FC2ブログ

毎日更新!LuckyDuckyDiary

いらっしゃいませ。毎朝6時には更新します。さっくり読んでいってください。コメントくださった方はリンクさせてください、相互リンク歓迎、リンクがダメな方は連絡お願いします。

苦くても。

初めてシュエップスの飲み物を飲んだのはいつだったかなあ。
どこかのバーで、レモンの入った炭酸飲料を飲んだ。

 ちょっと苦味の勝った大人の味で、アルコールが入っていないのに、それほど甘くなくて、外国には大人が飲むためのノンアルコールドリンクがあるんだなあ…と感心した覚えがある。

 いつのまにか「大人のキリンレモン」とか、「Mets Bitter」とか、そういう感じの飲み物も出てきている。
 
今日の当たり前ポエムの写真は旅行先で撮ったもの。


*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
 ただ、飲めばいいだけ…。その「だけ」になかなか、手が出ない時がある。
どうすればいいのかわかっているのに、一歩、踏み出せない。

  ただ、迷っているうちに、時間が過ぎて…。そして飲み頃ではなくなってしまう。
 そういうことが起きないように、ちょっと苦いのがわかっていても、思い切って飲まなくてはならない。

人生、思い切りが大切。

夏の訪れ

今日の当たり前ポエム

あたりまえのことを書いて、全く意味がないというか、日常につながりがないというカテゴリもあると思う。

 全員が見たことがあるもので、なおかつたいていの人がそりゃそうだよね、と思うことが同じ(空は青い。とか)なのに、どうして青空の写真って、どれを見てもそれなりにいいんだろう。
 写真を撮るのがあんまりうまくない私だけれども、海と、空の写真だけは、それっぽいと思う。

 きっとこういう写真を見ると、みんなが青い海が見えるところで、潮風に吹かれて、波の音を聞いた時のことを思いだすから…。だから、この写真を彩る記憶を持っている人には、こういう写真が素晴らしく思える。そういうことなんだろうけど。

 写真の中に、詩が見える。
 まぶしい日差しと、麦わら帽子と、アイスクリーム。
 夏なんだなあ。

 海に、行きたいね。

あなたの横顔

今日の、当たり前ポエム↓

横顔というのは、片側しか見えないので、こう書けばいいかな…と思ったんだけど、横顔を見ている時に、下半分とか、上半分とかを隠した場合は、「横顔が、半分しか見えない」と書くことが出来るので、今日のポエムの「顔全体に対して、横顔は半分にあたる」ということと紛らわしくないか…と思って悩んだ。

 でも当たり前ポエムというのは、やっぱりダラダラ書くものじゃないんだよね。なるべく短いほうがいい感じがする。

 このペンギンちゃんは、水族館で出会った。他のペンギンちゃんたちが、ガラスの外側を全然気にしない感じなのに、この子だけ、ガラスの方へ寄ってきて、じーーーっとこっちを見てくれたり(正面の写真も撮った)、同じ場所に長時間立って写真を撮れるようにしてくれたので、この写真が撮れた。

こんなに、撮らせてくれていいの?ほんと?というぐらい、モデル精神あふれるペンギンちゃんであった。


人間には、羽はないのにね

今日の当たり前ポエム↓

J-pop、つまり私たちがなじんだいい方でいえば、歌謡曲の歌詞には、「翼を広げる」という歌詞が多い、と揶揄されているのをウェブではよく見る。

 翼がほしい、とうたう中学校の教科書の歌、「翼をください」を筆頭に、人間はやっぱり昔から空を飛びたいと思っていた人が多かったのだろう。

子供の頃に、「みんなのうた」で聞いた、ギリシャのイカロスが、蝋で固めた鳥の羽をもって飛び立ち、太陽の熱でロウが溶けて落ちて死ぬ歌は、幼稚園児だった私にはかなりの衝撃だった。みんなのうたでは、あまり「命を失った」という歌は出さなかったからだ。悲しい歌だ…と思ったが、蝋で固めた鳥の羽で飛べるのかどうか、ということには全く、不思議だとか、無理だとか思わなかった。もちろん、死んだら困るので、この方法は真似してはいけないのだ…ということはわかったけど。

 子供の名前を付けるときも、妊婦さん用の雑誌が、「名前は、一番初めのプレゼント」で「一生もの」で、とあおるものだから、つい、「素晴らしい人として飛び立てるように、『翼』という名前はどうだろう、人間って翼はないしなあ、プレゼントとしてはいいのかも」とかかなり本気で考えたぐらい、翼という響きには、すばらしいものがあると思う。(結局、我に返って、うちの子の名前は翼にはならなかった)

