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毎日更新!LuckyDuckyDiary

いらっしゃいませ。毎朝6時には更新します。さっくり読んでいってください。コメントくださった方はリンクさせてください、相互リンク歓迎、リンクがダメな方は連絡お願いします。

俺はまだ本気出してないだけ?

いざというときになったらきっと、なんとか出来る。
 そう思っている人は多いのではないだろうか。

 私も、そう思って生きてきた年月は長いと思う。まあ、若いころの「いざ」なんて受験とか試合とかそういうものが多いこともあって、どうにかなってしまうことも多いし、命の危険はないから、そういうことを思ったままでいられる人のほうが多いだろう。

 「俺は本気出したら出来る」というのは、本気を出す機会もない、または本気を出すことを避けてのらりくらりと暮らしている人の決め台詞であって、本当はそんな力、出るわけないよと揶揄するのはネットの書き込みではよくあることだし、実は本気なんか出さなくても、それなりに暮らしていければいいという意見もネットではよく見る感じがする。

 いざというのはいったいどんな時なのか。大震災とか大水害などの災害や、事故などの大怪我、病気、人間関係におけるトラブルや仕事での無理が引き起こすメンタルの問題。自分のことでないならば、家族の大怪我、病気、入院、介護、死亡……。
 ストレスがかかりすぎると大抵の人は体とか心がうまく機能しなくなる。自分でそうなっているのね、と気が付けば対処も出来るのだけれど、例えば私の場合は「大丈夫大丈夫」と言いながらそのまま深みにはまり、眠れなくなって、そのままナチュラル・ハイのような状態になっていき、自分の状態に気づかないまま体も極限状態になって、そのまま心の状態も連動して悪くなって、周りの人が「絶対おかしい」と気づくぐらいになっても、まだ大丈夫と思っている……というようなことになってしまう。

 周りの親しい人に言われて、心療内科に行ったときにはもう、まごうかたなく異常なところまで行ってしまっていると言われ、薬を飲んですべての活動をほぼ停止して休んでしばらくたってはじめて、「あー。あれは無理してたのかも」と気づくというのを何度か(一度じゃないところがちょっとひどい)やって、自分が実はストレス耐性がかなりないのでは…と実感することになったのは、中年になってからっていうの、どうなの、ほんと。

 自分にストレスがかかっているのに気付くのが遅いし、気づいたときにはすでに手遅れみたいになっているとなれば、まず予防的にストレスがかからないように生活しなくてはならないのだということが今わかっただけでもまだマシ……と思っておくほかはない。

 かっこ悪いんだよねえ、やっぱり。何かストレスがかかったら、そこからなるべく離れるという対処を取らなくてはならないのってさ。こんな年齢になっても、格好がつけたいのか、と言われるとちょっと恥ずかしいが、やっぱり、こう、「本気出したら最高峰」っていうのってかっこよくない?夢じゃない?ロマンじゃない?それを小説にしたのが、これ、 見られない場合は画像のリンク切れです【ソードアートオンライン】

 主人公、キリトは命を懸けた勝負をしなきゃいけない世界に無理矢理突っ込まれて離脱不可能になるのだけれど、そこで自分を信じて、明日に希望を持ち、そして最高峰になってしまうという、そういうお話なのだった。

 もちろん現実世界ではそれほど能力もない普通の男の子なんだけど、そこはそれ、違う世界に閉じ込められるので……その中では最高峰、と。その異世界とは、ゲームの中。それも出られないゲームの中ってところが、この物語の肝。
 
 ネタバレはしないつもりのレビューなので細かいことは省くけれども、つまりこれは、「本気出したら俺って世界最強」を地で行く話だってこと。ゲーム内なのに現実の命もかかっているのもいい。
 もちろん努力してもかなわないこともあるし、現実を見ろという意見もあるだろうし、世界最強だなんて寝言は寝て言えだろう。でも…。本気出したら最強というのは別に持っていて困る夢でもない。

 まだ一度も起きていない本気の「いざとなったら」の「いざ」を怖がって慎重になりすぎるよりも、「いざ」が来た時も、きっと平気、本気出したら絶対いける!と思えるほうが健康にいいのではないだろうかと思う。私にはもう見られなくなった夢だけれども、このライトノベルを読む年齢の人たちにはその夢を持っていてほしい。

 なんせ、本当の本気で「いざ」が来てしまったときは最弱or最強であろうが平均的であろうが対処するしかないから。だめなら心が折れて病むという結末になるだろうし、だめでないなら、「神様は耐えられない試練は送らない」というようなテキトウな言葉で説明されてしまう。耐えられる試練というのは、「まだ大丈夫レベル」という判定になってしまいやすい。そうなると「まだ本気出してなかったんじゃあ」ということに……?耐えられる試練と、耐えられない試練は、紙一重かもしれなくても。

 何に、どれだけ耐えられるかということは個人によって違う。本当にこの小説みたいなことが起きたら……私は何百人かの人と一緒に死んでいただろうと思う。でも……でも。
 今はこの小説を読んで、ああ、主人公かっこいい!と喜びたい。私もきっと戦えるのだと。この本を読む価値はその爽快感にある。

 既刊が21巻とたくさんあるのだけれども、実は1巻だけ読んでもそこで完結でOKになっているので、1巻だけでもおすすめしたい1冊。
細かいエピソード集が2巻で、全く違う世界に入りなおしていく形で3巻から続くので、「あれはどうなったの?面白くないけどとりあえず結末は知りたい」とかいう風になっていないので構成としてはよく出来ている。
 IFシリーズとでもいうべき「ソードアートオンライン プログレッシブ」という別シリーズの文庫も6冊まで既刊読了。
 コミックスは読んでいないが、アニメと長編映画も見てしまった。

楽しみのために読む本で、別にこの本はためになるとか、教訓が学べるとか、そういうことではない。でもやっぱりおすすめしたい一冊。

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フルメタル・パニック

長い連休に、ちょっとまとめて本を読みたいな…と思ったとき、アマゾンでゴールデンウィークセールをしているのを見つけた。
 大体半額。これは大きい。つまり、300円前後で1冊買えるというわけだ。
 セールになっているシリーズを見渡して、聞いたことのある題名の小説を買うことにした。
 この見られない場合は画像のリンク切れです【フルメタル・パニック】は、確かコミック化していたし、アニメ化していたはずなので人気もあるし、2000年より前に噂だけは聞いていた…ということはこの小説は長生きしているということ。
 マンガ化、アニメ化、長期間販売。大体この3つの条件にあてはまるものは傑作が多い。映画化…まで行くともっとすごいだろうが、まあそこまでは無理としてもだ。

 まず、12冊ゲット。ちなみに長距離移動の時に読み始めたのだが、スピード感があって次々読めるし、主人公が魅力的。
 今のライトノベルにありがちな、主人公がなぜか理由もなく何人もからモテモテ…というのではなくて、主人公ひとりに、基本ヒロインひとり。まあ、片思い的な人はもうひとりあるものの、主人公はその人には、そういう気はないとはっきり断るところがいい感じだった。

 主人公に感情移入して読む人には、モテてモテて…という状態がいいのかもしれないが、私はやっぱり、恋愛は一対一がいいなあ。たまにはハーレム系もいいかもだけれど、今回は王道の恋愛だったので(レートは多分R15でキスまで)昔ながらの…というとなんだけれども、安心して読める感じ。

 もちろんライトノベルなんだからして、ご都合主義といえばそうなんだけれど、物語として楽しめるぐらいにはご都合主義であり、かといって「いくらフィクションといっても、これはないわー」というほどではなく。
 結局寝る時間も惜しんで2日で12冊読み終え、番外編(9冊)とか短編集(3冊)まで買いまくって(これも大体半額)全部読みつくして、結局3日半かかった。合計24冊を12冊分のお値段で。ゴールデンウィーク10連休の出費として妥当だろう。
 
 主人公が強くて痛快…なのはまあ、ライトノベルの王道として、でも極端な環境で育ったため、日本の環境になじんでおらず時々とんでもないことをやるスラップスティックコメディになっているのが面白くて、電車の中で読んでいるというのに何度かふきだしたぐらいだ。カルチャーショックを経験したことがあれば余計面白いと思う。
 
 こういうのを全速力で読んでいると思うのが電子書籍のありがたさ。3時間で6冊なんて、持ち歩こうと思ったら重たいからね…。 これは多分時々読み返すと思う。

 この本の作者さんが監督をして、違う人が書いた、同じ世界の小説があるらしいのだけれど、そっちはどうするかなあ…。あんまり登場人物は同じじゃないらしい。(パラパラとは出てくるらしいけど)ので、ちょっとネットで調べながら悩んだけど、アマゾンを見に行ったら、半額じゃなかった。あ、残念、お小遣い切れ。

 また次回にしよう。
 しかし楽しかったなあ…。傑作だった。中高生でもないのにライトノベルが大好きというのは、実は悪癖なのかもしれないが、やっぱりやめられない。

よだかの星

  【よだかの星】というお菓子をもらった。
よだかの星というのは、宮沢賢治の書いた物語で、見かけがよくなくていじめられているよだかという鳥が、美しい星に…と書くと5秒で解説終了みたいなお話…ではあるのだが、読んでいるともの悲しくなってきて、子供の頃は好きな話ではなかった。

 宮沢賢治の書くものは、「注文の多い料理店」みたいな、ちょっとユーモラスなものはともかく、オツベルと象とか、グスコーブドリの伝記とか、終わりかたがどうにも、「これって、これでいいのかーーーっ」という感じのものが多かった。
 セロ弾きのゴーシュや、銀河鉄道の夜は割と好きなんだけど…。

 よだかが、「まるで味噌をつけたような」茶色のまだらだというところから、このおせんべいは作られたのだろうけど、とガブっとかじったら、おっと?これはおせんべいの味ではなかった。かりんとうの味だ。

 えー。こんな形なのに。黒っぽいところが黒砂糖なのはなんとなく見当がついたが、べとべとした黒砂糖と、油で揚げたこの味は絶対、かりんとう。

 見かけから、夫は「あんまり…」と思ったらしく、「俺いらない」といわれていたのだが、あんまりにもおいしいので、「すっごくおいしいかりんとうだったよ!」と半分に割ってすすめておいた。

 かりんとう、特に薄茶色でピーナッツがまわりにくっついたやつは、実は大好きで、ものすごくたくさん食べてしまうので、体重管理の面から禁じ手にしてあったのだが、ひさしぶりにかりんとうを口にしてとてもおいしかった。

 悲劇といってもいい、「よだかの星」がこんなにおいしいなんて…。みんなに愛されるおいしいお菓子といっていいよね。
よだかは、幸せになれたんだろうか。
どこかで、あのよだかが笑っているといいなあ、と思った。

ドナルド・キーンさんのこと

私が、ドナルド・キーンさんの本を最初に読んだのは多分中学生の時だ。
いまwikiを見てみると、1979年あたりの著作が多いから、そのあたりが図書館のエッセイ本のコーナーにあるのを読んだのだと思う。

なめらかな日本語で、書いていることはもちろん外国に育った人の目から見た日本ということから、著者が日本のヒトでないことは明白だったが、最初はてっきり、翻訳されているのだと勘違いしていたぐらいだ。

 1980年代は、まだアメリカの工業なんかも強くて、アメリカという超大国から、遠くの島国を…みたいな論調になるものが他の外国人作家からも出されているものが多かったように思う。ただただ、西洋からみた東洋のその文化の大幅な違いに魅せられた人の感動と、全く理解できないことを自虐的に書いたものも結構あった。

 今でいうと、ネットに「日本人がいかに素晴らしく、外国とは違うか」というようなことを書いたものがあふれているのに似ている。書いているのが外国人ということで、日本人としてはなかなかに面白く読めて、外国から見たらこう見えるのか、と思える、そういう本とは、キーンさんの本は一線を画していた。

 彼は…。なんというのだろう、日本人の心を、文学から解き明かして、中に入り込み、日本人としての考え方を身に着けているとしか思えなかった。古典を読み込む日本人だって少ないのに、きっとこの人はすごく凝り性だ(当時はマニアックという言葉は知らなかったと思う)と思ったものだ。

 この人の本は、割と図書館にも入っていることが多く、お金のない中学生高校生も読むことが出来た。90年代の著作までは、かなり読んだはず。

 私は、その後渡米した。
 文化というものは、その場に行ってみているだけでも、ちょっとならわかる。ものの考え方も、テレビ、ラジオ、本、映画、そういうものを取り入れ始めると味が違うのがわかる。
 ドナルド・キーンさんと反対向きに文化交流をした私はといえば、その違いに新鮮な驚きを覚えたのも確かだが、そのなじまなさ加減にぐったり疲れた。日本に住んで、外を眺めるのと、外国に住んで体験するというのは、違うものだということがわかった。
 
 西洋文化圏の本は、キリスト、ユダヤ教系の一神教がしみこんでいるものが多い。善悪の基準や、死生観や、世界のとらえ方がそうなっている。アメリカ文学、イギリス文学は大学でやったけど(実は文学専攻だった)解説を聞いて、その宗教のしみこみ方の頑固さというか、強固さは、驚きだった。
 アメリカが、宗教弾圧で逃げてきた人で作った国だというのは、ダテじゃない。

 1990年代のかなり西洋文化を受け入れた後の日本から行ってもこうなんだもの、アメリカから戦後すぐの日本人の手帳だの、英訳とはいえ1000年昔の源氏物語から日本文化をかじり始めたキーンさんは、大丈夫だったんだろうか。
 アメリカにくたびれた私はあの本、書いてた人すごいわ、としみじみした。これだけ差があるものを、よくぞ…と。

 日本に、ある程度アメリカにひたって微妙にアメリカ味になった私が帰ったあと、私はこの人のエッセイ、多分新聞の連載かなにかのだったか、またはインタビューだったかを読んだ。
 もう一カ所しか覚えていないのだけれども。

 当時、キーンさんは日本語を研究し始めてから何十年も経っていて、古典も、もちろん近現代のものも読み込み、研究者として言えば大学で古典とか文学の授業の教授が出来るぐらいになっていたわけなのだけれど、それでもキーンさんのところには、15歳の日本人中学生から「あなたは日本人じゃないから、日本の心がわかっていない」というような手紙が届く、というような話だった。

日本人が生まれながらにして持っている「日本人の心」というものがあると信じている人があるのだけれど、それはその15歳の人が生まれる前30年も40年も前から、日本語を勉強している人にわからないものなんだろうか、と。

 私はこの話を読んだ時、キーンさんにとても、同情した。そりゃないだろう…と思ったものだ。
 アメリカは、移民の国で、まあ最近はトランプのこともあるから、移民には厳しくなったけれど、当時は合法的に来る移民は歓迎していたし、移民がアメリカのエンジンとして働き、いつでも新しい力を得て先端を走り続けるのがアメリカである、という空気があった。
 国を盛り立て、何も持たないところから勤勉に働き、アメリカンドリームをかなえる、それが正しいアメリカ人だとみんなが信じていた。
 元来た国がどこか、なんていうことは問題ではない。アメリカに貢献するのがアメリカ人だと。

かたや文化にこれだけ貢献しても、日本人の心がないと言われてしまう日本。 
日本人が美徳だと思う性質をもった人はもちろん、アメリカにもいた。
ただ、日本に、公衆道徳や、謙譲の美徳を持っていない日本人がいるように、アメリカにもそういう人たちはいる、それだけなのだから。
私は、「日本だけが特別」と思うのはやめておこう。この日本語の研究者である、キーンさんのためにも。
 これだけ日本のことを真摯に研究している人に、そんな失礼なことを言う人にはなりたくない。
 彼の本のファンだった私はひそかにそう、決心したのだった。キーンさんはそんなこと夢にも知らないだろうけど。

彼の日本語は、美しかった。本は興味深く読みやすく、わかりやすいものが多かった。
正確で読みやすく、なおかつ美しい、そういうことがかけるのが文学者なんだな…ということがよくわかる本。

鬼怒鳴門なんていう漢字の選び方に茶目っ気を感じる。
 キーンさんの宗教がどれだったかは存じ上げないが(ご両親がイディッシュだということはユダヤ教?)、意外と、仏教風に、極楽浄土なんていうのが似合いそうな方だと思う。
 きっと、IC録音機なんか持って、紫式部のインタビューを…なんて。もうとっくに生まれ変わって紫式部には会えなかったりして。

