LuckyDuckyDiary

いらっしゃいませ。毎朝6時には更新します。さっくり読んでいってください。コメントくださった方はリンクさせてください、相互リンク歓迎、リンクがダメな方は連絡お願いします。

ぎりぎりの一戸建て

うちのマンションのそばの民家が、取り壊されたな、と思ったら、売りに出された。L字型の土地で、その民家は、なんというのか、昔の…80年代にはこういうおうちがどこの住宅街にも結構あったなあ、というような瓦屋根の家だったのだけれども、なんと、3軒分に分譲された。

もともと、1軒の家だったのが3軒になったということで、まあ…わからんでもない。このあたりは、駅までも一応歩けることになっているぐらいの位置にあって(といっても駅近ではないけど)それなりに土地も高い。私は田舎育ちだから、100坪の家と聞いても、それほど大きいとは思わないが、このあたりでは、まあ、20坪台だと、ちょっと小さいね、だけれども30坪の土地といえば、「普通の宅地」扱い。40坪あれば、「案外あるね」であり、50坪となれば、「それは駅から遠いのね」という感じ。

 3軒の家は、現代風で、なかなかかわいらしく、こじんまりとしたたたずまい、ちょっと、一戸建てっていいなあ…と思わせるようなおうちだった。

 このあたりには、ハイツだの、アパートだの、マンションだのはたくさんあっても、一戸建ては少な目。私たちがこのマンションを買った時は本当に一戸建てはこの地区には出てこなかった。いいなあ…一戸建て…。一度マンションなんか買っちゃうと、さすがにもう一度一戸建てを買うというのはやらないからねえ…。うらやましいな、とちょっと思ってみるだけに終わった。

 3軒のうち1軒は建築中から「祝 ご成約」などという張り紙がドアに貼られたところを見ると、結構な速さで売れたらしい。残りの2軒も瞬く間に売れ、引っ越しトラックが止まっていたのを週末みかけた。

さすが…早く売れたねえ、ちょっと小さめだけど、一戸建てで、新築、いいねえ…なんていう話をしていたのだけれども、ふと、夫が思いついたように言った。

「あのさ、あの家、つまり、そのベランダの、物干しざおより内側の距離に、道路がない?」

…掃き出し窓の外側、50センチの距離に、人間が歩く道路がある…ね。ある。確かに私も含めて通行人はその距離を通過する。

塀も、壁も、柵もなかったもんねえ。大体建ぺい率が多分ぎりぎりだな、というような敷地いっぱいいっぱいに建てられた家だったし、田舎の家にはありがちだった「側溝」などもないので、道路と家の敷地が接しているから、もしあの掃き出し窓がリビングの窓だとしたら…

落ち着かないかも…
そういわれると確かに。

うちは中層階だから、窓の外に人通りはない。あったらそれは空中浮遊の幽霊だ。
でも、もし、ベランダの真ん中ぐらいの場所を、毎日人が通ったら…目が合いそう。そして落ち着かない気分がするだろうなあ。

今日、その家の横を通ったら、ウィンドウシェードが、家の外にがっちり、つけてあった。
…ま、そうするよね、うん。

家の中がちょっと薄暗くなりそうだけれど、塀を立てるだけの幅があるかどうか…と思うぐらいぎりぎりだったから、多分それが最適解だと思う。
一戸建てはうらやましいけど、地面から離して立てるわけにはいかないから、いろいろ制約がある…ということだけど、やっぱりこれ、入居前には気づきにくいことだと思う。

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しあわせに見えたい

誰だって…と言ってしまうと語弊があるのかもしれないが、周りから、いいね、と思われたいところはあると思う。

私だって、こんな小太りのおばちゃんで取り柄があるわけでも、見かけが素敵なわけでもない、と自覚しているけれども、それでもやっぱり、面白みのない人だとか、別にどうでもいい人だとか、一緒に歩きたくないとか思われるよりは、楽しそうだな、とか、友達になりたいとか、文章が面白いとか、いい人だなとか、思われたいな、と思う。

こういうのを承認欲求というのだろう。

しあわせそうだと思われたい、輝いていると思われたい…というようなことを考えて、写真を投稿する人が多いという。写真「だけ」を投稿するソーシャルネットワークサービスで、自分の写真を投稿して、「いいね」と言われることが、本当に重要だ、と思ってしまって、実際にしていることや、持っているものを楽しむことを忘れやすいのだと。

 例えば、夜のホテルのプールはライトアップされており、写真写りがよくなるので、人気だとか。絶対顔を水につけず、髪をぬらさず、写真を数百枚から千数百枚、撮って奇跡の1枚を投稿するのだということだった。

 うーん。そんなに写真撮っていたら、友達とおしゃべりすら出来ないのでは…。ただ、素敵と思われたい…。そのことのためだけに、友達との交流も、あるかもしれないプールサイドの出会いも(ナンパされても、だれも聞いていないとか)全捨てなのか…と思うとちょっと、もったいないような気がする。「いいね」をしてくれるのは、別に知り合いでもなんでもない人ばっかりで、そこから交流がひろがるとかでもなく、「いいね」のやり取りに終わるとしたら。

でもな…もう自分がこんな人間で、このぐらいのことが出来て、こういうことが好きで、こういうことはだめで…とわかっている私ですら、素敵だと思われたい気持ちがあるのだもの、まだ若くて、自分がどんな人間だということがわかっていなくて、いいところも、悪いところもわかっていなくて…誰かが自分を選んでくれるとか、大好きだと思ってくれるとか…ということがなければ、やっぱり「すてきだ」「しあわせそう」「輝くものがあるよね」と思ってもらいたいと思う気持ちが強くなるだろうな、と思う。

 でも、他人の、よさそうなことばっかり見てると、引き比べて自分は…と思ってしまいがちではある。隣の芝生は青く、隣の花は赤く、隣の果実は自分の畑のものより、ずっと薫り高いような…そんな気がしてくるから。
 だから、自分ももっと、もっと…もっと素敵に見せたくなる。そういうことなんだと思う。

つらくなりそうだな、そういうのって。
写真は、一瞬だけを切り取る魔法で…。
その一瞬だけを見れば、素晴らしく見えても、やはり写真に写らない色々なことが起きている。 
奇跡の一枚は、つまり奇跡の1枚であって、そこには非奇跡的999枚が少なくともある。

うらやましい、という気持ちは、持ち続けるのはなんとなく、じわじわと毒される気がする。
 どうして私はこうはならないんだろう…という問いには答えはない。
 人生は、型抜きクッキーみたいにはなっていないのだ。

 人から見れば、自分だってうらやましい一瞬を持っているのかもしれない。
でもそれは自分ではなかなか、わからないから。
 そして、どんな人にも、「うらやましくない日常」があると思う。でも、そんなことは写真には、うつらない。

 まあ、不幸である…ということは、また別の観点から自慢出来るというのもある。人の不幸話というのは面白いからね…。ブログとか、まとめサイトとかには、そっちの方角へぐっと偏ったものもある。それはそれで、PVを稼ぐという目標があるからだろうけど。

  私たちのものの見え方は、とても単純だ。
 幸せも、不幸せも…見える形で出されるとよくわかる。
 自分に比べて、より幸せそうならうらやましく、不幸そうなら、自分のほうが幸せだと思ってホッとする。

 でも結局、どんなことにしろ、なるようにしかならないし、背伸びをして写真写りのよさそうな高い持ち物や、洋服や、体験を手に入れたところで、それがどのぐらい自分を幸せにしてくれるだろう。
 「いいね」をしてくれる人が、自分の人生にどのぐらい、かかわってくる人かどうか…ということを考えてみる。

私なら…。自分が好きな人が、仲のいい人が、かかわりのある人が、「いいね」と言ってくれるか、「あなたらしいね」と言ってくれるのがいいなあ、と思う。

ホテルのプールに夜に行ったら、非日常っぽさを楽しみ、おいしいドリンクなんか飲んで、わいわい騒いで、品定めすればいい。
「ねえ、あの人、かっこよくない?」
「えー、毛深いよ、手入れしないと上から下までつながってたりしそう」
「ぎゃはは、やだそれー」
…なんて会話が、昔あったとかなかったとか。

ぴちぴちした20代のころなんて、そんなのでいいのだ。誰もが全員、キラキラしている時代なんだから。
ただ…そのころの輝きというのは、他人からしか見えないんだよ、うん。そこがつらいね。

インスタグラムは、見れば見るほど、人をウツにさせる働きがある、というニュースを見たのでこれを書いたのでした。
ちなみに、わかりやすい記事は【これ】イギリスの調査機関が調べたものらしい(英語)。

14歳から24歳を1500人、調査した結果、インスタグラムを見れば見るほど、取り残された気分になり、気分が落ちるらしい。自分に自信がなくなり、自分の体に対してネガティブなイメージを持つようになり、眠れなくなる人が増えるとか。インスタグラムだけではなく、似たようなアプリのsnapchatとかにも同じ傾向があるらしい。

 もちろんほかのソーシャルメディアにもそういう傾向はあるのだけれども、文章中心のツイッターのほうが、そういう効果は出にくいという結果になったらしい。

 リアルの関係をね…もっと楽しんで狭い世界でいいから、友達同士で楽しくやればいいのに。そのうち、いやでも、学校を卒業して、結婚して子供産んで…とかになると関係が薄くなっていくんだから。そうなってからバーチャルもやればいい。
 スマホを全員が持っている時代というのは、話がややこしくなっているのだな、と思うとちょっと、難しい時期を越えなくてはならない、ティーンエイジャーが、かわいそうになる。
 


ブログがだめになるときは。

もう、8月半ばの記事になっているけれども、今年の夏は本当にいろいろあった。ブログは、時間がうっかりずれているときもあるけれど、たいてい朝に自動で更新する。大体二週間ぐらいは予約投稿にしてあるのだけれど、実は7月の終わりから、8月の頭にかけて、ちょっと入院していた。

病院で、当たり前の大部屋にいると、実はWi-Fiなんてなくて(特別室へお金を払って入ればあるんだけど)、おまけに盗難の危険があるということで、パソコンは持ち込み禁止。とはいえ、ケータイは禁止ではないので、この昨今、ネットぐらいなら(通信料はかかるが)画面が小さいのさえ我慢すれば、見られないことはない。スマホは便利だった。

そんなわけで、ほかの人のサイトへ訪問があまりできなかった。コメント返しも遅くなったり飛んだり。ランキングも、あっというまに何百番も下がった。なかなか、維持は難しいなあ、とおもった。

ふと、私が何かあって死んだら、このブログに来ている人に、多分なにかあったな…とわかるのは、ずいぶん後だな、と思った。まず、コメント返しがなくなる。それから、題名が「4ケタの数字」で、中身がない記事が、何回か自動更新する。

これは、私が「何月何日の分」というのを題名につけて、記事そのものは後で書くことにして、予約投稿の日時を先に入れておくから。その場で投稿してすぐ反映させるのならこれは必要ないのだけれども、「自分で指定して更新時間を投稿」にすると、現在時刻が入っているところへ、何月何日、何時何分、と数字を入れなおさなくてはならない。
半角でいれること、と決まっているので、文章を打ち込んでから半角に切り替えて…というのが面倒なので、一気に2週間分ぐらい、その作業だけやってしまうことにしている。
だから、題名に数字だけ、そして更新時間がその日の朝の6時前後のものがずらっとならんでいる。それを「編集」して、記事をいれ、更新前に読み直して誤字脱字変換ミスを直すようにしている。
だから、このブログを読みに来てくれる人は、そういう記事があったら、「あ、なんかあったな」と思ってください。そうなったら、それはその日に更新できなかったのではなく、2週間以上前に何かが起きた…ということなのだと。

…ちょっと深刻めいてしまったが、私の入院は、本当に大したことはなく、今はもう全然大丈夫になったので、心配ご無用。ネットも、パソコンのゲームもなく、ケータイのみ、とかいうルールのせいでゲームまで出来なかったので(ただし、小児病棟では、ゲーム機は禁止ではないそう!大人でもやらせてくれればいいのにねえ)、とても暇だったので、つまんないことをたくさん考える暇があったのだった。

将来の不安

結構いろいろなブログを読んで、50代女性あたりのテーマのブログを読むと、将来が心配、という話が結構ある。夫婦で仲良く暮らしていて、大抵ペットなんか飼って、旅行や、趣味や…そういうブログなのだが、やはりお子さんがいないというところから、将来、なにかあったとき、とふとした時に思うことがある…というような記事。

 それと同じような話で、私が思うのが、子供に兄弟を作ってやれなかった、ということ。私も若くはない。今から子供を作るとしたら、かなり「人類の限界に挑戦」みたいな話になってしまう。
 でも時々、お子さんが4人あるママ友さんと話をしたり、2人のお子さんをつれている家族連れの兄弟が仲良く遊んでいるのを見ると、将来、私たちが死んだら、息子は孤独になるんだなあ…とか思ってしまう。

 そこで、ちょっと落ち込む前に、私は毎回、思い出しておくことにしている。
 昔も一人っ子はいた、と。そしてそのフレーズさえ思い出せれば、次に思い出すのは、離婚済みの元義弟のこと。

 元義弟は、ものすごーーく借金をする人だった。それもかなり簡単に。普通の会社員だったので、何十万の借金を、右から左へ返すわけにはいかない。借金が家族に発覚するのは数百万にふくれあがってからで、数カ所のローン会社から、連絡が入るから。
 一度ならず、数度やった。

 夫婦である義妹が協力するのは、まあしょうがないとしても、義理の兄である私の夫、同居していた私、義両親、そして義弟の両親と兄弟まで、大騒ぎ。義弟の両親が数百万、出したこともある。義弟のお兄さんが出したこともある。ある程度は、裕福だったようだけれども、うなるほど金持ちではなかったらしく、彼らも困ったらしい。

 まあそれはね…1年で500万円、数回持っていかれてみろよ、と思う。老後の蓄えだっただろうに、数千万…というのには多いかもしれないが、1000万以上、パー。それも病気の治療とかなら納得もしようが、たかが飲み会でぱーーーっとおごったとか、パチンコですったとか、そういう話。

 今は、もう元義弟がどうしているのかしらないが、こういう兄弟が、こういう子供がいたとしたら、大変だろうなあ、と思う。上のお兄さんはごく普通に家庭を営んでいるのだし、もうこれは義弟の性格としかいいようがない。

 息子を見ていると分かる。どんなに一生懸命教えたとしても、耳に届いているのかいないのか、その気があるのかないのかもう、本当に本人の性格というのは出る。かなり小さいころから。子供がどう育つかは全部親の責任みたいな報道もあるけれど、私はどうもそうは思えない。

 ある程度までしか、教えられない。そういうものだと思う。

…まあ話はそれたけれども、私にもし、こういう兄弟がいて、連絡があれば毎回、お金を貸してくれ、とかよこせ系の話ばっかりだとしたら…いざ病気だなんだ、となったとき、助けてくれると期待するだろうか。多分無理だと思う。

手続きぐらいなら、してくれないかな…と思う人も多いだろうけど、多分、お金にだらしない兄弟が、そういうことをしてくれるぐらい誠実で実直で手間をかけてくれるかというと、確かに望み薄だろう。

 それなら、お金を払って雇った、シルバーセンターの人の方がまし…というものだ。でなければ、ひとりか、ふたりか、こういう非常時に、なんとかややこしいことを頼める友人がいるかどうか…のほうがずっと考える余地はある。

 私は、母親と折り合いが悪い。面倒は見るなら義母の方がましだと本気で思うし、しょうがない、今も病院とかの非常時には付き添うけれども、なるべくならかかわりたくない。姉も遠くに嫁いでいて、私よりは母と仲がいいけれども、それでも、「どうしてあんな人なんだろう」と愚痴ることがあるぐらいだから、いざとなったら実家の家でも土地でも売るなり抵当に入れるなりして、お金で人を雇いたいと本気で思ってしまうような人だ。

 親子がいつでも仲良く、なんていう話はないし、子供がそばに住んでいる時代は終わっている。子供の生活を犠牲にしてまで親の面倒を見る…というのは無理があるし、みんな行政や、民間のサービスを頼る時代になったのだ。

 みんな、将来は老人になる。不安は誰にもある。

兄弟がいない。親戚が少ない。子供がいない。村社会で、群れで暮らしていたころの本能がまだ残っているからなのか、血族が多いということを安心材料にしがちだけれど、この現代に、その安心感が実際の安心になるのかというと、これは運程度の話でしかない。

 子供が大変に親孝行(でお金に余裕がある)子になるとは限らないということ、兄弟姉妹が自分と仲良しで思いやりがあるとは限らないということを、忘れてはいけない。プラスも手に入らないが、マイナスではない。プラスマイナス、ゼロで。

 戦争で、子どもや、孫を亡くした人だってたくさんいたはずだ。戦争がない時代でも、親の方が長生きしたケースは絶対たくさんあるし、兄弟がない人だって、きっとたくさん、いたはずだから。なんとかなる。そう思って行こうと思う。結婚した相手と、友達と助け合っていければ。

 不安に思っていても、何が変わるわけじゃない。頑張ってご飯食べて、ちょっとは運動して、なるべく節約してお金を貯めて、ある程度元気でやっていけるように。
 
 不安になりやすい日もあるな、と自分でも思う。体調が悪かったり、寝不足だったり、ホルモンの関係だったり。そして多分…ちょっと更年期なんかも入っているのかなあ。
 落ち込みやすい時は、自分でも気が付いて、ちょっと、一休みできるようにしないとね。

