トイレットペーパーホルダー
社会科の授業で習ったオイルショック(1973年)から、全然変わっていないんだよね…とはいうものの、実際、本当に品薄になった時、どうしようかな、という気分になるのも確かだ。
そんなわけで、うちには、1パック買い置きがある。それは、巻きがとても長いシングルのトイレットペーパーで、「ペンギン」という名前(丸富製紙)で近所のホームセンターに売られていたもの。ワンタッチ版というタイプで、ごく当たり前の芯のはいったトイレットペーパーと同じに使えるもので、1巻きが130mあるというものだった。
コロナが流行った1年目の、トイレットペーパーが軒並み消えてしまった時には、これで流通が戻ってくるまで対処できてしまったぐらいには、長持ちのトイレットペーパーだった。
…のだけれども、近所のホームセンターがこれを置かなくなってしまった。普段私が行く範囲のスーパーでもみかけないし、ドラッグストアでもみかけないし、かといってずっと同じのを置いておくのもなあ…というわけで、次の解決方法を考えることにした。
長巻の一番ポピュラーなトイレットペーパーは「芯なしロール」と言われるタイプで、芯が文字通りない。つまり、トイレットペーパーの中心の穴がとても小さくて、それ用のプラスティックの芯を入れて使うもので、ワンタッチタイプのトイレットペーパーホルダーには入らない。
昔からある、芯部分が取り外せるタイプものを使わないといけないわけだ。
これなら、近所のスーパーにも、ホームセンターにもあった。
うちのマンションは、トイレットペーパーホルダーは最初からワンタッチタイプがくっついていた。
壁にくっついているのをしげしげ眺めると、ネジで壁にくっつけてある。
ドライバーを持って来て、回してみたら、ちゃんと回って、ネジが抜けてくる…ということはこれは付け替えが出来るのでは?
…というわけで、芯なしロールが使えます、というトイレットペーパーホルダーを検索して、買うことにした。
こういうものの付け替え需要は案外あるらしく、商品がたくさん検索結果に出る上に、取り付けネジの間隔が調整できるタイプと銘打っているものもかなりあった。
うちのトイレの壁からホルダーを外して計ってみたところ、調整範囲に入りそうだったので購入。
…というわけで、付け替えて、芯なしロールをくっつけてみたところ、無事、使えた。
ちなみに、ワンタッチと芯なしロール両方が使えるという商品だったので、どっちでも好きなのが買える。
何でも探せばあるものだなあ…。
これで、トイレットペーパーの芯を取り外して床に置いておくという、なんとなくイライラする挙動を出す息子にも、芯を取り外して、取り換え用ロールがのっていた棚に置いておくという、「だからなぜ外に出して捨ててくれないのか」と疑問の残る夫のやり方にも、複雑な思いをすることもなく、芯のないトイレットペーパーが使える。
出費は大体1000円であった。
新年あけて。
部屋の中で、年末年始にぼんやり聞こうとおもったSpotify(1カ月980円)から、音楽を流しながら、本を読んでいる。
足に靴下と上履きをはいて、湯たんぽにのせ、膝に小さめの電気あんか(発熱控えめ)をのせて上からひざ掛け毛布をかけて、ダウンを着て、ついでに椅子に乗っているのが電熱マット。
これで24時間当たりの電気代が、10円以下。まあ、湯たんぽのお湯をあっためる代金を考えても、部屋の全体を温めるよりも体感温度が温かくて、すごい恰好になるのさえ気にしないなら、ほかほかだ。
北側にある私の部屋は、エアコンではなかなかいい感じに温まらないし、石油ストーブはマンションの規約で禁止だ。
寒いと気持ちが落ち込んでくるという現象も体験しているので、むしろ暑い?というぐらい暖かくしておくことが大事。
椅子にのせている電熱あったかマットは1980円。膝にのっているあんかは、何年前かのセールで780円だった。
まるで膝の上に丸まって乗っている猫のよう。
誰ともあんまり会わないし、本読んでるだけだし、ちょっとさびしいな…と思わんでもないけれども、こうやって自粛しておくことが、感染率の低下に役立つんだろうなあと思うしかない。
アメリカの新規感染は、100万人だそう。クリスマスにみんな集まったんだろう、それの結果がこれ。
日本も、お正月休みに集まった結果がわかるのが、来週ぐらいだろうか。
今年もよろしくお願いします。
元気にしています
買い物は2日に一度行って、スーパー以外には出かけておらず、手洗いうがい、シャワーに三密回避。
アウトドアなタイプではなかったし、オンラインゲームなんかやって、中でおしゃべりしたりすることで、なんとなくなつながりを持ち、誰かと会いたいという欲を満たしている感じでしょうか。
ふと、電話なんてものをかけなくなったな…って思いました。
中学生、高校生の頃は、夜に友達と長電話をしたものでした。
その日に会っているのに、まだまだ話すことがあったんですよね。
彼氏との電話は夜9時からと決めていて、9時に電話が鳴ったら私宛。
固定電話のケーブルを長いのに付け替えて、電話ごと持って階段をあがって、踊り場で座り込んで電話をしていたものです。
1時間、2時間…。
「キャッチホン」というのがあって、どこかほかからかかってくると、わかるようになっていたので、そういう電話がくるとちょっと切り替えて、「ごめん、後で電話して」なんて頼んで。
今じゃ連絡はラインで、スタンプを送りあったりして、そういえばビデオ通話も音声通話も短く切ってしまって、あの1時間も2時間もおしゃべりに費やしたのがうそのようです。
