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毎日更新!LuckyDuckyDiary

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高慢と偏見

高慢と偏見、ずいぶん昔に読み始めて挫折していたのを、ついに読了。最近文通している人の愛読書だという話で、その話題になったので、これを機会にちゃんと読もう…と思って、図書館で借りてきて読んだ。

 俗物な母親と、おっとり長女、しっかりものの次女、きゃぴきゃぴの五女、五女の影ともいうべき四女。そして事なかれ主義のお父さんがいい味出していて、面白かった。なんていうか、連続ドラマになりそうな本。大して大事件が起こるでもないのだが、それをこういうドラマにして、ついでに5人のうち、3人が関係者と結婚するという、当時家からあまり出なかった、そして兄弟姉妹が多かった時代に、家に一冊あれば、さぞかしみんなに人気があって、いつかこんな話がうちにも…と思った娘さんたちも多かっただろうなあ、という本だった。

 前段落で三女について、私が書かなかったのに気づいた人があっただろうか。
 三女は、ものすごく目立たないんだよね…。なんていうかもう最初から勝負にも乗れていない。理由は見かけが悪いから。もうそれだけで二軍以下の扱い。これはなかなかにつらい感じだった。そういう時代だったとはいえ、三女に自分の身をなぞらえた人もいたかと思うと、悲しくなるような扱いだった。

 そして女の子「でも」自分の意見や仕事があるのが当然という育てられ方をした現代の時代の女性には共感できるのは多分、次女のエリザベスだけだと思う。女性は不動産を持てない時代で、財産は親がよこす相続財産のみ。自分にその相続財産がいくらという値札が付いている。それ以上のものが手に入れたければ、結婚相手にその値札が高い人か、財産が相続できる嗣子を選ぶ(か選んでもらう)しかないというのが、もうね…。

 せちがらいなあ。と思いながら読んだ。

 図書館で借りた名作全集の中の1冊だったのだけれど、興ざめだったのが、前に読んだ人がここは誤訳だと思ったところに鉛筆でそれを書き込んでいたところ。図書館の本に落書きをするな!!
 意味が通らないほどの誤訳じゃない。おめでたいことの時は「おすそ分け」ではなく「お福分け」という言い方をする人があるのは知っているけれど、わざわざプロの翻訳家の訳を直すほどのこと?自分の本でもないのに、それも図書館の本に。
「図書館の本は大事にしましょう」のほうが基本だと思う。間違えているのはどっちなんだか、ほんとに。
 本当に直したいなら、自分で本を買って、好きなだけ書き込めばいいのだ。図書館の本にやってはいけない。

 幸い、インクで書き込みを入れるほど非常識ではなかったとみえ、鉛筆の書き込みだったので、消しておいた。

「ローズの幸福」「ローズの季節」

 

「若草物語」を書いたオルコットが書いた2部作、「八人のいとこ」と「花ざかりのローズ」。私が昔もっていた角川文庫版はそういう題名だったが、今回紹介する岩崎書店の世界少女名作全集では「ローズの季節」(これが八人のいとこ)と「ローズの幸福」(これが続編)。

 この「ローズの季節」というのが続編の方の原題、「Rose in bloom」という題名に似ている気がしたので、てっきり続編だと思ってネットの古本屋で買ったら、なんとこっちが最初の1巻、つまり「八人のいとこ」のほうだった。まぎらわしいったらない。
 大体この全集を全部そろえることを想定しているんだろうから、全集の巻数番号が「ローズの季節」が8、「ローズの幸福」が16なのに気づいておくべきだった。

 ええ、もうこうなったら…と思って「ローズの幸福」の方も買おうと思ったら「季節」のほうはカバーなし300円だったのに、「幸福」のほうは1500円越え。まあ続編の方が高いのはよくあることだし、この物語は1巻のほうが面白く、なおかつちゃんと締めくくりがついて終わっているから続巻のほうが出た冊数が少ないらしく、手に入れにくい。

 ローズの幸福(続巻)はずいぶんきれいな本で、高いのもやむなし。
 そして300円の「ローズの季節」の方は、小口に名前がボールペンで書いてあった。わはは、なるほど、これは300円でしょうがないだろう。これは多分リサイクルショップに買取に出すと、値段がつきませんと言われてただでよければ引き取りますになっちゃうタイプだとみたね。あのやり方は本当にひどいと思うけれど、こうして安く本がうちへ来てくれることがあると、うれしいのだから現金なものだ。

 そしてその小口の字がかなり汚いのもちょっとかわいい。小口のギザギザしたところへボールペンみたいなかすれやすいもので名前を書くのだもの、しょうがないとは思うけどもうちょっとなんとかならんかったのか(笑)。
 ついでにいうと、名前が上から下に縦に書いてあるのだけれど、




みたいに名前が上なのはなぜだ。流行ってたのか?

 裏の見返しに「S.48.01.23」と日付が入っていて、「友 佐藤 鈴木 たん生日プレゼント」と。(名前と日付は変えておいた)
 「たん」がひらがななので、多分小学校の高学年だろうなあ。お友達が2人でお金を出し合って、お誕生日にプレゼントしてくれたのだろう。ハードカバーの本だし昭和48年の480円と言えば、今でいうと1500円ぐらい?もっとか?ひと月分の6年生のおこづかいだとしてもおかしくない額だと思う。

 誰かのお誕生日の贈り物だった本。なんだか幸せが詰まっている気がする。
 今日は私の誕生日じゃないけれど、この本を初めて読むつもりになって読んでみようと思う。
 
 面白かったのは「ローズの幸福」の巻末の広告。20巻もののジュニア・ベスト・ノベルズなのだけれど、ほとんどわからなかった。

 1 ピーター空を飛ぶ W.P.デュボア作/白木茂訳
 2 鐘楼を守る少年  P.J.ボンゾン作/末永氷海子訳
 3 ローマ帝国の黄金 P.カポーン作/福島正実訳
 4 南海のサンゴ礁 C.ノードルホフ作/土居耕訳
 5 グライダーの少女 H.シュマヘロパー作/平賀悦子訳
 6 白夜の少年兵 K.ショーデルヘルム作/鈴木徹郎訳
 7 天井が落ちた日 J.ウェイン作/中山知子訳
 8 ウェイランドの古城 A.ブル作/内田庶
 9 谷間の呼び声 G.エイバリ作/塩谷太郎訳
 10 黒い牡牛 J.デニス作 /白木茂訳
 11 天使の洞くつの秘密 G.ハウスホールド作/前田三恵子訳
 12 恐怖の地滑り V.デイ作/三輪宣子訳
 13 シラカバ屋敷の少女 L.M.モンゴメリー作/田中とき子訳
 14 われらがジェニングス A.パッカリッジ作/小野芙佐訳
 15 ねらわれたスミス L.ガーフィールド作/亀山龍樹訳
 16 残された人びと A. ケイ作/内田庶訳
 17 ジョニイの奇妙な冒険 C.フィッシャー作/亀山龍樹訳
 18 栄光のポンコツ車 B.カーター作/斎藤伯好訳
 19 サミー南へいく W.H.キャナウェイ作/中尾明訳
 20 火の戦士 J.キェルガード作/福島正実訳

 モンゴメリは大体全部読んでいるはずなんだけど、「しらかば屋敷」は誰だ。パット?ジェーン?多分パット。あとは「残された人びと」は「未来少年コナン」の原作で、読んだことがあるのでわかるけれど、残りの18冊ははどれも全然知らない本。
 もしかしたらどれも未読かもしれない。
 あと、どれも翻訳物なので題名が今ポピュラーなものと違うのがありそう。

 しかし当時「ベスト・ノベルズ」なんていう題名で発行される全集でここまでわからないってのもねえ。
 探して読みたい本がどんどん増えていくなあ。

続あしながおじさん 訳が違う?

 ジーン・ウェブスターの「あしながおじさん」は名作で、第二次世界大戦の前から訳された本があったのだそう。知名度が高く、90年代にはアニメの名作劇場にもなったぐらい。1冊で終わる本で、それほど分厚くはない。

 「続あしながおじさん」という題名で出ている本は、はっきりとした続編ではなく、今風に言うなら「スピンオフ」作品で、1巻目の主人公の友達だった人が主人公になる。2巻目の主人公であるサリーが、1巻目の主人公であるジュディに手紙を書くことが多いので、ジュディがどうしているかということがうっすらわかるのだが、ストーリーとしての続きではないので、実は中学生の頃ぐらいまではあんまり好きではなかった。

 本を買った時、私は中高生。サリーは社会人なので、子どもの頃は深くは共感できなかったので愛読書として集めていた「世界名作文庫」風のラインナップの中では「二軍」扱い。一人暮らしを始めたときも、家に置き去りにしていった。

 時は過ぎて大人になってから読むと、実はこの続あしながおじさん、かなり面白い。
 ただ、いつでも読めるからと思ってそのままにしていたのを、この度買おうと思ったら、ないんだな…。私が読んでいた訳は角川文庫だったのはわかったのだが、現在角川文庫では絶版のよう。
 新潮版は新訳が出ていて、古いほうも割とネットの古本市場に出ていたが角川文庫はなぜか払底していて、めちゃくちゃ古い、昭和30年代のものが1000円ぐらいする始末。

 しょうがないので図書館で岩波少年文庫の古い遠藤寿子さん訳、新潮の旧訳の松本恵子さん訳、それから角川の村岡花子/町田日出子さん訳を借りてきて読み比べてみた。多分このうちのどれかのはず。
 なのに、どれも違う気がする…。角川の訳はすごく近い気がするが、いろいろなところが違う。ドクターを「がんこ先生」と呼ぶのだが、私が昔読んだ訳では「頑固一徹様」と呼んでいたはずだ。

 図書館の角川文庫は平成2年の本で、表紙が世界名作劇場のアニメ絵。
 これは多分、あしながおじさんがアニメになった時に、ばーーっと売れたから刷ったのだろう。
 私が読んでいたのはこの1990年版より前なので、この版ではないはずだ。
 1990年(=平成2年)版の奥付は

  昭和三十四年十一月十日初版発行
  平成二年四月十五日 三十六版発行

こうなっている。…この表記から行くと、一度も版が変わっていないみたいに見えるんだけど、じゃあ、私が読んだ訳はどこのだったんだろう?読む回数が少なかったからどれかと混ざっているのかなあ…と思って、いろいろ探してみたけれど、どうもはっきりしない。

 実家に問い合わせたら、色褪せた文庫本がまだ残っているということだったので、取りに行った。
 コロナのこともあるので、あんまり長時間顔を合わせないようにして、動作がよくないというPCを引き取り、お土産などを渡して、本をもらって帰ってきた。

 帰ってきて読んでみたら、やっぱり違う。1行あたりの文字数も、1ページ当たりの行数も私の持っていた本のほうが多い。
 そして昭和五十八年 十月三十日 三十五版、つまり一回分、古かった。
 1版分進むのに7年かかっている計算だ。案外長い。
 
 ドクターへの手紙のあて名は古いほうの版は「頑固一徹様」だったし、漢字の送り仮名がちょっと違ったり、新しい版では漢字じゃなくてひらがなになっていたり。
 訳も似ているようで少しずつ「今風」に改訳されているのが読み比べるとよくわかった。

 多分アニメ化と同時に新訳と書くほどではなくても、改訳したんだろうな。しかしそういうことは奥付に書いておいてくれればいいのにねえ。

 表紙をめくったところに、頭文字と番号が書いてある。「M21」だって。私の名作文庫の21番ということだったのだろう。なんだかちょっとこっぱずかしいなこれ。
 そして一番最後のページに走り書きっぽいローマ字のサインと、小口に消しゴムハンコのイニシャルが。
 うわー。なんかこう、昔の作文とか日記帳が出てきたみたいな「ぎゃー」な感じ。

 でも21冊もあったんだっけ?多分この本は大分後の方の番号だと思うけど。結局お気に入りは持ち歩くうちに散逸して、二軍の本が残っているのは皮肉だ。この本は、今私の部屋にある本の中で一番古い本かもしれない。

 懐かしい本。特に手に入りにくい本が残っていたのはよかった。ほかのは古本屋さんで案外廉価に買えるのも多い。

 ふと思い出した。確か、「あしながおじさん」が角川文庫だったので、続編も角川がいいと思ったら、自転車でいける範囲の本屋さんには新潮文庫しかなかったので、電車にのって大型書店まで行って、親に呆れられたっけ。行っといてよかった、当時の自分GJ!

本の補修をする

 古い文庫本を買い直すと気になったので、本の補修のことを書いた本を読んだ。
 中学生の頃は本はいつかお金が稼げるようになったら、買い直せばいい。そう思っていた。なんとなく名作の訳というのはそのままだろうと思っていたわけだ。
 ところが、中年極める年になってくると各種名作本が改訳になって、どんどん古いのがなくなっているではないか。そりゃそうだ、私が中学生の頃だって昭和30年代の訳は古いというので改訳版が出ていたのだ、今だって出て当然だろうと今ならわかる。

 こだわらずに今の訳を読むか、ぐだぐだ言わずに原文を読めばいいと言ってしまえばそこまでだが、この場合「ノスタルジックバリュー」、つまり「懐かし補正」があるため、当時の訳が読みたかったりするんだな…。というわけで古い文庫本が市場に出ているのを読むことになるわけだ。

 ほかにも、絶版になった文庫本で、気に入っているがライトノベルとかでどうも再販は無理そうなものとか、レーベルごともうないのよ、というものだとかもあるのでそれも。

 文庫本の表紙を取ってしまって、改めて見返しなどを貼りつけて、厚手の板紙を布などでくるんで表紙を作成して合体させるというのは意外と手間がかかる。それと文庫本ならではの軽くて気楽な感じがしなくなるのが惜しくて、悩んでいた時にこれを読んだ。
 この本では、たとえば一番上にかけてあるカバー(正式名称は「ジャケット」らしい)がまだあるが、破れているとか、本の入っている箱が傷んでいるなら…とか、例えば裏から紙を貼るとか、補強するとか…というような修理のことがたくさん書いてあった。
 
 これは当時の私の悪い癖なのだけれど、本のカバーがぴらぴらするのが嫌いで、売っているときのジャケットは叩き捨てていることが多かったとか(ブックカバーはがっちりとはめて、動かないようにしてあった)、しおりの紐(これの正式名称は「スピン」らしい)も何となく邪魔で、引っこ抜いていたとか、つまり当時の本が手元にあったら、相当ひどい状態になっているだろうと思う。そういう本でも流通していたらこうやって直せ、ということなんだねということがわかった。

 不思議なことに、今はそれほどジャケットは捨てたいと思わない。そしてスピンがある本は割と好きだ。まあ、あの紐はもうちょっとしっかりして、先がボサボサにならないのがいいとは思うけれども。大人になる過程で好みが変わるというのはあるんだな。

 古い文庫本のカバーの後ろに、薄めたボンドを刷毛で塗って、紙を貼りなおすと、なるほど、背表紙のてっぺんの破れたあたりがしっかりして、気にならなくなる。そして文庫本の気軽さはそのままだ。
 こういう直し方もいい。

 折れたページの隅を直して、この間刷ったしおりを挟んで。そう…折れたページというのはそのままにしておかず、きれいにのばしておけばそのうちちょっとはマシになる。

 やまと糊なんて、前に使ったのはいつだろう、ほんと。
 あんまり強すぎる糊じゃないほうがいいらしいので、木工用ボンドか、特に中のページにはでんぷん糊がいいらしい。

 ヤマト糊の、青いパッケージに黄色のふたが、懐かしい。私が小学生の頃には、容器の横に糊用のへらが装着出来るようになっているタイプのがいいということになっていたが、今はフタの裏につくようになっていた。これのフタが固くて、ちゃんとパチンと閉められないことがあったなんて、信じられない(3、4歳?)。斜めになって、ちゃんと閉じていないと糊が固まってしまうんだよね。
 近所には「フエキのり」という黄色いパッケージのもあった。これも見たことあるなあ…。
 そして、黄色い犬の顔に赤い帽子の「どうぶつのり」が。これに、ピンクで青の帽子だったかな?ウサギちゃんも昔いたんだよね。当時の生協で扱っていて、ゾウ、うさぎ、イヌの3つセットだったのだけれど、姉とウサギをとりあってじゃんけんして、まけてこのイヌを使った覚えがある。詰め替え用の糊を足してもらっていた。

 当時は、後ろのところに四角い穴をあけると「ちょきんばこにもなります」って書いてあって、それがやりたくて仕方がなかった。もちろん「のり」として使っている間はそんなことをするわけにはいかないから、果たせずして大人になったけれども。
 そして現行のどうぶつのりの後ろにも、その貯金箱用きりとり部分がわかるようになっていた。

