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LGBTの話と、雑誌の休刊

LGBTの人は「非生産的」であるからして、公的支援を出すことに反対である、ということを言った議員さんがいて。
それに対して批判が出て。
その批判にたいして、擁護する意見を出した雑誌があって…
その雑誌に寄稿された文章が、あまりにも非論理的で、悪意に満ちていたので
批判され、表現の自由ったってこれはないんじゃないの…?と批判されて
収集つかなくなって困った出版社が、雑誌の休刊を決めた。

…と、今までの経緯を見たらこうなっている…ところまでは読んだ。(これは9月の終わりごろ書いた)。

はああ…ってなる。LGBTの人たちの結婚で、血族としての子供が生まれないことは確かだというのは、私にもわかる。
 でも、「生産性」という言葉の定義についてはわからんなあ、と思う。

 この議員さんのいう生産性というのは、種としての繁殖行為にしかないのだろうか。そうした場合、生涯結婚しなくて子供を作らない人とか、結婚していても子供が生まれなかった人とかにも、生産性はないことになる。
 厳密にいうなら、まだ繁殖可能年齢ではない子供たちにも生産性はないし、子育てが終わった中高年から老人世代にも、生産性はない…とか、そういう解釈も出来てしまう。

 今、子供が産める条件を揃えている人にしか、公的補助をしないというのは、略しすぎだと思う。
つまり、法的に有効な結婚をしていて、子供を産める年齢の幅に収まり、受胎と妊娠出産可能、または、子供が20歳以下の人にしか、公的補助がないというようなことになるってことだ。
 老人は生産性がないので姥捨て山、病気や障害があって働けなければ、面倒見てくれる人がいなければ野垂れ死に、元気で働いて税金を納めるのが国の義務、それが出来なければ肩身の狭い二級市民。
 …いつの時代の話なのよそれ。石器時代?

 こういう時代ってあったんだよね。飢え死にとかさ…福利厚生のない世界、子供は育ったらラッキーみたいな世の中で、壮年期こえたら短命でぽっくり。最初の発言をした議員さんは働き盛りの健康な人なのだろうけれども、この現代にこういうことを高齢者の投票者の前で言えるのか?

 LGBTの人が結婚制度を持ち、決まった人を法律的に責任を持ち合うパートナーとして認めることの、何が問題なんだろう。
違う性別同士で結婚した人はそうすればいいんだし、同じ性別同士で結婚したい人はそうすればいいのだ。重婚の禁止、離婚制度、離婚の時の財産の分与…なんかは異性結婚、同性結婚、両方同じでいいと思う。異性結婚したい人に、同性結婚したい人が申し込もう、というわけではないのだから、制度を新設するだけなのに、どうしてこんな、もめた話になるんだろう。

 同性結婚できる制度が出来たとしても、異性結婚している人の生活が変わるわけではない。(重要)

つまり…異性結婚している人の間で影響が出る人は、「異性愛者の人と、世間体のために、または子供を作るために結婚した同性愛の人」と、その配偶者だろうけれども、その場合は異性結婚している人は、一度離婚しないと同性結婚は出来ない、とかそういうルールは要ると思うけど…。
異性結婚をする人、した人、するつもりの人には、あんまり関連しない。それだけのことなのだ。

 まあ、もめる原因は「自分に全く関係ないことに金が使われるのが気にくわない、自分が得をする制度に使われる分が減る!」という怒りなのかもしれない。
 でもそれも、少数派か、多数派か、という問題でしかないんだよね。結婚制度にいろいろと利点があるし、子供を産むときには様々な補助がある。子供の医療費も2歳ぐらいまではタダだしね…。でもそれをいうなら、結婚しない人は結婚制度の利点を受け取れないし、妊娠出産しない場合は妊娠出産関連の補助は受け取れないし、子供がいないならそれ関連の補助はない。
 どれも、当事者だけになるのは、どの制度もいっしょだよねえ。

 元気でぴんぴんしている人に医療補助はないし、けがをしていない人に傷病手当はないけれども、「俺はケガなんかしたことないから、そんな制度は作るな」とか…言わないよねえ。
 LGBTの人たちは、なにも、ものすごくお得な制度を作ってくれ、と言っているわけではない。ただ、LGBTではない人たちと同等の制度を、と言っているだけ。

 なぜそんな生産性うんぬん、という話になるのか、というところからして、この話はわからん話だ。

私はもう、子供を産まない。仕事も、家事だけで家の外では働いていないので税金は消費税ぐらいしか納めていないといっていいだろう。生産性がないといえば、ない。私は高齢出産だった。すんなりと恵まれて、7人も8人も子供を作れたわけではないのだ。

 そういう人にたいして、生産性が低い、というのはいかがなものかと思う。ほしくても子供が出来ない人に、どうしろというのだろう。色々な条件が、満たせなかった。事情があった。それだけの話なのだ。身体的な話、経済的な話、なんでもだ。
 結婚したくても、出来なかった、という人に、もっと努力して結婚すればよかったのに、とか?無茶だから。
 LGBTの人に、生産性がないから、他の人たちとは同列に扱えません、と?ありえない、と思う。
大体LGBTの人には、先天的な理由でそうなっている人が多い。生まれてからあとの環境要因でそうなる人のほうが少ないのだ。
 そういう風に生まれる人が3%ぐらいは必ずいるらしい。自分ではどうにもならないことなのに…。

生まれたときに目の色が青かったからと言って、「目が黒い人だけが日本人なので、医療補助はないです」と言われているようなものだ。そんなことどうしろと、となると思う。
 結婚制度は、同性婚、異性婚とも基本同じで、育児の補助や、妊娠出産の補助金は出さないのは、異性の夫婦でも、同性の夫婦でも子供がいないとそうなりますよ、でいいと思う。すごくあたりまえに思えるのだけど、これのどこにもめる要素があるんだろうね。実子がいたり、養子縁組して子供があったら児童手当とかが出るのも、全員同じでいいよね?子供を育てるのには実子であろうと、養子であろうとお金がかかるのは同じだからねえ。

新潮社は老舗の出版社だし、新潮文庫には私も中学生ぐらいからはずいぶんお世話になったから、何の落ち度もない少数派を犯罪者と同列に並べて比較するような非論理的な文章を、新潮の名前が付いた雑誌に載せるということ自体驚きだ。
 全国の本屋で発売される定期刊行の雑誌は、アジテーションビラや、ネットの掲示板や、ブログではないのだから、そこはもうちょっとチェックしておくべきだっただろう。でも…そんなことはきっと、新潮社の中の、ちゃんとした社員さんはみんな思っているんだろうな。
心労はいかばかりか。良識ある人間であるということは疲れることなのだ…って誰のセリフだっけ。本当にそうだと思う。
新潮社のこの雑誌関連以外の人が気の毒だ。

どこにでも、少数派を嫌い、自分を多数派に置くことで、威張っていいと思う人がいるんだということが、よくわかる事件だった。

更年期の心構え

 更年期というのは、当事者、経験者以外にはピンとこないだろうが、一番シンプルに表現するとしたら、「繁殖可能な年齢から、不可能な年齢になる過渡期」のこと。 
 こう書いてしまうとなんでもないことのようだが、今までは繁殖目的に調整されていた体が、その機能をかなり簡素化することになるために、各部署でものすごく調整がいる…というのがわかりやすい説明になるだろうか。

 会社でいうならば、40年以上にわたって自分の会社の主要業務だったものをいきなり白紙に戻して取引先と関係部署を全部始末しろ、と言われたのに等しい大改革なわけだ。影響の出るところはかなりの広範囲に及ぶし、混乱、軋轢、不具合全開になってもおかしくない。
 
 男性にも更年期があるそうだが、影響が大きいのは女性だというのが定説だ。はじまる時期は人によってバラバラ。早い人なら30代後半で始まるし、遅い人でも50代になったばかりでスタート、60才手前ぐらいで大体の人は終わるらしい。
 どんな症状が出るかというのは個人差で色々。結局「このぐらいの年齢の女性が訴えることが多い不具合です」&「更年期の時減るホルモンを外から足すと症状が軽減する人が多いです」ということでこれは「更年期だから起きるんだと思います」ということになっているらしく、各症状の詳しい仕組みとか理由はお医者さんは説明しない。
 更年期を抜けると症状が軽減する人ばっかりなので、「その時期は耐えろ」という論調になっていて、つまり、つわりとか、加齢とかと似たような対処のされ方が多い。つわりは、出産までの辛抱だ、みんななるものだし、治療法は対処法しかない、軽ければ耐えろ、という感じだし、老齢で起こる様々な不具合は「これはみんながなるものですから、対処法でQOLをあげて耐え忍びましょう」といった感じ。更年期もつまり、「その時期だけのことだから」というわけだ。

 私も多分今が更年期なのでは、と思う。なんとなく気分が沈み、だるく、気分がいらいらしやすい。朝はむくんだ感じがしたりもする。全部、更年期の症状のリストにある。いつ終わるか、わからないものだし、10年ぐらい、と言われてもその長さにげんなりだ。3年なら我慢出来ても、10年って意外と長いと思う。
 
読売新聞社がやっているヨミドクターというサイトで【南野陽子さんのインタビュー】を読んだ。
 南野陽子さんは、私よりちょっと年上の方だが、とても参考になった。

 芸能人というのは、いつまでたってもきれいな人たちが多い。まあ、もともときれいな人がなる職業なんだろうし、スタイリストさんもついていたりとか、お化粧だって普通のと違うと聞いたこともあるので、きれいで当たり前なのかもしれないけど、だからと言って人間なんだから、そりゃあ…更年期だって来ないわけ、ないよねえ、そうだよねえ。

 そう思って読み始めた。
 50歳代は「やりすごす」と南野さんは、言っていた。
 今、この年齢で前はもっとできたはずと思って頑張っても、思ったより成果が出ない。新しいことに手を出さず、次の段階に向けて静かに過ごす、と。
 
 ここだけ読んでも、私が今まで読んだことのある更年期の人へのアドバイスと全然違う。
 40代でも50代でも、なるべくきれいに装い、出来ることをイキイキとやりましょう、新しいことに挑戦して、自分の可能性を広げましょう、というような論調のものがとても多い中、これはとても斬新だった。

 「イライラする場面でも、キーっとならずに黙って座っていれば、アンニュイで余裕があるように見える」って。
うーん、これもこの手のアドバイスではあんまり聞かない表現だけど、実現は難しくなさそうなところがいい。

若いころのように、出来なくてはいけないのだ、と思っているとつらくなるから、受け流して乗り切るというのを対処に含めましょう、ということなんだね。

 50代にはまだちょっとあるけれども、更年期が始まる時期に個人差があることを考えたら、40代でも参考になる。

そうだよねえ…。今までやっていることだって結構たくさんある。刺繍や、レース編みや、編み物や、ビーズや…極めたか、と言われると全然だものね。新しいことを始めず、今までやっていることをやるのもいいのかも。

 だるくて、気持ちが落ちやすい時に無理しない。
こういう消極的なことでいいのか?とどこか心の中で声がする気もするが、自分の限界というのを、ある程度は狭く取りたいと思う。楽して、何が悪いのか。
 
 自分の気持ちだけのことだし、他の人に何がわかるわけでも、他の人が助けてくれるわけでもない。だとしたら、楽なのは大事なことだ。周りから優しくされるのが一番ステキだろうが、そういう人がいるわけでもなし、結局仕事(つまり、私の場合は家事だけど)があるんだし、そこはこなさないといけないわけだから。

 自分で自分に優しく。更年期って、死んでしまったりすごく痛かったりするわけではないのだけれども、慢性的症状ということでいえば、間違いなくそうだよねえ。病気と同じ扱いでいいや。ただ、症状軽減が間違いなく年月を越えればある、ということが違う。
 じわじわ、がんばるしかないんだなー。
 南野陽子さんとは比べるべくもないが、フツーのおばちゃんだってがんばっている。そう思っていく。

サマータイム導入のこと

サマータイムを導入するという話が話題になっていたので、ちょっと書こうと思ったこと。

サマータイムは欧米では導入されている国が多い。私も渡米している間は体験した。
まず…。サマータイムのいいところというのはある。大体夜明けが大変早い時期…つまり5時半とかには明るくなっている場合、それが「6時半」になると思えば、まあ、活動に困らないのはわかる。夜も遅くまで明るいので、今でいうと7時前まで明るいということは、8時前まで明るくなるのだから、塾帰りのお子さんたちの安全度があがる…とか、遅くまで公園に行っていても大丈夫というのはある。

 やはり暗くなってからのほうが治安が下がるのはどこでも同じだからね。

パソコンなんかもチェックを入れるとサマータイムに対応してくれて、一瞬で対応終了になる…のはいいけど、正直、うちのクーラーとか、空気清浄機のタイマーがうまく動かせるかと言うと自信はないな。一時間計算してずらすしかない。たとえば9時から11時までタイマーで動かしたいものは、1時間ずらして10時から12時まで、とタイマーをかけるようなことをしなくてはならないだろう。
 秋に、また元通りに直さなくてはならないんだものねえ。大体パソコン以外、対応している機器を私は知らないけど、時間表示とかタイマーのある電化製品って結構あるしなあ。

日本での問題点といえば、一番はまずこれ。
仕事をしている人は多分、1時間早く出勤して…そして帰れるのが1時間早くなるか…というと、多分ほとんどの人がそうはならない。今までと同じ時間働いて結局1時間早く出勤するだけ勤務時間が増えて終わりになると思う。これで1時間早く帰れるのは多分公務員と、大会社で時間管理がちゃんとしている会社だけだ。日本人は時間を守るという話があるけれども、日本人が守るのは大体開始時間とか集合時間だけ。終了時間は、あんまりぴったりに終わらなくても気にしない人が多いと思う。

 このサマータイム、実際アメリカでやってみた感想から行くと、これ、体調が結構狂うものだった。20台だった当時も、いきなり1時間すべてが早くなり、起きる時間から、授業の開始時間まで全部前の日と1時間ずれるのが、大丈夫に思えても意外と…。
 ごはんの時間がずれ(休憩時間がずれるから)、起きる時間がきっかり1時間早くなり…かといって夜は1時間はやくねむくなるかというとそうでもなく。

 眠れないのに起きなくてはいけない時間が早くなるという、なんともなことになって、1時間遅れるほう、つまり秋に調整するのはマシだったけど、春は2週間ぐらい体調が悪くなるのが常だった。
 つまり、小規模とはいえ時差ボケを国全体でやることになる感じ。

 実は、この時期に交通事故が増えるというデータもあったはずだ。
そういうことを国は把握しているんだろうか。

ただ、単純に時計の針を進めて終わり、ではないんだよね…。
 サマータイムには反対だ。大体、「活動時間の暑さ軽減」というけど、この気温だよ?たった1時間ずれたところで大して効果ないと思う。10時から15時までが暑いのが、11時から16時にずれたところで、ねえ?

 それならもう、1964年の東京オリンピックみたいに秋にずらすほうが絶対効果がある。
2020年オリンピックのマラソンで選手が死なないことを祈るよ…。
何人も人が死んだりして悪名高いオリンピックになったりしたら…。

そのあと…後世のウィキペディアにはこういう風に書かれるのだ。
2020年の東京オリンピックで暑さのため、何人もの死亡者が出たことにより、夏のオリンピックは秋に行うことを検討する国が増え、2024年のXXオリンピック、2028年のOOオリンピックはどちらも秋に行われている。

 
ありそう。すっごくそうなりそうな気がする。

教室にクーラーは必要か

うちの実家の両親はもう結構な年だが、クーラーをつけるのを極端に嫌がる。この暑い中でもだ。
7月中のあの熱波の時にも、「本気で死ねる温度だから、つけてね」と電話をかけて頼んでいたぐらいだ。それでも36度越えたらつけるから、まだ大丈夫、水分補給もしてるし、とか。
 体温越えない限り大丈夫だから…って、そりゃ、父は70代でフルマラソン走るんだよ。丈夫な人なのはわかってるけどね…?
 多分だけど、暑さに対する考え方が60年前で停止している。暑いのは、我慢するものだ。(だって、夜には気温が下がるから)と、こうなっている。

気象庁のデータでも、温度は平均で50年前より数度は上がっているらしい。

それと、問題は都市部。クーラーの排気があるから、人口の多いところだけ暑かったりする。

例えば気温が同じはずでも、アスファルトやコンクリートや石畳が焼けているお昼の体感温度はかなりのものがある。
子供の学校のプールの、炎天下の焼けたコンクリートの上の温度がどのぐらいあるかなんて考えたくもないぐらい暑いだろう。
私が子供の頃は、多分ここまで暑くなかったと思う。「朝のうちは30度越えない日」だって多かったし、「今日は寝苦しい熱帯夜」だという表現があったことを思えば、熱帯夜じゃない日が多かったはずだ。
プールのシャワーは、ちょっとしり込みするぐらい冷たかったし、プールの水も同じく。

 まあ…今でも、山が近い、標高の高い田舎なら都市部よりましかもしれないが。
多分、年齢が50代より上だったら、35度の気温の中を学校へ通ったことはない人ばっかりだろう。
今、いろいろな制度を決める立場にある人は年齢が50代から上のことが多いみたいだが、つまり子供は元気に遊んでいても倒れなかったぐらいの温度しか体験していない人たちばっかり。

 今じゃ通学路が38度、学校の教室が36度なんていうことだって起きる。その時、「クーラーなんかなくても大丈夫」と何を根拠に言えるんだろう。自分たちが子供の頃のことがたぶん頭にあって、子供は暑くても元気に活動できるものだと思っているのではないだろうか。

 そりゃ、朝晩の気温が25度、ピークの温度が30度なら、大丈夫だと思う。水分飲んで、下敷きでバタバタあおいで扇風機があれば御の字だ。
 でも、全体に5度、気温が上がったとしたらどうだろうか。

 この間校外活動の後、亡くなった6歳の男の子は、まだ小さかった。3、4カ月前まで「幼児」だったのだから。幼児に毛が生えたぐらいの小学校1年生に、小学校5年生と同じ体力があるわけがない。
 遠足だの校外学習だのが好きな子ばっかりではない。例えばうちの子は遠足は「えー。行かなきゃだめなの?」というタイプだ。
 きっと、「行きたくない、暑いしだるいし」ぐらいのことは、うちの息子だったら口に出してしまうと思う。
その時、きっと担任の先生はこういうのだ。