あんまり「誰にも会えなくてさびしいな」なんて思ってしまうとつらくなりそうなので、そういうところはあんまり考えないことにして、本に夢中になったり、いい感じの動画を探したり、なかなかうまくならないパズルゲームをして遊んだりしているうちに、毎日ご飯はいるし、洗濯もするし、掃除もするし…。
お風呂に入って寝て、朝はお弁当作って。
ひとりでこうやって時間を過ごすのが平気になっていくのは、実はいいことなのかもしれません。
ケーキ屋さんで、誰かとおしゃべりしながら、お茶がしたいな…。
ワクチンを打っている人たちも増えてきました。
寒くならないうちに、河原の東屋にでも人を誘って、おしゃべりするのもいいかもしれません。
コンビニのお茶とお菓子でもかって。
みなさんも元気でお過ごしください。
ワクチン推奨
無事に過ごしています。こないだコロナのワクチン1回目を打ちました。
腕は痛くなったけれど、24時間ぐらいでおさまったし、あと2週間かな?で2回目を打つめども立っています。
ワクチンが怖いという意見は相変わらず聞こえてきますね。mRNAを使ったワクチンを打つと、体中の遺伝子が入れ替わるみたいな、それどの出版のSF?みたいな話を信じている人もいるみたいですが、コロナのじゃないmRNAワクチンはだいぶ前から実際あって、使っている人も、すごくたくさんいて、問題がないのがわかっています。
大体そんな問題があるものを、先進国であるイギリスやアメリカがバンバン国民に打つとでも?大体日本人は文句を言わない人が多いし、政府は信用できないと思っているにしても、他の国があれだけ打っているものをそこまで信用しないとなると、自分たちだけで国を作った方がいいのでは、と思えてきます。
もし、ワクチンを打った人が全員何年かしたら死ぬとかそういう話が本当だったら、その時は絶対、北斗の拳みたいな世界になると思います。つまり医療関係者、インフラ関係、教育関係が全滅して、文明は衰退し、今の人口から激減した人数が小規模集落で生きながらえるような…。
私はそんな世界に生きていけるとも思えない体力のなさだし、北斗神拳が使えるようになるとも思えないので、そうなったらもうこの世界から退場しているほうが絶対平和だな、なんて思っています。
ワクチンを打たずに、コロナにかかって死んでもいい。そういう覚悟があるのなら、もうだれにも止められない。
そういうきっぱりした気持ちの人を説得しようとは思いません。でも、やっぱり手洗いうがい、マスクに消毒、外出自粛だけでは、なかなか感染はゼロにならないし、感染力のあがったデルタ株だけでなく、これからもっといろいろな変異株が出てくるであろうことを思えば、打っておく方が簡単だとしか思えない。
なので私はワクチン推奨派です。
人に恐怖感を植え付けて、ワクチンを打たないように働きかける人は、その人がコロナにかかって死んでしまったら、なんとその人の家族に言うつもりなんでしょう、その人のお葬式で。
「交通事故に遭ったとでも思うほかありませんね」
「運が悪かったですね」
…とでも?
突然の交通事故は避けようがないけれど、ワクチンは打っておけばよかっただけのこと。
自分が打たないのは自由だけど、怖い話をわざわざして歩かなくても。
ポリオが、天然痘が、破傷風が、今日本にないのは、ワクチンがあったからだってこと。
そう思うと…これも、ワクチンを打たない人が死んで自然減になって淘汰されていくということなのかもしれないと、ふっと思うと、それがまたホラーっぽくて怖い。
今ワクチンを打とうと思う人が多いのは、きっと私たちがワクチンを打って生き延びてきた人の子孫だからか?
じゃあ、ワクチン接種反対の人は先祖返り。
みんな、元気に生き延びましょう。ワクチン接種大事。せっかくここまで自粛も受け入れて頑張ったんだもの、今更かかりたくない。
本当に、本当にコロナにかかっちゃったとき…。重症化すると、管を気管に通して、酸素をいれることになる。口も利けないし、家族にも会えなくなるし、生還出来ないかもしれない。その時打っておけばよかった、って私はきっと思う。
ワクチン打って10年後に死ぬかもしれないなんて根拠のない話を信じて、今死ぬんだって思ったら、絶対後悔する。
ワクチン打ったら、かからない、またはかかっても、生き延びられる確率が9割。
絶対、悪い賭けじゃない。
アメリカ人の友達は愚痴っていた。
「あいつら、本当のこと以外はなんでも信じるんだよなあ」
…と。
あー。まあね、そうよね。
周りに反対されればされるほど、信念を固くする人がいるのかもしれない。なんとなくカルトな宗教みたいだ。
周りの人となるべく意見を交換しましょう、本を読み、テレビをみて、新聞を読んで、いろいろな意見を見ましょう。
ネットの意見はほどほどに。彼らは名前を出さず、無責任なことがいくらでも言えるからです。
生き延びましょう。生きてさえいれば、後からなんとでも言える。
これをいい経験として伝えられるように。
ワクチンをみんなが打つようになって、どれだけ感染者が減るか。
ワクチンを打たない人が重症化するのはどの位の確率なのか。
将来にデータを残して、同じことが起きたときに対処が出来るように。きっとこのデータが役に立つのは50年後、100年後かもしれない。でもこうやって人間は減ったり増えたりしながらやってきて、これもまた、歴史になっていくのでしょう。
いろんなことが書いて残せるようになった今、100年前のスペイン風邪の時よりいろいろな逸話が残るだろうし、今から20年経った時、今のことを書いた本が読みたいな、と思います。
気が付いたら
五年ぶりとか?
