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毎日更新!LuckyDuckyDiary

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田辺聖子さんの本とツイッター

 しばらく前に田辺聖子さん(と呼ぼうか、それとも先生、と書くべきか、それとも作家の名前を本の感想を書くときによくあるように敬称略にしてしまっていいのか、なかなか決心がつかない)の本が目について、キンドル本を読んでいる。

 多分一番何度も読んだのは「新源氏物語」で、次に読んだのは多分「おちくぼ姫」だと思うが、エッセイ本もかなり読んだ。いつ、というとこれが割と早くて中学生の頃。
 中学生の時は、私は部活に入っていて練習が毎日あった。月曜から土曜までびっちり部活、日曜日は習い事があって、田舎の図書館の、朝10時に開館して、夕方5時には閉まってしまうスケジュールではまず、図書館に行けるのは部活が休みになるテスト前だけだった。

 家にある本は読みつくし、なおかつ学校の図書館は端の方が雨漏りのするようなプレハブで、図書館は放課後にも昼休みにも開いておらず、唯一借りられる時間は国語の授業で使っているときについでに、か、夏休みの前の貸出期間か、「読書クラブ」が活動する週に1度の授業で部活動をする時間に自分の部活を抜けて(至難の業だった)借りるか…。
 しょうがないので休み時間に職員室に図書館のカギを借りに行き、鍵をあけて返すのと、貸し出し手続きを自分でやって(昔のカードに自分の名前を書くタイプの)、鍵を返すと、プレハブの図書室から教室に走って帰ったら大抵遅刻…というような感じ。生徒に本を読ませるということについて、どう考えていたのかちょっと問い詰めたくなるような環境だった。

 そんなわけで学校の図書室で本を借りるのは本当に難しく、それなら友達同士で本を貸し借りする方がよっぽど…という状態だった。赤川次郎や、西村京太郎や、アガサクリスティや…シリーズをたくさん貸してくれた友達は本当にありがたかった。
 そんなわけで、手当たり次第に読むことになって、母が図書館で借りていた佐藤愛子さんや、田辺聖子さんのエッセイ本は、中学生でもかなり面白く読めてしまったというわけだ。
 割と早く「知っている作家さん」と認識していたと思う。

 そんなわけでエッセイ集はかなり読んだと思っていたのだが、この本は全く覚えがなかった。
 ちょっと長めのフレーズにしろ文章2つか、3つぐらいまでしかないものが、載っている本。思いついたことをパパっとメモにして、ためておいたものをまとめました、みたいな本だった。

 多分そういう一言、みたいなところからエッセイを書いたり、物語の一部にしたりしたんだろうなあ…というようないろいろなものの寄せ集めだった。

 しばらく読んでいくとなんかこう、どこかでこういう感じのものを見たような…という気がしてきた。
 「誰がうまいことを言えと」とツッコミたいような、「なるほど、確かにそうだよねえ」と感心するような、「へえー。こういうこと、考えてたんだ?」と興味深いようなことが、ひとこと、ふたこと。

 あーーーーーわかった。これ、ツイッターだ。
 思いついたちょっとしたことを書いて、ネットにあげておく、「ツイッター」。140文字しか書けないので、日本語だと結構なことが書けるけれど、英文だとほんと、ちょっとしか書けないという、あれに似ている。

 一つだけ、この本からの引用。

 男と女の仲は、半年付き合ってモノにならなかったらダメだ。

 確かに…半年付き合って、しっくりこなかったら、もう別れちゃった方がいいと思う。相手から申し込まれて、付き合ってはみたものの、「なんか違う」感じがして別れたときのことなんか思い出すと、こういうことを他の人も考えているのがちょっとうれしい。

 この一文をメモにしておいて、あとで取り出したら、多分田辺先生にはエッセイを1本書けてしまうだろう。もしかしたらそういうテーマのエッセイがもうあるかもしれない。

 こういうような短いフレーズが、これでもかと入っているのがこの本。

 もし、ツイッターをしていらっしゃったら、バズっただろうなあ…。フォロワーも、すごい数になったと思う。

もう、新しいのは読めないんだなあ…。しみじみ惜しい。
 
でも、この人はたくさん本を書いているからね!全部読もうと思ったら結構時間がかかりそうだ。
中年女性をターゲットにしたものもかなり多いし、今から楽しみに読みつくそうと思う。

 

百人一首を楽しく読む本

 百人一首は家にあった。最初は幼稚園ぐらいの頃から遊び始めるのが、「ぼうずめくり」。
 *百人一首の絵札を3つか4つの山に分けて積んで、一つ選んで一枚手に取る。
 *ひいた札が男性ならその札は手持ちにいれる。
 *お姫様がでたら1枚ではなくもう一回ひける。
 *坊主が出たら手札は場に出されて、次にお姫様をひいたひとがもらえる。
 *蝉丸が出たらその人はリタイヤ。
 うちではこういうルールだった。坊主が最後の1枚に出てしまうと、場に札がどっさり残ってしまって、5枚しか持っていなくても勝ったりするので、最後まで勝ち負けがわからない上に、運しか絡まないゲームなので、買っても負けてもしょうがないと思えるため、負けず嫌いで負けたら泣くような子を入れても遊べるゲームで、割と人気があった。

 小学校や中学校では百人一首の大会があった。当時は今みたいに「ちはやふる」のブームで、競技かるたがはやった時代とかではないから、覚えている子のほうが珍しく、上の句の途中で手出しができるぐらいでも十分だった。
 中学生の時は上の句と下の句のマッチングが出来ればOKのテストがあっただけだったが、高校生になると、「百人一首」という冊子が教材に入って、句の横に現代訳が書いてあって、枕詞だの、掛詞だの、係り結びだのを習った覚えはあった。

 ここからここまで全部が、この一言を言いたいがためにある、というような話も、数個分は聞いた覚えがあるから、特にわかりやすいものを選んで解説もあったのだろう。
 テストで点は取れたから、それで終わっていて、「なんとなーくこんな感じの歌ね!」とわかるのもあったが、詳しく!解説!と息子に聞かれたらこたえられるか…と言われるとかなり心もとない。

源氏物語の解説本には、歌の解説も入っている。和歌の解釈って、割とこう…この一文字が、違いを生む!みたいなのが多くて、手に余る感じ。
 有名で、すごいのばっかりが集まった当時の本、「古今和歌集」とか「新古今和歌集」とかがあるらしいのだが、ネットで調べてみると、1600首ぐらいから、2000首ぐらいまで幅があるものの、古今和歌集だけでもすごい数があるらしい。
 1600って!そりゃね…和歌は他の詩に比べたら短いけど、ちょっと多くない?

 早々に読むのをあきらめた。その時思いついたのが百人一首。1600個は無理でも、100個だったら、なんとかなりそうな…。
 というわけで、源氏物語の解説本をちょっと前に読んだばっかりの田辺聖子さんの本があったので、これにしてみた。

 Eテレの子供番組、つまり私たちの時代で言うと「教育テレビ」の国語の番組みたいだった。
 「先生」がいて(これが作者の田辺さんだ)、それから生徒役の女の子。それから、教育テレビで言うとぬいぐるみの役にあたるだろうか、ちょっとおバカな質問をしたり、まぜっかえしたりする役割の年下の男の子。この3人で話が進む。
 その横で私が見学しているという感じだろうか。

 歌と、その現代語訳のあと、どういう歌かという解説とか、用語、言葉遊びや、掛詞などの解説、参考にされているであろう当時の教養のある人が読んでいた本の話や、当時の社会の様子などが説明されたり、面白エピソードがあったら脱線もしていたりして、とても面白かった。

 学生の頃に読んでいたら理解が深まっただろうに…と思うと、ちょっと残念だが、今読んでも面白いものは面白い。誰と誰が仲が良かった、とか、この歌の人は何番の歌の人の子どもだとか、この人の配偶者は誰で、どんな仕事をした人だとか、振られて悲恋の人だったとか、子どもをたくさん産んで、幸せな生涯を送ったとか、なんていう人物紹介も面白かった。
 
 中年になると、古典の勉強をする講座に心惹かれる女性が多いと聞いてはいたが、順調に私もそこをなぞっているあたり、いいんだか悪いんだかねえ。
でもやっぱり面白いから、いいか。
 
 

野菜の上手な使い方(手抜き)

kindle unlimitedで読める本はいろいろあって、ふと目に留まって読んだのがこのコミックス、見られない場合は画像のリンク切れです【激せまキッチンで楽ウマごはん】
 これは、社会人になって初めて一人暮らしをした人をターゲットにした本で、コンロが1つだけで、あとは電子レンジしかないですよ、というキッチンでどうにか自炊をしようという本だった。

 楽。手抜き、時短。こういうのが私は好きだ。いや、まあ「手抜き」というのはあんまり語感がよくないので言い換えよう。「工夫」。
 料理というのは、一日だけ、週末だけなら大抵の人は面白いな、と思いながら出来てしまうものだと思う。出来た料理はおいしいし、お金をかけていい材料を買えば、どこのレストランかというようなものが出来ることだってあるから、達成感もある。

 でも、「毎日」だと、これがなかなか難しい。特に一人暮らしの場合はさほど高くもない給料で、生活費と家賃と、遊びに行く費用をなんとかひねり出し、ついでに貯金だってしたいし、バランスよく食べて健康に…となると、あれもこれも買い物かごにいれるわけにはいかないからだ。
 
 あー。こういうことって割とやるよね、ということが多かった(なんせ私は主婦歴20年越えだ)のだが、朝ごはんに野菜スープを毎日ってすごく頑張っているなあ、と思う。野菜というのは一人暮らしだと余る。いや、3人で暮らしていても、何とかが半分、という残り方をすると、だめにする率が上がるし、かといって一人分の昼ご飯に立派な野菜スープを付けるとしたら、もう夕飯の分まで作ったほうがいいぐらいのことだ。

 この本の工夫で面白かったのは野菜やキノコを何種類か買って、切ったのを混ぜて袋に入れて冷凍してしまい、それを一袋ずつ使うというやりかた。
 まあ、毎日の味噌汁が同じ具になるけど、毎日大根「だけ」の味噌汁じゃなくて、毎日玉ねぎ、にんじん、小松菜、エノキ、しめじの5種類が入った味噌汁なら、行けそうな気がする。(しいたけは高いので除外した)

 玉ねぎをフードプロセッサーで2ミリ厚に切り、ニンジンをフードプロセッサーで千切りに。小松菜は洗って水気を拭き、2、3センチにザクザクカット。えのき茸を短く切っててでほぐして、しめじは面倒になってきたので手でちぎった。
 ふと思いついてついでに油揚げを細かく切ったのも作って、両手に山盛り…というぐらいの量にわけて、ぎゅっと握って空気を抜いて冷凍。袋6個分にはちょっと足りないかな?というぐらいで5袋出来たので、余った分を今日の夕飯の味噌汁にした。

 水から全部いれて、沸騰したところでちょっと煮て、粉末だしをいれて、味噌をといて出したら、「今日のこれ、おいしい」と夫に大好評。
 毎日同じ材料でスープか、味噌汁にしていいか、と聞いたら「それで大丈夫」ということだった。
 これを、だし味にして、そうめん入れたのが食べたいと。

 それは簡単に出来そうだしOK。

 そのほかにも、お弁当の工夫や、ワンプレートディッシュ、一人暮らしで材料を無駄にしないようにするにはどうするか、使用する食器をどうやって減らすか、電子レンジを使った簡単で美味しいおかずの話もいっぱい載っていて、面白かった。
 息子がいつか一人暮らしをするときに持たせたいような、そんな本。

 その時一回だけ、面白いからやってみる工夫というのも楽しいものだけれど、「習慣として続ける工夫」というのもいい。
 もっと小さめの野菜ミックスも作って、一人だけの時の昼ご飯にするのもいいな。
 ご飯、味噌汁、納豆、漬けもの。豪華、納豆定食。体によさそうだしね。

 料理歴が長くて慣れていると、いつも同じようなことをして、新しいことをやらなくなるから、こういう本で新しいことに取り組むとちょっと気分が変わっていい。
 自分一人のために工夫して作るというのも素敵だ。ちょっと一人暮らしだった時がなつかしくなった。


源氏物語の解説本

源氏物語は古典で、私はもちろん原文なんか読めやしない。
 かといって現代語訳ならさっさと読めるか…というとそうでもない。たとえば谷崎潤一郎訳の源氏物語は、中学生の時に大の本好きだったので図書館の本で挑戦したが、あっという間に敗北。
 桐壺、帚木、空蝉、夕顔ぐらいでギブだった。大体、夕顔なんかいきなり死ぬ、その唐突さ。でも当時の人には「これで死んでも、しょうがないよね」という話の展開ってのが、わけのわからなさに拍車をかけた。「当時の人の当たり前の知識」が全くないということは、「レベル」「チート」「スキル」などを知らずに「小説家になろう」サイトの転生小説を読むといっていいぐらいのことで、わからなくて当然と言えば当然だった。

 友達に借りた「あさきゆめみし」というコミックスの源氏物語で「まあだいたいね」というところを読んで、そのあと与謝野晶子さんの訳を図書館の本で読み、なるほどぅ、コミックスのあの場面はここかあ…というような読み方でどうにか「知っている物語」ということにしておいた。
 
 田辺聖子さんの「新源氏物語」を読んだのは多分高校の図書室の文庫本で、読みやすいなあ…と感心した。テストの題材が源氏物語だった時には高得点が叩き出せるようになったのはこれを読んでから。結局社会人になってからこの文庫本は買いそろえて、渡米するときにも持って行き、愛読した。(今はもっていない)

 今手元においているのは与謝野晶子全著作集(100円だったかな?200円だったか)の電子書籍で、上っ面を撫でて頭の中に浮かぶ絵は「あさきゆめみし」の大和和紀さんという感じで、歌の意味とかもそれほど詳しくわかっていないが、季節や自然の描写が美しい感じなのを雰囲気だけ楽しんでいる状態。

 そこにアマゾンの「あなたにおすすめ」が来たのがこれだった。
多分、「新源氏物語」の電子本を買うかどうか迷って「ほしいものリスト」にチェックしておいたからだと思う。
 この本はkindle unlimited、つまりひと月いくらの定額で、10冊借り出せる図書館みたいな機能をキンドルに持たせるという仕組みに入っている本だった。