 全著作集なんていうものが出ているのは今回初めて知った。
 この人の本をまた、読もうかな…と思った日だった。

橋本治さんの思い出

橋本治さんが、亡くなった話をちょっと前に聞いた。
 私はもちろん、橋本治さんと個人的な面識はないが、なんとなく「知っている作家さん」みたいな気がしていた。つまり、その人の書いた本を何冊か読んだことがあって、顔と名前と、どんなことをする人かが一致している作家さんだ、と。

 大体私は作家の名前なんか見ずに本を読むことが多かった。特に子供の頃は。だから、昔に読んだこんなストーリーの本…とまでは思い出せても、描いた人の名前なんかちぃっとも思い出せず、幻の名作状態になることがあるぐらいだ。

橋本治さんが顔と名前が一致するのは、私が買った本の中に、本人の写真が載っていたからだと思う。
何冊かあったが、私が所持しているこの人の本は、編み物の本。

 当時、私は高校生。うちには、編み物の本は何冊かあったが、どれも「編み物が出来る人のための本」だった。編み図と出来上がりの物を身に着けた写真は載っているが、詳しい手順は載っていない。母親は機械編み手編みかぎ針編みにレース編みと、全種目制覇みたいな人で、毛糸は常に押入れにあふれていた。

 編み物が出来る人口は多く、手編みのセーターマフラー、帽子に腹巻に座布団に…当時はそれほど珍しくなかったのだが、編み手は女性がほとんど。お姉ちゃん、お母さん、おばちゃんにおばあちゃん。だが、橋本治さんの本は、「男が編む チャレンジニット」という、男性用と言える編み物本だった。

 人よりちょっと不器用だった私は、「誰にでもわかる!初めてのあみもの」なんていう本を読んで挫折したことがあったため、いくらなんでも、男性用ならいけるだろう…と根拠のあんまりない理由でこの本を手に取った。
 説明文と写真が、当時の女性用の編み物本とは全然違った。なんと、私はこの本を読んで無事セーターが編めてしまったのである。それも、簡単な「まっすぐ編めるセーター」とかではない。ちゃんと袖ぐりとか、襟ぐりとか、肩下がりとかで減らしたり増やしたり、引き返し編みをする、初心者用ではない本に載っているタイプのセーターが。

 目の減らし方、増やし方の「フツーの本には書いてないけど、そういうことになっている」ようなことが、わかりやすい文章で説明されていて、なぜこういう本が他にないのかと疑問に思ってしまうぐらい、わかりやすかった。

 (ちなみに、このチャレンジニットシリーズ、アマゾンでは5000円なんて値段がついているが、500円から1500円ぐらいが古本の相場だと思う。特に1冊めは弾数が多いため、買いやすいので、しばらく待った方がい。訃報からこっち、この人の本は上がっている可能性がある)

 だから、私にとっては橋本治さんは編み物の本の人であった。
 古典の現代ライトノベル系リライトみたいな本もある(結構面白い)のだが、それを見つけたときも、「あ、編み物のあの人の本だ」と思って手にとった。
 
 ものすごい編みこみのセーターを編んでいる人。それが私にとっての橋本治さんだった。
 高校生当時は、図書館の本だったチャレンジニットのシリーズはそのあと手に入れて、何冊か家にあって、参考にしている。
 
 きけば、まだ70歳だったそうだ。まだまだ、書けるお年だったのに、惜しい。
 編み物の本も、是非復刊してほしいと思う。こんなにわかりやすい本だもの、編み物が家庭科の実習から外れた今、やってみたい人もあると思う。まあ、動画もあるけど…でも、左右でなるべく糸を切らずに肩下がりを編むときの、図と実際の編み方の解説をやっているのはこの本ぐらいだと思うし、どんどん進んでいく動画よりも、図解と写真のほうがいい人もいると思うんだけどなあ…。
 4冊のうち、1冊目だけでいいから。靴下の編み方も、すごくわかりやすいし…。

 最近は、編み物の本は出していなくて、主義主張とかエッセイとかの本を出していたみたいで、そういう本のことを書いている人は多いみたい。
 そういう本も、一応何冊かは読んだけれど、やっぱり私にとっては、編み物の本の人だ。
 彼は最近、編み物をしていたのかなあ…。最近の段染め毛糸の流行とかは知っていただろうか。

 まだ編み込みの出来ない私は、これからも編みこみのものを見るたび、華やかな桜吹雪のセーターを思い出すだろう。橋本治さんの名前とともに。彼は、1号だか、2号だかの竹の編み針がこすれて細くなって折れるぐらい、編んでいたそうだ。
 私もがんばろう。彼の本を読むたび、また編み物熱が上がる。

ぐるりと一周するとと死ぬの?

今読んでいる本、見られない場合は画像のリンク切れです【Gossip from Thrush Green】は、イギリスの田舎の村の生活を書いた本。
 そのなかで、年齢ははっきり書いていないが、多分20代半ばの女性が、水ぼうそうにかかる話があった。

 今は、予防接種を打ちましょう、ということになっているので、うちの息子はかかったことがないが、私が子供の頃は、大体兄弟のある子なら幼稚園ぐらい、または小学校低学年ぐらいにはかかって終わらせるのが当たり前の病気で、母子手帳にはかかったことをチェックする欄があった。(今は予防接種をいつやったか、という欄がある)

 この物語の村で一軒しかない居酒屋兼めし屋みたいなお店で、みんながその噂をわいわいとする。

 ◆あんなものこどもっぽいもの、もっと小さいときにやっとけばよかったのに…
◇ 20歳位の時にやって、かきむしるな、といわれるのにうんざりしたっけ、かわいそうになあ
 ◆おじさんのお父さんが80歳近くになってからやって、死にかけたことがあるよ。
◇ いや、これよりはおたふくかぜのほうが怖いよな、「男の力」がなくなるって話だ。
 ◆ 俺が入院したときにこれをやった人が同じ部屋にいてさあ(周りがもう入院したときの話にうんざりしている)
というような、あーありそう…という話に混ざって出てきたのが、

 Shinglesといっしょにやると、たかが水ぼうそうでもきついらしいぜ…というのが出てきた。
 shinglesってなんじゃらほい、と思って辞書を見たら、「ヘルペス」のことらしいということがわかった。

Only if it meets round your ribs. You can have spots all over, but if they meets round your middle you're a goner"
「あっちこっちにブツブツが出来るけど、あばらのまわりをぐるっと一周したら、死ぬんだよな」

あはは、これ聞いたことある!(ちなみにこれはうそ)イギリスでも、これは言われているんだね、きっと。
舞台としては1950年とか、60年とかそのあたりなんだけど、本が書かれたのは1981年。
 そのあたりにはもうある伝説だったんだなあ…。

ヘルペスって、出るときはあばらのまわり、つまり胸に出ることが結構ある。大抵体の片側にでるのだが、ひどくなると反対側にもでる。
不思議なことに、体の脇の方からスタートして真ん中の方に広がってくることが多いので、左右からスタートして、真ん中で出会う…というような出方になるので、こういう噂になったんだろうけど。

 こういう噂っていくら否定しても、本当だと思う人があるからなくならないんだろうな。
 イギリスの人と日本の人、ヘルペスにかかって、じわじわとぶつぶつが広がってくるとき、考えることはそんなに変わらないのものなのだな、と面白かった。

 村の暮らしが淡々とつづられている本で、13冊のシリーズ。この作者さんは、こういう感じの村に住んでいたそうなので、いろいろ本当にあったことに題材をとったことも多いみたいで、噂話をするおじさんたち、おばちゃんたちを見ていると、あー、こんな人ありそう…と思うのがとても楽しいシリーズだ。

  ちょっと、どこかの村へ、休暇に遊びに行っているような気分がする。

 kipper=ニシン、とか、あとは商品名とかも出てくるので、「Ryvina」って何?とか(クラッカーにブランドっぽかった)ちょこちょこ調べながらになる。手持ちの辞書がアメリカ英語の辞書なので、wikipediaのほうが役立つぐらい。
 イギリス英語の辞書に替えたほうがいいかもしれない。
 


折り紙のおひな様

子どもだったころ住んでいた、とても小さな町の図書館は、蔵書が少なく、市民の寄付の本の割合も高かった。
その中にあって、私が何度も借りて読んだのが、これ、見られない場合は画像のリンク切れです【折りびな】の本。

 私は次女だったので、自分のおひなさまがなかった。田舎ではあたりまえのことではあったが、華やかな7段飾りがうらやましかったものだ。自分だけのおひなさまが欲しい。そう思っていたが、子ども用の折り紙の本にあるおひなさまは正直なところちゃちだった。折り方は簡単で、紙も一枚で折るもので、赤や青一色のおひなさまに鉛筆で目鼻を描くというそのつまらなさよ…。

 でも、この本のおひなさまは、顔なんか描かなくてもなんとも雰囲気があり、美しかった。
 折り紙というものは、割と手に入るものだった。今みたいに100均とかはなかったから、自分で買うという選択はお金がなかったので選べなかった。でも、無地のいろがみだったら教室においてあることもあったし、工作で「学校の授業でどうしても必要」なこともあったから、倹約一番のうちの親でもさすがにそういうものは買わないとは言わなかったので、その残りもあった。
 祖父母が何か、買ってくれるというのは、「あまやかして」と親が嫌がることも多かったが、高いおもちゃではなく、箱入りの千代紙ぐらいなら、OKが出たこともある。

 それでこのおひなさまを折るわけだ。意外と、10枚は同じ紙がなくて、五人囃子の服がそろわなかったりしたのを想像力で補うおひな様だが、そんなことはかまわなかった。きれいに並べて、うまく出来たな…と喜んだものだ。家にとってある包装紙の赤っぽいのを探して空き箱に貼ったり、引き出物の箱を解体した金ぴかの紙を折って屏風にしたり。昔の小学生は暇だったなあ。

 この本、あんまり見かける本ではなかったので、絶版で寄付だったんだろうな、という解釈だったのだけれど、どうも復刊しているみたい(2012年刊)。折り紙の本をアマゾンで見歩くと候補に出てきた。2300円、薄い本で、ちょっと高めだが、折り紙(材料)もついているので、買ってみた。


 ついでに見られない場合は画像のリンク切れです【友禅千代紙】も買ってみた。無地が10色x2枚ずつ、柄が20柄x1枚ずつ…ってあらら。これでは三人官女がおそろいにならないけど。

 100均で見てくるか…。折り紙というのは、大体初めて折る時はよっぽど慣れた人でないときれいに折れない。
練習を少なくとも1回はやると、2つ目からの完成度は上がるものなので、まずは練習!いい感じに折れたら、収納用たとう紙ケースも折ろう。
 
 しかし…きれいな模様付きの千代紙だなあ。子供の頃は、こういうのもひっくるめて「折り紙」と呼ばれていて、折り紙は持ってくるのを禁止とか言われないから、学校で何年かに一度、爆発的に流行った。お友達同士で取り換えっこするわけで、全く持っていない場合は参加できないから、ある程度は「資産」が必要だった。

 大勢が持っているものは取り換えレートが低いし、田舎の店の商品展開は狭く、人気がある物は売り切れで余計にレートがあがるという、割と需要と供給を学ぶ機会になるものだった。男子の場合は牛乳キャップ、女子は折り紙。祖母がくれるクラフト材料の残りはカッターで正方形に切っておくと割と珍しい柄が多かったから、「高く売れた」ものだったが、いかんせん弾数が少なく、小遣いが出せなかった私は結構苦労した。

 そんな私が袋にいっぱいの20柄の千代紙を買うと、私の中の子供が、「うわあ…」と言って喜ぶのだ。
 あー。一つも折らないうちから、もう1パック、折り紙が買いたくなってきた。
でも、折り紙は気を付けないとな…。
 
厚手のつるつるした紙で折るといいもの、薄い紙で折るほうがいいもの、ちぎれないように和紙素材で折らないと印刷柄が折り目のつけすぎで剥げるもの…とか折るものによって最適な折り紙が違ってくるので、まずちょっと折ってから考えよう。
 付録の紙は、ちょうどひと揃いしか折れないみたいなので、取っておくとして。

…こうやって「きれいだけど、もったいなくて折ってない」折り紙というものがでてしまいそうだ。子どもの頃もそうだったんだよね。でも、正直あれは多分、ごみに捨てられたんではないかと…。今、あのコレクションが出てきたところでほしいかと言われるとそうでもないから、やっぱりもったいないとか思わないのが正解なんだろうな。


 

お楽しみ弁当?

図書館の本は気を付けて返すようにしておかなくてはならない。2週間もあれば、10冊あっても読めるはずではあるのだが、途中で2冊、3冊とちびちび借りると、いつが期限なのかがわかりにくくなる。
 
 図書館で、貸出本のリストを出してくれるのを片手に、私は本のチェックをしていた。

 「編集手帳26集」 面白かった。短く興味深く、これはもっと他の巻も借りてこなければ。
 「編集手帳 傑作選」 26集とかぶるのがいくつかあった。もう傑作選といわず、全部読んだほうがいい。
 「思い出のマーニー(上下巻)」これは買うに至っていないが、時々読み返す。
 「ヒエログリフがわかる絵本」 すごく面白かったけど、覚えるほどじゃないからきっと博物館で見ても読めない。
 「ハヤ号セイ川をいく」 この人は「トムは真夜中の庭で」を書いた人。好みだった。
 「ミトラの密儀」 これは誰が選んだのか知らないけど、「おすすめ」のコーナーにあったので読んだ。
 「海のたまご」
 「青い月の石」

「お楽しみ弁当」??料理の本だな…。どこにいったんだろう。料理の本は大判が多い。図書館で借りる料理の本は、早く出来る料理だったり、簡単料理だったりというような本が多い。先月借りた作り置きの本は、料理の写真だけ見て、献立が思いつかない時のヒントにした。お弁当のおかずの作り置きとかは、副菜を作る時の参考になるのが多い。簡単、早く出来て、材料がむずかしくないものがいいんだよね。

 うーん。「お楽しみ弁当」がどんな本だったかあんまり覚えてない。息子が借りている本にまぎれているわけでもなし、寝室にも自室にも持ち込んでいないはずだし…。
 あまりにも見つからないので、他の本だけでも返そう、と積んであった文庫本や、新書をなんとなく数えながらそろえる。
あれ?10冊あるぞ?貸出冊数の上限は10冊だから、これで全部あるはず?
 