 「まあまあ、そんなこと言わずに、頑張って行こうよ、みんないくんだから、XXさんだけ残るわけにはいかないよ」(最近は、男子女子共に、全員、「さん付け」らしい)。
 とかなんとか、絶対言う。目に浮かぶようだ。
 全員が同じことをやる。これを大事だと思ってやらせるし、そのシステムでうまくいってきたのだから、日本の学校ではこういう対処が当たり前だろう。

でも、本当に既に登校した時点でちょっと脱水気味だったら…?水筒を持っていなかったら。(驚いたことに、水筒を持ってこさせない学校があるらしい。私が行ったことのある学校では、水筒は夏は全員もってくるものだった。例え中身がただの水道水でもだ)
 先生も、30人ぐらいはいるクラスの子たちを全員、それほどじっくり的確に見定めて体調を見て、説得しよう、なんて無理だ。
 ごく当たり前に、「みんなが行くから行きましょう」で全員校外学習へGO。
 きっとへとへとになって帰ってきただろう。戸外の温度が35度、34度。お日様キラキラで風がなく、体感温度は38度前後。

 元気な子供だって疲れただろう。教室で、はあ…と座って、「つかれた…」となる子も多いだろう。
 多分、うちの息子だったら、絶対、「あーあ、疲れた!」とかいうだろうし、「暑かったー!だるいよー」ぐらいのことなら、多分他の子も言うと思う。
 これで、先生に気づけ、というのはちょっと酷…だよね。
 それでも、せめて…帰ってきて気分が悪かった時点でクーラーのある保健室でアイスノンもらって水分補給していれば…。
 
 息子は、一年生の時に、結構高い熱が出ても「なんだか、すごく暑い」ぐらいのことしか言わなかった。
 お友達の息子君は3歳から6歳ぐらいの時に、「足が痛い」と言うときには、毎回熱があったそうだ。
 亡くなった男の子も、多分、詳しい説明が…つまり自分の体調が悪くて気分が悪いのだ、と伝えられなかったのだろう。
無理もないよなあ…。女の子は割とこのあたり、もっと年齢が小さくても説明できるお子さんもあるそうなのだが、男の子は全体的に説明できない子が多い感じがする。
 6歳の時の小さい息子の顔が思い浮かぶ。何を説明するにしても、かなり言葉が足りなかった。かわいかったけど…本当に、他人事とは思えない。

 大人はいい。例えば大人は駅まで歩いて電車に乗ったらクーラー。会社に着いたらクーラー。主婦なら、買い物に行くまでは暑くても、買い物先にはクーラー。家にいる大人なら、家にクーラーがなくても水風呂にも入れるし、保冷剤が首にまけるし、冷たい飲み物もいつでも飲めるし、たとえば濡れたタオルで体を拭いてから扇風機が独り占めできる。色々と対処ができるというわけだ。
 大人でこの暑さを耐えなくてはならない人は、外で労働する人たち。この人たちは多分、教室にクーラーがない子供たちと同じような危機的状況にいる。でも…多分だけど、この人たちには、水分を「いつでも飲める」ようにしてあるはずだ。休み時間まで飲むな、というようなことは流石に言わないと思うんだけど…。あとは大人は、体力もあるだろうしなあ…。
 
 でも…子供は。通学時間が30分ある子だっている。水筒学校で禁止、チャイムが鳴ったら「水が飲みたいから」といっても休み時間まで我慢で、周りの気温が34度だの、36度で保冷剤を首に…なんてないし、扇風機は教室に1台?風が全員に届かない上に、窓から熱風。
 下敷きであおぐのも、うちわを使うのも、多分授業中はやったらダメなことになっているだろう。
 そりゃ気分も悪くなる子がでるわけだよ。ここに書いているだけでも過酷だ。小学生「にも」なれば、というかもしれないけど、低学年ってやっぱり、体力がないと思う。青年、壮年の男性と比べるのは無理だ。
本当に予算がなくてクーラーが無理なら、せめて「全員、水で濡らしたタオルを首にかけて、うちわであおいでもいいです」ぐらいやってもいいと思う。
 
 クーラーが教室にあれば…きっとこういう事故が減る。
 もういっそのこと、外気温が33度越えたら校外学習は延期、でいいと思うんだけど。
 という話を息子としていたら、最近は学校でも、昼休みとか、長い休み時間には、こういう放送をすることになっているらしい。

 「休み時間になりました。今日はとても暑いので、外には出ないほうがいいかもしれません。のどが渇いていないと思っても休み時間には必ずお茶や水を飲むようにしましょう」

 息子は放送委員をやっているので、この放送をする側なのだとか。息子の学校の教室にはクーラーもある。ただし、「いうほどきいていない」そうだが、それでも外気温よりは低いらしい。
 
誰でも36度になるまではクーラーかけないような生活が出来るわけではない。
 クーラー嫌いなのもまあ、その人の勝手だけれども、やっぱり学校の教室には、クーラーがいると私は思う。

 その朝までは、元気よく、「おかあさん、いってきまーす」と学校に行ったであろう6歳の男の子。
何度思い出しても悲しくなる。
 学校に送り出すときはいつだって「無事に帰ってくるものだ」と思って出すんだものね…。

 みんな、無事で。元気で帰ってきてほしい。

自分へのアドバイス

普段読みに行っているブログがあって、私は時々、コメントをする。
悩んでいることや、暮らしている時に起こる様々なこと、体の不調…私が書いているブログだってそう、日記帳なんてそんなものだ。
 
人によって、悩んでいることは違う。環境や、育ってきた歴史や、性格なんかによって変わってくる。
でもどうして全部違うように見えるのに、こんなに同じなんだろう。

 何もかもがうまくいっている時には、そんなこと頭にのぼらないのに、ちょっと体調が悪かったり、間が悪かったり…そんなことで一度落ち込むと、色々なことが気になり始めたりする。

 私はそういうのを、画面のこちら側で見ては、「ああ…あるよねえ…」と思ってそしてなんとなく、声をかけたくなるのだ。

 優秀な人に見えるんだよね、私から見たら、仕事をして自分の生活を支えているだけでも、十分すごいと思う。
それも、ちょっと専門性があったりするような仕事で、今日明日行って出来るような簡単な仕事ではない。
 社会貢献して…つまり税金だって払ってるんだしさ…。

 でも、なんとなく人から嫌われているかも、と思ったら誘ってもらえていない(それも自分が気付かないところで)とか、そういうことが気になってしまう…とか、なんとなく覚えがあるような感じがする。

 自分が出来ないことがあるから、と劣等感に悩むその人に、私はつい、「人は何ができるからといってその人のことを好きになるのではないですよ」なんていうようなコメントをした。

 そして、コメントをしてから、考えた。

 これさー。私にも覚えがあるよね。一人で「私って友達いないよな」とか、「一緒に遊びに行く人が少ないなあ」とかそういうことを感じて、嫌われたりするようなところが自分にあるのかなあ、なんて考えたり。
 これが、不思議なことに、そういうことが気になる時と気にならない時があるのだ。
 
一人でも、割と楽しく過ごせてしまうとき。それほどお誘いがなくても平気なときと、誰か遊びに行ける人がすごくほしくなる時がある。
 これは多分、ホルモンのバランスとかにおける、気分の変化とかもからんでいるのだろう。

落ち込みやすい、悩みやすい時と、そうでない時があるってことだ。
 
 結局、私もそういうことを悩んだ時、誰かに…私が自分でさっき書いたコメントみたいなことを言ってほしい時がある。多分あのコメントは、ブログの人に宛てたものではあっても、実は自分に宛てたものでもあるのだ。
 他人のことなら、どうしてこんなにクリアに冷静に、その悩みが必要なものではないということがわかるのに、自分が悩んでいる時はああも混沌としているのか。

 コメントをいれるとき、パスをいれなかったので、もうコメントの削除は出来ない。
 いいアドバイスだったのかどうかも、わからない。

 でも…結局自分の悩みに一番寄り添って、やさしくアドバイスが出来るのは自分というのもあるんじゃないかな…と思って、今度そういう気分になったときは、思い出せるようにしよう、と思ったことだった。
 

子供は3人…っていったってねえ。

こないだ、自民党の議員さんが『ぜひとも3人以上、子供を産み育ててほしい』という話をする。努力しても子供に恵まれない方に無理を言うのは酷だから、そういう方々のために必要なんですよ、と」と述べたらしい。

 数時間後に撤回したとか。この議員さんは72歳。まあ、このぐらいの年齢層の人なら言いそうなことではあるな、と思う。

なぜなら、この人が子育て世代だったころは女性の適齢期は18から24ぐらい、高卒で就職が当たり前で、男子の大学進学率でも4割を切り、女子の進学率は1割ちょっと…で、合算すると3割切るという時代。国公立の大学の学費は30万円ぐらい。
 加えて言えば、この人が大学生だったころの国立大の学費は3万円とかだ。

 多分、この人の世代なら、中央値ぐらいの給料で、3人の子供のうち2人を高卒で働きに出して、1人は国立大学へやって…という「まあ、そんなものよね、世間並」という生活も多分なんとかなっただろう。
 母親は子供が小さいうちは主婦が当然で、若いうちに結婚すると祖父母も若いのが当然で、40代50代でおばあちゃんが珍しくもないとなれば預けるのも簡単。それに、そのあたりに放牧状態になっている子供もいた。田舎で、誰にも付き添われていない4歳児がぶらぶらしていても、誰も不思議に思わなかった。車も少ないし、危険なのは田んぼの肥溜めか、川か、というような地域に住んでいると、そうなる。

 激烈な「保活」というものはなかったし、会社は一度勤めたらやめるものではなく、「年功序列でそのうち給料が上がる」ことになっており、子供が進学する40代、50代になれば、まじめに会社に勤めていれば余裕で大学への学費ぐらい出せる…というのがライフプランで、それに誰も疑問をもっていなかった。
 きっと、この人は、そのぐらいの感覚から時代が進んでいないのだと思う。

 今は、というと、会社は何の躊躇もなくリストラをするし、給料は「能力制」だか「成果制」だとか、そういう感じになっていて、つまりまじめに勤めているだけでは給料がろくに上がらない、または職種によってはずーっと安い給料で働き続けることになってしまう。

 そうなると共働きは必須で、保育園がともかく足りず、大体婚活を始めるのが30代、結婚年齢が四捨五入したら40ではそりゃあ、祖父母が若いわけもなく、毎日預けるには無理がある。保育園に入れても、子供が病気で休めばリストラ対象になりやすいとなれば、女性の職場復帰が進むわけもない。それに小学生以下の子供が街を一人でフラフラしたら児童虐待が疑われるし、車も多いので危ないから、子供を1人で遊ばせておくのは出来ないことになっている。

 70代の人が思っている「30代後半から40代の給料」は、昔ならば勤続15年から20年の給料…ということは、徐々に給料が上がっていく制度のもとではかなりいい金額になっているはずだが、そんな職場は今はほとんどないから、「2018年の30代後半から、40代の給料」とは乖離がある。

 つまり、今の子育て世代の給料と、勤務体系では子供を3人作ると、かなり家計が苦しい。子供の大学進学率が男女合わせて4割超え、専門学校も含めると7割超え。国公立大学の定員はそれほど増えていないので、残りは私学に行くわけで、学費もかなり高い。

 「多数派の教育程度に合わせよう」と思っているとつまり昭和40年台なら高校でよかったのに、今は大学専門学校必須…ともなれば、お金のことを考えると、3人はきつい、と思う人が多いのが、現状だと思う。

 もちろん頭がすごくよくて、全員国公立の小中高だけで大学まで…というパターンであれば3人はもちろん大丈夫だろうが、そういう人は少数派だと思うのよ…。多分、今は国立大学に入ろうと思ったら、塾だの、私立の高校だの…という進路が一般的だろうからね…。

 ネットのニュースしか見てない主婦の私にだってわかるようなことなのに、国の政治にかかわる国会議員さんがこんなの、ってのもなあ。
 まあ…でもこういう職業についている人のまわりには、進学費用に困るような世帯の人がいないのかもしれないけど。

 年功序列の給料で育った世代というのは、割と今、働いている世代とは話が通じない気がする。

アクセサリをしない理由って

結婚指輪はともかくとして、最近ネックレスとかをしていないな…と思いついた。まあ思いついた原因っていうのが、このブログを書くときに、編集画面の左上あたりに出る広告というのがなんだけれども、確かに私は最近アクセサリというものをしていない。

独身の頃は買ってつけていたし、子供が生まれる前は確かに私はペンダントだの、ネックレスだのピアスだのを夫にプレゼントにもらったことがあるから、最初からつけなかったわけではないはずだ。

 確か…そうだ、ネックレスを付けなくなったのは多分子供が生まれてから。子供は珍しいものがあったら何でも手を伸ばすし、力加減なんていうものを全く考えていない。ブランコのチェーンならともかくも、アクセサリ用の華奢なチェーンは、案外切れやすい。大人はそういうものをむやみに引っ張ったりしないが、赤ちゃんは本当に遠慮なくグイっといく。

 プラチナの鎖にしろ、金鎖にしろ、複雑な形をしていて、切れたら修理…する?出来る?というようなネックレスがうちには多かった。それと、絶対赤ちゃんの力では切れないネックレス、例えば革ひものとか…は首が締まるかなあ、とか、もちろんペンダントヘッドだのなんだのをなめたりしてしまうのが1歳児というものである…ということはなんとなく予想がついたので確かそのころを境に、しなくなったと思う。

 ピアスは子供が3歳になったころに、つけることにした。出かけるときにピアスを付けたら、穴がふさがりかけていたのでこれはまずい、と思って毎日つけっぱなしにするようになった…ので今もやっぱり時々取り換えるが割とつけたまま。

 そんなに派手なものではない、シンプルなのをちょっとつけるのもいいよね…と思って、ネットを検索してみた。

色々いい感じのものがあるんだけど…。でも、やっぱりアクセサリってしない感じがする…と思って、しない理由を考えてみた。

 1:落とすのがいや。

これは、ピアスでも落とすことがある私には大変問題になる理由。自分でビーズで作ったのなら落としても構わないが、プラチナだの、ゴールドだの小さいにしろ宝石だのがはまったものを落としたときのショックったらない(値段的に)。

 2:手入れが面倒。
 
これは、シルバーのものが当てはまる。シルバーはきれいだし、割と安いので落としてもショックの程度はプラチナよりまし…ということもあるので、結構持っていたのだが、シルバーのアクセサリはつけたままにしておくと黒くなる。もちろんちゃんと磨けば復活するんだけど…。ネックレスやピアスは直接肌に当たるものなだけに、黒くなるのも早い。
 アクセサリの手入れをしてくれるメイドさんが住み込んでいる18世紀のブルジョワならともかく、自分で手入れをするのが面倒な向きには、シルバーとか、パールなんかは、あんまり実用的ではない。

 私がアクセサリをしなくなった理由は、子供が出来たからだけではなさそうだ。生来の怠け者だということと、貧乏性だということが割と絡んでいるのであろう。

 …と思っていたら、面白いものが見つかった。
 材質がステンレスのアクセサリ。かなり安い。そして色とか光沢がプラチナと全然見分けがつかない。

 指輪を1つ買って、はめておいたらば、そういうことに結構目ざとい友人が、「いつもはしないのをしてるね」、というので、そうなんだよ、これは自分で買ったんだー。という話をして、「ステンレスで1200円なんだよ」といったらふきだしていた。
 てっきり旦那さんに買ってもらってプラチナかと思ったのに、って。

 まあね…ステンレスの指輪をはめていたのは右手で、左手にはかなりこれに似た(ただし長年の使用で傷がついた)プラチナの指輪をはめているからね。
 
 この友達は結構アクセサリが好きで、社会人になってからも、数百万するようなものも買ったことがあるような人。
 「全然わからないわー」と感心していた。
 
 1200円なら落としても惜しくないしねえ…という私のセリフに、うんうん、とうなずいていた。
 それと、洗剤にひたろうが、キズが付こうが、心配いらないもんね。

 「飽きて、使わなくなっても1200円なら惜しくないもんねえ…」とつぶやいていたところを見ると、彼女のコレクションには多分飽きて使わなくなったものがたくさんあると見た。

 ぱっと見、わからなかったらこれで十分だなあ…。と思って、もう1つ、今度はキュービックジルコニアがはまった銀色のステンレスの指輪を買ってみた。ちょっとキラキラして、太陽が当たるときれいだし、これは1080円だった。
 正直土台がプラチナのものと比べても見分けがつく気がしない。

 落としても平気で、手入れが要らない。この条件にぴったりでなおかつちょっときれいで気持ちが上がる。

検索したら、これで婚約指輪や、結婚指輪に使えるペアリングもあるらしい。最近の若い人はこういうものに無駄なお金を使わないのだな。
私が結婚したころは「給料の3カ月分はするべき」みたいな話がまだあった。
でも、こっちの指輪のほうがずっと実際的で好感が持てる。

夫には、「ほしかったら言ってもいいんだよ」と言われたけれども、なんていうか、この「安くて手入れが要らなくて、なおかつちょっとかわいくて、いいものが買えた気がする」というのは、本当にジュエリーショップで買っちゃったらダメなんだよー。そういうのは高いんだから!