 翼は…つまり想像力の産物なんだけど、「心に、翼を持たなくなれば 夢という字は消えてしまうだろう」とか、「心の翼を広げ、大空へ飛べ」とか歌の歌詞には確かに、たくさんある気がする。

 今のJ-POPの歌詞の「翼」は、様式美として、「心の」を付けないことになっているのだ、多分。

コカ・コーラクリアレビュー

カテゴリ的にどっちに入れるか悩んだけど、一応あたりまえポエム。

時々、こういう透明な清涼飲料水は発売される。「タブクリア」とか、ペプシコーラにもあったんじゃないだろうか。

 あと、「いろはす」とか、「何とかの天然水」とか、色はついていないけど、味はついている清涼飲料水は結構見る。

 私は新発売の清涼飲料水が、実は好きだ。大抵絶対飲めない味のものはない。まあ、モンブラン味とか、キュウリ味とか、真っ青なのとか…一度は試して、わははは、面白かった!ってなって、ブログに書いたり、友達とSNSでシェアしたりして楽しむことにしている。

 今回の、コカ・コーラクリア味、これ、結論から言うと割とおいしい。
 コーラは、たまに味違いを出す。例えば、昔はレモン味があったし、なんだっけ、バニラ味もあったはず。
実はアメリカにいたころ、バニラコークは飲んでいて、うわ、ダメだ…と思って一回でやめた。
 ミルクシェイクや、アイスクリームから来る、バニラのにおいはミルクっぽいものと一緒に来るはず…という期待があるからなのか、違和感があったのと、アメリカ人が好むからなのか、香料が大変たくさん入っていて、なんかダメだった。

 レモン味も、渡米中に飲んだが、これはバニラよりまし、という感じだったものの、いかにも「レモンエッセンス!」という味で、駄菓子のレモン味みたいな感じだったので、これも、2回は飲んで、それからやめにした。普通のコーラに、レモン(アメリカはレモンがとても安い)を絞って飲むとこんなにおいしいのに、どこがどうなってレモンコーラはこういう味なんだ?と思っていた。

 なので、今回のクリアコーラは「レモン風味」だと書いてあったのでちょっと躊躇したのだけれども、まあ、一回は飲んでみるか…と思って試したら、あのレモンコーラはなんだったんだ?と思うぐらい、軽めのレモン風味でおいしかった。
 
 どこかに、ハーブっぽい感じが…レモンミントを思わせる味で、これは是非、リピートを!という味だった。
 
ちなみに、目を閉じて飲むと、色がついているコーラとさほど味が変わらず、しっかりコーラ味。
色が透明なのは、カラメルが入ってないからと見た。

 少なくとも、前に発売されていたレモン味コーラよりは、好みに合う日本人が多いと思う。
さわやかで、いい感じだった。

遠くよりも近く。

今日の、あたりまえポエム↓

これは、私が近視だからかもしれない。

 遠くの方がよく見える遠視の人もいるだろうけれども、それはどんな風にみえるんだろう。

 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
 
グローバルだとか、向上心だとか、夢をかなえるだとか…というようなことを考えて、自分にないものばっかりが見えてくるとつらくなってくる。

 自分磨きという言葉を考えた人が誰か知らないが、商売がうまいな、と思う。そういう名前がついているだけで、結局お金を使わせられているだけ、という気分がすごーくする。だから、私は遠くなんか見ない。
 今…自分がいるところだけを見て。そして近い目標だけを見て。

 遠くより、近くがよく見えて、わかりやすい。遠くは、なんとなーく、方角だけあっていればいいかなあ、ということで。

大事なことは、意外と近くに見えているのだ。

光と影

今日の当たり前ポエム↓

「光のあるところには、影が出来る」というセリフは、映画とか、小説とかによく出てくる。
 社会においては、繁栄の裏には、貧困とか、犯罪のような大っぴらには見えないものの隠れているものがある、というような文脈で出ることが多い。
 または、光り輝く人が少人数いて、そのそばには光の当たらない…注目されない人たちがいるというようなこともこの言葉で表されることがある。
 
