LuckyDuckyDiary

いらっしゃいませ。毎朝6時には更新します。さっくり読んでいってください。コメントくださった方はリンクさせてください、相互リンク歓迎、リンクがダメな方は連絡お願いします。

自分の考えてること。

自分が頭の中に考えていることって、幅が決まっている。
子供の頃から、「人の気持になって考えなさい」とか、「色々な角度から物事は見なさい」とか、そういうようなことを言われてくるけれども、正直…その教えというのは、無駄に終わったな、と思う。

なんせ、全部「自分がそうしたつもり」の域を出ないから。
「多分、相手はこう考えてる」はず、であり、「他の角度から見たら、こうなってる」はず。でも、それが…。全然「当たり」じゃなかったならば、これは、一体…。まあ全部は外れないとしよう。大人の常識というあたりに納まるものもあるはずだ。でも、どんなに言われても、わかんないものは、わかんない…と言いたくなる時がある。

ただ、わからないだけならまだいい。でも、相手がそれにいらだつとか、私がそれに焦燥感を覚えるとか…となると、なんだか混乱してくるのだった。「人に理解された」と感じることに、喜びを覚える人は、とても多いそうだけれど、わかってくれないということに、がっくりきて、そして「どうしてわかってくれないんだろう」と、怒りにも似た感情が相手に湧き上がるとき…。私はどうしていいか、わからなくなる。

ただ、単純に、わからないだけなの。あなたを苦しめようとか、問題を大きくしようとか、思っているわけではないの。でも…本当に、本当に限界がある。考えたらわかるはず、と言われることが、つらい。

なぜなら、「何を考えたらいいのか」すら、わからないから。多分…私は「感じて」いるだけで、考えているのではない。開き直りだと言われても、投げだすのは、いい態度ではない、と言われても、どこから、何を考えたらいいのかすら、わからない。
今までの人生で、「感じたことに対処して」来て問題が起きなかった。自分では考えているのだと思っていた。でも…そうじゃなかったのかもしれない。でも、今…。私の頭には、何も浮かばない。

突然…。相手の不興を買うのは、痛いものだ。そして、その原因がどうにも…相手は「私がどうにかするべきで、それが当然」と思っていて、私には「わからなさすぎて対処法不明」のときは、本当に困る。相手と仲良くしていたいときは、余計に。

これを、夫には、甘やかしてもらってやってきたからなのか…まあ、彼は私にそんな小難しいことを求めない。私には無理だな、とさっさと見切りをつけている。

相手に買いかぶられているというか、「出来るはず」と思われているのは、私の能力を高く買っているということなんだろうけど…。
どこにも、グチに出せるところがないので、こんなところで、私はブツブツとつぶやいているのだった。
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同じ方向へ曲がる

割と、怖がりな方だ。

失敗は出来るならしないほうがいいと思うし、人からは悪く思われたくないし、たとえ全然根拠がないと(自分が)思っていても、否定的な事を言われたら、落ち込む。

大人になったら、人の欠点なんて、よっぽど親しくて気が置けない仲…でもあんまり指摘しないで、「これはこういう人」とわかって付き合っていくものだと思っているし、だからこそ、女同士のグループで出てくる、口さがない悪口とわかっていても、言われれば溜息が出るし、それを聞く羽目になった時は、肩がこる。

自分のせいに、されるのがキライだ。ただ、単純にキライ。それが、自分のせいでは、「本当はなかった」にしても、それでも、そんな気がしてしまう。上手く行かないことが、自分のせいみたいな気がしてくるのは…なぜなんだろうね。

もし、自分がもっとこうしていれば…。うまくいったかもしれない。

そんな事を考えるからだろうか。
だから、自分のせい…と思って落ち込むだけにしておけばいいのに、「自分のせいじゃない」理由というのを、一生懸命探してしまう。他の人のせい、他のことのせい…。

気がつくと、そういう風に、自分の考えがハンドルを切ってそっちに曲がっている。
絶対、絶対同じ方向に曲がる。無意識に、ラジコンカーみたいに、そっちに曲がって走っていく。

それを指摘されて、初めて気付いた。正直、はずかしい。その人は、とても気を使って発言してくれた。でも、普通の大人なら、曲がらない…というか、曲がった先についたところが、おかしいのがわかるから、修正出来るんだろうなあ。

中年極めた今になって、そういう癖があるということに気がつく(まあ、今回は気がつかされる、か)、今まで、過去になってきた年の長さからも、なんともいえない気分になるものだ。これがあったために、多分…。私の見えないところで、嫌な思いをした人もあったrだろうし、それが原因で付き合えなくなった人がいたかもしれないし…。

絶対、知っておいたほうがいい癖だと思う。知っていれば、ちょっとは修正出来るんだから。でも、はずかしくて、認めたくなくて、過去の間違いがたくさんあっただろうということは、もっと認めたくなくて。でも…もう直さないわけにはいかなくて。

そして気がついてみると、どこかに「仮想敵」がいる。
うまくいかないこと、悪いこと、大変なことが起きた時、それをわたしのせいにして、私を責める人が。

多分…。そういう人は、どこにもいない。少なくとも、今私がお付き合いをしている人たちの中には、いない。みんな、いいひとなのだ。だから、曲がるのを止める…というよりは、スイッチが入るのを止めないといけない。
誰も、責めないから。誰も、私の事を…少なくとも私を知っている人は、悪く言わない。
怖がらなくてもいい。

怖がりのスイッチが、勝手に入って、暴走する。気がついて、自分が言うこと、思うことを一つずつ、見ていったらこの回路を通ってしまうことの多いこと…。

夫は、私に優しくしてくれて、絶対私を責めないし、私がたとえ、「何かをやって」も、それに悪気がないことは、わかってくれる。結果が、悪気があるように見えても、そうじゃなかっただろうな、と思ってくれる。だから、彼との関わりの中では問題が出にくい。でも、そうでない場合は…。

悪く思われても、いい。 わかってくれるひとがいるのだから、そのほかの人には。
多分…。こう思っていかなきゃいけないのだろうと思う。他の人にまで特別に…例えば夫がしてくれるように見てもらえるわけではないのは当然。

もう一つ、出すとしたら多分、「ちゃんと、周りの人を信頼して、そういう時に、人を悪く言ったりしない人たちなのだと思っておく」ってことか。

しばらく、自分の考えを、いっこずつ見て行かないとね・・・この癖がなくなるまで。

そういやぁ、トランプって。

昔…といっていいだろう。20年とまではいかないが、15年は間違いなく前。フロリダで学生をしていたころに、本屋で、ドナルド・トランプの本が平積みになっていたのを見たなあと思い出した。

新刊の本を出した、トランプが、州内のチェーンの大型本屋を回って、本を買った人にサインをするというようなイベントだったと思う。正直、「やり手のビジネスマン」とか「不動産をどっさりもった富豪」というイメージしかなかったので、興味もなかったし、へー。ってなもんだった。まあ、イメージ的に「成金」な感じがすごくしたし、あのころに、もし今、私がタイムマシンで戻って、2016年の大統領選挙に、ドナルド・トランプが、最終候補に残るんですよ!といったら、きっと、みんな「Meh, Trump? THAT trump? No way」みたいになるに違いないと思う。 

否定的に評価するなら、「拝金主義」「成金」「俗物」みたいな扱いで、「大統領の器じゃないって」という雰囲気だと思う。

ビジネスで成功して、お金があるのはすごいけど、それで?みたいな。
わかりやすいイメージでいうと、「ホリエモン」? ホリエモンが、日本の首相に!みたいなものだと思ったら、なんとなーく、イメージがわかるだろうか。

ケネディや、リーガンとは、だいぶイメージが違う感じというか、大体、イメージ戦略が横行するアメリカの大統領選においては、やっぱり人気があるのが、「洗練された、立派な」人物というイメージのある人であって、ケネディなんかは、やっぱり「名家」のイメージがあったし、ブッシュなんか、まあ、あれはブッシュのお父さんがよかっただけとはいえ、やっぱり「政治家を輩出する家」というのがあった。 ヒラリーはクリントン大統領のファーストレディを立派に務めたというイメージが絶対得をしている…んだけど、やっぱり、トランプは、「あの成金」という感じが抜けないんだよね…。

まあ、私は、アメリカ市民ではないので、投票権は、ないから、面白がって眺めているだけだけども。トランプがさあ…大統領になったら、円が、上がりそうじゃないか…?というのは、夫とちょっと話題になった。イギリスがEUから抜けたときも、一時的にぐわっと上がって、アマゾンで買い物するとき、対ドルで、1ドル112円ぐらいまで下がっていたのが、確か104円かそこらまでいったので、お、という感じだったけど、トランプが勝ったら、確かに…。

そして、そのころ私が英語力増強のために読んでいた女の子向け雑誌には、「女性の大統領が先か、アフリカン・アメリカンの大統領が先か、どっちだと思いますか?」というアンケートをやっていたっけ。つまり、オバマがくるまでは、白人男性ではない大統領はひとりもいなかったから。

今回、ヒラリーが当選したら、「非白人の大統領についで、初の女性大統領!」ってなるなあ…。と思うと、あのころから、時間がたったんだな…と思う。 

昔話をするようになったら、年を取った証拠なんだって。そうかもしれないな…。
あのころは、とーーっても貧乏で、本なんか、ほとんど買えなかった。夫との休日デートが、本屋さんで座り読みデート!クーラー対策をしていって、二人で本を読んで、寒くなったら帰るデート。スターバックスのコーヒーと紅茶のために出す、二人で4ドルが、ぜいたくで、出せない時があるぐらいだった。 ふたりで、缶コーラを、1本20セントか、15セントか、家に帰って飲めば、いいんだものね!と家まで帰るまで待って…。 今は、 アイスクリーム、子供と三人で食べに行ったら、10ドルなんかあっという間。 おいしかったね!って帰ってくる。 

よく、若かったころに戻りたいか…と言うような質問があるけど、ちゃんと通過してきてよかった、と思えるということは、幸せなことだと思う。

セレブという言葉

日本語では「セレブ」という言葉があって、つまりそれは「お金持ち」というのを指すらしい。というか元は日本語じゃないけれども、これはもう、今はたくさんの人が使っているので、流行語とはいえ、日本語といっていいだろう。

元の英語はcelebrity。発音をかなで書くとしたら、「せれーぶりてぃ」になるだろうか。
で、大体英語で入ってきたものが、日本語になるときには、最初の3文字か、4文字で略されることが多いので、「セレブ」と、こうなったのだと思う。 (4文字の例は、extentionで、エクステなど)

「セレブな奥様」という言葉が成立することを思うと、単に、お金のあるなしで決まっている?ある程度「お上品さ」も要求されるような気がするけれども、別にその人が近所の山田さんでも、いとこの家のそばに住んでいる佐藤さんでもいいわけだ。

でも、英語の意味には、実はもう一つ、欠かせない要素がある。
それは、「有名である」こと。つまり、雑誌や、テレビに出るような人…ということだ。実は、金持ちかどうか、ということはそれほど重要ではない。どちらかというと「有名さ」のほうが前面に出た言葉なのだ。

だから、すごーくお金持ちでも、お隣のブラウンさんはCelebrityでは、ない。

プロのスポーツ選手、テレビや映画の俳優、タレント、歌手。それから政治家(大統領とか、首相とか…。上院議員とかは、入るのかな、ちょっと疑問)、それから業界人(ビルゲイツみたいな)あたりも入る。つまり「ああ、あの!」と一般人から言われてしまう人が、「セレブリティ」なわけだ。

私が英語を勉強しはじめたころには、「セレブ」という言葉は、日本語には入っていなかった。私が英語のCelebrityという言葉と、その意味するところを覚えたほうが先なわけだ。「テレビに出るような人のこと」だと。だから、日本の雑誌で「あなたもセレブの仲間入り」とか見ると、すごーくもやもやした感じがする。

「お金に余裕がある人がやるようなことをあなたもやりましょう」ということが言いたいんだろうな。
「生活にちょっとしたゆとりを」「日常が楽しくなる、ちょっとしたお金の使い方」…ではインパクトが足りないんだろうけどさ。

あなたもスターになれる!と中学生や高校生に夢を見させて金をふんだくる、声優養成科付きの専門学校の宣伝文みたいに、みえるんだよねえ…。ああ、うさんくさい。

「ちょっとセレブっぽい」はそんなわけで、もっと嫌いだ。日常にきらめきをもたらす何かを取り入れること。心躍る体験をするのはいいと思う。ちょっとした素敵なもので、気分が上がるということは、誰にだってある。気分転換というものは、いつだって楽しいものだ。でも、誰かの真似をしないとだめなのか。 湯水のように金を使える誰かの真似を? そんな気がしてしまう。

素晴らしいものはいつだって、小粒で…。宝石のようで。

細部に宿るその光を、大切に…。手に入れるものが小さくても、それを見逃さないのが、日常の楽しみというものじゃないだろうか…。 まあ…お金が湯水のように使えれば、こんな夏の日には、リゾート地へでもいって、地中海風のライトミール…食後のシャンペンに、白い波がしらを見ながらサンセットクルーズと洒落込めるものなのかもしれないけれども(日焼けしそうだな)、一本20セントで、きんきんに冷えたフレスカもどき(フレスカは、コカ・コーラ社の柑橘味炭酸。近所のスーパーのプライベートブランドのレモン味炭酸は、値段が6割ぐらい)を飲みながら、近所のプールに行くのだって、絶対、いい。

缶にくっついた水滴が、きらきらしているのを手で拭いながら、、「まだ、冷たいよ?飲む?」と、運転している夫と、目を見合わせるときに…。私が感じている幸せは、本物だと思う。 「Celebrity」では、絶対に、ない。「セレブ」でもない。でも…。
私は、こういうのが、好きだ。 
手に入れるのが難しい幸せだって、好きだけど、でも簡単に手に入る幸せが好きだ。

そのほうが、楽しいから。 

今日の結論:だからやっぱり、「せれぶ」という言葉には、違和感がある。

ネットの日記

ネットには、面白い読み物がたくさんある。雑誌に記事を書いているような人のエッセイが無料で読めたりする。
面白いなあ、と思っていた人のブログだったりすると、書籍化されたりとか、雑誌に連載することになったりとか、有名エッセイサイトみたいなところに「作家として載っていたり」する人だってあるものだし、昔と違って、本と、雑誌と、新聞、地方のミニコミ…でないなら自費出版。みたいな紙の媒体以外のものも、たくさんあるので、ネット環境さえあれば、好みのものや、見たこともないものや、めずらしいものや…。いろいろなものが読める。

そこまで知名度のある人でなくても、面白い文章というのはあるもので、似たようなものを書いている人はリンクされていたり、実は出版社がサポートしているものだったりして、本を出版した記念のインタビューなんか、そりゃもちろん本を買わせるのにあるわけだから、プロが書く本気の文章、面白いのは当然だ…と言えば当然?

リンクをたどって読むと、知らない言葉が、あっちこっちにポコポコでてくる。「みそじにー」というのは「三十路」とは全く関係がない「女性蔑視」とか「女嫌い」みたいなものを指すとか、「みさんどら」というのは、ミサンガ…のかわいいやつ…みたいな語感だが、実はミソジニーの逆版、「男性蔑視」「男嫌い」みたいなやつのことだ、とか。まあ記事の分野が、そういうやつだった…というのもあるだろうけど、一般大衆向けエッセイというものを読んで、知らない単語が出るというのがちょっとショックだった。

割と、本が好きで、語彙はあるほうだと思っていたのだけれど、やっぱりカタカナ…ということは外国語から、持ってきたものは、だめというのは、これはやっぱり、自分が中年だからなんだろうか…と思ったけど、検索結果を見る限りでは、やっぱりそういう分野…男女機会平等、とか、男女の役割とかというようなことを特に研究している人から使われ始めた言葉みたいだった。

まあね…。「ミソジニー」と書いたほうが、「女性蔑視」と書くより、「それ、何?」と思ってもらいやすいからね…。有名な人が書いた本の題名からとか、広がったんだね…。もう10年ぐらいたてば、誰でも知っている言葉になるのかもしれない。

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リンクされているHow to、男性が知るべき何とかポイント、とか女性が一番輝くなんとかTips、とかそういう記事もやたらめったらある。たくさん読んでいると、なんだか割と紋切り型で、ちょっとおもしろかった。誰が、何の根拠で…というような、まあこれ、書いてる人も信じてないんだろうけど、こういうこと、マニュアルとして、知ったら、何かが変わるかなあ…とか思う人、多そうだし、需要と供給は、大事だよね…。

ちょっと、説得力があるような…微妙にウソっぽいような。 もちろん、人生に「絶対当てはまる法則」なんてないし、これを参考にしたら、うまくいく人と、うまくいかない人があるだろうよ、そりゃ…という結論に達しておくなら、どれも「あり」。 でも、こういうの参考にして、人生変わりました!ってない気がするなあ…あれだ、昔私が子供のころに、雑誌の後ろにあった、「幸運のペンダント」みたいなものだなあ…と思う。

これで、人生が変わったと思える人は、それでいい。変わらない人もいる。でも、みんなどこかに、そういう「これさえ自分のものにすれば、大丈夫」というものがほしいと思うときがあるんだなあ…と思う。
ニーズが多様化した今でも、みんな、安心できる絵に描いたような幸せがほしい…または、キラキラ輝く、自分の力を発揮して、なにかすばらしいことが起きてほしいと思うのだろう。昔っから、やってることって、実は変わってない。媒体が雑誌の裏表紙か、ネットなのか、という違いだけで、選べる種類は増えたけど、探している、そして見つからないものは、同じ。

誰かと比べるなと言われても、比べてしまうし、現実を見ろ、と言われても、なんとなく自分にはもっといろいろなことが出来そうな気がするし。 かといって努力しても、うまくいく保障なんてないし。 そして、ほとんどの人が、自分が有名でも、有能でもないこと、時間が有限であることを、受け入れていく。 ネットの情報にあふれているのは、有能で、有名で…少なくとも一部では有名な人のこと、それが文章に書けるような人のこと。

毎日、ただ淡々と一日をこなしていく人…というのは、珍しい事件がある人よりずっと、ずっと多い。でも、それはネットには、あんまりでてこないんだな…。

だから、私は、ブログが好きなのかもしれないと思う。 本なんか、書いてない、読者が、そんな何百人もいたりしない人のブログが。 「誰でもない、無名の」私みたいな人が、ほかにもいる…世界にいるのは、有名な人、すごい人たち、賢い人たち、または報道されるほど馬鹿で、目立つ人…だけではないってことが、わかるから。

自分の半径10キロ以内で生活して、誰にも名前も知られず、生きて、そして去っていく人もいるってこと。それでもいいってことがわかるからだ。 人間、ずっとそうやって生きてきた。 100年たっても、名前が残っている人なんて一握り。

今日は、何を食べた。 こんな料理をした。 こんな気分がした。
実はそういうことを書いている本がある。昔の人の日記が残っていて出版されると、そうなる。夕食のメニューだけで埋まってる日記とか、実は好きだ。

いつか…。膨大なネットの海から、100年後の誰かが、私たちが書いているネットの日記を探し出して読むことがあるだろうか。もしそうなら、面白いのにな。 

のうきん。

トランプが、大統領になったら、どーなるか…まあ、私は選挙権がないから、眺めてるだけだけれども。見ていると、やっぱりトランプの支持層には、白人男性が多いな、と思う。それと、勢いだけで、あんまり物を考えていない気がする。