どうぶつ糊にするかな!そして今度こそ、貯金箱にしてみようか…。そうだ、子ども用の工作本に、この糊のケースの貯金箱の口と、底をぬいて、上からつるす紐を通して、底にはハンガーをぶらさげて袋を周りに縫い付け、「パジャマいれ」にするというのがあった。

 昔はパジャマを毎日洗濯しなかったんだよ!!特に涼しいシーズンは。
 そして脱いだパジャマはそういう袋にいれて、ベッドわきにつるしておきましょう、というそういう道具だった。
 今は洗濯機の容量が上がったから、パジャマも毎日洗濯だけど。
 そんなことを思いながら、ホームセンターを後にした。

 ちょっとした手作業が心を明るくしてくれる気がする。
 ボロボロの本でも直せる。そう考えると、オークションや、古本屋や、メルカリの本もどんとこい。
 しばらく工作ブームの予定。

 

マザーグースの文庫本

 

いくつぐらいの時だっただろう、講談社文庫のマザーグースの本を買ったのは。
 表紙を見てもわかる通り、絵がかわいい。4冊あったので、1冊ずつ時間をかけて買った。楽譜と元の英語の詩と解説が本の後ろの方にのっているが、最初の方はテーマ別に、日本語訳だけが載っているので、絵本みたいな文字の量。

中のイラストは白黒の線画なのだけれど、暇にあかして色鉛筆で彩色して遊んだ覚えがある。
 色鉛筆じゃなくてクーピーだったような気がするから、小学生だったかも?というぐらい昔だ。いや、それとも中学生だったのかなあ。時々ちまちま塗って、詩を繰り返し読んだ。英米文学…とまではいかないが、アメリカヨーロッパの翻訳の物語が好きだったので、文化として、みんなが知っている常識としてこのあたりは押さえておくべき…というのはなんとなくわかっていた。

 大好きな「秘密の花園」の主人公のメアリは「つむじまがりのメアリ―」なんてからかわれるのだが、それがこのマザーグースの中の、「Mary Contrary」だとか、「大草原の小さな家」のシリーズの冬の描写で窓ガラスに美しい模様を書くのは「霜のジャック」だが、それもこの中の「Jack Frost」だとか、ちょっぴり出てくるときに「ああ、あれか」とわかるかどうか…というのは結構面白いことだった。

 本の注を頼りに、マザーグースの歌のハードカバー版にたどり着き、そのあと大型書店でこの文庫版を発見した。
 アメリカにいたころ、大型台風が来た時、庭の木が倒れてドアが開かなくなったらと思って斧を買ったという、本人にもなぜ買ったのかわからないという笑い話を友達に聞いたときは、リジー・ボーデンか!とツッコめたのはひとえにこの本のおかげであろう。
 (注:リジー・ボーデンとは、斧で家族をめった打ちにして殺した実在らしいという人物。詩になっている)
からかい歌やはやし言葉、言いまわしや、ことわざ。日本でいうと「どんぶらこ」が桃の流れる音であるとか、「犬も歩けば棒にあたる」とか、「まんじゅうこわい」とか、または「布団がふっとんだ」みたいなことを知っているかどうかだと思えば大体わかると思う。

 本職が英米文学の研究という人ではなく、詩人の谷川俊太郎さんが訳しているのでリズムよく雰囲気楽しく、そして昔はそれほど読めなかったけど、今英語版も文章で読むと、「確かにこうにしかならない」よねという訳だと思う。うまいなあ。この際だからと思って4冊いっぺんに手に入れた。

 クリスマスの12日の歌は、息子が小さいころにはこのシーズンよく流した。久しぶりにその歌を読んだ後にちょっと歌っていたら、息子が乱入。おおぅ、まだ歌えるのか。…と思ったら半分ぐらいは正規の詩のほうじゃなくてセサミストリートのパロディの方だった。混ざる混ざる!!

 最後がクッキーなのはクッキーモンスターが歌っていたからで、本物の方は梨の木にとまるヤマウズラなんだけど!ほかにも、息子が小さかったときに英語の歌としてかけた曲がずいぶんあった。読んだ時期と、歌を聞いた時期がずれているのでなんとなくつながっていない。

  「これはその おうこくのかぎ」
 日本語の方を読むと詩が頭に響く。この詩はクリスマスの12日と同じで1行ずつ増えていく詩で、好きだったなあ。今でも覚えているかな…と思ってやってみたら記憶していた。今やったら、そんなことできそうな感じはしないので、子どもの時の記憶力、おそるべし。

 日本ではやらないけど、英語圏、フランス語圏では詩の暗唱というのは国語の時間の課題としてやるらしいんだよね。ちょっとあこがれたものだった。英語の詩なんか読めもしないころだったけどさ!あ、でも日本でも古典の最初の方の暗唱はやるなあ。こないだ息子が「ぎおんしょーじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのーぅ」とがんばっていた。「おかーさん、しょぎょうむじょうってなに?」とかなってたけど。
 
 わけがわからなくても暗唱するというのは、大人になってから考えると割と面白くていいかもしれない。

「あしながおじさん」、どれだ?

日本の物語よりも、翻訳物が好きだ。子どもの頃から、今まで変わっていない。
作家が書いたものがそのまま字になる日本語と違って、英語やフランス語、ドイツ語からの翻訳物は、つまり訳がいろいろになってしまう。特に人気のあるものはいろいろな人に訳されるから、余計バラバラ。

 図書館予算がそれほど潤沢でなかったと思われる小さな町の、これまた古ぼけたプレハブの図書館にある本なんていうと、当時でも古めで、私が生まれるずっと前の翻訳が多かった。そんなわけで私は多分同じ時代に、新しい本を買ってもらいながら大きくなった子どもよりも古い翻訳を読んで育ったはずだ。

 自分で買えたのが古本屋の、これまた古臭い文庫本だったのもあるだろう。当時最新だった版の文庫本の古本は150円、200円、300円なんていうお値段だったのだから。そういう本に資金不足で手も出せず、20円30円、50円の焼けた文庫本となると20年前のものでも当然で、下手をすると30年前の版だってあった。つまり1985年に30円の文庫本を買うと、1968年の版、なんていうことになったわけだ。1956年なんていうのだって混ざっていた。

 そんなわけで今、当時私が読んでいた本を探そうと思うと案外難航する。
 新品の本を買っていた人なら、当時の版を探せばいいわけで、最初に読んだ年が大体わかっていれば出版年もかなり絞れる。でも、私の場合は古い本を読んでいた可能性があるので、そこからさらに20年から30年さかのぼったものまで候補に入ってしまう。版としては新しいが、カバーがなかったり表紙がだめになっていたり、濡れて波打っていたりして値段が安い…というものも混ざっていたため、話は余計にややこしくなる。

 「あしながおじさん」を今、読みたくなって当時の本を探しているのだが、なかなか同定出来ない。
 角川…だったような気がするんだけど、カバーが最初からなかったため、時代が特定出来ないんだよね…。

図書館の中村佐喜子さん訳は読んだら違ったので、旺文社という線はない。
新潮社の松本恵子さん訳の可能性は高いかもしれない。若草物語はこの人のだったもんね。
岩波少年文庫の遠藤寿子さん訳の可能性もないではない。(図書館で予約待ち)
角川文庫の旧版、厨川恵子さん訳の可能性が一番高いんだけど、図書館にもない。
ポプラ社の曽野綾子さん訳…じゃないと思うんだけどねえ。でも出回っていた期間が長いし、ないでもないかも。
福音館の坪井郁美さん訳。これは絶対一度は読んでいる本(図書館のハードカバー)なのでチェック。
偕成社の北側悌二さん訳はkindleUnlimitedに入っていたので読んだけど、違った。名前がジールシャ。

この本を同定するときは、コツがある。まず主人公の名前。「ジェルーシャ」「ジルーシャ」等。
最初にあしながおじさんに手紙を出すジェルーシャが、スミスという名前が没個性的だと文句を言うのだが、スミス氏に手紙を書くなんて、Hitching postやCloths-propに手紙を書くようだ、という、その訳語が何になっているか。
 私が読んだのは「親愛なる棒杭様」と「親愛なる洋服かけ様」となっていたと思う。

 松本恵子さん訳は割と最近まで出版されていたので、古本はたくさん市場にあるらしく安い。厨川さん訳は「私のあしながおじさん」が出たときの訳もこれだったらしく、その時の版が多いようだ。
 ********
 ここまで書いてから、図書館で借りた。
 微妙…。両方なんとなく覚えがある。でも多分私が最終的に自分のにしたのは厨川さんの訳のよう。
 昔「スミス氏はつるつる」「スミス氏はふさふさ」「スミス氏のあたまはまっしろけ」という電文のある版を読んだ覚えがあるのだけれど、今まで読んだのは全部それではなかった。うーん、どれかなあ。子供向きの版という可能性も捨てきれない。

 図書館のは、アニメの表紙で、平成2年の版。
 家のそばの古本市場で買ったのは俳優さんの実写版の表紙。古そうだったのでゲット。袋に入っていたので中身が確かめられなかったが100円だったのでまあよし。昭和58年五十版。年代でいうとこれが怪しいと思ったが、字の大きさがちょっと小さいだけで平成版と変わらず。

 いや、でも絶対細かいところが違うとしか思えない。
 もっと古い版をさがして300円ぐらいでネットで購入。うーん、フレッド・アステア?多分映画になったんだろうな。
 と思ったらこれがビンゴだった。昭和45年、三十一版。ここまで古くはなかったのかもしれないが、これと同じ版だったと思う。読んでいて違和感がない。

 ものすごーくカバーがボロボロだったのでなるべくきれいに薄手の和紙で裏打ちしておいた。字が小さいし、ページは焼けて茶色いけど昔持っていた本と同じだというのがうれしい。定価は120円だって。なるほど、カバーなしの古本が30円になるわけだよ、この値段なら。そして古いだけあって、角川文庫なのにしおりの紐がついていた。

参考のために、一番違いが目立ったところを引用しておく。
Jerusha assembled her charges, straightened their rumpled frocks, wiped their noses, and started them in an orderly and willing line toward the dining-room to engage themselves for a blessed half hour with bread and milk and prune pudding.

旧:ジェルーシャは子供たちを集め、皺くちゃの上衣をぴんとさせ、鼻をかんでやり、そしていそいそしている子どもたちをきちんと一列に並ばせて、これからの楽しい半時間を、パンとミルクとほしすもものプディングと取り組むために、食堂へと発たせてやった。

新:ジェルーシャは子供たちを集め、皺くちゃの上着をぴんとさせ、鼻をかみ、きちんと一列に並ばせて、食堂へ行かせた。子供たちはこれからの半時間、パンとミルクとほしすもものプディングが食べられるので、はしゃいでいた。
 なんとなく、上の古いほうの訳のほうがいい気がする。まあ、気分の問題とか、好みの問題なんだろうけど。これは一章目の最初のところにあたるので違いが目立つ。あとから細かい用語が違っていたり、漢字が仮名になっていたりするのは気にならないんだけど。

なにはともあれ、自分がなじんでいた訳がどれかわかって、本も手に入ったのでよかった。
 しかし、いらない2冊は売ろうか。アニメ化したころに原作を読んだ人の中には、この訳がいい人もいるだろうし。

 今まで訳が変わったり、字の大きさが違う版が出たときには、奥付に書いてあるものだと思っていたけれど、そうでもないんだなということも分かった。奥付には平成のでも初版と今の版の2行しか表記がないもんね。昭和の時の版はなかったも同然で、字の大きさが大きくなっているのも知らんぷりだ。新潮文庫のあしながおじさんには「改版」と書いてあって3行になっていたのに(字が大きくなったよう)なあ。出版社によって方針が違うのかもしれない。

「小公子」川端康成訳 の違い

 バーネット作、「小公子」も、これまた好きな本で、日本語で書籍版を手元に置いておこうと思ったのだが、今一番買いやすい電子書籍は新潮文庫の「川端康成/野上彰」訳のもの。

 昔の岩波少年文庫の訳である「吉田甲子太郎」さん版も電子書籍で売っているので、これは意外とお買い得(300円)。
 今の岩波少年文庫の「脇明子」さん版も買える。

 脇明子さん版は、セドリックがお母さんを呼ぶときに、「なかよしさん」と呼ぶのが気にならなければ、いい訳だと思う。
 ちなみに英語版は「Dearest」。どちらかというと、恋人とか配偶者を呼ぶときに使うことが多い気がするけれども、セドリックのなくなったお父さんの真似をセドリックがしているという設定なのでこうなっている。「最愛の人」というわけだ。この小説が書かれてすぐの頃は、男の子にセドリックみたいな黒いビロードに白いレースの衿を付けたスーツを着せるのが流行り、小さな息子にDearestと呼ばせるお母さんがいっぱいいたのだとか。

 新潮文庫の川端/野上さん訳は、読んだときに微妙な感じだった。この新潮文庫訳では、お母さんがセドリックのことを「セデー」と呼んでいる。この呼び方をする訳がなんとなく嫌で、違う出版社のを買いに行った覚えがある。

 

そう思いながら、小公女が目当てで買った、創元社の「少年少女世界文学全集9 小公子 小公女」を読んだら、こっちでは「セデー」じゃなくて、「セディ」と呼んでいる。
 
 違う…?新潮文庫の方は「ホッスさん」だが、創元社の方は普通に「ホッスさん」だ。わかりやすく違う。
 それに文章も違うような…?

 図書館から借りてきた小公女の角川文庫と、創元社のほうは、少なくとも冒頭部には見た感じ違いがなかったけれど、新潮文庫の小公子と創元社の小公子は別の人が訳したのかというぐらい、違いがあることがわかった。
 子ども向けに特別に訳したとかそういうことなのかなあ。
原文はこれ。He was not old enough to know of anything else todo, so he did what he could, and was more of a comfort to her than he could have understood.

創元社版 まだ年がいかないので、ほかに何をしていいか、わからないのだが、できることをしているのだし、また、それがママには、セドリックが思うよりも、もっとなぐさめになった。



新潮社版 まだ本当の子どもなので、セドリックはほかにどうしていいのかわからなかった。それでも母は、そうしてくれるのを、セドリックが思っているよりも、ずっとなぐさめられていた。

こうなっている。新潮文庫版のほうが微妙に飛んでる感じ?または創元社のほうが直訳っぽいというべきなんだろうか。
なんせ1か所だけでもこう。ほかにもいっぱい違いがあって、とてもじゃないけど「同じ訳」と見るべきではないだろう。これは古い本を買うときは注意だなあ。前に読んだのはこの人の訳だったはずさ!と思って買ったらこの差ってことだものね。

 創元社の訳は好みの訳だった。あとがきで小学校4年生までの漢字しか使いませんでした、と書いてあって、幼年向きだということが書いてあったから、多分子どもにもわかりやすい訳だとか、そういうことなんだろうな。なんせ「むす子」だしな…。「息」は四年生では習わなかったのだろう。
 
 創元社版の訳は、読むときれいで、朗読にも向いていると思う。

私が気にいって、持っていたのは旺文社文庫のこれ。ネットのいいところはお金さえ出す気があれば、古本が探しやすいということ。これも「ヤケ、シミ、汚れなどがあるので、読めればいい人だけ買ってください」みたいなコメントのものだった。角川と新潮にも昔からあったからだろう、秘密の花園より数が出なかった感じで、探しづらかったが、あった。
 さっきの部分の訳はこんな感じ。
 旺文社版 まだ幼くて、ほかにどうしようもなかったセドリックは、自分でできるだけのことはした。でも、それはセドリックには分らないほど母親のなぐさめになったのだった。

 素直でわかりやすい訳だと思うのだけれど、やっぱり角川とか新潮、それから岩波の訳(若松賤子さん訳)のほうが有名なんだろうな。
 
 これを買ったのは多分中学生の時で、他の出版社のはもうちょっとカバーがかわいかったのだけれど、この絵がなあ…と思って違うカバーをかけていたと思う。久しぶりに読んだら、元気が出るんだよね、これ。

 これはつまりどういう本かというと「ロマンス本」。こんな男の子、どこにもいないと思う。思うんだけどね?でもロマンス小説のステキな相手役というものが本当にこんな人いるのか?という感じなのと同じ。これはこんな子いたらステキだろうなあ、とそういうステキな人に遭遇したつもりになって楽しむ物語。明るく、素直で楽しそうで、好意を持って接してくれて、自分がいい人なのだと思わせてくれて、その信頼を受けて気分がよくなる、そういう子が、にっこり目の前にいたら、そしてまだ、小さい子だったら!そりゃかわいいでしょう!うんうん、そうだよね!と、そういう本なのだった。