ハードorソフト

…といっても、コンタクトの話ではなくて。
昨日の日記に書いた、黄金桃の飴は、ハードキャンディ。私にしては珍しい買い物だ。

私が自分のお金でキャンディなんていう必需品ではないものを買えるようになってからこっち、私はずっとソフトキャンディ派だった。キャラメル…とくに「ハイソフト」というキャラメルは一時ものすごくたくさん買った。私はハイソフトに入っている写真のカードをコレクションしていたのだ。

 当時、ハイソフトはコーヒーや、ホワイトもあったと思うが、一体何箱買っただろうか。
明治のクリームキャラメルや、ヨーグルトキャラメル、キャラメルでないなら、ボンタン飴に兵六餅、それから最初は「ゼリー」という名前がついていたが、グミキャンディの最初のころのもの、そして色とりどりのグミ。もちろん、ハイチュウもあったし、ぷっちょあたりの複合系のキャンディも大好き。
 
 今お気に入りのキャンディは、塩キャラメルや、小梅ソフトキャンディか、果汁グミか…。ともかくソフトキャンディ。

黒飴、梅干し飴、ニッキ飴、はっか飴、抹茶飴、そして缶入りのサクマドロップ。田舎の子供の口に入る飴というのは、おばあちゃんが缶から出してくれるこういう固い飴が多かった。缶にくっつきかけているのもあったりして。そのあとから、缶入りや、量り売りでない飴が出始めて出てきた飴が、確かバターボールとか、ライオネスコ―ヒーキャンディとか…。どれにしても固い飴だった。

多分…。ああいう飴は「長持ちする」のがよかったのだと思う。当時は飴を2つ口に入れるというのは、「しないこと」だった。
そして、ただ、飴をなめながら黙って座っている…という時もあったと思う。甘さというのは、子どものエンターテイメントだった。
時間、あったんだなあ…。

 ソフトキャンディは、噛んで飲み込んでしまうとあんまりもたない。忙しい生活のリラックスに、というような隙間時間のちょっとした楽しみのようなもので、大人になったからなのか、キャンディは、忙しい時間にちょっと食べたり、電車のホームで口に入れることが多くなっている気がする。

 ハードキャンディを、買おうかな…。食べたことがないキャンディがいっぱいある。

 新しいものを食べることは、脳を働かせるのにいいっていうしな…。買ってくればいいだけなんだから、簡単だし、そして…確かに滅多にやったことがないことだ。
 
 ちょっとした変化。
 長い間、やっていないこと。

自分の好みが固まってしまって、考えることや、毎日やることや、楽しみのためにすることが、どうしても同じような事ばかりになる日常に、こういう変化というのは、いい。

 あんまり冒険してみる方でもないし、怖がりだし、変化が好きではないという性格もある。
 でも、このぐらいなら多分…。

そう思うとちょっと楽しくなってきた。ネットで「ハードキャンディ」なんて検索したりして。

パインアメってのは、私も知ってる。それにオレンジ味があるんだって。
オレンジ味のハイチュウ好きだ。果汁グミのオレンジも。…ってことは多分これもいけそう。

そーっと、踏み出してみる。こんなことでも、変化だから。
ドラッグストアの100円お菓子コーナーに、オレンジアメはあった。

小さいころ、好きだった「いちごみるく」のキャンディのチョコレートバージョンもあった。
知らないものだなあ。

食べて、ブログでレポートするってのはどうかな、うん。

オレンジの飴は、おいしかった(感想になってない)結構味が濃い感じで、酸味があっておいしい。
息子に食べる?と出したら、「鳴らない」と不評。そりゃ…穴が開いてるのはそうだけども、笛ラムネとは別物だってば。

ハードキャンディって、ソフトキャンディを噛んで食べてしまう時と違って、すごく長持ちするので、1袋あったら、余るかも。
べとべとにならないうちに食べないとね。
 
 
 

牛丼

それほど高い値段じゃない外食の牛丼。
デートで牛丼に連れていかれたら、怒って別れていい…という話があるぐらい、イマイチ扱いの牛丼だけれども、アメリカに住んでいたら、チェーン店の牛丼が、どんなに良く出来ているものなのか、わかる。

あの値段で、あの味、もしアメリカで住んでいたところのそばにチェーン店の牛丼が店を出したら、私は絶対食べに行っただろうし、ため息が出るほどおいしい…と思っただろう。ああいうものは、アメリカの外食産業にはない。自力で作るのも、薄切りの牛肉がない、というところからスタートせねばならない…というと、残りの材料の手に入りにくさは、尋常じゃないのは、なんとなくお分かりいただけるかと思う。

週末、夫と子供がプール施設に遊びに出かけることになった。この室内プール施設、大変に入場料がお高い。交通費も結構かかる。再入場が出来ないので、中のものを食べるしかなく、そして中の食べ物はあんまりおいしくなくて、高い。家族そろってレジャー、というのはする家が多いだろうが、私が出かけないだけで5000円からの節約になるとしたら…。
 小さいころは、ママも、パパも!と子供が言うので全員で出ていたが、小学校高学年になると、お父さんだけで大丈夫。私が行くと、ジュースとアイスは一気に買ってやらない、とかいうので、お父さんの方が人気だ。

 でも今日はちょっと、だるい感じがして、今から、夏バテ?といった風情。ちょっと置いて行かれる感じがする。
 「いいなあ」と、ふと言った私に、夫は気を使ってくれて、「今日は、全員でいく?」と聞いてくれたが、私がうらやましかったのは、昼ごはんを作らなくていい、ということがまず一番大きかった。

 「じゃあ、昼ごはん外で食べなよ、何がいい?」
 「牛丼、かなあ…」

それなら、これでいいね?と1000円札1枚、私に残して、バタバタと2人は出て行った。

 私…牛丼、食べたいのかなあ。

 いや、聞かれたときには確かに、牛丼屋さんの看板が頭に浮かんだ。チーズや肉が多いイタリアン食べる気はさらさらなかったし、麺類は昨日の夜にそうめん食べたところ。アツアツのラーメンや、カレーはこの体調ではそれほどそそらない。
 フレンチのレストランは、遠いし、うーん。バターとクリームの幻影が…。夏には今一つ。

 なぜ牛丼屋さんの看板だったんだろう。
 牛丼屋さんにいったら、私、何頼む?
 
どんぶりの小さいやつを頼んで、味噌汁と、お新香と…。それから、ショウガをちょっとどんぶりに載せて…。

あー。多分だけど、私は、漬物と、味噌汁と、しょうがで、ごはんが食べたかったんだ…。
牛は多分おまけ。

漬物は、うちで食べるのは私だけ。自分で漬けていないので、買ってくるしかないんだけど、漬物というのはおかずの1品にはならないし、野菜そのままより高いので節約していると買わない。

 とりあえず、お米を炊飯器に仕込んで、スーパーに買い物に行って、牛丼屋さんで出てくるような白菜漬けを買ってきた。
 夜に飲む味噌汁を1杯分増量して作成。

ついでに、冷蔵庫から納豆出して、納豆、味噌汁、漬物、それから炊き立てのご飯。

 おいしかった。体力ない時はこういうものがいい…。納豆の代わりに豆腐でもいいかな。
 牛丼食べるより安上がりだったしね…。千円の残りは夕飯のおかずの足しにしたので、刺身を買っておいた。今日の夕飯が一品増えて大変ゴージャスに!(お釣り、返せって言われないと思う)

 自分が本当に食べたいものは何か。
 こういうことは、多分、もっと頻繁に起こっているのだと思う。

自分がしたいことは、何なのか。
自分が本当にほしいものは何か。

パッと思いついたもの、世間にわかりやすいもの、大勢に人気があるもの。
それがいい時もある。でも、実は、考えてみると、もっと簡単に、違う方法で実現できるものだったりしないか。
自分の満足は、どこからもたらされるのか…ということを、考えるのって難しいと思う。

いつでも、わかりやすいからという理由で、「いつもの」を選ぶのは、人生の手間を省くのに便利だからそうするんだけど、手間を省くことを時々やめたら、「いつもの」「いつもの2」「いつもの3」みたいに、何種類か作っておけるのではないだろうか。

年齢を重ねて、どうしても同じものばかり選びがちになってきていると思う。
違うものに、手を出そう。 それが、気に食わなかったら面白がろう。
知らないメニューを食べるぐらいのことにしても、たとえそれが100円、500円程度のことでも。

何をするのがいいかな…。手始めに、次に漬物を買う時は、食べたことがないものにしよう、うん。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
ひょー。ふだんつかっているパソコンの電源が入らなくなった。
これは2台目のパソコンから追記中。いくつか書いてあった文章もあったのになあ…まあしょうがないけど。
一応しばらく自動更新しますので、毎朝読みに来てください。
ですが、訪問、コメント返しは遅れるかもしれないです。

港のある街出身の謎

「どこ出身?」と聞かれた時、大抵の人は都道府県名を答える。

「長野です」
「山梨です」
「宮崎です」
…といったように。

いいところですね、なんていうごく当たり前の相槌が来る、または近かったり、同郷だったりすると、ちょっと話がはずんだりする。

まあ、高校生ぐらいまでは、あまりしない質問であって(大抵の子は高校までは地元だから)この質問は、学生の頃、それから社会人になってから、あとはママ友が出来てから…とか、あとはオンラインゲー、ネットの知り合い、そういう人と交換する情報になる。

私は中年になってからこの質問を聞いたり、聞かれたりすることが多くなったのだけれど、全国47都道府県のなかで、ちょっと、変則的な答え方をする人があることに気付いた。

 まず、「神戸出身」の人。
 この人たちは、まず「兵庫県出身です」とはいわない。
あくまで、「神戸です」という。
 
 それから、もう一箇所。
 「横浜出身」の人。
 この人たちも、「神奈川県です」とはいわない。
 「横浜育ちなんですよー」とか返ってくる。

ここだけ、「神戸県」とか「横浜県」があると言わんばかり。
 
 古い港のある街というところが共通しているので、何か、港町で育つと、グローバルな視点が…とか、外国人と触れ合う機会が多くてコスモポリタンとして、意識が違うとかなのか。

 他に、古い港というと、長崎とか?と思ったけど、これは残念、
「どこ出身ですか?」
「長崎です」
…これは、県名と港の名前が同じなので、県を指しているのか、港を指しているのか判定不能。

 兵庫県とか、神奈川県に、何か不都合でも、あるのか?と疑問に思うのだけれど、これはなかなか、聞き返すわけにもいかず。

でも、面白いのでちょっと気になった。

港町出身の人は、やっぱり港の名前を答えたくなるんだろうか。
 街を、陸続きの方ではなくて、海のほうへ出れば、次に上陸する時には外国というパターンがあるというのは、なんとなくいいな…と思う。

人並みの暮らしと50万円

埼玉で【人並みの暮らしをするとひと月、50万円必要】とかいうような話があった、というので、色々なブログにその記事の感想があったのを読んだ。

 正直なところ、50万円なんて、ローン含めたとしても、かかったことがない。ま、うちはまだ子供が小学生だということも大きいだろうけれども…。自分では「人並みの生活」をしているとおもっているわけであるから、この記事はちょっと、えー?ってなった。

 確かに、関東…というべきか、それとも、「東京通勤圏」というべきか、というあたりは、生活費が高くなる傾向があると思う。転勤であっちこっちに行ったけれど、「鹿が車にぶつかって廃車になった」というような話が「あるある」だった地域は生活費が安く、自転車を駅前に止めておくのにお金がいるような地域は生活費が高い。

 でも…。東京通勤圏とはいえ、50万円?

大体、こういう記事にだまされちゃいけないのだ。絶対、何か、からくりがあるにきまってる。
テレビ、新聞、ネット、本、何でもいいけど、活字になったり、放送されているようなことは、全部が本当なわけではない。
うまーく、そう見えるように操作してあるときだって多いのだ。

 うちの母親は、こういうのにコロっとひっかかるたちで、(父はひっかからないので、それほどひどいことにはなっていない)例えば古い話だと、あのオイルショックの時、父の反対を押し切り、トイレットペーパーを半間の押入れの上の段いっぱいに買ったという前科があったり、「界面活性剤が体に悪い」という風説を信じて、高い化粧品を買わされたり、水素水が体にいいと、浄水器のできそこないみたいなのを売りつけられたり、している。

周りが止めてもぜんっぜん聞きやしないし、自分の自由になるお金があるものだから、そういうものを買ってしまって、いいの!と言っているのが、疲れるんだよねえ…。(化粧品も、水素水の機械も、喜んで使用中だ。体にいいのよ、と幸せそうでは、ある)
 だから、私は絶対そういうのにひっかかりたくないのだった。

ただ、私の頭はあんまりよろしくないので、どこが、どう違う!ときっちりわからないこともある。
今回は、じーっとニュースのネタ元をにらんでみた。

回答者の7割以上が持つ物を「必需品」とし、それを持つ生活を「普通の生活」と定義

多分、今回の落とし穴は、この部分だと思う。

私が子供のころ、クラスは大体40人だった。7割だと28人が持っていて、12人が持っていない。
12人といえば、結構な人数だ。これが、38人が持っていて、2人が持っていないのなら、かなり、普及具合が違うだろう。でも、正直12人も持っていないものなら、それほど「人並みになれない」と悩むほどでもないという感覚が私にはある。

「ガンプラはもっているが、ファミコンはもっていない」
「ファミコンはもっていないが、ラジコンはもっている」
「ラジコンも、ガンプラもないが、ファミコンはもっている」
…とまあ、こういう感じに、クラスでは、持っているもの、持っていないものが散らばっていたものだった。ガンプラもラジコンも、ファミコンも、クラスの男子の7割ずつぐらいが持っていたと思う。いや、ガンプラはもうちょっと普及していたかな…?でも、つまりこれを、このニュースの方法で、考えるとしたら、
「ファミコンと、ガンプラと、ラジコンを全部持っている」でないと「人並みの生活が出来ていない」と判断する、ということなんだよね?

それは、「人並み」でなくて、「結構な贅沢」ではないのかなあ、と思う。
ファミコンも、ガンプラも、ラジコンも持っていない!という子は、天体望遠鏡を持っていたりしたもので、みんな、「どんなものにお金を出すか」ということについては、好みに応じて、人それぞれ、ということは子供だってわかっていた。
 どれも持っている子は、「あの家は金持ちだからな」という認識があった。人並みという言葉は、割と「ぎりぎりから、まあまあぐらい」であって、余裕で上の方、というのは、「人並み」よりも間違いなく上だ、という感覚があったわけだ。

大人になってからでいうと、多分自家用車は7割よりたくさんの人が持っているだろう。でも、自家用車がなくても、都会なら十分生きていけると思うし、服飾費は、多分年間10万円以上かける人も、多分7割以上いるだろうけれども、そういうことに関心がないなら、もっともっと低い値段でやっていって、全く問題は起きないので、これも、「人並み以下」という意識は持ちづらい。
 つまり、7割の人が持っている時、3割の人は持っていないということが計算に入ってないんだと思う。

これが9割か、95%の人が持っているものを「必需品として」計算したら、もっと下がるんじゃないかなあ…
50万円x7割で、35万円。35万円x12ヶ月で420万円…となると、既婚男性の給料のボリュームゾーンがこのあたり・・・・というのとも合致すると思うんだけど。

 なんて話をしていたら、夫が言い出した。
「大体、この話はさ?最低賃金を上げてくれ、という交渉をするために出したみたいだよ?「労働組合連合会」とかが出してるんだから。そしたら、「今の給料で、大体やっていけますよねー。そうですよねー」ってデータが出ちゃったら困るから、こうしたんじゃないの?」

…ってそうか。なるほどねー。

で…この表、改めて見直して思ったんだけど、関東で東京通勤圏で家賃5万円って、どんなところなんだろうか。7、8万円は出さないと、子供2人で4人家族はつらいんじゃないかなあ。それか、かーなーり、田舎だよ、想定されている地域が。おそ松君のアニメのエンディングじゃないけど、「空気はうまいが、町へは遠い」というような、電車の始発駅から座って通勤地域?

