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毎日更新!LuckyDuckyDiary

いらっしゃいませ。毎朝6時には更新します。さっくり読んでいってください。コメントくださった方はリンクさせてください、相互リンク歓迎、リンクがダメな方は連絡お願いします。

ブログを何のために書くか。

私が普段読みに行っているブログ、【Waraund.50 ふうこ♪のある時ない時+闘魂ブログ】で、7月20日に書かれていた記事「長年ブログを続けている人はもうやめようと思ったことはないのか」を読んで考えたこと。

 時々ブログをやめようかな、と思うときがあるという話で、誰のために書いているんだろうとか、自己満足にすぎないのではないか、とか悩んでいる話が書いてあった。

 私も、改めてそう突きつけられると、答えにくいな、と思う。

 7月の途中から、いつもなら大体2週間は先に貯めておくブログの記事のストックが切れて、2日分ぐらいしかなくなったことがあった。何を書こうか、明日はもう書くことがなくなるんじゃないか、とか思うとちょっと気が気ではなかった(また2週間ぐらいのストックに今は戻っている)。

 でもせっかく「毎日更新」とか題名に入れているブログではあるし、毎日更新しないと絶対更新できなくなると思うので、毎日書きたい。

 書いて何になるのか?と言われると別になんにも、と言うしかない。株式情報とか、投資のコツとか、お得な情報とかがあるわけではないし、読んでためになるようなことが書いてあるわけじゃないからね。

 でも、書くのが楽しいか、と言われると答えはYESだ。大体あんまり頭を使わない生活をしているので、こういう文章を書くのは多分、脳トレになっている気もするし、知り合いがただでさえ少ないので、ブログを読みに来てくれる人と、薄くてもつながりを持てることは、私の気持ちの助けになっていると思う。

 こんな「ブログ」なんていうものがない時にも、私は日記をつけていたことがある。後から読み返すと自分でもすっかり忘れているようなことが書いてあって面白いし、大体日本文学には「日記文学」とか言われる分野もあるぐらいだ。自分の覚書として書いた日記が、その人の死後読まれるようになったなんていう話があることを考えると、やっぱり「他人の日記」というのは読んだら面白いということではないだろうか。

 他の人の心が、垣間見えるような日記を読むことは、読まれる本人には恥ずかしいこともあるだろうが、たとえば鍵付きの日記帳があったり、「隠してあった日記を読まれる」というような話は聞いたことがあるから、やっぱり「どんなことを書いているのだろう」と覗き見るような興味深いものだということは、ネットがないころからのお約束なのだろう。

 私が思っていることを文章にして、もやもやしていることを書いたり、落ち込んだ時にはブログをはけ口にしたりするのは、つまりは紙の日記帳に文章を書いていたころと変わっていない。楽しかった体験や思い出を取っておくために書く。
 つらいことがあったときにも、書く。体験はどれでも、その瞬間が一番新鮮で鮮烈であり、時が経ったらぼやけて、薄れて、忘れ去られていくそういうものだからこそ、文章に書いて残しておくのがいいと思っている。

 読みに来てくれる人も少ないけれども、でもいいの。紙の日記帳と違って、他の人が手に取って読んでくれる、ネットの日記帳は、コメントをもらったり、「私も同じこと考えてる」とか感想を持ってくれる人がいるのがうれしい。

 自己満足でいいんだと思う。世の中の趣味なんてね、ほとんどが自己満足なんだから。世のため、人のためになる人なんて一握りだと思う。

 私はそういう人にはなれなかった。でもきっと、私みたいな人がほかにもたくさんいる、そう思う。

「おまえだけじゃない、みんなもつらいのだから、大丈夫」そう言われて、なんとなく納得した気がしてくるけど、自分だけじゃないからと言って、何が大丈夫なの?というのを読んだことがある。確かに、他の人も同じような体験をしているからといって、今経験しているつらいことがなくなるわけではない。ないけど……

 でも、私だけじゃないと思うと、なんとなくほっとする。そういう効果が多分、ブログにはあるのだと思う。
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残る友達、残らない友達

夏になると、里帰りがある人が多い。
 お盆じゃなくて、まずこのシーズンに帰ってくるのが多いのは、学齢期の子供があるアメリカ住まいの友人。
 アメリカの小学校は6月から夏休み。昔農業国だったころの名残で、夏は農作業で人手がいるシーズン=休み、というのがそのままここまでひっぱっているということらしい。

 確かに「大草原の小さな家」のローラは学校に行くのは冬だけだったりしたものね。

そんなわけで、私のまわりにもちらほらと帰国してきた連絡があった。

 会いに行った友人は、高校の時の友達。それより以前の友達は、もうひとりも残っていない。
 子どもの頃に住んでいた町にも全然行ったりしないので生死不明だし、連絡も取らないし、年賀状も送らないし、なんなら同窓会だって連絡がない(あってもいかないけど)。

 その友達は外国に住んでいるのだが、私のこのブログを読んでいるので、私が最近どんなことをしているか、何を考えているかはある程度見ているのもあって、そんなに久しぶりな感じがしない。
 日常のことや、家族のこと、昔の思い出。話は尽きない。

 ふと、彼女がいった。

 「もう、出会ってから何年?三十〇年になるけど、そのころの友達で残ってるの、まこちゃんだけよ」

えー。友達が少なかった私と違って、彼女は割と高校の時からいろいろな人に囲まれていた感じがする。
 
「あの当時も、別に『私たち、親友同士ね』なんて言ったりしたことも全然なかったのに、ただ、ずっと続いているよね」

 うん……。「ずっと仲良く、親友でいよう」なんていうようなことを言い合った友達はほかにいた。でも、私が外国へ長い間行ったり、お互い子供が出来る時期がずれたり、共通ではない趣味にはまったりして、気が付いたら疎遠というか、SNSでいいね、だけ押しあっている人というのは、ある。

 目の前の彼女は高校の時とさほど変わったようにも見えない。お互い住んでいるところが遠くて、数年会わないなんていうこともざらにあったし、なんなら連絡も2、3年取らなかったこともあると思う。
 誕生日のお祝いもSNSのメッセージにうっかりしなければ入れる程度。

 でも不思議なことに、私はだからといって彼女の友情を疑ったことは一度もない。
 ママ友さんにはお茶のみ友達ぐらいまでは行っている人もあるけど、連絡がなければ「きっと私と出かけるのがつまらないからかも」とか思ってしまうし、長い間連絡がなければ、こっちから連絡をするのはなんとなく、相手に無理強いをするようで気まずい感じがしてくるのだが、もっともっと、長い間連絡せず、遠くに住んでいる同士なのに、「私って、もう友達なんて誰も残っていないんじゃないだろうか」なんてことが頭に浮かんでくるときも、「まあ、彼女は別にするとしても」というのが、頭の片隅に残るぐらい。

 大好きだ、と思う。信用できるし、すばらしい人だと思っているし、でもそんなことを彼女に面と向かって言わないのが日本人的メンタリティ。でも、きっと彼女もわかってくれていると思う。私がどんなに強情で、おっちょこちょいで、口下手でも、それをものともしない。
 私が、失敗したな、と思ったとき、私が仕切りなおして言いなおせば、前の発言は聞かなかったフリもしてくれたりする。
 さっきはごめんね、というと、「なんのこと?」ぐらいにサラッと流してくれる、とてもいい人だ。

 きっと彼女は私がこんなことを考えていると知ったら、「考えすぎよ」とか「ほめすぎ」とかいうのだろうけれども。
なぜ、友達に長続きして残る人と、そうでない人がいるのかは、全然、わからないな…。

 彼女と別れてから電車に乗ったとき、そう思った。また、会いたいなあ。

 とはいえ、外国は遠い。今度会うのはやっぱり、2、3年後になりそうだ。
 

組体操の話

運動会、うちの近所の小学校ではまだ9月だが、近隣の市町村では5月の終わりとか、6月にやる学校も増えてきた。
今日のブログはママ友さんたちの間で話題になったとき取っておいたメモから。

 組体操というのは、3、40代から上だとほとんどが体験したのではないだろうか。
ほこりっぽい運動場に、裸足で並ばされて、校庭いっぱいにレイアウトされ、二人組からスタート。
1人がもうひとりを肩車して、笛の音で下の人が上の人の両足の間から後ろに頭を抜き、前の人の太ももあたりを支えて、上の人は下の人の太ももの上に足を置き、前にせり出した形になって完成の「サボテン」あたりが2人組体操の高難度だろうか。

 3人組になると、スタートは同じく肩車で、上に乗った人が、下の人と向かい合わせになった3人目の肩に手を置いて、下の人が後ろに下がって上の人の足首をぐっともちあげて作る「橋」だとか、向かい合って両肩にお互いの手をのせて組んだ人の上に一人が立ち上がる「神輿」(名前はうろ覚え)とか。

 4人組の技で難しいのは、輪になって肩を組んでしゃがんだ3人の肩の上に一人が乗り、笛の音で下の3人が立ち上がり、そのあとの笛で上の一人が立つ、「タワー」。

 このあたりで、集団演技に移って、6人、3人、1人のタワーのまわりを、人数が少なめの演技で囲む形になって、最後が大ピラミッドとその両側に並ぶ小ピラミッドで終了というのが私が経験した演技。

 今書いていて思ったけど、危ないよね、ほんと。もちろん上に書いたもの以外に、手をつないで扇の形を作るのとか、膝をついて座って手をつないで花のように広がって反るとか、危なくないものもあったけれど、運動神経が悪かろうと、平衡感覚が悪かろうとともかく全員参加だった。

 私は体格的にはそれほど大きくなかったので、大ピラミッドだとか、タワーだとかでは中の段を担当することが多かった。
 ピラミッドも、昔のは四つん這いになって、全体重を下の人にかけるタイプだったし、中学校の時はピラミッドの一部が崩落したのも見たことがある。誰かが手首を折ったという話も一度聞いた覚えがある。

 これが、親になった今、考えると正直なところ、すごくやめてほしい。去年、隣の学校の、幼稚園が一緒だったお子さんが頭を打って病院に運ばれたという話はものすごい速さで伝わった。(ちなみに、骨にひびが入ってしばらく運動禁止になったそう)うちの息子は体格が小さいのでうっかりするとピラミッドのてっぺんになりかねない。あんまり運動神経もよくないから、大丈夫だって、とは思えないのだ。

 ……と思っていたら!うちの学校の組体操は、近隣の事故例が多い話と、教育委員会の指導だか何だかにより、どちらかというとダンスとかに近い構成になったらしい。「扇」はあるそうだが、まああれはね…全員の足が地面についている状態だし、主な見せ場は全員が輪になったウェーブ(立って、腕の上げ下げで作る)らしい。で、一番難易度が高いのでも、四つん這いになった人の上に立つのと、2人横並びで片膝を立てた人の上にひとりが立つぐらいらしい。

 まあ…そのぐらいなら大丈夫でしょう、うん。

 あれで忍耐と協調が学べるのだ、親の世代だってみんながやったのだからやらせろ、という意見も依然根強いらしいが、運動会の練習をやるだけでも忍耐の訓練には充分なると思うよ…。協調だって大体日本の学校では給食当番だの掃除だのだってやっているのだから十分だと思う。授業にグループワークもあるし。

 怪我の危険まで冒してやらなくていいと思うよ、本当に。
 ちなみにネットで調べたら、最初は体育大学の生徒さんたちがやったらしい。

まあね……そんな大学に入ろうと思うぐらいなんだから、運動神経は全員いい人だっただろうし、体育の好きな人ばかりだったんだろうから理解できる。そういうところでなら、まだやってもいいと思うけど、筋力がそれほどない小学生や中学生が全員でやるのはもう、やめちゃってもいいのにと思う。
 せめて志願者だけやるとかさ。今年は組体操の志願者がいないのでダンスにします、でいいと思うのだけど。

遠くの歌

いい表現だなあ、と思ったのがこれ。
  北京で哲学を研究していた胡さんは1980年代、「言論の自由を論ず」という論文で大きな反響を呼んだ(中略)この論文づくりに着手した70年代は、考えを深めようにも周囲に欧米の文献がなかった。ロックやミルといった思想家の名前は聞いたことがある程度。「遠くから歌が聞こえるが何の歌かわからない」という感じだったそうだ。
朝日新聞2019年6月5日夕刊記事「天安門事件から30年 抑圧から生まれる自由の思想」 村上太輝夫さん より抜粋

 「遠くから歌が聞こえるが、何の歌かわからない」
すごく、わかる感じがする。

 大勢が声を揃え、連帯の歌を歌っている。勇壮に、高らかに、人々を勇気づける歌を。
 自身を鼓舞し、一人ではないのだということがみんなにわかるように、湧き上がり、広がる歌が、遠くで聞こえる。

 その主張に自分も加わりたい、その連帯の一員になりたい。そうあこがれる気持ちを誘うようなその旋律が途切れながら聞こえてくる。遠くて、たどりつけないようなところから。

 まだまだ社会には未解決な問題があって……。当事者になるのはなかなかに難しい時もある。
でも誰かが歌を歌い続けることによって、少しずつ変わっていく。みんなが寄り集まって広がっていく。そういう絵がこの文章から見える気がした。

 いい文章、いい表現というのはすごいなあ。当たり前の言葉しか使っていないのに。
 あこがれるなあ。こういう文章が書きたい。

給料は昔、高かったのだねえ。

新聞のニュースで、関西の私鉄、阪急電車が電車の中吊り広告に出した言葉のうちいくつかが、評判が悪かったので取り下げたという話があった。
 特に評判が悪かったのは、こういうのらしい。
毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか。

研究機関 研究者/80代

 (出典は、株式会社パラドックスというのが著者になっている、「はたらく言葉たち」という本から)
うーわー。かーねーもーちーーーー。と思った。だってね?私が20代半ばで独り暮らしで働いていたころの手取りは17万とか18万とか。確か新入社員の時の最初の給料は手取り13万5000円程度だったはずだ。自分で手取り分で30万円も稼げるようになるとは全然思っていなかった。18万ぐらいだったときだって、天引きで貯金だってしていたし、自分で家賃払ってご飯食べて、ついでに友達と時々旅行だってしていたし、ほしいものだってある程度は買っていた。「こんなもんだな」と思っていたのだ。

 額面でなく、手取りで30万円と言えば、もう30代から40代の男性が家族手当とかコミで稼ぐ給料だと思っていたし、忙しかったものの「ふつーの事務職」で稼げる給料とは思っていなかった。バリバリ営業事務をしている、誰もが認める会社で一番の事務系の50代お局様の給料だって手取りだったら50万行くのか?という感じだったという小さい会社だったのもあるだろうが、手取りが15万なんて珍しくもなかった。

 手取り30万もあれば、大抵の人はそれなりに暮らしていける。たとえ誰かを養う立場にあっても。この現代には、体がつらくなく、合法的な仕事ならば、嫌いな仕事でも手取りに30万円もくれるのなら文句は言えない。若い世代ならなおのことだ。嫌い……というか好きではなくても、慣れてくれば淡々と働くのに支障はない。手取りが30万なら、額面だと35万ぐらい?そういう給料で働いている人、結構多いはずだ。
 仕事は楽しいに越したことはない。それは確かにそう思う。でも楽しくなくても生きていくのに必要な分は稼ぐことになるんだから、楽しくなくてもやる。そういうものだと割り切ることにしている人が多いから、こういう言葉は、大多数の人が感じているところから「ずれている」と言われるのだと思う。

 それに、手取りが50万もあったらね?仕事に生きがいなんか求めなくていいんだよ。なぜそこで生きがいを仕事に設定するわけ?それだけお金があったら、趣味に使える金額だってあるんだから、仕事は生活のためと割り切って、もっと楽しいことをすればいいのだ。これは50万もあるのに、生きがいを見つけられないっていうのが問題だと思う。
 私だったら、ひと月の可処分所得が50万もあったら、必要経費を抜いて貯金しても絶対、何万円かは使えるとなれば、ほしい本があったり、やりたいことがあったり、でなければ旅行だってこう…とかまあ、いろいろ頭に浮かぶわけだ。

 きっと、みんなもそうだよね?
 そうなるとこの言葉を出した人に、仕事で燃えつきてるの?とか問い詰めたくなるってことだ。

 そう思いながらニュースを新聞で読んでから、もう一度このブログにそれを写そうと思ってから、この言葉が誰から発信されたかを見た。80代、かあ…。
大体研究職というのは給料高いもんねえ。プラス80代ってことはあの高度成長時代+終身雇用の恩恵をフルに受けた時代でもあるし、もしかしたらバブルのあの頃に退職金+再雇用の時代かもしれないっていうこと考えたら、こういう考えが身につくんだろうけど。

 今の時代には、そぐわないよねえ。反感やむなし。他の、もっと感動的なものや、共感できるものもあるようなのでこれ一枚だけを取り上げるのはちょっと恣意的ではあるが、これにチェックが入れられなかった広告担当の人の給料も高そうだな、と思った。

スズランの花

この花は英語では「Lilly of Valley」というらしい。日本語ではスズラン。
 
 日本では蘭の一種みたいな名前で、英語だとユリっぽい?
 雨の中をぼうっと歩いていて、「この葉っぱは雨をはじくんだなあ」なんて思って撮った。

 この植物には毒があるらしいのだけれど、とてもかわいい花だし、食べるわけではないのならいいよね。
 そういや、この花が好きだといったら、毒があるのに好きだなんて変だと私のことが嫌いなクラスメイトにいちゃもんつけられたことがある。小学生の時だ。
  