 一度に10冊しか自分の端末に持ってこられないし、お金を払わなくなったらもちろん読めなくなるし、どの本も読めるわけではなく、「kindle unlimited」のマークがついている本しか対象にならないシステムではあるのだが、月額の定価は980円。時々キャンペーンをやっていて、1か月100円ぐらいになっていたりする。この本を見つけたときはなんと、2か月100円のキャンペーン中。
それほどでもない古本の文庫本でも100円ぐらいするのは珍しいことでもないし、3密を避けましょうな雰囲気のなか図書館に日参するのもなあ…という感じだったので、100円出してこのシリーズを読むことにした。

 この本を読み始めたらわかった。これは実は「物語」ではない。
 紙に書かれてはいるが、講演会とか公開授業とかそういう感じのものだ。つまり「源氏物語解説本」だ。
 源氏物語に出てくる短歌はこういうことを言っています、という話だけでなく、同じ人が詠んだ短歌の話とか、この時代にはこういうのが普通でした、とか、官位はこういう仕組みになっていまして、とか、家の中にある家具の解説や、どんなふうに着物を着ていたとかの社会制度や習俗、文化の背景を解説してくれて、こういう授業が学校で聞けたら、さぞかし面白かっただろうという感じ。

 田辺聖子さんが、古典の先生に源氏物語を習ったときのことなども雑談ぽく入っていて、(烏帽子をかぶって見せてくれた先生がいたとか)これを中高生の時に読んでいたらよかったのになあ…と思った。もっと細かいことがわかっただろうし、深く楽しめただろうに。
 
いや、気を取り直そう。今読めてよかったのだ。
 与謝野晶子訳を手元で参照しつつ、読了。
 大学の少子化で増えた社会人向けの講義の中でも、「源氏物語」の講座が中年女性に大人気なのもわかった気がする。

 文庫本上中下の3冊分で取っておける、源氏物語講座。
 「大体こんな話」で終了している人に、おすすめ。

++++++++++++++++
…とここまで書いたときに、上巻までしか読んでいなかった。
 最後まで読んでから、あとがきを読んでわかった。この本は講演会「みたい」と私は書いたけれど、講演会そのものを本にしたものだった。ひと月に1回、36回、3年もかけた講演会があったらしい。その講演会をCDにしたものもあるのだって。どおりで…つまりこれは間違いなく「読む講演会」だったってことだ。

 あとがきをみたら平成12年になっていた。ってことは2000年かあ。
 ま、源氏物語の成立年代のことを考えたら、20年ぐらいなんていうことはない。千年以上前のものなんだから、たかが20年で解釈が変更になったりしないだろう。
 
 こういっちゃなんだけど、もしこの講演会を聞きに行ける機会があったとしても1か月に1回では前の回とかをすっかり忘れそうではあるので、まとめて後から聞ける方がいいかも…。その時の空気や、生でお話が聞けるというのは素晴らしい体験だっただろうと思うが、それが無理ならあとでこうやって記録したものを読めるだけでもいい。
  
 こういうの、もっとほかにないかなあ。本だったらわからなかったら何度も読み返せるし、あとから思い出したくなったら読めばいいんだけど、講演会はなあ…ノートをとるといっても全部書き写すわけにもいかないし、録音して聞き返すのには時間がかかるだろうし。

 しばらく田辺聖子さんの本を読もう。

世界史小辞典

この本を手に入れたのは、高校の時。
 
 授業中に「もっと詳しいことが知りたい人は、本も買えるから申し出るように」と言われて、「世界史辞典」の紹介があったので、職員室まで話を聞きに行った時のこと。

 どんな本だか見たかったのがまず一番で、見せてもらった世界史辞典は、それほど厚みがないもので、社会の資料集、という感じだった。うーん、それほどでもないや、という顔になった私に、「こっちはどうだ」と出してもらったのが、この世界史小辞典だった。

 これは「小辞典」とかいう割にぐっと字が細かく中身も細かい感じがして、「先生、これ読ませて」と頼んだら、「おう、いいぞ」と貸してもらえた。「やっぱりなあ、お前はこういうの好きそうだと思ったよ」と先生が笑っていたのを覚えている。
 この辞書は歴史の資料集としては、あんまり高校の授業には出番がない感じのもので、関連項目が一気に出てくる…のではなく、単に五十音順に用語が載っているタイプ、つまり国語辞典には単語が見出しになっているように、王朝や国名、都市名、人物名や、各国の制度、法律などが見出しになっているというタイプの本で、雑学ネタをがっつり詰め込んだといった感じの構成。

 知識として読むのに向いていた。当時は知らないことを読むのが面白くてしょうがなかった頃なので(今にして思うと、全く、本当に全く役には立たなかったが)、夢中になって読んだ。読んでも読んでもまだある厚さ(辞典だからね、紙は薄くてページ数が多かった)、知らないことばっかりが書いてあり、なおかつ情報として正しさはさすがの折り紙付き。
 少なくとも古くからある出版社は「出所がはっきりしない」ような情報は辞書に載せない。もしも、専門家からクレームがついたら、そのあたりは精査されるから、初版のものはともかく、重版のものはあんまり疑いを持たず読めるのがいい。「どの程度正しいか」は一番あいまいでも「所説あり、専門家の中でもこの説を支持している人が多い」ぐらい。つまり私にとっては「全然疑わず読んでOK」レベルだということだ。
 当時は「ウィキペディア」も「インターネット」もなかった。百科事典というのは紙の本であり、知りたい情報というのは本を探して得るもので、こういう風に同じ分野のことばかりがどっさりみっちり詰まった本というのは、存在を知らなければそこまで、というものでもあった。歴史マニアともいえる高校の歴史好きの社会の先生がおすすめする、「この1冊」なのだろうな、と思って読んだ。

 それに加えて本を読むのが好きで、カバンが重いのにうんざりしていた私にとって、丸1日読んでもまだ読める本は貴重だった。1冊だけでものすごく長持ちだし、中身を理解しようと思うと自然と速度が落ちる。
 夢中になって読み終えて、「だめだ、全然頭に入ってない、もう一回読みたい」と思って、先生に取り寄せてもらって買った。1500円だったか、1800円だったか、当時の私が使える金額の中ではちょっと高い買い物だった。

 夏休みの息子の社会の資料集を見たとき、「そういやあ、あの辞典どうしたっけ?」と思ったのだが、多分一人暮らしから、結婚、渡米したときに散逸したのだと思う。実家にはなかったし、今の持ち物にも残っていなかった。

 しょうがないのでネットで調べたら、今の版はもちろんあった。そしてこの写真の私が持っていたのとまったく同じ旧版が、箱はないものの送料込みで中古が350円ぐらいで売っていた。魔がさしたというか、なんというか。つい買ってしまった。
 字が細かいのがちょっと難だったけれど、いやあ、中身全然覚えてないわー。

 しかし高校生の時の私、よくぞこんなの数回通読出来たな!若気の至り?力任せというか、暇だったというか…。
 今読んでみると意外と中国のことがたくさん入っている感じで、しばらく読んだら、三国志演義とか読もうかな、とか、そういや、途中で放り出したイギリスの王朝ものがあったような…とかいろいろ頭に浮かぶものがあった。

 こういうのをまた発掘するのもいいな。
 日本史も、中国史も、世界史もその気になって読んだら面白いもんねえ。本もまだ読んでないのがたくさんあるし!
 息子に「読む?」と聞いたら速攻で断られた。
 


本の思い出

【昨日の日記】を書いてから、思い出した本のこと。


 私が初めてアメリカで暮らした時は、まだアマゾンがなかった。

 電子書籍だってなかった。インターネットはあるにはあったが、まだブログはなく、ネットで読める日本語小説もなかった。
 日本語が読みたければ、現地の本屋で日本文学として置いてある英語の本の横に、もしかしたらあるかも?ぐらいの日本語の本を読むか、日本人留学生や、駐留している企業の日本人のグループの中で回覧状態になっている本を読むしかなかった。

 お金がたくさんあれば本を取り寄せることはできたが、まずそれを購入して送ってくれる人が日本に残っているか…ということからスタートしなくてはならないので、一時帰国の時に日本で送って誰かに受け取ってもらうとか、重いけれども持ってくるとかというのはなかなかハードルが高いことだった。

 そんなわけで、別に好みでも何でもない本でも読んだ。そのうちの1冊が上の写真の「砂の女」。もちろんこれが名作であるということは私も知っていたし、読めばそれなりに楽しめたけれども、レストランのメニューにあるのは知っていても頼んだことがない料理のような感じがした。

 昨日の角田光代さんの本で、外国の古本屋で見つける「安倍公房とか、片岡義男の本」の話が書いてあって、私は笑ってしまったのだった。片岡義男さんの文庫本は、背表紙が赤くてフォントがゴシックでちょっと珍しく、どこに置いてあってもわかるような本で、本屋さんでもずらっと並ぶぐらいあったし、私が通った高校の図書室にもあった。そしてもちろん90年代のアメリカのとある大学のある小さな町にも、安倍公房の本と一緒にぐるぐる回っていた。

 多分私が片岡義男さんの本や、安倍公房さんの本を読んだのはあの時だけ。
 ほこりっぽくて乾いたあの気候と、擦り切れて白い筋がついた写真の表紙の片岡義男の文庫本がセットでよみがえってくる。
 
 赤毛のアンのシリーズの「アンをめぐる人々」や、「天声人語」の英語ヘ併訳版、なぜか夏目漱石も2冊ぐらいあった。当時は「今は読まないけど、そのうち読んでもいいかもしれない」と思っていた安倍公房さんの本や、片岡義男さんの本だけれど、今になったらわかる。読める本は有限で、結局好みの本ばかり読んでいると「そういえばこの人の本は読んでいないな」と思っている人の本にはなかなか手が伸びないってこと。

 本は一期一会。どんな出会い方をしたにしろ、読む機会があるのはいいことだったと思う。
 
 私が持って行った文庫本も何冊かあったな…ハインラインの「夏への扉」と、山本周五郎の「花杖記」と、栗本薫の「レダ」、それから村上知行訳の「西遊記」だったと思う。途中で一時帰国したときに田辺聖子さんの「新源氏物語」と「落窪物語」かなにかも足したはず。
 最終的に持って帰ってきたのは訳が変わったと聞いた「夏への扉」だけで、残りは「多分また買えるはず」と重さに負けて放流したはずだ。(日本に帰ってきてから買いなおした)
 
 今ではキンドルがあるからもう絶対起きないことだけれど、今、旅行とか駐在とかに行くのなら持っていく文庫本は何にするだろう。
あー、多分、「天声人語」を集めて文庫本にしたのになるかな…。それとも安野光雅の「異端審問」とかの軽いものになるだろうか。
 
 長編だったらこの際だし、「指輪物語」?6冊のほうで。いや、それともオーソン・スコット・カードの「ソングマスター」か。
 いや…意外ともう一度、田辺聖子さんの新源氏物語になるのかも。3冊で冊数的に何とかなりそうというのも大きい。10巻ものとかはやっぱり重いからね。

 自分の「この1冊」がよくわかる気がするなあ。
 あとはこれか!と思った「深代惇郎の天声人語」だけれど、もう一回読むのは電子版がいいと思って、検索したらなんと、電子版がない。うーん。
本の詳細から、「この本の電子化を希望する」リンクをクリックしておいた。
  

「さがしもの」角田光代

 息子の夏休みの読書感想文の課題図書を探したのは夏休みに入ってすぐ。リストの中でも短編集だったのがこれ。
 せっかくだからと思って私も読んだ。

 一瞬「えーっと、魔女の宅急便の作者?」と思ったのだが、その人は「角野(かどの)栄子さん」で、一文字しかあっていない。(自分でもちょっとひどいと思った)
 このひとは「かどたさん」ではなく、「かくたさん」と読むらしい。でも検索で「かどたみつよさん」で検索しても出たので、多分間違える人も多いのだろう。

 この本は「本をテーマにした短編集」。
 長編の物語というのは、大体、こういう世界で、こういう風になっていて、主人公はこういう人で、こういう背景があって…とか説明にあたる部分がある程度あってから物語に入って、事態が進行して物語が盛り上がり、そして終わるところまで全部が書いてあることが多い。

 でも、短編はこう、その一部だけを切り抜いた感じだと私は思っている。
 その切り取り方がうまい。そのはがき大の一枚をみただけで、切り取られなかった外側の部分とか、この物語を目の前に見ながら振り返ったとしたら見えたであろう景色が見えるような気がする。

 案内板だけ見て、「あ、これ体験したことある」と思わせておいて、そのつもりで見えた入り口から入っていったら、全然違う体験ができるアトラクションのような…かと思えば「ああ、こんなことあるよね…」と思わせておいてちょっとひねってあるとか、読書が好きで、本が家にたくさんある人には楽しめる本だと思う。
 自分の体験と似て、同じ絵から一部切り取ったにしろ、起点は同じで、全然違う部分を切り取ったような。似ているのは手につかめる端っこだけで、引っ張り出してみたら全然違う柄だった…みたいな感じ。

 ただ、息子の年齢だと微妙なのも多かった。
 まだ恋愛はしたことがないのもあるし、人生の過程でものの考え方が変わっていくということを体感していない年齢だからねえ。多分この本の中で一番年齢のレーティングが低いのが表題作「さがしもの」。主人公は冒頭では中学生だしぴったりともいう。
多分課題図書に選ばれたのはそれでだな。

 *外国へ行って、そこで日本語の古い本が出回っているのを見て日本語だというだけで読んでしまった。
 *付き合っていた人と別れるときに持ち物をわけた。
 *読んだ古本の中に、以前の持ち主の気配が濃く残っているのを見たことがある。(落書きとか、はさんであるものとか)
 *内容や題名があいまいな本を古本屋を歩いて探したことがある。
 *立て続けに不幸に見舞われたとき、「幸運のアイテム」とか「呪いのアイテム」があるのでは、と思ったことがある。
 *生まれて育った小さな町には、いつ行っても売る気があるのか?というような小さいお店があった。