 チェックしなおした。あ??見られない場合は画像のリンク切れです【吉田健一著、「お楽しみ弁当」】は、なんと文庫本であった。
 この本は、そういえばパラパラっと中身を見て、ぱっと借りてきて帰ってきたとたんにパーッと読んでしまったのだった。題名を見ていない、覚えていなかった本だと思う。
 私は、本を借りた人が返却手続きをした本をのせるワゴンから本を選ぶことがある。ちょっと目を引く題名だったりするか、なんとなく面白そうだったらその場で手に取って、中をのぞいて借りてくる。「誰かが借りたばっかりの本」というのは、ずっと本棚に入ったままの本より面白いことがあるからだ。
 
 この方法は、自分では選ばないようなジャンルの本や、知らない作家さんの本を、手間を取らずに選べるので、実はかなりいい方法だと思っているんだけど、本当に題名を覚えていなかった。

 この人の本を読んだのも多分初めてなんだけど、とても面白かった。裏表紙の内側を見ると、この人が書いた本がずらっと並んでいる。ちょっと楽しみだ。

今回の教訓。
 図書館で自分が借りた本の題名は、返す日ぐらいまでは、ちゃんと覚えておこう。


編集手帳を読む

図書館へ行ったとき、運よく新聞コラムのことを思い出したので、本を探してみた。
てっきり随筆、つまりエッセイのコーナーにあるものだと思ったが見つからない。しょうがないので、図書館の検索システムで見られない場合は画像のリンク切れです【編集手帳】と検索をかけたら、304という分類番号。
えーっと、社会ナントカなわけだ?と思って見に行ったら、「社会科学」だった。へえー。そうなるのか。
あんまり普段見に行かない本棚だった。

 26集からあとと、傑作選というのがあったので第26集と、傑作選を借りてきた。
 本の解説を見ると、この竹内政明さんという人は、2001年からこのコラムを書いているらしい。
 18年、毎日かあ…。いや、多分、毎日一つずつ書いているわけではなくて、何本か書く日もあるとは思うけれど、それでも、つまりこういう文章を18年も書き続けているのは、すごいことだな、と思う。この人はほかに著作もあるし、新聞社でほかの仕事もしているのだろうからねえ…。
 
 パラパラっと読んでみると、天声人語よりも、何かの引用でスタートすることが多い。時事問題も割と多くて、その当時のニュースを知らないと、あれ?これどんなニュースだったっけなあ…となるだろうけれども、この26集というのは2014年の前半のものらしいので、割と覚えがあるニュースが多いので、なんとかなった。

 新書版で、見開き分で一日分だから、どこでやめても大丈夫な本だ。
そして、どこを読んでも、へえー、面白いなあ…。と思える。

 ばったり会った人が、縁側でお茶を飲んでいく。

「こんな話、聞いたんですよ、それがね…」
とスタートして、ひとくさり話をして、私が、へえー。そんな話が?面白いですねえー。と相槌を打つ。
「あ、長居してすみませんね、また今度」とその人が帰っていく。

そういう感じ。
いいな、これ。こういう話の面白い人が知り合いにいたら、どんなに楽しいことだろうか。
話題がたくさんあって、毎回それをまとめて面白い話に出来る人。こういう人にあこがれたことがある。
今でも、あこがれはある。「あの人は話の面白い人だ」というのは、一度は言われてみたい、ほめ言葉だ。

読売新聞を取って、1日に1つずつ受け取るのがいいか、それともまとめて届くのがいいか、どっちかなあ。
雰囲気は1つずつ届くのがいい…がたぶん、読み返すのに不便なので、私はやっぱり本で読もう。
電子版があればいいのになあ。
昔、「スクラップブック」というものがあったよね。新聞記事で気に入ったのを切って貼って取っておくの。
これは本になっているけれども、もし全部本になっていると知らなかったらスクラップブックに毎日貼って貯めたかもしれないなあ。

軽くて、覚える必要がなく、かといって知っていると面白い…そういうものを読みたいときにおすすめ。

ライトノベルの電子本を買う

若いころは…なんて出だしの日記を書くと、自分が特に年取ったような気がするのがちょっと嫌だけれども、実は中高生の頃、私はライトノベルをあまり読まなかった。
左の絵の、見られない場合は画像のリンク切れです【ロードス島戦記】みたいなのは、高校の時の同級生にもすごくファンだというような子がいたもので、たしかこのロードス島シリーズは元はテーブルトークのRPGのシナリオみたいなのじゃなかっただろうか。ちょっと遊んだ覚えがあるが、私は、小説で、ハイファンタジー(世界観が全く今の世界と別世界のものなファンタジー)は、トールキンの指輪物語一択でしょう!と思っていたので、一応1巻はお義理で読んだが、「全体的に薄い」と切り捨ててそのままだった。

 当時は、重厚長大な物語が大好きだった。本を読むのが好きで好きで、まず「冊数が多い」または「分厚い」というのが目を引く一番の要因だったぐらいだ。いくらでも読みたかったし、いくらでも読めた。
 
 当時はまったのは、栗本薫の「グイン・サーガ」。私が気付いたときには30冊ぐらいあったろうか、もっとあったかもだが、あれは130冊を超えてなお、完結しないぐらいの大長編、あれをこう、学校で友達に5冊ずつ借りて、学校の机の中に積んでおいて1日で読破、なんて。もちろん授業中も読むのであるから、先生には見つかって叱られたものだったが、上下巻より、上中下巻、それより6冊セット、8冊セット、10冊セット、それよりも20冊あるシリーズが魅力的だった。

 中学の時の友達は、「三毛猫ホームズ」のファンで、出るたびに私に本を貸してくれたし、鉄道好きの友達は西村京太郎のファンで、鉄道が絡むミステリーをしょっちゅう貸してくれた。どちらもかなり冊数があったように思う。先が知りたくてどんどん読書速度が上がっていたころで、三毛猫ホームズぐらいの本だと、あんまり細かいところは覚えていないが、とりあえずストーリーを楽しむだけという条件でなら、1冊30分ぐらいで読めたと思う。
 図書館で手当たり次第に本を借りて、山に積んでおいて片っ端から読むのが、とても楽しかった頃だ。

 あの頃は、どうしてあんなに間断なく、長時間かけて本が読めたんだろう…。
 今は、本にのめりこむまでに15分ぐらいかかるようになっているし、今は家事のことを考えると細切れに一日中やることがあって、長時間本が読めない。短く切り上げられる本がよくなってきた感じがする。多分、体力…じゃないな、本を読むのに使う力は何力というのだろう。継続力?なんにせよ、本を読むのに使う読書力が、文章の読み取り能力とは別に減ってきている感じがする。

 更年期のせいなのか、はたまた老眼のせいなのか、それとも家事をしない日なら本が長時間読めるのかわからないが、ライトノベルでも読むかな…と思ったとき、アマゾンのセールで目に付いたのが上にのせた、「ロードス島戦記」だった。7冊まとめた合本版が2000円だというではないか。アニメ化もしたという人気作だし、大体30年も前の本だというのに新装版が出るってことはやっぱりこれは名作なんだろうな…というわけで、1冊300円ぐらいという値段にひかれて購入。

 この本を買った人は…のところに出たのが、ロードス島戦記の前時代にあたるという「ロードス島伝説」。これは1600円ぐらい…で6冊って、ねえ!安いんだけど!!1冊250円ぐらいだ。
 そしてロードス島戦記の続編にあたる「新ロードス島戦記」が7冊で1750円。ねー。なんか値段設定間違ってないこれ?
そしてどうも同じ世界の物語ということになっている「魔法戦士リウイ」が21冊で2350円。
 どうしてこんなに安いんだ…。10月分の小遣いはたいて、全力で買ってみた。
 これはあれだ、安すぎてほしいかどうかを本当に検討せず買ってしまう、バーゲンに負けるパターンだ。

まず1日でロードス島戦記読了。割とおもしろかった。
次の1日でロードス島伝記読了。えー。こういうことになってたのー?
そして次の日だけでは終わらなかった、もう2日かけて新ロードス島戦記読了。
えーーーー。こんな終わり方なのー!微妙にすっきりしなーい!こういうものなのかもしれないけどー。
というわけで、4日で5000円ぐらい。まあ…こんなものだろう。数年たったらまた読み返してもいいしね!
21冊のシリーズのほうは、明日から読む。

ライトノベルとはいえ、一気に6冊とか読むとちょっと頭がぼーっとする。

 多分、これ1冊600円したらここまで一度には買わないと思う。でもこれ1冊110円から250円なら、まあ…。
あと、紙の本だと場所が困る。ロードスシリーズだけで20冊、魔法戦士のシリーズまで入れたら40冊。どこに置くのよ、ってなものだが、電子版だからねえ、いつでも持って歩ける。

ライトノベルというのは、小説よりぐっと軽く、読みやすい。語彙が簡単だし、ストーリーの構造もあんまりややこしいものはない。ファンタジーといえども、世界が、言語が、文化や習俗が…というような作りこみがあんまりないのも確か。でも、コミックスよりも長編で複雑な物語が展開するのは、多分絵ではなくて文字で書かれているから、情報量が多いからだろう。
 コミックスは大体1冊で5分しかもたないから、出す金額の割につぶせる時間が短いので、よほど好きなものでないと買わないが、ライトノベルは1冊で3、40分から、厚めのだと1時間は読めるし、こういう合本版で何冊かセットになっているとたくさん読めてちゃんと物語を楽しんだ、という満足感があるのがいい。
 ちょっと体力が落ちてきた今にぴったり。
全巻揃えて「完結」になっていて売られているのもいい。
 どんなに大好きで、出版されるたびに買い集めた小説でも、未完というのは残念なものだからね。

 そのつもりになって検索したら、出る出る。(ライトノベルのカテゴリから、「合本版」で検索した)
こういう半額?みたいな値引きになっているものは角川系統が多いようだ、と思って角川のサイトを見に行ったら、どうもライトノベルの文庫レーベルの30周年記念っぽい。
 「スレイヤーズ」シリーズも安くなっているようだ。これは誰だっけ…確か学校の図書室でよく会う男子にこれが好きだという子がいたような…。この際だから、しばらくライトノベルを読もう。
 名作で、安くて、面白いなら言うことない。読んでない本は古くても新刊本と一緒だ。

読もう、と思ったら意外と読めることも判明。
「近いうちに図書館へ行って、借りてきて読もうかなあ」だといつまでたっても読まないけど、手元にお金出して買ったら、どんどん読み進めたりする。
 ここ数年、手芸の材料を中心にお金を使っていたけれど、今年は材料はもういっぱいあるからためてある分を消費して、本を買おうかな。
 子どもの頃は「あんな子供っぽいもの読まない」とか思っていたこともあるけれど、子供っぽいのが気になるのは子供だけ。もうどんなに割り引いても子供っぽく思われない年になったのだから、多少子供っぽくてもいいや…。
 よく、残していく本や、趣味のコレクションを「死んだときに、後始末してもらうのが恥ずかしい」という話を聞くが、電子書籍は多分…それほど人目に触れないし!それに多分、これを見るであろう夫は、私が何を読もうと…それがライトノベルであろうと、少女小説であろうと、気にしないだろう。そういう人だ。多分、苦笑されるぐらいのことはあるかもしれないが。
 赤毛のアンと、ロードス島戦記が隣り合って入っている中学生の本棚みたいな私のkindle。

一周回って、とても私らしいと思う。
 


星の王子さま

私と、星の王子さまとの出会いは、およそ思いつく限り最悪だった。
 私は、8歳だった。
 私に、一部を隠した開いた本のページを見せて、「これなんだと思う?」と聞いた人がいた。

 私は、「ぼうし」と答えた。
 「えー?ほかにもっとないの?」
 「茶色いぼうし」

その人は、その茶色いぼうしは、帽子を描いた絵ではなく、ゾウを飲んだヘビの絵なのだ、と解説して、私に、「えーーー?」と言わせた後、私を「子どもらしくない」とか、「想像力がない」とか、「子どもだったらわかるかと思ったのに」とか、なじって、去っていった。

 わけがわからなかったが、自分が不興を買ったこと、「こども」として当たり前のことが出来なかったらしい…というがっかりした感じが残った。
 
 そのあと、私はその題名の本を学校の図書館で探して読んだ。
 字がそれほど小さくなく、それほど長い本でもなかったので、一応「こども用」だと思って読んだのだが、読んでも王子さまがいて、そしてその王子さまはバラが好きで…と読んでいっても、別に話がどう盛り上がるわけでもなく、何が面白いのかイマイチぴんと来ず…。ただ、絵の解釈とか、絵に描かれた箱の中に羊が入って眠っている…なんていうのは素敵だとは思ったが、自分には、ゾウを飲んだヘビの絵はやっぱり無理だ、と思って終了した。

 こういう子ども向けみたいな顔をしているのに、よくわからない本、たとえば詩集だとか、雰囲気重視の画集だとか、スピリチュアルものだとか、ナンセンスなもの、絵がきれいだけど今思えば宗教のパンフレット…みたいな本があるのは、なんとなく気づいていたので、これはきっとそういう本の一種なんだろうということでもうかかわらないことにした。


 この本をもう一度手に取ったのは多分、19歳の時。20歳の時だったかもしれない、短大にいたときだ。
 星の王子さまのグッズを確か、もらったからだったと思う。

読んでみたら、なんだか、いい話だ。
 何度読んでも、なんとなく雰囲気重視ではあるが、いい感じの話だ。

 そして、私にこの絵を見せて、子どもなんだから、これがヘビに見えないとおかしいのだと言った人はやっぱり、間違っている…と思った。

大人が考える子どもなら、わかるのかもしれない。けれども、本物の子どもには、無理だと私は思う。
 あれがへびに見えるのは、王子さまだけだ。だから、星の王子さまは特別なのだ。

小さな星に住んでいる、あの人だから。

 きっと本物の王子さまに、私が会えたとしたら、そして私が「あんなの、絶対帽子にしか見えない!」と文句を言ったとしたら、なんだか、笑ってくれそうな気がするなあ。
 そう思って、私はこの本との和解を果たした。

この本だけは、誰とも感想を話し合わないことにしている。絶対、他の人と意見が揃わず、共感が楽しめない本だから。
この本は、一人だけで、いや、王子さまと自分の二人で読む本で、他の人が入ってくる本じゃない気がする。

kindle版をゲットして、とても久しぶりに読んだ。
いろんな訳が出ているけれども、やっぱり、この内藤 濯さん訳が私の一番最初の訳だったので、これが好きだ。

心の中の、相談室

自分で、落ち込んだり悩んだりしたとき、自分の中にアドバイスしてくれる人を持つ、というのは、便利なことではないだろうか。

ネットで読んだことがあって面白いなあ、と思ったのは、心の中にバーのママが住んでいて、嫌なことを言われたときに、「あんなの、相手にしてることないわよ、今日はおいしいものでも食べて、寝ちゃいなさいよ」とか言ってくれるのでそうしている、というツイートだった。

あと、見られない場合は画像のリンク切れです【多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ】なんていう本もあって、これはつまり、いろいろな嫌なことが起きたとき、こういうフレーズを頭の中に出すことで、さっさと気分を他に向けましょう、というようなことをアドバイスする本。
 心の中に決まった人を常駐させておくのではないが、ちょっとこの猫ちゃんたちに出てきてもらう、ということで、似たような働きを期待するものだと思う。



 自分一人だけで、自分の感情を処理するのが難しい時。体や、心がつらいときには、そのことに気持ちがとらわれていて、なかなか気分を変えるのも難しいし、ずっともやもやした気持ちを抱えているのもつらい。もちろん、お友達とか、家族とか、または心療内科の先生のようなカウンセリングの専門家とかに話を聞いてもらえばそれは楽になるだろうし、いいアドバイスをもらえるかもしれないが、夜中にいきなり、電話をかけるというのもなんだし、あんまり毎日そういう相談するのもちょっと…と思うし、正直自分でも、「人に相談するほどでもないかもしれない」という気分もある。

 そんな時に、自分の心の中に、誰かがいて…役に立つアドバイスをしてくれるとしたならば。
便利だと思うのだよね…。まあ、間違いなく空想上のことだし、言い方をかえれば「妄想」ということでもある。
「妄想」…ってあんまりいい語感じゃないので、本当にそれでいいのか、という気がちょっとする。部屋で妄想にふける、って文字列にすると、すごくイヤな感じがしない?する…よね。

 でも、これも見方次第。
1:他の人の手を借りていないので、他人の時間を使わない。他人に迷惑が掛からない。
2:自分で、ある程度納得のいく結論が出せて、つらい状態から抜け出せる。
この2つの条件がちゃんと満たせるのだったら、誰かにぶちまけて、力を借りるよりも便利だと思うのだ。
ぶちまけられる方も、結構気力を使うし、しょっちゅうやりたいと思う人は少ないだろうから、そういうのは、本当にこれは心の中の相談室だけではどうしようもないぐらいになったときに温存しておきたい。

 ちなみに、私が別に取り立てて理由もないのに、今まで起きたこととかをくよくよと悩んだり落ち込んだりしている時に、現れるのは私の古くからの友人だ。あんまり頻回に連絡は取らないが、20代の頃はよく遊んだ。

 柔道をやっていて、自衛隊に入っていたが、ものすごい筋肉派。アドバイスももちろん、脳みそ筋肉系だ。
 彼は大量の焼き肉でかなりの悩みが解決するタイプと言えば大体伝わるだろうか。
 全体的にアドバイスも言動もかなり乱暴で、私が自動車にはねとばされて意識を失って入院して、退院後すぐあったときは「お前は――!心配ばっかりかけて!今度こんな事故に遭って死にかけたら俺が殺すぞ!」なんて言われたものだ。
ひどい言い草だが、すごく心配してくれたのはわかった。
 
 私がなんとなく気分があがらず、ため息ばっかりついていると、心の中の彼はこういうのだ。
「おう、肉食え、肉。ハンバーグ食え。チーズのったのな。そんで腕立て伏せ100回ぐらいやると疲れるからな、そこでバタンと寝て起きたら、気分あがるぞ」と。