 彼女は私と幼稚園が同じで、私をさんざんいじめて、隣の小学校だったのでほっとしていたら途中から転校してきて、またいじめられた覚えがある。気が強くてなんでもずけずけ言い、周りの子を従えて私を仲間外れにしようとする子だった。
 はっきり面と向かって嫌いだと言われたこともある。でも、理由は不明だった。
 いつだっただろう、私が勉強が出来るのがイヤだったというような話をちらっと耳にはさんだ。中学の途中だったと思う。
 彼女も相当できたと思うんだけど……まあ、私はあの頃はテキトウにやっていても点数が取れたころで、定期テスト前にクラブがなくなったら大喜びで図書館に通っていたからなあ。周りから見たらふざけているように見えたかもだけど。
 私は当時は勉強なんか出来て当たり前と言われて育てられていたので、何が問題なのか全然わかっていなかったから余計神経逆なでしたかもだけれども、正直他人のことまで気なんか配れないタイプだしねえ。それはもう今も同じだけど。

 でももう、そんなことだって忘れちゃっていいのだ。
 全部、忘れてもいい。もう30年も前のことで、私はその人とお付き合いもない。あの町にも滅多なことで足を踏み入れない。
 あの頃の私は、ただただ日常を淡々とこなしているだけだった。

 大人になって結婚して、住むところも移って、子どもも出来て……。
  その子があの頃の私と同じような年齢になって。 
 
 年月が経ったんだなあ、と雨の中のスズランのにおいと傘に雨粒が当たる時の音にしみじみした。

ふつうの生活ってどんなのだろう。

出かけた先でこういうポスターを見かけた。
 まあ、大体言いたいことはわかる。

 これはつまり「働いている人」用のポスターだよね。長時間労働をなんとかしましょう、ということだと思う。
 「ふつうに暮らせる」って難しい。
 贅沢をせず、お菓子なんか珍しいぐらいで、旅行は数年に一度ぐらいしかせず、車はない。つまり私が子供の頃はそのぐらいでも「普通」と思われていたものだったし、おさがりを着ている子どもも多かった。自家用車はあっても、お父さんが通勤に使っていて普段は家にない家も多かったものだ。
でも、今の「普通」はなあ…。自家用車あたりまえ、子どもを進学させるときに塾も当然、高校、大学が私学なこともあったり、旅行も年に1回か2回ぐらいは…。スマホ本体3万なら安いほう…なんていう生活をしていても、それを「ぜいたく」と思うだろうか。
 それを「割と普通」と思っている人たちも結構いると思う。

 献血で景品にくれるTシャツを一張羅にしていたことがあるぐらい貧乏だったことがある私は、切り詰めた生活というものがどういうものか知っているつもりだが、それもまた、「割と普通」と思っていた。

 多分稼げる金額は、ある程度あれば満足度は途中からは変わらない。絶対足りない…のも困るけれども、食べるものが贅沢しなければお腹いっぱい食べられて、毎日風呂に入って、洗濯が出来て、ひどく目立たない程度に服が買えれば…やっぱりどのぐらい満足できるかは考え方にかかってくる気がする。
 
 昔の「普通」は、もっとお金がかかっていない気がするなあ…。普通って、どのぐらいの幅なんだろう。
 お金をかけるところにも個人差があるだろうし…。車も「このぐらいは普通」と言っているお友達の車、300万ぐらいするらしいからね…。夫はこないだ、ネットでキャリアを変えたら100円でスマホをくれるというのを見つけて大喜びして契約していたが、こないだ近所のショップで宣伝していたiPhone8は、割引しても端末の値段が3万円とかだったし…。

 考えれば考えるほど、「普通の暮らし」というのはわからなくなっていく気がしたのだった。
  


運転をしない理由

大津で起こった交通事故――2台の車が衝突して、吹っ飛んだ車が歩道に突っ込んで、保育園のお散歩の列にぶつかり、重傷、または亡くなった――みたいな話が出たとき、思い出すことがある。

 それは、山田さん(仮名)のこと。この人はうちの母と数歳違いで、私がよく話を聞いたときは40代後半から50代という年齢だったが、この人はしょっちゅう事故っていた。
 そして近所のうわさになる。
 「山田さん、また事故ったの?」
…と言われていた。つまり、自分のうちの車庫の壁にこすっているうちはまだかわいいほうで、近所の曲がり角のブロック塀に接触するとか、歩道の縁石に乗り上げるとか、交差点で接触した…とかまあ、死亡事故とかではないし、ケガをするのは山田さんご本人が多く、なおかつ軽傷。大したことではない……ないのだが、その頻度がちょっと、多かった。年に一度は聞いたと思う。

 私はもう40代…というか50歳のほうが近いぐらいの年齢だがいつも迷ってきた。運転しようかな、どうしようかなあ、と。
 あれば便利だしなー。マンションに駐車場もあるしー。あえて言えば維持費は結構かかるが、自分の車があればいいなと思うときは時々ある。雨の日とか、雪の日とか!

 でも、いいかな、と思うたびにこの山田さんのことが頭に浮かんでくる。
 そりゃ大した事故じゃあないかもしれないよ?でも、いつか…うっかりして人でもはねたら、ねえ…。と思っちゃうわけだ。
 私はあんまり運動神経がいいほうではない。これは今まで生きてきてずっとそうだったし、ゲーマーとはいえFPSなんか遊んでもとっさの判断でうまい行動が出来るほうかと言われると微妙だ。
 これから訓練したらとっさの判断が早く出来て、いいアクションが出るか…というと正直言うと心もとない。

 大津の事件も歩道にはねとばされた車はもちろん、不可抗力で突っ込んだのだろうけれども、大体衝突しなければそういう風にはならなかったはずだ。ブレーキとアクセルを踏み間違えてお店に突っ込む車のニュースも読んだことがある。
 でも、「私は大丈夫」とは思えないんだな…すごく、やりそうな気がする。
 そしてああいうことというのは、失敗したときにやり直しがきかない。進むはずのない車が突然猛スピードで進んじゃった時、私は気を取り直してブレーキを踏みなおせるだろうか。

 多分、無理。

 やっぱり運転はしないほうが無難だなあ…。

ちなみに風のうわさで山田さんはガンでなくなったと聞いた。交通事故じゃあなかったらしい。
 いや、それでもねえ…。

 ちょっと残念な気もするのだが、運転はあきらめようと思う。幸いここは割と便利な町なので車の必要性は低い。
 
 歩道を歩いていて事故で亡くなったなんて、どんなに無念なことだろう。冥福をお祈りしたい。

なぜ制服を着るのか

新聞の投稿欄で、4歳の娘さんをお持ちのお母さんが、「なぜ制服を着なきゃいけないのか」と娘さんに聞かれて答えに窮した、本当に制服に必要性はあるんでしょうか、という投稿をしているのを読んだ。

 これは実のところ、お子さんが4才ならば、大体こっちの答えの方が悩まなくていい。
 「幼稚園を作ると決めたとき、お揃いの服を着せたらいいかな、と思った人がいたのよ、きっと」
 
うそではない。誰かが、制服を決めようと思ってルールを制定したのだ。ちなみに、大人の場合は制服を着る意義のほうを考えてしまうのでたとえば個性がどうのとか、経済的事情がどうのとか、服装による自己表現のなんたるかであるとか、または学校の生徒を見分けられて、不良行為が減るとか?というようなことが頭に思い浮かぶが、小さい子の場合は「なぜ」と質問の形をとっていても、考えていることがもっと単純であることが多い。どちらかといえば、「制服って、なに?」という定義を求めることの方が多いのではないだろうか。

 こういう質問に「制服がいいのか悪いのか」みたいなことをからめてしまうと、答えに窮するのは当たり前のことだ。なんせ相手は幼児。自分の主義主張はないわけではないが、かなり単純で、善悪の判断もまだ、白でなければ黒?ぐらいで、グレーがあって、それにも段階があって、人の見方によってはいろいろあって…などという複雑なものはまだ、理解が難しい。

 この投稿欄の制服の話の場合は制服がある幼稚園に通うお子さんの話で、この「なぜ制服を着なきゃいけないの?」という質問が出ることになったのかというと、多分、こんな感じ。
 4歳のお子さんというのは、自分が着ていきたい服があったら、そう言える年齢だ。お友達に、大好きなプリキュアのトレーナーや、かわいいスカートが見せたかったりすると、制服なんて地味なお洋服は魅力的に見えないものだ。「今日はこのスカートがはきたい」というだろう。
 姪なんか、靴下がレースじゃないと幼稚園に行きたくないとか、お花柄のティアードスカートが絶対いいとか、ダダをこねていたことあったものだ。洗濯しないといけないのに、同じ服を着たがるので、義母が大急ぎで同じようなスカートを作成する羽目になっていたが、つまり「好みがうるさい」お年頃だ。

 こっちじゃないとだめよ、と制服をお母さんが出したとき、「えー?どうして制服じゃあだめなの?」とこう来るに決まっている。そこで、(えーーっと、決まってるから、って言っちゃっていいの?)と投稿欄のお母さんは思ったのではないだろうか。
 自分で、自分のしたいことを決めましょうという教育は昨今、当たり前のものだし、選択肢がある時には選ばせる練習をしておかないと、自分のしたいことが分からなくなって、将来進路を決めるとき困りますよ、とかね、そういうことを子育て中の人に向けたアドバイスに出す人はある。だから、お母さんは迷うのだ。
 
 この投稿欄のお母さん、多分お子さん一人目だと思う。
 子どもと一緒に、「そんなこと」に付き合い、制服を納得して着てくれる答えがないだろうか、と悩んでいるからだ。
 これが、子どもが2、3人いる、出勤直前のお母さんだったら、そんな余裕はない。
 「はいはい、そう決まってるからよ!着ないと出かけられないから、急いでちょうだい!」で終了だ。

  制服がないならないで、好みがうるさいお年頃のこと、時間がかかるのは制服がなくても同じだ。
 今年からお子さんが中学校へ行った娘さんがあるお友達は、「朝が楽よ!家の中のものが朝に散らからなくなった」と言っていた。つまり、あれでもない、これでもないとクローゼットや引き出しをあさり、服を着てから靴下の色だの、小物の雰囲気だのをあわせ…などというおしゃれさんだったのが、「着るのは制服一択!下着は白かベージュで、靴下は学校の規定の、髪留め禁止、黒いゴムだけ!」になった結果、朝の支度が短縮されたと。

 つまり、制服を着なくてはいけないのか、という主義主張の問題は、制服を着ない場合は、「どうしてこの服がダメなの?」という質問に(たとえば、おもちゃとして売っている、ディズニーのお姫様ドレスとか、プリキュアのなりきりパジャマとかそういうのも着たがるものなのだ、小さい女子は。)変わるだけ。結局どんな意見があろうとも、制服ならそのうち子供は慣れてしまうし、朝の支度は短縮され、さっさと出ていけるようになるので、重宝されているだけじゃないのかなあと思う。

 うちの子は真摯に話をすればいつでも、わかってくれましたよ、なんていうステキな当たりパターンを引いた方々もあるだろうが、大抵の場合はあれは「いつでも」じゃあ、ない。それどころかなんでもイヤのいちゃもんつけ放題か!というパターンだってあるわけで。

 服装で個性を表現する。意見を尊重されることで自己評価が上がる。こんなことを言うと、それっぽい気がするんだけど、でも服装よりも、内面で個性を表現することもできるし、社会のルールをある程度飲み込み、周りとの軋轢を少なくする練習をするのだって、必要なことだと思う。

 マンツーマンではない学校制度に適応出来る子どもになるのは、この社会で生きていく以上、大切なことだ。昔のように家に学者がやってきて、ご進講していた時代ならともかくも。
 制服は、親が「ないほうがいい」と思えば、制服のない幼稚園にいれるほかないだろうけれども、まだまだ制服のある学校は多いからね…。進路が「制服ごとき」で狭まることを考えると、私は「どっちでも」でいいと思う。

 あんなもの、慣れるから。制服を中高で6年は着たが、別に着たからといって体に悪いという話もない。家にいるときに好きな格好をすればいいのだから。
 今日の話はつまり、4歳と服の議論なんかしてもはじまらないってこと。
 4歳は、自分の着たいものが今、着たいのだし、ダメと言われれば、なぜダメなのか、その意見は覆らないのか、とせっつくだろう。親に時間と忍耐強さがあれば、納得するかやってみればいいけれど、答えは親がその意義を考えて意見を決めたとしてもそれが4歳の頭で理解できるかどうかは、微妙なところだ。

 制服を着るのなら、幼稚園に行かない、というときに気にしなくてはいけないのは、そんな理由を付けてまで、行きたくない理由があるのか、ということのほうであって、ただ服の話だけなのだったら、家に帰ってから、その服を着たい理由が満足するようにしてあげるほうが手間が省ける。「今は、こっちを着てね、家に帰ったら、その時はそれを着ようね」とか、誰かに見せたいのなら、幼稚園が終わってから一緒に遊ぶとか、そういうこと。

 穴が開いてしまった靴下の、足首のレース部分だけ取ってゴムを縫い付けて、「レースのない靴下はイヤ」というときのためのレース取り付け部品を作っていた、あの頃を思い出して、私は、こういうおしゃべりをして、「本当に、女の子ってオシャレすぎなのも困るわあ」なんて言い合える相手が、投稿した人にあるといいのにな、と思ったのだった。

 

ドキッとする引きこもりの定義

 3月の半ばぐらいだっただろうか。引きこもりの人数が増えているという話が新聞に載っていた。
 学校に行かず、仕事もせず、家族以外と話をしていない、部屋から、または家から全然でない人たちを「引きこもり」というのだが、今回の統計ですごく増えたのは、この引きこもりの人数に、「家事手伝い」という名目で家にいて外にでない人も数えるようにしたり、家から出ない人のほかに、「コンビニ(ぐらい)なら、買い物にいく」という人とか、「自分の趣味関連だったら、外出出来る」という人まで、数えることにしたかららしい。

 私が趣味関連で家から出たのは、多分、2ヶ月ぐらい前の手芸好きの集まりだったはずだ。電車に乗って買い物に…もあまりいっていない。
 この2週間ぐらいは、確かに家族としか話していないと思うし、買い物以外家から出てない…かもしれない。

 もしかしてかなりこれ、今回の引きこもりの定義に近いのではないだろうか。まあ、さすがに家事「手伝い」ではなく、掃除洗濯料理を全部引き受けており、ほとんど毎日スーパーに買い物に行く人を引きこもりとは呼ばないとは思うが、それでも引きこもりの定義を読んだときにちょっとドキッとするぐらいには、外に出ていないよねえ、私。

 専業主婦に買い物以外の外に行く用事がないのは、割と当たり前だとは思うけど、脱ひきこもりをしたいとすれば、足りないのは何だろう。
 散歩か、誰かとお茶を飲むか、ランチぐらい…?いや、散歩はちょっと違うかも?足りないのは、誰かほかの人との交流だ。

 子供が幼稚園でお迎え必須だった頃は結構同じ幼稚園のお母さんたちの間でランチ会をやったけれども、最近は全然だ。

 お仕事をしている人も結構多い。フルタイムではなくても、休みが不定期な人が多いので、すぐ誘える人は限られてくる。

 専業主婦をしているママ友さんに連絡してみた。新学期もそろそろ落ち着いたし、どこかでお茶か、ランチしない?と。手芸をする人なので話は楽しいし、子供も同じ年齢でインドア男子、割と共感度が高くなりやすい人だ。

 彼女は「今日でもいい?」と、なんだか予定はあっという間に決定。
 さっそく喫茶店でお茶を飲んで、サンドイッチを食べながら話をした。彼女は、「最近全然外に出ていないのよ、これはやっぱり気分を変えて外出しないと、と思ったから、誘ってくれてよかったわ」とよろこんでくれた。
 うんうん。私もそうなんだよ、そう思って声かけたんだあ…。

 主婦は自分で使える金額が少ない。家計の状況も自分でわかっているし、自分一人しか楽しめない、家族にメリットがないことにお金を使うのにためらうところがあるからだ。この500円あったら、夕飯の材料が…。いやそれとも、果物だってバナナじゃないものを子供に出せるよね、いや、それとも小鉢にちょっとマグロの切り落としでも出してあげたら、パパ喜ぶよね、とかそういうことが脳裏によぎっちゃうので、ケーキとコーヒーで800円とか、ランチで1000円とかがなかなか、ぱっと使えない。

 もちろんうちの夫は「そのぐらい、もちろん出していいよ、行っておいで」と言ってくれるのだけれども…。
 久しぶりに外でお茶を飲み、いろいろな話をした。
 今日あったママ友も、専業主婦なだけあって、本当に共通点が多かった。冬の間に寒くて家に引っ込んでいたら、気が付いたらずいぶん家族以外の誰ともほとんど交流がないこと、彼女も新聞で読んだ引きこもりの定義を読んでドキッとしたことも。

 こっちから声をかけないと待ってるとこないものね、とお互い苦笑した。
 きっとこういう人は、静かで気が付きづらいけれども、いっぱいいるんだよね…。
 毎日家事して、一週間に1回か2回、車でまとめ買いの買い物をしていたら、買い物する日以外は「あれ?私今日家から出たっけ」となるし、銀行、役所関連、学校関連の用事はともかくも、自分が「趣味で行くところ」なんてある?ないよねえ…?とふたりでうなずきあう。
 主婦というのは家の中だけで仕事がほとんど完結するため、大勢でやらないといけないような、例えばバレーボールとか、サッカーとか、オーケストラとかコーラスとか…みたいな趣味がなければ家で一人で過ごすことになりやすいんだよね。
 いうなれば、「在宅勤務」なわけだからさ。