…こういうことに思い当たることがある人には、いい読書体験が出来る本。
古本屋をめぐって本を探していた時代から、ネットで本を探せる時代までの変化も書いてあったので、多分ネットで本を探す時代しかしらない、電子書籍ネイティブと言える今の中学生よりも、絶版になったらどこにもないね、という時代を経験した人のほうがわかる話が多い。
 読ませる本だった。結局止められずに最後まで読み切った。
 やっぱり「なろう」小説とは違うな!ここしばらくそういうライトノベルしか読んでなかったからね…。ライトノベルもなろう系も面白いんだよね…面白いんだけど、文章の研ぎ澄まされ方が違うなあ。文章書くのがうまい、なんてそれを生業にしているプロの人には当たり前すぎなのだから、言うことではないのかもしれないけど…でもそう思った。
 
 野原に咲いている花の中から、「あ、これ知ってる」と思ったのがあったから引っ張って摘もうとしたら、地面に穴が開いて吸い込まれて、中で短編映画の脇役の猫になって、その世界を体験して物語を見守ってから帰ってくるみたいな本だった。
 
 面白かったのでもっと読もうと思って著作リストを見たら、どうも源氏物語の現代訳をなさったようだ。
 おおー知らなかった。読もう。人によって訳し方がいろいろだけれど、いつ読んでも面白いよね。
 まあ普段読んでるのはキンドルに入っている与謝野晶子訳(だって安いんだもの…全著作で200円)だけど。

 多分人気の作家さんなので図書館で借りるのは難しいかもしれないが、電子版になっているのもあるようだし。
 翻訳物がずっと好きで、日本の作家さんで特に気を付けて読むことにしている人はあまりいなかったので今度チェックしよう。
 
 この人の長編はまだ読んだことがないので、合うかどうかはわからないけれど、もし合わなかったら短編集だけでも読もうと思う本だった。
 

本好きの下克上再び

学校が始まるちょっと前のこと。家でとっている動画サービスのアニメを見ていた息子が、「アニメってすぐつづきがなくなるよね」と言った。
 大体言葉が足りなくなりがちな彼だが、つまり「アニメは最新回まですぐ見ることが出来るので足りない」ということらしかった。
 そりゃあ…勉強も宿題もテキトウに片づけ、他に何もせず動画ばっかり見てたらそうなるよね…とここまで出かかったのだが、言ったところで何が変わるわけでもなく、「おかあさんうるさい」と思われて終わりになるのもわかっているのでそこは口に出さなかった。

 画面を見ると、【本好きの下克上~司書になるためには手段を選んでいられません~】だった。
 「ああ、これな。お母さん本全部持ってるよ」

 そう…私はリンク先のネット小説を全部読んだ後、書籍版を既刊分全部買った。ファンブックとか、短編集とか、CDも1枚は買った。今も新刊が出るたびに購入している。そして1年ぐらい前に「面白いから読まない?」と勧めたことだってあるじゃないか!!

 ええっ??と息子は驚いていた。コミックスと市販の書籍はまだ続きが出版されている最中だが、web版の原作はちゃんと完結しているし、加筆訂正されている書籍版は「ライトノベル」というにはちょっともったいないぐらいいい出来だと思う。

 私の勧める本はあんまり読んでくれないのは、まあ好みの違いからしょうがないかとは思っていたが、その反応はないだろうよ…。いかにいい加減に私のおすすめを聞き流していたかわかろうというものだ。

 息子はアニメを見たらその気になったらしい。なるほどなあ。私はアニメよりは小説のほうが好きだ。なぜかというと、アニメは展開が遅いから!サザエさんみたいな、続き物ではなくて1エピソードごとに完結するものならともかく、長編となると、アニメの1クールでは途中までで終了になってしまって、つじつまが無理矢理合わせてあるものも昔は多かった(今はどうなんだろう)からね。

 でもまあ、本を読みたいというなら、家にあるんだしねえ。貸してやってもいいや。
 アニメを見て、本を読む気になってくれるのは親としてもうれしい。
 というわけで、今月出た最新刊までで23冊あるし、そこまで読んだら、web版で完結まで読めばいいんじゃ、というアドバイスをしておいた。
 
 ファンブックと短編集もあるんだよー!と言ったらすごく喜ばれた。
  
「てっきりクラシックかと思っていた」のだと。
 つまり、「赤毛のアン」とか「大草原の小さな家」とか「ドリトル先生シリーズ」とかの、「子供に読ませたい名作系」だと思っていたらしい。
 残念でした!私はアラフィフになっていても、ライトノベルを読む人なのだ(多分、めずらしい)。
 なろう小説であろうと、二次創作であろうと、面白ければなんでもOK、中高生向けと言われようと、気に入ったら読むよ!
 しかし、息子はまだ題名を聞いて、感じからイマドキなのと、クラシックの差が…つくほどは経験がないんだな多分。

 30巻前後で完結だとは思うけれど、既刊分23冊もあると、読んでも読んでもなくならないので楽しそうに読んでいた。
 「おかーさんこれ、最後どうなるの?」
 「大丈夫、ちゃんと完結してるから、どんどん読め」
…とあおっておいた。

 しかし、先週は「ソードアートオンライン」(アニメ化、映画化した人気シリーズ。これも元はネット小説らしい)の新刊を取り合いしながら読んだばかりだというのに、私が「どうせ息子が読まないような本」を勧めると思われていたことのほうがちょっとショック。

 私は服装だとかアクセサリーだとかのファッション系のセンスは皆無だが、小説に関してはセンスはあるほうだと思ってるからね。
自分のこだわりが、どこにあるのかよくわかるエピソードだった。
 センスがある…のとは違うか。
 
 ファッションのことは「どれがいいのかさっぱりわからないし、見わけもつかない」が、小説であれば「面白いといわれるだろう評判の高いものが割とわかるし、好みに応じて選べる」というのは確か。少なくとも「これはばっちり、自分の好みだ」と判別出来て、「なぜ私はこれを好むのか」という理由もある程度わかる。相手に勧めたらこれは好きそう!というのもある程度は…少なくとも誰にどの服が似合いそうかよりはよっぽどわかる。

 この「本好きの下克上」は、本を読むのが大好きな人で、カルチャーショックを一度でも経験したことがある人にはすごくウケる本だと思う。本を読むのが嫌いな人にはたぶんだめだと思うけどね。

 息子がしばらく読まないであろう第三部ぐらいから読み始めたら止まらなくなってしまって、午後の自由時間はすべて読書になってしまった。やっぱり面白かった。


 映像配信サービスのアニメの題名を確認すると、なろう系の小説が原作のものがいっぱいでた。
 読んだことがあるものもかなり多い。そして私が電子書籍を持っているものも。

  あと数年は、息子と読書体験が共有できそうだ。

 惜しむらくは私の好きな小説で、かなり前にアニメ化したものもあるのだけれど、アニメはあんまりいい出来ではないのもかなりあること。このアニメを見たら、小説を読む気はたぶんなくなるな…というようなのもあるので見極めはいるだろうなあ。

 本好きの下克上のアニメもちょっと見たけど、よく出来ていた。「はあ?」というような本とのずれはなかったし、何部までアニメ化するのかはしらないけど(できれば完結まで行ってほしいけど、長いからねえ)、終わったらまとめてみるのもいいかもしれない。

黄色いパンジーと本

散歩で見た花、今回はこれ。
 形から行くと絶対パンジーなんだけど、「三色すみれ」じゃないよね、これは。
 
 「アヴォンリーの小学校で机の飾りとして珍重されている黄色いすみれの…」
 ふと、本の一節が頭に流れてきた。



「赤毛のアン」だ。確か種のカタログから切り取った花の絵が机に飾るのにいいというので、今のシールのようにトレードされているというような話だった。
 
 写真や、本や、画集が今ほど簡単に手に入らなかった時代…。絵の印刷してあるものはどれでも眺めただろうし、きれいだったら切り抜いたりして、絵を取っておく子もいただろう。
 

こういう絵(wikimediaからお借りしました)が種のカタログだの、袋だのには描いてあったらしい。かわいいなあ。
 ちなみに、これは著作権放棄されているものらしいので使ったけれども、「seed catalogue pansy」とかで検索するとかわいい画像がいっぱい出る。

「赤毛のアン」をまた読もう。

 ふと、「Pansy books」というのもあった気がする…。と思って検索したら、Pansyというニックネームの人が書いた本がいっぱいあるらしい。そしてもう著作権切れなので【ただでダウンロード出来たり】する。
 この人を調べた人はこの人も調べています、というリンクがあって、そこに私が愛読しているロマンス作家、【グレース・リビングストン・ヒル(これも無料ダウンロード出来るぐらい、著作権切れの本がある)】がのっていたので、多分ロマンス作家っぽい?

 いやもう、なんせ無料なんだから、読めばいいんだよ、読めば。
 黄色いスミレが新しい読書体験への背中を押してくれた。

デマを聞いたとき思い出す本

コロナ騒ぎに時々報道されたデマ。
 紙がなくなるとか、コロナにはこれが効くとか、もう耳にしただけでデマだとわかるようなのもあったが、そういう話を原因はなににせよ、聞いたときに思い出す本がこれ、見られない場合は画像のリンク切れです【空気がなくなる日】
 
 多分小学校低学年の時に読んだ。題名がはっきりしなかったのでネットで調べたら「空気がなくなる日」と「空気のなくなる日」の両方があって、教科書にのっているのは「空気が」の方で、雑誌にある初出版は「空気の」らしい。

 これは、まだラジオやテレビも普及していない時代の話。
 彗星の尾が地球にかかり、その尾に含まれる水素が大気を占めてしまって、酸素がなくなり、人類は全員窒息する。
……そんな話が広がって、みんな大騒ぎに、というのがあらすじ。

 それもまた全員望みもなく絶滅ではなく、広がったデマが「5分間だけなくなる」というのだからもう、傍観者としては馬鹿らしいやら面白いやら…。
 でも、本の中では割と本気でその出来事が記録されているのがわかる。
 あの人もそういっていた、あの人もそうだって思っているみたいよ?と話がどんどん広がって、つまり「インフルエンサー」からどんどん広がってパニックを伴って話が大きくなり、一つ突破口があったかもと思った瞬間、全員がそこへなだれ込んでいき、いつのまにか「解決策」としてまことしやかに教えあうようになり…と、つまり「デマが起きる仕組み」がすごくわかる絵本。

 実話が下敷きになっているらしいので臨場感がある。
 
 私がこの本を読んだ当時は、多分「デマ」という語彙は自分になかったように思うが、とても面白く読めたので印象に残ったのだと思う。

 この本の世界を外から見ているから笑っていられるが、内側に…つまりその時にその場にいたならば、きっと私のところにもこういう話は聞こえてきただろう。
 1999年に人類が滅びると信じて地下シェルター作って巨大な池を掘り、食料を何年分も備蓄して一族郎党避難した人がいたのも記憶にある。デマは後から見ると、面白いんだよね…。

 こういう本のコロナウィルス版を作って、教科書に載せておけばいいのではないだろうか。
 はなこちゃんはお母さんに連れられて、トイレットペーパーをかいにいかなくてはなりませんでした。
 「おひとりさまひとつだからね!ついてきて!」
 「おかあさん、階段の下の物入れに、いっぱいもうあるのに?まだ買うの?」

とかさ。
 「僕はお母さんが、絶対していきなさいといったマスクを外してポケットに突っ込んだ。なんだか息苦しくてきらいなのだ。ウィルスにマスクは効かないという話を学校の先生はしていたのに、おかあさんはちょっとでも外に出ていくときにはマスクをしないとおこる。友達のお母さんもそうらしい。テレビもコロナの話ばっかりだ」

みたいなモノローグの入る本。
 はあ…。人類の脳が何万年とか変化していない都合上、みんなデマには踊らされるように出来ているのかもしれないけど、せっかくこの現代に教育を受けて生きているのだから、もうちょっと落ち着こう。
 報道も、やっぱりセンセーショナルな感じにしすぎだと思う。
 
 そんな時にはこういう本でも読んで、ちょっと笑っておくのがいいよね、きっと。
 

チポリーノの冒険

図書館で本を選んでいる時にちょっと題名が目に入ったのがこれ見られない場合は画像のリンク切れです【チポリーノの冒険】。頭に歌が思い浮かんだ。
♪タマネギのにおいがきらいな奴は、レモーンたいこう トマト騎士♪
 えー?歌。♪チッポリーノ、チポリーノ、ぼーくーのなーかーまーー♪
……頭の中で歌えてしまった。
しまったけれども、物語の中身が全然思い浮かばないのが不思議だ。

 これは多分小学校の全校集会で歌ったことがある感じがする。学年ごとに違う音楽の教科書ではなく、全校生に配られていたいろいろな歌を集めた小型の愛唱歌集に載っていたのだろう。
 子どものころに読んだことがある本を割と「大体こんな感じ」と覚えていることが多いのだが(その割に大人になってから読んだ本はそれほど覚えていなかったりするけど)、これに関しては全く記憶が残っていない。サクランボ坊やがいたのと、チポリーノのお母さんは出てこなくて、お父さんを助けに行く話だったぐらいの情報は頭の中に出たが、あまりにも情報が少なすぎ。

 しょうがない、読めばわかるだろうというわけで借りて読んでみた。

 見事なまでに全く記憶もどらなかった。ということはこれは「未読」なんだろうなあ。岩波少年文庫はかなりの数読んだはずなので、なぜこれが未読なのかは謎。私は小学校の図書館をかなり網羅して読んだはずだし、岩波少年文庫=スタンダードで有名なことが多いし、1960年から1980年の蔵書が多かったはずの小学校の図書館になかったとも思えないのだけれど。

 ちなみに中身は、かなり風刺が効いていて、小学生では深い意味がわからなかっただろうなあという本だった。
 「ネズナイカの冒険」とか「ムーミンシリーズ」と似た香りのする本で、大人の読者もある程度想定してあるというか、「子供の読み物のふりをして出版したけど」みたいな本。もしかしたらソ連か、ポーランドか、共産圏の本じゃあ…と思わせる感じだと思って調べてみたら、ナチスのレジスタンスにいた人だった。ソ連でも人気のある本だったらしい。ちなみに作者の【ジャンニ・ロダーリ】さんは、イタリア出身だった。



 まず貴族制度が現代に残っていない日本の田舎町ではちょっとわかりにくい権力構造に立ち向かう話だったので単に記憶が残らなかっただけなのかもしれない。今のファンタジー系の話や幼年童話を読みなれていたら、なんとなくこの粗削りな洗練されない感じというか、子供の共感を呼ぶところが少な目というか…大体「児童文学」というものがたくさんはなかった時代の物なのがわかる感じで今の日本の子どもにはあんまりウケない感じが。舞台が狭いのもちょっと問題?