 アイドルを見るように、楽しい気分になる。世界に愛されるというのは、こういうことなのかもしれない…。毎回そのかわいさ、すばらしさに幸せな感じがするので、数年に一度は今でも読む本。
 この本を好きな人に、どの訳がいいか、ちょっと聞いてみたい。

 


「小公女」 川端康成/野上彰 共訳

 

小学校5年生ぐらいの頃だったか…。この本は100円で、住んでいた小さな町の、古本屋さんにあった。コンクリートの打ちっぱなしの、トタン屋根の倉庫みたいな場所に、本棚がずらっと並んでいる部分が古本部門。お店の人が座っているのが、もっと普通のお店っぽい古道具部門。田舎の町の、もとはもっとにぎやかだった…という、電車の線路から離れた場所に、酒蔵と並んで立っていたお店だった。

 板チョコ1枚100円ぐらいはしたし、自販機のジュースが1本100円、そういう頃のことで、ひと月に使える小遣いが400円ぐらい。古本屋さんで床の上の段ボールに放り込まれた20円、30円、50円の文庫本を買うのは私の楽しみだった。

 100円もする本というのは相当高いほうで、さすが100円、カバーはついていた。故に今もカバーに覚えがある。
これが多分私が「自分の名作全集を自分で揃えたい」と思った1冊目の本だった。模造紙でカバーを作って、スタンプで柄をつけて、背表紙の部分には題名を書き、てっぺんには消しゴムのスタンプで番号が押されていた。「1」がこれ、というわけだ。
 ほかの本がどの順番だったか、さっぱり覚えていないが、これが「1」だったのは覚えている、そんな本。

 これは英語でもかなり易しいほうに入るので、英語が読めるようになってからは日本語版をもっていなかったのだが、日本語の本を取っておきたいなあ、と思うようになって、探したら同じ本は絶版。



 それどころか、この本、古本でも1000円以上するんだ、なぜだ、ほんとに。
 ネットを見て歩いていると、どうもこの訳について、言及した有名な人があるっぽい?(しかも最近)。
 同じ川端康成/野上彰訳の「小公子」は安いのに…と思ったら、「小公子」は出版年月日が今年の7月?めちゃくちゃ新しいんだけど!つまり、小公子の方は再版したってことだね。

 いろいろ迷っている1か月のうちに、アマゾンのこの本の値段はずんずん上がり、ついに1800円に。おおぅ。みんな手回しのいいことで。去年買ったら360円だったろうになあ。ちぇ…。
 図書館で借りた。文庫本なのにこれは残っていたということは、訳者が違うものを意図的に残しているのだろう。やっぱりこれだな、という慣れた感じがしたので、私が読んだ訳はこれで決定なんだけど…。けど、そんなのに限って、突然ないのはなぜだ。村岡花子さん訳でもいいようなものだけれど。

 ちなみに、伊藤整さん訳の新潮文庫も出回っていたのだが、セーラの名前が「サアラ」になっていたのが違和感があって(ちなみに英語の発音はカタカナで書くとしたら「セアラ」となるはず)買わなかった。私が子どもの時に読んだ抄訳版が「セーラ」だったからだろうなあ。どういう名前になっているのを最初に読むか、ってことだね。「セイラ」「サァラ」「セアラ」「セーラ」あたりのバリエーションがあるようだけれどもアニメも「小公女セーラ」だったし、「セーラ」になじみがある人のほうが多いと思う。
 難しいところだよねえ…。正確に訳すより、ポピュラーな方を採用するほうがウケるわけだから。そう考えると1作目を訳する人の責任重大だ。
 

旺文社文庫 「秘密の花園」 岡上鈴江訳

バーネット作、「秘密の花園」は、昔から大好きな本だった。
 
 冬から春になって季節が変わるその時の美しさ、ひねくれて縮こまっていた子供たちが、のびやかに育っていくその様子と、植物が芽を吹き、育ち、花を咲かせていくその鮮やかな様子が一緒に書かれているなんていうようなことが言葉に出来ないぐらいの年齢の頃から大好きだった。

 最初は抄訳から…かなり字の少ないものを読んだ記憶がある。こういう感じのは、幼稚園ぐらいから、低学年ぐらいの時に愛読したものだ。もう内容はあんまり思い出せないのは、そのあと違う版を何度も読んだからだと思う。名作文学全集みたいな本に入っているのもあった覚えがあるし、ハードカバーもあれば、少年用の文庫もあった。


そして、小学校の高学年から中学生ぐらいの頃に、自分で家に置いておける本が欲しい、と思ったとき、手に入れたのがこの版だった。

 ほかの文庫にもあったのかもしれないが、読んだ訳が気に入らず、しょうがないので、なけなしの小遣いはたいて電車に乗り、繁華街の特大の本屋を回って見つけた文庫本がこれだった。同じ作者の小公子、小公女は人気がもっとあったのだろう、何種類かあったが、版のサイズが文庫版の秘密の花園は少なかったというのもある。

 数年前に読みたくなって、新潮文庫の瀧口直太朗さんの版を買って読んでみたのだが、なんとなくなじみがなくて再読する気分になれず、確か断捨離したっけ…いや、まだ本棚にあるかな?
 今回はとりあえず一番買いやすい電子書籍は…というので、角川文庫版の羽田 詩津子さん訳をゲットしてみた。
 さらっと読めてわかりやすい訳。まあ…これでもいいかなあ。と思うが繰り返し読むとやはり慣れた訳が恋しい。
  kindleUnlimitedに入っていた光文社古典文庫の土屋京子さん訳もかなりよかった。どうしても電子書籍がいいならこれかな。

 こんな調子で読んでいたらお小遣いがいくらあっても足りない。もう、結局当時の本を手に入れて、気分的に「気が済む」方がいい感じがしてきたので、旺文社文庫版のことを調べてみた。旺文社文庫はレーベルごと絶版。グーテンベルク21という会社の電子書籍に出ているのが多いようだが、この秘密の花園に限っては、アマゾンでは買えなくて、グーグルブックでしか買えないという謎の商品になっている。グーグルブックのクーポンがあったので、100円ぐらい出して買ってみたら、PDF版で、字が大きくしたり小さくしたり…というのは無理だった。ありゃ…。
 文庫本そのものを手に入れようか。そう思ってネットで「あんまりきれいな本ではないので、読めればいいという人だけ買ってください」というような注釈のあるものを300円ぐらいで手に入れた。
 着いたら、なんのことはない、こんなのなら私の本棚にいくらでもあった…というか、十分きれいな方だと思う。私の中学生当時の本というのはリサイクルショップの床の段ボールの中から30円や50円でサルベージされた本ばっかりだったからなあ。

 でもこの表紙、あんまり覚えがない。この本は新品で本屋さんから買ったにもかかわらず。いや、でもこの表紙、多分私カバー捨てたんじゃないかなあ…。あんまり好きな感じじゃない。それと、これが物語の中の人物だとしたら、これはメアリー?頭にお花飾ってるしね?ジッコンってことはないだろう…。いや、でももしかしたらコリン?頭にお花で?
 どれにしてもかわいくない。多分この表紙を覚えていないのは、私がこのカバーをさっさと捨てて、自分で作成したカバーをかけたからだと思う。もともと私の当時の文学全集蔵書はカバーなんかとっくにない文庫本ばっかりだったから問題なかった。

 通読してみると、やっぱり読み慣れている訳だなあ…としみじみ。そして、この2冊のことをブログに書こうと思って画像を探した私に今わかった驚きの事実。この2冊の翻訳者が同じということ。なるほど…この訳が気に入ったのには理由があったんだな、気づいてなかったけど。当時の私には、外国文学の訳者を覚えておくというような癖はなかった。題名さえ見ずに本の中身だけ気にしていたことの方が多かった。

 わかってびっくりだねえ。
 とはいえ、文庫本の初版は1975年。「耳が聞こえない」「背中にこぶがある」「目が見えない」。そういうことを描写するのに今だと使えない言葉がどしどし出てくる。時代だなあ…。この訳の再販は無理だろうな。少なくとも改訳だろう。

 というわけで、自分的ベスト訳はやっぱりこれ…なんだけど、今から買う人には、光文社古典文庫の土屋京子さん訳がおすすめに決定。この本を読むのは実は秋より、春先がおすすめ。
 
 

自分だけの居場所

 人づきあいがうまくなく、明るくはきはきした…というタイプでもなく、外で遊ぶのも好きではなかった、とくればもう、大体そういう子の王道として本が好きで、子どもの頃の私は本を読んでいるときが一番幸せだった。

 子どもの頃、部屋には鍵がなかった。部屋の戸はあけっぱなしにするものであって、鍵なんかかけたら何をするかわからないというようなことを母は考えていた節があって、なおかつ母と折り合いが悪かったものだから、あんまり家は居心地がよくなかった。

 ただ、当時でも子どもが本を読んでいても注意されない場所というのはあちこちにあった。子どもが大声を出したり、ドタバタ遊んではいけない場所はたくさんあったが、大体公民館とか児童館とか公園とか図書館というのは子供がひとりで静かに本を読んでいればそっとしておいてくれた。公民館の使われていない談話室や、囲碁室で図書館の本をさんざん読んだものだ。

 ベランダの横の屋根だとか、二段ベッドの下段だとか、家にも人目につきづらい場所があったが、本を読むのは基本的に目が悪くなるから、と止めたいぐらいの勢いだったので自分の家で本を読むのは突然邪魔される可能性が高かった。本を読まない子どものお母さんたちには私が本を読むのがうらやましがられて、割と褒められたものだが、外で元気に遊ぶのが子どもらしいと思っていた母にとってはどうして外にでて遊ばないのだろう…ぐらいのことだったのだろう。

 邪魔されない場所で、一人になりたい。自分の居場所が欲しいな…。姉と二人部屋だった私はずっとそう思って大きくなった。
 一人暮らしをした時には、静かな、誰も入ってこない場所というのがどんなにうれしかったことか。

 今は、自分の部屋もあるし、息子と夫が出かけてしまうとゆっくり出来るので、もうそういう問題はないはずなのだけれど、なんだか落ち着いたゆったりした感じがしないのは、やっぱり次々と家事をやっているからだろうか。小さくてもいい、逆に狭いぐらいのほうがいいぐらいの、あの隠れ家でゆっくりくつろぐような気分にならないのは、なぜなんだろう。ふとそう思ったのが、コロナの自粛が終わったぐらいの時。

 今日、ふと本を読み終えたときにその感じがするのに気が付いた。

本は、これ。岩波少年文庫の「小公女」。
この物語はもう一体何度読んだか…というぐらい読んだ。多分小中学生の頃に持っていたのは、角川文庫の(はず)で、川端康成さん訳だが、今は絶版で手に入れづらいので、手に入りやすそうなのを選んで読んだ。

 小さいころから長い間、知っている物語というのは、自分の居場所のようなものかもしれない。
 だとしたら、私はずっと小さいころから、自分だけの居場所を持っていたということになる。
 
 心安らぐ、小さな丸い世界。いつだって入っていけて、誰に邪魔されることなく幸せなひとときが過ごせる、そんな小さな部屋。
 今頃気づくなんてね…という感じだけど、自分の居場所が、本の中にあるというのは、なかなかいいのではないだろうか。
 周りに何が起きていても、本の表紙のドアを開けて入れば、もうそこは自分だけの世界。

 物理的に場所が…というのではないところが、ちょっと不思議な感じがするけれど意識していなかっただけで案外利用してきたよねえ…。
「それは魔法が本当になった日のことなんです」
 自分の一生で多分絶対口に出来ないセリフなんだけれど、大好きだ。いろいろな訳を読み比べている最中なのだけれど、自分的にベスト訳は、どれになるか、まだ決まっていない。

赤毛のアンシリーズの訳

 はっきり老眼だということが分かった昨今、文庫本はきついかな…と思えてきた。
 少なくとも、昔からもっている古い…それこそ昭和56年的な文庫本はもう厳しい。つまり活字のサイズが!最近の文庫本は字の整い方が違う(多分、フォントの形も違う)し、字が大きくなっているので、まだいける感じがするが、昔の本は細かいし、多分印刷の手順の都合でページの周りの余白が大きい。同じサイズなのに字が入っている場所が狭いってことだ。

 そんなわけで、昔から持っている新潮社の村岡花子訳の赤毛のアンはそろそろ断捨離して、新しいのを買おうかな…と思った。これは絶対読むことがわかっているシリーズなので、買う、買わないというくくりではなくて、「いつ買うか」と「どれを買うか」。

 まあね…英語だって読めるんだよ?読めるんだけどね…でも日本語の方も持っておきたいシリーズだしな。というわけで選定にかかった。電子書籍にするほうがいいよね、やっぱ…。

 文春文庫の完訳版(まだ刊行途中)と、角川文庫の中村佐喜子さん訳、それから青い鳥文庫と新潮文庫の村岡花子訳。
 文春文庫版は、巻末に文章が何から引用されているのか…ということの解説がたくさん入っていたり、用語も今風に直してあって、「つぎもの」はパッチワークであり、さしこの布団とは、キルトのベッドカバーだと訳してあるので、違和感がないというのが売り。村岡さんが飛ばしている文章も、全部入っている「完訳」版なのがまず一番のアピールポイント。

 角川の訳は中村佐喜子さんで、私はこの人の訳も子供の頃読んだことがある。ただ、これは「炉辺荘のアン」や「虹の谷のアン」「アンの娘リラ」あたりが出版されていない。実は後の方の巻も好きなんだよね…。
 
 文春文庫は図書館で一渡り読んだ。注釈が後ろにあるのは面白いのだけれど、注のところと、その解説を行き来して読むことになるので、これは電子書籍はだめな気がする。紙の本はぱらぱらっとやればいいのだけれど、電子書籍はがばっとめくるのはいちいち「どのあたりに飛ぶ」と指定しなくてはならないのでほぼ無理。特に読書の途中に注を読みに行ったりしない気がする。電子版の注に解説へのリンクがついたりするんだろうか。買わないとわからないんだよねえ、これ。

 確かにいい訳だと思うし、文春文庫が全部電子化したらまとめてそろえようかと思って、刊行巻がそろうのを待っていたのだけれど、実際試しに読んでみるとその注に飛びたい問題が出るといえば、出る。

 そうなるとあとは青い鳥文庫と新潮文庫。
 両方村岡花子さん訳。これ、中身が違うってことはないよね?そう思って念のため、図書館で同じ巻を2冊とも借りて、比べてみた。
 そうすると、もう1章目から違う。青い鳥文庫のほうは「間引いて」あった。なるほど…読めないわけじゃないけど、そして村岡さん訳を使っているのだろうけれども、抜けているところがいっぱいだ。危なかった。字が大きいだろうから、とこっちを買ったらびっくりの結果になるところだった。ポプラ社から出ているハードカバーのちょっと大きめの本も同じく抄訳だった。

 完訳じゃないとはいえ、やっぱり新潮文庫のにするかなあ。どうしても完訳がいいのなら原文読めばいいわけだし。
 贅沢をいうのなら、解説文つきの読書をするのに文春の完訳版を紙の本で買い、電子版は新潮文庫にするべきか。

 結局、赤毛のアンのシリーズを読んでいる気分に浸りたいのなら、愛読している訳からずれると違和感が出るので慣れた訳にしよう。

 ここまで細かいことに気が付く本はたくさんはない。

 小公女、小公子、秘密の花園、若草物語、赤毛のアンのシリーズ、夏への扉、エンダーのゲーム、ソングマスター、それから指輪物語。多分このあたりは読んだ回数が多すぎるので当時読んだ訳がしみついてしまっている。
 かなりうろ覚えにすぎない、数回読んだぐらいの本なら、細かいところはそんなにでもないんだけど。
 
 しょうがないな、今更ではあるけれど、もう新潮文庫の電子版、買おう。

文庫本カバーのかけかた

 古い文庫本を買うのは、ちょっと楽しい。懐かしい本を読んで、気分も上がる感じがする。

 今日手に入れた本は、岩波文庫ではなかったのに、グラシン紙がかかっていた。きっとこの本を前に持っていた人がかけていたのだろう。題名も読めるし、汚れや破れが防げるし、グラシン紙なら、ちょっとだけでも防水もあるかもだし、いいアイディアだ。

 浮いていないし、きれいにかかっていて、本当に「元からこう」だったような感じ。どうなってるんだろう、と思ってみていたら、本のカバー(ジャケット)部分だけにまいてあって、本の本体の表紙にはかかっていない。カバーとまとめて折って本につけてあった。なるほどー!これはきれいにかかっているし、内側に折ってあるところもひらひらしなくて邪魔になりづらい。

ジャケットにカバーを先に巻くってことだね。

 これだけのことなのに、全然知らなかった。子どもだった頃、私が古本屋で買った20円30円、50円本にはカバーがなかった。カバーがある本は大体もうちょっと高かったからね。そういう本にはもう本の本体にかけるしかなかったわけで。
 時々手にしたカバーのある本も、カバーを取り外してからかけることが多かった。発想の転換が出来なかったんだなあ。

 まあ、単に邪魔なだけという話だったのかもしれないが。自分のことながらなかなかにイイカゲンだ。
ジャケットがない場合はジャケット作成。そののち、カバーをかける。こうだな。
 カバーがぴらぴらしない上に、折ったときに表紙の厚みが影響しづらく、折り目がきれいに見えていい。
 カバーが傷んでいない場合は、これでやって、傷んでいるのは裏から貼ってからこうすることにしよう。

 昔に、トレーシングペーパーをブックカバーに使わなかった理由は、高かったから…だよねえ。
 今100均に売られているラッピング用のロールのグラシンペーパーや、パラフィン紙を見ると、すごいなあと思う。
 
 上下を折らずにちょうどに使えるサイズの15センチ幅もあるし…と思ったけど、新潮文庫は確か15センチ以上あったよね。
(今計ったら、多分15センチ2ミリある)20センチのを買って、上下折り曲げるほうがいいか。
 こういうことは考えているときが一番楽しい。

 
 

パセリ、セージ、ローズマリーにタイム…?