 「ひきこもり」の定義には、多分在宅で仕事をして生計を立てていて、家からそういえばほとんど出ないや…という人は多分含まれていないと思うんだけどね。どうなんだろう。

ハイヒールは履かなくてはいけないのか

最近、「かかとの高い靴を女性だけがはかなくてはならないというのは、差別なので反対」という運動があるらしい。
就業規則にそういう規定があって、女性だけが靴を自前で用意しなくてはならないのは差別だという運動がカナダだったかな?どこかでやっていたのはもう知っていたので、つまりそれが日本にも来たってことだなと思う。

 カナダの人は、ウェイトレスをしていて、男性の就業規則には、服装規定があるが、服は職場から支給で靴は指定なしだが、女性は靴にも規定があり、靴は自前なのは差別だし、なおかつそれがかかとの高い靴でなくてはいけないのは立ち歩く仕事において苦痛である、歩きやすい靴を履かせてほしいということで仕事先を訴えたことでこれが大反響になったということだった。

 日本人の運動は、就職活動の時に女性がパンプスを履かなくてはならないのが苦痛だということで始まったらしい。
 わかる。実のところ、私はかかとの高い靴が苦手だ。就職活動の時は見かけが間違いなくチェックされるので仕方なくはいたが、なるべく高さが低いものをください、と靴屋さんで頼んで、3センチのものを買って履いた。

3センチというのは多分女性用パンプスのかかとの中で一番低いもので、これより低い靴は「かかとのついた靴」と認められないぐらい。それでも普段より高いのは確かで、だんだん前にずれていく足のつま先が、靴の先にぎゅうぎゅうになってかなり痛いし、慣れない靴で長距離…どころか、短距離だって歩くのがかなり苦痛だった。

 おしゃれな友達は、5センチや、7センチのヒールを履いていたし、11センチヒールを履いて歩いている友達をみたこともあったけれども、みんなどうやって我慢しているのだろう…と不思議に思ったものだった。
 たいていの人は「なれたら平気だから」としか言わなかったので、謎に終わったけれども。

 結局そういう靴に慣れないまま就職活動を終えて、通勤はかかとのない黒い靴、つまり高校の時の制靴とさも似たりなスリッポンを履いて済ませて、そのあと中年になってからひざを痛めて、今はもう冠婚葬祭でも黒いペタンコの革靴を履くようになった。私はもう多分一生、ハイヒールを履かない。

 あれはものすごくはき心地が悪い。慣れていなかったら5センチヒール程度でもつま先が流血する人もいる。
 ヒールが細いと、意外なところで敷石のスキマとか、マンホールの穴とかにひっかかるし、接地面積が狭いのでかなり不安定な靴で、竹馬ぐらい(…というのはちょっと言いすぎ?)に慣れが必要なものだと思う。

 ちゃんと磨いてあれば、かかとのない靴で接客してもいいことにしてくれないかなあ…と思う。
 立ち歩く仕事の人、外回りで歩く人ならなおのことだ。
 事務職の場合は会社内で靴を履き替えて過ごすことも出来るので、その問題は回避できるとはいえ、営業が得意な人を、たかが靴の問題で内勤の事務職にしておくのはもったいないと思うのだけれども。

 この運動には大賛成だ。
 なんなら、最近は25センチから上のサイズの女性用の靴もちゃんとあるのだから、男性もお試ししてみればいい。その不安定さと、そんな靴で歩くことの効率の悪さと、痛みと不便さにびっくりするだろうと思う。
 おしゃれしてデートの時に履くのは好みの問題だが、仕事の時はなあ…。

そういえば思い返してみると、アメリカで仕事の時ハイヒールを履く人が少ない理由は多分、危ないから。
 何かあったとき、逃げにくい靴なんだよね、ハイヒールって。地下鉄の治安のことを考えると…。多分、オフィス内用にハイヒールを持ち、スニーカーで通勤する人のほうが多いと思う。

珍しい名前の話

子どもの学校で、新しい先生の紹介がある。
 先生が、自己紹介をしたとき、「ざわっ」と保護者席がざわめいた。その人は、「松田聖子」みたいな、アイドルと同姓同名だったのだ。(松田聖子さんではなくて、他の人の名前だったけど)

 その先生の懇談会での自己紹介が面白かった。「親が、同じにつけたんですが、子どもたちに言ってもあんまり反応がなくて、ひさしぶりにこういう反応がうれしかったです」と。なるほど…私たちが20代だったころにアイドルだった人は、今ではほとんど知名度がないものね。「今日子」、「洋子」とか「有希子」、「明菜」とか、確かにありそうな名前だし。

 ネットでは、「きむらたくや」という名前で、あのキムタクよりはぐっと年上なので、実は自分のほうが先に名前をつけてもらったのに(多分この人が生まれたときはキムタクはいなかった)、病院とかで呼ばれるたび、ばっ!と注目が集まるのが嫌だ、という投稿記事を読んだことがある。なるほど、アイドルが割と珍し気な芸名を付けるのには、意味がある。

 まあ、タクヤだの聖子だのの場合は、珍名というほどではないだろうが、3月半ばごろ、割と話題になっていたのが、「王子様」という本名の人が、「肇」さんに改名した、という話だった。
 甥姪たちが小さかった頃は、多分キラキラネームと言われる、珍しい名前をつけるのが流行った時期で、保育園の名簿には、「王子」「騎士」「皇子」なんていうお子さんが散見されたし、(おうじ、ないと、プリンス、など)、ルフィ君や、ナルト君、コナン君もいたぐらいだから、「王子様」がいたところで、それの亜種ぐらいの扱いだったのだと思う。

 それと、昔…もう題名も覚えていないが、脇役として、苗字は普通なのだが、名前のほうが「サマ(漢字失念)」という子が出てくる児童文学も読んだことがある。軍隊経験のあるおじいちゃんが、偉そうな人からどんなに呼び捨てにされようと、「様」がつくのがいいだろう、とつけたという名づけの理由も本の中で解説されていた。少なくとも30年から40年は前の本のはずだから、相当古い時代から、こういう発想をするひとはあったのだろう。

 子どもの頃に「姓名判断をしたら、この名前はよくなかったから、今度から、こういう名前にします」とご近所から、新しい名前を周知するお知らせと、その子の名前書かれた熨斗のついた下敷きが近隣の子供全員に配られたことがあった。
 あゆみちゃんは、あきこちゃんと呼ばれることになったのだというような話だったが、これは多分、裁判所では改名理由としては認められなかっただろうから、通名として使う、というはなしだったのだろう。

 あとは、知り合いの知り合いが、有名な殺人事件の犯人と同姓同名になってしまったため、裁判所に届けをだして改名した話とか。珍名奇名だから、という理由なんかだと割と理由をちゃんと書いたりしないといけないのだが、殺人事件の犯人に間違えられると困るから、みたいな理由だと、ものすごく手続きが簡単に済むんだよ、というような話で面白かった。

 あとは、友人が出産したときのことも思い出される。今から25年ぐらい前。多分友達の中でも一番出産が早かった友達が、絶対女の子がいい、そしてすごーーくかわいい名前を付けるんだ!とはりきっていたことがあった。「みるくちゃん」にしたい、というのを、友達みんなでとめた覚えがある。3歳ぐらいまではミルクちゃんでよくても、絶対あとで嫌がるから、と。
 みんなが説得してなんとか、「くるみちゃん」になった。まあ、くるみちゃんは珍しいほうだが、私の世代にもいないでもない。
面白かったのは、「絶対女の子だから!」と言って、男子の名前は全然候補にも出てこなかったこと。無事生まれたのは女の子で、みんなが笑いながら、「あの思い込みの強さでは、男に生まれるのは無理だったんじゃないか」と後まで冗談になったぐらいだった。
 とてもかわいがられて、小さいころは、リボン、レース、ギンガムチェック、白いエプロン…ともかくもう、雑誌に出てくるようなお洋服を着せられていた姿を覚えている。

 多分、最近のほうが、珍しい名前は少なくなってきていると思う。息子の幼稚園、小学校を見ても、「ゆうき」とか「はると」とかが多く、ちょっと珍しくても「るい」だの「れん」だの、今時ならめずらしくもないようなのばっかり。
 ルフィ君や、コナン君はいないなあ。

 姉が妊娠中に読んだ雑誌に載っていた「ケンケン」くんや、「チャチャ」ちゃんや、「パンダ」君は元気に過ごしているんだろうか。他人事ながら、ちょっと心配になる。

 名前は付ける人と、使う人が別だからねえ…。これは、あれだ、小さいころは「幼名」を付けておいて、すごくかわいらしく、「ストロベリーちゃん」とか、「アイスクリームちゃん」とか食べ物系でもいいし、「天使ちゃん」とか「おひめさま」とか愛称系でもいいから、つけておいて、15歳になったら、自分で好きなのを付けるというのはいいアイディアだと思うんだけど。
 幼名から大人名をつけたいひとはそうしてもいいですよ、という従来タイプの案も用意しておくとしても。

この子が大きくなるころには、こういう名前が当たり前になるから、と言われて珍しい名前を付けられていた子たちも多いと思うけれど、今の小さい子を見る限り、名前が「しげこ」「かつお」ほどではなくても、ある程度原点回帰している感じもするから、この「王子様」君の世代ぐらいが一番、珍しい名前ピークの時代になるんじゃないだろうか。
 そうなるとどの時代から見ても、珍名奇名になってしまいそうで、ちょっと気の毒だ。

頭痛薬とお酒 時間差がある時でも

生理痛の時に頭痛薬を飲むのは、割と当たり前…なのだけれど、最近飲む度に思い出す話がある。

 それは、私の友達が新年飲み会の時にしてくれた話。
 彼は会社勤め。働く日本のお父さん、というような典型的なサラリーマンで、夕方に軽い頭痛がしたので、頭痛薬を飲み、そのまま仕事を続行。7時過ぎに仕事を終え、そのまま誘われて同僚と飲みに行った。
 そして、途中でトイレに行き、あまりにも戻ってこないので心配した同僚がトイレを見に行ったら、意識不明で額から血を流して倒れているのを発見され、救急車で搬送!!

 …ということになったらしい。お医者さんの診たてでは、夕方の頭痛薬とお酒の組み合わせがよくなかったのだとか。頭痛薬とお酒を同時に飲んだとかではなくて、少なくとも2、3時間は時間差があったので、ほとんど意識していなかったらしい。そりゃそうだよね、私でもそう思っただろう。

 ちなみにその額の傷はちょっとだけにしろ縫うぐらいの傷で、「どんな風に倒れたか、わからないけれども場所が場所だから」ということで破傷風のワクチンを打ち、しばらくフォローアップにお医者さんへ通うことになったのだって。

…というわけで、お酒を飲むときは頭痛薬を飲んでいないか、ちゃんと考えた方がいいという話。みんなでうわあ、結構時間差でもダメなんだねえ、とびっくりした。おでこの傷跡まで見せてもらったので臨場感たっぷり。ちょっと怖い話だった。

 なので、生理痛で頭痛薬を飲むときは禁酒。
白い錠剤を2つ、飲み込みながら今日はお酒はダメだな、と自己確認。ホントにうっかりしそうだ。

校則とブラ (の思い出)

最近、昔からある校則を見直す動きがあるそうだ。
その中に、「下着の色は白に限る」というような校則をどうするか、というのがあるらしい。

 下着…つまり、ショーツとか、キャミソールとか、ブラとかが白でないとだめ、というのは私の頃にもあった。
下着を見せる検査があったのは、正直今考えると、とてもひどいと思う(先生は女性だっただけマシ?)。

 「真っ白」のパンツといえば、まあ、グンゼの女児用男児用はどっちにしろ真っ白で、田舎の洋品店にも各サイズあったが、さすがに中学生にもなれば、あれを履きたい子供はまず、いない。
 男子はそろそろブリーフからトランクスへ移行する子が多かったし、白いグンゼのブリーフを履いているというのは、なんとなく幅の利かないことで、女子で、おへそが隠れるようなパンツを履いている子は、確かに、いなかった。

 安い3枚セットは、柄物が多く、うちの親が買ってくれるやつは、白が基調になってはいたが、先生にとがめられるかどうかは、割と運だった。
 姉と同じ柄にすると、洗濯物を仕分けるときに混乱するので、姉と同じにしておけば今までの経験から行って大丈夫…という法則も使えず、検査は恥ずかしいし、おまけにそれでひっかかったとして、親が新しいパンツを買ってくれるかどうかとなるともう一段難しい。

 途中で、生協がほとんど白でレース付きが揶揄されない程度にはちょっぴりかわいく、リボンだけが個体識別用に色付きみたいな商品を扱うようになったため、中学校の時の検査のある日のショーツは割とそれでクリアしたのだと思う。
 
 ブラに至っては、もう白のスポーツブラ…で決まりだったのだが、これもワンポイントがあったりなかったり。今は、「学校用」ということでそういう商品もあるようだけれど、当時はそんな配慮が近所の洋品店になく、自転車に乗っていく大型ショッピングセンターでもあるかないか…。かといってかわいいのが着けたい女子も多いという事情もあって、検査のある日だけ、気を付けることになった。
 ただ、何か問題を起こして、生徒指導室などに呼ばれると大抵、怒られついでに下着チェックまでされてしまうことが多く、ピンクのブラだの、水色のショーツだの…までついでにガミガミ言われてしまう、そんな子がしょっちゅう出る中学時代だった。

 ちなみに、この白オンリーという規則は、外から透けて見えて、男子を刺激するから…というのが理由らしいけど。
 そういう理由なんだったら、白じゃなくてベージュのほうが絶対いいと思うのだけれど(この知識は中学生の時の私にはなかった)、ベージュも禁止だった。なぜなんだろう、ほんと。

 大体、夏服で上がカッターシャツだけ、という状態で、透けて、じろじろ見られるのは嫌なものだ。何色であろうと。
 じろじろ見られないように透けない色を付けたい子はそうすればいいし、別に見えてもいいや、という子は赤でも黒でも…というより、それならコットンニットの薄手のベストでも制服に足せばいいのに、と思う。
 あとは、カッターシャツを厚手にするか、かなあ。学校指定のシャツは、結構ペラペラだった。
 冬服の時は見えないんだから、色なんか、何色でもいいのにねえ。

 そういう校則がなくなるのは、いいことだと思う。
 頭髪が黒じゃないとだめ、とかも難しいよね、地毛が茶色い子もいるんだし。
 パーマをかけている、と怒られていたクラスメイトを思い出す。

 その子はブチ切れて、水道の水をかぶって、先生のところまでいき、髪の毛を見せていた。
 直毛から、乾くにしたがって、自然に巻き上がる彼女の髪を見て、これは生まれつきのものである…ということを先生も認めざるを得なかった。(当時のパーマはぬらすとチリチリになるのが普通だった)
 縦ロールに自然に巻く、なんていう髪型があるとは先生も知らなかったらしい。確かに珍しい髪型の子だったけれども。

 当時は校則違反の髪を先生が切ってしまう、なんていうのまであったからなあ。
いまやったら大騒ぎだろうけど。

 息子が目指している学校の校則も色々だが、「XX生カット」などという呼び方がある学校があるらしい。全員校則にひっかからないように髪を切るとそうなるのだとか。(丸刈りと、スポーツ刈りだと、ひっかからないらしい)
 息子はずーっとスポーツ刈りで、今はそれ以上の注文を美容院でするのは「面倒くさい」らしいから、しばらくは問題ないだろうけど。

 自分の子供が通うとなると、校則なんて、危なくない程度にあればいいと思う。まあ、あんまりお金がかかるようなことはね…というのは、家で考えることだろう。ピアスはひっかからないような小さめのに限る、とか。
 
…うーん。うちの息子、中学校とか高校でピアスがしたいといったら、どうするかなあ。
 耳に向こうが見通せるような穴が開くタイプのはどうかと思うけど、ピアスぐらいならいいか。
 今のところは、化膿するのが心配、とかそういうのがまず頭に浮かぶけど。

 息子に聞いてみたら、「痛そうだから、いや」だそうだ。
 こっちもしばらく心配はなさそうだ。

子どもの才能を伸ばすには…なんて話

普段愛読しているブログ、ぢょん でんばあさんのOKKANABIKKURINGの記事【さいのう話】を読んで、うーん、となった。
うちは小学生がいるから、つまり現在育児中といっていいだろう。

 ぢょんさんは、80代のお母様が、50代のぢょんさんに、もっとあなたたちの才能を伸ばしてあげたらよかった、と幼稚園児の天才サッカー少年をテレビで見たときにおっしゃった…という話を書いていらした。

 大人になったらわかる。それはもう、別に言わなくてもいいようなことなのだと。でも、誰でもふと、「もしかして、もっとがんばっておけば違う人生があったのかもしれない」と思いつく瞬間はあると思う。

子供の才能をのばすのが大切…というのは、そういう本もあるし、ネットを見ていても広告にでるし…でも、「子供の可能性は無限です」とか「子供はみんな天才です!」とかには、正直なところちょっと疑問がわく。
 子供はかわいいし、もうこんなことが出来るようになったのか!というのはいつもうれしいものだ。興味のあることには、食いついて離れないようなところもあるし、一点集中、たとえばポケモン数百種類覚えられる子だって珍しくないし、あっという間に算数が出来るようになってしまう子もいる。
 多分1万人に2人ぐらいは「天才」といってもさしつかえないお子さんがいることであろう。

 でも、全員じゃない、「みんな」でもない。
そりゃね、私だってある程度は期待したし、幼稚園はそういうお勉強させる幼稚園だったし、ピアノに水泳に空手に体操、サッカーにダンスに、キャンプに英語にプログラミングに、中学受験に至るまで、一応やらせてみたのは、やらせてみたのよ、うん。