 でも正直いかにも感動しろ、泣きどころはここだ、と言わんばかりの長大なストーリーではないところが好感の持てるストーリーではある。ムーミンのシリーズとの共通点はそこだと思う。彼らなりの冒険とものの考え方というものがあるのだとわかる感じ。

 私たちが生きていく上で必要な心の持ちようであるとか、身の回りにいる人を観察する力であるとか…といったようなものが書かれている本で、「ああ、いるいるこんなやつ」と思いながら読んだら割と面白い本だった。

 ちなみに私はどうも、これの「紙芝居」を見たことがあるっぽい。日本で知名度が高いのは、ちょっと年代はさかのぼるが、「チロリン村とくるみの木」というシリーズもののテレビの人形劇の原作がこれだかららしい。ウィキペディアによると812回分も制作されたそうだから、これは見た人もずいぶん多かったのだろう。
 
 まだまだ読んでいない本がいっぱいある。やっぱり映画や映像作品と違って、文章で書かれたものは今までの積み重ね分もいっぱいあるから「コンテンツが切れない」ところがいい。私が子供の本の新作をあんまり読んでいないということを含めると、私が小学生だったころから30年以上増えているのだと思うと、これは多分一生かかっても読めないんだから、楽しみと言えば楽しみだ。
 
 ただ、とっかかりのなさもあるので、まずは見覚えのある題名からかな、ということで今回はこれだった。
 おすすめか…と言われると、今回はそれほどでもない。
 ムーミンのシリーズか、ネズナイカが好きなら、またはチロリン村とクルミの木が好きならおすすめ、といったところだろう。

車の色は空の色

私が子供のころ教科書に載っていた見られない場合は画像のリンク切れです【車のいろは空のいろ『白いぼうし』】
 かなりの知名度の高さを誇る物語で、多分ブログを読んでいる人の中にも、「ああ、あれな」と思い出す人は多いと思う。

 私は割とファンタジー小説が好きだったり児童文学が好きだったりするのだけれども、この本はなぜか読んだことがなかった。
 多分だけれども、教科書でこのお話を「読みすぎた」のが原因ではなかろうか…と思う。

 私が小学生だったころは、「音読の宿題」があった。それも10回声に出して読んで来いというような回数の多いもの。たまには5回もあったような気がするが、大抵10回だった。 
 テキトウに飛ばせばいいものを、真面目だった私はつまり家で10回音読をやったわけだ。学校でその単元が終わるまで毎日そういう宿題が出た。
 どんな感動の物語でも飽き飽きすること間違いなし。

 ちなみに今20代の姪の宿題の音読回数は1回から3回が多かった。近所に住んでいて音読を聞いてサインをする役をしたことがあるので知っている。最近は3回でいいのか、楽勝だな、と思ったのだがこれでも十分姪にはつらかったようだ。
 息子の音読回数は1回だけ。それも全体ではなくてこの部分を読んで来い、というような細切れの設定が多かったので、逆に「そんなので大丈夫なの?」と思ったことがあるぐらい減っていた。

 多分「繰り返し全体を音読させる」ことには国語力増強の効果はないということが実証されて、現在ではそういう宿題はださないことになったのだろう。
 
 強制的にこれを100回以上宿題で音読した当時の私はこの「白いぼうし」がとても面白かった……とは思っていなかった。
 「夏ミカンをちょうちょの代わりにいれておく」のはどうなったのかは理解できていたはずだが、その時タクシーに乗ってきたお客さんがそのちょうちょで、というのを「こういう話って、こども用っぽすぎる」と思っていたのだった。

 最近、私はこれが「シリーズもの」だということを知った。本にして3冊、今のところ22編あるらしい。
 えー。それは初耳。私が使っていた図書館にも、少なくとも最初の1冊は(年代からいっても)あったはずだが、多分「教科書で読んだあれか、もういいや」と思って読まなかったのか?それとも「こどもっぽすぎる」と思ってスルーした中に入っていたのか…。
 
 小学校2年生の教科書に入るぐらい、1つ1つは短いお話なので、図書館で借りて読んだが一瞬だった。

 かなり面白かった。っていうか、一番つまんないのが「白いぼうし」だと思う。なぜだ。なぜ「くましんし」とか「山ねこ おことわり」の方にしなかったんだ!まあ「つまらない」というのには語弊があるかもしれないが、「白いぼうし」はなんていうか、インパクトが薄めで、印象派の絵画みたいなのだ。
 遠くの景色がなんとなくいい感じに見えてはいるんだけど、近くに寄ってしげしげと見るタイプの絵ではない感じというか。

 続編、そして最新刊にあたる3巻目の収録作品はどれもかなり面白い。
 どんな感じかというと、写実的ではないぬいぐるみみたいな感じ。
 シルエットだけ写してみたらどの動物だか全くわからないような感じに見える、色を見たら自然にはあり得ない色のぬいぐるみで、しかし一点突破でかわいさ満点、こういうのを考える人がすごいよね、どうしてこんなに愛くるしいんだろう、本物とは全然違うのに!と手のひらにそっと乗せて、愛でたいような、ころんとしたマスコットやぬいぐるみ。

 子どもが手に取って、素直になじめて可愛がれる、そういうぬいぐるみは、大人にだってもちろんかわいいのだけれど。
 
 子供向けなのがわかるのだけれど、いやー、よく出来てる。そういう物語。日常が時々ファンタジーと重なりあうその瞬間を切り取ったこの本の物語は、安房直子さんとか立原えりかさんとか柏葉幸子さんとか、ああいう国産ファンタジー系の作家さんと共通項がある。安房直子さんはもうちょっと【ぞくっとするような大人向けのファンタジー】を書いているし、柏葉幸子さんは【もうちょっと想定読者年齢が上のもの】を書いているし、【立原えりかさんの初期のメルヘン】あたりはどう考えてもところどころのシニカルさが大人向けだけれど、それをぐぐっと子供向けにしたのがこれ、といっていい。

 子ども…本物の、小さなこどもだった、6、7歳の頃は、私はこういう本の本当の面白さがわかっていなかった。ファンタジー世界にまだ片足を突っ込んだままの年齢の時には、現実世界の理解度も片足分しかない。だから現実とファンタジーの世界の邂逅が美しいということが…滅多にない素晴らしい話だということがピンとこない。

 例えば電車で隣に座った人の正体が、森のくまだったりするというようなことも「そんなこともあるのかもしれないねえ」ぐらいのノリなのだ。妖精だって「見たことないけど、いるところにはいるんだろうな」とか、そういう感じで、「そんな当たり前っぽいことが書いてある話」は、日常を描いた「ズッコケ3人組」と同列に読めてしまう。

 ファンタジーな世界は現実と全く切り離されたところにあるとわかって初めて、こういうファンタジー世界と現実が重なる瞬間に居合わせるの主人公の体験を追うことが楽しく、すばらしく思えて、こういう物語が好きになる。
 そういう意味では、当時7歳の私にはそれほど楽しめない、「ただの教科書の中の話」になってしまったのも無理のないことなのかもしれない。

 もっと早く読んでおけばよかったなあ。「子どものころ大好きだった本」になったかもしれないのに。
いや、でも大人になってからでも読んでおけてよかったのかもしれない。
 
こういうことがあるから、やっぱり児童書を読むのはやめられない。
 


ローンのハンカチーフ

子どもの頃に【若草物語】では、淑女たるもの、家を出るときには必ずハンカチーフを持っていくものだ、というようなことが書いてあった。
 ローンの薄いハンカチーフは上等だとか、向こうが透けて見えるようなのに、刺繍をしたハンカチが上品で素敵だとか、ハンカチは白に限るとか、赤毛のアンも、大草原の小さな家のローラも、大体そういう感じだった。

 幼稚園の頃や小学生のころの私はといえば、誕生日プレゼントに友達がくれたサンリオのハンカチを大事にしていた。
柄がかわいいハンカチを持っているというのは「いいこと」とされていた。30センチ四方ぐらいだっただろうか、小さいそれはトイレにいって手を一度拭いたら、2度目はあんまり水分が取れてくれない、そういうハンカチだった。
 サンリオのハンカチでないなら、もうあとは「ガーゼのハンカチ」であって、大体おばさんとか、おばあちゃんとかがくれるそれは、レースの縁取りが編みつけてあった。
 今から考えると大変に手間のかかった作品だったのだが、白いハンカチに薄黄色から山吹色の段染めのレースとか、プラムのような紫から、ショッキングピンクの段染めのレースだとかが多かった。緑のグラデーションのもあったと思うが、にっこりわらってありがとうございます、と受け取るしかなかったそのハンカチはあんまりありがたがられなかった。

 なぜ単色のレースではなく、毎回段染めだったんだ…。そこもちょっと疑問だ。一緒にキューピー人形なんかも家に来たりして、そのキューピーさんのドレスがまた、段染めのレース編み。キューピーのドレスを編んで残った分がこう、ハンカチの縁になっていた感じ。ご丁寧にも、お揃いでティッシュケースの入り口のところにレースが付いたのもあった気が…。
 せめて白か、クリーム色か、薄い色の単色ならまだかわいかったのでは……と思うのだが、編んでもらう前にリクエストするほどはほしくなかった。本体に柄のないガーゼのハンカチというのは基本「かわいくない」扱いだったからね。

 今ならわかる。あれは、「編むのが楽しい」手芸なのだ。自分で使う分だけじゃなくて、いくつも編みたくなってしまうタイプ。確かに手間がかかるものだが、編む面積が小さいのがミソか。
 そんなわけで私は、ガーゼのなんかじゃない、「ローンのハンカチーフ」にずっとあこがれがあった。
 高校生ぐらいになったとき、もうサンリオのなんか使わない年齢で、当時はまだ、ハンドタオルはポピュラーではなかった。
 
 ブランド物のハンカチなんか持っている子が多かったのだが、私は金欠だった。そのころぐらいか、コットンの布でハンカチを作り始めたのは。縁を三つ折りにしたコットンの白い布に刺繍をちょっとして持ち歩いていた。
 
 割と気にいっていたのだが、残念、近所の小さい手芸屋さんには「薄手のローン」なんていうものはおいていなかった。ごく当たり前の木綿の平織り布で作るハンカチというのは、ローンのハンカチより水分を吸うかもしれないが、厚いもので、デパートで「綿ローンハンカチーフ」などを見たときはその向こうが透けるほどの薄さに、「こういう布地って、どこにあるんだろう?」とおもったものだった。

 一応「白い大判ハンカチ」が冠婚葬祭用にお店にあるのは知っていたが、大抵織り柄で線が入っているのが多かった。これは「無地」じゃない!と私は思っていたのだ。
 
 今回見つけたのは【福市祐徳堂】という学校教材も卸している会社の白いハンカチ。白い木綿のキャンブリックのハンカチ(サンリオのハンカチの、色柄のないもの)とか、ローンのハンカチ各種サイズ、サテンのハンカチ、麻のハンカチ各サイズ。特にコットンは品ぞろえがよくて、20センチ角ぐらいの、小さい幼稚園児用?みたいなのから、35センチ、43センチ、53センチぐらいまでずらっとそろっていて、一番大きいのは110センチ…ってさすがにこれは風呂敷で、ハンカチじゃないけど。

 「お絵描きハンカチ」といって売っているものが多く、多分布用絵具で絵を描く図工とか、草木染とかろうけつ染めとかをやる家庭科の授業に使うのとか、そういう用途もあるのだろう。

 ローンの43センチ角ハンカチ5枚で1760円。うーむ、微妙な値段だ…と思ったけど購入。
 刺繍しよう。しかしここまで薄いと三つ折りがうまくミシンで縫えなかったかもしれないので買って正解だと思う。

 「刺繍したローンのハンカチーフ」とか「レースの縁取りのローンハンカチーフ」とか、そういうのにするんだ!
 なんとなくうれしい。
 

kindleで懐かしい児童書を読む

 昔大事にしていた講談社の文庫本に見られない場合は画像のリンク切れです【グリックの冒険】と、「冒険者たち」「ガンバとカワウソの冒険」があった。電子化していたので購入。アニメの「ガンバの大冒険」とはだいぶ趣が違うので注意。図書館には絶対あるんだけど…。たまに読みたくなる。



 大草原の小さな家のシリーズで、日本で一番ポピュラーなのは福音館の5冊セット。
 大きな森の小さな家
 大草原の小さな家
 プラム・クリークの土手で
 シルバークリークの岸辺で
 農場の少年
 この5冊。

これはまだ電子化していないので残念。でも、そのあとの見られない場合は画像のリンク切れです【ローラがもうちょっと大きくなった時の残りの4冊】は岩波少年文庫版で電子化している。
1:長い冬
2:大草原の小さな町
3:この楽しき日々
4:さいしょの四年間
 今でも、福音館書店の本が一番ポピュラーだと思うけれど、その本の訳と、岩波少年文庫版の訳は昔ちょっと、違和感があった。岩波書店のほうでは頭の5巻は作っていないので、福音館の方をどうしても読むことになるのだけれども、福音館の版ではローラは父親を「とうさん」、母親を「かあさん」と呼んでいた。
 昔の岩波少年文庫では、「大草原の小さな町」では、ローラは父親を「父ちゃん」「母ちゃん」と呼んでいた。
 これが違和感があるんだな!ちなみに英語では「Pa」「Ma」だった。ニュアンス的には「とうちゃん、かあちゃん」で合っていると思うけれども、最初に読んだのとずれるので気になることったら。それもあって、私はこの物語がかなり好きだったのだが岩波少年文庫のこの4冊を買っていなかった。

 何年前かな…この本が改版した時に、改訳もされていて、「父さん」「母さん」呼びになっていることが分かったときはうれしかった。というわけで、今回これもゲット。
ちなみに【英語で9冊セットの電子本】は546円であった……。安い。アメリカのアマゾンで、日本の福音館のものと同じ表紙の一番ポピュラーな出版社のものを9冊電子版で買うと34ドルするので、多分これは著作権の法律の切れ具合と関係があるのだと思う。