 多分、どこかでこんな会話を彼と交わしたことがある。私は確かその時、笑えてしまったのだ。腕立て伏せ100回って、10回も出来ないってば!って。
「まあ、無理だろな。じゃあ、走れ、10キロぐらい」
 …ちーん。10キロも走れないって。今は1キロも微妙だってば…。
「しょーがないなあ、じゃあ、せめて歩くか」

…そうだね…。私はとことこ歩いて駅前の洋食屋さんまで行き、ハンバーグを…チーズの乗ったやつを注文して、(ここでステーキ、と言わないのは、若いころの私も、彼もそんなものを食べるお金はなかったからだ)、とりあえず…ともぐもぐ食べて、割とおいしいかも…と思い、お腹いっぱいになってから、家に帰ってきたら歩いた距離が大体2キロ半ぐらい。

 太陽の光を浴びて歩いて、お腹がいっぱいになって、帰ってきたら、確かにさっきより浮上している。
私って、意外と単純?
そう問いかけると心の中の彼は言うのだ。
「人間には、みんな本能があるからな」と。

 …それでいいのかもなあ。という気がしてくる。
家事を穏当に済ませてから、その日は早く寝ることにして、ダメなら市販の睡眠薬なり、ちょっと眠くなる頭痛薬なり飲むぐらいのことはしてもいいだろう…めったに飲まないし。と10時ぐらいに寝て、目が覚めたら6時半、ってことはこれはずいぶん眠れたんだなあ…と起きたら確かに、気分がいい。

 「なんだか、今日は平気」
心の中の彼にそういうと、「おう、よかったのぅ」
そう言って彼の役割は終わる。

 別に自分で、気分が落ちているから歩きに行ってハンバーグ食べよう。そう決意してもいいんだけど、なんとなくいつも彼が出てくる。そっちの方が説得力がある感じがするからだろうか。

 誰にも、こうなっているのだと話したことはないのだけれども、他にも落ち込む原因や、シチュエーションによって、いいアドバイスをくれそうな人を心の中にカードのように出して、きっと彼女ならこういうだろう、きっと彼ならこういうだろう、と使い分けている気がする。

 もうなくなってしまった人もいるし、外国にいてすぐには会えない人もいる。架空の人物もいるし、夫のこともある。
ただ、すぐそこには現実に相談できる人がいない環境にいるときには、自分の中にいい意見を出せる人なら、誰でも、なんでもいいのだ。自分だけで考えているよりずっとまし。
 いい方法だと思うのだけれど、なんとなく人には話していない。
 子供の頃にはこれがそれほど使えなかったのは、多分こう言うだろうなあ…という、人物の考え方のパターンが貯まっていなかったからだと思う。それと、「このあたりが解決法として多分、有効」というデータも持っていなかった。
いくら、心の中の誰かがアドバイスしてくれるという形になっていても、実際のアドバイスをその誰かのパターンを借りて構築しているのが自分である以上、自分の中に「世間的にも自分にも受け入れられる正解のパターン」がない場合は、この心の中の相談室は使えない。

小さいころから、親がこの相談室の人になるぐらい、いい関係を築いていた人なら、もっと若い…小さいころから使えたのかもしれない。ま、今でも十分便利だと思うけど。

 きっとこういう相談室を持っているのは、私だけじゃないと思う。みなさんはどうですか。

メアリーポピンズの昔の本

「風にのってきたメアリーポピンズ」を古本で買った。

 この本は、岩波書店から今も発売されていて、本屋さんへ行けば手に入れることができる本だ。
子供のころからお気に入りで、中学生の時にバザーで150円でハードカバーの本を手に入れたときは天にも昇る喜びだった。 残念ながら、渡米する時に多分、誰かにあげたかなにかで残っていないが、私はこの本を相当何度も読んだ。

 英語版もこの間kindleバージョンで手に入れたぐらいで、息子が読んだ時には本当にうれしかったものだ。

 この本を古い版で手に入れるのには理由がある。この本は途中で2度、改版されているのだ。
一度目の改版では、数語しか差がないらしいのだが、2度めの改版(今の版はこれ)は、ものすごーく変化があって、絵まで差し替えられている。理由は、人種や文化への差別表現。

 世界のいろいろなところへ一瞬で飛んでいく…という旅行をして、北のエスキモー人のところへ行き、クジラの油のスープを勧められる、とか、南の「真っ黒で、ほとんど何も着ていない」人のところへ行って、えらく白い赤ん坊だね、靴墨でも塗ったらどうだい、なんて声をかけられるとか、東の中国の人はひげのおじいさんで頭が地面につくほどお辞儀をするとか、西のインディアンが、トナカイのフライ料理をごちそうしてくれそうになるとか…というような記述が全体的に、人種や文化を尊重していないステレオタイプなもので、差別的な表現につながる…というようなことが、この章が書き直される理由だということだった。
 故に、現在の版では、東西南北どこへ出かけた分も全部人間じゃなくて動物が出てくる。シロクマ、インコ、パンダ、イルカ…。まあ、動物なら何を言おうと人種問題には抵触しないからね…。かなり記述も短くなっている。

 それは確かに一理ある。文化的に「遅れて」いるようなイメージや、「非文明的」と、西洋文化を基準にして他の文化を低く見るような姿勢というのはなくすようにしていかなくてはならない。だから、私は今売られている本が改版されていることについてはそれが一番いいと思う。ただその部分だけが問題で、現代の子供がこの本が読めなくなるなんて、もったいなさすぎる。
 この本は本当に時代を越えて面白い本なのだ。

 私はもう、これが古い時代に…つまり1934年に書かれたことを知っているし、このころの西洋文化圏の人たちが、アジアやアフリカの人をどんなふうに見ていたかということも、それが現代に近づくにつれてどう変わってきたかも知っている。
 他の地域の文化を尊重するのが望ましいことも、人種差別がひどいことなのも、なくすように運動していかなくてはいけないことなのも全部。

 だから…これは当時の文化としてそのままに、見つめたいと思う。
…なあんて、格好つけても、単に昔に自分が子供の頃読んだそのままを読みたい、というわがままなんだけど。
 
 何回読んでもこの物語は私を、懐かしい世界に呼んでくれる。
 現代の子供たちにとっては、今の版が懐かしい本になるのだよね。
 
 「渡辺蔵書」と印が押してあった。どこの渡辺さんだか知らないけど、この一冊は、私が大事にしますから。

 多分、私が子供の頃に読んだ版より古いと思う。なんせ昭和45年刊で、岩波少年文庫なのに表紙がハードカバーで、箱までついていたのだから。300円ってきっとそのころは今の1500円とはいかないまでも、高めだったに違いないデラックスさ。小さくてかわいいのに、ちょっといい感じがする本でうれしい。
 
 最後につけられたあとがき、「この本を読んだ人、あるいはこの本を読む人のために」が素晴らしかった。
 林容吉さんという、この本を訳した人が1954年に書いたものだった。最後は、こう締めくくられている。

さて、もうみなさんは、メアリー・ポピンズと仲良しになりました―あるいは、これからなるでしょう。そして、メアリー・ポピンズと、バンクスさんのお家のことを、きっと、大きくなっても忘れられないようになるでしょう。メアリー・ポピンズも、ジェインもマイケルも、本の中にいるのですから、会いたいときには、いつでも、本を開きさえすればよいのです。こうして、わたくしたちが、学校や、知り合いのお家で、友だちをもつように、本のなかに、友だちをもつということは、なんという、すばらしい幸福ではありませんか!

ああ。
そうだったね…。私は本の中にたくさん友達を持っていた。本を開けば会える。
そういう感覚をしばらく忘れていた。

 本の中に、友達をもつということは、なんという素晴らしい幸福ではありませんか。
もう一度繰り返して、幸せな気分になった。

チベット旅行記

【チベット旅行記】という本を読んだ。
実に強烈だった。
感想文にもならない感想だけれども、特に前半のインパクトは、「読んだら、わかるから」としか言いようがない。

みんなが知っている「西遊記」、孫悟空の出てくるあれ(ドラゴンボールではなく)は、中国から、インドへお坊さんがお経を取りに行く話で、陸続きであるからして、馬に乗ってお供を連れて、歩いていく道中の冒険話なんだけども、あれはフィクション。

このチベット旅行記は、日本からまず、インドまで行ってからスタートして、チベットまでお経の本を取りに行く話で、なんと、実話、ノンフィクション
 旅行なんて言葉じゃ足りない、絶対これは冒険か、探検か、そのあたり。
現代にも、「冒険家」という人たちがいる。太平洋横断とか、極地探検とか、ヒマラヤ登山とかそういうことをしている人たちがいて、本を書いている。私もそういう人の本を面白く読んだこともある。
 でも、このチベット旅行記を書いた人は探検家ではない。探検家は、探検するのが目的で、それを仕事にしている。
 でもこの人は、本職がお坊さん。探検は、過程であって、目的じゃない。「そうするしかなかった」とか、「そうなっちゃった」なところがなんとも。
 時代も明治時代、装備なんかもほとんどない。地図も持っていない。で、ヒマラヤ越え。無茶にもほどがある。

 当時は、インドはまだ植民地、イギリスとか、フランスとかは、アジアを植民化しようとがんばっていたので、それが避けたい国は外国人をいれないことにしている国が多かった。チベットもつまり、「完全鎖国」状態。もちろん日本人も外人であるからして、入国不可。

 とはいえ、周りが全部海の日本と違って、一応陸続きで、そこら中見張っているわけにもいかないので、密入国が可能だろう、というわけで、この作者の川口慧海さんというお坊さんが、根性でヒマラヤを越え、高山病と戦いながら、遊牧民のテントにお世話になりながら…チベットを目指す話が、このチベット旅行記。

 お坊さんで、肉食をしない。ついでに言うと、正午までしか食べ物を食べない。そういう戒律の下で旅をする…ってめちゃくちゃ無理がないか…と思うのだが、ナイロンのテントもシートもない、ゴアテックスもない、登山靴もない、カイロも、電池もない、GPSもない、途中からは磁石すらない状態で、よくぞ生き延びた、という話だった。麦粉と、干した果物と、水…毎日それってどうなの…。

 普通の人なら30回ぐらい死んでそうなんだけど…いや、もっとかも。
遊牧民だとか、仏教の聖地への巡礼者とかに説法をして、食べものを寄付してもらいながら、これも御仏の守りよ、と目的地に近づいていくのが、鬼気迫る。

 最初は言葉が出来ないとなんともならないので、まず言葉を覚えて…とか、チベットに入るまでに3年かかっている。後、面白いのは、1800年代でも、中国の人はどこの国にも街にもいたってこと。中国の人は、昔っからあっちこっちで貿易をしている人が多いのと、大きい街には、大抵、中国の人が住み着いていて、中国料理を出すレストランがあるのは、現代でも変わらない。当時のインド、ネパール、チベットも例外ではない。なので、この慧海さんは、自分を「中国人」と偽って旅をしている。

 どこにいても怪しまれないということなんだねえ。中国語はあんまり話せないが、中途半端に中国語が出来るインド人とか、ネパール人とかに、それは北京語だ、福建の言葉をしゃべるので、話し方はわからないが、とやっておいて、相手にどんどん漢字を書いて見せ、中国人で押し通すとか、無茶もしている。

 チベットに着いてからの記述は大体想像できる範囲を越えなかったが、チベットに着くまでは、本当にハラハラしながら読んだ。
実は雑誌の連載をしてから、本になったらしいのだけれど、当時は、本当の話じゃないんじゃないか、と創作扱いされたというのも無理もない荒唐無稽な出来だった。

 日本人の文化の中で育った人なので、現地の習俗を野蛮だ、とか、不潔だとか書いているところもあるけれども、これはもう明治時代のことなのでしょうがない。
 
 この間まで転生もののライトノベルをたくさん読んだけれども、これはつまり、気が付いたら荷物を背負って、インドにいて、なぜかチベットに行くことになりました…というような話だと思えば、ものすごい異文化物だよね。
 ちょっと古い本で、言い回しも古いけれども、文化交流が進んで、ある程度均質化が起きてしまっている現代の世界とは違うので、味わいが全然違う本だった。

 
 ちなみに、てっぺんのリンクは、青空文庫。
【このリンクはアマゾンの】だけど、本は著作権が切れているらしく、無料なので、おすすめ。

 紙の本は、講談社から出ているらしい。

 おなか一杯贅沢なものを食べて生活をしているのに、はったい粉が(麦こがしという名前でこの本に出る)が食べたくなる本だった。

 

「放浪記」を読む

今日の当たり前ポエム↓

 まあ、あんまり日常的でないことを書いているので、つまりこれは「今日も作りましたよ」というだけのことなんだけど。
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
 今日は、お小遣いは貯めているのであんまり使えないし、図書館に行く気もおこらない…けど、手持ちの本を読む気も起らず、安く買える本を探して読書してみた。

 選んだのは、林芙美子の【放浪記】
 私は読書が好きな子供だった。学校の図書館はあらかた読みつくせるぐらいのサイズ…つまりかなり小さかった。読みやすそうなもの、気の合いそうな本は読みつくしてしまうと、残るのは全集。子供向けの全集とか、図鑑とかもある程度見てしまうと、残るのが文学全集。

 夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子…まあ、中学、高校へ行けば大体名前と代表作位は覚えることになるああいう本。
小学校の高学年で、一応かじってみた。
 何が面白いのか、わからなかった。「吾輩は猫である」とか「坊っちゃん」とかは一応最後まで読んでみた。「たけくらべ」とか「野菊の墓」とかも読んだ。

 今から思えば、小学生にはかなり、無茶のある選択だったと思うし、色恋沙汰も、人の心の機微も、大体こんな感じ…ということは国語は得意だったからわかったが、かといって興味深く、面白く読めたか、というと全然だめだった。
 こーゆー本は、だめだな。そう思って、私はそれ以来、どうしても読まなくてはいけないもの以外は、名作にはあまり手をつけなかった。

 今回、「放浪記」を読もうと思ったのは、林芙美子作品集が99円で全著作買えたからで、一つ、短い文章を読んでみたら、面白かったから。「初出版」と「新版」があったのだけれど、私が読んだのは新版のほうだった。(初出版も収録されていた)
 作者が書いた日記をもとに書かれている小説だということだったけれど、まず、年齢がまだ20歳前からスタート。

 若い…んだけど、この主人公、すごく苦労人だった。大体、家父長制が当たり前だった時代の日本で、「認知されていない」子供として生まれてきて、なおかつ「生まれた場所の戸籍」がとても大事だった時代にその地域を出て、貧乏な親と居所の定まらない生活をして大きくなった…というだけでも、かなりきつそうだった。

 社会保障制度なんか全然ないころには、家長が一族郎党面倒を見るのが当たり前で、それが社会保障制度の代わりをしていたころなんだから、そういう頼るところが全くない…というだけで、ここまで貧乏になるんだ…という記述が続く。
 食べるのに困る暮らしが書いてあった。

 内風呂なんかない、他の人の家の部屋を「貸し間」として借りて、そのころの女性がつける仕事は少なく、誰でも雇ってもらえる仕事…となると、女給、つまり今でいうウェイトレスみたいな仕事。夜遅くまで働いて、お愛想のひとつも言い、男性にお酒を注ぐぐらいのことは、出来なくてはならない。住み込みが基本で給料激安。ご飯は食べられるけど…ぐらいのことで、そのころには労働組合もなかっただろうし、最低賃金なんていうものもなかったから、みんな言い値で働いていたし、食べられないよりましで、仕事が辞められない、というような状態で、いやー。ほんと貧乏。読んでるだけでおなかがすきそうな…。
 
 それでも、ちょっとは好きなものを食べたり、きれいなものを見たり、仕事場で知り合った人とごはん食べて愚痴りあったりするところは、今の女の子たちと変わらない。
 日記から書いてあるということで、場面もぱっぱっと変わってしまう。ある時は食べるのに困って一人暮らしをしているかと思えば、親と一緒に住んでいたり、また場面が変わると、原稿が売れてちょっとお金がある時もあったり、男性と同棲していたり、ルームメイトがいたり。

 文章力って、すごいな、と思う。当時は、こういう貧乏な女性というのは、うんとたくさんいたに違いない。でも、どこにでもあるような生活を文章にして、ここまで読ませるとは…。引き付ける力がある。かなり厚い本なのに、一気に読んでしまった。
 
 主人公は見ていると、本当にハラハラする子だった。もう、引っかかる男が全員なんていうか、ダメな奴ばっかり。どーしてそういうのとくっつくのよ!と、私が友達だったらちょっと止めたくなるような男ばっかり。主人公と同じ文筆業志望とか、劇団員を(それもあんまり売れてないような)志してるとか、なんか平成の今も聞くような話だ。

 歌手になるとか、バンドでデビューするとか、そういうことを言って何年も働いていない、そういう男の人を「私が一番の理解者だから」とか言って、付き合って、貢いで、だんだん深みにはまって破滅的になっていく子をみたことがある。役者になるとかの芸能人志望、音楽家志望、それから今だと、「起業家志望」ってのもあったな、知り合い…とか知り合いの知り合いぐらいになら、そんな話は聞いたことがある。 

 そういう男って、昔っからいたんだね…。
 そしてそういう男にひっかかる女も。
 女を殴るような男、絶対だめだから。逃げようよ、ほんと。そう思いながら読んだ。

食べ物がない。お金がない。ないったらない…。お金があったらな。そう思いながら暮らす女の子が本当に実感を持って書かれていて、私は自分が一人暮らしをしていて、お金が結構ギリギリだったときのことを思い出してしまった。

 もちろん、私は食べるのに困ったことはなかった。貯金もあったし、食べ物だっていろいろストックしてあった。でも…一人で生きていくことの心細さ、働いてお金をもらって、給料が入って、ああこれで、またしばらく大丈夫なんだ、と思う気持ち、自分で稼いでやっていくぞ、という心意気。どれも覚えがあって、この主人公を応援したくなる。

 手堅そうな仕事を初めたらしい日記も何回かあったのに、またそこを出て、お金がない状態に逆戻りしている。
なぜやめる!!前のところで、せめてもうちょっと働いて貯金ぐらいすればいいのに!と突っ込みたくなる。
 そして男を見る目がほんとにないのな!(19歳の時の私にもなかったけど…)っていうか、こっちの人はどうなの?なんか、よさげだけど…とか。

 いつの間にか、私は、まるでこの主人公を見守っているような気になっていた。
 自分の書いた原稿が相場の半額で買いたたかれて、人の名前で発表される…って、ひどいなあ…。それが実話だとしたら、今はもうそれはばれているんだろうか…。(これは真相はわからなかった)

 結構中途半端なところで終わってしまって、主人公≒林芙美子が、幸せになったかどうかがわからなかった。
 面白かったけど、消化不良だなあ…と思ったけど、そうだ、パソコンがあるじゃないか!