今朝、牛乳パックを持ったら、重かった。
なんで?という感じ。大体、こういう時は体調が悪いことが多い。
腕時計がうっとおしくなり、肩の凝るような服…例えば制服とかスーツみたいな服を着るのがつらくなり、体のどこかを締め付けるような服が着たくなくなり…
と思ったけど、軽く自分でチェックしてみても、体調が悪い感じがしない。
…あ。牛乳のパックが違う。
最近うちで飲んでいた牛乳は、900mlのもので、今日私が手に取ったのは1リットル。1割とはいえ、わかるものだね…。
変に細かいなと思った。
部屋の窓をあけて、風が通るようにしておくと、朝は寒い。
昼はちょうどよく、夜は上着がいる。
窓が開いていても、ドアが閉まっていて風が通らなければ、一日中開けておいて大丈夫。
今日オンラインゲームで出会った人は、家の外に、蝶の大軍を見た、といっていた。一度にこんなにたくさん見たのは初めてだった、とも。「そんなにきれいなのじゃなかったけど、なかなかにいい眺めだった」らしい。
救急医療の病院で働いていて、シフトが長く、そしてこのコロナのせいで働くのがとても大変だそう。
アメリカの人で、「アメリカ人にはどうしてこんなに馬鹿が多いのか」と愚痴っていた。危機感なしに、マスクなしでパーティをしてしまって感染というのは未だに多いらしい。
アメリカの方がワクチン接種は早いけれど、問題終息とまではいっていないよう。
三密回避、マスク着用、手洗い励行…やっぱり効果はあるんだろうな。
ワクチン打ったからと言って、浮かれて出かけてうつしあって…という事態にはならないようにしないと。
いや、まずは。まずは打たないとどうしようもないけど。
私はまだまだ自粛の日々だ。
蚊が出る季節になった。
歩くたびにかゆくて、すごく意識に上る。こんなところを刺されたことは…多分ないような。
液体の蚊取りも買ったし、今年も夏の準備を進めないと。
そう思って窓を開けていたら、朝の風が冷たくて、あわてて窓を閉めた。
どうも季節感がアップデートしていない。
梅雨って、そう言えばもう終わったの?終わってない?
窓の外から聞こえた、非常時のアラームの試験放送。
家のポストには、街のハザードマップ(改訂版)が入っていた。
まだまだ、雨が降る季節は続くんだろうな。去年か、一昨年に洪水とまでは行かないけれど、相当の豪雨だった時に、避難所に行った人が準備が出来ていないからと追い返されたみたいな話があって、その時に避難のめやす、みたいなのが周知された。
つまり、マンションの上の方に住んでいたら、実は自分の家で待機するのも洪水警報の時は悪いアイディアではないとか、そういう話。
そして、ハザードマップの見直しとか、台風、地震などによる、「状況別おすすめの避難所」みたいなチャートもつくことになった。
つまり、豪雨の警報で、洪水だなんだ、となった時、あんまり川べりの、低いところにある小学校の体育館へ避難しない。というようなことが書かれていて、前の避難マップより、もっと詳しくなっていると思う。
最近シリアルも、とっておかなくなったしな。またローリングストックをはじめようか。
2キロ半
…と書いたけど、そういや、詰め替え用の話は、まえにも書いた気がする。
これはつまり、食料品以外の買い物に滅多と行かず、いったら買うのは大抵洗剤で、それが日記になっている、ということなのだろう。
今日食べたお菓子は、ごく当たり前の白いマシュマロで、日本のメーカーの「エイワ」ってところのが一番おいしいと思う。
スーパーで買えるお菓子の講評も時々やったなあ。代わり映えしないっていうか、なんていうか。
今日は窓を開けたらちょっと寒くて、かといって閉めたらあつい、微妙なお天気だった。
これはどうだろう。
まあ、天気というのは、共感しやすい話題ではあるし、毎日そこにあるんだから、すぐ出しやすい話題ではある。
他に話題があるか…というと、そうでもない。
本は読んだな。
そうだ、こないだオンラインでしゃべった人と、指輪物語の話をした。その人がファンだというので、ちょっとしゃべってみたが、割とかみ合わない。
そうしたら、映画だけで本は読んでいないという。すごくたくさん色んなことが抜けているのになあ。
そんなわけでそれほど盛り上がらなかった。
つくづく暇な日曜だった。
ブログ存続の危機(偽)
その理由は、オンラインゲームにある。
同じ形をした世界がたくさん用意されているゲームで、昔、それこそ20年以上前に遊んでいたゲームを復活させたとき、元居た場所へ戻ったのだけれど、新しいところへ移住した。それも数か所。
最近出会った人が、何か所かで遊んでいるからというのが大きいが、つまり元居たところでは、スキルがたくさんあるのだけれど、新しくいったところでは新規まき直し。アイテムなし、スキルなし。
それを一生懸命稼ぐだけならまあ、暇な作業だね、で終わったのだけれど、最近知り合った人が、私がこの15年の空白を埋めるという話ではなく、「死ぬのが怖くて狩りに行っていない」という状況を聞き、無理矢理連れ出してくれるようになったのだ。
それもプレイヤー同士の殺し合いがあるところへ…。
そこでしか手に入らないものがあるからなのだけれども、とんでもなく怖い。
襲われると手が震える。この襲ってくるプレイヤーは、私と同じような人間なのだ。各種ゲームに入っているAIで動く敵ではない。
逃げ回る私に、戦えよ、チキン野郎、と罵る人もいるし(野郎じゃないからさー。嫌いなんだよ、戦うの!)、そりゃもう見事なコンボで瞬殺同然。
私をかばって、死んだらいけないから、襲われたらさっさと見捨ててくれと頼んであるのもあって、友達は返り討ちにしてたりするから、意外と持ち物は取り戻せたりするけれども、それでも、新しい場所でも早くスキルを稼いで、とかもっとお金を貯めて、経験を積みたい、とかね。そういうことを考えるとつい必死になっている。
15年のブランクは大きい…。装備がもう全然違う。モンスターがドロップするアイテムも違う。
そして、実際涙がにじむほど怖い、手が震えるゲームを私は他には知らない。