 キンドルが壊れた。息子が私のキンドルに入っているライトノベルを読みたいというので貸したら、学校についたら壊れていたのだとか。まあもう5年もずーっと使っているし、ほとんど毎日ONにするしで、壊れてもおかしくはない。画面を見たら、昔もっていたキンドルでこれと同じ壊れ方したのがあったな…という感じで、見覚えがある壊れ方。息子は大ショック、という感じだったが、これは多分、息子のせいではない。タイミングが悪かっただけだな。
 修理に出すより、新しいのを買う方が安いという種類の端末なので、新しいのを買おうか…という話になった。

 これはうちでは「必需品」扱いで、スマホよりもよっぽど我が家の大蔵省の審議を通過するのが早い。
 夫が買ってくれるというので、選ぶことに…といっても、大体一択、コスパと性能を考えたらもうkindle paperwhiteしかないといえば、ない。

 白いのがいいな(壊れたのも白だった)と思ったら、なんとびっくり、白がない。黒はデフォルトだとして、残りが青、ピンク、グリーンのようだ。

 こうなるとやっぱりピンク…?
 そう思って、よくよく見るとね。これはピンクやグリーンじゃないんだそう。

 ピンクのは、「プラム」であり、水色のは「「トワイライトブルー」、そしてグリーンのが「セージ」なんだって。やれやれ、おしゃれっぽすぎてため息が出る。

 セージグリーンは灰緑みたいな色でちょっとくすんでいる緑で、知らない色とは判定されなかった。
 トワイライトブルーは、まあ、「ブルー」が入っているだけ、まし…?なのでとりあえず青の一種だということはわかる。
 プラムってさあ。アメリカ英語だと、もっと黒っぽい色のことだと思ってた。プラムのような目というのは、仔牛に使われることが多い。あと目が黒っぽい色の子ども。つまり…わかりやすい例はないかな。あれだ、スロットマシーン。

この絵の、右下がプラム。日本で売っている果物で言うと、プルーン、あれに色が近いのだと思っていた。そうでないと仔牛の目がプラムのよう…という表現にあわないではないか。
 そう思ったけど検索をかけて調べてみると、どうもこの色は紫の一種と判断されているらしい。茶色と灰色のかかった紫だということだった。
 なるほど、ちょっと薄紫よりはオレンジ寄りで、くすんだ感じが灰色がかっているということだね。
 しかし、どうしてこういう格好つけたような話になったんだか。

…と思ったら子ども用のカバー付きキンドルにブルーとピンクがあった。なるほど、ブルーとピンクだと紛らわしい。
 よし、ピンク…じゃないや、プラム色注文だ。こういう色をなんとかローズとかバラの色の名前で売っているのもあったような気がする。もう、口紅とか、チークとか、ああいうものの色の名前は全部もれなく、こういう名づけ方だからなあ。

 「オールドローズ」「アンティークローズ」「シュガープラム」「イングリッシュローズ」…うーむ、どの呼び方もありそうな感じ。
 そう思いながら注文したが、しばらく、「パセリ、セージ、ローズマリーにタイム、そしたらあなたはまことのこいびと」というマザーグースの歌の一部が頭にこだまして困った。
 セージのほうがよかったかもと思ったが、まあいい。

 講談社文庫のマザーグースの本って何冊かあったけど、あれがまた読みたいなあ。
 英語の、じゃなくて日本語の訳が読みたい。あの訳に味があった。ちょっとこう…英語とは別の味付けがある感じがして、そっちの方が好きだったりする。谷川俊太郎さん訳だったからかもしれない。 


「ばら色島の少年たち」 ヴィルドラック作

【ばらいろ島の記事を書いた日】からしばらくたって、私は思い切って本を1冊、インターネット上の古本屋さんで手に入れた。
 

講談社の少年少女世界文学全集21巻フランス現代編。
 収録されているのは「シミトラの孤児」「ばらいろ島の少年たち」「グリシュカとくま」の3編。

 監修者のてっぺんに川端康成。浜田廣介は確か童話作家で「泣いた赤鬼」とかを書いた人じゃなかったっけ。
 そしてイギリスの児童文学作家のエリナー・ファージョンや、12の月の物語で有名なロシアの作家マルシャークの名前まで。ファージョンは大好きなので、「おっ」ってなった。
 
 ちなみに送料込みで950円で手に入れた。
 チフェルナン君のその後の運命が知りたいために1000円出したことになる。500円で済めばもっとよかったとは思うけど、図書館にもこの物語が載っている本はなかったのでしょうがない。

 ちなみに「シミトラの孤児」は2008年の名作アニメ劇場「ポルフィのながい旅」の原作なのだとか。全然読んだことがなかったので初めて知ったが、シミトラの孤児のほうがよく情報が出てくるのはそのためらしい。

 前編の「ばら色島」で、パリでお金持ちの島のオーナーに見初められて子どもの楽園である島で暮らしていたチフェルナン君の運命や如何に、と思って読み始めた。
 軽くネタバレしつつ、その後のストーリーの概要を書くと、結局おうちの人が幸せにしているかということが気がかりで島を完全には楽しむことが出来なかったチフェルナン君は、何と家族全員を呼び寄せてもらっていた。お父さん、お母さん、もう成人近いお兄さん、小さい妹。

 この物語の中では、小さい妹はおまけの子として遊ばせてもらっており、両親とお兄さんは島で働いていて、チフェルナン君はすっかり島になじんでいた。
 
 大変お金持ちだった島のオーナーは、お金を稼いでいた事業が傾いて、今まで通りの運営が不可能に。
 親御さんに愛されていた子供たち、とくに小さい子たちは島で暮らした年月が少ないため島を離れても大丈夫だろうということで休暇として家に帰され、そのまま島には戻らなくなり、親のない子たちと、家庭事情がよくない子と年かさの子19人が残されて事情を説明される。

 今までのように贅沢できなくなるが、漁をし、果物を育て、畑を作り、作物を売り、自給自足してお金も稼げるように頑張りましょう!ということになって、力を合わせて楽しく立ち働き、無駄を省いて節制し、元気に暮らしていく様子が語られる。嵐が来て、島は大打撃…という事件なども起こるのだが、基本的に堅実に、幸せに暮らしているところで話が終わる。

 親御さんが一緒に暮らすことになり、みんなが遊んでいるだけじゃなくて共同作業をするようになっただけで怪しさが激減したなあ。ちょっとむかしのロシアの子供向けコルホーズ礼賛ぽい小説と似ている気もするが、そういう趣味の男性が遊べる環境をエサにして甘い言葉で子どもを釣って…という感じは減り、ぐっと長期合宿というか「十五少年漂流記」ぽさが出た感じ。

 節約と言っても、朝に菓子パンが出なくて普通のパンが出たり、店買いのお菓子じゃなくて自家製ジャムになったり、豪華なボートじゃなくて漁船になったり…というような感じで、それほど深刻じゃなかったので牧歌的ムードはそのまま。
 ちょっと始まりが唐突な気がするが(前編を読んでいないとわからないだろうことがあるから)、それを除けばこっちのほうがちょっと教育的で、大人に「けしからん」と言われないと思う。楽しさもちょっと減って、夢の国らしさが減っているが、作者はわざとそのあたりを抑えて書いたのかも。

 作者は「ヴィルドラック」ではなく、「ビルドラック」という表記になっていた。これが検索に引っ掛かりにくい理由なのかもしれない。
 チフェルナン君、よかったね、家族と楽しい島に住めて。
 
 気候のいい島で、自給自足の生活をし、魚を釣り、楽しく水辺で遊び、雨の日や休憩時間にはのんびりと、いい本を読み、親しい人たちと仲睦まじく暮らす。
 物資は船で陸まで行って買ってこなくてはいけない不便さはあるものの、島をひとつ自分のものにして暮らすというのはロマンがある。
 木陰のハンモック、おいしいレモネード、そして波の音。ちょっとロビンソン・クルーソーはやりすぎだけど、自給自足にはちょっとあこがれが…という人に。その島の雰囲気が楽しい。子どもだったころなら、チフェルナン君視点だったのだろうけれど、今は島で働いている人の目線になるが、それはそれで。

 「グリシュカとくま」は、相容れない人間の文化的な農耕および狩猟生活と野生に生きていくこととの対立と、動物の高潔さを書く…というような感じの小説で、本能のままに生きつつ、崇高な動物の性質を書く、たとえばジャック・ロンドンの「野生の呼び声」とか、シートン動物記の「狼王ロボ」とかあのあたりに通じるものがある。こういう動物の小説って一時はやったのかもしれない。

 実際にクマと子供を兄弟のように育てるのが可能か不可能かはともかく(ムツゴロウさんの手記を見てもわかる通り、子熊の頃にはかわいくても、あとで狂暴になるので多分そういう生活は無理)、物語としてはさびしくなるような結末で、こうにしか書きようがないだろうけど、ハッピーエンドが好きな読者(私)にとってはしんみりする話だった。

 まあ、ハッピーエンドでなにもかもうまくいきました、ちゃんちゃん!というような物語ばっかり読ませるのもどうかと思うから、こういうのもあってもいいとは思うけど。
 
 「シミトラの孤児」は未読。あとで読むことにしよう。
 

幻の小公女

私が子どもだった頃集めた名作の文庫本の中にあった、「小公子」と「秘密の花園」は旺文社文庫だった。
 他のレーベルのものが気に入らなかったので県庁所在地の街の、県下でも一番広いというような触れ込みの本屋さんであれこれ見比べて、値段と相談して決めた本だった。

 小公女は家の近所のリサイクルショップのワンコイン100円コーナー出身の角川文庫だったのだが、その訳に文句はなかったので、その大型書店では選んでこなかった。

 私の持っていた小公子と秘密の花園の裏表紙の内側にある「旺文社文庫収録 バーネットの作品」は「619-1 秘密の花園」と「619-3 小公子」の2冊だけだったから、ふうん、ってなもので、その2冊は手元に現物があったから参考にするほどでもない、スルーだった。

ここまでが前置き。
今日はその本とばったり…大変偶然に出会ってしまった話。

 私は「秘密の花園」と「小公子」の古本をネットで注文していた。両方割と出た本なのだろう、別に高くもなく、500円以下で手に入る本だった。表紙を付け替えたりして、遊ぶのもいいなとか、きれいなカバーをかけるのもいいなあとか、そういうことを考えていた。届いた「小公子」の包みを見てみたら、なんと中身に入っていたのが、旺文社文庫、岡上鈴江さん訳の(これは小公子、秘密の花園もそう)619-2、「小公女」ではありませんか!

えー。あったんだ?初めて見た…。ぱらぱらっと見てみると、うーん、微妙。すでに川端康成訳に慣れている私には違和感がある。
でもこれ…。ネットにもあまり情報が出てこない、珍しい本のような気がする。

 小公女はこの版じゃなくていい。それに、小公子はこのままにしておくと来ないじゃないか…。というわけでアマゾンに連絡を取り、本が違っていた、と書いて送ると、あっという間に返金。
 まあ、そこまではいい。でも、出品者に連絡を取って数日たっても連絡がこない。もう返金したからいいだろうと思われているんだろうか。この本どうするのよ。

 読まない本なんか、あってもしょうがない。これが、私の方の都合でいらないというなら送料はこっち持ちで送り返すことになっているらしいのだが、この不都合は相手方のものだ。商品間違いなんだもの。

 しかし連絡がない。返金したらもう好きに始末しろってことなのか…しかしそれもネコババみたいで気持ち悪いじゃないか…。
 叩き捨てるにはちょっとなあ。この本が、この訳が懐かしい人がいるかもしれない。私だって小公子を、秘密の花園を読むならこの人の訳がいい、と思っているわけだし。そう思うと捨てられない。 


 

 連絡を待ちくたびれて、表紙の写真まで撮っちゃったよ(それでもってブログにあげるわけだけど)。
 とか思っているうちに待っているのが面倒になってきたので、ネットで返送先を検索して、送り返しちゃうことに決めた。多分送り返さなくてもいいんだろう。あっちも多分送料をお店で持ったら赤字…ぐらいの値段とみた。
でも私の気分の問題なんだし、まあ、いいや。

 料金は定型外で250円。ま、ブログの記事にはなったし、見慣れない訳の版をさらっと読めたしいいことにしておこう。
 プチプチの封筒に入って、本は帰っていく。

 どこかに、この本をかわいがってくれる人がいますように。
 小公子は、違う古本屋さんに注文した。

「農場にくらして」 復刊

 

今年、見られない場合は画像のリンク切れです【岩波少年文庫は70周年】だそうだ。
 子どもの頃から岩波少年文庫にはさんざんお世話になった。どれだけ読んだことか数えきれない。ハードカバーの本ほどは高くなく、なおかつ名作ぞろい。今でも大好きな本がたくさんある。
 プーさん、長靴下のピッピ、メアリーポピンズ、ふたりのロッテ、ドリトル先生、ナルニア物語、借りぐらしの小人たち、ツバメ号とアマゾン号のシリーズ。かなり完訳版が多かったし、抄訳でも、それを感じさせない訳が多かった。

 いつの間にか、あれ?少年文庫に入ってたの?という本だった1冊が、この本、「農場にくらして」。
このアリソン・アトリーさんは実は絵本の「グレイラビットシリーズ」の方が有名なのだけれど、「時の旅人」と「農場にくらして」はターゲット層はもっと上の方。
 「時の旅人」はティーン向けでフィクション。タイムトラベル物の傑作で、イギリスの、いや、ブリテンの昔の雰囲気がとてもいい。実はこれは英語版のほうが読んだのが先で、渡米したときに読んだ。そのあと「農場に暮らして」も英語で読んだ。ミス・リードの「村の生活」を英語で買った時に「これを買った人はこれも見ています」の欄で見て、手に入れた。

 故に英語版はあるんだけど、日本語版がない。買おうと思ったらびっくりの岩波少年で、ついでに買おうと思った時には絶版品切れ、高騰していた。さすがに図書館では読めたものの、ほしいなあ…と思って早何年。(ちなみに2000年刊行だった)

 岩波書店の本は、他の出版社の本と違うところがある。
 それは、本屋さんで買い取りにする方式だ、ということ。

 ほかの出版社の本は、本屋さんにあるのはあるのだけれども、その本はいつでも返品出来る。つまり置き場所が本屋さんなだけで、本の持ち主は売れるまでは出版社さんだ、と考えたほうがわかりやすい。でも、岩波書店の本は本屋さんが買い取って、お客さんに売る、他の商品と同じ方式になっているのだ…ということを教えてくれたのは誰だったかなあ。
 多分、高校の時の国語の先生だったと思う。

 そんなわけで岩波書店の本は田舎の本屋さんが、売れなかったら損になるから置かないらしいという話だった。
 私はその話を聞いてはじめて、なぜ岩波少年文庫や、岩波文庫は近所の小さい本屋さんにはなく、一番近くても電車の乗換駅があるところまでいかないとダメなのか…ということがわかったのだった。

 品数を置かない本屋さんが多いということで、そうなると売り切れが早いことが多い。
 岩波書店の本はよっぽどの本でないと、見たら瞬間、捕まえておかないと逃げられてしまう、私的にはそういう感じなのだ。
 