 

あとは…と思ったら、ミヒャエル・エンデのシリーズがおすすめに出てきた。
 「はてしない物語」とか、「モモ」とか。うーん…好きなんだけど、なんとなく再読しないな、この2冊。
 これよりも絶対再読率が高いのが見られない場合は画像のリンク切れです【ジム・ボタンの機関車大旅行】。断然こっち。続編の「ジム・ボタンと13人の海賊」もゲット。
 
 あとは国内の作家さんで、「千と千尋の神隠し」を作ったとき影響を受けたと言われる、【柏葉幸子さんの3部作】

のうちの1冊、「霧のむこうの不思議な町」を買った。この本は図書館で何度読んだか。大好きだった。

 これでしばらく読書三昧。電子書籍って字が大きく出来るからね…。2、3年前まではこんなに字の大きさのことが気になるなんて全然なかったのに、やっぱり気になり始めると電子書籍が楽なのがよくわかる。
 大人になっても、子どもだった時読んだ本が変わらず好きだ。読み方は変わってくることもあるけれど、単に楽しいというだけでも読めるのがいいところだと思う。

アーサー・ランサムのシリーズ(電子本)

【昨日の日記】に、くまのプーさんの本のことを書いたら、とても読みたくなってしまった。私はどこかに、英語版買っていたはず。それもなんだか結構安く。
 探してみると英語版のkindleの中に入っていた。まあ、いいか…。とりあえず読んだ。この物語のプーさんは、ディズニーのアニメのとは基本的に違うクマだと思う。スヌーピーとチャーリーブラウンの哲学っぽい感じがちょっと入っているような感じと言えばいいだろうか。
 ひょうひょうとしていて、大切なことが何かわかっている、でも深くは物事を考えていない感じなのが、時々なつかしくなる。何回読んでも、遠くに置き去りにしてきた何かをもう一度手に入れたような気がする本だ。

 昨日リンクをはった井伏鱒二さん訳のドリトル先生シリーズ、実は岩波少年文庫がリニューアルしたころに一度買いそろえている。実家の段ボールにあるはずだけど、正直かさばる。今回購入決定(お誕生日プレゼント兼、クリスマスプレゼント)。本は処分しよう。
 
 アーサーランサムのシリーズは、私が子どもだったころから、絶対図書館にあるシリーズだった。厚手で、結構不愛想なヨットのマークのついた12冊のハードカバーを見たことのある人も多いのではないだろうか。

1:ツバメ号とアマゾン号
2:ツバメの谷
3:ヤマネコ号の冒険
4:長い冬休み
5:オオバンクラブの無法者
6:ツバメ号の伝書バト
7:海へ出るつもりじゃなかった
8:ひみつの海
9:六人の探偵たち
10:女海賊の島
11:スカラブ号の夏休み
12:シロクマ号となぞの鳥
この12冊。
 あれと、「王子とこじき」「さらわれたデーヴィッド」「不思議の国のアリス」「ホビットの冒険」「ニワトリ号一番乗り」「夢を追う子」などが入った福音館の古典童話シリーズが大体隣り合わせになっているという配置が多かった。

 あのアーサーランサムのシリーズも買いたい、と思って調べたらあの厚みの本を岩波少年文庫にもってくると全巻上下巻になってしまうらしく、24冊。高すぎる…。おまけに訳がちょっと違う。もう一度図書館で読みなおしてから考えよう。
 
 そうおもって、念のため英語のがいくらぐらいか検索したらね?
 見られない場合は画像のリンク切れです【英語だけど全シリーズ入って200円】ってどうなのよ!!日本語版の本を揃えたら2万円越えなのに、英語版は電子版とはいえ199円、100分の1って古本どころの話じゃない。
 
 挿絵はないのかもしれないけれど、200円なら文句は言えない。その場でつい、買ってしまった。200円ならプレゼントじゃなくてお小遣いで十分だ。
 本当は「今でも好きな児童書」という題名でこれを書き始めたけれども、アーサー・ランサムのこのシリーズが200円なら、ファンの人なら欲しいかもと思うので検索できるように題名にしてみた。

 ドトールのコーヒー1杯分だもの、英語の勉強に読むにもいいだろう。赤毛のアンからちょっと落ちるぐらいの難易度ではないだろうか。ちょっと船舶系の用語はつらいところだけれど、それは日本語版でも大差ないからね(注釈が入れてある)。
 岩波少年文庫には、私が好きだった本が多い。アリソン・アトリーとかも検索したが、なんと紙の本からして絶版、高騰している本が。しょうがない、これは図書館で読むよりないな。

 しかし、200円か…。うれしいような、どこか残念なような。

クマのプーさん

年末年始にのんびりしようと思って、軽く読めるものを、と借りてきた、「くまのプーさん」。軽いからこっちでいいか、と思った岩波少年文庫だったのだが、微妙に違和感が。

 もちろん原作の英語版も読めるはずで、そっちを読めば訳の良し悪しは関係ないといえばないのだけれど、日本語版は私が子どもの時に読んだので、懐かしい気分になるというおまけがある。
 
 読むとどうも、覚えているのとちょっと違うような。多分、訳が違う…?
 【前に訳が違うのがわかって旧版を買った日記】を書いたメアリーポピンズよりは読んだ回数が少ないので、きっぱりどことはわからないが、ちょっと違う。
 ネットで調べる。こういうことは割と信憑性の高い情報があることが多い。
 わかったのは最初の訳は1940年。
 そのあと、1956年に改訳。
 その次の改訳は1985年にしているのだそうで、最終の改訳はどうも1997年の愛蔵版で訳者はどれも石井桃子さん。

うーん、私が図書館で読んだのは小学校低学年だから、85年訳ではないはず。
多分56年訳であろう。

私が今回借りてきた図書館の本はみんなきれいだったので、多分全部新しいだろうなあ。割と読み継がれている本だし、多分人気がある程度ある、ということは古い本は残らない傾向がある。再版されているならなおのことそっちを置くだろう。多分85年訳か、97年訳だろうなあ。

 しょうがないな、古本を探すか、と思ったらアマゾンのマーケットプレイスの本に「1968年、第8版」と注釈のあるものがあった。本はきれいではないようだが、そういうのがなんとなくいい。私が田舎の図書館で読んだ本はたいていそういう本だった。古びていて、ぎりぎりの補修状態。黄ばんでいても、表紙と中身が取れそうだろうと気にせず読んだ。本は中身だからねえ。人気のある本は、よく本の表紙と中身のところが割れて裂けていたっけ。小さい自治体には図書館に回す潤沢な予算などというものはなかっただろうし、かなり長い間プレハブみたいな建物だった覚えがある。今住んでいる町の図書館では、まずそういう本を見ないことを思うと、やっぱり時代というのは変わっている…のか、単にこの町がいい予算を組んでいるのかどっちだろう。
 見られない場合は画像のリンク切れです【ハードカバーの2冊合本】。私が読んだのもこういう本だったはず。これと、「風にのってきたメアリーポピンズ」の2冊は愛読したなあ。
 今回買った古本は送料込み500円ぐらいだった。


 本当は訳としては現在出版されている訳のほうが正しいのだろうけれども……。村岡花子さん訳の赤毛のアンシリーズとか、瀬田貞二さんの訳の指輪物語とか、井伏鱒二さん訳のドリトル先生シリーズがいいとか、岩田 欣三さんのアーサー・ランサムの(ツバメ号とアマゾン号から始まる12巻もの)シリーズがいいとか、昔読んだのが好き、ということはあると思う。

 神宮輝夫さんのアーサー・ランサムサーガはかなりいいと思う(読んだ)し、ドリトル先生の未訳のシリーズが読める「つばさ文庫」のも、読んだらそれはそれで面白かったけど、買えるなら古いのがいいなあ。
 

ちなみにドリトル先生は見られない場合は画像のリンク切れです【井伏鱒二さん訳のもの】が買えるし、電子書籍版もある。私の誕生日兼、クリスマスプレゼントは「電子本たくさん」にしようかな!
 そう思って、ほしい金額の合計を出したら4万円ではきかなかった。

 だめだ、さすがにこんなにたくさんは頼めない。2万円なら、多分OKが出るんだけどな…。もうちょっと考える。




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くまのパディントン再読


最近、息子が読む本がないないというので私のkindleを貸したのが、これ、見られない場合は画像のリンク切れです【くまのパディントン】シリーズ。
 割と対象年齢が低く、私は小学校の低学年の頃に、このシリーズを図書館で読んだ。

 やけにマーマレードがおいしそうに思えてくる本で、この挿絵のクマのかわいいこと。
 イギリスのお話なので、「お茶の時間」や、「クリケット」など、イギリスらしい習慣もうかがえて、イギリスもの好きになったと思う。
 
 息子が、何冊か読んでからいうには、「この本は、読んでると、途中で『うぎゃーーー』ってなるんだ」というので、それはなに?とたずねると、つまりパディントンがいろいろ「やらかす」のを見ていると、こっちがハラハラしてはずかしくなってくるのだと。
 つまり、息子が感情移入しているのはパディントン本人?

 なるほどー。そりゃ、うぎゃーってなるわね。
 私は傍観者として眺めている感じでこの本を読んでいたので「おおっ」とか「うわあ!」とか、「かわいいーー!」とかにはなっても、うぎゃああ!とはならない。

 でも気持ちはわかるなあ。
 うぎゃーー!となるたびに中断するので、それほど分厚い本でもないのに、なかなか全部は読めていないそうだ。

 ああーーまたやらかす、絶対やらかすぅうう!と思いながら読むとハラハラするんだろうなあ。
 そういう読み方が出来るのは、やっぱり子どもだからだろうか。でも私はこの本そんなふうに読んだかなあ。

 軽く読める本だし、大体図書館にあるので、傍観者になってかわいいのを眺めるもよし、ハラハラしながら見守るもよしの名作だ。
 映画もあるんだけど、映画ではいろいろなところがすっとんでいて、あっという間に終わってしまうのでやっぱり本のほうがおすすめ。



*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

体験型小説のすすめ

最近【小説家になろう】というサイトで投稿小説を読むのにはまっている。とはいえ、ネットの連載小説というのは1ページずつクリックすることになるので読みづらいから、【kindle用文書変換サイト】を使って変換してから読んでいる。

 人気ランキングから選べば、結構面白いのにあたるし、これはいける!と思ったら電子書籍を買ったのもある。
 なんせ無料で試し読みが出来る(なんなら完結まで全部読める)ので、ものすごーくいいサイトだ。もちろん誤字脱字文章の稚拙さとかには目をつぶるしかないし、完結しないものも多いから、そのあたりは無料と割り切って読むしかない。

 面白いものはかなりの数「書籍化」つまり出版社が目を付けて文章を加筆訂正などして、本、電子書籍として出版されているから、改稿され、誤字脱字チェックのある程度入ったものを読みたければ金を出せ、ということだね。いくつか気に入ったものは買った。

 ここで大人気なのが「異世界転生もの」というジャンル。これは私たち日本に住む誰かが、全く違う物語の中の世界にふっとばされたり、赤ちゃんとしてその世界に生まれたり、またはその世界である程度の年齢になるまで育った時に日本に住んでいた時の記憶がよみがえって、そのころの知識を利用して、「中身は日本人」のままその世界で生きていく様子を読むというもの。

 小説とか、エッセイとかが面白いのは、「そうだよねえ」と共感できるからじゃないかと私は思う。
 主人公の体験を自分のことのように読み、年齢や性別や育った環境が違っても感情や気分は共通のものとして楽しむのが読書の、または映画やマンガの楽しみだと思うが、それにはかなり自力で想像する力がないとだめなわけで。

 共感する力が低いと、自分と似ている人のものしか共感できないし、育った環境や性別の差を想像力で補えなければ物語というのは共感度が低くなるので楽しめなくなる。その敷居をぐっと低くするのが、この「異世界転生」もの。

 異世界に暮らしている人の常識はないところからスタート。日本人にとってあたりまえの常識と照らし合わせながら順応していくことになる。もちろん主人公は現代日本人なので、常識は読者とかなり共通するから、それ以外に文章で解説をされていく形に落ち着いていく。想像力を働かせなくても、解説されて正しい道のりがあって、その世界に入っていきやすいように知らない間に誘導されている。気が付いたら主人公の肩越しにのぞき込むような感じにその世界になじめる。

 なるほど、普通のファンタジー小説より読みやすくなるんだなあ。何かに似ている、この感じ、どこかで…とずっと思っていたのだけれど、わかった。あれだ、遊園地の体験型アトラクション。本物じゃない、でも十分面白さが堪能できるように作ってあるヴァーチャルアトラクションに似ている感じ。

 惜しむらくは異世界転生ものがファンタジーと恋愛ものに偏っているところ。まあ、どれも面白いけど!(タダだし!)
サイエンスフィクション系とか、ハードボイルドアクションものとかがもっとあればいいのになあ。
 ただ……こういうのに慣れてしまうと普通の小説の導入部を読んで、面白いところまでたどり着く力が弱くなりそうではある。

いったい何を見ていたんだろう

サラダオイル詰め替え用の袋の端を切り取った、U字型の袋部分にたまった微量のオイルを見ながら、「これを気球の下につければ火をつけて飛ばせるよね」とか考えているところで目が覚めた。

なにそれ。そこまでで何をしていたのかが全部すっ飛んで覚えていないのに、サラダ油がこぼれないように持っている時の感じが手に残っていた。

夢って自分の脳みそに入っていることから構築されるみたいだけど、たまにこういうすごくへんてこなのが出るから面白いんだよなあ。
 本当に小さい袋で、小さじ1杯入るかどうかというような袋だったから(ちぎりとった端だったし)、気球といっても自分が乗るような大掛かりなものではなかったはず。夢の中の自分は一体、小型の気球で何をするつもりだったんだろう。気象の観測とか?輸送じゃないだろうなあ。

おまけにそういう火力……つまりサラダオイルは芯をいれればないよりましなランプにはなるけど、熱気球にはたりないのでは?とか疑問も思い浮かぶが、夢の中の自分は全くといっていいほど自分の考えの合理性に疑問を持っていなかった。あの量のオイルをいれて飛ぶ気球か……ミニミニサイズで魔法で飛んでるんだよね、それ。