 そして食費が10万円って、ねえ?30台で子供小さいのに、こんなにかかる??よっぽど上等なレストランで週に何度か外食して、お惣菜買わないと、こういう値段にはならないと思うんだけど…。これは食事を用意しているのは、自炊をする節約な主婦ではなくて、手間を省いて仕事を優先、おまけにちょっとセレブなマダムだと思う。

 あと…通信費。これ、高いよ。家にネット回線入れるのは、人並み、確かにそうだと思うけど、この通信費だと、スマホでよっぽどいいプランとって、家にびゅんびゅん高速のネット回線いれて、相当なオンラインゲーが遊べると思う。
 
 確かに、東京の私大に子供を入れたら高いだろうな、というのはわかる。でもその時には、大抵の人は、いろいろな経費を削るんじゃないかなあ。
みんな、「どれもこれも、全部は手に入らない」ということはわかってるよね。
子供を私大に通わせるなら、お母さんもパートに出て収入増やすとか、通信費は安いプランに乗り換えるとか、車を買い替えないで長く乗るとか、外食は減らすとか…。

どれもこれも、今の生活で「かなりいい」レベルのものをいつも手に入れたい。人が持っているものは自分もほしい。というようなことを考え始めたら、多分、この50万というのは妥当な線、またはこれじゃ足りない線なんだろうなあ。

50万円必要な生活は、ミニマリスト、ダンシャリアン、節約、そして「普通の生活」のどれとも、遠いと思う。

こどもと、ハーネス

子供が、小さいころ、うちではリュックサックの形になったハーネスを愛用していた。
手をつないで歩こう、というのもある。それも、子供の手首をつかんで、握らせた手を大人の手に包むという、どっちかといえば「捕まえておく」式のつなぎ方が育児雑誌にはお勧めになっているものだからそういうのもやっていた。

が。うちの子は男の子。これが女の子だと、違うと聞いたことはあるが、大体視野角は15度ぐらいしかないのではないか…というシングルフォーカス。興味のあるものに目が行ったら、目の前が道路であろうと、水たまりであろうとそんなものは目に入っちゃいない、突進。手は、結構な力で振り払う。

 おっとぉ!と止めるのに、ハーネス(リーシュ?)はとても便利だった。
 だって、前が車の通る大通りだということもあるんだよ…道の向こう側のアンパンマンの看板が、気になったら左右なんか見てくれない。1歳後半から2歳台。お子さんによっては、3歳でも微妙だと思う。これで、「えー?そんなの、ありえないよ」と思う人は、

1:大変良く出来た賢いお子さんだった
2:お子さんは女の子だった
3:自分が育児をした場所はかなり車どおりが少なかった
4:自分が育児をしたときのことをかなり忘れている

この4つのうちの、どれかだと思う。うちの子は、「まこさんちのボクは、結構おとなしいよね」と言われるタイプ。「まあー元気がいいわねえ」というタイプではなかったのだけれど、それでも突発的に飛び出すのはあった。だからこそのハーネスだったわけだけれど、これが、「犬みたいでかわいそう」という、全然しらない人が、何人かいたのも確か。

 いや…そりゃあなたが子育てした頃はこんな大きい道路、なかったかもしれませんけどね…と心の中で突っ込んだ。それに、飛び出して轢かれて死んじゃったら、あなた責任とってくれるんですか、とか言いたかった。

正直、この現代に、住宅地にだって車は通る。全員がスピードを落として気を使ってくれるわけではない。そして、2歳と言えども、結構な瞬発力で駆けだされたら、重たい荷物を持っている時、とっさに走って追いつけるかと言われると、やっぱり、念を入れておきたいものだと思う。うちは1人だから、まだなんとかなったが年子、または2年差で、片手に歩けない年齢のお子さんを抱き、一人の手をつなぐとなると、ハーネスはやっぱりほしい。だって、ベビーカーに乗せると、邪魔、という人がいるんだよ?

 子供用必需品を詰めたバッグ、買い物した袋、そして子供。なるべく迷惑にならないように、そして安全に。
40年前に、育児をしたならば、車どおりは多分今よりずっと少なかっただろう。それに、ベビーカーが迷惑だという人も、それほどいなかったんだと思う。だからといって、今、同じ方法を使って育児をしたら、「ちっ」とベビーカーに舌打ちをするおじさんがいるんだよ。(こういうおじさんは、男性が付いている場合はそういう態度を取らない。女子供限定でそうくるので、正直かなり警戒したし、怖かった) 街を歩いていても、信号がないなら、車は横断歩道で待っていても、止まってもくれないんだよ。だから、ハーネスは要る。

 うちの子は電車好きで、2歳半ぐらいから、私がプラスチック製のバッグの持ち手用の白い輪と、合皮で作った「つり革」を握って歩いてくれるようになった。「電車が止まるまではしっかり、おつかまりくださーい」とアナウンスをして歩いたものだ。それでも、やっぱり歩かせる場所は、車どおりの少ない場所だったし、道路には飛び出しません、危ないからね、というのが大丈夫になったな、と思ったのは幼稚園に入るぐらいだったと思う。

 今日ネットで、反対している記事を読んだから、これを書きたくなった。反対している人は、あなたに反対されたから外したんですよ、そしたらひかれましたから、と言ったら、「見てないあなたが悪い」というだろうと思う。見ていても、突然の事故は起きる。だって、子供だけじゃない、いい大人だって、轢かれるんだよ、車には。
 責任を持ってくれない人のいうことなんか、聞かなくていい。子供の安全に気を配るのは、いいお母さんだから。子供が大事だから。大人が、歩道から飛び出さないように、子供も、飛び出さなくなるまでは、ハーネスでいい。

 あれ、かわいいと思うよ。特に天使の羽とかついてるやつ。あれに、おやつと、ちいさーい水筒いれて、歩かせていた。公園に着いたらおやつにしようね、って。あの、小さい靴…。ベビーカーに乗るのをいやがって、でも帰る時はねむくなって、抱っこーーってなって。

 しょうがないから、小さいベビーカーをしょって歩いていたこともあったっけ。今から思うと、楽しい年月だった。ぽっこーんと転んで、おでこに傷が出来て…。「まあ、転ばせたりしちゃダメじゃないの!」なんて、お前誰だよ、みたいなおばちゃんから、突然言われたこともあったっけ。転ばせたくて転ばせてるわけじゃないよ、と思って、家に帰ってから涙が出た。

 ああいうおばちゃんには、なりたくない。ハーネスを使っていて、責められてるお母さんがいたら、「いやーそんなことないですよ、安全にはかえられませんよ!」とお節介したいものだと思う。

借金。

色々なブログを見に行っていると、時々、ランキング参加バナーが貼ってある。
ポチポチ押して遊びに行くと、たまに、うわぁ。と思うブログに遭遇する。

今日遭遇したブログは、自分の配偶者に内緒で数百万からの借金を返している人のブログだった。きれいなおねーさん、という感じのママさんなのだが、苦労している感じが見て取れる。なんとなく、【レベッカのお買い物日記】を思わせる。

 荷物を整理する合間の休憩時に、夫と話をした。

 私「ねー、私が、300万とか500万とか、借金した、ってなったらどうする?」
 夫「うーん。どうすっかな」
 私「今ね、かくかくしかじか、というようなブログ読んだ」

 私「私なら、内緒にしないと思うんだ…。『うわーん、もーどーしよーもなくなったのーー』と、多分打ち明けるよ」
 
 夫「それでいいと思うよ?そしたら、まずは、会社でやってる天引きの貯金崩すだろう?それで、足りなかったら、(息子の)学資保険崩すだろう?それでもだめなら、年金とか、保険とか解約すると思うよ?利子、払うのもったいないからねえ?」

 私「だよね…。ブログの人はね、リボ払いにしてるんだよ、年利が何割あるのか知らないけど、手数料込みで利子が2割ぐらいあるとして、300万借金あったら…えーっと、どんぐらい?」

 夫「月々、数万円は、手数料とか利子とかに持ってかれると思うよ?、長い間かけて返してるんでしょう?」

 私「…ってことはさ…。元本分はあんまり減ってないってことになるよね?」
 夫「だろうねえ。だから俺だったら、貯金崩すとか何とかして、全部払うよ」

 私「どうしても、知られたくなかったら、私なら親に頼むかなあ…うるさいだろうけど、背に腹は代えられないよね」

 夫「まあ、親なら借金の利子までよこせとは言わないだろうからね」

 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
そんなわけで、借金シミュレーションをやってみた結果、夫婦の方向性は割と一致していることがわかった。

 世の中には、素敵な商品がたくさんある。ほしくなるのもわかる…。私たちだって、借金して家を買ったものね。

 多分…。カードは使った額が見えづらい。お財布の中が空っぽになれば、現金がなくなったことはわかりやすい。でも、カードの限度額はなかなか見えないものね。それに、利子と手数料のことを考えたら…。

 私はなるべく、生活費は現金にしているのは、多分自分で全部カードで買ったら、わけがわからなくなりそうだと思っているところもあるからだ。銀行から一定額おろして、小分けにしてから、財布にいれる分を決めておく。お金が財布に入っていなかったら、面倒でもあきらめて帰ってくる。

 そんなわけで、うっかり財布に現金が言うほどなくて、おかずがヘンテコな組み合わせになったことがあるし、1度で済むはずの買い物が2度になったことだってある。
 
 自分では、使いすぎないように気を付けているつもりだけど…。こういう話を読んだら、ちょっとドキドキする。自分でもうっかりやるかもしれない、と思うからだ。

 一度もやったことないのにね…。

 でも、もし、そうなったら…というようなことも一度、こうやって話し合っておいてよかったと思う。
 多分だけど、300万円なんていう額になる前の、10万円ぐらいで、あわてて泣きつきそう…。

銃を持たない社会は安全?足場について

銃のない社会は、銃がいっぱいある社会より安全か…ということについては、多分疑いようがない。銃で撃たれて死ぬ人は、アメリカではとても多いし、幼児(学齢期以下)の子供が、銃を撃って人を死なせた事件が年間20件とかあるし…自分の家の銃で「うっかりけが」をしたとか、「暴発した」とかで事故で死んだ件数もある。犯罪に走る人が多いか、少ないかという問題とは全く別だけど、この分だけでも、銃がなければ、へるよね。

ちなみに、日本で2015年に銃で死んだ人は5人だそうだ。

こういうことについてネットで記事を読んでみた。
理由は各種あったけど、歴史的に、武器の個人所有を秀吉が刀狩で…みたいなところからスタートして、もともと武器を所有していないところに、規制を置くのは簡単だった日本のケースと、独立戦争でまず武器を取ることになり、そのあと、内戦でドンパチ撃ち合いをやった(南北戦争)という歴史的な背景から、みんなが銃を持っていたところへ規制をするのが難しかったアメリカの話。

 銃を作る会社が、アメリカにいっぱいある話と、日本には警官の持ってる銃を作る会社1つしかない、供給の問題の話。

 外国からの流入が地続きなので防ぎにくいアメリカと、周りが海で防ぎやすい日本の話(特に金属探知は出来るからね)。

日本では猟銃の免許は3年で更新、銃の保管と別場所への弾の保管、それから毎年おまわりさんが、銃の免許を持っている人の所在を確かめ、顔を見にいくらしい(精神状態の把握)という、かなり厳しいルールになっているのに対して、アメリカではベッドサイドのテーブルの引き出しに銃を入れている人が多い現実も。
 猟銃なら、スーパーマーケットで釣り竿の隣においてあるから、あっという間。多分、私でも買える。

 そして、犯罪率の問題として、一度検挙されたら、98%の確率で有罪判決が出る日本のシステムと、陪審員制度で、有罪判決率が低いアメリカの、抑止力の問題。

…とここまでは、そりゃどうしようもないよなー…と思いながら読んでいたのだけれど、1つ、面白い話があった。

 建設現場の足場、つまり建物の外側に組み上げてある、あれ。建設じゃなくて作業用足場のこともあるようだけれど、事故で亡くなった人が、アメリカではこの10年で2500人もあったのだとか…。年間平均250人、2日に1人以上、なくなっている計算になる。大体日本の倍、人口がいるんだから、増えるとしても…。

 私はガテン系に勤めていたことがあるので、ちょっとはみたことがあるけれど、いくら現場作業が危ないと言っても、これはちょっと…と思ったら次に日本の数字が出てきて、この10年で、日本の死亡事故はゼロだそう。
 「日本は、そういうものを廃止したのか、というとそういうことではない。ただ単に、現場の安全基準が高いのだ」とこの文章は続いていた。

 いい加減な対策をしている結果、または命綱とかを付けないで高いところに上った結果なのか、それとも業務の習熟度が足りないのか、設備の点検基準が甘いのか…。

 現場の死亡事故ゼロというのは、いろんな会社で「当然だが、しっかり気を付けて目標としましょう」ということになっているからね…。ケガゼロだって目指している現場は多い。

 つまり、人間が事故を起こしやすい…カッとなったときパッと手に取りやすいところに、おかないようにする、というような「環境づくり」が足りないのだと言いたかったみたい。

そうだよね…。ムカッと来たときとか、よっぱらったはずみのケンカなんて、日本でだってよく聞く。ただ、ぶん殴られただけなら、命は助かるが、ハンドガンで撃ったら死ぬ…。そういうことなんだよね。どこの国だって、頭に血が上りやすいとか、パッと行動するとか、酔っぱらってコントロールが効かなくなる人というのは、いる。

でも、そういう時に手に取れるものが…またはそういう相手に出会ったときに出してくるのが銃かも、と思ったとき、自分も武装したくなるものなんだろうな。

銃のことだけで見ると、アメリカはああいう国(人種、貧困、移民問題色々)だし、日本とは違うからしょうがないよな、と思うけど、足場の話を読むと、確かに…もうちょっとなんとかなるところというのはありそうだ。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
アメリカの家で最後に、お風呂の大掃除をやったら、ゴム手袋がなかったので、手がガサガサに。ハンドクリームも断捨離したので、まずい感じ?…と思ったら、旅行用のポーチの中に、前に旅行した時ホテルのアメニティに入っていたmoisuturizerと書いたチューブ発見。
 これでいいだろう、ないよりきっとまし。
ちなみに、これは、旅行ごとに入れ替える…というのはどうやるかというと…

旅行にいく。自分が持っている旅行用のシャンプーリンスなどを使う。そのあと、帰るときに、ホテルにある新しいものを旅行用ポーチに入れる。

 こうすると、未開封のものが毎回1セット入っていて、古い…かもしれない。というものを使わないで済む。
 今回はこの作戦が大成功だったと言えよう…。こういうのは、ないホテルもあるからなあ…。日本に帰ったら、小さいハンドクリームか乳液ぐらいいれておいてもいいかも。
 捨てすぎ注意だな、と思った。

ありがとうございます

昨日の、ぐだぐだした記事に、みなさん、コメントや、拍手をありがとうございます。元気が、出ます。

多分、この一年、ひとりで出歩くことが一度もなく、お付き合いのある人も、今年限りでもう会わない人達だから、とか思ってやってきて、日本に帰ったら、まだ付き合ってくれる人がいるんだろうか、とか、気を使って小学校関連はやらなきゃなあ…とか思ったので、うわーーっとなった感じがします。

 多分…。10年たったら、懐かしく思い出すようなことなんでしょうね、子供が小学校の時は…って。

あと、荷物をまとめるとか、そういう作業をしていると、クラフトをして「これが完成ーっ」というような充実感がないのも、ちょっと落ち込む原因なのかな…。それと、風邪気味だってことも。

 …すごく、言い訳めいてますよね。なんだか、なんだか…。ブログに来てくださっている人に、迷惑かけてるような、甘えてだだこねて、子供みたいになぐさめてもらってしまったような…。そんな気分がして、後ろめたいのだと思います。

 「いっぱい失敗してきたけど、言い訳だけはしたことがない」と、いつも読みに行っている楽しいブログの人が書いていました。かっこいいな…と思います。自分が、悪かったのだと思いたくなくて、言い訳を重ねて、それでよかったのだと思うこともある自分が、恥ずかしくなってきます。

人は…落ち込むこともあるのだと。でもみんな気を取り直して、また歩いてくんだということ…。覚えておかなくてはね。

 ブログは2週間ぐらい先まで、予約投稿してあるんですが、時々こうやって、その時書いてすぐ、投稿する記事もあって。
 のんびりしたみたいに見えている記事は予約投稿。
 こうやって、ぐだぐだ言っている時は、どこにも言えないことをただ、書き散らしているんです、はい。

 何もないところに向かって、叫んでいるのではないということが、わかるのが、ブログはいいですね。
 ノートに書くより、ただ、頭の中で考えを回しているよりもずっと、誰かに聞いてもらっている気がします。

 私も…。誰かが、誰にも言えないけれどどこかに言いたいことを、聞ければいい、そう思います。

…年来の友達

今日は、なんだか誰かとおしゃべりがしたかった。

こういう時、日本にいたら、私は誰かを誘って、お茶なんか飲むことになる。ランチかもしれないけど、まあ軽い話題と、趣味の話。でも、今は話しかけるのは夫だけ…。これが、こうなんていうのかな…。女同士のおしゃべりと、どうもこう、反応が違う。

 普段は平気なんだけど、今日はなんだか、寂しかった。

時差があるから、と思うと、あんまり子持ちの友人は微妙か…。
独身の友達にメッセージぐらいなら…と思って、ちょっと、SNSにメッセージを入れたら、リアルタイムで返事が返ってくる。あれれ?今日、仕事は?