 まず、トランプが言う、「メキシコとの間に壁を作ります」という話。その壁を作るのに、一体いくらいるか。予算はどこから出すのか。そして、メンテナンスはどうするのか。まず、そのプランについて、全く言及がない。多分作るとしたら、「万里の長城」とまでは行かないと思うけれど、かなり大がかりだと思う。で、そんなもの、作るのに賛成じゃない人もたくさんいると思う。国家予算をどっさりつかって、そして、メキシコからの不法移民が減るか、どうか。

 人間やけになったら、なんでもやってしまうものであって、高圧線がはってあろうと、銃を持った警備員が守っていようと、捨てるものは何もない…という人間は、例えば北朝鮮の国境線のように、越えてしまう人が出る。どんなものにも、対価はある。それさえ払えば、ひどい方法だろうがなんだろうが、ともかく国境を越えさせてくれるというビジネスも出てくる。途中で死のうが、なんだろうがだ。それでも、捨てるものがなく、夢を見る人間というのはやはり、いる。子供を連れて、国境を越えようとする人を、警備員が撃つのか?大人は撃っていいのか。子供は、赤ん坊は。そして、赤ん坊は撃たないとするなら、それを盾にする人はどうするか。きっと、国境を越えるための安全策として、赤ちゃんを売り飛ばす人が、値段が十分に高ければ…出てしまう。これは、想像したら、ぞっとすることではないだろうか。「子供が死ぬ」ことについては、人類全員…国籍、人種関係なく、「うわ…いや…」と感じると思う。

 すでに今でも、荷物だと偽ってコンテナに乗せた人間を輸送する「違法入国サービス」で死んでしまう人が出ている現状、国境で繰り広げられる光景がもっと血なまぐさく、そして非人道的になっていくのは、想像できる。みんな…自分が属する国が、そういう非人道的なことをするのを、知りたいだろうか。

 全員大歓迎とはいかないのは、わかる。でも、いつ来るか、何人来るか、どんな人が来るかわからない場所に、その壁を…巨大な壁を作る工事を人を雇ってやるその給料と、それを作った後、警察力、または軍事力を割くだけの税金がかかる。人道的かどうか、というのは感情もからむから、議論は紛糾しがちだが、壁を作る費用、それを守る人間を訓練し、派遣し、威嚇目的のためにしろ、配置しておくことが、どのぐらい「効率的」だろう…と考えたとき。自分が毎日働いて、そして国に出した税金を使うその用途として、それでいいか…と聞かれたら、「私の払った分の税金は、違うことに使ってください」と言いたくなるのではないだろうか。

 「壁を作る」というのが、物理的な壁のことではなくて、法律を厳しくして、入りづらくする…というような話だとしたら、これ以上どうしろと?という感じだと思う。移民にだけ、税金を高くするとか?入国制限をするとか?そうすると、「合法移民」が減って、違法な移民が増えるだけ。そういう人たちは、政府の助けを受けることが出来ないので、貧困ライン以下に落ちるような、例えば失職、病気、けが、事故、望まない妊娠、配偶者との死別 etc.が起きたとき、打つ手がなくなり、貧困からグレーゾーンへ、そして薬物取引や、売春や、運び屋や、ギャングへの参加…といったようなところへ踏み込むことになるか、そこまではいかなくても、次世代への教育資金が足りなくなり、結局貧困層から脱出できない。子供も、高校へも行っていなくて、仕事がない。みたいな連鎖になりやすい…というのが、「たったいま」の問題…ってことは、規制を厳しくしたら、余計地下にもぐって、問題は大きくなるだけじゃないのか…?それ、本当に実現しちゃっていいの?大体、国内の「生まれたときから(それも、3代とか4代にわたって)アメリカン」という人たちの貧困問題すら、解決してないのに、外国からの移民より、そっちが先では…メキシコとの間に壁を作るというのは、「あいつらのせいだ!」と指をさして叫んでおけば、そっちに気を取られるとか思ってるんじゃ…というのが、反トランプ派というわけだ。

 まあ、いろいろなことを差し置いて、壁が出来たとして、それが機能して入ってくる人が減ったとしたら…。
実のところ、今、移民が…それも、貧しい移民が担っている仕事は多い。「アメリカ人ならつかないような職業」に「この仕事がなくなったら大変だから文句が言えない」ために、びっくりするほど安い賃金で、雇われている人たちが、たくさんいる。または「違法移民だから、通報されないため」に文句をいわず、最低賃金以下で働いている人たちも。レストランで、お皿を洗うとか、深夜のファーストフードとか、清掃業、それも夜中に回るやつとか。給料が安くて、時間が長い、または深夜にわたり、体がつらい仕事。全員がホワイトカラーで、9時5時、平均以上の給料をもらえる…わけはない。「平均」というのからして、半分は平均以上、半分は平均以下…というのが、「平均」の意味だということを、忘れてはいけない。間違いなく平均以下の給与、不規則な勤務、深夜勤務、またはパートタイムで保証がない勤務体系で、肉体労働。アメリカには、「どんな職業でも、尊い。馬鹿にしてはいけないよ、誰かが、これをやってくれなかったらみんなが困るんだから」という教育は、ない。給料の安い仕事を馬鹿にする風潮があるし、「(そういう馬鹿にされているような)仕事に就くぐらいなら、職がいまなくても、探すほうがまし」という考え方の人も結構いる。だから貧しい移民がいなくなったらみんな、絶対困る。

 肉体労働、裏方の仕事、「安い商品を提供するため、給料があんまり出せない」仕事に就く人が、すごーく足りなくなるはずだ。
夜中に、ファーストフードへ飛び込んでも、ハンバーガーが出てくるのは、「当たり前」ではない。24時間スーパーなんて、昔はなかった。セブンイレブンが出来た当時はすごかったのは、朝の7時に開いている店なんてほとんどなかったからだし、11時には、開いているのはナイトクラブだけ、そんな時代にアメリカ人は、戻れるだろうか(日本人も。無理無理)。

「アメリカに仕事を取り戻す」と、トランプは言うのだけれども、アメリカ人を、みんなが「このぐらいだろう」と思う給料で雇って、ものを作ったら、その商品は、値段に給料コストが跳ね返って、ものすごく高くなること、間違いなしだ。だから、製造はみんな、給料が安い外国に回してるんだから…。その、給料分の、商品への値段を、国民が喜んで全員、出すだろうか。「しょーがないな、メイド・イン・アメリカだから、誇りに思って買い支えよう」…といって財布を出せるのは、やっぱりお金持ちの人たちだけになると思う。
 庶民は、やっぱり、安いものがいいと思ってしまうのだから。

「強いアメリカを」という響きはかっこいい。確かにかっこいい。そのカッコよさに、「おお、そうだよな、強いのいいよな」と乗ってしまう人は、結構いると思う。それがトランプの人気のかなりの部分を占めると思う。不法移民を追い出せ、外国をのさばらせるな、アメリカがナンバーワンだ、俺たちは俺たちだけでやっていける。トランプの言う、強いアメリカは、こういうトーン。もし、そうなったならば、「安い商品や、サービスは手に入らない。俺たちの給料は、高くないといけないから」…ということは、どうなっているのか。「それは、俺たちは、やらない。俺たちじゃない誰かがやればいい」。この場合、「俺たちじゃない誰か」は、白人男性ではなく、女性と…高校生みたいな「バイトの子たち」、それから、マイノリティである、黒人たち。

 だから、トランプの支持者たちと、女性&マイノリティ=ヒラリー支持層の間の溝は、深い。トランプが言っている「強くてかっこいい」ことを実現するのには、何を対価としなくてはならないのか。それがわかっている知識層と、トランプ支持者の間の溝も、深い。

 トランプの支持者が、主張するのを聞いていると、「脳みそ筋肉」という言葉が、頭に浮かんでくるのだった。

トランプのこと

 アメリカに住んでしばらくたって、話題はやっぱり、大統領選挙。
 イスラム教の人を追い出せ、国内に入れるな。というのがトランプの論調だけれど、私はどうも、「それもなあ」と思うのだ。もちろん、テロ…自爆テロとか、乱射とか、爆弾とか、ハイジャックとかが、いいとは絶対に思わない。あれはイスラム教の神様も、よくないと言いそうな気がするなあ。死んでから天国で(地獄かもしれないけど)叱られそうではないのかねえ、と思うのだけど。不特定多数の人を殺すことについては、タブーになっている宗教は多いからねえ。

 大体、イスラム教徒という人を全部ひとまとめにしてるのが、ちょっとなあ、と思う。何千万人、何億人も信者がいるようなものなんだからして、テロ行為、犯罪行為に走る人だって、混ざっていてもしょうがないと思う。1000人しかいない宗教なら、1人、銃を人混みで乱射して「自分の主張が正しい」ということをわからせようとしたなら、その宗教の教祖は、「ちゃんと信者を見てないといけないよ」と言われそうだ。でも、何億人もいたら、ねえ。「全員、見ておくのは無理」で、ついでに「過激派グループが、ひどいことをした」からといって、「全員、やなやつ」扱いになったら、「普通の信者たち」は思いっきり、とばっちりだ。

 これが、宗教色の薄い私たち日本人にピンとこないなら、「日本人」を例にあげるとわかりやすいだろうか。ローマの遺跡に観光にいって、文化遺産に、落書きをした日本人がいた。ハートマークの中に、名前が書いてあるような。

ゆうき&あおい☆2016.7.25

↑こういうやつをだ。


 「日本人って、こういうことするから、困るんだよなあ…。日本人は、もう遺跡観光は禁止にしよう。入り口でパスポートチェックね」
…と言われたとしたら、ほとんどの人は「えーーーー?」と思うだろう。日本人がそんな人ばっかりだと思わないでほしい、「ちゃんとした」日本人もたくさんいる、そんなバカ、何人もいないってば!…と言いたくなるだろう。

 きっと、そういうことを言いたい「ちゃんとした」イスラム教徒が、どっさり、いると思う。

 何を信じていようと、人数がたくさんいれば、理由は何であれ、破壊行動、犯罪行為をする人はいる。過激な思想にかぶれる人もいるし、若ければ、影響される信者もたくさん出る。年の若い個体は、たいてい馬鹿なものだ…と、中年になった今は、(若かったときの自分を含めて)思う。経験が少なく、自己万能感が強く、または力の強いものに追随するのは、若い時には当たり前なものだ。過激な思想、正論、そして選民思想にひっかかる要素は誰にでもある。
 そして…どの国にも、一定数、馬鹿はいる。人類は、バリエーションのある生き物だ。そういう仕組みで増えてきたのだから、しょうがない。そうするとやっぱり、「何にも考えずに戦わせておくのにいいタイプ」とか、「わかりやすいことを信じさせておくと、グループのためにしゃにむに働く」タイプとか「声が大きくて、リーダーのサポートをさせるのにいいタイプ」とかが、いるわけだ。それを「バカ」と呼ぶかどうかは別としても。

 まあ、一般的には、「リーダーに付き従う(意見を割れさせない)ことが、グループ全体の生き残りに有利」とか、「強いリーダーについておくと、生存確率が上がる」と判断するのは、割と本能的な動きなのではないかと思うけれども、それが、「正しいと思うことを、行動に移すこと」という若者特有のまっすぐさと、結びついたとき…。若者たちは「元気のありあまったただのバカがいっぱい」ではなくなり、「力を持った集団」になり…。それを利用する大人の思惑に、乗せられてしまう。

 カリスマティックなリーダーの下、正しいと思えることを「選ばれた私たちが」「ほかの意見を聞かないで」突っ走った時…。テロ行為になるのだと思う。意見にバリエーションを認めない、テロ集団、過激派。そういう風に呼ばれるようになる。


 このバリエーションを排斥する考え方という点で、イスラム教の人を国から追い出せ、入れるな、というアメリカ人は、ちょっと過激派に似ている。カリスマのある、強いリーダーに、ついていく、「やつら」を排除すれば、自分たちだけなら、ずっとうまくいくのだから、と。

 アメリカは、自由と平等のの国。
 アメリカでは、誰でも成功の可能性がある。

この理想には、「多様性」を認めるところから、始まっている。
そう思いたい人は多い。アメリカで生まれれば、誰でもアメリカ人。言論の自由、思想の自由、そして宗教の自由。
人種、言語、性別、年齢関係なく、すべての人が平等に「機会に恵まれる」国。

 誰もが成功するとは言っていない。でも、「アメリカの理想」は、「機会の平等」。人種、性別、思想、宗教によって、差別されないことを大切に思ってきたアメリカで、その理想を自ら捨てるような、「イスラム教排斥」。それでいいのか?と思う。
 
 そりゃね…。宗教によって、迫害された人たちが海を渡って逃げてきて作ってきたのがアメリカなんだから、憲法作るときに「キリスト教内の宗派違い」しか想定してなかったのかもしれないけどさ?イスラム教がだめなら、じゃあ、モルモン教は?仏教は?ヒンズー教は?誰か犯罪者を出したら、その時点で全員追放?ないわ…ってなるよね。キリスト教でも、いろいろ教派はあるんだからさ…その教派の人が、銃を乱射したら、どうなるわけ…? ということになってくる。「絶対ない」とは言い切れない。人間が生きている以上、脳みそに故障が起きないとは言えないからだ…というか、ロボットでもそれはあるだろうな…精神病というのは、誰にでも起きる。脳腫瘍だって、何千人かにひとりは、かかる。その時、人間は異常な行動に出る。「誰にでも、異常な行動に出る可能性は、ある」。…としたら。「私たち」は大丈夫、とは誰にも言えないということだ。

 何かに影響された個人と、その人と同じ属性を1つでも持っている人を、全員、同じに見ちゃいけない。
なぜ、いけないのか…というと、つまり「自分もまきこまれたとき、困るから」。

 女だから。アジア人だから。キリスト教徒だから。日本人だから。私なら、人数が多い順にこうだろうか。「ゲーマーだから」も、この中のどこかに入るだろうけど、
  「やっぱりあなたって、「    」だから、こうよね」…とは、みんな言われたくないものだと思う。

トランプ…。過激だよな…。勝つのかなあ。勝ったら、アメリカは大変だと思う。まだ現状維持のほうが、ましだと思うけどねえ。

相模原の大量殺人事件に思うこと

障害のある人間は生きている価値がない。こう思ってしまう人が出るのは、本当に嫌な感じがする。社会の「いいマナー」と「現代の常識」というものに照らせば、「誰でも、生きていける世界」というのが、理想ということになっているからだ。

大体において、昔は、障害が…それも重度の障害があったら、「生きていけなかった」。今のように医療が発達していない時代より、ずっとずっと前、例えば原始時代であれば、健康優良であることは、生き延びることに必然だった。そうでない個体は早死にすることになっていた。大人になれる個体は少なく、幼児死亡率は半分を超えた。「年寄り」とは40代のことで、平均寿命は35年を切ったという説もある。

体に障害があって生き延びるとすれば、軽度であるか、特殊な、ほかの人に出来ないようなことが出来るかということも争点になっただろう。手作業が出来れば、足が使えなくても共同体の一員として活躍できる。頭が特によければ「知恵袋」として、または戦略を立てるのが上手ければ、戦争のブレインとして。

どんなにつらくても、子供は「全員は大きくならない」ものだった。幾人かは死ぬので、「スペア」は大切で、一人っ子なんていう選択はなかった。増えれば増えるほどいい。少なくとも親が2人なら、それより数が多くないと、人口増は見込めない。増えて、グループとしての力をつけること。それが「集団としての人間」が生き延びる戦略だった。「個人」では生きていけなかった。

そういう時代には、「老人」になるのだって大変だ。2016年現在でいえば「若い」うちに死んでしまうのが当然なんだから、知識を蓄える時間は短く、伝えられる知恵は限られ、集合知はなかなか、発展しなかっただろう。
 人類が誕生してから、遺跡の残る文明に至るまでの時間が、結構長いのは、偶然じゃない。人類は、寿命が短すぎて知恵をためられなかったのだ。

 文明が発達して、人間が、目の前の食べ物と、生存のこと以外を考えられるようになって、宗教や、文学や、哲学が出来て…。文字を発明し、思索にふけり、子供たちに知恵を伝えてから、死ねるようになった。「老人の知恵」がいかせる、身体的能力のない個体が、知恵を使えるようになった時代。ひどいけがをして、体の一部がなくなっても、その場で見殺しにされず、生きのびて、経験をいかせるようになって、身体の障害があっても、やっていける、という考え方が出来た。
 
 生活に余裕が出来て、働けない人も「家族だから」と養える時代。子供の生存率が上がり、老人の寿命が延び…。
時代が進んでくると、「こども」に生存権が出てくる。「半人前、後回しがいやなら、働け。育てば、一人前」ではなくて、「大切に育てる」時代になったのが、中世ぐらい。それまでは子供の食事というのは基本、「あまりもの」。働く人が優先だった。働く人が、動けなくなったら「全員飢え死に」。それよりは、「子供が死んでいくが、スペアはまだいる」のほうがましという時代が、終わった。

 強いものが生き延び、弱いものは滅びる。この考え方は、ずっと強かった。なぜなら、それが「全員が体験している」ことだったから。それしか「全員知らなかった」。 
 生き延びること以外のことを考えられるようになったら、宗教や、思索というものが出てきて、それを広める人が出てくる。「弱いものは、守るのがいい」「強いものは、弱いものを虐げてはならない」「病気の人、けがをしている人を助ける人は、すばらしい」。
 
 自分が生存するだけで精いっぱいだった時代から、「よりよく」生きる時代へ。「自分がされて嫌なことは、ほかの人にもしない」「相互扶助」の考え方が受け入れられる時代になってきた。 人類は「野蛮」ではなくなってきた。文化、文明、社会の構造が、洗練されていく。

 人は、「自分も老いていく」のだと…。「突然死ぬ」のでない死に方を目にするようになってきた。人の助けを借りなければ生きていけない年齢を体験する時が自分にも来るかもしれない。人数が増え、余裕が出来たからこそ、生き延びる弱い個体。自分の子供が、そういうタイプだということもあるだろう。自分の体が弱いことだって、あるかもしれない。
 自分が、自分の子供が、体が弱かったとき。怪我をしたとき、病気になった時、老いたとき…。いい扱いをしてもらおうと思ったら、自分だけじゃない。「全員、そうするべき」なのだという考え方が、だんだん広まっていく。これが、近代。

 みんな、原始時代には戻りたくないのだ。土に掘った穴に柱を立てて、雨漏りのする家に住み、非衛生な環境で病気が蔓延し、老人は珍しく、赤ん坊は死んでいく。冬の寒さは致命的で、ちょっとした傷がもとで死ぬこともある。そんな時代に戻りたい人はいないだろう。老人になったら、けがをしたら、「役立たないから、死ね」と言われたい人はいない。
 私が、あなたが、老いたとき、病気になったとき、助けを受けて暮らしたいのであるならば、全員が…たとえそれが生まれつき障害がある人でも、全員がそれを享受できなくてはいけない。 そうでないのなら、どこで線引きをするのだろう。誰がそれを決められるのか。

 だから、この現代に、「当たり前の考え方」を持っている人は、「全員、生きる権利がある」と考えるのだ。自分が、なにかあったとき、排除されないために。自分が事故にあって、半身不随になったとき、市役所から通知が来る。
 「あなたは、市民として不適格と判定されました。安楽死決定が出ています。何日までにXX病院へお越しください」