 小さい頃は言われるままにやっていたものも多かったが、ある程度苦手な体を動かすものからだんだんやらなくなり、本人がいやがるものを減らしていったら、今残っているのは受験勉強と、プログラミングとピアノだけ。

 まず本人が努力が嫌い。確かにだんだん練習してうまくなったものもあった。水泳なんか4種類25mは泳げるようになったものね。空手だって級もいくつかはあがったし…とはいえ、他の人より出来ない、と感じたらもう練習もイヤになるというような状態で、自分が出来ないということを認めて練習しよう、なんていうのは無理なんだということは、いくらひいき目に見たところで親にもわかってくる。

 練習してうまくなる達成感を味わって、これからの人生に役立ててほしい、と親は願っていたのだが、結局「努力せず、すごくできるようになりたい」みたいな反応で、小学校3年生ぐらいからそれほど変化がない息子を見ていると、「こんなものなのかもしれないな」と思う。

 どんなに親が願っても、最初のきっかけだけしか与えられないものであって、後は本人が興味を持って、出来るようになりたいと思って練習しないとだめなんだろうなあ。子どもが努力できる性格か、ということは大きい。
 
 今までの生活にかすりもしない、たとえば「生け花」とか、「陶芸」とかに才能があったらどうするんだろう、というのはあるけれども、芸術系に適性があれば、そのあとはもう、その道に入ってうまい人のものを見たり、本を読んで知識を付けたり、興味を持って練習するなり…ということになるのだろうから、十分美術館、博物館には行ったからなあ。

 もっとのばしてやったら、輝かしい才能が花開いたんだろうかというのは、ちょっとすてきな考えではあるけれども、個人の性格とか、資質とかもあるよねえ…と思う。
 ピアノの練習を1日3分間しかしない息子がブルグミュラーに5年でたどりついたのは、実はすごいのかもしれないけど、言われるままにであろうと、一日数時間練習出来るテレビにでるようなお子さんというのは、やっぱりものすごーく天才なのだ、と思う。

 言われてもやりたくなきゃあ、全然やらない、努力は嫌いだし、簡単に出来ることだけがやりたい、そういう子もいるからなあ…うちの子とか。

 なんとかして就職して自分で稼いでご飯食べられるようになってほしいものだ。

 私は一応、親としてお金をだしてきっかけを作り、なるべく努力をほめてきた。やるだけはやった…とここに記録に残しておくものとする。

1人暮らしへのきっかけ

十代、二十代と親と折り合いが悪かった私は、ずっと一人暮らしがしたいと思っていた。
 だが、うちの母は実家から婚家へそのままお嫁に来た…という経歴だったため、一人暮らしの経験が全くなく、なぜか「一人暮らしなんか絶対あなたには無理」と言われていた。
 
 何をやらせても要領が悪いといわれていた私だったので、無理といわれてもしょうがないと思っていた。折り合いが悪いとはいえ、生まれたときから私を見ている人なんだもの、そういわれれば、「そうなのか」と思うしかない。

 18歳の頃、知り合った人は、一人暮らしだった。電話なんか持っていないということだったので、その人と会おうと思ったら、約束はその人に会ったときするしかない。その人は音楽のプロになりたくて都市部に出てきたという人だった。

 その人は大変パワフルで、何をさせても面白い人で、仲間内でも大変人気があった。しょっちゅう誰かがその人の家に遊びに行っていて、仲間に入れてもらったばかりの私も、みんなが行くので、いつの間にか遊びに行くようになった。

 かなり古そうなアパートだったが、まず、お茶をみんなで飲もうったって、ガスは止まっている。
  そこで出てくるのは電気ポット。ブレーカーをどっこいしょ、とあげてスタート。
普段はブレーカーを落として生活するという徹底ぶり。紅茶にはビタミンCが入ってるから、野菜が取れないときはこれに限るんだ、などと聞かされながらみんなで飲む温かい紅茶がやけにおいしかった。
 なるほど、みんながこの家に行く前にお菓子を買い込むわけだ…。納得。
 冷蔵庫もなかった。買ってきてすぐ食べてしまえば冷蔵庫なんかいらないらしい。
 
 私が、一人暮らしが出来るかどうか悩んでいる、ということを聞いた彼は、私が遊びに行くたびにいろいろなことを教えてくれた。
 米を買わなくても、町にはパンの耳を30円も出せば結構な量、売ってくれるお店があること。スーパーで売っているハムのはしっこだけの「切り落としパック」のこと。マヨネーズと切り落としハムで作るおいしいピザトーストの作り方。実際にパンの耳にハムをのせて、マヨネーズをかけてこんがり焼いたトーストをごちそうになりながら、そんな話を聞くのはとても面白かった。

 なけなしのお小遣いで買った板チョコやカップラーメンなんかもって、本当によく遊びに行った。電気ポットで、ふたつに折ったパスタをゆでて、塩コショウと少量のオイルで味をつけたのなんかもあったっけ、家財道具は、つまり鍋さえないぐらいの状態で(当時100均はなかった)、それでも、最低限このぐらいあれば…という生活を目の当たりにした。

 寒い部屋で、みんなで毛布を膝に掛けて、体温でこたつ状態になって、朝から夕方までわいわい話をして、それからみんなで歩いて銭湯まで行く…なんていうのも楽しかったものだ。

 礼金だの、敷金だのがいらない部屋が、「ちゃんと不動産やさんで聞けば」あること、トイレが共同ならもっと安くなること、「まこは女の子だから、もうちょっと安全な方がいいだろうから、トイレバス共同はやめておいたほうがいい」と言われたが、風呂なし物件は「あり」で、一万円ぐらい家賃が安くなるなんて、聞いたこともなかったことだった。

 彼の生活費は、5万円ぐらい?ということだったので、私は、「これは、私にもいける」と確信した。家賃が2万5000円、食費に1万円以下、ガスはなしで、電気と水道で5000円以下。そういう感じ。
 クーラーもない、ガス湯沸かし器もない、ないけど…でも、いける。人間そういうものがない時代だって生きていたんだから。

 当時私は20歳前、彼も20台前半。若さで無理を乗り切っていたという側面もあるだろうが、好きなことで身をたてるためには、そのほかのことはもう、問題ではない、という彼を見て、私も、自分の力で生活していくことは出来るのではないだろうか…と思ったのだった。

 社会人になったら、いくらなんでも5万円、いや、10万円は手取り分にあるだろう。うまくいけばもっと。生活に5万円、まあ女性ということでもう少し安全な建物をねらうとしても風呂なしで銭湯が近辺にあれば、家賃4万、食べ物もパンの耳よりは贅沢にするとしたって自炊で2万円…とか考えると、インフラこみで7、8万あれば大丈夫だろう。ガスなんか、なくていいのだ。
 不便は不便だろうけれども、友達はちゃんと生活している。みんなが家に遊びに来てくれたら、きっと楽しいだろうし…。

 私はぐっと希望がかなう望みが出てきたなあとうれしくなったのだった。

 時は過ぎて、社会人になり、無事就職を果たした私は、せっせと貯金して一年、100万円ぐらいためてから、会社のそばの不動産屋さんへ行って、銭湯のそばで、お風呂がない物件を紹介してください、給料このぐらいなので、家賃がその2割か、3割で収まるようにしたいです、と相談して部屋を決めた。

 ガスも通っているし、トイレは部屋にあった上に、ちょっと安全を考えた建物だったので友達の生活ほど安くはならなかったが、それでも、お金が足りなくなったら、ガスを自分で止めて、電気のブレーカーは落として冷蔵庫なしだって生活できる、銭湯だって無理なら家で水だって浴びていいんだし、流し台で頭を洗ったっていいんだ、と思えるようになった。

 ちなみに私の食費節約のこつは、業務用小麦粉とキャベツで作るお好み焼き。切り落としのハムを乗せて。
 一人暮らしは、友達がたくさん遊びに来てくれてとても楽しかった。

 実家の母は、「すぐお金がなくなって、帰ってくるに決まっている」と言っていたらしいのだが、私は結局、全然帰らず、結婚してその部屋を引き払うまでその部屋で暮らした。

 友達は、結婚を反対されていた彼女が郷里から出てきたのを潮に、音楽で身をたてるのはあきらめて、持ち前の電気工学の知識で一部上場の大企業にさっさと就職を決め、「やっぱり、優秀な人は何をやってもさすがだなあ…」とみんなを感心させた。

 洗濯は一週間まとめてコインランドリー、冷蔵庫は近所のスーパーで買い物をして食べて、保存をしない。リサイクルショップの家電は安いこと、ガスはどうしても使いたければ、カセットコンロだったら前払いでガスをその都度買うしかないので、後で困らないこと、粗大ゴミは拾って直せば使えること…。国民保険は、払えなくても少しずつ分割が出来ること、保険証はそういうときのために期限の短い一時的なものが発行されること…一時的にしのいで、貯金がなくても、家電が買えなくても、流動資金だけでなんとかなることを教えてもらったのは、とても勉強になったと思う。

 優先順位を決めて、一番上以外は、切り捨てると意外と覚悟が決まって、ちゃんと私でも一人暮らしが出来た。水道はともかく、ガスと電気は止まっても大丈夫なのだ。そのあと、結婚して渡米して、貧乏暮らしだったけれども、楽しくやっていけたのは彼の生活を見ていたからだと思う。

 パンの耳、一袋30円、というのを今日パン屋さんで見て、当時のことを思い出したので書いてみた思い出でした。

お見舞いに何を持っていくか

 準備したパンツとパジャマは、まあまあ無事受け取ってもらえた。パンツの色には文句がついたけどまあ、マイナー。
 それなりに私が来たことは喜んでくれているようだったし、病院の保証人の欄にサインもしなきゃだめだし…。点滴がまだくっついていたし、食事は流動食ではないものの、低残滓食というのか、消化がいいものらしい。肉が食べたい、とか言っていて割と元気そうだった。顔色もよかったし、深刻度は低めとみた。

 本は字が細かくて最近目が悪くなったから読みたくない、かといって退屈、という入院中の母。愛読しているミステリーは一応持ってきているらしいが、雑誌には好みがうるさいし、父なら数独で決まりなのだが、ペンシルパズルも好きではないらしい。
 私なら電子書籍か、でなければタブレットかスマホか…ということになるけれども、電子書籍は紙の本がいい、とどうにも食わず嫌い発症中だし、(父は電子書籍を読むのに)ガラケー使用だし、ゲーム機はもちろん拒否。

 もう退屈でもしょーがないでしょうよ…と思う。
これを機に、タブレットの使用方法ぐらい、覚えさせた方がいいのか、あとはホームセンターにあったポータブルDVD再生機でも持って行く?

 気が合わなくて、正直あんまり会いたくもないと思っている母なのだが、私は何を一生懸命考えているんだろう。別に本人が不満であろうとも、私は一応出来る範囲でいろいろおすすめしてみたし、本ぐらいなら持って行こうかとか、雑誌なら買えるよとか言ってみたわけだよね。それをいらないというなら、もっていかなくてもいいはずだし、こんなに一生懸命何が出来るか考えなくたっていいはずなのに。
 親に気に入られたい、なんていうことはもう、考えてはいないつもりだったんだけど、とか思うとちょっともやもやする。

 それとも自分が入院したら、何がしてほしいかなあ。なんてことを考えるからだろうか。

 中古の写真集を何冊か、アマゾンでゲット。

 中古でないのも1冊ゲット。んー。これでいいや。

 絶対持って帰るのに困るからいらない、というだろうけど、入院期間が終わったら、中古のは同室の入院患者さんに、もしよかったらどうぞ、とあげてもいいんだし、新しいのはいかにも、私が好きそうなやつだったから、ぼーっと眺めよう。たまにはこういう本もいいよね。普段なら絶対買わない、図書館で借りるタイプの本なのだけれど。

 あとはアナログのタングラムとか、ラッキーパズルみたいなのを持っていくか…。昔、と言っていいぐらい昔…。
母親の実家にまだ、若いころの母の持ち物が残っていたころ、祖母がその中から「ラッキーパズル」を私にくれたことがあるのを思い出した。ピンクの、かなり小さいパズルで、小学生になりたてぐらいだったろうか。今でもラッキーパズルは現役なんだよね。ただ、あの時もらったような小さいのはもう売っていないと思う。最近のはかなり大きめだ。

 どこかにあったはず。探そう。

バイトテロに思うこと

アルバイト先のコンビニの冷蔵庫に自分が入って撮った写真をSNSで披露するとか、一度落とした食べ物を調理しなおして出すところを動画に取って拡散するとか…というようなことをすると、色々な人にシェアされて、たくさん反応がもらえて、有名になる…というのでやってみる学生がある、という話を読んだ。

 だが、コンビニとか飲食店などで、「えー、こんなことやってるの?」と思われるとまずいことなので、お店の評判が悪くなるから、もちろんクビになるし、お店の評判を悪くするようなことをして、損害を与えた…ということになって裁判沙汰にまでなることもあるらしい。

 最近の子は、と言うつもりはない。昔っから「ウケ狙いで面白いことをしようと思って」とか、「目立ちたかった」とか、「みんなにすごいね、と言ってもらいたいから」とか…まあ、そういうことをやる子はいた。たくさんいた。
 私の友達で思い出せるだけでもかなりいた。
 テレビに出ている芸人さんのギャグみたいなのはあちこちで聞いたし、友達同士でやった花火大会で噴水みたいにふきだすタイプの花火を口にくわえて回った人もいたし、パーティの演しもので、頭に電飾かぶって踊っていた人もいた。
 真冬に噴水に飛び込んでいた人もその場のノリで複数いた。アニメの曲やCMの曲をメドレーで演奏していた人もいたし、TVのコントの真似をしてクリームの入った紙皿をぶつけ合っていた人だっていた。カラオケがめちゃくちゃうまい人も、ものまねをして歌える人も…。

 それはみんな「自分たちの仲間の間で」起こることで、面白い、すごい、真似できない、いいね!さすが!というようなポジティブな評価をされればうれしいことということになっていたと思う。
 お店で突然楽器を演奏する…というようなことについては、やっぱり迷惑だろうと思われるので、「あれはない」と言われることだった。迷惑がかかるようなことは「その場のノリにしろ、よくないよな」という評価は多く、人によっては先輩だの、年上の友達だのにがつんと注意されて、一度限りの伝説になっている…というパターンもあった。

 つまり…ネットで全国津々浦々までに拡散!というのがないころは、友達のグループだけのことで終わっていたのだし、どんな評価が来るにしろ、「自分たちの問題」として考えていた。面白い人、すばらしい人が、自分たちのグループにいることは、うれしく、楽しく、誇らしいことであり、迷惑をかけるような奴がいるというのは自分たちが注意したり、少なくともそれをほめず、ネガティブな評価と雰囲気を出すことでそれを抑えるのが当然、ということになっていた。

 最近は、認められるということ、ウケるということの範囲が広く、大きくなってしまっている。30人にウケれば噂になって100人ぐらいに広がって終わりだったのが、数万人に見られて、評価されないといけなくなったと思えば、「ウケる」の定義が違うのはわかるだろう。そして「ウケる」誰かは、「俺たちの仲間」ではない。「ネットで軽くつながっているだけの誰か」。
 えー?こんな人もいるんだ?へーえ。で終了。
 その時一瞬、ウケても、自分の総合評価が変わるわけでもない、周りの扱いが変わっていくわけでもない。

 面白い人だと思われて人気が出て、一緒に遊べる人が増えて誘いが多くなるような効果がほとんど見込めず、いいね!が増えるだけ…なのは、目に見えて効果と結果がついてくる友達関係と違って、パフォーマンスをした人の満足度が低そうだ。

 だからきっと、先鋭化してくるんだよね。もっと過激に、もっと「滅多にないようなことを見せないと」と。
 これは、あれだ。カメラだけがあるところで収録して映像を売るDVDみたいなもので、手ごたえが薄いんだよね。ライブで、目の前のお客さんの反応見ながら舞台に出ると、イキイキとした反応がもらえて、ウケなかったらシーンとなるし、大爆笑されれば演技にはずみがつくというものだ。やりがいがあるし、満足感が違う。
 それに、面白い、すごい、すばらしい…ということと、強烈な反応ではあるが、みんながドン引き…という反応の区別ははっきりわかるはず。

 仲間内の内輪ウケで終わったころは、目立てばなんでもOKというのは、飽きられやすいし、あきれられて総スカンというネガティブな反応も出て、自分が結局「非常識な奴」というレッテルを貼られて損をする…というのはどこかで覚えることになるのが普通だった。裁判なんてしなくてもだ。

 でも、今はシェア数とかリツイート数だけ稼げばOKみたいな風潮もあるんだろうなあ。裁判まで行くと、記録も残るし、将来大人になってから問題にならないといいけどな…(と思うと、息子にはこういうことをどこかで教えておかなくてはならないと思う)
 
 ただのウケ狙いで、すべったーーっ終了、みんな忘れてーっ。で終わらないんだなあ…。
 10代、20代のうちは、ウケたい、目立ちたい、すごいといわれたい…というようなことは程度の差こそあれ、みんなにあると思う。でもそれを満たす場所がネットの、それほど親しくもない人のSNSつながりだけだというのは、つらいことかもしれない。10人ぐらいの中で大ウケすれば、今日は楽しかったなあと思えたあの頃と、数千、数万人から「いいね!」をされないとなかったも同然になってしまう現代。
 