 そう思って林芙美子さんのことをネットで検索。

 籍は入れなかったらしいけれども、内縁で結婚して、一生一緒だった人があったらしい。優しくしてもらって、その旦那さんは、林芙美子さんのことを「先生」と呼んで、生活を支え、マネジメントもしてくれたらしい。
 いい人が見つかってよかった。

とっくの昔に亡くなってしまった、知り合いでもない人なのに、知っている人みたいな気がしてきてしまう文章だった。
「文学の名作」と言われるような本を読んで、ここまで楽しめたのは初めてじゃないかなあ。

 私も、年齢を重ねて、いろいろな経験を積んで、大人の本がわかるようになったんだと思う。
 名作が、読める環境が整ったってことかもしれない。
そうだよねえ…。推理小説とかSFとか、ライトノベルにも、これは面白い!というのとなんか合わない…というのがあるんだもの、文学作品にもあって当然だよね。

 今度から、名作にも合うのがないか、見てみようかな。
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
本を読み終えてから買い物に行き、ポストに入っているものを回収して帰ってきた。
ほとんどがチラシなんだけど、そのうちの1枚が、パート募集で、裏が履歴書用紙になっているものだった。
…放浪記では、主人公が、仕事を探していたときに、履歴書を出してくれと言われて、履歴書が買えない、と言って採用担当者に絶句されるという話があった。紙を出してもらって色々書いて、帰る時にその人がそっと、少額の現金(多分今の500円ぐらい)を握らせてくれるんだけど。
 やっぱり、履歴書用紙が買えないぐらい手持ちの現金に困る人がいるんだろうか…。
まあ、履歴書用紙は、裏は真っ白だからねえ。裏にパート募集の広告が刷ってあったところで、誰も困らないけど。
 配偶者が就職に反対で、必要経費に少額でもお金を出すことを渋るとか?それともひとり親家庭で200円の履歴書用紙パックが買えないとか…いや、そこまで困窮してたら、食べ物にも事欠くだろうから、悠長に就職してなくて…とか言ってる場合じゃあないよね。公的な補助を頼ってでも、パート募集ではなくてもうちょっと収入になりそうな勤め先を探さないとまずいだろう。

 普段なら気づきもしないで捨てるような広告なのに、読んだ本の中身が嫌に実感に迫ってくるものだったので、見たこともない誰かの心配をしてしまった午後だった。

「今日の100」 読後感想

ふと、図書館で見かけて、「今日の100」というエッセイを借りて帰った。
著者の松浦弥太郎さんが、「暮らしの手帖」のヒトであることを、私は一応は知っていた。(今はもう、違う人になっているらしいけれど、この本が書かれた当時は、編集長をしていたらしい)

暮らしの手帖は、実は子供の頃から、大好きだった。いろいろな商品を比べて、どれが使い勝手がいいか、なんていう記事は小学生なのに興味深く読んだ。ストーブ、オーブントースター、雪平鍋、レードルなんかもあっただろうか。どれも、ホームセンターなんかで買えるような商品が多くて、そしてうちの親も実は参考にしているようで、生活用具には、そういうおすすめ商品を買ったりしたものだ。

餅を焼く網とか、台所用品のレビューが多かった気がする。

コラム「素敵なあなたに」や「エプロンメモ」は家にあるもので工夫するような話や、手芸の話、家での、今でいう「ライフハック」みたいなものが多くて、実はこれも好きで、紙の本を実は持っている。(すてきなあなたにの1から5、エプロンメモ1と2)

そんなわけで、私は「暮らしの手帖」ブランドに割と信頼をおいていた。大橋鎭子さん、花森安治さん。

…そんなわけで読み始めた、「今日の100」。これは、著者がいいと思ったものを書いているいうなれば「今日の一品」的なコラム…だったのだけれども。

 今は、書いてあるものを買いたくなった時に、それがどこで手に入るか…ということを調べるのは難しいことではない。昔の暮らしの手帖だと、どこで手に入るかっというのは、雑誌に電話番号や問い合わせ先が書いてあったものだが、今はパソコンで商品名を調べれば、あっという間に買えるサイトがわかる、といった感じで、そのあたりは昔よりずっと便利になったと思う。

が…だ。

コラムの中に書いてあるものが、なんていうの?「初めての人には売らなくって、紹介のみ」だとか。
 パンを焼くトースターが7万5千円するとか(注:単機能。トーストしか焼けない)。

なんていうか、話がぐっとブルジョワなのだ。

「家にあるもので、工夫して作るおいしいお菓子」は?「使いやすく、手ごろなお値段で便利な台所用具」は??

違う。これは、私が知っている「暮らしの手帖」ではない。これは「家庭画報」だ。家庭画報という雑誌は、お金はかかってもいいから、いいものを追求する、そういうところがある雑誌だと思う。伝統の職人さんが手で作った、世界に誇れる品質の一点もの、不揃いでもオーガニックで、安全ななんとか農法で作った野菜だけを出す、隠れ家的レストランとか、量産品でも、買うのに順番待ちで、届くまで半年かかるなんとか…とか。
 
 葉山や、鎌倉にある、紹介されないとは入れないお店や、会員制の何とか、とかそういう感じ。広告も、なんていうかお値段が10万円の桁からしかないというような広告が多い。

いいんだ、家庭画報なんだから。うちではこういうものは買わないな、というようなものが乗っていて、へー、職人さんの手作りねえ、伝統工芸はやっぱりこういう人がいないといけないねえ…的な、または地鶏だとか、特別に肥育された牛だとか、魚でもブランド名がついたのとか、おいしそうだねえ、うんうん、と思って終わりの雑誌。

 でも…暮らしの手帖は違った。リメイク、工夫して作るクラフト、いかにして材料を使い切るか…とまではいかなくても、旬の材料を使って作る地に足の着いた家庭料理、ちょっとした一工夫で家事が楽しく、楽になる、そんなことが詰まった雑誌だったのに。

 何これ。トースターに、7万円?これなら、MONOマガジンでやればいいんだよ。こだわりの逸品、そういうのが好きな人が。
 新しい布が買えなくても、美しいファッションが。そういうのが好きだったんだよね、暮らしの手帖の最初のを作った人はさ。

どうして、今ある電機メーカーのトースターの比較じゃないんだろう。

まあ、暮らしの手帖の1コーナーを集めた本なんだから、こういう感じになっちゃったのかもしれないけど…。
 それなら、「サライ」とかでコラムを連載している人の本でいいんだよなあ。

 バイキングで、うっかり苦手な料理を見た目にだまされて取ったみたいな気分。

だから、今日は本のリンクは貼らない。

 ちぇ、なんかおいしくなかった…と思って口直しに「すてきなあなたに」を本棚から出して読んだ。
 
質実剛健がいいんだよなー。

まあ、私が7万円越えの金額をトースターに出すのが嫌なだけともいう。好みに合わない、ってこういうことだよなあ。
物にこだわりたい、お金を出してもこだわりたい、という人には、とてもいい本なんだろうけど。
ネットを見なくても、こういう風に本に書いてまとめてあるのは、さっさと読めていいものね。

 割と、私は考え方が古いのか貧乏だった時期が長いからなのか、物がなくてもなんとかしたい…というところに行きがちなのがこの本と気が合わない理由なんだろうな。

 次回、この人の本を読むときは、物の紹介本はやめよう。


一番腹の立つ図書館の本

読んでいて、一番腹の立つ本。それは、誰かが線を引きながら読んだ本だ。

まあ、本が寄贈されたもので、もともとの持ち主が線をいれたという可能性もゼロではない。
ないがしかし…。

今日読んだ本の文章にも、線がひかれていた。

読んでいてイライラする。
そりゃ、そこが重要なところなのは私にもわかるよ?わかるけど!
でも、だからといって、図書館の本に線をひくなよ。

線をひいていい本は、自分の本だけだ。

まあ…ペンで線がいれてあるより、まだましだ。多分この人が手に持っていたのはシャーペンだ。
線が細いもんな。学生さんかなあ。新書だしな。そうかもしれないな。

私は消しゴムを片手に持って、線を消しながら読んだ。
ったく、誰か知らないけど、感謝しろよ、もー。

こんな「図書館の本に書き込みはしません」なんていうこと、物心ついたころには覚えておけよ、と思う。
うちの小学生だって図書館の本はページを折ったり、線を書いたりしてはいけないことぐらい知っているというのに。
しおりをはさみましょう、と学校で教えてもらったそうだし、図書館でもしおりを配るとか、なんかそういことだってやってるらしいのにね。

私は実は自分の本でも、線を書き入れるのはいやなぐらいだ。
大事なところなんて、文章を読んでいれば自然にわかってくるのに…と思ったけど、息子の国語の読解力問題の正答率の低さを思えば、自然にわからない人もいるのかもしれないなあ。

…でもそうしたら、線なんかひけないよねえ?

一体、線をひきながら読む人は、何を考えながらそうしているんだろう。
後で読んだ時、その部分だけ読めるようにか?

 数行読むだけ…うーん。参考書の要点に線を引き(これは私もやったことがある。ただし自分の限定だけど)、あとで見直すのと同じようなことなのかなあ。

 消しゴムのかすを膝から払い落として、紅茶を飲んだ。

妖精は、いるのか

【年末の日記】に、源氏パイのおまじないの話を書いてから思い出したこと。

 私は、ファンタジー小説が大好きだった。おまじないも信じていないふりをしていたが、ちょっとはもしかして、と思わないこともなかったし、ばれないようにやってみたことだってあった。牛乳を開け放した窓の外にコップに入れておいて、ストローを刺しておき、そのストローに花をかざってブラウニーを呼んで願い事をかなえてもらおう、というものだったと記憶している。

 ブラウニーは、場所でいうとアイルランドの伝説で、多分日本にはいないけど、願い事は、結構深刻で、自分の手には負えないようなもので、もうおまじないぐらいしか頼るところがなくなったので試した…みたいなことだったと覚えている割には、願い事が何だったのか覚えていないあたり、当時多分10歳の冬の私の願い事は、今大人になった私から見ると大したことのないものだったに違いない。

 子供はいつだって、オカルトが好きだ。超常現象、超能力、おバケ、妖怪、そして妖精。

本物の妖精は、一度も見たことはなかったが、シシリー・メアリー・バーカーの書いた妖精の絵はお気に入りで何度も図書館で借りたし、お菓子についていたカードは、姉が全部持って行ってしまったのが今でも残念なぐらい大好きだった。
(左の絵は、メアリー・バーカーのwikipediaのページのをお借りしました)

妖精がどんな生活をしているか…なんていうことを書いた本は、確かお年玉で買って、相当長い間読んだ。妖精王オベロンとか、女王ティターニア、なんていうのもその本で覚えたし、まるで日本でいう八百万の神様のように、いろいろな妖精がいること…たいてい子供にしか見えないことや、ユニコーンが現れるのは処女の前だけであるとか、まあ、神話的周辺情報込みで、そういう本があって、おまじないや、占いの本に混ざって売られていた。

占い、おまじない、それからファンタジーな物語たくさん。その中にあって、一冊、今でも思い出す本がある。それは【空を飛んだおんぼろ校舎】という本。
毎回題名がうろ覚えで、ケストナーの「飛ぶ教室」がひっかかるのだが、英語の題名は「Enchanted Classroom」。つまり「魔法にかけられた教室、という感じ?

 これは、うんと田舎に住んでいるアイルランドの少年が、何もかもが新しく発展したアメリカに移民したおじさんのところに遊びに行く…という話。多分第二次世界大戦後ぐらいの年代で、教室が1つしかないというような学校がまだあったころ。

 この本には、妖精が出てくるのだけれど、ものすごく、人間っぽいというか、お花や、星や、幻めいている、羽の生えた妖精を絵本とかで見ていると、この本の妖精は、とても現実的。レンガや、焼き立てのパン、それから豆の缶詰。そういう感じのどっしりした日常感が立ち上ってくるキャラクター。

 もしかして…。やっぱりいるのかも。当時10歳ぐらいだった私に、そう思わせるのに十分な本だった。

今、大人になってしまった私には、多分妖精がいたとしてもきっともう見えはしない。
でもやっぱり、ちょっと心のどこかで、いそうな気がするんだな、ブラウニー。good neighbor、よきお隣さん、と称するのがブラウニーに失礼にならないコツなのだそうだ。

 ミルクのおまじないの隣のページに載っていた、クラッカーにチーズをのせ、はちみつをかけたのを出しておくと、コボルトが願い事をかなえてくれるんだって…というのを、クラッカーとチーズを食べるたびに、思い出す。

いたら、いいよね、妖精。
古い本だけど、図書館には、まだあると思うのでおすすめ。
エビが…多分イセエビみたいな大きいのが…食べたくなるので、注意。

私にとっての新作?鬼平。

父親のプレゼントとして買った「鬼平犯科帳」を読み始めた。実は、「剣客商売」のほうは、何度も何度も読んだことがあった。中学生ぐらいからだろうか。でも鬼平犯科帳のほうは、そのあと同じ作者だから、と読みだしたのだけれど、すぐ投げ出していた。

理由は、まず剣客商売は、それほど人が死なないのだが、鬼平犯科帳のほうは、手足、指ぐらいなら、もうあっという間に「切り飛ばされ」るし、結構流血と殺人が…おまけに、「岡場所の女たち」が出てくることも多く、18禁の場面描写も多くて、中学生にはちょっと刺激が強すぎだった。

だめだ、大人になってから読もう。というわけで、私は鬼平犯科帳は封印しておいたのだった。
池波正太郎さんは、ほかにエッセイなんかもずいぶんあって、それは読んだのだけれど、もうお亡くなりになっていて、新作を読めないというのも後で知った。