戦う力が全然ないんだよね…。面白いのは、同じように復帰した、私のお友達は、一緒に連れて行ってもらって、同じように殺されそうになったのだけれど、全速力で逃げることを優先して、「一応離脱したけど、大丈夫?」なんて通信がきたこと。
なるほど、昔の記憶しかなくても、道を覚えていてちゃんと走れる場合は、遁走出来るんだな…。
家をきれいに飾ったり、アイテムを作るほう、つまり生産職が主だった私には出来ない芸当だということだ。
プレイヤーとの対人戦が得意な人からは、笑われながらダンジョンを何も倒さずに駆け抜ける練習をしている。
その人としては、戦って叩き伏せてナンボ、ということらしいが、私ぐらい弱ければ、逃げかえれば勝ち判定でいい。
楽しいかと言われれば「かなり」と答えるだろう。
オンラインゲームは、一緒に遊ぶ人がいるかどうかが遊べるかどうかをわける。
私をこういう怖いところへ連れていく人は、必死でまつわりつくモンスター(AI)を倒しながら、動けなくなっている私を見てげらげら笑って、片手間でプレイヤーと一騎打ちをしながら、「いやあ、こんなに楽しいのは久しぶりだ」と喜んでいた。
私をネタに、嘘っぱちを教えてからかったり、もっと怖いところがね、あるんですよ、と私が絶句するのをみてふきだしたり。
ちょっとひどいとは思うが、楽しい思いが出来ているのなら、いいことだ。
しばらく買わない間に
洗面所の下の棚から、別にしてあった「最後の最後の1つ」をトイレの棚に入れておいて、次の日買い物に行った。
買うのは、ゴミ袋と、トイレットペーパー。荷物がかさばるし、スーパーでの買い物は昨日に済ませてあるから、それだけ持って帰る。
雨が降りそうだけど、なんとか降らないうちに帰りつけた。
滅多なことでここまで切れないんだけどな…。
でも、ちゃんと気が付いてよかった(夫が)。そして私に教えてくれてよかった。
また、一つだけ別にしておこう。 本当に変化のない毎日だけれど、間違いなく毎日が過ぎて。それがトイレットペーパーでわかるってこと。ゴミ袋も、トイレの洗剤も、洗濯の洗剤も。
六月は、何をしようかな。
夕方に降りはじめた、ぱらぱらとした雨の音を聞きながら、ちょっと冷たくなった空気の湿っぽさが肌にまつわりつくようで。
からりと晴れた夏の夕方に、そうめん食べたらおいしいかな…。なんて。
やっぱり食べ物のことばっかりが頭に思い浮かぶ。
スーパーの売り場に、そろそろくずもちがでるころだな!とか。
ほんと、よく言われる、主婦の日常というのは半径5キロ以内で終了してしまうのでものの見方が狭くなるとか、そういう話。
たしかに5キロどころか1キロ半ぐらいしか半径がないと思う。
頑張って本を読もう。本を翼にして、遠くまで飛ぶという詩を書いたのは誰だっけ。
薄荷脳
パイプに詰めて吸うものらしいけど、パイプ…っていうとあれだ、チョコがはいったあれな!…というぐらいしか手に入れたことがないといえば、ない。
そんなことを考えていた時、ふっっと思い出した。
今はもう亡くなってしまった友人のこと。
彼は、紙巻きたばこを自分で作るのが好きだった。
私は「自分で巻くたばこ」などというものがあることを全く知らなかった。
これを巻き込むと、メンソールタバコになるのだ、と言って彼は薄荷脳を入れたタバコを巻いていて、私は確か、その薄荷の透明の結晶が、怪しい薬のように見えて、そう発言して笑われたのだった。
熱い紅茶をいれる時に、ちょっぴり割って入れておくと、ミントティーになる。うっかり入れすぎると強烈。
パイプねえ…。ストローならあるけど…。やっぱり、チョコレートのパイプを買うべきか(笑)。
あれは100円ぐらいだった気がするからねえ。
調べてみたら、もう売っていないっぽい。残念!
スマートウォッチその後
そして今日、衝撃の発言が。
俺さあ…時計が嫌いだっていうの、再認識した。
ですと。彼は、確かに腕時計が嫌いで、仕事の時どうしても必要な時はもっていくぐらい。いつも外して持って帰ってくる。
重たく感じるので嫌いだ、といっていて、彼の愛用の時計は相当ぺらいし、プラのベルトで18グラムぐらい。
電波時計は、ぴったりじゃないとダメな時に持っているようだけれど、重くて嫌いみたい、というのは知っていた。
でもスマートウォッチがうれしそうだったので、これはよかったねえ、と思っていたのに、そうくるとは。
電子系のガジェットは大好きなのに、腕時計タイプなのがダメか…
でも、酸素飽和量とか、脈拍とかも計っているみたいだし、腕につけてないとだめなんだろうな。
思ったより早く、私のものになるかもしれない。
5月の思い出
博物館で、手回しオルガンの展示があって、5月だけ、1日に2度、ハンドルを回して音を鳴らす展示にしてくれるというのがあった。オルゴールの博物館なんかにもあったりするのだけれど、古いものが多くて、ただ見るだけの展示も多いなか、手回しのオルガンの展示が楽しみで、確か、ある年には、3、4回は行った覚えがある。
定刻にいくと、見物している人にハンドルを回させてくれる。休日だと、見に来る人が多いので、子どもにその役目を回すのだけれども、平日にいくと、見物しているのが私一人だったりして、その時はハンドルも回させてもらって喜んだりしたっけ。
この季節に、その施設へ行って、それから外にある庭園のバラをみて。雨の日、傘をさして行ったのを、ふと今日思い出した。
なつかしい。出かけたいな。手回しオルガンのハンドルは重くて、空気が笛から抜ける、ひうひう言う唸りの音が、なにか珍しい生き物のようで。クリーム色のブーツとぬかるみ、そして湿気た、重たい空気の中にただようバラの香り。
こういう思い出を、後で思い出すためにも、行けるところには行ける時に、行っておくのがいいのかもしれない。
バラの香りのキャンドルをつけてみた。外は雨。
まあまあ。
ここに、おいしいクッキーと紅茶を足したら、足りない分がきっと補われると思ってやってみたら、うまくいった。
こういう時に読む本て、何がいいだろう。