 ハードルがあがっているというかなんというか。世界が広がるというのは、いいことばっかりでもないな、と思った。

結婚生活の波乱万丈

正確には何年だか覚えていないが、多分25年ぶりに、友人と会う機会があった。
昔は仲が良かったのだが、25年も会わなかったその理由というのは、その人が結婚した人が、「18歳だったか19歳だったかの私が目も合わせたくない、挨拶すらしない」ぐらい仲が悪い人だったからだ。

 確か、最近その人とお付き合いをしている、と聞いたとき、私はかなり真剣に、その男は信用ならないと私は思っているので、結婚はやめたほうがいいと思う。とはっきり彼女に言った覚えもあるが、彼女は「早く結婚して落ち着きたいから、いいの」というようなことを言って、結婚してしまったのだ。かなり早い結婚だった。

 新郎と仲が悪いものだから、結婚式にも行かなかった。数年たって私が結婚、渡米して疎遠になった。共通の友達を通じて連絡をつけなおして、会うことになったのが、25年も経った今回だった。

 噂だけは聞いていた。新郎が(やっぱり)すぐ浮気したこと。ごたごたした離婚。多分再婚で、また何人か子供がいるとか…。
 実際一緒にゆっくり話してみたら、なんだかすごかった。

 バブルの香りのする300万円のダイヤの結婚指輪はローンで、結婚後発覚し、家計を管理しながら自分で払うことになったという、なんじゃそら!な話にスタート。2人目妊娠途中の浮気で、結果として略奪され、子どもは置いていけ、と言われて離婚。
 子どもの虐待がわかって引き取り…と思ったら、略奪婚をした浮気相手がまともに家事が出来ず、帰ってきてくれと言われた話(断ったよね?と思わず聞き返した。断ったそうだ)。
 ちなみに、300万円もした結婚指輪は、買取価格は30万円だったとか…。

 再婚と、子どもを2回目の結婚で3人(つまり合計5人)。再婚相手はかなり年上の人で、バブル時代を経験した人だったので、給料は手取りで50万ぐらいないと、「これは俺の仕事じゃねえ」とやめてくるという話。働いている彼女が21時に帰ってきたら、ゲーム三昧、ネット三昧のくせに「俺の飯は?」と言う話。
 配偶者の浪費と生活の困窮(だろうね…)、15年の結婚生活とDV。

 やむなく協議離婚、子どもを施設に預けて、ホテルの調理場で働いて修行して、調理師免許を取った話。
 子どもを手元に置けるようになって、バリバリ働き続けて、今もう、一番下のお子さんが高校生。

 波乱万丈だねえ…。で、今の職場は割といいところで、調理師として大事にされ、一日実質7時間時間労働、残業代も出るらしく、古いマンションを職場のそばに見つけて即金で買い、手取りが20万円ぐらいだが、家賃がないせいもあって、なんとかやっていけている…というしめくくりだった。

 …なぜそんな人と15年も一緒にいることになったのか…とつい聞いてしまったが、一人目の人よりはいい人だったんだもの…と。
 私は今現在でもその一人目の人は嫌いだな、と思っているので、「あれよりひどい人ってのもいるとも思えないね」なんて辛口の相槌を打ちながら、話を聞いてきたのだが、まー、出るエピソードの一つ一つが、テレビドラマの脚本みたいなひどさ。もう悪乗りして面白くなってくるぐらい、「まさか本当のこととは思えないような」ことばっかりだった。

 ホテルの調理場の話も興味深かった。100パーセントオレンジジュースのパックを30本と水を混ぜて、白ワインとレモン汁をたくさん入れて、砂糖をキロ単位入れて作る、びっくりするぐらい大量のビュッフェのオレンジゼリーの話…なんていうのは、そうそう聞ける話ではない。ドキュメンタリー番組のようだった。

 私の結婚相手の話とか、結婚してからの話とか、子どもの話とかもして、彼女はとてもうらやましいと言っていたが、なんせ浮き沈みのない結婚生活をしているものだから、迫力不足この上ない。
 お金の管理は夫がしているというのも、「それでごはん食べるのに困らないぐらいなんでしょう?いいじゃないのー」と。彼女の歴代の夫たちは、そんなことをしたらごはんも食べられなくなるような人たちだったらしい。ついでにいうと、消費者金融で借金だってしてきたし、督促状にも、「ないものが払えるわけないだろう」といって、無視するような人たちだったのだとか。
 当時ローンを払っていた家は結局競売にかかったらしい。

 正直、お子さんだけさっさと引き取って、旦那だけぱぱっと捨てておいたらもっと生活が楽だったのではと思わざるを得ない。
 一人でいるよりも、結婚するのが幸せなのだと思っていた。さっさと幸せになりたくて結婚したのよ、というのは彼女の本音なのだろう。でも、相手がよくなかったよね、それは…。

 もともと頭だって切れるほうだったし、仕事の手が早いと言われて、期間限定のアルバイトの時は、友達同士でバイトにいっても、彼女だけは、常勤にならないか、もっときてくれ、と言われるような子だった。もちろん家事も万能、料理上手で、調理師免許がない時だってどんな調理のアルバイトだってほとんど練習なしでつとまっただろう。つまり…基本スペックが高いのだ。
 彼女ならもっともっといい人と結婚出来たかもな、と思う。
 
 調理師免許が取れてよかった。彼女ならもう、食いはぐれないだろう。しかし…相手の男性たちは経済DVもそうだし、暴力振るうしでクズだと思う。少なくとも共同生活も成り立っていないし、搾取と浪費で奥さんと子どもがろくなもの食べてないのにカツカレーに特大のカツが2枚のってないと(それも手作り)殴りかかってくるような話を聞くと、よくぞ生き延びたと思う。
私がラッキーな結婚をしたという意見にも賛成だ。ただのラッキーみたいな言い方をされても、腹も立たなかった。彼女には私をうらやましがる権利があるよなあ…と思えるぐらい、ひどい結婚生活だった。
 私もうっかり、「だから(あの時)いったじゃないのさー」とツッコミを入れてしまったぐらいだが、彼女も、ほんと、そうだよね、と合わせてくれたので、やっぱり彼女と話すのはいいな、と思った。ふるい友達というのは、そうそう増やすわけにもいかないものだからね…今回つながりなおしてよかった。

 なんだか長編映画を数本一気に見たような一日だった。

中受とお金

2月の頭から始まる中学入試も終わって、いろいろな話を聞く。どれにも、よかったねえ、とか、残念だったけど、この学校もいいよね、とか無難な返事を返しながら、私もため息が出る。

 学校に入るためにいくら使ったか…というような話は割とポピュラーな話題なのだ。

 たとえば、6年生をひとり塾に通わせるとすると、トップクラスの「御三家」とか通称がついていたりするような学校とかを目指すクラスだと1カ月8万円から10万円。まあ、中堅クラス(うちはこのあたり)を狙うにしろ5万円。それから春期講習、夏期講習、冬期講習がそれぞれ2週間15万円ずつ…となると、中堅クラスでも100万じゃあきかない。トップのクラスだと150万弱から200万ぐらいはかかってしまう。

 うちも予算は組んだことは組んだし、夫は大丈夫だといってくれているので100万円ぐらいは心づもりをしているが、学年が上の人の話を聞いているとなんとなーく見えてくるものがある。
 塾の先生も、もちろん商売だというのはあるんだろうけど、大体トップのいくつかの学校に入れる人数はきっちり決まっているのに、「行けるから狙いましょう」と言われる人数がその100倍ぐらいいそうな感じなのだ。塾は一つじゃない、有名なところだけでもいくつかあるんだから、そこでトップクラスに入っている子の数を足したら、多分最終受け入れ人数の100倍ぐらいいると思う。
 
 トップ準備クラスと、中堅準備クラスでは月謝に10万円と5万円の差がある。10万円クラスの子が多いほうが儲かるわけだ。親だってそりゃあ、自分の子が頭がいいですと言われればうれしいし、何とか押し込みます、と言われるよりは「がんばればチャレンジ圏内です」と言われるほうが耳あたりがいいだろう。
 でもなー。多分経験豊富な先生だと、ある程度までの子は頑張っても入れないのがわかっているような気がしてならない。

 一応、「どこかに」は入れるようにしてくれるという話もあるが、人口の多い地域だと学校はピンからキリまでどっさりある。下の方の学校だと去年の1年生が男子5人、女子4人、なんていう学校もあるのだ。そりゃ…どこでもいいけど私立にというのなら、どこかには入れる感じだし、多分そういう少人数の学校で手厚く勉強を見ることが出来ればきっと子供はぐっと伸びるだろうというのもわかる。
 でもそういう学校に行く子供たちは下位クラスの子たちで、それほど授業も問題も厳しくない。それなりにやっておけば…という感じになるので、時間も短め、科目も基本国算…または算数一科目とか、英語一科目とかの特殊受験があったりする。

 問題なのは上位クラスのお子さんたちで、夏休みには朝から晩までお弁当2つもって、毎日長時間通って、冬期講習は朝9時から夜の7時なんていうスケジュール、ついでに夜中まで宿題やって、そういう特別講習がない日でも塾のない日は塾の問題を解説する家庭教師まで雇って使った金額は200万円より多く…。
 強烈な話だ。

 それで結局のところ、トップの学校に受からず、二番手に合格、親子でがっくり…なんていう悲劇も聞くと、12歳には過酷だよなあ…。大体、12歳なんてこれから伸びる子もあるだろうし…と思うのだけれど、今受かっておくことが、偏差値の高い学校に行くことが大事なのだ、と教え込んでガンガン勉強させるという話を聞くと、「うちは無理しなくていいや」という気分がしてくる。

 ちなみに夫は成績がいいと言われるようになったのは中学校2、3年ぐらいの時で、高校受験の時にトップ校を狙っていたのに数学でうっかりミスをして、滑り止めの私学に行ったそうだ。息子を見ていると、納得がいく。
 
 うっかりミスをつぶす能力は、今の息子にはない。問題文をちゃんと読んで答えるという能力も、必要分の半分ぐらいしかない感じ。「それでも受かる」学校を選んでおくのが正解だろう。女の子ならなあ…。問題文を読む力とか、塾で教わった通りきれいに式を書き、間違わないように答えを導く力がある子が多いんだけどなあ。

 ママ友4人でお茶をしたときの話。
友達のお子さんの女の子、息子と同じ年だが、模擬テストが終わったら、テストの答案と答えを持ち帰り、「お母さんは見ないで!」と部屋にこもって自己採点して、「できなかった問題がある、志望校に受からなかったらどうしよう」とさめざめと泣いていたそうだ。

 それを聞いた残り3人の子どもは全員息子。
 「自己採点!ありえない!すごすぎる!」と3人で感心。

塾から答えをもらって帰ってきてね、というのさえ微妙なのだ。カバンに入っていれば御の字。
自分で採点して、出来ていないところをチェックして…なんて全然やってくれない。(ちなみにうちも、友達のところも、親がやる)そして、男子は全員自分は受かる気満々だ。「オレ、がんばったよねー!」と。

 まあ…お友達の娘さんはがんばりやさんだと幼稚園の頃から評判だったお子さんなので、ちょっとよく出来すぎかもしれないが、その男女差ったら。
 
 教育費と、塾の甘言。プレッシャーと、変な自信。これはなかなかに難しくて、そして一回限り。
 100万、200万出す価値があるのかどうか…。

 そしてふと気づくと、200万出したところで、入学さえしていないという…。
入学から6年分のお金もいるんだよねえ…。

 そりゃあ教育格差も出るよねえ!高校終わりまでで500万では済まないかもしれないのだ。最近は小学校3年生から塾だって珍しくはない。3年生は週に2コマずつの国算で12000円、4年生15000円、5年生だと国算で25000円…。と、一体どういう計算になってるの?一学年上がっただけでどうしてこんなに、と思う値段になっていることも多い。

難関向け国算の特別授業が週末に朝から晩まで組まれていたり、難関理科コースと難関社会コースは通常コースより値段が高いとかも、もちろんある。全部取ったら12万円?直前特訓までいれたら、20万円コースもあるらしい(これは聞いただけ。多分最難関向けの特殊な塾だと思う)。大体の目安は、「超難関でないならば、3年間で250万円ぐらい」らしい。
 何度も書くけど、入学前で250万。はあ…ため息が出る。

今、高卒は3割以下だというからねえ。
 短大も少子化で減っているが、大学または専門学校に何年かやるとなると本気で一千万円コース。
予備校だ、浪人だ…そして私立の大学となると、二千万とか言われるとくらくらする。

子ども3人産むのはうらやましい。うちみたいに一人っ子だとわがままになると何度言われたことだろうか。
 でも…正直なところ、3人いたら本人がいくら望んでも、私立の学校はなあ…となると思う。
2人でも相当きつい感じになるだろう。

 母親1人でお子さん2人を大学にやった、という人も知ってはいるが、改めてすごいことなんだなあ…と思った。
 

中学受験の志望校を決める…の巻。

受験校を決めるのは、高校受験、大学受験なら本人が目標を見定めて、自分の勉強に反映させていくというようなことも出来るのかもしれないが、中学校受験には、まだそれは無理な感じがする。

 かなり直感で物を考える小学生男子に決めさせるのはちょっと危険だろう…ということで、親が考えることになった。
 
 小学校2年生ぐらいだったときは、親も夢見がちで、実は家からかなりちかい進学校がいいな…と思っていた。通学時間は最低限。国公立大学にも進学実績がある程度あったし、私学の進学実績はかなりいいらしかった。
 ちゃんと勉強すれば行けるだろう、と思っていたのだ。

 が、実のところ、その学校は共学で、女子の志願数が多い学校だった。ということはどうなるかというと、国語と社会の成績が高くなってしまう。社会は暗記なので、それほどひどくはならないが、問題は国語。どんなことを考えていたでしょう、というタイプの問題が四択でも全滅の男子には厳しい学校だ。
 算数が満点で、やっとぎりぎりか…ぐらい。いわゆる超難関校ではないが、十分難関校なこの学校だと、記念受験になる可能性が高い。いい感じの学校なんだけどなあ。却下。

 第一候補は、国語が簡単で算数が難しい男子校。ここの数学は、調子が良ければ点数が取れるし、国語は男子校ということもあって典型的男子君たちにやさしい難易度。国語が100点中35点でもなんとかなるという…。国算受験と、国算理受験がある。
 ここが私の一押し。伝統がある男子校で、多分男子のことをよくわかっている。進学実績もかなりのものだし、特別進学コースと、普通コースがあるのだが、特進コースで応募しておいて点数が届かない場合でも、普通コースの基準に達していれば普通コースに回して合格させてくれるというありがたい制度もある。
 たとえ算数でミスを多発して、悪いほうへ波が出たとしても、普通コースの方なら多分大丈夫…と模試の結果は出ている。

 第二候補は、これも伝統校の共学。昔は男子校だったらしいのだが、この少子化の昨今、共学にすることで、生徒候補を増やそう、ということだったのだろうね。ここも、特進と普通があって、ここの普通科。学力的には余裕…のはず。国語と算数だけで受験できるのも大きい。中堅と言われているがどちらかと言えば下の方で、つまり滑り止めになるのは多分ここ。ちなみに、少人数の特進の方は、過去問を見ると多分国語で落ちるな、という感じ。
 特進コースは国公立に行く子も多いらしいが、普通コースはこの学校の大学に内部進学が一番多い。「内部進学ならいいや」というので、大学進学用の勉強がゆるくなりがちな感じ。学費が結構高いが、通学が30分と短いのが候補に入った理由。

 そして第三候補は、ちょっと遠い学校。売りは英語の入試があること。一応アメリカに行っていた都合上、英語はある程度出来るので、候補に入った。本人は「学校の雰囲気が一番楽しそう」といって、この学校に行きたいらしい。
通学時間が1時間越えと長いのがネックだが、英語で点数を稼げる分、国語の点数が低いのがカバーできる。国算理受験もあるんだけど、多分理科より英語のほうが高得点が出せるはず。算理英の受験があったら最高だったんだけど、さすがにそれはなかった。
 上に大学があるのはあるが、高校で外部進学と内部進学のコースを分けるらしいので、結論先送りに出来るのが親としてはうれしい。外部進学コースは勉強が厳しそうだが、進学実績はいい感じだった。

 夫と二人で候補をまとめながら、この3つなら、どこでもいいよね?と確認しあった。夫は、一番最初に書いた近くの進学校があきらめられないみたいだが、息子が、今から算数の成績をひと刻みあげるのは無理じゃないにしても、国語の成績が偏差値50、少なくとも45まで上がると思うか、と聞くと、無理っぽいね…というのはわかっているらしい。算数の偏差値は60オーバーがたたき出せるくせに、国語の偏差値35だからね…。
 塾でも、実は算数だけならトップコース(1カ月8万円)に参加する資格があるのだが、国語の点数がどうにも上がらず真ん中コース(1カ月5万円)だ。(ちなみに、下位コースは1カ月3万円)
 落ちたら多分ショックを受けるだろうし、かといって漢字や語句問題の暗記ものならともかく、文章から人の気持ちを読み取る問題は出来るようになる気がしない…ということで、ここは点数が低い方を基準に選ぶのが無難だろう。

 息子本人はいたってマジメに一生懸命やっているつもりらしいのだが、問題文をちゃんと読まずに国語の問題をやるとか、式を全然書かない算数の問題とか、そういうことを直して点数をあげようというところには全く気が回っていない。最近はプレッシャーもあるのか、そういうことをガミガミ言うと息子とけんかになるぐらいだからね…。

 多分、問題文をしっかり読むとか、式をちゃんと書くとか…というのは、今の息子の能力に含まれていない。私には理解は出来ないし、イライラするが、ないものはない…という事実ははっきりしてるからなあ。
 
 と思っていたら、息子がこんなことを言い出した。
「高校生になるとき、もう一回違う学校受ければいいよね!」

あー。夫と二人で頭をかかえた。

違うんだ―。そういう風にはなってなーい!!