新しいのが読めないのだから、今あるのを読もう、と思って、剣客商売と、藤枝梅安は読んだけれど、鬼平犯科帳は全部まとめて置いてあった。
でも今回、ついに電子版にしたことだし、と読み始めた。
いやー、面白い。これはつまり、長谷川平蔵が、いかにかっこいいか、強いか、素敵か…ということを書きまくった小説なんだね…。遠山の金さん、という時代劇があったけど、あれだ。市井に交じって事件をさぐり、お白洲へ登場した金さんが、弱いものを陥れようとする悪者を「この桜吹雪が目にはいらねえか」と伝法な調子で見得をきって、町人だと思っていたのが、このお殿様だった…ということを知らせるというのがお約束の、あの時代劇。あれと似ている。

町人とか、浪人とかの恰好をしている平蔵が、事件の糸口を見つけて解決し、最後に「俺はな…」と正体をばらすというパターン。割と同じパターンが多い…多いんだけど、これがいいんだな…。毎回印籠だして終了する水戸黄門が、私は好きだ。何回見ても強いねえ…というヒーローものも好きだ。

剣術の達人で、どんなのがかかってきても、証言を取らなきゃいけないから峰打ちで一人は生かしておくとか、手下に様々な心配りをするとか、貧しい人にも分け隔てなく、人情味にあふれる扱いをするとか…いかにいい人で、強いか、そして時々はおやじギャグみたいなお茶目なところがあったりして、それが、若者じゃなくて、中高年ってとこが、いいんだなあ…。
24巻あるので、なかなか読み終わらない。さすが、ライトノベルとは違う。
これを読んだら、もう「新作」は読めないんだな…と思っていたら、なんだか【謎の短編集】がアマゾンに出てきた。おお?これは有名になる前に書いたのとか、雑誌に載って、今までは単行本になっていなかったのをかき集めて出版したものらしい。なんでもいいから、この人の書いた本が読みたい!という人が多いので出したものなんだろうな。まだまだ読めそうでうれしい。

まあ、この池波正太郎さんの本は、とても好みなので、読んだことがあるものを読み返すので全く構わないのだけれど、やっぱり読んだことのないものはいいなあ…。大事に読もう。一度目は、当たり前だけれど一度っきりだものね。

ドルフィン・エクスプレス

何と表現すればいいのだろう。一言で言うと「子供に読ませておくにはもったいない」本だ。

作者の竹下文子さんのシリーズ本【黒ねこサンゴロウの冒険】は、10巻もので、私はこの物語が大好き。
子供の本のくせに(大体3年生ぐらいから読めると思う)、孤独でニヒルで、そしてカッコいい黒猫のサンゴロウが主人公で、1巻目は、人間の男の子が主人公ともいえるので、なんていうか、あるとき、僕に起きた不思議な話、みたいな学習誌の連載ものみたいな感じで、それほどでもないが、2巻から先は、ああ…こんな生き方って、いいかもしれない…。とその世界に浸れるだけの深さがある。

 暮らしているのは、猫たちの町。島が点々と散っていて、挿絵は二足歩行の猫。あまりにもファンタジー…と思うかもしれないが、風景の描写や、街の活気が伝わってくるのが、なんとも美しく、まるで外国の知らない町へ遊びに行ったような気がする。
 おいしそうな食べ物、パラソルの立った座席が外に並ぶカフェ、月の光に照らされた石畳、そして波の音。

 今日紹介しようと思った、「ドルフィン・エクスプレス」は、サンゴロウがいる世界と同じだが、(サンゴロウもちょっと出てくる)主人公は、宅配便船会社、ドルフィン・エクスプレスの配達員の若い兄ちゃん、テール君。サンゴロウよりは人情派で、困った人を放っておけないが、なかなかにガッツがあって、貧乏だけれども、毎日仕事をして、頑張っているサラリーマン。
 給料が安いのをぼやいたり、仕事がきつかったり、シフトがきびしかったり、そういう苦労をこれを読む4年生がわかるとも思えないのが、「子供に読ませておくのがもったいない」理由。

 これは大人が読んで、あーー。そうだよねーえ。と思う本なのだ。
 ちょっとした事件と、ちょっといい話が、島の生活が、季節によって変わっていく様子と共に描かれている。
 貧困、ギャンブル、泥棒、孤児、詐欺、老人問題なんかがちょっとずつ書かれていて、この世界にもいろいろあるのがわかる。
でも、ここの住民も、生きているのだ、毎日毎日。

 ページを閉じても、島の生活がきっとどこかで続いている、そんな感じがしてくる。
きっとどこかに…今日も港ではゴンじいさんが仕事をしていて、港の売店のおばちゃんはパンを焼き、港に船をつけるのが下手なヨキ君はテールに難しい場所の配達を交代してもらい、一番うすぼんやりな配達員は、今日も伝票にハンコをもらい損ねる。

 ほんっとうにおいしい、あの店の小エビのピザは1日限定50枚だし、目つきのよくない男たちが、裏道のバーにはたむろしてギャンブルをしているのだし、リゾートアイランドの石畳では、きれいなドレスを着たお嬢様たちが、今年の流行りのペットのトカゲを散歩させているのだ。

 だから…。私は時々、この本を開いて、島に遊びに行く。
 
 島の…。白い壁にプルメリアの影がうつるリゾートホテルで、レモネードなんか飲みながらなら、嵐の話を読むのも、悪くない(サンゴロウのシリーズの場合)。それから、街へ出て、石畳を歩きながら、ショーウィンドウをひやかす(テール君のシリーズの場合)そぞろ歩きを。
  どこがモデルなんだろうね、この島は。

 子供の読み物ということみたいだけど、これは、本当に気持ちのいい本。いいところだけ取って、いらないところを抜いてあるから、子供用にもなるぐらい短い本だけれども、ノベルスぐらいの、何があるんだろうこれ。えーっと、固さ?歯ごたえ?
 全体の構成がしっかりしていて、「こどもだまし」な感じがしない。
 もちろん表現は、子供にもわかるようにしてあるから、子供用なのは、わかる。でも…。
 家具でいうと、小さい子供が食卓に座れるように、高くなっているイスなんだけど、座面と足を置くところの高さをかえることで、大人になるまで使えます、というたっかい(三万円近くする)椅子。あれと似てると思う。

 薄いし、軽い読み心地なので10冊以上あっても、大人ならなんのその、で読めてしまうと思うので、図書館でぜひ、おすすめ。

ついに、電子本にした

 この春、まだ誕生日プレゼントをもらっていないので、なにが欲しいか、私はずっと考えていた。

 断捨離中で、「もの」が増えるのは、あんまりうれしくない。
 ダウンロード版ゲームとか、電子本がいいかな…と思って、ついに、買うことにしたのが、「フォーチュン・クエストシリーズ」。これがね?最初の9冊と、その次の26冊と、そして最新の8冊があって。 全部電子版買ったら、2万5千円越え。

 これは、ライトノベルで、昔付き合った人が読んでいた。「ライトノベル」なんていうものは小学生が読むものだと思って、「けっ」と思っていたのだが、彼があんまりプッシュするので、5、6冊出た頃に、がーーーっっと読んだ。1冊1時間どころか30分あれば読めるような薄さだったが、確かに、作者がゲーマーだというだけあって、とても面白かった。

 ライトノベルというものに対する偏見を捨て、その後出るたび買った。
スーファミのゲームも買ったし、ファンブックみたいなのも買った。ボードゲームは当時は、買わなかったが、冊子になって切り抜いて遊ぶのはどこかで手に入れたな、まだあるかな…。
PSのゲームも買った。まあ…PSゲームは面白くなかった覚えがあるが、キャラゲーとはこんなものよ…と思ったものだった。ちなみに、スーファミのゲームはスゴロクだった。今でも音声や音楽が頭の中に鳴らせるぐらいには、友達と遊んだ覚えがある。


まあ、当時の彼とは別れたけれど、面白い小説だったので、継続して買い続けて、結婚して渡米するまでに出た分が、大きな紙袋一杯分あったのだが、その時、まとめて人にあげてしまった。

 何年か経って、帰国、妊娠中でヒマだったので、また1巻からそろえて、読みまくった。つわりで体調がよくなかったし、重厚長大なものを読む気が減っていたからね…。

 それを出産育児中に、中学生になった甥に「軽くて面白いよ」とまとめてプレゼントして、(結構ウケた)その後引越し三昧。

 子供が幼稚園に入って、自分の時間が出来たころ、また読んだらまた、面白くて。
気がついたら、同じ人が同じ世界観で時代をずらして書いている「デュアン・サーク」も揃えてしまったが、これがまた一番年下の(当時中学生)姪に大ヒット…。しょうがないので一気に両シリーズ全巻譲った。
どの甥も姪もそれほど本好きではないので、ウケる本は貴重だ。楽しい読書体験は大切、お金には、代えられない。

 …というわけで、今回全巻、買うことにしたわけで。最新刊までで、しめて43冊。
 「リプレイ」と言われるTRPG の解説プレイ本は入っていなかったが、手に入りづらかった「リミテッド」も収録されていたし、コミックスのノベライズや、新しいあとがきなんかも入っていたし、最新刊の5冊ぐらいは読んでいなかったので夢中で読み通した。やっぱり40冊以上あると、ライトノベルといえども、5、6日かかる。

 このシリーズは、割と気楽に人にあげたのは、この深沢美潮さんがとても人気のある作家だから。たしかこの人の本、初版10万部刷るんだということだからね…。発売日からうっかり1週間過ぎて本屋で手に取ったら、3刷だった、なんてこともあったぐらいだから、絶対また、手に入ると確信がある本だった。
 これがハヤカワFTだとか、創元推理文庫のSFだとかになると、こうはいかない。あっという間にレア化…ということもあるから、絶対もう一度読む本だ、となったら、人になんかあげられない。
 
 3度目の正直ならぬ、4度目のコレクションは電子版。もう絶対手放さない、と思うとなかなかに感慨深い。「デュアン・サーク」の電子本も買って、とねだってみたのだけれど、残念、これは「プレゼント1回分」には多すぎ、と言われてしまった。23巻あるからな…結構高いよね。来年かなあ。それともお小遣いためようかな…。

 文庫本をチェックしても、お気に入りの本ばっかりで、断捨離にはならない感じ。林芙美子とか、やけにおいしそうで買った「貧乏サヴァラン」も電子化している。これを買うときチェックしたら、まだ電子化してなかったんだよね…断捨離候補、つぎはこのあたりだな…。まあ、林芙美子なら、絶対図書館で全部置くというのもあるけど、これは読み始めたらやっぱりおいしそうで、楽しい本で、やめられなかったのでキープ。

 落語の文庫本も…。やっぱり面白くて、落語を演じる人の声が聞こえてくるようで。
 これもキープ…って読んでたら片づけがちっとも進まない。

ウーゼルって、誰?

【このブログの2月終わりの記事】で、そういや、アーサー王物語をまともに読んだことがない、と書いて、その後、私は子供用のアーサー物語を手にしたのだが、そのストーリー展開のあまりの遅さと、いろいろな民話や伝説から物語になったから当然とはいえば当然の、つじつま合わせに疲れて、物語を追うのがつらくなってきて、思いっきり挫折した。

 えーっと、誰と誰が兄弟で、お母さんが違うのがこの兄弟で、あとから違う人と結婚した…ということはこの人は父親が違う…?おまけに親子で名前が同じだったりするのがまた…。調べてみると、名前が似ている人は混同されていたり、物語の成立年代によって、すごくいい人だったのに、後の時代の物語では悪役をやっていたりするのが、薄い知識とあいまって混乱のもと…。

これは英語で読んでいるから、大体の筋書きがつかみにくいのでは、と判断して、私は日本に帰ってきたのを幸い、図書館にアーサー王物語を探しに行った。

 トーマス・マロリー版ではなく、ローズマリー・サトクリフのアーサー王物語を発見したので、読み始めた。
さすが日本語、速度があがる。

 といっても、人物相関図がほしい…と思うような物語なのは変わらず(そりゃそうだね)、スタートはアーサーなんか影も形もないところからスタート。各種伝承入り混じって、もとの物語や民話は絶対数が多いよね…と思いながら進む。

この、ローズマリー・サトクリフ、結構子供向けの歴史物語を書いていて、ローマ帝国とか、ブリテンが…サクソンが…まあ、あのあたりのものを読むのにとても面白いのだけれど、このアーサー王の物語は多分、大人向け。

 王様が殺されて、その息子がアンブロシウスとウーゼルの兄弟…と読み進めていく。
 なんとかウス、というのは割とローマ帝国が絡んだ文化圏だとよく出てくる名前だよね。
 セレヌンティウス(<メロスの友達。走れメロス…は日本の作家だけど)とか、フラヴィウス、アントニウス、ティベリウス…。

 だけど、この物語では、かなりあっさり、アンブロシウスさんは戦死。
 その後活躍するのはウーゼルさんだった。

 読み進めると、ウーゼルさんはブリテン大王に戴冠されて、ウーゼル・ペンドラゴンを名乗る、とある。

 ペンドラゴン??この称号を名乗るのは、アーサー王物語のなかで、たった一人、アーサーの父ちゃんである。

 ウーゼルって、ユーサー・ペンドラゴンのことだったの??

あー…。Utherで、thが、有声音だとしたなら、ゆーざー、だよね?
Webster-Merrimanのネット辞書によると、ゆーさー、か、うーさー、というような発音だった。THはにごらないらしい。

…うーむ。百歩譲って、まずそれをにごった音にしたとして、うーざーになるとして…。最後のRまたはLを、ら、り、る…と書く表記法、たとえば、Beautifulを、「ビューティフ」と書く英語を無理矢理カタカナに直す方法は、結構あるから、EをTHの方へくっつけて、ローマ字読みにして、うーぜ、までいったら、あとはルをくっつけて、ウーゼル、と。
HERを、「はー」と読もう、というのは割とたくさんの人が覚えてるでしょ…?そこはTHERだったら、TH+あーになって、「ざあー」か、「さあー」になりそうなものなんだけどなあ。

 ウーサー、ユーサー、ウーザー、ユーザーのうち、どれかなら、多分、「あ、アーサーのお父さんになる人だ」とわかったと思うんだけど。
 
実のところ、英語で、単語の一番最後に来るLは「らりるれろ」ではない。どっちかというと「う」の発音の方がずっと近い。
なので、Beautifulは、「ビューティフル」と発音するよりも、「びゅーてぃほう」と発音する方がそれっぽくなるし、wonderfulも、「ワンダフル」と発音するよりは、「わんだほう」の方が、それっぽいわけだ…というのは、英語の発音のコツなんていうのを読むと、すぐ出てくる。

 単語の最後のRも「らりるれろ」ではなくて、舌を後ろに巻いて、「うー」というのが近い。私はこれを教える時、「あうーーワンワンワン」と、アニメで夜がふけたということを表すときに出る、遠くで遠吠えしながら鳴く犬の声があるでしょう、あれを思い出して、舌を後ろに巻いて、アウーーーってやってみてください、と教えていた。

ディーゼルとか、イーゼルとか、そういうものと関連がありそうな感じがするよね、ウーゼルって…。

 農業機械の革命児、ディーゼル・ペンドラゴン新発売!
 
 イーゼル・ペンドラゴン!安定性抜群、キャンバスの固定に便利な爪を装備しました!