 復刊した7冊全部そろえるのに苦労したファージョンの全集、そろえたときにはなぜか背表紙がきれいにそろわなかったゲド戦記。下巻だけ手に入って上巻がなんとしても見つからず、繁華街の本屋をはしごする羽目になったのもあったっけ…。

 少年文庫70周年記念復刊の記事を見つけたのが10月13日、復刊予定日は15日。(これを書いているのは17日)。
 絶対早めにいく!と決心して、土曜日の朝から本屋さんへ行った。
 確かこの本屋さんは児童書に力をいれていたはずだ。

 そう思って行ったら売り場にはなかった。ありゃ…だめかな。
 昔ならここでほかの本屋にいくか…と思っただろうが、そこは年齢とともに図々しくなっているので、レジの人に、岩波文庫の70周年記念復刊の本はありますか、と聞いてみた。

 ちゃんとスマホで岩波文庫の特設ページを見せてである。
 うーん、便利!こういうことが出来ると「そんなの、ありましたっけ」とか言われなくてすむ。
 エプロンかけたおじさんだったのだが、「ちょっと、見てきます」とバックヤードへ行って、そのあとニコニコしながら「ありましたよ!」と持って出てきてくれた。

 おお!じゃあ、これください。と見せてもらった本からこの「農場にくらして」を買うのに成功。
 この本には特別なカバーがついているということだったが、思ったよりずっときれいな、箔押しできらきらする飾りのついたカバーだった。カバーが普通のと2枚重ねになっている。

 おお、両方ついているとは、サービスがいい。ほかの岩波文庫と並べたとき、きれいに見えるほうがいいという人も多いだろうし、かといって特装版カバーがいい人もあるだろうから、両方というのはいいアイディアだ。
 ひとしきり喜んでから、ゆっくり読んだ。

 これを読むと、田舎の農場に遊びに行ったような気分になる。キッチンが家の中心にあるような農家で、暖炉があって、井戸もあって、羊や、牛がいて…。自分では想像できないような細かいことまで描写してあるから、いつだって楽しめる旅行みたいな本。

 ちょっと嫌な想像ではあるが、またコロナで自粛になってしまう冬が来るとしたら、この本はいいのではないかな、なんて。
 こういうものはたくさん用意しておこう。あって困るものでなし、冬の夜長にちょうどいい本なのは確かなんだから。
 次は「氷の花たば」が復刊しないかなあ。「西風のくれた鍵」のほうはあるんだけど。なんなら電子版でもいいんだけどなあ。

 家事のコツ本

いつも読みに行っているぢょん・でんばあさんのブログのコメントで、妹尾河童さんのイラストが好きだと言ったら、おすすめされたのがこの人の本。

 全然知らなかったのだが、この本の作者さんは妹尾河童さんの奥様らしい。旧姓で出版されたら全然わかんないよねえ。確かに挿絵は妹尾河童さんであった。
 1980年代に書かれた本のようで、もちろん私なんか足元にも及ばないほど、家事に手をかけている様子がうかがえたが、それでも手抜きだ、面倒がりだと書かれている。うちの母と同世代、かなあ。
 
 一つ、なんとなく親近感を覚えたのが、カバンに「いざというとき持っていると便利だから」と、バンドエイドとか、ストッキングとか、こまごましたものを40品目近く、入れている話。
 私も旅行の時にはこういう感じになってしまうし、平日はなるべく減らしてはいるが気をつけないとつい、カバンがいっぱいになって、かといって使ったかというと3か月手つかず…ということになる。

 人のふり見て…ではないが、確かにその品目の中には多分今なら入れておかないものもあったのは時代だろう。
 コンビニがないところまで滅多にいかない場合は要らない項目が増えている。「どこででも、すぐ買えるもの」という品目が増えているということだ。

 あとは、家族全員がスマホを持ち歩く場合、ということに限るけれども、家族間の連絡が付きやすくなっているということも本を読んで実感。この表紙の絵は「メモスタンド」。今はお互い、家にいるはずの時間に出かけてすれ違う時はLINEで連絡しておけば大丈夫だからね。

 あと、メモ用紙とか、スケジュール確認とか、地図関連も大体スマホで行けることを思えば、確かにこれは今はな、と思う項目もあった。
でも、「いざというときのメモ」として、身内が亡くなったときに何を詰めて持っていくか、というメモがいつもは見えないところに用意してあるというのはいいと思った。緊急時はどうしたって、あたふたするものだものね。
 
 入院用パックの用意は、確かに…。出産前にはやっておいたが、年齢が行ってくるとか、持病があるとかだと確かにいいだろう。
 この人は絶対、ボーイスカウトみたいな人だ。つまり「備えよ常に」タイプ。

 私もつい、そういうことを考えては夫に苦笑されているが、なんだかしっくりくる話が多くて面白かった。
 そして台所改造の話は、すごーく面白かった。

 家で人なんかもてなさない私だから、別に今の状態で問題があるわけではない。でも、ネットで見るような、おしゃれすぎて落ち着かないような改造例や、インテリア雑誌の受け売りみたいな改造案より、ずっと「これはやってみたい」と思うものだった。
やらないと思うけど…でもいいなあ。

 特にキッチンの電化製品用に、コンセントが6個ついているのがすごくいい。これだけでも、やってもいいかも。
 家にコンセントが少ないのは確かに不満だ。

 タブレットとか、スマホとか、キンドルとか、ゲーム機とか、うちには充電が必要なものが多い。
 テーブルタップとか、USBがずらっとついたやつでなんとかしているけれど、もうちょっと…例えば壁にあるコンセントが2つじゃなくて4つだったらいいのに、と思うことはある。6個あっても絶対多すぎにはならない。

 一戸建ての改善案はよくきくけど、この人はマンションにお住まいだそうなので、「こういうこともできるかも」の参考になった。
 
 

天声人語の電子化

 こないだまで電子化していなかった【深代惇郎の天声人語】が、ふと見ると電子化していた。この間これが読みたくてチェックしたときは電子化していなかったから、最近のことだと思う。
 これはうれしい。これは私が高校生の頃、国語の先生が「名文といえばこれだろう」と貸してくれた本だった。
 この人が活躍したころのことが全部ぴんとくるわけではないのだけれども、字数をあわせてぴったりに文章を書く中で、こうまではなかなか書けないだろうと感心したのを覚えている。

 この本を読んだ後はそれまでにも増して天声人語のようなコラムを読むようになったし、国語の時間に作文をかくときは話題転換が原稿用紙の最初に来るように…つまり400字ごとに区切ったりとかして、ちょっとおバカなことをやった気がする。

 1974年6月12日の天声人語で、(以下青文字引用)
「朝夕一時雨、日中くもり、晴れ間もあるでしょう」と、何でも少しずつある幕の内弁当のような予報がつづくのかもしれぬ。
……と、梅雨入り後の天気予報のことを書いていた。梅雨入りの話題だったのだけれど、こういう天気予報は、最近は聞かないなあ…と思った。

 息子の小学校の国語の教科書に、天気予報がどう発達してきたか、今では国際間の協力により、気象衛星のデータが交換されていて予報の精度が上がっている…というような説明文が載っていたので、なんとなく天気予報が正確に細かくなった経緯は知っている。
 
 なるほど、こういう変化が多分、時間がたつとわからなくなるのだなあ…としみじみ。
 今の私たちがスマホで見る🌞☁☂こういうようなマークが1時間ごとの枠に並んだ天気予報が当たり前になると、天気予報を朝のテレビやラジオでチェックして、的中率がひいき目に見積もっても8割ぐらいだった、なんて想像がつかなくなるだろう。
 
 この本を今読むと、政治経済や、時事ネタがわからない。わからないなりに面白くはあるのだけれど、時々パロディ的にひねった…つまり当時読んでいる人にはわかった嘘とか、風刺で正反対のことが書いてあったりする回もあったりするので、だーーーーっ。ってなる。
 テーマ別にわけてくれているので、自然とかのわかりやすいところだけ読んでもいいんだけど。


あと、手元にあるのがこれ。
 この人は深代さんのすぐ後に天声人語を担当した人。私が新聞を読み始めたころには、この人が担当だったので、一番熱心に読んだし、切り取ってノートに貼ったりしたのもあった。スクラップブックというのは自分で作るお気に入りの文章ばっかりの本…という感じがして楽しかったけど、あれ、どこへやったんだろう。新聞の日曜版のマンガを貼ったり、コラムや、広告までものによっては取っておいたような、ごちゃごちゃした大学ノート。

 「天声人語の本」とかで検索をかけると、朝日新聞が特集しているサイトが検索結果に出るようになっているようなのだけれど、今は天声人語を写すのにちょうどいいノートが売られているらしい。普通に写す用と、学習用、脳トレ用と美文字用、子供用があるのだとかいてあったけれど、いや、写す用と学習用はわかる。多分学校で解説とかされたり、要点だとかメモとかを書く欄がついているのだろう。でも脳トレ用ってどこが違うの?やっぱり老眼用で文字サイズが大きく…とか?美文字用は多分、升目に十文字の線が入っているとかか。

 手書きが面倒で嫌いなので自分では書き写すのはやらないと思うけど、季節の自然の色々を書いた文章の、短くて美しいのを読むのは楽しいので、この本も好きだ。
 この朝日文庫の深代淳朗さんの天声人語は、正、続、最後の、と3冊、エッセイ集も電子化していた。
 ついでに辰濃さんのも電子化する望みが出てきたのでうれしい。

懐かしい紙

図書館の書庫から出して貸してもらう本が増えたのは、昔読んだ本をまた、読もうかと思ったから。
 特に外国の本で、訳が今のじゃなくて昔のが…とか、今はちょっともう時代に合わないとか、そういう本を読もうと思うと断然書庫の本が多くなる。

 この紙、久しぶりに見た。
 これは私がこの町に来た時10年ぐらい前にはまだ現役だった。
 転勤が多かった頃に、こういうのをはさんでくれる図書館のある街に住んだことも何回かある。

 今は、本を借り出した時に、自分の図書カードのIDのバーコードを機械に読ませると横のミニサイズのプリンタがそのIDで借りている本のリストをぺっ!と出すので、このしおりは廃止になっている。
 今の紙はお店のレシートみたいな紙で、あんまり風情がないし、1冊ごとにはさんであるわけでもないのであんまりしおりには使っていない。

 96年だって。ずいぶん昔だ。えーっと24年前だ。こうやって数字を書くとすごいな!
 この本、24年前から借りられてなかったのか…。あとで借りた人がはさんだまま戻しただけかもしれないけど。
 
 バンバン!と日付印をこの紙に押して、ササっとはさんでくれたのを覚えている。
 ここしばらくキンドル本しか読んでいなかったけれど、紙の本も読むようになったことだし、こういう短冊状の紙をまとめて切ってもいいかなあ。これそっくりに作るの。日付印も100均のやつ押したりして。

 馬鹿っぽいけどちょっとやりたくなった。

司馬遼太郎のエッセイを読む

 ふと読みたくなった、子どもの頃に好きだった本の、どの訳がいいか…というようなことを探るために図書館に行って読み比べていたのだが、ちょっと図書館をうろついて、子ども向けではない本も見に行った。

 最初は赤毛のアンを書いたモンゴメリの本を探しに行った。子ども向けの「赤毛のアン」の抄訳はともかくも、ほかの作品は割と英米文学のあたりにあることが多い。
 モンゴメリだとか、トールキンの解説本だとか、割と好みの感じのものがあったので、それを見てから、ふと向かい側の棚もチェック。
 そこは「全集」の棚だった。
 何分野かはともかくも、全集というのは大体そこにあるっぽい。
 普段はあんまりこない棚だ。古典の名作全集の古いやつは、確かに中高生の時読むものがない時には読んだが、文豪の全集の古いのはエンターテイメントというにはちょっとしり込みする感じで、中高生の時もこう、三国志とか水滸伝とか西遊記とかの中国名作全集ならともかく、国語の教科書で名前を覚えることになるような人の全集はあんまり辛抱強く読めなかった。

 とはいえ、ここの図書館の「全集」は、文豪ではなくて大衆小説寄りだった。目をひいたのが、「司馬遼太郎が考えたこと」という、かなり厚手のハードカバー。15巻もので、全巻そろっている。
 司馬遼太郎の作品は確かに読んだことがある。「坂の上の雲」とか「竜馬がゆく」とかそういう感じの。高校生の時に図書室の文庫本で読破した覚えがある。この人の本が面白いのは知っていたが、手に入れなかったのはつまり…長編が多くて古本があまりそろって出てこない人気作家だったから。

 お金がないと揃えられないタイプっていうの?長編というのは途中の1冊だけあっても、そんなに面白くない。ブックオフとアマゾンとメルカリがない時代にはなかなか…。それに多すぎてどこから取り掛かればいいのかわからないぐらいあった。
 今ならネットで、ファンの作ったサイトなんか見て特に評判が高いものとか、好みに合いそうなものをさぐるとか、そうでなくともアマゾンで作家別に人気順で並べればどれが代表作かなんて一目瞭然にわかるとか、いろいろやりようがあるが、当時はどうしようもなく。

 気が付いたらあんまり読まないまま時間がたった。
 今、ここにどーんと全集がそろっているのだから、試そうか。そう思って1冊目を借りてきた。
 1953から、1961、戦後8年たったころから、高度成長期のあたりまでのエッセイ集だった。

 いろいろな新聞や、雑誌、その世界の人しか読まない雑誌とかに載った短文だったけれど、どれも面白い。
 中で紹介されている人、物、こと、場所。どれも興味を持たせるように書かれていて、何度か読書を中断してパソコンで検索をかけて詳しい情報を読むことになった。

 昭和の時代、それも20年代のものでも今日の新聞の天声人語のようなコラム欄に載っていてもおかしくないような筆致で感心すると同時に、やっぱり新聞のコラムにはスタイルというものがあるのだなあ、と思った。この人はこの1巻のころは新聞社の記者さんをしている。この本の途中で直木賞をとって、作家さんにもなったらしいけれど、この全集の感じからいくとずっとこういう短文も書いたのだろう。

 厚みがあるので読むのに時間がかかるけれどこんなに楽しめるとは。途中であんまり主義主張が私と相容れないとなったらやめるかもしれないけれど、一般誌向けに書かれたものなら多分行けるし、全部読めるかやってみる。一日1冊はちょっと無理だな。2、3日はかかりそうな厚さだし。
 時々、私信文が短文の間に挟まっていることがある。はがきとか数行のことも。でも、やっぱり文章がうまいということがわかる。
 
 かっこいいなあ。引っ越しはがきで、数行でもなんでこんなにいいんだろう。
 
 そういえば、「街道をゆく」というのを新聞連載していたのはこの人だったよね?
  うちの父はこれを読むのが好きで、朝日新聞をとっていた。私も新聞が読めるようになった小学校高学年の頃から読んだ。

 もしかして、まとめて読めるんでは?
 調べてみたら、「街道をゆく」は文庫本43冊の超大作だった。うわあ…。
 これは、もう取り掛かった方が絶対いい。もたもたしていると寿命のほうが先に来そうな勢いだ。

 少女小説と、司馬遼太郎?変な組み合わせだけれどしょうがない。しばらく読もう。

時代のわかる本

いつも楽しみに読んでいるぢょん・でんばあさんの日記に【幸田文さんのことをかいた記事】があった。
 なかなかに興味深かったのだが、そういう話は全然しらなかった、書いてある本は読んでみたい、とコメントしたら、ぢょんさんが本の題名を教えてくださったので、今回図書館から借りてきて読むことにした。

 畳用のクイックルワイパーシートだの、静電気でほこりを引き寄せる便利ハタキだのがないころはこういうelbow waxと気働きで掃除をしなければいけなかったのだろうと思うと、大変だったのだろうなあ…としみじみ。そりゃね…季節ごとにすだれだの座布団だの、家のしつらえまで変えたとか?聞いたことはあった。屏風とか火鉢とかが現役の時代で、うちの母には覚えがあるそうだ。

 そういう時代だと鰹節は自分の家であの固い塊から削り出すのだし、着物はお店に出すのでないなら…特に木綿のなら自分の家でほどいて洗って板に貼って干す話とかも聞いたことはある。着物の衿は自分でちょちょっとくっつけておくものであって、しょっちゅう、なんなら毎日付け替えろぐらいのノリなのだから、そんなことは手が早くて当たり前みたいな世界。

 しみじみ無理だと思う。
 まあ、普段着はさっさとほどいて洗うことを思えば三寸に三針、五分にひと針で十分、とも言われていたとこの本にはあったが(つまり大体3センチに3針、1センチ半に1針ってことは相当ざっくざくだけど)そういう問題ではない。まず面倒と思わずにそこで毎日襟を付け替えるとか、着物をほどいて洗って張ってから縫いなおすとか、そういうことに手間をかけ、心を配るのが難しいのだ。私だったらたとえば3日たっても汚れがそれほど見えなければ1週間、そのままにしてしまいそう。
 どれだけ「さあ、始めよう」というのに馬力がいることか…。
 