とても、説明しづらい。
 

男性の育児参加

夕方、スーパーで大変所在なさげな若いお父さんを見た。「お兄さん」というカテゴリに入りそうなその人が、どうして「お父さん」だとすぐわかったのかというと、その人はとても小さい赤ちゃんを抱っこしていたから。

小さいも小さい、多分1カ月か…というようなサイズのちびちゃんで、もう、「玉のような男の子でした」と昔話なら言われそうなそのふっくらぷちぷちした赤ちゃんは、すやすやと眠っていた。ああ…かわいい。おくるみにくるまれていて見えないが、小さな、くるりと巻いたつま先が見えるようだ。

 本当にこの時期は、泣くのにすら慣れていない、この世界になじんでいないのがよくわかるころで、昼夜は逆転、眠ってくれている時はおとなしいけれども、小刻みに起きるので、この時期の育児はもう、眠たかった記憶しかない。

 その人は、赤ちゃんがまるで壊れ物でもあるかのように抱き、「俺はいったいどうすればいいんだ」という所在なさげなその雰囲気から、ああ…お父さんになって日が浅いんだな…ということがよくわかる。

 多分だけれども、買い物に行く間、赤ちゃんを見ていて、と言われて家に残されるのが不安だったんだろう、「俺も行く!」と一緒に出てきて、お母さんがほしいものを買っている間待っている…といった風情だった。
 そう…この時期に、「赤ちゃんは見ているから、買い物してきて」と旦那のほうを買い物に出したら、夕食の買い物すらおぼつかなかった…とまではいかないものの、高いものを平気で買うし、いつも買っている材料だの調味料だののブランドを見ているだろうに、違うものを買ってくるとか、頼んだものが「なかったよー」と帰ってくるとか(そんなはずないだろう!というもので起きる)…というグチは、うちの子がそういう年齢だったころの、ママ友さんの雑談によく出たものだ。

それを考えたら、10年以上経っているのだもの、時代が変わってきているのを感じる。
 本音を言えば、まだ寒いし、そういう月齢の赤ちゃんを外に出すよりは、家に置いておく方が安心なんだけれど、二人きりになるのは無理だから、赤ちゃん連れて出かけてくれ、俺は留守番…よりは絶対いい感じがする。

 うちの夫も時々こういうことがあった。私だって不慣れな時期、やったことないことは多かった。時々、「俺は無理」と後ずさりするのを、「私が慣れているとでも?」と時々突っ込んだものだ。

 そのつもりで見てみると、休日のスーパーや、駅には、抱っこひもをしたパパさんが増えている気がする。
 前までは、上の子の手を引き、抱っこ紐で赤ちゃんを抱っこして、荷物まで担いでいるお母さんを見たものだが、最近はお父さんのサイズに合う抱っこ紐もあるのだねえ。

 そりゃ、手分けできる方が楽に決まっているし、「ママでないと泣く」という挙動を出す前に、お父さんの抱っこに慣らしておくのは大事なことだ。大体は、男性のほうが体力あるしね…。

 10年前は抱っこ紐というと、女性にサイズが合わせてあるものが多くて、男性がそういうことをしようと思うと外国のブランドしかなかったりしたものだけれど…。

 がんばれ、お父さん。平日は無理でも、せめて夜と、週末だけでも。こういうことが10年後、20年後に配偶者とどのぐらい仲がいいか…というようなことと関わってくると思う。
 
初めて、息子と二人で出かけて、3分しかもたなかったけれど、その間に速攻でいれて飲んだ温かい紅茶の美味しかったこと。
 喫茶店でお茶飲んでおいで、と私を出かけさせてくれたこと(30分で帰った)、だんだん外出時間を延ばして、土日に私に育児以外のことをする時間をくれたことを、私は忘れない。

 多分、私がこういうことを忘れないってことは、だ。
 全然協力してくれなかったなら、そのことだって忘れないってこと。
 
中年になったとき、愚痴られたくなければ、この子供が小さかった時にこそ、やっておくことなんだと思う。

がんばれ、新米パパ。

すやすやの寝顔は天下泰平で、幸せそうだった。

Yシャツとトリセツ

スキー場で、最近の歌謡曲…とはいわないのか。J-POPを聞く機会があった。

聞くともなく、歌詞を聞いていると、どことなく、覚えがあるような、ないような…。

どんな歌だったかというと、「私と結婚するにあたって、私を大事にしてね!」ということが言いたいらしかった。

いや…まあね。そりゃ大事にしてほしいのは確かだけど。

歌の一部を覚えて帰ってから、調べてみたら、西野カナという人が歌っている「トリセツ」という歌だということが分かった。

 あー。昔、自分の取扱説明書というものを書いて、結婚式で読み上げるんだか、なんだか…っていうのが流行ったりとか、自分の名前をいれて、そういうものをランダム生成するのが流行ったりしたけれども、それの歌謡曲、いやJ-POP版だということであろう。

ま、機嫌よくさせておくコツとかね?何が好きだとか。わからんでもない。だんだんわかっていくものだというのもあるけれども、風邪の時にどんな飲み物が好きだとか、そういうことでも最初はわからないものだ。結婚してから、お互いの好みというものは、細部にわたってわかっていくものだと思う。

 でもこれさあ…旅行させろとか、プレゼント買えとか…。なんかこう、生活臭がしないっていうか…まあ、若いころは収入も少ないしなあ…。こういう説明書を出されても夫側はつらいかもな、と思う。
 
 なんだろう、この既視感。どこかで私こういう歌聞いたことある。これじゃなかったはずだ。もっと前だった。私がそれこそ独身みたいな年代だ。周りの子も、全然結婚してない子がどっさりいて、その歌が死ぬほど嫌いという子と、いいなあ…と思う子がいた歌で、人によってものすごく解釈とスキキライが分かれる曲だったと思う。

 目を閉じて、思い出してみた。「時々は服をかってね、愛するあなたのため…」と思い出せたフレーズだけで検索をかけたら、出てきた。これは1992年の歌らしい、【部屋とワイシャツと私】という歌だった。

…今、この上のリンクのサイトで歌詞を検索して読んだら、ほとんど覚えてなかったけど、これはこれですごい歌だな。
 浮気をしてもいいから、それを自分にばらすな…という歌で、それでも自分を大事に思ってくれ、きれいだと言ってくれ…という歌なんだけど、これだけ歌詞が違うのに、なぜ同じ種類の歌だと私は判別したんだろう。

 2曲の歌詞をもう一度読んだ。

これってさ、やっぱり「全てはあなたまかせ」という歌だと思う。相手に服を買ってもらい、旅行をさせてもらい、大事にしてもらい、時々は花を買ってもらい…いつまでもきれいだよ、と言ってもらいたいから、そうしてくれたら、文句言わないぞ、という歌なんだね。

 専業主婦を地でやってる私が言うのもなんだけど…。ねえ、「トリセツ」って平成27年にリリースされた歌なの?本当?
この2曲の間には、23年の月日があるはずなんだけど…。えー。正直全然変わってない感じがする。浮気はするな、ということが盛り込んである分、トリセツのほうが新しい感じはするが、そのぐらい?なんていうか底に流れているトーンが同じだ。

奥さんが専業主婦をやるということは、つまり男性が1馬力ですべてなんとかします…ということになる。これがうまくいくのは、年功序列型の賃金体系になっていて、首を切られる確率がまず不祥事を起こさない限り、なくて、(今に比べると)大変結婚が早く、子供の学費が数百万単位で必要な時期に、給料が高くなっているという時代の話であって。

 これが出来た世代は、多分今もう40代半ば過ぎ。夫の世代ぐらいが最後だと思う。今の若い世代は、リストラ上等、正社員なら文句を言うな状態、結婚は遅いが、勤続年数で給料が上がる体系になっていないため、学費がかかる年代になったら、2馬力のほうが何かといいわね、というのが当たり前なんじゃないかなあ。

 もちろん今でも、女性の給料のほうが有無を言わさず安い、ということになっている職種は多いけれども、もっとこう…働いている女性の割合は上がって、女性が働きやすい環境になっているだろうと思っていたのだけれども、こういう歌がいまだに流行るってことは、男性に大黒柱としての働きを求める人が多いってことなんだろうなあ。男性にはプレッシャーがかかりそう。
 
 ちなみに「部屋とワイシャツと私」のほうは、さだまさしの「亭主関白」という歌のアンサーソングだといわれているらしい。私はその歌も知っているけれども、つまり奥さんは、俺に尽くしてくれという感じの曲だった。まあ…あの歌も、当時イラっとする、という友達はいた。先に寝るなとか、かといって俺より先に起きて家事しろ、いつも化粧してきれいでいろ…というような感じだったので、その友達は、「じゃあ、奥さんにお金の苦労なんかさせちゃいけない、化粧品を潤沢に買わせて、身ぎれいにしているだけのものを出せ、話はそれからだ!」みたいな切れ方をしていたものだ。

 この2曲の歌の主人公の女の子はかわいいけど…。でもなんていうのかなあ。部屋とワイシャツのほうは、少なくとも私は浮気されるのは嫌だ。ほかの人に浮気しても、寝言で呼ばないように、私と同じ名前で呼べとか、言えないな。(付き合ってる時にそういうことをしている人はいたけど!女性からは評判悪かった)
 トリセツの方でいうと、機嫌が悪くなったら、とことん付き合え…つまり「機嫌を取ってくれ」、なんて正直誰にも無理だと思う。夫の機嫌が悪いときも、理由が私ではない時は、そう教えてくれて、「そっとしといて」という感じだし、夫も、私が機嫌が悪いときは「そっとしておいて」はくれる。まあ、お互いが原因になっている時は、話し合いもすることになっているが、基本夫も私もそういう機嫌が悪いのを、長続きさせないようにしている。2人で同じ家に暮らす以上、そういう努力はいるよね。


 しかし…。23年経っても、似たような曲が出てくるってことはさ…。こういうこと考えて共感する女の子がいるってことで。
男女参画平等、とか頑張っている人はこの歌が2015年に出てきたとき、「はあ…」って思ったんじゃないかな、と思う。

 こういう曲が、なんとなく腑に落ちないのは、これについて結婚相手の男性がどんなことを考えているか、わからないからなんだと思う。
 デュエットにして、2番は男性側からとか、あればいいのにねえ。

冬の旅行に行くときの話

冬、旅行に行くとき、毎回夫に文句を言われるのだが、私は予備の服を持っていくのが好きだ。
長袖のTシャツ、ズボン下、ジャージ(下半分)、厚手の靴下。

 私が、予備の服をいれるのは多分、若いころからの習慣だ。一度そういう荷物を省いて、国内長距離移動をしたとき、かなりの長距離だったからか、異常気象だったからか、ついたところが温度がかなり低くて、出発点では半袖1枚、みたいな恰好だったのに、現地では寒くて寒くて、半袖を2枚重ね着して襟元がへんてこりんな重なり方になった上に、舞台衣装だったビロードのぴかぴかしたジャケットまで「ないよりまし」で羽織って動くことになったのが、とても印象に残って。

 途中で合流した友達が、上着を貸してくれたが、体格が違ったために大きくて、不便極まりない。
そんなわけで、私の旅行カバンには、真夏でも絶対、1枚は長袖が入っている。下手すると2枚入っている。

 夫は若いころから旅行が好きだ。貧乏と旅行とは、相性がとても悪い気がするが、夫は貧乏でも旅行に行きたがった。だから、いつも最低ランクの宿で、お土産も何も、なるべくお金を使わず旅行するわけだ。そうなると、寒くなったときに、現地で服を買ってしまうというオプションは、ない。
 そんなわけで、「またー。本当に要るの?」…と毎回言われるのだが、私はいつも「予備」と「予備の予備」ぐらいは入れて持っていくことになるのだった。
 最近は、もうちょっと家計に余裕が出て、本当にピンチなら、安い上着ぐらい買えるとは思うけれども、旅行先でうまい具合に上着を売っているお店があるとは限らないからね…。

 コットンのTシャツは、下着代わりに着てよし、アウターにしてよし、ジャージはこっそり、普通のパンツの下に履けば暖かいし、パジャマ代わりにもなるし、もし、履いていたジーンズが濡れたりしたときには、もうジャージ履いて帰ってきちゃえばいいし万能!夫は、3日ぐらいの旅行なら、出かける時に履いているジーンズ「だけ」しかもっていかない、というような人なのだが、子供が小さかったころに、夫の膝に乗り物酔いして吐いた事故が起きてからは、私は絶対、夫のジャージを1枚、入れることにしている。

 その時のこと、覚えてないのかなあ…と思うのだが、「そんなこと、そうそうおこらないよ」で終わり。子供が吐かないにしても、飲み物がこぼれるとか、そういうことだって…と思うんだけど。

 いつも、私が、たくさん入るように丸めてパッキングするので、夫はもうあきらめているようだ。私がパッキングをすると、夫が詰めるよりたくさん入るからね…。

 今回は、スキー旅行だった。何日か楽しく滑って過ごして、最終日。最終日も、午後いっぱい滑って帰ろうね!というときに、なんと、雨。

 しばらくこれで最後だから、とすべっていたのだが、「だーーー。冷たい」となって帰ってきた。
 
着替えなきゃ無理っぽい感じ。雪だと払えば落ちるけど、古いスキーウェアの防水があんまりよくなかったのか、結構濡れた。
 
 「あのさ…予備とか、ある?」
夫は控えめに、聞いてきた。

あるともさ!夫がはいていたジーンズは、かなり濡れていて、さすがにこれは無理、という感じだったが、ジャージがあるでしょ、それから予備のジャージが!じゃーん!

 午後からは、また晴れたので、スキー再開。息子の分も、夫の分も、ちゃんと予備のパンツがあったからね!
 まあ、家に帰る時には、ジーンズはロッジのストーブの前に放置するだけでは乾かなかったのでジャージだったけど、別に誰かが見て困る格好でもないし。

 シャツも、下着も全部予備あったもんね!子供は雪で遊んだりしたので、靴下も濡れてしまったのだが、まかせろ、靴下の予備もあったりするから!

 さすがに、ネックウォーマーの予備は、なかったが、私の腹巻帽子をネックウォーマーにして、なんと旅行中に編みあがった毛糸の帽子を使うことでなんとか…。ネックウォーマー、ウールでないものは、びっしょびしょで再利用不可だったが、ウールのは、タオルで水を絞ったら、かなりいい感じに再利用可になった。うーん。ウールの物を使うってこういうとき、意味あるかも。

 家に帰って、大量の洗濯物を出しながら、「今回は、まこが持っていく予備の予備、役に立ったねえ」とほめてくれた。
 こういうことがあるとね…やっぱり毎回入れようかなって思うのよ。役に立つのが5年に1回でもね!

 予備…の予備の、そのまた予備。旅行先で寒いのは、本当にいやだものねえ。
 次回旅行に行くとき、予備を詰めたら、夫はなんていうだろうか。ちょっと楽しみだ。

もてる、ということについて

お正月に10歳以上年の違う友達と話す機会があった。
彼女は、現在独身だが、年齢的にいえばつまりまだ、「婚活年齢」にあたる。

グループでも、古いメンバーはわたしと同年代、それより上で、大概はもう結婚しているし、お付き合いだの、結婚だの、という話があったのは、つまり当時のことであるからして10代、20代、男女ミックスのグループだったので、みんなくっついたり離れたり、出来ちゃったり結婚したり…なかなかにいろいろあった。

 当時はあまりにも色々あったために、昔の写真なんか、気まずくてみんなでみるわけにはいかないようなのがあったりして(つまり、写真の中のカップリングが、最終結果と全然違うから)。この友達は、かなり後になってから入ってきたので、年齢が一番下。いろいろあったころの話…はうわさだけ聞いてます、というような。
 
 20歳ぐらいの時は、私だってお付き合いを申し込んだり申し込まれたりしたものだ。フタマタ、ミツマタ、ヤマタのおろちといわれたひどい男もいた。かと思えばちょうちょのようにひらひらと、男性を渡り歩く女もいた。最盛期は200人以上いたのだから、無理もない。

 私は、スカートはいて、化粧しておしゃれしている時だけ、猫なで声を出すような男はなんだか怖くて、嫌いだった。女を「落とす」と表現する人も。そういう人は女を全員、UFOキャッチャーの景品みたいにしか思っていなかった。どれが「かわいい」か。「胸が大きい」か。そういう感じで選んで、「あとどのぐらいで落とせる」とか、仲間内で自慢げに話をする。

 私は、そういう人が苦手だったし、周りの人もそれを知っていて、そういう人は遠ざけてくれたり、あまりにも話が過激になったときは、「おい、まこ、お前、耳ふさいどけ」なんてやってから、相手に文句を言ってくれたりしたものだった。

 大体、「こいつは『や』らせてくれるんだろうか、もしそうだとしたら、いつだ」なんてことを考えている感じがする人は基本もてなかった。女は、そういう男を割とかぎ分けることが出来る。押しの一手で付き合うことになったおとなしい子もいたが、長続きした試しはなかった。
 割り切ってお互い、遊びましょう…という関係の場合は大抵どっちもどっち、フタマタミツマタ…みたいになって、私とは接点がない人が多かったので、「うへえ…」と思って眺めていただけだが、この場合は男女ともに、あんまり評判は良くないのが通例。

 大体、「ご飯をおごったから」「何かを買ってあげたから」「車に乗せてあげて、デートしたから」相手と体の関係に持ち込んでいいのだ…と思う人は、まず、女の子たちのネットワークでうわさが伝わって、「あの人にはおごってもらわないほうがいい」「あの人の車に乗るときは「みんなで」乗るならともかく、ふたりっきりはだめ」「あの人になにかもらうと、あとがうるさいよ」という情報が出回ったものだ。つまり、断然、もてなかった。どっちかといえば嫌われるというか、避けられるというか。
ちなみにこのブログを読む人にそういう年頃の独身男性はあまりいないと思うが念のために書いておくと、「そういう関係になってもいい」状態になる…時というのは、たった一つ。「相手がその気になったとき」だけ。相手に何をしてあげたから、そうしてもいい、という「前提条件」は、コミックス、映画、アニメ、ビデオ、ゲームではありでも、そういうフラグは、リアルでは男性側からは立てることが出来ない。フラグを立てるのは女性側で、向こうからある程度は行動してくるか、協力的になってくるので、男性側にもかなりわかるようになっている。自分でフラグを立てたつもりになって、相手にその気がないのに無理やり…という「デートレイプ」事件が増えているという話もあるらしい。「デートしたから」そういう関係に間違いなく持ち込めるのは、18禁ゲームだけ。現実はなかなかに厳しいのだった。

 もてる…ってどんなことなんだろう。
まず一番の女ったらしで、「横を通っただけでも妊娠する」といわれていた人は、ずーーーーっとお付き合いをしていた人が途切れなかった。話がうまく、女性をエスコートするのが上手で、それもどんなに内気で奥手な女の子にも、かなりのブスと言われる子にでも、分け隔てなく優しかった。街を歩けばおばあちゃんにも、幼児にもやさしかったということだったし、これはなんていうのか、天性のものだとしか。
 ただし!この人は釣った魚には餌をやらないと評判で、彼女になった途端、適当に扱われることになり、他の女と遊びに行ってしまう。結婚もしたことはあるが、奥さんそっちのけで浮気三昧。それでも、どんなにまわりが、「彼女に(奥さんに)なった途端に相手が浮気するし、大事にしてもらえないから、やめたほうがいいよ」とアドバイスしても、いつでも、いつでもその座を狙う女性がいた。
 何人も列になって待っている状態。
 