 誰の心にも、光を当てられても大丈夫な部分があって…誰に見せても恥ずかしくないようなところと、陰になる、出来れば隠しておきたいところがある。
 
 でも、真夏の太陽の光が、暑くて厳しい時に、日陰の薄暗さが、ありがたい時もある。
誰でも、光だけを受けていきていくわけにはいかない。

 願わくば…影の部分も、それほどは闇にのまれないように…。かといって光だけを求めて疲れすぎないように。
 
きらきらした日差しと、昼でも暗い深い山。
 木洩れ日と、涼しい日陰と…
色々な光と、影。

光と影は、表と裏。でも、お互いが分かちがたく結びついているのだと、覚えておきたい。



*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
あたりまえポエムというのは、絵か、写真を貼って、当たり前だよね、という文章を書けば成立するのだと思っていたら、もう1つ必要なことがあるらしい。
 それは「当たり前のことを書いて」それから「いい感じに見えないとダメ」なんだって。
つまり、一瞬でもいいから、詩のように、ポエティックに見えるというのが条件みたい。
 なるほど、「あなたと」で、「星、月、一瞬」が出てくるわけだねえ。

…というわけで、当たり前ポエムに「よさそうな感じ」をくっつけて解説してみた。

災害に備えて買うものを考える

今日の当たり前ポエム↓

全くポエムとは関係がないけど、日記。
 大阪で大規模な地震が起きた日、近所のスーパーからいろいろなものがすごく減った。ペットボトルの水、乾電池、パックのごはん、プラスチックのスプーン(フォークはあった)。缶詰の棚もすごくスカスカだったし、ラーメンも激売れだった。カップ麺はほとんどなくて、辛いのしか残ってないみたいな感じ。あと、レトルトのカレーもかなり減っていた。

 うちには、ペットボトルの水2リットルが2本。あとはシリアルと、常温長期保存可の牛乳が2パック、それから米。
 2リットル2本は、箱にいれて、ドアストッパーとして利用中。毎年、防災の日(9/1)に取り換える。牛乳は、朝のコーヒーに絶対牛乳がほしい夫がいるので、うっかり普通の1リットルパックの牛乳が切れたとき使えるように。使ったら買い足す。シリアルは「どうせ食べる」ので、なくなったら1つ買って、それを貯蔵、貯蔵しておいた方を食べる。1袋で10食分ぐらいあるし、非常時にぜいたくは言わないからね…。

 でも、スーパーの棚が空になったのを見ると危機感が募る。「うちにある分だけで、大丈夫だろうか」って思っちゃうんだね。
だから、こういう大地震があったら、みんな「はっ」ってなって買うんだけど…。

 でも、日本で被災すると、陸の孤島みたいな山な立地でもない限りは、半日も断水すればもう給水車が出るんだよね…。
 食べ物も、多分丸一日何とかなれば、いろいろと配られたりするみたいだし。本当に、3日も経っても誰も助けに来ないようなことになったら、もう心配するのは食べ物のことじゃない。

 ケガとか病気ってことなら、あっという間に救護だ、救急だ…ということになるだろうし、家で療養なんていうことにはならないだろうからなあ。給水車でもらいに行くのに、入れ物はあったほうがいいだろうけど、つまり最初に手持ちのペットボトルの水を飲んだらそれでいいわけだから…。

 冷静に考えると、非常時に我慢できずにおなかがすいたと泣く年齢の子供がいないならば、食料はそれほどいらない。
 水も、半日から1日もてば、多分給水車へ歩ければ、大丈夫。
 あとはお風呂は多分無理だろうから、旅行用の紙タオルの固まったやつとかがあったら、ぬれタオルが作れていいかもなあぐらいか…。(ウエットティッシュも棚から減っていたけど、あれって長期保存できるの?)
 
 買わない。買い占めない。絶対邪魔になるし、多分使わない。
 空っぽの棚を前に、ちょっとドキドキしたけど、特に何も買わずに帰ってきた。

 …という話を夫にしたら、「大丈夫だよ、3日も経てば、ちゃんと戻ってくるから」だって。
 「東日本大震災の時もそうだったじゃない」と言われた。(うちは被災地から遠かった)

 ああ…そういえばそうだったねえ。

そんなやり取りをしてから、3日。確かに、商品は元通り棚に並べてあった。
ラーメンと、水はなんだか余って安売りになっていて、2リットルペットボトルの水は税込み100円以下になっていた。

 えーっと、これはやっぱり、安いから買っておくべき…?これは買い占めてるとかじゃないよね。

阪神大震災の時、配られたペットボトル1リットルの水が、北陸地方の製薬会社の工場で作られたボトルだった。
地震とかがあったとき、普段は作っていない工場でも作れるようになっているんだ、すごいね、とラベルが真っ白に字だけのペットボトルを眺めたことを思い出した。