黙って、身辺整理をして、家族に別れを告げ、去っていけるだろうか。

これはすごく極端な例かもしれない。でも、わかりやすいたとえだと思う。この事件を起こした人は、自分が病気になったとき、ひどいけがをしたとき、そして老人になった時のことをまったく、考えていない。または「俺はそうなったら死ぬからいい」と、とても漠然と考えていると思う。まじめに、交通事故に遭う可能性のことを考えたことがあったなら、現代人なら全員、「誰でも、そうなったときは、手厚く助けてほしい」と思うだろう。全員その可能性はある。そして、事故の被害がひどい結果に終わる可能性があるからだ。

だから、みんな、福祉政策にお金がかかっても、文句は言わない。
障碍者は生きていく資格がない…と堂々と言える人間は、「自分だけは、事故に遭わない、年も取らない」と思っている人間だけだ。

正直、馬鹿だと思う。

馬鹿は残念ながら、死ぬまで直らないということになっているので、のさばらせておくよりないが、考える力を持ったほとんどの人間は、そういう人に影響されないように、そして助け合って、やってきている。馬鹿に、負けないように。 こういうことが起こるたび、自分が強いと思っている馬鹿は、言うのだ。「弱い個体は死ね」と。

人類がやっとここまで、築き上げてきた社会を捨ててはいけない。冬の寒さで村が全滅し、旱魃で何万人もが飢え、子供が5歳になれるのが半分以下…。そんな世界に住みたくないものだ。今でも発展途上の国にはそういう現実がある。強い個体だけが生き残る世界が、まだある。それでも、少しずつ、よりよく…。みんなが協力して、そういう世界を変えて全員が生きていける場所に。それが、「文明」「文化」というものでは、ないだろうか。

 人間の多様性を受け入れていけるだけの文明が発展している現代の私たちは、洗練された文化人である。その自覚を持ち、先祖返りの野蛮な考え方は捨てていこう。そう、思う。

大丈夫か、トランプ…。

  私は、あんまり政治には詳しいほうではない。それほど気にしないでやってきてしまった…とはいえ、アメリカではあまりにも大統領選挙がにぎやかだ。いやでも目にするし耳にする。

 私は、妊娠中絶する患者を銃で撃つとか、医師を脅して病院を爆破する人はそりゃないだろう、と思っているし、銃で4歳が6歳をうっかり撃ち殺す事件が起こるこの国は、どうかと思うよ、ほんと…と思うし、人種差別はされてみればわかる、あれは本当にいやなものだと思うし…。というわけで、民主党か、共和党か…と言われるとやっぱり民主党のほうだな、と思うのだが(アメリカの投票権ないけど)、それでも、トランプの支持者、それもトランプの近くでサポートをしている人たちには、ちょっと同情する。

 大体、トランプ発言があんまり知的じゃないのはまあ…前から知られていたし、まったく政治経験がないという経歴を見ても、無理もないかなあ…とは思うけど、「もし大統領にならなかったら、また元の生活に戻るから」という発言は、そりゃそうだろうけどー。今それ、言ったらすっごい士気にかかわらないか?というのは、私にでもわかる。「ねえ…もっとましな候補はいなかったの…?共和党って、そんなに人材いないっけ?」と共和党支持者は思うだろうなあ、と。

 大統領選挙は秋、それも11月。今はまだ、真夏。これからいろんなことが起きて、どっちの候補にも上がったり下がったりがあるはずと、みんなが思っている時期。それで、「俺、もう負けてもいいしー」という宣言だよねえ、これ。戦う気なくすよね、これが、下っ端のほうなら、まあいい。やる気のないメンバーというのは混ざっているものだ。でも、トップの発言としては、ないな、と思う。

 まあ…トランプって「ISISを作ったのはオバマとヒラリーだ」とか、それはコント?なんて突っ込めばいいわけ?というようなことを言い出すかと思えば、KKKとの関与が指摘されたり(KKK(白人至上主義団体)方面からトランプを応援します、と言われたとき、イメージのことを考えたら「いや、それはお断りします」と言わなきゃいけなかったんだけど、はっきり断らなかった)、人種差別的な発言はもう、ここに例を挙げると多すぎるぐらいだし、自分のお母さんが移民で、おじいちゃんも移民…な割には、移民は全部犯罪者的ノリだし、この間の「銃の規制をされないためには、「銃の規制反対派には何かできることがあるかもしれない」」という発言は、確かに「ヒラリーを暗殺すれば、銃の規制が来ることはないだろう、やっちまえ」と取れる発言だったからねえ…。

 あれは絶対、共和党で、トランプの面倒見てる人たちは「うげっ」と思ったに違いない。さすがに、「大統領選で暗殺が起きた」というのは、アメリカ大統領選挙の歴史において最大のスキャンダルになるだろうからだ。トランプ自身が、どうこうという話ではない。でも、トランプの支持層には、脳みそまで筋肉みたいな人が多いのだ。血気にはやる若者が、「そうだな、ヒラリー殺せば、全部解決だよな」とズドンとやるというのが、「ないだろうそれー」と言えないだけの銃の数と人間の数が、あるのがアメリカ。

 もちろんヒラリー陣営もセキュリティはあるだろうけど、「初の女性大統領候補が、男性対立候補の支持者に暗殺される」…どれだけ野蛮に聞こえることか…。民主主義国家とも思えない乱暴さ、歴史が「百年ぐらい逆行」しているとヨーロッパ諸国から揶揄されてもしょうがないだろう。イメージがた落ち、共和党は自滅、サッカーでいうオウンゴールみたいなものというか、共和党のイメージが下がると、民主党のイメージが相対的に上がるからねえ。「逆キャンペーン」だ。。

 ていうかああいう時って、誰かがスピーチの原稿書いてるんじゃないの?あんな公的な場でする発言にしちゃ、あんまりだ。あれが誰かが書いたスピーチなんだったら、選んだのはトランプ…じゃないだろうから、あれはブレインの誰かの失策だと思うけど。もし、トランプが原稿にないこと口走ったのなら(多分こっちだと思うけど)共和党の支持者の人はお疲れ様ね、という感じだ。

 大体、私的な発言にしろ揚げ足取られるのが大統領選のイメージ合戦なんだから…トランプに演技させるのは無理だろうなあ…。スピーチが上手いかというと、そうでもないものね…あおる技術はあるし、インパクトはあるけど、それっきりというか。オバマは、スピーチが激烈にいいからなあ…。スピーチのうまさでいうと、オバマとか、クリントン(ヒラリーもだけど旦那のほうは特に)とかに、絶対かなわないからね…。聞いていても、英語が第二言語の私にも十分わかるぐらい違う。

 オバマは、「貧しい黒人層や、マイノリティ」の支持を取り付けるために、貧しい人の味方みたいな顔してるけど、実はエリートだし、知識層にアピールするからなあ…。発言も、すごく知性派という感じだし。それに比べてお金持ちだけど、頭が悪そうな発言が目立つトランプ。アメリカの良識が勝つか、金の力が勝つかみたいな勝負に見える。

 「自分も同じようなバカに見られたくない」人をどのぐらいヒラリー陣営に引き込めるか、ということになっていくんだろうな、と思う。割と、トランプのめちゃくちゃな発言を楽しんでいる人も多いんじゃないのかなあ、こう、テレビのショーみたいなノリで。トランプ陣営がつけこめるとしたら、そこだよね。「有名人」「面白い人」に大衆は弱いからね。

 これが大統領選挙じゃなくて、トークショーの司会決定戦なら、それでいいし、トランプ圧勝なんだろうけど…。あと、運動会みたいに勝敗決めて、へー、面白かったねー。で終わればいいんだけど、そのあと4年、トランプが「アメリカ合衆国大統領」をやる…ってこと考えると、やっぱり、ヒラリーのが、無難かな…という気がする。
 

なぜ逃げてはいけないのか



 この新聞の投書欄の詩が、13歳の子ってのが、深い。とネットで話題になっていた。

 多分だけど、この子は、やらなきゃいけないことがたくさんあって、もうやめたいなあ…と思うことがあったのだと思う。大体、子供の時には、「なぜ、勉強しなきゃいけないのか」とか、「なぜ運動しなきゃいけないのか」とか「なぜみんなと行動しなきゃいけないのか」とかそういうことを考えるものだが、答えはなかなか、明確にはもらえない。

 実のところ、勉強というものは「ある程度まではしなきゃいけない」のは、この社会は「字が読めて」ある程度の文章を理解できることを前提に組み立てられているということが、まずある。つまり、大人になって、便利な社会で暮らしていくとすれば、自分が使える制度というものはたいていが「文章で周知されている」ということ。あとは、こんなに大勢の人間が、強いものだけが利益を持って行ってしまわないように、全員なるべく平等に生きていけるルールも、文章で書いてあって、「大人になれば大体のことはわかるようになって」いなくてはならない。

 計算は出来なければ、生活にすごく不利だし、自分が稼いでくるお金で、どのぐらいのものを買っても生活に問題が出ないかとか、子育てすることを考えると、「経済の初歩」としての銀行の仕組みとか、生物学の初歩とか、理科系の「衛生的な環境とは」とか「栄養学」であるとか…というようなことも、知っていなくてはならないだろう。

 ストレスを減らして、幸せな生活をしたければ、「教養」というものはあっても困らない。音楽の素養、美術の素養、そういうものだって、「まったく見たことも聞いたこともなければ」なかなか、わからないものだ。 自分で音楽や美術の心得があるということはたとえ初歩にしても、人生が全然違うものになる。楽譜が読める、絵の具や、色鉛筆を使ったことがある…。こんなことだって、教育に含めることがまだ出来ない国はある。

 長い人生、周りの人間ともめないようにやっていく技術は大切だ。見て、聞いて、体験して、子供の時はたくさん失敗して、大人になって仕事をするとき、「それなりになんとか」なるぐらいまでは練習がいる。学校は人間関係を学ぶ場でもある。

 確かに、全員がそれでなんとかなるのか、というと、それはないと思う。でも、今のところ、一度に大勢の子供を一か所に集めて教えるこの方式が、「効率がいい」わけだ。コストが低く教えられ、こぼれる子供はいるにしろ少なく、多少画一的とはいえ、一定の年数で、限られたことでも基本でしかなくても、今のところはこれよりいい方法が実現できない。

 大人になって、みんなが専門性のある職業につけるか…というとそうではない。過半数の人間は、それほど能力がいらないが、人力以外では出来ない仕事をすることになる。分業が進んでいて、私たちは自分の食べる野菜や、肉を自分で調達しないし、服は既製品が着られる…ということは、誰かがどこかで、単純労働を担っているということになるのだ。誰かが布を毎日作り、誰かがミシンを毎日かけ、誰かが毎日農作業をしている。どんな労働にも、基礎スキルはいるが、どんな労働も楽しいとは限らない。お金を稼ぐため、ご飯を食べて、頭の上に屋根を置いておくための労働が楽しくないがやらなければいけないのなら、余暇は大切だ。(お金がなくても)芸術が、音楽が、文学が、楽しめるだけの教養はあると違う。

 どんな大人になるか…ということ。自分が、「なぜやらなきゃいけないのかわからない」というようなことから逃げてしまったら、大人になった時に、困る…というか、少なくとも、「給料が高い仕事には就けない」のだということを…つまり、子供のころには「つまんないことでも、オールラウンドにやっておくことが求められる」というのが、なかなか、実感できないのだと思う。

 自分の楽しみを見つけて、「それなりに給料稼げればいいから」と考える人も多いだろう。好きなことだけやって、生きていければ、と。それは、いいと思う。ただし、仕事に就くときに、競争相手が「いやなことでも頑張ってきて、勉強の実績を積み、資格を取った」人だったら、採用試験で競り合ったら負ける、ということは覚えておかなくてはならない。文字に出来る評価基準は、やっぱり「学歴、職歴、技能、資格」。私のほうが人格が優れています、というのは、文字に出来ないので、採用試験の評価には、入らないからだ。理不尽だが、文字に出ない評価というのは、「仕事についてから」しか評価してもらえないものなのだ。

 その人より給料が安いということも、納得できるか。「それなりの給料が稼げる仕事」というのは、実はこの現代、なかなかに就くのは難しい。簡単な仕事から入って、だんだんステップアップする…というのも、昔はあっただろうが、今はさっさと首を切られる事情もある。終身雇用なんていうものは、もうないからだ。

 昔…。食べものを手に入れ、着るものを作り、子育てをして、生き延びていたころは、「逃げる」ことはつまり、危険から身を遠ざけることでしかなかった。そのほかのことには、「逃げる余地」なんかなかった。労働から逃げるということは、つまり自分に不利益が来ることがはっきりわかること。餓死、凍死、そして子供が死ぬこと…とまではいかないにしろ、満足が行くほどは食べられず、寒い思いをするようなことになるのが当たり前だった。働き、食料を、衣料を蓄えること。それが「仕事」だった時代は長い。今は、それが複雑化してきていて、「逃げること」に不利が結びつくということが、はっきりわからないのが、現代なのだと思う。

 たとえば、原始時代なら13歳は労働力。やらなきゃいけないことはわかっている年齢だ。毎日働くことになっただろう。お祭りや、休日はあっただろうが、やらなきゃいけないことから逃げるなんて、思いついたところで許されない。自分の食べる食事、自分で使うものすべては、労働、または物々交換で手に入れなくてはならなかったからだ。

 今、13歳なら、何もしないで、楽しいことだけして1日過ごしても、ご飯は出るだろうし、親御さんが家に住まわせて保護しているので不自由なんて感じないはずだ。それが「保護」であるということも、多分意識していない。将来、たとえば10年後のことも、考えられないだろう。不確定要素が多すぎだ。

 ただ…大人になったら、よっぽどお金持ちで不労所得がある人以外は、気づいてくるものだ。
 お金って、働かないと、手に入らないんだね…。
 家賃って、案外高い…。
 毎日の食事って、割とお金がかかるんだ…。
 旅行ってさー。知らなかったけど、ぜいたくなことなんだね…。
 資格、とっとけばよかったなあ…。
 勉強、もっとしておけば、もうちょっと給料高かったのになあ…
 あの仕事、給料よさそう…。そっちの分野を大学へ行って、やっておけばよかったなあ…
 子供のころに、もっと一生懸命やっておけば、今頃…

 そう。子供のころには、「逃げないでなんでもやっておく」ことが自分の可能性を見つけるのにいい。
 向かないと思ったことでも、「時間をかければできる」ということだってある。ちょっとしたことでも、「出来るように」なっておくのが、人生で後から役に立ったという経験は、大勢の大人がしているはずだ。
 
あんまり、やり直しというのは、きかないものだ。高校も、大学も、学費がいるのだから。
いい高校に入る、いい大学(それも費用が安い国公立に)入るとなれば、義務教育時代にも勉強しておくと有利なんだね…というのが、大人になってからわかるから、自分の子供には、がんばってもらいたいんだよね。
 体を使うことは、子供のころにやっておけば、断然上達が早いというのも、ある。大人になってから、新しいことを覚えるのがどんなに大変か…。 大人がうるさいのには、理由がある。

 旅行に連れて行ってやりたいなあ。かわいい服を着せてやりたいなあ。不自由なく、過ごさせてやりたいなあ。おいしいものをたべさせてやりたいなあ…。

 という親の望みには、全部お金がかかる。 親が望むのは親の勝手もあるだろうが、子供だって、ねだるものねえ。「どうして、XXちゃんの家ではこういうのが買ってもらえるのに、うちはだめなの?」
 そういうことをね…考えると、大人だって「ああ、もうちょっとお金、あったらなあ」って思うものなのよ。
「世の中ね、顔かお金かなのよ」 という傑作な回文があるが、自分がもうちょっと稼げればと思うとき、若い時にもっと頑張っておけばよかったと思うことがある。子供に、「がんばれ、私みたいに後悔するんじゃないよ」と言いたくなるんだな、これが。
 
 まあ、教育方針というものもあるが、ぶっちゃけた話、お金の問題は大きい。子供がはっきりと、「将来には、お金も、いい生活も絶対いらないから、これをやらなくていいほうがいい」と言われたら、たいていの大人はひるむと思う。「じゃあ…やらなくていいかも」と思うからだ。そういう人生もあるよね、ということを、知っているのだから。

 だが…実際問題大人になって、非正規労働で、壁の薄いアパートに住み、冬は寒く、夏は暑く、給料は安く、ほしいものは買えず、食べるのにもぎりぎりで、教養もなく、図書館の本を読んだり、市営のコートで1時間200円でテニスをしたり、美術館を見に行ったり、絵をスケッチブックに描いたりするようなお金のかからない趣味もなく…となった時、本人は、本当に「あの時は逃げたかったんだからしょうがない」と思って、やりなおしたくなったりしないのなら…。

 …と考えたとき、「いや、やっぱりそこは、もうちょっと…」と思うから、「逃げないでやりなさい」というんだよ、ね。

 一度逃げると、ふんばりが利かなくなるという説もある。逃げたら、もちろん達成感は味わえない。自信も、つかない。やはりそういうものは、「自分でやるだけはやった」というところに、形成されるからだ。

 どこまで逃げて、どこまで逃げないか。この判断は、多分、まだ10代では、あまりできないと思う。本当にダメな時は、「逃げる」のではない。「ダメだとわかって戦略的に撤退」するわけだ。でも、やったことがないことが多い年齢だと、「ただ経験が少ないので、うまくいかない」のか、「長い期間やってみたとしても、結果が悪すぎて、ほかのことを試したほうがまし」なのかが、判断がつかない。

 だんだんと「自分の方向性」がわかってきて、「とりかからなくていいこと」がわかってくる。つまり、類似のことを経験して、どうにもだめだったら、これも多分ダメ、と推測が出来る。もう少し、経験を積まないとね、若いのなら。「まだ小さい」のならなおのことだ。
 だから、逃げないで、がんばって試そうね、という意味を込めて、大人は「逃げるな」というわけだ。

 「逃げてはいけない」と言われるのが、イヤ、というのはわかる。

だから、言い換えをしよう。

 「今は、逃げないほうがいい」 とか、「逃げないでやったほうがいい。なぜいいのかは、後からわかる」とか。

 13歳なら、「後からわかる」はきらいだろうな(笑)。

でも、やっぱり、大人にならなきゃわかんないこと…というのはあるものだ。そして大人になった時には、あんまり、やり直せない。

今は、可能性が信じられる、素晴らしい時期だと思うよ。大人になったら、何がしたいか。そういうことを考えられるからね。現状維持と、身辺10mで、生きている大人である私は、そう思う。みんな、どこかに落ち着いていくものだ。それはいいことだと思うけれど、せっかく現代に生きているのだもの…。若い時ぐらい、自分の生活のこと以外のことを、考えてもいいと思う。

 若いっていいね(笑)。 今、私は幸せだ。 若い時に戻りたくはないけれども、確かに…10代のころの楽しさ、輝きというのはある。 でもそれは、そのころには、見えないのだよね。きっと、この詩を書いた子も、「ああ、かわいかったなあ…」と思う日が、来るんだろうな。がんばれ。