 これは、つまり「真正モテる」君であろう。彼女が、奥さんがいなくなった途端、次の人が繰り上がるという寸法だ。
後にも先にも、私はこんなにモテる人を他に見たことはない。今の奥さん…何人目かなあ…。
 不思議なことに、外見は、悪くはないが、人目を惹くほどではなかった。

 次にモテた人は、なんていうか「外見がいい人」。ただし、こういうタイプは中身もはっきりしていた。嫌い、といったら話もしない。仲のいい人には優しいが、一度嫌いと思ったら、最低限口きいて、あとはさっぱり。とても簡単に脈のあるなしがわかるというタイプ。ただ、仲良くなれば優しいので、割と途切れず、申し込み者があった。
 女性から申し込んだ時、フリーならOKしてくれるが、好みに合わないということがわかれば割とさっくり別れてしまうが、自分のほうから申し込んだ場合は、そうそう簡単に別れない…ということで、お付き合いが落ち着いた途端、結婚した。現在もそのまま。
 このタイプは、何人かいた。そして全員、割と早く結婚して、安定して結婚したままの人ばっかりだ。
 一本釣り派、というべきか。モテる状態に持っていくのは、釣れた魚が自分好みなら、そこで釣り終了という目的があるから。好みのタイプがもう定まっていて、はっきりしているのも特徴。結婚が決まったときには大概、「ああ、確かに好みのタイプだもんなあ、今の相手」とだれもが納得した。「意外だなあ」…という組み合わせがないのがこのタイプの人たち。「できちゃった結婚」は、なし。というのもこのタイプの特徴だろう。

 このタイプの人をうらやましいと思う人は結構いたみたいだが、「次々と女性と付き合って遊びたい」場合は、このやり方では無理なので、まじめな人だけしか、こういうことは出来なかったと記憶している。かなりモテる一群だったが、「遊び」なんていうものとは無縁。さっさと結婚に持ち込まれやすいので、婚活市場には出回らない男性たちでもある。
 すてきなんだけど…私なんか…という女の子が悩む話の相談をよく聞いた。

 軽く付き合って、軽く別れるタイプ。これは多分、見た感じは「結構モテる」とみられると思う。男なら、割と、口がうまく、それなりに「ちょっといいよね」と言われやすい男性か、女の子だったら、「かわいい」といわれるが、あれ?また連れてる男性が違う…というタイプ。
 付き合うのも早いが、別れるのも早い。なぜか、このタイプの男女というカップルは少なく、もっと堅実なタイプとくっつく人が多くて、周りをハラハラさせることも。ちなみにこのタイプの男女でくっつくと、たいてい修羅場になって、どっちか一人がグループから抜けるということがとても多かった。 なぜか、結婚は「できちゃった」のでないなら、遅い傾向があった。


 次に割と言われればこれはもてたというのかなあ…という人たち。
 仲良くなって、友達になってから付き合うタイプ。特に口がうまいとか、容姿がいいとかではなく、女扱いがうまいでもなく、グループで会っているうちに「俺たち、割と気が合うと思うんだけど。誰か付き合ってる人とか、いるの?」ぐらいの告白は出来て、自分に少なくとも好意がないわけではない…と思う。ぐらいまでいってから、がんばって付き合い始めるタイプ。

 こういう人は「付き合ってみるといい人だった」という評価が出回る。「グループで一番の美人」なんていう人に手は出さないが、「割とかわいいよね」とか「いつも明るくて、笑顔がいいね」とか、「気さくで、話しやすいよね」とかそういう人に告白することが多い。
 ただし、あんまり目立たないので告白されることは、まれ。
しかし…ふたを開けてみると、意外とこの層に来る人が一番付き合う人数が多かったり、割と評判よく、ふった人のほうが悪く言われたりするという…。
 この層にも、安定して結婚している人が多い。口べただろうが、容姿に自信が持てなかろうが、とりあえず、自分がいいと思ったことは、やってみる!という人が多い。女性のほうにも、このタイプは多くて、まあ、美人でもなく、スタイルもよくはなく…ただ、困るほどの容姿ではなく、身だしなみは十人並み。いうなれば「一番数が多い」。

 その次は、もう「もてる」とは多分言わないが、気が付いたら気になる…という人同士で付き合ってみたら、お互い楽しいし、とても気が合うのでそのままゴールインした、というタイプ。さっきの例と違うのは、お付き合い件数がとても少ないということ。その組み合わせで付き合っている、または結婚することにした…という話を出すと、残り全員が「あーーー。なるほどーーーー」となるカップル。
そういわれれば…確かにそうだ、もっと早く紹介して引き合わせれば話は簡単だったなあ…なんていうタイプで、たいてい男女どっちも、奥手な人が多い。キーワードは「個性的」。

ほんと…いろいろあったなあ。

冒頭の、この若い友達は理工学部で周囲が男性ばっかりだったので、「もてた」そうだ。でも「一部の人にしかもてなかった」のだって。
まあね…いや、でも、全員にモテたら、それはそれで大変だよ?

ものすごくモテた彼のまわりは、常にゴタゴタが絶えなかった。つまり彼女予備軍(浮気相手ともいう)が、足の引っ張り合いをやるからだ。大体、最後に一人だけ、もうこの人とずっと一緒にやっていきたい!という人だけが残ればいいんだから、逆にモテすぎたら邪魔なぐらいだ。

 よく、マンガとか、小説とかで「モテたい!」と主張するキャラがいるけれども、モテたい、誰からも無差別にモテたい…どんな女からも、言い寄られたい…というのは実際やってみるとそれほどいいことではないのではないか、と思うのは、私がそういう人を見たからだ。

実際にモテる、ということの定義をするとすれば、見て聞いて、経験して出た法則はこんな感じ。

A: まず…「あなたのことが好きでお付き合いしたいです」ということを言ってくる人が時々は、いる。

B: 告白してくれた人が、しばらく…半年から1年、それ以上は、お付き合い出来るぐらいには、自分と気が合う、趣味があう、話が合う人である。

C: 1回に1人ずつ、というお付き合いが出来(相手がフタマタかけない)ていて、結婚か、別離か…という最終点がある。

D:結婚の場合は長つづきする。別離の場合は、Aから再出発するにあたって、割とすぐ次の人が出来る。

…とこうなっている人を「いい感じにモテる」というのではないかな、と思う。

私はモテる、と威張っていた人の中には、一度に何人も付き合うような人とばかり、付き合うことになっていた人もいたし(つまり、キープか、保険か、みたいな「二番目の人」扱いかそれ以下、既婚者と不倫してた人もいた)、告白してくれたんだから、と付き合うのはいいけど、どうにもこうにも、趣味に合わないひとばっかりからたくさん告白されて、お付き合いの期間が長くて2カ月…、どうしてこんなに気が合わない人からたくさん申し込みが来るんだろう、と嘆いていた美人もいた。そして、その人は、「あいつと付き合うと金がかかりそうで」と噂されていたのを聞いた(当時は、まだバブルの名残があったからね…美人はこういう偏見を持たれた)。こういうのは、モテる…ように見えるけれども、実のところ安定した関係を手に入れるという最終目標からは遠い気がする。

だから、モテるのなら、「全員からモテて、選び放題」になるならともかく(そういう人は、多分1%もいない)「数が少ないけど、時々」モテるのがいいよ。
あ、でも、そうなるともうすでに「モテ」ているのではないよね…という話になった。

 「みんな、そういう話あった当時、10代、20代だったんですよね?」
「そうだよ、みんなまだ学生で、社会人は少数派だったなあ。私がまだ高校生とか大学生だったからねえ」

彼女は、口には出さなかったけど「若いなあ…」という顔をしていた。

多分だけど、私たちが若かったころは、そういうことをスタートするのがずっと早かったのだ。真剣に結婚まで考えたお付き合いを始めるのが、大学時代。若くて、無鉄砲で、考えなしで…そして思い切って結婚出来ちゃった…というケースも多い。
みんな、学校があるから、決まった場所に何年かはとどまっていて、動きが少ないから、身の回りのメンバーだけで話が進んでしまうことも多い。仲間に応援してもらいながら、婚活が出来たってことだよね。
 始めるのが遅く、子供を産むタイムリミットを考えると急がなくてはいけない今の婚活と違って、何年か、失敗しながら経験が積めたところもあると思う。数年付き合って別れた、が何回か試せるってことだからね…。

 友達がみんな、就職して散り散り、ばらばらになってから婚活したら、まず周りに仲良く話をする異性を作るところからしても大変だろうなあ…。
 週末には、大勢集まって、朝から晩まで遊んだ学生の頃を思い出すと、間違いなく婚活出来そうな環境だったなあ、と思う。

若いころ、XXさんに告白したことがあるって、本当ですか?

うげっ。ええ…本当ですとも…。グループ外に彼女がいたのを知らなかったからね…。3秒で振られたけど。
でも、その人はそれからも、友達として私を扱ってくれていつもやさしかった。

顔が赤くなるのがわかった。

久しぶりだな、こんな話をしたのも、こんな照れくさい気分になったのも。

家に帰って、夫の顔を見て、お帰り、と笑う顔を見たら、とてもうれしくなった。

ただいまーっ。
いつも、やさしくて、大好き。私を、選んでくれてありがとう。

彼は「グループ外の人」なので、こういう集まりには来ないけれど、私が幸せだということはみんなが知っている。
恋愛の話は、ほんと、思い出話が一番。そしてこうやってブログのネタにするのが、二番。

タイムマシンに乗って。

今年の正月、集まる機会があった。このグループは、古い人は私が高校生の頃から、新しい人は10年ぐらい前から(それでも10年?)参加の趣味の集まりで、1回しか来ない人も、300回来たことがある人も…。

 私は、引っ越しとか、外国在住が結構長くて抜けている期間も多いのだが、さすがにここまで付き合いが長いと、もう全部は切れちゃう気がしない。どこかが、誰かが、連絡を取り続けるだろうな、という気がするから。
 まあ、昔はとても仲が良かったのに、最近は集まったとき挨拶雑談程度、とか、昔は全く絡まなかったのに、最近はSNSでいいね!をよく送りあう仲になったとか、ある程度の変化はある。

 集まれるのは、年末年始か…いいところお盆?お盆は法事をやる家が多いので都合正月が集まりやすいわけだ。

亡くなったメンバーに献杯。ちょっとしんみりする。その人の話に花が咲く。
納豆、嫌いだったよねえ!そうそう、隣で定食についてたの、混ぜるだけでも嫌がってさー。とか、夏には上半身裸になってることが多くて、最初は見た目が怖かった!なんていう思い出話。なつかしいね、さびしいね、会いたいね…。

 「そりゃ、あんときゃお前はさー…」「あー、あのときはこうだったよなーガハハ」的、若いころにやった馬鹿なこと…を話すのが楽しくて、気が付いたら3時間。「お前」呼ばわりされるなんて、久しぶりだ。でも、それが当たり前で、誰もびっくりしない。席もほんとに人数が多いので、ぎりぎりぴっちり、荷物を整理して、つめあって座っても、こんな座り方、このメンバーじゃないと絶対しない。

 ママ友さんたちはこう、もっと距離があるからね…。
 
 面白いのは、30年ぐらい前から参加しているメンバーと、10年ぐらい前から参加しているメンバーが、同じ大学、同じ学年、学部まで同じだったこと。ただ、当時は全く面識がなかったそうで、仲良くなってから判明、気づかなかったなあ…とお互いなったのだって。卒業アルバムを引っ張り出して、確認して、「本当だー!この顔だーーっ」。
 「学校、学部まで同じだったんだから、当時わかってりゃ絶対楽しく遊べたのになあ」ってなっていて、当時学食のメニューの話(150円で食べられるのがあったそうだ)盛り上がっていた。(当時の学食の平均的一食の値段は300円台だったらしい)

 誰が飲めて、誰が飲めないか。みんなが知っていて。「最初から、ソフトドリンクでいい?」という私を、「まこっちゃん、気にしなくていいよ、相手俺らだから。後さ、最近こういうの、みんな勧めなくなったよな、法律厳しくなったし」と。
 「うんうん、俺も去年は車で来てたから飲まなかった」とか、若いころなら浴びるように飲んだメンバーも。

 どんどん頼んで、取り皿を使うときもあれば、直箸でいっちまえ!なときも、これもママ友さんとは、やらないことだ。
「おい、それ、俺の箸!」「あ、ごめん」みたいなやり取りも見たぐらい、テーブルが狭い。まあ、若いころは誰かのうちで合宿みたいに泊まっていたこともあったからね…。今更、箸共有でびっくりするほどでもない。
「あ、おれ、エビだめ、食べて」
「あ、そうか(アレルギーだったね)、って、なんでとるんだよー」
「サラダの最後に埋まってたんだよ」
とか、皿を回している人がいたり。

「さっきのから揚げは…」
「ごめんもうない」
「食べそびれた。頼んだら誰か食べる?」
「まだいけるー」
…すっかり家族のようなノリで。

店を出たら、「なー、ラーメン行こう」
という一人のセリフに、みんな大ブーイング。
「お前なあー!そういうことするから、こーなるんだろうが!」
…と散々だったわけは、ラーメン発言の彼は、糖尿関連全般発覚で、去年入院したからだ。みんな心配したんだからねえ!

「えー…せめてもう1軒…」
と、まだ言っていたが。

「まこ、もう帰る?駅分かる?」
んーーー。何人かがもう1軒いくなら、私も行こうかなあ…と思ったのだけれど、そこからもう1軒、というメンバーは、家が近い人が多い。私は電車にかなり乗らなくてはならなかった。

 私の方向音痴も知られているわけで、古なじみの人が、一番家が遠い=帰りの早い人に、「XXさん、何駅使います?まこと駅まで一緒にいってやってもらえる?」…と根回ししてくれた。…うーむ。若いころと同じだ。これはいいのか悪いのか…。

つまり、私の二次会参加は封殺されてしまった。ちぇ…。そういうの、昔っからうまいんだからなあ、この兄さんは。
でも、ここで私もー!参加ー!遅くていいから行くー!と駄々こねるわけにもいかない。
確かに体力も微妙な感じに切れてるし、帰ったほうがいい感じがするんだよなあ…残念だけど。
それと、帰りのことを多分、心配する人が出る。これも、昔と同じだ…。大丈夫!このぐらいで帰って普通にタクシー拾えば。
でも2時間後だと、タクシー激減だろうからな…。しょーがない、あきらめて帰ろう。

 駅まで歩いて、改札まで送ってもらい、「こっち側の線だからね?」とホームの方角まで教えてもらって、帰ってきた。

大変に盛り上がるし、楽しいのだけれども、これはお正月だけの楽しみ。1年に1回だからこその盛り上がり。
普段は全然会わない人たち…。こういうことがあるから、まだやっていける。
 
昔は…友達いたのになあ…。なんてセンチになっている場合ではない。1年に1回でも会えるなら、それでいいじゃないか。
日常、自分が住んでいる場所でも、会える人をもうちょっと増やして、出来れば趣味の集まりぐらい新規開拓して…。
さびしさがひしひしと迫ってくる、夜の電車。

電車の窓に映る自分を見て、ふと思い出した。
 こうやって、二次会をあきらめて早く帰るのは、初めてではない。まだ実家に住んでいたころは…「お前門限あるだろう」と指摘されて帰ったことは何度もあった。

 「ちぇ…」と思いながら、こうやって電車の窓に映る自分を見た。
 意外と、やることは変わってないな…。

薄くなった頭髪や、白髪の陰からのぞくみんなの顔も、それほどは変わってない気がする。口癖、しぐさ、話題の選び方…、好きな飲み物、食べ物。

でも、変わったところもある。

一言多い、と言われていた人は確かに辛辣な一言を吐かなくなっていた。

 時間通り来なくて、絶対30分は遅れてくるというのが定番だった人も、時間通り来てたな…。

 そういや、仕事関連の話になった途端、ちょっと仕事モードが入って言葉遣いがですます調に切り替わった人も。

みんな、来年まで元気で。

 タイムマシンを降りて、タクシーに乗り、帰ってきた。

大人のサンタの話

サンタクロースは、いいものだと思う。いや、いい人、か。
アメリカ文化では、ものすごく気を使って子供に信じさせるように仕向けるし、私が子供の頃はここまでではなかったように思うが、日本でも昨今、サンタさんが家に来て、よいこにプレゼントをくれるのだよ、という話を信じさせるようにする親は多い。

ちなみに、私の実家では、サンタクロースというのは三匹のこぶたや、シンデレラと同じお話であって、そういうプレゼントをくれるのは親である…ということについては物心ついたころには、はっきりと教えられていた。母親によると、「子供にうそを教えるのが嫌だった」そうだが、単にプレゼント代をさっくり、出さなくてもいいという事情もあったんだろうと思う。

うちでは「クリスマスプレゼント」は基本、ノートかメモ帳ぐらいまではもらったことがあったかな程度。それもまあ、近所の人に「まこちゃんは、クリスマスに何をもらったの?」といわれたときに「なにももらわなかった」と答えてしまうのを防ぐためみたいな感じ。正直、クリスマスというのは我が家では全然盛り上がらないイベントであった。
 「キリスト教の人はお祝いをするのだ」ということも聞いていたが、家の近所でクリスチャンといえば、ええとクラスメイトに1人いたかいないか…というぐらい田舎のことだったのもあって、幼稚園で「あわてんぼうのサンタクロース」だの、「赤鼻のトナカイ」だの、歌は習ったが、それだけだった。

今思い出したが「町内会の子供会がやるクリスマス会」というのはあった。それは公会堂に子供を集めて、家からボードゲームや絵本などを持ち寄って遊び、子供会役員のお母さんたちが紅茶とケーキを出してくれて、最後に文房具や、コマ、ぬりえ、トランプみたいなおもちゃのプレゼントを配ってもらって帰るという昭和の子供っぽいイベントで、こっちは楽しかった。

 かたや、うちの息子。全体的にアメリカ滞在が長かったからというのもあって、サンタクロースを全体的に信じさせる方向へ動いた私たち夫婦。私は自分が子供時代のことを考えて、「何年かは、そういうものを信じさせてやってもいいのじゃないか」と思ったのだ。