 友達は珍しく今日、仕事が休みだったとのことで、私に付き合ってくれた。彼女が習っているダンスの靴の話とか、服のサイズの話とか、最近会った人の話(共通の知り合いではない人だけど)、とか、最近作ったものの話とか…。軽いおしゃべりで、大変気分が良くなった。久しぶりだな、彼女と話すの…。

 いつぶり?となったけど、ふたりで2時間もしゃべっちゃったあとで、「ええと…前に連絡とったのは私が渡米の連絡をした時ではないか…」という話になった。1年近く話していなくても、まるで先週会ったみたいなノリ。

 付き合い、長いもんね…。という話になった。

 二人で、ええっと…と考えてから、「ねえ、会ってから、丸30年、たってない?」「………ほんとだ…30年だ」と笑いあった。

「私が中学校の時ね、『この子と幼稚園から10年来の友達なんだ』とかっていう子がいてね、私はそういう友達がいなかったから、高校に入ってからは、そういう友達を作って、社会人になって何年かたったら、「10年来の友達なんだー」って言える友達を作ろうと思ったこと、覚えてるわ」

「私も、中学の時はそんな友達、いなかったよー。でも…もう30年なんだねえ」

「何でも話せるし、誤解される心配もないし」

と言われて、とてもうれしかった。そうだね…それは私も。何の心配もない。

数は少ないけど…。でも、そんなに人数要らないから、こういう人がいるのは、うれしいことだ。

さびしい、なんて愚痴ったわけじゃない。でも、彼女は多分、私が話し相手がほしかったことを知っている。
相談でも、深刻な話でもなく、ただ…「なんでもないおしゃべり」がしたかったってこと。

これはやっぱり、夫には、わかってもらうわけには、いかないんだなあ…。夫のことは大好きなんだけど。

都合があったら、今年中に一回は会おうね、と約束した。忙しい彼女のこと、これより具体的に休みの予定はなかなか立たないんだろうな。いいんだ…。彼女が自分がやりがいのある仕事をやって、幸せなことはわかっている。お互い、何かあったら、またこうやってSNSで連絡すればいいのだ。居住地がお互い、すっごーーーく遠いから、きっと彼女は出張先が、私の家とある程度近くだ、となったら連絡をくれる。「この日、どこそこで会わない?」と。そしたら、また、おしゃべりに行こうと思う。
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今日のどうぶつの森
3月に入って、ぐっと春らしくなった村。ちょうちょが飛んでくるようになって、お雛様販売…と思ったら、「明日はお店が改装でお休みだ」と言われてしまう。お雛様じゃなくて、ぼんぼりしか売ってなかったし…。1日から3日までの3日しかないのに、1日お休みで、今日ははずれだったら、もしかして今年はお雛様、買えないかもしれない。残念。

 amiiboカード、日本では買えるかどうかわからない感じなので、とりあえずアメリカで買ってみた。バンタムが呼びたいので、シリーズ3ばっかり買っているけど、結構かぶるし、バンタムは来ないし…。ちぇ。1パック6枚、SP1枚で、6ドル。クリスマスのころは7ドルしたから、ちょっと下がったと思うけど、やっぱり昔のカードeより高いなあ。チップ埋めてあるみたいだし、しょうがないんだろうけど。

不幸の手紙、現代版?

日本から、お客さんが来た。日本での知り合いで、ちょうど出張で近くによるので、と言ってうちへ顔を出してくれた。そこで、料理を作ってもてなすほど、料理に自信があるわけではないので、こういう場合、うちでは近くのレストランへ行って会食、ということになる。

 お客さんをホテルまで送り、帰ってきたら、息子が大変機嫌が悪い。普段見ている、大好きなテレビ番組が見られなかったとかそういう話なのだけれど、どうも、それだけにしては様子が変だ。

 不幸なことが起きるのが怖い、と言って泣くので、話を聞き出してみると、「これを読んだ人は何日以内にこれを拡散しないと、 unluckyなことが起こる」というようなことをどこかで読んでしまったらしい。

 夫も、私も、あまりのクラシックさに、ふきだしかけたが、ぐっと飲みこんだ。「ああー。不幸の手紙って、昔あったねえー」と二人でうなずき合う。これはつまり、それの現代版なわけだ。

 「うそだと、わかってるんだよ?でも…」と息子は頑張っていたが、やっぱりそんな気がして来たら怖いらしい。かわいいというか、小学生というか、子供だましというか…。うん、かわいい。

でも、そんなものをどこで?いつ?今日なの?と気を付けて話を聞いてみると、それを読んだのはたっぷり3週間前だということが判明(冬休み直後だった)して、ちょっとずっこけた。で、その時は、笑い飛ばしたのだけれど、今日、テレビが見れなくてアンラッキーだった…と思ったとたん、全部思い出したのだということだった。

 夫は、誰にでも、ラッキーなことも、アンラッキーなこともあるのだから、そんなものは信じなくていい…という(彼は無神論者だし、占い、お守り、ラッキーアイテムみたいなものを全部全く信じていない)方向へ。私は、まあ、こんなオカルトなものに対抗するにはこっちしかないよな…というわけで、お守りを自分の部屋に取りに行って、「はい、これ。ラッキーチャームね?これでいいことが起こるよ!」と渡しておいた。

不幸なことが起こる…というのを信じるなら、いい方だって、信じられるにきまってるからね!
不幸の手紙って、信じたのっていつごろまでだろう。そりゃ今だってそんなものが届いたら、いやといえばいやだ。なぜかというと、それは誰かが、私にいやな思いをさせたくて送ってくるものだから。その送った人の気持ちがいやだ。でも、手紙の中身の方はそれほど気にならないと思う。

 小学生の頃は確かにこういうのが流行った気がする。そして、中学生でもこれを信じている子はいた。高校生…ではあんまり、見なかった気がするし、大学生でやってるとしたらバカ扱いだと思うしね…。きっと、そういうのが出回らなくなる年齢は、それを信じなくなる年齢と同じぐらいなんだろうね。

 子供が寝てしまってから、夫が、「3週間前に読んで、アンラッキーなことだと思い当たることがあったのが今日1回。いい人生だと思うよ」と笑っていたので、私も一緒に笑えてしまった。そういわれれば確かにそうだねえ。それも、テレビが見られなかった、アンラッキーなんだもの。子供には、幸せでいてほしい…特に、親の手元にいるうちはね。

 地震が来たら?とかママやパパがいなくなったら?とかそういうことを考えて怖くなったらしいけれど、不幸の手紙の現代版は、何千、何万人が見ると思う?とか突っ込まれて、そりゃそうだけど…なんて。小学生らしい、その悩み。自分の子供時代がちょっと思い出せる今日のエピソードだった。
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今日の手作りはこれ。結構キラキラになってしまった、何色かのガラスビーズと、金色のスペーサー。

 図書館の本を参考に作ったけどこれ、どこにしていこうか、というぐらい、キラキラ。でも、見ているときれいだし、なんとなくゴージャスだし、これは、「きれいだなあ」と眺めてうれしい、そういうものなんだなーと思う。子供の時も、おもちゃのアクセサリというのは、あった。夜店で売っているペンダントとか、指輪とか…。ああいうものが「本当の宝石」でないことは、もちろん知っていた。でも、プリズムカラーや、金、銀、プラスチックでも、ラインストーンでも…。きらめく光の反射が、なんともうれしかったものだ。
 今もやっぱり、うれしい。きれいに、出来たなあ…。って眺めるのが。
つけるのはまた、別問題か。



学生の時はなあ…

【学生さんのツイートの紹介記事】を読んだ。

国語→もう日本語わかる
数学→将来役立たない
理科→理系の仕事目指してない
社会→過去を振り返っても意味ない
音楽→興味ない
技術→大工さんになるつもりはない
美術→絵ぐらいならだれでも書ける
英語→ここ日本

…というやつで、多分高校生か中学生か、勉強するのがいやになったんだろうなあ…という感じだ。
私がなんと返すかな…と思ってこの記事を書くことにした。一項目一言でまとめるのは難しいな。

国語→読み取る力、聞き取る力が弱いと、社会人になってからわけのわからない人の相手をするとき困る。
(いるんだよ、そういうひとがたくさん!)

数学→将来役立たない…と思うだろう?でも、「統計の見た目にだまされない」というような数学的な考え方は大切。
宣伝って、結構ひどいことをやる。本当っぽく見えるグラフにだまされないこと。あとね…いつか、子供を持ったら、算数って意外と、教えるの難しいよ。

理科→これも算数と同じ。なんちゃって健康法とか、なんちゃって科学にだまされないように。
 「消防署の方から来ました」とかいって浄水器売るようなやつね。

社会→政治経済、大人になったら財布直撃よ。知っている方がいいことは、案外ある。

音楽→まあ…これはねえ…。興味がなければ確かに。でも、話題として常識程度に入れておく知識は、あるほうがいい。
技術→大工道具、電気の知識の基礎などは、家庭を持つと便利よ。
美術→これもねえ…。やっぱり常識の範囲内で有名な人の絵ぐらいは認識できた方が多分、いい。
英語→人生、なにがあるかわからんのよ…。私みたいに、結婚した人の都合で外国に、ってなったとき…の可能性は低いにしろ、通販でほしいものが買えるぐらい、または取説に英語しかない時、どうにかなるぐらいの英語があるとないとですごく違うから。話せなくてもいい。でも、読めるぐらいでも絶対違う。
 または、一生、海外旅行しなくても、取引先が海外という状況は、現代にはありがち。あと、「英語が出来ないから、この仕事は無理です」というようなことを言うと、間違いなく出世は遅れるし、上場企業とか、業界大手とかは、英語力を求める会社は多いからね…。そこで「差別化」が出来てしまうちょうどいい項目ということもある。どこかで、人を選別しないといけないから。
 
 音楽と美術は、百歩譲ろう。でも「教養がある」ということは…そして教養には、音楽と美術も含まれる。そういうものを鑑賞して、美しいと思えることは、いいと思うのだけれどね…。絵ぐらい誰にでも書ける、なんて、言えるぐらいなのがいいなあ。私はかけないものね。

 人にものを伝える力。漢字を間違えない、読み方を間違えない…。これ、はずかしいんだよね、大人になってからやるとさ。
 子供にものを聞かれたとき、答えられるか。「なぜ、空は青いの?」とか、「なぜ、分数の割り算は答えが大きくなるの?」とか。
 そりゃあね?三角関数とか微分積分は、確かに使わないねえ、今生活して。でも、統計は使う。「平均」って、どんな考え方?とか、「平均」と「中央値」の違いとか。

 「えーー?私の給料、低すぎ?」 という広告を見たとき、その嘘を見抜けるか、ということ。
 それから、「水素水」とか、「水のクラスターが大きい」とかを見たとき、それが「すばらしいのかどうなのか」ということを判断できるか。

 とろろ昆布に含まれるカルシウムが、牛乳の何倍、という広告を見たとき、それがなぜ、「実際的ではないのか」ということがぴんとくるか。

 大人になったら、そういうことは、周りにいっぱいある。
 偏差値とは、どういうものなのかとか、「えー?大体平均ぐらいあればいいよ」と謙遜するママ友さんたちのお子さんたちの評価がが、なぜ「全員平均ぐらい」にならないのか、とか。ちょっと、わかってから話をするのは、騙されないためにも、心配しすぎないためにも、いいと思う。

 塗るだけで効果のある「頭のよくなる薬」はないとか、「飲むだけで障害の治る健康食品」はないとか、そういうようなことも。
本当に、本当に、知らない人は知らないままでいいとは思うけど、これを飲ませたら、子供の障害が治るから、といって健康食品を売る人は、いる。実際見たことがあるし、売りつけられたおじいちゃん、おばあちゃんもいた。孫がかわいいために騙される。そんな都合のいい食品も薬も、まだ発見すらされていないけれども、「もしかしたら、あるかも」と、思ってしまう人は、騙される。

 自分の子供が平均以下の成績をとっても、がっかりしてはいけない。平均値というのは、平均以下が大体半分、平均以上が大体半分…という状態になるものなのだ、とか。平均は年収500万円でも、実はボリュームゾーンは、400万円ぐらいで、ものすごく年収が高い人が少数混ざっているので、平均をだすと上の方へずれてしまうのだね、とか、そういうことは、見抜ける方がいい。
 あとは、「なぜ、パチンコとか、競馬とかは儲かるようには、出来ていないのか」なんてことも、算数出来なきゃ、わかんないのよ。

 勉強のできる大人には、ならなくていいけれども、「常識のある大人」であることは、賢い消費者になることにつながっている。

「損をしない」 「騙されない」「限られたリソース(お金)で、最大限の利益、便利さを得るには」というようなことは、算数、理科、社会と不可分なんだよね…。
「こどもだまし」に騙される子供をみたらわかる。幼稚園児、小学生が、子供だましに騙されるのは、かわいいけれども、(ころっとひっかかるんだ、これが。まあ、うちの子がそういう男子だ、ということもあるだろうけど)世間には「大人だまし」だってたくさんある。なぜ、本当っぽく思える、投資の話が「実はもうからないのか」なんていうことは、「さぶぷらいむろーん」って、何?とか、「投資信託って、なに?」とか、そういうことがわかっているかどうかで、違ってくる。

 書類にある、虫眼鏡じゃなくて顕微鏡がほしい、と思うような細かい文字で書かれたものを読んで理解する国語力。保険が何をカバーするか、ということを正確に読み取り、どのオプションがいらないのかということを「そういう決まりなんです」とか「大概の方はそうされますねえ」というセールストークに騙されない(そんな決まり、どこにあるんです?と、切り返せるかどうか。法律の知識はうっすらでも、あると違う)ことも。

 今は、親が、つまり大人が守ってくれる。学はなくとも、経験則にのっとり、大人をやっている人は多い。でも…大人になってから思うのだ。あの時、勉強しておけば、もっと儲かる仕事につけたかもなあ、とか、難しいこともわかって、投資が出来たかも、とか、そんな話を。騙されて大金を失った人は、「もっといろいろわかっていればな」と後悔するし、仕事が同じぐらいしかできないのに、TOEICが900点というだけで、給料が上乗せの同僚を見れば、高校の時、せめて英検2級でも、取っとけばよかったな…とか、ふっとよぎると思う。そうすれば、大体600点以上はいくからだ。

 知識に無駄はない。どんなあほらしいと思ったものでも。ただ、それが学生の時には、わかんないんだよねえ。
これが、実感できるのは大概、社会人になってからなんだなあ。しょうがないよ、その時はもう、社会人になってから、「あーあ」といいながら、勉強するしかないわけよ。

 このツイートをした学生さんは、どんな職業に就くんだろう。自分の力で、道を切り開き、お金を稼いで生活を立てていくとき、知識が役に立つのだ…ということ、小粒に見える、つまらないと思える知識でも、総合すると案外、いい武器になるのだということがわかっていくといいな、と思う。
 

姉の色、妹の色

足跡をたどって訪問させてもらったブログで、【あかあお話】という記事があって、思い出すことがあった。

 姉妹で育って、お揃いの服を買う時、色違いを買って、そしてお姉さんだから、と「お姉さんっぽい色」が自分のになる話。

私の場合は、立場がお姉さんではなくて、妹だったので、赤とピンクがあったらピンク、黄色と青なら黄色、ピンクと水色ならピンクのが自分のになることが多かった。赤とベージュなら、赤が自分の。ピンクと白ならなぜかピンク…。オレンジと黄色ならオレンジ。なんとなくこの法則がお分かりだろうか。

 そう…。間違いなく暖色系が多くなる。まあ、大体において、お揃いでおばあちゃんが買ってくれた…としても、姉が着ている方の服は、おさがりで回ってくるのだから、両方手に入る…ということもあるのだが、バッグや、帽子のリボンなどはそういうわけにもいかないものも多く、よそに回されてしまうこともあったから、「よそいき」の服は大抵が、赤、ピンク、オレンジ…まあ、そっち系だ。

 水色のワンピース、ベージュのジャケット。せめて白なら許せるのに、なぜそこでピンクか!!
…そう、どっちかといえば男の子っぽかった私は、ピンクが嫌いだった。ピンクというと、突然間違いなく、女の子「らしい」色になってしまう。それがなんとなく嫌だった。女の子らしくしなさい、といわれているようで。

 大体、「最初は女の子が良かったけれど、2番目は絶対男の子だと思ったのに」なんて言われて育ったら、自分の性別というのはちょっと、うっとおしくなってしまったりするものなのだ。そんなものに取り換えがきくわけでもないのにね。

 水色がうらやましかった私なのだが、同じ色にうんざりしていたのは姉も同じだったようで、姉はピンクが着たかったらしい。そんなわけで、私は大人になって自分で服を買うようになったら、スーツやワンピースはベージュや、グリーンや、ブルー系が多くなり、姉はピンクやオレンジ、赤を選んでいるのに、後から気づいた。

 ピンクが実は、種類によっては似合う…とわかったのは、20代も後半になってからだったな…。

 青のギンガムチェック、特に紺のやつが、とっても好きなのは、多分紺のギンガムチェックのワンピースが着たかったことがあるからかなあ…なんてね。

白いサンダル、ギンガムのワンピース、それから、麦わら帽子。5歳ぐらいだっただろうか。
セミの鳴き声と、日差しの白さ、そして膝の怪我の跡。
あれはどこだったんだろう、芝生のある、白い柵の公園。

 遠い夏…。小さな望みは口に出されないまま、とけて消えてしまったと思っていたのに、こうして、どこから飛んできたのかよくわからないシャボン玉みたいに、ふっと目の前にひらめく。

 そんなときもあったんだな…。ちょっといいな、と思う。自分が、昔と、芯のところは変わっていないことがわかるから。
私は、ずっとこうやって年月を重ねてきたけれど、やっぱり自分のまんまなのだ…と思うのが、なんとなく、好きだ。

パリテ結婚てなに?