 
つまり、人は…。「大人は」なぜ、逃げてはいけないという答えにたどり着いたのか。
私が思う答えは
「逃げて、後悔した人が多かったから」

 ここで注意しなきゃいけないのは、「逃げた人」と「逃げちゃいけないという答えを叫ぶ人」は、同時に存在するときは、かならず、
「別の人間」だということ。
「まだ逃げていない人」は「逃げちゃいけない」と思えるので、これは「同じ人間」だということはある。
 「逃げた人」は、逃げるのが正しいと、そのときは感じて、逃げるわけだが、後で「逃げなきゃよかった…」と思ったとき、「逃げちゃいけない」とアドバイスをする人になるわけだ。

 「逃げた人」で、「逃げて大正解」と思った人は、こういうことをあんまり言わない。「まあ…そういうこともあるよなあ」と、答えを濁す人は、逃げて大正解、またはそれしかなかった、ということを経験した人だ。ただし、その数は「逃げなきゃよかったな」と思ったことがあるひとよりはずっと少ないし、ほかに「逃げなきゃよかった」という経験もしていることが多いので、「一般論として逃げないほうが突破できる可能性は高い」故に…。「逃げるな」とアドバイスするのだと思う。

イチロー選手

イチローには、本当にお世話になっている。
 もちろん、私はイチロー選手とは、全く面識がない。が、アメリカに住んだことのある日本人は、全員、イチローに世話になっていると言ってもいいと思う。

 イチローが出てくるまで、多分アメリカで一番有名な日本人は、ジョン・レノンの奥さんの、ヨーコ・オノ。といっても、この場合有名なのは旦那さんのほうであって、奥さんにももちろん活躍の歴史はあるのだけれど、90年代にはあんまり詳しいことを知っているアメリカ人はいなかったと思う。「ああ、ジョンレノンの奥さんが、日本人だねえ」程度。

 イチローも、もちろん渡米してメジャーリーグに入ると聞いたときには、日本人はみんな「おおおー」と思ったが、メジャーリーグではもちろん無名だった。スポーツ選手とはいえ、イチローはアジア人、体格は6フィートにも満たず、マッチョにも見えず、人種差別も入って、ずいぶんな酷評ぶり…だったのは最初だけ。

 イチローは、だまーって、安打を量産し、盗塁をしまくり、挙句守備で、無理そうなボールを取って投げ返すその剛速球のコントロールのいいことったら…。「レーザービーム」と呼ばれていたのは、覚えている人も多いだろう。「スターウォーズの映画のよう」って一体何と比べてるの?という評価も聞いたことがある。

 人種差別主義者が黙らざるを得ないぐらい、活躍した。アジア人が白人にかなわないなんて、イチローを見れば、酔っていても言えないぐらいだった。彼はその年、首位打者になったからね…。四捨五入したら4割?と思うぐらい打ったし、スポーツに全然興味がない私も、野球のニュースだけはみたぐらいだ。打つだけじゃない、「外野手がキャッチするところを楽しみに見る」なんて野球は、イチローがいなかったときには、なかったものだと野球ファンの友達は言っていたっけ。「昨日の、イチローのプレイみた?」まず、野球好きの話題はこうだった。

 当時は私たちが日本人とみると、「イチローのファンだ」とか、「イチローは日本人だろう、彼はすごいな!」と、話題にしてくれる人が多くなった。日本人のイメージが、メガネ、出っ歯、首にカメラのカリカチュアされた、ドラマに出てくるヘンテコなおじぎをする日本人ではなく、「イチロー」に書き換わったのだ。イメージアップ、それも大アップだった。

 それと、スポーツ好きの男性だけでなく、子育てしている年齢層の人たちにも、彼はものすごく感謝されていた。彼は「クリーン」だったから。つまり、薬物と縁がなかったということだ。実はアメリカのスポーツ選手というのは、薬物疑惑のある人が、うんと多い。ドーピング疑惑だけでなく、麻薬とか、覚せい剤とかそっち系。アメリカでは、金の力は正義で、「お金持ちになりたい」「金の稼げる仕事に就きたい」もう、赤裸々に公言するものであって、「やりがいのある仕事に」も「人の役に立つ仕事に」もなにも、「儲からない仕事の、何がいいわけ?」という風潮がある。単純な子供(特に小学生男児)だとなおのこと。スポーツ選手は、年間何億円も稼ぐのであるから、素晴らしいと称賛されるし、あこがれる子供も多い。

 けれども、薬物疑惑で逮捕とかになると、「彼のように、なれるといいわね」とは、なかなか言えないものだ。金は儲かるほうがいいが、薬物はやっぱり困る。ゴシップ雑誌の根拠なんかない噂話であろうとなんとなくいやなものだ。でも、イチローには、そういう話は、まったくなかった。安心して、「イチローみたいに、なれたらいいわね」と言えた。 

 体格が小さい子供にも、「イチローを見なさい、彼は、小さくても(アメリカ基準だと6フィートないからスポーツ選手としては最小クラス)ああだよ?トレーニングで、一流になれるんだ」と言えた。彼は、準備に余念なく、あれだけ活躍する一流選手だというのにトレーニングを欠かさない。オフシーズンであろうと、ストレッチをし、筋トレ、ランニング…。基礎練習をやるわけだ。試合があるときも、早く来てそういうことをやるのがすごいと報道されていた。(ほかの選手は、そういう風に毎日やる人はいなかったらしい)

 子供のお手本に、ものすごく「いい」。努力と、一流でもそれを維持する力。簡単に稼げる金というものはない、自分の持っているものを使って、一生懸命やろうね?というのを教えたい人は多い。
「彼は、本当にすばらしいと思う、子供がロールモデルにするのに、どれだけありがたいか」というお母さんたちを私は何人も見た。彼が日本人だから、私との話題に出してくれるという要素はあるにしても、「カッコよく活躍して、有名で、裕福で、そして努力をする」この要素がそろったイチローは絶賛間違いなしだった。

 乱暴な言葉遣いをあまりしないし、下品なことも(それほど)言わないし、唾を吐いたり、ガムをかんだりしながらインタビューに答えないし、言葉少なに、ちょっとイイことを言うのが、またいい。イチローの本が英語でもどっさり出ている。8月に出た本の題名なんかすごいよ?「Ichiro Suzuki--Baseball's Most valuable player」(野球史上最高のプレイヤー)とか。子供用の伝記もあるし、【絵本】の題材にもなっている。あと、【彼をインタビューして、言葉を集めた本】なんかも出版された。彼は「ZEN」だ(禅のことらしい。東洋の神秘みたいなもので、わびさびとか、渋さとか、ああいう感じのことで、イメージがすごくよくて、あこがれる人が多い言葉)と言われている。

 いいよなあ、イチロー選手…。かっこいいよな…。そしてアメリカに住んでいると、日本人としてのアイデンティティを持ったまま、活躍してくれるイチローが、本当にありがたいな、と思う。いまだに、日本人がドラマに出てくるときには、「ぼわーん」と銅鑼の音がするんだけど(日本でも中国の人が出るときにはそうなることがあるよね)、これが「カキーン」とか、バットの音になると面白いのにな、と今思った。

 野球選手としては、40代で、相当な年齢だということだけど、まだまだ、伝説を作ってほしいと思う。

だんだんマヒしてくるもの

 アメリカで暮らしている期間が長くなるにしたがって、最初は「!!!」と思ったものも、素通り出来るようになる。それは、何か…というと「銃売り場」。

 銃を持ち、武装する権利が法律で認められているアメリカでは、もちろん銃を売るのだって合法だ。だから、スポーツとしての「射撃」とか「狩猟」とかも、ポピュラー。狩猟は「スポーツ」で、つまりバス釣りとかと同じで「獲物を狩る」からだろう、ライフルを売っているのはスポーツ用品売り場。空気銃ではなくて、金属の弾が出る、本物だ。安い奴は1万円前後、1万5千円出せば買える。

 もちろんこれは「スポーツ用」。弾のサイズは直径数ミリで、まあこれで人を殺そうと思ったら相当、打ち込まないとだめで、こういうもので生き物を狩るとしたら、リス、うさぎ、ウズラ…みたいな小動物。昔は「夕飯」を自分で取ってくる…というのだって
あったのだから、これはこれで、役にたったはずだ。

 これが、「子供用」があるんだな…。プラスチックで、青やピンクの【マイ・ファースト・ライフル】

 この「My first なんとか」というのは、子供用品にはすごくありがちなフレーズで、アメリカの子供のあこがれと言えばまず「My first Pony」。アメリカでは「家ではなかなか買ってもらえないけどほしいペット」のトップはポニー。乗るやつね。そりゃ、小さいとはいえ、馬。高いし大きいし、世話が大変。そりゃ買ってもらえる子供はうんと少ない。だから、「ポニーの人形」が人気がある(リカちゃんや、バービーみたいに着飾らせてお世話して遊ぶ)。「My first Bible」だの、「My first ABC」だの題名が付いた絵本もあるし、昔ソニーが「My first Sony」と名付けたカラフルなラジカセを売っていたこともあった。

 自転車にも、My first bikeもあるし、クレヨンやトランポリンや、お人形や…ともかく子供が使いそうな文房具やおもちゃには、たいていこのフレーズが付いたものがある…がしかし、「ライフル」と、My firstというこの二つが、くっつくのがアメリカだよな…と思う。

 このマイファーストライフルは、もちろん一回に1つしか、弾が出ないので連射は出来ない。こういうもので狩れる何かは、銃を向けなくても人間から逃げるようなものばっかり…または、「射撃」で生物でない的を撃つことを前提。こういう、小さい射撃用を「脅威」とみなす人は少ないので(それでも子供が、子供を撃って死なせる事故があるけど)子供用プレゼントにする人がいるわけだ。推奨年齢は8歳からだが、誤射しているのは、4歳とか、6歳とか、推奨年齢よりずっと小さいのが、うわぁ…ってなるけど。子供にとっては、おもちゃにしか、みえないよね…。ピンクのプラスチックの、こんなのが部屋に転がってたら、見かけだけならゲーム機用のガンコントローラといい勝負だ。

 今、そんな銃社会のアメリカで「規制の対象にしたらどうか」と言われているのは、連射の出来るライフル。一人でそれほど長くない時間、三分ぐらいで何十人も負傷、またはが死ぬみたいなことになるもの。こういう銃は、2014年まで、軍隊にしか売らないことになっていた。個人向けがなかったわけだ。軍隊でこういうのを訓練で撃ったことがある人がいて(たぶんかなり人数はいたはず)、2004年から2014年まで、期限付きで規制する法律があったのが、失効して、最近はこういう銃が一般向けに販売できるようになった。

 こんなものを「必要」とするのは、戦場にいる人だけじゃないのか…と思うのだけれど、銃を撃つのを趣味にしている人がいるのがアメリカ、「こういうのがいい」と思って買ってしまう人も出る。儲かれば売るのが商売の鉄則、これがものすごーーーく売れたらしい。

 で…乱射事件を起こした人が、「元軍人」だったりすると訓練されているだけに、ものすごいヒット率、もちろんゲームじゃないので、的は本物の人間だったから、大惨事…という事件が起こっているわけで。

 これが、一発撃って、ロード、一発撃って、ロード…というタイプの銃なら、目隠しして並んでいる18世紀ロシアの処刑場ならともかく、瞬く間に50人なんて無理なので、こういう大惨事は避けられるだろうから、というのが、規制したほうがいい、という人の意見なわけだ。大量殺戮可能な武器の抑制。

 銃規制が来て困るのは銃を作っている人と、銃の愛好家。この二種類の人の集まりが、「NRA」(全国ライフル協会と訳せばいいかな)という団体で、銃を規制されたら困るので、「殺傷力の高い銃を規制」したいヒラリー+オバマ陣営と対抗する、トランプの支持をして、お金を出している。

 どんな銃をもってしてでも、武装する権利を保障するとトランプは言う。もちろん丸腰の市民vsテロリストみたいな話はいやだと思うアメリカ人が多いのはわかる。でも…正直、全員武装していたら、テロリストに撃ち返せるというのは、理論上可能でも、よっぽど訓練された軍人ならともかく、いきなり夜にお酒飲んでるお店に入ってきて乱射する犯人に、自分も弾幕に身をさらしながら撃ち返せるのか?…と言われると、ねえ。

 「犯人も、自分も」持っていない。こっちのほうが断然安全なのを日本人の私は知っているからなあ…。全員武装していないと、いつ撃たれるかわからない社会に、アメリカ人は住みたいだろうか。「全員武装していれば、テロは防げた」…全員が、軍人ならね…。多分。

 全員徴兵のあるスイス人とかなら、まあ…どの大人も訓練されていると仮定すれば、、ありかもしれないけど…。それでも、やっぱり無理だと思うなあ。テロの命は意外性だから。「今から撃ちますからねーっ!」といって始めるテロはない。ちょっと聞いただけなら、「全員武装すれば、テロリストに勝てる」というのは正しく聞こえるけど、実のところは、そうじゃないんだよね…。

 家を出る時に銃をかついでさあ出発、ってどこの北斗の拳だ…と思う。北斗の拳という漫画は、核戦争で文明社会が滅び、人々が細々と生き残って、群雄割拠し、強いものが弱いものを踏みつけにする世界を、強くて優しい正義の味方がやっつけていくストーリー、つまり…弱いものは強いものに従え、または強くて乱暴な相手に襲われたら、返り討ちにしろ、というような世界の物語だった。

 トランプのいう「強いアメリカ」は、そういう世界に見えてくる。ショッピングセンターで乱射事件が起きたとき撃ち返せるように…と連射ライフルをお父さんがしょっていかなくてはならない日曜日。

「下の子を抱っこひもでだっこして、上の子の手を私がつなぐから、あなた、ライフル持ってね。途中で足りなくならないように、弾帯ベスト着ていってよ?スコープはこないだ割れたから、取り換えといたから。子供がぐずっても、防弾ベスト、脱がせないでよ!逃げ回るのに、着せるの大変なんだから!」

…いやだよね、やっぱり。

避難訓練って…。

 トイレの便器の上に、立っているちっちゃい女の子の写真が、シェアされていた。普通の、家のトイレで、やれやれ…子供ってねえ。と思うような写真だ。そういうかわいい写真は、SNSではあっちこっちでシェアされる。トイレットペーパーをガラガラーーーっってやって、半分埋まっている赤ちゃんとか、誕生日に、ケーキを手で食べてベッタベタのチョコレートだらけになった子とか。

 ただ、今回のこの便器の上に立つ子供の写真のシェアは、実はそんな話じゃなかった…という。

 これは、保育園でやる「避難訓練」の真似だったらしい。銃乱射事件が起きたとき、逃げて、トイレに隠れて、便器の上に立つと見つかりにくい。この動きを子供に覚えさせる避難訓練。

 日本人には、ちょっとわかりにくいかもしれない。日本の公衆トイレは、ドアの一番下と、床の隙間は数センチ。昔、田舎の小学校の鍵の壊れたトイレで、トイレの使用中には、友達にドアの下に足を引っかけて閉めてもらうという技があったから、少なくとも足の甲が入るぐらいの隙間はあるだろうが、その程度。多分、和式トイレのことを考えれば、外から見えないようにするには、そのぐらいの低さまでドアがいる。それが当たり前になっている状態で、洋式トイレを導入したので、いまだにドアの下の隙間は、あっても、10センチ…もないよね。 まあ、だから小さい子がうっかり鍵をかけてしまった時は大変だ。開けられないし泣いてるし、消防署が出動するような騒ぎになるし、中で何かあっても全然わからない。

 アメリカは、トイレの使用状態は必ず座ってなので、30cmぐらい、見えちゃっても平気なわけだ。150センチ台の私が座ったら足がぶらぶらする便器もあることを思うと、大体私の膝ぐらいまでは、ドアと床の間に隙間があることも。そうすると、外を歩くと、誰かが中に隠れているのが見える。 まあ、こうなると、子供が閉めこまれるという事故は起きない。ちっちゃい子だったら、しゃがんでくぐれば出られるからね。おかーさーん。とトイレ中の親御さんが入っているトイレに入れちゃうというのもある。
 
 これは実は隠れるのには向かない。足が、膝まで見えるわけだから、誰かが入っているのがよくわかる。隠れるためには、見られるのを避けるために、便器の上に立つのがいい。そうすると、ぱっと見は、誰もいないように見える、静かにしていれば…ばれないかも…。

 …というのが、この避難訓練。地震のでも、火事のでも、ハリケーンのでもない。学校が、幼稚園が、保育園が銃を持った人に襲われたときの、訓練。

 アメリカは豊かで、いろいろ進んだ国かもしれない。でも、こういうのを見ると、なかなか、これと引き換えにしたいものというのは、ないのではないかなと思う。もちろん日本でも教える。「知らない人についていっては、いけませんよ」それに、防犯ブザーも持たせる。「暗くならないうちに、帰りましょう」と5時には役所で鐘が鳴る街も多い。
 女の子なら、ある程度の年齢になったら、電車で痴漢に遭ったら…というような注意もしなくてはならない。

 でも…3歳児が、こんな訓練をしなきゃいけないというのは、なんとも言えないなあ…という気分になる。

 アメリカでも、銃の規制がもっと本格的にあったほうがいいんじゃないの?と思うのは、こんな時だ。なかなか難しいのはわかるけどね。

もしもアメリカ人だったら

私のアメリカ滞在というのは、あくまで一時的で、1年という年限もあるから、アメリカの大統領選挙は、高みの見物みたいなところもある。大体、投票権がないのもあるし。

 でも、「もし…だったら」ということで考えてみた。もし、私がアメリカ人であるか、または、ずっとアメリカに住むつもりでこの選挙を見ていたとしたら。

 大体、移民や、有色人種…特に黒人(アメリカではアフリカン・アメリカンと呼ぶものとされる)に、差別的な発言を繰り返すトランプは、大統領になるのは、ちょっと…と思う。何が起きるか、すごい事件が急に起こるのではないのだけれども、傾向としてなんとなく、方向性が見える気がするからだ。

 法の下の平等、なんていうものを高らかに宣言しないといけない…ぐらいに、差別は70年代まではひどかった。雇用にも、学校にも、日常生活にも、皮膚の色で差別はあったから、「市民権運動」が起こり、アメリカは法の下に皮膚の色で差別をしてはならない…というルールができたわけだ。「平等、しかし、区別される」という名目上の平等が「違法」とされた。

 そのころから40年たったいまでも、差別を目にする耳にすることはある。私は、それを「しょうがないなあ」と思っているし、大体自分は「外人」だし、私は日本に帰れば差別されない環境があるのだから、と思ってやっていけるわけだ。 

 例えば、免許証をチェック、と言って検問した警官が、免許証を出そうとした黒人男性を、銃を出そうとしたと早合点して、撃ち殺した事件なんて言うのが起きたら、裁判になる。その時、最高裁とかで争うとしたら…。この、最高裁の裁判官が、「トランプが指名した人」になる。それが、トランプが大統領になるということの効果で、あの人種差別的過激発言をするトランプの支持者=人種差別的な人が、来てしまうことになる。

 白人に有利な判決が出やすい、という批判は、今までにもあった。それに拍車がかかりそう、という懸念がある。今も、「不当に扱われている」と思っている人たちがいて、確かにひどい事件もあって、デモ行進で済めばいいけれども、こういう事件が起こり続けて、そういう白人優先がクローズアップされたとき…実際に、黒人の犯罪率は高いのかもしれない。でも、そんなことまでは、拡散されない。みんながわかるのは、黒人の方が、ずっと人数が少ないのに、警官に撃ち殺される人は、黒人の方がかなり多いということだけ。全員扱いが悪いなら我慢できるが、不公平」な扱いの方がいやだと思う人は多いものだ。