 きっと、この水のペットボトルも、非常時だから、と一生懸命作ってくれたんだろうなあ…。

心配しすぎないように、でも用意はしておくのって、なかなか「ちょうどいいところ」が難しいね。

 
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
この写真を撮ってから、2、3日して同じアジサイの横を通ったら、見事に全部ピンクになっていた。
梅雨時のあじさいって、いいなあ。

瞬きとは

ちょっと作るのに慣れてきた気がする。

<<今日のはこれ。
なんとなく、これにもスタイルがあるのがわかってきた。
まだ、ネットが普及して間もないころ、癖のある文章を書く人の特徴をつかんで、適当な固有名詞をいれると、その人の真似をして、文章を生成してくれるプログラムが流行ったことがあった。

 ポエムの自動生成みたいなもので、うわさによると、ひと月に2冊ぐらいの割合で出される恋愛ロマン小説とか、男性向け官能小説とかの筋立てを自動生成するプログラムがあるのだとか、そんな話も聞いたことがある。
 
 ネットで見かけたことがあるのは、J-POPの歌詞生成で、たとえば「君を守るよ」とか「夢の翼広げ」とか、「あなたに会いたくて」「心震える」とか、ありそうなフレーズをいっぱい用意しておいて、歌いだし、サビの盛り上がり、歌い終わりパートにわけて、それっぽく並べるというものだった。

 それを一度見て、、適当な歌を作ってみたあとで、飲食店なんかでBGMにかかっているJ-POPなんか聞くと、本当にそういう歌詞が多くて笑えてきてしまうような傑作だった。

 この当たり前ポエムも、そういうキーフレーズがいくつかある。

 君の(君が、君は)
 一瞬の
~ない(動詞、形容動詞の否定形)
 二人の
 明日
 遠く
 星、光、太陽、月
 初めて

こういう感じの言葉を使うと、それっぽくなる。
もちろん、凡庸なのではなくて、特に面白いものはその限りではないけれども、これは、それっぽいのを量産するのは簡単でも、これはいいな、というものはなかなか…。

 短歌みたいなものだね、これは。 



柵をこえて

あたりまえポエム、もう1つ、作ってみた。↓

「そりゃそうだよな」というタイプのは割と難しくない。画像さえいい感じだったら、勝手に勘違いして「いいこと言ってる」と思ってくれる人が出そうだ、というようなものが出来る。

画像さえあれば、いくらでも作れてしまいそうなのはいいんだけど…

でも、違うんだ…こういうのが作りたいわけじゃないんだ、もっとこうひねりがあって、読んだとたんに笑えるようなのが作りたかったのに…。

 傑作だったものを集めて、本にしたのがあるということだったけれども、ネット上の傑作選も、相当面白かったんだよね…。
敷居が低いくせに、面白く作ろうと思うと、センスがないとダメなんだなあ。

 英語では、「詩」というと、韻を踏んでいなくてはならない。(無韻詩というものはあるけど、例外扱い)逆にいうと、決まった場所で韻さえ踏んでいれば詩になるといっていい。
 日本でいうと、五七五になった瞬間、それっぽくなるのと同じ。

 でも、日本語の短歌や、俳句、川柳以外の詩のルールってあんまり聞かない。
極端なことを言うと、普通の作文を書いて、「これは詩ですから」といった瞬間、詩になってしまうといってもいい。
技巧を凝らす人はそうするし、そうしない人はそうでもない。

 誰でも書けるけど…名作とそうでないものの差は大きい。
昨日の日記では、あたりまえポエムは画像がものをいうので、アートの一種じゃないのか、と書いたけれど、間口が広くて、誰にも書ける割には、傑作と、そうでないものには歴然と差が…とても大きい差があることを思うと、やっぱりこれは詩の一種なのかもしれない。

あたりまえポエム(その2)

昨日の記事で話題にした、当たり前ポエム、実際作ってみようと思うと、意外に難しい。
「そりゃそうだろうよ」という系統はあんまり難しくない。でも、「あー、これは面白い」となるものとなると、ちょっとひねりがいるからだ。 加えて、あんまり長ったらしいものを書くと、ただの作文になるので、そこは簡潔にいかないとダメ。
↓今日私が作った当たり前ポエムは、これ。



 結局、かなり画像の力に頼る感じになる。文章だけ見ても、「そりゃそうだろう」系だと、面白くも楽しくもなく、「へえー」とか、「いいこと言ってるみたいに聞こえる」でもない。でも、この写真を付けた瞬間、なんとなく、よさげに見えてくるのはなぜだ。

 でも、2回読むと、これがなんでもないことしか言ってないのだな…ということがわかる。このギャップがいいってことなんだろうね。 これは、名前こそ「詩」だけど、味わって読むものではないな。出オチ万歳系だ。