【亭主関白なんか、だめ、平等を】という論調の記事を読んだ。
まあな…最近亭主関白なんか流行らないというのはわかる。私なんか、夫よりずっと遅くまで寝ている。

なんでも2人でわけっこして、平等にやりましょう、という結婚をこれを書いているライターは推奨している。で、フランスの法律にある、候補者を男女半々にする、という法律の名前が「パリテ法」というらしくて、それの名前をとって、何でも平等にやりましょう、というので名付けて「パリテ結婚」ということらしい。

 気持ちは、わかるんだけど…。まだ、日本じゃあ、難しいのではないかなあ、と思う。

 それはなぜか、というと、まず、フランスでは、働きたい人のお子さんは、全員、保育園に入れるというきまりが、ある。病児保育もしかりであって、無償だか、安いんだかどっちかだった。フランスに住んでいるお友達に聞いたらそういう感じ。これは外国人の子でも、フランス国籍の子だからなのかもしれないけど、(親がフランス人ではなくても、フランスで生まれて、フランスに問題をおこさず5年住んでいると、フランス国籍をくれる…つまりこの子は5歳でめでたくフランス人となった)親が、働きたいです、ついては、預けたいです、となったときに、「いっぱいですから、無理です」と言われない環境がフランスには、ある。

 日本では、なんせ去年の流行語が「保育園落ちた、日本死ね」だったという話があるぐらいだし、育休を取る男性はすごく少なく、ついでにそのあとの昇進にまで響いてしまうという話だってある。子供は、絶対病気になる。特に小さい子は、かなり頻繁にいろんなものに感染してくるものだ。保育園に預けた一年目に、あまりにも病欠が多くて、「私は何にお金を払っているんだろう…」と愚痴っていた友人はいた。

 子供が熱がありますから、迎えに来てください…と言われたとき、なかなか男女平等に迎えに行くという家庭は少ない。大概「おかあさんが」いくことになるのだ。病気で機嫌悪く、こまめなケアが必要で、重症化するかどうか、見極めなければいけない子供を迎えに行くお父さん…というのはシングルでなければ、あんまり聞かない。お母さんに丸投げの父親は多いはずだ。

 まあ、そこのところを「パリテ婚」にするとしたら、今の状況では、お父さんの昇進は遅れる。昇進が遅れる=給料が高くならない、という即物的といえば即物的な問題があるので、しょうがない、「稼げる率が低い」お母さんの方が、休んだときの影響が少ないということからいって、お母さんが休む頻度が高いのが典型的だと思う。

 多分だけど、女性の方がたくさん稼いでくる家庭であれば、そういう非常時に休む方はお父さんになるのではないだろうか。まず、半休(有給の)とか、取らせてくれる職場は少ない。有給というのは「病欠」だの、「冠婚葬祭」だのに充てることになっているという習慣がある会社は多いからね…。

 男性だって、「妻子を養うのだからやめられない」というプレッシャーは大きい。少なくとも一人は、稼いでいないと困るから。そこも半分にすれば、プレッシャーが減っていいな、というのは確かに思う。でも、男女の賃金格差がある。同じ仕事をしても女性の方が7割程度しか稼げないというデータもあったはず。同じ時間働いて、7割の金額。効率悪いといえば悪い。ついでに子育ての時期に、帰らなきゃいけなかったり、時短だったりすると、7割もかせげないかもしれない。しょうがないや、10割稼げる人が、がんばってよ、ということになるからこーなってるんだよね…。

 まあ、結婚したらやめるんでしょう的な明文化されない、しかし誰もがそう思っているというような腰掛ルールがあったころとは違って、女性も産休育休とって、再就職が多くなってきたのはいいことだと思うし、男性の育休制度が整備されて、「可能になっただけ」でも20年、30年前とは違うというのもあるから、確かに進んでいないわけではない。みんなが公平に、そして便利に働けるようになるといいなあ、とこの記事を読んで思ったのだった。

 なかなか、一筋縄ではいかないよね、この問題は。

ブスは三日で…

そういや、昔から言われるのは聞いた。「美人は3日であきるが、ブスは3日でなれる」 まあこれは、絶世の美女ではない私たちが、美人がモテるなあ…やっぱり、結婚とかお付き合いとかは、なかなかねえ…という気分になるとき、「ま、そういう話もあることだしさ、きっといいひとがいるよねえ」ということのために出すもの…という認識があった。

 が、メディアが発達して、そこらじゅうの美男美女を画像なり、動画なりで見慣れてしまった昨今、この言い回しを出してから、「といっても、ブスにはまず、初日のチャンスがない」と付け加えるという、別バージョンがあるらしい。
 これは、「ただしイケメンに限る」という、どんな素敵な気配りの出来る人でも、イケメンでなかったら台無し…というような、希望を打ち砕く言い回しの女性版らしい。

 私たちの親から年上ぐらいの世代では、「結婚はするもの」という明文化されていないルールがあって、誰でも「それなり」に、つまり顔というものは、各人、自分の力ではどうにもならないものであるという了解の下、共同生活を営めるだけのコンパチビリティがあればそれでなんとか…というような最低ラインを設けて、結婚にこぎつけるというシステムが機能したらしい。

けれども、結婚しないという選択肢を取ることも出来るようになった昨今、「理想的な相手が現れないなら、結婚しなくても別に」という人が、たとえば、イケメンであるとか、美人であるとか…という条件を「必要条件」にしてしまうことによって、こういう言い回しが面白いと思われるようになったみたいだ。

 まあね…美男美女というのは、眺めるのにはいいと思う。いつ見たって、かっこいい人、美しい人というのはある。ただ、あまりにもわかりやすいために、そういう人を自分のものにしたい…と思う人は多いので、競争率は高いし、美男美女にも好みというものはあるから、やっぱり外見がいい人同士がくっつきやすいんだろうなあ…。

 ラッキーなことに、私の夫は相手を顔で選ぶ人ではなかったため、無事私は結婚出来たわけだけれど…でも、初日のチャンスもない…とかイケメンに限るとか、どこか違和感があるんだよねえ…。いや…私は夫のことをイケメンだと思っているけれども。そういう問題ではなくて。

 …多分、私は、世の中の人がこういうことを考えている人ばっかりではないと思いたいんだよね。だって、誰もが認めるような美男美女なんて、何パーセントいる?テレビに出てくるような人は、とびっきり、おもいっきり、セレクションが効いている。何千、何万人に1人クラス。まあ、100歩譲って学校一のハンサム、学校一の美女…クラスだとしても、数百人に1人。この「初日にすらたどりつけない」「イケメンに限る」だと、どうしようもないものね。

 結局、「そんなこと(つまり外見)なんか、気にしない人と」恋愛すればいいだけで。
なんか当たり前すぎる気がするけど…。まあね、ぱっと見た感じというのは、わかりやすいし、美男美女が「いい人」と思ってもらいやすい」という心理学の実験結果も聞いたことがある。「いいな」と思ってもらいやすいんだろうなあ…。

 それにしても、救いようのない蹴落としっぷりだよね…。こういう言い回しが流行ることによって、告白する勇気が減る人がいそうだなあ、と思う。それと、女は化粧でこう…だいぶ化けるという要素もないではないが、男性のほうは、そういうオプションないからねえ…。

 私だったら…私が今、20歳で、お付き合いとかするとすれば。正直、3日どころじゃない。もっと、もっと時間がいると思う。なんたって、外見がよくないんだから。 前提が間違ってるんだよねえ、これ。パッとみて選んでもらえるか…ということなら、この「初日のチャンスはない」これ、確かにそうだと思う。 男性側のことはよくわからないけれども、イケメンというだけで、女の子から声をかけるというのなら、確かに、「そうしたくなるぐらいハンサム」な男性なんて、一握りだ。

 で…選んでもらうとしたら、中身を見てもらわないといけないんだから、となると、「誰に見せるか」だよね。そしたら、ぱっと見て決めるタイプの人じゃない人にいくべきであって。 

…そうね、誰がじっくりと中身を見極めるタイプかということは、わかりにくいからね…。 難易度が高いってことか。外見だけで、判断する人は、私は好きではなかったからなあ…。でも、一目でさっさとカップル成立したら、楽ちんだろうというのは、わかる。
 一度、体験出来たら面白いのにね?美男美女になってさ。

 やっぱりこういう言い回しというのは、「あっはっは」と一回ウケて、終わりにしておくのがいいよ、きっと。

新築に住みたい?(この話題終了)

ブログをたくさん見ていると、本当に地方によって、いろいろなんだな、と思う。都内だと、頭金4000万円貯めて、ローン2000万円でも、35坪の日当りのいい家が買えないんですってよ!というか、「区による」らしいけど。今住んでいる町だと、選ぶ場所にもよるけど35坪で、日当りのいい家が、ローンなし現金で買えてしまうと思う。バスで駅まで行くのでもよければ、35坪なんて言わないでもっと広いのが買えると思う。もう1000万円上乗せしたら、駅のそばの豪華マンションだって買えると思う。うーん。地方に住んでいてよかったかも。
東京にお勤めの場合はそうなるのかもしれないけど、いくら東京の給料水準が高いといっても、人生に必要とされる金額が大きすぎではないのかな、と思う。私だったら…。お願いして、隣県から通勤してもらうと思う。一億円払って、35坪…。
子供の時住んでいた田舎の家のことを考えると…。都会って土地が高いんだね…。集落には、1000坪なんて敷地の家があったからね…。柿とか、栗とかが植えてあるの(笑)。
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 夫は30台でアメリカから帰ってきて、そのあとみつけた勤め先が実家にとても近かったので、同居させてもらっていた。実は夫の実家は、お義母さんが仕事を辞めてから建てたという、肝いりの注文住宅だった。
私たちが一部屋貸してもらっても、大丈夫だったのだ。

 義両親は、結婚してすぐ、中古の住宅を買ったのだそうで、それが夫が育った家。築浅の物件だったとは言うが、やっぱり中古なのは間違いがなかった。ローンももちろん返して、子供が大きくなり独立し…。義母は自分が働いた分をせっせと貯蓄して、義父の給料だけで生活をして…そして、近所の土地が売りに出されたのを機に、古い家と土地を売って、その売り出された土地を古い方をつまり「下取りに出し」、自分の貯金で買って、家を建ててしまった。

 私はその話を聞いたとき、ものすごいな…と思ったけれど、理由が「どうしても、新築に一度住みたかったから」というのがなんともかわいいというか…夫はそれを聞いて、「そういうことが、気になるのか…」ととても驚いたらしい。夫婦仲もよく、男女一人ずつの子供、義父も割といい金額を稼いでいたようで、夫の子供時代の話を聞くとうちよりずっとお金持ちな感じがするぐらいだから、絵にかいたような一家だっただろうに、60になって、仕事を辞めて、心残りが、「そこ」なんだ?というのは、義父にも実のところ、驚きがあったということだった。

 私たちはその、お義母さんの夢の家に、住まわせてもらったわけだ。その間に、家賃と生活費は払ってはいたが、やはり普通の賃貸よりぐっとお得にしてもらっていて、私たちはそこで、貯金をした。数年たって、夫が新しく仕事を決めたところが、やけに遠くだったため、引っ越しになって…。そのあとまた転勤して…。また転勤して…。そしてまた転勤して…

 「もう、多分転勤ないよ、短くてすぐ帰ってくるのでないやつはない(ちなみに、それがいまアメリカにいる理由)」と言われたときに落ち着いた先が、私たちが家を買うと決めた町だった、というわけだ。

 「ねー、うちのローンが20年なのは、なんで?」
 「組むとき、20代とか30代前半だったら、多分、35年ローンとか、30年ローンでいいんだと思うよ?」
…というのが答えだった。

 大体、60歳とか、65歳とか、そのぐらいで仕事を辞めるはずだと彼は思っていること。
 そのぐらいまでにローンが終わってる…ことを考えたら、20年か25年だったんだけど、20年のほうで、いけそうだと思ったらしい。

…とかいいつつ、7、8年で返すつもりみたいだけど。

 そのお義母さんの夢の家の話があるものだから、家を探している時、夫は私に、「やっぱり、新築にしておく?」と優しく聞いてくれたのだった。
私も、中古の方がお得なのはよーくわかっていた。「新築プレミア」という言葉もあるそうで、新築だからという上乗せ分があるんだとか。ドアを開けて、入居したとたん、価値が3割下がるみたいな話も聞いた。でも、私は自分の気持ちが、60歳になったとき、どうなっているのかが、ちょっとわからなかった。
「私も…一度は新築に住みたかった」って思うのかなあ…。なんせ、見た例が強烈すぎた。

 悩んでいたら、夫が、「じゃあ、新築にしてしまおう、これで後悔する要素はない!つまりは違いは金だけだから!」と言って、決めてくれた。金はあとからでも稼げるが、新築に住む機会は、なかなか手に入れにくい、という判断だったんだろう。

 40代でローンを組むののいいところは、頭金を貯めちゃっているので、審査が気楽なこと(頭金をたくさん入れると落ちにくいらしい)、短い分、利子が少ないこと。うちみたいに、子供が出来るのが遅かった場合は、こういうのもいいのではないかと思う。
20歳で結婚してすぐ子供を産んでいたら、40歳だと子供19歳。確かに、家からすぐ出ていきそうだ。
 
 確かにね…。子育て支援施設で一緒になったお母さんの中には、19歳で子供2歳とかいう人もいたもんね…。子供育てて18になっても、自分35歳とか…。それから、働きに出たり出来るよね…と、30台のママさんとしみじみしたものだった。人生設計はいろいろだなあ、と思う。
 
 家を買うのはやっぱり、なかなか簡単に出来る決断ではない。私は買ってよかった、と思っている。でも他の人生の要素と同じように、何を優先して、どれを優先しないのか…自分が、幸せだと思えるのは、どんなことか。そういうことなんだと思う。

 私も夫も、「家を選ぶのは、楽しかったし、買ってよかったと思う」というのは一致している。
仮に、買ってなかったら、どうしたかねえ?という話もしてみた。

 「それなりに、やって行けたと思うよ?だって、別に賃貸が多少不便でもね、あれは慣れるよ、住んでるうちに絶対慣れる」
あー。そうだよね。賃貸にもずいぶん住んだけど、狭ければ狭いなり、広ければ広いなりにどうにかなってしまうものだ。多少不便な間取りでも、住んでいるうちに違和感がなくなる。

 「でも、1つ前に住んでた賃貸覚えてる?あそこ、家賃12万だよ?あれだったら、マンションの方がいいと思わない?」

…そうなんだよ…。一つ前に住んでいたところは、ものすごい大急ぎで家を決めなきゃいけなかった。決まったのは急だし、赴任もぎりぎり、前から選んでおけなかったので、その時借りられる中から選んだ。なんていうか「余り」みたいな、人気のない物件。環境が悪いか、狭いか、高いか。(都会だと、12万円は高くはないだろうが、地方だとかなり高い)
 つまり選んだ賃貸は物件の質の割に「高かった」ということ。確かに12万円、あの家に払い続けて手元に何も残らないことを思えば、どうせ払うなら…。

 やっぱり、買ってよかったね。となって話は終わった。 
「まあ、俺らの親の時代と違って、ローン払い終わったら土地の価値が上がっている」という時代じゃないからね。自己満足で買うんだよ、なんて夫は笑っていたが、一度やってみたかったのは彼も同じ。二人でやった面白い一大イベントとして覚えておくことなんだと思う。

 これから家を買う人は、楽しめますように、と祈っておこう。私たちが楽しんだのと同じように。やっぱり家を買うのは、一大イベントだ。
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 この話題、夫婦の会話も増えて、面白かった。いろんな話も思い出せたし、頑張って貯金しようね、という話も出来たし、私も節約に励むモチベーションが上がった。楽しく、居心地よく過ごせる部屋。おいしい食事、仲良く話せる相手。 そしてお金をかけなくても楽しめる趣味(笑)。

 いろいろなネットの質問や、ブログを読みまくると、やっぱり堅実にいくのが一番。お金のかからない奥さんでいいんだ、ってこと。私がおしゃれじゃないのにも、メリットはあるってことだね!

家を買う話を読む

 人生のイベント…それも、「滅多にやらないイベント」の話は面白い。ママ友さんと話をして面白いのは、「初めて妊娠出産したときのこと」。印象が強いのと、初めてでわけがわからないのと、自分もやったという事実により、誰のを聞いても、かなり面白い妊娠出産エピソードが聞ける。

 これと同じなのが「家を買う」エピソード。まあ、親戚に大工さんがあって、リフォームが格安だったとか、親御さんが買った土地が余っていたので建てたとか、そういう「自分にはないな」という特殊な話をのぞいても、結構面白い話がネットにはある。

 普通の子育てブログ、家庭生活ブログの一部になっているようなやつは、なんとなく信ぴょう性があるような気がするのは、つまり家を建てている以外の全然関係ないことを、100個単位で日記にしているその手間がすごいから。きっと、「本当の体験談なんだろうな」と思わせる。それが「ブログが副業になって稼げる」と正直に書いてあっても、家を建てる以外の記事も楽しめるし、これだけ楽しい文章が読めるんだったら、稼げてもいいよねえ、と思える。

 今日出っくわしたブログは、最初は家を建てて損をした…というところからスタート。私小説のような感じで、ドラマチックに話は進んで、へー。確かにこれは大変…と思って読み進んだら、最後の方になって、家を建てるとき、やっぱり参考になるのは、こういうサイトです、というので、不動産関連の商業サイトへのリンクがばーーんと。

 あー。なんだ…。これはつまり、ここへ誘導するのに、多分この商業サイトがお金で雇ったライターさんが書いているんだな…という感じがした。ほかに記事があるわけでもないブログ。ちぇ…なんか騙された感じがする。確かに文章はうまかった。だって、全ストーリー読んじゃったもんね?