 それでいいのなら、中学なんか公立でいいのだ。息子が私立に行きたいというからいろいろやってお金使ってるのに、その発言はなんともねえ。膝から崩れ落ちる。
 
 息子は、冷暖房があったり、パソコンルームがあったりするいい環境の私立の中学校で楽しく中学校生活を過ごすために受験するのであって、有名大学へ進学するためには、高校生になる時に勉強が難しい学校を選びなおせばいいのでは…と思っていたらしい。
 中高一貫校というのは、カリキュラムが6年あることを基準に作られているため、外に出ることは基本考えられていないので、大学の進学実績は今から見ておかなくてはならないのだ、という話に、「そんなことはじめてきいた」みたいな顔をしていた。

 …なんていうか、のんきだなあ…。まあ、このぐらい気楽なほうが、偏差値が!成績が!というよりいいのかもしれないが。
 自主性に任せるとか、本人の希望を大事にするとか、そういうことも大事かもしれないが、うちはまだ、親の考えもかなり考慮に入れたほうが無難だ、ということが分かった夜だった。

トランスジェンダーとスーツ

生まれたときの体の性別と、自覚する性別が違う人が、気兼ねなく自分にあったスーツを選べる【みんなのスーツ】という取り組みがある、という話をネットで読んだ。いいことだと思う。

 実は、私はこういう話があるのではないか、と真剣な顔で聞かれたことがある。それ以来、なんとなく、自分と違う性別に典型的な服装をしたい人には勝手に親しみを覚えている。

 私は、服を自分で選ぶようになった中学生の頃から、スカートをほとんどはかなくなった。
けれども、学校の制服はスカートでもどうしようもないから着たし、自分の体の性別と中身の性別が女性であることに違和感もなかったし、お付き合いすることになった人も、結婚する相手も男性だったので、カテゴリ的には私はマイノリティではない。

 当時、私はまず、スカートが動きにくいというのが嫌いだった。キャンプとかハイキングとかになると女性も大抵、「動きやすい格好」=パンツを履くということを考えてもわかるだろう。つまりスカートというのはひっかかりやすかったり、うっかりしゃがむと下着が見えたり…というような不便な作りをしている。

 そして18ぐらいからだろうか。デニムにTシャツみたいな格好している時は寄っても来ないのに、スカート履いて化粧した時だけ猫なで声で寄ってくる人がいるのに気が付いた。送ってあげようか、ご飯を食べに行かないか、ケーキは?遊びに行こうよ…。
 ものすごく気味が悪かった。この人たちには、一体何が見えているんだろう、と。

 服一枚で中身が変わるわけもなし、いつも仲良くしてくれる友達はいい。たとえ「馬子にも衣裳だなあ(笑)」なんて言われても、「今日はどうした、まつげあるじゃん」などとからかわれようと気にならなかった。
 私がスカートが嫌いだったのはつまり、自分の性別との違和感ではなく、社会的役割のせいだった。
 「女性らしく装う」のが、なんとなく「女を武器にいい思いをしようとしている」ようで。

 人の態度が服装で変わる。「人は見た目が9割」なんていう本があることを思えば、見た目で人の態度が変わることにそんなに目くじらをたててはいけないのだろうが、当時の私にはその変わりようが恐ろしかった。
 だから、私がお付き合いをした人はみんな、「別に、服は気にしない」というひとばっかりだった。

 演奏会に男性は白シャツに黒いズボン、女性は白いシャツまたはブラウスに黒のロングスカート…というのは結構ありがちなのだが、ズボンをはいて出てはだめか…と頼みに行った私に、OKを出したあと、更衣室はみんなと同じでいいのか、と真剣な顔をして聞いてくれた人がいた。

 もし、女性の中で着替えるのが嫌なら控室が遠くなるけど1つ、別に部屋をとれるように算段するけど、と。
 実は同じバンドに、私と逆パターンの…つまり体は男性だけれども、女性の服を着るのがいい、という人がいたからだろう、そういう問題があるのをその役員さんは知っていたのだと思う。

 もうひとりの、その男性は、セーラー服が着たい、と熱望する高校1年生だった。かなり線が細い男の子だったので、私の実家に残っていたセーラー服をあげたらすごーくうれしそうだったのを覚えている。それから2年後ぐらいにもう一度会ったときには、肩幅が増え、背が伸びて女物が似合わなくなった、という話をして残念そうだった。そして私に、「せっかく女の子なんだから、かわいい服を着たらいいのにー!」と。当時もまだ、パンツ一辺倒だった私は苦笑するしかなかった。
 
 制服に、スカートとパンツのどちらでも選べるオプションがあったら…。
 ビジネススーツも、どちらでも選べれば…。
 きっと、彼は喜んだだろうなあ。

 真冬だったら、防寒のために制服がパンツでもいいかもしれないな、と私も思ったと思う。
なんせ、スカートの下にジャージを履くというのまであったからね(ハニワと呼ばれていて、見つかったら怒られたけど)。

 ともかく選択肢があるのはいいことだ。
 こういうのがもっとあればなあ…。クーラーがガンガンにかかったオフィスで、事務員の制服がかなり短いスカートだった時代もあった私としては、パンツのビジネススーツがフォーマルが必要な時に着られるというのは、すばらしい。

 スカートをはきたい人は誰でもスカートがはけて、ズボンをはきたい人は誰でもズボンをはけるのが一番いいと思うんだけど。
 そういう時代になればいいと思う。 
 
 

変なルール

会社で承認のハンコをもらうとき、となりの押印欄に上司のハンコがあったら、その印影の方へちょっと傾けてハンコを押すルール、などというものがあるらしい。お辞儀しているように見えるのがいいんだって。なにその人形劇みたいなの。

 私は社会人だった当時、そんなことを全然知らなかった。
 もちろん、ハンコというものは、「逆さにとか、横向きにとか押したりするものではない」ことは確かに常識として知っていたが、字で上下がわかるものなのだし、上下ぴったり、まっすぐに押していたと思う。どっちかといえば「傾けないようにまっすぐ押す」ものなんだと思っていたよ。

三文判とかには、「こっちが上ですからね」ということがわかるようになっているものも多い。ちなみに実印は「ゆっくり確かめて押せるように」なっていて、上下の印がないということだったけれども、実印って…持ったことがないからなあ…という程度。

 傾けるのがマナーと言われてもなあ…。大体、学生の時にハンコ日常的にいらないのだから、使い慣れていないところへ、そんなルール、知らないよね…。2000年以前の、私が新入社員の時の研修ではそんなことを言われた覚えはない。
 飲み会に行ったとき、女性が料理を取り分けるのがマナー、なんていう話も最近ネットで知ったぐらいだ。テーブルがとても大きくて、横に細長い形で、場所が全体的に誰も動けないほど狭く、料理の皿が動かせないほど重い…時ならやるかな…ぐらい。それでもやるとしたら、親しい友達の時に限られるだろうし、「ねーまこ、そっちのそれ、食べたい」ということになれば皿ごと回すほうが断然当たり前だろうと思う。
 例外としては、滅多にやったことはないけど、たとえばかなり人数が多くて、受け入れ先が居酒屋さんぐらいしかない…ぐらいの時に、誰かが連れていた子供が混ざっていたら(または自分の子が混ざっていたら)子供には取ってやると思う。小学生までだろうな。でも、飲み会エイジの大学生とか社会人なら、取り分ける意味がわからない。
 これは、最近では「家庭的です」ということのアピールに合コンなどで行われるらしい。

 あとは、徳利についている注ぎ口からお酒を注ぐのはマナー違反、という謎のルールも。
 じゃあ…なんのためについてるの、注ぎ口って。
 毒をね、その注ぎ口のところに塗っておいて、注ぎ分けることで暗殺を謀るケースがあった…ってねえ、それどんな時代小説なわけ?忍者出てくる?ってなもんだ。

 こういうことが出来ないと「今どきの若い人は」っていわれたりするのだろう。

大丈夫、昔の若い人たちも知らないから!

いちいちハンコを傾けて押す、とかそういうことを言う人に限って、仕事が出来なくて、ハンコ押すだけのポストにいたりすることもあるからなあ…文句を言われそうだ。そんなことを気にしている暇があったら、もっとどんどん書類作成をしましょう、というようなところにいた(忙しかった)から、そんな上司に当たったことはないけど、こんなものをマナーにしてたら、そりゃ仕事がすすまないわけだよ。
 効率が悪いというか。たかが5分、10分でも積もることを考えたら、残業がそれで増えるんだよね。
ちゃんとしなきゃあ…と思って本を読む社会人一年生、学生の皆さんは気の毒だ。社会人の常識マニュアルはきっと、20世紀よりもずっと分厚くなっているのだろう。
 こういうマナーをどこかで生み出している人がいるんだろうけど、迷惑だ。だんだん複雑化している気がする。

友達に不倫の話を聞く

長いこと、冷たい夫に苦しみ、自分で働いて家庭を支えていた友人が、離婚をしたと聞いたのが去年の夏。

浮気を平気でする相手との生活を20年続けるというのは、並大抵のことではないだろう。お子さんが20歳になったのを機に、ふんぎりがやっとついたといったような感じで、実はさっさと別れろ、と前からすすめていた友人も1人、2人ではなかった。

家事と料理の腕は大変すばらしく、家に遊びに行く友人にふるまってくれることも多く、友人みんなにとても親切で、独り者の友達が急病で倒れて救急車で運ばれて、彼女にかけつけてもらった、なんて話も聞いたことがある。みんなが、「いざというときには、たすけてくれるかも」と思えるような、頼もしさがある人なのだが、それが、つまり…一途にダメな男にも発揮されるとどうなるかというと、つまり、ダメな男はのらりくらりと、彼女を利用することになる、という、そういう結婚相手だった。

 正直、仲間内での彼の評判は悪かった。
 そりゃそうだろう。いつも親切で気のいい私たちの友達を裏切り、浮気をするのだから。
 
そして、この冬、久しぶりに私はその友人と会った。

 そして…離婚して雰囲気が変わり、きれいになった彼女が、熱をあげている相手が、妻子のある人である、という話を聞いた。
なぜ、そこでフリーの人を選んでこないんだ!!!

 聞けば、離婚してからフリーの人に申し込まれたこともあるそうなのだが、その人たちには心惹かれず、運命を感じた相手は、小学生の子供がある男性。(最初は妻子持ちだとばらさなかったらしい)
 
彼は、奥さんはパートでほとんど主婦というようなスケジュールで働いているにもかかわらず、家ではろくにごはんも用意してもらえず、アイロンのかかっていないシャツや、膝にアイロンがかかっていないのがわかるズボンをはいており、それなのに社内でも1、2を争う好成績で営業をしており、大変モテるのだとか。

 ちょっとアイロンをかけてあげたり、合う服を選んであげたり、おいしいご飯を作ってあげたりしたい、のだと。
その人の奥さんは、ママ友とランチに出歩き、朝は起きてこず、夜は先に寝てしまって、10時過ぎに帰る彼を出迎えもしないのだといって、「子供には責任があるから、別れられないけれども、一緒にいたい」と言われて、彼に安らぎを与え、自分もしあわせを感じているのだと言っていた。ここまで夫のことに気を配らないなんて、奥さんは絶対外に男がいる、とも。

 友達は言うのだ。ずっと待つと。
 そして、自分が都合のいい女をやっていることも、彼の話が、話半分に聞いておかなければならないことなのだということも、わかっていると。

 ちなみに写真もみせてもらったけど。確かに、悪くない見かけだとは思ったけどさ…さわやかな営業職のおじさん、という感じだ。そういう職業についている人には、ありがちな外見だし、多分モテるというのも、営業成績が大変よくて、いいお金を稼いでいるというのも嘘ではないのだろう。

 かといって!!!私は思うのだ。すごくいいひと、がさあ。
 独身者向けの出会いの場に、妻子持ちだということを隠して登録するものなの?
 そのひとは、すごくいいひとではない。かなりずるいひとだ。
 バツありだ死別だ、というなら私だって彼女のために喜べたと思う。でも、私は素直によかったねえ、とは言えなかった。
彼女はとても幸せそうだったのだけれども…。

 でも、波風のあんまり立たない結婚をして二十数年、苦労をしていない私としては、すでに自分で都合のいい女になることも、彼の話が一方的な(うそかもしれない)話なこともわかっているというのなら、彼女を止めることは出来ない。
 または、止めるべきではない。私は彼女に、つかの間の幸せさえも、あげられないのだから。
 
毒が入っていても食べたい。それで幸せなのだ、という人を、力づくでとめるのはとても難しい。
 タバコが体に悪いとわかっていてもやめられないように、独身で、一緒になれる条件がちゃんと整った人よりも、たとえ条件付きでも、今だけでも、目の前の幸せが手に取りたい…ということなのだろう。

 結婚生活と、子どもと安定と、そして別の女がほしい。なんてずるい考え方だろう、と私は思ってしまう。ちょっと同情をひいて、君が俺の安らぎだ、なんてセリフぐらい、まるで赤子の手をひねるような簡単さであろう。自分で「結構モテるんだよ」なんてセリフが言える人は自分が、独身の、優しい言葉を欲しがっている女性にどんなふうに見えるか、なんてわかっているからだ。

 私は、浮気をされている奥さんの方にも同情したい。
 自分が結婚した人が、独身女性に「俺、結構モテるんだ」なんてアピールする人だってことはよ?絶対に、私の友達が1人目じゃないと思うのだ。100人単位、とまではいかないだろうが、奥さんに一筋、というひとではないだろう。

 外で浮気をしてくる人に、かいがいしく世話を焼こうなんて思うだろうか。彼のシャツに毎日アイロンをかけ、スーツが古びていないか時々点検し、毎日おいしいご飯を用意して、帰る時間に温めておこう、なんて思えるだろうか。

 私なら無理だ。すごく腹が立つと思うし、報復したいと思うだろう。自分がどんなに不満に思っているか、思い知らせようぐらいのこと考えるかもしれない。子どもはかわいいし、離婚して独立するだけのキャリアがあるわけではないので経済的自立は貧困とともに…ということになるとしたなら、離婚は嫌だろう。でも、誠実ではない彼と、顔をあわせてなじらずにいられるだろうか。

 朝起きてくるのが遅いのも、寝室は別で早く寝てしまうのも、会いたくないからではないのか。

 自分の浮気が、冷たい奥さんの理由なのだとしたら、それは自業自得というやつなのでは?

 別れてから、私のともだちに手を出してくれ。本気なら出来るよね。そういいたい。

 まあ…離婚だ、慰謝料だってなったときのために、お金を貯めておくしかないね、というしかなかった。
 あんなものにも相場はあるものだからねえ、と。

 案の定、私の他の友達にも、「すごくおこられた」らしい。そうだろうねえ…。
 私も、「本当言うなら、やめろといいたいよ」とは表明しておいた。

でも、もう40代。わかってるんだよね、全部。
それでも、その人がいいんだよね、きっと。はあ…。

私は絶対の絶対に、浮気をする人は嫌だ。フタマタかけられたとわかった瞬間、別れは決定だ、と思っている。
それがどんなにつらくても。慰謝料ふんだくって離婚だ。

 きっとこれは主義主張の違いというやつなのだろうね。それがどんなにつらくても、この人だと思ったらそれを貫く、というポリシーのひともいるってことなんだろう…とは思うけど、飲み込みにくいなあ、ほんと。

既婚者が独身者を口説く、というのは、本当にマナー違反というか、ルール違反というか…。

  自分では絶対味わいたくはないが、恋愛の初期の、あの甘さを、より素晴らしいものに思わせる苦さが、不倫には、入っているのかもしれない。

…ということで納得しておくしかないな。もやもやしたので、書いて発散。

五月の十連休に思うこと

10連休。これを、すごくいい響きだ、と思う人は、割とカレンダー通りに休める人だと思う。

私も会社勤めをしていた時なら、「おおっ」と思っただろうし、友達と旅行にいくとか、遠くの友達の家を訪問するとか、でなければずっと置いたままになっている本とかを読むようなことや、手芸をがっちりやろうとか、そういう予定を立てて楽しみにしただろうと思う。

 裏を返せば、カレンダー通りの休みなんか見込めない人にとっては、きつい10日になる。人出がいつもよりぐっと多い、臨時列車だの、臨時バスだのも出ることになるかもしれない。年末年始や、ゴールデンウィークは、いつもより忙しくて大変な、電鉄会社や、バス会社に勤めている友達の顔が思い浮かぶ。

 飲食店のサービスをしている人たちも、多分…。観光地のそばに住んでいる友達の、ごみが増えるというグチも思い出される。
 しょうがない、しょうがないんだけど…。

 それに加えて、まだ息子が3歳ぐらいだったころのことも思い浮かぶ。
 子どもってさー。熱が突然出たりするんだよね…。休日診療のある病院は少ない。休みの日の朝早くに、当番病院の待合室で顔をあわせたのが、子育てサロンで出会うお母さん。同じ年のこどもがある人だ。

 二人とも苦笑してあいさつしたっけ。なにも、こんな日にねえ…。
でも、風邪かな?ぐらいなら大丈夫でも、中耳炎となると痛みもあるので、3日も4日もほうっておくわけにもいかない。
 熱でも、それほど高くなく、遊んだり食べたりしている感じなら大丈夫でも、39度か、というような高熱が出たらやっぱり病院へ診せに行きたいものだと思う。
 病院が手薄になったり、休みになったりするのが10日間もあるなんて、正直小さい子供のお母さんにしてみたら、やめてほしいのが本音だよね。
 まあ、うちの息子は小学生になってから、かなり丈夫になったので、10日休みがあっても、多分大丈夫だけど、子供が幼稚園以下だったら、心配になっただろうと思う。
 あと、これは直接の知り合いはいないが、人工透析している人は、10日も休みがあったら、スケジュール調整が大変だろうなあ。
 普段から飲んでいる薬がある人も、ちょっと前からその10日の間に薬が切れないようにしておくような調整をしなくてはならないだろう。

 これはつまり、降ってわいたすてきなお話、ではなくて、降ってわいた大変なことというカテゴリになってしまう人が結構いそうだ。

結局、こういうことを決めている人は、役所に勤めていて、カレンダー通りに休める、健康な人ばっかり…だから、こういうことになるんじゃないかね?
 