 私みたいな、一時在住の外国人なら、「もう、不当な扱いはいやだから、帰ろう」とおもえるけれど、アメリカ生まれのアメリカ人だったら…。そんな「二級市民」みたいに扱われることに、不満がたまる。法治国家における正当な方法、つまり裁判とか…が、人種差別ありき…の裁判官に牛耳られることになれば、あとは不満を持っていく先は、「人権運動」とかになるわけで、アメリカは銃も持っている人が多いから、あっという間に暴動に発展。人が死ぬような…。多分、貧しい地域から、順番に、暴動が起き、治安が悪くなり、犯罪率が上がり…

これは、今もそういう感じになってきてしまっているのだけれど、 犯罪率が上がった地域では、さらに警官が発砲する事件が増え、(警官も人の子、やっぱり撃たれるのは怖いから、先に発砲するケースが増える)余計悪循環に…。70年代は、新聞雑誌で済んだけれども、今じゃネットもあるし、動画撮影も簡単だ。さっき書いた検問でいきなり撃ち殺された事件は、同乗していた人が動画に一部始終を撮っていたので、拡散され、さすがの警察も言い逃れができなかった。


 そういう事件が起きる頻度が増えると、野火のように人権運動と、それが燃え上がった暴動が広がり…。それがいやなら、とても地価の高い、お金持ちのエリアに住むしかなくなる。貧乏人は、危なくても我慢しろ。いやなら、頑張って成功しろ。平等なんだから。

 殺伐とした世界。人種間の軋轢から、その距離は広がり、住む環境に差が出て、経済格差から、教育程度に差が出る、という、つまり70年代に逆戻りという感じになるのではないか…という気がする。暴動が起こりそうな環境に誰が住みたいだろうか。

 そこに、「もう背水の陣」と思って出てきた移民、つまり「もう帰るところはない」と思い定めて祖国を出てきた、移民がどっさり加わる。貧しく、政治に不満があり、教育程度が低いために正当な方法よりも、手っ取り早く直接的な方法を選んでいく「市民」が増えたら・・・・。
アメリカは、本当に、安全に暮らしにくい国になると思う。
だから、トランプよりはヒラリーのほうがましだと思うんだよね。これは、政治や外交の話じゃなくて、「暮らし向き」の話なのだ。

政治の話をするとすれば、トランプを支持する人たちは、「既得権益重視」、今、有利な条件を持っている人がお得になる政治を望んでいるということだ。それが、白人層、または裕福な人たち。または「移民に雇用を奪われると信じている無職になりやすい人たち」。でもさー。思うんだけど…。移民や、貧しい黒人層がつく仕事というのは、日本でいうと3K労働なんだよね…。 それさ…今でも募集あるのよ?でも、「そんな仕事に就くぐらいなら、無職でwelfareのほうがいい」という白人の低学歴層が、まあ…今のトランプの支持者の若年層なわけで。(ちなみに、中年壮年老年層は、既得権益を取られたくない人)雇用が本当に、外国に取られるのがいや…というのは、「貿易」というのがある以上、無意味。国内だけで、物事を済ませようというのなら、アメリカ人はものすごい高い製品を買うことになるか、アメリカ人の賃金ががくっと下がるか…単純にいうと、大体この2択になるわけ…なんてこと、考える力がなければ、「外国に損をさせられるアメリカ」というイメージ戦略に騙されて見えてないんじゃないか、と思う。


トランプは、わかりやすすぎる。たとえば、人種差別的なことをまったく言わず、黙っておければ、絶対もっと人気が出ただろうと思う。もしかしたら本当に当選ということだって…。そうしたら、どんな政策であろうと、傾きであろうと、国民は黙っておくしかなかったのだものね。

…割とバカそうな、ああいう発言で、国民の何割かに考えさせることになったので、それはそれでいいのか。アメリカ人は、どんな結論にたどりつくのだろう。怖いような、楽しみなような。

STAP細胞

【STAP細胞はあった】というニュース記事が、SNSでシェアされていたので読んだ。これで、同じ手順を踏んで、いろいろな大学がこれを実験して、「同じようになった」という論文が増えたら、つまり、STAP細胞の実験は、捏造とかじゃあなくて、少なくとも「やり方によっては」うまくいく…ということ、つまり、あの小保方さんの説は支持される、ということになる。

 商店街の洋品店で売っているサロンエプロンさえ、「かっぽうぎあります」なんて張り紙がされていたぐらい、あのころの小保方さんブームはすごかった。女性が、そういう分野で活躍しているニュースは少ないから、理系女子が増えるという効果も見込めるし、いい話だよなー。と思っていた後にあの捏造か、という話がでて、わけのわからないうちに関係者の自殺だの、なんだのまであって、全部話が終わって、実験も功績も全部なかったことみたいになっていて、じゃあ、あの「ネイチャー」みたいな伝統と権威と、信頼性をしょったものに「なぜ掲載されてしまったのか」というようなことも全くわからないままに終わって、後味が悪い感じだったので、これが本当なら、本当にいいな、と思う。

 ドイツの大学で、雇ってもらえたというのもよかったと思うし、そこで実験やって、うまくいって、この話が「ほかの人がやってもうまくいきます」という話になれば、ちゃんと、小保方さんは、汚名返上して、研究をもっともっと出来るようになる。ノーベル賞とか、そういうのだって20年、30年すりゃ、もらえるぐらいすごいことになるかもしれないものね。

 どんな事情とか、陰謀とかが日本の研究室にあったのか、とかは全然わからない。あったのか、なかったのかも。でも、その話を「なかったこと」にしようと思ったら、やっぱり立派な研究成果を、出さないといけないってことなんだろうね。大変なことだろうけど…。素晴らしい研究成果が出ますように。

北朝鮮のニュースを見ると思うこと

北朝鮮の話をネットで見るたびに、思い出す話がある。1960年代のこと、北朝鮮は、移住者を募っていたそうだ。「地上の楽園」と銘打って、誰もが平等に暮らせる社会だといって、その広告を信じて、日本人や、日本にそのころいた、韓国や、朝鮮籍の人たちが北朝鮮に渡ったらしい(朝鮮籍の人はつまり、「帰った」というのかな)。

 その時代は、日本にも共産化運動みたいなのがあったころで、全員が平等に働き、給料をもらい、誰が金持ち、誰が貧乏ということもなく、全員が同じにいい生活ができます…というようなことを言っていたらしい(これは、私の父から聞いた話)。

 私の父親は、田舎から出てきた、家を継げない次男坊というやつで、会社員になっていたのだが、会社の利益を全員平等にわけてくれるというのは、いい話かなあ、と思って集会を、一度見に行ったことがあったらしい。

 そのあと、その共産化運動に傾倒して、熱心に参加している同じ会社の人に、「お前らなんか、共産党の世の中になったら、二級市民なんだからな」…と、お酒に酔ったときに言われて、そんな区別があるのなら、平等なわけないよな、なんじゃそら。と思って、一気に興味が失せたそうだ。

 大体、社会主義を通そうとして、かなり大規模にやってみた、ソ連だって、だめだった、というのがわかってるし、人間は、働きに応じてでなく、全員平等に、働いても働かなくても給料くれる、となったら、それほど熱心に追及する人がなくなるのが当たり前なので、生産性が下がる…ということもあるし、やっぱり、共産主義というのは、なかなか、理想としてはありでも、実践は全員の顔が見えるぐらい、かなり小規模でないと、無理じゃないのかなあ、と思う。

 まあ、これは私が資本主義のもと、育ったということもあるのだろうけどね。大体、今私が働くとすれば、「働いた分よりたくさん」もらえるタイプの人になるだろうと思う。あんまり仕事する能力ないしね。割と簡単で、誰でも出来る仕事を、それなりにこなして帰ってくる…。そして、ぎりぎり暮らせる給料もらって、案外いけそう?…という気がするから、多分、渡航した人がいるんだろうな。

 自分が、高い専門性を持ち、うんと働いて、給料は他の人と一緒だったら…。こういう人は多分、「頭脳流出」みたいに、国外に行ってしまうんだろうなあ。
 
 全員平等、ってやっぱり、難しいと思う。専門性のある仕事というのは、やっぱりあるし、そういう人には、教育する費用と、時間だってうんとかかっているんだから、高い給料でも、「あり」だと思う。

 きっと、専門性のあんまりないころ…。中世は、と思ったけど、すでに中世でも、もう分業はあったというしな。。。となると、もっと前か。やっぱり、自給自足の世の中…ぐらい前になったら、共産「するしかなかった」んだろうし、ある程度コミュニティの中では、共産主義っぽくなったのかもしれないけど。

 共産主義を提唱した人を、そのぐらい前にタイムマシンで送ったら、面白かったかもなあ…。きっと、「これぞ、理想社会」と思ったに違いない。

私がこんなこというのもなんだけどさあ

働いてないで、家で専業主婦をやってる私が書くのもなんかな、と思うけど…でも。

過労死する人の話。これは、日本で、とても起きやすいみたい。
なぜか…と考えたとき、理由はいくつかある。

「断るのが苦手」な人が多い。
 そう…気配りの日本人。相手がどう思っているか、ということが、仕事のしやすさに絡んでくる環境もある。「仕事の出来」と「人間性は別」という切り分け方をしない人が多いので、人間関係が大事になりやすくて、そのために、自分の体調が悪くても、断りにくい…という感じになりやすい。

「同調圧力が強い」 自分の分が終わったらさっさと帰るねっ。という動きが、「あたりまえ」ではなく、それが「仕事がいい加減」だとか、「上司がまだ働いているのになってない」とか、「みんなが」働いているのに帰る…ということにすごく風当たりが強い。これ、適当に帰っちゃうと、「不真面目」みたいな評価がされることがあったりとか、「士気にかかわる」とか、何とかそういうふうになっちゃうのね。アメリカ人だったら、「自分の仕事が終わったら帰るね」で、まったく問題ない、という職場は多い。

「まじめで頑張る人が多い」
 これね…。どんな仕事でも、与えられたからには最高の結果を、みたいな追求があるからこそ、日本の商品は質が高い…ということもあるんだけどね?それはわかるんだけど、体、壊れるぐらいまでくると、どこか麻痺してくるんだよね。根性でがんばっちゃうというか…。理不尽なことでも、耐えているうちに、それがつらいことがわからなくなってくる。やめると絶対気づくんだけど…。

「一度仕事を辞めると不利に扱われることが多い」
 これがあるからこそ、みんなやめられないんだよねえ…。新卒で、勤めた会社を「少なくとも3年はやめるな」とか言われたりするし、「なぜやめたんですか」という質問も、次に就職するとき絶対されるし…。大体、「仕事の続かない人」という評価は、マイナスになりやすいんだよね。上昇志向があるとか、自分に合った仕事を探しているとか、たとえば大学で専門にやってきたことと、仕事のマッチングが悪かったので、今度はもっと得意分野に近いことを…とか、まあ、どんな理由でもいいけど、まず「やめた」ということ自体が、「仕事の評価」の一部になってしまうところが、きついと思う。

過労死…。死ぬぐらいなら、会社をやめたらいいのに…と思える人は、多分、そのいい加減というか、「自分が一番」という態度から言っても、古い体制の会社だと「変人」扱い。多分採用されない。「自分勝手」「気まま」といわれるのではないかと思う。
 または「外人みたい」とか、そういうことを言われるか…。さっさと帰ろうとすると、どうなるかというと、よけい仕事を積まれてしまうのだよね。「あ、じゃあ、これもやってよ」と。

 かくして、出来る人のところには、仕事が「回ってしまう」んだなこれが…。
そして、まじめに頑張る人は、それでも、こなしてしまうんだよね…なまじ、優秀なだけに。
 どこかで、限界が来て、そして体を壊し、精神を病み…。

 先月話題になった、電通の女性は、多分、上司が「仕事を大体一人分」しか、あてがっていなかったら、多分もうちょっといいスケジュールで家に帰れたと思う。優秀で、仕事が早く終わる。「じゃあこれもね」と言って、渡していたら、とてもじゃないけど一人分には多すぎ…という量になって、無理がだんだんたたってきて、つらくなってきたときに、回せなくなったんじゃないだろうかと思う。
 私は全然優秀じゃなかったから、そういうふうにはならなかったけれども…。でも、仕事場に、そういう同僚はいた。

 どこかで、開眼して、やめるにしても、「一年目でやめた」というのは、履歴書に、とても目立つように残るのだよね。特に「電通」みたいな、名の通ったところは。これが、まあ、小さい会社で、倒産しました!とかなら、話は別なんだけど。そういう大会社は「給料も、福利厚生もいい」というイメージがあるし、それでもやめた、となると、どうしても、やめた人に何か、問題があったのでは、と思われることが多いからね…。

 私の会社は「寿退社」は、「まあ、ありがち」という社風だったし、時代的に言っても「結婚して転勤についていって、退職しました」というのは、多分自己都合でやめる理由の中では、「一番マイナス評価が少ない」やめ方だ、という意識はあったと思う。次に就職活動をするとき、「なぜ、やめたんですか」といったとき、根掘り葉掘り聞かれにくい理由だという自覚はあった。

 だから、「いいや」とおもってやめたけれど、今の時代、終身雇用もないし、仕事を一度やめたら、次にもっといい仕事が見つかるとも限らないし、やっぱり「新卒から入る」のが一番条件がいい…というのは通説。

 電通の過労死事件の女性なんか、ものすごくもともと、優秀な人だったんだと思う。なんせ「電通」なんてとこへ入ろうというのだから、トップクラス間違いなし。大体私が出たような学校だったら資料請求すら、「記念資料請求」になるというような会社であって(笑)。多分、資料請求しても、切手封筒同封でも、私の出身校だったら資料なんか送ってこないと思う。

 きっと、どんな仕事をするにしても、いい成果が出せたと思う。無理さえ、させなければ。もったいないことを、と思う。
そして、こういう事件でも起こらない限り、注目されないけど…無理している人は、もっといそうだと思う。
 労働基準法、って何のためにあるんだろう、ほんと。せめて週に1日、全然仕事をやらない日があれば、違っただろうに…。

 自分の息子が、働くようになったとき…。どんな世の中になっているんだろう。私に似たら、まあ…気楽にやめてきそうではあるけど(笑)。そのとき、私は、「いいよ、死ぬよりましさ」と思ってやれるだろうか。やめない方がいいんだよ、とか思っちゃうってことは、やっぱり、私も、日本人らしい同調圧力と、根性論をもって、やってきたってことなんだろうけど、昔の終身雇用のころとは違う、給料も上がらない、家賃の補助とか、会社から家族ぐるみのケアがあるような時代じゃないんだってこと、覚えておかなくては、と思う。

大統領選挙(追記あり)


今はどっちが当選するのかなあ…というぐらい。正直両陣営とも、ネタ切れになってきて、トランプの3代前の人が名前をドイツ風だったのから、今の名前に変えたが、正式に届を出したわけではない、とか、ヒラリーの知り合いが、投票システムの開発元の会社に勤めているとか、「そんなことを知ったとしてどうしろと」というような報道ばっかり。

 結果が開票されて、本決まりになったら、残りを書こう。
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…と書いて寝たけど、おいおい…トランプ勝っちゃったよ。うちでは夫子供含めてヒラリー押しだったので、がっくり。
ちなみに、小学生の息子のクラスでは、男子が全員トランプ応援、女子は全員ヒラリー応援で、息子がヒラリー押しなのは、「こっそり」だったそう。「性別戦争」みたいになっているのだということだった。

 わかりやすいトランプに、大衆がもってかれた…ということなんだろうな。でも、「無理だから」みたいな「生産をアメリカに取り戻す」とか「メキシコとの間に壁を作る(ただし負担はメキシコ)」とか、どうするんだろう、あれ。まあ、そんなこと言ってる間にごまかして4年終わっちゃう…というパターンかもしれんけど。頼むから2期はやめてよ、という感じだ。

 今すぐ、アメリカの生活には違いは出ない…と思うけど(オフィス入りは1月だし)、でも今回の選挙はほんっとデマなニュースが多かった。それも、報道会社…新聞社とかのサイトじゃないの。SNSを通じて回ってくるポスト。どっちの陣営のやつも、出所が不明のうわさみたいなやつが多くて、それをまた、信ぴょう性たっぷりに書いてあるもんだから、どれも読むたびにどれが本当なのかわからなくなって、ソースを探しにいくのだけど、見つからない…みたいなものが多くて、こういう接戦だったのは、ブッシュVSアル・ゴアの時も見たけど、選挙戦自体が変わってきているのを感じる。

 確かブッシュの時は、フロリダはリカウントになったんだけど、今回、どうなんだろう。不正という線は…トランプが負けてたら主張するつもりだったみたいだったけど…。
 
 ヒラリーはやらないだろうな…。しかしびっくりした。日本への影響となると、やっぱり関税とかか。「日米貿易摩擦」がまた出てきて・・・・。駐留軍隊も縮小、とかかな。しばらく円高だろうなあ。まあ、円高自体は旅行とかする時にはいいけどね。うちは株とかもやってないから、株価が下がるだろうけどそれほど目立って影響ないし、3月末には日本に帰るから、言うほど問題ないはず…だけど、人種差別…。それから性差別が「それもあり」みたいになってきて、荒れそうだな、アメリカ。

 上院下院、大統領が共和党で揃っちゃったし、最高裁はあのトランプの支持者が来るだろうし、マイノリティには住みにくい国になりそうだ。
 
 それと、非白人の大統領は、実現したけど、女性の大統領は実現しなかったね…。これはしばらく、無理かもしれないな。90年代は、子供用の雑誌なんかで「マイノリティの大統領と、女性の大統領、どっちが先だと思いますか」なんてアンケートしてたものだったけど。やっぱり、女性の中にも、「大統領は男性がいい」というひともいるのだろうな。

 アメリカ人の中には、「トランプが当選しても、実際働くのは周りの人なんだから、そうそうひどいことにはならない」と言っている人もいるんだけど、どうなんだろうなあ。副大統領は大変だと思うよ。手腕のある人であることを祈るけど…。
 自分の国ではない…ということに、ちょっとほっとする。

 まあ4年後、トランプがひどければ、ぐわっとリベラル寄りに傾くだろうな。
どこまでトランプが、自分で広げた大風呂敷を、回収(できるのか)、またはごまかすのか…。見どころと思うしかないな。
第三次世界大戦が起こりませんように(特に核兵器使用のやつが)。

労働を平等に?