 でもなあ…ここで、あ、宣伝かあ…って見えちゃったら、台無しな気がする。体験談も、「そりゃ、こんなにひどい失敗する前に気づけよだし、都合よすぎる大団円も、確かに作り物くさい」と思えてきてしまう。もちろん、本当のことかもしれないよ?確かにこのサイトは役に立つのかもしれないよ。でも、やっぱり、面白くないというか、遊園地のヒーローショーのファスナーが見えたような感じで、面白くなかった。

 私がさんざん読んでしまったサイトも、作っているのかもしれないし、ブログで収入を得ていると書いてあったけれど、なんていうか、うまく、素人くささを残してあるところが、違うんだな…。あと、関係ない記事をたくさんいれて、「自分も、あなたたちのような普通の人の一人です」ということを見せるだけの手間をかけてるよね。タネも仕掛けも丸見えの手品みたいなことをしない、十分うまく、カムフラージュして、信じられるようにしてあれば、タネも仕掛けもあっていいのだ。つまりネットの文章はエンターテイメントなんだから。

 …まあ、ただで読んでる文章に、文句を言うのもなんだけどさ。
難しいところだよね、雇われたライターさんとしては。そこまで誘導できれば、後味というものは考えず、自分の仕事はここまで、なんだろうけど、って、あ、そうか。ライターさんは、文章1本で、お値段が決まっているんだから、そこまで書いたら終わりでいいんだよね。仕掛けが見えようと、空飛ぶウルトラマンがワイヤーでつられているのが丸見えだろうと、お客さんをその場に一回、連れて来ればおしまいでいいわけだ。

 ブログの人は、継続的に人を呼び込み続けなくては行けないから、いかに毎日来てもらうか、継続してもらうかがカギってことか。
お金を稼ぐって、難しいね。

 私は広告とかPVとかを気にしないで好きなことを書いているだけなので、いいんだけど、もし、ブログで、文章でお金を取ろうと思ったら…。気楽に直打ちとかしないで、エディタソフトで推敲とかするんだろうなあ。

 …とかいいつつ、また「家を買うコツ」とか検索語を入れて、また読みに行っちゃうのだけど。

 

お金がたまるコツってそんなにたくさんないかも?

私は、ここ最近、出かける用事もなく、子供は学校、夫は仕事、家事は朝に片づけてしまえば、大変暇。これが日本だと、お友達とランチとか、習い事とか、買い物に行ってぶらぶらするとか、図書館に行って本を借りるとかそういうことが自分で出来てしまうのだけれど、アメリカでは、夫が車に乗って出かけてしまうと、そういうことが一切、出来なくなってしまう。

 出かける先はネット!というわけで、私は、「うちのローンは気にしなくても大丈夫」な状態になっているということが分かったけれど、そういう記事を読み漁った。ブログにそういう情報を書いて、PV稼いで副業にしている人もいたりして、さすが、そういう人のブログは「稼げている」だけあって面白い。題名も、ちょっと読みたいな、とか、参考になるかな、と思えるようにつけてあったり、「確かに、自分ちでも出来るかもな」と思わせるようなものもあったりして、ついつい、何記事も読んでしまった。

 たばこや、お酒をやめ、なるべく貯金をしましょうとか、年収が少なくても、家は買えます…という記事を読んでいると、なるほどもっとも、そして…割とうちの夫もやっていることは、それほど違わない気がする。
 
 彼は、たばこを吸わない。お酒も、飲みにいかないし、家で飲むとしたら絶対、ビール350mlを1本でおしまい。なおかつ「毎日飲んだら、1カ月5000円だけど、2日に1回なら2500円だからねえ」といって、日本にいるときは、2日に1回に調整していた。ちなみに、今は酒税の関係で缶ビール1本100円切る(発泡酒じゃなくて、ビールでも)というのがあるので、毎日飲んでいるけど。

 そして、貯金を毎月している。銀行に振り込まれる給料を、そのまま一定額貯金に回すようなやつとか、一定の間隔で定期に入るようになってるとかそういうやつだったはず。 最初からないと思えば、人間何とかなるものよ…みたいなもので、大体昔真剣に貧乏だったので、割と「どうにか出来てしまう」ために、まあ…おかずに牛肉は出ないが、割と貯金していると思う。

追記:あとで、夫と話が出来るときに、貯金がどうなっているのか聞いたら、「ローンが順調なのはいいんだけど、繰り上げてるから貯金が少なくなってるんだよねえ…。頑張って貯めないと」と言っていたから、ローンが優先になっているっぽい。何か非常事態があったらどうするのか聞いたら、勤め先には、そういう時にお金を低利子で貸してくれる制度があるそうで、そっちのほうが利子が安いから、ローンを先に返す方がいいのだという説明だった。


 月初に、決まった額を下してその額で生活、なるべく銀行のお金に手を付けない。
これに関しては、日常使う金額、つまり「家計費」は、確かにそうしている。インフラ関係は全部引き落とし。そのほかの食費、服飾費、雑費、日用品費、習い事費、観光葬祭費、交際費、交通費、非常時以外の医療費…などは、一定の額が私が使う口座に入金されて、私はその額で1カ月のやりくりをする。使わない分は、次の月に繰り越し。ちなみに、テキトーに使うと、うっかり食費にかけすぎちゃったりするので、項目別に封筒にわけて、その用途以外にはなるべく使わないようにしている。 封筒にわける家計のマネジメントのやり方は、主婦向け雑誌なんかに出ているので、参考にした。封筒にたまる分が多くなって来たら、私が口座に戻す。

 ボーナスに頼らない。
 これに関しては、つまり「ボーナス払いを使うな」ということらしい。
つまり、ボーナスというのは、「出ないかもしれない」ことを念頭に入れておかないと、先にボーナス払いでーっといって、買い物をしてから、入ってこないとなったら、大変だから。 うちは、「ボーナスが出たら繰り上げ返済」。実は、ローンに「ボーナスのとき払う分」は設定されていないらしい。つまり年14回払いではなくて12回払い。ボーナスの分は「払えたらラッキー」で、なかったらまあ、しょうがないね、ということなのだとか。 だから、ボーナス出たら、これ買おうか、という話は、うちには全然ない(ちょっとさびしい)。

 稼ぐ額を増やしましょう。節約より、効率がいいです
 これに関しては、家を買う前のことになってしまうけれど、仕事の種類こそ同じだけれど、彼は勤め先を変えている。それでだいぶ給料の額が変わったらしい。まあ、これから、また彼が働きたいと思った場所が変わるのかもしれないけれど、今のところは「あがるほう」にしか変わっていないので、これも、いろいろ考えたんだろうなあ、と思う。まあ、私にはいつでも事後承諾だけど。

 年払い出来るものは、年払いで。
保険金とかで年払いにした方がちょっとお得になるものを、彼は年払いにしているらしい。月払いにしているつもりで積み立てておいて、年払いにして、余った分は、わーい。お得ー。ということになっていて、それで今日は外食なんだよ?と笑っていたことがあるから、楽しいことに使うために、そういうのもやってくれているらしい。…あ、でも、それだと楽しいけど、節約にはならないのか(笑)。
 もし、それを貯金に回せるなら、それは、こういう「お金を貯めるコツ」になるんだと思う。

変動金利より、固定金利で。
 ちなみに、これはローンを組むとき、夫に相談された。私たちは2人とも、金融関連とか、経済に関しては素人。正直金利が上がるか下がるか、円が上がるの、ドルが上がるの、株価がどうの、という話は「絶対、予想は無理」ということで意見は一致している。投資も、世の中には出来る人はいるのかもしれないが、「うちはもう、そういうもので大儲けはしないけど、大損もしない」という方針で、という合意があるので、利子も、「予想外の動きが出るかも、というリスクは取らない」という方向で、固定金利にした。
 まあ、利子が1%台だったというのもある。下がってもゼロまでだけれど、何かが起きて6%とかになったら、どうする??というのがあった。なんせ、若いときに家を買った友達には、利子が8%だったなんていう人もいるのだ。消費税と同じじゃんと侮るなかれ・・・・。金額が大きければ、8%でも、相当な額になる。

 こうやってみていると、お金がたまるように、またはローンが払えるように…というコツって、結構決まっているのかもしれないなあ、と思う。もしかして、彼もこういうブログとか、読んでいたりするのかもね。

労働を平等に?

うちは結局、共働きにはしなかった。結婚してしばらくアメリカで暮らして、帰ってきたとき、私の再就職の話もなかったわけではないのだけれども、「平等とは」「続けられる働き方とは」というようなことを話し合って、こういう形に落ち着いた。

 夫は、家事が、死ぬほど苦手。大学生になって家を出たときは「まかないつき下宿」に住んでいたぐらい料理が出来ず、掃除は歴代の彼女がしていたらしい。かろうじてコインランドリーと、クリーニングのどちらかを使うか…という見分けは可能で、スーツをコインランドリーにかけたことはなかったらしいが、普段着るようなものでも、ネットにいれたり、乾燥の温度を調整する…というようなことはまったく気にしていなかった。義母と同居したことはあるが、あれだけ器用で、何でもできて、まめなお義母さんなのに、どうしてこうなった…という感じだった。(あ、そうか、何でも出来たからこうなったのかも)

 彼は当時、アメリカでの仕事が終わってしまって、私の再就職と同時に、彼も求職中だった。彼は、「俺、稼ぐから。仕事なら掛け持ちも出来るし、二人が暮らせるだけいける。でも、家事はつらい」と言った。帰って、ごはんを作る…のはまず難しいし、食べた後の皿洗って、掃除して、洗濯をすると思うと、絶対いやになる。かといって、私が働きに行って帰ってきて、家事を全部やる…というのが不公平なのはわかる。だから、家にいて、家事をやって、ごはん作って待ってくれたら、その方が、俺にとっては絶対いいのだ、とまあ、こういう話だった。

 二人分の生活に、困らないだけ稼いでくるから。だから、家にいて、家事をやって…。と言われて、私は考えた。
 私は仕事が好きではない。私の職種は、「事務の人」。書類書いたり、電話取ったり、スケジュール管理したり、あとは備品や、消耗品の管理をしたり、出張費や交通費を使ったとき清算をやったり、果ては中小企業だったので、給料計算とかもやっていた。そういう、どこの会社でもいるような雑用係。まあ、女性の仕事としては私が学校を卒業して就職した頃だと「ありがち」な部類で、慣れてしまえば難しくはない。

 その仕事が大好きか?と聞かれると、「別に」としか答えようがなかった。私は結婚前も働いていたが、それは自分の生活を支えるためであって、毎日元気に働いてはいたし、今日もがんばろう、と出かけて、今日も無事終わった、よかったなあ。というのはあっても、それ以上の感慨はなく、無事生活が回っていくことに、安心と安定はあっても、目的意識とか、向上心とかがあったわけでもなく、やりがいとか、仕事に愛を感じるとか、そういうことは全くなかった。

 家に、いるのでもいい?…という夫の願いを、受け入れない理由もなかった。独身時代は外で気を使って、朝から夜まで働き、決算期にはサービス残業、手取り18万ぐらい?でも、正社員でそれで、再就職は「契約社員」のオファーが多かったから、金額は落ちるだろうという予想はついた。フルタイムで、福利厚生あって、10万円以上あれば、共働きなら、今の時点で問題ないだろうけど、派遣で、正社員と同じ仕事なのに給料が少なくて、福利厚生もあまりなく、挙句帰って全家事を彼のためにする体力、残るかな…。と思ったとき…。無理かも、と思った。子供を作るつもりはあったので、産休育休のことも考えると、正社員としての就職は確かに難しかった。私に「それでも雇いましょう」と言われるほどの特殊技能はなかった。

 ありていに言えば、私にとっては、家事の方が楽に決まっていた。彼には、やることすら考えたくもない労働ですごく大変でも、私にとっては「軽作業」の域を出ない。
「どうしても、俺が稼ぐ分で足りないとなったら、その時は「働いてください」と頼むから」
…というので、「ほんっとーーーにそれでいいのね?」と念を押して、この計画になった。

 まあ、そのあとすぐ妊娠が発覚して、話はもう、どっちにしろ私が働く話にはならなかったのだけれども、夫としては、「家事するぐらいだったら、仕事掛け持ちの方がまし」というのは、本当のようだった。彼は求職をしながら、アルバイトをいくつか掛け持ちして、手取りで20万とか25万円とか稼いでくれ、半年の間に見事、ちゃんとフルタイムの仕事を見つけてきてくれた。

 そして、おなかの中の赤ちゃんに、「お父さんは、稼ぐよ」と言ってくれた。
その約束は、今も変わらない。彼は私と、子供の生活する分をちゃんと稼いでくれ、なおかつ私が作る食事にお礼を言ってくれて、夕飯の片づけが終わったら、「今日も、皿洗ってくれてありがとう」と言ってくれる。

 世間的に見たら、夫だけが労力が大きいみたいに見えるだろうけれど、彼は今でも、「こっちの方がいい」と言ってくれる。
問題は、今はもう私は若くはないので、「お金足りないから、一緒に働いてくれない?」と言われたとき、就職先に困ること。
 キャリアというのは、稼いでくる金額とはまた別に積んでおく価値があると思う。ブランクが長すぎで雇ってもらえない現状を認識すると確かにそう思う。つまり、今、夫が倒れたりすると、突然ハードモードになるってこと。他のプランが出せないのが、問題。つまり共働きには「代替プランが出せる」というメリットがある。
 私はそれが出来ないから、頑張って、節約に励んでいるわけだけど(笑)。

 でも…。共働きで、仕事も家事も半分ずつだったら、ここまで仲良くやってこれていないかもしれないな、とも思う。
お互い、「自分が出来ないことを相手がやってくれていて、すばらしいな」と思ってやってこれたというのは、うれしいことだと思う。

 平等にやっていけるか…。これが、もし、夫の給料が3人で節約してもやっていけるほどなかったら、話はもっと違ってきていたのだと思う。まあ…そんなに給料が低い仕事…というのは、フルタイムじゃないかもしれないけど。

 結婚した当時にアメリカで暮らした頃は貧乏で、二人でたった一部屋で住んでいた。キッチンは、「キチネット」とかいうもので、つまり部屋に流し台と、調理コーナーがくっついているだけ、部屋のほとんどがベッドに占有され、彼の仕事はテーブルで。ごはんの時には全部どけて食べ、私は家にいるときには、ベッドの上にしか居場所がない、そんな部屋。デートは本屋や図書館や公園で、250円ぐらいの「お茶」が、デートの贅沢だった。服は破れるまで着た。ケータイはもうみんなが持っている時代だったが、私も彼も、ケータイは持っていなかった。それでも、幸せだった。図書館の本で十分だったし、二人で話す時間は今と同じに楽しかった。

 …でも、多分…。あのままだと子供は持てなかったかもしれないけど、案外それで、暮らせてしまったかもしれないという気がする。 

だとしたら、うちはやっぱり、家事は私、仕事は夫…というスタイルに落ち着いたんだろうなあ。

 今は、ずいぶん贅沢が出来るようになったなあ…。当時を思い出すと確かにそうだ。買い物をしながら、「アスパラガス高いな」とか思っても買ってしまうし、本当は必要がないお菓子とかも買うし、こないだ子供が愛読している本の新刊が出たときも、迷いもしないで買ったものね、1200円ぐらいしたけど。こないだ、家族で出かけて、おやつに買ってもらったミルクシェイク、私と子供の二人分でも、8ドルだった…。スターバックスの傘の下で飲む1ドル半の紅茶と、99セントの薄いコーヒーが、滅多にない「特別なデート」だったときのことを考えたら、ね。

 私も言おう。「いつも、お仕事ありがとう」って。絶対、彼は笑ってくれる。「いつも、おいしいごはんをありがとうね」って。

大統領選挙(追記あり)


今はどっちが当選するのかなあ…というぐらい。正直両陣営とも、ネタ切れになってきて、トランプの3代前の人が名前をドイツ風だったのから、今の名前に変えたが、正式に届を出したわけではない、とか、ヒラリーの知り合いが、投票システムの開発元の会社に勤めているとか、「そんなことを知ったとしてどうしろと」というような報道ばっかり。

 結果が開票されて、本決まりになったら、残りを書こう。
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…と書いて寝たけど、おいおい…トランプ勝っちゃったよ。うちでは夫子供含めてヒラリー押しだったので、がっくり。
ちなみに、小学生の息子のクラスでは、男子が全員トランプ応援、女子は全員ヒラリー応援で、息子がヒラリー押しなのは、「こっそり」だったそう。「性別戦争」みたいになっているのだということだった。

 わかりやすいトランプに、大衆がもってかれた…ということなんだろうな。でも、「無理だから」みたいな「生産をアメリカに取り戻す」とか「メキシコとの間に壁を作る(ただし負担はメキシコ)」とか、どうするんだろう、あれ。まあ、そんなこと言ってる間にごまかして4年終わっちゃう…というパターンかもしれんけど。頼むから2期はやめてよ、という感じだ。

 今すぐ、アメリカの生活には違いは出ない…と思うけど(オフィス入りは1月だし)、でも今回の選挙はほんっとデマなニュースが多かった。それも、報道会社…新聞社とかのサイトじゃないの。SNSを通じて回ってくるポスト。どっちの陣営のやつも、出所が不明のうわさみたいなやつが多くて、それをまた、信ぴょう性たっぷりに書いてあるもんだから、どれも読むたびにどれが本当なのかわからなくなって、ソースを探しにいくのだけど、見つからない…みたいなものが多くて、こういう接戦だったのは、ブッシュVSアル・ゴアの時も見たけど、選挙戦自体が変わってきているのを感じる。