旅行記とかかな。
デマな話
そんなナノサイズのチップが実用化したという話は、SFの中でしか聞いたことがないし、大体、これだけ広範囲で、先進国の人が、何千万人もワクチン打って、それでびっくりするぐらい人が死ぬのなら、今頃アメリカでもイギリスでも、間違いなく暴動が起きているはずだ。
これは、副反応でなくなる人がいないわけじゃない。でもこのまま、コロナの予防接種が打てない場合は、それを大幅に上回る死者が出る。だから、ワクチンを打つことになっているわけだ。
もちろん副反応が起きてしまったら、ひどいことだと思うし、当事者の人にはお気の毒だし、私だってそうなるかもと思ったら、心配じゃないわけじゃない。でも、どんどん周りでコロナにかかる人が増え、何万人も死ぬとしたら。(実際アメリカはそうなったし)
それでも、やはり打ったほうがいいと思う。
それが怖い、やりたくないというのなら、しょうがない。打たずに、コロナにかかった時、ワクチン打っておいたら、よかったのになあ。って思いつつ、死んでいくということになるのだろう。それは個人の自由になるのかもしれないなあ。難しいところだと思う。
で、今日書こうと思ったのは、そういうデマを書いてある記事は、なぜ、あるのかということ。
別に本当だから、という話ではない。大嘘もでっち上げも、たくさんあるのがネット。ちなみに、そういう話は、気にしている人がクリックして読むように、置いてある。
そして、その記事が読めるようにしてあるところには、ネットの広告が貼ってある。
その記事を読む人がいるたびに、広告を誰かが見ました!ということになって、その記事を書いている人にお金が入るようになっている。
だから、別に嘘でもなんでもいい。広告収入で儲けているひとは、センセーショナルな、衝撃的な見出しを書くことによって、「ええ?ほんと?」と思わせてクリックさせればそれでいいのだから。
ありえない架空の国の話を、本当のことのように書ける作家さんがあるように、全く根拠のない大嘘を、いかにも本当みたいに書いて、表示させることだってもちろん出来る。
これは、どんなに本当のように見えても、広告料を稼ぐために作り上げられたフィクションなんだな、ということを、ちゃんと読んでいる人が気づいておかなくてはならない。それが「ネットリテラシー」、インターネットを読むための基礎知識だからだ。
印刷してあることがすべて本当ではないということも、テレビでやっていることの中には全然本当でないことも入っているということも、そしてネットに書いてあることが信用できないことがあるということも、ちゃんと覚えておこうと思う。
「本当のことを知っていますか?」「あなただけに、教えるお得な情報です」「政府は、こんなことを隠しています」と、書くだけなら私にだって出来る。でも本当か?と言われると全然だ。
特に元気が出ない時、体調が悪い時は、前もって怖いことが起きたときに対策しておきたくなるので、特にこういう不安をあおるような情報が本当に思えてくるときがあると思う。
そういう時は、潔く、ネットを見るのをやめる。
明るく、楽しく、素敵なことが書いてあるものを読み、嘘や、脅しや、不安に付け込んだような情報を自分から遠ざけることは、大事なことだ。
なんせ、怖いニュースを読んだところで何が出来るわけでもないのだから。
ワクチンが早くいきわたりますように。
気が付いたら。
1キロちょっとの道を往復。なんだかまだ明るい。
日が長くなったんだなあ。そりゃそうだよね、いまから1か月ぐらいで、大体夏至なんだから。
もう、そんな季節。
すうすうする感じのタブレットが食べたいなあ、と思ってネットを検索して、「薄荷脳」というのを見つけた。
薄荷の、すうすうする成分を結晶化させたものらしい。
甘くないものなのな上に、相当ミントっぽいとか。
昔化粧品とか石けんを自分で作っていた時、ちょっと買ったことがあるような気がするけど。
パイプに詰めて、吸ったらいいらしい。
おまつりで買うハッカパイプのあれの、大人上位版といったところか。
掃除の時とか、おしぼりを作る時に水にプラスしてもいいらしい。
薄めて、のんでもいいとか。
あー。レモネードとかにいれたら、おいしいかも?
800グラムなんていう袋はちょっと大きい気がしたので、小さめの100gの袋を注文。
レモネード、ミント、それから薄めに入れたアイスティ。麦茶に、緑茶に、炭酸水。
梅雨がいつ開けるかは知らないけれども、夏はもう、そこまで来ている気がする。
雨の日
このゴムブーツ、いつのだっけ?というようなのを履いて出かける。
なんせ出番が少ない。10年ぐらいもってるんじゃないかな。丈夫で長持ち?
傘は、当たり前の紺の傘。レインコートを羽織って、雨の中。
傘に静かな雨音がして、花は雨にうたれて緑もあざやか。
これで洗濯ものさえ乾けばなあ!
川はあんまり増水していないし、警告のランプもないし、まだ平和。雨が長くなると水害が出やすくなるから…。
今年は、避難勧告を抜きにして、もう全員避難にする自治体もあるそうだ。命さえ残っていれば、どうにかなる。ゆっくり家に残っていて、家ごと土砂に流されるような被害が出ることを思えば、家を捨ててでも…と思うのは多分、当事者になれば難しいのかもしれないけれど、そうやって亡くなった人が去年は出たことを思えば、自治体の方も、同じようなことにならないように、という意見が多かったのかもしれない。
川べりの道を、とことこ歩いて、川の流れる音を聞き、パンツの裾がすっかり濡れてしまってから、帰ってきた。
雨の日は、別に用事があって外出するのではなくて、こうやって散歩するだけなら、好きかもしれない。あんまりひどくない雨なら。多分、静かな雨の音を傘越しに聞くのと、雨に打たれた土と、植物のにおいが好きだから、ちょっといいなってなるんだと思う。
それと、もう気温が高いからだな。冬の雨は冷たいし寒いからね。
川べりの東屋まで歩いて、ステンレスボトルであったかいお茶を飲んで、チョコレートでも食べて、本を読むのはどうだろう?