うちは結局、共働きにはしなかった。結婚してしばらくアメリカで暮らして、帰ってきたとき、私の再就職の話もなかったわけではないのだけれども、「平等とは」「続けられる働き方とは」というようなことを話し合って、こういう形に落ち着いた。

 夫は、家事が、死ぬほど苦手。大学生になって家を出たときは「まかないつき下宿」に住んでいたぐらい料理が出来ず、掃除は歴代の彼女がしていたらしい。かろうじてコインランドリーと、クリーニングのどちらかを使うか…という見分けは可能で、スーツをコインランドリーにかけたことはなかったらしいが、普段着るようなものでも、ネットにいれたり、乾燥の温度を調整する…というようなことはまったく気にしていなかった。義母と同居したことはあるが、あれだけ器用で、何でもできて、まめなお義母さんなのに、どうしてこうなった…という感じだった。(あ、そうか、何でも出来たからこうなったのかも)

 彼は当時、アメリカでの仕事が終わってしまって、私の再就職と同時に、彼も求職中だった。彼は、「俺、稼ぐから。仕事なら掛け持ちも出来るし、二人が暮らせるだけいける。でも、家事はつらい」と言った。帰って、ごはんを作る…のはまず難しいし、食べた後の皿洗って、掃除して、洗濯をすると思うと、絶対いやになる。かといって、私が働きに行って帰ってきて、家事を全部やる…というのが不公平なのはわかる。だから、家にいて、家事をやって、ごはん作って待ってくれたら、その方が、俺にとっては絶対いいのだ、とまあ、こういう話だった。

 二人分の生活に、困らないだけ稼いでくるから。だから、家にいて、家事をやって…。と言われて、私は考えた。
 私は仕事が好きではない。私の職種は、「事務の人」。書類書いたり、電話取ったり、スケジュール管理したり、あとは備品や、消耗品の管理をしたり、出張費や交通費を使ったとき清算をやったり、果ては中小企業だったので、給料計算とかもやっていた。そういう、どこの会社でもいるような雑用係。まあ、女性の仕事としては私が学校を卒業して就職した頃だと「ありがち」な部類で、慣れてしまえば難しくはない。

 その仕事が大好きか?と聞かれると、「別に」としか答えようがなかった。私は結婚前も働いていたが、それは自分の生活を支えるためであって、毎日元気に働いてはいたし、今日もがんばろう、と出かけて、今日も無事終わった、よかったなあ。というのはあっても、それ以上の感慨はなく、無事生活が回っていくことに、安心と安定はあっても、目的意識とか、向上心とかがあったわけでもなく、やりがいとか、仕事に愛を感じるとか、そういうことは全くなかった。

 家に、いるのでもいい?…という夫の願いを、受け入れない理由もなかった。独身時代は外で気を使って、朝から夜まで働き、決算期にはサービス残業、手取り18万ぐらい?でも、正社員でそれで、再就職は「契約社員」のオファーが多かったから、金額は落ちるだろうという予想はついた。フルタイムで、福利厚生あって、10万円以上あれば、共働きなら、今の時点で問題ないだろうけど、派遣で、正社員と同じ仕事なのに給料が少なくて、福利厚生もあまりなく、挙句帰って全家事を彼のためにする体力、残るかな…。と思ったとき…。無理かも、と思った。子供を作るつもりはあったので、産休育休のことも考えると、正社員としての就職は確かに難しかった。私に「それでも雇いましょう」と言われるほどの特殊技能はなかった。

 ありていに言えば、私にとっては、家事の方が楽に決まっていた。彼には、やることすら考えたくもない労働ですごく大変でも、私にとっては「軽作業」の域を出ない。
「どうしても、俺が稼ぐ分で足りないとなったら、その時は「働いてください」と頼むから」
…というので、「ほんっとーーーにそれでいいのね?」と念を押して、この計画になった。

 まあ、そのあとすぐ妊娠が発覚して、話はもう、どっちにしろ私が働く話にはならなかったのだけれども、夫としては、「家事するぐらいだったら、仕事掛け持ちの方がまし」というのは、本当のようだった。彼は求職をしながら、アルバイトをいくつか掛け持ちして、手取りで20万とか25万円とか稼いでくれ、半年の間に見事、ちゃんとフルタイムの仕事を見つけてきてくれた。

 そして、おなかの中の赤ちゃんに、「お父さんは、稼ぐよ」と言ってくれた。
その約束は、今も変わらない。彼は私と、子供の生活する分をちゃんと稼いでくれ、なおかつ私が作る食事にお礼を言ってくれて、夕飯の片づけが終わったら、「今日も、皿洗ってくれてありがとう」と言ってくれる。

 世間的に見たら、夫だけが労力が大きいみたいに見えるだろうけれど、彼は今でも、「こっちの方がいい」と言ってくれる。
問題は、今はもう私は若くはないので、「お金足りないから、一緒に働いてくれない?」と言われたとき、就職先に困ること。
 キャリアというのは、稼いでくる金額とはまた別に積んでおく価値があると思う。ブランクが長すぎで雇ってもらえない現状を認識すると確かにそう思う。つまり、今、夫が倒れたりすると、突然ハードモードになるってこと。他のプランが出せないのが、問題。つまり共働きには「代替プランが出せる」というメリットがある。
 私はそれが出来ないから、頑張って、節約に励んでいるわけだけど(笑)。

 でも…。共働きで、仕事も家事も半分ずつだったら、ここまで仲良くやってこれていないかもしれないな、とも思う。
お互い、「自分が出来ないことを相手がやってくれていて、すばらしいな」と思ってやってこれたというのは、うれしいことだと思う。

 平等にやっていけるか…。これが、もし、夫の給料が3人で節約してもやっていけるほどなかったら、話はもっと違ってきていたのだと思う。まあ…そんなに給料が低い仕事…というのは、フルタイムじゃないかもしれないけど。

 結婚した当時にアメリカで暮らした頃は貧乏で、二人でたった一部屋で住んでいた。キッチンは、「キチネット」とかいうもので、つまり部屋に流し台と、調理コーナーがくっついているだけ、部屋のほとんどがベッドに占有され、彼の仕事はテーブルで。ごはんの時には全部どけて食べ、私は家にいるときには、ベッドの上にしか居場所がない、そんな部屋。デートは本屋や図書館や公園で、250円ぐらいの「お茶」が、デートの贅沢だった。服は破れるまで着た。ケータイはもうみんなが持っている時代だったが、私も彼も、ケータイは持っていなかった。それでも、幸せだった。図書館の本で十分だったし、二人で話す時間は今と同じに楽しかった。

 …でも、多分…。あのままだと子供は持てなかったかもしれないけど、案外それで、暮らせてしまったかもしれないという気がする。 

だとしたら、うちはやっぱり、家事は私、仕事は夫…というスタイルに落ち着いたんだろうなあ。

 今は、ずいぶん贅沢が出来るようになったなあ…。当時を思い出すと確かにそうだ。買い物をしながら、「アスパラガス高いな」とか思っても買ってしまうし、本当は必要がないお菓子とかも買うし、こないだ子供が愛読している本の新刊が出たときも、迷いもしないで買ったものね、1200円ぐらいしたけど。こないだ、家族で出かけて、おやつに買ってもらったミルクシェイク、私と子供の二人分でも、8ドルだった…。スターバックスの傘の下で飲む1ドル半の紅茶と、99セントの薄いコーヒーが、滅多にない「特別なデート」だったときのことを考えたら、ね。

 私も言おう。「いつも、お仕事ありがとう」って。絶対、彼は笑ってくれる。「いつも、おいしいごはんをありがとうね」って。

お金がたまるコツってそんなにたくさんないかも?

私は、ここ最近、出かける用事もなく、子供は学校、夫は仕事、家事は朝に片づけてしまえば、大変暇。これが日本だと、お友達とランチとか、習い事とか、買い物に行ってぶらぶらするとか、図書館に行って本を借りるとかそういうことが自分で出来てしまうのだけれど、アメリカでは、夫が車に乗って出かけてしまうと、そういうことが一切、出来なくなってしまう。

 出かける先はネット!というわけで、私は、「うちのローンは気にしなくても大丈夫」な状態になっているということが分かったけれど、そういう記事を読み漁った。ブログにそういう情報を書いて、PV稼いで副業にしている人もいたりして、さすが、そういう人のブログは「稼げている」だけあって面白い。題名も、ちょっと読みたいな、とか、参考になるかな、と思えるようにつけてあったり、「確かに、自分ちでも出来るかもな」と思わせるようなものもあったりして、ついつい、何記事も読んでしまった。

 たばこや、お酒をやめ、なるべく貯金をしましょうとか、年収が少なくても、家は買えます…という記事を読んでいると、なるほどもっとも、そして…割とうちの夫もやっていることは、それほど違わない気がする。
 
 彼は、たばこを吸わない。お酒も、飲みにいかないし、家で飲むとしたら絶対、ビール350mlを1本でおしまい。なおかつ「毎日飲んだら、1カ月5000円だけど、2日に1回なら2500円だからねえ」といって、日本にいるときは、2日に1回に調整していた。ちなみに、今は酒税の関係で缶ビール1本100円切る(発泡酒じゃなくて、ビールでも)というのがあるので、毎日飲んでいるけど。

 そして、貯金を毎月している。銀行に振り込まれる給料を、そのまま一定額貯金に回すようなやつとか、一定の間隔で定期に入るようになってるとかそういうやつだったはず。 最初からないと思えば、人間何とかなるものよ…みたいなもので、大体昔真剣に貧乏だったので、割と「どうにか出来てしまう」ために、まあ…おかずに牛肉は出ないが、割と貯金していると思う。

追記:あとで、夫と話が出来るときに、貯金がどうなっているのか聞いたら、「ローンが順調なのはいいんだけど、繰り上げてるから貯金が少なくなってるんだよねえ…。頑張って貯めないと」と言っていたから、ローンが優先になっているっぽい。何か非常事態があったらどうするのか聞いたら、勤め先には、そういう時にお金を低利子で貸してくれる制度があるそうで、そっちのほうが利子が安いから、ローンを先に返す方がいいのだという説明だった。


 月初に、決まった額を下してその額で生活、なるべく銀行のお金に手を付けない。
これに関しては、日常使う金額、つまり「家計費」は、確かにそうしている。インフラ関係は全部引き落とし。そのほかの食費、服飾費、雑費、日用品費、習い事費、観光葬祭費、交際費、交通費、非常時以外の医療費…などは、一定の額が私が使う口座に入金されて、私はその額で1カ月のやりくりをする。使わない分は、次の月に繰り越し。ちなみに、テキトーに使うと、うっかり食費にかけすぎちゃったりするので、項目別に封筒にわけて、その用途以外にはなるべく使わないようにしている。 封筒にわける家計のマネジメントのやり方は、主婦向け雑誌なんかに出ているので、参考にした。封筒にたまる分が多くなって来たら、私が口座に戻す。

 ボーナスに頼らない。
 これに関しては、つまり「ボーナス払いを使うな」ということらしい。
つまり、ボーナスというのは、「出ないかもしれない」ことを念頭に入れておかないと、先にボーナス払いでーっといって、買い物をしてから、入ってこないとなったら、大変だから。 うちは、「ボーナスが出たら繰り上げ返済」。実は、ローンに「ボーナスのとき払う分」は設定されていないらしい。つまり年14回払いではなくて12回払い。ボーナスの分は「払えたらラッキー」で、なかったらまあ、しょうがないね、ということなのだとか。 だから、ボーナス出たら、これ買おうか、という話は、うちには全然ない(ちょっとさびしい)。

 稼ぐ額を増やしましょう。節約より、効率がいいです
 これに関しては、家を買う前のことになってしまうけれど、仕事の種類こそ同じだけれど、彼は勤め先を変えている。それでだいぶ給料の額が変わったらしい。まあ、これから、また彼が働きたいと思った場所が変わるのかもしれないけれど、今のところは「あがるほう」にしか変わっていないので、これも、いろいろ考えたんだろうなあ、と思う。まあ、私にはいつでも事後承諾だけど。

 年払い出来るものは、年払いで。
保険金とかで年払いにした方がちょっとお得になるものを、彼は年払いにしているらしい。月払いにしているつもりで積み立てておいて、年払いにして、余った分は、わーい。お得ー。ということになっていて、それで今日は外食なんだよ?と笑っていたことがあるから、楽しいことに使うために、そういうのもやってくれているらしい。…あ、でも、それだと楽しいけど、節約にはならないのか(笑)。
 もし、それを貯金に回せるなら、それは、こういう「お金を貯めるコツ」になるんだと思う。

変動金利より、固定金利で。
 ちなみに、これはローンを組むとき、夫に相談された。私たちは2人とも、金融関連とか、経済に関しては素人。正直金利が上がるか下がるか、円が上がるの、ドルが上がるの、株価がどうの、という話は「絶対、予想は無理」ということで意見は一致している。投資も、世の中には出来る人はいるのかもしれないが、「うちはもう、そういうもので大儲けはしないけど、大損もしない」という方針で、という合意があるので、利子も、「予想外の動きが出るかも、というリスクは取らない」という方向で、固定金利にした。
 まあ、利子が1%台だったというのもある。下がってもゼロまでだけれど、何かが起きて6%とかになったら、どうする??というのがあった。なんせ、若いときに家を買った友達には、利子が8%だったなんていう人もいるのだ。消費税と同じじゃんと侮るなかれ・・・・。金額が大きければ、8%でも、相当な額になる。

 こうやってみていると、お金がたまるように、またはローンが払えるように…というコツって、結構決まっているのかもしれないなあ、と思う。もしかして、彼もこういうブログとか、読んでいたりするのかもね。

家を買う話を読む

 人生のイベント…それも、「滅多にやらないイベント」の話は面白い。ママ友さんと話をして面白いのは、「初めて妊娠出産したときのこと」。印象が強いのと、初めてでわけがわからないのと、自分もやったという事実により、誰のを聞いても、かなり面白い妊娠出産エピソードが聞ける。

 これと同じなのが「家を買う」エピソード。まあ、親戚に大工さんがあって、リフォームが格安だったとか、親御さんが買った土地が余っていたので建てたとか、そういう「自分にはないな」という特殊な話をのぞいても、結構面白い話がネットにはある。

 普通の子育てブログ、家庭生活ブログの一部になっているようなやつは、なんとなく信ぴょう性があるような気がするのは、つまり家を建てている以外の全然関係ないことを、100個単位で日記にしているその手間がすごいから。きっと、「本当の体験談なんだろうな」と思わせる。それが「ブログが副業になって稼げる」と正直に書いてあっても、家を建てる以外の記事も楽しめるし、これだけ楽しい文章が読めるんだったら、稼げてもいいよねえ、と思える。

 今日出っくわしたブログは、最初は家を建てて損をした…というところからスタート。私小説のような感じで、ドラマチックに話は進んで、へー。確かにこれは大変…と思って読み進んだら、最後の方になって、家を建てるとき、やっぱり参考になるのは、こういうサイトです、というので、不動産関連の商業サイトへのリンクがばーーんと。

 あー。なんだ…。これはつまり、ここへ誘導するのに、多分この商業サイトがお金で雇ったライターさんが書いているんだな…という感じがした。ほかに記事があるわけでもないブログ。ちぇ…なんか騙された感じがする。確かに文章はうまかった。だって、全ストーリー読んじゃったもんね?

 でもなあ…ここで、あ、宣伝かあ…って見えちゃったら、台無しな気がする。体験談も、「そりゃ、こんなにひどい失敗する前に気づけよだし、都合よすぎる大団円も、確かに作り物くさい」と思えてきてしまう。もちろん、本当のことかもしれないよ?確かにこのサイトは役に立つのかもしれないよ。でも、やっぱり、面白くないというか、遊園地のヒーローショーのファスナーが見えたような感じで、面白くなかった。

 私がさんざん読んでしまったサイトも、作っているのかもしれないし、ブログで収入を得ていると書いてあったけれど、なんていうか、うまく、素人くささを残してあるところが、違うんだな…。あと、関係ない記事をたくさんいれて、「自分も、あなたたちのような普通の人の一人です」ということを見せるだけの手間をかけてるよね。タネも仕掛けも丸見えの手品みたいなことをしない、十分うまく、カムフラージュして、信じられるようにしてあれば、タネも仕掛けもあっていいのだ。つまりネットの文章はエンターテイメントなんだから。

 …まあ、ただで読んでる文章に、文句を言うのもなんだけどさ。
難しいところだよね、雇われたライターさんとしては。そこまで誘導できれば、後味というものは考えず、自分の仕事はここまで、なんだろうけど、って、あ、そうか。ライターさんは、文章1本で、お値段が決まっているんだから、そこまで書いたら終わりでいいんだよね。仕掛けが見えようと、空飛ぶウルトラマンがワイヤーでつられているのが丸見えだろうと、お客さんをその場に一回、連れて来ればおしまいでいいわけだ。

 ブログの人は、継続的に人を呼び込み続けなくては行けないから、いかに毎日来てもらうか、継続してもらうかがカギってことか。
お金を稼ぐって、難しいね。

 私は広告とかPVとかを気にしないで好きなことを書いているだけなので、いいんだけど、もし、ブログで、文章でお金を取ろうと思ったら…。気楽に直打ちとかしないで、エディタソフトで推敲とかするんだろうなあ。

 …とかいいつつ、また「家を買うコツ」とか検索語を入れて、また読みに行っちゃうのだけど。

 

新築に住みたい?(この話題終了)

ブログをたくさん見ていると、本当に地方によって、いろいろなんだな、と思う。都内だと、頭金4000万円貯めて、ローン2000万円でも、35坪の日当りのいい家が買えないんですってよ!というか、「区による」らしいけど。今住んでいる町だと、選ぶ場所にもよるけど35坪で、日当りのいい家が、ローンなし現金で買えてしまうと思う。バスで駅まで行くのでもよければ、35坪なんて言わないでもっと広いのが買えると思う。もう1000万円上乗せしたら、駅のそばの豪華マンションだって買えると思う。うーん。地方に住んでいてよかったかも。
東京にお勤めの場合はそうなるのかもしれないけど、いくら東京の給料水準が高いといっても、人生に必要とされる金額が大きすぎではないのかな、と思う。私だったら…。お願いして、隣県から通勤してもらうと思う。一億円払って、35坪…。
子供の時住んでいた田舎の家のことを考えると…。都会って土地が高いんだね…。集落には、1000坪なんて敷地の家があったからね…。柿とか、栗とかが植えてあるの(笑)。
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 夫は30台でアメリカから帰ってきて、そのあとみつけた勤め先が実家にとても近かったので、同居させてもらっていた。実は夫の実家は、お義母さんが仕事を辞めてから建てたという、肝いりの注文住宅だった。
私たちが一部屋貸してもらっても、大丈夫だったのだ。

 義両親は、結婚してすぐ、中古の住宅を買ったのだそうで、それが夫が育った家。築浅の物件だったとは言うが、やっぱり中古なのは間違いがなかった。ローンももちろん返して、子供が大きくなり独立し…。義母は自分が働いた分をせっせと貯蓄して、義父の給料だけで生活をして…そして、近所の土地が売りに出されたのを機に、古い家と土地を売って、その売り出された土地を古い方をつまり「下取りに出し」、自分の貯金で買って、家を建ててしまった。

 私はその話を聞いたとき、ものすごいな…と思ったけれど、理由が「どうしても、新築に一度住みたかったから」というのがなんともかわいいというか…夫はそれを聞いて、「そういうことが、気になるのか…」ととても驚いたらしい。夫婦仲もよく、男女一人ずつの子供、義父も割といい金額を稼いでいたようで、夫の子供時代の話を聞くとうちよりずっとお金持ちな感じがするぐらいだから、絵にかいたような一家だっただろうに、60になって、仕事を辞めて、心残りが、「そこ」なんだ?というのは、義父にも実のところ、驚きがあったということだった。

 私たちはその、お義母さんの夢の家に、住まわせてもらったわけだ。その間に、家賃と生活費は払ってはいたが、やはり普通の賃貸よりぐっとお得にしてもらっていて、私たちはそこで、貯金をした。数年たって、夫が新しく仕事を決めたところが、やけに遠くだったため、引っ越しになって…。そのあとまた転勤して…。また転勤して…。そしてまた転勤して…