 最初、確か「プレ幼稚園」に通っていた時の絵本の読み聞かせで、クリスマスに男の子が赤い自動車のおもちゃをサンタさんにもらうストーリーを聞いた息子はいたく感動したらしく、2歳代の回らぬ舌で、「ぼきゅ、くいすますに、さんたさんにあかいクウマもらうの」と言い出し、車系のおもちゃにほとんど興味がなく、ロボット好きだったのでそういうおもちゃしか用意していない私たちを慌てさせたのにスタート。(赤い車…ということで、消防車のおもちゃは、そのあとお正月に「お年玉」として出して、しばらく愛された)
3歳、4歳と、サンタさんにもらうおもちゃがもう、楽しみで楽しみで。
 わくわくしてしまって朝4時に目が覚めるというお約束の行動で、大喜びの息子の声で目が覚める、そんなクリスマス。

サンタさんが名前を呼び、いい子認定証を発行してくれる…というようなネットの動画作成サービスを使った年もあったし、大体「ねえ、息子、今年はサンタさんに、何を頼むの?」という質問にはいつもニコニコ答えてくれた。
 が。今年は、微妙だった。

大体、もうサンタさんの正体に気付いた子が多い高学年。一応、セオリーとして「サンタさんがいない、という子には、さすがにプレゼント持ってこないよ、サンタさんはそこまで暇ではないからね?でも、プレゼントがないとかわいそうだから、そういう子にはお父さんとお母さんがプレゼントを出すの」ということにうちではなっている。
 今年は、念願のスイッチは誕生日にもらってしまい、ほしいゲームソフトは、お父さんとお母さんがくれる。
 PS4は「そんな高いもの、ボランティアのサンタさんに頼むものではない」と親が止めている…。

もしかしたら…もう、わかっているのかもしれないな、とも思った。でも、はっきりは聞けないんだな。
うちの息子は案外ちゃっかりしているのだ。サンタさんがお父さんお母さんだとわかっている、などと言おうものなら、サンタさん分のプレゼントが減ってしまうということぐらい、計算できるだろう。

今年は、スプラトゥーン2の大会があって、その優勝チームに賞品として出たという、Tシャツがあった。
 ネットで買えるんだな、これが…。せっかくの優勝賞品なのに、お金を出したら買えるってどうなの?と思いながら、ラッピングして枕元に置いておいた。
 夜中にそっとふすまをあけて、滑りこませて、そーっと閉めなおしたときには、目が覚めるんじゃないかと思って、ドキドキした。

そして朝5時。
寝ぼけた息子が、「おかーさん、サンタさんは…」というので、「よく見てごらん、なんかあるかもよ」(息子がはいだ布団に埋もれていたらしい)と言っておいたら、「おおおーやったーーーー!」と喜んでいた。

 ミルクとクッキーを用意したものは、私が一部食べておくというアメリカ風の仕掛けも。

夫によると、息子は「これ…手に入れにくいはずなのに、サンタさんはどうやったんだろう」とつぶやいていたそうだ。
ふふふ。ネット通販って、ありがたいねえ。

…ってことは、まだ信じてる、ってことでいいのかしら、ね。

ちなみに、知り合いのおうちのお子さんは、息子より2年上だが、まだビリーバー。その子の学校がカトリックの学校だというのもあるのだろう、学友たちも、そういう雰囲気のおうちが多いからか…。それよりもう2年上のお兄ちゃんのほうは、「もう僕はいいから」とプレゼントを気を使って断ったりするらしいが、下のほうのお子さんは、「サンタさんは僕の気持ちを一番わかってくれる」と、なんと、プレゼントに何を頼んだかを教えてくれなかったらしい。

 それは大変!お兄ちゃんに、「何とかして聞きだしてくれ」と頼んで、ご夫婦そろって頭をひねったらしいが、ちっちゃい子と違って、なかなか難しいね…という話になった。
(これはクリスマス前の話で、後日談をまだ聞いていない)

 知ったら、ショックかなあ。いつ、ばらそうか。いっそ、もう何も言わない状態でプレゼント出し続けてやるか(笑)。

思い切ってひとこと。

SNSでつながっている友人とか、知り合いとか、ママ友とか…というのはあるのだけれども、学生時代の友達はみんなみんな、家が遠い。日本全国、北海道から九州ぐらいまで散っているので、なんていうか、前回会ったのは、友達のお葬式…という感じの人が結構いる。

まあ、葬式はどれにせよ、非常事態。普通にあったのは、えーと、あの正月は何年前だ?ぐらい。でもSNSは便利なんだよね、みんな元気だね、がんばってるね、まだ生きてるよね…ということの確認にいいわけだ。

地元の知り合い…一応友達…だと思う。という人たちは、たいていママ友つながりで、子供が幼稚園の時知り合った人。その時にこの街に引っ越してきてからお付き合いが始まった人たちで、子供が幼稚園卒園してからもSNSはつないだまま…という感じ。
 旅行にいった、こういうものを手作りした、今度、趣味の集まりをやる、子供がこんなことを言った、した…というような近況を誰にというでもなく、SNSに投稿して、「いいね」とか、コメントを交換する人が多い。

 私は、それほど投稿するわけではないが、時々作ったものを公開したり、ケガや、入院があったら入れたり…あとは読むだけ、という感じだったのだけれど、割と息子が幼稚園を出てからもお茶しにいったり、ランチしている人が、二人でランチの相談をしていた。

 三人目の人が、「私もごいっしょしていい?」と申し込んでいた。
 …いいなあ…私も…と思ったけど、なんていうの?一応ここは、「そこらじゅうの人たちに公開されているところ」であって、そこで「私もいきたい」と表明して、もし相手が、「えー?そうなの?別にまこさんとしゃべりたいこと、ないよー」とか思っていても、断れる?断れないよね?だって、一緒に行きたい、という人を一人、もう「大丈夫だよー、一緒に行こう歓迎だよ」と表明している後なんだもん…。

「今回は二人でと思っていたから」とかさ…断れないよね。

だとしたら、行きたい、っていわないほーがいいかな…。

…申し込む前から、断られることを考えてるよね。
 これってさ、見方を変えれば、「こんなみんなが見ているところだからこそ、断られないから、申し込むべき」だったりする?

もうランチ決定になっている3人は、全員とてもいい人だ。話しても面白いし、とても素敵な人たち。フルタイムではないが全員パートで仕事をしている人たちなので、私からは誘いにくい3人でもある。いい機会ではあるんだよね。
 断られたら、ショックだろうなあ…。と思ったけど、断られる要素があるとしたら…。と思っても考え付かない。

…ってことは、多分断られないと思う。と決心して、
「私も、行きたいなあ」と表明してみた。

10分ぐらいで、「もちろんOK-」と返してくれる人がいて、ほっとした。
というわけで、思いきって、一言出してみてよかった。

「そりゃ、あんな状況じゃ断れるわけないじゃないのよ、本当は嫌がられているかもよ?」と悪魔のささやきが聞こえる。

…でも…多分空耳。頭ではわかってる。あの3人はそういうこと、言う人じゃない。本当に水入らずがよければ、ケータイ番号だの、ラインだの交換しているぐらいには、あの3人は仲が良かったはずだ。
 おまけに、3人のうちの2人とは、「年が明けたら、ランチしようね」という話もしてたもんね…多分大丈夫。

人づきあいが下手、って気持ちの処理が面倒くさいね、ほんと。

結婚相談所の広告を見て思う

結婚をしようと思って相手を探すことを「婚活」と呼ぶのをだれが始めたのかは、知らないけれども、私がこのブログを書いている画面にしょっちゅう、婚活の宣伝が出る。

「早めの婚活、正解でした」 by 27才女性(結婚願望高め)なんていうコピー。

…そうか…27歳で、昨今は、早めなのだねえ。

 私が学生の頃は、「クリスマスケーキ」という言い方がまだあって、「クリスマスケーキが一番売れるのはクリスマスイブの24日である」ということになぞらえて、「女性が一番売れる(結婚する)のは、24歳の時」だ、と言われていたものだった。そこから遠くなるほど「売れ残り」とされて、25日のクリスマスケーキになると、まあ当日だけど、ちょっとずれていて、26日には「今更感」が、27にもなると「間違いなく売れ残り」…といったような感じだということになっていた。
 30日、31日などの年末なんて、相手にもされない扱い(今考えたら結構ひどい)。

 私の姉は美人でも、もてるほうでもなんでもなかったが、「なにがなんでも24歳のうちに結婚したい」と、のんびりした彼をたきつけて24歳9か月ぐらいで結婚したぐらい、「ありがち」な話だったし、正直若いころにご祝儀の出費は痛かったものの、割と「24から25才で結婚」する子は私の友達にもいた。

 私の親ぐらいになると、もう、24「にもなって、彼氏の一人もいないんですってよ」というのはスキャンダラスなことであって、近所の「XXちゃんは、24にもなるのに、お見合いを嫌がって、お付き合いしている人もいないのだって」などと、聞きもしないのに、私が帰省するたびに噂話を聞かせてくれたものだった。

 世代が、もうちょっと下がると、「結婚適齢期は27ぐらいだった」という世代があって、その場合「駆け込み結婚需要」は29歳。
この世代になるとさすがにクリスマスケーキという言い回しは影をひそめていたらしいが、やはり「30になる前に」結婚したいというのが大体の線だったらしい。

 次の世代は、かけこみ需要が34になる時代。35までに結婚したい…ということになると、そこがぎりぎりの線になるわけだ。
すでに10年からのずれがあるわけで。このぐらいの頃に、かけこみで結婚した子が友達にいて、「かわいいドレスが似合わなくなっているから、ドレス選びに苦労した」とかそういう話が聞こえてきたものだった。

今じゃ、「そろそろ婚活を始めようか」…と思う年齢というのは、女性の場合でも、32ぐらいから、34ぐらいらしく、多分、駆け込み結婚需要は37近辺らしい。39にならないのは、多分、出産年齢の問題だろう。2人子供を産むことを考えると、39に結婚、40に出産、もう1人42で出産となるときついものね。37で結婚、38、40で2人という計算か…。

 クリスマスケーキの頃に、結婚した人なら、40歳で子供は高校生だものね。…そりゃ、幼稚園でお母さんの年齢の幅があるわけだよ。27で、早めの婚活扱いになるわけだ。

 時代って、変わるなあ…と思う。焦らなくていいのは、すごくいいことだと思うよ、私は。
 
それに、確かに、全員婚活しようかと思うのが32歳から34歳、そこからしばらく自力で婚活して、これはダメかもと思ってからこういうサービスに申し込む人が多いだろうから、ほとんどの女性が33才ぐらいから上だとしたら、27歳は目立つよね。
つまり、私たちの頃の婚活年齢でいくと、18歳とか19歳で婚活するわけだから。

確かに、私たちが若かったころでも10代で結婚は大抵「わけあり」…つまり出来ちゃった結婚だった気がする。
それと、「親同士が決めたお見合い結婚」にもこういうパターンがありだったかも。

あー。なるほど。婚活年齢の最頻値≒中央値ぐらいから、下に年齢が6年ずれると、そういう見え方をするんだってことよね。
そう考えると、確かに今時の27歳は「若い」んだな。

なんとなく、理解できた気がする。

検査とサプリ

騙されたくない、と思う。
情報というものは、あちこちにあって、特にネットには、いろいろな情報が錯綜している。

住宅は、買ったほうがいいのか、それとも借りるほうがいいのか。
たったこれだけのことでも、どっちがいい、なんて本当にわからない。なぜか…というと、家を売っている人のサイトは、家は買うのに越したことはない…その理由は…というようなことを言うし、家は借りるほうが絶対お得!というのは、大概が、不動産を貸す仲介サイトに決まっている。

 みんな、自分のところの商品や、サービスが売りたいから、そう書くわけだ。
多分、どっちの意見もそれなりに「あり」みたいになっているのは、住んでいる場所とか、その環境とか、ライフプランとか、給料額とか、いつまで働けるか…とかいうようなことで個別のケースが全然違って、「一概には言えない」というあたりに落ち着くからなんだろうな。

 どっちも、いいところも悪いところもありますよ、と。でもそんなこと書いちゃうと、家を買いたい人の熱が冷めたり、借りようと思っている人が、「あ、もしかして買うのもいいかも」と思ってお客さんが減るから、書かないってことよね。

 株だって、長期的に見れば、損をなるべく少なくして、株が全体的に値上がりしている時に取引すると、だんだん資産が増える…ということになる「はず」なんだけど、バブルがはじけたときのような、すごいことがどーんと起こったら、どこかにつまり大損して、何億とか、借金作る人が出るわけよね。ただ、その「どーん」が来るのがいつか…ということがわからないから、みんなやってる、ということ。または、「どーん」ってなった時に、それほど、ひどいことにならない程度に、たしなんでいる、といったところだろうか。

 「絶対もうかる、株の取引のやり方を教えます」なんていうのは、詐欺。なぜなら、絶対もうかる、なんてちゃんと株がどういう仕組みになっているか勉強した人は絶対に、絶対に言わないからだ。仕組みからして、「全員がずーっと儲かる」ようには出来ていないのだ、あれは。どこかで損をしている人が出るから、儲かるようになっているのであって、それは、ポーカーとかでやる、ダブルアップで、絶対当たり続ける方法を教えます、というのと一緒。つまり、「ない」。

 でもなぜそういう商売をやるか、というと、そういうのに引っ掛かりやすいカモをだまくらかすほうが、手っ取り早く儲かるから。法律違反ぎりぎりであろうと、人非人と呼ばれようと、人の道にもとる、と言われようと、そんなもの屁でもない人がやる。
 
 そこまではひどくなくても…やっぱり、ひどい商売というのは、あると思う。

 例えば、私のパソコンには、中年女性向けの広告が出る。「筋肉をつけましょう」というプロテインは若い男性向けだろうし、「今からでも遅くない!加入できる保険が、XX円!」というのは、多分、もうちょっと年上の人向けだろう。私のパソコンに出たのは、つらい更年期に…という類のもので、サプリだった。

 そのサプリというのは、まあ、名前は伏せておくけれども、食べ物から簡単に取れる物質の亜種が、「本当に必要な成分」であり、それは、食べ物からとれる栄養素が、体の中で変化させられて「作られるものである」。と、こう来る。

 でも、それを体内で作れるのは、人類の1/4しかいない。残りの3/4の人は、つまりこのサプリを飲めば、すでに「変化した後」の物質がたくさん入っているために、あっという間に解決!というお話なのだそうだ。

 で…その物質を、体内で作れるかどうか、という検査があります…と、こうきて、検査キットを取り寄せて、検査が出来ますよ(格安)、そして、もしその物質を作れない人だった場合には、1回目のお届けの代金は、なんとお得な、XX円!

…という広告。
 一応、その「食べ物からとれる、女性ホルモンと同じような働きをする物質」については、私も聞いたことがあったし、本当に日常に食べているものだったので、別にそれほど重視していたわけではないのだが、それが全く、そういう働きをしないという話は今まで聞いたことがなかった。まあ、「効果絶大」という話も聞かなかった。「似ているだけに、効果があるといいねえ」ぐらいのこと、とは認識していたわけだ。

 突然、すごーく、効くように改良されたものが出回っているってこと?うさん臭いったらないよ?
 一応、ネットで英語の記述なども調べてみたが、どれも「女性ホルモンとその物体が似ている」ということは確かにあるみたいだったけれど、効き目は、「ないよりまし」「あるかもしれない」「一応有意に差がある(と思われる)」ぐらいが関の山。
 売られているのは、「サプリメント」としてであって、「効くと思う人は、買って飲めばいい、でも効果は保証しません」というやつだね。

 更年期障害に使われる治療薬は、女性ホルモンと同じ成分を持つもので、それは科学的に合成されて薬になっていて、処方薬になっているというのは、あった。つまり、欧米諸国や、もちろん日本とか…で「薬として、処方できる」ということは、「ちゃんと効く」というデータがありますよん。ということで。

 で…まあ、アメリカとか、ヨーロッパ各国のほうが、女性向けの薬は認可が早いという話はないでもないので、そっちも見てみたけど、検査の「け」の字もない。検索語が間違っているという可能性もあるけれども、ここまで出ないっつーのもなんだろうよ。というぐらい、ない。

 サプリもないし、検査もない。

 日本語で調べなおしてわかった。
そのサプリの成分が「自分で作れるかどうか、検査してくれるところ」は、そのサプリを作っているところだけであった。

えー。そんな、怪しい話って、ある??
そりゃあ、検査してくれる検査機関が、「大変正直」な検査データを、「社会に寄与する一企業としての良心に恥じない形で」出してくれる…ということもあるかもしれない。でも、「詐欺」とまでは行かないものの、「データの読みよう」というものは、操作できるものだし、「当社の基準に従って」出された基準なんてものをね??