 7月から布をカットしたところで力尽きているマスクの山を見ている私としては、昔に生まれなくてよかったとしか言いようがない。
 
 この本の作者さんが娘時代に、お父さんから叱られたときにも、それを聞き、直そうとするそれがまた、昔の…つまり親の言うことを聞け、と言われて社会習慣から世間の評判まで全部そういう雰囲気で育ってきた人なのだと思うと、当たり前と思って育ってきただろうけれど、大変だっただろうと思う。

 うちの祖母は大正の最後の年の生まれで、この人と重なる時代があったはずだ。祖母は継母に大変厳しくしつけられて、それが嫌でうちの母はきれいさっぱり甘やかして、何もさせなかったそうだ。そんなわけでこの時代のしつけというものはしずくほども残らず断絶してしまい、私のところへは届かなかったから、この本の中身は全くのよそ事だ。

 こんなのが当時の「ちゃんとしたおうちのお嬢さん」のしつけなのなら、そりゃ子どもによっては嫌になるだろうし、泣くだろうと思う。鬼コーチなだけならまだしも、察しろ考えろ、出来ても大っぴらにほめてはくれない、当たり前ぐらいの扱い。自分の子にはそんなしつけをしないでおこうと思うのも、無理ないと思う。これはお父さんは存じ上げないが、その鬼コーチについていった作者さんがすごいと思う。

 うちの母は私たち姉妹の友達のお母さんが教えてくれるようなことを知らないことが多かった。うっかりそういうことが露見したときは機嫌が悪く、ずいぶん怒ったりしたので私と姉は「おばあちゃんも、あんなに甘やかさなければもうちょっと…」などと二人で話したりしたものだ。今から思えば多分母には甘やかされて、出来ないことが多い自分に自覚があっただろうし、きまりが悪かっただけかも、とわかるのだけれども。

 この本でそんな時代のことを垣間見て、当時の話をしてくれた祖母のことが…もうなくなってしまって何年も経つのだけれども…なぜ、そうしたのかがわかる気がした。
 

アルプスの少女ハイジ祭り

 若草物語を選んで、2、3種類読んだあと、こういう少女小説のことを書いたムック本を図書館で借りた。
 いろいろ載っていたが、ふと、アルプスの少女ハイジが読みたくなった。

 あれはアニメもいいんだよねえ…。私が小学生の頃、夏休みに再放送をしていたり、日曜日じゃない日の夕方に再放送があったりで、何度か見た覚えがある。テレビを見すぎるとうるさかった母も、ハイジのアニメは好きだったのでこれにはあんまり文句が出なかったし、田舎の放送局はコンテンツが少ないから、再放送が多かった。

 次の回で外に出て猫ひろってくるんだよね、とか、次の回でクララが立つんだよ、とかもう大体覚えるぐらい見た。うちの母はこのアニメの影響でスイスの山の上の花畑をわざわざ見に行ったぐらいだ。

 図書館の本棚にあったやつをひっつかんで帰ってきた。
 まずは偕成社文庫の若松宣子さん訳。表紙絵がかわいい。このイラストレーターは「詩とメルヘン」(やなせたかしさんが責任編集していた雑誌)でデビューした人だった。

 スラっと読めて、問題なしの訳だった。前にもっと古い感じの訳で読んだと思ったけど、どれだったかなあ。角川文庫のは調べてみると 関 泰祐さんと阿部 賀隆さんの共訳らしい。中学生から20代まで持っていたので一番回数を読んだのはこれだろう。
 「と思うの」が「ともうの」みたいに書かれている訳のがあった気がするけど、あれは誰のだったんだろう…。

 岩波少年文庫の昔のは竹山道雄さん訳。多分これ…かなあ。
 今の岩波少年文庫は上田 真而子さんで、この人はエンデのシリーズを訳している人だよね、定評がある。
 あとは学校にあった福音館名作全集の矢川澄子さん訳。学校だけでなく、これのない図書館は見たことないから、多分この市の図書館にもあるだろう。

 岩波文庫は 野上 弥生子さんで、日本の訳で古いのは大体これだそう。そこまでは古くない気が…
 新潮文庫は植田 敏郎さんで、確かこの人はケストナーとかを訳していた。私が子どもだった頃によく見た訳者さんだ。

 んー。電子版は岩波少年の上田さんの訳と、偕成社の若松さん訳か…。
 まずは読むか。この際だから、と図書館に予約をして、棚になかった岩波の古いのと福音館のハードカバーを借りることにした。
 

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若草物語の訳を選ぶ

 若草物語、英語では【Little Women】
 

私が最初に読んだのは画像のこれ。調べて、立原えりかさん訳だったのを知ってびっくりした。立原えりかさんはファンタジー作家で、私はこの人のファンタジーの本を何冊か持っている。こういう仕事もなさっていたのね。
 
 これはお向かいのおうちのお姉さんのおさがりでうちへ回ってきたもので、かなりの抄訳。字が大きくて、私がちょうど一年生に上がるかどうかというあたりで読んだ、小学校低学年向きだ。
 クリームとマフィン(それとも訳は軽焼きパン、だったかな?)、ピンクと白のアイスクリームがとっても美味しそうなクリスマスの朝、おじいさんに渡す三色すみれが刺繍されたうわばき、エイミーのリボン。私の初めての若草物語はやさしく、かわいらしく、物語のいいところだけをまとめた花束みたいな本だった。

 これを相当回数読み返して、その後も図書館で各種手あたり次第に読んだ。抄訳が多かった。
集英社のマーガレット文庫の槙本ナナ子さん訳
ピンクの表紙の岩崎書店、白木茂さん訳
ポプラ社文庫の宮脇紀夫さん訳
鶴書房の堀寿子さん訳
ポプラ社のハードカバーの松本恵子さん訳
学校の図書館にあったのは野上彰さん訳で調べたらポプラ社。
どれだけ出してるんだ、ポプラ社。今軽く調べただけでも見覚えがある本がたくさんネットに出てきた。

 子どもむけの世界の名作でこれが入っていないのはあんまり見ない。ふと読みたくなったら図書館で借りるのがとても簡単な本だということだ。小さな町の、これまた小さくて本があんまりそろっていない図書館にも何冊もあった。結局大人になって自分で手に入れたのは新潮文庫で表紙から行くと松本恵子さん訳。
 ただし大人になってから続編と合わせて手に入れたのは角川の「マイ・ディア文庫」、訳は吉田勝江さん。
…ってことは、アマゾンで買えると思って、チェックして最初のほうだけ読んでみた。


"You don't have half such a hard time as I do," said Jo. "How would you like to be shut up for hours with a nervous, fussy old lady, who keeps you trotting, is never satisfied, and worries you till you're ready to fly out the window or cry?"
 下線部が「窓から逃げ出すか、横ッつらでもはりつけてやりたいくらいいやになるよ」
と訳されている。つまり窓から飛び出して逃げたくなったり、相手の顔をぴしゃりとやりたくなるぐらい、いらいらするような相手だと言っているわけだ。

 これね?fly out the window <ここのとこが、窓から飛び出したくなるところ。
 実はひっぱたきたくなるという描写がどこにもないのだ。cryのところはまあ「叫びたくなる」か「わめきたくなる」か、「大声を出す」か。そのあたりだろう。気の弱い人なら「泣く」も入るのか?

 光文社古典名作文庫の麻生九美さん訳は「まどから飛び出すか、わめきちらしてやろうかと思うくらい」。
 岩波少年文庫の海都洋子さん訳は「窓から飛び出そうとか、横っ面をひっぱたいてやりたいって思うくらい」
 アマゾンで無料の水谷まさるさん訳は「いっそのこと窓からとびだそうか、それともおばあさんの横っ面をはりとばしてやろうか」
 KindleUnlimitedの恩地三保子さん訳は「窓からとびだすか、思いっきりわめきたくなるんだから」
抄訳の児童向けが多い谷口由美子さん訳は「窓から飛びだして逃げたくなる」
 講談社文庫の中山知子さん訳は「しまいには窓からとびだしたくなっちゃうから」
 同じく講談社文庫の掛川恭子さん訳は「窓から飛び出すか、わめきちらしてやりたくなっちゃう」
 
 もしかしたらどこかに「底本」となるべき「ひっぱたきたくなる」訳の本があるのかもしれない。
 こうして訳者さんをみていると、見覚えがある名前が多い。

 谷口由美子さんは青い鳥文庫とかのジュニア向け文庫で活躍している人で、抄訳版を手掛けていることが多い印象がある。私も名作で小型の本が欲しい時にこの人の訳したジュニア向けを買ったことがある。
 掛川恭子さんは割と全訳のことが多い印象があるなあ。年齢が高学年からティーン向けの版に多い気が。講談社の訳が2つあるのは多分年齢で版を分けていたころの名残りなのだろう。掛川さんの訳は私好みの翻訳が多い。

 あと、恩地三保子さんは、福音館の「大草原の小さな家」の5巻シリーズを訳していた人だ。元の本は1966年の旺文社文庫らしい。
 旺文社文庫の子ども向け名作は何冊か持っていたが、どれも好みの訳だったし、意外とこれもいいかも?ただ、読み進めると、ベスのことをお父さんが「平安嬢」と呼んでいる、という記述で一瞬、十二単の百人一首の絵みたいなお姫様が浮かんじゃうのがちょっとなあ、となるけど。

 ちなみに原文はこれ。
 Her father called her 'Little Miss Tranquility',
 抄訳版ではすっかり抜けていることが多い。私が覚えている訳では「ちいさな静かさん」と呼ばれていたが、谷口さん訳では「おだやかさん」、掛川さん訳、麻生さん訳では「しずかちゃん」で、海都さん訳は「静かちゃん」。そして角川の吉田さん訳は「静姫ちゃん」。
 
 どこの図書館にもある福音館のハードカバーの訳は、矢川澄子さん。割と定評のある訳者さんなので、この人の訳がどうなっているか図書館でチェックしよう。

 でもこれ、最初の巻はいいんだけど、あと3冊あって、特に3巻4巻は今買える電子書籍というと角川一択?
一応抄訳のジュニア向けもあるみたいだけど、全訳を読みたいなら角川しかない。名作アニメ劇場に「ナンとジョー先生」として出てきたときに(これが第3若草物語)出版された本がちょっとあるぐらいで、紙の本もかなり少ない。

 …ってことはやっぱりもう、角川の4冊セットにしておいた方が訳の感じがそろっていいのかなあ。
 文句を言うなら英文を読め、ってことか。 

しかし一冊目はこれだけいっぱい出ているのに続編がここまで出ていないのも珍しい。それだけ一冊目がそれだけで完成しているということもあるし、三冊目、四冊目には一作目の登場人物が脇役としてしか出てこないことを考えると、もう別の話としてもいいぐらいだから人気がないのかもしれないけれども。

 何冊も最初のほうだけ読んだら、猛烈に続きが読みたくなったので、持っている訳で読んでしまおう。確かに一番面白いのは1冊目なんだよね。
 家がとっても広かったらなあ。こういう図書室を作って、大型本をぎっちり詰めておくのに。マンション住まいだとどうしたって電子書籍限定になるのが惜しいところだ。



***************
図書館に行って、海都さん訳の岩波少年文庫を借りて読んでからあとがきを読んで発覚したのは、オルコット本人がまだ生きているうちに、編集者に「表現がきついから」と言われたところを改稿したところがあったらしい。
 なるほど…。張り倒したくなる話はそれでなくなったんだな、きっと。

 オリジナル版と、現在流通している版が違って、どちらを底本にしているかで違うとみたね。
 謎が解けてスッキリした。
 
 割と古風な感じの訳がいいような気もするし。
 ちなみに頼りにしていた福音館の古典童話は普通に棚に入っている本ではなかった。閉まるギリギリの時間だったので帰ってきちゃったので、家から予約して取りに行くことにしよう。

少女小説とマイディア文庫

昨日の日記を書いてから、「若草物語」の訳をサンプルをキンドルに送って比べながら思った。
 私確か、「第三若草物語」と「第四若草物語」とか持ってなかったっけ?

 赤と白のギンガムチェックのカバーのかわいい本で、私はその柄の角川文庫の少女小説を一冊残らず持っていたはずだ。なぜなら、私はそのセット本が発売されたときに付属の箱ごと、当時付き合っていた人にそれをプレゼントしてもらったからだ。ありていに言えば買わせた、ともいう。

 最初に氷室冴子さんの解説本と一緒にどーんと15冊ぐらい出て(本を並べて置けるぴったりの箱付き)、そのあと数冊出たと思う。背表紙もきれいにそろっていて、表紙には題名と作者が楕円形の中に書かれている絵のないもので、並べるときれいにそろって見える本だった。
 当時絶版になっていて、手元にあったのが日に焼けてぼろぼろの古本だった「ライラックの木の下で」とか、「昔気質の一少女」とかが新しい本になったのがうれしかった。

…んだけど。今一冊も残ってない。
 
 と考えて思い出した。そうだよ、買ってくれた人に別れを切り出されて、つまりフラれたとき、もらったプレゼントだのなんだのを全部突っ返したり、捨てたり、返さなくていいと言われたものでほしい人があったものは誰かにあげたりして始末したんだっけ。
 
 あの当時はすごくショックで、一生忘れられないひどい話だと思ったものだけれど、そんなことをしていたのをすっかり忘れていた。年月が経ったってことだね。
 今また探してみたら、かなりの本がまた絶版。うーん…。「八人のいとこ」とか「花ざかりのローズ」とか、割といい話だと思うのだけれど、多分ポプラ社文庫とか、青い鳥文庫とか、福音館文庫とか、岩波少年文庫とかでそこらあたりの名作少女小説はカバーされていて大人向けの文庫本は需要が少ないとかそういうことなんだろうな。
 
 ネットで見てみたら結構いいお値段で定価より高く売られているものが多かった。あの時我慢しておいておけば、高く売れたかもなあ…。いや、今更だけど。

 このシリーズに入っていた村岡花子さん訳の「リンバロストの乙女」「そばかすの少年」は、村岡花子さんが朝ドラになったときに河出文庫から出版になった、とアマゾンのレビューに情報があった。こういうのを書いてくれる人はありがたいよね。

 村岡花子さん率と、オルコット率の高いセットだったけど、電子版がいろいろあるといい。
 もう一回リストにして自分のキンドルのコンテンツと比べてみたら、英語版だったら全部そろっていた。そうなるよね…。
 英語で頑張って読むようにしたらいいだけなのかもしれないけどね!(安いのも多いし。高いのはミス・リードのシリーズぐらい)

 そうだなあ…。この本を最初プレゼントしてもらった時、私は英語で楽しくこういう本が読めるほど英語力がなかった。結婚してから渡米して、何年かアメリカにいる間に勉強して読めるようになったのだ。
 いろいろと、当時とは変わっていることがあるってことだ。

 そばかすの少年と、リンバロストの乙女を上下巻で2500円。電子版だから売り切れるとかはないと思うけど…。
 どうしようかなあ。もうちょっと悩もう。角川文庫はもっと安かったのになあ。

自分の名作全集をそろえる

こういう感じの本が、お誕生日に買ってもらえる本だったのは4,5歳の頃だった。
 お隣の家にはこのシリーズのほか、当時は珍しかった知育絵本のチャイクロとか、ディズニーのアニメ映画の絵がついた名作全集だとか、「イギリスのおはなし」「フランスのおはなし」「ドイツのおはなし」なんていう題名のついた幼年向けのきれいな絵がついたおはなし全集みたいなのとかがどっさりあったのだが、私のうちではこういうものはセットでは買えなかった。時々1冊ずつで、何冊かあったな…程度。
 
 お隣のおばちゃんはよくぞあんな高そうなセット本を隣の子に読ませてくれたと思う。百科事典とかとならんでそういう小さい子供向けの本がどっさりあったのはなかなかすごかった。私がそれを読んだ年齢は幼稚園ぐらいまでで、そのあとは「遠慮」というものを覚えたので遊びに行って読みふけるわけにはいかなくなったが、文学全集へのあこがれは多分そのころ、培われたのだと思う。


 図書館で大体の本のニーズを満たしていた我が家だが、お年玉が1000円だけ使わせてもらえるようになったのが10歳ぐらい(残りは親が回収していた)、月のおこづかいは六年生で500円ぐらいだったと記憶している。学用品は買ってもらえたが、メモ帳だとか色ペンだとか鉛筆キャップだとか…というようなものは自分で買うことになっていたから、正直お小遣いは毎回足りなかった。本なんて数百円からするようなものはなかなか買えなかった。

 それでも、親戚の集まりで酔っ払って機嫌よくなったおじさんが買ってくれたり(親は嫌がったけど)、誕生日に買ってもらったり、お年玉でなんとか買ったりと、じりじりと文庫本の名作を集め続けた。
 
 ティッシュの箱の上を切って本を入れていっぱいになるぐらいはあっただろうか。
 「小公女」「あしながおじさん」「はるかなるわがラスカル」は角川文庫。「小公子」と「秘密の花園」は旺文社文庫で、「若草物語」は割と厚手の新潮文庫。「少女パレアナ」は近所の人からのもらいものの古い本だった。「アルプスの少女ハイジ」は近所の古本屋さんで買った映画の表紙の角川文庫で、紙がかなり茶色く焼けた本で、私よりも年を取っていた。

 「十五少年漂流記」は割ときれいな本だったが、80-という表記が裏のところに鉛筆書きされた古本で80円だったのだろう。
 「宝島」はカバーの取れた岩波文庫、30円だか、50円だかで「古道具屋」と言っていたが、今でいうリサイクルショップの段ボール箱出身だった。

 「フランダースの犬」はかなり薄い新潮文庫だったと思う。今調べたら村岡花子訳でびっくり。
 これは薄くて安かったから新品を自分で買った覚えがある。150円ぐらい?