…そんな感じ。
 読書がなかなか進まない。

懐かしいコミックス

 自分の本棚も、頑張って断捨離中。完全版を2004年に買った4冊セットのコミックが、一冊432円で電子化していた。ううう。本棚の奥へ入ってしまっていると、取り出しにくいからな…。電子版買うかな。本はきれいだし、売れそうではある。

 猫十字社の「小さなお茶会」。最初は400円ぐらいのコミックスを買い、その後、口絵部分とかがカラー化した豪華版を買い(ただし、品切れで全巻は買えなかった。アマゾン以前の時代だったからね)、それから完全版を買い…。電子版を買ったんだから、私はファンとして、この作家さんに、ちゃんとお金を払って作品読んだよ、と思う。
 だって…同じ内容の本を4回買ったんだからねえ。それでも取っておく、と思えるぐらい、好きな本だ。 この人には、未完の大作、「幻獣の國物語」というのがあるのだが、どうにかして続きが読みたいけど、無理だろうなあ…。

 「幻獣の國物語」最初はコミックだったのに、途中で小説になった時はびっくりした(買ったけど)。小説でいいんだ、どうなるかだけ、教えてーー。続きがわかるならプロットだけでも…買ってもいい…というぐらいなんだけど、ネットで調べた感じではもうあんまり同人活動とかもしていないみたい。残念。

 小学生の時から読んでいるマンガを、今、電子版で。もう、どんな出会い方をしたのかすら、覚えていない。

 この「小さなお茶会」は、私もいつか、こうやって誰か大好きな人と暮らしたいなあ、という望みを持たせてくれた本だ。
 おいしいお菓子と、お茶と、星と、本と音楽と…そしてときめく心を持って、日常をすごすこと。
 私の愛読ブログ、「OKKANABIKKURING」の、ちょっと前の【「ヒュッゲ」の記事】にあったような、一言で言い表しづらい、日常なのだけれども、ちょっといい、そして非日常なのだけれども、手の届く範囲にありそうで、なさそうで…思い出に残るような、でも字に書いたり、話したりすると突然香気の失せるような、そんなすばらしいもの。

 当たり前の事を書いた日記帳の、次のページに突然、すばらしい非日常が隠れているような、そんなマンガだった。

 今読んでも、やっぱりいいな、と思う。
 ぱらぱらとめくった思い出の本の中に、思いがけない押し花がはさんであるように…。

 聞き古したCDの中に、一曲だけ、心に響く曲があるように…。

 ふと、気が向いて降りた町に、素敵な喫茶店があったときの、幸せな気分。

 でなきゃ、突然寄ったブックオフに、まさかと思うような探していた本があったりする。

 そんな、誰に言うでもないのだけれども、きらりと光る、そんな一瞬のときめきを、ただそれを見せびらかすのではなくて、ポケットにいれておいて…

 それがハンカチと一緒に、時々出てくる、そんな、二重にも三重にもなった、「日常生活」。

 それが、この「ちいさなお茶会」なんだってこと。

 私も、そういう小さな、すばらしいことに、気がつきたいな、と思う。

ゲーテ詩集


実家も、ちょっとずつ断捨離しているらしい。
元気な時にやっておこう、と思ってくれるのはたいへんありがたい。
私も時々顔を出して、「まこ、これいらない?いる」という質問に答えることになる。

ずーーっと前から、「服は全部捨てて」とお願いしていたのだが、それでも、「もし、いるのがあったら困るから」というので、見に行ってきた。
うーむ、私は自分が行った時、かなり捨てた覚えがあって、まだ残っているとは…状態。

結局、バンドの衣装のタキシードが出てきて、さすがにこれはもう入らないよ状態。
男装出来るぐらい、細身だったのがウソのようだよね、もう。
あとは、「これは姉のやつでは」というのがあって、親はこれは私のだと思っていたらしいのだけれど、ピンク系は実はほとんどが姉のもの。スーツとか。
 コートは、キャメル色のロングコートが、私のじゃないか、といわれた。確かに、私のワードローブにありそうな、シンプルな形と、ありがちな色だが、私はロングコートが嫌いだ。買ったはずはない。というわけで、多分姉の。

結局自分のだけチョイスして、捨てた。
「まだ着られる」とか親がブツブツ言うものもあったが、正直その「まだ着られる」を着る機会はないと思う。

 そして本。これがなあ…。
コミックスのうち、電子版で持っている、または買えそうなもの(作家によっては、熱心に電子化してくれるケースもある)は、どんどこ捨てる。

 源氏物語は、多分誰の訳でも、図書館にあるから、捨て。続き物で半端な小説、全部捨て。英語で買いなおしたSFが多かったので、まあいいや、と。日本語版では途中まで出て、そして不人気で翻訳しないのがあるのがなあ。
ゲーテの詩集が、2冊。なぜ、ゲーテだったのか…。

 読むと片方は、あんまり気に入らない訳が、そしてもう一冊は、多分こっちが好きだったほう、かなり覚えがある。

 井上正蔵訳、好きだ。
 ドイツ語なんて出来やしないから、元の詩がどんなのかなんて知らないが、
『五月のうた』の
5連目の、

 そのすばらしい恵みは
 さわやかな野に
 花にけぶる
 まどかな地に

 この4行のためだけに、私はこの詩集が買える、と思う。

 白鳳社の青春の詩集/外国編6、と書いてあるが、この一冊だけしか持っていない。
 そして、裏表紙をあけたところに、300-と、鉛筆で値段が走り書きしてある。多分、どこかで、ゲーテの詩集を読み、気にいって買おうと思って、普及版っぽい1冊目の本を手に取って買ったら、訳が違ってしっくりこないので、どこかの古本屋で、この訳を探して買ったのだろう。

 どうするかな…取っとくかな…と思ったが、【アマゾンに電子版が】あるじゃないか…。

 うんうん、これでいいよ、電子版があるなら、これはもういい…と思ったけど、一応、一読してから捨てることにしよう。懐かしい本だしね。

 いい時代になったよね。ずっと、キンドルにとっておけるのは、うれしい。
 

「穴」とpig-latin

ルイス・サッカー作【HOLES】日本語は【穴】

あまりにも、内容が想像できない題名だったので、子供が、面白いんだ!と喜んで読んでいた時、「ふーん」ぐらいでスルーしていたのだけれど、2003年に映画にもなっていると聞いたし、結構英語が簡単ということで、英語の勉強に読んでみた。

 英語は、あんまり難しい単語が出ない。一度も調べないで読めてしまった。多分、アメリカ人なら4年生ぐらいで読めてしまうのではないだろうか。ニューベリー賞受賞、ということは、名作という評価だということはすでにわかっていたのだけれど、ほんと、最後までぐいぐい行ってしまえる本だった。

 設定としては、「えーこんなの現実にあったら大問題じゃーん」という感じの導入部なんだけど、でもな…。アメリカだものな…。あるかもしれないな…程度には、それっぽく、多分こういう感じのが、はやってるんだと思う。リック・リオーダンの【Percy Jackson series】【パーシージャクソン日本語版】このあたりと、多分、読者層は同じだと思う。
パーシージャクソンは私は2巻で挫折中。アメリカの図書館で、「大人気!」のところにあったので読んだ。日本の図書館で日本語借りようかしら、と計画中。ハリーポッターが出てきてから、こういうファンタジー系の少年少女用小説というのは、とても増えたと思う。
この本は、推理小説が好きな人にお勧めしたい。伏線がすごくたくさんあって、この物語の主人公はStanley Yelnats IV、つまり同じ名前がついている一族の4代目。物語の始まりは、そのもう1代前の人からスタート。
ひい、ひい、おじいさんから、現代っ子スタンリー君までの、5世代に渡る運命の輪が、どうなってきているのか…ということを読者は、見ていくことになる。

 途中はわけがわからないまま、進んでいかなくてはならない。なぜか突然出てくるこれはだーれ?みたいな感じなのだけれど、 ジグソーパズルってあるよね。最初、枠だけ組み上げてから、色が同じだ、と思うところを少しずつ組み立てていって、ちょっとずつ部分が完成していって、「あー、このパズルには、こんな絵がかいてあるんだ」とちょっとずつ細かい部分を見てから、最後の最後に、残りのピースが少なくなってきて、ばたばたばたっっとパズルがはまる、あの感じに似ている。パキーン、と絵が完成したあとの、その細部の絵の細かさに、「ああーーーこんなところにこんなものがーーーっ組み立てていた時には、わからなかったけどー」的楽しさがある。

 または、(名探偵)コナン君が、いろいろなヒントから、順番に事件をつなぎ合わせて、最後に種明かしをしてくれる、あれが好きなら、もう間違いなく、はまる。

 あああーーーっ。こうなってたんだ???ってなること請け合い。今、あんまりネタバレをしてしまうと読む楽しみがなくなるので、ここまでしか書かない。書かないけど…。(言いたい)

 息子と同じ本を読むのは、自分が子供のころに読んだのを息子が読むというパターンはちっちゃいころの絵本には多かったが、最近全くなくなってきていて、ハリーポッターぐらいか?という感じだったけれど、今回、息子が読んでから私が読んで、大変盛り上がった。割と短い本で、(続編は各種あるらしいけど)、私もじゃあ、読もうかな…という気になったのが大きかった。

 この本の中で出てくるPig-Latinというものについて、解説。
 どの本で読んだか忘れたけれども(たぶん「海へ出るつもりじゃなかった」のアーサー・ランサムのシリーズだと思う)、結構アメリカの本に出てくる子供の言葉遊びの一種で、普通の英単語を、「ラテン語っぽく聞こえるように改変する」というもの。
(単に外国語っぽく聞こえるのが面白いからやってみただけ、という説もあるらしい)

 やり方は、「単語の頭にくる子音を、単語の最後に回して、ayを足す」というのが基本ルール。
 最初が母音で始まる場合には、単語の頭の音はそのままにして、後ろにwayを足すというサブルールがある。

 単語1つずつにこのルールを当てはめるため、1単語ならともかく、フレーズとなると、なかなか難しい。

 つまり、Helloだったら、Ellohay 発音としては、ヘロウ→エロヘイ、とこうなる。
  Thank you これだと、ええと ankthay ouyay、(Thをひとまとまりにしてこうなるはず)
 母音で始まる appleだったら、最後にwayをつけるルール適用で、appleway アプルウェイ、とこうなるはず。
 Rexという名前だったら、Exray、とこうなるので、この物語の脇役、Rex君は、X-rayと呼ばれている。

 このブログの題名だとどうなるか…
uckylay uckyday iaryday (アキレイ、アキデイ、イアリーデイ)こうかな?

グーグルして出てきたサイトは【ここ】
アメリカ人も、わからなくて調べる人が多いらしい。1895年には、すでに知られていたらしいから、結構古いものみたい。
ネットには、グーグル翻訳のように、フレーズを入れたらPig-Latinに【訳してくれるサイト】があった。

前にpig latinのことは聞いたことがあったのに、こんなにわかるほど調べなかった。ネットってホント、便利。

偏りのある文章

うちでは、息子をまだ塾に通わせていない。
高いんだ、塾代って…。

 そんなわけで、息子と一緒に家で問題集を使って勉強中。

 一応、息子には、「文章に書いてある情報が、いい、悪い、またはあっているか間違っているかということは、考えなくていい。文章が何を言っているかを読み取ることが求められているのだ」というようなことは説明済みだが、それでも、時々、違和感がある。
 
 今日の文章は、科学について。
 *科学は、いろいろな人が、自分の関心のおもむくまま、追及し続けた結果、発展した。

これはいい。

 *現在、科学の発展には、お金がかかる。個人でそういうことは出来なくなっていて、税金がかかっている。

まあ、これもそうだろうね。

 *みんなが本当に大事だと思うことに、お金を使わなくてはならない。

…まあ、いいとしよう。基礎研究なんて、地道なものだし、何が大事か、なんてわからないものだけど。

で、結論に導くブリッジが、「でも、本当に大事なことだけにお金を使ってない」「原子爆弾とダイオキシンが出来た」

最後の結論が、「悪意で作ったのではないが、20世紀の科学は人類を不幸にしているように見える」。

えーーー。なに、その最後の大跳躍!いや、「見える」と最後が主観ですよ、と言ってるだけいいのかもしれないけどさー。

で、その本の題名は「ヒマラヤで考えたこと」だって。

…ヒマラヤねえ。この人は、知らないけど、題名から行くと、登ったのかなあ。
 きっと、環境破壊とかに心を痛めた人なのだと思う。

 わかるんだけど、ここだけ見ると、すごーく違和感がある。飛行機に乗り、ヒマラヤまで行き、ゴアテックス着て登山する…いや、それ以前の問題。乳児死亡率が下がり、病気が治る薬が出来て、私たちは毎日科学の世話になって生きているんだから。

 自然は、そのままにしておいた方が、多分いいのだと思う。ヒマラヤに置き去りにされる死体、投げ捨てられるゴミの話は前から問題になっている。登る…というのは、つまり現地の人が、ではない。私たち、登山を趣味にするような贅沢な事が出来る国の人が、金の力で趣味を満喫している、そのことについて…。きっとそういう文脈なんだろうなこれは。

 発展した科学技術がまだ導入されていない場所の自然は、美しく残っているかもしれない。ただし、その場合は人間の住環境も、ぐっと昔風。乳幼児死亡率、病気、けがなどの医療、それから教育…。
 私たちは、科学の恩恵を受けるが、お前たちはその自然な環境で生き延びろ。そういうことなんだろうか。

 「いろいろなものを発見発明することで、幸福になるのだろうか」とこの文章は問いかけている。
 これは、よく調査にあるよね。大体、人間の幸福度というものは、ある程度までしか、そういうことには左右されないというのがあるみたいだけれど…。今から、科学技術を減らした生活をして、環境にかかる負担を減らそうというようなことを実践できるのかというと、やっぱり、難しい。

 ダイオキシン汚染を、どうしたら解決できるか。原子爆弾を使わないようにしましょう…そういう科学、文明、文化…というものを育んでいくしかない。

 科学技術の恩恵をここまで受けて暮らしている私たち日本人が…。衛生的な環境と、医療、温度管理された家に慣れた私たちが、「20世紀の科学は人類を不幸にした」と言っちゃいけないよな…と思う。科学技術がなければ子供のころに、死んでたかもしれないんだから。なんせ、原始的な環境だと、「半分」は5歳までに死ぬとかだからね…。

 これを言っていい人は、科学の助けを借りないで暮らしている人だけだ、と私は思う。
 それなら、説得力あるよな、と思うだろう。

 一つ一つの文章を読むと、間違いなくもっともに聞こえる。自然は大事。ダイオキシンは環境によくない。ダイナマイトのような大量殺戮が出来るものは使わないほうがいい。
 でも、これを全部並べたとき…。同じカードの表と裏のように、科学の、医療の、工業の発展が、隠れている。

こんな文章を、小学生の息子に読ませるのが、いやだな、と思う。
 例えばじゃあ、「じゃあダイオキシンがいいっていうのか」と聞き返されたら、答えはNOだ。でも、何が裏側にかいてあるのかということも…今日本人がいる環境が生き延びるのに好都合に作ってある、楽が出来る贅沢な環境だということも、一緒に書いてあるといい。

まあ、この本を書いた人が、ヒマラヤに骨をうずめる決心をして、もう現地に住んじゃって本を書いているなら、この文章はありだ。
知らない人だから、これ以上批判的なことは書かないけど…。

根源的なことをいえば、「何を幸せとするか」。ここなんだろうな。私は…やっぱりなるべく命がたくさん助かる生活がいいと思う。たくさん産んで、たくさん死んで、丈夫な人だけが、短く命をつないでいくのが、自然の姿なのかもしれないけれども、出来れば、生まれてきたら95%ぐらいの確率で生き延びて、年を取って、もう、十分だな、と思えるぐらい生きてから、去っていくという、現在のシステムが性にあっていると思っている。

 大丈夫。不幸というものは…または幸せというものは、主観的なものだから。「ユートピア」だったっけ。
 「不幸になることを、その自由を望む」という野蛮人が出てくるのは。虱に食われ、垢まみれで、病気になっても、それが自由なのだと。そう考えると、このテーマはかなり昔から使い古されたものなんだね。

 息子には、ものには、表と裏があって…。周りをぐるっと回ってみないと、いろいろ見えないことがあるのだと教えたい。
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今調べたらこれは岩波ジュニア新書だった。ということは、中学生向けか。
 そして、この人はヒマラヤに行ったあと、環境保全に尽力したらしい。ふーん。まあ、もちろんこういう本を書くときは、「かもしれない」なんて語尾を濁すものではないんだろうからね。こういう書き方になるんだろうけど。

 しょーがない、日本に帰ったら全部読むか…。ここだけ、切り取られたのを読んだらどうにもこうにもキモチワルイ。

国語の問題となれば、起承転結がはっきりしているとか、わかりやすい構成になっているとか、問題が作りやすいとか、いろいろ条件がある上、一部だけ抜くんだから、こういう感じになるのも仕方がないのだろうけれど、こういうのだけ読んでいると考えが偏りそうな気がする。

淡々と、または朗々と

図書館では、朗読のCDとか、テープの貸し出しもある。
指輪物語はめちゃくちゃ長編だが、これの朗読音声があったのをアメリカの図書館で借りたことがある。

男性の声で、朗読されるそれを聞いていた。
うんうん…。こうなって…こうなるんだよね…。
愛読しているだけあって、場面がどこか、ということもちゃんとわかる。
朗読というのも、案外いいな…と思った。

トールキンの作った、指輪物語の世界には、エルフという種族がいる。人間よりも、姿かたちが美しく、もちろん声も美しく、詩を作り、歌を歌っても大変美声…ということになっている。

なにか、というと歌うんだな、この種族が。歌で悲しみを、喜びを表現するし、夜キャンプとなればまず歌う。焚火の周りで歌うキャンプソング…という感じではなく、切々、または朗々と歌い上げるその歌声が夜空に…
…といったような感じ。古い時代の物語や、美しかった先祖たちへの賛歌や…まあ、詩的なわけよ。

その「エルフが歌う」場面になったとたん、朗読のおじさんが、裏声になり、女性の声ぐらいの高さで、変なリズムを付けて、エルフ語を朗誦し始めた。

ちょ、やーめーてー。雰囲気台無し…。
おっさんが裏声で歌っているようにしか(それもヘタ)聞こえない。

メロディじゃないの、掛け声、それも変に抑揚がついていて、音楽的でもない。

これなら、淡々と朗読してくれたほうがましだってば…(エルフ語の発音は、作者が設定している)

ひぃいい、と思っているうちに、それほど長くなかった歌部分は終わって、また朗読に入った。
そのまま聞き続けた。

しばらくたって、エルフがどっさり住んでいるところへ着いて…

ああやっぱり…やっぱりおっさんが裏声で…。

その違和感に耐えられなくて、結局朗読は聞くのをやめてしまった。

淡々と朗読される中、自分の頭の中で比類なき美しさを想像することはできても、全く美しくないものを変な抑揚で聞かされながら、美しさを想像するのは、難しかった。
せめて、じゃましないで…という気分。

それ以来しばらく、指輪物語のエルフ語の部分を読むたびにおっさんの裏声で再生されてしまうというイヤな効果が残った(-"-)。

私は、ラジオドラマは好きだ。多分、「臨場感あふれる」とか「感情を込めたセリフ」とかも、ラジオドラマなら、喜んで聞いたと思う。音楽劇とかでも。でも…。朗読のおじさんが歌がうまかったら、それでよかったのかなあ…。そうでもない気がする。
ドラマが聞きたければ、そういうCDを選ぶだろう。

読書の代わりとして、ストーリーを頭の中に思い浮かべて楽しむというのなら、やっぱり、邪魔にならない朗読スタイルがいいなあ。

おばけジュース(?)