 画像の力を借りると、割と出てきやすいので、写真を撮ってから考えるといいかもしれない。というわけでこれはどっちかといえば、文学系というよりも、コメント付きの画像という扱いで、アート系にいれたほうがいいのかもしれない。

 普通の詩よりも、書くのは断然簡単な気がする。だって、「当たり前のことを当たり前に書く」だけなんだもん。
詩というのは、当たり前のことでも、当たり前には書かないことで成立するところがあるからなあ…。
 気軽に日記に書くにはいいかもしれない。

…と思ったけど、脳裏によみがえる誰にも言えない歴史。私はなんと、本気で詩を書いていたことがあるのだ。日記帳に。
うわあああ。恥ずかしい。 

いいこと言ってるみたいだけどさ

時々、SNSでシェアされてくるいろいろな言葉。たとえばこんなやつ。

「人は必要なときには 必ず必要な人に出会う。 ただ、それに気づく人は少ない」

いい言葉だと思う人もいるのかもしれないけど、正直こういうのには自分の性格も手伝って、「けっ」と思う。

人間がある程度群れて暮らしていて、いい人間関係を作っていれば、ある程度は周囲の助けが見込めるのは確かだと思う。頼めば、ある程度なら便宜を図ってくれる人も多いだろう。そんなものだし、お互い様だ。
ただ、それだとこう、言ってほしいわけだね。

 人は必要なときには、助けを求めることができる。 必死になりすぎるとそれは頭に思い浮かばない。

これは、あると思う。ただ…。やっぱりどこにも、助けを求められないような問題が起きることもある。
誰が何と言っても、人づきあいの少ない人というのはいるし、お金や、人の生き死にがかかわってくるような問題…たとえば極度の生活の困窮とか、とても大変な介護問題や、病気療養や…というようなものは、どれもあんまりカジュアルに人に助けてくれ、と言えるものでもないし、言ったところでそこまで親身に面倒見てくれるか…というと、これは自分でも手出ししにくし、人にも頼めないことが多いのではなかろうか。

 もちろん日本には公的な制度というものもあるから、本当に困ったらまず、そのあたりからあたりをつけるものだとは思うが、行政がタッチしない問題もある。それと、お役所仕事なので「聞かないとあることすらわからない」サービスは結構ある。

 と、つらつら書いてきたけど、私がこのいいこと言ってるように聞こえるけど、この言葉が嫌いなわけは、実はこれは「お前が気が付かないのが悪い」と言われているからだと思う。
 本当につらいときに、「お前が気が付かないだけで、もう誰かに出会っているんだから、そいつに頼め」裏を返せばこう。

けっ。そんなのは、あとからしかわかんないのよ。そしてもう、あとになったら、助けがいる状態は終わっているんだから。本当に問題の渦中にある時は、そんなこと全然わからない。悩んで、つらくて、毎日がギリギリの時には、誰が助けてくれるだろう、なんて打算、なかなか…。
 その時、手を出してくれる人はありがたい。でも、本当につらいときは、他人を巻き込みたくはないものだ。こっちから頼むのは無理。

 こんなことを考えてひっかかっている。ありそうに聞こえるから。よさそうに聞こえるから。だからひっかかる。嫌いだ。

と思っていたら、ネットには、「当たり前ポエム」というのが一杯流通していた。それは、なんとなくよさげな背景画像と、数行までのポエムで出来ている…ところまでは、上にかいたよさそうに聞こえるポエム調のいい言葉と同じなんだけど、「よく読んだら、当たり前じゃん、全然いいこと言ってないし」というポエムらしい。

著作権とかがどうなっているのかわからないので、自作してみた。もうちょっと笑える方向へシフトしたのがやっぱり人気があるようだけれども、即席で思いついたのはこれだった。
 「そりゃそうだろうよ」というのと、「よく言われるポエム調のいい言葉とすごく似ているように見えて、実は…」という系統がある感じがする。

 いろいろ読むと面白いなこれ。こういうの作るの、趣味にしようかしら。

« Prev|Top

HOME

    思ったことを何でも書くゲーマーブログ。リンクはご自由にどうぞ。

    まこ

    Author:まこ
    どこをクリックしても一銭にもならない、ただの主婦の日記帳です。
    ゲーマーで、本好きで、クラフト好きです。

    07 | 2020/08 | 09
    - - - - - - 1
    2 3 4 5 6 7 8
    9 10 11 12 13 14 15
    16 17 18 19 20 21 22
    23 24 25 26 27 28 29
    30 31 - - - - -

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    この人とブロともになる