 …みんな、信じて買うのかなあ。

自分のところだけが作っている商品がどんどん売れるように、買ってくれそうな人が信じそうな結果を送ってくると思わないんだろうか。「信じることは美しきかな」という標語みたいなのがあったけど、美しいかもしれないけど、お金がもったいないというか、だまくらかされて、お金払ってるとしたら、いやだよねえ。

 こういうのを、英語ではFishyというのだ。(なぜ、魚が出るんだろう、多分、におうからかな)
 これが、本当に効果があるのなら、いろんな会社が追随するだろう。材料は、そんなに珍しいものではなかったからね。
 本当に効果があるのなら、多分、産婦人科で、処方してくれる薬にもなる。
 そうなってからでいいかな、と思う。
 
出来ることなら、若く見えたい、いつまでも元気でいたい。
そういう気持ちにつけこむ商売なんだな、と思う。

 うん、ひっかかりたくない。全部は嘘じゃないかもしれない。でも、あまりにも怪しいよなー。
 国立とかの病院が、検査してくれるようになったら、考えよう。
 

やり手の政治家

今回の選挙運動も、町中スピーカーでがなり立てる候補が多くて、うるさかった。

日本の選挙運動のこの、名前連呼システムは、本当にどうにかならないのかと思う。特に寝ない赤ちゃんがいるお母さんなんか、絶対、腹が立つと思う。

まあ、それはおいといて。
私の街で立候補になっている政治家さんが、何人か。別に、どの人が特に大好きとか、そういう話は私にはなかったので、それなりに政策とかを広報誌で読んで、そのあとはテキトーに聞き流しておいたが、まあ、うわさによると、そのうち、一人の候補者さんは、「かなりのやり手」ということであった。

 選挙の数日前のこと。
 下校途中の、小学校高学年の生徒たちがぞろぞろと歩いている通学路で、選挙カーが走っていて、小学生に手を振り、「学校のトイレをきれいにします、〇山〇人です!!応援ありがとうございます!」…と去っていったらしい。

 小学生にとっては、常日頃の問題に直結したことだし、小学生たちにとって、「子供にも、手を振って、挨拶して、そういうことを気にしてくれているのだ」と印象付ける出来事になったらしく、息子はそれを家に帰ってから話題にしていた。

 その候補者さんは、まだ若い。ってことは、10年たっても現役である可能性は多いにある。小学生が、8年とか、10年とかたったら投票出来るってことを、多分、計算に入れているのだ。そして、たった今も、小学生の子供の背後には有権者である親がいるってことも、絶対わかってやっている。

 興味をもたせること、しゃべりかけている相手に当事者であるという感覚をもたせること、そしてそれに関心を持っていると信じさせること。うまいな、と思う。

 家で話題になれば、どこに投票しようかなあ、と迷っている人なら、そんなちょっとしたことでも、決め手になるということはあるからねえ。

 「やり手」という噂は、やっぱりダテじゃないんだなあ、と思った。
 

ぎりぎりの一戸建て

うちのマンションのそばの民家が、取り壊されたな、と思ったら、売りに出された。L字型の土地で、その民家は、なんというのか、昔の…80年代にはこういうおうちがどこの住宅街にも結構あったなあ、というような瓦屋根の家だったのだけれども、なんと、3軒分に分譲された。

もともと、1軒の家だったのが3軒になったということで、まあ…わからんでもない。このあたりは、駅までも一応歩けることになっているぐらいの位置にあって(といっても駅近ではないけど)それなりに土地も高い。私は田舎育ちだから、100坪の家と聞いても、それほど大きいとは思わないが、このあたりでは、まあ、20坪台だと、ちょっと小さいね、だけれども30坪の土地といえば、「普通の宅地」扱い。40坪あれば、「案外あるね」であり、50坪となれば、「それは駅から遠いのね」という感じ。

 3軒の家は、現代風で、なかなかかわいらしく、こじんまりとしたたたずまい、ちょっと、一戸建てっていいなあ…と思わせるようなおうちだった。

 このあたりには、ハイツだの、アパートだの、マンションだのはたくさんあっても、一戸建ては少な目。私たちがこのマンションを買った時は本当に一戸建てはこの地区には出てこなかった。いいなあ…一戸建て…。一度マンションなんか買っちゃうと、さすがにもう一度一戸建てを買うというのはやらないからねえ…。うらやましいな、とちょっと思ってみるだけに終わった。

 3軒のうち1軒は建築中から「祝 ご成約」などという張り紙がドアに貼られたところを見ると、結構な速さで売れたらしい。残りの2軒も瞬く間に売れ、引っ越しトラックが止まっていたのを週末みかけた。

さすが…早く売れたねえ、ちょっと小さめだけど、一戸建てで、新築、いいねえ…なんていう話をしていたのだけれども、ふと、夫が思いついたように言った。

「あのさ、あの家、つまり、そのベランダの、物干しざおより内側の距離に、道路がない?」

…掃き出し窓の外側、50センチの距離に、人間が歩く道路がある…ね。ある。確かに私も含めて通行人はその距離を通過する。

塀も、壁も、柵もなかったもんねえ。大体建ぺい率が多分ぎりぎりだな、というような敷地いっぱいいっぱいに建てられた家だったし、田舎の家にはありがちだった「側溝」などもないので、道路と家の敷地が接しているから、もしあの掃き出し窓がリビングの窓だとしたら…

落ち着かないかも…
そういわれると確かに。

うちは中層階だから、窓の外に人通りはない。あったらそれは空中浮遊の幽霊だ。
でも、もし、ベランダの真ん中ぐらいの場所を、毎日人が通ったら…目が合いそう。そして落ち着かない気分がするだろうなあ。

今日、その家の横を通ったら、ウィンドウシェードが、家の外にがっちり、つけてあった。
…ま、そうするよね、うん。

家の中がちょっと薄暗くなりそうだけれど、塀を立てるだけの幅があるかどうか…と思うぐらいぎりぎりだったから、多分それが最適解だと思う。
一戸建てはうらやましいけど、地面から離して立てるわけにはいかないから、いろいろ制約がある…ということだけど、やっぱりこれ、入居前には気づきにくいことだと思う。

しあわせに見えたい

誰だって…と言ってしまうと語弊があるのかもしれないが、周りから、いいね、と思われたいところはあると思う。

私だって、こんな小太りのおばちゃんで取り柄があるわけでも、見かけが素敵なわけでもない、と自覚しているけれども、それでもやっぱり、面白みのない人だとか、別にどうでもいい人だとか、一緒に歩きたくないとか思われるよりは、楽しそうだな、とか、友達になりたいとか、文章が面白いとか、いい人だなとか、思われたいな、と思う。

こういうのを承認欲求というのだろう。

しあわせそうだと思われたい、輝いていると思われたい…というようなことを考えて、写真を投稿する人が多いという。写真「だけ」を投稿するソーシャルネットワークサービスで、自分の写真を投稿して、「いいね」と言われることが、本当に重要だ、と思ってしまって、実際にしていることや、持っているものを楽しむことを忘れやすいのだと。

 例えば、夜のホテルのプールはライトアップされており、写真写りがよくなるので、人気だとか。絶対顔を水につけず、髪をぬらさず、写真を数百枚から千数百枚、撮って奇跡の1枚を投稿するのだということだった。

 うーん。そんなに写真撮っていたら、友達とおしゃべりすら出来ないのでは…。ただ、素敵と思われたい…。そのことのためだけに、友達との交流も、あるかもしれないプールサイドの出会いも(ナンパされても、だれも聞いていないとか)全捨てなのか…と思うとちょっと、もったいないような気がする。「いいね」をしてくれるのは、別に知り合いでもなんでもない人ばっかりで、そこから交流がひろがるとかでもなく、「いいね」のやり取りに終わるとしたら。

でもな…もう自分がこんな人間で、このぐらいのことが出来て、こういうことが好きで、こういうことはだめで…とわかっている私ですら、素敵だと思われたい気持ちがあるのだもの、まだ若くて、自分がどんな人間だということがわかっていなくて、いいところも、悪いところもわかっていなくて…誰かが自分を選んでくれるとか、大好きだと思ってくれるとか…ということがなければ、やっぱり「すてきだ」「しあわせそう」「輝くものがあるよね」と思ってもらいたいと思う気持ちが強くなるだろうな、と思う。

 でも、他人の、よさそうなことばっかり見てると、引き比べて自分は…と思ってしまいがちではある。隣の芝生は青く、隣の花は赤く、隣の果実は自分の畑のものより、ずっと薫り高いような…そんな気がしてくるから。
 だから、自分ももっと、もっと…もっと素敵に見せたくなる。そういうことなんだと思う。

つらくなりそうだな、そういうのって。
写真は、一瞬だけを切り取る魔法で…。
その一瞬だけを見れば、素晴らしく見えても、やはり写真に写らない色々なことが起きている。 
奇跡の一枚は、つまり奇跡の1枚であって、そこには非奇跡的999枚が少なくともある。

うらやましい、という気持ちは、持ち続けるのはなんとなく、じわじわと毒される気がする。
 どうして私はこうはならないんだろう…という問いには答えはない。
 人生は、型抜きクッキーみたいにはなっていないのだ。

 人から見れば、自分だってうらやましい一瞬を持っているのかもしれない。
でもそれは自分ではなかなか、わからないから。
 そして、どんな人にも、「うらやましくない日常」があると思う。でも、そんなことは写真には、うつらない。

 まあ、不幸である…ということは、また別の観点から自慢出来るというのもある。人の不幸話というのは面白いからね…。ブログとか、まとめサイトとかには、そっちの方角へぐっと偏ったものもある。それはそれで、PVを稼ぐという目標があるからだろうけど。

  私たちのものの見え方は、とても単純だ。
 幸せも、不幸せも…見える形で出されるとよくわかる。
 自分に比べて、より幸せそうならうらやましく、不幸そうなら、自分のほうが幸せだと思ってホッとする。

 でも結局、どんなことにしろ、なるようにしかならないし、背伸びをして写真写りのよさそうな高い持ち物や、洋服や、体験を手に入れたところで、それがどのぐらい自分を幸せにしてくれるだろう。
 「いいね」をしてくれる人が、自分の人生にどのぐらい、かかわってくる人かどうか…ということを考えてみる。

私なら…。自分が好きな人が、仲のいい人が、かかわりのある人が、「いいね」と言ってくれるか、「あなたらしいね」と言ってくれるのがいいなあ、と思う。

ホテルのプールに夜に行ったら、非日常っぽさを楽しみ、おいしいドリンクなんか飲んで、わいわい騒いで、品定めすればいい。
「ねえ、あの人、かっこよくない?」
「えー、毛深いよ、手入れしないと上から下までつながってたりしそう」
「ぎゃはは、やだそれー」
…なんて会話が、昔あったとかなかったとか。

ぴちぴちした20代のころなんて、そんなのでいいのだ。誰もが全員、キラキラしている時代なんだから。
ただ…そのころの輝きというのは、他人からしか見えないんだよ、うん。そこがつらいね。

インスタグラムは、見れば見るほど、人をウツにさせる働きがある、というニュースを見たのでこれを書いたのでした。
ちなみに、わかりやすい記事は【これ】イギリスの調査機関が調べたものらしい(英語)。

14歳から24歳を1500人、調査した結果、インスタグラムを見れば見るほど、取り残された気分になり、気分が落ちるらしい。自分に自信がなくなり、自分の体に対してネガティブなイメージを持つようになり、眠れなくなる人が増えるとか。インスタグラムだけではなく、似たようなアプリのsnapchatとかにも同じ傾向があるらしい。

 もちろんほかのソーシャルメディアにもそういう傾向はあるのだけれども、文章中心のツイッターのほうが、そういう効果は出にくいという結果になったらしい。

 リアルの関係をね…もっと楽しんで狭い世界でいいから、友達同士で楽しくやればいいのに。そのうち、いやでも、学校を卒業して、結婚して子供産んで…とかになると関係が薄くなっていくんだから。そうなってからバーチャルもやればいい。
 スマホを全員が持っている時代というのは、話がややこしくなっているのだな、と思うとちょっと、難しい時期を越えなくてはならない、ティーンエイジャーが、かわいそうになる。
 


ブログがだめになるときは。

もう、8月半ばの記事になっているけれども、今年の夏は本当にいろいろあった。ブログは、時間がうっかりずれているときもあるけれど、たいてい朝に自動で更新する。大体二週間ぐらいは予約投稿にしてあるのだけれど、実は7月の終わりから、8月の頭にかけて、ちょっと入院していた。

病院で、当たり前の大部屋にいると、実はWi-Fiなんてなくて(特別室へお金を払って入ればあるんだけど)、おまけに盗難の危険があるということで、パソコンは持ち込み禁止。とはいえ、ケータイは禁止ではないので、この昨今、ネットぐらいなら(通信料はかかるが)画面が小さいのさえ我慢すれば、見られないことはない。スマホは便利だった。

そんなわけで、ほかの人のサイトへ訪問があまりできなかった。コメント返しも遅くなったり飛んだり。ランキングも、あっというまに何百番も下がった。なかなか、維持は難しいなあ、とおもった。

ふと、私が何かあって死んだら、このブログに来ている人に、多分なにかあったな…とわかるのは、ずいぶん後だな、と思った。まず、コメント返しがなくなる。それから、題名が「4ケタの数字」で、中身がない記事が、何回か自動更新する。

これは、私が「何月何日の分」というのを題名につけて、記事そのものは後で書くことにして、予約投稿の日時を先に入れておくから。その場で投稿してすぐ反映させるのならこれは必要ないのだけれども、「自分で指定して更新時間を投稿」にすると、現在時刻が入っているところへ、何月何日、何時何分、と数字を入れなおさなくてはならない。
半角でいれること、と決まっているので、文章を打ち込んでから半角に切り替えて…というのが面倒なので、一気に2週間分ぐらい、その作業だけやってしまうことにしている。
だから、題名に数字だけ、そして更新時間がその日の朝の6時前後のものがずらっとならんでいる。それを「編集」して、記事をいれ、更新前に読み直して誤字脱字変換ミスを直すようにしている。
だから、このブログを読みに来てくれる人は、そういう記事があったら、「あ、なんかあったな」と思ってください。そうなったら、それはその日に更新できなかったのではなく、2週間以上前に何かが起きた…ということなのだと。

…ちょっと深刻めいてしまったが、私の入院は、本当に大したことはなく、今はもう全然大丈夫になったので、心配ご無用。ネットも、パソコンのゲームもなく、ケータイのみ、とかいうルールのせいでゲームまで出来なかったので(ただし、小児病棟では、ゲーム機は禁止ではないそう!大人でもやらせてくれればいいのにねえ)、とても暇だったので、つまんないことをたくさん考える暇があったのだった。

将来の不安

結構いろいろなブログを読んで、50代女性あたりのテーマのブログを読むと、将来が心配、という話が結構ある。夫婦で仲良く暮らしていて、大抵ペットなんか飼って、旅行や、趣味や…そういうブログなのだが、やはりお子さんがいないというところから、将来、なにかあったとき、とふとした時に思うことがある…というような記事。

 それと同じような話で、私が思うのが、子供に兄弟を作ってやれなかった、ということ。私も若くはない。今から子供を作るとしたら、かなり「人類の限界に挑戦」みたいな話になってしまう。
 でも時々、お子さんが4人あるママ友さんと話をしたり、2人のお子さんをつれている家族連れの兄弟が仲良く遊んでいるのを見ると、将来、私たちが死んだら、息子は孤独になるんだなあ…とか思ってしまう。

 そこで、ちょっと落ち込む前に、私は毎回、思い出しておくことにしている。
 昔も一人っ子はいた、と。そしてそのフレーズさえ思い出せれば、次に思い出すのは、離婚済みの元義弟のこと。

 元義弟は、ものすごーーく借金をする人だった。それもかなり簡単に。普通の会社員だったので、何十万の借金を、右から左へ返すわけにはいかない。借金が家族に発覚するのは数百万にふくれあがってからで、数カ所のローン会社から、連絡が入るから。
 一度ならず、数度やった。

 夫婦である義妹が協力するのは、まあしょうがないとしても、義理の兄である私の夫、同居していた私、義両親、そして義弟の両親と兄弟まで、大騒ぎ。義弟の両親が数百万、出したこともある。義弟のお兄さんが出したこともある。ある程度は、裕福だったようだけれども、うなるほど金持ちではなかったらしく、彼らも困ったらしい。

 まあそれはね…1年で500万円、数回持っていかれてみろよ、と思う。老後の蓄えだっただろうに、数千万…というのには多いかもしれないが、1000万以上、パー。それも病気の治療とかなら納得もしようが、たかが飲み会でぱーーーっとおごったとか、パチンコですったとか、そういう話。

 今は、もう元義弟がどうしているのかしらないが、こういう兄弟が、こういう子供がいたとしたら、大変だろうなあ、と思う。上のお兄さんはごく普通に家庭を営んでいるのだし、もうこれは義弟の性格としかいいようがない。

 息子を見ていると分かる。どんなに一生懸命教えたとしても、耳に届いているのかいないのか、その気があるのかないのかもう、本当に本人の性格というのは出る。かなり小さいころから。子供がどう育つかは全部親の責任みたいな報道もあるけれど、私はどうもそうは思えない。

 ある程度までしか、教えられない。そういうものだと思う。

…まあ話はそれたけれども、私にもし、こういう兄弟がいて、連絡があれば毎回、お金を貸してくれ、とかよこせ系の話ばっかりだとしたら…いざ病気だなんだ、となったとき、助けてくれると期待するだろうか。多分無理だと思う。

手続きぐらいなら、してくれないかな…と思う人も多いだろうけど、多分、お金にだらしない兄弟が、そういうことをしてくれるぐらい誠実で実直で手間をかけてくれるかというと、確かに望み薄だろう。

 それなら、お金を払って雇った、シルバーセンターの人の方がまし…というものだ。でなければ、ひとりか、ふたりか、こういう非常時に、なんとかややこしいことを頼める友人がいるかどうか…のほうがずっと考える余地はある。

 私は、母親と折り合いが悪い。面倒は見るなら義母の方がましだと本気で思うし、しょうがない、今も病院とかの非常時には付き添うけれども、なるべくならかかわりたくない。姉も遠くに嫁いでいて、私よりは母と仲がいいけれども、それでも、「どうしてあんな人なんだろう」と愚痴ることがあるぐらいだから、いざとなったら実家の家でも土地でも売るなり抵当に入れるなりして、お金で人を雇いたいと本気で思ってしまうような人だ。

 親子がいつでも仲良く、なんていう話はないし、子供がそばに住んでいる時代は終わっている。子供の生活を犠牲にしてまで親の面倒を見る…というのは無理があるし、みんな行政や、民間のサービスを頼る時代になったのだ。

 みんな、将来は老人になる。不安は誰にもある。

兄弟がいない。親戚が少ない。子供がいない。村社会で、群れで暮らしていたころの本能がまだ残っているからなのか、血族が多いということを安心材料にしがちだけれど、この現代に、その安心感が実際の安心になるのかというと、これは運程度の話でしかない。

 子供が大変に親孝行(でお金に余裕がある)子になるとは限らないということ、兄弟姉妹が自分と仲良しで思いやりがあるとは限らないということを、忘れてはいけない。プラスも手に入らないが、マイナスではない。プラスマイナス、ゼロで。

 戦争で、子どもや、孫を亡くした人だってたくさんいたはずだ。戦争がない時代でも、親の方が長生きしたケースは絶対たくさんあるし、兄弟がない人だって、きっとたくさん、いたはずだから。なんとかなる。そう思って行こうと思う。結婚した相手と、友達と助け合っていければ。

 不安に思っていても、何が変わるわけじゃない。頑張ってご飯食べて、ちょっとは運動して、なるべく節約してお金を貯めて、ある程度元気でやっていけるように。
 
 不安になりやすい日もあるな、と自分でも思う。体調が悪かったり、寝不足だったり、ホルモンの関係だったり。そして多分…ちょっと更年期なんかも入っているのかなあ。
 落ち込みやすい時は、自分でも気が付いて、ちょっと、一休みできるようにしないとね。