もちろん、東屋にだれもいなかったら、だけど。
絶対晴れの日より外に出ている人が少ないものね。
意外と、いい計画かもしれない。
ふらふら散歩
運動が好きとか、筋トレが好きとかそういう人はやっているようだけれども、私は運動は好きだったことは一度もないし、うっかりすると本当に動かなくても生活できてしまう。変化のない毎日で、ブログのネタも尽き気味だ。
こういう時は、買い物に行くに限る。そして食べたことのない物を買うのだ。
まず気になっていたものから。
クラッカーに、白いクリームを挟んだのは、時々買う。チーズ味のクリームが挟まっているのも割と好きだ。
でも、チョコが挟んであるクラッカーはまだ買ったことがない。今日はこれだ。
夫と息子は、何気なく開けて食べて、チーズじゃないので仰天したらしい。予想外だったとか。
あー。まあね。ふたりともチーズバージョンは好きだけれど、クリームは「えーがっかり」らしいし、チョコもそうかもしれない。
いいの、こういうのはね、食べたことがないのを買った!っていうのがいいのよ。
私も一枚かじって思った。確かに「これじゃない」感がする。
次は、何を買おうかな。
ちょっと遠くのスーパーまで歩こうか。
うん。運動にもなるしね。
母のコロナ予防接種は、電話受付はじまってすぐでも7月半ば。
遅いなあ…。父はもうちょっと年上で、心臓に問題があるからもっと早いだろうと思っていたら、「行きつけのお医者さんから電話がかかってくるので、そうしたら行ってください」という感じでこっちから申し込まない感じだった。
それは楽でいい。
ふたりの予防接種が終わったら、様子を見に行かないとね。
梅雨?
だいたい、幼稚園の制作物とか、カレンダーの柄とか、そういう感じのものを見ても、絶対に梅雨は6月だと何となく思っていたのに、まだ5月も半ば。
洗濯物が乾かないのがなあ。ちょっと匂いもするような気がするし。こう、5月っていい天気で暑くもなく寒くもなく、ちょうどいい時期というものだと思ってたのに…。
雨の中、買い物に。歩きながら考える。問題は、早く始まって、早く梅雨が終わるならまあ、そんなものかなと。
大体田植えの時期に当たる今、雨が降るのは悪い話ではないというのは、主要産業が農業の田舎育ちの私が小学校で習ったことだった。3年生の「地場産業」の勉強の時。たいてい都会の子はもっと面白い工場見学とかをやるらしいが、田舎というのはそんなものだ。
この場合は水害も多くなるだろうし、雨の期間が下手をすると6週間以上。
あーあ。
この場合、正しい対処は多分、部屋干し用の洗剤を買うことだろう。
洗剤をしょって帰ることにした。
気分にも影響するんだよね、天気って。
雨、やまないかなあ。
問題は、始まるのだけが早くて、終わるのはいつも通り7月入ってからというパターン。
あっつい
こういう風になることはあんまりない。微熱とかあるのか!とおもってがばっと起きた。
そう…このご時世、微熱はつまり、コロナってこともあるかもしれない。
体温計は…。ドキドキするなあ、もう!
と思っていたら、夫が「奥さん、今日は暑いよ?熱計るより先に、靴下脱いだら?今気温ここ29度半あるよ」と。
…寝ぼけてたけど、そう言われるとそうかも!
下着を夏用のものにして、長袖を脱いで半袖に。薄いスカートを履いて、お茶を飲んでしばらくたったら、大丈夫になった感じが。
昨日の朝は22度とかだったのに。
窓を開けて、水分補給。一気に夏になった感じがする。
冷静な人が一緒にいるというのはいいことだ。しみじみそう思う。
微妙な温度
こういう温度変化がちょっと、嫌な感じ。
確か…と思って日記を見ると、やっぱり肩が凝って、お風呂にお昼から浸かった、なんていう記事が出てくる。
季節の変わり目になんかこういう感じになるんだなあ。
コロナの今、ちょっとでも体調が悪いとドキッとする。
コロナだけではなくて、普通の風邪もあるだろうし、ちょっと気温の変化にやられるぐらいのこと、別に珍しくもないのに。
熱を測ったら、36度以下だった。まあね…平熱は35度台だし。
ちょっと心配症の自分がイヤになったりして。
寝よ。
かわいいバイバイ
一人は多分、幼稚園の年長さんぐらいの男の子。近所のお受験幼稚園の制服とカバン。
もう一人は、3歳前ぐらいかな?小さい女の子。
こんにちは、とあいさつしたら、ちゃんと二人ともこんにちはが言える。
挨拶が上手に出来て偉いね、とほめたら、二人ともとてもかわいい笑顔になった。
あんまりお見掛けしないので、多分この間引っ越しがあったところへの入居かもしれない。
うちの階より1つ下で、降りて、女の子が、にっこり振り返って「ばいばい」と手を振ってくれた。
私も手を振り返しながら、なんてかわいい…とうっとり。
こうやって時々見かけるようになって、幼稚園の制服を着ているのを見て、ランドセルしょってるのを見て、そして中学校の制服を着て。
この間うちの息子よりいくつか年上だった男の子が、女の子に腕を組まれて歩いているのを見た。
おお!!どっちかといえば照れている男の子に、積極的な女の子が腕を「組ませて」いるという感じだったけど、とても青春っぽい雰囲気だった。
マンションのエレベーターの中でも、ちょっと、おばちゃんがいるんだから、二人っきり見たいな空気を出すのはやめて、と思うぐらいラブラブだった。
小さいころから見ていると、本当に面白いな、と思う。