松谷みよこさん作、【おばけちゃん】の本。これは、私の小さいころの愛読書だった。
 
 「ぼく、かいじゅうじゃありません、おばけちゃんです、ねこによろしく」…という自己紹介をするおばけちゃん、かなり冊数のあるシリーズだったはずで、人気があった。8冊か、9冊ぐらいまでは覚えているし、私は知らなかったが、NHKのテレビ絵本で放映されたこともあったらしい。

 このおばけちゃんの物語には、「おばけジュース」というのが出てくる。これは、おばけちゃんのママが作ってくれるジュースで、いろいろな色のジュースが段になっている。
 一口飲むと、オレンジの味。その次に飲むとリンゴの味…というように、いろいろな味が楽しめるジュースなのだ。

 おいしそう…。物語の中身が面白いのは確かなのだけれど、この物語の印象はこの、おばけジュースに、決まりだった。

大人になってから、誰かとこの本の話になった後、私を「面白いもん、飲ましたろ」と、バーへ連れて行ってくれた人がいた。
 そこで、バーテンダーさんが作ってくれたのが、7層になったカクテル。
「うわー…すっごーーーい!」と大喜びして飲んだ。味は、あんまりおいしくなかった…というか、ジュースっぽい味には、あんまりならないよね。 面白かった。お酒の比重によって、そういうものが出来るのだと解説してもらった。

 大人になってから…でもないな。子供のころから、おばけジュースは架空のもので、作れないのだ…ということは、ちゃんとわかっていた。でも…なんとなく心の片隅に残っていたんだけど、ふっと、Jell-Oがあまりにも色鮮やかなので、思いついて作ってみた。
 

赤は、イチゴ、オレンジは、オレンジ、黄色はパイナップル、青はベリーブルー、紫はグレープ味だった。黄緑だけは、Jell-Oの、ライム味がこれまたレモン味と同じく洗剤みたいな香料のきつさだったので、違うメーカーのを使用。トルーパーの紫のと、皇帝の赤いのと、この緑のベリー味があった。…革命軍ベリー味ってどんなのなんだろう(まだ、食べていない)。ちなみに、トルーパーのほうは、Galactic berry味、「銀河ベリー味」でいいのか。赤いのは、First Empire punchだから、ええと、「第一帝国(フルーツ)パンチ味」か。すごいネーミング。

 

なんとなく揃えたら6色しかなかったけど、7色目を足すとしたら、ピンク?かなあとか、悩んで結局6色でいいかなと思いなおした。緑のだけ、出来上がり量が750mlだけど、他は出来上がり量が500ml。半分は水、半分は熱湯…というわけで1.6リットルの熱湯を作成、6種類のゼリー液をせっせとこしらえて冷まして、1色ずつ、10個のカップに注ぎ分けて1時間冷やして…もう1色注いで冷やして…。午前中から作り始めて、午後いっぱい夕方までかかった。ちょっぴり馬鹿。カップが下の方がせまく、上の方が広いので、黄色、をいれはじめたところで1つ減らして、オレンジは10個じゃなくて9個。赤は、かなり層がうすくなりそうだったので、しょうがないからもう1パック作って、厚めにいれた。
普通にテーブルに置いて写真を撮ったら、うまく見えなかったので、部屋のランプにかざして撮影。

 とっても、満足した。ゼリー大好きの息子は、「おお、すごーい!」と面白がって喜んでくれた。うん…。こういうの、きっともうすぐ喜んでくれなくなる年齢になるもんねえ。これは、私としては、おばけゼリー?ってことで。多分もう一生やらない(*^m^)。


ロマンス。

読書には、何力というのだろう、体力がいる。読書の体力。多分これは、日本語でも英語でも同じだと思う。

わからない単語がいくつか出ようと、それを漢字とか、単語の感じから「大体こんな感じねえ」と意味を推測して進めるか、または、ちょっとぐらいわからなくても物語の大筋には影響しない…と判断して、ずっと読み続ける能力というのは、ある。子供のころは、「大人向け」の本を読むとよくこういう感じになったものだ。

 最近、この力がちょっと落ちている感じがする。特に英語で。
 もう面白くて、面白くて、一度開いたら置けない…というような本を「Page turner」と称する。そういう本を最近、そういえば読んでいないのもあるか…。どこでやめてもいいようなのんびりした本を読んでいると、こうなってくるんだよね。

 マラソンというのは、「絶対走り続ける」というのが割とコツであって、一度「歩いてもいいや」と思うと、もう全然走り出せなくなるように、本も、「どこでやめてもいいや」とか思うと、やっぱり駄目なのかな…

 と思いながら、なんか面白い本ないかなあ。と私はアマゾンを物色していた。まだ読み切っていないシリーズがたくさんあるのに。
 アーサー王も、途中で止まってるし、「高慢と偏見」もまだ最後まで読んでいない。
 あなたの履歴から、これをおすすめします、というリストが出るのだけれど、そこに、見慣れない題名の本がかかった。

【Aunt Crete's Emancipation】だって。作者はGrace Livingston Hill。聞いたことないや。誰だそれ。

 調べてみたら、ロマンス作家。そして【ネットにタダで置いてある本】があった。著作権、切れてるってことね。そりゃ、無料なら読んでもいいやね…と思って読み始めたら、さらっと読めてしまった。
 …簡単、なんだね、多分。ロマンスと言っても、主人公おばちゃんだし、恋愛はからんでないけど、これは確かにハッピーエンドで、ロマンスだと思う。面白かった。

高慢と偏見が1813年、このクレテおばさんが1911年。なるほど…100年ぐらい違うと、英語の読みやすさが歴然と違う…。
 使用されている単語が違う。辞書を引く頻度はクレテおばさんの方が絶対少なかった。
 それと、多分「文学作品」と「ロマンス」の間には、深い溝がありそうだ。

 高校のころは、ハーレクインロマンスなどというものを読んで、登場人物にうっとりしていたクラスメイトなんか「へっ」と内心思っていたものだったけれど、読書力が減った今ならわかる。これは、体力がないときにも読めるんだね。ご都合主義間違いないよ、うん。こんないい話、そこらに滅多にないと思うけど…。口どけ軽くなくなってしまうメレンゲのお菓子みたいな、そんな小説だった。

 一冊読めたら、また、がんばったら他のも読めるかな…という気分になってきた。
 高慢と偏見は、単語は全部わかっていても、何が言いたいのかわからない文章が出るのがなあ。

 そんなわけで、ロマンス作家をいっぱい調べたせいで、私のアマゾンのおすすめリストは、やたらにロマンス本をおすすめしてくるようになった。 
 英語のお勉強をするときには、子供向けが終了したら、割とこっち方面でもいいのかもしれないなあ。
 
 ちなみに、レビューによると、Grace Livingston Hillが書いているものは、どれも健全レートらしい。婚約と結婚はあっても、キスどまり、「情熱の嵐」は出てこないし、放送禁止用語も出てこないらしい。そこから、「この本を読んだ人はこっちも読んでいます」というロマンスのセレクションが面白いの!見たことない本ばっかり!
 「アーミッシュのロマンス」という分野があるっぽい。

 アーミッシュというのは、アメリカに住んでいるキリスト教の一派を信じる人達で、現在の技術を自分たちで所有しないことを原則に、18世紀ぐらいの生活スタイルを守っている集団で、例えば自動車を持たず、馬を利用したり、家具や道具も手作りできるものをコミュニティ内で作り、学校は中学校程度まで、確かミシンはダメなんだったかな? 服装にも、家族制度にも色々な規定があって、かなりの人数いる、アメリカ内異文化集団、といったような人たちなんだけれど、この人たちの結婚、お付き合い制度が、なんていうか、結婚まで性的にアクティブにはならないのが普通の、昔風で、お付き合いしたら大体結婚までこぎつけるのが普通、離婚は「ない」とか、まあそういう清教徒的価値観を体現しているために、アメリカ人でも好きな人が多いらしい。

 というわけで、このアーミッシュロマンスも、手を握り合うかどうか、目と目で通じ合っちゃうかどうか…の次は、もう婚約して結婚式になっちゃうというようなおとぎ話的展開を見せる。
【アマゾンの無料本がどっさり!】…うん。つい、何冊か読んだ。

 これも軽い読み心地。いいな、これ。タダだしね。ただ、無料でもらっといてなんだけど、これ、面白くないのもある。
 さっきのクレテおばちゃんは、さらっと読めたけど、何冊かダウンロードしたアーミッシュロマンスは、1冊は面白かったが、もう1冊は最初の方で、ダラダラしすぎてダメだった。
 
 ボキャブラリとしては、ロマンス本は簡単になる傾向があるし、読みやすさがあるけど、文章のうまいヘタというものは、やっぱりあるのだね。多分、Grace Livingston Hillは、文章がうまいので、100年前から残っているのだと思う。だって、今でも、Aunt Crete's Emancipationは、紙の本に印刷されて売られているんだものね。

 【99セントで20冊ぐらい入っているキンドル本】買っちゃったよ。これで準備運動して、頑張って読めてない名作を読む。
 また、体力つけよう。

名作?っぽい本

昔、まだ私が小さかったころ、家には「文学全集」というのを置いているおうちが近所や親戚には、あった。その横には百科事典もあったりして、ずらりとならんだその背表紙のかっこいいこと…。「おそろいの本」は、大概が大人の本だったが、そういうのを小学生以下の子供に読ませてくれる人もあった。

大人同士の退屈な話を、おとなしく待っていなくてはならないような「おでかけ」が、なぜあったのか、全く覚えていないが、絵だけ見る時期をすぎて、ふりがなを頼りに、わからないところはわからないまま、読みだしたのがいつだったか。
 
 大人になったら、こういうカッコいい本をずらっと本棚に並べよう…。私はそう思っていた。
 
 前に渡米したときも、本屋の、児童書コーナーに、時々やたら立派な装丁の名作がおいてあるのを見かけた。それも、1ドル100円ぐらいの時代に、800円ぐらいの安さで、ハードカバー。まあ、出版社によって装丁はバラバラだから、ずらっと並べる…という感じにはならなかったが、いかにも子供向けの日本の本の背表紙と違って、大人の本に見えるような、茶色、黒、あずき色のような渋い色の背表紙で、クロス張りだったりする。


 なんでそんなに安いのか…ということはあとでわかった。つまり「著作権切れ」の本。そういう本はつまり、印刷代と、装丁代だけで作れるから、安いのだね…。

今年、アメリカに行って見かけた本には、全集と銘打ってはいないものの、並べたときに揃っているように見える装丁の本があった。

こんな感じの表紙で、表紙に金や、銀で箔押しがしてあったりとか、本の小口のところが金色、つまり「天金」と言われるような加工がしてあったり、やけに立派。布目みたいに見えたり、革のように見えたりするような材質のもので装丁されている。

 値段が大体、1冊2000円ぐらいと、見かけの割には安いので、装丁が革というのはあり得ないけれども、それにしても、きんきんキラキラで、背表紙にまで、イラストがあったりしてずらっと並べたらそりゃあ、美しかろう…
 ドストエフスキー、トルストイ、ディケンズ、シェイクスピア、エドガー・A・ポーでしょ、それから、ジェイン・オースティンに、エミリー・ブロンテ、ええと、三銃士に、千夜一夜物語に、詩集あたりを入れるのもいいなあ…なんて思いながら見ていたら、オーソン・ウェルズの「タイムマシン」だの、ラブクラフトの「クトゥルフ神話」だの…ええっと。

 こういうのは、SFとして出版されていて、前はこう、ペーパーバックしかなかった気が。こんな立派な装丁で、マーガレット・ミッチェルとか、ヴィクトル・ユーゴーとかの本に混ざっているとは…。そりゃ、タイムマシンは名作だと思う。思うけどね?
 クトゥルフ神話も、よくぞこんなもの、思いついたよな…と思うような本だし、名作なのはわかるけど(怖いのであんまり好きではない)。
「スターウォーズ三部作」C3POとか、ダースベイダーが表紙。しかも箔押し。かっこよすぎる…うーむ。「砂の惑星 デューン」もあった。名作だけど…名作だけど…。立派すぎる本だ。ずらっと置いたらかっこいいだろうなあ。ハインライン全集が、この装丁で会ったら、買ったかも…。

 今、2000年代になって、私たちが、家を買い、お金を持ち、本棚にいつでもおいておこうと思う名作が、若いころに読んで感銘を受けた名作なのだとしたら…。こうなるってことなんだろうねえ。 しかしすごい。

 もちろん、不思議の国のアリスや、オズのシリーズもこういうカッコいい本になって並んでいた。
 私が置くとしたら、こういうのがいいなあ…。いつ読んでも、心和む昔なじみの本。

 見回すと、名作の本には、もっと安いペーパーバックの本もあった。1冊4ドルぐらいで、2冊買ったら3冊目はタダ!みたいなのも。アメリカは、土地も安いし、家も大きいのが多いから、こういう本を家に置くのもいいかもね。私は残念ながら、こういう本を家に置く余裕はないけど。昔ながらの文豪の名作は図書館に絶対置くから、借りに行くことにすると思う。

 でも…。きれいな表紙の本が山積みになっているのは、とてもおいしそうな風景で、私はつい、本屋に長居したのだった。
 かっこいい本
なんてかわいい…お花もよう。このジェイン・オースティンの本。読めないけどほしい…。あと、千夜一夜物語は、中も見ることが出来た。カラーの挿絵がもうね…。本気で重たいけど日本まで持って帰ろうかと思った。豪華だった…。この左の水色の本をクリックすると、これを売っている本屋のサイトまでジャンプします。
 ちなみにこれは、アマゾンではなくて、アメリカの大型チェーン書店、「Barns & Noble」。この本屋の「名作、コレクターズエディション」なんだそう。日本には、お金さえ払えば、発送してくれるみたいだけどさ…。
 いや、何を買う気になってるんだ、だめだめ、本棚狭いんだから。豪華本と、キンドル本は、中身は一緒さ!
 挿絵付き、千夜一夜物語、ってあるかな。カラー挿絵のやつ。探そう。


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    まこ

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