 日給月給のパートやアルバイトの非正規雇用の人、または正規雇用でも給料が日給月給になっているひともいるだろうし、ひと月の業務量が決まっている人は10日休むことで、そのあとの仕事の量が片付いてない分がたまる。物流業界の倉庫業務、運送業の人たちの運転のことを考えると、ほんと、旅行業界以外は、勘弁して…という話だと思う。

 5月の終わりにもらった給料で6月が過ごせなくなる人が出そうな…。
 今年だけなら、何とかやり過ごす(しかない)のだろうけど、こういうの、毎年やるのは是非やめてほしい。

 ちなみに、うちでは、「めちゃくちゃ混むと思うけど、旅行、いく?」という話になったのだが、うーん、近場でちょっとだけ、後半に入ってもいいかな…でも、わざわざものすごく混むときに行くのはいやだねえ、という大変消極的な反応で終わった。

 今行きたいのはヨドバシカメラぐらいだけど、休日が続くとやたらと混む上に、商品も不足するからなあ…。
 家にいるにしろ、10日連続で息子と夫が家にいたら、昼ご飯が面倒だな…。

 主婦の私でもこうなんだもの、10日も休めない人にはきっともっと大変だと思う。

しみじみと、考えること

このブログを読んでいる人の中に、一人だけ、私がリアルで知っている友人がいる。
その人は、古い友人なのだけれども、今は外国に移住した人で、会う機会がものすごく少ない。今はSNSなどで連絡を取れる時代ではあるのだが、かなり長く会っていないので、チャットなんかをしていても、共通の話題が少ない。
 それが何だかさびしくて、私の方から「こういうの書いてて」とこのブログのことを教えた。

 ちょっと照れくさいとはいえ、つまりお互いの10代、20代を知っているから、たとえば結婚前のことだとか、付き合っていた人のことだとか、通っていた学校のことまで知っているとなれば、もう何がばれたところで今更…という感じで、今私が考えていることなどを知ってもらうには、いいアイディアではないか、と思ったのだ。

 彼女は、自分の力で夢をかなえてきた人で、いつもすごいな、と思っていた。
 その彼女が、一度チャットをしたときに言っていた。
「もう、何でも出来るわ、なんて思わなくなったわね」と。

 実のところ、自力で夢をかなえるなんて考えたことも感じたこともないことだった。
 私はどちらかと言えば、なんとなく…その時に目の前にあったことをこなしてきただけ、といったような感じの人生を送ってきている。試験を受けたら合格しそうな学校を選んで入り、就職はいくつも受けては断られて、内定をくれたところになんとなく入り、プロポーズしてくれた人に「こんなチャンス、もうないかも」と思って結婚して、身の回りの条件がなんとか整ったところで妊娠して、子育てをとりあえずしてきたら今になった…という感じなのだ。

 自分がやりたいことを決めて、その目標に向かって、自分が今何をしなくてはならないのか、というようなことを考えてきた彼女とはそういうところが違う。だからこそ、彼女はすごいな、といつも思っていたわけだからね…。
 でも、最近、なんとなくわかってきた。かなり消極的なわかりかたではあるけれども、実感がある。

 それは、ゲーム。
 私は、ゲームをコレクションしてきた。
 「いつか、時間が出来たら遊ぼう」と思っていたものもある。昔に遊んだものが違う筐体に移植されたのとかも、「あれは楽しかったな、また遊べるといいなあ」と思って、時間がない時も、体力がない時も、買ってきたものがある。
 それと同じで手芸の材料とかも、結構買っている。

 「いつか、時間が出来たら」
 「また、こういうことをやりたくなる機会もあるだろうから」

とかそういう感じ。すると、たまっていくんだな…。
 多分だけど、私の手芸材料で出来るかもしれない手作り品の量と、遊んでいないがたまっているゲーム全部をクリアする時間を考えると、多分私はもう、新しいゲームを買わなくていいぐらい持っていると思う。

 新しいゲーム機で発売されるゲームを遊ぼうと思ったら、古いのはもう、一回軽くクリアしたら捨てるぐらいのことをしないと、ゲームがあまり買えなかった時のように、全要素遊びまくって、周回プレイとかやっていたら多分時間が足りない。

 なるほど…もう、「どれでも遊べる」じゃなくなってるんだね。

そう思ったとき、彼女の言葉が思い出されて、「あー。なるほどー」と思ったのだった。

ゲームボーイのゲームをなるべくクリアしたら、次は3DSのダウンロード版のバーチャルコンソールとか、移植版だ。
 バーチャルコンソールとか、移植版はタッチパネルを使わなくて、ボタンで遊べるものもあるから、外部出力を考えてもいいかもな…。

 厳選!移植ゲーか…。
 
ファイナルファンタジーと、ドラクエかなあ。あとはロマサガ…。
 シレンとか、トルネコとかもあるしなあ…。

ちなみに、スイッチに出るというので楽しみにしていたチョコボの不思議なダンジョンは、どうも発売延期になったみたいだ。
 シレンは難しくて挫折したこともあるし(シレンのゲームボーイ版)、シレンはあきらめるかな…。

電池入れ替えたONIシリーズも一度はやりたいし…(まだ電池のソケットが届いていない)。
ヨッシーのクッキーはふっと気づくと1時間ぐらいやっちゃってるしな。
 やっぱり、「やりそうなの」と「もってるだけ」のは、区別をつけて、整理しよう。

そして、違うゲーム機で持っている同じゲームもまとめようか…。こういう時に、図書館みたいに、「本の寄付を受け付けます」のような、ゲームの寄付を受け付けるのとかがあればいいのにねえ。

 20代の頃は、「始めさえすれば、いつでもゲームの1本ぐらい遊べる」と思っていたものだけれども、やっぱり趣味というのは、厳選して選んでいく時期に来ているのだろうと思う。
 図書館の本を手当たり次第に読めた10代の頃…。
 暇つぶしに、レンタルビデオ屋さんの床の箱のなかから1本100円のビデオをテキトーにつかみ出して帰って、友達と批評しながら見た夜。ひたすら、暇だった。

 でも、今は。

そうだね。やっぱり本も、映画も、選ぶことになるんだと思う。そして、ゲームも。
 厳選。新しいものを遊ぼうと思ったら、古いのは遊ぶ時間、ないもんね。

古いものを遊ぶなら、新しいものは遊べない。悩むところだ。
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
今年一年、お世話になりました。来年もよろしくお願いします。
うちのブログは、年末年始も、淡々と毎日更新です。

 

飲食店でのトラブル

 言っちゃあなんだが、私は小市民だ。
お店で大声でクレームをつけているおじさんを見ると、「あそこまで言わなくていいのに」と思うし、「こういうところで文句言わないと損よ、言えば色々くれるんだから」という人を見たときには、「そ…そういうものなの?」とびっくりしたこともあるし、大体そういう意見をはっきりと…いや、意見というよりはクレームを、はっきりと誰かに告げることに、なんとなくしりごみしてしまう。
 そんな私の、珍しめの体験談。

 息子と二人で、安い中華料理を出す店に行った。
 ここは、出てくるのが早い、中華料理のファーストフードと言ってもいいようなお店で、1人千円以下どころか、700円もあれば割とおなかいっぱいになる、そういうお店だ。

 この時間ならもう混んでないだろうと思った13時についたのに、やっぱり前で人が待っていて、10分、15分ほど待っただろうか。カウンター席が空いた。
 カウンターでももちろん大丈夫だったので、一品ずつ注文して、息子は本を読み、私はスマホでニュースを読み始めた。
 あんまり時間のかかるものを頼んだ覚えもなかったのだが、隣の人が食べ終え、新しい人が座って、その人の食事も運ばれ、食べ終わって帰って…

 大体、そこで25分ぐらい経過していた。
 私はそこでいくらなんでも長すぎる…と思って、お店の人に、
 「すみません、後から来た人が食べ終わって帰っちゃった、というぐらい待ってるんですけど、注文はどうなってますか?」
…と聞いた。なんとなく気まずかったがしょうがない。

 これが、もっと高いレストランなら、そういうメニューもあってもおかしくないかもしれないけど…。込み入ったメニューというのはあるものだ。でも、早い、うまい、安い!のが売りのこのレストランで30分もかかる料理なんてないはずだ。

 注文票を見なおしにいった店員さんは、すみません、すぐ作りますから!と焦った声で私たちに告げたので、つまり魚だったら「海に魚釣りに行っている状態」だということが判明。
 
 …これだったら、家に一度帰ってスーパーのお弁当のほうが早かったかも…と一瞬頭によぎった。
 夫だったら、この時点で、「まだ作っていないなら、もういいです、帰ります」といって、帰るだろうな…と思った。
 でも…そう思っても、「すみません、ほんと、急ぎますから」と、調理の人にまで言われてしまうと、帰りますと言えず、私はそこで、もう10分、待つことになった。

 おなかがすいているとなんとなく気が短くなる。
 ちょっとイライラする。時間を無駄にしたような、なんだか損をしたような。
 息子は夢中で本を読んでいるし、私だって帰ったところでやるのは夕飯の支度だけなのだから、損をしたとはいえないだろう。でも…。

 遅くなりました、すみません、と持ってこられた料理をとりあえず、食べた。
 息子は、「こういう風になるの、普通?」と聞いてくるぐらいにはのんきなものだったが、いや、息子よ、多分これは普通じゃないよ。

 はあ…おなかはふくれたので、もう忘れよう、帰ろう。と思ったら、お店の人が、「あの…これ…よかったらどうぞ」とお菓子の袋をくれた。このレストランでキッズセットを頼むとおまけにくれるものだ。原価多分50円以下。

 はあ…これ、はねつけるほうが失礼…かなあ。と思って、「ありがとうございます」と受け取ってしまった。

こういうのってさ、受け取ったからには、もう文句を言うな、ってことだよね…。

 なんとなく、ため息が出る。
 これは、私がもっと早く…せめて30分でなく、20分ぐらいで、確かめてもらうべきだったのか。
 たかが50円ほどのお菓子セットで懐柔されたような気分になるんだったら、もらわないで、「いえ、結構です」と言って帰ってきた方がよかったのか、それとも、もっとクレームをこう、勢いよく入れるべきだったのか。

 こういう時に、どうするのがいいのか、これだけ年月を重ねても、わからない。
 穏当に、と思うばかりに、こういうもやもやした気持ちを持っているのが損なのか、それともこのぐらいのことは飲み込むものなのか…。
 他の人がどうするのか、ちょっと聞いてみたい。
 

塾はいつから?

授業参観の休み時間に、息子のクラスメイトのお母さんに話しかけられた時の話。多分、1年生の時にも同じクラスだった…と思う。一応、顔と、苗字と、お子さんの名前はわかっているぐらいの人だった(珍しい)。
お名前はAさんとしよう。

 「まこさんのところ、受験するんだって?うちの子も受験したいっていうのよ、塾とか行ってる?」
…と聞かれたが、ちょっと、Aさん…遅いんじゃないのか…とここまで出かかった。

 そう、塾の新年度は4月ではなくて、1月とか2月。11月ということは、確かに入塾するとしたらこのぐらいから準備は要るだろうが、5年生から塾というのはちょっと、珍しいぐらい遅い。3年生はちょっと早めにしても、4年生からというのが通例だろう。
 
 「塾の模擬テストみたいなのには、行ってる?あれはタダのもあるから、何種類かはうちでもやったよ、後から勧誘の電話がかかってくるのがうるさいけどね」
 ほとんどの塾は大体ABCと三種類ぐらい(つまり上中下みたいな感じ)にクラスが分かれている。点数によっては、最難関用のクラスとかに塾代半額で招かれたりするようだが、そんないいことはうちには起きなかった。

 すると、Aさんはそれがね…と話しはじめた。
その話を総合するとこうだ。
 まず、そういう話を学校でする子が増えてきて、Aさんの息子さんは、「あ、俺もやってもいいかも」と思ったらしく、お母さんに「俺も私立受験したい」と言ったのだが、そのつもりが親御さんの方には全くなく、近所の公立に普通に進学、と思っていたので驚愕。
 誰から聞いたのか、というわけでその話をした友達のお母さんに聞いてみたら、そのお友達は3年生から駅前の塾に行っている。そのお母さんに、「無料入塾テストがあるから、受けてみたらどう?」と言われて受けたら、結果は郵送されてきたものの、点数はどん底、勧誘の電話すらかかってこず、こっちから問い合わせたら、なんと、お断りされた…ということらしい。

えーーー。ちょっと、勧誘の電話がうるさいなんて言わなきゃよかった。自慢したみたいになってしまった。
 塾というのは基本入塾させてお金取るのが目的だ。この街の塾はたくさんありすぎで競争過多になっていると噂されているのに「入塾お断り」があるなんて考えたこともなかった。…ううう。よっぽど成績が悪かったんだろうなあ…。

 なるほど、と相槌を打ちながら、一体どのあたりが落としどころか…と見当をつける。
さすがに、「勉強苦手なら、受験はやめておいたら?」というのは間違いなく失礼だからね。

 まこさんなら、どうする?というので、
もし、うちの息子が今まで準備してこなくて、今から突然入試準備をするとしたら、という話ね?と確認を取ってスタート。
まず、今からやるとしたら、うちの場合は息子が(私立に入りたい、という割には)真剣に勉強してくれないので、普通の週に2回ぐらいの塾だと勉強が足りなくなる。(だから、うちは低学年のころから、じわじわとやるしかなかったのだ。長時間集中できる子ならもっと後からでもよかった)なので、個別指導の塾、つまり先生が1人に、生徒が1人か、2人というタイプの塾へかなり頻回に入れると思うよ、塾の先生が、このあたりの学校ならいけますという学校を受けるだろうね、とまとめておいた。
 
 Aさんは、「どうせならちゃんとした学校へ入れたい」らしいが、正直なところ、「最難関」はもう、無理だと思うよ?と言っておいた。
つまり「XXとか、△△とか、〇〇とか…」と補足したら、「ああ…」ってなってたけど、つまりそういう学校は、4年生ぐらいから、ぎっちりみっちりに詰め込み、中学受験に独特な試験問題に慣れて速さをだし、短い時間に一瞬で解ける問題と、捨てる問題を見分けられる子供にしか、受かるチャンスはないからね…。多分、「難関校」も厳しいと思う。とつい、付け加えてしまった。程度の差こそあれ、最難関、難関校受験のやり方は同じだ。問題パターンの認識と習熟、問題の取捨選択で速度を出すそのテクニック。

 日本の中学受験はそういうシステムになっているのだし、その良し悪しはともかく、そういう学校に入ろうと思うと、それに合わせられないといけない。中堅から下は、子供が減っているから、色々な入試をしたり、特色を出したりして難関用の勉強をしていない子どもを受け入れることもあるから、勉強が苦手な場合はそっちを狙うほうが勝算が高い。

 「難関校より下の学校に関しては、本人のやる気次第では1年でだいぶ違うと思うし、中堅より下の学校でも、学力と経済力で下の方を切っているだけでもやはり子供の学力がそろいやすいから、お勉強面では公立より有利だと思うよ」とは言っておいた。

 まこさんのところは、どこを狙っているのか、と聞かれたので、正直に答えておいた。
 正直、学力的には素晴らしいとはされない学校だが、学校見学で息子が見に行って、ここがいいというのだからしょうがない。
 小学校の英語の授業が好きではなく、ああいうのをやるんだったら、地元中には行きたくないと言われてしまうと、お金が安いから公立に行け、とは言えなかった。息子が行きたいという学校は英語が習熟度別だったからね…。

 Aさんには、「つまり、お金出したら入れるような学校でも、公立よりましってこと?」と言われたが、うん、そう。
高校だと多分そうはならないけど、中学だとそうなると思う。補足説明をしたほうがいいな…
 つまり、中学入試だと、偏差値がたとえば35でも、高校入試の偏差値35とは全く性質が違う。
 中学入試をするのは、「経済的に6年分の私学の学費が出せる」「公教育よりもいい教育を受けさせたいと思っている」人たちばっかりだ。

  勉強がよく出来るので、そのまま勉強して伸ばしてテストに受かる。
  勉強がよく出来るが、さらに伸ばして難しい学校のテストに受かる。
  勉強はそれなりの子だが教育費がかけられるので、塾とか、家庭教師で学力を上げてテストに受からせる。
このうちどれかの戦略で、中学受験をするのが通例。
 勉強が苦手、または嫌いか、お金をかけても箸にも棒にも…という子はまず、この年齢では受験をしない。
 つまり、小学校の成績でいうと、「大体真ん中から上」の子ばっかりが中学受験に挑むわけだ。
 
 となると、すでに模試の偏差値50、つまり平均点の時点で、真ん中から上の人たちばっかりのうちの真ん中…ということは、小学生全員の上から3割ぐらいには入るね…という感じになりがち。
 ということは「中学受験の偏差値35」の場合でも、全国の小学生全員の真ん中ぐらい」の子ばっかりになっちゃうということで、偏差値35ぐらいの(中学受験でいうと、それほど難しくはないとされる)学校でも、公立小学校のクラスの下半分がばっさりいない状態で授業を進めることが出来る計算だ。理由が学力か、経済力かのどっちにしろ、結果はそうなる。

 だから、受験の偏差値が35でも、私立を受ける人がいるんだよね…と説明したけど、ちょっと、そんなこと大体小学校3年生になるぐらいの頃(つまり小学校2年生の秋から冬)の塾の説明会でやるってば…。なぜ今頃なのさー!