 火はスイッチとしての役割しかないのだ、きっと。
 ここしばらくファンタジーなライトノベルばっかり読んでたからなあ。それの影響か。夢の中で楽しくやっている自分が多分いて。その活動にほとんどかめないのが残念だ。

 

はあ…。なんか楽しいことないかなあ。
 まずは掃除、洗濯、ごはんだものね。がんばろう。

気球を作って夜飛ぶ話は、たしか……。これだっけ。
見られない場合は画像のリンク切れです【ゲイルズバーグの春を愛す】。気球にのるのはこの本の短編、「大胆不敵な気球乗り」。他にもタイムパラドックスものとか、パラレルワールドもの、日常にひそんだファンタジーとしては滅多にない傑作選だと思う。

また読もうかな。


老後が怖くなくなる本(その1)

【吉沢久子さん】という人の本を読んだ。

 題名が「90歳。一人暮らしを楽しんで生きる」という本だったのだけれども、これが棚に並んでいて、91歳、92歳、93歳……とずらっとならんで96歳まであった(後で見たらもっと後のも下の段にあった。多分100歳まである)そのインパクトに目を惹かれたので手に取った。

 この人はエッセイを書いたり講演会に出たりするような人で、地方の新聞にコラムを書いたりもしているということが何となく本文から読み取れた。職業で行くと、文筆業とか、エッセイストだろうか。

 おいしいものを、びっくりするような高価なものではなく、日常でも手に入るような自分の好きなものを、好きなように調理して食べ、出来ることはやって、出来ないことは手伝ってもらって、鉢植えの世話をしたり、自分の姪やその子たち、孫たちを時にもてなしたり。そんなに遠くに出かけることもないけれども、一人暮らしを自分のペースで楽しんでいることがうかがえて、風流な感じというか、しみじみとくらしているのだなあ……というのがわかってちょっとうらやましくなるような、そんな文章だった。

 私はあんまり人づきあいのある方ではないし、この人みたいに色々な人間関係をうまく構築して、ちょっとしたことが頼めるような親しい人がいる暮らしにはならないと思うけれども、一人でも、それなりに身の回りのことをこなしてやっていけるのではないか…と思わせてくれる。調べてみるとこういう「老後生活の本」と言ったようなテーマの本をかなりたくさん出している。売れるんだろうな…。
 年を取らない人間はいないからねえ。みんなが「自分のこと」として考える問題なので、読みたい人が多いのだと思う。

 なんせ老後に何千万必要とか、年金が破綻するとか、コンパクトシティ構想で田舎の方は人が住めなくなるとか、なんだか将来が怖くなってしまうような話が多い昨今、自分の食べる分だけの簡単料理をして、贅沢しなければそれなりにやっていけるというトーンに安心感がある。

 この人は現役でエッセイを書いているぐらいだから収入もあるだろうけれど……とかまじめに考えてしまうとそこまで自分にあてはまらないかもしれないといえばしれないが、年金破綻にしろ、コンパクトシティにしろ、何千万必要な話にしろ、あんまり突き詰めて考えてもしょうがないのも確かだものね。

 もちろんこんな年齢になる前にさっさと死ぬかもしれないし、それをいうなら明日にいきなり暴走車にひかれて死ぬかもしれないなんて考え始めたら老後のことなんか考えるだけ無駄。

 だとしたら、雰囲気重視でこういう本を読んで、私も、家でご飯炊いて味噌汁作って、浅漬けでもして、後はお惣菜買ってご飯にしたらいいし、鉢植えの世話ぐらいはして、後はブログでも書いたら、楽しいかなあ…ぐらいのことを思っておくのもいいよね。
 手を抜いて、人づきあいは義理でしかなきゃやめて、本当に仲のいい人とだけ連絡とって……。出来ないことは出来なくていい、そういう老後。

 読んでいるとわかるのは、まず「毎日生きているだけでいい」とこの人が思っているところ。社会貢献がどう、とか専業主婦は役立たずだとネットで言われているとか、そういうことを全く問題にしていない。多分、戦争を体験した世代だからだと思う。
 食べ物がなくて死んでいった幼い子供たちや、兵隊に行って死んでいった家族がある人がとても多かった時代を抜けてきたら、確かに毎日ご飯食べて、それなりに元気に暮らせればいいのだと実感できるのだろう。

 それを私が真似してもいいなあ、と思う。毎日ご飯作って、洗濯掃除して、ご飯食べてお風呂入って寝るだけといえばだけ。編み物をしているか、ゲームをしているか、本を読んでいるか……というようなことはあっても、そういう毎日。
 仕事をして社会貢献をしている人を見ていると、自分はこれでいいのか、なんて気分がしてくる私にとっては、「これでいいんじゃないかなあ」と思わせてくれる本で、そして、きっとなんとかなる、と思わせてくれる本だった。

献立のヒント

献立を毎日考えるというのは、意外と面倒だ。
 正直なところ決まってしまってから材料を買い、作るほうが気が楽な気がするぐらい。
 まず、バランスの取れた献立であること。「きつねうどんと、ごはんできつねうどん定食」みたいな炭水化物バンザイ献立というのは出さないことになっている。まあ、タコ焼きとかお好み焼きも時々は出すが、それは時々だからいいのであって、しょっちゅう出すのはダメということにしている。

 次に、予算に大体おさまること。料理というのは材料がゴージャスならそれだけでかなりおいしくなる。だからといってお金をどんどん使って高い材料を買うと家計費がかかってしょうがない。節約大切。材料が珍しくなく、近隣で買えるのも大切だ。

 そして最後に「あんまり同じものがしょっちゅう出ないこと」。これが一番難しい。うちの夫はあんまり珍しいものを食べたいというタイプではない。玉ねぎと肉を甘辛く炒めた料理が一番好きで、それと唐揚げとカレーの3種類しか献立がなくてもいいと言うぐらいには、バラエティには無頓着。

  ハンバーグもいつでも歓迎、トンカツはうれしいし、寒い時期ならグラタンもいいね…ぐらいのことしか考えていないため、献立に迷ったときに意見を聞いてみてもあんまり参考にはならない。息子も「おいしければなんでもー」という、わがままなのかテキトウなのかよくわからない意見しか出てこないから、家族二人の意見は全く参考にならない。

 そして私は料理があんまりうまくない。夫や息子と比べると格段に上手と言えるだろうが、それは比較対象の問題であって、主婦歴が長い割には腕が上がっていないのが実情だ。失敗しづらい煮物とおひたしと、胡麻和えが多い。
 失敗しづらく、作りやすく、料理にかかる所要時間が短いという隠れた条件も実は、ある。

 昨日、アマゾンの購入履歴からのおすすめの所に見られない場合は画像のリンク切れです【ソードアートオンラインの22巻目】が出た。これはつまり私がソードアートオンラインを買っているから出るんだろうな。
 新刊?と思って即行で買ったら、21巻のストーリーの続きではなく、短編集、DVDボックスとかの特典の小説だったらしい。DVDボックスを買わないと読めなかったものなのでうれしい。
 バーチャルリアリティゲームの中でクレープを食べるシーンがあった。
 そのクレープのおいしそうなことったら!!果物と、クリームとトッピング……。やわらかく、まだあたたかい生地に冷たい生クリームがあふれそうになるところにかぶりつくときの感じが頭の中に再生された。うわあ……食べたいなあ。

 そしてもう1篇は、こっちはゲーム内ではなくて主人公たちが家で夕飯にうどんを作って食べるところ。
 冷たいうどんだったのだけれど、温泉卵やエビをのせたうどん。温泉卵とうどんがからんだところがやたらと食べたくなってしまった。冷たいうどんは、もうあんまり気分じゃないけど、鍋焼きうどんだったらどうだろう?最後に温泉卵のっけてたべたら、きっとおいしいなあ……と思ったらもう、それ以外の献立が頭に浮かばなくなってしまった。

 鶏肉、息子と夫はモモ肉で、私は胸肉(カロリー少な目だ)、お店のエビで一番小さいの(冷凍のはそれほど高くない)、お浸しにでもしようと思って買っておいたほうれん草、ネギ。準備しているとなんていうか、鍋っぽいチョイスだ。
 うどんもちょっと奮発して、32円の一番安いゆでうどんではなく、「讃岐うどん」と書いてあって、煮てもくずれにくいという75円のうどんにしてみた。

  しいたけは高かったのでシメジになったが、薄切りのカマボコをのせればぐっと「うどん」ぽさがある。ぐつぐつ煮てから、最後に温泉卵をぱかんと割ってのせて出した。
 タンパク質にエビと卵と鶏肉にカマボコ、ほうれん草とネギとキノコで野菜たっぷりで、炭水化物にうどん、と。バランスはOKのはず。
 
 夫は「寒くなったねえ、上着はもうちょっと厚いのがいいかも?」と帰って来て、「風邪ひきかけみたいな感じだったからこれはいいいねえ」と喜んでいたし、息子は「エビ好きー。うどんに温泉卵からまってるのがいいー」と喜んでいた。
 大成功、予算内におさまるし、バランスOK、作るの簡単、片付けも楽、おまけに家族に好評ということない献立だった。

 1カ月に1回だったら、作っても多すぎないかな。覚えておこう。
 

アップデート必須

図書館で見られない場合は画像のリンク切れです【あなたの知らない奈良県の歴史】という本を見つけて読んだ。

 この本の出版元へ行って、紹介ページにリンクを貼ろうと思ったら【洋泉社】のサイトはあったけれども、この本が検索しても出ない。絶版なのか?

 読んでみたら、なるほど私が小中学生の時習った定説を覆すような話がちょこちょこ入っていて面白かった。
 「平成8年に発見された」とかだと、確かに……。そのころには歴史の教科書とは縁がなかったからなあ。
 今の20代、30代のヒトなら「そう習った」ことでも、40代だとずれてるってことかあ。と思いながら読んだ。

 学問は後から発見がある。例えば生物学とかでも昔私の子供のころは恐竜の祖先というのは爬虫類と共通だということになっていたが、今の定説では恐竜の祖先は鳥類の祖先と共通しているということになっている話とかを見ると、アップデート必須。

 社会の常識と言われることも、技術革新と共に結構変わってきていて、パソコンは30万円もしない上に、長く使えるようになったから、企業でもリースよりは購入を考えるようになったとか、電話も「もしもし」と出るのは携帯電話、スマホが普及した今「常識」じゃないとか、いろいろと「そう言われればそうかあ」ということにも時々気づく。

 気を付けて自分のアップデートをしていかないと、「それが当たり前」「そんなの常識」と思っていることがずれてきて、時々見かける「最近の若いもんは常識がない」と怒っている人になっていきそうな気がする。

 ネットを見ていると、匿名だからか罵倒も多いし、情報の出どころが怪しいものも多い。やっぱり本は大事だよね。
 再読したい本も多いのだけれど、新しい本、見たことない本をなるべく読もう。

 もしかして、この歴史の本も、もうすでに古いのかもしれない。平成20年から後に出た本も探すかな。


俺はまだ本気出してないだけ?

いざというときになったらきっと、なんとか出来る。
 そう思っている人は多いのではないだろうか。

 私も、そう思って生きてきた年月は長いと思う。まあ、若いころの「いざ」なんて受験とか試合とかそういうものが多いこともあって、どうにかなってしまうことも多いし、命の危険はないから、そういうことを思ったままでいられる人のほうが多いだろう。

 「俺は本気出したら出来る」というのは、本気を出す機会もない、または本気を出すことを避けてのらりくらりと暮らしている人の決め台詞であって、本当はそんな力、出るわけないよと揶揄するのはネットの書き込みではよくあることだし、実は本気なんか出さなくても、それなりに暮らしていければいいという意見もネットではよく見る感じがする。

 いざというのはいったいどんな時なのか。大震災とか大水害などの災害や、事故などの大怪我、病気、人間関係におけるトラブルや仕事での無理が引き起こすメンタルの問題。自分のことでないならば、家族の大怪我、病気、入院、介護、死亡……。
 ストレスがかかりすぎると大抵の人は体とか心がうまく機能しなくなる。自分でそうなっているのね、と気が付けば対処も出来るのだけれど、例えば私の場合は「大丈夫大丈夫」と言いながらそのまま深みにはまり、眠れなくなって、そのままナチュラル・ハイのような状態になっていき、自分の状態に気づかないまま体も極限状態になって、そのまま心の状態も連動して悪くなって、周りの人が「絶対おかしい」と気づくぐらいになっても、まだ大丈夫と思っている……というようなことになってしまう。

 周りの親しい人に言われて、心療内科に行ったときにはもう、まごうかたなく異常なところまで行ってしまっていると言われ、薬を飲んですべての活動をほぼ停止して休んでしばらくたってはじめて、「あー。あれは無理してたのかも」と気づくというのを何度か(一度じゃないところがちょっとひどい)やって、自分が実はストレス耐性がかなりないのでは…と実感することになったのは、中年になってからっていうの、どうなの、ほんと。

 自分にストレスがかかっているのに気付くのが遅いし、気づいたときにはすでに手遅れみたいになっているとなれば、まず予防的にストレスがかからないように生活しなくてはならないのだということが今わかっただけでもまだマシ……と思っておくほかはない。

 かっこ悪いんだよねえ、やっぱり。何かストレスがかかったら、そこからなるべく離れるという対処を取らなくてはならないのってさ。こんな年齢になっても、格好がつけたいのか、と言われるとちょっと恥ずかしいが、やっぱり、こう、「本気出したら最高峰」っていうのってかっこよくない?夢じゃない?ロマンじゃない?それを小説にしたのが、これ、 見られない場合は画像のリンク切れです【ソードアートオンライン】

 主人公、キリトは命を懸けた勝負をしなきゃいけない世界に無理矢理突っ込まれて離脱不可能になるのだけれど、そこで自分を信じて、明日に希望を持ち、そして最高峰になってしまうという、そういうお話なのだった。

 もちろん現実世界ではそれほど能力もない普通の男の子なんだけど、そこはそれ、違う世界に閉じ込められるので……その中では最高峰、と。その異世界とは、ゲームの中。それも出られないゲームの中ってところが、この物語の肝。
 