 確かブッシュの時は、フロリダはリカウントになったんだけど、今回、どうなんだろう。不正という線は…トランプが負けてたら主張するつもりだったみたいだったけど…。
 
 ヒラリーはやらないだろうな…。しかしびっくりした。日本への影響となると、やっぱり関税とかか。「日米貿易摩擦」がまた出てきて・・・・。駐留軍隊も縮小、とかかな。しばらく円高だろうなあ。まあ、円高自体は旅行とかする時にはいいけどね。うちは株とかもやってないから、株価が下がるだろうけどそれほど目立って影響ないし、3月末には日本に帰るから、言うほど問題ないはず…だけど、人種差別…。それから性差別が「それもあり」みたいになってきて、荒れそうだな、アメリカ。

 上院下院、大統領が共和党で揃っちゃったし、最高裁はあのトランプの支持者が来るだろうし、マイノリティには住みにくい国になりそうだ。
 
 それと、非白人の大統領は、実現したけど、女性の大統領は実現しなかったね…。これはしばらく、無理かもしれないな。90年代は、子供用の雑誌なんかで「マイノリティの大統領と、女性の大統領、どっちが先だと思いますか」なんてアンケートしてたものだったけど。やっぱり、女性の中にも、「大統領は男性がいい」というひともいるのだろうな。

 アメリカ人の中には、「トランプが当選しても、実際働くのは周りの人なんだから、そうそうひどいことにはならない」と言っている人もいるんだけど、どうなんだろうなあ。副大統領は大変だと思うよ。手腕のある人であることを祈るけど…。
 自分の国ではない…ということに、ちょっとほっとする。

 まあ4年後、トランプがひどければ、ぐわっとリベラル寄りに傾くだろうな。
どこまでトランプが、自分で広げた大風呂敷を、回収(できるのか)、またはごまかすのか…。見どころと思うしかないな。
第三次世界大戦が起こりませんように(特に核兵器使用のやつが)。

私がこんなこというのもなんだけどさあ

働いてないで、家で専業主婦をやってる私が書くのもなんかな、と思うけど…でも。

過労死する人の話。これは、日本で、とても起きやすいみたい。
なぜか…と考えたとき、理由はいくつかある。

「断るのが苦手」な人が多い。
 そう…気配りの日本人。相手がどう思っているか、ということが、仕事のしやすさに絡んでくる環境もある。「仕事の出来」と「人間性は別」という切り分け方をしない人が多いので、人間関係が大事になりやすくて、そのために、自分の体調が悪くても、断りにくい…という感じになりやすい。

「同調圧力が強い」 自分の分が終わったらさっさと帰るねっ。という動きが、「あたりまえ」ではなく、それが「仕事がいい加減」だとか、「上司がまだ働いているのになってない」とか、「みんなが」働いているのに帰る…ということにすごく風当たりが強い。これ、適当に帰っちゃうと、「不真面目」みたいな評価がされることがあったりとか、「士気にかかわる」とか、何とかそういうふうになっちゃうのね。アメリカ人だったら、「自分の仕事が終わったら帰るね」で、まったく問題ない、という職場は多い。

「まじめで頑張る人が多い」
 これね…。どんな仕事でも、与えられたからには最高の結果を、みたいな追求があるからこそ、日本の商品は質が高い…ということもあるんだけどね?それはわかるんだけど、体、壊れるぐらいまでくると、どこか麻痺してくるんだよね。根性でがんばっちゃうというか…。理不尽なことでも、耐えているうちに、それがつらいことがわからなくなってくる。やめると絶対気づくんだけど…。

「一度仕事を辞めると不利に扱われることが多い」
 これがあるからこそ、みんなやめられないんだよねえ…。新卒で、勤めた会社を「少なくとも3年はやめるな」とか言われたりするし、「なぜやめたんですか」という質問も、次に就職するとき絶対されるし…。大体、「仕事の続かない人」という評価は、マイナスになりやすいんだよね。上昇志向があるとか、自分に合った仕事を探しているとか、たとえば大学で専門にやってきたことと、仕事のマッチングが悪かったので、今度はもっと得意分野に近いことを…とか、まあ、どんな理由でもいいけど、まず「やめた」ということ自体が、「仕事の評価」の一部になってしまうところが、きついと思う。

過労死…。死ぬぐらいなら、会社をやめたらいいのに…と思える人は、多分、そのいい加減というか、「自分が一番」という態度から言っても、古い体制の会社だと「変人」扱い。多分採用されない。「自分勝手」「気まま」といわれるのではないかと思う。
 または「外人みたい」とか、そういうことを言われるか…。さっさと帰ろうとすると、どうなるかというと、よけい仕事を積まれてしまうのだよね。「あ、じゃあ、これもやってよ」と。

 かくして、出来る人のところには、仕事が「回ってしまう」んだなこれが…。
そして、まじめに頑張る人は、それでも、こなしてしまうんだよね…なまじ、優秀なだけに。
 どこかで、限界が来て、そして体を壊し、精神を病み…。

 先月話題になった、電通の女性は、多分、上司が「仕事を大体一人分」しか、あてがっていなかったら、多分もうちょっといいスケジュールで家に帰れたと思う。優秀で、仕事が早く終わる。「じゃあこれもね」と言って、渡していたら、とてもじゃないけど一人分には多すぎ…という量になって、無理がだんだんたたってきて、つらくなってきたときに、回せなくなったんじゃないだろうかと思う。
 私は全然優秀じゃなかったから、そういうふうにはならなかったけれども…。でも、仕事場に、そういう同僚はいた。

 どこかで、開眼して、やめるにしても、「一年目でやめた」というのは、履歴書に、とても目立つように残るのだよね。特に「電通」みたいな、名の通ったところは。これが、まあ、小さい会社で、倒産しました!とかなら、話は別なんだけど。そういう大会社は「給料も、福利厚生もいい」というイメージがあるし、それでもやめた、となると、どうしても、やめた人に何か、問題があったのでは、と思われることが多いからね…。

 私の会社は「寿退社」は、「まあ、ありがち」という社風だったし、時代的に言っても「結婚して転勤についていって、退職しました」というのは、多分自己都合でやめる理由の中では、「一番マイナス評価が少ない」やめ方だ、という意識はあったと思う。次に就職活動をするとき、「なぜ、やめたんですか」といったとき、根掘り葉掘り聞かれにくい理由だという自覚はあった。

 だから、「いいや」とおもってやめたけれど、今の時代、終身雇用もないし、仕事を一度やめたら、次にもっといい仕事が見つかるとも限らないし、やっぱり「新卒から入る」のが一番条件がいい…というのは通説。

 電通の過労死事件の女性なんか、ものすごくもともと、優秀な人だったんだと思う。なんせ「電通」なんてとこへ入ろうというのだから、トップクラス間違いなし。大体私が出たような学校だったら資料請求すら、「記念資料請求」になるというような会社であって(笑)。多分、資料請求しても、切手封筒同封でも、私の出身校だったら資料なんか送ってこないと思う。

 きっと、どんな仕事をするにしても、いい成果が出せたと思う。無理さえ、させなければ。もったいないことを、と思う。
そして、こういう事件でも起こらない限り、注目されないけど…無理している人は、もっといそうだと思う。
 労働基準法、って何のためにあるんだろう、ほんと。せめて週に1日、全然仕事をやらない日があれば、違っただろうに…。

 自分の息子が、働くようになったとき…。どんな世の中になっているんだろう。私に似たら、まあ…気楽にやめてきそうではあるけど(笑)。そのとき、私は、「いいよ、死ぬよりましさ」と思ってやれるだろうか。やめない方がいいんだよ、とか思っちゃうってことは、やっぱり、私も、日本人らしい同調圧力と、根性論をもって、やってきたってことなんだろうけど、昔の終身雇用のころとは違う、給料も上がらない、家賃の補助とか、会社から家族ぐるみのケアがあるような時代じゃないんだってこと、覚えておかなくては、と思う。

北朝鮮のニュースを見ると思うこと

北朝鮮の話をネットで見るたびに、思い出す話がある。1960年代のこと、北朝鮮は、移住者を募っていたそうだ。「地上の楽園」と銘打って、誰もが平等に暮らせる社会だといって、その広告を信じて、日本人や、日本にそのころいた、韓国や、朝鮮籍の人たちが北朝鮮に渡ったらしい(朝鮮籍の人はつまり、「帰った」というのかな)。

 その時代は、日本にも共産化運動みたいなのがあったころで、全員が平等に働き、給料をもらい、誰が金持ち、誰が貧乏ということもなく、全員が同じにいい生活ができます…というようなことを言っていたらしい(これは、私の父から聞いた話)。

 私の父親は、田舎から出てきた、家を継げない次男坊というやつで、会社員になっていたのだが、会社の利益を全員平等にわけてくれるというのは、いい話かなあ、と思って集会を、一度見に行ったことがあったらしい。

 そのあと、その共産化運動に傾倒して、熱心に参加している同じ会社の人に、「お前らなんか、共産党の世の中になったら、二級市民なんだからな」…と、お酒に酔ったときに言われて、そんな区別があるのなら、平等なわけないよな、なんじゃそら。と思って、一気に興味が失せたそうだ。

 大体、社会主義を通そうとして、かなり大規模にやってみた、ソ連だって、だめだった、というのがわかってるし、人間は、働きに応じてでなく、全員平等に、働いても働かなくても給料くれる、となったら、それほど熱心に追及する人がなくなるのが当たり前なので、生産性が下がる…ということもあるし、やっぱり、共産主義というのは、なかなか、理想としてはありでも、実践は全員の顔が見えるぐらい、かなり小規模でないと、無理じゃないのかなあ、と思う。

 まあ、これは私が資本主義のもと、育ったということもあるのだろうけどね。大体、今私が働くとすれば、「働いた分よりたくさん」もらえるタイプの人になるだろうと思う。あんまり仕事する能力ないしね。割と簡単で、誰でも出来る仕事を、それなりにこなして帰ってくる…。そして、ぎりぎり暮らせる給料もらって、案外いけそう?…という気がするから、多分、渡航した人がいるんだろうな。

 自分が、高い専門性を持ち、うんと働いて、給料は他の人と一緒だったら…。こういう人は多分、「頭脳流出」みたいに、国外に行ってしまうんだろうなあ。
 
 全員平等、ってやっぱり、難しいと思う。専門性のある仕事というのは、やっぱりあるし、そういう人には、教育する費用と、時間だってうんとかかっているんだから、高い給料でも、「あり」だと思う。

 きっと、専門性のあんまりないころ…。中世は、と思ったけど、すでに中世でも、もう分業はあったというしな。。。となると、もっと前か。やっぱり、自給自足の世の中…ぐらい前になったら、共産「するしかなかった」んだろうし、ある程度コミュニティの中では、共産主義っぽくなったのかもしれないけど。

 共産主義を提唱した人を、そのぐらい前にタイムマシンで送ったら、面白かったかもなあ…。きっと、「これぞ、理想社会」と思ったに違いない。

STAP細胞

【STAP細胞はあった】というニュース記事が、SNSでシェアされていたので読んだ。これで、同じ手順を踏んで、いろいろな大学がこれを実験して、「同じようになった」という論文が増えたら、つまり、STAP細胞の実験は、捏造とかじゃあなくて、少なくとも「やり方によっては」うまくいく…ということ、つまり、あの小保方さんの説は支持される、ということになる。

 商店街の洋品店で売っているサロンエプロンさえ、「かっぽうぎあります」なんて張り紙がされていたぐらい、あのころの小保方さんブームはすごかった。女性が、そういう分野で活躍しているニュースは少ないから、理系女子が増えるという効果も見込めるし、いい話だよなー。と思っていた後にあの捏造か、という話がでて、わけのわからないうちに関係者の自殺だの、なんだのまであって、全部話が終わって、実験も功績も全部なかったことみたいになっていて、じゃあ、あの「ネイチャー」みたいな伝統と権威と、信頼性をしょったものに「なぜ掲載されてしまったのか」というようなことも全くわからないままに終わって、後味が悪い感じだったので、これが本当なら、本当にいいな、と思う。

 ドイツの大学で、雇ってもらえたというのもよかったと思うし、そこで実験やって、うまくいって、この話が「ほかの人がやってもうまくいきます」という話になれば、ちゃんと、小保方さんは、汚名返上して、研究をもっともっと出来るようになる。ノーベル賞とか、そういうのだって20年、30年すりゃ、もらえるぐらいすごいことになるかもしれないものね。

 どんな事情とか、陰謀とかが日本の研究室にあったのか、とかは全然わからない。あったのか、なかったのかも。でも、その話を「なかったこと」にしようと思ったら、やっぱり立派な研究成果を、出さないといけないってことなんだろうね。大変なことだろうけど…。素晴らしい研究成果が出ますように。

もしもアメリカ人だったら

私のアメリカ滞在というのは、あくまで一時的で、1年という年限もあるから、アメリカの大統領選挙は、高みの見物みたいなところもある。大体、投票権がないのもあるし。

 でも、「もし…だったら」ということで考えてみた。もし、私がアメリカ人であるか、または、ずっとアメリカに住むつもりでこの選挙を見ていたとしたら。

 大体、移民や、有色人種…特に黒人(アメリカではアフリカン・アメリカンと呼ぶものとされる)に、差別的な発言を繰り返すトランプは、大統領になるのは、ちょっと…と思う。何が起きるか、すごい事件が急に起こるのではないのだけれども、傾向としてなんとなく、方向性が見える気がするからだ。

 法の下の平等、なんていうものを高らかに宣言しないといけない…ぐらいに、差別は70年代まではひどかった。雇用にも、学校にも、日常生活にも、皮膚の色で差別はあったから、「市民権運動」が起こり、アメリカは法の下に皮膚の色で差別をしてはならない…というルールができたわけだ。「平等、しかし、区別される」という名目上の平等が「違法」とされた。

 そのころから40年たったいまでも、差別を目にする耳にすることはある。私は、それを「しょうがないなあ」と思っているし、大体自分は「外人」だし、私は日本に帰れば差別されない環境があるのだから、と思ってやっていけるわけだ。 

 例えば、免許証をチェック、と言って検問した警官が、免許証を出そうとした黒人男性を、銃を出そうとしたと早合点して、撃ち殺した事件なんて言うのが起きたら、裁判になる。その時、最高裁とかで争うとしたら…。この、最高裁の裁判官が、「トランプが指名した人」になる。それが、トランプが大統領になるということの効果で、あの人種差別的過激発言をするトランプの支持者=人種差別的な人が、来てしまうことになる。

 白人に有利な判決が出やすい、という批判は、今までにもあった。それに拍車がかかりそう、という懸念がある。今も、「不当に扱われている」と思っている人たちがいて、確かにひどい事件もあって、デモ行進で済めばいいけれども、こういう事件が起こり続けて、そういう白人優先がクローズアップされたとき…実際に、黒人の犯罪率は高いのかもしれない。でも、そんなことまでは、拡散されない。みんながわかるのは、黒人の方が、ずっと人数が少ないのに、警官に撃ち殺される人は、黒人の方がかなり多いということだけ。全員扱いが悪いなら我慢できるが、不公平」な扱いの方がいやだと思う人は多いものだ。

 私みたいな、一時在住の外国人なら、「もう、不当な扱いはいやだから、帰ろう」とおもえるけれど、アメリカ生まれのアメリカ人だったら…。そんな「二級市民」みたいに扱われることに、不満がたまる。法治国家における正当な方法、つまり裁判とか…が、人種差別ありき…の裁判官に牛耳られることになれば、あとは不満を持っていく先は、「人権運動」とかになるわけで、アメリカは銃も持っている人が多いから、あっという間に暴動に発展。人が死ぬような…。多分、貧しい地域から、順番に、暴動が起き、治安が悪くなり、犯罪率が上がり…

これは、今もそういう感じになってきてしまっているのだけれど、 犯罪率が上がった地域では、さらに警官が発砲する事件が増え、(警官も人の子、やっぱり撃たれるのは怖いから、先に発砲するケースが増える)余計悪循環に…。70年代は、新聞雑誌で済んだけれども、今じゃネットもあるし、動画撮影も簡単だ。さっき書いた検問でいきなり撃ち殺された事件は、同乗していた人が動画に一部始終を撮っていたので、拡散され、さすがの警察も言い逃れができなかった。


 そういう事件が起きる頻度が増えると、野火のように人権運動と、それが燃え上がった暴動が広がり…。それがいやなら、とても地価の高い、お金持ちのエリアに住むしかなくなる。貧乏人は、危なくても我慢しろ。いやなら、頑張って成功しろ。平等なんだから。

 殺伐とした世界。人種間の軋轢から、その距離は広がり、住む環境に差が出て、経済格差から、教育程度に差が出る、という、つまり70年代に逆戻りという感じになるのではないか…という気がする。暴動が起こりそうな環境に誰が住みたいだろうか。

 そこに、「もう背水の陣」と思って出てきた移民、つまり「もう帰るところはない」と思い定めて祖国を出てきた、移民がどっさり加わる。貧しく、政治に不満があり、教育程度が低いために正当な方法よりも、手っ取り早く直接的な方法を選んでいく「市民」が増えたら・・・・。
アメリカは、本当に、安全に暮らしにくい国になると思う。
だから、トランプよりはヒラリーのほうがましだと思うんだよね。これは、政治や外交の話じゃなくて、「暮らし向き」の話なのだ。