ハードorソフト

…といっても、コンタクトの話ではなくて。
昨日の日記に書いた、黄金桃の飴は、ハードキャンディ。私にしては珍しい買い物だ。

私が自分のお金でキャンディなんていう必需品ではないものを買えるようになってからこっち、私はずっとソフトキャンディ派だった。キャラメル…とくに「ハイソフト」というキャラメルは一時ものすごくたくさん買った。私はハイソフトに入っている写真のカードをコレクションしていたのだ。

 当時、ハイソフトはコーヒーや、ホワイトもあったと思うが、一体何箱買っただろうか。
明治のクリームキャラメルや、ヨーグルトキャラメル、キャラメルでないなら、ボンタン飴に兵六餅、それから最初は「ゼリー」という名前がついていたが、グミキャンディの最初のころのもの、そして色とりどりのグミ。もちろん、ハイチュウもあったし、ぷっちょあたりの複合系のキャンディも大好き。
 
 今お気に入りのキャンディは、塩キャラメルや、小梅ソフトキャンディか、果汁グミか…。ともかくソフトキャンディ。

黒飴、梅干し飴、ニッキ飴、はっか飴、抹茶飴、そして缶入りのサクマドロップ。田舎の子供の口に入る飴というのは、おばあちゃんが缶から出してくれるこういう固い飴が多かった。缶にくっつきかけているのもあったりして。そのあとから、缶入りや、量り売りでない飴が出始めて出てきた飴が、確かバターボールとか、ライオネスコ―ヒーキャンディとか…。どれにしても固い飴だった。

多分…。ああいう飴は「長持ちする」のがよかったのだと思う。当時は飴を2つ口に入れるというのは、「しないこと」だった。
そして、ただ、飴をなめながら黙って座っている…という時もあったと思う。甘さというのは、子どものエンターテイメントだった。
時間、あったんだなあ…。

 ソフトキャンディは、噛んで飲み込んでしまうとあんまりもたない。忙しい生活のリラックスに、というような隙間時間のちょっとした楽しみのようなもので、大人になったからなのか、キャンディは、忙しい時間にちょっと食べたり、電車のホームで口に入れることが多くなっている気がする。

 ハードキャンディを、買おうかな…。食べたことがないキャンディがいっぱいある。

 新しいものを食べることは、脳を働かせるのにいいっていうしな…。買ってくればいいだけなんだから、簡単だし、そして…確かに滅多にやったことがないことだ。
 
 ちょっとした変化。
 長い間、やっていないこと。

自分の好みが固まってしまって、考えることや、毎日やることや、楽しみのためにすることが、どうしても同じような事ばかりになる日常に、こういう変化というのは、いい。

 あんまり冒険してみる方でもないし、怖がりだし、変化が好きではないという性格もある。
 でも、このぐらいなら多分…。

そう思うとちょっと楽しくなってきた。ネットで「ハードキャンディ」なんて検索したりして。

パインアメってのは、私も知ってる。それにオレンジ味があるんだって。
オレンジ味のハイチュウ好きだ。果汁グミのオレンジも。…ってことは多分これもいけそう。

そーっと、踏み出してみる。こんなことでも、変化だから。
ドラッグストアの100円お菓子コーナーに、オレンジアメはあった。

小さいころ、好きだった「いちごみるく」のキャンディのチョコレートバージョンもあった。
知らないものだなあ。

食べて、ブログでレポートするってのはどうかな、うん。

オレンジの飴は、おいしかった(感想になってない)結構味が濃い感じで、酸味があっておいしい。
息子に食べる?と出したら、「鳴らない」と不評。そりゃ…穴が開いてるのはそうだけども、笛ラムネとは別物だってば。

ハードキャンディって、ソフトキャンディを噛んで食べてしまう時と違って、すごく長持ちするので、1袋あったら、余るかも。
べとべとにならないうちに食べないとね。
 
 
 

牛丼

それほど高い値段じゃない外食の牛丼。
デートで牛丼に連れていかれたら、怒って別れていい…という話があるぐらい、イマイチ扱いの牛丼だけれども、アメリカに住んでいたら、チェーン店の牛丼が、どんなに良く出来ているものなのか、わかる。

あの値段で、あの味、もしアメリカで住んでいたところのそばにチェーン店の牛丼が店を出したら、私は絶対食べに行っただろうし、ため息が出るほどおいしい…と思っただろう。ああいうものは、アメリカの外食産業にはない。自力で作るのも、薄切りの牛肉がない、というところからスタートせねばならない…というと、残りの材料の手に入りにくさは、尋常じゃないのは、なんとなくお分かりいただけるかと思う。

週末、夫と子供がプール施設に遊びに出かけることになった。この室内プール施設、大変に入場料がお高い。交通費も結構かかる。再入場が出来ないので、中のものを食べるしかなく、そして中の食べ物はあんまりおいしくなくて、高い。家族そろってレジャー、というのはする家が多いだろうが、私が出かけないだけで5000円からの節約になるとしたら…。
 小さいころは、ママも、パパも!と子供が言うので全員で出ていたが、小学校高学年になると、お父さんだけで大丈夫。私が行くと、ジュースとアイスは一気に買ってやらない、とかいうので、お父さんの方が人気だ。

 でも今日はちょっと、だるい感じがして、今から、夏バテ?といった風情。ちょっと置いて行かれる感じがする。
 「いいなあ」と、ふと言った私に、夫は気を使ってくれて、「今日は、全員でいく?」と聞いてくれたが、私がうらやましかったのは、昼ごはんを作らなくていい、ということがまず一番大きかった。

 「じゃあ、昼ごはん外で食べなよ、何がいい?」
 「牛丼、かなあ…」

それなら、これでいいね?と1000円札1枚、私に残して、バタバタと2人は出て行った。

 私…牛丼、食べたいのかなあ。

 いや、聞かれたときには確かに、牛丼屋さんの看板が頭に浮かんだ。チーズや肉が多いイタリアン食べる気はさらさらなかったし、麺類は昨日の夜にそうめん食べたところ。アツアツのラーメンや、カレーはこの体調ではそれほどそそらない。
 フレンチのレストランは、遠いし、うーん。バターとクリームの幻影が…。夏には今一つ。

 なぜ牛丼屋さんの看板だったんだろう。
 牛丼屋さんにいったら、私、何頼む?
 
どんぶりの小さいやつを頼んで、味噌汁と、お新香と…。それから、ショウガをちょっとどんぶりに載せて…。

あー。多分だけど、私は、漬物と、味噌汁と、しょうがで、ごはんが食べたかったんだ…。
牛は多分おまけ。

漬物は、うちで食べるのは私だけ。自分で漬けていないので、買ってくるしかないんだけど、漬物というのはおかずの1品にはならないし、野菜そのままより高いので節約していると買わない。

 とりあえず、お米を炊飯器に仕込んで、スーパーに買い物に行って、牛丼屋さんで出てくるような白菜漬けを買ってきた。
 夜に飲む味噌汁を1杯分増量して作成。

ついでに、冷蔵庫から納豆出して、納豆、味噌汁、漬物、それから炊き立てのご飯。

 おいしかった。体力ない時はこういうものがいい…。納豆の代わりに豆腐でもいいかな。
 牛丼食べるより安上がりだったしね…。千円の残りは夕飯のおかずの足しにしたので、刺身を買っておいた。今日の夕飯が一品増えて大変ゴージャスに!(お釣り、返せって言われないと思う)

 自分が本当に食べたいものは何か。
 こういうことは、多分、もっと頻繁に起こっているのだと思う。

自分がしたいことは、何なのか。
自分が本当にほしいものは何か。

パッと思いついたもの、世間にわかりやすいもの、大勢に人気があるもの。
それがいい時もある。でも、実は、考えてみると、もっと簡単に、違う方法で実現できるものだったりしないか。
自分の満足は、どこからもたらされるのか…ということを、考えるのって難しいと思う。

いつでも、わかりやすいからという理由で、「いつもの」を選ぶのは、人生の手間を省くのに便利だからそうするんだけど、手間を省くことを時々やめたら、「いつもの」「いつもの2」「いつもの3」みたいに、何種類か作っておけるのではないだろうか。

年齢を重ねて、どうしても同じものばかり選びがちになってきていると思う。
違うものに、手を出そう。 それが、気に食わなかったら面白がろう。
知らないメニューを食べるぐらいのことにしても、たとえそれが100円、500円程度のことでも。

何をするのがいいかな…。手始めに、次に漬物を買う時は、食べたことがないものにしよう、うん。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
ひょー。ふだんつかっているパソコンの電源が入らなくなった。
これは2台目のパソコンから追記中。いくつか書いてあった文章もあったのになあ…まあしょうがないけど。
一応しばらく自動更新しますので、毎朝読みに来てください。
ですが、訪問、コメント返しは遅れるかもしれないです。

港のある街出身の謎

「どこ出身?」と聞かれた時、大抵の人は都道府県名を答える。

「長野です」
「山梨です」
「宮崎です」
…といったように。

いいところですね、なんていうごく当たり前の相槌が来る、または近かったり、同郷だったりすると、ちょっと話がはずんだりする。

まあ、高校生ぐらいまでは、あまりしない質問であって(大抵の子は高校までは地元だから)この質問は、学生の頃、それから社会人になってから、あとはママ友が出来てから…とか、あとはオンラインゲー、ネットの知り合い、そういう人と交換する情報になる。

私は中年になってからこの質問を聞いたり、聞かれたりすることが多くなったのだけれど、全国47都道府県のなかで、ちょっと、変則的な答え方をする人があることに気付いた。

 まず、「神戸出身」の人。
 この人たちは、まず「兵庫県出身です」とはいわない。
あくまで、「神戸です」という。
 
 それから、もう一箇所。
 「横浜出身」の人。
 この人たちも、「神奈川県です」とはいわない。
 「横浜育ちなんですよー」とか返ってくる。

ここだけ、「神戸県」とか「横浜県」があると言わんばかり。
 
 古い港のある街というところが共通しているので、何か、港町で育つと、グローバルな視点が…とか、外国人と触れ合う機会が多くてコスモポリタンとして、意識が違うとかなのか。

 他に、古い港というと、長崎とか?と思ったけど、これは残念、
「どこ出身ですか?」
「長崎です」
…これは、県名と港の名前が同じなので、県を指しているのか、港を指しているのか判定不能。

 兵庫県とか、神奈川県に、何か不都合でも、あるのか?と疑問に思うのだけれど、これはなかなか、聞き返すわけにもいかず。

でも、面白いのでちょっと気になった。

港町出身の人は、やっぱり港の名前を答えたくなるんだろうか。
 街を、陸続きの方ではなくて、海のほうへ出れば、次に上陸する時には外国というパターンがあるというのは、なんとなくいいな…と思う。

人並みの暮らしと50万円

埼玉で【人並みの暮らしをするとひと月、50万円必要】とかいうような話があった、というので、色々なブログにその記事の感想があったのを読んだ。

 正直なところ、50万円なんて、ローン含めたとしても、かかったことがない。ま、うちはまだ子供が小学生だということも大きいだろうけれども…。自分では「人並みの生活」をしているとおもっているわけであるから、この記事はちょっと、えー?ってなった。

 確かに、関東…というべきか、それとも、「東京通勤圏」というべきか、というあたりは、生活費が高くなる傾向があると思う。転勤であっちこっちに行ったけれど、「鹿が車にぶつかって廃車になった」というような話が「あるある」だった地域は生活費が安く、自転車を駅前に止めておくのにお金がいるような地域は生活費が高い。

 でも…。東京通勤圏とはいえ、50万円?

大体、こういう記事にだまされちゃいけないのだ。絶対、何か、からくりがあるにきまってる。
テレビ、新聞、ネット、本、何でもいいけど、活字になったり、放送されているようなことは、全部が本当なわけではない。
うまーく、そう見えるように操作してあるときだって多いのだ。

 うちの母親は、こういうのにコロっとひっかかるたちで、(父はひっかからないので、それほどひどいことにはなっていない)例えば古い話だと、あのオイルショックの時、父の反対を押し切り、トイレットペーパーを半間の押入れの上の段いっぱいに買ったという前科があったり、「界面活性剤が体に悪い」という風説を信じて、高い化粧品を買わされたり、水素水が体にいいと、浄水器のできそこないみたいなのを売りつけられたり、している。

周りが止めてもぜんっぜん聞きやしないし、自分の自由になるお金があるものだから、そういうものを買ってしまって、いいの!と言っているのが、疲れるんだよねえ…。(化粧品も、水素水の機械も、喜んで使用中だ。体にいいのよ、と幸せそうでは、ある)
 だから、私は絶対そういうのにひっかかりたくないのだった。

ただ、私の頭はあんまりよろしくないので、どこが、どう違う!ときっちりわからないこともある。
今回は、じーっとニュースのネタ元をにらんでみた。

回答者の7割以上が持つ物を「必需品」とし、それを持つ生活を「普通の生活」と定義

多分、今回の落とし穴は、この部分だと思う。

私が子供のころ、クラスは大体40人だった。7割だと28人が持っていて、12人が持っていない。
12人といえば、結構な人数だ。これが、38人が持っていて、2人が持っていないのなら、かなり、普及具合が違うだろう。でも、正直12人も持っていないものなら、それほど「人並みになれない」と悩むほどでもないという感覚が私にはある。

「ガンプラはもっているが、ファミコンはもっていない」
「ファミコンはもっていないが、ラジコンはもっている」
「ラジコンも、ガンプラもないが、ファミコンはもっている」
…とまあ、こういう感じに、クラスでは、持っているもの、持っていないものが散らばっていたものだった。ガンプラもラジコンも、ファミコンも、クラスの男子の7割ずつぐらいが持っていたと思う。いや、ガンプラはもうちょっと普及していたかな…?でも、つまりこれを、このニュースの方法で、考えるとしたら、
「ファミコンと、ガンプラと、ラジコンを全部持っている」でないと「人並みの生活が出来ていない」と判断する、ということなんだよね?

それは、「人並み」でなくて、「結構な贅沢」ではないのかなあ、と思う。
ファミコンも、ガンプラも、ラジコンも持っていない!という子は、天体望遠鏡を持っていたりしたもので、みんな、「どんなものにお金を出すか」ということについては、好みに応じて、人それぞれ、ということは子供だってわかっていた。
 どれも持っている子は、「あの家は金持ちだからな」という認識があった。人並みという言葉は、割と「ぎりぎりから、まあまあぐらい」であって、余裕で上の方、というのは、「人並み」よりも間違いなく上だ、という感覚があったわけだ。

大人になってからでいうと、多分自家用車は7割よりたくさんの人が持っているだろう。でも、自家用車がなくても、都会なら十分生きていけると思うし、服飾費は、多分年間10万円以上かける人も、多分7割以上いるだろうけれども、そういうことに関心がないなら、もっともっと低い値段でやっていって、全く問題は起きないので、これも、「人並み以下」という意識は持ちづらい。
 つまり、7割の人が持っている時、3割の人は持っていないということが計算に入ってないんだと思う。

これが9割か、95%の人が持っているものを「必需品として」計算したら、もっと下がるんじゃないかなあ…
50万円x7割で、35万円。35万円x12ヶ月で420万円…となると、既婚男性の給料のボリュームゾーンがこのあたり・・・・というのとも合致すると思うんだけど。

 なんて話をしていたら、夫が言い出した。
「大体、この話はさ?最低賃金を上げてくれ、という交渉をするために出したみたいだよ?「労働組合連合会」とかが出してるんだから。そしたら、「今の給料で、大体やっていけますよねー。そうですよねー」ってデータが出ちゃったら困るから、こうしたんじゃないの?」

…ってそうか。なるほどねー。

で…この表、改めて見直して思ったんだけど、関東で東京通勤圏で家賃5万円って、どんなところなんだろうか。7、8万円は出さないと、子供2人で4人家族はつらいんじゃないかなあ。それか、かーなーり、田舎だよ、想定されている地域が。おそ松君のアニメのエンディングじゃないけど、「空気はうまいが、町へは遠い」というような、電車の始発駅から座って通勤地域?

 そして食費が10万円って、ねえ?30台で子供小さいのに、こんなにかかる??よっぽど上等なレストランで週に何度か外食して、お惣菜買わないと、こういう値段にはならないと思うんだけど…。これは食事を用意しているのは、自炊をする節約な主婦ではなくて、手間を省いて仕事を優先、おまけにちょっとセレブなマダムだと思う。

 あと…通信費。これ、高いよ。家にネット回線入れるのは、人並み、確かにそうだと思うけど、この通信費だと、スマホでよっぽどいいプランとって、家にびゅんびゅん高速のネット回線いれて、相当なオンラインゲーが遊べると思う。
 
 確かに、東京の私大に子供を入れたら高いだろうな、というのはわかる。でもその時には、大抵の人は、いろいろな経費を削るんじゃないかなあ。
みんな、「どれもこれも、全部は手に入らない」ということはわかってるよね。
子供を私大に通わせるなら、お母さんもパートに出て収入増やすとか、通信費は安いプランに乗り換えるとか、車を買い替えないで長く乗るとか、外食は減らすとか…。

どれもこれも、今の生活で「かなりいい」レベルのものをいつも手に入れたい。人が持っているものは自分もほしい。というようなことを考え始めたら、多分、この50万というのは妥当な線、またはこれじゃ足りない線なんだろうなあ。

50万円必要な生活は、ミニマリスト、ダンシャリアン、節約、そして「普通の生活」のどれとも、遠いと思う。

こどもと、ハーネス

子供が、小さいころ、うちではリュックサックの形になったハーネスを愛用していた。
手をつないで歩こう、というのもある。それも、子供の手首をつかんで、握らせた手を大人の手に包むという、どっちかといえば「捕まえておく」式のつなぎ方が育児雑誌にはお勧めになっているものだからそういうのもやっていた。

が。うちの子は男の子。これが女の子だと、違うと聞いたことはあるが、大体視野角は15度ぐらいしかないのではないか…というシングルフォーカス。興味のあるものに目が行ったら、目の前が道路であろうと、水たまりであろうとそんなものは目に入っちゃいない、突進。手は、結構な力で振り払う。

 おっとぉ!と止めるのに、ハーネス(リーシュ?)はとても便利だった。
 だって、前が車の通る大通りだということもあるんだよ…道の向こう側のアンパンマンの看板が、気になったら左右なんか見てくれない。1歳後半から2歳台。お子さんによっては、3歳でも微妙だと思う。これで、「えー?そんなの、ありえないよ」と思う人は、

1:大変良く出来た賢いお子さんだった
2:お子さんは女の子だった
3:自分が育児をした場所はかなり車どおりが少なかった
4:自分が育児をしたときのことをかなり忘れている

この4つのうちの、どれかだと思う。うちの子は、「まこさんちのボクは、結構おとなしいよね」と言われるタイプ。「まあー元気がいいわねえ」というタイプではなかったのだけれど、それでも突発的に飛び出すのはあった。だからこそのハーネスだったわけだけれど、これが、「犬みたいでかわいそう」という、全然しらない人が、何人かいたのも確か。

 いや…そりゃあなたが子育てした頃はこんな大きい道路、なかったかもしれませんけどね…と心の中で突っ込んだ。それに、飛び出して轢かれて死んじゃったら、あなた責任とってくれるんですか、とか言いたかった。

正直、この現代に、住宅地にだって車は通る。全員がスピードを落として気を使ってくれるわけではない。そして、2歳と言えども、結構な瞬発力で駆けだされたら、重たい荷物を持っている時、とっさに走って追いつけるかと言われると、やっぱり、念を入れておきたいものだと思う。うちは1人だから、まだなんとかなったが年子、または2年差で、片手に歩けない年齢のお子さんを抱き、一人の手をつなぐとなると、ハーネスはやっぱりほしい。だって、ベビーカーに乗せると、邪魔、という人がいるんだよ?