今日手を振ってくれた、ちっちゃい女の子。きっと来年は幼稚園だろう。
そういや、エレベーターの中で会ったご近所さんに「いつも、息子君早いですね、早番のときにいっしょになるんです」と話しかけてもらったこともあった。息子…挨拶してるといいんだけど。
近所づきあいというのは、ほとんどないようで、ちょっとはあるんだなあ。
怒涛の夕飯
「おかえりー!今日はごはんなに?」と迎えられた。
ピザじゃないんかい…。
私のおでこに特大の「?」がはりついていたのがわかったのだろう。
あー!と思い出したらしい。
…しょうがない。小松菜をゆでて、胡麻和えと、ネギとキノコがあったのでさっとダシで煮て、冷蔵庫にあった豚肉の薄切りを焼肉のたれ味で炒めて、15分で夕飯をでっちあげた。
文字通り「でっち上げた」としか言いようがなかったが、なんとか普段の時間から15分差で夕飯完成。汁物は作らなかったけれども、文句は出なかった。ご飯は冷凍してあったのがあってよかった。
ふー。夫は「明日こそ、買ってくるから」と。材料があってよかった。これ、買い物に行ってなかったら困っただろうなあ。
パスタと、冷凍のチャーハンならあったけどさ…。
買い物の回数を自粛で減らしているのだけれども、ちょっとはストックを置いておかないとダメだ。
母の日記録
昨日、息子がくれたお花がこれ。
多分、近所のスーパーで一番最初に目についたのとかを手に取ったんだろうな、という感じ。
朝からそういう気配もなかったので、そんなもんだろう、と思っていたら、どうもピアノの先生からそういうラインをもらって、買いに行く決心をしたらしい。ちなみにピアノの先生は私とその日にラインをしている。
先生の家の息子さん(二人)が全く母の日などというものを無視しているというか、気づいてないというか…という話だったので、「うちもそうだよ、もうそんなものじゃないかなあ」みたいなことを返事したんだけど。
私はピアノの先生の家の息子さんたちとラインとかしてないからなあ。
ピアノの先生はレッスンの連絡などを息子にしてくれるので、ラインでつながっていたからこうなったらしい。
幼稚園のころは、「おかあさん ありがとう」みたいなやつを持って帰ってきていたからね。あれはかわいかったなあ。
花をありがとう、と受け取っておいた。
それより、お弁当を学校から帰ってきてからすぐ出してくれ。そう言いたかったけど、言わなかった。
きっとこんなことも、いつか思い出になる。
生存報告?
散歩中にちょっと、写真を撮りたくなるのは雨の日が多い。
これはそういう風に撮った一枚。
毎日、今日のご飯はなににしようかな、と思いながら歩いて行って、安売りのものを買って、それでご飯を作っている。
当たり前と言えば当たり前の日々で、意外性はないな。
しいて言えば近所の火災報知器の点検があって、隣のマンションからずーっと「火事です、火事です」という声と、警報音が聞こえてくるけど、見てみても全く何も起きていないし、何度も何度も間を置いて聞こえてくるということで、点検と判断がついた。
ゴールデンウィーク明けで今日はまだウィークデーみたいな気がするのに、もう週末。
今週もゆっくりしよう。
わかりにくい略語
今日のは、「金ロー」。
金色の…なんなんだろう。ロープ。ローブ、ローカル、ロースト、ローソク…いや、何かな。
テレビ番組で人気作品を放映するという話だった。
つまり「金ロー」とは「金曜ロードショー」だった。
月曜日の夜9時からを「げっきゅう」、つまり「月9」と書くのは何となく知ってたけど、金曜日の夜の映画をそういう風に読むのは初めて見た。
「先週のきんろーでさー」と話しかけられても、多分反応できない。
それ以前に、もううちにはテレビもないしなあ。
そういう映画とかは、月々いくらで見放題のサービスか、1本いくらで見るサービスに入っていることが多いし、どうしても見たかったらそこでみようかとか思うので、テレビで映画ずいぶん見ないな。前に見たの何年前だろう。10年じゃきかないかも。
映画は長いし、CMがやたらとはさまるので、見づらいのもある。それしかなかった頃ならともかく、今はなあ。
Stand By Meを放映かあ。あれ?なんか最近あれのリメイクがあったような…。
曲はいいよね。
頭の中にあの曲が流れて、これを書いている。
雨の日
買い物帰りに、ふと見た植物。
赤と緑のコントラストがきれいだった。雨だったので葉っぱに水玉も乗っていた。バラの香りがどこからかして、もう5月。
バラ園に行きたいなあ。6月の、あのバラの一番いい時の、雨の日に、ゴム長靴を履いて、レインコートを着て、バラの咲いているところをちょっと歩きたい。
雨の日は人も少ないだろうし。
身の回りの人は二つに話がわかれている感じ。
経済のことを考えたら、もう気にせずなるべく外食にぐらい行こうよ、換気してマスクしてアルコール消毒して、テーブルの距離をあけたら大丈夫、みんな怖がり過ぎ、という人と、念のためもう会食なんかやめた方がいい、っていう人と。
お店をやっている人のことを思えば、つぶれないようにしようと思えば前者なのもわかる。
でも、うつる原因には、一緒にご飯を食べる、というのも入っているんだよね。
間をとって、テイクアウトか、ということで、今日はテイクアウトの寿司。
連休スペシャル終了。
実は連休じゃないほうが、私の仕事って減るんだよね。連休でいいところは、早朝のお弁当がないことぐらい?
