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相模原の大量殺人事件に思うこと

障害のある人間は生きている価値がない。こう思ってしまう人が出るのは、本当に嫌な感じがする。社会の「いいマナー」と「現代の常識」というものに照らせば、「誰でも、生きていける世界」というのが、理想ということになっているからだ。

大体において、昔は、障害が…それも重度の障害があったら、「生きていけなかった」。今のように医療が発達していない時代より、ずっとずっと前、例えば原始時代であれば、健康優良であることは、生き延びることに必然だった。そうでない個体は早死にすることになっていた。大人になれる個体は少なく、幼児死亡率は半分を超えた。「年寄り」とは40代のことで、平均寿命は35年を切ったという説もある。

体に障害があって生き延びるとすれば、軽度であるか、特殊な、ほかの人に出来ないようなことが出来るかということも争点になっただろう。手作業が出来れば、足が使えなくても共同体の一員として活躍できる。頭が特によければ「知恵袋」として、または戦略を立てるのが上手ければ、戦争のブレインとして。

どんなにつらくても、子供は「全員は大きくならない」ものだった。幾人かは死ぬので、「スペア」は大切で、一人っ子なんていう選択はなかった。増えれば増えるほどいい。少なくとも親が2人なら、それより数が多くないと、人口増は見込めない。増えて、グループとしての力をつけること。それが「集団としての人間」が生き延びる戦略だった。「個人」では生きていけなかった。

そういう時代には、「老人」になるのだって大変だ。2016年現在でいえば「若い」うちに死んでしまうのが当然なんだから、知識を蓄える時間は短く、伝えられる知恵は限られ、集合知はなかなか、発展しなかっただろう。
 人類が誕生してから、遺跡の残る文明に至るまでの時間が、結構長いのは、偶然じゃない。人類は、寿命が短すぎて知恵をためられなかったのだ。

 文明が発達して、人間が、目の前の食べ物と、生存のこと以外を考えられるようになって、宗教や、文学や、哲学が出来て…。文字を発明し、思索にふけり、子供たちに知恵を伝えてから、死ねるようになった。「老人の知恵」がいかせる、身体的能力のない個体が、知恵を使えるようになった時代。ひどいけがをして、体の一部がなくなっても、その場で見殺しにされず、生きのびて、経験をいかせるようになって、身体の障害があっても、やっていける、という考え方が出来た。
 
 生活に余裕が出来て、働けない人も「家族だから」と養える時代。子供の生存率が上がり、老人の寿命が延び…。
時代が進んでくると、「こども」に生存権が出てくる。「半人前、後回しがいやなら、働け。育てば、一人前」ではなくて、「大切に育てる」時代になったのが、中世ぐらい。それまでは子供の食事というのは基本、「あまりもの」。働く人が優先だった。働く人が、動けなくなったら「全員飢え死に」。それよりは、「子供が死んでいくが、スペアはまだいる」のほうがましという時代が、終わった。

 強いものが生き延び、弱いものは滅びる。この考え方は、ずっと強かった。なぜなら、それが「全員が体験している」ことだったから。それしか「全員知らなかった」。 
 生き延びること以外のことを考えられるようになったら、宗教や、思索というものが出てきて、それを広める人が出てくる。「弱いものは、守るのがいい」「強いものは、弱いものを虐げてはならない」「病気の人、けがをしている人を助ける人は、すばらしい」。
 
 自分が生存するだけで精いっぱいだった時代から、「よりよく」生きる時代へ。「自分がされて嫌なことは、ほかの人にもしない」「相互扶助」の考え方が受け入れられる時代になってきた。 人類は「野蛮」ではなくなってきた。文化、文明、社会の構造が、洗練されていく。

 人は、「自分も老いていく」のだと…。「突然死ぬ」のでない死に方を目にするようになってきた。人の助けを借りなければ生きていけない年齢を体験する時が自分にも来るかもしれない。人数が増え、余裕が出来たからこそ、生き延びる弱い個体。自分の子供が、そういうタイプだということもあるだろう。自分の体が弱いことだって、あるかもしれない。
 自分が、自分の子供が、体が弱かったとき。怪我をしたとき、病気になった時、老いたとき…。いい扱いをしてもらおうと思ったら、自分だけじゃない。「全員、そうするべき」なのだという考え方が、だんだん広まっていく。これが、近代。

 みんな、原始時代には戻りたくないのだ。土に掘った穴に柱を立てて、雨漏りのする家に住み、非衛生な環境で病気が蔓延し、老人は珍しく、赤ん坊は死んでいく。冬の寒さは致命的で、ちょっとした傷がもとで死ぬこともある。そんな時代に戻りたい人はいないだろう。老人になったら、けがをしたら、「役立たないから、死ね」と言われたい人はいない。
 私が、あなたが、老いたとき、病気になったとき、助けを受けて暮らしたいのであるならば、全員が…たとえそれが生まれつき障害がある人でも、全員がそれを享受できなくてはいけない。 そうでないのなら、どこで線引きをするのだろう。誰がそれを決められるのか。

 だから、この現代に、「当たり前の考え方」を持っている人は、「全員、生きる権利がある」と考えるのだ。自分が、なにかあったとき、排除されないために。自分が事故にあって、半身不随になったとき、市役所から通知が来る。
 「あなたは、市民として不適格と判定されました。安楽死決定が出ています。何日までにXX病院へお越しください」

黙って、身辺整理をして、家族に別れを告げ、去っていけるだろうか。

これはすごく極端な例かもしれない。でも、わかりやすいたとえだと思う。この事件を起こした人は、自分が病気になったとき、ひどいけがをしたとき、そして老人になった時のことをまったく、考えていない。または「俺はそうなったら死ぬからいい」と、とても漠然と考えていると思う。まじめに、交通事故に遭う可能性のことを考えたことがあったなら、現代人なら全員、「誰でも、そうなったときは、手厚く助けてほしい」と思うだろう。全員その可能性はある。そして、事故の被害がひどい結果に終わる可能性があるからだ。

だから、みんな、福祉政策にお金がかかっても、文句は言わない。
障碍者は生きていく資格がない…と堂々と言える人間は、「自分だけは、事故に遭わない、年も取らない」と思っている人間だけだ。

正直、馬鹿だと思う。

馬鹿は残念ながら、死ぬまで直らないということになっているので、のさばらせておくよりないが、考える力を持ったほとんどの人間は、そういう人に影響されないように、そして助け合って、やってきている。馬鹿に、負けないように。 こういうことが起こるたび、自分が強いと思っている馬鹿は、言うのだ。「弱い個体は死ね」と。

人類がやっとここまで、築き上げてきた社会を捨ててはいけない。冬の寒さで村が全滅し、旱魃で何万人もが飢え、子供が5歳になれるのが半分以下…。そんな世界に住みたくないものだ。今でも発展途上の国にはそういう現実がある。強い個体だけが生き残る世界が、まだある。それでも、少しずつ、よりよく…。みんなが協力して、そういう世界を変えて全員が生きていける場所に。それが、「文明」「文化」というものでは、ないだろうか。

 人間の多様性を受け入れていけるだけの文明が発展している現代の私たちは、洗練された文化人である。その自覚を持ち、先祖返りの野蛮な考え方は捨てていこう。そう、思う。

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    まこ

    Author:まこ
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