 子供用必需品を詰めたバッグ、買い物した袋、そして子供。なるべく迷惑にならないように、そして安全に。
40年前に、育児をしたならば、車どおりは多分今よりずっと少なかっただろう。それに、ベビーカーが迷惑だという人も、それほどいなかったんだと思う。だからといって、今、同じ方法を使って育児をしたら、「ちっ」とベビーカーに舌打ちをするおじさんがいるんだよ。(こういうおじさんは、男性が付いている場合はそういう態度を取らない。女子供限定でそうくるので、正直かなり警戒したし、怖かった) 街を歩いていても、信号がないなら、車は横断歩道で待っていても、止まってもくれないんだよ。だから、ハーネスは要る。

 うちの子は電車好きで、2歳半ぐらいから、私がプラスチック製のバッグの持ち手用の白い輪と、合皮で作った「つり革」を握って歩いてくれるようになった。「電車が止まるまではしっかり、おつかまりくださーい」とアナウンスをして歩いたものだ。それでも、やっぱり歩かせる場所は、車どおりの少ない場所だったし、道路には飛び出しません、危ないからね、というのが大丈夫になったな、と思ったのは幼稚園に入るぐらいだったと思う。

 今日ネットで、反対している記事を読んだから、これを書きたくなった。反対している人は、あなたに反対されたから外したんですよ、そしたらひかれましたから、と言ったら、「見てないあなたが悪い」というだろうと思う。見ていても、突然の事故は起きる。だって、子供だけじゃない、いい大人だって、轢かれるんだよ、車には。
 責任を持ってくれない人のいうことなんか、聞かなくていい。子供の安全に気を配るのは、いいお母さんだから。子供が大事だから。大人が、歩道から飛び出さないように、子供も、飛び出さなくなるまでは、ハーネスでいい。

 あれ、かわいいと思うよ。特に天使の羽とかついてるやつ。あれに、おやつと、ちいさーい水筒いれて、歩かせていた。公園に着いたらおやつにしようね、って。あの、小さい靴…。ベビーカーに乗るのをいやがって、でも帰る時はねむくなって、抱っこーーってなって。

 しょうがないから、小さいベビーカーをしょって歩いていたこともあったっけ。今から思うと、楽しい年月だった。ぽっこーんと転んで、おでこに傷が出来て…。「まあ、転ばせたりしちゃダメじゃないの!」なんて、お前誰だよ、みたいなおばちゃんから、突然言われたこともあったっけ。転ばせたくて転ばせてるわけじゃないよ、と思って、家に帰ってから涙が出た。

 ああいうおばちゃんには、なりたくない。ハーネスを使っていて、責められてるお母さんがいたら、「いやーそんなことないですよ、安全にはかえられませんよ!」とお節介したいものだと思う。

借金。

色々なブログを見に行っていると、時々、ランキング参加バナーが貼ってある。
ポチポチ押して遊びに行くと、たまに、うわぁ。と思うブログに遭遇する。

今日遭遇したブログは、自分の配偶者に内緒で数百万からの借金を返している人のブログだった。きれいなおねーさん、という感じのママさんなのだが、苦労している感じが見て取れる。なんとなく、【レベッカのお買い物日記】を思わせる。

 荷物を整理する合間の休憩時に、夫と話をした。

 私「ねー、私が、300万とか500万とか、借金した、ってなったらどうする?」
 夫「うーん。どうすっかな」
 私「今ね、かくかくしかじか、というようなブログ読んだ」

 私「私なら、内緒にしないと思うんだ…。『うわーん、もーどーしよーもなくなったのーー』と、多分打ち明けるよ」
 
 夫「それでいいと思うよ?そしたら、まずは、会社でやってる天引きの貯金崩すだろう?それで、足りなかったら、(息子の)学資保険崩すだろう?それでもだめなら、年金とか、保険とか解約すると思うよ?利子、払うのもったいないからねえ?」

 私「だよね…。ブログの人はね、リボ払いにしてるんだよ、年利が何割あるのか知らないけど、手数料込みで利子が2割ぐらいあるとして、300万借金あったら…えーっと、どんぐらい?」

 夫「月々、数万円は、手数料とか利子とかに持ってかれると思うよ?、長い間かけて返してるんでしょう?」

 私「…ってことはさ…。元本分はあんまり減ってないってことになるよね?」
 夫「だろうねえ。だから俺だったら、貯金崩すとか何とかして、全部払うよ」

 私「どうしても、知られたくなかったら、私なら親に頼むかなあ…うるさいだろうけど、背に腹は代えられないよね」

 夫「まあ、親なら借金の利子までよこせとは言わないだろうからね」

 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
そんなわけで、借金シミュレーションをやってみた結果、夫婦の方向性は割と一致していることがわかった。

 世の中には、素敵な商品がたくさんある。ほしくなるのもわかる…。私たちだって、借金して家を買ったものね。

 多分…。カードは使った額が見えづらい。お財布の中が空っぽになれば、現金がなくなったことはわかりやすい。でも、カードの限度額はなかなか見えないものね。それに、利子と手数料のことを考えたら…。

 私はなるべく、生活費は現金にしているのは、多分自分で全部カードで買ったら、わけがわからなくなりそうだと思っているところもあるからだ。銀行から一定額おろして、小分けにしてから、財布にいれる分を決めておく。お金が財布に入っていなかったら、面倒でもあきらめて帰ってくる。

 そんなわけで、うっかり財布に現金が言うほどなくて、おかずがヘンテコな組み合わせになったことがあるし、1度で済むはずの買い物が2度になったことだってある。
 
 自分では、使いすぎないように気を付けているつもりだけど…。こういう話を読んだら、ちょっとドキドキする。自分でもうっかりやるかもしれない、と思うからだ。

 一度もやったことないのにね…。

 でも、もし、そうなったら…というようなことも一度、こうやって話し合っておいてよかったと思う。
 多分だけど、300万円なんていう額になる前の、10万円ぐらいで、あわてて泣きつきそう…。

銃を持たない社会は安全?足場について

銃のない社会は、銃がいっぱいある社会より安全か…ということについては、多分疑いようがない。銃で撃たれて死ぬ人は、アメリカではとても多いし、幼児(学齢期以下)の子供が、銃を撃って人を死なせた事件が年間20件とかあるし…自分の家の銃で「うっかりけが」をしたとか、「暴発した」とかで事故で死んだ件数もある。犯罪に走る人が多いか、少ないかという問題とは全く別だけど、この分だけでも、銃がなければ、へるよね。

ちなみに、日本で2015年に銃で死んだ人は5人だそうだ。

こういうことについてネットで記事を読んでみた。
理由は各種あったけど、歴史的に、武器の個人所有を秀吉が刀狩で…みたいなところからスタートして、もともと武器を所有していないところに、規制を置くのは簡単だった日本のケースと、独立戦争でまず武器を取ることになり、そのあと、内戦でドンパチ撃ち合いをやった(南北戦争)という歴史的な背景から、みんなが銃を持っていたところへ規制をするのが難しかったアメリカの話。

 銃を作る会社が、アメリカにいっぱいある話と、日本には警官の持ってる銃を作る会社1つしかない、供給の問題の話。

 外国からの流入が地続きなので防ぎにくいアメリカと、周りが海で防ぎやすい日本の話(特に金属探知は出来るからね)。

日本では猟銃の免許は3年で更新、銃の保管と別場所への弾の保管、それから毎年おまわりさんが、銃の免許を持っている人の所在を確かめ、顔を見にいくらしい(精神状態の把握)という、かなり厳しいルールになっているのに対して、アメリカではベッドサイドのテーブルの引き出しに銃を入れている人が多い現実も。
 猟銃なら、スーパーマーケットで釣り竿の隣においてあるから、あっという間。多分、私でも買える。

 そして、犯罪率の問題として、一度検挙されたら、98%の確率で有罪判決が出る日本のシステムと、陪審員制度で、有罪判決率が低いアメリカの、抑止力の問題。

…とここまでは、そりゃどうしようもないよなー…と思いながら読んでいたのだけれど、1つ、面白い話があった。

 建設現場の足場、つまり建物の外側に組み上げてある、あれ。建設じゃなくて作業用足場のこともあるようだけれど、事故で亡くなった人が、アメリカではこの10年で2500人もあったのだとか…。年間平均250人、2日に1人以上、なくなっている計算になる。大体日本の倍、人口がいるんだから、増えるとしても…。

 私はガテン系に勤めていたことがあるので、ちょっとはみたことがあるけれど、いくら現場作業が危ないと言っても、これはちょっと…と思ったら次に日本の数字が出てきて、この10年で、日本の死亡事故はゼロだそう。
 「日本は、そういうものを廃止したのか、というとそういうことではない。ただ単に、現場の安全基準が高いのだ」とこの文章は続いていた。

 いい加減な対策をしている結果、または命綱とかを付けないで高いところに上った結果なのか、それとも業務の習熟度が足りないのか、設備の点検基準が甘いのか…。

 現場の死亡事故ゼロというのは、いろんな会社で「当然だが、しっかり気を付けて目標としましょう」ということになっているからね…。ケガゼロだって目指している現場は多い。

 つまり、人間が事故を起こしやすい…カッとなったときパッと手に取りやすいところに、おかないようにする、というような「環境づくり」が足りないのだと言いたかったみたい。

そうだよね…。ムカッと来たときとか、よっぱらったはずみのケンカなんて、日本でだってよく聞く。ただ、ぶん殴られただけなら、命は助かるが、ハンドガンで撃ったら死ぬ…。そういうことなんだよね。どこの国だって、頭に血が上りやすいとか、パッと行動するとか、酔っぱらってコントロールが効かなくなる人というのは、いる。

でも、そういう時に手に取れるものが…またはそういう相手に出会ったときに出してくるのが銃かも、と思ったとき、自分も武装したくなるものなんだろうな。

銃のことだけで見ると、アメリカはああいう国(人種、貧困、移民問題色々)だし、日本とは違うからしょうがないよな、と思うけど、足場の話を読むと、確かに…もうちょっとなんとかなるところというのはありそうだ。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
アメリカの家で最後に、お風呂の大掃除をやったら、ゴム手袋がなかったので、手がガサガサに。ハンドクリームも断捨離したので、まずい感じ?…と思ったら、旅行用のポーチの中に、前に旅行した時ホテルのアメニティに入っていたmoisuturizerと書いたチューブ発見。
 これでいいだろう、ないよりきっとまし。
ちなみに、これは、旅行ごとに入れ替える…というのはどうやるかというと…

旅行にいく。自分が持っている旅行用のシャンプーリンスなどを使う。そのあと、帰るときに、ホテルにある新しいものを旅行用ポーチに入れる。

 こうすると、未開封のものが毎回1セット入っていて、古い…かもしれない。というものを使わないで済む。
 今回はこの作戦が大成功だったと言えよう…。こういうのは、ないホテルもあるからなあ…。日本に帰ったら、小さいハンドクリームか乳液ぐらいいれておいてもいいかも。
 捨てすぎ注意だな、と思った。

ありがとうございます

昨日の、ぐだぐだした記事に、みなさん、コメントや、拍手をありがとうございます。元気が、出ます。

多分、この一年、ひとりで出歩くことが一度もなく、お付き合いのある人も、今年限りでもう会わない人達だから、とか思ってやってきて、日本に帰ったら、まだ付き合ってくれる人がいるんだろうか、とか、気を使って小学校関連はやらなきゃなあ…とか思ったので、うわーーっとなった感じがします。

 多分…。10年たったら、懐かしく思い出すようなことなんでしょうね、子供が小学校の時は…って。

あと、荷物をまとめるとか、そういう作業をしていると、クラフトをして「これが完成ーっ」というような充実感がないのも、ちょっと落ち込む原因なのかな…。それと、風邪気味だってことも。

 …すごく、言い訳めいてますよね。なんだか、なんだか…。ブログに来てくださっている人に、迷惑かけてるような、甘えてだだこねて、子供みたいになぐさめてもらってしまったような…。そんな気分がして、後ろめたいのだと思います。

 「いっぱい失敗してきたけど、言い訳だけはしたことがない」と、いつも読みに行っている楽しいブログの人が書いていました。かっこいいな…と思います。自分が、悪かったのだと思いたくなくて、言い訳を重ねて、それでよかったのだと思うこともある自分が、恥ずかしくなってきます。

人は…落ち込むこともあるのだと。でもみんな気を取り直して、また歩いてくんだということ…。覚えておかなくてはね。

 ブログは2週間ぐらい先まで、予約投稿してあるんですが、時々こうやって、その時書いてすぐ、投稿する記事もあって。
 のんびりしたみたいに見えている記事は予約投稿。
 こうやって、ぐだぐだ言っている時は、どこにも言えないことをただ、書き散らしているんです、はい。

 何もないところに向かって、叫んでいるのではないということが、わかるのが、ブログはいいですね。
 ノートに書くより、ただ、頭の中で考えを回しているよりもずっと、誰かに聞いてもらっている気がします。

 私も…。誰かが、誰にも言えないけれどどこかに言いたいことを、聞ければいい、そう思います。

…年来の友達

今日は、なんだか誰かとおしゃべりがしたかった。

こういう時、日本にいたら、私は誰かを誘って、お茶なんか飲むことになる。ランチかもしれないけど、まあ軽い話題と、趣味の話。でも、今は話しかけるのは夫だけ…。これが、こうなんていうのかな…。女同士のおしゃべりと、どうもこう、反応が違う。

 普段は平気なんだけど、今日はなんだか、寂しかった。

時差があるから、と思うと、あんまり子持ちの友人は微妙か…。
独身の友達にメッセージぐらいなら…と思って、ちょっと、SNSにメッセージを入れたら、リアルタイムで返事が返ってくる。あれれ?今日、仕事は?

 友達は珍しく今日、仕事が休みだったとのことで、私に付き合ってくれた。彼女が習っているダンスの靴の話とか、服のサイズの話とか、最近会った人の話(共通の知り合いではない人だけど)、とか、最近作ったものの話とか…。軽いおしゃべりで、大変気分が良くなった。久しぶりだな、彼女と話すの…。

 いつぶり?となったけど、ふたりで2時間もしゃべっちゃったあとで、「ええと…前に連絡とったのは私が渡米の連絡をした時ではないか…」という話になった。1年近く話していなくても、まるで先週会ったみたいなノリ。

 付き合い、長いもんね…。という話になった。

 二人で、ええっと…と考えてから、「ねえ、会ってから、丸30年、たってない?」「………ほんとだ…30年だ」と笑いあった。

「私が中学校の時ね、『この子と幼稚園から10年来の友達なんだ』とかっていう子がいてね、私はそういう友達がいなかったから、高校に入ってからは、そういう友達を作って、社会人になって何年かたったら、「10年来の友達なんだー」って言える友達を作ろうと思ったこと、覚えてるわ」

「私も、中学の時はそんな友達、いなかったよー。でも…もう30年なんだねえ」

「何でも話せるし、誤解される心配もないし」

と言われて、とてもうれしかった。そうだね…それは私も。何の心配もない。

数は少ないけど…。でも、そんなに人数要らないから、こういう人がいるのは、うれしいことだ。

さびしい、なんて愚痴ったわけじゃない。でも、彼女は多分、私が話し相手がほしかったことを知っている。
相談でも、深刻な話でもなく、ただ…「なんでもないおしゃべり」がしたかったってこと。

これはやっぱり、夫には、わかってもらうわけには、いかないんだなあ…。夫のことは大好きなんだけど。

都合があったら、今年中に一回は会おうね、と約束した。忙しい彼女のこと、これより具体的に休みの予定はなかなか立たないんだろうな。いいんだ…。彼女が自分がやりがいのある仕事をやって、幸せなことはわかっている。お互い、何かあったら、またこうやってSNSで連絡すればいいのだ。居住地がお互い、すっごーーーく遠いから、きっと彼女は出張先が、私の家とある程度近くだ、となったら連絡をくれる。「この日、どこそこで会わない?」と。そしたら、また、おしゃべりに行こうと思う。
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今日のどうぶつの森
3月に入って、ぐっと春らしくなった村。ちょうちょが飛んでくるようになって、お雛様販売…と思ったら、「明日はお店が改装でお休みだ」と言われてしまう。お雛様じゃなくて、ぼんぼりしか売ってなかったし…。1日から3日までの3日しかないのに、1日お休みで、今日ははずれだったら、もしかして今年はお雛様、買えないかもしれない。残念。

 amiiboカード、日本では買えるかどうかわからない感じなので、とりあえずアメリカで買ってみた。バンタムが呼びたいので、シリーズ3ばっかり買っているけど、結構かぶるし、バンタムは来ないし…。ちぇ。1パック6枚、SP1枚で、6ドル。クリスマスのころは7ドルしたから、ちょっと下がったと思うけど、やっぱり昔のカードeより高いなあ。チップ埋めてあるみたいだし、しょうがないんだろうけど。

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    まこ

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