 もともと、うちの息子が通っていた幼稚園は、お行儀なんかにうるさい幼稚園で、近隣のエスカレーター式お嬢様学校への受験に有利だと言われていたためか、教育熱心なママさんたちが多く、こういうことは「常識」とされていた。小学校から私学推しの人が多いんだよね…。
 つまりそのころからのママ友さん中心に交友関係のある私も、「そのぐらいのこと」は知っているわけだ。
正直言うと、中学なんか公立でいいのにと思っているが、こういうことはもう、宗教みたいなもので、そう信じている人に何を言っても平行線だからねえ。
 しかし…。子供の意見を尊重して学校を決めるというのはいいことだと思う。なんせ通うのは子供なんだから。
でも、それにしちゃちょっとギリギリすぎないか?
 
 「今からじゃ無理だと思う?」
 うわー。この質問は、「お子さんの素質とやる気による」としか…。
つまり、3年生から塾に入ると、3年生の教材をやるわけよ。で、4年生から入ると、「3年生の分はもう終わってますから、その分は、家でお願いします」ということになっているわけで(教材は渡してくれたりする塾もある)、今かららでも遅くないようにしようと思えば、4年生とか3年生でやることを家でやって、追いついておかなきゃいけないんだよね。
 たとえば、「ことわざ」とか「慣用句」なんかは、6年生じゃなくて、3年生でも丸暗記出来るので、わざわざ6年生まで待たないから、入試には出るけど、塾では6年生ではもう、復習とか、学校別対策とかにちょこっとしか出ない…というような現象も起きる。
 塾のカリキュラムの埋め合わせが出来るかだねえ…。

 「この学校に行きたい、という目標をもって、頑張る男子というのは短期間で伸びるという話は聞いたことあるけど…」言っておいた。
 うちの息子は集中力が30分ともたない。特に苦手科目は模擬テストの時は頑張っているようだが、普段の勉強は絶対どこかに幽体離脱しているとしか言えない状態になっていることもある。うちの息子だったら準備は1年では無理だろう。
 
 Aさんの息子さんが典型的な男子で、なおかつお勉強が嫌いだとしたならば、今から準備して入試は大変だろうなあ…。だがこれを失礼にならないように相手に伝えるのは難しい(ので言わなかった)。

 私がお茶を飲んだり、ランチに行ったりするような、仲のいいお母さんたちはみんな、中学を受けるかどうかわからないけれども、受けたいと言われたときに、「何も準備してない、どうしよう」ってなりたくないから塾には行かせる、と3、4年生ぐらいから行かせていた人が多かった。3年生の時には全然そんなことを考えていなくても、たったの2年で考えていることが全然違ってくる年齢なんだよね、小学生って。
 
 Aさんは、私と同じく、ひとりっ子のお母さんだった。
 なんだか、身につまされるものがあるなあ…。何でも初めてだからねえ。
 大人は2年で考えていることはほとんど変わらない。基本は現状維持だもの、突然の変化には対応しづらいよね。
 前もって準備出来るかどうかは、難しいところだ。

最近の塾には、中学受験コースだけでなく、小学生向け「高校受験準備コース」もあるんだよね。
今からだと、高校受験を目標にしたほうが…。いや、もう聞かれてもいないのにいうのはやめておこう。
 Aさんにはお礼は言ってもらえたものの、なんとなく言い過ぎたような気がする。

いや、よくわからないから、とかごまかすのもなんだし、かといって今日私が出した情報が役に立ちそうかと言われると全然だしなあ。こういうところで雑談をするのって意外と難しいんだよね、ほんと。苦手だ。
 

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子どもって、そんなにいいものなのか?

子育てって、そんなに「やっといたほうがいいものなのか?」と疑問に思っている人の話を聞いたので、ちょっと考えたことを書いてみようと思う。

 生涯未婚率、または生涯子どもをもたない人の率は年々上がっているらしい。少子化、少子化と言われてもうしばらくたつ。
でも…。私が20台だったときはまず、「結婚は?」で、結婚したらしたで「子どもは?」1人出来たら、「2人目は?」とまあ、こういうことは絶対聞かれてしまうものだった。多分、今でもある程度はそうだと思う。(2人子供があったら、「3人目は産むの?」と聞かれるという話を兄弟のあるママ友さんに聞いたことがあるから、そうなんだろうな)

 私は、子どもは「もう、産めないかもしれない、夫婦だけで暮らしていくことになるのかも」と思っていた時期がある。かなり深刻に。
いろいろと事情もあったし、今は息子が1人いるが、かなり高齢出産だった。

 子どもを産むまでは、子育て経験者に「子どもっていいわよー、かわいいわよ」であるとか、「女は子どもを産んでこそ一人前」とか「産めば親の恩がわかる」とか、「子どもを産んでいない人は本当の意味で大人になっていない」とか、好き勝手なことを言われていたものだ。人によっては、「子どもが生きがい、子どものためにだけ生きているといっていい」とまで言う人もいた。

 でもこれさ?と私は思っていた。趣味みたいなもんじゃないのか…と。まあ、人類として生まれてきたからには、ご先祖様というものは全員にある。みんな「誰かから」生まれてきた。それはわかる。子どもを産んで育てていかなければ人類はいつか滅亡するだろう。でも、大体地球上に人口そのものは増えているのだ。なにも、全員やらなくたっていいじゃないか。集団として子孫が残ればいいだろうに…と、そういうことを聞かれるたびにうんざりした私は思っていた。

 私が今まで出会ってきた中に、趣味のために生きていると豪語する人はいた。お金を稼ぐのも、たとえば休日に釣りに行くため、もうそれだけが楽しみ!という人もあったし、アメリカ人だとスカイダイビングをするために仕事をしているという人もいた。飛行機から飛び降りるのだが、飛行機を自分で操縦しておいて飛び降りる…というようなことはもちろん出来ないため、パイロットと飛行機を雇って、パラシュートだの服だのを用意してやるので、結構お金がかかるらしく、彼は仕事を2つ掛け持ちしていた。
 それでも、「これが生きがい」といって、幸せそうだった。スカイダイビングをするために俺は生きているのだし、あの感覚をを知らずに生きているなんて、人生もったいない、本当に最高だから、やってみなよ、と何度も勧められたものだ(やらなかったけど)。

つまり、「やってみないとわからないよね」ということ。そんなわけで、例えば私が、パラシュートとスカイダイビング用スーツを買って、その人と一緒に飛行機に乗って、無事、スカイダイビング体験が出来たとしよう。
 だめだ…ちっとも楽しくない、怖かった、絶対向いてない!となったとき、私は、「やーめた!」と言える。
パラシュートと、スカイダイビング用スーツは、お友達のお友達でサイズが合いそうな人に譲るか、メルカリとかを使って売り払うだろう。はあ…やってみたけど、1回でいいわー。終了ー。

 やってみないとわからないというおすすめは子育てでもされるが、やめるとなるとスカイダイビングや釣りと同じようにはいかない。もちろん、どうしてもだめだった!という人は施設に預けるとか、養子に出すとかという手もあるだろうが、それはどっちかと言うと「非常用緊急手段」ぐらいの扱いで、社会的にあんまり推奨されていない。子育て関係でちょっとでも愚痴ると大抵「いやなら産まなきゃよかったのに」と言われてしまうぐらいだ。

 この趣味に限っては、子どもの人生への責任が生じてしまうため、釣りや、スカイダイビングや、ゴルフと違って、「やーめた」と言えないものであって、始めたら最後、子どもがある程度大きくなるまで…早ければ中学卒業まで、遅ければ大学卒業ぐらいまで面倒を見なくてはならないもの、ということになっている。
 その趣味が好きか嫌いか、向いているか、そうでないか…ということは全く考慮されず、ともかく完遂しなくてはならない。

世の中に、好きなことを仕事に出来る人は少ない。大体好きでもないが、やらないとごはんが食べられないのでやっている…という仕事につくことになっているので、その場合は、「仕事が生きがい」「この仕事には意味がある」「つらいときもあるけど、実は楽しい」とか、そういうことにするしかない。
 人間というのはそういう風に考えるように出来ている。理不尽な目にあったら、それが当然と思えるように考えの方を変えてしまう生き物なのだ。向いていないこと、好きでもないことを、長期間やらなくてはならないのなら、それを楽しいと、当たり前と、または、やらなきゃいけないことだからやる、と思えるようになってしまう。
 そしてもうやらなくてよくなったらば、楽しかったことがたくさん思い出に残っていることに気が付く。

 子育ても多分、そういう風になっているのではないかな、と思う。
 向き、不向きもわからず、とりあえず取り掛からざるを得ない。子供はかわいい。かわいいけど、これ、本当に自分に向いてないかもしれない…と思いながらやって、どうせやらなきゃいけないなら、やりがいがあると思ってやらないと自分の気持ちがつらいので、やっているうちに子供はある程度大きくなって終了。
 終わってみれば、楽しいこともあったなあ…。っていうか、小さいころは特にかわいかったかも!

…というのが、大体のところだろうな、という気がしてきた。
 
 スカイダイビングなんか、一生やらなくても生きていける。
多分子どもを産んで育てるのも、やらなくても大丈夫だと思う。
 やったらやったで楽しいこともあるだろうけど、向いている人とむいていない人はあると思うし、それをやらないと人生損しているとか、一人前じゃないとか、そういうことまで言われなくていいと思うなあ。

 その人は生きがいだったんだろうし、産んで育てて、一人前になった実感があったのかもしれないけど…。
 まあ、そう思えるから人類がここまで増えたんだよね、と話をしめくくったら、その人には考え方が変わっているといわれた。

まあ、変わっているといわれたのは今に始まったことではない。
私自身は、やってよかったと思っているか…と聞かれたが、いい悪い以前の問題だと思ってるよ、としか。
小さいころは特にかわいかったと思うし、今でもかわいいとは思う。
でも私は子育てに向いていたか、と言われると多分NOだ。

 男子だとありがちだといわれるノリにイライラするし、夫と爆笑している下品な冗談は本当にげんなりするし面白いとこれっぽっちも思わない。本当に大丈夫だろうか…言いたくはないけど、本当に真正のバカではないのか…と思うときもある。
 ここまで空気が読めないと、人間関係でつまづいて引きこもりになるんじゃないか、というような心配もしているぐらいだ。

なんとかなってきたのは、夫がいるからだと思うし、微妙に反抗期入ってきているんじゃないかという年になって、なんか、かわいくないこというなあ!と思うときもある。大人として余裕ないんじゃ、なんて。

子育てが終わった人はみんな「それなりにうまくいった」感があるのがうらやましい。

 きっと子育てがまだ始まってもいない人には、これでも十分、経験者としての体験と考えがあるように見えるのだろう。
追い詰められる前に、言ってあげたい。

 スカイダイビングとか、釣りと同じようなもので、やってみないと面白さがたぶん、わからないのだけれど、やらなくても人生損はしないと思う、と。
 ただ、やったことがある人がスカイダイビングよりも、釣りよりも、うんと多いのと、長期戦をこなすことになるため、慣れて習熟していくと面白さが楽しめる人が多いことが、ここまで評価が高い原因なんだよ、ってね。

 少子化は、多分彼女のようにキャリアと天秤にかけて、両立出来ない、という結論が出る人が多いうちは解消しないと思う。
あとは、ここまでお金がかかると、というのも。
 5年生の子どもの塾代が、1カ月5万円。6年生になったらもっと上がるというのだから。
 特別進学コースみたいなのに選ばれると8万円だそう。塾によっては10万円を超えるところも…。
塾代だけで1年120万円。いい学校に行かせてやろうと思うと1年間で塾の春夏冬の短期講習と普段の授業料あわせて200万円はないと、という話を聞くと、そりゃ…3人産もうという人が減るのも無理ないと思う。

 うちは1人だからなんとかなるけど…。2人、3人いたら仕事は父母両方がフルタイムでやらないと教育費が足りなくなる。保育園に入れないと仕事が出来なくなる。というような問題につながってくる。
 なんとなくわかるだけに、「子育てはいいよ、絶対一度は経験しておくといいよ」なんて言えなかった。

 小中高まで公立で、そのまま就職して、年功序列で給料が上がって行って、それなりに暮らせる…という教育プランは、もうない。昔の…今の私の親ぐらいの人が「何人いてもいいわよ、子どもは勝手に育つから、大丈夫よー」というのは今の時代、もうあてはまらないし、まともにそういうアドバイスを聞くと、後が大変なんだよね。

 そういう発言に、悩んでいる人がいる。
釣りとか、スカイダイビングとか、スキーとかと同じで、「やりたい人はやればいいし、それほどでもない、と思えばやらなきゃいい」ということに、だんだんなっていくといいな、と思う。
 国が衰えるとか、年金がなくなるとか、いろいろな意見はあると思うが、年功序列がなくなって、給料をあげなくてよくなった分って、どこに行ってるんだろう。若い人の給料は安いのなら、低賃金で押さえた部分というのは、誰が持っているのか…。
 ない袖はふれないし、ないものはない。少子化対策をやらなくて、GDPが増えないとか、景気が外国のせいで悪いとか…というような話になるのなら、不便な将来は全員、耐えなきゃしょうがないよね、と思う。
 日本は戦後豊かになったというのだから、今度は貧しくなるってことで、起こりうることだと思う。多分、私たちの世代の寿命は短くなるとか、そういう結果になるんだと思う。病気でも治療が出来ないとか、補助が足りないとか、国家予算が足りないとかね。
 今の若い世代にだけ、「子どもをたくさん産め、苦労してお金が足りなくても、子供の教育程度が低くなってもいいから産め」とは言えないものね。

それでいいのだ

交通安全当番に出かけた。
 交通安全当番というのは、小学校の割り当てで、通学路の危険とされるところに保護者が旗を持って立つという当番で、一カ月に一度ある。

 この街は、結構古い街らしくて、細い道が多い。それもまっすぐな道ではなくて、カーブしていたり、どこかで途切れている道もある。そんなわけで一方通行も多いので、ナビは結構、抜け道を教えてくれる。
 狭い通りなのに、変に車が多いことがあるのは、そんなことのせいだ。

 通学路にはY字路、T字路、それから幹線道路まで通っていて、横断歩道はあっても信号がない場所もたくさんある。
 だから交通安全当番は、結構大勢の人が出ることになる。

 そんな朝のこと。私が旗を持ち、交通安全たすきをかけるというすごい格好で持ち場についたのが、予定時刻の3分前。
なぜか、教頭先生がやってきた。
 この道は、通勤の人も多い。自転車なんか、遅れると思うのか、全速力のこともある。
 横断歩道で子供を渡すのだが、車は止めても、自転車にぶつかりそうになることがあるぐらいだ。
 そして、先月の交通安全当番があった日に、学校に電話がかかってきて、「子供を優先しすぎだ、交通安全当番の人間が邪魔だ」というクレームが入ったのだそう。
 
 教頭先生は大変すまなそうに、一応、そういうお話があったのでお伝えしておきます、大丈夫だと思いますけどね、一応周りの人に伝えておいてくださいと去っていった。

はあ…。そりゃ…じゃまかもしれないし、私も注意が自転車まで向かないこともあるかもしれないなあ…全然気づかなかったよ、とちょっと落ち込んだ。

 そのあと、教頭先生と入れ替わりに、私の隣のスポット担当の人がやってきた。
 「教頭先生が来てたみたいだけど、なにかあったの?」と聞かれて、私はその伝言を伝えた。
「ばかじゃないの?」
 さっくり、一刀両断。

 「子供のためにやってるんだから、子供優先にそりゃあ、なるよね。いちいちそんなクレーム聞いていられないって」

えっと…これでいいんだ?
 邪魔になるか、ならないかはともかく、私はこの人の問題の切り上げ方に感心した。

 そうだよね…匿名と思しき、そのクレーム。多分、その人は私たちに直接怒鳴り込みには来ない。
 私たちは一生、その人とは会わない。

 そして多分、気を付けて活動したところで、その人が満足するとは限らない。
 こういう人はいる。高校生ぐらいの若いバイトの子を怒鳴りつけるタイプの人。自分がほかの人と同じ扱いを受けると失礼だと怒りだす人は接客業をしていたら出会ってしまうものだし、ちょっとしたことが気に入らないと関係各所に怒鳴り込む人って時々いるよね。多分、こういう人に当たってしまったのだ、今回は。
教頭先生はちゃんと話をしておきましたよ、という実績のために、こなきゃいけなかったというわけだ。

 こういう、怒鳴り込むタイプの人をまともに相手していたらこっちの気力が持たない。
 
実際に面と向かって…というのでないなら、「ばっかじゃないの」で済ませちゃっても、結果は真摯に対応してみたのと変わらない。
だとしたら、ばっかじゃないの、でいいんだよなあ…。

 私が気にして落ち込むことはない。相手だって一カ月に一度なんだもの、小学生のために我慢してくれたっていいじゃないか。
大人の余裕を見せろ、ってことだ。うん。

 落ち込むのはやめて、こういう処理方法も見習うことにしよう。こっそりそう思った。

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    まこ

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