政治の話をするとすれば、トランプを支持する人たちは、「既得権益重視」、今、有利な条件を持っている人がお得になる政治を望んでいるということだ。それが、白人層、または裕福な人たち。または「移民に雇用を奪われると信じている無職になりやすい人たち」。でもさー。思うんだけど…。移民や、貧しい黒人層がつく仕事というのは、日本でいうと3K労働なんだよね…。 それさ…今でも募集あるのよ?でも、「そんな仕事に就くぐらいなら、無職でwelfareのほうがいい」という白人の低学歴層が、まあ…今のトランプの支持者の若年層なわけで。(ちなみに、中年壮年老年層は、既得権益を取られたくない人)雇用が本当に、外国に取られるのがいや…というのは、「貿易」というのがある以上、無意味。国内だけで、物事を済ませようというのなら、アメリカ人はものすごい高い製品を買うことになるか、アメリカ人の賃金ががくっと下がるか…単純にいうと、大体この2択になるわけ…なんてこと、考える力がなければ、「外国に損をさせられるアメリカ」というイメージ戦略に騙されて見えてないんじゃないか、と思う。


トランプは、わかりやすすぎる。たとえば、人種差別的なことをまったく言わず、黙っておければ、絶対もっと人気が出ただろうと思う。もしかしたら本当に当選ということだって…。そうしたら、どんな政策であろうと、傾きであろうと、国民は黙っておくしかなかったのだものね。

…割とバカそうな、ああいう発言で、国民の何割かに考えさせることになったので、それはそれでいいのか。アメリカ人は、どんな結論にたどりつくのだろう。怖いような、楽しみなような。

避難訓練って…。

 トイレの便器の上に、立っているちっちゃい女の子の写真が、シェアされていた。普通の、家のトイレで、やれやれ…子供ってねえ。と思うような写真だ。そういうかわいい写真は、SNSではあっちこっちでシェアされる。トイレットペーパーをガラガラーーーっってやって、半分埋まっている赤ちゃんとか、誕生日に、ケーキを手で食べてベッタベタのチョコレートだらけになった子とか。

 ただ、今回のこの便器の上に立つ子供の写真のシェアは、実はそんな話じゃなかった…という。

 これは、保育園でやる「避難訓練」の真似だったらしい。銃乱射事件が起きたとき、逃げて、トイレに隠れて、便器の上に立つと見つかりにくい。この動きを子供に覚えさせる避難訓練。

 日本人には、ちょっとわかりにくいかもしれない。日本の公衆トイレは、ドアの一番下と、床の隙間は数センチ。昔、田舎の小学校の鍵の壊れたトイレで、トイレの使用中には、友達にドアの下に足を引っかけて閉めてもらうという技があったから、少なくとも足の甲が入るぐらいの隙間はあるだろうが、その程度。多分、和式トイレのことを考えれば、外から見えないようにするには、そのぐらいの低さまでドアがいる。それが当たり前になっている状態で、洋式トイレを導入したので、いまだにドアの下の隙間は、あっても、10センチ…もないよね。 まあ、だから小さい子がうっかり鍵をかけてしまった時は大変だ。開けられないし泣いてるし、消防署が出動するような騒ぎになるし、中で何かあっても全然わからない。

 アメリカは、トイレの使用状態は必ず座ってなので、30cmぐらい、見えちゃっても平気なわけだ。150センチ台の私が座ったら足がぶらぶらする便器もあることを思うと、大体私の膝ぐらいまでは、ドアと床の間に隙間があることも。そうすると、外を歩くと、誰かが中に隠れているのが見える。 まあ、こうなると、子供が閉めこまれるという事故は起きない。ちっちゃい子だったら、しゃがんでくぐれば出られるからね。おかーさーん。とトイレ中の親御さんが入っているトイレに入れちゃうというのもある。
 
 これは実は隠れるのには向かない。足が、膝まで見えるわけだから、誰かが入っているのがよくわかる。隠れるためには、見られるのを避けるために、便器の上に立つのがいい。そうすると、ぱっと見は、誰もいないように見える、静かにしていれば…ばれないかも…。

 …というのが、この避難訓練。地震のでも、火事のでも、ハリケーンのでもない。学校が、幼稚園が、保育園が銃を持った人に襲われたときの、訓練。

 アメリカは豊かで、いろいろ進んだ国かもしれない。でも、こういうのを見ると、なかなか、これと引き換えにしたいものというのは、ないのではないかなと思う。もちろん日本でも教える。「知らない人についていっては、いけませんよ」それに、防犯ブザーも持たせる。「暗くならないうちに、帰りましょう」と5時には役所で鐘が鳴る街も多い。
 女の子なら、ある程度の年齢になったら、電車で痴漢に遭ったら…というような注意もしなくてはならない。

 でも…3歳児が、こんな訓練をしなきゃいけないというのは、なんとも言えないなあ…という気分になる。

 アメリカでも、銃の規制がもっと本格的にあったほうがいいんじゃないの?と思うのは、こんな時だ。なかなか難しいのはわかるけどね。

だんだんマヒしてくるもの

 アメリカで暮らしている期間が長くなるにしたがって、最初は「!!!」と思ったものも、素通り出来るようになる。それは、何か…というと「銃売り場」。

 銃を持ち、武装する権利が法律で認められているアメリカでは、もちろん銃を売るのだって合法だ。だから、スポーツとしての「射撃」とか「狩猟」とかも、ポピュラー。狩猟は「スポーツ」で、つまりバス釣りとかと同じで「獲物を狩る」からだろう、ライフルを売っているのはスポーツ用品売り場。空気銃ではなくて、金属の弾が出る、本物だ。安い奴は1万円前後、1万5千円出せば買える。

 もちろんこれは「スポーツ用」。弾のサイズは直径数ミリで、まあこれで人を殺そうと思ったら相当、打ち込まないとだめで、こういうもので生き物を狩るとしたら、リス、うさぎ、ウズラ…みたいな小動物。昔は「夕飯」を自分で取ってくる…というのだって
あったのだから、これはこれで、役にたったはずだ。

 これが、「子供用」があるんだな…。プラスチックで、青やピンクの【マイ・ファースト・ライフル】

 この「My first なんとか」というのは、子供用品にはすごくありがちなフレーズで、アメリカの子供のあこがれと言えばまず「My first Pony」。アメリカでは「家ではなかなか買ってもらえないけどほしいペット」のトップはポニー。乗るやつね。そりゃ、小さいとはいえ、馬。高いし大きいし、世話が大変。そりゃ買ってもらえる子供はうんと少ない。だから、「ポニーの人形」が人気がある(リカちゃんや、バービーみたいに着飾らせてお世話して遊ぶ)。「My first Bible」だの、「My first ABC」だの題名が付いた絵本もあるし、昔ソニーが「My first Sony」と名付けたカラフルなラジカセを売っていたこともあった。

 自転車にも、My first bikeもあるし、クレヨンやトランポリンや、お人形や…ともかく子供が使いそうな文房具やおもちゃには、たいていこのフレーズが付いたものがある…がしかし、「ライフル」と、My firstというこの二つが、くっつくのがアメリカだよな…と思う。

 このマイファーストライフルは、もちろん一回に1つしか、弾が出ないので連射は出来ない。こういうもので狩れる何かは、銃を向けなくても人間から逃げるようなものばっかり…または、「射撃」で生物でない的を撃つことを前提。こういう、小さい射撃用を「脅威」とみなす人は少ないので(それでも子供が、子供を撃って死なせる事故があるけど)子供用プレゼントにする人がいるわけだ。推奨年齢は8歳からだが、誤射しているのは、4歳とか、6歳とか、推奨年齢よりずっと小さいのが、うわぁ…ってなるけど。子供にとっては、おもちゃにしか、みえないよね…。ピンクのプラスチックの、こんなのが部屋に転がってたら、見かけだけならゲーム機用のガンコントローラといい勝負だ。

 今、そんな銃社会のアメリカで「規制の対象にしたらどうか」と言われているのは、連射の出来るライフル。一人でそれほど長くない時間、三分ぐらいで何十人も負傷、またはが死ぬみたいなことになるもの。こういう銃は、2014年まで、軍隊にしか売らないことになっていた。個人向けがなかったわけだ。軍隊でこういうのを訓練で撃ったことがある人がいて(たぶんかなり人数はいたはず)、2004年から2014年まで、期限付きで規制する法律があったのが、失効して、最近はこういう銃が一般向けに販売できるようになった。

 こんなものを「必要」とするのは、戦場にいる人だけじゃないのか…と思うのだけれど、銃を撃つのを趣味にしている人がいるのがアメリカ、「こういうのがいい」と思って買ってしまう人も出る。儲かれば売るのが商売の鉄則、これがものすごーーーく売れたらしい。

 で…乱射事件を起こした人が、「元軍人」だったりすると訓練されているだけに、ものすごいヒット率、もちろんゲームじゃないので、的は本物の人間だったから、大惨事…という事件が起こっているわけで。

 これが、一発撃って、ロード、一発撃って、ロード…というタイプの銃なら、目隠しして並んでいる18世紀ロシアの処刑場ならともかく、瞬く間に50人なんて無理なので、こういう大惨事は避けられるだろうから、というのが、規制したほうがいい、という人の意見なわけだ。大量殺戮可能な武器の抑制。

 銃規制が来て困るのは銃を作っている人と、銃の愛好家。この二種類の人の集まりが、「NRA」(全国ライフル協会と訳せばいいかな)という団体で、銃を規制されたら困るので、「殺傷力の高い銃を規制」したいヒラリー+オバマ陣営と対抗する、トランプの支持をして、お金を出している。

 どんな銃をもってしてでも、武装する権利を保障するとトランプは言う。もちろん丸腰の市民vsテロリストみたいな話はいやだと思うアメリカ人が多いのはわかる。でも…正直、全員武装していたら、テロリストに撃ち返せるというのは、理論上可能でも、よっぽど訓練された軍人ならともかく、いきなり夜にお酒飲んでるお店に入ってきて乱射する犯人に、自分も弾幕に身をさらしながら撃ち返せるのか?…と言われると、ねえ。

 「犯人も、自分も」持っていない。こっちのほうが断然安全なのを日本人の私は知っているからなあ…。全員武装していないと、いつ撃たれるかわからない社会に、アメリカ人は住みたいだろうか。「全員武装していれば、テロは防げた」…全員が、軍人ならね…。多分。

 全員徴兵のあるスイス人とかなら、まあ…どの大人も訓練されていると仮定すれば、、ありかもしれないけど…。それでも、やっぱり無理だと思うなあ。テロの命は意外性だから。「今から撃ちますからねーっ!」といって始めるテロはない。ちょっと聞いただけなら、「全員武装すれば、テロリストに勝てる」というのは正しく聞こえるけど、実のところは、そうじゃないんだよね…。

 家を出る時に銃をかついでさあ出発、ってどこの北斗の拳だ…と思う。北斗の拳という漫画は、核戦争で文明社会が滅び、人々が細々と生き残って、群雄割拠し、強いものが弱いものを踏みつけにする世界を、強くて優しい正義の味方がやっつけていくストーリー、つまり…弱いものは強いものに従え、または強くて乱暴な相手に襲われたら、返り討ちにしろ、というような世界の物語だった。

 トランプのいう「強いアメリカ」は、そういう世界に見えてくる。ショッピングセンターで乱射事件が起きたとき撃ち返せるように…と連射ライフルをお父さんがしょっていかなくてはならない日曜日。

「下の子を抱っこひもでだっこして、上の子の手を私がつなぐから、あなた、ライフル持ってね。途中で足りなくならないように、弾帯ベスト着ていってよ?スコープはこないだ割れたから、取り換えといたから。子供がぐずっても、防弾ベスト、脱がせないでよ!逃げ回るのに、着せるの大変なんだから!」

…いやだよね、やっぱり。

イチロー選手

イチローには、本当にお世話になっている。
 もちろん、私はイチロー選手とは、全く面識がない。が、アメリカに住んだことのある日本人は、全員、イチローに世話になっていると言ってもいいと思う。

 イチローが出てくるまで、多分アメリカで一番有名な日本人は、ジョン・レノンの奥さんの、ヨーコ・オノ。といっても、この場合有名なのは旦那さんのほうであって、奥さんにももちろん活躍の歴史はあるのだけれど、90年代にはあんまり詳しいことを知っているアメリカ人はいなかったと思う。「ああ、ジョンレノンの奥さんが、日本人だねえ」程度。

 イチローも、もちろん渡米してメジャーリーグに入ると聞いたときには、日本人はみんな「おおおー」と思ったが、メジャーリーグではもちろん無名だった。スポーツ選手とはいえ、イチローはアジア人、体格は6フィートにも満たず、マッチョにも見えず、人種差別も入って、ずいぶんな酷評ぶり…だったのは最初だけ。

 イチローは、だまーって、安打を量産し、盗塁をしまくり、挙句守備で、無理そうなボールを取って投げ返すその剛速球のコントロールのいいことったら…。「レーザービーム」と呼ばれていたのは、覚えている人も多いだろう。「スターウォーズの映画のよう」って一体何と比べてるの?という評価も聞いたことがある。

 人種差別主義者が黙らざるを得ないぐらい、活躍した。アジア人が白人にかなわないなんて、イチローを見れば、酔っていても言えないぐらいだった。彼はその年、首位打者になったからね…。四捨五入したら4割?と思うぐらい打ったし、スポーツに全然興味がない私も、野球のニュースだけはみたぐらいだ。打つだけじゃない、「外野手がキャッチするところを楽しみに見る」なんて野球は、イチローがいなかったときには、なかったものだと野球ファンの友達は言っていたっけ。「昨日の、イチローのプレイみた?」まず、野球好きの話題はこうだった。

 当時は私たちが日本人とみると、「イチローのファンだ」とか、「イチローは日本人だろう、彼はすごいな!」と、話題にしてくれる人が多くなった。日本人のイメージが、メガネ、出っ歯、首にカメラのカリカチュアされた、ドラマに出てくるヘンテコなおじぎをする日本人ではなく、「イチロー」に書き換わったのだ。イメージアップ、それも大アップだった。

 それと、スポーツ好きの男性だけでなく、子育てしている年齢層の人たちにも、彼はものすごく感謝されていた。彼は「クリーン」だったから。つまり、薬物と縁がなかったということだ。実はアメリカのスポーツ選手というのは、薬物疑惑のある人が、うんと多い。ドーピング疑惑だけでなく、麻薬とか、覚せい剤とかそっち系。アメリカでは、金の力は正義で、「お金持ちになりたい」「金の稼げる仕事に就きたい」もう、赤裸々に公言するものであって、「やりがいのある仕事に」も「人の役に立つ仕事に」もなにも、「儲からない仕事の、何がいいわけ?」という風潮がある。単純な子供(特に小学生男児)だとなおのこと。スポーツ選手は、年間何億円も稼ぐのであるから、素晴らしいと称賛されるし、あこがれる子供も多い。

 けれども、薬物疑惑で逮捕とかになると、「彼のように、なれるといいわね」とは、なかなか言えないものだ。金は儲かるほうがいいが、薬物はやっぱり困る。ゴシップ雑誌の根拠なんかない噂話であろうとなんとなくいやなものだ。でも、イチローには、そういう話は、まったくなかった。安心して、「イチローみたいに、なれたらいいわね」と言えた。 

 体格が小さい子供にも、「イチローを見なさい、彼は、小さくても(アメリカ基準だと6フィートないからスポーツ選手としては最小クラス)ああだよ?トレーニングで、一流になれるんだ」と言えた。彼は、準備に余念なく、あれだけ活躍する一流選手だというのにトレーニングを欠かさない。オフシーズンであろうと、ストレッチをし、筋トレ、ランニング…。基礎練習をやるわけだ。試合があるときも、早く来てそういうことをやるのがすごいと報道されていた。(ほかの選手は、そういう風に毎日やる人はいなかったらしい)

 子供のお手本に、ものすごく「いい」。努力と、一流でもそれを維持する力。簡単に稼げる金というものはない、自分の持っているものを使って、一生懸命やろうね?というのを教えたい人は多い。
「彼は、本当にすばらしいと思う、子供がロールモデルにするのに、どれだけありがたいか」というお母さんたちを私は何人も見た。彼が日本人だから、私との話題に出してくれるという要素はあるにしても、「カッコよく活躍して、有名で、裕福で、そして努力をする」この要素がそろったイチローは絶賛間違いなしだった。

 乱暴な言葉遣いをあまりしないし、下品なことも(それほど)言わないし、唾を吐いたり、ガムをかんだりしながらインタビューに答えないし、言葉少なに、ちょっとイイことを言うのが、またいい。イチローの本が英語でもどっさり出ている。8月に出た本の題名なんかすごいよ?「Ichiro Suzuki--Baseball's Most valuable player」(野球史上最高のプレイヤー)とか。子供用の伝記もあるし、【絵本】の題材にもなっている。あと、【彼をインタビューして、言葉を集めた本】なんかも出版された。彼は「ZEN」だ(禅のことらしい。東洋の神秘みたいなもので、わびさびとか、渋さとか、ああいう感じのことで、イメージがすごくよくて、あこがれる人が多い言葉)と言われている。

 いいよなあ、イチロー選手…。かっこいいよな…。そしてアメリカに住んでいると、日本人としてのアイデンティティを持ったまま、活躍してくれるイチローが、本当にありがたいな、と思う。いまだに、日本人がドラマに出てくるときには、「ぼわーん」と銅鑼の音がするんだけど(日本でも中国の人が出るときにはそうなることがあるよね)、これが「カキーン」とか、バットの音になると面白いのにな、と今思った。

 野球選手としては、40代で、相当な年齢だということだけど、まだまだ、伝説を作ってほしいと思う。

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    まこ

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