 ネタバレはしないつもりのレビューなので細かいことは省くけれども、つまりこれは、「本気出したら俺って世界最強」を地で行く話だってこと。ゲーム内なのに現実の命もかかっているのもいい。
 もちろん努力してもかなわないこともあるし、現実を見ろという意見もあるだろうし、世界最強だなんて寝言は寝て言えだろう。でも…。本気出したら最強というのは別に持っていて困る夢でもない。

 まだ一度も起きていない本気の「いざとなったら」の「いざ」を怖がって慎重になりすぎるよりも、「いざ」が来た時も、きっと平気、本気出したら絶対いける!と思えるほうが健康にいいのではないだろうかと思う。私にはもう見られなくなった夢だけれども、このライトノベルを読む年齢の人たちにはその夢を持っていてほしい。

 なんせ、本当の本気で「いざ」が来てしまったときは最弱or最強であろうが平均的であろうが対処するしかないから。だめなら心が折れて病むという結末になるだろうし、だめでないなら、「神様は耐えられない試練は送らない」というようなテキトウな言葉で説明されてしまう。耐えられる試練というのは、「まだ大丈夫レベル」という判定になってしまいやすい。そうなると「まだ本気出してなかったんじゃあ」ということに……?耐えられる試練と、耐えられない試練は、紙一重かもしれなくても。

 何に、どれだけ耐えられるかということは個人によって違う。本当にこの小説みたいなことが起きたら……私は何百人かの人と一緒に死んでいただろうと思う。でも……でも。
 今はこの小説を読んで、ああ、主人公かっこいい!と喜びたい。私もきっと戦えるのだと。この本を読む価値はその爽快感にある。

 既刊が21巻とたくさんあるのだけれども、実は1巻だけ読んでもそこで完結でOKになっているので、1巻だけでもおすすめしたい1冊。
細かいエピソード集が2巻で、全く違う世界に入りなおしていく形で3巻から続くので、「あれはどうなったの?面白くないけどとりあえず結末は知りたい」とかいう風になっていないので構成としてはよく出来ている。
 IFシリーズとでもいうべき「ソードアートオンライン プログレッシブ」という別シリーズの文庫も6冊まで既刊読了。
 コミックスは読んでいないが、アニメと長編映画も見てしまった。

楽しみのために読む本で、別にこの本はためになるとか、教訓が学べるとか、そういうことではない。でもやっぱりおすすめしたい一冊。

フルメタル・パニック

長い連休に、ちょっとまとめて本を読みたいな…と思ったとき、アマゾンでゴールデンウィークセールをしているのを見つけた。
 大体半額。これは大きい。つまり、300円前後で1冊買えるというわけだ。
 セールになっているシリーズを見渡して、聞いたことのある題名の小説を買うことにした。
 この見られない場合は画像のリンク切れです【フルメタル・パニック】は、確かコミック化していたし、アニメ化していたはずなので人気もあるし、2000年より前に噂だけは聞いていた…ということはこの小説は長生きしているということ。
 マンガ化、アニメ化、長期間販売。大体この3つの条件にあてはまるものは傑作が多い。映画化…まで行くともっとすごいだろうが、まあそこまでは無理としてもだ。

 まず、12冊ゲット。ちなみに長距離移動の時に読み始めたのだが、スピード感があって次々読めるし、主人公が魅力的。
 今のライトノベルにありがちな、主人公がなぜか理由もなく何人もからモテモテ…というのではなくて、主人公ひとりに、基本ヒロインひとり。まあ、片思い的な人はもうひとりあるものの、主人公はその人には、そういう気はないとはっきり断るところがいい感じだった。

 主人公に感情移入して読む人には、モテてモテて…という状態がいいのかもしれないが、私はやっぱり、恋愛は一対一がいいなあ。たまにはハーレム系もいいかもだけれど、今回は王道の恋愛だったので(レートは多分R15でキスまで)昔ながらの…というとなんだけれども、安心して読める感じ。

 もちろんライトノベルなんだからして、ご都合主義といえばそうなんだけれど、物語として楽しめるぐらいにはご都合主義であり、かといって「いくらフィクションといっても、これはないわー」というほどではなく。
 結局寝る時間も惜しんで2日で12冊読み終え、番外編(9冊)とか短編集(3冊)まで買いまくって(これも大体半額)全部読みつくして、結局3日半かかった。合計24冊を12冊分のお値段で。ゴールデンウィーク10連休の出費として妥当だろう。
 
 主人公が強くて痛快…なのはまあ、ライトノベルの王道として、でも極端な環境で育ったため、日本の環境になじんでおらず時々とんでもないことをやるスラップスティックコメディになっているのが面白くて、電車の中で読んでいるというのに何度かふきだしたぐらいだ。カルチャーショックを経験したことがあれば余計面白いと思う。
 
 こういうのを全速力で読んでいると思うのが電子書籍のありがたさ。3時間で6冊なんて、持ち歩こうと思ったら重たいからね…。 これは多分時々読み返すと思う。

 この本の作者さんが監督をして、違う人が書いた、同じ世界の小説があるらしいのだけれど、そっちはどうするかなあ…。あんまり登場人物は同じじゃないらしい。(パラパラとは出てくるらしいけど)ので、ちょっとネットで調べながら悩んだけど、アマゾンを見に行ったら、半額じゃなかった。あ、残念、お小遣い切れ。

 また次回にしよう。
 しかし楽しかったなあ…。傑作だった。中高生でもないのにライトノベルが大好きというのは、実は悪癖なのかもしれないが、やっぱりやめられない。

よだかの星

  【よだかの星】というお菓子をもらった。
よだかの星というのは、宮沢賢治の書いた物語で、見かけがよくなくていじめられているよだかという鳥が、美しい星に…と書くと5秒で解説終了みたいなお話…ではあるのだが、読んでいるともの悲しくなってきて、子供の頃は好きな話ではなかった。

 宮沢賢治の書くものは、「注文の多い料理店」みたいな、ちょっとユーモラスなものはともかく、オツベルと象とか、グスコーブドリの伝記とか、終わりかたがどうにも、「これって、これでいいのかーーーっ」という感じのものが多かった。
 セロ弾きのゴーシュや、銀河鉄道の夜は割と好きなんだけど…。

 よだかが、「まるで味噌をつけたような」茶色のまだらだというところから、このおせんべいは作られたのだろうけど、とガブっとかじったら、おっと?これはおせんべいの味ではなかった。かりんとうの味だ。

 えー。こんな形なのに。黒っぽいところが黒砂糖なのはなんとなく見当がついたが、べとべとした黒砂糖と、油で揚げたこの味は絶対、かりんとう。

 見かけから、夫は「あんまり…」と思ったらしく、「俺いらない」といわれていたのだが、あんまりにもおいしいので、「すっごくおいしいかりんとうだったよ!」と半分に割ってすすめておいた。

 かりんとう、特に薄茶色でピーナッツがまわりにくっついたやつは、実は大好きで、ものすごくたくさん食べてしまうので、体重管理の面から禁じ手にしてあったのだが、ひさしぶりにかりんとうを口にしてとてもおいしかった。

 悲劇といってもいい、「よだかの星」がこんなにおいしいなんて…。みんなに愛されるおいしいお菓子といっていいよね。
よだかは、幸せになれたんだろうか。
どこかで、あのよだかが笑っているといいなあ、と思った。

ドナルド・キーンさんのこと

私が、ドナルド・キーンさんの本を最初に読んだのは多分中学生の時だ。
いまwikiを見てみると、1979年あたりの著作が多いから、そのあたりが図書館のエッセイ本のコーナーにあるのを読んだのだと思う。

なめらかな日本語で、書いていることはもちろん外国に育った人の目から見た日本ということから、著者が日本のヒトでないことは明白だったが、最初はてっきり、翻訳されているのだと勘違いしていたぐらいだ。

 1980年代は、まだアメリカの工業なんかも強くて、アメリカという超大国から、遠くの島国を…みたいな論調になるものが他の外国人作家からも出されているものが多かったように思う。ただただ、西洋からみた東洋のその文化の大幅な違いに魅せられた人の感動と、全く理解できないことを自虐的に書いたものも結構あった。

 今でいうと、ネットに「日本人がいかに素晴らしく、外国とは違うか」というようなことを書いたものがあふれているのに似ている。書いているのが外国人ということで、日本人としてはなかなかに面白く読めて、外国から見たらこう見えるのか、と思える、そういう本とは、キーンさんの本は一線を画していた。

 彼は…。なんというのだろう、日本人の心を、文学から解き明かして、中に入り込み、日本人としての考え方を身に着けているとしか思えなかった。古典を読み込む日本人だって少ないのに、きっとこの人はすごく凝り性だ(当時はマニアックという言葉は知らなかったと思う)と思ったものだ。

 この人の本は、割と図書館にも入っていることが多く、お金のない中学生高校生も読むことが出来た。90年代の著作までは、かなり読んだはず。

 私は、その後渡米した。
 文化というものは、その場に行ってみているだけでも、ちょっとならわかる。ものの考え方も、テレビ、ラジオ、本、映画、そういうものを取り入れ始めると味が違うのがわかる。
 ドナルド・キーンさんと反対向きに文化交流をした私はといえば、その違いに新鮮な驚きを覚えたのも確かだが、そのなじまなさ加減にぐったり疲れた。日本に住んで、外を眺めるのと、外国に住んで体験するというのは、違うものだということがわかった。
 
 西洋文化圏の本は、キリスト、ユダヤ教系の一神教がしみこんでいるものが多い。善悪の基準や、死生観や、世界のとらえ方がそうなっている。アメリカ文学、イギリス文学は大学でやったけど(実は文学専攻だった)解説を聞いて、その宗教のしみこみ方の頑固さというか、強固さは、驚きだった。
 アメリカが、宗教弾圧で逃げてきた人で作った国だというのは、ダテじゃない。

 1990年代のかなり西洋文化を受け入れた後の日本から行ってもこうなんだもの、アメリカから戦後すぐの日本人の手帳だの、英訳とはいえ1000年昔の源氏物語から日本文化をかじり始めたキーンさんは、大丈夫だったんだろうか。
 アメリカにくたびれた私はあの本、書いてた人すごいわ、としみじみした。これだけ差があるものを、よくぞ…と。

 日本に、ある程度アメリカにひたって微妙にアメリカ味になった私が帰ったあと、私はこの人のエッセイ、多分新聞の連載かなにかのだったか、またはインタビューだったかを読んだ。
 もう一カ所しか覚えていないのだけれども。

 当時、キーンさんは日本語を研究し始めてから何十年も経っていて、古典も、もちろん近現代のものも読み込み、研究者として言えば大学で古典とか文学の授業の教授が出来るぐらいになっていたわけなのだけれど、それでもキーンさんのところには、15歳の日本人中学生から「あなたは日本人じゃないから、日本の心がわかっていない」というような手紙が届く、というような話だった。

日本人が生まれながらにして持っている「日本人の心」というものがあると信じている人があるのだけれど、それはその15歳の人が生まれる前30年も40年も前から、日本語を勉強している人にわからないものなんだろうか、と。

 私はこの話を読んだ時、キーンさんにとても、同情した。そりゃないだろう…と思ったものだ。
 アメリカは、移民の国で、まあ最近はトランプのこともあるから、移民には厳しくなったけれど、当時は合法的に来る移民は歓迎していたし、移民がアメリカのエンジンとして働き、いつでも新しい力を得て先端を走り続けるのがアメリカである、という空気があった。
 国を盛り立て、何も持たないところから勤勉に働き、アメリカンドリームをかなえる、それが正しいアメリカ人だとみんなが信じていた。
 元来た国がどこか、なんていうことは問題ではない。アメリカに貢献するのがアメリカ人だと。

かたや文化にこれだけ貢献しても、日本人の心がないと言われてしまう日本。 
日本人が美徳だと思う性質をもった人はもちろん、アメリカにもいた。
ただ、日本に、公衆道徳や、謙譲の美徳を持っていない日本人がいるように、アメリカにもそういう人たちはいる、それだけなのだから。
私は、「日本だけが特別」と思うのはやめておこう。この日本語の研究者である、キーンさんのためにも。
 これだけ日本のことを真摯に研究している人に、そんな失礼なことを言う人にはなりたくない。
 彼の本のファンだった私はひそかにそう、決心したのだった。キーンさんはそんなこと夢にも知らないだろうけど。

彼の日本語は、美しかった。本は興味深く読みやすく、わかりやすいものが多かった。
正確で読みやすく、なおかつ美しい、そういうことがかけるのが文学者なんだな…ということがよくわかる本。

鬼怒鳴門なんていう漢字の選び方に茶目っ気を感じる。
 キーンさんの宗教がどれだったかは存じ上げないが(ご両親がイディッシュだということはユダヤ教?)、意外と、仏教風に、極楽浄土なんていうのが似合いそうな方だと思う。
 きっと、IC録音機なんか持って、紫式部のインタビューを…なんて。もうとっくに生まれ変わって紫式部には会えなかったりして。

 全著作集なんていうものが出ているのは今回初めて知った。
 この人の本をまた、読もうかな…と思った日だった。

橋本治さんの思い出

橋本治さんが、亡くなった話をちょっと前に聞いた。
 私はもちろん、橋本治さんと個人的な面識はないが、なんとなく「知っている作家さん」みたいな気がしていた。つまり、その人の書いた本を何冊か読んだことがあって、顔と名前と、どんなことをする人かが一致している作家さんだ、と。

 大体私は作家の名前なんか見ずに本を読むことが多かった。特に子供の頃は。だから、昔に読んだこんなストーリーの本…とまでは思い出せても、描いた人の名前なんかちぃっとも思い出せず、幻の名作状態になることがあるぐらいだ。

橋本治さんが顔と名前が一致するのは、私が買った本の中に、本人の写真が載っていたからだと思う。
何冊かあったが、私が所持しているこの人の本は、編み物の本。

 当時、私は高校生。うちには、編み物の本は何冊かあったが、どれも「編み物が出来る人のための本」だった。編み図と出来上がりの物を身に着けた写真は載っているが、詳しい手順は載っていない。母親は機械編み手編みかぎ針編みにレース編みと、全種目制覇みたいな人で、毛糸は常に押入れにあふれていた。