 あとは現代教養文庫の古本だった「ガリバー旅行記」と、多分新潮だった「ロビンソン漂流記」が入っていた。「ギリシャ・ローマ神話」の本が入っていたのは、そういう福音館の子ども用全集が図書館にあったからだと思う。

 日曜日のアニメ名作劇場と、図書館にあった子ども用の世界名作全集をまぜこぜにしたようなラインナップだが、本人的には結構満足だった。本で大事なのは中身だからってね。
 カバーのない、古本屋出身本が多かったから、カバーは自分でおそろいを作ってかけたりして。

 出版社がバラバラなのは、田舎の本屋や古本屋で揃う本がそれだったというだけの理由。
 訳がイマイチだな、と思ったものもあったし、図書館で読んだハードカバーの本にはかなわないなあ、と思ったこともあったが、そんなことを気にするほどは、お金がなかった。
 ただし、「秘密の花園」と、「小公子」はどうしても30円本の訳が気に入らず、交通費を使って繁華街まで行って大型書店で各社見比べて買った。旺文社文庫は田舎のお店にはまずない。岩波文庫だってないぐらいだった。私の持ち物の岩波文庫は軒並み古本屋か、リサイクルショップのだった。

 なんともつつましやかな名作全集だった。でも図書館に行かなくても読める。いつでも手元においておけるというのが幸せで、何度読んだか…。とはいえ、宝島よりは十五少年…のほうをよく読んだ。好きなのとそうでないのはしっかりあった。
 ガリバーが実は割と風刺に富んでいて、「子ども」にはちょっとなあ。というような部分があることに驚いたり、ピーターパンがディズニー映画の「ピーターパンとウェンディ」ではなく、「ケンジントン公園のピーターパン」のほうで、結局ウェンディが出てくる方は文庫本には見つからなかった。(今は「ピーターパンとウェンディ」として買える。名作劇場でアニメ化したときに復刊したっぽい)

 結局一人暮らしをして、家を出るときまで何度も何度も読んだ。
 
 今そんなことを思い出したのは、ふと「日本語版でああいうお話が取っておきたい」と思ったから。
 私のキンドルに入っている電子書籍に、この手の名作はたいていあるのだが、英語ばっかり。日本語でこういうのをちょっと読みたいなあ…。
 
 そう思って昔の本が電子版になっていないか調べたらこれが結構難しい。絶版が多いのだ。旺文社文庫なんかレーベルごと全滅していた。もちろん福音館書店とかのハードカバーを買えば解決なんだろうけれども、場所を取るからねえ…。
 サンプルをキンドルに送って、中身の文章をチェックすると、意外と当時と同じ訳にあたらない。

 愛読した本だから、「読んでいたのと違う」のはわかっても、訳者まで覚えていないのが多い。ネットで画像検索して、表紙のカバーに覚えがあったり、「絶対角川だった」とかわかるものは出版年月日からある程度推測が出来るけれども、古本屋でカバーのない文庫本買った、ではもう、全然だ。

 他よりちょっと背が高かったから新潮かな、紐(しおりの)あったしな!とか、勘で探すのも結構難しい。
 おまけに平成の間に改訳しているものが多いし、「文庫」とかけただけだと「ポプラ社文庫」とか「青い鳥文庫」とか「岩波少年文庫」とかジュニア向けまで引っかかってきて時間がかかる。

 ある程度こだわりは捨てて、自分が気分良く読める訳を探そう。

源氏物語の解説本 吉屋信子

 この間【田辺聖子さんの源氏物語の解説本を読んだ日】からあと、ひとり源氏ブームがやってきて、ほかの解説書ないかな!と思って探し出して読んだのがこの本。

 底本が、谷崎潤一郎や、与謝野晶子が訳したときに使ったのと同じ「湖月抄」で、それをおばあちゃんが孫たちに話して聞かせる…という感じに書いてある。
 
 読み進めていくとわかった。これは一言で言うなら、「読む朝ドラ」だ。
 舞台は第二次世界大戦の末期からスタート。しゃきしゃきしたおばあさんの楓刀自と、三姉妹で、若くして戦地に夫があって消息不明の若奥様、長女の藤子、病弱でそんなに命が危ないほどでもないが療養中の次女の容子、高校生ぐらいの末っ子三女の鮎子と、近所に住むビジネスウーマンで商売はやり手ではあるものの、学がないのが残念と思っている未亡人の大貝夫人が登場人物。

 そのおばあさまが、源氏物語の「だいたいのところをわかりやすく」その4人に解説するのを一帖ずつ聞くのがドラマの1回ずつにあたる。一帖分終わったら、「今日はおしまい」ってなって、雑談をしたりする描写もあったり、行方がはっきりしなかった三姉妹の両親や、長女の夫の話なんかもだんだん分かって、大貝夫人の身の上なんかも少しずつ解き明かされていく。

 お茶を飲みながら解説するおばあちゃんに、「ええ?そんなのひどい!浮気者!」とか突っ込む高校生の鮎子ちゃんや、「今も昔も、女なんて大体そうなるんだから…」とあきれる大貝夫人が、またいい味を出していて、特にこの未亡人、源氏物語のことなんか全然知らなくて、おばあちゃんが持っていた写本が「紫式部の書いた原本」だと思ってしまうようなかわいいところがあって、全く古典なんかには明るくない人も、つられて話を聞いてしまうような、そういうお茶の間のドラマを見ているような気分になる面白い本だった。

 ただ、最後のほうが結構駆け足で、光源氏がなくなったところまでは結構ゆっくりだったのに、残りの宇治十帖は、講義を聞いていた容子ちゃんが取ったノートはこうなっている、というような感じで要点だけささっとなぞって終わりになっているので、そこは残念。
 
 第二次世界大戦直後というとかなり昔なので、そのあたりのことが現代の人にはわかりにくいところもあるが、平安時代よりはもちろんわかりやすい。底本が江戸時代のものらしいから、明治時代の人である楓おばあちゃんにはそれなりに読めたのだろうが、孫の三姉妹にはほとんどわからず、熱心にノートを取って見比べる容子ちゃんでも「なんとなくしか」わからなかったりする…と書かれているのがかわいい。
 
 「あさきゆめみし」のようなマンガが出る前どころか、現代語訳が与謝野訳か、谷崎訳しかなかった頃なら、この解説書はかなり一般向けでありがたかっただろうと思う。ちなみに初出は女性向けの雑誌の昭和26年から、29年の連載だったそうだ。

 明かりの下で火鉢と座布団と座卓をだして、一張羅を着て「お講義」をする、しゃんとしたおばあさまが目に浮かんで、こういうお習字の先生いたな…とか思い出した。小さな町で、子どもにお習字を教えている先生には時々こういうおばあちゃまがいたものだ。やけにお行儀にうるさく、それがまた親御さんに評判が良かったりして、昔は女学校の先生だった、なんて言われていた。

 田辺聖子さんの講義の本のほうがずっと現代風だが、こっちも雰囲気があってよかった。
 ただ残念なことに現在新品はもうアマゾンでは買えない。図書館で借りるしかない。

 また一度、与謝野晶子の訳を読み直して源氏ブーム終了にしようかな。
 それとも、瀬戸内寂聴さんの訳とか、違う人のを読もうか、悩むところだ。
 

日向が丘の少女

 子どもの頃に住んでいた町の、小さい図書館で私はこの「マーガレット文庫」世界の名作というシリーズをかなり読んだ。
 表紙の挿絵が一番かわいいと思っていたのはこれ、「すてきなおじさん」、田村セツコさんの挿絵で、今でもかわいいなあ、と思う本だ。(画像は、まんだらけの通販サイトからお借りしました)

 ちなみにこの本、ほかの題名のほうが有名だ。それは「八人のいとこ」。
 いとこが8人いる女の子ローズのお話。私は実はこれ、最初は「あしながおじさん」だと思って読んだ(注:あしながおじさんの作者は、ウェブスター)。シリーズをあたるを幸い借り出しているのでそうなったわけだが、この「八人のいとこ」を手にする前に「すてきなおじさん」の題名のほうを読んでしまったため、今でも「八人のいとこ」より「すてきなおじさん」の題名のほうがしっくりくるんだけど、これをわかってくれる人がまずいない。ほかのどんな翻訳も大体「八人のいとこ」が題名になっているし原題も「Eight Cousins or The Aunt Hill」なのにどうしてそうなったんだろうねえ?

 小さな図書館の常というかなんというか、このマーガレット文庫、全部はそろっていなかった。
 図書館というのはしょっちゅう本が借り出されるため、シリーズが目の前に全部そろっているというのはかなりまれなことだというのは私も理解していた。だから、シリーズの本というのは図書館の棚にあったりなかったりするわけだが、マーガレット文庫のリストのうち、いくつかはついぞ目にしなかった。

  そのうちの1冊が「日向が丘の少女」。これが意外とマイナーだったのか、同じ題名の本に当たらずおとなになった。
 この間、吉屋信子さんの「源氏物語」を借りたとき、「花物語」も目にして、今ある本を調べようと思った時にこのマーガレット文庫の中の「花物語」がひっかかってリストを見つけた。ちなみにこの花物語は「オルコット」作。このマーガレット文庫、何気にオルコット率が高い。リストを調べると50冊中7冊がオルコットだ。

 そのほかにも何冊も読めていないのがあったが、とりあえず「日向が丘の少女」を調べてみる。
 作者はマーガレット文庫ではB.ビョルンソンとなっているが、ビョルンスティエルネ・ビョルンソンというらしい。
 ノルウェーの人で、ノーベル賞作家だそう。ええ?そうなの?
 ウィキペディアによるとそうらしい。
 こういう情報はネットでもかなり正確に出るからなあ…。

 作家名で検索をかけたら、図書館の世界文学全集の中にこれが読めるのがあることがわかった。
 昭和3年発行の新潮社の世界文学全集 第27巻 (北欧三人集)
 らしい。ノーベル賞だもの、どこかにあると思ったけど、子どもの本とはだいぶ遠いところにあった。

 子どもの時にはこのシリーズ全部は読めなかったけど、大人の力で全作品読みたいものだ。



++++++++++++++
 図書館で世界文学全集を借りてきたけど、すごいな、これ…。
シンネェヴェ
 こういう感じにページの字がないところとの境目に枠が入っている本、確かに昔見たことがある。古い本の特徴だ。
 おまけに旧字体の旧仮名遣い。読めるけど…読めるけどね?きっついわあ。
  意味はわかるけど、スラスラ読めない。微妙に不自由な外国語を読んでいるような雰囲気で読み終えた。

 狭いコミュニティ、それも割と戒律の厳しい(キリスト教の)一派に属していてモラルだなんだとか厳しい場所で育てられた幼馴染…と言ってもいい環境にあるふたりのロマンスなんだろうということはわかった。
 うーん…。これは「八人のいとこ」とか、「少女パレアナ」とか、「赤毛のアン」よりは年上向けだろう。
 
 おまけにロマンスというにはかなりじれったい。展開が早めの今のロマンスになれるとこの進みの遅さ、なに?って感じ。
 文章もぷつぷつ切れている感じで流麗な文章とはいいがたい…のは単に私が読めていないだけか。
 もうちょっとマシな訳がどこかで見つかるといいんだけど。せめて新字体、新仮名遣いのが。ちなみに同じ作者の「アルネ」というのが岩波文庫から出ているので、それも図書館で借りた。今手に入るビョルンソンの本はこれだけ?
 
 ネットで調べると「日なたが丘の少女」というのが1983年で一番新しい本のよう(児童向け)。
 昔は角川文庫にもあったっぽいけどもちろん絶版。
 
 読んだ感じだと、多分今の時代の全集に入っていないのは、小さいころから日常的に体罰を受けながら育つ男の子トルビョルンの生育環境や、つらいことにも耐え、不幸になってもほかにもっと不幸な人がいるのだから、と我慢する…というような抑圧的な時代と場所の価値観が現代にそぐわないのと、殴り合いや、ナイフが出るような青年のけんかが出てくるからか。

 昭和三年に発行ってことは、これの翻訳中は昭和元年とか、昭和二年とかだったに違いない。またはもっと前から取り掛かったのかも。いくらノーベル賞といっても、ノルウェー語の専門家がどのぐらいいたかなんて、知れているだろうなあ。直訳で文章が並べてあるだけの語学の教科書みたいな雰囲気の訳なのもやむなしか。

 もうちょっと現代の…一番新しい1983年=昭和58年訳とまではいかなくても、ムーミンを訳された山室静さん訳の1954年=昭和27年版が読めればいいんだけど。
 
 ちなみにマーガレット文庫のは立原えりかさん訳。今売っている名作全集にもこの人の訳があるぐらいだから、今の人にも読みやすい訳だったに違いない。どこかで読める機会があることを祈ろう。

「ばらいろ島」 シャルル・ヴィルドラック作

 ネットで、物語の一節を頼りに、なんていう題名だったかねえ…と思いながら検索をしていたら、「ばらいろ島」という児童向けの本を探している人がいた。

 うっすら覚えがあるような、ないような…。
 古くて、字が小さい、二段組の本だった気がする。
 ものすごくうろ覚えで、全然違う本かもしれないとは思ったが、これは私も調べてみよう。そう思って、ネットで検索開始した。

 活字が二段組ということは、大体「文学全集」が多い。何全集かはともかく、そういうそろった本になっていた本だろう…というわけで、「ばらいろ島 全集」で検索を書けたら、いきなりヒット。
 「少年少女文学全集」にその物語が入った本がある。
 古い講談社のもので、フランス編(5)、29巻に収録らしい。

 講談社のこの少年少女文学全集は、昭和36年出版のもので、結構人気があったらしくて、オークションなんかでもかなり出る本なので私も見たことがあるし、ちょっと前に「町からきた少女」を探していて、同じこの全集の本の「ロシア編」を借りたばっかりだった。これは図書館にあるかもしれない。

 図書館の資料検索で見事、出てきた。私が住んでいる街の図書館には、この全集(全50冊)のうち、半分ぐらいはあるっぽいので、運がよかった。背表紙の題名は「青い鳥」「ばらいろ島」「首なしうま」の3つ。
 実際の収録作品はこうなっていた。

講談社少年少女世界文学全集第29巻 フランス編第5巻
「青い鳥」 モーリス・メーテルリンク作 若月紫蘭 桜田佐 訳
「ばらいろ島」 シャルル・ヴィルドラック作 宮崎嶺雄訳 
「トロットの妹」 アンドレ・リシュタンベルジェ作 那須辰造訳
「マリアさまとかるわざ師」 アナトール・フランス作 小林正訳
「かわいい子どもたち」 アナトール・フランス作 小林正訳
「首なしうま」 ポール・ベルナ作 那須辰造訳

 「青い鳥」は、チルチルとミチルの物語で、絵本とか、もっと子供向けにはしょったのとかがあって読んだことがある人は多いと思う。小学生の頃に、これをマンガにしたのまで読んだ記憶があるぐらいだ。
 「トロットの妹」は全く記憶なし。初めて読んだも同然だった。赤ちゃんが生まれて、お兄ちゃんになったトロットの心情を書く。と言っても、トロットもまだ幼児なので、それほど込み入った話でもなかった。
 「マリアさまとかるわざ師」は短いお話だった。これはどこかの絵本で見たことがある。多分教会か、クリスチャン系の幼稚園にあるタイプのお話だった。
 「かわいい子どもたち」は、岩波文庫の赤に三好達治訳が「少年少女」という題名で入っているらしい。多分、読んだことがある。特に1つ目の「ファンションと小鳥たち」は覚えがあったけど、この本じゃなくて岩波のほうで読んだのかもしれない。この本に載っているのは全部じゃなくて「ファンション」「学校」「勇気」「カトリーヌのお客さま」「野あそび」「大きな子どもたちの失敗」の6つ。
 子どもたちの日常をひとこま切り抜いたような短編でかわいいし、イラストとかを描く人ならこういう話を見ると創作意欲がわくかもしれないけど、それほど楽しいとか面白いとかそういう話ではなかった。淡々としている感じ。
 
 「首なしうま」は事件に巻き込まれて、子どもたちのグループが犯罪の真相究明にひと役買う、大活躍な話で、結構面白かったけど、これにも全然覚えがなかった。これだけ面白ければ覚えていてもよさそうなんだけど。

 そして今回のメイン、「ばらいろ島」。
 こういう名作集に入っている本は、たとえば昭和30年っていうとえーっと何年だ1955年?に訳されたとしたら、2、30年に1回ぐらいはまた訳されていることが多い。つまり1980年代ぐらいとかにはもう一回日の目を見たりするパターンが多い。なんなら2000年ぐらいにもう一回出ていても不思議じゃない。
 有名な「青い鳥」は言うまでもなく何度も訳されているし、「首なしうま」も調べてみると80年代に偕成社から出ているようだ。「トロットの妹」は「かわいいトロット」が1985年、「私のかわいいトロット」は2005年にそれぞれ出版。これは多分シリーズ本?作者名が同じだから、多分そう。
 「ばらいろ島」は関連本ともに全然情報が出てこない。

 図書館で借りた本を読んでみた。主人公はチフェルナン君。
 学校の先生がひどい先生で、学校が楽しくないところからスタート。お母さんは病気がちで、妹のお世話も大変だ。
 ある日突然「ばらいろ島」に招待されて、目が覚めたら飛行機の中!
 