 「もう、多分転勤ないよ、短くてすぐ帰ってくるのでないやつはない(ちなみに、それがいまアメリカにいる理由)」と言われたときに落ち着いた先が、私たちが家を買うと決めた町だった、というわけだ。

 「ねー、うちのローンが20年なのは、なんで?」
 「組むとき、20代とか30代前半だったら、多分、35年ローンとか、30年ローンでいいんだと思うよ?」
…というのが答えだった。

 大体、60歳とか、65歳とか、そのぐらいで仕事を辞めるはずだと彼は思っていること。
 そのぐらいまでにローンが終わってる…ことを考えたら、20年か25年だったんだけど、20年のほうで、いけそうだと思ったらしい。

…とかいいつつ、7、8年で返すつもりみたいだけど。

 そのお義母さんの夢の家の話があるものだから、家を探している時、夫は私に、「やっぱり、新築にしておく?」と優しく聞いてくれたのだった。
私も、中古の方がお得なのはよーくわかっていた。「新築プレミア」という言葉もあるそうで、新築だからという上乗せ分があるんだとか。ドアを開けて、入居したとたん、価値が3割下がるみたいな話も聞いた。でも、私は自分の気持ちが、60歳になったとき、どうなっているのかが、ちょっとわからなかった。
「私も…一度は新築に住みたかった」って思うのかなあ…。なんせ、見た例が強烈すぎた。

 悩んでいたら、夫が、「じゃあ、新築にしてしまおう、これで後悔する要素はない!つまりは違いは金だけだから!」と言って、決めてくれた。金はあとからでも稼げるが、新築に住む機会は、なかなか手に入れにくい、という判断だったんだろう。

 40代でローンを組むののいいところは、頭金を貯めちゃっているので、審査が気楽なこと(頭金をたくさん入れると落ちにくいらしい)、短い分、利子が少ないこと。うちみたいに、子供が出来るのが遅かった場合は、こういうのもいいのではないかと思う。
20歳で結婚してすぐ子供を産んでいたら、40歳だと子供19歳。確かに、家からすぐ出ていきそうだ。
 
 確かにね…。子育て支援施設で一緒になったお母さんの中には、19歳で子供2歳とかいう人もいたもんね…。子供育てて18になっても、自分35歳とか…。それから、働きに出たり出来るよね…と、30台のママさんとしみじみしたものだった。人生設計はいろいろだなあ、と思う。
 
 家を買うのはやっぱり、なかなか簡単に出来る決断ではない。私は買ってよかった、と思っている。でも他の人生の要素と同じように、何を優先して、どれを優先しないのか…自分が、幸せだと思えるのは、どんなことか。そういうことなんだと思う。

 私も夫も、「家を選ぶのは、楽しかったし、買ってよかったと思う」というのは一致している。
仮に、買ってなかったら、どうしたかねえ?という話もしてみた。

 「それなりに、やって行けたと思うよ?だって、別に賃貸が多少不便でもね、あれは慣れるよ、住んでるうちに絶対慣れる」
あー。そうだよね。賃貸にもずいぶん住んだけど、狭ければ狭いなり、広ければ広いなりにどうにかなってしまうものだ。多少不便な間取りでも、住んでいるうちに違和感がなくなる。

 「でも、1つ前に住んでた賃貸覚えてる?あそこ、家賃12万だよ?あれだったら、マンションの方がいいと思わない?」

…そうなんだよ…。一つ前に住んでいたところは、ものすごい大急ぎで家を決めなきゃいけなかった。決まったのは急だし、赴任もぎりぎり、前から選んでおけなかったので、その時借りられる中から選んだ。なんていうか「余り」みたいな、人気のない物件。環境が悪いか、狭いか、高いか。(都会だと、12万円は高くはないだろうが、地方だとかなり高い)
 つまり選んだ賃貸は物件の質の割に「高かった」ということ。確かに12万円、あの家に払い続けて手元に何も残らないことを思えば、どうせ払うなら…。

 やっぱり、買ってよかったね。となって話は終わった。 
「まあ、俺らの親の時代と違って、ローン払い終わったら土地の価値が上がっている」という時代じゃないからね。自己満足で買うんだよ、なんて夫は笑っていたが、一度やってみたかったのは彼も同じ。二人でやった面白い一大イベントとして覚えておくことなんだと思う。

 これから家を買う人は、楽しめますように、と祈っておこう。私たちが楽しんだのと同じように。やっぱり家を買うのは、一大イベントだ。
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 この話題、夫婦の会話も増えて、面白かった。いろんな話も思い出せたし、頑張って貯金しようね、という話も出来たし、私も節約に励むモチベーションが上がった。楽しく、居心地よく過ごせる部屋。おいしい食事、仲良く話せる相手。 そしてお金をかけなくても楽しめる趣味(笑)。

 いろいろなネットの質問や、ブログを読みまくると、やっぱり堅実にいくのが一番。お金のかからない奥さんでいいんだ、ってこと。私がおしゃれじゃないのにも、メリットはあるってことだね!

ブスは三日で…

そういや、昔から言われるのは聞いた。「美人は3日であきるが、ブスは3日でなれる」 まあこれは、絶世の美女ではない私たちが、美人がモテるなあ…やっぱり、結婚とかお付き合いとかは、なかなかねえ…という気分になるとき、「ま、そういう話もあることだしさ、きっといいひとがいるよねえ」ということのために出すもの…という認識があった。

 が、メディアが発達して、そこらじゅうの美男美女を画像なり、動画なりで見慣れてしまった昨今、この言い回しを出してから、「といっても、ブスにはまず、初日のチャンスがない」と付け加えるという、別バージョンがあるらしい。
 これは、「ただしイケメンに限る」という、どんな素敵な気配りの出来る人でも、イケメンでなかったら台無し…というような、希望を打ち砕く言い回しの女性版らしい。

 私たちの親から年上ぐらいの世代では、「結婚はするもの」という明文化されていないルールがあって、誰でも「それなり」に、つまり顔というものは、各人、自分の力ではどうにもならないものであるという了解の下、共同生活を営めるだけのコンパチビリティがあればそれでなんとか…というような最低ラインを設けて、結婚にこぎつけるというシステムが機能したらしい。

けれども、結婚しないという選択肢を取ることも出来るようになった昨今、「理想的な相手が現れないなら、結婚しなくても別に」という人が、たとえば、イケメンであるとか、美人であるとか…という条件を「必要条件」にしてしまうことによって、こういう言い回しが面白いと思われるようになったみたいだ。

 まあね…美男美女というのは、眺めるのにはいいと思う。いつ見たって、かっこいい人、美しい人というのはある。ただ、あまりにもわかりやすいために、そういう人を自分のものにしたい…と思う人は多いので、競争率は高いし、美男美女にも好みというものはあるから、やっぱり外見がいい人同士がくっつきやすいんだろうなあ…。

 ラッキーなことに、私の夫は相手を顔で選ぶ人ではなかったため、無事私は結婚出来たわけだけれど…でも、初日のチャンスもない…とかイケメンに限るとか、どこか違和感があるんだよねえ…。いや…私は夫のことをイケメンだと思っているけれども。そういう問題ではなくて。

 …多分、私は、世の中の人がこういうことを考えている人ばっかりではないと思いたいんだよね。だって、誰もが認めるような美男美女なんて、何パーセントいる?テレビに出てくるような人は、とびっきり、おもいっきり、セレクションが効いている。何千、何万人に1人クラス。まあ、100歩譲って学校一のハンサム、学校一の美女…クラスだとしても、数百人に1人。この「初日にすらたどりつけない」「イケメンに限る」だと、どうしようもないものね。

 結局、「そんなこと(つまり外見)なんか、気にしない人と」恋愛すればいいだけで。
なんか当たり前すぎる気がするけど…。まあね、ぱっと見た感じというのは、わかりやすいし、美男美女が「いい人」と思ってもらいやすい」という心理学の実験結果も聞いたことがある。「いいな」と思ってもらいやすいんだろうなあ…。

 それにしても、救いようのない蹴落としっぷりだよね…。こういう言い回しが流行ることによって、告白する勇気が減る人がいそうだなあ、と思う。それと、女は化粧でこう…だいぶ化けるという要素もないではないが、男性のほうは、そういうオプションないからねえ…。

 私だったら…私が今、20歳で、お付き合いとかするとすれば。正直、3日どころじゃない。もっと、もっと時間がいると思う。なんたって、外見がよくないんだから。 前提が間違ってるんだよねえ、これ。パッとみて選んでもらえるか…ということなら、この「初日のチャンスはない」これ、確かにそうだと思う。 男性側のことはよくわからないけれども、イケメンというだけで、女の子から声をかけるというのなら、確かに、「そうしたくなるぐらいハンサム」な男性なんて、一握りだ。

 で…選んでもらうとしたら、中身を見てもらわないといけないんだから、となると、「誰に見せるか」だよね。そしたら、ぱっと見て決めるタイプの人じゃない人にいくべきであって。 

…そうね、誰がじっくりと中身を見極めるタイプかということは、わかりにくいからね…。 難易度が高いってことか。外見だけで、判断する人は、私は好きではなかったからなあ…。でも、一目でさっさとカップル成立したら、楽ちんだろうというのは、わかる。
 一度、体験出来たら面白いのにね?美男美女になってさ。

 やっぱりこういう言い回しというのは、「あっはっは」と一回ウケて、終わりにしておくのがいいよ、きっと。

パリテ結婚てなに?

【亭主関白なんか、だめ、平等を】という論調の記事を読んだ。
まあな…最近亭主関白なんか流行らないというのはわかる。私なんか、夫よりずっと遅くまで寝ている。

なんでも2人でわけっこして、平等にやりましょう、という結婚をこれを書いているライターは推奨している。で、フランスの法律にある、候補者を男女半々にする、という法律の名前が「パリテ法」というらしくて、それの名前をとって、何でも平等にやりましょう、というので名付けて「パリテ結婚」ということらしい。

 気持ちは、わかるんだけど…。まだ、日本じゃあ、難しいのではないかなあ、と思う。

 それはなぜか、というと、まず、フランスでは、働きたい人のお子さんは、全員、保育園に入れるというきまりが、ある。病児保育もしかりであって、無償だか、安いんだかどっちかだった。フランスに住んでいるお友達に聞いたらそういう感じ。これは外国人の子でも、フランス国籍の子だからなのかもしれないけど、(親がフランス人ではなくても、フランスで生まれて、フランスに問題をおこさず5年住んでいると、フランス国籍をくれる…つまりこの子は5歳でめでたくフランス人となった)親が、働きたいです、ついては、預けたいです、となったときに、「いっぱいですから、無理です」と言われない環境がフランスには、ある。

 日本では、なんせ去年の流行語が「保育園落ちた、日本死ね」だったという話があるぐらいだし、育休を取る男性はすごく少なく、ついでにそのあとの昇進にまで響いてしまうという話だってある。子供は、絶対病気になる。特に小さい子は、かなり頻繁にいろんなものに感染してくるものだ。保育園に預けた一年目に、あまりにも病欠が多くて、「私は何にお金を払っているんだろう…」と愚痴っていた友人はいた。

 子供が熱がありますから、迎えに来てください…と言われたとき、なかなか男女平等に迎えに行くという家庭は少ない。大概「おかあさんが」いくことになるのだ。病気で機嫌悪く、こまめなケアが必要で、重症化するかどうか、見極めなければいけない子供を迎えに行くお父さん…というのはシングルでなければ、あんまり聞かない。お母さんに丸投げの父親は多いはずだ。

 まあ、そこのところを「パリテ婚」にするとしたら、今の状況では、お父さんの昇進は遅れる。昇進が遅れる=給料が高くならない、という即物的といえば即物的な問題があるので、しょうがない、「稼げる率が低い」お母さんの方が、休んだときの影響が少ないということからいって、お母さんが休む頻度が高いのが典型的だと思う。

 多分だけど、女性の方がたくさん稼いでくる家庭であれば、そういう非常時に休む方はお父さんになるのではないだろうか。まず、半休(有給の)とか、取らせてくれる職場は少ない。有給というのは「病欠」だの、「冠婚葬祭」だのに充てることになっているという習慣がある会社は多いからね…。

 男性だって、「妻子を養うのだからやめられない」というプレッシャーは大きい。少なくとも一人は、稼いでいないと困るから。そこも半分にすれば、プレッシャーが減っていいな、というのは確かに思う。でも、男女の賃金格差がある。同じ仕事をしても女性の方が7割程度しか稼げないというデータもあったはず。同じ時間働いて、7割の金額。効率悪いといえば悪い。ついでに子育ての時期に、帰らなきゃいけなかったり、時短だったりすると、7割もかせげないかもしれない。しょうがないや、10割稼げる人が、がんばってよ、ということになるからこーなってるんだよね…。

 まあ、結婚したらやめるんでしょう的な明文化されない、しかし誰もがそう思っているというような腰掛ルールがあったころとは違って、女性も産休育休とって、再就職が多くなってきたのはいいことだと思うし、男性の育休制度が整備されて、「可能になっただけ」でも20年、30年前とは違うというのもあるから、確かに進んでいないわけではない。みんなが公平に、そして便利に働けるようになるといいなあ、とこの記事を読んで思ったのだった。

 なかなか、一筋縄ではいかないよね、この問題は。

姉の色、妹の色

足跡をたどって訪問させてもらったブログで、【あかあお話】という記事があって、思い出すことがあった。

 姉妹で育って、お揃いの服を買う時、色違いを買って、そしてお姉さんだから、と「お姉さんっぽい色」が自分のになる話。

私の場合は、立場がお姉さんではなくて、妹だったので、赤とピンクがあったらピンク、黄色と青なら黄色、ピンクと水色ならピンクのが自分のになることが多かった。赤とベージュなら、赤が自分の。ピンクと白ならなぜかピンク…。オレンジと黄色ならオレンジ。なんとなくこの法則がお分かりだろうか。

 そう…。間違いなく暖色系が多くなる。まあ、大体において、お揃いでおばあちゃんが買ってくれた…としても、姉が着ている方の服は、おさがりで回ってくるのだから、両方手に入る…ということもあるのだが、バッグや、帽子のリボンなどはそういうわけにもいかないものも多く、よそに回されてしまうこともあったから、「よそいき」の服は大抵が、赤、ピンク、オレンジ…まあ、そっち系だ。

 水色のワンピース、ベージュのジャケット。せめて白なら許せるのに、なぜそこでピンクか!!
…そう、どっちかといえば男の子っぽかった私は、ピンクが嫌いだった。ピンクというと、突然間違いなく、女の子「らしい」色になってしまう。それがなんとなく嫌だった。女の子らしくしなさい、といわれているようで。

 大体、「最初は女の子が良かったけれど、2番目は絶対男の子だと思ったのに」なんて言われて育ったら、自分の性別というのはちょっと、うっとおしくなってしまったりするものなのだ。そんなものに取り換えがきくわけでもないのにね。

 水色がうらやましかった私なのだが、同じ色にうんざりしていたのは姉も同じだったようで、姉はピンクが着たかったらしい。そんなわけで、私は大人になって自分で服を買うようになったら、スーツやワンピースはベージュや、グリーンや、ブルー系が多くなり、姉はピンクやオレンジ、赤を選んでいるのに、後から気づいた。

 ピンクが実は、種類によっては似合う…とわかったのは、20代も後半になってからだったな…。

 青のギンガムチェック、特に紺のやつが、とっても好きなのは、多分紺のギンガムチェックのワンピースが着たかったことがあるからかなあ…なんてね。

白いサンダル、ギンガムのワンピース、それから、麦わら帽子。5歳ぐらいだっただろうか。
セミの鳴き声と、日差しの白さ、そして膝の怪我の跡。
あれはどこだったんだろう、芝生のある、白い柵の公園。

 遠い夏…。小さな望みは口に出されないまま、とけて消えてしまったと思っていたのに、こうして、どこから飛んできたのかよくわからないシャボン玉みたいに、ふっと目の前にひらめく。

 そんなときもあったんだな…。ちょっといいな、と思う。自分が、昔と、芯のところは変わっていないことがわかるから。
私は、ずっとこうやって年月を重ねてきたけれど、やっぱり自分のまんまなのだ…と思うのが、なんとなく、好きだ。

学生の時はなあ…

【学生さんのツイートの紹介記事】を読んだ。

国語→もう日本語わかる
数学→将来役立たない
理科→理系の仕事目指してない
社会→過去を振り返っても意味ない
音楽→興味ない
技術→大工さんになるつもりはない
美術→絵ぐらいならだれでも書ける
英語→ここ日本

…というやつで、多分高校生か中学生か、勉強するのがいやになったんだろうなあ…という感じだ。
私がなんと返すかな…と思ってこの記事を書くことにした。一項目一言でまとめるのは難しいな。

国語→読み取る力、聞き取る力が弱いと、社会人になってからわけのわからない人の相手をするとき困る。
(いるんだよ、そういうひとがたくさん!)