 編み物が出来る人口は多く、手編みのセーターマフラー、帽子に腹巻に座布団に…当時はそれほど珍しくなかったのだが、編み手は女性がほとんど。お姉ちゃん、お母さん、おばちゃんにおばあちゃん。だが、橋本治さんの本は、「男が編む チャレンジニット」という、男性用と言える編み物本だった。

 人よりちょっと不器用だった私は、「誰にでもわかる!初めてのあみもの」なんていう本を読んで挫折したことがあったため、いくらなんでも、男性用ならいけるだろう…と根拠のあんまりない理由でこの本を手に取った。
 説明文と写真が、当時の女性用の編み物本とは全然違った。なんと、私はこの本を読んで無事セーターが編めてしまったのである。それも、簡単な「まっすぐ編めるセーター」とかではない。ちゃんと袖ぐりとか、襟ぐりとか、肩下がりとかで減らしたり増やしたり、引き返し編みをする、初心者用ではない本に載っているタイプのセーターが。

 目の減らし方、増やし方の「フツーの本には書いてないけど、そういうことになっている」ようなことが、わかりやすい文章で説明されていて、なぜこういう本が他にないのかと疑問に思ってしまうぐらい、わかりやすかった。

 (ちなみに、このチャレンジニットシリーズ、アマゾンでは5000円なんて値段がついているが、500円から1500円ぐらいが古本の相場だと思う。特に1冊めは弾数が多いため、買いやすいので、しばらく待った方がい。訃報からこっち、この人の本は上がっている可能性がある)

 だから、私にとっては橋本治さんは編み物の本の人であった。
 古典の現代ライトノベル系リライトみたいな本もある(結構面白い)のだが、それを見つけたときも、「あ、編み物のあの人の本だ」と思って手にとった。
 
 ものすごい編みこみのセーターを編んでいる人。それが私にとっての橋本治さんだった。
 高校生当時は、図書館の本だったチャレンジニットのシリーズはそのあと手に入れて、何冊か家にあって、参考にしている。
 
 きけば、まだ70歳だったそうだ。まだまだ、書けるお年だったのに、惜しい。
 編み物の本も、是非復刊してほしいと思う。こんなにわかりやすい本だもの、編み物が家庭科の実習から外れた今、やってみたい人もあると思う。まあ、動画もあるけど…でも、左右でなるべく糸を切らずに肩下がりを編むときの、図と実際の編み方の解説をやっているのはこの本ぐらいだと思うし、どんどん進んでいく動画よりも、図解と写真のほうがいい人もいると思うんだけどなあ…。
 4冊のうち、1冊目だけでいいから。靴下の編み方も、すごくわかりやすいし…。

 最近は、編み物の本は出していなくて、主義主張とかエッセイとかの本を出していたみたいで、そういう本のことを書いている人は多いみたい。
 そういう本も、一応何冊かは読んだけれど、やっぱり私にとっては、編み物の本の人だ。
 彼は最近、編み物をしていたのかなあ…。最近の段染め毛糸の流行とかは知っていただろうか。

 まだ編み込みの出来ない私は、これからも編みこみのものを見るたび、華やかな桜吹雪のセーターを思い出すだろう。橋本治さんの名前とともに。彼は、1号だか、2号だかの竹の編み針がこすれて細くなって折れるぐらい、編んでいたそうだ。
 私もがんばろう。彼の本を読むたび、また編み物熱が上がる。

ぐるりと一周するとと死ぬの?

今読んでいる本、見られない場合は画像のリンク切れです【Gossip from Thrush Green】は、イギリスの田舎の村の生活を書いた本。
 そのなかで、年齢ははっきり書いていないが、多分20代半ばの女性が、水ぼうそうにかかる話があった。

 今は、予防接種を打ちましょう、ということになっているので、うちの息子はかかったことがないが、私が子供の頃は、大体兄弟のある子なら幼稚園ぐらい、または小学校低学年ぐらいにはかかって終わらせるのが当たり前の病気で、母子手帳にはかかったことをチェックする欄があった。(今は予防接種をいつやったか、という欄がある)

 この物語の村で一軒しかない居酒屋兼めし屋みたいなお店で、みんながその噂をわいわいとする。

 ◆あんなものこどもっぽいもの、もっと小さいときにやっとけばよかったのに…
◇ 20歳位の時にやって、かきむしるな、といわれるのにうんざりしたっけ、かわいそうになあ
 ◆おじさんのお父さんが80歳近くになってからやって、死にかけたことがあるよ。
◇ いや、これよりはおたふくかぜのほうが怖いよな、「男の力」がなくなるって話だ。
 ◆ 俺が入院したときにこれをやった人が同じ部屋にいてさあ(周りがもう入院したときの話にうんざりしている)
というような、あーありそう…という話に混ざって出てきたのが、

 Shinglesといっしょにやると、たかが水ぼうそうでもきついらしいぜ…というのが出てきた。
 shinglesってなんじゃらほい、と思って辞書を見たら、「ヘルペス」のことらしいということがわかった。

Only if it meets round your ribs. You can have spots all over, but if they meets round your middle you're a goner"
「あっちこっちにブツブツが出来るけど、あばらのまわりをぐるっと一周したら、死ぬんだよな」

あはは、これ聞いたことある!(ちなみにこれはうそ)イギリスでも、これは言われているんだね、きっと。
舞台としては1950年とか、60年とかそのあたりなんだけど、本が書かれたのは1981年。
 そのあたりにはもうある伝説だったんだなあ…。

ヘルペスって、出るときはあばらのまわり、つまり胸に出ることが結構ある。大抵体の片側にでるのだが、ひどくなると反対側にもでる。
不思議なことに、体の脇の方からスタートして真ん中の方に広がってくることが多いので、左右からスタートして、真ん中で出会う…というような出方になるので、こういう噂になったんだろうけど。

 こういう噂っていくら否定しても、本当だと思う人があるからなくならないんだろうな。
 イギリスの人と日本の人、ヘルペスにかかって、じわじわとぶつぶつが広がってくるとき、考えることはそんなに変わらないのものなのだな、と面白かった。

 村の暮らしが淡々とつづられている本で、13冊のシリーズ。この作者さんは、こういう感じの村に住んでいたそうなので、いろいろ本当にあったことに題材をとったことも多いみたいで、噂話をするおじさんたち、おばちゃんたちを見ていると、あー、こんな人ありそう…と思うのがとても楽しいシリーズだ。

  ちょっと、どこかの村へ、休暇に遊びに行っているような気分がする。

 kipper=ニシン、とか、あとは商品名とかも出てくるので、「Ryvina」って何?とか(クラッカーにブランドっぽかった)ちょこちょこ調べながらになる。手持ちの辞書がアメリカ英語の辞書なので、wikipediaのほうが役立つぐらい。
 イギリス英語の辞書に替えたほうがいいかもしれない。
 


折り紙のおひな様

子どもだったころ住んでいた、とても小さな町の図書館は、蔵書が少なく、市民の寄付の本の割合も高かった。
その中にあって、私が何度も借りて読んだのが、これ、見られない場合は画像のリンク切れです【折りびな】の本。

 私は次女だったので、自分のおひなさまがなかった。田舎ではあたりまえのことではあったが、華やかな7段飾りがうらやましかったものだ。自分だけのおひなさまが欲しい。そう思っていたが、子ども用の折り紙の本にあるおひなさまは正直なところちゃちだった。折り方は簡単で、紙も一枚で折るもので、赤や青一色のおひなさまに鉛筆で目鼻を描くというそのつまらなさよ…。

 でも、この本のおひなさまは、顔なんか描かなくてもなんとも雰囲気があり、美しかった。
 折り紙というものは、割と手に入るものだった。今みたいに100均とかはなかったから、自分で買うという選択はお金がなかったので選べなかった。でも、無地のいろがみだったら教室においてあることもあったし、工作で「学校の授業でどうしても必要」なこともあったから、倹約一番のうちの親でもさすがにそういうものは買わないとは言わなかったので、その残りもあった。
 祖父母が何か、買ってくれるというのは、「あまやかして」と親が嫌がることも多かったが、高いおもちゃではなく、箱入りの千代紙ぐらいなら、OKが出たこともある。

 それでこのおひなさまを折るわけだ。意外と、10枚は同じ紙がなくて、五人囃子の服がそろわなかったりしたのを想像力で補うおひな様だが、そんなことはかまわなかった。きれいに並べて、うまく出来たな…と喜んだものだ。家にとってある包装紙の赤っぽいのを探して空き箱に貼ったり、引き出物の箱を解体した金ぴかの紙を折って屏風にしたり。昔の小学生は暇だったなあ。

 この本、あんまり見かける本ではなかったので、絶版で寄付だったんだろうな、という解釈だったのだけれど、どうも復刊しているみたい(2012年刊)。折り紙の本をアマゾンで見歩くと候補に出てきた。2300円、薄い本で、ちょっと高めだが、折り紙(材料)もついているので、買ってみた。


 ついでに見られない場合は画像のリンク切れです【友禅千代紙】も買ってみた。無地が10色x2枚ずつ、柄が20柄x1枚ずつ…ってあらら。これでは三人官女がおそろいにならないけど。

 100均で見てくるか…。折り紙というのは、大体初めて折る時はよっぽど慣れた人でないときれいに折れない。
練習を少なくとも1回はやると、2つ目からの完成度は上がるものなので、まずは練習!いい感じに折れたら、収納用たとう紙ケースも折ろう。
 
 しかし…きれいな模様付きの千代紙だなあ。子供の頃は、こういうのもひっくるめて「折り紙」と呼ばれていて、折り紙は持ってくるのを禁止とか言われないから、学校で何年かに一度、爆発的に流行った。お友達同士で取り換えっこするわけで、全く持っていない場合は参加できないから、ある程度は「資産」が必要だった。

 大勢が持っているものは取り換えレートが低いし、田舎の店の商品展開は狭く、人気がある物は売り切れで余計にレートがあがるという、割と需要と供給を学ぶ機会になるものだった。男子の場合は牛乳キャップ、女子は折り紙。祖母がくれるクラフト材料の残りはカッターで正方形に切っておくと割と珍しい柄が多かったから、「高く売れた」ものだったが、いかんせん弾数が少なく、小遣いが出せなかった私は結構苦労した。

 そんな私が袋にいっぱいの20柄の千代紙を買うと、私の中の子供が、「うわあ…」と言って喜ぶのだ。
 あー。一つも折らないうちから、もう1パック、折り紙が買いたくなってきた。
でも、折り紙は気を付けないとな…。
 
厚手のつるつるした紙で折るといいもの、薄い紙で折るほうがいいもの、ちぎれないように和紙素材で折らないと印刷柄が折り目のつけすぎで剥げるもの…とか折るものによって最適な折り紙が違ってくるので、まずちょっと折ってから考えよう。
 付録の紙は、ちょうどひと揃いしか折れないみたいなので、取っておくとして。

…こうやって「きれいだけど、もったいなくて折ってない」折り紙というものがでてしまいそうだ。子どもの頃もそうだったんだよね。でも、正直あれは多分、ごみに捨てられたんではないかと…。今、あのコレクションが出てきたところでほしいかと言われるとそうでもないから、やっぱりもったいないとか思わないのが正解なんだろうな。


 

お楽しみ弁当?

図書館の本は気を付けて返すようにしておかなくてはならない。2週間もあれば、10冊あっても読めるはずではあるのだが、途中で2冊、3冊とちびちび借りると、いつが期限なのかがわかりにくくなる。
 
 図書館で、貸出本のリストを出してくれるのを片手に、私は本のチェックをしていた。

 「編集手帳26集」 面白かった。短く興味深く、これはもっと他の巻も借りてこなければ。
 「編集手帳 傑作選」 26集とかぶるのがいくつかあった。もう傑作選といわず、全部読んだほうがいい。
 「思い出のマーニー(上下巻)」これは買うに至っていないが、時々読み返す。
 「ヒエログリフがわかる絵本」 すごく面白かったけど、覚えるほどじゃないからきっと博物館で見ても読めない。
 「ハヤ号セイ川をいく」 この人は「トムは真夜中の庭で」を書いた人。好みだった。
 「ミトラの密儀」 これは誰が選んだのか知らないけど、「おすすめ」のコーナーにあったので読んだ。
 「海のたまご」
 「青い月の石」

「お楽しみ弁当」??料理の本だな…。どこにいったんだろう。料理の本は大判が多い。図書館で借りる料理の本は、早く出来る料理だったり、簡単料理だったりというような本が多い。先月借りた作り置きの本は、料理の写真だけ見て、献立が思いつかない時のヒントにした。お弁当のおかずの作り置きとかは、副菜を作る時の参考になるのが多い。簡単、早く出来て、材料がむずかしくないものがいいんだよね。

 うーん。「お楽しみ弁当」がどんな本だったかあんまり覚えてない。息子が借りている本にまぎれているわけでもなし、寝室にも自室にも持ち込んでいないはずだし…。
 あまりにも見つからないので、他の本だけでも返そう、と積んであった文庫本や、新書をなんとなく数えながらそろえる。
あれ?10冊あるぞ?貸出冊数の上限は10冊だから、これで全部あるはず?
 
 チェックしなおした。あ??見られない場合は画像のリンク切れです【吉田健一著、「お楽しみ弁当」】は、なんと文庫本であった。
 この本は、そういえばパラパラっと中身を見て、ぱっと借りてきて帰ってきたとたんにパーッと読んでしまったのだった。題名を見ていない、覚えていなかった本だと思う。
 私は、本を借りた人が返却手続きをした本をのせるワゴンから本を選ぶことがある。ちょっと目を引く題名だったりするか、なんとなく面白そうだったらその場で手に取って、中をのぞいて借りてくる。「誰かが借りたばっかりの本」というのは、ずっと本棚に入ったままの本より面白いことがあるからだ。
 
 この方法は、自分では選ばないようなジャンルの本や、知らない作家さんの本を、手間を取らずに選べるので、実はかなりいい方法だと思っているんだけど、本当に題名を覚えていなかった。

 この人の本を読んだのも多分初めてなんだけど、とても面白かった。裏表紙の内側を見ると、この人が書いた本がずらっと並んでいる。ちょっと楽しみだ。

今回の教訓。
 図書館で自分が借りた本の題名は、返す日ぐらいまでは、ちゃんと覚えておこう。


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    まこ

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