別に。
よく金言っぽく、今あることに感謝しろとか、毎日ありがたいと思って生きろとか、そういう話があるけれども、要はそういう考え方の方が、不幸かも、なんていう気分になりづらいからだと思う。
たとえば、何かが起きてしまったら、私はこの日の日記を見て、「こんなこと書いてるよ、本当にもう、気楽だったよなあ、あの時は」なんて思うのに違いない。
そんな日が来ないことを祈って。
今日は休日っぽく、カレーにした。
見たことがないルーを使ったら、中辛だったのにちょっと辛め。バーモントカレーのルーはちょっと甘めだもんね。
思ったより肌寒くて、息子が小さかったとき住んでいた北海道を思い出した。
大体外で過ごせるようになるのがこのぐらいの時期で、本州だと2月に咲くような花も、この時期に咲いた。チューリップ、梅、桜、桃、フリージア、クロッカス、水仙まで、全部同じお庭に咲いているのをみたことがある。
雪が大体、雪捨て場以外になくなるのもこの時期だった。久しぶりに、ベビーカーで外へ出て、軽装で遊ばせたときのかわいい写真が残っている。
冬が長い土地の、春の訪れは遅く、そしてうれしいものだった。
元気出そう。普通にすごせているだけでも。雪がない、寒くない、天気がいい。
なーんか面白いことないかな、なんて言いたくなる時は、身の回りのことだけに集中して、一日をすごすのがいい。
ゴールデンウィークも、後半。
5月。
洗濯物を入れたのが早かったのでなんとか。
夫が買い物に行って、アイスクリームの箱と、冷蔵のピザを買ってきた。
私はそれに気づかず、買い物に行って、おせんべいとチョコレートを買った。
夫はブドウを、私はバナナを。そしてお互い、それぞれ飲み物をかっていた。
帰ってから家になんだか物が多い…。見ると、しょっぱいのから甘いのまで、家にはおやつがどっさり、アイスクリームもどっさり、ついでに飲み物と、ピザと果物が…。
これはつまり、ゴールデンウィーク用だね、と二人で笑ってしまった。
あとは全員で、動画サービスで映画見て。
どうせ引きこもっているなら、それ用に準備してもいいよね。
アイス、映画、ピザ。そしてソーダ(とビール)。
悪くないゴールデンウィークになりそうだ。
全員、インドア派でよかったね、ほんと。
4月終了
これは品出し失敗か?というぐらい、スカスカ。
これはつまり昨日連休の一日目だからと買いに来てどっさり買って行った人がいるので今日は少な目だったとか、土曜日の需要を見込んで金曜日は谷間のようになっているとか?
すいているほうが断然いいので、適当そうな肉を買って帰って生姜焼きに。
キャベツをゴマ油とスパイスと塩で味付けしたサラダ、茄子の煮びたし。
まあ、こんなもんだ。
明日の土曜は息子は学校、夫は会議。どっちにしろうちではまだまだ平日で、ゴールデンウィークという感じでもない。
ゲームをダウンロード、有料で遊ぶサイトsteamでは、ゴールデンウィークセール。欧米圏のプレイヤーもいるから、ゴールデンウィークとは、という説明も書いてあったのが面白かった。
日本の休日が何日か固まっている、日本のホリデーシーズンだと。
確かに。そしてこれは日本人の私が、サンクスギビング(アメリカの休日)のセールの恩恵にあやかれるように、諸外国のsteamユーザーがセールに乗っかれる、いい機会。
つまり、安くなれればなんでもいいってこと。
ずっと「ほしいものリスト」にはいっていたゲームが安くなってるけど、最近オンラインゲームに復帰してからというもの、全然他のゲームをやってないからなあ。
このままリストには残しておくけど、今回も見送り。
自粛なんて全然だなあ
まあね、もう全然自粛って感じはしない。でもこれはきっと、GWの後に爆発的に患者が増えるのではないだろうか。
しょうがない、私のうちは自粛にしている。今更かかりたくないし、あとで「ああ、行かなきゃよかったなあ」なんて思いたくない。
もちろん、戦場と同じで「当たる時は当たる、当たらないときは当たらない」だろう。全員当たるなら誰も外に出ないし、全員当たらないならみんな出かける。でも、「自分は当たらない」と信じて出かけるか、「当たったらいやだから」と思って引っ込んでおくかの二択にしかならない。
他の人のことを考えたら、自粛が多分いいんだろうし、私はそう思って自粛モードだけれど、これはもう、自分がどう感じるかでしかないと思う。そんなこと気にしない、という人は出かけるんだろうな。
ちょっとため息が出る。用心深くて、他の人のことを考える人は出かけないし、出たとこ勝負で、自分の気分を優先させる人は遊びに行く。これで、用心深い人が結局コロナにかかったら、ほんとに、理不尽。でも人生はそういうところがある。
…ってなるとやっぱり、「もう行っちまえ」ってなる人が多いんだろうな。
つまりこれは、ただの愚痴。 ここで書いたらちょっとすっきり。
もうちょっと、がんばっておこう。ゴールデンウィークは家でスキル上げ、材料採り、金儲け(注:ゲーム内の)。
淡々と過ごす日常
報道されているんだろうけれども、もうあんまりコロナの人が増えたと微に入り細に入り細かいニュースを読んでいると滅入ってくるので、ほとんどニュースを見ていない。
見ていなくても近所のスーパーにしか行かないとなれば、別に生活できてしまうものだ。
去年の今ごろは、マスク、消毒液、そしてなぜかトイレットペーパーがなくなっていて、いやでも意識してしまうものだったけれど、最近はコロナ「だから」ないという商品もみかけなくなった。
家に居続けることになって、ちょっと暇…というのをのぞけば、もうただ、淡々と生活している感じ。
そう思っていたら、買い物をしている時、ぽん、と肩をたたかれた。
?振り返ると人が。えーっと、目だけだとわかりづらい。でもその目が笑っているのがわかった。
ちょ、っとマスクを下へずらして、すぐ戻す。あーーー!
知ってる人だった。
ちょっとグループでお茶でも、となったときに一緒になることが多いママ友さんだ。
ふたりで、「久しぶり」「ね」と笑みを交わし手を振りあって、別れた。
忘れてないよ、あなたのこと。そういうことだよね。
ちょっと心が温かくなる。
また、会おうね、「これがおわったら」。みんな、わかってる。
旅行、ランチ、お茶。どれもなかなか今の状況では出来ないけれど、こうやって声をかけあっていくしかないんだな。
私も、気を付けてこうやってあいさつしよう。マスクですれ違うとどうしても、声がかけづらい感じがするものね。