 この島が、男の子ばっかり30人が住む楽園状態。寄宿学校のように宿泊し、遊んで勉強して、おいしいものを思うさま食べ、貸出式とはいえ豪華おもちゃに、海で遊べるし、ミニ機関車にレーストラックに、自分専用の小型のモーターボートまで貸してもらえて、南の国なので実ったオレンジもぎ放題、そしてお金の心配なんかしなくていい、必要なものは服からなにから、欲しいものは言ったらそろえてもらえるという、夢のような環境。

 大体、こういう感じのお話というのはないでもない。夢の国に行くとか別世界に行って楽しく暮らすとか、冒険するとか、そういう話ならうんといっぱいある。でもこれは「子供に楽しい思いをさせるのが好きな人が」「パリに住む普通の男の子であるチフェルナンに目を留め」「お父さんとお母さんに許可を取って」島に連れていく話なのが、ちょっと珍しい。

 この手の夢のような生活をする物語が夢落ちで終わることとか、「本当にあったことなのか、はっきりしない」ような終わり方になったり、「経験してみないとわからないことで、今でも仲間同士で本当にあったことだと思い出を話しあうが、それを聞き書きした」というような感じになっているパターンが多いので、例外的といえるだろう。両親に許可を取って…とか、そのあたりだけ実写版で、残りが割と何でもありのアニメの世界みたいなズレを感じる。
 特にこの本にはちょっと現実だったら、生々しいな…と思う記述があった。

 以下青文字は引用、その下にネタバレあり。

ヴァンサンさんは、じぶんがかわいく思って、ばらいろ島にあつめて、素敵な生活をさせてやっている子どもたちが、みんな、だんだんにじぶんのほんとうの子どものようになってくれることをゆめみていたのでした。たいていは家族のないこどもたちか、親に愛されていない子どもたちです。そういう子どもたちの心をつかんでしまうことは、ヴァンサンさんにとってもやさしいことでした。
 ところが、そうでない子どもたちにたいしても、なるべくじぶんたちのうちや、これまでの生活をわすれさせるように、ヴァンサンさんはしらずしらずつとめていたのです。


 キャー。これはこわい。主人公のチフェルナン君は、おうちのことを大変気にして、体の弱いお母さんがちゃんと手伝ってもらえているだろうか、とか、こんなおいしいものを小さい妹に分けてあげたいとか、そういうことをずっと思い続けているので、そこのところがヴァンサンさんには気に入らないと、そういう話だった。

 途中で絶対お母さんに会うんだ!と決心したチフェルナン君は遭難しかかるのだけれど、結局チフェルナン君を幸せにしてあげたかったヴァンサンさんは、おうちの人も島に呼んであげて、夏休みを一緒に過ごせるようになったのでした、というところまででこのお話は終わる。
 
 多分、私が子どもで、この本を何気なく読んだのだったら、ばらいろ島が女の子も受け付けてくれるのなら行ってみたいと思っただろう。青で引用した場所も、別に気にせず読み飛ばしたに違いないと思う。楽しいワンダーランド、子どもの幸せはここにあり。島全体が素敵な遊び場と宿泊用の寮になっているのだもの、楽しそうだよね、で終わったと思う。

 チフェルナン君は親御さんを一か月島に呼んでもらえたし、それから卒業するまでもっと楽しい思いをして、何年か滞在したのかもしれないね、と思わせるラストではあるのだけれど、男の子ばっかりを30人、「気に入った子だけを集めて」簡単に誰も踏み込めない私有地の遠くの島に何年も、滞在させるのってどうなのよ。一番小さい子は5歳、チフェルナンは年少のほうで9歳、「もう大きくなったので島を出てしまった」という前の住人がいることからも、ある程度年齢が行ったら卒業で、書いてある感じだと年長の子たちでも15歳ぐらいの「遊びが楽しいお年頃」まで。
 やさしく面倒を見ている篤志家と見えなくもないが、今、実際にいたら絶対怖い。

 子どもが読んだら何が問題なのかわからないけど、大人が読んだら…というこの危うさが、多分このお話が時代に合うように訳されなおして子ども用の読み物として出版されない原因なのじゃないかなあ。

 とはいえ、島の記述は大変楽し気で、その点では魅力のある本だと思う。これを読んで、「僕の理想の学校」とか「もし島が1つ自分のものになったら」とか、「お金がいっぱいあって、好きなことに使えるとしたら」とかそういう楽しい夢を見た子どもたちも多かっただろう。

 あとがきにはこの続編「ばらいろ島のこどもたち」もあると書いてあった。wikipediaの作者の項には「ばらいろ島」はあっても、続編は載っていなかったから、全然わからなかった。
 ネットで調べると東京創元社から出ている「世界少年少女文学全集」の19巻に「デブの国とノッポの国」「なんでも自由に出来る国」と並んで「ばらいろ島のこどもたち」が収録されているらしい。こっちも探すか…。1961年出版らしい。古いな。
 「デブの国とノッポの国」は多分、この物語だけの本を読んだことがある。

 チフェルナン君がどうなったか、わかるといいんだけど。
 今検索したら、私が住んでいる街の図書館にはなかった。
*************
ここまで書いてから、続編のほうが
「少年少女新世界文学全集21 フランス現代編 シミトラの孤児 / ばらいろ島の少年たち / グリシュカとクマ」
という本になっていることが判明。

 これが、結構簡単に買えるんだな…。1000円から1300円ぐらいで、古書店のサイトで数件ヒットするし、各種オークションにも出ている。
 どうするかなあ。「ばらいろ島」のほうが手に入れづらいので、まさか続編のほうがたくさんヒットするとは思わなかった。

「町から来た少女」 ヴォロンコーワ

この本と出会った時、私は小学校3年生だった。私の家の向かいのおうちのお姉さんが高校生になるにあたって、お部屋の整理をした時にもう読まないから、「まだ小学生のまこちゃんと、お姉ちゃんにどうですか?」と、持ってきてくださったものだった。
 
 本!自分のにしていい本。すごくうれしかったし、これは一緒に来た「二人のロッテ」や「風にのってきたメアリーポピンズ」と違って、自分が知らないお話だった。
 
 戦争で町が敵軍に攻撃され、身寄りを失った少女が田園地帯へと避難してくるときに、農村の家族に引き取られる話なのだが、これは町と農村部がすごく離れていて、生活スタイルが全く違うとお互い思われていた時代のロシアで、農村部では戦争は遠い場所のことでしかなく、羊を育て、麦をまき、手堅く暮らしている様子が書かれている。

 ロシアの政治体制が、社会主義がどうこうというのは全く当時は気にしていなかったが、やっぱりロシアものの児童文学は社会主義下で書かれたものが多くて感情移入しにくいからか、人気がないのかもしれず絶版。「ヴィーチャと学校ともだち」とか面白いものもあると思うし、これもなかなかにいい物語だと思うのだけれど。
 
 ペチカのある家でサウナを使ったり、サモワールから熱いお茶をついだりする、寒いロシアならではの記述が楽しくて、農村を知らない人がいいなあ…と思うようなところがたくさんある。大草原の小さな家の農家の暮らしが好きな人なら、これも楽しめると思う。

 で、これを久しぶりに読みたくなったのだが、かなり見つかりにくくなっていた。
 まず私が読んだのは岩波の高杉一郎さん訳のものだが、ほかでも数回は訳されていることがわかった。どうも学研の出版社から出ていたらしい「少年少女世界文学全集」の5巻が「ヴィーチャと学校ともだち」と、「町からきた少女」の合本らしい。これは宮川やすえさん訳。
 図書館の資料検索で見つかったのが講談社の「少年少女世界文学全集」のロシア編(4)で、「連隊の子」「町からきた少女」「金どけい」の3編の合本。。「町からきた少女」は袋一平さんという人の訳だった。

 岩波少年文庫のは見つからないから、とりあえずこれでいいや、と取り寄せて読んでみた。違和感があるのはしょうがない。
 うーん、一度読んだら、余計読み慣れたのが読みたくなった。

 「町からきた少女 岩波」と検索条件から「少年文庫」を落としてみた。
 すると、やたらと「二人のロッテ」がひっかかる。

 えーっと…ふたりのロッテはいいのよ、あれはどこでも読めるし、まだ売ってるから。いい本だけど、好きだけど!そして私が読んだのも岩波のだけども。あれは時々映画化するし、今の子どもたちが読んでもそれなりに面白いからねえ。多分これからも買えるだろう。
 …と思ったらば、「岩波少年少女文学全集」 の20巻が、「二人のロッテ」「町からきた少女」の合本だった。

 図書館で調べなおしたら、「ふたりのロッテ」がまず来て、同時収録のところの副題のように「町からきた少女」が入っていて、簡易検索ではかかってくれないらしいということのようだった。

 この岩波の全集は図書館には多分あるところが多いだろう。つまり、学研の全集では「ヴィーチャと学校ともだち」に、岩波では「ふたりのロッテ」に隠れてしまって見えなくなっているから探しにくいとみた。
 
 図書館で予約はとりあえずしておいた。こういう本は気長に探すに限る。ハードカバーの全集のほうはともかく、岩波少年のほうは、冊数もかなり出ているはずだ。それに出版年が古いので、メルカリとかの最近のオークションよりは古本屋に出ている可能性が高い。
 あと、気が付いたのだけれど、「町から来た」と漢字にパッと変換してしまうのでそれで検索してしまうけれど、「町からきた」とひらがなで検索する方がこの本のことがたくさん出る感じがする。

 作者は「ボロンコーワ」と「ヴォロンコーワ」表記が多いが、小学館の1983年の松谷さやかさん訳と、岩崎書店の内田莉莎子さん訳のものは「ヴォロンコ」、集英社のマーガレット文庫の北村順治さん訳のものは「ボォロンコーワ」。表記が混在しているが、自分が読んだ本がどれだったかわかっていれば絞り込みやすい。
 小学館の少年少女世界の名作37「せむしの子馬」「地球は青かった」と同時収録になっている「町からきた少女」は誰の訳かはわからなかったけど、ソヴィエト編4、ってなっているし、多分同じ話かと。
講談社の「世界名作図書館」21、「機関士白ねずみくん物語」 「町からきた少女」 「ものいわぬ杜子春」のセットのは内田莉莎子さんだから、岩崎書店のものと同じだと思う。
…と調べた感じだと、かなり何回も訳されているから、名作なのは間違いないんだけど、どうもマイナー感が抜けきれない本だ。
 

田辺聖子さんの本とツイッター

 しばらく前に田辺聖子さん(と呼ぼうか、それとも先生、と書くべきか、それとも作家の名前を本の感想を書くときによくあるように敬称略にしてしまっていいのか、なかなか決心がつかない)の本が目について、キンドル本を読んでいる。

 多分一番何度も読んだのは「新源氏物語」で、次に読んだのは多分「おちくぼ姫」だと思うが、エッセイ本もかなり読んだ。いつ、というとこれが割と早くて中学生の頃。
 中学生の時は、私は部活に入っていて練習が毎日あった。月曜から土曜までびっちり部活、日曜日は習い事があって、田舎の図書館の、朝10時に開館して、夕方5時には閉まってしまうスケジュールではまず、図書館に行けるのは部活が休みになるテスト前だけだった。

 家にある本は読みつくし、なおかつ学校の図書館は端の方が雨漏りのするようなプレハブで、図書館は放課後にも昼休みにも開いておらず、唯一借りられる時間は国語の授業で使っているときについでに、か、夏休みの前の貸出期間か、「読書クラブ」が活動する週に1度の授業で部活動をする時間に自分の部活を抜けて(至難の業だった)借りるか…。
 しょうがないので休み時間に職員室に図書館のカギを借りに行き、鍵をあけて返すのと、貸し出し手続きを自分でやって(昔のカードに自分の名前を書くタイプの)、鍵を返すと、プレハブの図書室から教室に走って帰ったら大抵遅刻…というような感じ。生徒に本を読ませるということについて、どう考えていたのかちょっと問い詰めたくなるような環境だった。

 そんなわけで学校の図書室で本を借りるのは本当に難しく、それなら友達同士で本を貸し借りする方がよっぽど…という状態だった。赤川次郎や、西村京太郎や、アガサクリスティや…シリーズをたくさん貸してくれた友達は本当にありがたかった。
 そんなわけで、手当たり次第に読むことになって、母が図書館で借りていた佐藤愛子さんや、田辺聖子さんのエッセイ本は、中学生でもかなり面白く読めてしまったというわけだ。
 割と早く「知っている作家さん」と認識していたと思う。

 そんなわけでエッセイ集はかなり読んだと思っていたのだが、この本は全く覚えがなかった。
 ちょっと長めのフレーズにしろ文章2つか、3つぐらいまでしかないものが、載っている本。思いついたことをパパっとメモにして、ためておいたものをまとめました、みたいな本だった。

 多分そういう一言、みたいなところからエッセイを書いたり、物語の一部にしたりしたんだろうなあ…というようないろいろなものの寄せ集めだった。

 しばらく読んでいくとなんかこう、どこかでこういう感じのものを見たような…という気がしてきた。
 「誰がうまいことを言えと」とツッコミたいような、「なるほど、確かにそうだよねえ」と感心するような、「へえー。こういうこと、考えてたんだ?」と興味深いようなことが、ひとこと、ふたこと。

 あーーーーーわかった。これ、ツイッターだ。
 思いついたちょっとしたことを書いて、ネットにあげておく、「ツイッター」。140文字しか書けないので、日本語だと結構なことが書けるけれど、英文だとほんと、ちょっとしか書けないという、あれに似ている。

 一つだけ、この本からの引用。

 男と女の仲は、半年付き合ってモノにならなかったらダメだ。

 確かに…半年付き合って、しっくりこなかったら、もう別れちゃった方がいいと思う。相手から申し込まれて、付き合ってはみたものの、「なんか違う」感じがして別れたときのことなんか思い出すと、こういうことを他の人も考えているのがちょっとうれしい。

 この一文をメモにしておいて、あとで取り出したら、多分田辺先生にはエッセイを1本書けてしまうだろう。もしかしたらそういうテーマのエッセイがもうあるかもしれない。

 こういうような短いフレーズが、これでもかと入っているのがこの本。

 もし、ツイッターをしていらっしゃったら、バズっただろうなあ…。フォロワーも、すごい数になったと思う。

もう、新しいのは読めないんだなあ…。しみじみ惜しい。
 
でも、この人はたくさん本を書いているからね!全部読もうと思ったら結構時間がかかりそうだ。
中年女性をターゲットにしたものもかなり多いし、今から楽しみに読みつくそうと思う。

 

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