数学→将来役立たない…と思うだろう?でも、「統計の見た目にだまされない」というような数学的な考え方は大切。
宣伝って、結構ひどいことをやる。本当っぽく見えるグラフにだまされないこと。あとね…いつか、子供を持ったら、算数って意外と、教えるの難しいよ。

理科→これも算数と同じ。なんちゃって健康法とか、なんちゃって科学にだまされないように。
 「消防署の方から来ました」とかいって浄水器売るようなやつね。

社会→政治経済、大人になったら財布直撃よ。知っている方がいいことは、案外ある。

音楽→まあ…これはねえ…。興味がなければ確かに。でも、話題として常識程度に入れておく知識は、あるほうがいい。
技術→大工道具、電気の知識の基礎などは、家庭を持つと便利よ。
美術→これもねえ…。やっぱり常識の範囲内で有名な人の絵ぐらいは認識できた方が多分、いい。
英語→人生、なにがあるかわからんのよ…。私みたいに、結婚した人の都合で外国に、ってなったとき…の可能性は低いにしろ、通販でほしいものが買えるぐらい、または取説に英語しかない時、どうにかなるぐらいの英語があるとないとですごく違うから。話せなくてもいい。でも、読めるぐらいでも絶対違う。
 または、一生、海外旅行しなくても、取引先が海外という状況は、現代にはありがち。あと、「英語が出来ないから、この仕事は無理です」というようなことを言うと、間違いなく出世は遅れるし、上場企業とか、業界大手とかは、英語力を求める会社は多いからね…。そこで「差別化」が出来てしまうちょうどいい項目ということもある。どこかで、人を選別しないといけないから。
 
 音楽と美術は、百歩譲ろう。でも「教養がある」ということは…そして教養には、音楽と美術も含まれる。そういうものを鑑賞して、美しいと思えることは、いいと思うのだけれどね…。絵ぐらい誰にでも書ける、なんて、言えるぐらいなのがいいなあ。私はかけないものね。

 人にものを伝える力。漢字を間違えない、読み方を間違えない…。これ、はずかしいんだよね、大人になってからやるとさ。
 子供にものを聞かれたとき、答えられるか。「なぜ、空は青いの?」とか、「なぜ、分数の割り算は答えが大きくなるの?」とか。
 そりゃあね?三角関数とか微分積分は、確かに使わないねえ、今生活して。でも、統計は使う。「平均」って、どんな考え方?とか、「平均」と「中央値」の違いとか。

 「えーー?私の給料、低すぎ?」 という広告を見たとき、その嘘を見抜けるか、ということ。
 それから、「水素水」とか、「水のクラスターが大きい」とかを見たとき、それが「すばらしいのかどうなのか」ということを判断できるか。

 とろろ昆布に含まれるカルシウムが、牛乳の何倍、という広告を見たとき、それがなぜ、「実際的ではないのか」ということがぴんとくるか。

 大人になったら、そういうことは、周りにいっぱいある。
 偏差値とは、どういうものなのかとか、「えー?大体平均ぐらいあればいいよ」と謙遜するママ友さんたちのお子さんたちの評価がが、なぜ「全員平均ぐらい」にならないのか、とか。ちょっと、わかってから話をするのは、騙されないためにも、心配しすぎないためにも、いいと思う。

 塗るだけで効果のある「頭のよくなる薬」はないとか、「飲むだけで障害の治る健康食品」はないとか、そういうようなことも。
本当に、本当に、知らない人は知らないままでいいとは思うけど、これを飲ませたら、子供の障害が治るから、といって健康食品を売る人は、いる。実際見たことがあるし、売りつけられたおじいちゃん、おばあちゃんもいた。孫がかわいいために騙される。そんな都合のいい食品も薬も、まだ発見すらされていないけれども、「もしかしたら、あるかも」と、思ってしまう人は、騙される。

 自分の子供が平均以下の成績をとっても、がっかりしてはいけない。平均値というのは、平均以下が大体半分、平均以上が大体半分…という状態になるものなのだ、とか。平均は年収500万円でも、実はボリュームゾーンは、400万円ぐらいで、ものすごく年収が高い人が少数混ざっているので、平均をだすと上の方へずれてしまうのだね、とか、そういうことは、見抜ける方がいい。
 あとは、「なぜ、パチンコとか、競馬とかは儲かるようには、出来ていないのか」なんてことも、算数出来なきゃ、わかんないのよ。

 勉強のできる大人には、ならなくていいけれども、「常識のある大人」であることは、賢い消費者になることにつながっている。

「損をしない」 「騙されない」「限られたリソース(お金)で、最大限の利益、便利さを得るには」というようなことは、算数、理科、社会と不可分なんだよね…。
「こどもだまし」に騙される子供をみたらわかる。幼稚園児、小学生が、子供だましに騙されるのは、かわいいけれども、(ころっとひっかかるんだ、これが。まあ、うちの子がそういう男子だ、ということもあるだろうけど)世間には「大人だまし」だってたくさんある。なぜ、本当っぽく思える、投資の話が「実はもうからないのか」なんていうことは、「さぶぷらいむろーん」って、何?とか、「投資信託って、なに?」とか、そういうことがわかっているかどうかで、違ってくる。

 書類にある、虫眼鏡じゃなくて顕微鏡がほしい、と思うような細かい文字で書かれたものを読んで理解する国語力。保険が何をカバーするか、ということを正確に読み取り、どのオプションがいらないのかということを「そういう決まりなんです」とか「大概の方はそうされますねえ」というセールストークに騙されない(そんな決まり、どこにあるんです?と、切り返せるかどうか。法律の知識はうっすらでも、あると違う)ことも。

 今は、親が、つまり大人が守ってくれる。学はなくとも、経験則にのっとり、大人をやっている人は多い。でも…大人になってから思うのだ。あの時、勉強しておけば、もっと儲かる仕事につけたかもなあ、とか、難しいこともわかって、投資が出来たかも、とか、そんな話を。騙されて大金を失った人は、「もっといろいろわかっていればな」と後悔するし、仕事が同じぐらいしかできないのに、TOEICが900点というだけで、給料が上乗せの同僚を見れば、高校の時、せめて英検2級でも、取っとけばよかったな…とか、ふっとよぎると思う。そうすれば、大体600点以上はいくからだ。

 知識に無駄はない。どんなあほらしいと思ったものでも。ただ、それが学生の時には、わかんないんだよねえ。
これが、実感できるのは大概、社会人になってからなんだなあ。しょうがないよ、その時はもう、社会人になってから、「あーあ」といいながら、勉強するしかないわけよ。

 このツイートをした学生さんは、どんな職業に就くんだろう。自分の力で、道を切り開き、お金を稼いで生活を立てていくとき、知識が役に立つのだ…ということ、小粒に見える、つまらないと思える知識でも、総合すると案外、いい武器になるのだということがわかっていくといいな、と思う。
 

不幸の手紙、現代版?

日本から、お客さんが来た。日本での知り合いで、ちょうど出張で近くによるので、と言ってうちへ顔を出してくれた。そこで、料理を作ってもてなすほど、料理に自信があるわけではないので、こういう場合、うちでは近くのレストランへ行って会食、ということになる。

 お客さんをホテルまで送り、帰ってきたら、息子が大変機嫌が悪い。普段見ている、大好きなテレビ番組が見られなかったとかそういう話なのだけれど、どうも、それだけにしては様子が変だ。

 不幸なことが起きるのが怖い、と言って泣くので、話を聞き出してみると、「これを読んだ人は何日以内にこれを拡散しないと、 unluckyなことが起こる」というようなことをどこかで読んでしまったらしい。

 夫も、私も、あまりのクラシックさに、ふきだしかけたが、ぐっと飲みこんだ。「ああー。不幸の手紙って、昔あったねえー」と二人でうなずき合う。これはつまり、それの現代版なわけだ。

 「うそだと、わかってるんだよ?でも…」と息子は頑張っていたが、やっぱりそんな気がして来たら怖いらしい。かわいいというか、小学生というか、子供だましというか…。うん、かわいい。

でも、そんなものをどこで?いつ?今日なの?と気を付けて話を聞いてみると、それを読んだのはたっぷり3週間前だということが判明(冬休み直後だった)して、ちょっとずっこけた。で、その時は、笑い飛ばしたのだけれど、今日、テレビが見れなくてアンラッキーだった…と思ったとたん、全部思い出したのだということだった。

 夫は、誰にでも、ラッキーなことも、アンラッキーなこともあるのだから、そんなものは信じなくていい…という(彼は無神論者だし、占い、お守り、ラッキーアイテムみたいなものを全部全く信じていない)方向へ。私は、まあ、こんなオカルトなものに対抗するにはこっちしかないよな…というわけで、お守りを自分の部屋に取りに行って、「はい、これ。ラッキーチャームね?これでいいことが起こるよ!」と渡しておいた。

不幸なことが起こる…というのを信じるなら、いい方だって、信じられるにきまってるからね!
不幸の手紙って、信じたのっていつごろまでだろう。そりゃ今だってそんなものが届いたら、いやといえばいやだ。なぜかというと、それは誰かが、私にいやな思いをさせたくて送ってくるものだから。その送った人の気持ちがいやだ。でも、手紙の中身の方はそれほど気にならないと思う。

 小学生の頃は確かにこういうのが流行った気がする。そして、中学生でもこれを信じている子はいた。高校生…ではあんまり、見なかった気がするし、大学生でやってるとしたらバカ扱いだと思うしね…。きっと、そういうのが出回らなくなる年齢は、それを信じなくなる年齢と同じぐらいなんだろうね。

 子供が寝てしまってから、夫が、「3週間前に読んで、アンラッキーなことだと思い当たることがあったのが今日1回。いい人生だと思うよ」と笑っていたので、私も一緒に笑えてしまった。そういわれれば確かにそうだねえ。それも、テレビが見られなかった、アンラッキーなんだもの。子供には、幸せでいてほしい…特に、親の手元にいるうちはね。

 地震が来たら?とかママやパパがいなくなったら?とかそういうことを考えて怖くなったらしいけれど、不幸の手紙の現代版は、何千、何万人が見ると思う?とか突っ込まれて、そりゃそうだけど…なんて。小学生らしい、その悩み。自分の子供時代がちょっと思い出せる今日のエピソードだった。
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今日の手作りはこれ。結構キラキラになってしまった、何色かのガラスビーズと、金色のスペーサー。

 図書館の本を参考に作ったけどこれ、どこにしていこうか、というぐらい、キラキラ。でも、見ているときれいだし、なんとなくゴージャスだし、これは、「きれいだなあ」と眺めてうれしい、そういうものなんだなーと思う。子供の時も、おもちゃのアクセサリというのは、あった。夜店で売っているペンダントとか、指輪とか…。ああいうものが「本当の宝石」でないことは、もちろん知っていた。でも、プリズムカラーや、金、銀、プラスチックでも、ラインストーンでも…。きらめく光の反射が、なんともうれしかったものだ。
 今もやっぱり、うれしい。きれいに、出来たなあ…。って眺めるのが。
つけるのはまた、別問題か。



…年来の友達

今日は、なんだか誰かとおしゃべりがしたかった。

こういう時、日本にいたら、私は誰かを誘って、お茶なんか飲むことになる。ランチかもしれないけど、まあ軽い話題と、趣味の話。でも、今は話しかけるのは夫だけ…。これが、こうなんていうのかな…。女同士のおしゃべりと、どうもこう、反応が違う。

 普段は平気なんだけど、今日はなんだか、寂しかった。

時差があるから、と思うと、あんまり子持ちの友人は微妙か…。
独身の友達にメッセージぐらいなら…と思って、ちょっと、SNSにメッセージを入れたら、リアルタイムで返事が返ってくる。あれれ?今日、仕事は?

 友達は珍しく今日、仕事が休みだったとのことで、私に付き合ってくれた。彼女が習っているダンスの靴の話とか、服のサイズの話とか、最近会った人の話(共通の知り合いではない人だけど)、とか、最近作ったものの話とか…。軽いおしゃべりで、大変気分が良くなった。久しぶりだな、彼女と話すの…。

 いつぶり?となったけど、ふたりで2時間もしゃべっちゃったあとで、「ええと…前に連絡とったのは私が渡米の連絡をした時ではないか…」という話になった。1年近く話していなくても、まるで先週会ったみたいなノリ。

 付き合い、長いもんね…。という話になった。

 二人で、ええっと…と考えてから、「ねえ、会ってから、丸30年、たってない?」「………ほんとだ…30年だ」と笑いあった。

「私が中学校の時ね、『この子と幼稚園から10年来の友達なんだ』とかっていう子がいてね、私はそういう友達がいなかったから、高校に入ってからは、そういう友達を作って、社会人になって何年かたったら、「10年来の友達なんだー」って言える友達を作ろうと思ったこと、覚えてるわ」

「私も、中学の時はそんな友達、いなかったよー。でも…もう30年なんだねえ」

「何でも話せるし、誤解される心配もないし」

と言われて、とてもうれしかった。そうだね…それは私も。何の心配もない。

数は少ないけど…。でも、そんなに人数要らないから、こういう人がいるのは、うれしいことだ。

さびしい、なんて愚痴ったわけじゃない。でも、彼女は多分、私が話し相手がほしかったことを知っている。
相談でも、深刻な話でもなく、ただ…「なんでもないおしゃべり」がしたかったってこと。

これはやっぱり、夫には、わかってもらうわけには、いかないんだなあ…。夫のことは大好きなんだけど。

都合があったら、今年中に一回は会おうね、と約束した。忙しい彼女のこと、これより具体的に休みの予定はなかなか立たないんだろうな。いいんだ…。彼女が自分がやりがいのある仕事をやって、幸せなことはわかっている。お互い、何かあったら、またこうやってSNSで連絡すればいいのだ。居住地がお互い、すっごーーーく遠いから、きっと彼女は出張先が、私の家とある程度近くだ、となったら連絡をくれる。「この日、どこそこで会わない?」と。そしたら、また、おしゃべりに行こうと思う。
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今日のどうぶつの森
3月に入って、ぐっと春らしくなった村。ちょうちょが飛んでくるようになって、お雛様販売…と思ったら、「明日はお店が改装でお休みだ」と言われてしまう。お雛様じゃなくて、ぼんぼりしか売ってなかったし…。1日から3日までの3日しかないのに、1日お休みで、今日ははずれだったら、もしかして今年はお雛様、買えないかもしれない。残念。

 amiiboカード、日本では買えるかどうかわからない感じなので、とりあえずアメリカで買ってみた。バンタムが呼びたいので、シリーズ3ばっかり買っているけど、結構かぶるし、バンタムは来ないし…。ちぇ。1パック6枚、SP1枚で、6ドル。クリスマスのころは7ドルしたから、ちょっと下がったと思うけど、やっぱり昔のカードeより高いなあ。チップ埋めてあるみたいだし、しょうがないんだろうけど。

ありがとうございます

昨日の、ぐだぐだした記事に、みなさん、コメントや、拍手をありがとうございます。元気が、出ます。

多分、この一年、ひとりで出歩くことが一度もなく、お付き合いのある人も、今年限りでもう会わない人達だから、とか思ってやってきて、日本に帰ったら、まだ付き合ってくれる人がいるんだろうか、とか、気を使って小学校関連はやらなきゃなあ…とか思ったので、うわーーっとなった感じがします。

 多分…。10年たったら、懐かしく思い出すようなことなんでしょうね、子供が小学校の時は…って。

あと、荷物をまとめるとか、そういう作業をしていると、クラフトをして「これが完成ーっ」というような充実感がないのも、ちょっと落ち込む原因なのかな…。それと、風邪気味だってことも。

 …すごく、言い訳めいてますよね。なんだか、なんだか…。ブログに来てくださっている人に、迷惑かけてるような、甘えてだだこねて、子供みたいになぐさめてもらってしまったような…。そんな気分がして、後ろめたいのだと思います。

 「いっぱい失敗してきたけど、言い訳だけはしたことがない」と、いつも読みに行っている楽しいブログの人が書いていました。かっこいいな…と思います。自分が、悪かったのだと思いたくなくて、言い訳を重ねて、それでよかったのだと思うこともある自分が、恥ずかしくなってきます。

人は…落ち込むこともあるのだと。でもみんな気を取り直して、また歩いてくんだということ…。覚えておかなくてはね。

 ブログは2週間ぐらい先まで、予約投稿してあるんですが、時々こうやって、その時書いてすぐ、投稿する記事もあって。
 のんびりしたみたいに見えている記事は予約投稿。
 こうやって、ぐだぐだ言っている時は、どこにも言えないことをただ、書き散らしているんです、はい。

 何もないところに向かって、叫んでいるのではないということが、わかるのが、ブログはいいですね。
 ノートに書くより、ただ、頭の中で考えを回しているよりもずっと、誰かに聞いてもらっている気がします。

 私も…。誰かが、誰にも言えないけれどどこかに言いたいことを、聞ければいい、そう思います。

銃を持たない社会は安全?足場について

銃のない社会は、銃がいっぱいある社会より安全か…ということについては、多分疑いようがない。銃で撃たれて死ぬ人は、アメリカではとても多いし、幼児(学齢期以下)の子供が、銃を撃って人を死なせた事件が年間20件とかあるし…自分の家の銃で「うっかりけが」をしたとか、「暴発した」とかで事故で死んだ件数もある。犯罪に走る人が多いか、少ないかという問題とは全く別だけど、この分だけでも、銃がなければ、へるよね。

ちなみに、日本で2015年に銃で死んだ人は5人だそうだ。

こういうことについてネットで記事を読んでみた。
理由は各種あったけど、歴史的に、武器の個人所有を秀吉が刀狩で…みたいなところからスタートして、もともと武器を所有していないところに、規制を置くのは簡単だった日本のケースと、独立戦争でまず武器を取ることになり、そのあと、内戦でドンパチ撃ち合いをやった(南北戦争)という歴史的な背景から、みんなが銃を持っていたところへ規制をするのが難しかったアメリカの話。

 銃を作る会社が、アメリカにいっぱいある話と、日本には警官の持ってる銃を作る会社1つしかない、供給の問題の話。

 外国からの流入が地続きなので防ぎにくいアメリカと、周りが海で防ぎやすい日本の話(特に金属探知は出来るからね)。

日本では猟銃の免許は3年で更新、銃の保管と別場所への弾の保管、それから毎年おまわりさんが、銃の免許を持っている人の所在を確かめ、顔を見にいくらしい(精神状態の把握)という、かなり厳しいルールになっているのに対して、アメリカではベッドサイドのテーブルの引き出しに銃を入れている人が多い現実も。
 猟銃なら、スーパーマーケットで釣り竿の隣においてあるから、あっという間。多分、私でも買える。

 そして、犯罪率の問題として、一度検挙されたら、98%の確率で有罪判決が出る日本のシステムと、陪審員制度で、有罪判決率が低いアメリカの、抑止力の問題。

…とここまでは、そりゃどうしようもないよなー…と思いながら読んでいたのだけれど、1つ、面白い話があった。

 建設現場の足場、つまり建物の外側に組み上げてある、あれ。建設じゃなくて作業用足場のこともあるようだけれど、事故で亡くなった人が、アメリカではこの10年で2500人もあったのだとか…。年間平均250人、2日に1人以上、なくなっている計算になる。大体日本の倍、人口がいるんだから、増えるとしても…。

 私はガテン系に勤めていたことがあるので、ちょっとはみたことがあるけれど、いくら現場作業が危ないと言っても、これはちょっと…と思ったら次に日本の数字が出てきて、この10年で、日本の死亡事故はゼロだそう。
 「日本は、そういうものを廃止したのか、というとそういうことではない。ただ単に、現場の安全基準が高いのだ」とこの文章は続いていた。

 いい加減な対策をしている結果、または命綱とかを付けないで高いところに上った結果なのか、それとも業務の習熟度が足りないのか、設備の点検基準が甘いのか…。

 現場の死亡事故ゼロというのは、いろんな会社で「当然だが、しっかり気を付けて目標としましょう」ということになっているからね…。ケガゼロだって目指している現場は多い。

 つまり、人間が事故を起こしやすい…カッとなったときパッと手に取りやすいところに、おかないようにする、というような「環境づくり」が足りないのだと言いたかったみたい。

そうだよね…。ムカッと来たときとか、よっぱらったはずみのケンカなんて、日本でだってよく聞く。ただ、ぶん殴られただけなら、命は助かるが、ハンドガンで撃ったら死ぬ…。そういうことなんだよね。どこの国だって、頭に血が上りやすいとか、パッと行動するとか、酔っぱらってコントロールが効かなくなる人というのは、いる。

でも、そういう時に手に取れるものが…またはそういう相手に出会ったときに出してくるのが銃かも、と思ったとき、自分も武装したくなるものなんだろうな。

銃のことだけで見ると、アメリカはああいう国(人種、貧困、移民問題色々)だし、日本とは違うからしょうがないよな、と思うけど、足場の話を読むと、確かに…もうちょっとなんとかなるところというのはありそうだ。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
アメリカの家で最後に、お風呂の大掃除をやったら、ゴム手袋がなかったので、手がガサガサに。ハンドクリームも断捨離したので、まずい感じ?…と思ったら、旅行用のポーチの中に、前に旅行した時ホテルのアメニティに入っていたmoisuturizerと書いたチューブ発見。
 これでいいだろう、ないよりきっとまし。
ちなみに、これは、旅行ごとに入れ替える…というのはどうやるかというと…

旅行にいく。自分が持っている旅行用のシャンプーリンスなどを使う。そのあと、帰るときに、ホテルにある新しいものを旅行用ポーチに入れる。

 こうすると、未開封のものが毎回1セット入っていて、古い…かもしれない。というものを使わないで済む。
 今回はこの作戦が大成功だったと言えよう…。こういうのは、ないホテルもあるからなあ…。日本に帰ったら、小さいハンドクリームか乳液ぐらいいれておいてもいいかも。
 捨てすぎ注意だな、と思った。

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    まこ

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