないでやったほうがいい。なぜいいのかは、後からわかる」とか。

 13歳なら、「後からわかる」はきらいだろうな(笑)。

でも、やっぱり、大人にならなきゃわかんないこと…というのはあるものだ。そして大人になった時には、あんまり、やり直せない。

今は、可能性が信じられる、素晴らしい時期だと思うよ。大人になったら、何がしたいか。そういうことを考えられるからね。現状維持と、身辺10mで、生きている大人である私は、そう思う。みんな、どこかに落ち着いていくものだ。それはいいことだと思うけれど、せっかく現代に生きているのだもの…。若い時ぐらい、自分の生活のこと以外のことを、考えてもいいと思う。

 若いっていいね(笑)。 今、私は幸せだ。 若い時に戻りたくはないけれども、確かに…10代のころの楽しさ、輝きというのはある。 でもそれは、そのころには、見えないのだよね。きっと、この詩を書いた子も、「ああ、かわいかったなあ…」と思う日が、来るんだろうな。がんばれ。

 
つまり、人は…。「大人は」なぜ、逃げてはいけないという答えにたどり着いたのか。
私が思う答えは
「逃げて、後悔した人が多かったから」

 ここで注意しなきゃいけないのは、「逃げた人」と「逃げちゃいけないという答えを叫ぶ人」は、同時に存在するときは、かならず、
「別の人間」だということ。
「まだ逃げていない人」は「逃げちゃいけない」と思えるので、これは「同じ人間」だということはある。
 「逃げた人」は、逃げるのが正しいと、そのときは感じて、逃げるわけだが、後で「逃げなきゃよかった…」と思ったとき、「逃げちゃいけない」とアドバイスをする人になるわけだ。

 「逃げた人」で、「逃げて大正解」と思った人は、こういうことをあんまり言わない。「まあ…そういうこともあるよなあ」と、答えを濁す人は、逃げて大正解、またはそれしかなかった、ということを経験した人だ。ただし、その数は「逃げなきゃよかったな」と思ったことがあるひとよりはずっと少ないし、ほかに「逃げなきゃよかった」という経験もしていることが多いので、「一般論として逃げないほうが突破できる可能性は高い」故に…。「逃げるな」とアドバイスするのだと思う。

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    まこ

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